松本史朗著「縁起と空・如来蔵思想批判」を読んだ。 個々人が信仰について真剣に対面することを軽視する歴史を綿々と 紡いできた仏教史と現状を嘆いた多分にセンチメンタリズムに流された なかなか興味深い内容だった。 この中で仏教は本来、知恵重視、平等主義、霊魂否定、輪廻否定、 反神秘主義、反苦行主義だと力説されているが、、実際の仏教史を見る限り 彼のいうことはただの理想論に過ぎない。 あえていわせてもらえば釈迦在世当時から仏教が知的であったことはないし、 不合理な差別を増長させなかったことはないし、神秘主義を尊奉して人々を 迷蒙の闇に追い込まなかったことはないといえる。 つまり仏教は始めから人類の敵として存在し、正しき人間としての発展を 阻害してきた害毒である。 松本史朗の論は全て誤りである。なぜなら彼は仏教は素晴らしいものだと 勘違いしてその本質を見誤っているから。仏教はオウム真理教やチベット仏教に 代表されるように常に怪しげな言説を振り回し人々を惑わす害毒である。 それ以外の存在では決してありえない。
2 :
名無しさん@3周年 :03/10/28 09:12
んっ・・・? キリスト教もイスラム教も 宗教は全てそうだろ。 なぜ仏教だけを・・・?
3 :
名無しさん@3周年 :03/10/28 09:22
世界三大宗教の中でキリスト教が最悪!! 仏教は一番マシ。でも有害には変わりない。
4 :
名無しさん@3周年 :03/10/28 09:26
オウムは自らを仏教といっているが、あれは仏教ではない。 オウムを引き合いに出して仏教を否定する1はただの無知。 逝ってよし ----------------------------終了------------------------
>>4 松本史朗の仏教説が正しいのであればあなたの論は正しいが、現実として
仏教がそんな状態だったことなどないからあなたのいうことは誤りだ。
>>3 最近キリスト教やイスラム教にくらべれば平和的だから優しい宗教だとか
いう間違った認識をもたれてるから。
訂正 >>6は>>2へのレス
8 :
名無しさん@3周年 :03/10/28 09:42
1は仏教への偏見があるらしい。 なぜそうなったの?
9 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/28 09:44
ROM記念
11 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/28 10:52
12 :
名無しさん@3周年 :03/10/28 11:54
13 :
髑髏派麺 ◆fC7rfSTUPw :03/10/28 12:04
わからないものにフタをして見ないフリする宗教=仏教
14 :
髑髏派麺 ◆fC7rfSTUPw :03/10/28 12:07
ゴミ分別ができなくて黒い袋にまとめてしまう宗教=仏教
15 :
髑髏派麺 ◆fC7rfSTUPw :03/10/28 12:08
わからないときの神頼み=空
16 :
髑髏派麺 ◆fC7rfSTUPw :03/10/28 12:10
カキコしてもROM記念
>>12 仏教徒じゃあるまいしそんなこと誰がするか!
18 :
名無しさん@3周年 :03/10/28 12:44
12はキリスト教徒でしょう。 火つけるの得意だから。
>>18 そうか?死体焼くのは仏教の専売特許だろ?
風土によるだろうが。
20 :
名無しさん@3周年 :03/10/28 12:48
>>19 いや、キリスト教は魔女狩りで生きた人間を火あぶりにした。
21 :
髑髏派麺 ◆fC7rfSTUPw :03/10/28 13:00
宅間は小学校に侵入し子供を惨殺して反省もない
左翼の言説に振り回される奴らよ・・
左翼や右翼も仏教と同じ害毒のひとつだろ。
24 :
名無しさん@3周年 :03/10/28 15:04
∧_∧ ∧_∧
_( ´∀`) (´∀` )
三(⌒), ノ⊃ (
>>1 ) 糞スレは・・
 ̄/ /) ) | | |
. 〈_)\_) (__(___)
∧_∧ .∧_∧
( ´∀) (´∀` )
≡≡三 三ニ⌒)
>>1 .) 立てんなって
/ /) )  ̄.| | |
〈__)__) (__(___)
Λ_Λ ∧_∧
( ´∀`) (´∀` ) と思ったけど、
( ) (
>>1 ) いいスレじゃん。
| | | | | |
(__)_) (__(___)
>>21 ここでその話をなぜ出すのか理解しがたいが、宅間も仏教徒だってこと?
>>1 にの論説には証拠(evidence)の部分がすっぽり抜け落ちている。
論文として評価すれば0点。
欧米では小中学生の時からきちんとこういうことを教えるが、日本では
こういうことは悲しいかな教えられない。
27 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/10/28 18:05
>>1 原始仏教スレッドで筋違いで的外れな質問を繰り返す割には断定的な物言いをするんだね。
>>25 >ここでその話をなぜ出すのか理解しがたいが、宅間も仏教徒だってこと?
この表現は、あなたは宅間さんよりもはるかに凶悪だということを
暗示させるので、注意すべし。
不明なところは追求せず思わせぶりであいまいな言葉に置き換えて自己満足する キモイ宗教の総称を仏教という
僕はどちらかというと宅間を擁護する考えです
仏教がなければ、オウムもまた存在しえなかっただろうしな。まぁでも仏教に罪はないか。問題は仏教に 触れろ人間の側にある。
>>27 やあこれはこれは南無〜〜〜〜。
サンジャヤみたいな方がお好み?
33 :
名無しさん@3周年 :03/10/28 21:19
俺は無神論者だが、外部から見てキリスト教よりも仏教のほうが遥かにマシ。 仏教には、宗教紛争やその結果としての大量殺戮はほとんどない。ただ、法華経 系の闘争的なところは本当に困るが。
34 :
名無しさん@3周年 :03/10/28 21:22
>>33 闘争して守るに足るだけの真理が元々ない。
>>26 教外別伝(教えたものに意味はなし)、直指人心(言葉でコミュニケーションとれない)、
以心伝心(フィーリングでわかりなさい)、不立文字(文字にできない)、
輪廻転生(今世苦しいのは前世の因縁、政治が悪いわけじゃない)
こんなこといってるようなもんだめでしょ。
まあこの辺は禅宗のばっかりだから禅宗否定すりゃいいんだろうけど。
36 :
名無しさん@3周年 :03/10/28 21:27
>>35 禅は元々イデオロギーではなく観想の方法だから、
何とでも結びついて生き残っていける。
念仏と結びつけば念仏禅だし、
カトリック神父でも禅をやってる人はいるよ。
はからずも仏教徒であることを白状してしまった太刀タソ。
>>39 カトリック教徒が禅を行っているのを嘆くのが正しい仏教徒の在り方なの?
末法じゃない世がすばらしかったかといえば、とてもそうとは思えないけどね。
黄金の時代、青銅の時代、鉄の時代。
仏の教えを容れない禅が行われるという意味では末法の事象といえるかもね。
壊劫とかっていつから仏教の専売特許になったの?
46 :
名無しさん@3周年 :03/10/28 21:53
>>43 黄金、白銀、青銅では?
ただし、青銅の後が鉄という見方には賛成。
とりあえず知ってる単語を並べあげることにしたらしい。
>>43 そうだったったっけ。ご教授サンクスです。
ちなみに
>>43 は時代をへるごとに悪くなっていくというのは別に仏教の
専売特許じゃねえだろって言う意味で書きますた。
別に末法さしてたわけじゃないよ。
知らない単語じゃそもそもかけんわなあ。 てオレは小学生かい! ノリつっこみですた。
>>48 たしかにそのとおりだが、日本人が「世も末」というときには仏教的
末法のことを指すね。言いのがれは見苦しいぞ。
ちなみに黄金→白銀→青銅→鉄がギリシア、黄金→白銀→青銅→英雄→
鉄がユダヤだな。青銅で止まる例は知らないんだが、どこ?
>>51 そうか仏教的っていうより今時の若いもんは全くって言う感覚じゃないの?
見苦しいと思われても、意図が違うので別に思われたって痛くも気持ちよくもないぞ
55 :
名無しさん@3周年 :03/10/28 22:26
仏教の害毒を問う前に、それに関る人間が害毒を撒き散らすことを 念頭に置け。 仏教の害毒は、そのまま人間の撒き散らした害毒と捉えるべきだ。
そもそも仏教的ってなんじゃ。生きてることに興味なくして抜け殻に なることじゃねえのんか?
人間の撒き散らした害毒は、そのまま人間の遺伝子の撒き散らした害毒ととらえるべきでもある。
>>55 相関関係にあることを忘れないように。
それにそれをいうんだったらこの板の人間ほぼだめじゃんw
輪廻転生→先天的身体障害者への差別 肉食禁止→屠殺業者を卑下 女色禁止→娼婦を卑下 問答無用→師匠の絶対化→典型的カルト
62 :
名無しさん@3周年 :03/10/29 00:37
くだらん
仏教を正しく認識していると思われる人たち。 菩提達磨、聖徳太子、玄奘三蔵、臨済、空海、神会、明恵、栄西、 鈴木大拙、中村元、梅原猛、吉本隆明、中沢新一、麻原彰晃、大川隆法 高森なんとか、ダライ・ラマ14世ほか多数
仏教を正しく認識していないと思われる人たち。 竜樹、法然、日蓮、道元、袴谷、松本史朗、無着成恭など少数。 特に法然の勘違いは甚だしい。仏教と平等主義などこれほど似合わんものは ないというのに。
仏教を正しく認識していないと思われる人たち = 釈迦以外のすべての人々だと思うぞ。
>>66 そういう考えこそまさに仏教的。不可知論ゆえになにやってもなにゆっても
まかりとおっちゃうという。
まあ、戦争と虐殺ばっかりやってる イスラム、ユダヤ、キリスト教よりは全然マシだな。
>>68 あんたが今書き込んでられるのもソイツラのおかげなんだが。
福沢諭吉は欧州視察の際、汽関車や蒸気船に驚く人々のただ一人
これらのものを作り出す原動力になった思想があるはずだちゅーんで
キリスト教学んだらしいが、仏教がただ腰抜けだけを育てるものでしか
ないのであれば今後残っていてもらっては困る
70 :
名無しさん@3周年 :03/10/29 01:30
デクノボーになるのが仏教の悟りの境地だから ダライラマやガンジーのような非暴力主義になるのはしかたない。 彼らを腰抜けと呼びたけりゃ呼べばいい。ガンジーを腰抜けと呼べるなら 実際あんたは大したもんかもな。
71 :
名無しさん@3周年 :03/10/29 01:37
>>61 こりゃ厳しいところを突いてきますね。
>輪廻転生→先天的身体障害者への差別
これは輪廻転生を絶対的真実・真理と認識しうるかどうかにかかっています。
認識できるものにはなんの抵抗も無い「真実」です。来世に再び障害者にならないよう、今生での功徳を積むように言います。長いスパンで物事を考えるわけです。
でも信じてない者には差別にしか見えない。この隔絶に宗教の問題点があるわけですが。
>肉食禁止→屠殺業者を卑下
これは簡単。誰も肉を食わなくなればいいんです。
極地の人間はどうすんだって? そんなとこに住まないで食物豊かな南方に来ればいいんです。
南方は人だらけで入る余地無いって? 仏教は最終的には人類皆が執着を捨て解脱する=転生しない立場を目指すものです。ですから人口は減っていくはずなので、それまでお待ちください。
>女色禁止→娼婦を卑下
釈尊は娼婦にも親しく接したのは仏伝にも明らかです。女色を禁止したのは解脱を目指す出家者のみに対してであり、在家には許していました。
在家とはまだ出家できる立場になってない、それだけ功徳を積んでないので、最低限の性行為をして転生の果を残しつつ、功徳を積むしかなかったんですね。
>問答無用→師匠の絶対化→典型的カルト
これは釈尊の教えから遠く離れてますね。釈尊は自分を崇めることなく、己と法を拠り所にせよとおっしゃられてます。
つまり誰かの言の無条件に信じろとか、崇め奉れと言った途端、それは自ら仏教では無いと宣言したようなものです。
72 :
名無しさん@3周年 :03/10/29 01:38
>>64 ,65
ぜひ一人ずつ、無理ならまとめてでもいいから、どうしてそうなのか解説を聞きたいです。
おねがいします!
ガンジーは腰抜けじゃないねえ。 ところでガンジーって仏教徒だったっけ? ヒンドゥー教は仏教は自分らの1派だっつってから問題ないのかもしれんけど。 ちなみにガンジーも教養を持ったキリスト教徒とは話し合いができても 教養のない自国の人間の職業差別主義にはお手上げだったね。
>>70 普通一般社会ではデクノボーって侮蔑用語なんだが、あんたの中ではちがうの?
>>71 現実問題としてすなっちゃてるのはどうして
>>61 のようになっちゃってるけど
そこに仏教徒の関与は全くないかな?
ガンジーは仏教ではなく神智学を学んでいなかったっけか。
禅宗は道家の影響も強いからなにかっていうとこだわりを捨てよっていうけど 修行道場とか行くと、旧日本軍か帝京野球部かっていうぐらいギスギスしてて 非常に俗っぽいんだけどあれってどうなんだろうね? あんなんだったらわざわざ出家だのなんだのうたわんかったってええやん。
80 :
名無しさん@3周年 :03/10/29 12:05
81 :
名無しさん@3周年 :03/10/29 12:10
仏教と科学をくっつけちゃう、若い人って多いでしょ。 あれだけ、何とかして欲しい。 「科学で説明できるものじゃないんだ」って、 ちゃんと教えてあげて。
82 :
名無しさん@3周年 :03/10/29 12:10
1のカキコ大杉ないか?
>>1 が妄想を語るスレだからしょうがないっしょ。
84 :
名無しさん@3周年 :03/10/29 16:43
>>81 何処の世界にも原理主義はいるからな。
18世紀の住人だ、許してやれ。
85 :
名無しさん@3周年 :03/10/29 17:51
害毒だ、害毒だって他のものにあたってもどうにもならんぞ。
>>81 おれには科学的というか論理的に宗教を理解しようとする姿勢が日本つうか
アジア方面には足りない気がする。
日本人て理屈をこねるなとか、言葉で表せる物はたいしたこと無いとか、
野村のID野球より長嶋の勘だよりの野球の方が好きだったりするもんなあ。
>>83 ほんとにオレの妄想だったらどんなに良かったか。
悲しいけどこれ現実なのよね。
(ガンダム風?)
論理を超えたものが宗教だからだよ。 愛を、数式で現せるかな。 思いやりの気持ちを、物理学で説明できるかな。 理論やマニュアル通りの人生ってもんが、一つでもあるかな。あったとして、それが素晴らしいと思えるだろうか。 宗教を論理で理解するのは自由だが、それは宗教でもなんでもないってことだよ。
宗教がないのと科学がないのとどちらが困るかといえば、やはり科学だな。 愛なんてものは宗教がなくたって存在しうるが、生活の利便さは科学がないと存在しえない。
90 :
名無しさん@3周年 :03/10/29 22:33
91 :
名無しさん@3周年 :03/10/29 22:51
逆に言うと、原理主義にさえならなければ、仏教は無害でしょ。 変な倫理を押しつけたり、集団を暴走させるだけの内容もないし。 (・∀・) イエッ
>>88 もし従軍しなければならない状況になったとしてあなたみたいな上官の下に
だけはつきたくないですね。
93 :
名無しさん@3周年 :03/10/29 23:12
妄想?
94 :
名無しさん@3周年 :03/10/29 23:47
愛・思いやりは宗教とは無関係です。 科学は愛・思いやりを否定なんかしません。 むしろ愛・思いやりを無視しているのは宗教。
95 :
名無しさん@3周年 :03/10/29 23:58
いいんじゃない、それで。 俺の人生じゃないし(w
>>95 あなたのまわりは思いやりや愛に満ちた人が多そうですなあ。
正直うらやますい。
97 :
名無しさん@3周年 :03/10/30 09:06
>>太刀さん 一度カトリック教会においでください。
>>97 やらせてくれる若いシスターいます?
私も1回シスターor巫女or尼と制服着た姿でやってみたいですなあ。
しかも神前で。
>>98 若いシスターそのものがいません。
そのうち、シスターも恐竜みたいに絶滅するんじゃなかろかww
>>99 色気があれば40代でもOKよ。
オレ20代だけどねw
>>101 いくつくらいが多いの?
カソリックって孤児院やってたりすんじゃん。
そこで育った娘とかおらんの?
>>102 50代以上が多いかと。
カトリックの修道者もおいそれとはなれんから(学歴、選抜過程)、
その点では、世襲制の仏教寺院の方が若い女性も多いかと。
104 :
名無しさん@3周年 :03/10/30 09:42
おまいら不謹慎すぎるぞ! おれもまぜろ・・・
>>103 別に本職じゃなくて見習とかでいいんだけどね。ほんとに信仰に篤い人だと
遊びで寝るにはちょっと後ろめたいしw
>>104 どうぞ
>>105 終身請願でない方は、ヨーロッパ辺りはいざ知らず、
日本ではもう殆どおられないかとw
時代も違いますしね。
107 :
名無しさん@3周年 :03/10/30 10:29
ステファニーが萌え!
坊主の知り合い何人かいるが、みんな宗教的信念とかじゃなくて家が寺だからって 理由で職業として坊主やってる。 宗教的にはどうだかしらんが、これって日本特有なんだろうけど、はっきりいって インドとかチベットとかの坊主よりよっぽど人間としては日本の方が健全だよね。 俗社会に俗人として生きてるから。 孔子的にいうと出家者は畜生。
110 :
名無しさん@3周年 :03/10/31 10:05
>>109 宗教的境涯を極めようと考えるなら、日本の坊主なんて「くそ」です。
そりゃ俗界から見れば健全なのかも知れないけど。
111 :
名無しさん@3周年 :03/10/31 10:13
なんといっても「俗でありなさい」ってのが日本人の教えだからね。 熱心な僧侶こそ破戒者として扱われるのも当然。
>>110 俗界に相容れないものは全て糞です。
人は人の中でしか生きられない。それによって過ちも犯すし、
人と争うこともあるかもしれないが、それに背を向けてたらなんにもならん。
まして山の中入って我慢大会してるなんてもっての他だ。
113 :
名無しさん@3周年 :03/10/31 10:49
日本では宗教者に求められる姿が「俗」であるということだろうな。 現世利益絶対主義とでも言おうか。 ヨーロッパにも(カトリックで)修道院があるが、変わり者とは言われるが 自らに真剣で真摯であると、ある種の尊敬を得る。プロテスタントは無責任とか 言うから、日本と近いのかな。 上座部仏教では修行に打ち込めば打ち込むほど尊敬され、阿羅漢と言われる。 変に俗っぽいことやると、信仰を失うわな。 やっぱり求めてるものが違うんだと。彼らは、自分達と「違う」ことをやる人間を それもそれで一つの生き方と尊敬する広い心を持っている。 かたや日本人は自分らの「共同体」の考え=俗から離れるものほど忌み嫌う。 他人が自分らと違う価値観・生き方をすることを肯定できないと言うことだ。 心が狭いな。
114 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/10/31 11:30
だから宗教にはまるととりかえしのつかないことがよくおこるのだ。 多くは俗を否定し、俗よりすばらしいと勘違いしているからな。 俗と違う生活するのはいっこうにかまわんし、誰も文句なんていわんだろ。 無人島にでもいって他人に迷惑をかけず勝手にくらせばいいのだが、 俗を否定し俗を破壊するから忌み嫌われる。
>>113 面白いね。続けてもらえるかな?
そこをもうちょっと深く掘り返せば日本で仏教だと思われるものは
実は「日本経」(造語by梅原)に過ぎない、という話が展開できる
と思われ。
118 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/10/31 16:27
>>115 この文脈からなぜ「だから」と接続できるんだい?
>俗を否定し俗を破壊するから忌み嫌われる。
だれが?
チミの脳味噌を覗いてみたい。
120 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/31 16:33
>>115 そうそう、そのとおり。
俗を破壊してくる。
まさにそのとおり。
何度も私は経験がある。
根底にそれがあるから、断絶が深まるばかりだ(>_<)
>>チミの脳味噌を覗いてみたい あんたと同じだよ。あんたは自分の方が優れているという傲慢に満ちているかもしれないがね。
折角面白いレスがついたのに、変な流れにいきかけてるな・・・・。
>>113 より引用
>かたや日本人は自分らの「共同体」の考え=俗から離れるものほど忌み嫌う。
>他人が自分らと違う価値観・生き方をすることを肯定できないと言うことだ。
日本人は他の国民と比べると視野狭窄が激しい、という事かな?心が狭い
という表現を使っているが。とどのつまり
「自分の生き方は無条件で正しく、それと噛み合わない生き方は間違っている」
という妙な集団暗示にでもかかっているのが今の日本人(従来から?)の最大公
約数的要素と考えられるのかもしれない。
これを破壊できれば(破壊というよりも、単純に「他人の生き方もアリだと認める」
ように仕向ける、という事であり、恐らくはより視野の広い場所に出てこられるよう
にする、という意味だが)、恐らくは(このスレなどで)行われている不毛な議論も
半分は消失するような気がするのだが・・・・。
我々の思想こそ真理だ。真実など普通の日本人はいわんよ。 そういう発想をするのは宗教にはまった人たちだ。
124 :
名無しさん@3周年 :03/10/31 18:38
>>113 >>116 禿同。 禿同。 禿同。 禿同。 禿同。
仏教は入れ物だけあって、中身がない宗教だからな。俗に浸るのもOKでしょ。
いろんな意味で、日本人に向いている(w
世界では流行らないのも、同じ理由でしょ(ww
何度も書くけど、仏教は自然科学を取り込みやすいので、原理主義に走りや
すい。これだけ注意すれば、俗から離れてもいいんでないかい。
125 :
名無しさん@3周年 :03/10/31 18:56
ん? 妄想?
126 :
名無しさん@3周年 :03/10/31 19:08
仏教は、もともと宗教ではない お経もなかった 偶像崇拝もなかった 仏教をシャカ教と言わないところに 仏教の本質がある
イスラム教はマホメット教ではないし、教祖の名前をつけない宗教などいくらでもある。
>>113 アホか。日本では仏教のせいもあって俗でないほうが尊敬される。
セックスを我慢したり、肉食わなかったり、滝うたれたりする方が、一般人は
できないということであがめられるじゃん。
でもそんなもん人間社会(俗)で生きていくためには本来クソの役にもたたん。
夢の世界にいきてるわけじゃないんだから。
129 :
名無しさん@3周年 :03/10/31 20:14
>「自分の生き方は無条件で正しく、それと噛み合わない生き方は間違っている」 >という妙な集団暗示にでもかかっているのが今の日本人(従来から?)の最大公 >約数的要素と考えられるのかもしれない。 128が典型的な例?
