【エキュメニカル】聖公会とカトリック【一致】

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317名無しさん@3周年:2006/02/27(月) 01:15:06 ID:foXtojDT
>>316
サクラメントの数や香を焚くことなんかで
信仰は歪みませんよ。
318名無しさん@3周年:2006/02/27(月) 04:22:30 ID:xNBX8xaT
>316
いまの教皇様の就任ミサのときは香炉をお持ちでいらしたように
思いますが、何か?

イギリスではトリエントミサを行いたいために聖公会に教会ごと
転会したところがあるそうです。
それぞれに守りたい信仰の形があるだけだと思います。

合わないと感じるなら転会してもいいと思うし、自分の望む自然な
かたちを追い求めてもいいのではないでしょうか。
319名無しさん@3周年:2006/02/27(月) 11:01:25 ID:QG6FWZnb
>>318
使徒継承」の教理「信仰の継承」ならわかる。
ま、これはそう目くじらを立てることではないが、
聖奠的(サクラメンタル)5儀式、こういったものはいつ復活したのですか?
教理的なこと(教義ではありません、”教理”です)を変更するにはそれなりの
明確な説明があってしかるべき、と思いますが。信仰理解が音をたてて崩れ落ちますよ。
聖公会には愛想がつきそうです。キリスト教信仰を持つに至らせてくれた愛すべき
聖公会ですが、登りつめた梯子を外された思いです。
聖書に忠実に神学的にも、きちんとした[宗教改革の精神]を踏まえ納得させてください。
聖書に矛盾しないきちんとした教理と信仰告白を教会憲法とした教派を模索し、
転会の方向で、主の導きを信じ、祈り求めたいと願ってます。
320名無しさん@3周年:2006/02/27(月) 17:14:57 ID:QivBLHNp
大切なのは、どんな教派に属していようとも、わたしたちが信じているのは
主イエス・キリストであり、父なる神であり、聖霊であるところの三位一体の神です。
教条や教理を信じているわけではないんです。

カトリックや正教会、聖公会で行われているようなある種、荘厳な礼拝というのは、
神の栄光をあらわすための一つのかたちであるわけで、それを虚飾だと思うのならば、
素朴で簡素な礼拝形式である教派へゆけばいいのです。

聖公会では、礼拝形式にカトリック的要素を多く残しているところに、一つのアイデンティティ、
教会そのもののキャラクタリスティックがあるんです。それを否定してしまうのはどうか。
それ以前に聖公会は使徒職を継承している教会ですから、叙階を軽く見るわけにもいきません。
また、サクラメントの数で神の救いが決まるわけではないでしょう。
神の恩寵よりも、選びを強調する考え方の人にはわかりづらいかも知れませんけどね。
321名無しさん@3周年:2006/02/27(月) 19:03:19 ID:/o6XxIvM
>319
>320と同じことを思います。
別に簡素な様式が悪いとも思いませんが、私たちが信じるのは様式ではありません。
でもそれで信仰を否定されたと感じるなら転会で良いと思うし、それがふさわし
ければ、しかるべき教会へ導きがあると思います。
大切なのは信じて祈り求めることで、信じることにイヤにならないことだもの。
322Lucky ◆1YxuMB21Sc :2006/02/27(月) 20:49:42 ID:dqJx4vgl
聖奠的諸式については、個人懺悔以外はもともと文語祈祷書にもあったものですね。
人によってはこれらを「一般的に聖奠的諸式と呼ばれている」と微妙な呼び方をしています。
実際の運用は、日本聖公会法憲法規で定められるので、名称の変化はあまり重要ではないと思いますが
323プロ外野手:2006/03/01(水) 00:29:53 ID:/+mATzjF
>>320
[聖公会は使徒職を継承している教会]
ヘンリー8世の時から断絶されたといって、
ローマカトはこれを認めてないようですね。
ローマカトからみて聖公会は他のプロテスタント教会とは
少し違う位置付けにはあるようですけど。
マリア信心を認め、女性聖職制度を取りやめれば合同できるのでは、
と思うが、若しこうなったら分裂するだろうし、
人によっては、聖公会をキリスト教の異端と断定するだろう。
324名無しさん@3周年:2006/03/01(水) 12:00:58 ID:Ht0dW1Vz
>>323
じっさいに叙階は途切れることなく行われてきた。
司式する主教と、叙階される人物、それと会衆がそろっていれば典礼は可能で
教皇の許可や認知が必要なわけではなく、その点は正教会や復古カトリック教会も同じ状況だろう。
清教徒の勢力が強く、国教会派がにらまれていた時期には、主教たちは、
ときにスコットランドまで逃れて秘密裏に叙階の儀式を行った。
そういう歴史があるんだけどね。

