★最近のICFは(その30)−管理者会議篇

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272でちゅ
きょうもいい天気でちゅ〜〜。
しゃんしゃんと輝くお日さまに真っ青なお空、まるで真夏の陽気でちゅよ!!
>>231
ありがとうごじゃいまちゅ。
今は忙しくて無理でちゅが、年末・クリスマスのころには、
あんちゃんともどもICFにもぜひ一度行ってみたいと考えていまちゅ。
よくわかりまちぇんが、各人各様の信仰観、立場が混然とちて、参加されている人たちのなかにはそのような「掲示板」のありように否定的な感慨をお持ちの方々もおられるようにお見受けしまちゅ。
僕ちゃん個人的には、そういう混沌のなかからも信仰をはぐくみ成長させる場として、主の豊かな祝福と恵みのうちに用いられていけばいいのになぁって思いまちゅけども。
いまのところ傍観者の立場なのであれこれ申し立てするちゅもりはありまちぇん。
参加している人たちの心がけひとちゅしだいでちゅよね。
もちろん、プロテスタント・福音派というだけで理不尽な攻撃やあちゅかいを
うけるということがあるなら、黙って耐えているべきでないことは当然のことでちゅが。
273でちゅ:04/06/04 15:51 ID:cDkZ+mY9
そうそう、マリアちゃまにちゅいてでちゅが、
僕ちゃん個人的には「イエスちゃまのいいおかあさん」だったんじゃないかなぁ、って思っていまちゅ。
天使から受胎の告知を受けたとき、マリアちゃまは「御心のままになりますように」とおっしゃられまちた、
当時のユダヤ社会において婚前の女性が不義の密通により妊娠したなら、極刑に処せられたといいまちゅから、
そうとうな覚悟でちゅよ(間違えていたらごめんなちゃい)、
それでヨセフちゃまはマリアちゃまのことを思いはばかって知られないうちに去らせようともされたわけでちゅが、
そういう意味で、父ヨセフちゃまはもちろん、母マリアちゃまも、
おちょらく立派な信仰をお持ちのご両親だったのでちょう。
ご存じのように聖書にはイエスちゃまとの関わりをとおしたほんのちょっとの部分を除いて、
マリアちゃまにちゅいての記述はほとんどまったくと言っていいほどありまちぇん。
カトリックの方々なら、無原罪のまま被昇天されたというような「聖伝」も、
信仰の対象になるのでちょうけれども、僕ちゃんたちプロテスタントはそうではありまちぇん。
イエスちゃまを聖霊により身ごもり処女のままお生みになったという点を除いては、
いわゆるふつうの信仰深い「おかあさん」としてのイメージしかないのでちゅよ。
274でちゅ:04/06/04 15:54 ID:cDkZ+mY9
>>273よりちゅじゅく
そして実際のところ、イエスちゃまが神ちゃまの御一人子、
救い主キリストちゃまであることを受け入れる上で、
マリアちゃまがふつうの信仰深い「おかあさん」であることは
なんら支障ではないのでちゅ、少なくともプロテスタントの僕ちゃんたちにとってはね。
イエスちゃまが救いをとかれていたとき、母マリアちゃまや兄弟の人たちが、
イエスちゃまのところへ「何かを話そうとして」来られたという記述がありまちゅ。
おちょらく、イエスちゃまが「何をなさろうとしているのか」皆目見当もちゅかず、
ただただ不安と心配で、自分の子供であるイエスちゃまのことを思うがばかりに、
なだめたしなめ故郷ナザレに連れ帰るためにこれらたのだ、と言われていまちゅ。
そう、母マリアちゃまはきっとイエスちゃまのことが小さかったときから気がかりだったんでちょうね、
やっぱり「神の子」は、幼いころから風変わりだったんでちゅよ。
イエスちゃまが12歳になられ、両親とともに過越の祭りで「エルサレム」に行かれたとき、
父ヨセフちゃまと母マリアちゃまが祭りの賑わいのなかで、
イエスちゃまを見失ってしまったことがありまちた。
275でちゅ:04/06/04 15:57 ID:cDkZ+mY9
>>274よりちゅじゅく
巡礼の一行のなかにいるものとばかり思ってたからでありまちたが、
捜し出したのは3日もたったあと、イエスちゃまは宮で教師たちの真中にすわって、
話を聞いたり質問したりされ、その受け応えに人々はみな、
イエスちゃまの知恵と答えに驚いた、と聖書には書き記されてありまちゅが、
残念ながら母マリアちゃまは、そこでイエスちゃまが語られたご自分が「神の子」であるという、
おことばの意味をまったく理解できなかったんでありまちた。
まぁ、しかし、これは致し方ない当然のことでありまちゅ、
たとえ天使や預言者から「救い主」だと聞かされ−聖書によれば幼き息子イエスちゃまのことで
「いろいろ語られる事に驚いた」とありまちゅが−たとえそういったことを心に納められていたとちても、
しょせん一介のただただふつうの「おあかさん」にすぎなかった母マリアちゃまにとって、
イエスちゃまはかわいい息子−子供以外のなにものでもない、
全人類の罪の贖い主として地上に下りてこられた「神の子」などとは、
父ヨセフちゃま・母マリアちゃまのご夫婦の現実感覚からは、
あんまりにもかけ離れた思いもよらないことであったに違いないからでちゅ。
276でちゅ:04/06/04 16:00 ID:cDkZ+mY9
>>275よりちゅじゅく
ただ、そういう「奇行」のすべてをマリアちゃまは心に留めていらっちゃった、
そこにわが子の不可解な部分に戸惑いながらも、
息子イエスちゃまを愛し慈しむマリアちゃまの悲しい母親とちてのお姿を
僕ちゃんは垣間見るような気がしてなりまちぇん。
十字架を背負うわが子の姿を見つめられたときに感じられたであろう母マリアちゃまのお気持ちを、
シメオンという方をとおして聖書の御言葉ではこう記されていまちゅ。
「ご覧なさい。この子はイスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、
また反対を受けるしるしとして定められています。剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。
それは多くの人の心の思いが現われるためです。」と。
「剣があなたの心さえも刺し貫く」というような息子を想う母親の悲しみが、
その後、2000年間、この地上に生を受けイエスちゃまの救いにあじゅかった、
すべてのクリスチャンの共通の想いにつながることがあったとしたなら、
それは母マリアちゃまが「無原罪」だからでも「神の母」だからでもなく、
ただただ「ふつうのおかあさん」だったからこそだったんでちゅね、アーメンでちゅ。
277でちゅ:04/06/04 16:04 ID:cDkZ+mY9

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  きょう、6月4日の僕ちゃんのレスでちゅ。
          ↓
        >>272-276 

  あんちゃんとねぇちゃん、そして僕ちゃんの3兄弟は、
  正統なキリスト教信仰を継承するプロテスタント福音派の信徒でちゅ。
  「ICF」には年末クリスマスの頃までには、あんちゃんともども、
  いかせていただけたらと考えていまちゅ!!どうじょよろしくでちゅよ〜〜。
  もち、2chのここキリスト教スレッドでもカキコはちゅじゅけまちゅよ〜。
  きょうはこのあたりでまたばいばいでちゅ〜〜。
  
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