α〓〓〓マリア崇拝の害について〓〓〓ω

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234おたあ ◆wHb3.gs/E2
●オランダやフランスの教会の抵抗の動きにも教皇庁は沈黙の態度を崩さない
●英米特使や大使は教皇にナチスへの抗議を要求し続けるが「戦争行為を行う
どちらにも道徳的差別をすることはできない」との見解を出す
●1942年12月24日クリスマスの教皇のメッセージにも期待がかけられるが曖昧な
表現に終始する
●仏大使「何故ナチスという語を出さないのか」教皇「出せば共産主義という
表現も使わねばならない」
●コーンウェル「制度としての教皇と教皇によって造り出されたカトリシズム文化の
弱い側面と無能さ」
235おたあ ◆wHb3.gs/E2 :04/07/19 11:55 ID:sMeDlH7g

●8月中旬パリ大司教ズアールがパチェリに謁見、ドイツ軍こそヨーロッパを
共産主義化から救う支柱であると主張
●9月中旬SS長官ヒムラーは指令を出す。1943年10月16日早朝5:30SS部隊が
ユダヤ人住居に侵入現在はローマ市の刑務所になっている軍用施設に集めティブルティナ駅に
連行しアウシュヴィッツ行きの牛馬輸送用貨車で移送される

●パチェリと親しいローマ貴族女性からユダヤ人連行の報をきいたパチェリは国務長官
マリョーネにドイツ大使ヴァイツゼッカーと連絡をとらせヴァイツゼッカーはナチスの行動に
抗議するよう教皇に要請、ドイツ代表部外交官アルブレヒト・フォン・ケッセルは抗議しなけ
れば市民の暴動が起こりかねないと迫る
●それでも正面きって攻撃することなく教皇庁はベルリンへユダヤ人不当逮捕即中止を
訴える電報を送ったにとどまる。
ドイツ大使ヴァイツゼッカーはイタリア国民の反感とショックを考慮し彼らを
絶滅収容所に送るのでなく強制労働につかせるべきと主張

●10月18日ローマでは1千人以上のユダヤ人が捕らえられ5日後にはアウシュヴィッツで
8割が殺害、残った者は強制労働或いは人体実験対象となりローマ在住ユダヤ人で
生き残りは15名のみ●1944年ローマ市は連合軍により解放。

●1944年5月15日から7月7日の50日間で43万7千人のハンガリー・ユダヤ人が
移送され生き残りは数千人、1日に4本、3千人ずつ乗せた列車がアウシュヴィッツへ
向かっていた
●ハンガリー・ユダヤ人強制移送開始日、ヴァティカン駐ハンガリー大使アンジェロッタ
大司教は教皇の代理人たる大使として初めて公然とユダヤ人の強制移送を弾劾し
中止を求める。但しパチェリの指示で無く個人の意思で抗議対象はハンガリー国摂政
ホルティでありナチス・ドイツではなかった
●ローマが解放され公にナチスを非難しても攻撃される事が無くなったのにパチェリは
相変わらず様々な方面からの要望や嘆願に反応しない