ところで、カトリックと合同しようとうすれば、聖公会が分裂する目測は
有る程度立ちますが、いったいどういう人が、どちらの側を異端と断定するのか?
合同を拒否して残ったほうを、ですか?
325プロ外野手:2006/03/01(水) 12:36:36 ID:/+mATzjF
>>324
言葉足らずでごめん!
合同拒否し残った方ではなく、
人によっては異端と呼ばれる可能性があるのは、
合同した方です。
326名無しさん@3周年:2006/03/01(水) 13:03:47 ID:Ht0dW1Vz
>>325
なるほどそういうことですか。たしかに合同すれば、これまでの4綱領や積み重ねてきた
中道(Via Media)を放棄するわけですから、ある集団からはいい言い方をされないでしょうね。

しかし総本山たるイングランドに女性主教が立ちつつある今、正教会との話し合いも停滞すること
間違いないでしょうし、マリア論以前に合同なんていうのは夢のまた夢でしょうね。
327名無しさん@3周年:2006/03/01(水) 14:53:57 ID:Js+rdi+X
エキュメニカルと合同は違うと思う。むしろ合同という幻想を放棄した上での一致が必要ではないかと。
328プロ外野手:2006/03/01(水) 17:15:15 ID:/+mATzjF
>>327 さまへ
私もエキュメニカルを合同という幻想を放棄した上で、次のように考えてまつ。
主は、全ての人が一致することを求めておられると思いまつ。その一致点はなんの
付け足しも無くキリストしかありません。これをなくしたらキリスト教でなくなり
まつ。逆に、これによって一致するのでつ。つまり、キリストを絶対と認めて、
教派を相対化するのでつ。なぜなら、他教派の人々は、他宗教の人々ではなく、
同じおひとりのキリストにある兄弟姉妹たちだからでつ。教派ごとにキリストが
おられるわけではないからでつ。他教派の兄弟姉妹と一致ということは、
「愛を持って祈りを合わせること」ではないでしょうか。
ですから、へりくだらねばなりません。
しかし、自己否定する必要はないと思います。自らの伝統、教理、教会憲法、
信条を固守してよいと思いまつ。だが、相手を見下したり、裁いたりしては、
主が悲しまれまつ。私たちの教会の主日礼拝の牧会祈祷でも、この町中の教会、
日本中の教会、世界中の教会、また牧者をもたない小さな群れ、ここでいま礼拝が
行われているいることを覚えて、それぞれの教会の祈りの群れを祝福してくださる
よう祈っているのはそのためだと私は認識しています。つまり、この地上にいる間、
私たちはいかに、心を合わせて愛し合い、祈り合い、福音を未だ届いていない友と
分かち合いつつ、主の来臨を待つことができるか、これにかかっていると思いまつ。教派を超えて祈りあっていきたいものです。
329名無しさん@3周年:2006/03/01(水) 18:20:28 ID:edScd4Gu
>>327
その考え方で行けば
インターコミュニオンを許さず異端審問調を残している側が「合同」を阻んでいる
330名無しさん@3周年:2006/03/01(水) 18:23:52 ID:edScd4Gu
目に見える垣根を取り去る努力は必要なのに
片一方はオープンでも片一方が「帰正せよ」「パパ様の元に戻ってこい」と叫ぶ現状では
何も話が進まないじゃないか。
331名無しさん@3周年:2006/03/01(水) 18:33:00 ID:FwRVacb+
>>327
一致自体が幻想。
332名無しさん@3周年:2006/03/04(土) 01:22:20 ID:+V1hTN34
>>330
とりわけ日本の聖公会では
ハイ・チャーチの眺めの方とロー・チャーチの眺めの方とでは
カトリックから眺めた場合まるっきり違う。
どちらがいい、悪い、というのではありません。
そういう方同士、いろいろ内部で軋轢があるとしても、
同じ「聖公会」として、共存共栄なり、相互不干渉なりできてる
のはとても興味深い。
このあたりがエキュメニカルな歩みのヒントになるんではないですか?

