α〓〓〓マリア崇拝の害について〓〓〓ω

このエントリーをはてなブックマークに追加
206おたあ ◆wHb3.gs/E2
1918年ジャガイモの凶作、国民の不満増大、ドイツ帝国敗北が決定的となった夏、
11月11日アメリカは皇帝や軍部等との交渉を拒否し休戦終結を訴えていたマティアス・
ユルツベルガーと停戦条約に調印

一旦情勢不穏なドイツからスイスに出て情勢を見守っていたパチェリは1919年
ミュンヘンに戻るが公邸に侵入し公用車徴収を図ろうとするなどした社会主義者や
赤軍兵(シュヴァービンガー・ソヴィエト)らに嫌悪を隠さない。ユダヤ人はボリシェヴィキ革命の
張本人であるという当時のドイツ社会と同様の見解を持っていた

●ポーランド出身ユダヤ系ローザ・ルクセンブルクはユダヤ教と伝統を拒絶してユダヤ人と
しての意識は殆ど持っていなかった、バイエルン共和国首相アイスナーはユダヤ教に全く関心の
無いユダヤ系だが1919年右翼貴族将校に殺害される、ワイマール体制化で横行したテロ事件は
250件以上、その中にはドイツ史上最初のユダヤ人外相ヴァルター・ラーテナウも含まれる

●パチェリのミュンヘン時代時を同じくしてヒトラーもミュンヘンに居た。戦争から戻りユダヤ系
革命家が横行するミュンヘンを見て失望、反ユダヤ的感情を深め、ドイツ労働党(DAP)入党、
1920年ナチ党(NSDAP)結成、1921年党首になり1922年騒乱罪で禁固刑、1923年ミュンヘン一揆、
1924年口述筆記による「わが闘争」、1925年ナチ党再建し「わが闘争」第一巻発行

>ミュンヘンにいたんだW
207おたあ ◆wHb3.gs/E2 :04/07/19 10:42 ID:sMeDlH7g
●戦後、宗教的なもの・永遠なるものを求めた数多くの人々を反映し1919年国民総選挙で
カトリック中央党が600万票を得て第2政党にのし上がる。1827年以来禁止されていたイエズス会が
活動を許可された事もパチェリにとって大きな支えとなる、またカトリック中央党議員で司祭でもある
カースとの親交はドイツとヴァティカンのコンコルダート締結の上で重要だった

●ヒトラー活動再開の1925年、パチェリはヴァティカン大使館を首都ベルリンに移した。1922年
登位したピウス11世はフランスのドイツに対する不当な賠償要求と賠償金不払いを口実とした
ルール地方占領を公然と批判、ドイツ人に教皇庁への親近感を生んだ。マルティン・ルター以来の
伝統を持つドイツでのコンコルダート締結は困難だったが1924年3月バイエルン州とヴァティカンとの
コンコルダート締結、プロイセンとも締結に成功する

●最新情勢に通じ高い見識に裏付けられた外交活動、深紅のマントに身を包むスタイル抜群な姿は
外交界の花形と目され多くの注目と尊敬を集める。一方、全ドイツのカトリック教会を統括すべき
政教条約の締結は不安定なワイマール共和国下では実現できず、強力な中央集権政府を待たねばならなかった

>で、ヒトラーに期待、とWW
208名無しさん@3周年:04/07/19 10:44 ID:lhtAp28T
 まだ、延々とマリア崇敬を崇拝と区別せずに批判しているみたいですが、
イエスの言葉を大切にしていない者は、御父に結ばれていないという聖句は
ご存知でしょうか?
●Uヨハネの手紙1章9節
《行き過ぎてキリストの教えに留まらない者は皆、神とつながりを持って
いません。その教えに留まっている人、その人は、おん父ともおん子とも
つながりを持っています》
 イエスは、十字架上で愛する弟子にマリアを託し、「あなたの母です」と
仰せになられました。使徒行録1章13−14節では一人一人の使徒を列挙する
のと同じように婦人たちと区別をして「イエズスの母マリア」を名を挙げて
記されています。イエスの言葉に従う弟子は、マリアを母として大切に敬い
イエスの言葉を大切にするはずです。ルカや当時の使徒のようにマリアを
イエズスの母として大切に認識するはずです。イエスは公生活で最初に奇跡
を行ったのはカナでの婚礼の席上、水を酒に変えるというものでしたが、
そのきっかけはイエスの母であるマリアの口添えにありました。マリアの
言葉かけはイエスにとってどれほど影響を及ぼすものかはこのようないきさつ
からも窺い知ることができるというものです。
 イエスを大切にする人は、マリアに対してもイエスご自身やルカやルカの記す
使徒に倣って大切にするはずです。謙虚に聖書に書かれていることを理解するなら
マリアは婦人の一人でしかないとか、ただの人間だという乱暴な主張は生まれない
はずだと思います。ただし、常に間違った礼拝や崇敬を越えてマリアをまつり
あげることは慎むように気を配らなければなりません、当然ですが。