>>917 葬式は人間の尊厳の最高度に露出する場なんですよね。
ここにおいて生死を超えた世界に出会えなければ、死に対する恐怖、不安しか残らない。
それは生をも殺すことになるんです。
愛する人の死は非日常です。
この場において論理性や合理性なんぞを持ち出すと、非日常が破れてしまうんですよ。
そういうことを坊さん方が理解してやっているかどうかは分かりませんけどね。
>>922 例えば日本では施餓鬼供養というものがあって、そこでは三界万霊への供養を
行ないます。死んだ動物への供養も含まれているんですよ。
>>920 私は無いと思いますけど、あなたはどう思いますか?
>>924 何度も言うようですが、嘘ではないんですよ。
古今東西の覚り人の中で「仏なんぞいない」などと言う人は、おそらく一人もおりますまい。
>>927 俺も無いと思います。
そう思って、あえてこの話題を振ったんですが。w
動物と人間では決定的に違う側面があります。
それは、執着する態度があるか無いか。
930 :
名無しさん@3周年:04/09/04 23:07 ID:K5X7atpR
けちゃっぷさんは真面目だから、かわいそうになってきた。
この辺で、私の本音を書いて終わりにするね。
結局、戦後の日本では、仏教は葬式専任になってしまい、本気で修行する
人が集まるサンガではなくなったってことでしょう。無神論者がどんどん
増えて、残るのは葬式という儀式だけ。それだって、単なる形式だと割り
切っている人がほとんどだ。その中で、本音を言ってしまえば、たちまち
飯の食い上げになってしまう。
言い方は悪いが、迷信深い人のお守りを、金貰ってやっているって感じ。
考えたら気の毒な話だ。特に、けちゃっぷさんのように、ある程度の理想を
持っておられる方にはつらいでしょう。
しかし、食うのが大変だから、迷信を利用して金儲けするのは、やっぱり
いけないことだと思う。どうせ、迷信なんて消える運命にあるんだから、
既成仏教は過去の悪業とともに滅びていくでしょう。その後につながる道を
考えないとね。
931 :
けちゃっぷ:04/09/04 23:07 ID:9AVt4gSA
>923 僧侶の功徳だけじゃなく、お参りする人々全員の功徳を回向します。念仏じゃなくてもいいです。布施(拝み賃じゃなく!)も功徳があり、昔の貴族がお寺を建てたり寄進したのも、功徳のためです。
932 :
名無しさん@3周年:04/09/04 23:10 ID:K5X7atpR
正直なところ、けちゃっぷさんの口から、そういう本音を聞きたかったんだよ。
やっぱり、立場上無理だったか...。しかたないよね。
その反面、これで既成仏教が滅びるのをはっきりと確認できた気がする。
933 :
名無しさん@3周年:04/09/04 23:14 ID:K5X7atpR
行き違いになってしまいました。
>>931 それは、檀家向けの模範解答ね。
私は、「仏教修行者のけちゃっぷさん」の答えを聞きたかったよ。
934 :
けちゃっぷ:04/09/04 23:15 ID:9AVt4gSA
死者に執着していつまでも悲しんでいては苦の原因になります。供養を通じて、死者との別れを過去のものにしたり、胸のつっかえが取れたりします。死者のためと言いながら、実は生きてる人のための供養です。
935 :
けちゃっぷ:04/09/04 23:17 ID:9AVt4gSA
苦悩の原因を解消することで苦悩を和らげる。それが仏教です。大乗仏教は、その目的のためにさまざまな方便を用いてきました。死者を供養することで、遺族の苦悩を軽減できれば、それでいいのです。
936 :
名無しさん@3周年:04/09/04 23:19 ID:K5X7atpR
>>934 そういう風に、今の葬式仏教の弁解に終始していると、仏教は確実につぶれるよ。
それでもいい?
937 :
名無しさん@3周年:04/09/04 23:20 ID:K5X7atpR
仏教って、生きた人間を相手にする教えでしょ?
