卍 卍 新・仏教質問箱@参学用 卍 卍 パート1

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968 ◆2CMtjCEakk :04/09/12 01:33:05 ID:BqQAXA5k
>像に念を入れたら霊が来やすいのは本当なのか?ということなんですよ…

それに対する答えは、仏教には用意されていないでしょうね。

ですから「わからない」というのが、仏教徒として、正直な答えだと思います。

それに、さも分かったように答える人は、仏教ではない別なもの、ということです。
969名無しさん@3周年:04/09/12 18:01:46 ID:LyjT/sUz
霊道について、教えてください。霊道の上に家を立てたり、霊道の通る部屋に
住んでしまったら、必ず、災いが起きるのでしょうか?また、霊道を見分ける
方法や霊を封じる方法があったら、教えてください。
970名無しさん@3周年:04/09/12 21:45:07 ID:F1aAKV10
一休ではなく丹霞天然なんだけど。。。
WEBサイトのみならず、まがい物は、実は近くに存在する。
971名無しさん@3周年:04/09/13 01:15:15 ID:VlguZh0Z
>>969
封じるという方法では根本的解決にはならないと思いますが、
水晶球を置くと良いと思います。わたしの体験では、明らかに
「ラップ音」が軽減されました。しかし、更に願うとすれば、
なによりもあなた自身が正法と仏様に帰依なさって、慈悲の
波動を相手に伝えてあげることです。そうすることによって、
彼ら幽霊となって現れる餓鬼界からの波動はおのずと遠ざかって
いくでしょう。



972他力本願:04/09/13 13:51:24 ID:8xXVo+wb
仏教とは本来は修行によって「空」を悟り、涅槃に赴くことだとききました。最近ある方から、「縁」を受け取ると死後に涅槃にいくことができるとききました。それは他力本願によってだそうです。仏法においてありうるんでしょうか?
973名無しさん@3周年:04/09/13 18:34:48 ID:e7nWhysw
世界的に有名名ソギャル・リンポチェ師(「チベット生と死の書」の著者)の来日特別講演です
1)上 智 大 学 の 一 般 講 演
テ ― マ : 「生と死の書について」
−困難な時代を生き抜くための思いやりに満ちたアドバイス―
  日  時 : 9月23日(木)  開場 13:30  講演 14:00
会 場 費 : 1800円
  場 所 : 東京都千代田区紀尾井町1−7(8号館 4階410室) 
(JR四谷駅下車徒歩5分) 

エスニックな雰囲気に包まれたラウンジ
2)ス − パ − デ ラ ッ ク スでの一般講演会
テ ― マ :「 混迷する世界で心の平和を求めて」
―チベットの仏教的な智慧で心に打ち勝ち、
あなたの生活を変えていく―
エスニックな雰囲気に包まれたラウンジでマーシャルのDJや大岩昭之写真展、琴奏者磯貝まきのソロ・パーフォーマンスをお楽しみ下さい 
  日  時 : 9月24日(金)  開場 19:00  開演 20:00
会 場 費 : 2500円 
場 所 : 東京都港区西麻布3−1−25 B1F
      電話 (03)5412−0515
  お問い合わせ、ご予約は9月7日より下記へ
チベット文化研究所   東京都品川区西五反田2-12-15-401
            (03)5745−9889(TEL)
                  3493−3883(FAX)
http://homepage3.nifty.com/tcci/

非常に貴重なチベットのリンポチェ(高僧)による、一般向けの分かり易いお話です.
974937:04/09/13 21:17:43 ID:yiLHcPp9
>>967
たしかに文化人類学をもちだしたのは
少々安易だったかもしれません。
でも、文化人類学っていえば新しいけど、
民族学といえばその歴史は古いんじゃないですか?
19世紀には学会が開かれている。
ところで宗教学の成立ですが、
宗教が人類にとって普遍的な行為であると認識されたときをもって
宗教学の成立時とするのであれば、
それは宗教の概念がはっきりされていなくては
なりません。ちょっとこれをもって成立時とするのは
無理があるのじゃないですか?
欧米ではアミニズムや多神教を宗教とは
みなしていない人も多いでしょう?
975 ◆2CMtjCEakk :04/09/13 23:11:36 ID:ef/DDo5r
>>972
「他力本願」は、似非仏教ですな。