仏教を害毒としてみる思想をとやかくいう人も 「自分の生き方は無条件で正しく、それと噛み合わない生き方は間違っている」 ことになるよ。 このスレに批判的な人すべてにいえる。
仕事帰りです。はい。
>>114 ,116
俺に出来る程度に続けたいと思います。ありがとう。
>>115 そりゃ、俗よりすばらしい(ものがある)という立場に立たねば、宗教が存在する意味がありませんな。
俗とまったく縁を切り、何の影響も与えないのでは、一代限りで消えていってしまいますね。
宗教の役割とは、常に「俗」に対し、その俗界の中で疑問を持つ者に別の選択肢を、常に目に見える形で提示すること。
もし「聖」という選択肢が無く、俗が唯一絶対であると言う偏屈な世界しかなかったら、この世はなんと「つまらん」ことでしょうか。
俗を否定し破壊するのではなく、別の選択肢を「提示」することに意味があるのだ。
>>122 そう、そのとおりなんですよ。
個性が大事と言うが、日本人の多数は誰もそんなこと思ってない。みんなそろって「中流」であるのが良く、極端な金持ちは認めないし、あえて清貧を目指せば言葉だけで賞賛し、心の中は「変人」扱い。
>>123 言葉で「我々こそ真理だ」と言わないだけで、なんでもツーカー、言葉に出さず「暗黙の了解」でことを進めてるだけです。
>>128 これは極端にぶっ飛んだ人間、成功をおさめた人間だけ。日本人は「生き方」として選ぶものを否定し、「結果」を出したものだけを賞賛する。
また、可能性の少ないことに挑むものも、バカにする。ごく一部の成功者のみを賞賛する狭い社会だ。
たとえば日本で宗教の道を歩もうとしたら「そんなことして何になるのか」と言う。何になるかが問題で、それを目指す道に価値を持たない。
あちらでは宗教的生き方を「持続」することに意味を見出し、結果にはあまり拘らない。
宗教とは成果ではなく生き方そのもの。かたや日本の「俗」とは結果第一主義で生き方にかけらの価値も認めようとしない。
132 :
名無しさん@3周年 :03/11/01 00:31
へぇー、日本人が? そうかー? どちらかと言えば何でもかんでも受け入れすぎて、 俗に言う日本人らしさは失われつつある様な… 他者、他宗教、異文化に対しても 結構受け入れてるやろ日本人は。 良し悪しは別でな。
宗教は聖と邪の両面を持つ。宗教を選択肢におくことは邪を選択することもありうるということだ。 俗の破壊とは邪の選択を意味する。また今は聖であったとしても将来 邪に変化する場合もある。 俗というか民主主義では聖を批判しているわけではなく、邪を批判しているにすぎない。宗教に邪がなければ 誰も宗教を否定なんてしないさ。絶対君主制なら権力の邪魔になるものは否定の対象になるだろうがね。
>>132 日本人の受け入れ方は自分にとって都合がいいとこだけ、いいとこどりなんだよ。
宗教の核、魂のかけらなどまったく取り入れてないに等しい。
クリスマスがいい例だ。形だけ真似して、信者じゃない一般的日本人は誰もイエスの生誕を祝ってない。
多くの宗教は信じる大切さとともに、それを表す形、戒律にも重きを置く。それが信仰生活を実践する上で実感を沸かせ、宗教の精神を俗に生かす方法でもあるからだ。
だが日本人はそれをまったく無視し、ただ「いいとこどり」、望みをかなえる玉手箱程度にしか思ってない。
初詣に訪れる日本人の多くは自分や親しい人の幸せのみを祈る。だが世界の平和を祈るものなんてほとんどいない。
個人的なことを祈ってうまくいったら、ちゃんと御礼に来る人がどれだけいるか? そのときは「私の努力が実った」と言い、神仏の助力など気にも留めないだろう。
日本人の受容など、その程度のものだ。
>>133 どんなものでも邪になりうる。資本主義だってそうだろう。
邪になりうるから拒絶する、選択しないなど、精神の発達しないお子様の所業だ。
あなたは火事になる可能性があるから火を使わないのか? 使うだろう。
なぜ宗教を有効に活用しようとしないのか?
聖になるものしか選択しないとは、成果にしか価値を見出せない日本人らしい。
俗は火事がおこるからといって火を否定することなどほとんどない。。 でも宗教は否定する場合が多い。宗教と火は同列に扱うのしおかしいよ。
137 :
名無しさん@3周年 :03/11/01 00:51
>>135 なぜ、日本人にそれが分らないのかが、不思議だよ。
実は、俺自身、そのことの気がついてから決断するまで15年ぐらい
かかっている。
もっと、周囲の人間が宗教を大切にしてたら、速く気づいただろうに。
>>135 自分のきにくわない意見は精神の発達しないお子様の所業だとのたまう。これがあなたの本質だ。
>>136 今の日本人の多数は宗教を否定しているように見えるけど?
そりゃ堂々と「宗教はあへんだ、信者はバカだ」とは言ってないけどさ。
>>138 それが俺の本質、大いに結構です。言葉を発するとは、自分の意見を相手に伝える行為であると同時に、願わくばその意見を聞いて自分に同調して欲しいという願望の現われでもあります。
純粋に客観的な立場で言葉を言うのは不可能に近い。
また、言葉で表現できることなどごく狭い世界であり、表現上どちらかを非難するようになるのも、仕方の無いことです。ただし全否定と勘違いされないような注意は必要ですが、私もまだまだです。
大半の国民は国家神道を信仰していました。 しかし、神道指令によって形式的に廃止されたため、 国家神道を信仰している人は政治的な分類では 形式上宗教を信仰していないとされています。 しかしながら、何ら本質は変わっておらず、 国家神道への信仰は依然根強いものがあります。
>>139 神父さんや坊さんをとやかくいう人はしらんぞ。そんなことやめろと思う人もいないだろう。
まぁ 統一教会等は変だと思ってる人が多いし、信者は脱会したほうがいいんじゃないかと思うと
思うが、それは霊感商法などいろいろ問題をおこししているからであって、それが変なことかね。
まわりの人間が仏門に入るといってもとめはしないけど統一教会に入るといったらとめたくなるね。
142 :
名無しさん@3周年 :03/11/01 01:19
理系の若い人がコロッて、騙されるんだよね。
>>141 そこが難しいところなんですわ。
ここは仏教スレだから仏教について語ると、日本で受容されている仏教とは、結局のところ資本主義に組み込まれた歯車としてのものであり、俗に対し別の価値観を提示する宗教としてではないんですよ。
「死体処理業者」レベルなんですね。寺は坊さん一家の「財産」(この考え方自体が仏教から離れてる)であり子に譲るものであり、それを維持運営するために葬式事業を営む。
宗教とは死体の扱い方を説くものではありません。自らの生き方を通して終生実践するものです。単なる「知識」でもありません。
でも今の日本で宗教処理業者から脱し、真の宗教者として修行に打ち込もうとしたらどうなるか。
先ほども書きましたが、偉業を成し遂げた者以外は認められることも無く、そもそもはじめようとした段階で止められるのが落ちです。
多くの日本人が認めている「坊さん」とは死体処理業者で、宗教者としてではありません。
144 :
名無しさん@3周年 :03/11/01 01:23
統一教会と創価は相思相愛
永平寺とか精神修行をさせてくれるお寺だってあるじゃん。
146 :
名無しさん@3周年 :03/11/01 01:33
>>143 仏教にそれ以上のモノを求めるのは無理でしょう(w
ちなみに、私は、それを悟って、仏教徒にはなりませんでした。
(´・ω・`)
邪になるからといって否定しちゃいけないのなら、共産主義も応援してあげないといけないのかな。あまり気がすすまんなぁ。
148 :
名無しさん@3周年 :03/11/01 01:47
>>145 道徳や倫理、生き方の教えなんかが付いてれば、良かったんだけどね。
基本としては好きだけど、宗教としては物足りないやね。
>>145 実際に修行を求め「在家」から出家して永平寺に行く人はほとんどが失望してるようですよ。ありゃただの跡継ぎ養成機関だと。
>>143 そもそもブッダ自身が死体や宗教のことにかかわずらうなと言ってるのに、死体処理が仏教に求めるものってのが、おかしいんですけどね。
>>147 共産主義にだって良い点はあるはずです。それを生かす努力をしましょう。
150 :
名無しさん@3周年 :03/11/01 02:13
日本人は、加工するのは得意だけど、新しいモノは作れない。 島国の日本人には、宗教を加工するのは、チト無理だったと言うことでしょ。
そもそも日本人がどうこうという民族主義はどうもねぇ。白人至上主義とかわらんぞ。
152 :
名無しさん@3周年 :03/11/01 13:10
結局、自分自身じゃないのかな。 何故、永平寺行って失望するの? すべては自分自身で感じた事でしょう。 すべてが無駄だったのか? もしそうなら、あなたの方にも問題があるんではないか。 私は永平寺では無いが、在家者でありながら某総本山で一応は行を成満しました。 もちろん「なんじゃ、こいつ?」って奴もいましたし、私自身「はぁ?」って思われてたかも知れません。 一人又一人と辞めていく中、何とか頑張りそれなりの「何か」を頂いた様に感じています。(最後まで続けた人数は8人だけ) 今だから言える 「行ってよかった!」
153 :
名無しさん@3周年 :03/11/01 13:59
>>151 日本人というワクを取っ払うと、自分の周囲の人間を理解するのは難しい(w
>>145 生意気そうな奴が入ってくると上に上がるエレベーターの中でまずボコボコに〆て
おとなしくさせるとかいう噂の寺かw
一応更正生施設にはなってるのかw
155 :
名無しさん@3周年 :03/11/01 16:18
やっぱり、仏教は宗教ではなく哲学なのか(w
スレタイに戻るが仏教が害毒じゃないと思う人は理由をいってみんさい。 まあ輪廻説とってるから無理だろうけどw
>>157 仏教もキリスト教もイスラームも資本主義も共産主義もどれだって害毒だよ。
だが、毒もうまく使えば薬になるのだ。
159 :
名無しさん@3周年 :03/11/01 23:15
良薬は口に苦し。ただ、苦いだけなんだよ。仏教は害毒ではない。それを使う人間の責任は重い。
160 :
名無しさん@3周年 :03/11/01 23:15
輪廻説…
昨日子供が同じクラスの見るからにいじめられッコそうな子供をいじめてたので
仲間なんだからそんなことしたらダメだろう。注意したところ
「他の子だっていじめてるじゃん」と全く悪びれずに言い返してきた。
自分の行いが悪いかどうかの判断ではなく、他の人間が同じことをやってるか
どうかが基準というのはいかがなものか。
ところで
>>158 子供かあんたは?
>>161 どうしてそういう解釈になるんだ? 子供かあんたは、と返しておこう。
頭痛薬を胃痛に使っても意味ないし、かぜ引いたときに塗り薬塗っても意味が無い。
だが、かぜ引いたときに風邪薬を大量に飲むのも意味が無い。
仏教だって何だってそうだろ?_
163 :
名無しさん@3周年 :03/11/01 23:48
だからこそ薬を飲まないように、日々の行いが大切だと言うんだよ。薬を飲むときは病気にかかった時だけだ。そうならないように、日々の行いが大切だということだよ
>>1 「縁起と空」だけ読んで感想書かないで、他の本読んだら?
とりあえず史朗ちゃんと袴谷君の論争を最初から追っかけてみるとかさ。
史朗ちゃんの批判宗学ってものがあるからあの本ができたわけで、単独で
読むから理想論に読んじゃったのでは?
いっぱい本あるよ。すっごく高いけど。
>>162 いいたいことはこうでしょ?
オウムによって悩みを解消した人だっているし、統一教会で結婚して幸せに
なった人もいる。教会のパンの配給で命をつないでるホームレスだっているし、
マフィアにひっついて今日の糧をえているのもいる。
不幸になるかならないかは利用した側の問題であって、そのもの自体に善悪は
ないっていいたいんだよね。
>>164 なんで?松本史朗って転向して正しい仏教徒=害毒の徒になったの?
だとしたら残念だね。仏教学者としてはどうあれ人間としては非常に
好感がもてそうだったのに。
ああまた一人好人物が仏教の毒牙にかかってしまったのか。
やんぬるかな。
>>163 薬がいやなら、健康にいい食事、でもいいな。ワカメでも大豆でも何でもいいけど。
>>162 よくわかってるじゃないですか。
その上で、他者に対し「押し付けない」ことも大事。人には人の生き方・向き不向きがある。それを否定するのではなく、共存することを考えるべきですな。
>>167 >
>>162 よくわかってるじゃないですか。
その上で、他者に対し「押し付けない」ことも大事。人には人の生き方・向き不向きがある。それを否定するのではなく、共存することを考えるべきですな。
自画自賛?
あなたの中では「正しい仏教徒」=「害毒の徒」ってことでいいのかな。 根拠が全然わかんないんだけど。 とりあえず、史朗ちゃんは宗学と仏教学との差異(本来はないはず)が 大きくなってきて、それを批判宗学(これはあの本出版以降に史朗ちゃ んが使う言い方)で明らかにしていこうとやってる人であり、そこであ の本が出たわけだけだよね。 ああ、俺は史朗ちゃん嫌いなんだよなぁ。なんで弁護してんだろ。
確かに扱う人間により毒にも薬にもなるが、毒になったときのインパクトが強烈だからな。
>>169 >あなたの中では「正しい仏教徒」=「害毒の徒」ってことでいいのかな。
根拠が全然わかんないんだけど。
とりあえず
>>61 参照。
>>170 正にあなたは仏教徒だよ。
173 :
名無しさん@3周年 :03/11/02 00:25
>>172 >>61 は反論されてじゃん。それに対するあなたのレスは意味不明と揶揄されてるし。
>>172 61読みました。過去ログチェックしてなくてスイマセン。
で、
>輪廻転生→先天的身体障害者への差別
>肉食禁止→屠殺業者を卑下
>女色禁止→娼婦を卑下
>問答無用→師匠の絶対化→典型的カルト
とのことですが、それぞれが主張された時代も国もてんでんバラバラ
なんですけど、それをすべて釈尊が主張したかのように言うのは問題
ではないでしょうか。
最初のカキコに「仏教は初めから人類の的として存在」とあるわけだ
から、釈尊在世の仏教に対する批判でないと、あなたの主張が成り立
たなくなるわけですよね。
ちなみに
>輪廻転生→先天的身体障害者への差別
そこからの解脱、涅槃を得ることが仏教の目的です。
>肉食禁止→屠殺業者を卑下
「自分のために特別に用意された肉食」を釈尊は禁じましたが、それを
生業としている人を釈尊が卑下したことはありませんね。
>女色禁止→娼婦を卑下
娼婦が一心に観音様を見たいと念じると観音様が娼婦の姿で現れる、
ってお経に書いてありますので、卑下したと断定するのはいかがでしょうか。
>問答無用→師匠の絶対化→典型的カルト
釈尊の弟子が釈尊に質問を繰り返していますので、とても問答無用と
は言えません。
176 :
名無しさん@3周年 :03/11/02 01:06
害毒といっても、仏教に限らず何処の宗教も腐敗してるんじゃない? 漏れの知ってる破戒坊主の話を一つ 漏れの知人(友人ではない)で何処の宗派は知らんが、かなりの生臭坊主を知っている。 そいつはかなり確信犯的なゲーヲタ住職で有ったのは確かだ。 何しろ、大学に在籍していた当時実家に帰れば勿論住職を継がなければならないので 可能な限り留年していた奴だし。(奴曰く、好き勝手出来るのは学生の間だけだからと平然とのたまう始末) 金が無いからと言っては先輩・後輩を相手に賭け麻雀を吹っ掛け、現金をせびり取る始末 普通はバイトして金を稼ぐとか考えるモンだが、その辺りが一般人と考え方が違う。 そして、一番最悪なのは無類の女好きにして手癖の悪さ、これが一番酷い。 何しろ確信犯的なので、まず一般的な女の子をターゲットにしない。 奴のターゲットは男慣れしていないゲーヲタ・アニヲタの女の子を集中的にネトナン・チャトナンしては 喰いまくる、その理由はイパーンの女の子とはケコーン出来ないのから(奴曰く、同じ宗派の寺の娘しかケコーン 出来ないそうだ)ケコーンする迄は好きにするさとの事。 極めつけは、精進潔斎をする筈の聖職者で居なければならないに拘わらず上記の行動を繰り返し、 奴の実家近くの太平洋戦争戦没者関係が毎年行う終戦記念日の法要に参加し、あろう事か自分が唱えた 経文で戦没者の良い供養になっただろうと事も無げに言い放つ神経が、人間として終わっている。 戦没者の中には女性を知らないままに戦死を遂げた人も居るだろうに、その供養にこんな輩が唱えた 経など聞きたくもないだろう。 この分では浮かばれる者も浮かばれないだろうし、こんな事が許される仏教界も腐敗してると思う。
>>175 ゴメンナサイ。
×「仏教は初めから人類の的として存在」
○「仏教は始めから人類の敵として存在」
>>165 ○輪廻転生からの解脱を目指すだなんだいってても、輪廻転生を認め
生前悪事を行ったものは来世に報いを受けるとか言うたわけたことを
抜かしてる限り、当然金でなんとかしてもらおうとか、金くれたら
良い来世に生まれ変わらせてあげますよとかいうイカレた連中を生み出さず
にはおらんだろう。
○屠殺業者を直接卑下せんでも肉食は悪業をつむとかいったらどうしたって
卑下されちまうだろう。
○女が教団入ったお蔭で500年で仏教は廃れるとかいわんかったっけ?
大体男に生まれ変わらんと女のままじゃ成仏できんとかいう話あんじゃん。
娼婦は観音を念じなくたって鏡を下半身に向ければ見えるじゃん←これはネタ
ちなみに娼婦蔑視と書いたのは半分ネタだ。本当は女性蔑視
○問答無用についてだが、唯摩の沈黙雷鳴の如しというのなかったっけ?
日本の仏教徒が糞だったのかしらんけど、議論とかって最終的には
軽く見られてた気が済んだが気のせい?
でお釈迦さんの意図が違うんだとしたら誰がねじまげたんだ?
直弟子か?2世代目か?中国人か?チベット人か?朝鮮人か?日本人か?
現実として仏教は今の被差別部落民問題とかに大きく関与してきただろ。
まあ浄土真宗はちがうのかもしれんが。
○
>>177 あんたも律儀だねw
きっといい人なのだろう。
こういういい人が仏教に取り込まれることによって破滅していく姿は
正直見たくない。
余計なお世話なんだろうけどね。
>>178 おいおい、ちゃんと71にも反論してやれと。って実は俺が書いたんだがw
>抜かしてる限り、当然金でなんとかしてもらおうとか、金くれたら
良い来世に生まれ変わらせてあげますよとかいうイカレた連中を生み出さず
にはおらんだろう。
こう言う奴は自ら仏道から外れたことを宣言したのも同じ。
昔のように文盲多くて自ら仏典や解説書を読めない時代なら糞坊主のいうことを鵜呑みしてしまうのも仕方ないが、この現代においては言い訳にもならんよ。
キリスト教におけるドイツ語聖書刊行のようなもので、一信者が自ら仏と対峙すべきものであり、偉い坊さんが言ったことを鵜呑みにするのでは仏教者とはいえない。
自灯明法灯明の意味が分かっているなら、な。
>>178 1輪廻転生
釈尊在世当時はお金でなんとかするっていう観念がないわけですから、
後世に付加された意味を釈尊が主張したように言うのは誤りです。
2屠殺業者
肉食は悪業を積む、も釈尊は主張してないわけです。これまた後世の付加。
3女のままじゃ成仏できん
フェミニストがよく使う主張箇所(法華経にあり)ですが、法華経の別
の箇所には女も成仏できると読める箇所がありますよ。
4維摩の黙然
維摩さんは問答無用を主張したんじゃなくて、「言葉で説明できないも
の」を説明せよって言われて、他のいろんな菩薩が空を用いて説明した
のに対し、沈黙という形で説明したわけですね。
というわけで、あなたの主張が後世の付加に対する各論だったらまだ
しも、それを原始仏教への総論として誤って捉えた上で、それをオウム
なんかと同一視して論を展開するという二重三重の誤りを重ねています。
>>181 じゃあ百歩譲って
>>61 でのオレのいってることは妄言だとしましょう。
お釈迦さんには、女性蔑視も肉食による悪行の積み重ねという観念も
言論弾圧の意思も、輪廻転生に差別主義もなかったとすると、
じゃあなんで今はこんなに浄土真宗以外の連中は真逆になったのかね?
まあ今は明治政府の唯一の英断とも言える廃仏棄釈によって俗化がすすんだから
浄土真宗以外もましになったけど。
>>182 >>まあ今は明治政府の唯一の英断とも言える廃仏棄釈によって俗化がすすんだから
うえー。あれこそまさに日本仏教が堕落した最大の要因なのに。
浄土真宗のように内面の改革によって生まれたのではなく、単なる俗の都合で決められた「肉食妻帯勝手たるべし」に乗っかった当時の仏教関係者は恥を知るべきだ。
もっとも、生き残るためには俗に屈服するのも仕方のないことだったのかもしれんが、純粋に宗教であることを突き詰めれば、断固反対し滅ぼされたほうが「正しかった」かもしれん。
だが「仏教の種を残す」という意地のために正しくない選択をしたからこそ、今でもなんとか生き残ってる、ともいえるがね。
>>181 >1輪廻転生
釈尊在世当時はお金でなんとかするっていう観念がないわけですから、
後世に付加された意味を釈尊が主張したように言うのは誤りです。
これはありえない。当時は貨幣経済の発達によって身分制度についても
実情と合わなくなって崩れて来ていた。
一方新興の金持ち連中がそれまでの慣習を捨てて金で来世を買おうとするのを
やめるわけがない。
大体布施は利益があるわよっていってんじゃん。
>>184 お金で何とかするってのは在家の概念、釈尊は出家の人です。釈尊在世
当時は出家と在家が明確に分かれています。また、釈尊在世当時は文字
通り「布」を施しています(分量も決まってます)。金銭ではありませ
ん。出家はお金触っちゃダメです。
それと、
>>182 で
>>61 を妄言とされてますが、すると一番最初の主張に示
された根拠が誤りであることを認めるわけですから、「釈迦在世当時か
ら仏教が知的であったことはないし、 不合理な差別を増長させなかった
ことはないし、神秘主義を尊奉して人々を 迷蒙の闇に追い込まなかった
ことはない」と言えなくなります。 つまり「仏教は始めから人類の敵と
して存在し、正しき人間としての発展を 阻害してきた害毒である」とい
うあなたの論は成立しませんよ。
「釈尊在世当時から」とおっしゃっているわけですから、釈尊在世当時の
根拠をお示しください。廃仏毀釈の話は2000年も後世の話ですので、あな
たの主張からずれてしまいます。
>>185 百歩譲ってっていってるやん。
>>183 いやああのお蔭でやっと畜生から真人間に戻れたんでしょ。
>>186 あんたの「真人間」って定義はよくわからんけど、「社会で一成員として生き、子をなし社会の発展に寄与する」ってところかな?
