☆★☆この世に宗教はいらない<3/100>☆★☆

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886Wise :04/08/01 02:41 ID:4lAd1vds

「宗教にカブレると、こうなる」の見本ですからね。
親鸞マニアは。
宗教=集狂
こうなっちゃってる人たちが多くて、オオムやアルカイダが・・・。
887名無しさん@3周年:04/08/01 02:42 ID:a24iz0A0
>>883
何が真実かも曖昧なくせしてよく言うよ。
888名無しさん@3周年:04/08/01 02:46 ID:nYGppyDS
>>887
もういいよ。
あなたの言う真実こそ妄想に立脚したものでしかないのだよ。
Wiseさんの言うとおりだよ。
889処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :04/08/01 02:48 ID:cTVZd7uO
>>885
俺は世間の基準でなんて考えてねえよ、ヴォケ
890親鸞学徒:04/08/01 02:53 ID:a24iz0A0
>>885
>>886

誤解されてますね。
私は、社会の第一線で一生懸命働いています。
それなりの地位もあります。
人間関係も良好です。
社会人としては、何といってもバランス感覚が大切です。
聞き難い真実を知らされている親鸞学徒であるという自覚、自信、自負があります。
光る人間になってこそ、より多くの人に真実をお伝えすることができますからね。

891名無しさん@3周年:04/08/01 02:55 ID:nYGppyDS
>>889
はいはい。

>>親鸞学徒
あなたが宗教なんかにカブレてしまって、ご両親は悲しんではいないですか?
ご両親が悲しんでおられるのでしたら、宗教は辞めるべきと思いますが・・・
892ハルカ ◆0tZOcyVq86 :04/08/01 02:59 ID:uR8xyxK/
>>890(親鸞学徒)
以下コピー

宗教の危険性について5
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1085853705/
より

同スレ>>391-392で余りにも愚かな『思考停止のお題目』を唱えていた為

394 名前:ハルカ ◆0tZOcyVq86 [sage] 投稿日:04/07/30(金) 01:15 ID:jel3Kgt2
>>391-392
だからさ…
その『善/悪』って二元的な分別に伴う『価値観の提示』が『宗教の危険性』の一つなんだよ。
そういう分別(価値観)を前面に立ててしまうと
『我が教義は絶対善だ。他宗は悪だ』
『我等こそ真理の体現者。他は全て偽者である』
みたいな『差別』が発生する事に成るんだよ。
第一が『善だ』『悪だ』なんてのは『絶対的普遍性の欠片も無い単純な主観的判断の産物』だ。
そんな事を言っている限り『慈悲』なんてもんは成立しないよ、お馬鹿さん(苦笑)

と書くも、本人は言うだけ言って遁走(苦笑)
挙句の果てに別スレで『思考停止のお題目』を繰り返す。

大馬鹿者が。
893親鸞学徒:04/08/01 03:03 ID:a24iz0A0
私の家族は、両親、妻、子供、みな親鸞学徒です。

普通のどこにでもいる仲のいい家庭だと思います。

私自身は真実に対しては妥協はしませんが、
世間事に関しては、ひじょうに柔軟です(笑)

どうか誤解なされないように。
894名無しさん@3周年:04/08/01 03:05 ID:nYGppyDS
>社会人としては、何といってもバランス感覚が大切です。

バランス感覚のある人は宗教にカブレたりはしません。
バランス感覚が欠落しているから宗教なんかにカブレるのです。
そのことに一刻も早くあなたが気付いてくれることを望みます・・・
895名無しさん@3周年:04/08/01 03:08 ID:nYGppyDS
>私の家族は、両親、妻、子供、みな親鸞学徒です。

私はいかりや長介氏ではありませんが、ひとこと言わせてもらいます。
ダメだこりゃ〜!
896親鸞学徒:04/08/01 03:13 ID:a24iz0A0
>>895
まぁまぁ、そのような先入観、偏見は捨てるべきでしょうね。

