小○徹也って

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359小林 徹也
私の小林家は、祖父は小林四郎といい、栃木県の地主の息子で、戦前の東京帝国大学で学び、
卒業後は師範学校の教授などをしていた。埼玉師範や一時は広島師範の校長も勤めたらしい。
主に物理化学にを学んでいたので、埼玉の農民の指導などもしていたという。

祖父は、戦前、後妻の祖母と結婚して大宮に家を買った。場所は大宮聖公会の教会のすぐ隣で、
大宮駅からほんの数分で、現在も同じ場所に、同じ建物で現存している。
父と叔母は、この聖公会幼稚園の卒園児で、記念写真が現在と同じ建物の前で撮影したものが現存している。

祖父は、当時は名士のひとりであったらしく、紀元2600年の祝賀では、宮中に招かれた一人だ。
宮中で天皇陛下と並んで記念撮影ができたのは、当時の地域の名士だったそうで、そのような存在で
あったのだと思う。

祖父は教授職だったので、軍人にはならなかったが、戦時中に死亡し、死因は孫たちには病死と伝えられている。
戦前戦中と聖公会宣教師と親しく、末の子供の父を教会の幼稚園に入れていたことを思えば
戦争には基本的に反対の学者だっただろう。

戦後の小林家は、祖母と子供6人で非常に苦労するが、この戦後の親戚の人生に不審な出来事が多発している。
それを明日から連載していく。

以上、主イエスの御名によって、真実の証しとして。