今の日本のカトリックで「帰正」なんて死語だし、
「教皇の元へ」などと、訪れた聖公会の方に暴言を吐く信徒は
(あってはならないが、実際居るとすれば)
かなり常軌を逸してる方ですよw
マリア崇敬や聖体礼拝も、現代ではあまり盛んではないんですよ。
(これも良い悪いは別)

正直、ハイ・チャーチの方とは殆ど差はないし、
かなりエキュメニカルな流れも進んでる。
ケンブリッジのキングス・カレッジでは、
堂々と「ルルドの聖母」の歌が歌われてるし、
(これには正直ビックリした!後で知ったがCDまで録音されてるw)
日本のカトリック系某施設では、
聖公会の歌隊をお招きして、一緒に古今聖歌集を歌い、
荘厳なヴェスパーを言祝いだりできてる時代w
333名無しさん@3周年:2006/03/04(土) 05:21:02 ID:WX3/8uhx
>>332
>同じ「聖公会」として、共存共栄なり、相互不干渉なりできてる
>のはとても興味深い。

それがアングリカンの理想でありそれを目ざしてやって来たんですが
えーっと、世界的に見ればそうはいかなくなり、もめておりましてですね。
分裂の瀬戸際でございますよ。
日本聖公会だけ見ているとなんかほんわりなのでわかりにくいかなとはおもうけど。
アフリカや東南アジアなど教勢をイスラムと争っている地域では
そうのんびりしたことも言っていられないとか、
土地土地の元々の保守性など、まあいろいろある。
同性愛、女性主教などもね
おっとりのんびり相手を尊重するような雰囲気はほとんど消えてます。
イングランドや米国はパリッシュで牧師招聘性ですから。
過激な教会はどんどん過激化しておるんです、右も左もね。
日本がいちばんカトリックと聖公会の恊働がやりやすい国なんじゃないかな、
と思うものなり。

でも日本の声は世界には届かないと思いますよ。
カトリックさんでも聖公会でも日本人信徒の数(と声)は無視できる数ですよね。
334名無しさん@3周年:2006/03/16(木) 21:25:48 ID:R+a8dTRs
330さんのおっしゃるとおり、聖公会は、その内部でも分裂がいつ起きても驚かないような状況だと思う。
カトリック教会と教団自体が合併するように一致するのは事実上無理でしょう。
無理な教理のすりあわせは、必ず新たな分裂の原因となる。
お互い、別の教団として互いに尊重しゆるやかに協調するあうくらいが現実的。
また、それでなぜいけないのだろうか。
一致を強制する人たちは、カトリック信者で昔ながらの信仰を守っている人たちに(マリアなど)聖人崇敬や聖体礼拝等を止めろと、また聖公会のローチャーチの人たちに聖書外典を教会堂で読んだり聖人の祝日を祝ったりすること等を強制するのだろうか。
「そんなことはキリスト教の信仰では小さなことだ」という理由で、こういうことを正当化するなら、それは形を変えた強権主義にすぎない。
335ローチャーチ屋:2006/03/17(金) 23:23:55 ID:lPP7apYm
続編(アポクリファ:外典)は神の言葉ではない!
教養として歴史、時代背景を学ぶことでは問題ないが、
教会の説教として語られるのは問題だ。
336名無しさん@3周年:2006/03/18(土) 21:30:14 ID:PS5bvZda
>335
どーでもえーわそんなこと。
教えの理解の助けになるなら外典けっこうじゃないの。
むしろ「外」典だ「偽」典だというほうが結構おもしろかったりもすんのよ。

聖品スレでは「テーブルの下のパンくず」の意味すら理解しないのがいたし、
それにくらべたら幅広く知ろうとする方がよっぽどマシだと思うよ。
何回聖書読んでもことばひとつ理解しない人も居るんだし。