チベットスレにも書いたが、そんな「俗」っぽいことするんじゃ一般人と何も変わらず、一般人の「理想」とはならないのよ。
日本の仏教界最大の失敗は、この日本から聖を取り除いてしまった点。
だいたいさ、明治政府としては仏教を聖の位置から引き摺り下ろし、神道を唯一の「聖」に崇め奉りたかっただけでしょ。
それが戦後は神道も聖から俗に落ち(人間宣言など)、日本には聖がなくなってしまったということ。
>>187 どーでもいいけど向こうもこっちも同じ人?
ところで日本てそんなに素晴らしい社会だったんだあ。
道理であの廃墟の中からこれだけの復興を遂げるわけだわ。納得。
>>188 おんなじ人ですよー。俺もコテハンつけたほうが良いかね?
それにしても、俺とあんたは正反対の判断・評価をするみたいですなw
戦後の急速な復興に、聖を捨て俗に生きるのが方法として「有効」だったのは認めるよ。
でもそれは俺が言うところの「資本主義教」という宗教=薬が有効だったというだけ。
今や物質的には満たされ、精神的飢えに悩む時代において、宗教という薬を見直す時期が来たと思うのだ。
>>189 そして第3次世界大戦へってかw
ちなみにオレ仏教は害毒だっていってるだけで宗教否定してないんだけど。
法然は素直にすごいと思うし。惜しむらくは仏教を飛び出せなかったことだな。
とりあえず俗人の私は俗人の勤めとして糧を得るために仕事に戻ります。 ちなみ修業道場とかにいる連中って社会的には失業者って言う扱いには ならんのだろうか?
>>190 でもあなたの仏教否定の根拠って、61程度のことなんでしょ?
それは俺からすれば仏教から「はなれた教え」、言い換えれば別の宗教と言ってもいいぐらいのものだから、仏教が害毒と言うのは伝わってこないんだよね。
それにいろんな書き込み見てると俺の言う「精神的」宗教そのものを否定してるように読めるけど?
あんたの認める宗教が仮にあるとして、それを俺は宗教とは認められない気がする。
>>191 はいがんばって。俺も寝るよ。
修行者の立場は国(の宗教観)によって違うだろうね。失業者という見方は資本主義的生産行為に寄与しているか否かにすぎないから。
>>186 百歩譲っちゃったら、あなたが主張される「仏教は害毒」の根拠の根底
が崩れたことになることを自ら認めたことになりますよ。
でも、根拠の根底が崩れていることは僕が指摘したとおりです。つまり、
あなたが主張される「仏教は害毒」には根拠がないことになります。
廃仏毀釈は釈尊の時代からず〜〜っと下った話ですから、最初の主張と
ずれちゃいますけど……
>>183 の主張は正鵠を得ていますね。おっしゃるとおりですし、坊主も
反省すべき点ですね。
なんか逃げに入ってるような気がするな。追い詰めてもいいんだが・・・
どうするかな?
>>1 で明確に
>つまり仏教は始めから人類の敵として存在し、正しき人間としての発展を
>阻害してきた害毒である。
こう主張してきているわけだな。で、論拠として挙げられているのが
>>61 と。
ところが
>>61 にかかれているのは、原初の仏教とは何の関係もない話ばっかり
なわけで、それを元に仏教は最初から人類の敵だったうんぬん言われてもね。
で、ここを突付かれると、とたんに
>>188 のように話題を変えようとしているわけで。
これに関する総論は
>>194 の通りなわけなんだが・・・
さて、反論できるんかな?w
厨房確定で放置か?
とりあえず
>>1 よ、あんたはあんたの主張をバックアップする為に、
>>61 で挙げてる
項目が全部釈尊その人の主張である、という資料を提出してはどうかね?(出てくる
わけがないが) 100歩譲って、って書いてるけど譲る気はないよ。そもそも譲るか
譲らないか決めるのは、あんたと討論しているサイドの人間だという事を忘れない
ように。自分で自分のミスを「100歩譲って」なんていう人種がどこに居るんだ?
これについてまとも(誰が読んでも矛盾を感じない、という語義)なレスが返ってこない
なら、謹んで
>>118 の最後の文章をあんたに贈ろう。
118の最後の文章や195の最後の文章が仏教が害毒であるあかしのように思うぞ。 もっとも仏教発生当時から害毒てあるとは思わんしその逆かもしれん。 また118もや195が全く仏教とは無縁な人たちならばそうとはいえんだろうけどね。 思想が害毒かどうかはそれに触れた人の発言、人となりで判断するのがいいような。
なんていうか、仏教って俗世間の道徳からすれ ば「害悪」以外の何物でもないような気がする んだが。 諸行無常・諸法無我なんて、ラディカルすぎて ビビるよ。ドロワが「仏教ほど反実体論的な思 想はない」なんて言ってるけど、それも然り。 常識は無常だし、我々が道徳の根拠だと思って いることにも、実は根拠がない。一神教は、そ の他の神が登場すればすぐ道徳の底が抜けて役 に立たないけれども、そうした無常を悟ること によってこそ慈悲が成り立つなんてある意味無 茶苦茶なことを言っていて、それが実に痛快と 言えば痛快だと思う。 ナショナリズムの幻想も共産主義の幻想をも打 ち砕く仏教、これ最強。
>>197 >ナショナリズムの幻想も共産主義の幻想をも打
>ち砕く仏教、これ最強。
そこまで仏教を昇華できれば、問題無し。現代思想に耐えうる思想なら
学ぶ事に何も問題は無いはず。俗世間の道徳なんぞ気にする必要なし
(つか、ニーチェの系譜学に触れた人は既にそんな価値観は脱却してる筈)。
現代思想に耐えうるのが仏教なら誰が何を言おうが邁進すれば良いし、
逆に耐えられないのなら躊躇無く捨て去って良し。
今のとこ、「学んでみる価値あり」っていうのが私のスタンスなので耐え
うるのか耐えられないのか答えは出ていないんだけどね。
ドゥルーズの差異の哲学なども噛み合わせて読むと良いかも。
199 :
名無しさん@3周年 :03/11/03 16:44
哲学としての仏教ならニーチェを読めば十分なんじゃないか。(w ドゥルーズ・ガタリもいいけど、宗教もいいよ。(w
「宗教そのものは悪ではない。が、既存の宗教団体は殆どが悪である」
by ゲーデル
>>199 ん、どうだろね?何をもって十分とするかは個人差があるから。
徹底的に踏み込みたかったら最古と言われる仏典(スッタニパータになる
んかな?わたしゃ別に経集至上主義じゃないけど)まで読破したくなる
場合もあるっしょ。“哲学としての仏教”っていう言い方をするなら龍樹の
哲学だって捨て難い。ニーチェで十分だ、と考えるならそれで十分と思われ。
差異は当然個人に応じて生じてくると思うんだね。仏教哲学に関してなら
哲学板にスレ立ってたよ。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1034422567/ いちお宗教について言うなら信仰は一人で黙々とやっとればいい、他人に
これみよがしに見せびらかすような信仰はただの露出狂だと思うんだね。
とはいえ、これも我見に過ぎないから。
さて、私は何を信仰してるんだろうなぁ?
>>200 宗教の本質って、価値観を共有しないで一人で生きるか、価値観を共有して
みんなで生きるかの違いだと思うんだよね。
そう言う意味では、あなたの信仰してるのは自分自身だと思うよ。
嫌味じゃなくて、自分自身を信じられるというのは、素晴らしいこと。
私は、排他的な宗教者じゃないので、自分教もOKですよ(w
202 :
名無しさん@3周年 :03/11/04 18:31
やっぱ、あれでしょ。 明治以後、日本の国教としての地位を明け渡し、もはや滅びの途上にある宗教。 セルシオに乗りたくもなるだろう、キリスト教的価値観で、仏教の聖なるモノ が破壊されているのだから。
ただいま。先程留置場から帰ってきました。理由は聞かないで。テヘッ!
オレのレスはろくなことかかれとらんがまあ良しとするか。迷妄の徒だし。
とりあえず適当にかえしとくか。
>>192 >>61 程度って言ってる時点であんた社会不適合者だからさっさと出家でもして
人間やめれば?
>>193 補足しとくと失業者を悪いだなんていってないぜ。
人間社会に生きてる失業者→人間
人間社会を飛び出した出家者→畜生
まあ日本には出家者なんぞいないが。そこは日本が世界に誇れるとこだね。
>>194-195 禁止してたっけ?
お釈迦さんて肯定する時沈黙でこたえるんだろ?
反対してなけりゃ肯定だろw
205 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/11/08 11:01
>>204 仏教は一如の法門なり。
鑑みなされ。
>お釈迦さんて肯定する時沈黙でこたえるんだろ?
>反対してなけりゃ肯定だろw
どうかと思うよw
まあ人の脳みそ覗いてみたいなんていう奇天烈な趣味はおれはもちあわせとらんから そういう趣向はわからんけど。 おれには東南アジアとかにる上座部?の坊主とかのどこがいいのかサッパリ わからん。素直にビル・ゲイツとかの方がいいじゃん。 とりあえず追い詰めるなら追い詰めていいよ。道家とか禅の言葉を使うと アンフェアかもしれんが、所詮仏典に釈迦の真意がかかれてたかなんて 証明できんもんなあ。 概念にしても松本史朗「無我」と中村元「無我」じゃ180度違うし。 確実なのは、2500〜2600年位前にできたとされる仏教とかいうもんが この体たらくだということ。 まあ生臭坊主の方が山こもって苦行ばっかやってる奴より数億倍ましだが。 あとおれの考える真人間ての社会で日常生活送りながら時には失態演じても 常にその社会の中でどう生きればどうやればいいかを暗中模索している人。 人が訪れない山の中篭ったりして、篭んなくてもいいけど。清浄ぶってる連中ではない。
>>205 ツッコミサンクス。ボケタ甲斐があった。
これから久しぶりにセックルしなきゃいけないので、本日はこれにて失礼。
明日からは11月場所だ!!!!!!!!!!!!
魂とか心って言葉嫌いだけどいい相撲はホント心が洗われるよね。
朝青龍、千代大海、時天空、安馬、期待してるぞなもし。
宗教家として大成するよりも、実社会で大成することの方が大変であり重要だと いう事実にいつになったら日本人は気付くのだろう。 まあヘタレが多いから目を背けてるだけだろうが。 宗教でもプロテスタントみたいに社会を発展させる原動力になるものもあるが、 仏教は神を特に設定しないから理不尽な制約がなくて自由そうだけど祖先崇拝と 結びつきすぎちゃって硬直化しちゃってんのよねええ。 まあ正直日本人にゃそれが仏教だろうがヒンドゥー教だろうが大した意味ねえしなあ。 なんで日本の仏教徒って梅原猛みたいな不遜な連中が多いんだろう。 仏教的理解としては?の松本史朗の方がよっぽど仏教への愛が感じられるぞ。 かなりキリスト教っぽいけど。
209 :
名無しさん@3周年 :03/11/09 10:05
宗教家としての大成って?
>>209 池田大作とか、文鮮明とか、大川隆法(宗教とはいってないんだっけ?)とか
一派をたてるに至った連中。あ〜あと高森なんとかもいたな。
211 :
名無しさん@3周年 :03/11/09 13:29
それだったら確かに宗教家として大成しても…
>>211 世界3大宗教の開祖だってわからんぞ?
釈迦は家庭崩壊賛助者っていわれてたし、イエスは反政府運動の指導者、
ムハンマドはもろ侵略者。
はたからみりゃ50歩100歩。ただ古いからなんとなくいつのまにか市民権
得ちゃっただけでしょ。
漫才がエンターテイメントの主流になっちゃったようなもん。
ちょっと乱暴な理論だと思うな>「ただ古いからなんとなく」 ただ単に古いだけで支持されてるわけではなかろう。 なぜなら古くに現われた思想や宗教はもっと沢山ある。 が、現在世界中にその信者を残しているのはその3つだけだ。 『長期間にわたり宗教競争を耐えて生きぬいてきた』ってのは 立派な評価すべき項目だと思うね。
>>213 >長期間にわたり宗教競争を耐えて生きぬいてきた
生き抜いてきたのは人であって仏教ではない。
ちなみに滅びた思想には価値がないとでも思っているのか?
オレは仏教を見て思うのはよくこんな糞宗教に支配されながら人々が生き抜くことが
できたな。という人間に対する感嘆だけだ。
素晴らしきかな人間。偉大なるかな人間てえことだ。
>>214 >ちなみに滅びた思想には価値がないとでも思っているのか?
は?そんな事どこに書いてあるんだ?
お前の腐った脳に書いてあるんか?妄想を自分以外の存在に
押し付けするのは止めような。迷惑だぜ。
>オレは仏教を見て思うのはよくこんな糞宗教に支配されながら
あぁ、お前の脳内理論では「仏教は人を支配する宗教」なんだな。
てゆーか、それ新宗教「太刀山教」の教義か?
誰一人説得できてないぞw
そうか!このスレは新興宗教の腐教祖「太刀山」の布教スレだったんだな!
おもしれーから説法続けてみな。
どれくらいトチ狂った珍説を吐くか聞いてやる。
仏教にかかわると215のような言葉をはくようになるのかな。 だったら仏教には未来永劫かかわらないほうがよさそうだ。
>>216 論理的な反論ができなければ
内容と無関係な人格攻撃
くだらねー
>>215 人を支配しない宗教なんつうもんがあんのかよくその貧弱な胸で考えてみな。
支配=悪っていうどうしようもなく程度の低いインチキ自由主義もなんとか
した方がいいと思うけど。
オレは仏教に支配されるのはご免こうむりたいだけ。
話それるけど最近の人たちは考えるという行為は頭で行うっていう認識なのね。
219 :
名無しさん@3周年 :03/11/12 12:43
ところで仏教って どんな教えなの?
>>219 現実に不幸な人がいても「不幸ということに執着することが迷いなのだ」
とかなんとかわけわからんこといって、手助けせず見捨てる宗教。
221 :
名無しさん@3周年 :03/11/12 22:36
不幸なのは、偽物の自分で生きている証拠です 本来の自己で生きていれば快適です ですから、まず今自分と思っている自分は偽物です その偽物があれこれと頭脳を使って思考していることは自分にとって 有害ですから、少しでもそれをやめて、瞑想する時間を作っていくと 変わってくる。そんな感じです。
222 :
名無しさん@3周年 :03/11/12 22:52
だから、不幸だー!と思ってるから不幸なんでしょ? 思ってるのは自分なんだから<思わなければいいだろう 仏教だとかくのごとく簡単に処理できる 次のかたどうぞ
>>220 あなた、やっぱり空の概念がわかってませんね。空の世界に執着した著空者ですね。
大乗仏教わかってませんね。「縁起と空」読んでその程度なんですか。
仏教が害毒だと批判するなら、仏教分かった上で批判しないとダメですよ。
でも、あなたの「仏教は害毒」という論は釈尊時代の仏教を元にしているわけ
だから、またしても時間がズレてますよ。
もうおよしなさい。恥の上塗りするだけだから。
224 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :03/11/13 01:28
>>220 皆さんがお勧めしている本をもっと読みなさい。
仏教的にはまず、
1 不幸であるというが、なにがどう不幸なのかその内容を先ず誰でも解るように記述せよ
2 その不幸を冷静に因果関係を追及して整理しよう
3 そして解決できるものは解決する方針を立て、どうしても解決できないものを列挙しよう
4 更に深く洞察しながらそれらを解決していこう
となるのです。いきなり「執着するから迷う」なんて言いません。
あんたはバカです。
225 :
名無しさん@3周年 :03/11/13 05:02
なんか 電波男さんが親父で 113さんがオカンだな。 いい役割だ。 二人をあわせて、悟りだな。 そんで太刀山型の土俵入りさんは 感情に素直なガキンチョ。 このバランスがあれば生きていて楽しい。 しかし、いつまでも生きている訳ではない。 それまでに、強くならなきゃ。
226 :
名無しさん@3周年 :03/11/16 04:32
太刀山型の土俵入りさんのレスは、口調は意地悪で極端なところもあるが、漏れは禿同だ。
反論されている諸氏は、頭が良さそうで性格もまともそうだが、
仏教から派生している現実的害を身をもって体験したことはないかもしれない・・・・。
漏れは短期出家したこともある程のまあまあ熱心な仏教者だったのだが、
そこの教団は仏教カルトだった。仏教系カルトではなく、仏教カルトね。
その教団の僧たちは、表面上は、ちゃんとした坊さんたちだったのだよ。
実態は、悲しいことに
>>61 がモロに当てはまっていた。
61のみならず太刀山型さんのレスはだいたいそのカルトに当てはまっていた。 身震いしながら一気に読んでしまったよ。 漏れは日本仏教が俗化していることを世界に対して誇りに思うし、 多くの日本人が宗教敬遠的な感覚を持っていることを誇りに思う。 日本に生まれてよかった。
仏教とか宗教とか以前の問題じゃ?(タチさん含)
>>227 61に対する反論は俺のレスでやってしまっているので繰り返さないけど、あれをもって仏教が害毒であると断じるのは無理だというのも、また繰り返すことでは無いわな。
230 :
名無しさん@3周年 :03/11/16 17:42
↓こいつに限って言えば、確かに仏教は害毒だ。 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1
哀れな中年おとこに愛の手をーーー 哀れな中年おとこに愛の手をーーー
正直ここでレス書いてるより好みのネエちゃんとオマンコしてる方が楽しいのだが
今相手いないからここでかくか。これも一種のオナニーかねえ。
>>221 現実から眼をそらして妄想の中に逃げ込めってことね?
>>223 そうね仏教わかってないかもね。優秀なあなたならわかりやすく説明できるんだろうから
説明してくれる?劣機のものには説明しても所詮理解できんとはいう素敵な言葉は
ちなみに間に合ってるんでそこんところよろぴく!
>>224 小生日本語もあやふやのところがあるので電波語というのは理解できません。
申し訳ないが現代口語訳してもらえます?
特に
>1 不幸であるというが、なにがどう不幸なのかその内容を先ず誰でも解るように記述せよ
幸不幸に定まった形なんかあんの?同じことがらでも人によって幸せと感じるか不幸と
感じるか違うだろ?
まあ仏教っていうのは個人の違いなんか認めないんだろうなあ。差別的平等思想だしw
あんまり過去にさかのぼってレスしてもしんどいから、一つだけ。
>>220 >現実に不幸な人がいても「不幸ということに執着することが迷いなのだ」
とかなんとかわけわからんこといって、手助けせず見捨てる宗教。
現実を良く変えるのはそれはそれでもちろん尊いんだが、それは政治のお仕事なんだよね。
宗教、とくに仏教としては、心の面から変えるのがお仕事。どんなにしんどいことでも、「しんどいしんどい」と自分を追い詰めても余計しんどくなる。
だからその心の受け止め方を変えましょう、少ないもので足る心を持ちましょう、ということだね。
地震が来た。震度4だったらこれで済んでよかったと思う。6とかで焼け出されたら自分は無傷でよかったと思う。即死したら苦しまず死ねてよかったと思う。結局痛い思いして死んだら、辛い現世からいち早く立ち去れてよかったと思う。
もちろん時々に応じて対策をするが、それはそれだ。あくまでも宗教としては心を問題にし対処していくものだから。
>>234 あはは。俺は労組活動大賛成なのだ。資本家なんかぶっつぶせ!
矛盾してないんだなこれが。内的には今の状況に満足する気持ちを持ちつつ心に波風を立てない。
だが外部に対してはより良い状況を作り出すために積極的に行動を及ぼす。
たとえば。他人にいきなり殴られた。そこでかっとなっていきなり殴り返すのは自分の心も体もまったく制御できてない、殴られたという思いに支配されてしまっている状態。
だが仏教(俺はテーラワーダ、上座部仏教の立場の人間だが)をちゃんと修すればこんな条件反射をしなくなる。
まず殴られたと言う事実について、怒りや憎しみを持たず、客観的に物理的事実として捉える。
そのうえで状況や、相手のことも考え判断を下す。いますぐ殴り返すべきか、言葉を持って諭したほうがいいか、無視したほうがいいか。
そして目に見える形で行動を起こす。
一般的には反射的に殴り返し、事が終わった後も鼻息を荒くし「まったくもう」と負の感情を引きずるでしょう。
ですが先の例では、瞬間に冷静に分析を行った上で意図してやったことで、自らの内面にまったく波風が立っていませんので、瞬時に冷静な立場に「戻る」ことができます。
殴られたと言う負の執着を持たないゆえになせることなのです。
資本家いなくちゃそもそも労働者生きていけないがな。
>>236 そんなとこ突っ込まないで、本題のほう突っ込んでよ。
このスレは、青木雄二氏追悼スレになりまった〜。
釈迦という いたずら者が 世に出でて 多くの人を迷わせるかな (一休) とあったと思う(不正確かも)。 一休さんは、風狂だの何だのいわれるが、彼こそ人間としてまともだと思うよ。 仏教に負けずに人間の自由を守ったという点で。 ところで、エイヘー寺のボコリ〆について、 太刀山型の土俵入りさんにもっと詳細キボンヌ。
>>239 それは一休さんお得意のとんちだよ。文字どおり受け取っちゃダメダメ。
仏教に負けずに人間の自由をって、これは宗教間論争でもなんでもなく、勝ち負けの問題でもない。ちゃんとした仏教徒ならそんな低いレベルで仏教を考えない。
「ちゃんとした」のがあまりいないのが問題なのかもしれんがね。
>>232 >現実に不幸な人がいても「不幸ということに執着することが迷いなのだ」
>とかなんとかわけわからんこといって、手助けせず見捨てる宗教。
見捨ててないですよ。たぶんあなたは「あ、わけわからんこと言ってる!」と
判断して「空を説く」ということをよく聞いてないんでしょうね。
「空を理解」して「空を説く」ということが大乗仏教で言う慈悲で、聞いた人
は「自分でなんとかしよう」と思うのがポイント。仏さまは見捨てているわけ
ではなく、自分でなんとかさせるように導いているわけです。だから「空」を
意識しなくてはいけないわけですね。最終的には自分でなんとかしなきゃなら
ないんですから、仏教はものすごく厳しい宗教なんですよ。
あと、
>>232 で
まあ仏教っていうのは個人の違いなんか認めないんだろうなあ。差別的平等思想だしw
ってあるけど、差別を認めた上での平等ってのが大乗仏教の世界ですよ。
>>236 足る心?何それ?食えるの?美味しいのか?
ほんとーに仏教徒っていいように飼い馴らされてるよな。これって日本だけ?
もともとの使用目的が国家鎮護だからしょうがないんか?