なぜ、それほど死者にこだわるのだろう。
938 :
名無しさん@3周年:04/09/04 23:21 ID:6Q11YCgx
阿弥陀仏を唱えて、成仏できる?
厳しい修行をしている人は、何?
釈迦も、出家したんだろ。
釈迦が出家したのは、力のない人だったからか?
こう考えると、阿弥陀仏を唱えれば成仏できる
というのが、坊主の嘘というのがわかる。
みんな騙されないで下さい。
939 :
けちゃっぷ:04/09/04 23:22 ID:9AVt4gSA
死ななきゃわらないのに死後の心配をしたり、返ってこない死者との別れをいつまでも悲しむのは、苦の原因です。悟った人はそんなこと考えませんが、凡夫は考えちゃう。そこで方便によって苦悩を消すのです。
>>930 そうですね。住職の世襲制が僧侶を堕落させたんじゃないかなぁ。
現在の葬式も、形骸化している感は否めませんね。
でも葬式をしてあげたいという心は人間の最も尊い心であり、葬式をやらなくなったら
人間は終わりだと思います。いろんな意味で。
>死者のためと言いながら、実は生きてる人のための供養です。
あなた、なかなか深い洞察だね。それは。
人は、執着するからね。確かに。
死んだ人は楽なのですが、生きてる人はそうでもありません。w
はははは。
942 :
名無しさん@3周年:04/09/04 23:27 ID:6Q11YCgx
死んだら取り返しがつかないかもしれないのに、南無阿弥陀仏を唱えれば
成仏するって嘘つくこと?
>>939
943 :
けちゃっぷ:04/09/04 23:28 ID:9AVt4gSA
>938 生きた仏がいる極楽に往けば成仏が早く確実になるという信仰なので、念仏だけで成仏できるんじゃありません。念仏は極楽への切符です。ただし、念仏自体に修業の効果もあります。
944 :
名無しさん@3周年:04/09/04 23:29 ID:6Q11YCgx
みんな南無阿弥陀仏の嘘のために、供養とか布施とかしてるんだ。
ただの気休めだね。
945 :
名無しさん@3周年:04/09/04 23:29 ID:K5X7atpR
>>940 しかし、葬式だけというのはまずいでしょう。
釈迦が現代の状況を見たらどんな顔をするか。
947 :
名無しさん@3周年:04/09/04 23:33 ID:6Q11YCgx
釈迦が現代の状況を見たら、
坊主=人から金取って、飯食うんじゃねえ!
信者=お前ら、俺らの苦労を知らねえな。
南無阿弥陀仏を唱えろ=そんなこと言った記憶はない。
948 :
名無しさん@3周年:04/09/04 23:34 ID:K5X7atpR
非日常である「死」を直視することで、「生」に対して襟を正すという
ことでしょうか。
何も葬式という儀式を使わなくても、「死」を意識して生きることは
可能だと思いますよ。西欧ではハイデッガーがそれを指摘している。
本一冊読めばわかることです。
>でも葬式をしてあげたいという心は人間の最も尊い心であり、葬式をやらなくなったら
>人間は終わりだと思います。
俺は、葬式の意味を見付けられない一人なのですが。。
質問したいのですが、葬式は、なぜ必要なのでしょうか?