おこたらず、修行せよ、というのが、釈尊の遺言です。
976名無しさん@3周年:04/09/13 23:35:32 ID:gdUQ2/+D
977名無しさん@3周年:04/09/13 23:43:52 ID:CO1aXGWx
修行にのめりこんでしまう悪習を改革したのが釈迦です
そのままで、自ずから整っていることを知ればよいのです
そのための仏の知恵です
それは特に修行じみたことを要しません
自力といえども他力の中にあるものです
978 ◆2CMtjCEakk :04/09/14 00:06:20 ID:FlTEXupu
>>976
なんだ期待したのだが、すっかり裏切られた。
そこに書いてある程度のことは先刻承知の上で発言している。
何がもっと勉強しろだ、おおば、かもの!おまえほどの鹿、馬は見たことが無い。
979 ◆2CMtjCEakk :04/09/14 00:08:16 ID:FlTEXupu
そもそも、阿弥陀仏は、架空の仏だ、こんなもの、力が在るわけが無い。
980 ◆2CMtjCEakk :04/09/14 00:10:20 ID:FlTEXupu
釈尊の教えは、解脱だ!

「他人が解脱させてくれるわけではない」とも経典にかかれている。

他力を信じても、なんにもならないよ。気休め以外のなにものでもない。
981名無しさん@3周年:04/09/14 00:15:41 ID:SB2r9470
浄土真宗は、「他力本願」などという、いちいち回りくどく説明しなければ
誤解を招くような言葉は廃止すべきだ。
982名無しさん@3周年:04/09/14 00:19:01 ID:DzvFaHht
でも禅とか瞑想とかで解脱した人って本当に居るんですか
実際他力も自力もインチキ臭いなぁ
983名無しさん@3周年:04/09/14 00:19:08 ID:mLl6O+hj
勇み立って解脱だ!
なんて言って解脱するんですか?笑
何からどう解脱するんですか?
984名無しさん@3周年:04/09/14 00:25:48 ID:SB2r9470
仏陀って、一体どんな生活の苦労をしたのだろうか。自分から進んでした
苦行、修行など、本当の苦労ではない。金持ちの道楽に過ぎないという感じ。
だから、その「悟り」なるものも、いささか胡散臭い。
985 ◆2CMtjCEakk :04/09/14 00:30:03 ID:FlTEXupu
いや、これは失礼。
>>976があまりにも、おカバさんなので、とりみだしてしまいました。
う〜む。まだまだ、修行が足りない・・
986 ◆2CMtjCEakk :04/09/14 00:32:10 ID:FlTEXupu
>>963
釈尊の教えは、苦からの解脱、迷いからの解脱、といわれています。

「他力」があるなどというのが、迷い。

>>984
釈尊は、快楽にも、苦痛にも偏らない中道を悟りました。
987名無しさん@3周年
>◆2CMtjCEakk
念仏に力がないと言うが本当かな?
自分は念仏や浄土宗関係は余り詳しくないが、念仏すれば必ず功徳はあると思うぞ。

念仏唱えれば悪人すら救われるという。理屈からしてもそれは間違いなく言える。
それまで酒色に溺れ、人を傷つけ欲を貪り因果を信じず悪行三昧してた人間が生き方を180度変えて反省し、
身を慎み、心に必死に阿弥陀仏を念じ、口に南無阿弥陀仏を唱えるならば、もはや心に悪が生じる余地はなく、
悪行を行う余地もない。それまで行ってきた悪業がここでプッツリと断たれることになる。
過去に行ってきた悪業の報いが返ってくることはあるだろうが、これから悪業を積まないのだから
段々に業が消えゆき、心身ともに清浄になっていくことは確実である。
これを功徳と言わずして何と言おう?

そして更に修行を進めて我彼忘れ、念仏してることも忘れるほどの三昧に入れば弥陀の来迎を見ることもあろう。
来迎とは目に見えたり耳に聞こえたり霊感がビーンと閃くようなものではない。
どこか雲の上にでもいる阿弥陀如来がババーンと出てくるような奇跡とか、そういった類とは違う。

また、「念仏」といっても口でただ南無阿弥陀仏と唱えるのではない。
むかし、坊主が罪を犯した人間に「念仏しなさい、そうすれば救われる」と言ったところ「おれは人殺しをする前に
念仏しておいた。だからもう救われることは間違いないのだ」と答えたというマンガを見た。
この罪人が唱えた南無阿弥陀仏は、ただの「ナムアミダブツ」というコトバの羅列であって念仏ではない。
ナムアミダブツは身・口・意の3つ、即ち人間活動全体で唱えてはじめて真の念仏となり功徳が備わる。
罪人は口では題目唱えているが、身と心ではまったく念仏していない。
人を害しようと考えたり殺したりする仏がどこにいる?
身・口・意の一つでも欠ければそれは汚れた川の下流を掃除して上流を放置するが如し、ただの徒労だ。