1 :
観念は具現化する ◆lnkYxlAbaw :
感情の原因は、それを感じる人の持つ固定観念です
ここでいう固定観念とは、固着観念、判断基準、既成概念、視点・観点、定義付け・意味付け、物の見方・考え方・解釈の仕方、思考パターン、思想・哲学、イデオロギー、主義主張、思い込みなど、無意識的にせよその人が「これは正しい」と信じている世界観のことです
例えば貴方がある情報に接してどれほど憤りを覚えたとしても、それはあくまでも貴方の価値基準に照らして貴方自身が(無意識的にせよ)選んだ解釈の結果であって、その情報の発信者には「貴方の憤りに対する原因(責任)」は一切ありません
如何なる情報も元を辿ればただの光の濃淡や空気振動に過ぎません。貴方がたった今目にしているこの文面も、実態は単なる「画面に映った黒白模様」です。貴方が自分自身のフィルタ(色眼鏡)を通して主観で意味を判断しています
情報を如何に解釈し活用するかは受け手の勝手自由です。受け手の自由意志で選択している以上、その結果に対する責任は受け手自身にあります。つまり人は(少なくともネット上では)自分の感情を他人のせいにはできないということです
逆に言えば仮に貴方が誰かを怒らせたとしても、その人が勝手に自身の価値観で怒りを覚えているのですから、貴方がそれについて後悔や罪悪感や自己嫌悪(自責の念)を感じる必要は全くありません
これを「積極的に怒らせていい」「迷惑を掛けても謝る必要はない」などと解釈するのも自由ですが、その結果も勿論貴方の自己責任です
宗教に詳しい方ならご存じの通り、この宇宙は「貴方が与えたものを貴方が受け取る」仕組みになっています。もし貴方が誰かに不自由を負わせようと(例えば自分の理想を押しつけようと)すれば、貴方自身が不自由(苛立ちなど)を感じることになります
感情に限らず人生で体験する全ては「体験者がどんな固定観念を持っているか」を映し出している”鏡”に過ぎません。なので感情的な批判や非難は全て自己矛盾します
例えば極悪非道な犯罪者に対して「あんな思いやりのない人間がいるなんて信じられない」などと責める人ほど、その人を思いやれていないように
宗教に携わる人が陥りやすい矛盾した固定観念は「真実は一つ」。本当は真実は「人の数だけ」あります。「真実は一つ」は、「数ある真実の一つ」に過ぎません。それに気付かない人はいつまでも争いを体験する羽目になります
2 :
いちご ◆Ef8MuGBEvQ :04/09/18 13:05:22 ID:g6ab/2Fo
3 :
いちご ◆Ef8MuGBEvQ :04/09/18 13:12:00 ID:g6ab/2Fo
>>1 私は、怒鳴られたりする事がとてもこわいです。
いつも、静かな場所にすわっていたいです。
「主は私の羊飼い私は乏しい事がありません。」
たしかに、私も人も弱い面がいっぱいありますが、それを責められる事ほど、ダメ人間という暗示にかけられているようで、鬱になります。l
「貴方の罪はゆるされました。」
「貴方は愛されています。」
これを、私と自分にいいきかせてゆきたいです。
4 :
いちご ◆h5lZis5iEw :04/09/18 13:19:25 ID:g6ab/2Fo
また書いてしまった。。
誰かが返事をかくのが気になるから。。もう逃げます。。
さようなら。。
主の平安がありますように。
5 :
名無しさん@3周年:04/09/18 13:23:26 ID:5y1/iubH
テロや犯罪で殺されるのも、全ては被害者の潜在意識の具現化であ
ると言う生長の家の教えと同じですね。
6 :
観念は具現化する ◆lnkYxlAbaw :04/09/18 14:24:53 ID:mGpIHv49
>>3 私は、怒鳴られたりする事がとてもこわいです。
デリケートなんですね。もっと図々しくなっていいんですよ
>いつも、静かな場所にすわっていたいです。
私は今静かな場所に座ってます。貴方も望めば叶いますよ
>たしかに、私も人も弱い面がいっぱいありますが、それを責められる事ほど、ダメ人間という暗示にかけられているようで、鬱になります。l
これまで「対外評価を気にして生きろ」と教えられてきたんですか?
>>4 誰かが返事をかくのが気になるから。。もう逃げます。。
貴方の固定観念が変われば逃げる必要もなくなりますよ
>>5 テロや犯罪で殺されるのも、全ては被害者の潜在意識の具現化であると言う生長の家の教えと同じですね。
寧ろ加害者の潜在意識の具現化が大部分でしょう、テロの場合
7 :
名無しさん@3周年:04/09/18 14:38:41 ID:CEN7aoDj
>>1 ヒュームの経験論は知ってるの?
「正義とは感情である」
8 :
観念は具現化する ◆lnkYxlAbaw :04/09/18 21:17:06 ID:wbByB10u
>>7 ヒュームの経験論は知ってるの?
経験が先にあって、観念が後から形成される、という論ですか?
