ホホポさん、例えばらっぱちんさんの好き、という学者さんがいます。
私も好きです。ご自身がその本について書かれた下の記事。
「思考」とか「思想」はがらくたのお遊びかしら?
私は、限界を超えて「知」で踏み込もうとする、人間ならではのこの営みを思うと、
とても愛しく感じます。
〜魂を語りうる、新しい「知のカタチ」を創造する〜
人間がこれまでの歴史の中で、最も強く求めつづけてきたものは何だろうか。
そして、最も「知るに値すること」とは何であろうか。
「知」というものが綿々と積み重ねられてきた。
しかし、いまの社会で教えられ、学ばれている知には、最も「知るに値すること」
は含まれているのだろうか。本質的であることは何も教えられず、学校や大学
の教科にもない。敏感な子どもたちはすでに、そのような本質的なもののない
「勉強」の空しさに気がついている。
人間は時として、深い「魂の憧れ」を覚えることがある。茜色の雲を見ている時、
群青の海原を眺めている時、不思議な郷愁が人を襲う。そして――人間は、不
思議な体験をする。
自分の魂のうちに、何かが存在し、それが開かれていく時
――その時、魂の戦慄とともに、ある大きな宇宙をのぞき見ることもある。
>>783単、直さん おらのHN、フルで呼ばなくていいですよ。
伊藤博文さんも凄かったの? 千円札肖像画では、すましているのにw。いや、お
らは性エネは大した事ないっすw。偶にむおーぉと、来ることがありますが(苦笑。
セックスに関しては、まだ歪めて考えてしまうな>おら。
>>784あはさん いや、寒い日はハードディスクがめちゃ煩いです。壊れそうなほ
どの音がするよ。今のパソは、96年に買った。まだ、7年半しか使ってないよw。
今はネットとワープロ系が使えればいいし。ソフトで便利に使えるよ。
>>785aneさん 500以上の職業だ、リサーチするの大変そだね、凄いな。世の中、
どれくらいの職業があるのかね。スレ削除しても直らなかったんだ。
>>786Hohopoさん 横レス。へっ、思考は誰でも持ってるでしょ? 過去或いは未
来?の人達の思想を読んで、自分には要らないアホだと思っただろうし、参考に
はなったんじゃん? Hohopoさんも、師匠の言葉の影響受けたのだろうし。それ
が過去の人物、または別次元の人もいるんじゃないのかなw。
んっ、まだ309KBか、まとめて投稿♪
あるいは、その宇宙の深奥へと入っていくことも――。
そのような「魂の体験」がある。それを、現在の知的世界はとらえることができ
ない。「魂」は学術用語ではないといわれる。かわりにあるものは「心理学」だ。
だが、「魂についての探求」というものが、「心理学」という用語に置きかえられ、
アカデミズムに組み込まれた時、魂について語る行為は封印されてしまった。
人間がこれまでに魂の体験を追求し、そして、さらに魂の故郷である世界を
見出そうと努力してきたこと、その蓄積を受けとめ、それを今日における知
のカタチとして再創造すること。それがいま、必要ではないかと思える。
魂とは何か。魂はどこから来て、どこへ行くのか。そして魂が存在し、地球
に生きていることの意味は何か。魂は体とは異なる存在なのか。
答えなどあるはずないと思うかもしれない。
しかし、人間のこれまでの探求の歴史をふまえ、それをつなぎ合わせていくと、
ある程度のヴィジョンが開けて来るようにも見える。
魂とは実在する。そして、魂を生み出している「源」の世界がある。
そして、魂が生み出している「現実」の世界もある。
これらはどのような関係にあるのか。
魂を語ることは、宇宙を語ることでもある。
そのことを、言葉として整理し、理解しようとする――それが「魂のロゴス」
である。それは同時に、「宇宙のロゴス」でもあるはずだ。
私はここで、「宇宙」というイメージを科学から解き放ち、
魂の現実として示したいと思う。
ここでは、現代のアカデミズムが恐れて近寄ることがない、本質的な
問題が追求されている。
魂が身体とは異なる独自の生を生きていること、その「源」である霊的な