誰にどんな言葉が響くかなんてわからないんだからいろいろあるほうがいいよ。
337教皇の欺瞞性を主張:2006/03/31(金) 19:35:58 ID:Jm8y16Qm
ローマの司教は3つのことを主張している。
第1に、ローマの司教は、神の法によってすべての司教の上にある。
第2に、ローマの司教は、神の法によって両方の剣、すなわち国家を支配する権威を持っている。
第3に、ローマの司教は、これらは救いに必要であると宣言する。
以上の理由から、ローマの司教は、自らを地上におけるキリストの代理人と呼ぶ。
われわれ英国国教会は、この3つの条項は教会にとって有害だと主張する。
教皇派は、教皇は普遍的な司教であり、全教会の司教であると言う。
すなわち、教皇が司教を選び、叙階(按手)し、廃する力を持っている。
また、礼拝については聖礼典の変更、教理については規定をつくる権威は、教皇に帰せられるとする。
それによる信仰告白、教令、法規は、神の戒めより優先されるとする。
以上、これを信じることは、救いに不可欠とする。
ルカ22章24節以下で、キリストは使徒たちの中での支配権を禁じておられる。
キリストは、誰も彼らの間では頭となったり、支配したりすべきではなく、互いは同等な者として、共同でキリストの言葉の職務を行うべきであると教えられた。
ここには、支配権は認められないことが語られている。
同様のことが起こった時、キリストは子供をまん中に置き、偉い者であるかのように振る舞ったりせず、誰にも優位がないようにと言われた。
ヨハネ20章21節で、キリストは「あなたがたを遣わす」と言われ、誰も分け隔てされなかった。
ガラテヤ2章で、パウロは、自分はペテロによって叙階されたのでも、按手されたのでもないと言っている。
パウロは、自分の召命はペテロの権威によらないと述べている。
しかも、ペテロを高位者と認めず、ペテロに相談もせず、ただちに説教をしている。
また、神の言葉を宣べ伝えるには、誰かの叙階(按手)があれば良いのであって、特定の誰かの権威が必要ではないことを述べている。
Tコリント3章4節以下で、パウロは教職者を平等に並べ、その教職者の上には教会があることを述べている。
すなわち、ペテロの権威も他の教職者の権威も、教会の上には置いてはならないことを教えている。
Tペテロ5章3節で、ペテロも「教職者たちの上に権力を振るうな」と述べている。

338†МИР ◆cdsR4UKhtg :2006/04/02(日) 00:10:14 ID:liSIW5SO
「主のいのり」は、一緒になったね。
新共同訳も一緒かな?
典礼的には、カトリックの昔の形態が、
そのままって感じだね。聖公会。
というか、形式的には、カトリックよりもカトリックだね。w
339名無しさん@3周年:2006/04/02(日) 17:26:04 ID:lwXWgPy9
>338

それはハイチャーチ系だけだと思うよ。
ローチャーチなんかはマイルドな福音派みたいなものだからね。
いろいろあるのよ。
でも、聖公会、分裂しそう。地域的にもアフリカ・アジア系と欧米系では雰囲気が違いすぎで。
前者が後者に最後通牒をたたきつけるのも時間の問題か。
340名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 17:10:09 ID:h5ZciP0i
聖公会はローマカトリックの異端児。
同じくプロテスタントの異端児。
結局、どっちつかず。
341同性愛者:2006/04/18(火) 21:19:31 ID:hME6M0K4
ロマカトちゃんに伺います。
アメリカ聖公会のロビンソン主教は同性愛者ですが、
こういうのってどう思いますか。
許せますか、あるいは許せる。どちらでしょうか。
342名無しさん@3周年:2006/04/19(水) 00:28:36 ID:QnBrFZbJ
いくら比較的近いプロテスタントとはいえやはり他教団なのでなんとも思わない。人様の家(教会)について許すも許さんってもねぇ。そんなの失礼でしょ。
まあ、なんだか荒れてんなーって感じはする。