まあ去勢されてりゃ大人しくて搾取しようと思ってる方にはいいのかもしんないけど。
足る心なんつーのは、欲しい物を手に入れるために努力するのがめんどくさいくせに
結果だけはほしーなんつう夢見がちさんがもちゃいいもんで、しかるべき手段と努力を
行う人間には不必要だっての。むしろ必要なのは、自分が欲しいと思ったものは、
求めていいものかどうか?求めていいものであればどうすればいいのかという分別を
もちその分別に基づいて行動を伴わせることだって。
これができれば足る心なんつーのは必要さえない。
大体足る心なんつうもんが最も必要とされたのは人の命が塵芥のようだった
太平洋戦争中だろ?「欲しがりません勝つまでは!」ってね。
なんでこんないい時代に生きてんのに戦時下対応(しかも敗戦使用)しなくちゃならんねん。
>>239 修行道場の暴行事件なんて麓のお店の人とか、出所(下山)wしてきた
ばっかの若い坊主と酒でも飲みゃ普通に聞けるでしょ。
えーへ○寺ってあと少し前に集団でソープランド行って問題になんなかったっけ?
俺は金ちゃんと払ったんだったらいったっていいじゃんて思ったけど。
あとでかい寺ほどヤクザと繋がりあったりするらしい。
某映画に使われた大○寺にいた奴に聞いたんだが、某指定暴力団の幹部が
しょっちゅう来てたらしい。ああいう人たちって面子にこだわるから、
葬式は盛大にやらんと沽券にかかわるらしいね。
>>241 >>232 での差別的平等思想というのは私の誤りです。
平等的差別思想に訂正させてください。出家と在家で分けてんだから
どうしたって平等にはならんわな。
罪を育むものと、罪を祓うものっていう構図は生き続けんだろうね。
>>240 >「ちゃんとした」のがあまりいないのが問題なのかもしれんがね。
「ちゃんとした」仏教徒だったらオウムとかいっぱいいんじゃんw
「ちゃんとした」人間てことだったら仏教にはそういうものを求めること自体
ナンセンスだっていうことがなぜみんなわかんないんだろう。
現実みつめんのがこわいのかねえ。自分達の文化的根幹を否定するのは
つらいのかもしれんが逃げてるだけじゃ解決せんだろう。
オデは純潔ではないぞ 時ならぬ時16歳で童貞を捨てたぞ 血分けサークルでな、がははははは オデは純潔ではないぞ 時ならぬ時16歳で童貞を捨てたぞ 血分けサークルでな、がははははは オデは純潔ではないぞ 時ならぬ時16歳で童貞を捨てたぞ 血分けサークルでな、がははははは
武蔵丸が引退したけど日本がもっと忍耐を強いるだけの糞宗教が支配 する国じゃなくてもっと文化的な宗教が根幹にある国だったら、 きちんと休めて復帰できたのかなあ。まあそんな理性的な国だったら 大相撲から理不尽さが失われて面白みが半減するとは思うが。 大相撲を楽しむものとしては仏教は痛し痒しだねえ。
>>242 誰も努力するな、無意味だ、なんて言ってないでしょ。
宗教の役割とは、努力して報われない人を救うところにある。
世の中みんながみんな分別があり、努力して報われるんならいいんだけど、現実は無理。
1億円求めて得られても次は2億欲しくなるし、次は3億ときりが無いよ。いくら求めたって得られない、きりが無い。
そこでほどほどで満足する心を持つ、それが仏教。
あんたの言う分別こそが仏教の教えなんだがなぁ。
戦争はむしろその分別を国民そろって無くしたところに問題がある。足る心があれば、さらなる発展や覇権を求め侵略なんてする必要なかったでしょ。
足る心を持たず、一時の努力・やせがまん(欲しがりません勝つまでは)でさらなる欲望を求めたのがあの戦争であり、仏教と対極です。
やせがまんと「欲を少なく足るを知る」はまったく別物。
>>244 この世はどう考えたって平等じゃないからなぁ。
だからって「仏教は差別的!」ってのは、ちょっと待った。
心の中で「俺は差別されてる」とぶつぶつつぶやきこの世を儚んで損してるのは自分。そういうネガティブ思想を勝手に持ち、振り回されてる。
まず仏教では、その段階で「あんたは勝手に自分で落ち込んでるだけ。そんなの自分が辛いだけ。まずは現状で満足する心を持ちなさい」と意識革命を迫る。
その上で、外部に対し現状を改善する働きかけを促す。
そりゃ、外部に対しても「私は差別されてる現状に満足してるんですけどね」なんてそぶりを見せたら意味無いんで、他人から見たら差別に憤懣たる思いを持ってるようには見えるかもしれない。
だが内部は鏡のような水面のごとく穏やかで波が立たない。
235で上げた話のようなものね。
この世は差別的であると言うゆるぎない事実と、個人的な受け取り方と、改善するために起こす行動はまったく別なんですよ。
差別に憤りつねに内心もかっかと怒りをたぎらせ落ち着かず、外部にいつも攻撃的なのがいいのか。
差別を事実と受け止め内心はいつも穏やかで、でも現状打破のため柔軟に「怒り」を演技のごとく表せるのがいいのか。
>>245 あんたが「ちゃんとした」人間とはどういうものと考えているかはちとわからんが、動物のように必要なものだけ食べて生きるのではなく、自分の必要以上に金品を溜め込むことに喜びを感じ、それを努力と賞賛し、足ることを知らない者のことかな、もしかして?
なにに満足するかなどという価値観はひとそれぞれてあり、あの価値観がよく、この価値観が悪いなどと 勝手に決め付けるものではないだろうな。まぁ あたえられたもので満足しているようでは発展はのぞめないと思うけど。 科学の発展など必要なものだけ食べて生きるだけの人にはなんの意味もないことだろうけどな。
>>244 またやっちゃいましたね……訂正しなけりゃ表面上はよかったのに。
>平等的差別思想に訂正させてください。出家と在家で分けてんだから
>どうしたって平等にはならんわな。
ハイ、これは間違いです。釈尊時代は出家と在家のカテゴリーが全く違いま
すので、同じ土俵で評価することはできません。差別とか平等とか、両者を
並立させて考えようとするだけムダです。
大乗仏教の時代になると「差別的平等思想」でOKってことになります。
両者の違いを認めた上で、すべての衆生を我が子のように見るのが仏ってわけ
です。ところが、あなたはそれを訂正されていますので、原始仏教も大乗仏教
もわかってないってことが明かとなりました。みっともないですね。
そうそう、そろそろ
>>61 に示された根拠が釈尊在世当時にあることを示しても
らえませんかね?
253 :
名無しさん@3周年 :03/11/19 05:20
113・164さんは 「今の仏教は有害だけど、釈迦の時代は有益だと認めてくれ」 という主張ですか?
>>253 正しくは「釈迦の時代の仏教は今も有効である」と言いたい。
俺は大乗を否定する気は無いのだが、いまの日本仏教は仏教とはとても言えなくなってる面が多すぎる。
255 :
名無しさん@3周年 :03/11/19 10:30
>>254 どの宗派ですか?
浄土真宗は駄目ですか?
おろかな人間が仏教をゆがめたのです。 阿含経に真理がある。
>>254 そんなに素晴らしく有効ならな衰退するのはおかしい。
やはり仏教は差別がありすぎると思います。
たしか当初は仏教は女性を対象とせず
男しか救われないと唱えていた筈。
現在も女性立ち入り禁止の聖域を作り男しか修行さい。
これらはどうお考えですか?
>>255 浄土真宗は宗教的魅力にあふれてはいるけど、仏教では無いと思うんだよね。
あれじゃ一神教だし。
俺にとって仏教とはそのへんの人間ががんばってブッダになれる可能性がある点が最大の魅力。絶対神の助けとかではなくね。
真宗ではブッダ違い阿弥陀如来と言うどこの誰かさんかわからん人が極楽浄土に連れて行ってくれるそうだけど、個としての意識は残るんだよね? ってことは個体間のいがみ合いも残るって事じゃない?
少なくとも六道輪廻の展開でさえ輪廻の輪の中で苦の存在というところからすれば、俺にとっては浄土も同じように見えるんだが。
あまり詳しく知らないから間違ってたらごめんなんだけど、そういうのさえ乗り越え解脱を目指すところに、俺にとって原始仏教が魅力あるものとして存在してる。
>>257 難しいところなんですが、仏教には核となる真理と、実践論の2面があります。
ブッダは対機説法といって、そのときの状況や相手の理解度にあわせ、後者の実践論を柔軟に変えてました。
(だからと言って法華経を最後に唱えたなんてのは、後世のたわごとだぞ。法華経のよしあしの関わらず)
少なくとも「戒律」の面においては、それが当時のインドの状況での修行において必要だったわけです。
実際女性が色気むんむんだと、だらしない男には修行になりませんからねぇ。
したがって、戒律を筆頭とする修行論においては、時代に合わせ柔軟に変えていくことが必要です。だからブッダは死ぬ前に戒律は変えていいよと言って死んだんですが、法(真理)の解釈を変えろとは言ってません。
女性を立ち入らせないと言うのは当時の状況において有効だっただけで、今も絶対固守すべきものではありません。
この辺は正直、怠慢ですな。
かといって本尊を拝めとか題目を唱えろとか、極楽浄土が目標だみたいな法(真理)自体が変わるようなことは認めてません。
>>241 そもそも空なのになんで良くしようなんて思うんだよ。
やろうがやるまいが空なんだから同じじゃん。
後付け説明が必要だったり、誤解を招く表現なのであればそれは中途半端ってこと。
あんたとオレのやうにねw
261 :
名無しさん@3周年 :03/11/19 11:18
>>259 実践論で時代に併せていろんな宗派が誕生したけど真理は不変という事?
とすると、あなたの言う「釈迦の時代の仏教」って何の事になりますか?
真理だけの仏教(宗派)が存在するのですか。
ちょっと難しいですね。もう少し説明お願いします。
飛び入りですが、仏教には、いろいろな宗派があるのは事実です。 でも、一番大事なことは、ご先祖様への感謝の気持ち、 他人を思いやる気持ちでは無いかと思う。 簡単に言えばですが・・・。 だから、頭ごなしにあそこの宗派はダメっていうのも 敬いの気持ちが少ないのではと思う。少なくとも仏教に属している 者通しは共存に向かって行けばいいなと思います。
>>262 ここは仏教を否定しているのだから「あの宗派は駄目」は全然アリだと思う。
>>260 空に執着した人にありがちな誤答例ありがとうございます。
「みんな空なんだからなにやっても一緒」とはいっても、現実には苦の世界が
あるわけで、それをなんとかしたかったわけです。「なにやっても一緒だよね」
って主張する人を「方広道人」って言って、空だ空だと言っても空に執着し、
空がわかっていない人とするのが大乗仏教の立場。そこで、観心であるとか、
心・仏・衆生を無差別と捉える立場であるとか、空を用いた上での説明がなさ
れるようになったのです。
あなたがわかっていないから説明を追加していますが、仏教の主張を誤読した
上で声高に恥をさらしているのはあなたですよ。仏教わかってないのに批判す
ることの限界が、まだわかりませんか。
>>253 このスレの1がそもそもおかしな主張だということを言っているだけです。
そちらのご質問に合わせると、今の仏教は有害だとは思っていません。有益
だとか有害だとか考えた時点で、大乗仏教はウソになります。そういう立場
から離れて法を説くのが、現代には必要だと思っていますがね。
ちなみに私の立場は「一切衆生悉有仏性」「草木国土悉皆成仏」「諸法実相」
です(宗派わかっちゃうかな)。また、仏教の立場がわからなかったりする人
には、なるべくキチンとした仏教の立場をお話ししようと思っております。
>>260 このレスひとつをとっても、「空」の意味をとりちがえていることが明白だな。
>>260 仏教に二面性があるのは、俺は事実だと思う。内心と行動とね。
空の考えを有効に活用するのは内面において。つまりこの世は空であると「明らめる」。
だが外部に対しては、この内心の平穏さを保ったまま、改善すべく努力する。
ブッダだって最後は下痢便垂れ流して死んだんです。当然、痛みだって感じるんです。
それを痛い痛いと愚痴を言わない。痛いものは痛いと「明らめる」。愚痴を言っても始まらないから。
その上でそれを改善すべく、努力をする。
見た目はまったく同じでも、ただ愚痴を言って周囲を不愉快にさせるのと、淡々と対処するのの違い、かな。
>>261 仏教が他の宗教(特に一神教)ともっとも違うのが、ブッダとはただ一人の存在では「ない」ことなんです。
そこからこの問題が出てくる。
釈迦は誰だって仏陀になれるとおっしゃっております。過去にだって未来にだって。そういう仕組み、この世の理(ことわり)である「法」は唯一。
ただ、そこにたどりつく方法として、いろいろな手がありえるわけです。山の頂上にたどり着く道は何本もあるんですね。
釈迦は原始仏教にあるような手段を紹介した。
密教では大日如来が直接我々に語りかけてくる。
浄土宗では阿弥陀仏が我々を救ってくれる。
唯一絶対神ならともかく、かように仏教にはたくさんのブッダがおり、それぞれの方法で教えを説くわけです。
>>262 確かにそのとおりなんですが、「うちの仏様ナンバーワン!」という、衆生ゆえの狭い心もどうしてもあるんですよね。
本当に悟りを開かれた方なら、宗派の違いなど実践論・山の登り道の違いで、あまりこだわられないと思うのですが、世の中には唯一の道しか認めない方々もいて、頭の痛いことです。
>>261 113さんの
>>268 を勝手に補足させていただくと、仏教には「八万四千の法門」
という言い方があります。仏教で言う真理は1つだけれど、それにたどりつ
く道は84000通りもあるよ、ということです。ちなみに84000ってのは無量を
たとえています。
説明の都合や時代背景によって他宗を排斥したという事実はどうしてもありま
すが、他宗の排斥を目的に宗派が立てられたわけではありません。自分たちの
道筋を考えてゆく上で、宗派が形成されていったのです。ちなみに現代で言う
ところの宗派が形成されたのは中国だと唐代、日本だと平安時代になってから
です。それ以前も「宗」という言葉は使いますが、宗派という概念が明確では
ありません。
ちと話題が違うが、初歩的な疑問(不満)がずっと漏れの中にある。 仏教では、 ・断見も常見も否定した。 ・捨置記とかいって、「死後の世界はあるのか」とかのいくつかの質問に釈迦は黙して答えなかった。 とされているはずである。 漏れが不満なのは、あるなら「ある」、ないなら「ない」、知らないなら「知らない」 説くと問題があるから答えないなら「それは答えると問題あるから答えない」、 答えたくないなら「答えたくない」、 等々となぜハッキリ答えなかったのかということである。 だいたい、人から質問されて自分の態度を表明せずに黙っているというのは、 なんか偉そうでもったいぶった態度だと思う。 そんな奴実際にいたらキモイよ(漏れがひどい目にあった仏教カルトの教主はそうだったけどね)。 もっとさっぱりした率直な態度がないものか。 「毒矢のたとえ」にしても、答えになってないのだよ。論点のすり替えじゃないかな。 釈迦自身が「答えない」と答えた上で、その話を説得に使ったのならいいのだけどね。
272 :
名無しさん@3周年 :03/11/20 04:56
>>271 釈尊自身は「解脱の役に立たないから」と言って
いるが。
形而上的な問題をあれこれ考えて無駄に時間を
つぶす暇があったら、その時間使って修行しる!
ってことでしょ。「魂はある」なんて命題を立
ててしまったが最後、その形而上的命題の論証
のために莫大な時間と労力を使うことになる。
そんな馬鹿げた論証のために使ってられるほど
人生は長くない。だったら迷いや苦を停止させ
るよう修行したほうがいいわけで。
死後の世界というより、死そのものがない というのが真実じゃないの?
>>265 >宗派わかっちゃうかな
法華ですね
>仏教の主張を誤読した上で声高に恥をさらしているのはあなたですよ。
本人以外は多分皆気付いてるよね、これ
>>271 >等々となぜハッキリ答えなかったのかということである。
「修行には関係ない話だから」、とか「考えても答えの出ない問いに囚われる
のは、余計に苦を増やすだけのことであり、苦を滅する為の修行には無用」
とか考えられる理由は色々あるね
(だからといって釈尊が形而上学の弾劾者だったとは思わないけどね)
端的に現代思想から回答を引っ張り出すなら
ウィトゲンシュタイン曰く
「語りえない事は沈黙するしかない」
これなんかが良いかと
ちなみに「なんで何も答えてくれなかったんだろう?」という問いも釈尊自身
に言わせれば「そんな事考えてるヒマがあったら矢を抜け」ってなりそうでっせ
皆さんレスサンクスでつ。 「形而上学的議論を避けた」、「語りえない事は沈黙するしかない」等の理由でつか。 もし釈迦が輪廻転生・因果の法則(前世来世にすらつながる善因善果・悪因悪果の業報)を説いていたのなら、 「人間の魂は死んでも残り、死後の世界はある」と説くのが当然ではないかな。 当然過ぎる質問には「いつも話しているだろうがヴォケ!」と面倒なので怒って黙していたとか・・・・。 そうでなくても、「次からはもう、こういう話はしないよ。修行に何の役にも立たないからね。」 とか言ってコトワった上で、モロに語ってくれてもいいんじゃ・・・・。 普通、人間の悩みや興味は、いつの時代でも死ではないだろうか。 自分が死ぬのが怖いのは当然だし、身内などの親しい人が死ぬと、どうなったのかが悲痛なまでに気になる。 消滅したのか、天国にいるのか、自分のそばに霊となっているのか、・・・等々ね。 仏教で教えられているところを見ると、ごまかされているような気がしてならないのだ。 孔子は「いまだ生を知らず。いずくんぞ死を知らんや」(不正確かも)みたいに 「知らない」こと自体を表明している。 釈迦の場合は、気を持たせるような表現していて、なんだかなあ・・・。
>>275 「語り得ないことは沈黙するしかない」ではなく、仏の示す真理というのは
常に説くことができない、思議することができないものなのです。それを言葉
という“方便”を用いて説くわけですが、仮の手段であっても、それを用いて
しまった時点で真理から少しだけ離れてしまうのです。仏教にはそういったジレ
ンマがつきまとうのですが、とにかく釈尊は「ダメ」というときははっきり
喋りますが、OKという方向のときは基本的にしゃべりません。無言をもって、
真理を肯定していると考えてください。
また、釈尊は輪廻転生を仏教の目的として説いていません。結局は苦の世界で
輪廻することになるのですから、そこから“解脱”することが仏教の目的なの
です。それと、死後の世界はそんなに重要ではありません。生きているうちに
さとりを開く=楽の世界に入ることが、仏教なんですよ。
本当の仏教は阿含経の止息法にある。本当です。
278 :
名無しさん@3周年 :03/11/21 01:29
歯が痛くてこたえられなかったんだよ。うん。
279 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/11/21 02:29
ザッと読んでみたけど、太刀山さんの主張は極端ですね。確かに仏教にも多くの 負の遺産がある事は歴然とした事実です。ただそれでも僕にとっては、仏教の 根本思想はとても魅力的で、生きる勇気と喜びを与えてくれるのですね。
280 :
名無しさん@3周年 :03/11/21 05:11
いや魅力的と言う主張の方が極端に感じられます。 葬式仏教と言われて久しく、積極的に活動すれば創価・オウム化し嫌われる。 観光客目的のお寺。ボランティア活動するわけでもなし。 発祥地インドでの衰退と同じく日本でも先細りの感じがします。 全否定したくはないのですがすいません。 私も仏教徒ですが何とかしなければいけないと思ってます。 でも正直周りには高級車に乗る事しか頭にない奴ばかりです。
>>280 なんかとんでもない筋違いレスしてない?
>>279 をちゃんと読んでから
書いてる?ベロ氏の書込引用するよ。
>仏教の根本思想はとても魅力的
こう書いてるんだよ。それなのになんで昨今の既成宗教や新興カルトの
話を引き合いに出してるの?
断っておくけどあたしゃどっちの味方でもないよ。
282 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/11/21 15:44
やはり何をもって「仏教」と定義するのかが重要でしょうね。
仕事の合間に書き込んでみた。上司の目がちょっとドキドキ!
>>248 >宗教の役割とは、努力して報われない人を救うところにある。
勝手に自分で宗教の定義つくんなって。こんなもんあんたの希望でしかないだろ?
まだ仏教はっていうなら理解できなくはないが、(仏教がそうだというんじゃなくてね。)
宗教=努力して報われない人を救うところにある。
ていうには無理ありすぎんぞ。
こんな事キリスト教でいったら一発で異端にされちまうぞw
ちなみにねあんたのいうことがあってて、オレのいうことが間違ってたとして、
もともとの表現からして誤解されやすいものだということも否定?
誤解されるということは不完全だっていうことよ。
広告宣伝とかでも誤解されやすい表現はいけないってなってるのはご存知?
それともあんたら仏教徒の中では宗教だからとか、深遠な教えだからしょうがない
とかいう甘えた考えが成り立つんか?
深遠なものを俺みたいな下々の者にもわかりやすく話す。こういうことが
法然とか真摯な宗教者が歩んだ道だと思うのだが、まあ仏教徒にゃ関係ないか。
努力しても報われなさそうだから努力しないのが仏教徒。
努力しても報われなさそうだけどしないわけにはいかないので努力する結果として
望みがかなってしまうのが真人間。ああおれも真人間でありたい。
ナニ逝ってんだかさっぱりだが、とりあえずおまえが真人間でないことだけはわかった。
>>283 書き込みごとにつっこみどころ満載ですね。とりあえず1つだけにしますが、
>もともとの表現からして誤解されやすいものだということも否定?
>誤解されるということは不完全だっていうことよ。
経典においては、誤解が生じた場合や誤解が生じそうな場合は、仏弟子が釈尊
に質問しますし、ちゃんと釈尊は答えています。「そういうものだから」的返
答はしていません。釈尊の返答を聞くことで、仏弟子はキチンと納得するわけ
です。そういった問答を誤解をするのは、あなたが勝手な理屈に基づいて恣意
的な誤読をしているからです。不完全なのはあなたの理解です。
経典の内容をどう読むのか、釈尊に直接聞くことはもうできませんが、経典の
読み方に関しては世の中にゴマンと本があります。もっと真面目に仏教を勉強
してから批判してくれないと、野球場で酔っぱらって無責任なヤジとばしてい
るのと変わりませんよ。
286 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :03/11/21 20:48
明鏡止水 ROM記念
287 :
名無しさん@3周年 :03/11/21 23:16
>>281 ,282
根本思想だけが魅力的なのですか?
都合の悪い部分は目をつぶれと・・・。
現実の出来事も含めて仏教でしょう?
素晴らしい根本思想のくせには・・・。
>>287 どう読んだらそうなるんだ・・・?
悪いこと言わないからまともに会話できるようになるまで書込控えたら?
マジレスしてみた
>>283 早速俺以外から突っ込まれてますなぁ。
キリスト教で言ったら一発で異端? あんたは宗教裁判・魔女狩りの時代の人間か?