私の紹介致しましたHP、どうか読んでみてください。
897名無しさん@3周年:04/08/01 03:20 ID:nYGppyDS
>>896
たぶん誰も読まないと思いますよ。
おやすみなさい。
898ハルカ ◆0tZOcyVq86 :04/08/01 04:03 ID:uR8xyxK/
>>896(親鸞学徒)
相変わらず思考停止してるな。

いいか?
阿弥陀仏信仰がインド(仏教の生誕地)で成立したのが凡そ二世紀頃。
浄土教の根本聖典とされている『観無量寿経』『阿弥陀経』『無量寿経』の成立でも凡そ一世紀頃とされる。
対して、釈尊入滅は紀元前六世紀〜四世紀の間とされる。
これだけでも、阿弥陀信仰が『無根拠な後世の創作』と解りそうなもんだが。
因みに…
第一結集は釈尊入滅直後、第二結集は紀元前三世紀頃、第三結集は紀元前二世紀頃、第四結集は二世紀頃とされる。
この経典成立史から言っても『創作』は間違いない。

釈尊の説いたのは飽く迄も『自力』の道。
釈尊は、浄土系の『他力』の道は一言も説いていない。
899707:04/08/01 04:07 ID:m5lftpA7
何だよ、親鸞学徒は自分の言葉で喋れるのかよ。がっかりだw

>うひゃー。また、えらく高飛車に出ちゃいましたねーw
>どういう真実があるか説明してもらいましょうか。。。

うひゃー。
なんて言葉を使えるくらい柔軟な人だったんだね。
かなりショックだw俺の質問には一個も無視、カンゼンスルーで通してきた
くせによ・・・。見捨てられたようで悲しい。お前はできるだけ多くの人に
真の仏教をしってもらおうと必死だが、俺だけは完全無視なんだもんなw
いやこりゃ普通にショックだわ。

900707:04/08/01 04:08 ID:m5lftpA7
でも聞きたいんだけど、君、人間ですよね。
で俺も人間だし、他の貴方に批判的な人も無論人間だ。
あるいは全く違うモノを君と同じように信じているXYZさんも人間だ。
まあ、多分XYZさんは貴方が浄土真宗を信仰するのと同じくらい
正教の神を信じていると思うんだ。そして俺は君やXYZさんが
浄土真宗を信じ正教を信じているのと同じくらい、
「必ずしも何かを真だといい切ることは人間ごときにはできない筈だ」
という信念を持っている。俺は目の前にあるビールの空き缶すら、
もしかしたら錯覚なのかも知れない、人間の限られた知覚なんて
そんなもんだ、と思うんだ。俺の頭が狂ってて、ない筈の空き缶が
見えてるだけかも知れない、と思うんだ。
で、少なくともだよ、今、君とXYZさんの言っていることは、
両方間違っているということは有り得ても、両方正しいという自体は
有り得ないわけだ。で、俺の言ってることももしかしたら真であるかも知れないけど、
三つ全部真という自体は有り得ないですよね。
で、俺は謙虚に思うんですよ、もしかしたら浄土真宗が正しくて、
XYZさんと俺が間違ってるのかも知れない。XYZさんが正しくて、
俺もXYZさんも間違っているかも知れない、とね。可能性としては
どれもあり得ると思うんだ。
だってさ、みんなそれぞれ自分の限られた知覚能力と判断力、及び
生まれてからそれぞれがしてきた経験を材料にして考えてるわけだから。
みんな人間で、人間の脳で、色々考えているわけだから、一概にどれが
正しいとは言えないと思うから。

でも、君はそういう可能性は全く考えないのかい?
浄土真宗を真と考える貴方の脳みその判断だけが正しくて、
それを真と判断できない俺やXYZ他大多数の人間の判断が百パーセント
間違っていると思うの?
いや、貴方人間ですよね??限られた情報しか持ってませんよね?
それなのに何で自分だけが真実を見極めていると断言できるんでしょう?
901707:04/08/01 04:13 ID:m5lftpA7
もろミスったw