自意識が目覚める以前までは、その論は合ってますよ
でも自我が芽生えた人にとっては「観念が先で経験が後」です
「経験が先で観念が後だ」という観念すら、その通り具現化しますから
>「正義とは感情である」
正義はただの概念では?正義に執着した結果生じるのが感情で
9 :
名無しさん@3周年:04/09/18 21:48:09 ID:U7Nmg4KV
難しい話
10 :
名無しさん@3周年:04/09/18 22:11:05 ID:CEN7aoDj
>>8 経験と観念は、時と場合で使い分けているんだけどね。
>>正義に執着した結果生じるのが感情
仏教系の人かな。
>>1の説明は、ヒュームの「正義とは感情である」
この一言で説明できている。
11 :
名無しさん@3周年:04/09/20 15:24:31 ID:lHttJVfn
12 :
名無しさん@3周年:04/09/20 15:29:40 ID:lHttJVfn
2ちゃんねるの感情が具現化しなければいいが・・・
面接官「特技はブラッドパーティとありますが?」
ネバダ「はい。ブラッドパーティです。」
面接官「ブラッドパーティとは何のことですか?」
ネバダ「カッターで血祭り・・・。」
面接官「え、カッターで血祭り?」
ネバダ「はい。カッターです。敵に大ダメージを与えます。」
面接官「・・・で、そのブラッドパーティは当社において働くうえで何のメリットがあるとお考えですか?」
ネバダ「はい。敵が襲って来ても殺せます。」
面接官「いや、当社には襲ってくるような輩はいません。それに人に危害を加えるのは犯罪ですよね。」
ネバダ「でも、さとみにも勝てますよ。」
面接官「いや、勝つとかそういう問題じゃなくてですね・・・」
ネバダ「世間の愚民たちに衝撃を与えるんですよ。」
面接官「ふざけないでください。それに愚民って何ですか。だいたい・・・」
ネバダ「下品な愚民です。自己満なデブスとも書きます。とりわけ私のクラスは・・・」
面接官「聞いてません。帰って下さい。」
ネバダ「あれあれ?怒らせていいんですか?やりますよ。ブラッドパーティ。」
面接官「いいですよ。やって下さい。ブラッドパーティとやらを。それで満足したら帰って下さい。」
ネバダ「もう帰る。おまえ運がよかったな!不快でも苦情は出さないでクダサイ。」
面接官「帰れよ。」
14 :
観念は具現化する ◆lnkYxlAbaw :04/09/21 18:05:04 ID:O8PjH8N9
>>9 どの辺りが難しかったでしょうか?
>>10 ヒュームって、「感情の原因はそれを感じる人の固定観念だから自己責任」って言ってましたっけ
>>1 他の板に立てた板違いスレの削除依頼と該当スレにおける報告。
電波をまくよりも先にやるべきことがあるだろ。
他の板・スレから逃げないでくださいw
他の板・スレから逃げないでくださいw
>>18 おしい!!あと3秒早かったら22日22時22分22秒だったのに!!!
20 :
名無しさん@3周年:04/09/24 08:23:34 ID:HXy910s5
21 :
観念は具現化する ◆lnkYxlAbaw :04/10/02 11:41:06 ID:stZ2XEFU
ほしゅ
22 :
名無しさん@3周年:04/10/02 17:30:23 ID:mh7dk1gE
人間の感情に基づいて進められる自然科学は神に対する冒涜である。
24 :
名無しさん@3周年:04/10/02 17:37:30 ID:H3U+QbNb
>仮に貴方が誰かを怒らせたとしても、その人が勝手に自身の価値観で怒りを覚えているのですから、貴方がそれについて後悔や罪悪感や自己嫌悪(自責の念)を感じる必要は全くありません
これは他人に迷惑をかけて怒らせても責任はないということをも含んでいるね。
だが、
> これを「積極的に怒らせていい」「迷惑を掛けても謝る必要はない」などと解釈するのも自由ですが、その結果も勿論貴方の自己責任です
やはりそう解釈では責任をとることになるという。
矛盾である。
神の意思は人に直接的に伝えられる。
教会に行き、神の息吹を聞き流し、
教会で聞こえる人の声を聞いているものがいるがあれば
不信心もはなはだしい。
神はあなた方全てに責任を持っている。
神の行動を規範としている人間も全ての者に対し責任を持つ。
あなた方はお御堂で人が必死の形相でこう叫ぶのを真摯に聞くであろうか。
「ここに精霊様が満ちられた。
壇上の貴方はその汚らしい声帯を震わせるのはやめ、
清らかな息吹に耳を貸しなさい。」
28 :
観念は具現化する ◆lnkYxlAbaw :04/10/02 17:52:58 ID:7ssBi3i7
>>22 死ね馬鹿
ん?何か不満でも?
>>24 やはりそう解釈では責任をとることになるという。
自分自身の感情については、あくまでも自己責任です
自分自身が自分の体験の創造者である、という意味で矛盾はないですよ
>>26 神はあなた方全てに責任を持っている。
「神」というのは人が創り出した概念に過ぎません
「責任」と同じく
29 :
名無しさん@3周年:04/10/02 18:23:44 ID:H3U+QbNb
>>28 ある凶暴な人間が、他人の子供を虐殺した結果、
こどもの母親が心理的にトラウマをおうことになっても
(たとえば心身病)、その加害者には責任がないのか?
心理的損傷は場合によっては、肉体的損傷よりひどいこともある。
なんだなんだ、古いスレだな・・。
長いから全部読んでないけど俺はかなり同意ですよ。
31 :
>>1は結局はこれ?:04/10/02 18:44:50 ID:H3U+QbNb
すべては自分がつくっている(唯我論)。
他人とその行為は自分がつくっているので、実は
他人の行為は幻想にすぎない。
だから他人が自分を殺しても、幻想にすぎないので、
その他人には責任がない。
32 :
観念は具現化する ◆lnkYxlAbaw :04/10/03 13:24:50 ID:ply90W6d
>>29 ある凶暴な人間が、他人の子供を虐殺した結果、 こどもの母親が心理的にトラウマをおうことになっても (たとえば心身病)、その加害者には責任がないのか?