今はカトリックの神父が禅寺に修行交流に来る時代なんだがなぁ。
もちろん宗教は千差万別、いろんなものがある。だがそれなりに影響力のある宗教は、おおむね「努力して報われない人を救う」ためにあるもんだ。
キリスト教は行動に関わらず、信じれば救われる。
イスラム教は最低限のことやってればOK。つまり、余計な際限の無い努力なんて求めない。だって明日の予定決めるだけでも「アッラーが認めたまうなら」だもん。
仏教はちと複雑で、原始仏教は出家し修行に励む努力を奨励する。が、あくまでも中道を歩めというのがポイント。努力すりゃいいなんてことにはならない。
大乗に至っては、浄土宗などのように(極端には1回だけでも)念仏唱えてれば浄土に行けると言う「易行」を言い出した。
努力すれば報われますなんて、言うのは簡単。だが世の中にはいくら努力したってダメな人はいくらでもいる。そんな彼らに「あなたの努力は無駄でした。
現にお金もなにも成果がありませんね」と冷たく突き放すのが世間なら、そんな人にも救いの手を差し出すのが宗教ってもんだ。
290 :
名無しさん@3周年 :03/11/22 14:09
太刀山って電波男に死ぬほど論破された暇人こと三吉かな?
太刀山型の土俵入りさんは、なぜそこまで仏教が嫌いになったの? もともと仏教に深く関わってきた人じゃない? それとも、幼少期から仏教のことをキモイ宗教だとか思っていたの? 漏れの場合は今でこそ仏教に対してたいへん批判的で大いに不信感があるのだが、 実際に仏教に傾倒していろんな経験をするまでは、太刀山氏ほど強く否定できなかったよ。 漏れが鈍かっただけかな・・・。
朝青龍が優勝逃した。 ユーヴェがセリエとCLで連続敗戦。うーーーーーーーん。 つらいなあ。正に人生は苦だw
294 :
実行委員長 :03/12/06 01:09
止息法を知らないやつが、仏教をかたるな。 無限地獄に落ちるぞ。
295 :
名無しさん@3周年 :03/12/06 02:56
>>293 煩悩に泳がされてる。
自分に都合の良い解釈。
縁無き衆生は度し難し。
296 :
名無しさん@3周年 :03/12/06 08:16
>>294 止息法というものがそんなに素晴らしいものならば、
なぜ皆に既に知られていないの?
297 :
実行委員長 :03/12/06 09:37
縁起の法を体得しないと読んでも、体得できない。その辺が
298 :
名無しさん@3周年 :03/12/06 09:50
縁起の法を体得するって、縁起がそのまま見えるということかな? 禅宗で言う、不昧因果(因果をくらまさずor因果にくらからず)という感じでいいのかな?
縁なき仏教徒は度し難し。
300 :
実行委員長 :03/12/07 01:07
四念処観から、四聖諦を体得する。縁起の法を体得できる。 国訳一切経、1から3、7000円を6000円*2です。 止息法。示現経をしらないで、仏教は毒害とは、情けない。 死ぬとき後悔します。是非購入してみてください。 本当の仏教がわかります。
害毒シリーズ<今後のラインナップ> 害毒としてのキリスト教 害毒としてのイスラム教 害毒としてのインターネット 害毒としてのTV 害毒としてのクルマ社会 害毒としての外国人力士
止息法知らなくても生きてますがナニか? 止息法知らなくてもオネエちゃんイカセラレますがナニか? 止息法知らなくてもリストラされませんがナニか? 止息法知らなくても周囲と上手くやってますがナニか? 止息法知らなくてもご飯美味しくたべられますがナニか? 止息法知らなくても相撲楽しいですがナニか? 止息法知らなくてもユーヴェ大好きですがナニか? 止息法知らなくても給料もらえてますがナニか? 止息法知らなくても物壊したり、人傷つけたりしませんがナニか? 止息法やることによって、 ・ユーヴェ100連勝 ・朝青龍500連勝 ・伊東美咲とやれる。 ・渡辺謙アカデミー賞受賞 ・仏教徒が己の教義の非を悟る これが可能だたったら今からでもやってもよいよ。 しかし人としての正しい生き方模索して何を行ない何をしてはいけないのかを 終始注意深く行うよりも止息法行う方がよいとは仏教徒ってつくづく社会不適合者 だね。止息法がそんなにいいもんだったらブッシュでもビンラディンでもフセインでも いいから教えにいけば?まあブッシュだったらメジャーの連中叩き直すのが先だから デュポンの重役の性根を叩きなおしてたもれ
303 :
名無しさん@3周年 :03/12/07 12:22
>>太刀山型の土俵入りさん あなたにぴったりの本が出てます。 「バカの壁」 今のあなたのlimit a →0
>>303 サンキュー。一緒に読んで更正しようze
305 :
名無しさん@3周年 :03/12/07 12:47
>>303 行っておきますけど
わたしゃ
limit a → ±0.3 ←これの意味は本を読んで下さいね。
ぐらいありますよ!
でもでも、壁を取ったら、あなたはきっと素晴らしくなれますよ!
しかし、このまま年を取って、その壁が頑強になったら…
306 :
名無しさん@3周年 :03/12/07 12:49
縁なき衆生は度し難し の「縁無き衆生」のお話しが出ております。 釈尊は時代の先端で通用するんだモノ。流石です。
>>305 >行っておきますけど
この辺がオレと同レベルだと思うよw
まあ無知をさらけ出すより、無知を隠すことを恥かしがろうや
>>306 2000年前から進歩しない人類を悲しめ。
これが孔子や墨子の徒だったらきっと師の教えが今だに必要とされる
世の中に対して自分達の無力さを嘆くのだろうが。
恥知らずに礼賛ですが。流石仏教徒えすね。座禅と一緒に羞恥心忘れてきたの?
>>301 害毒としての太刀山型の土俵入り が、入ってないじゃないかーーーー(w
310 :
名無しさん@3周年 :03/12/08 06:38
松本史朗著「縁起と空・如来蔵思想批判」 という本を書店で見つけたので、買おうかなと手にとって開いてみたが、 とてもとても難しそうな専門書だったぞ。 もっと内容が易しい本で、仏教の暗黒面を解説した本はないかな〜?
>>310 大丈夫。大丈夫。この人は他の糞仏教評論家とか糞仏教学者と違って
「真理は言葉じゃ説明できないし、説明できないものこそが真理なんですよ!」
とかいうたわけた立場にたってないから。単純に読み物としてもおもしろいから、
買うのがいやなら図書館で借りてみなされ。
太刀山型は、どこまで分かってて どこまで分かってないんだ・・・(w
313 :
実行委員長 :03/12/08 12:36
止息法を読んだら、仏教の正しさがわかります。
またか・・・ 太刀ともども、ジョーブツしてくれ・・・
>>309 あなたと同じで害毒じゃない太刀山型の土俵入りなんぞいません。
316 :
名無しさん@3周年 :03/12/08 19:14
釈迦の姿はどう考えても化け物だよな。
317 :
名無しさん@3周年 :03/12/08 22:23
>>307 太刀山型くんへ
>この辺がオレと同レベルだと思うよw
その通り、そんなおいらが忠告してるんだ。
レベルが近いから言ってるのじゃ。
年齢も近そうだしね。
とりあえず読んでみて!!
無限大にして0になっちゃうのは、危険なのだ。
>まあ無知をさらけ出すより、無知を隠すことを恥かしがろうや
さらけ出しました。だって、±0.3だもん…
正常値は「1」なの。
天才は「∞」。 つまり凡人以下。一緒にNO無知を目指そう!
>2000年前から進歩しない人類を悲しめ。 なんと2000年どころか!!!! 専門家によれば、ここ3万5千年から、4万年の間、 脳は変わっていないとの見方が強いらしいよ。ビックリした? >これが孔子や墨子の徒だったらきっと師の教えが今だに必要とされる 宗教にこだわる事無く、だれでも必要な事だと思うよ。 まあ、いかに自分のものにするかだけど。 基盤にしてもいいけど応用力は必要でしょう! >世の中に対して自分達の無力さを嘆くのだろうが。 >恥知らずに礼賛ですが。流石仏教徒えすね。 >座禅と一緒に羞恥心忘れてきたの? 読んでから、言って欲しいのだが、「バカの壁」と「縁無き衆生」 の比較をして欲しいってところなり。 何を言っても受け入れてくれないので、客観的に本を読んでもらいたいのだ。 あにゃたの恥とはなんぞや〜。
>>314 キミの「成仏」という言葉の使い方はまったくもって正しい。
あなたぐらい仏教とも正しく言葉の意味を理解してくれたらいいのだが。
だけど私はあなたの要求にはこたえられない。まだ死ぬ気はないんでね。
「バカの壁」って養老たけし(漢字忘れた)が書いたやつだっけ? このおっさん脳のメカニズムも解明すれば人間の思考の不思議も解明されます! とかいってるのだっけ?(違ってたらスマン)それから進歩してんなら読んでも いいけど払う金と読む時間がもったいなさそうだなあ。 要約してどっかにうpしてくんない?その本の中に「仏教とは日本を愛してはならない」 とか「如来蔵思想は仏教ではない」とか「禅思想は仏教に非ず」とか、 「伊東美咲と市川由衣はイイ女」みたいな素敵なフレーズがあったら 読む気も起きるんだが。あと朝青龍こそ史上最高の横綱であるとかね。
>>318 >なんと2000年どころか!!!!
>専門家によれば、ここ3万5千年から、4万年の間、
>脳は変わっていないとの見方が強いらしいよ。ビックリした?
ハア?形状とか機能のこといってんのか?だったら、たかが4万年くらいで
著しく変わってたらそっちの方が驚くだろ?
宗教にこだわれないのはこだわるにたる宗教をもっていない証拠。
おれの恥をあんたらみたいの相手にした時知らない部分があった場合
そこを突っ込まれるのが嫌なんで発言を控えることかな。
そういえば昔ひとつだけ仏教に嫉妬したことがあった。 何かの間違いだと思うけど「ラーマーヤナ(表記これだっけ?)」で 主人公のラーマ王子が「輪廻を否定する仏教は盗賊と同じで地獄に落とせばいい」 とかいってる部分があるらしいんだが、この部分読んだときには、ヒンディーイズムから ここまで明確に敵視されるということに激しい嫉妬を覚えた。 まともな宗教を名乗るのであればこのラーマ王子の言葉は最高の褒め言葉だね。 老荘の儒家批判に匹敵するよ。 思想とか宗教って信奉者の褒め言葉より敵対者の罵詈雑言の方がよりそれを 光り輝かすことがあるからおもしろいやあねえ。 法然への明恵のナントカ論とかね。
323 :
名無しさん@3周年 :03/12/09 15:49
>>319 「おシャカになる」という言葉もあるね。
324 :
名無しさん@3周年 :03/12/09 16:54
太刀山型くん。 2chが気になるのは分かるけど、仕事中はまずいよう〜。 友人の会社では、仕事中に三国志のゲームをしてたのがバレタらしくて…怖
325 :
名無しさん@3周年 :03/12/09 17:06
>>320 断る!(ゴルゴ風)
だって面倒くさいもん。それに自主的に読もうとしてくれないと
それこそ、limit a →0 になるからなあ。意味ないじゃん。
進歩はしてるよ。むかしより、一般向けに話してるよ。
326 :
名無しさん@3周年 :03/12/09 17:14
>>321 >宗教にこだわれないのはこだわるにたる宗教をもっていない証拠。
そもそも、宗教自体の定義が曖昧じゃないか?
どこかの宗教にこだわんなきゃいけないのか?
あんたは何々教の教祖様だい?
自分の教義に合わない奴らは撲滅かい?
>おれの恥をあんたらみたいの相手にした時知らない部分があった場合
>そこを突っ込まれるのが嫌なんで発言を控えることかな。
すでに、つっこまれまくっているのは一体…
その妙なプライドは一体…
327 :
名無しさん@3周年 :03/12/09 17:20
>>322 法然への明恵のナントカ論とかね。
これって、明恵上人が、かつて人の批判をした事がないのに
仏教の教理に反しているからって、唯一批判をした奴だよね?
それ以外の法然上人の思想は認めてるらしい。
>>320 養老の脳がらみの本は読む価値がないという一点についてはおまえが正しい。
トンデモ本としてもはじけかたが足りなくて、つまらんの一言。
329 :
名無しさん@3周年 :03/12/09 22:16
太刀山型の土俵入り氏は、宗教自体は否定していないと書いていたが、 今何かの宗教に入っている? また、この宗教はいい!!と思うのはある?
>>328 あなたは慈悲の悲の意味を知っているのか?
この本を読んでもらう事の趣旨を踏みにじるか、
太くんが賛同して、拒否をするのなら、あきらめよう…
331 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/12/10 02:55
>思想とか宗教って信奉者の褒め言葉より敵対者の罵詈雑言の方がよりそれを >光り輝かすことがあるからおもしろいやあねえ。 仏教徒にとって、太刀山くんの罵詈雑言は全くもって痛くも痒くもないからねぇ。 太刀山くんレベルの罵詈雑言じゃ全くもって仏教が光り輝かないなぁ、残念。 明恵の法然批判って『摧邪輪』の事かな?確か岩波の日本思想大系の鎌倉旧仏教に 入ってたよ。
>>330 読解力の足りない人間にトンデモ本を読ませるという行為があなたのいう「悲」なのか?
>>324 大丈夫。心配ご無用うちの会社では2chはリサーチっつってればOKだから。
>>326 すまん
>>321 間違えてたは。正しくは
>おれの恥はあんたらみたいの相手にした時自分が知らない部分を
突っ込まれ無知を指摘されるのが嫌で発言を控えたりすることかな。
ちなみに↑って律蔵の大品に似たようなこと書いてあったかもしれんが
仏教徒がそんなこというわけないわな。見間違えか。
>>331 別に罵詈雑言じゃなくて事実をありのままに述べてるだけだが?
まあ所詮仏教徒にとって現実の世界は幻なんだろうけど。
>明恵の法然批判って『摧邪輪』の事かな?確か岩波の日本思想大系の鎌倉旧仏教に
>入ってたよ。
そうそう『摧邪輪』だっけ?法然の教義には『仏性』が抜けていると唯一法然の
ことを正しく理解した言説を書いてるのは?
法然が素晴らしいのは正しく「悟り」っていうものを否定したとこだよなあ。
はっきりいって法然て仏教徒としては「?」だけど、宗教家としては、
お釈迦さんはモチロン孔墨にも匹敵するかも。チト褒めすぎかな?
335 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/12/10 20:39
>法然が素晴らしいのは正しく「悟り」っていうものを否定したとこだよなあ。 そうだね。でも法然さんより以前に中国の善導和尚が同じ事を言ってるよ。 「凡夫の自分が現世で悟りを開く事など絶対不可能である、しかしだからこそ 阿弥陀仏の本願を信じ、念仏を称える事によって我らも救済されるのだ。」と ただ法然さんも善導さんも「自分は無理」と言っただけでそれを他者にまで 敷衍してはいないけどね。数ある仏教思想の中でも浄土教は基本的に悟り(智慧) よりも救済(慈悲)に重きを置いてますね。釈尊の考え方から見れば、浄土教は 釈尊仏教とは言えないかもしれませんね。
悟った人間がほとんどでないことを考えれば浄土教のほうがはるかに現実的なのかもね。
337 :
名無しさん@3周年 :03/12/10 22:15
他力は他力で難しいんだよ。ちょっと油断すれば 阿弥陀を信じきれない自分が出てきてしまう。 他力による信心決定も結局自力の悟りと同じ 厳しさがあるのことよ。 道は遠いのお
>>329 残念ながら孔墨に勝るものに出会ったことはない。
仏教とかヒンドゥー教っていうならばジャンクフードとか甘いお菓子だな。
口当りが良くて子供は大好きでよく食べるけど正常に成長するためには、
よろしくないっていう。
孔墨は豆腐とか納豆とか緑黄色野菜かな。子供は味があんまりしないから
好まないが大人になるほどその深い味わいがわかってしかも身体にもいいっていう。
>>325 =
>>330 ?
読ませたいんだったら読見たくなるような文言抜き出してくれ。
まあ養老のおっさんじゃそんなもん期待できそうにないけど。
親に会ったら親を殺し、祖師に会ったら祖師を殺し、仏に会ったら仏を殺せ!
とかは書いてないの?
これくらいのユーモアはほしいやあねえ。
>>338 別にそれは否定しない。
あなたに一番響くのがそれならば、それでよい。
ただ、個人的なものであって、万人には当てはまらない。
よって、むやみに批難をしてはいけない。
自分の常識は必ずしも人の常識ではないものだし。
謙虚さを忘れない事を願う。
誤った知識により(邪見)、徳の修養を獲得するどころか
徳から離れた言動が見受けられる。
>>340 >別にそれは否定しない。
いや間違ってると思うなら否定しろよ。
>誤った知識により(邪見)、徳の修養を獲得するどころか
>徳から離れた言動が見受けられる。
誤った知識(仏教という)ばかりがばら撒かれて目障りなのでついつい下品な文章
を書いてしまいました。
ああ夫子よ申し訳ありません。あなたの弟子の不徳をお許しください。
>>336 ほとんど出ないからといって、諦め放り投げるのはいかがなものでしょうか?
上座部仏教では仏陀を一人の人間と見、誰でも同じ修行やれば必ず悟れると言われます。
たとえ少なかろうが、今生において無理だろうが、いつか必ずきっと。
そして今生において悟りを開いた数多くの先達、阿羅漢がいます。
阿羅漢たちは実は嘘つきかもしれません。他人にはその悟りの内容は分かりませんからね。
ですが、そこで嘘吐きとは思わず、彼らを信じること、そこに原始仏教の「信仰心」があります。
少なくとも実際に悟りを開いたと言う人と対峙し、会話を交わすことが出来ます。
大乗、特に浄土門は、この今生での努力を「凡夫には無理」と決め付け、むやみに
はるかな高みにまで上げ、一神教のごとき信仰心を要求します。
阿弥陀仏だか浄土だか、それは本当にあるんですか?
もちろん、上座部の悟りも浄土も、どちらもあると信じることしか出来ないのには変わりはありません。
ですが阿羅漢は目の前に出来問答も出来、修行法もあって自ら実践し確認することができます。
でも浄土は確認の手段すらありませんよね。ただ阿弥陀仏の救済を信じるだけですから。
それじゃ自分は納得できないんですよ。自らの体をもって実践し納得する手段に、浄土門は欠けてます。
どちらが現実的と言えるでしょうか?
>>335 あんたの法然を学んだ上でのその増長慢には恐れ入る。
法然でさえダメなのに他の人間がどうやったら自力で救われるんだ?
どうかユヴェントスが美しく勝ちますように!おやすみなさいみなさん。
345 :
名無しさん@3周年 :03/12/11 00:06
もし日本に仏教が入って来ていなかったとしたら、今よりも良い日本であったのか。 仏教に批判的な漏れでも、「仏教がなかった方が今の世の中ましだった」とまでは言えない。 仏教の代わりにキリスト教が広まっていたとしたらどうだったか・・・イスラム教なら・・・・ 仏教の方がましだろうと漏れは思ってしまうw
>>338 誤った知識(無知という)に基づいて、粗野かつ無意味な仏教批判を繰り広げて
いるのはあなたです。あなたが言うところのジャンクフードの味を誤解している
のはさんざん書いたので、もう繰り返しませんがね。
>>342 どうやら末法観をお忘れのようですね。
時代が末法に突入したのが日本では11世紀、中国でも6世紀の話です。
原始仏教からかけ離れた時代に成立した思想を、原始仏教と単純に比較して
論じるにはムリがありますよ。
このへんは、仏滅の時に釈尊が仏像作るなと言っておきながら、ガンダーラで
仏像が成立した背景と、なんとなく似ています。
347 :
名無しさん@3周年 :03/12/11 00:37
>仏滅の時に釈尊が仏像作るなと言っておきながら これマジ? 初耳です。経典の根拠ありますか。 マジなら、釈迦を見直しました。
>>342 末法観も何も、像法とか末法という考え自体、大乗特有の考え方で、上座部では「は? なにそれ?」です。
でなければ今もって、東南アジアの国であれだけ熱心に信仰され修行されるわけが無いでしょう。
たしかに上座部のシステム(生産になんら寄与しない僧と、それを無尽蔵に支える在家)は、食物豊かな南方でなくてはなりたちません。
つまり、中国や日本のように「一日なさざれば一日食わず」な土地柄には合わないのは事実。
そのため仏像のように、実践法などを時と場所によって柔軟に変えるのもありだと思います。
だからといって、末法だ何だと、上座部を決め付けるのは無理があります。今でも十分に有効な方法であることは東南アジア諸国を見れば一目瞭然でしょう。
末法思想などは、上座部を敵視し自分らこそ正しいと思い込みたい大乗側のでっちあげだと思いますがね。
>>347 こんな話があります。
■とある、今にも死にそうな在家信者がいました。彼は死ぬ前に一度ブッダにお会いして死にたいと言ってました。
そこでブッダは彼のもとを訪ねられます。彼は涙ながらに喜びブッダを拝むのですが、そこでブッダがおっしゃいました。
こんな体を拝んでなんになる。この体などはお前と同様、いずれ死に腐り、朽ち果てていくのだよ。こんな物をありがたがるのではなく、真理を尊びなさい。
とまぁ、こんな感じ。ちゃんとした引用できる書物がちと見当たらなくてねぇ。
それとは別に、こんな話(というか研究)もあります。
■ブッダは輪廻を超え解脱した存在であり、この世から物質的に消え去った存在である。
したがってその身を物質的なものに表すのは、解脱という行為を否定することになってしまう。
とかなんとか。
『大パリニッバーナ経』(原典パーリ語)に、出家者は釈尊の遺骨の供養に 関わってはならず、在家者がストゥーパを作って供養せよ、とあります。 仏像という観念はここにありませんし、実際に印度北部で出土した石にも、 釈尊の足を描いて仏像に変えたもの(=仏足石)や、釈尊が座る位置に法輪が 描かれたものが時代的に最古です。 仏像がガンダーラにて成立するのは、どんなにさかのぼっても釈尊滅後300年 (仏教美術苦手なので、アバウトですいません)経ってからです。
>>348 上座部と大乗との立場の違いを言いたいのではありません。上座部は上座部、
大乗は大乗ですから、時代は末法だから上座部のやってることは無駄だなんて
考えてはおりません。
問題なのは、あなたの言葉で「凡夫には無理」と決めつけるに至ったその大乗、
特に鎌倉の時代的背景を飛ばして、阿弥陀仏の救済を信じるのは納得できないと
言われたことです。それでは論が性急に思えます。
「阿弥陀仏を信じるしかなかった」という時代であったから、念仏があれだけ
浸透したわけです。
>>113 おまえ、実はかなり変なこと言ってねーか?