誤→ 
XYZさんが正しくて、
俺もXYZさんも間違っているかも知れない、とね。

正→
XYZさんが正しくて、
俺も親鸞学徒も間違っているかも知れない、とね。
902名無しさん@3周年:04/08/01 06:24 ID:2y5ojxxf
確かに、宗教が無くても世界は適当に動いていくし、信じないからってすぐに死ぬ
わけじゃないしね。
宗教は、政治や今の生活には、確かに必要ないですよ。
だから、政治や、信じない人にまで強制的に干渉しようとする行動があるなら、
それは宗教行動じゃないよ。
宗教は、あくまでも心のありかたを考えようとする哲学なんだから。
903名無しさん@3周年:04/08/01 06:44 ID:JZ9O+uC4
っていうか、親鸞学徒ってただたんに坊主ってだけでしょ。
904名無しさん@3周年:04/08/01 09:40 ID:4AurLUNW
>>親鸞学徒さんへ

あなたの言ってることは仏教という感じがしない。仏教徒ではなくて、キリスト
教福音派の成りすましによる単なる荒らしではないか。これ以上仏教の評判を落と
すようなカキコはやめたほうがよい。
あなたはキリスト教福音派をどう思いますか。
905名無しさん@3周年:04/08/01 11:43 ID:n53ZQEIL
>>900
>>俺は目の前にあるビールの空き缶すら、
>>もしかしたら錯覚なのかも知れない、人間の限られた知覚なんて
>>そんなもんだ、と思うんだ。

認識を疑うというのはヒュームの不可知論に近いと思う。

ここから、形而上の物を排除して、科学的に実証していこうという、論理実証主義の立場
がある。この場合
宗教は「語り得ぬものは、沈黙しなければならない」となる。
唯物論から、歴史や社会を考えるマルクス主義も、こちらの流れになる。

一方、
「実存は、本質に先立つ」という、実存主義の立場だと、
主観と客観は統一される物で、それを個人的な存在である<実存>にもとめる。
この立場だと、XYZさんも親鸞学徒さんも、間違えているのではないことが解る。
宗教は個別に批判されるもので、個々人の価値観と同様、相対的(その人の中では
絶対的)正しさだけを持つ。
906名無しさん@3周年:04/08/01 12:13 ID:4AurLUNW
>>905
「実存は本質に先立つ」とは、生きているという事実がすべてであり,従って
形而上を否定しているのでは。形而上の極端な場合が宗教なのです。
本からではなく、現実に立脚した社会常識から判断すべきでしょう。社会常識は、
人間が生活の中から長い年月をかけて築き上げた叡智です。

907905:04/08/01 12:26 ID:n53ZQEIL
合理論のデカルトや、実存主義のサルトルを産んだフランスが、
宗教については、完全に個人のものと考えていることは重要だ。
政教分離がもっとも厳しい国もフランスだし、公共の場で宗教的な
発言をすることも禁じられている。

しかし、そのフランスで、カルトの問題が急増していること、
ヨーロッパで最もイスラム教徒が多く、現在増え続けていることは、
あまり知られていないと思う。

実存は本質に先立ち、宗教は個人の物であっても、
人間は宗教的動物であるということか。
908名無しさん@3周年:04/08/01 13:00 ID:4AurLUNW
宗教は、人類に取付いた癌細胞。早く切除しなければ、人類は宗教で滅亡する。
909:04/08/01 13:12 ID:qIeDBLrV
親鸞は弟子たちにこう言いました。
「たとひ法然上人にすかされて、念仏して地獄におちたりとも、
さらに後悔すべからずさすらふ」(「嘆異抄」)

これは信仰の盲目性を顕著に表したことばではないでしょうか?
このことばを聞いて、親鸞の信仰の一途さに、深くこころ打たれる人も
いるでしょう。しかし、もしそれと同じような内容のことを、オウム
真理教の信者たちが口にしたとしたらどうでしょう?
多くの人は背筋がぞっとするのではないでしょうか?