ないです。冷たいようですがその母親が精神的に未熟なんでしょう
この世で一見理不尽な死に方をする人々は星の数ほどいます。自分や我が子は特別な存在だという思い上がりが強いと、それだけショックも強い
>心理的損傷は場合によっては、肉体的損傷よりひどいこともある。
はい。気が触れたり死に至ることもありますね
テロリストになる人もいます
>>30 長いから全部読んでないけど俺はかなり同意ですよ。
やっぱり長いと読まない人増えますね
あれでも削ってるんですが
33 :
観念は具現化する ◆lnkYxlAbaw :04/10/03 13:25:11 ID:ply90W6d
>>31 すべては自分がつくっている(唯我論)。
「自分の体験するすべては」、そうです
体験者本人が、体験の創造者なので
>他人とその行為は自分がつくっているので、実は他人の行為は幻想にすぎない。
幻想なのは、他人の行為に対する自分の「解釈」です
自分にとって相手の行為がどういう意味を持つか?それはそれを見る自分自身が創り出している
>だから他人が自分を殺しても、幻想にすぎないので、その他人には責任がない。
はい。「殺される」という体験自体が幻想です
生命は殺される(死ぬ)ことはありません。肉体(物理次元の道具)が使い物にならなくなることはあっても
古く狭い従来の生命観に拘る人は、死を恐れる。死を恐れるからテロリズムも力を持つ
肉体が滅んで精神(意識)だけの状態になると、考えることが瞬時に目の前に現れるようになります
その時、現実とは自分が創り出している幻想であることが実感できるでしょう
時間概念に囚われる物理次元では、なかなか分かり難いですが
ここは宗教板ですから、こう述べてもあからさまに拒絶反応する人は少ないでしょうね
ニューエイジカルトのアバターか何かに感化された奴かな?
すべてを自分の信念が創りだしているのなら、このスレでの
>>1への批判も
>>1自身が創りだしているということになるよなw
保守してこれだけ釣れてよかったですねぇ。
36 :
観念は具現化する ◆lnkYxlAbaw :04/10/03 16:31:12 ID:JRnTbTjW
>>34 すべてを自分の信念が創りだしているのなら、このスレでの
>>1への批判も
>>1自身が創りだしているということになるよなw
その通りです
>>35 保守してこれだけ釣れてよかったですねぇ。
してみるもんですねぇ
37 :
名無しさん@3周年:04/10/03 18:36:41 ID:gCJOWG9Z
>>32 >>冷たいようですがその母親が精神的に未熟なんでしょう
ガンで撃ち殺された人がいても、その人が防弾チョッキを
きていなかった未熟者なんでしょう。
こんないいわけが通るわけないよ。
世界観は面白いものがあるが、倫理的なものは導かないほうがいい。
反社会的カルト思考と同じになっちゃうからね。
38 :
名無しさん@3周年:04/10/03 18:44:22 ID:gCJOWG9Z
>>33 >>「殺される」という体験自体が幻想です
殺される体験をどう解釈するかで、責任の有無に影響するのかな?
殺されば少なくとも、できなくなることがあるね。
それについては責任がないの?
39 :
観念は具現化する ◆lnkYxlAbaw :04/10/03 18:53:09 ID:EvVQIXjA
>>37 ガンで撃ち殺された人がいても、その人が防弾チョッキをきていなかった未熟者なんでしょう。
その場合、ガンを持つ人の近くにいること自体も未熟です
君子危うきに近寄らず
>こんないいわけが通るわけないよ。
倫理を重んじる人に対してはね
>反社会的カルト思考と同じになっちゃうからね。
己の感情の自己責任が取れてないカルトは遅かれ早かれ自己矛盾を露呈します。オウムのように
40 :
名無しさん@3周年:04/10/03 19:01:27 ID:gCJOWG9Z
被害者の感情と思考について考えてみよう。
例:
急に見知らぬ人み棒でぶたれて骨折した直後
1:痛い、おどろいた
2.これでは出歩けなくなるので悲しい
3:怒りを感じる
4:あいつに仕返しをしたい
1の感情は、被害者の解釈に特に依存するとは思えない
2は今後の予想とそれによって生じる感情、事実に関する予想だから解釈
というわけでもない
3の感情が解釈にいぞんするかもしれない。怒ることが悪いことだ
ともっている人は怒らないかもしれない
4の感情も3と同様に解釈に依存する
さて、特に被害者の解釈と関連しないと思われる1や2に
ついては加害者は責任がないのであろうか?
41 :
名無しさん@3周年:04/10/03 19:05:17 ID:gCJOWG9Z
>>39 >> その場合、ガンを持つ人の近くにいること自体も未熟です
ガンをもっている人がそばにいることが多くの人
に予想されていない場合はどうなの?
42 :
名無しさん@3周年:04/10/03 19:14:42 ID:gCJOWG9Z
>>39 >> 己の感情の自己責任が取れてないカルトは遅かれ早かれ自己矛盾を露呈します。
どういう種類の感情が、責任を生じるほどの問題をひきおこす
と考えているのかな?また、その問題とは何だろう?
44 :
名無しさん@3周年:04/10/03 19:33:02 ID:gCJOWG9Z
>>1 感情の原因は、それを感じる人の持つ固定観念です
この主張があまりにも乱暴すぎて、どういう感情にあてはまるのか
の分析がなされていないようだ。それが混乱の原因だろう。
たとえば、固定観念に影響されない感情の(
>>40 の1)があるのは確か
なのだから。
45 :
名無しさん@3周年:04/10/03 19:38:53 ID:gCJOWG9Z
46 :
観念は具現化する ◆lnkYxlAbaw :04/10/03 21:32:21 ID:oJeuXQFY
>>38 殺される体験をどう解釈するかで、責任の有無に影響するのかな?
はい。1で述べているのはあくまでも自己の体験に対する責任です
>殺されば少なくとも、できなくなることがあるね。それについては責任がないの?
肉体が使い物にならなくなれば、物理次元ではもう“体験”はできないですね。「それ」とは?
>>40 さて、特に被害者の解釈と関連しないと思われる1や2に
>ついては加害者は責任がないのであろうか?
2の「悲しい」は完全に被害者の解釈です
1は感情ではなく反射ですから、加害者に責任があります。驚いて仰け反った結果転んで怪我したら、加害者の責任
何故なら事例の場合、痛がるのは被害者の「解釈の結果」ではないから
>>41 ガンをもっている人がそばにいることが多くの人に予想されていない場合はどうなの?
