>>431 >良心を、なぜ宗教家は繰り返し説いてきたのか。
たしかに、そんな宗教もありますね。善悪に分裂してる二元論的な宗教が・・・。
哲学でいえば、アリストテレス学派みたいなヘンテコな宗教も存在する。悲しいことに。。
キリスト教の十戒や、仏教でも十善戒なんかがあったり、重視する宗派があるけれど
その中には、もちろん最大の罪「不殺生」が最初にきている。
でもね。。
そんな悪いことしてはイケマセンって説く低い教えの宗教ほど悪いことをしている。
あのオウムだって、サティアンのトイレのウジ虫を殺さないように!って
「不殺生」を説いていながら平気で人殺しなんかしてしまう。
「不殺生」を守ろう!って、必死に頑張っている人がもし近所に住んでいたら・・・
人々にとっては恐ろしい存在だし、それだけでも社会にとって脅威になりうるのでは?
あ、まちがえたあ!笑
誤>その中には、もちろん最大の罪「不殺生」が最初にきている。
正・その中には、もちろん最大の罪の殺生を犯さないよう「不殺生」が最初にきている。
人はなぜ死ぬのか?
リアリティーに至るには、二つの道がある。とあたしは思います。
ひとつは論理的なもの。そのアプローチは、西洋においてアリストテレスを父としている。。
それは、ただ直線的で、真一文字に進む。
それは、けっして反対のものを許さない。反対のものは切り捨てなければならない。。
Aは、Aであって、非Aではありえない。。
これがアリストテレス論理の公式。。そして、これは完ペキに正しく見えます。
人はなぜ死ぬのか?もし、その答えがあるとするなら
どちらかが正しく、もう一方は間違っている。。そして、間違いは切り捨てなくてはならない。。
われわれは、学校でこのロジックを叩き込まれてきた。。世界はアリストテレスに支配されている。。
リアリティーに向かう第二のアプローチは、弁証法的アプローチ。。
これは、ヘラクレイトスやヘーゲルのなどで、それが最も純化されたものが仏教と道教ではないかと思う。。
Aは、Aであると同時に、反Aでもある。。
対極を通じて・・・反対のものも存在してはじめて万物が創造される。。
アリストテレス学派の論理では、陽極と陰極によって電気が起こったり
男と女という反対の性によって生命が誕生することは、ことごとく非論理的なものとなる。。
自分の外側に悪をみるのは、自分の中に悪があるから・・・。
キリスト教では神を肯定して悪魔を否定しているけれど、自分の中に悪魔がいなければ
目の前に悪魔が現われても、きっとそれを悪魔とは認識できないでしょう。
悪があるから善がある。汚いものがあるから綺麗なものがある。
貧乏がいるから金持ちがいる。苦があるから楽がある。死があるから生がある。
二極に分裂していると、いつまでたっても死の恐怖その他の悩みからは解放されないと思います。
槇原敬之の「どんなときも。 」という曲が
ヒットしていたころ、みんなこの曲を聞いて、
若者は、元気を出そうとしていました。
20代、元気の出るメロディーをきいて元気を出そうとします。
30代、なんとなく元気を自分で出す
40代、元気もなにもないという感じです。
目の前の時間を一度使うと、もう使えません。
コップの底に残った時間というジュースをのみほせば、
寿命はつきます。
>>256 >>「絶対他力」は仏教、特に密教でよく使われる言葉ですが、
>清沢満之は真宗ですね。
>俺が
>>172で言った
>>仏教というのは「結論を出さない宗教」だと思います。
>というのは真宗の坊さんの事です。
>清沢満之も俺はあんまり好きじゃないし、あんまり真に受けないようにするのが良いです。
>仏教というのは「結論を出さない宗教」だと思います。
仏教が結論を出さないのは、
>>435で書いたようにアリストテレスに毒されてないからです。
仏教では、神を信じなさい!などとは言わないことは勿論
ホトケを信じなさいとも言わない。
死後の世界を信じなさい!とも、死後の世界は絶対にあるのだあ!とも言わない。
>あんまり真に受けないようにするのが良いです。
ご忠告ありがd〜♪
あたしは今までがそうであったように、何事も真に受けることもないし
「何かを信じない」ということもないし、「何か信じる」ということも
ないと思います。きっと、これから未来永劫ずーーーーと。
最近このスレ人気ないねぇ。。下がっているので一旦age
「四聖(しせい)」 または、「世界の四聖」ご存知でしょうか?
四聖とは、釈尊、キリスト、孔子、ソクラテスのことです。
死についての回答は、この四聖だけで充分。
但し、キリストの教えはかなり歪められてしまっていると、あたしは思います。