教祖の言葉を鵜呑みにさせてしまう宗教の特徴が、
テロリストたちに利用されやすい原因の一つだと
考えます。
910名無しさん@3周年:04/08/01 13:33 ID:4AurLUNW
>>909
同意。そもそも「信仰の一途さ」こそが最大の問題。法然がどんなに偉い人でも、
人間である以上、誤りや見落としがあるのは当然。それが人間というものである。
一途に信じることは、かけがえのない自分の主体性の放棄である。本当の師なら、
弟子が師を超えてくれることこそ最大の願いであり、喜びなのである。
禅宗では、「仏に会えば仏を殺せ」と言っている。
911905:04/08/01 14:04 ID:n53ZQEIL
>>910
>>かけがえのない自分の主体性
果たして、人間に主体性などと言う物があるのだろうか?

実存主義の言うところの主体については、その実体について
未だ解っていない。
一方、構造主義の立場では、人間の構造や社会の構造が、人の行動を
決定しているとする。
主体や自由意志を、人間の錯覚と解釈している。
912Wise :04/08/01 17:50 ID:4lAd1vds

親鸞マニアは、真実を追究するといいながら
偽りの世界に生きてる。
なんでだろ。
親鸞マニアが愚かなだけなのに、親鸞本人までクズに思えてきた。
913名無しさん@3周年:04/08/01 18:41 ID:dJzyjcmu
>>912
そのような愚かな親鸞マニアを多数生み出したということは、親鸞の思想自体に
根本的な問題があるからである。共産主義やナチスによる大虐殺や絶え間なく
続くイスラム自爆テロ、さらにはオウム事件が、「教祖」の言説や思想に関係ない
などとは言えない。
914Wise :04/08/01 18:54 ID:4lAd1vds

>>913
まぁそのと通りだな。
たぶん、親鸞本人は、世の中に良かれと思って、教えを伝えていたんだろうけど、
それを解釈する者が愚かだと、なーんも意味なし。
神や仏や地獄や極楽を話のたとえとして出すが、それが実在するとは言ってないのじゃないか?
「悪いことすると悪いことがあるよ。」って感じの
当たり前な因果応報を言ってるだけなんじゃないか?
915名無しさん@3周年:04/08/01 19:08 ID:dJzyjcmu
>>914
親鸞が法然にマイコンされたのが問題の発端。
916名無しさん@3周年:04/08/02 06:41 ID:wgwCVYy6
所詮は皆人間なんだからさ、どんだけ正しいと思ったことも間違ってる可能性
もあるってことくらいは認めようよ?親鸞額ともXYZさんもさ。
917名無しさん@3周年:04/08/02 07:24 ID:/l7nL3HV
…しかし浄土三部経が後世の創作だとしたら、法然も親鸞も、まったくの
つくりごとを仏教だと思い込んでいたってことか?あの2人、そこまで阿呆とは
思えないのだが…。親鸞が「自分は仏法を説いている」と断言していたのは
蓮如の御文に根拠あり。教行信証の冒頭にもあるからな。

>>904残念ながら親鸞学徒の言ってることは福音派とやらのなりすましじゃない。
実際にこういうことを教義とする集団が存在する。多分親鸞学徒は知らないと思うよ。
もし知ってたとしても、「福音派ってキリスト教系ですね。邪教です」というレスが
返ってきて終わりだと思われ。
918名無しさん@3周年:04/08/02 11:55 ID:2wdnoFIZ
age
919名無しさん@3周年:04/08/02 12:09 ID:6yc46ZKe
>>916
所詮は人間って思うか人間自体神と等しく完成されたものと考えるかの違いだろうね。
親鸞を信じる私などは後者。
920名無しさん@3周年:04/08/02 12:22 ID:FKhUiTYY
何か意味があるのか、宗教って、ま、俺には難し過ぎて関係ないけど
921名無しさん@3周年:04/08/02 12:27 ID:6yc46ZKe
>>920
私にとっては宗教は難しいもんじゃなくて生きてることそれ自体。
呼吸と一緒ですよ。
922亀仙人:04/08/02 13:05 ID:I9dxuxh4
>1がどう叫んだところで、死後の世界はあります。
ちなみに、麻原は薬師如来の生まれ変わりですが、
今回の罪業により阿鼻地獄に堕ちる可能性もあります。
923Wise :04/08/02 13:11 ID:dwAPP1cD

