【パッション】 The Passion of The Christ
ご存知のように聖書に出てくるイエスに従った人々、
また、現代の信仰者は皆、神を『信じた』人々です。
ある公理系が存在するとき、その命題の真偽の検証が不可能なケースがある、と
20世紀の数学者ゲーデルは不完全性定理で明らかにしました。
話題が逸れたかもしれません。
理屈で、すべて証明可能なものである場合、知恵のない者、知識のない者は
神を知ることができません。
聖書に啓示されている神はこの世界の創造主であります。
神を知りたい、神へ心を開き、イエスを受け入れるとき、神は被造物である人間に
アクションを起こしてイエスが主であることを理解できるようにしてくださると聖書を言っています。
聖書はそれは聖霊と呼ばれる神の働きが信じる人の上に起こると言っています。
さきほどのパウロは次のように記しています。
『事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、
神の知恵によるのです。
それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、
信じる者を救おうと定められたのです。
ユダヤ人はしるしを要求し、
ギリシャ人は知恵を追求します。
しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。
ユダヤ人にとってはつまずき、
ギリシャ人にとっては愚かでしょうが、
しかし、ユダヤ人であてもギリシャ人であっても、召された者にとっては、
キリストは神の力、神の知恵なのです。
なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。』
(コリントT 1:21-25)