害毒であるところの仏教

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375名無しさん@3周年
詭弁じゃないよ。
「のぼる」か「のぼるのでない」かという二項対立が全論理空間だと思い込んでいたのを
論理空間の一部でしかないということを主張しているわけ。
人間の思考(観念)がさように不自由であり予見に満ちていることを述べるには
否定的論法を用いるしかないのよ。肯定的論法を用いたら、その立論自体が
同じ論法で否定できるからね(この私の発言自体が同じ論法で否定できちゃうもん)

繰り返しいうけど、実践的な意味は>114、>112が言ってますんで勝手に解釈してちょ。

普通の人間(誠実であるか否かにかかわらず)の思考が、そのまま苦しみの原因になっている
ということをいうのよ。輪廻についていうと、輪廻に考えが及んだ時点で、考えが及んだ
ということ自体が苦しみの原因になっちゃうわけ。なぜなら、あるかないか、で悩むんだもんね。
だから、ある・ない・わからない、の三者いづれも答えてはならなかったはずだし、
どれで答えても質問者を満足させることはできないのよ。なぜなら、少なくとも質問者には
その答えが正しいかどうか、わからないから。そうじゃなくって、そういう疑問を持つこと自体が
質問者が乗り越えねばならないことなのだよ、と教えようとしてるのよ。

このあたりを、きっちり述べてんのは龍樹あたりじゃない?