343名無しさん@3周年:2006/04/19(水) 19:52:11 ID:Tq0OhQwJ
同性愛傾向は、まあイタシカタないでしょう。。
同性愛行為に及ばなければ大罪は免れるでしょう。。
344名無しさん@3周年:2006/04/19(水) 23:36:35 ID:DS9hA9r1
>>341
まっとうなロマカトちゃんていうわけじゃないんですけどね。
神は男女の結婚を祝福し、子供たちが増え、栄えていくのをお喜びになるのではないの
でしょうか?
そんな単純明快なことではやっぱりだめですか?
ぼくなんかは妻に疑問もでますが、神様との契約を思い起こします。
いっしょに信仰にたちかえろうかというときもです。
345名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 23:10:48 ID:iUQNKGgw
>>341
400年ぶりに、新たに編まれたローマン・カテキズムに
短いながらも、同性愛者たちに対する共感と配慮に満ちたパラグラフがありますよ。
ぜひご一読を。
その箇所だけだったら、1分もかからずに読めます。それだけ短い箇所です。
でもその一文によって、救われた同性愛者がたくさんいますよ。
346ザンクト・ガレン:2006/05/12(金) 14:57:19 ID:pIARsSrh
お知らせ

明日と明後日 南ドイツのミッションベネディクト会
(ザンクト・オッティリエン修族)
母院のアパス(大修道院長)エレミアス・シュレーダー猊下
が来日され、
東京都東久留米市の 「聖グレゴリオの家 宗教音楽研究所」で
霊的講話と荘厳ミサが 言祝がれます。
御都合が宜しければ、是非お運び下さいw

> エレミアス・シュレーダー大修道院長をかこんで
>〜聖ベネディクトの霊性と現代社会におけるキリスト者の使命について〜

>5月13日(土)15:00 聖グレゴリオの家
>*興味のある方なら、どなたでも参加できます


>5月14日(日) 10:30AM グレゴリオ聖歌による荘厳ミサ 
>司式:南ドイツ ミッションベネディクト会
>サンクト・オッティリエン首座大修道院長
>エレミアス・シュレーダー猊下

>ミサ・お祈り にはどなたでも参加できます。

ttp://www.st-gregorio.or.jp/ 
347名無しさん@3周年:2006/05/12(金) 18:33:51 ID:nxwmUaiS
>>346
>>ミサ・お祈り にはどなたでも参加できます。

でも聖体はクズのプロにはやらねーよ、ってか?w
348名無しさん@3周年:2006/05/13(土) 03:43:33 ID:3O+tdRZl
>>347
御聖体の秘蹟を信じてるなら、拝領できますよ。
349名無しさん@3周年:2006/05/13(土) 07:34:49 ID:SCRgqIaw
>>348
お目出度いね。
350名無しさん@3周年:2006/05/13(土) 08:10:59 ID:/c7c6/MJ
司教による按手を受けてない人は陪餐できないでいいのでは?
カトで洗礼しか受けてない人も陪餐できないのと同じ理屈なんで・・・。
351名無しさん@3周年:2006/05/16(火) 17:47:24 ID:3o034wt2
カトから聖公会へ変わった人、またその逆の人いる?
自分はカトだけど、聖公会やプロに魅力を感じてる。 プロの礼拝の説教て
とても力強いように思う。 それに比べカトは儀式についていくのが忙しくて
心をこめて祈る間がない。 
352名無しさん@3周年:2006/05/16(火) 18:02:40 ID:hZpmkKEs
>>351
>プロの礼拝の説教て
>とても力強いように思う。 

「力強い」説教をお求めなら聖公会はあまり魅力的じゃないと思うよ。
何が力強いかはわからないがw
たっぷり祈りの時間とガリガリ聖書講解説教がいいなら
改革派かメソなどどう?
353名無しさん@3周年:2006/05/16(火) 18:38:24 ID:xJUOHgPd
>>351
禿同!
たすかにプロの説教は、説得力つうか味がありますね。
カトは、御聖体が中心やからね。どうしても片手落ち
なになるのか?賛美も、プロのほうが恵まれてるよね ♪

354名無しさん@3周年:2006/05/16(火) 18:44:50 ID:+EThfj0O
聖公会の魅力は「自由」これにつきるです
「教会ではこのように教えています」式の上意下達から逃れることが出来る
プロ(特に福音派原理主義)の「聖書至上主義」とも無縁
「信仰告白」もニケア信経と使徒信経
自分で考えて自分の身の丈にあった信仰、それが聖公会
355名無しさん@3周年:2006/05/16(火) 20:38:23 ID:+AO9dXGf
>>351
>プロの礼拝の説教て
>とても力強いように思う。 