そうした「無知状態」もその人が選んだ結果ですが、「多くの人に予想し難い」なら、責任を問うのは酷でしょうね
>>42どういう種類の感情が、責任を生じるほどの問題をひきおこすと考えているのかな?また、その問題とは何だろう?
どういう種類?喜怒哀楽で言えば怒です
その問題?怒が過ぎれば殺人が起こったりすることです
>>44 たとえば、固定観念に影響されない感情の(
>>40 の1)があるのは確かなのだから。
あれは感情ではなく反射。大脳新皮質を経由してませんので1でいう感情ではありません
>>45 ある種の感情においては責任があるのは確かだが、そのほかの責任に対してはあまりにも軽視しすぎて危険な思想になっている。
「その他の責任」って?
47 :
名無しさん@3周年:04/10/04 02:24:12 ID:Ex/U3DjX
>>46 >>40 の1 で反射と感情を区別しているようだけど、感情は
「心の動き。気持ち。気分」が定義だから、感じたすべてのものが
入る。だから「痛い」「驚き」が反射的であっても感じれば感情。
それは定義の問題で誤解につながりやすい問題なんだけど、いずれにしても
物理的に避けがたい連関があれば、加害者に責任を認めているようだね。
>>肉体が使い物にならなくなれば、物理次元ではもう“体験”はできないですね。「それ」とは?
殺人者が、被害者の物理的体験能力を物理的に奪ったことに対する、加害者の責任。これには
同意するはずだよね?
>>どういう種類?喜怒哀楽で言えば怒です
つまり、他者に危害を加えようとする意志や行動に結びつきやすい
感情だよね。つまり、「他者に危害を加えることは悪い、もしくは問題
である」ことを前提にしていると判断していいよね。
48 :
35:04/10/04 03:58:45 ID:g7eRxTHd
50 :
観念は具現化する ◆lnkYxlAbaw :04/10/04 18:27:02 ID:iM8LkdYm
>>47 だから「痛い」「驚き」が反射的であっても感じれば感情。
1でいう感情は、あくまでも「まず観念ありき」の感情です。喜怒哀楽などの
「急激な大音響など」による驚きは痛みと同じで「感覚」ですが、「新発見や予期せぬ事態」によるものは感情
>殺人者が、被害者の物理的体験能力を物理的に奪ったことに対する、加害者の責任。これには同意するはずだよね?
そうですね。既成の死生観の範囲内でなら
>つまり、「他者に危害を加えることは悪い、もしくは問題である」ことを前提にしていると判断していいよね。
「悪い」より寧ろ「幼稚」。度が過ぎれば取り返しが付きませんので、その意味では問題
但し、道具として言葉を用いる場合は「他者に危害を加えること」は不可能です
言葉の読み手・受け手が自身を傷付けることはあっても
51 :
名無しさん@3周年:04/10/05 13:02:04 ID:wehtL9m/
>>50 >>道具として言葉を用いる場合は「他者に危害を加えること」は不可能です
それではなぜ脅迫が犯罪なのかな?
脅迫は言葉で恐怖、特に生存への恐怖を与えることによって、人の行動範囲
を制限しようとする。人の報道範囲がせばまったという意味
で十分危害が加えられたのだ。
脅迫による死への恐怖も本人の責任だというなら、問題が生じる:
恐喝、脅迫がまかり通れば、大多数の人は住みにくくなる。
死への恐怖を消す解釈をしなればならないのは思想の強制である。
52 :
観念は具現化する ◆lnkYxlAbaw :04/10/05 19:06:22 ID:0gWxZU1k
>>51 それではなぜ脅迫が犯罪なのかな?
単なる言葉や文章による脅迫についてなら、その答えは「今のところ1を理解していない人が多いから」です
脅迫の仕方(例えば実害を伴ったり)によっては立派な犯罪ですし、それについては否定しません
>脅迫は言葉で恐怖、特に生存への恐怖を与えることによって、人の行動範囲を制限しようとする。
そうすることが目的ですからね
>人の報道範囲がせばまったという意味で十分危害が加えられたのだ。
行動範囲を狭めているのは脅迫を解釈した本人ですけどね。被害者自身が自分で自分を束縛してます
>脅迫による死への恐怖も本人の責任だというなら、問題が生じる:
脅迫の解釈やそれによる「恐怖心そのもの」は100%本人の価値観・死生観が原因なので、どんなに怖がったとしても脅迫者には何の責任もありませんよ
仮におしっこちびっても、本人の責任
仮に恐怖でショック死しても、冷たいようですが「肝が小さく生命維持能力・適応能力が乏しくその体験に耐えられなかった」だけです
>恐喝、脅迫がまかり通れば、大多数の人は住みにくくなる。
まかり通らせる要素を無くせば、住みやすくなりますよ
勿論、脅しに屈するのも要素の一つ
>死への恐怖を消す解釈をしなればならないのは思想の強制である。
「しなければならない」のなら、確かに強制ですね
そういう思想はあまり長続きしませんけど
54 :
名無しさん@3周年:04/10/06 12:40:47 ID:VXQjnBCm
>>>人の報道範囲がせばまったという意味で十分危害が加えられたのだ。
>>行動範囲を狭めているのは脅迫を解釈した本人ですけどね。被害者自身が自分で自分を束縛してます
本人の解釈がは入ったらまったく、加害者に責任がなくなるのかな?