浄土門を「大乗」の代表みたいな説明をすること自体に根本的な勘違いがある。
太刀山よりひどいぞ。
>>348 >上座部仏教では仏陀を一人の人間と見、誰でも同じ修行やれば必ず悟れると言われます。
悟れる(阿羅漢にはなれる)が、仏陀の境地には至れないとしたように記憶しているが。
>大乗、特に浄土門は、この今生での努力を「凡夫には無理」と決め付け、むやみに
では「悉有仏性」をどう説明するのか?
いかなるものも仏陀の域に到達できるという考え方で、大乗の基本概念なわけだが、
「到達できる」ということをもって「大乗」と呼び、「できない」としたことをもって
「小乗」と呼んだわけなのだが。
さらにいえば、浄土門でも、修行によるアプローチを困難なものとしているだけであって、
「無理と決めつけて」いるわけではない。
正直言って、仏性に関する上座部と大乗の立場を逆にとらえているように見うけられる。
>はるかな高みにまで上げ、一神教のごとき信仰心を要求します。
ダウト。きわめて有効な一つのアプローチという以上の提示はしていない。
「一神教のごとき信仰心」を要求するのは日蓮宗ぐらい先鋭化しているもの。
(信仰対象の否定が地獄行きを意味するかどうかが一つのわかれめ)
>>348 >末法思想などは、上座部を敵視し自分らこそ正しいと思い込みたい大乗側のでっちあげだと思いますがね。
単なるいいがかりだね。別に末法思想が正統的だとは言わんが。
大乗を敵視し上座部こそ正しいと思い込みたいおまえのでっちあげにすぎん。
>>352 ははぁ、なるほど。それはこちらが申し訳ないことをしました。
たしかに当時の状況をかんがみれば、念仏が浸透したのはよくわかります。
でもそれは歴史のお話で、この現代に生きる私達のことでは、ないですよね?
このスレは「害毒としての仏教」とあるとおり、私が、そして多分あなたが信じている仏教がこの現代社会において害毒だという話になってるわけです。
となれば、仏教の有効性をなんとか説明したいわけです。私としては。
で、自分は上座部の方法論は有効であると思ってます。でも浄土門はどうかなぁと、思ってるわけです。
>>353 仏陀と阿羅漢の違いを気にしてると思われるんですが、まず原始仏典においては釈尊も「阿羅漢の一人」にすぎません。
初転法輪で最初の5人が悟りを開いたとき、「これで阿羅漢は6人になった」と書かれてますからね。
で、仏陀の境地には至れない、という点が実は問題なんです。まだまだ勉強中の身なので間違ってたら長老の皆さん、もうしわけございません。
まず基本的に、悟りのステージとしては、上座部では阿羅漢=仏陀とお考えください。
その上でブッダとはなにか? これは、この地上に真理を(有史上)初めて表したシッダールタを特に尊敬して付けた「尊称」であると考えていただけると分かりやすいです。
ところが大乗においては、自分の救済のみを考える者=阿羅漢ということになってしまった。
そして仏陀は「凡夫には到底到達し得ないステージ」と規定され、そこにたどり着いた仏陀(この場合は釈尊だけでなく阿弥陀仏なども含む)をいわば絶対神のごとく崇め奉ることになる。
では阿羅漢では足りず、仏陀にもなれない凡夫はどうするのか。そこで「菩薩」が登場。仏陀を目指す者というやつですね。
だから、阿羅漢にはなれても仏陀にはなれないというのは大乗側から見た見解で、上座部側では違うものと言えます。
基本的にはイコール。その上で「この世で初めて」真理を現したゴータマ仏陀を特に尊敬し、「釈尊」とか「ブッダ」と言い表すわけです。
>>354 文章だと、ちょっとした誤解が大きくなってしまいますね。こちらも
注意せねばと思っています。
浄土門はどうしても念仏が目立ちますが、難行道と易行道とをキチンと
認識した上で念仏を勧めるわけですから、とかく忙しい現代を考えると
意義はあると思いますがね。
>>355 その答案だと、菩薩の捉え方が間違っています。上座部にも菩薩はあり
ますし、釈尊だって菩薩だった時代があります。大乗で大きく発展した
思想ではありますが、大乗固有の思想ではないですよ。
次は「悉有仏性」と、大乗と小乗の違いについて。 まず仏性ですが、んなもの上座部では認めませんと言ったら怒るかな? すべては無常であるというのが上座部の教えで、そこには仏性もなにもありゃしません。 そういうものは一切、存在しない。ただの幻である。そういう真理をわかることが悟りといえます。 仏性なんてあったってなくったっていいんです。そんなものさえも儚いもの、移り行くものであるということ。 で、大乗小乗なんですが。 阿羅漢=仏陀と考えてもらって差し支えないので、上座部では「誰でも仏陀になれます」。ただ、その誰でもの考え方が違うんだと私は思います。 上座部では誰だって「出家すれば」、少なくとも仏陀を目指すコースに乗れます。 ところが大乗が非難するのはそこです。出家しないとダメなんて「小乗だ!」って。 確かに今では比丘尼の伝統が途切れ、女性が出家できません。したがって女性差別だ、小乗だと非難したい気持ちも分からなくはありません。 でもそういう人は「輪廻転生」をどのようにお考えなのでしょう? 仏陀だって、数え切れない転生をし「縁」を積み重ね、2500年前にやっと解脱したのです。女性だって在家だって、縁を重ねて来世で出家できる立場に転生すればいいじゃありませんか。 なにも今すぐ、全員を巨大なボート「解脱丸」に乗せて解脱させる必要はないのでは? 大体、その「解脱丸」だって、乗るか否かは本人が決めることなんです。そして河を渡るのに大きなボートは要らない。一人一人がしっかりと自分という船を作り上げ、河を渡ればいいじゃありませんか。 したがって、上座部では今この瞬間だけを捉えれば、たしかに全員は出家できませんので一斉に仏陀にはなれませんが、最終的には縁を積み重ね誰だって解脱できます。 いかなるものも仏陀の域には到達できます。できないなどと決め付けたのは大乗側ではありませんか?
358 :
名無しさん@3周年 :03/12/11 02:12
仏教は内に向かっていくイメージがありますね。 悪く言えば社会から遠ざかるような印象。 キリスト教は対人関係に向かう… 社会に向かうのです。
一神教のごとき信仰心については、まぁ、確かに一部団体の行動が目に余ってるだけかもしれません。 ですが仏陀は、自分を崇めろとか帰依しろとか、そんなこと言ってないんですよ。すくなくとも上座部ではね。 ただ仏陀が言った真理を理解し、修行を積み重ねれば誰だって解脱できる。そのシステムを明らかにしただけです。 ところが大乗になると、理念は確かにすばらしいんですが、阿弥陀仏信仰や法華経信仰などが目立ってきますよね。 一番上座部に近いと思われる聖道門の禅宗にしても、そういう要素はあります。
>>356 ふむふむ。確かに今の時代も、鎌倉時代と同じく忙しい人であふれてるかもしれません。
そんな人には念仏も意味があるかもしれませんね。
でもそれはあなたの言うように難行道と易行道を認識した上で、より良いほうをと言うなら分かりますが、末法思想は「末法では自力は無理」という立脚の仕方をしますよね?
俺としては上座部の方法論を高く評価しつつ、それでも難行が無理な人に易行を進める意義はあると思います。でも末法論者の人は「無理!」とつっかかってきますからね・・・。
あなたが、ということではありませんよ、もちろん。
菩薩はどちらも「仏陀を目指す人」ではあるんですが、上座部では誰だってそうなんで、それほど目立った価値を認めないんですよね。
単なる人と言いきってしまってもいい。上座部では悟りを開く前のシッダールタは菩薩ではありますが、帰依や尊敬の対象ではありません。あくまでも成道後の仏陀を尊敬します。
かたや大乗では、菩薩も観音や地蔵など、信仰の対象ですからね・・・。
そういう意味で似たようで違う存在だと思います。
>>357 >仏陀だって、数え切れない転生をし「縁」を積み重ね、2500年前にやっと解脱したのです。
上座部仏教のことは不勉強なので教えてほしいのですが、上座部では釈尊が
解脱したのは、歴史上の人間釈尊が初めてなのですか?すると「過去現在因
果経」の説のように、歴史上の王子として現れる前に成道しているという前
提で、この世に示現したとは捉えないのでしょうか。
また「来世で出家できる立場に輪廻できればいいや」とはいっても、現実の
世界ではどうにもならないんですよね?すると救いがないように思えてしま
います。上座部における在家の人は、いったいどう考えているんですかね?
>>358 確かにそうなんですが、俺の立場の上座部仏教では、なによりも自ら(の内面)を鍛え上げることを大事にします。
自分ですら救えてないものが、どうして他人を救えようか? ということですね。
これを社会から遠ざかると考えてしまうのは、今の日本でキリスト教的考えが強いことの表れだと思います。
東南アジアでは社会に向かう「俗っぽい」僧侶は尊敬されません。ひたすらに内面を見つめ修行に励む僧侶こそが尊敬されるんです。
庶民に出来ないことをやるから僧であり、聖なる存在であり、供養する価値があるんですね。
>>360 まず、確かに見た目では「自力では無理!だから阿弥陀様助けて!」と
いうように見えてしまいますが、それだけでしょうか。すると、難行道
易行道をわざわざ立てて説明する必要はなくなってしまいます。末法だ
けどどうしようって考えるから浄土門に意義があるわけで、「無理!」
とつっかかる人(法然上人も親鸞上人も、そんなつっかかり方はしてい
ませんね)は、結局仏教をわかってない人だと思いますよ。
それと、やっぱり菩薩の捉え方が全然間違ってます。原始仏教では、菩
薩は阿羅漢の上、どんなに修行しても絶対に手が届かない別格扱いをし
ていることが『婆沙論』に説かれています。「誰だって菩薩」なんてこ
とはありえませんよ。
>>361 上座部においても過去仏の考えはあります。誰だってなれるんだから当たり前ですね。
ただ、少なくとも今を生きる我々にとって、初めて真理を明らかにしてくれたのがゴータマブッダなわけです。
そのブッダも、2500年前に成道するまでは「ただの人」です。上座部においても前世話(ジャータカ)がありますが、それはあくまでも仏陀を目指し努力する一般人ゴータマの過去生、ただの人だったころの話です。
私はあなたと逆に大乗にそれほど詳しくないのですが、「過去現在因果経」のような話は、上座部では「嘘」になってしまいますね。
もちろん「法華経」も同じです。法身も応身もありゃしません。
上座部の在家のみなさんは、たしかにかわいそうなんですが今生では救いがありません。
かわいそうなんですが、それが事実であり真理なんです。かわいそうだからみんな救われる大乗をという気持ちは分かるんですが、考え方を変えたところで真理は変わりません。残念ですが。
そこで在家のみなさんは、ともかく来世の幸せを願い、ひたすら供養しまくります。そうして功徳を積み、来世に期待をかけます。
このへんは実は浄土門に通じるところですね。浄土に行って阿弥陀仏のもとで修行し、今度こそ悟りを開きたいということですから。
>>364 ありがとうございました。上座部における在家の人について勉強になり
ました。また、ジャータカの扱いも参考にさせていただきます。
ところが「過去現在因果経」についてはどうも納得できません。もとは
南伝のニダーナ=カターという経典ですから、ウソ扱いされちゃうとマ
ズいのですが……確かに内容的には大乗なんだか原始仏教なんだかわか
んない経典ではありますけれど。
>>363 歴史に名を残す先達の皆さんは、確かに「無理!」などという突っかかり方はしてらっしゃらないとは思うんですが、その後継者達がどうも・・・という感じでして。
でもこれは先入観ですよね。気をつけます。
あと菩薩についてなんですが、申し訳ない。勉強中を言い訳にしてはいけないんですが、『婆沙論』がわからないんですよ。
ただ、自分が勉強してきた範囲ではいままでの論しか言えないんですがね・・・。
言えることがあるとすれば、学問的には菩薩の概念自体が釈尊時代よりあと、ジャータカ(本生譚)成立のころとなってるそうです。
まだ大乗と上座部が未分化な時代ですから、菩薩の概念自体が両者に受け入れられたのは事実でしょう。
ただそれをどう適用するか、その考え方自体が違うと思われます。やはり菩薩の概念は大乗において大きいものですから。
上座部では、(昔や、『婆沙論』ではともかく、少なくとも今は)あくまでも悟りのステージとして仏陀=阿羅漢である以上、その上の絶対手の届かない存在など、そもそも規定しえません。
阿羅漢となり解脱し、輪廻の輪を抜けた時点で終わってるわけですから。
>>365 大乗のたくさんの宗派からすれば上座部は「小乗」とひとくくりにされがちなんですが、実際はいろいろあるんですよ。
たとえば今では「これこそまさに上座部の根幹!」とまで言われるヴィパッサナー瞑想法も、実はここ100年以内に「再発掘された」に等しいんです。
マハーシ長老という人が見つけた・・・というか、ともかく広めだした時、「なんやそれ!」と他の上座部の僧に突っ込まれたそうです。
それが今では看板ですからね。
そして他にも「細々と伝えられたヴィパッサナーがついに!」と、マハーシ流とは微妙に違うのも「これこそ本道!」と言って別にあります。
どの論をとるか、どの立場に立つか、どの方法を取るか・・・一見一枚岩に見える上座部もいろいろあるんですよ。大乗と同じく。
>>366 確かに“菩薩”といっても概念や規定があまりにも広範囲に及び、なかな
か難しいものがありますね。私も勉強すればするほどいろいろな疑問が
わくばかりです(なお、先に引いた『婆沙論』はT27-887a〜bです)。
チャット状態で勉強になりました。そろそろ寝ます。ありがとうございました。
113学兄
164九拝
>>368 こちらこそいろいろ勉強になりました。ありがとうございました。
ユーヴェが7−0(CL最多点差記録)で勝利。 うーん古代ギリシャの格言じゃないけど「善いものは美しく、美しいものは善い」
371 :
名無しさん@3周年 :03/12/11 12:21
test
372 :
名無しさん@3周年 :03/12/11 12:48
仏教は理屈が完璧だから、その部分を残して創作すれば、どんな ジャンルの人間も騙せそう。 教祖の人柄にすべてがかかってる。
>>342 この内容みて納得する人は幸せだ。ただしこの場合の幸せは狂人を悩みが無くて
幸せそうだなあというのに等しいが。
375 :
名無しさん@3周年 :03/12/11 17:41
376 :
名無しさん@3周年 :03/12/11 17:42
377 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/12/11 20:13
あ、ひょっとして太刀山さんって以前にどこかのスレで 少しだけ話した事のある「墨家」っていうコテハンさん?
378 :
名無しさん@3周年 :03/12/11 20:48
仏教って、日本に広まってからの歴史は長いので、 何となく『まじめな人が歩む正当な道』みたいなイメージがなくはないか? しかし、やはりひとつの『宗教』なのだよな。しかも外来の。 『お釈迦様』などと尊称して、知りもしない何千年も昔の遠い異国の人を なんとなく最初からありがたがっているが、よくよく考えなおしてみるべきだと漏れは思っている。
379 :
名無しさん@3周年 :03/12/11 20:56
教義に興奮した仏教ヲタがわけのわかんねえ解釈くどくどつけるから! 仏教徒からみてもうぜえ!
380 :
名無しさん@3周年 :03/12/11 20:58
毒は毒で制するのが妥当
381 :
名無しさん@3周年 :03/12/11 23:18
創価とオウムどっちが強い?
382 :
名無しさん@3周年 :03/12/11 23:40
>>113 さんへ
仏陀になられてからの釈尊は菩薩の行動そのものではないですか?
私としては、「阿羅漢」が単に修行最終段階を終えたに過ぎないと思います。
つまり自己を実の如く知りうる状態を指しているだけで
生死も無くなった状態といえども、最低でも人間の肉体を有されていました。
その悟りを得たところから、中道を考えました。
涅槃の状態を理想としますと、人間の肉体を現実とします。
菩薩としての立場は、この理想と現実の二極を排斥した生き方。
中道の現われだと思うのです。
釈尊は、成道のち即涅槃(理想)をされていたのなら、
両親からすると不幸(現実)そのものです。
こういう面でも、一切矛盾のない中道だと思いますがどうでしょうか?
383 :
名無しさん@3周年 :03/12/11 23:53
>>113 (追加)
小乗の仏教の方法では、自己を見つめる事に重点が置かれています。
もしそのままですと、涅槃の方法を知った時に、山にでも籠もれば
現実から完全に関係を断ち切る事が出来ます。
阿羅漢は理想という極を把握しただけで、現実の極を把握していないという
悟ったのに、妙な非中道だと思うのです。
さらに理想の中道を進むなら、菩薩の道だと思うのです。
>>363 さんの文に共感が持てます。
もし、釈尊の慈悲が人類史上最強のものならば、涅槃をしていないはずです。
人間からみますと、すべての僧侶は菩薩で居つづけることが最上に思えます。
>>367 >大乗のたくさんの宗派からすれば上座部は「小乗」とひとくくりにされがちなんですが
とかいいながら、自分は浄土門に大乗を代表させてひとくくりにするような
愚を犯している。こいつっていったい。。。。
>ヴィパッサナー瞑想法も、実はここ100年以内に「再発掘された」に等しいんです。
最近でっちあげた、のまちがいだろ?
385 :
名無しさん@3周年 :03/12/12 00:54
>>378 漏れも出発点はそこ。大体、根暗にしか見えない坊主は嫌いだった
から仏教は敬遠してたけど、知ってみれば少なくとも興味のつきる
ことない実践哲学だと思えるようになってきた。
>>382 つまり、他者救済を考え実践する=菩薩と考えてよろしいですか?
悟りを開いていきなり涅槃に入る(ジャイナ教とかはこれですね)ではなく、開いた上で他者救済をするか否か。
ですが基本的には、菩薩とは仏陀になる「前」を指すのは大乗・上座部共通概念だと思うんですが・・・。
それはともかく、他者救済は上座部だって行ってますよ。正しくは、釈尊と「同じように」説法などを行い、大衆を教化する活動を行ってます。
逆に言えば、釈尊に「出来なかったこと」は、上座部の僧にだって出来ません。たとえば念仏唱えるだけで浄土に往生させるとか。
釈尊だってあくまでも他者の悟りを指導し助けること以上のことはなさってません。
もちろん、山奥で修行して阿羅漢になっても下山せずそのまま涅槃に入る者もいるでしょう。こういう人は確かに自分の救済しか考えない人かもしれません。でも多くの僧は釈尊同様、仏教の教えを広めこそすれ、閉じ込めようなんてしていません。
釈尊がおっしゃったことは、真理と、その真理を体得する方法論だけであり、それを行うのは結局一人一人なんですよ。仏陀や阿羅漢が代わってあげるわけにはいかないんです。
したがって、あなたのおっしゃる菩薩道は、上座部の者も大乗の者も、共に立派に歩んでいると思ってます。
>>383 俺からすれば大乗は良い意味で理想論だと思うんです。
皆が悟りを開くまでは先に自分だけ成道しないぞという決意の菩薩道。立派です。
上座部では、釈尊ご存命の間、教化に励んでくださったからこそ仏教があるのだから、無上の感謝を捧げるのは当然です。
でも、釈尊自身は涅槃にいたり、今では「どこにもいません」。それが涅槃と言うものであり、解脱というシステム、「世の理」なのです。
それは理想ではなく、どこまでも真実。
もちろん釈尊は、弟子や後世の阿羅漢たちに悟りを開いた後は大衆の教化に励む「菩薩」であってほしいと思われていたことでしょう。
そんな釈尊からすれば森に篭って悟り開いて死んじゃうのは、あんまりよろしくないかもしれない。
でも、そんな彼だって「慈悲の瞑想」をすることで良い波動(オカルト的ですが)を世に送り、大衆の平和を祈る気持ちに変わりはありません。悟りを開き、その上で「みんな死んじゃえ」と思うのでは、それは悟りではありませんよね。
菩薩道とは積極的に大衆に分け入り布教をする者だけ、ではないはずです。人にはそれぞれにあった菩薩道があり、山奥で世界平和を祈るだけでも立派な菩薩道と言えませんか?
上座部仏教とは真理とそこに導くシステムですから、やることやれば誰だって阿羅漢になれます。その成果をどう生かすかは、最終的には本人次第です。
>>384 大乗にも上座部に近い聖道門もあるのは承知です。その上で、大乗の中でもっとも大乗らしい(上座部と離れている)のが浄土門であると。
だから代表的に扱ったまでのこと。何が悪いんですかね?
