【インテリ】日本基督教団 2【リベラル】

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36日本基督教団の歴史
日本基督教団の成立と歴史。
日本のキリスト教会は国家神道をあらゆる宗教の上に位置付けた国家神道体制の下で、
天皇を現人神とする偶像礼拝の罪を犯す。
1938年には日本の教会を代表して後にメインライン日本基督教団初代統理となる富田満牧師らが
特高警察と共に朝鮮の平壌(ピョンヤン)の教会を訪れ、神社参拝を朝鮮の教会の代表者に強要。
1938年9月10日朝鮮の平壌の朝鮮耶蘇教長老会第27回総会で、神社参拝は信仰に反しないという決議をなさしめた、
日本基督教会大会議長富田満が朝鮮の教会の代表者を説得する。
朝鮮では多くのキリスト者が神社参拝を拒否し、投獄され、殉教。
日本全体が天皇制国体に忠誠を尽す中、教会は国民儀礼という名の下に、
礼拝の中で君が代斉唱や皇居の方に向かって拝礼する宮城遥拝を行う。
1940年10月17日、青山学院校庭にて皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会を開催。
大政翼賛を宣言。約2万人出席
翌1941年には、国家が国民の精神統合のために定めた宗教団体法の下に日本基督教団を設立。
1942年1月11日、日本基督教団の富田満統理が伊勢神宮に参拝し、
天照大神(あまてらすおおみかみ)に日本基督教団の成立を報告し、その発展を祈願。
日本の教会は同じキリストのからだに属するアジアの教会にも偶像礼拝を強要する罪を犯す。
日本は侵略した各植民地・占領地に神社・神宮を建て人々に神社参拝を強要。
日本基督教団はこの国家政策に積極的に協力。

日本基督教団は日本が国家としてアジアの国々を侵略し、多くの人々に悲惨と苦難を与えた時に、それに反対せず、
国内では頻繁に必勝祈祷会を開き、戦闘機のための愛国機献納献金を行うなどして、積極的に協力。
1944年復活節の日に日本基督教団は「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」を送り、
この戦争こそアジア諸民族の解放をめざすものであり、神の聖なる意志であると主張。 

いまなお日本基督教団は多元主義のジョン・ヒックの本を出版し、
焼香といった偶像崇拝に妥協する教会となっています。

主よ、私たち日本の教会の罪をお赦しください。リバイバルを起こしてください。
とうとい主イエスの御名によって、アーメン。