脅迫がなかったら行動範囲も狭まることはなかったわけだ。しかも、
解釈する側は通常の「生きたい」という願望にすぎない。
>まかり通らせる要素を無くせば、住みやすくなりますよ
>勿論、脅しに屈するのも要素の一つ
脅した者に責任を認めない意見が、脅しに屈するということ。
犯罪としての脅迫の責任を認めないないのだから。
>>死への恐怖を消す解釈をしなればならないのは思想の強制である。
>「しなければならない」のなら、確かに強制ですね
>そういう思想はあまり長続きしませんけど
そういう思想とは、
脅迫に責任を問うことがないー>被害者は死への恐怖を消す解釈をしなればならない
すなわち、>1 の意見は長続きしないとう結論に達したようだね。
>>54 まともな「議論」出来る人間がこんなにスレ乱立させるわけないだろ。
56 :
観念は具現化する ◆lnkYxlAbaw :04/10/06 18:10:01 ID:IFdwrRvq
>>54 本人の解釈がは入ったらまったく、加害者に責任がなくなるのかな?
そういう理論です。1は
但し、解釈が入る以前に生命に危機感を覚える状況は多々ありますし、その場合は加害者に責任が発生します
>脅迫がなかったら行動範囲も狭まることはなかったわけだ。
「行動範囲が限られたのは脅迫のせい」と?
その主張を認めていたら際限ないですよ
現に殆どの犯罪者がそれに近い言い訳をしてます
>脅した者に責任を認めない意見が、脅しに屈するということ。
>犯罪としての脅迫の責任を認めないないのだから。
明らかに生命を脅かすような場合は、犯罪ですよ。全ての脅迫は責任がない、と主張しているのではありません
>すなわち、>1 の意見は長続きしないとう結論に達したようだね。
1を理解するのに「死への恐怖」は無関係です
57 :
だるしむ:04/10/06 21:13:40 ID:FhH7y1fM
てゆうかよう、俺は1が何をやりたいのかわからん。w
暇なんだろ?ようするに。
雑魚しか釣れないぞ
これはちがう、これは正しい
それが幻想であると言うことはもうわかってるはず。
不毛のような。。
58 :
名無しさん@3周年:04/10/06 21:35:44 ID:HRkrcwhM
正義は感情である。
感情とは、自己を他者(或いは感情の原因)から差別化する情動。
仏教の善悪で言えば悪だろう。
しかし、差別化とは、差別と被差別が同時(しかも可換的に)に起こっているから、その原因を自己と他者に
区別できない。作用反作用のようなもの。
結局、
>>1 の自己責任論は、善悪論に結びついて行く。
59 :
だるしむ:04/10/06 21:50:08 ID:FhH7y1fM
>仏教の善悪で言えば悪だろう
いやね。
仏教に善悪は無いと、 それは空のはずだが?w
>>58 俺にはおまえが善悪論に捕われてるような気がしてならない。w
60 :
名無しさん@3周年:04/10/06 22:01:16 ID:HRkrcwhM
>>59 >>仏教に善悪は無いと、 それは空のはずだが
善悪について、少しは調べてるのかな?
例えば、純粋経験とは何か?
>>俺にはおまえが善悪論に捕われてるような気がしてならない。
責任と言う言葉を辞書で調べてみたら。(笑
61 :
だるしむ:04/10/06 22:07:19 ID:FhH7y1fM
> 善悪について、少しは調べてるのかな?
調べるも何も、
何が善で、何が悪なのかと言うことなんて、
おまえは誰れかに決めて欲しいのか?
自分の考えというものを持っていないのか?
そうじゃないなら、調べるなんて不毛だろ。w
デスノートじゃないが、それは不毛だ。
> 例えば、純粋経験とは何か?
おまえの考えてる答えをまず先に出せ。w
> 責任と言う言葉を辞書で調べてみたら。(笑
1じゃないが、おまえの感情はおまえの責任である。w
62 :
名無しさん@3周年:04/10/06 22:25:53 ID:HRkrcwhM
だるしむ あぼ〜ん。
>>56 善悪論だけじゃなくて、他者論も考えないとならない。
前のレスでは、フッサールの現象学的に他者を捉えていたし、
他者の捉え方としては一般的ではないだろう。
(それとも仏教の人には、普通なのか?)
善悪論を外したいなら、責任という言葉でなく、因果とでも言えばいいだろう。
63 :
観念は具現化する ◆lnkYxlAbaw :04/10/06 22:34:53 ID:VOv0PyDY
>>57 てゆうかよう、俺は1が何をやりたいのかわからん。w
人生は壮大な暇潰しですがそれが何か
>雑魚しか釣れないぞ
分かってますよ
大物が1に反論する訳ないでしょう
>これはちがう、これは正しい
>それが幻想であると言うことはもうわかってるはず。
それが分かっている人はこのスレに用はないはず
私が対象にしているのは専ら小学生です
でも幻想であることを「頭では分かってもどこかで納得できてない人」は多いですよね
64 :
観念は具現化する ◆lnkYxlAbaw :04/10/06 22:35:19 ID:VOv0PyDY
>>58 正義は感情である。
感情ではなく概念です
>感情とは、自己を他者(或いは感情の原因)から差別化する情動。
愛は差別しないで寧ろ「一体化」しますよ
>仏教の善悪で言えば悪だろう。
単なる区別に差別を見る人の心の中にこそ、悪がありますね
>しかし、差別化とは、差別と被差別が同時(しかも可換的に)に起こっているから、その原因を自己と他者に区別できない。作用反作用のようなもの。
この部分は全く同感ですね
>結局、
>>1 の自己責任論は、善悪論に結びついて行く。
今更個人的価値判断に過ぎない善悪概念を語ろうとは私は思ってませんよ
>>59 仏教に善悪は無いと、 それは空のはずだが?w
そうですね
65 :
名無しさん@3周年:04/10/06 22:51:46 ID:HRkrcwhM
>>64 >>愛は差別しないで寧ろ「一体化」しますよ
悪い意味での「差別化」ではない。愛で言えば、普通の関係から愛しているという
差別化をするということ。
(あなたの言う区別と同じ意味で使っている)
感情とは、自己を差別化(同時に感情の対象も)する情動なのです。
>>今更個人的価値判断に過ぎない善悪概念を語ろうとは私は思ってませんよ
善悪について、或いは倫理について少しでも調べたことのある人なら、こういう結論は出しません。
色々な考え方がありますから。
ちなみに純粋経験とは、自己と他者を区別しない主観と客観が別れる前の経験・認識を指し、
西田幾太郎氏によれば、それが「善」です。
もちろん、これは、仏教の現世利益などの考え方に通じています。
66 :
だるしむ:04/10/06 23:02:54 ID:FhH7y1fM
>>HRkrcwhM
>感情とは、自己を差別化(同時に感情の対象も)する情動なのです。
何と違うということでしょうか?