950 :
名無しさん@3周年:04/09/04 23:36 ID:BGWRJEGP
>>930 逆だろ、葬式仏教が仏教の本質なのに、
まともな教えが有るかのように言うから
衰退するんだよ。
葬式仏教の担い手が、生活する為の方便として
法話説くんだよね。TVドラマがこの物語はフィクションです
と明示して事を指摘してた人が居たけど、仏教家てか、宗教家
はそうするべきだと思うよ。
951 :
名無しさん@3周年:04/09/04 23:38 ID:K5X7atpR
ネアンデルタール人の遺跡から、墓らしき場所と、そこに供えられた
花が見つかったそうです。先史時代、すでに人間は「死」の中に生の
尊厳を感じて生きてきた。特定の宗教が生まれる前からそうだったの
です。仏教はそれをあとから独占したにすぎないのです。
>>944 だから嘘じゃないというのに…大衆の顛倒夢想はなかなかに根深いですね。
南無阿弥陀仏を唱えれば成仏するというのは確かに勘違いだと思います。
953 :
名無しさん@3周年:04/09/04 23:38 ID:6Q11YCgx
世界広しといえど、南無阿弥陀仏を唱えれば成仏できると言う
のは日本だけだろ。唱えない人間はどうなるんだ。
唱えない人間のほうが、世界には圧倒的に多い。
それをまず説明せよ。神とか仏というのは、そういう特殊なこ
とをしないと成仏できないようにしたのか。
>「死」を意識して生きることは
>可能だと思いますよ。
頭の中で死を考えるということですか?
955 :
けちゃっぷ:04/09/04 23:42 ID:9AVt4gSA
>949 僕は必要ないと思わなくもないですが。葬式を必要としてる人がいるから行なわれてるだけ。戒名だって、本当は生きてるうちにもらうべき名前だし。でも、付けて欲しいという遺族がいるから。
956 :
名無しさん@3周年:04/09/04 23:43 ID:K5X7atpR
>>954 いや、自分では死んでみることができないでしょう?
だから、死だけは他人ので代用するのです。私の経験では、おばあちゃん
の葬式で死体というものを初めて見、それに触った。ああ、人が死ぬという
のはこういうことなんだと。自分の人生の終わりが形をとって姿を現すの
です。それに対峙して生きている。ほとんどの人は、不快だから「死」を
忘れてしまいますが。
人間「いつ死ぬかわからない」というのを覚悟するかしないかで、生き様
が違ってくると思います。それが「死」を意識して生きるという意味です。
957 :
名無しさん@3周年:04/09/04 23:44 ID:6Q11YCgx
>>952 じゃあ、なぜ南無阿弥陀仏を唱えろと言うんだよ。
ケチャップがうるさいだけか→ケチャップ静かにしてれ。
>>948 「生死を超えた」がキーワードですよ。
釈尊の教えは本を読んだだけでは分かりません。実践こそが仏教の本義。
葬式でなくても観念修行法(瞑想)などでもよいんです。
でも一般の人たちにとっては葬式は大きなきっかけになるかと思います。
959 :
けちゃっぷ:04/09/04 23:48 ID:9AVt4gSA
>953 念仏は、数ある修業方法の一つです。口でとなえるだけでいい、いつでもどこでも実践可能なので、初心者向けだから日本で流行った修業なのです。
960 :
名無しさん@3周年:04/09/04 23:54 ID:I9tzb79+
>>947 釈迦を神格化するのは、釈迦の本意ではあるまい。釈迦以後の膨大な思考の
体系も無視すべきではない。一神教とは全く異なり、仏教の思想は常に現実
と人間に向けられているという事実は、評価に値するのではないか。それが
仏教には殺し合いが少ない理由だろう。
葬式仏教などというが、家族の死により遺族が悲嘆にくれているときに、下手
に精神的な説教などされては、遺族の悲しみは深まるばかりである。意味の
判らないお経を聴いたり、会葬者の接待や僧侶への支払いに追われるほうが、
しばし悲しみを忘れることができるのではないか。
961 :
名無しさん@3周年:04/09/04 23:56 ID:K5X7atpR
>>960 >意味の 判らないお経を聴いたり、会葬者の接待や僧侶への支払いに
>追われるほうが、 しばし悲しみを忘れることができるのではないか。
そこが実に胡散臭いよね....一般人の目から見ると。
>人間「いつ死ぬかわからない」というのを覚悟するかしないかで、生き様
>が違ってくると思います。
ふむ、では、覚悟とは?
