|†| キリスト教@質問箱115 |†|

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126名無しさん@3周年
>>74,>>76,>>85,>>86,>>89・・・・・
ハムラビ法典はどう見てもモーセの律法の原型とは言えません
例えば、ハムラビ法典にも思いやりのある刑罰がありました。その規定の一つはこう述べています
「建築者がもし家が欠陥を持っていてつぶれたために、家の所有者の息子を死なせたなら、その建築者の息子を死に処すべし」。
これとは逆に、モーセを通して与えられた神の律法は「父は子のゆえに殺さるべきではない。子は父のゆえに殺さるべきではない。
おのおの自分の罪のゆえに殺さるべきである。 」と述べています。(申命記24:16)
貴重品を盗んだ罪に対する罰は大抵、モーセの律法の場合とは違い、返却することではなく、死でした。
いくつかの盗みの事例では、30倍もの返却が求められました。支払えない人は死に処せられることになっていました。
127名無しさん@3周年:04/05/19 19:38 ID:/oHUFrpk
モーセの律法とは異なり、ハムラビ法典はは一定の原則を確立しようとはしていません。
むしろ、その目的は裁き人たちに先例や、いろいろと変わる以前の判決を知らせて
将来の訴訟でなすべきことを示して、特定の事件の裁定を助けることにあったようです。
例えば、殺人に対する刑罰については述べられていませんが、それは殺人に対する正式に
認められた刑罰が既にあったためです。そして疑いなく、他の一般的な犯罪に対する処罰も決まっていたに違いありません。

ハムラビは法の全範囲を網羅しようとはしませんでした。
その法典の規則はどれも「人がもしこのように行うなら」という決り文句で始まります。
それは原則を策定するというよりは、一定の簡単な事実に合わせるにはどんな判断を示さなければならないかを
告げているにすぎません。それは主として既に存在していた法令に基づいており、当時のバビロニア文明社会で
生じていた種々の困難な状況に当てはめて個々に取り上げたものにすぎません。