自分と違うものとは?
>ちなみに純粋経験とは、
>自己と他者を区別しない主観と客観が別れる前の経験・認識を指し、
おまえ、それが何時の時代のことか分かって
言ってるのですか?
67 :
だるしむ:04/10/06 23:26:24 ID:FhH7y1fM
うぅ、俺はおれの考えが正しいと主張したいんだよ
ごるあ。
そんな声が聞えてきそうなのですが何か?
68 :
だるしむ:04/10/06 23:41:25 ID:FhH7y1fM
宅間守は言いました。
自分が生まれて来なかったら、
こんな事件は起こらなかっただろう。w
悲惨な事件は何故起こるのでしょうか?
誰れかに問題があるのでしょうか?
真実は、悲惨な事件は、悲惨であると感じている自分自身に
問題があります。
人間は、自分が認識したものになっていきます。
だから、何に注意を払うのか。それに気をつける必要が出てきます。
ただ、何に価値を見出してるのか。
それに気をつけていて下さい。
それが全ての答えであり、自分自身です。
教育の否定か・・・
70 :
だるしむ:04/10/06 23:57:01 ID:FhH7y1fM
教育とは、 ある時代において、
都合の良い人間をいかに生み出すのか。
その手法を言います。
それは真実ではありません。
もちろん、この時代において、それに価値を置くのならば、
それはそれで良いでしょうし、それを止める権利は誰れにもありません。
しかし、同時にそれに従う義務も誰れにもありません。w
真実とは、自分の何に価値を置いているのか。それに依ります。
それは相対的なものです。
そして、絶対的な価値があるとするならば、
それは空(無いもの)でしょう。
71 :
名無しさん@3周年:04/10/07 00:20:10 ID:RoIeT5ff
>>56 >「行動範囲が限られたのは脅迫のせい」と?
>その主張を認めていたら際限ないですよ
>現に殆どの犯罪者がそれに近い言い訳をしてます
脅迫されたことを理由に、他者に害を加えたら、
それはいいわけにはならない。しかし、これまでのテーマ
はそうではなかったね。脅迫されて、行動範囲が狭まって
脅迫された側に損害が生じた場合をいっている。
死の脅迫をされた側の解釈は「いきたいこと」「死の危険をさけたいこと」
のふたつの観点にすぎない。
>>すなわち、>1 の意見は長続きしないとう結論に達したようだね。
>1を理解するのに「死への恐怖」は無関係です
>1によれば死への恐怖をいだいて自分の行動範囲をせばめたものは解釈
だから責任がないになるはずだが、>56 で生命にかかわる脅迫は責任があると認めて
いるのは矛盾だろう。
72 :
名無しさん@3周年:04/10/07 00:24:35 ID:RoIeT5ff
>>68 自分が悲惨だと思っていても、
他者へ危害を加えるとは限らない。
感情から危害を加えるためには、他者へ危害を加えてもいいという判断
にもとずいた意思決定がなければならない。
感情が他者へ危害の原因になるとみなすこと自体が、感情を使った
いいわけなのだ。
73 :
観念は具現化する ◆lnkYxlAbaw :04/10/07 18:40:45 ID:mcexvev9
>>65 感情とは、自己を差別化(同時に感情の対象も)する情動なのです。
差別化がまずあって、感情が後にある、ということですね。同感です
で、その差別化は固定観念が原因
>ちなみに純粋経験とは、自己と他者を区別しない主観と客観が別れる前の経験・認識を指し、西田幾太郎氏によれば、それが「善」です。
「善」は主観的概念以外の何ものでもないですよ
よろしければ西田哲学でいう「純粋経験」の具体例を挙げて下さい。自意識が芽生える前の幼少期以外で
>>68 悲惨な事件は何故起こるのでしょうか?
社会がそれを体験する必要があるから
>>70 真実とは、自分の何に価値を置いているのか。それに依ります。それは相対的なものです。
そうですね。全ては相対的です
>>71 脅迫されて、行動範囲が狭まって脅迫された側に損害が生じた場合をいっている。
損害は、人が何かに執着するとき発生しますよね。自分の過去や未来、命、財産、自由、権利
人によって度合いも違うでしょうが、それが脅かされるとき、損し害された気分になる
>死の脅迫をされた側の解釈は「いきたいこと」「死の危険をさけたいこと」のふたつの観点にすぎない。
「この肉体は自分のもの」「死んだら何もかも終わり」などの固定観念(観点)が原因となって、「生き延びたい」という欲求が生じるんでしょう
>>>1によれば死への恐怖をいだいて自分の行動範囲をせばめたものは解釈だから責任がないになるはずだが、>56 で生命にかかわる脅迫は責任があると認めているのは矛盾だろう。
あくまで既成の死生観の範囲内で議論しようとすると、そうなりますね
(上述したような)固定観念を変えない限り、死への恐怖は無くならないでしょうし
でもまぁ、そこまで極端に走らなくても1は日常生活でも充分活用できるでしょ
実存は個を差別化ではなく、超越化する。その唯一の超越性を中心に
それぞれの個が、共有性を伴って成立する。宗教性というのはそうい
うものかな。感情論とは違う。
感情とは自我の定常的自己維持、乃至、復元のための心理メカニズム、かな。
76 :
観念は具現化する ◆lnkYxlAbaw :04/10/08 18:31:12 ID:oPZ39z2Q
>>75 そうですね。表現することでアイデンティティを確認しているんでしょう
77 :
名無しさん@3周年:04/10/08 18:56:54 ID:oUyiVtgV
>>73 >>「善」は主観的概念以外の何ものでもないですよ
これだけでも、不勉強な事が良くわかる。
主観的な概念であることを前提として、善悪をもう一度調べてみれば、
さらに深い考え方ができるはず。
善悪とは何かが解れば、正義でもある感情が何であるか理解できるでしょう。
真っ直ぐなものが曲げられた、という感覚、それを元に直そうと
する意志を義憤と呼ぶ、かな?w
79 :
名無しさん@3周年:04/10/08 21:34:28 ID:I6fiqVa7
廃れた相対主義の腐敗臭がする。
【否定すべき宗教概念を用いて理論の正当化をするという論理的な破綻がある】
>宗教に携わる人が陥りやすい矛盾した固定観念は「真実は一つ」。
>本当は真実は「人の数だけ」あります。「真実は一つ」は、「数ある真実の一つ」に過ぎません。
相対化された真実を認めるような宗教は、形骸化してますね。
ギリで、(これまた廃れた)ニューエイジかぶれのカルト教くらいかな。
宗教を否定してますが。その前には「宗教に詳しい方ならご存じの通り」という文章。
よしんば、分かり易くなどという言い訳は通りません。却下です。残念。
【GIGO (Garbage In, Garbage Out)】
感情を定義することは、現段階では誰も成功していない。(誰か知ってる?)
