スッタニパータを読む+ヴィパッサナーを実践する

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682名無しさん@3周年
>>680
釈迦は、「一切は無常である。だから無我(永遠不滅の我・真我などな
い)である。」と説いた。

なぜ、「一切は無常・無我」と言えるのかというと、それは一切が「縁
起」によって成り立っているからであると説いた。

「縁起」とは、ものごとはすべて、相互依存関係で成り立っており、そ
のもの単独で成り立つものはなく、一方が変化すれば、もう一方も変化
する。こうして常に、一切は変化し続ける、ということ。

仏典にいわく、
「これあるに依りて、かれあり」、「これなきに依りて、かれなし」
という、単純明快な因果関係。
これは、釈迦が土着信仰の迷信を排するために用いた、論理思考の根幹
です。
683名無しさん@3周年:04/12/21 04:27:00 ID:KcwKSlWe
>>680
(つづき)

また、ここで言う「一切」とは、

> みなさん、わたしは「一切」について話そうと思います。よく聞い
> て下さい。「一切」とは、みなさん、いったい何でしょうか。それ
> は、眼と眼に見えるもの、耳と耳に聞こえるもの、鼻と鼻ににおう
> もの、舌と舌に味わわれるもの、身体と身体に接触されるもの、心
> と心の作用、のことです。これが「一切」と呼ばれるものです。
> 誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と
> 主張するとき、それは結局、言葉だけに終わらざるを得ないでしょ
> う。さらに彼を問い詰めると、その主張を説明できず、病に倒れて
> しまうかも知れません。何故でしょうか。何故なら、彼の主張が彼
> の知識領域を越えているからです。
> (サンユッタニカーヤ 33.1.3)より

このように、現実を認識主体と認識対象とにわけて、その相互依存関係
(縁起するもの)を「一切」と呼んだ。

そして、「縁起」という根本思想に基づいて「四諦・八正道」という、
悟りにいたる道が示されるわけですが、こうした考え方は、極めて科学
的な観察だと思うわけです。
認知心理学のはしりとも言えないでしょうか。