●フランス革命後ユダヤ人がゲットーから解放、社会・文化・経済進出を始める
1861年ヴィットーリオ・エマヌエーレがイタリア国王に即位、国家統一が為された時ユダヤ人は市民権獲得。
一方民族主義を背景にアンティ・セミティズム成立、キリスト教思想基盤の反ユダヤ主義とは異なり
人種としてのユダヤ人に否定的立場をとる
●ピウス9世はイタリア政府と絶交状態にありユダヤ系のロスチャイルド家から莫大な借財を得て教皇庁立て直しを
図っていたにも拘らずローマのユダヤ人を元のゲットーに戻そうとした。
1858年、ユダヤ人一家で働いたキリスト教徒女性の、一家の1歳の息子に隠れて洗礼を授けたという懺悔を受け、
その息子はキリスト教徒であるとして一家から警察に命じて男児を誘拐、両親の要求にも応じずカトリックの教育を
受けさせ、同じカトリック教徒のオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフやナポレオン3世の要請にもかかわらず
その男児エドガルドは遂に司祭になってしまった
●聖金曜典礼での祈り「主なる神よ彼らが我々の主イエス・キリストを信じる事ができるよう、彼らの頑なな
心のベールを取り去って下さい」
●1881-89、チヴィルタ・カトリカでのユダヤ人に対する中傷、ローマで出されたユダヤ人非難のパンフレット、
国家市民権の取消しと隔離要求、祖父・父親共に教皇庁の法律顧問として忠実な教皇派だった事がエウジェニオ
自身にも影響していると思われる
>>201 トマス・アクィナスが泣いてるわよW