>>1は、「感情の原因は、固定観念云々」という、実証不能な前提に基づき、論理を展開しようとしている。
今回は、感情という
>>1も深く考えてないような概念を対象にしてみたもので、
自己矛盾から逃れられればという程度のかつての理論の亜流の試作品に過ぎない。
まぁ、前提がすでにおかしいのだから、GIGO。
それとも、感情は存在しないと言いたいのかな?
「感情の原因は、それを感じる人の持つ固定観念です」
だとしたら、この文は、不適当で、論文としては、内容以前に却下です。残念。
【対処方法】
こんな、凡ミスを指摘してもしょうがないと歴史が教えてくれています
この手の理論の行き着くさきは、自己矛盾でした。
先鋭化した挙句、事実を否定し始め、自分の理論も否定せざるを得ないという、
ジョークのような事態に陥った。
かつて、より先鋭的で、頑迷な理論に対して、メタ的手法が使われました。
「ジョークで返す。無視する。忘却する。」
でした。みなさんも、そうしましょう。
(メタ的批判からの若干の譲歩)
【第1パラグラフ】
前述の通り。実証不能。そこから何も引き出してはいけない。
【第2パラグラフ】
ギブソンのアフォーダンス崩れの文章には、目をつぶります。
『如何なる情報も元を辿ればただの光の濃淡や空気振動に過ぎません。』
でも、最古参のパラドクスの提示にいたっては、既に循環論法、無限後退の兆し。
『貴方がたった今目にしているこの文面も、・・・・主観で意味を判断しています 』
【第3パラグラフ】
第2パラグラフの言い換えにすぎない。「宗教」の話題を織り込むが、
第4パラグラフの内容と対立してしまう。
【第4パラグラフ】
あれ?アフォーダンスにたて突いてる?まぁ、アフォーダンス自体、怪しいのですから。
『宗教に携わる人が・・・』、前述の通りです。
相対化された事実を認めるような体系は、体系になり得ない。
相対主義が自己破綻したのと同じ論理で宗教を否定してしまった。
このパラグラフが真ならば、第3パラグラフは偽。第2パラグラフも偽。
>>1 あなたがどういう教育を受けたか知らないが、
理学系学会誌の査読を行っている者としては、看過できない文章です。
少なくとも一連の文脈内では相互に矛盾しないような書き方をすべきです。
論旨に関する言及は、現時点では可能なレベルと判断できません。
指摘した部分を訂正し、再掲してください。
誰も助けてなんかくれること出来ねーって思うと、
自然に顔も無表情になるし、無口にもなるもんでw
>>79 >>感情を定義することは、現段階では誰も成功していない。
ダーウインから道徳・倫理を考えてくると、感情についても一定の解釈が成立する。
感情とは、適応している状態(理性的状態)から、何らかの刺激(快不快信号)によって、
より有利な適応状態を作り出そうとする情動・情操。
自己と感情の対象を差別化することにより、攻撃・協調などの手段を選択させる。
84 :
名無しさん@3周年:04/10/09 16:27:05 ID:8zOV0RP5
>>80 原文(79)は、誤解を生む文でした。指摘感謝します。
(原文)感情を定義することは、現段階では誰も成功していない。
というものでしたが、文意を明確に書き直します。
(訂正)検証に耐える感情の定義を行うことは、現段階では誰も成功していない。
定義だけでしたら、次のようなものも定義になってしまいますよね。
(定義a)感情とは、心的状態が17次元位相空間のアトラクター(第3種は例外)が、
最もコンパクト性を有している断層(faille)境界上で、よく知られている
関数=機能(フォンクシオン)関係を満たすときにのみ、外的表象として
観測されるものである。しかしながら、観測による影響(不確定性原理)
により、観測されるものは汎化関数の形式でしか現すことができない。
(定義b)感情とは、うどん粉2、そば粉8を人肌の湯で練り合わせたものを、
茹でたのち、冷水でしめ、ザルの上に載せたものである。
私は、
>>1が展開するテーマ、論旨に言及しないばかりではなく、検証に耐える感情の定義に
言及するつもりもありません。
ダーウィニズム(進化倫理(?))にもあまり興味はありません。私は倫理学のプロパーではありません。
興味があれば、(定義a)のような空疎な駄文を論駁した一般書 『「知」の欺瞞』 を読んで下さい。
実のところ、この本を読めば、私の出る幕などないのです。もう、
>>1 に対する憤りも収まったし、
これにて、退散です。あと、1のやらかした 「感情の原因は、それを感じる人の持つ固定観念です」
の言説は、「蓮の池の蛙」というものです((C)『「知」の欺瞞』)。
私の憤りの原因は、それを感じる私の持つ
>>1がカルト思想家だという固定観念です
オアトガヨロシイヨウデ
85 :
名無しさん@3周年:04/10/09 16:41:08 ID:8zOV0RP5
>>84の80は、82でした。訂正してお詫びします。m(_ _)m
『カルト思想を撲滅せよ!』 『蓮池蛙の跋扈を許すな!』
今度こそ、退散です。 お騒がせいたしました。
ポパーは、科学は検証(実証)ではなく、合意であると言っている。
87 :
観念は具現化する ◆lnkYxlAbaw :04/10/09 18:38:45 ID:WOEUd3qE
>>77善悪とは何かが解れば、正義でもある感情が何であるか理解できるでしょう。
1の最初の段落の「」内の文字は、正義の意味ですか?
