>>313 >「一所懸命」は幕藩体制下でも普通に機能していた。
見解が異なる。一所懸命というのは、鎌倉・室町期までじゃないか。
信長の天下統一以来、国替え、領地没収は日常茶飯事なる。特に、秀吉以降は
忠勤奉公が社会の価値観の中心になった。
赤穂城無血開城などは、「一所懸命」の無実化の証拠だと思う。
>新政府と元藩士たる新政府軍兵士の間には何のつながりもなかった。
討幕運動は、王政復古つまり律令の時代に歯車を戻そうという発想だった。律令の時代、
人民は租庸調の義務を負い、防人に出る義務があった。高杉晋作が、武士ではない農民に
武器を持たせて組織した奇兵隊は、この防人の思想に基づくものだろう。
>戦死者への大義(天皇への求心力)となるべく神社に祀る必要があった。
王政復古であれば、戦死者を神社に祀る必要は全くない。戦死した防人を祀るという思
想は、日本にはない。
>戦死者は勝ちいくさの場合でも不遇の死扱いとなり、荒魂(あらみたま)となる
戦死は不遇の死ではない。これは随神の道だ。戦死者が荒魂になることはない。
靖国神社は荒魂を鎮める鎮魂の社ではなく、死しても国を守る英霊の社だ。靖国神社の思想は
神道の中で際だって異質の思想だ。キリスト教の殉教の思想と、浄土真宗の倶会一緒の思想が
合体したものだろう。
千鳥ヶ淵戦没者墓園こそ、名も知れず死んでいった荒魂の施設だと思う。
>>314 >おまえが某大学の卒業生名簿に入っていないのと同じなんだよ。
死に神教・貧乏神教大学には縁がないね(笑)。
>>315 > こんな私にお通夜で大勢の前で法話などできるのでしょうか?
教化するひと、まず信心をよく決定して、そのうえにて聖教をよみかたらば、きくひとも信をとるべし。
坊主は、人をさえも、勧化せられ候うに、われを勧化せられぬは、あさましきことなり
信がなくはいたずらごとよ。おさなき者、もち候えば、手を切り、怪我をするなり。
by 蓮如
「「下品中生」というは、 〜 かくのごときの愚人、 〜 不浄に説法す。慚愧あることなし。 〜
かくのごときの罪人、悪業をもってのゆえに地獄に堕すべし。命終わらんと欲る時に、地獄の衆火、一
時に倶に至る。 観無量寿経
お気を付けなさいませ。
>>320 >いいんです。「ようこそお参りくださいました」の心にだけ自信を持って伝えるだけでも
>大いにアリです。
気休めでしょう。信がなくはいたずらごとよ。手を切り、怪我をするなり。