ヴィパッサナーがでっちあげ、ねぇ。大乗だってとんでもない数の経典から、それぞれにあったものを選び出し、それを重視して各宗派で仏道に励んでるわけです。
上座部だってある程度幅広い経典・教えがあり、それぞれの時代、地域、宗派で何を重視するかが変わるのは当然。
389 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/12/12 01:59
僕もね、上座部仏教に期待して1週間程だけど、9月にタイの僧院へ行って 来たんだよ。でもね上座部だからどうこうと言うのは妄想に過ぎない事がよく わかったよ。マジメに仏道を歩んで、釈尊の教えに回帰しようとしている人は、 どの宗派に属していようが、宗派などに属さずに個々のやり方でやっていようが 素晴らしいですよ。逆に上座部だ大乗だ浄土門だ聖道門だ禅だ密教だって言っても それに固執し他者を見下し傲慢になってるなら、つまらないもんだと思うよ。
>>389 ははは、そりゃそうだ。本当に自己というものをしっかり持ってて、いろんな教えから取捨選択できる人なら、それもいいかも。
でも弱い人間は何かしらのグループに所属し、そこの枠に制限されてその中で同類と切磋琢磨したほうがいい人もいるんですよ。
何が向いてるかは人それぞれ。
でも「それぞれ」で思考停止してはどうしようもない。そこであえて他の宗教や宗派と論を戦わせることで、また自らも頭を整理し深めていける。
それが議論の意味で、どこぞの学会のように折り伏せるようなことは俺からすれば「?」ですね。
391 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/12/12 02:16
だから自分に何が合うのかは、自分の経験で試してみるしかないでしょ? そういう経験を積んでいけば本当の自己ってもんが少しづつ見えて来るんじゃ ないかな。先入観を排除して色んな教えを体感して見る事は大事だと思うよ。 その上で上座部があってる人ならそれはその人の道だし、念仏があってるなら それもその人の道なんだよ。仏教が八万四千の法門と言われる所以だね。 ただし僕は自分が歩める道は最終的には一つだと思うけどね。
>>391 自分もいろいろ読んでやって考えて話聞いて、その上で上座部を選んだからね。
393 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/12/12 02:40
でもそう言う人なら大乗や念仏の道を否定したりはしないと思うけどね。 どんな道でも尊い事を身をもって知っているならね。ただしマガイモノを マガイモノだと言う事はこれも大切な事だよ。僕が言いたいのは上座部にも 大乗にも浄土門にも・・・etcホンモノもいるし、マガイモノもいるんだよ。
>>393 たとえると、俺はカレーが好き。シチューも食べたけど、どこがうまいのかよく分からなかった。むしろ俺にとっては「マズー」だ。
だからシチューがおいしいと言う人には、「それのどこがうまいの? 教えてよ」とひたすら突っ込んでるわけだ。
食べもののうまさなんて、いくら言葉で言ったってわからんのは百も承知。それでも、ありとあらゆる表現を使って説明してほしいし、俺もカレーのうまさを説明するわけさ。
395 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/12/12 02:53
だからさ「それのどこがうまいの?」なんて事を聞くのは野暮だって言ってるでしょ? そんなつまらない事で大切な時間潰すより、上座部の修行に打ち込みなよ。 シチューが美味い人も世の中にはいるんだからさ。シチューと偽ってお吸い物を 出したり、カレーを頼んだのにハヤシライスが出てきた場合は文句を言えばいいの。 俺の経験では上座部の中にもマガイモノはたくさんいたからね。当然ホンモノも たくさんいた事は言うまでもないけど。だから浄土門にも同じ事が言えるの。
ある子供が買い物を親に買い物をしてくるようにいわれました。 子供はいいました。「何をどれだけ買ってくればいいの?」 親はいいました。「なんでもいいよ。自分で考えて買って来な」 子供はまたいいました「なんでもいいじゃわかんないよ」 親はそれに答えていいました「いいからとにかく買って来い」 子供は仕方なく買い物に行き商品を買ってきましたが、親はその品物を気に入らず 「全く役に立たない。こんなこともできないのか」といって子供を叱りつけました。 さてこのスレに出入りする仏教徒どもは8万4千の法門をもつ仏教を称賛してるが 迷ってる人に方法はいくらでもあるから好きなのを選べとかいったら余計混乱するだろう。 このことからいっても所詮ぶっきょうなどというものはいざとなったら糞の役にも 立たないことがよくわかる。そして今オレが書いたようなことは「縁起と空」に 書いてあった気がするが、書いてあったとすると松本氏はやっぱり偉大な非仏教徒だね。 本人非仏教徒というのは納得戦だろうが。 彼のような人が仏教界おいとくのは、宝の持ち腐れだから誰か知り合いいたら どうか彼を改心させて仏教から足抜けさせてあげて下さい。よろしくお願いします。
397 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/12/12 02:58
そういう人をも産み出すのが仏教の偉大なとこなんだよ(笑)
>>395 別にいいじゃん野暮だってw
そりゃ四六時中瞑想にふけるのが正しい上座部の修行かもしれんけど、こういうとこに書き込むのもそれはそれで楽しいんだから。
んー、まだ執着があるって証拠だなぁ。俺、しょせん在家だから。本当に打ち込みたかったらミャンマーでも行って出家してるわな。
>>396 ってことは「これこそ絶対!」という一神教や某学会のほうがいいんかね?
迷ってる人にはある程度限定された「宗派」というものを提示してるじゃん。
それらから選んだ上で、でも最終的には本人が体得するしかないわけでしょ。
399 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/12/12 03:10
では113さんは一時的にでも出家した事ないの? よくそれで大乗や浄土門を批判してるね。 そんな片手間な態度じゃ、ある意味上座部も冒涜してるよ。
>>398 >ってことは「これこそ絶対!」という一神教や某学会のほうがいいんかね?
>迷ってる人にはある程度限定された「宗派」というものを提示してるじゃん。
>それらから選んだ上で、でも最終的には本人が体得するしかないわけでしょ。
当然だろうが。
>>399 よく「○○しないと批判しちゃダメ」って人がいるけど、短い人生でそんななんでもかんでもできるわけないでしょ。
さっきの喩えはカレーとシチューにしちゃったけど、こっちの喩えのほうがいいな。
つまり俺は、南伝カレー屋「じょうざぶ」の客なのさ。方や北伝カレー屋「だいじょう」がある。
俺は客の立場で両方食べ比べ、「じょうざぶ」のファンになった。
本当にその味を極めるなら弟子入りして作り方学ぶべきだが、客には客なりの楽しみ方や意見があってしかるべきでしょ?
>>400 当然だろうがって言われても、その「当然」を仏教がやってるんだけどなぁ。
402 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/12/12 03:32
ああ、あなたは客として楽しみたい訳ですね。それなら話しはわかります。 僕のスタンスとはちょっと違いますが、仏教ワールドを存分にお楽しみ下さい。 ただプロが作るホンモノのカレーの味を知りたければ少なくとも一度は出家して 後に還俗した方がよりおいしく味わえるよ。その方が今より批判も鋭くなるよ(笑)
>>401 オレが当然だっていったのは
>ってことは「これこそ絶対!」という一神教や某学会のほうがいいんかね?
ここのことよ。
あんたは自分の商品に自信がないセールスマンとか相手にすんのか?
根拠のない自信別だぞ
>>402 それはまったく同感。実は出家目指して着々と準備中。何年先になるかわからないけど、俗世はいろいろあるからねー。
出家なんぞする奴は全て糞!いや糞に失礼か。ブッシュ、フセイン以下。 人間として最低つうか人間ですらない。 シャブの売人の爪の垢でも煎じて飲め
>>403 ごめんごめん、誤解してたな。
となるとあなたは一神教絶対主義のほうが良い、ってことなのね。
これも食べ物の喩えで言うと、とくにイスラム教とかはこんな感じ。
「牛丼はそのままで食べるべきである。唐辛子をかけたり卵をのせるなどとんでもない」
仏教は
「別にどんな食べ方してもいいですよ。肉をお皿にのせてごはんと別にしたって、唐辛子のせてもかまいません。もとの牛丼自体はちゃんとおなかに入るんだから」
後者のほうがいいよなぁ、やっぱり。少なくとも俺には。
>>405 労働・生産活動にしか価値を見出せない狭い心の持ち主ですなぁ。それはイコール、多様な生き方を認められないということ。
こういうひとが世界を統一すべく戦争を起こすんだろうね。
仏教とは多様な生き方を認めるものに他なりません。(とくに上座部では)まったく生産活動に寄与しない僧がおり、そういう生き方をも人として認める包容力。余裕さ。
あらためてすばらしさを感じますな。
>>407 糞食ってどうすんだよ。まったく反駁になってないぞよ。
542 :名無しさん@3周年 :03/12/08 01:49 俺は確認したよ。 ある地震の研究者が言っていたが、「いわゆる被災マニュアルの殆どは、 地震が起きた後、人間が生きている前提で書かれている。が、地震では 死ぬ可能性もある。死なない為の方法など、実際に書きようもない。」 俺は以前、食中毒で突如として死にかけたが、高熱と激痛のなかでは 何も考えられない。喜怒哀楽、正義、不平、道徳などを示すことができるのは、 ことごとく自身の肉体がまともな時のみである。いかに形而上学・哲学を ぶっても、人道を説いても、世俗および社会を批判しても、結局は、 「生かされている」からこそ可能なわけで、これに気づいている人間は少ない。 ゆえに争い、知悉したような傲慢な態度を示し、幾星霜、積み重ねられた環境を 破戒してしまう・・・・ 陶器が陶器師に「もっと俺をうまく作れ。へたくそ」などと言う滑稽。この真理。 まさにこの正鵠を穿った真理を示す唯一の書が、やはり永遠のベストセラーである 聖書であった。これは「生きたいのちの書」だと思う。
411 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/12/12 03:51
ヒモは素敵だ。ホームレスもいい。 出家者は糞だ!ということについてこんな程度のことしか結びつけられない のがおもろいねあんた。 >労働・生産活動にしか価値を見出せない狭い心の持ち主ですなぁ。 >それはイコール、多様な生き方を認められないということ。 あんたの腐った世界観がどういう価値観で動いてるのかしらんが、 社会の秩序を崩すような生き方なんぞ認められるわけねえじゃん。 出家つうのは社会の価値観の外に出ることだろ? そんな人間社会を否定するような奴、人間でありうるわきゃねえだろ。 こういう言い方は好まないが犯罪者も障害者も人間社会にいる限りは人間。 その尊厳を冒すことはなんびとたりとも許されない。
>>409 あんたは仏教徒いう糞を嬉々として食ってんじゃん。
その麻痺した神経なら本物も大好物なんじゃないかなと思ってさ。
414 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/12/12 03:55
儒家や墨家なら出家を否定するのは当然だよな。彼らにとっては 何より大切な、先祖代々子々孫々の血脈を断ち切る行為だもんな。 中国に仏教が導入されて以来、仏教が受け続けてる非難ですもの。
>>414 あんたらなあ人に仏教について知らない知らないいうんならもう少し相手の
依って立つものを学んでからいえや。
誰が腐れ儒教の話してんだよ。孔墨は釈迦なんたらと違ってそんな瑣末で
どうでもいいことなのよ。そんなもんは封建社会の秩序を守るために捏造した
ものじゃねえか。
>>388 あのね。お前さんの脳内分類がどうなってるかしらんが、浄土門は
大乗の基本からさらに変化(進歩と言うか逸脱と言うかはその人しだい)
した話をしているわけ。「本道からはずれている」という議論は
大乗の中でもさんざんされてるわけ。
そんなのが「代表的」?
ちっとは頭つかってみたらどう?
>>415 ところでおまえの主張はそもそも理解不能なのだが、なんとかならんのか?
>>401 おまえのやってることは、どっちのカレーも食わずに「だいじょうは糞」と言い
はなっているようなものだ。「食いもせずに批判するな」は当然の指摘だろうな。
>>418 同感。
メニューだけ見て議論してるようなもの。
しかも、「だいじょう」については同系だが別店であるところの「じょうど」
のメニューを見てるあたりが笑止。
えーと、ここは太刀山をつるしあげるスレなので、場外乱闘は ご遠慮ねがいまつ。
>>412 >ヒモは素敵だ。ホームレスもいい。
そりゃ釈尊自身が乞食行のホームレスなんだからねぇ。
出家が社会の価値観の外に出ることであっても、もっと大きな地球社会から外に出るわけではない。
現に東南アジア諸国では出家者があんなにいるのに立派に機能しているじゃないか。
出家者はなんら「物理的」生産活動に寄与していないが、在家者の「心の糧」になってるのは明らかだ。
そういう意味では第3次産業を立派に果たしているとさえ言える。
>>413 そんな皮肉は犬も食わないよ。時間の無駄でなんら実が無い。
>>416 浄土門が大乗の中でもさんざん議論対象になってるのは分かります。図示するとこんな感じ?
上座部 禅 真言 天台 日蓮 浄土
聖道門 ←→ 浄土門
(小乗) ←→ 大乗
まず大乗全体に浄土門の要素があるのは「当然」ですよね。浄土三部経を認めてるし、日蓮宗の「法華経」にだってそういう要素はあります。
もっとも聖道門的である上座部の立場から、全体的に浄土門の要素を持つ大乗の中からもっとも浄土門の要素の強い浄土宗系を対照させるのは「当然」でしょう。
>>418 そういうあなたはカレーを食べた(出家した)んですか?
もしこのスレに書き込んでるほとんどの人が出家(経験)者ならともかく、大多数は俺と同じ立場でしょうに。
>>419 同系だが別店って、同系なんだからいいでしょうが。
「大乗」の枠の中で聖道門vs浄土門をするのもありだと思う。
が、もっと大きい上座部をも加えた「仏教」の枠の中で議論するなら、大乗≒浄土門と同定するのが一番分かりやすいんじゃないかね。
423 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/12/12 21:22
>>415 >あんたらなあ人に仏教について知らない知らないいうんなら
>もう少し相手の依って立つものを学んでからいえや。
では太刀山さんの依って立つものって何ですか?
単に仏教というか釈尊の出家主義を否定してるだけのように思いますが。
在家主義の浄土門や法然さんの評価は高いようだし。
ひょっとして太刀山さんの親しい関係の人が、出家主義を標榜するカルト教団か
何かの被害に遭われて、それで釈尊を憎んでいるのですか?
>>422 113さん、僕は浄土門系の僧侶です。ただ教団のあり方や日本仏教界のあり方には
かなり否定的で、釈尊の教えの原点を求めたいと思い、それでほんのわずかの期間
でしたがタイの僧院でビクサンガと生活を共にしました。正式に出家受戒してビク
になった訳ではありませんが、在家信者に五戒を授ける受戒式は受けました。
やろうと思えば5月の連休中や年末年始の休暇中にでも短期出家はできますよ。
またインド・中国・チベット・日本等々の大乗や浄土門の祖師方にも素晴らしい方は
たくさんいますので、大乗だから浄土門だからダメとか言うのではなく、その方が
何を言い、何を行なっているのかを見て判断なさればよろしいかと思います。
僕が思うのはどんな宗教宗派であれ、現世よりも前世や来世の話しに重きを置いたり
三世の業報を説いて差別主義や諦観を押し付けるものはマガイモノだと思います。
仏教の要諦は出家・在家を問わず、心の平安と物事の道理を見抜く眼を求めつつ、
この現世をより良く生き抜こうと努力する事だと僕は思います。
424 :
名無しさん@3周年 :03/12/12 22:37
太刀山型の土俵入りくん
暴言を慎みたまえ。
弘法大師の三教指帰を読んだことはあるかな?
空海上人の親を思う気持ちと人を救うための仏道への気持ち
この葛藤は、考えさせるものがある。
弘法大師は儒教をとても尊重しているから
そんな人がどうして仏教に魅力を感じたのかを知ることにより
視野を広げることは
>>1 の本を読むよりイイかもしれない。
良薬としての仏教も見つめないと本当の仏教は見えてこないはず。
>>423 なんとプロの方でしたか。そのうえタイの僧院生活経験もおありとは。
これは失礼しました。
たしかに大乗の皆様もいい人多いしいいこと言ってるし、理想論であってもそれを信じて突き進む姿勢は立派だとは思ってます。
でも俺にとって大乗は「?」なところが多いんですよね。
原始仏典のシンプルさ、欧米でも高く評価される科学的な面と比べると、念じれば極楽浄土に行けちゃうし、多宝塔は空中に出現しちゃうし、三密加持で即身成仏しちゃうし、まるでオカルトだなぁと。
よく大乗は「宗教」で、原始仏教(上座部)は哲学であって宗教ではない、とか言われますが、俺は後者に魅力を感じてしまうんですよね。
とりあえず、アマチュアはアマチュアでがんばっていきたいと思ってます。何とか来年中には短期出家を成し遂げたいですけどね。
>>424 儒教なんぞは孔墨を換骨脱退したミソッカス。それでも元が元なので腐っても
秩序の安定ぐらいには役立つ。
仏教は元が元なのでひどいのは際限がない。空海の恥知らずなさまはその最たるもんだ。
427 :
実行委員長 :03/12/13 00:52
阿含経の止息法をしらずして、仏教を語るな、地獄に落ちる(w
428 :
名無しさん@3周年 :03/12/13 01:05
特定の教祖様の宗教はゾンビみたく信者のエキスを吸い取ることしか考えてないのさ、 遠くから来た信者に栄養バランスも何もない、すすりうどんだけを出して、最低の食事を与えておいて、 適当にあしらって供えだけを出させて帰らせるのさ、たいてい既存権威か何かの出来合いをベースにね、 人間心理はそんなに単純なものでもないし、空海みたくシステマティックな奥の深い体系化を短期間に成し得る 能力と神秘性と、なお且つ実学・実行力とを併せ持っていないと、本当の意味で後世に名は残らないよ。
429 :
名無しさん@3周年 :03/12/13 01:09
>>427 あんたまだ言ってるのか。地獄なんてあると信じているの?
漏れは今は仏教反対者なのだが、地獄云々を説いているのがひとつの理由。
430 :
実行委員長 :03/12/13 01:10
死ぬときの心模様です。 貴方は後悔するでしょう。
>>太刀山とやら 私は出家です。仏教にどっぷりつかって○×年です。実家がお寺、オヤジが住職、 じーさんも坊主っちゅう人です。あなたのだいっ嫌いな仏教に染まる私に無知を指 摘されたらさりげなく流して、無思慮無分別無鉄砲無節操無反省な文句を垂れ流す という一貫とした姿勢はお見事です。ま、提婆達多でさえ救われることを考えるの が大乗仏教ですので、あなたも救われますよ。 お、ここは基本的に原始仏教時代の釈尊がメインだから、大乗を出すとダメですか ね?あなたの仏教観はメチャクチャですが。
432 :
382-383 :03/12/13 01:32
>>113 さん
>ですが基本的には、菩薩とは仏陀になる「前」を
>指すのは大乗・上座部共通概念だと思うんですが・・・。
菩薩の解釈は多様に思います。
少なくとも、釈尊のそれは菩薩行ではないかと感じたのです。
菩薩行に必要なのは、慈悲の悲だと思います。
あいての立場に立つことです。
聖者の世界と凡夫の世界の中道を見据えた時に、時代に応じて中道が
変化していったのだと思います。
仏教の教えを広めるならば、どんどん衆生寄りに比重が動きます。
広める事(状況に応じて)が中道をも変化させると思います。
その動きが顕著になったのが大乗仏教だと思います。
433 :
382-383 :03/12/13 01:33
>菩薩道とは積極的に大衆に分け入り布教をする者だけ、 >ではないはずです。人にはそれぞれにあった菩薩道があり、 >山奥で世界平和を祈るだけでも立派な菩薩道と言えませんか? 菩薩道の立派さは、自利・利他2面性があることだと思います。 これが不二になった時に中道である菩薩道だと思うのです。 確かに人それぞれだとは思います。
434 :
名無しさん@3周年 :03/12/13 01:33
私の主張は、菩薩はこの世界で中道を歩む者の姿だと思うことです。 ですから、 釈尊のように、悟りを開かれて衆生済度をされるのもそうですし 止むを得ない事情で、悟りを開く素質があるのに 両方を見つめた結果、悟りに至れない場合も、ある意味の中道だと 思うのです。(釈尊の時代の在家の信者など) そして、すっきりするのは、各自がそれぞれ自分だけの中道を 追求し続ける事に意義を見出せる点です。 結果ではなく過程が大事になるものですから。
435 :
382-383 :03/12/13 02:03
大乗は理想論という話しが出ましたが、 世界平和という言葉がでるのであれば、 むしろこちらではないでしょうか。 「山奥で世界平和を祈るだけ」では、衆生の立場では無いと思います。 しかし、113さんのおっしゃるとおり、大乗はオカルトっぽいです。 小乗でも何でも、なにがなんでも悟りを開いて、 そのところをすっきりしないと、 宝物を捨てる事になるかもしれませんね。
>>426 ほう。それだけ言うなら、その孔墨の素晴らしい教えを
弘法大師のように世間に広めてみなされ。
恥って言ってるぐらいだから、真に優れているなら可能だろう?
世間は、怪しい宗教が蔓延ってるから、いい教えは受け入れてくれるよ。
弘法大師が与えた仏教は人々の良薬になっていたと思うが。
それ以上に人を救えるはずだよね?
だって、元が段違いに凄いのだから。
それが出来ないっていうんなら、この板で仏教より素晴らしいと
言うところをアピールしなきゃ。
正しい事をいっていれば、多くの支持が集まるだろう。
437 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/12/13 02:38
そうですね。僕も太刀山さんに孔墨の素晴らしさを伝授して頂きたいな。 僕も孔墨に関しては全くの無知ですので、よろしくお願い致します。 113さん、大乗経典がたくさんの荒唐無稽な話しをしてるのは良くわかります。 ただ、そういうオカルトな部分はすっ飛ばして、浄土経典なら法蔵菩薩の誓願の 内容であるとか、法華経なら常不軽菩薩の姿勢であるとか、華厳経なら善財童子 の求道物語などから、菩薩としての生き方を学ぶといいと思いますよ。できれば その後には龍樹の中論や世親の唯識二十論、無着の摂大乗論等々の論書もお読みに なれば、上座部マンセーの視点から仏教と言うもっと大きな世界が開けて来ますよ。
>>431 うわ、あなたも出家者ですか。先日は上座部について偉そうに薀蓄たれてしまって、お恥ずかしい・・・。
あと、ここで原始仏教の釈尊を持ち出してるのは私ぐらいのものですから、164さんにペロさんなどは、大乗の立場でどんどんやってくださいませ。
>>432 菩薩行で大事なのは慈悲の悲。。そのとおりですね。ちなみに上座部にも「慈悲の瞑想」というのがありまして。
どんどん衆生寄りになるとのことですが、ここがちと上座部と大乗で違う点なのかもしれません。
たしかに衆生のことを第一に考えるのはいいことなんですが、衆生と同レベルの人間が一緒にあれこれ悩んでも仕方ない。だからともかく自らを救い、後に大衆を救おうとするのが上座部だと思うのです。
実際は大多数の比丘が自らを救えないまま死んでしまうのが現実なんでしょうけど。
で、どうせ自分ひとりの救いを目指しても無理なら、みんなそろって到彼岸をめざせばいい。結果は同じ(たどり着けなかった)としても、助け合って渡ろうとしたことに意味がある。
これが大乗なんだと思います。
どっちが良い悪いではなく、方法論の違いかと。
その上で自分としては、可能性は低くとも阿羅漢を目指せる上座部に心惹かれるわけです。
「山奥で世界平和を祈る」については、さんざん大乗はオカルトっぽいと叩いておきながら、あえて書きます。
祈るという波動が、世界平和に及ぼす効果は否定できないと思ってます。
よく「祈るだけで世界が平和になるか、ボケ」とアンチ宗教の人は言うけれど、そういう波動の効果はあると思うし、いつか科学で立証されると思うんですよねぇ。
そういう意味では、今はオカルトだけどいつかは・・・という感じ。
自分も孔墨の素晴らしさについてはぜひお聞きしたいですね。なにぶん自分に感心のある分野から勉強する以上、そうでないものには疎くなりますから。
>>437 そのへんの細かい内容は経典そのものでないにしろ、ある程度は理解しているつもりです。
それぞれの菩薩の誓願、生き方はまさに菩薩行、すばらしい決意だし、見習うべき点は多々あります。
また、仏教はイスラムなどとは違って、聖典・経典に出てくる話が一字一句すべて真実であるなどと言う無茶なことは言わないし、強要しないことも理解しております(一部おかしな団体もありますが)。
実際に極楽浄土があるか否かは、きっと問題では無いんでしょう。「あるのだ」と信じ、阿弥陀仏の誓願を信じて念仏を行じること、それによって培われる精神性が、今生の生き方を豊かにするだろうこともわかります。
でもその上で、自分は上座部マンセーなんですよ。科学的なところに裏打ちされた修行体系等々。説得力があるといいますか。オカルト的な要素・立派な思想だけではない、実践に即した内容と、具体的な体現者(阿羅漢)を生み出す実証性。
これはここの本論から外れることなんですが、オウム真理教が流行ったところにも、日本の既成大乗仏教が、こうした説得力を持ち得なかったからではないかと思うんですね。
440 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/12/13 03:33
う〜ん、でも113さんのような思考なら仏教や上座部というより、科学信仰に近いん じゃないですか?仏教は釈尊も上座部も大乗であれとことん非科学ですよ。 ちなみに僕は菩薩道マンセーでも大乗マンセーでも浄土門マンセーでもなく、 釈尊(個人ではなく)の思想性マンセーなんですよ。と言うか釈尊のお悟りになった ダルマ・道理・真実マンセーって立場ですね。釈尊が悟った法はいつの時代でも、 どこの地域でも、誰にでも納得できる普遍性があると思います。法を悟ればブッダ。 と言う事は、釈尊の法は大乗なんで、釈尊=大乗が僕のスタンスです。ただし、 自分で悟ったとかブッダだとか言い出せば単なるカルトになっちゃいますけどね。 だから自分や人々の身口意の三業をかえりみて、どんな事をしているのかが大事です。
>う〜ん、でも113さんのような思考なら仏教や上座部というより、科学信仰に近いん >じゃないですか?仏教は釈尊も上座部も大乗であれとことん非科学ですよ。 これは難しいところですが、いまや欧米でも仏教は大・・・とまでは言わないけど、流行してるし評価もされてますよね。 禅(この場合は聖道門として)なんていい例かな。 でも向こうの人がどんな点を評価してるかといえば、科学的な点を第一に評価してるのが実情だと思うんです。 四諦なんてまさに現代医学の発想と同じだとも言いますしね。 彼らはキリスト教を捨てたり、否定した上で仏教に馴染むのではなく、むしろ両立した形で親しみを持ってきます。 それは仏教の教えが科学的である点に依拠すると思うのです。戒・定・慧などもその思考法はとても科学的ですし。 つまり、いかにも宗教的なベクトルの「無さ」こそが仏教の魅力だし、利点でもあると。 そう考えると、大乗は宗教としてのベクトルが強い、いかにも宗教らしいものになっているのではないかと。そこには欧米人にも通じる科学的な、シンプルな真理(ダルマ)としての仏教に、失礼ですが余計なものが乗っかってるように感じるのです。 そういう意味で、私もペロさんと同じように上座部マンセー、宗派マンセーではなく、ダルマ・道理・真実マンセーです。 したがって、大乗の方法論だってそれはそれで有効であるとは思います。が、少なくとも自分にとっては上座部が一番鋭く切り込んでくるものである、と。 大乗は衆生済度に重きを置くがゆえに方便にすぎるように感じます。 上座部の方法論は南方でしか通じないのは当たり前なんです。寒いところであんなことやってたら話になりませんからね。 そんな北方で布教に励むには大乗の方法論しかありえなかったんでしょう、きっと。 そんな追々加わっていったものを除き、シンプルに解脱を目指す上座部の方法論に魅かれますね。
442 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/12/13 04:19
>〜戒・定・慧などもその思考法はとても科学的ですし。 んー「科学的」と言う事と「論理的に筋道が通っている」と言う事を同一と 見なすなら、仏教の「方法論」はある意味科学的と言えるかもしれません。 ただ、釈尊が悟りを開き、私にまでダルマ伝わっていると言う事はまさに奇跡 ですし、そう言う意味で仏教が科学的に解明されると言う事はないでしょうね。 >上座部の方法論は南方でしか通じないのは当たり前なんです。 でも逆に言えば南方でしか通じない方法論が「ダルマ」と言えるのかな? 仏教は上座部であれ大乗であれ、自利利他円満ですよ。 自利がそのまま利他になる教えだと思いますよ。
>>421 ヒモやホームレスが釈迦に勝るのは彼らが人間社会の一員として存在するから。
生産性とかそういう問題じゃない。障害者だろうが犯罪者だろうが彼等が人間社会の
一員であろうとしている限りはその生命と尊厳は何があろうと守られねばならない。
ところで
>もっと大きな地球社会から外に出るわけではない。
こういうこと言う奴は虫酸が走る。なんだよ地球社会って?クスリの喰らい過ぎで
白昼夢でも見てんのか?