>>79 宗教を否定してますが。
してませんよ
>感情を定義することは、現段階では誰も成功していない
単に貴方が辞書に載っているような定義に納得することに成功していないだけでしょう
1では私なりの感情の定義の一部を述べています
>
>>1は、「感情の原因は、固定観念云々」という、実証不能な前提に基づき、論理を展開しようとしている。
実は1を実証できるのは読み手自身です
読み手が「実証不能」と断定すれば、それは「実証不能」です
>それとも、感情は存在しないと言いたいのかな?
ある意味ではその通りですね。感情は固定観念の反応に過ぎないし
88 :
観念は具現化する ◆lnkYxlAbaw :04/10/09 18:39:06 ID:WOEUd3qE
>>80 前述の通り。実証不能。そこから何も引き出してはいけない。
観念は常に100%具現化してますが、これも実証不能ですか?
>ギブソンのアフォーダンス崩れの文章には、目をつぶります。
ギブソン?アフォーダンス?
私は無学なのでもう少し分かり易く指摘してくださると助かるのですが
>でも、最古参のパラドクスの提示にいたっては、既に循環論法、無限後退の兆し。
質問です。卵とニワトリはどちらが先?
>相対化された事実を認めるような体系は、体系になり得ない。
「全ては相対」に異論でも?
>相対主義が自己破綻したのと同じ論理で宗教を否定してしまった。
宗教自体は否定してません。但し、次第に不必要となるのは自然の理
>少なくとも一連の文脈内では相互に矛盾しないような書き方をすべきです。
その固定観念が貴方をして投稿せしめたんでしょうね
89 :
観念は具現化する ◆lnkYxlAbaw :04/10/09 18:39:27 ID:WOEUd3qE
>>84 (訂正)検証に耐える感情の定義を行うことは、現段階では誰も成功していない。
定義って、検証に耐えないとダメなんですか?
>定義だけでしたら、次のようなものも定義になってしまいますよね。
定義とはそういうものですよ
>私は、
>>1が展開するテーマ、論旨に言及しないばかりではなく、検証に耐える感情の定義に言及するつもりもありません。
そりゃ残念。久し振りに面白い議論ができると思ったのに
>もう、
>>1 に対する憤りも収まったし、
では少し感情的になってたんですね
>私の憤りの原因は、それを感じる私の持つ
>>1がカルト思想家だという固定観念です
結局1の正しさを証明しただけでしたか
>>85 『カルト思想を撲滅せよ!』 『蓮池蛙の跋扈を許すな!』
「何かの存在を無くしたい」という欲求が生じるためには「それ」が存在しなくてはならない
その為、貴方のその思考の結果、「それ」は存在し続けることになります
ご自分の行為が自己矛盾しているというご自覚はありますか?
>>86 ポパーは、科学は検証(実証)ではなく、合意であると言っている。
実証できなければ合意できない人もいる、ということでしょう
>>実証できなければ合意できない人もいる、ということでしょう
いいね。論理が循環して元に戻ることを○○○という。(笑
観念、楽しそうだな。
今のお前は輝いてるよ。
野生の動物への餌付けには、注意が必要です。
観光客が面白がって餌をやった結果、観光客も土産物屋も猿に狙われ、対応に四苦八苦している日光の例もありますからね。
>>79-80 は、1の文章の書き方がおかしいっていってるのでは?
>>87-89 のように理論の正当性の主張で返すのは、ユニークだ。
そして僕は誠実さの意味を知る。
94 :
名無しさん@3周年:04/10/10 06:34:38 ID:SnltwneP
それでも、観光客は訪れる。囲いの無いサファリ体験in日光。
>>94 最初は相手していて面白いんだけど飽きるっしょ。観念の相手。
からかう娯楽以外に得るもの無いし。
96 :
観念は具現化する ◆lnkYxlAbaw :04/10/10 18:29:29 ID:Uz33E+jt
>>93 >>79-80 は、1の文章の書き方がおかしいっていってるのでは?
私もそう思います
>
>>87-89 のように理論の正当性の主張で返すのは、ユニークだ。
どういう反応をするのかなと。素通りしただけみたいでしたけど
>そして僕は誠実さの意味を知る。
いいえ。その前から貴方は誠実さとは何かを知っていました
貴方はご自分の定義を確認しただけです
>>95 最初は相手していて面白いんだけど飽きるっしょ。観念の相手。
ん?飽きるのは私のせい、とでも?
>からかう娯楽以外に得るもの無いし。
そういう割には覗くんですね
>>96 >そういう割には覗くんですね
からかうために覗くんだと思うが。
自分こそが からかう側だと言うのに5000モヤッと。
99 :
観念は具現化する ◆lnkYxlAbaw :04/10/11 13:13:30 ID:hn4q/WMK
100 :
名無しさん@3周年:04/10/11 13:36:05 ID:2rqmwirS
カルトの被害にあうのも、事故責任?