光の世界、魂の転生、宇宙の存在目的、そして、人間以外にこの宇宙
に住まう存在たちなど。これらはこれまでの歴史において真剣に探求
されてきたことであり、魂について本質的に考える場合には不可欠の
テーマである。
決して「ぶっ飛び話」でも「怪しい話」でもない。これらのテーマに対し何ら
かの態度を決定することなしに、本質的な思想はありえない。
過去の仏教、キリスト教、さまざまな神秘主義の流れ、そして現代に
おいて発見された、臨死体験や至高体験の地平――。
これまでの心理学や哲学ではとらえるできなかった、こうした魂の本質に
関わるテーマを考えること――『魂のロゴス』では、それを可能にする
「知のカタチ」を創造しようと願っている。
地球にある魂は、これからどのような世界へ向かっていくのか――
その、はるかな遠い未来に、何が待っているのであろうか――。
果てしなき過去から、果てしなき未来へ、
そして過去も未来も同時に存在する場所へ――。
「遠い未来の思い出」が、よみがえる。
>>789 よく、わかっちゃいるがやめられないという言葉を使うよな。
あるいは頭では理解しているのだが・・・という言い方も。
だが、本当はそんなことはありえないんだ。
わかってしまったらそういう行動には絶対にでれないからだ。
らっぱのいわんとしていることはわかる。
が、学者の悪い癖はその体験が万人の理解できるような形で
残しておきたいと欲するところにあるわけだな。
学者は分析する
自分が遭遇したあの神秘的な体験は一体なんであったのかと
そしてその結果取り逃がしてしまう。
あとに残ったのはせいぜい無惨にも切り刻まれた体験のくずが残るのみ。
体験はせいぜいがんばって残そうとしても
詩か、あるいは芸術ぐらいでしか残せない。
それでも伝えられるのは何割かだ。
何故と問うた時点で最初の間違えが始まっている。
何故は思考自身が本質の中に入ろうとする事を拒んでいるから起こる。
何故は必要ない。ただ入っていけばいい。
何故を脇に置き、遭遇するがままに出会えばいいのさ。
ん、オレか?
オレは逃した。(藁
が、少なくとも何故という段階はもう飽きた。
>>790 それもいいだろ。
思考という世界をもっと隅々まで探求してみることだ。
無駄であることをしるための無駄は、
実は無駄ではないのかもしれないからな。
言葉の影響じゃないな。
存在の影響。
ご解答ありがとうございます、ホホポさん。
>体験はせいぜいがんばって残そうとしても
>詩か、あるいは芸術ぐらいでしか残せない。
>それでも伝えられるのは何割かだ。
まったく同意です。そしてこの学者さんも同じ考えです。
「芸術」でしか示せない。だからこの方は、『魂のロゴス』を、芸術表現
としてお書きになられました。一人の表現者として。
そして何故学術的には表せず、『詩』ならばそれは可能になるのか。
『無限の詩学』という論文(?)でそのことを示しております。
私はこの論文で、何故らっぱちんさんの言葉が詩的表現になるのか
分かった気がします。神とか宇宙とか、そうした世界に迫ろうとする時、
詩的表現でしか表せなくなってくるのですね。その理由がありました。
>が、学者の悪い癖はその体験が万人の理解できるような形で
>残しておきたいと欲するところにあるわけだな。
確からっぱちんさんは、ご自身の体験を理解する道を探して思想哲学
を用いたそうですね。彼はその「地図」を欲した、と別のスレで仰ってお
りました。
私は思うのですが、理解から広がる体験もあるのではないのでしょうか。
ある適切な理解をもっていなかったために、せっかくの体験から素晴らしい
学びを得ることができなかった。そうしたことは多々ある気がします。
またこれはらっぱちんさんとFabbreaksさんのお話からの解釈なのです
が、「思考」が本質に切り込もうとするのではなく、思考こそが自己の本
質の形なのではないのでしょうか。
よくホホポさんとらっぱちんさんのお話を読んでいて、お二人の使う「思考」
という言葉が、別のモノを指しているように思われました。