集狂は、人心掌握術。
知的レベルの低いものや、弱者をコントロールするのに便利がいい。
自分や社会を冷静に見ることが出来て強い意志を持つものには必要ない。
そういうと、
政治家や権力者に宗教にはまる者が多いじゃないかと言う意見が必ず出るが、
それは、その者どもが、自分のキャパシティー以上を求め突き進んでいるから
その苦悩から逃れるために、宗教に救いを求めている。
それ以上のレベルのものは、宗教を信仰しているということを示し
その姿勢を自分のステータスとして利用しているだけ。
9241:04/08/02 14:09 ID:HQEjbBHe
>>922
あなたが、死語の世界があるとお考えになるのは勝手ですが、麻原が薬師如来の
生まれ変わりなどと言うのは、地下鉄サリン事件等の被害者に対する侮辱とも
とれるので、即刻取り消していただけませんか?
(ちなみに私の友人も被害者です。(当時JT勤務))
925名無しさん@3周年:04/08/02 15:32 ID:8ulyP3Rs
>>924
善悪の相対性から、絶対的な善悪は存在しないという考えが導かれるが、
個別的ケース、行動の結果が分っている範囲では、絶対的な善悪は存在します。
(これは、よく勘違いされている)
つまり、個別の宗教、限定された条件では、宗教にも絶対的な善悪が当てはめられる。
反社会的な宗教団体に所属していること自体、倫理的に問題がある。

マインドコントロールやカルトは、宗教の問題ではなくて、人間の構造の問題。
これが、現代の常識的な解釈です。
926名無しさん@3周年:04/08/02 15:51 ID:PKTmzs+G
心を学ぶのは大切なことなのだが、それをカルト団体で学ぼうと
していることが大問題なわけだ。心を学ぶのも学問と同じで推論
して深く考察して摂取選択をしていく。いろいろな宗教哲学や
東洋哲学、西洋哲学とやることは多い。しかし、それをやらないと
心を学ぶことはできないんです。宗教は信じることを強要される
(強制意志=マインドコントロール)
これが大きな問題で人間を意志をスッポと引っこ抜かれてしまう。
そして、組織に必要な情報だけを信じ込ませるようにする。
これは洗脳技術の一つでカルト団体は、この技術を駆使してます。
自分の心で感じたことを頭で考える思考をしていれば、カルトに隙を
与えることはできないので、常にそのような思考を心がけてください。
927名無しさん@3周年:04/08/02 19:36 ID:eawv2TGn
>>926
健康な人は通常自分の「心」など意識しない。「心を意識するのは、心が病んでいる
証拠でる。」心は常に変化するものであり、他人はもとより、自分でいくら考えても
判るものではない。自分の心を判断するためにはもう一人の自分が必要であり、その
もう一人の自分を判断するにはさらにもう一人の自分が必要である、と際限がないか
ら。最近は「心の商品化」が批判の対象となっている。「自分探し」などナンセンス。
哲学、特に西洋哲学は、現実上の根拠がなく、また自己中心主義であるので、あくま
で参考程度にとどめ、現実社会に照らして常に批判しながら読むべきである。「本に
読まれ」てはならない。しかし歴史を読むことは必要。一昔前に比較して現代がいかに
恵まれており、そのためにはどれほどの先人の労苦があったかが理解できる。
大切なことは、人間は独りでは決して生きられないということ、即ち先人を含む他者
の存在とそれへの感謝を忘れないことである。
928名無しさん@3周年:04/08/02 20:14 ID:8ulyP3Rs
>>927
もしかして、儒教思想を基本とした、非宗教的社会を理想としている?
科学と貨幣経済の発達は、儒教的な縦の関係を壊してしまう。
非宗教でやって行くには、共産主義を選択肢に含めた社会システムの
構築が必要になってくる。
これは、宗教と言うよりイデオロギーの領域だね。
929名無しさん@3周年:04/08/02 21:43 ID:eawv2TGn
>>928
別に社会システムまで変える必要はない。心構えの問題だから。資本主義で充分。
共産主義は、キリスト教と同根の擬似宗教、イデオロギーである。
930名無しさん@3周年:04/08/02 22:26 ID:8ulyP3Rs
>>929
非宗教でやっていくとなると、イデオロギーを避けて通ることはできないでしょう。
私みたいにイデオロギーが嫌いな人間は、適当な宗教を選んで利用するのが
一番楽なんですよ(笑
931親鸞学徒:04/08/02 22:31 ID:OybQDJQQ
どんなに、「苦しみのどん底」におちている人であっても、また、生きる希望を失っている人であっても、「本当の仏教」を真剣に聞き求め、「阿弥陀仏」に救いとられた「一念」で、たちまち、「世界一の幸せ者、宇宙一の幸せ者」になれます。
「人生の大勝利者、本当の大成功者」ということになります。