いつ死ぬか分からないという点では俺も同じです。
それは、それが来たならばそれはそうだなとは今は思っていますが。
でも、それは頭でそう考えているだけです。w
癌になったとします。
自分はもうダメだと思うのか、
残された人生の中で、自分の時間をどう使っていきたいと思うのか?
964 :
名無しさん@3周年:04/09/05 00:00 ID:8ZkweLrw
昔、日本に「泣沢女(なきさわめ)」という仕事があったらしい。
葬式に出向いて、号泣するのが役目。葬式専用のコンパニオンみたいな
もの。
儀式を演出して、残された遺族にサービスするのが仏教の使命だと言う
のなら、何のことはない、コンパニオンと同レベルってことだわな。
965 :
名無しさん@3周年:04/09/05 00:05 ID:8ZkweLrw
>>963 残された時間に何をするかが、その人の本質を顕わに示すのだと思います。
ちょっと前に、末期患者の追跡取材を放映していました。体中にガンが
まわって、激痛が走るのをおさえて、車椅子で花見に出かける。それで、
こうつぶやくのです「ああ、きれいだなあ。これが最後かもしれない。
しかし、こんなに美しいとは今まで思ってもみなかった」。
死と直面した時だけに見えてくる「世界」があるようです。
966 :
けちゃっぷ:04/09/05 00:06 ID:yJ7MYGHm
コンパニオンの何が悪いのでしょうか?
葬式を僧侶がやるようになったのは、放ったらかしだった死体の片付けと弔いを、空也上人がやりはじめたのが、きっかけだと聞いたことあります。
>>964 韓国では今もあるよね。
葬式には宗教性と民俗性がありますからね。
968 :
名無しさん@3周年:04/09/05 00:08 ID:QGsS7BHd
>>964 儀式、偶像、その他形あるもの、五感で知覚できるものに接して人間ははじめて心の
安定を得るという、人間性の本質を忘却している。キリスト教などの過度の精神性は、
人間にとって極めて有害である。
>>965 そうですね。それが生死を超えた瞬間でしょう。
いつか死ぬから今が大事というのとは、少し違うもの。
970 :
けちゃっぷ:04/09/05 00:15 ID:yJ7MYGHm
>969 あと、死は誰にでも、そして予期せぬ時に訪れる。コントロールできないのがあたりまえ。しかし、あたりまえをあたりまえだと受け入れずに、自分は不幸だと勘違いすると、苦悩の原因になります。
971 :
名無しさん@3周年:04/09/05 00:17 ID:8zQctmfu
>>965 死と直面しないと桜が綺麗な事にも気づかないのは、
宗教があるから、坊主が好き勝手言うからだと思う。
972 :
名無しさん@3周年:04/09/05 00:18 ID:UqcF1qNm
>>961 お経ってのはさあ。経典といって、ちゃんと意味があるように書いてある
のだ。それを、お経を唱えるだけにしてしまったわけ。
これじゃ、誰も成仏できないよ。
南無阿弥陀仏を唱えよとは、釈迦は言ってないよ。
念仏を唱えながら、成仏できなくなるよ。
>>971 その論理の因果がよく分かりませんが、私たちが花見なんかで「桜がきれいだなぁ」
というのと、死に直面し乗り越えた人の「桜がきれいだなぁ」とは、同じ台詞でも全く
意味合いが違うんですよ。
何かの基準と比較して美しいと感じたから美しいのではなく、生き生きとした存在感、
初心の新鮮さ、そして「私」との関係の中で大慈悲が通い合っているから、美しいと
表現しているのです。
覚りとは、天を仰ぎ地に伏して喜ぶべき存在の確かな実感なのです。
974 :
名無しさん@3周年:
創価カルト鰍フカスが荒らしてますなぁ
オン アボキャ ベロウシャナ マカモダラ マニハンドマ
ジン バラハラ バリタヤ ウン