力強いというか、ベテランの営業マンが説教してるみたいで驚いた。

356名無しさん@3周年:2006/05/16(火) 21:10:41 ID:xJUOHgPd

カトにもおすそ分けしてほしいですわ。^^;
説教を伝道してまわることが、福音宣教ではない!と…
司教が仰るくらいだから 重視されてないんやろけど。。
357名無しさん@3周年:2006/05/16(火) 22:09:51 ID:+AO9dXGf

何かセールストークみたいで上手いんだけど、
所詮セールスマンでしかないというか。

祈りたいなら修道会の黙想会に行くといい。
358名無しさん@3周年:2006/05/16(火) 22:35:33 ID:hlYY0bqT
結局営業活動かよ
359名無しさん@3周年:2006/05/16(火) 22:38:58 ID:hlYY0bqT
プロを持ち上げるように見せかけておいて、結局カトの売りこみはいいかげんにして欲しい。
カトと付き合ったって羊泥棒されるだけで何の得にもならない。
一致は無理。
360名無しさん@3周年:2006/05/16(火) 22:49:16 ID:He51hsVv
>>359
まあまあ。
カトは正統な批判されると急に本性見せて罵詈雑言がデフォ。
つついて色々言わせて、それをおもしろがってみてるのが正解だよ。
361名無しさん@3周年:2006/05/17(水) 00:27:56 ID:H37OrJqe
まあまあ。カトに プロほどの説教があれば…
鬼に金棒ですよ。カトも負け惜しみいってないで
プロの説教の素晴らしさを 盗んでほしいですわ(=゚ ω ゚)ノ†
362名無しさん@3周年:2006/05/19(金) 17:06:02 ID:PIbOFYWp
>>355
>力強いというか、ベテランの営業マンが説教してるみたいで驚いた。
>>357
>何かセールストークみたいで上手いんだけど、
>所詮セールスマンでしかないというか。
>>361
>まあまあ。カトに プロほどの説教があれば…
>鬼に金棒ですよ。カトも負け惜しみいってないで
>プロの説教の素晴らしさを 盗んでほしいですわ(=゚ ω ゚)ノ†
近頃では、それらしいカトリック司祭もいらっしゃいますな(苦
この方、かなりの方を洗礼せしめてるようで、それは結構ケだらけ
ですが、個人的には噴飯モノだと思われ。
ttp://www.febcjp.com/program/hare.html

まあ、蓼食う虫も、と云うし、好みは人それぞれでありますが、
まったくもって表層的というか、霊のカリスマが感じられない。

やはり、カトリックの説教(個人的には、仏教用語であると退けず、
「説法」としたほうが原意に近いと思う)なら、
「説教者修道会」たる、ドミニコ会士のそれが一番でしょ。
とりわけ、故押田師の説法のまことは、いまでも、思い出すと泣けてくる…。
その弟子筋の、M師の説法もすばらしいが、もう司牧はなさらない。



363聖公会素朴な疑問:2006/05/23(火) 10:58:28 ID:ILs3VG9q
>>354
私は、聖公会に留まるつもりですが、周りの信徒のキリスト教信仰の理解がはっきりとしていない。
使徒信条(使徒信経)・ニケア信条(ニケア信経)だけで一致していれば依存はない、他はどうでもいいということなのか、だ。
「なにごとのおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」という心情だけで一致しているような強い印象である。
だから、話題が合わないことがしょっちゅうある。
教理はキリスト教信仰にとって本質的なものと思う。キリスト教道徳と生活は
健全なキリスト教教理の上に建てられる。これが、神のみ言葉(聖書)自体の主張であると思う。
*福音の教理を確立して、その上に
*キリスト教生活論を展開する
ロマ書およびパウロ書簡の構成はそのようになっている。(明らかである)
364名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 18:31:06 ID:gX1U/bVX
>>363
マルチうざい。出て行く勇気もないくせに。
365名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 18:59:09 ID:0FKbnC5C
>>362
洗礼は、かなりの数になるようやね。
説法つうか....  エッセイみたいなもんかな。^^;
366名無しさん@3周年
某神父ですよね。
説教その物はあんまりスゴイとは思わないけれど、
単純な内容を繰り返し落ち着いた口調で語るスタイルは計算してやってるのかな。
コミュニケーション論が専門だったりして^^;