それに対して、一見、あらゆるものを手にいれて、幸せいっぱいの生活を送ったように見える人であっても、死ねば「無間地獄」に堕ちなければなりませんので、仏教を真剣に聞き求めない人は、生まれてすぐに死んだ赤ちゃんと、実は、なんら変わらないのです。

世間で、どんな「大人格者」といわれている人でも、「仏教」を聞かなかったなら、地獄に堕ちます。
反対に、人から「あんな殺人犯が、地獄に行かなかったら、誰が地獄に行くんだ。」と批判されている人でも、心を入れかえて、真剣に仏教を聞き求めていけば、「阿弥陀仏」に救いとられるときが必ずあります。
阿弥陀仏にハッキリと救いとられた一念で「極楽行き間違いない身」となります。

私たちが、「地獄におちるか、極楽に生まれるか」は、阿弥陀仏に生きているときに、「救いとられているか、どうか」で決まるのです。
932名無しさん@3周年:04/08/02 23:24 ID:1j3uJMa6
>>931
>>909を嫁。親鸞はただの馬鹿としか思えないのだが。
933ハルカ ◆0tZOcyVq86 :04/08/03 00:05 ID:e6OGnL/Q
>>917
>…しかし浄土三部経が後世の創作だとしたら、法然も親鸞も、まったくの
>つくりごとを仏教だと思い込んでいたってことか?あの2人、そこまで阿呆とは
>思えないのだが…。親鸞が「自分は仏法を説いている」と断言していたのは
>蓮如の御文に根拠あり。教行信証の冒頭にもあるからな。
『法然』にも『親鸞』にも罪はない。
二人とも『確信』して説いていたんでしょ。
『仏教』自体が、言ってみれば『輸入宗教』でしょ?
となると(あの時代においては)中国なんかの『輸入先』で得られる知識しか入手不可能なわけで。
法然も親鸞も基本は『学僧』だったわけで、日本から一歩も出ていないのだし。
必然的に『中国より輸入された経典』が『基本』となるわけ。
『輸入経典』の圧倒的大多数が『大乗経典』なわけで。
つまりは、基本が『大乗思想』になる。
しかも、あの時代は『大乗仏教』全盛期だったし。
更に(現代と比較すれば)人々の入手出来る情報量も圧倒的に少なかったのだし。
仕方ないっしょ?

まぁ…
『浄土思想』それ自体が後世の創作ではあっても良いとは思うよ。
それが民衆の心の支えになったという歴史的事実はあるのだしね。
しかし、それを『これが唯一真実の仏教』と説くのは『ふざけんな!』という、ね(苦笑)
934名無しさん@3周年:04/08/03 01:43 ID:0cIyYLAt
>>927
>哲学、特に西洋哲学は、現実上の根拠がなく、また自己中心主義であるので、

西洋哲学の基本は理性で算術的な要素は否定できないが、合理性というものは
学べるはず。東洋哲学である儒教は日本社会に根深いとこで根付いていて、
非合理的なとこがある。大まかに例えると西洋が理性、東洋が感性というとこ
だろうか。人間は両方必要であるわけで、より深い人間になるためには両方を
理解しものにしていかなければいけないことだと思っている。一つのことに
固執するから狂信や争いが発生し取り返しのつかないことを繰り返してきた
わけで、これが正しいという答は永遠にないということに気がついて欲しい。
935名無しさん@3周年
>>934
「理性」とは結局何でしょうか。Humeは「感情」だと言っていますね。