>東南アジア諸国では出家者があんなにいるのに立派に機能しているじゃないか。
ああ確かに素敵に寄生してるね。そして出家者が機能していない日本を始めとした
諸外国にくいものにされてんだろw
>「心の糧」になってるのは明らかだ。そういう意味では第3次産業を立派に果たしているとさえ言える。
「心の糧」?心というあやふやのもののために在家者は金銭と労働力をすりへらすのか。
ちなみにさこれって、援交のオネエちゃんとか、ホストの兄ちゃんとか、ペットとかと
どんだけちがうの?まだこっちの方が対価に見合ったサービス提供するだけ良心的だよなあ。
444 :
名無しさん@3周年 :03/12/13 09:04
>>443 東南アジア諸国では、出家者が社会に寄生して社会の発展の阻害になっていると漏れも思う。
そして民衆も、一見仏教熱心に見えるかもしれないが、道徳レベルが・・・・・・。
>>444 そうか? この間ボランティアで言ってきたけど、治水潅漑が行き届いて砂漠化など環
境問題対策している地方の村は、開発僧といわれるボンさんがいて、指導しているから
だったぞ。衛生面も他の地域と比較して各段にすばらしい。
ボンさんを否定している地域の方が衛生面は言うに及ばず、近代化・西洋化には熱
心だが文明・文化とはほど遠いような気がした。
>>442 >んー「科学的」と言う事と「論理的に筋道が通っている」と言う事を同一と
見なすなら、仏教の「方法論」はある意味科学的と言えるかもしれません。
それでいいと思います。確かに遠く日本まで仏教が伝わってるのは奇跡的ですが、キリスト教が伝わったのも奇跡的です、日本にモスクがあるのも奇跡的ですよね。
あと、本家インドで仏教が滅んだこと、南方では未だ上座部が圧倒的なこと(ベトナムでは大乗が支持されてるけど、それほどでは)、
そしてイスラムが寒い地域でそれほど目立たないこと(中央アジア地方は冬寒いけど)など、地域の特性が宗教に及ぼすものはきわめて大きいと考えます。
つまり、大乗が東南アジアで勢力を伸ばし上座部を駆逐するのは、まず無いと思うんですよね。大乗の方法論に普遍性があるとは言えないと思うのです。
もちろん仏教の根本的な真理は普遍であっても、方法論には地域差があるってことなんです。
大乗も確かにインド発祥ですが、赤道付近においてはその地域に適した上座部が残り、寒い北方ではその地域に適した大乗が残ったと。
これから人類は宇宙に進出していくわけですが、仏教はじめ宗教は相当の変容を迫られることは間違いありません。イスラムだって宇宙に行ったらどうなるか。
メッカの方角拝む=地球を拝むことになるわけですし、砂漠に適した教えがどう変容していくか・・・。
>>443 人間社会の外に出ようが出まいが、そんなの「思想信条の自由」だろう。
社会生活ってのは、どんな思想だろうが無思想だろうが歯車として機能すれば何の問題も無い。
地球社会が虫唾が走る? そういうこと言ってる奴は酸素も全部自分で作り出して地球に依存せずに生きてみろ。
人間だってそのへんの虫や植物と同じ、地球の生態系の一部、地球社会の一員なんだよ。そのレベルで考えるなら、人類社会での生産に寄与しようがしまいが、あまり関係は無いんだ。
そういう平等観を持ちえる点が仏教の良いところで、「人類は万物の支配者として神に権利を付託された」と考える一神教との違いでもあり、今、欧米社会で仏教が支持されつつあるポイントでもある。
心の糧を「?」扱いするような物質至上主義者が日本にあふれてることこそ、俺がもっとも危惧することだ。それはつまり、経済効率とかで計れない価値を認めないことでもある。
そんな日本はエコノミックアニマルとさげすまれるんだよ。
448 :
名無しさん@3周年 :03/12/13 11:53
>太刀山型の土俵入り氏 ヒモやホームレスのほかに、出家者がいても良いではないか。 でも、個人的には出家者よりホームレスの方が高尚な人間に思える(藁
日本のほっとんどのボーズは 日本のほっとんどのボーズは 出家者では、ありません! 出家者では、ありません!
>>449 そう! そこが日本が世界に誇れるところ。
仏教の持つラディカルさをうまく包んで、社会的相当性を持たせている。
太刀山氏の嫌いな「出家者」ではない。
儀式屋さん・読経屋さんとして社会の一員である。
彼らは諸外国の仏教僧と違って、いろんな仏教知識もあるよ。
451 :
名無しさん@3周年 :03/12/13 14:18
葬式屋・読経屋だって立派な職業だ
一職業としての坊主。 兼業坊主も、また必然だな。
>>450 俺の183の書き込みをもってレスに代えます。
454 :
名無しさん@3周年 :03/12/14 13:59
衆生救済が目的の仏陀が、性別、財産、地位、宗教、等の違いで人々を差別する事は無い。 「信者にならなければバチが当る」とか、「脱会したら地獄に落ちる」とか言うのは仏陀に対する侮辱です。 俗物が信者獲得や脅しのために言っているだけです。 仏陀の教えではありません。
>>453 俗化した経緯が、内面からの改革ではなく、政策によるものだというのは確かに情けないことではある・・・・。
漏れからは反論ないです。
>>454 「脱会したら地獄」云々言うやつこそ、地獄行きだと漏れは思ってしまう。
がしかし、死後の地獄などないと漏れは思っているので、
残念ながら(w?)そういう悪質なインチキ宗教家であっても地獄へ落ちることはないと思う。
地獄云々を怖がっているのは、カルトに関わったことのない人には何か馬鹿げた幼稚な話題に聞こえるかもしれないが、
実際その恐怖で突き動かされている人の何と多いことか。
退行催眠による過去生回想の事例などによると、悲惨な過去生(人間生)を思い出すことはあるが、
中間生(中有)については、地獄を思い出したなどという事例はないはず。
また、畜生生・餓鬼生を思い出したなどというのもないはず。
いろんな本を読んだが、少なくとも漏れはそういう事例を知らない。
仏教の三悪道などというものは漏れは信じていない。
証拠もなしに信じるなら、それこそシューキョーだな。
456 :
名無しさん@3周年 :03/12/14 17:50
証拠も無しに存在を否定するのもどうかと。
457 :
名無しさん@3周年 :03/12/14 18:07
「ない」という証明は困難。「ある」という証明は証拠を一つ挙げれば 済むので簡単。
458 :
名無しさん@3周年 :03/12/14 19:18
455 >退行催眠による過去生回想の事例などによると、悲惨な過去生(人間生)を思い >出すことはあるが、中間生(中有)については、地獄を思い出したなどという事 >例はないはず 退行催眠や前世療法自体が純然たる科学的手法による霊的次元へのアプローチ ととらえるか否かは人それぞれで難しいと思うよ。 退行催眠は恐山のイタコと同じで低級霊によるまやかしを見せられているとい う意見もあるし。 実際知人がそうなのだが、ニューエイジ関係のグループに入り、某氏に退行催眠 らしきことを施されてより精神的におかしくなったような人、表に出ないだけで 結構多いと聞いてるし、私自身はこういった一種流行の見解をそのまま真に受け るのはどうかと思うよ。 よしんば中間世(中有)の状態が施験者の記憶にのぼらないというのが事実だと したらそれは神仏があえて(理由があって)それを見させないということではな いかと私は考えてる。 チベット死者の書はわずか49日間の中有の時の死者の精神状態をあたかも外界 に存在する鬼や夜叉の姿で見せられるトーンで貫かれていますが、私は個人的に こんな短期の中有はないと思いますので、あれが一種の地獄界ではないかと思う。 よって私自身は特別な宗教の教団に所属はしてないけど、三悪道は客観的に存在 してると思う。 まあこれは信じる信じないの問題で、証明できないから永久に答えは出ない、実 際に死んでみなければわからない問題だけどね。
>>455 なんか昔、わしが親鸞会系掲示板に書き込んだ内容にそっくりで驚いた (w
>>458 前世療法でいえることは、トラウマになって今世に影響をもとらしているのはすべて前世の「人」としての経験だったって
ことだね。でその記憶がよみがえることで、トラウマが解消していく。低級零のまやかしなら治療効果が出るとは思えんけどな。
あとワイス博士の前世療法という本を読めばかいてあるけど中間世(神秘学的にはアストラル界層)を思い出した人たちもいる。
神秘学的には低位アストラル界(中間世)を地獄と対比させている。
地獄といっても針の山とか血の池地獄とかいうのはなく、粗悪な感情をまとっている人たちが集まっている霊的世界で、
物質界ほどの苦しみ(死の苦しみ)はないってことでトラウマにはなりえないのだろう。
ケイシーノリーディングも似たようなものだし、エドガーケイシー・ワイス博士の前世療法の内容・神智学とこれらは
非常に親和性がある。まぁだからといってそれが真実とは限らんわけだが、少なくとも仏教の世界観よりは好きだな。
460 :
名無しさん@3周年 :03/12/14 22:06
>>458 >短期の中有はないと思いますので
形而上のお話しになってしまいますが
こちらの一日があちらの一年と言っている方がいる。
どうなんでしょうね。
中有では、弱い光を受け止めれば、輪廻するという話しもあります。
最長、49日間で、強い光を受けるのが良いが
無知な者は、必ず怖がって拒否してしまうというそうですね。
阿弥陀如来に通じるチベット死者の書の面白い類似点です。
もし、輪廻転生が実際にあり、チベット死者の書が真なら
三悪道は人間として生きる事が許されない境遇のことだと思います。
人間界といっても貧富の差があまりにも激しいです。
漏れは、ワイス博士、飯田史彦氏などの本を読んだが、面白かったよ。 ・死後の世界はある ・生まれ変わりはある ・この世に生まれ変わるときは人間にしか生まれない と漏れの頭の中では当然の前提になってしまった。 そのため、これと矛盾する仏教の教説部分は漏れは信じなくなった。 死後は悪人でも安楽な自由な状態で生前を回顧・評価するはず。 その時、他人に及ぼした害苦を回顧すると、とてもいたたまれないような悲痛な気持ちになるのではないか。 この良心の呵責みたいな、心苦しさが地獄ではないのか。 また、あの世に較べると、肉体をまとったこの世こそ、地獄といえるほど苦しいのではないか。 少なくとも漏れはそう思っていて、もう生まれるのは嫌だ(仏教的精神!!w)。 それと、退行催眠の信憑性や安全性については、 ワイス博士や、飯田史彦氏の信頼する奥山医師の退行催眠事例は、漏れは信用している。 しかし世の中には、インチキ療法士みたいなのがワンサカいるだろうな・・・・・。
>>438 113さん
方法論の違いかと。
可能性は低くとも阿羅漢を目指せる上座部に心惹かれるわけです。
実はわたしも選べるのだったら、むしろ上座部だったりします。
自分が納得できないのは、心に引っかかって前に進めなくなります。
懐疑的といいますか、主観的になりきれない私は利他中心は難しい。
オカルトと思うところで引っかかります。
そんな人にぴったりに思えますから。
113さんは客観的な分析といいますか、冷静な目をお持ちのようです。
ただ、その方法はたんなる親不孝者で終わる可能性があるんですよね。
犠牲にするものがあるのなら、可能性ではなく、
必ずなるとの信念を持たなければいけないと思います。
敢えて言わないだけで、なれると心から思っているようにも感じますが。
とにかく「悲」って難しいです。
俺もワイス博士の本は読んだことがある。なかなか興味深かった。 で、上座部を持ち上げる「仏教徒」の立場で書き込むのは問題かとも思ったが、素直に思うことを書く。 俺は、仏教の地獄や六道輪廻の話は、仏陀の対機説法・方便の一つだと思ってる。 つまり、実はそんなものないのではないか、と。 上座部の瞑想法、ヴィパッサナーとアナパナにおいて、一番大事なのは「いま」であることが説かれる。これは禅とかも同じだね。 ともかく、真実は今、まさにこの瞬間にしかないとされる。その瞬間瞬間に真理は内包されているのだと。 禅の話でもあったよね。武士が天国地獄を禅師に尋ねたら、バカにされ怒ったら「それが地獄だ!」。落ち着いたら「それが天国だ」と。 浄土も即身成仏も、題目もヴィパッサナーも禅も、すべて「今、この瞬間」に気付くためだけの方便では無いかと。 そう考えたとき、死後の世界の有無はそれほど重要でないのではないかと。 もし死後の世界があり魂があっても、その魂(自我?)が、その瞬間を天国と捉えればそうだし、地獄と捉えればそうなる。 そんなことに気付くことこそが仏教なのではないかと。 で、ヒトラーも地獄には行ってません。天国に行ってるのです(このネタ分かる人はいるかな?)
>>454 仏陀は「私を信じろ」とか言ってないんですよね。
自灯明法灯明と言いますが、ともかくなによりも自らの実践的体験と、それを生み出すこの世の理(ことわり、真理)のみをよりどころにせよとおっしゃった。
もちろん仏陀のおっしゃったことを信じる、少なくとも期待しないのであれば修行自体やる気が出ませんので意味がありませんから、
ある程度の「信」は必要です。でもそれは決して妄信ではない。とりあえず全力で信じ、やっぱりだめなら捨ててしまえばいい。
だが仏教がここまで残り続けたのは、まさにそこに「真理」があるからだと思うのです。
だから、そんな真理があるならば、そして大小共通の無限の慈悲があるならば、「罰が当たる」とか「地獄に落ちる」などとおどす必要はまったく無いのです。
したがって、そんなことを方便ではなく本気で言った瞬間、それはインチキ仏教であることを認めたも同じです。
>>462 おっしゃるとおりだと思います。釈尊も一時的には親不孝に思えるような出家をしたわけですが、信念を貫き成道し、最後には至上の孝行をしたわけですから、
我々も出家を志すのならばそれを目指す決意は大事なことなのでしょうね。
ユーヴェが中田のパルマを4−0で粉砕!
ボカが浮かれポンチのミランを打倒!
昨日はほんとに良い一日だった。
こういう一見下らないことに安心して熱中できるのも、衣食住&治安の安定があるから
政治家さんありがとう。そしてそれを乱す仏教は消えろ!
>>164 親子3代に渡ってか。なるほど。職業化されてるみたいだから、
そりゃもう出家とはいえんわなあ。ところで宗教法人の優遇税制って必要ないと思わん?
宗教法人以外の公益法人と同じ区分けでいいと思うんだよね。どう?
>>465 113さん
そうなんですが、成功しなければ、お話しにならないどころか
自分勝手の親不孝者の最低人間のレッテルを貼られますね。
DEAD OR ALIVE の道だなとしみじみ思いました。
わたくし、その成功の鍵を考えてみました。
「祈るという波動が、世界平和に及ぼす効果は否定できないと思ってます。」
という発言に関係するのですが
祈るというのは、心の底からの大きな内なる声ですよね。
もし、心の底から祈るならば、その人の行動にも多大な影響を与えると
思うのです。
貴方にも、あの時〜してたのが今になって役に立った。
という経験はありませんでしょうか?
私は、内なる声が自ずと導いているという持論がございます。
もし、世界平和を願うならば、世界平和に繋げることに必要な事に対して 自ずと興味を示すものだと思っています。 別のことですが、思い当たる節がたくさんあります。 私は運という言葉が大嫌いです。 その部分に対しては「無」の認識になるからです。 悟りを開くのも、この心の底で悟りを開こうとすれば良いと思います。 また、思っているのに無理!という人は、悟りに対して執着が無い というのが、現状ではないでしょうか? 不思議な事に、悟りは執着が邪魔で 悟りに向かう事に関しては、欲深さが必要と思います。 波動云々より、113さんの深層にはどんな気持ちがあるのかが 気になります。 私は、世界平和の心が一番底ではありませんので、 思える人はどんな世界を見ているのだろうと興味があります。
祈りの効果について植物の育成で実験した結果、効果ありだったらしい。 対処物と祈る人との距離は関係ないらしい。 祈り慣れている人の方が効果が大きいらしい。 あと、いろいろ書いてあったが、忘れた。 飯田史彦著「生きがいの本質」(php文庫)という本に書いてあったはず。
470 :
名無しさん@3周年 :03/12/16 00:20
>>1 の煽りを完全無視して、仏教の話し続けてるのにはワロタ。
仏教親派の皆さんは大人でつね〜、もっとガンバレ太刀山!
471 :
小泉 顕雄 :03/12/16 01:02
>>タティくん いいように税金、フトコロへ入れてる政治屋さん方を褒めるやうでは あきまへんな。 サッカーにうつつ抜かしてる暇あったら、ソッコーで「害毒としての間接民主主義」 っていうスレ立てなはれ!
>>469 動物と人間は違います。
素直な人間ばかりならば、いいのですが。
凡夫は無知が最強の鎧です。
果たして、どれほどの効果があるのかは、疑問視なのです。
やっぱ、祈りながらも、行動に移すのが最適ですから。
確かに、植物・動物のように素直な存在じゃないと、効果は疑問だろうね。 人間は自ら迷妄・執着を強める存在だからなあ。
祈りは自己暗示、自己催眠的効果もあるんらね。
祈りの効果があるとすれば、 悪念・呪いの効果もあるのだろうか。
>>466 はっはっは、太刀山さん、とりあえず3代分だけ書いたけど、僕は正確には28代
目なのですよ。それから、坊主は職業ではなくて“生き方”なのですよ。
せっかくだから、三代続く→職業化→坊主と言えない、てのは何を根拠として
言っているのか教えてくだされ。
それと、優遇税制云々と話をそらさないで、あなたが原始仏教から“仏教は害
毒だ”と述べた根拠を、いい加減に示してもらえませんかね?このスレを立て
た責任をそれなりに感じているなら。なんも感じていないから話をそらすんだ
ろうけど。
>>471 仏教にうつつを抜かして信者から金巻き上げて糞みたいな寺や仏像作ったり
してる連中よりかは政治家の方がましでしょ。
政治家は自分のことに金を使えば公金横領で現実に裁かれるが、坊主連中は
それすらないでしょ。
あとなサッカー(娯楽)にうつつを抜かすために政治も宗教もあるのよ。
うつつを抜かせなくなったらなんのために生活を安定させ、治安を維持し
福祉を行う意味があるってんだ?
>>476 原始仏教が害毒な理由。
輪廻を元にして因果を語るから。
ところで俺を屈服させるなら松本史朗が正しいって証明するのが一番早いかな。
松本仏教が仏教の正しい姿だってんなら素直に俺は自分の非を認めるよ。
>>坊主は職業ではなくて“生き方”なのですよ。
生活の糧を坊主ってことで得てないのであればそういえるけどね
>>478 補足
托鉢とか喜捨とかじゃなくて法事とか葬式で金もらってるかってことよ。
>>449 遅レスだがその通り。そこが日本が他の仏教国と違うところ。
前にも書いたが明治政府唯一の功績。
ところでオレの友人が坊主じゃないんだが某仏教大学行ったのだが、外部の人に
大学名いうと必ず「お家はお寺って?」いわれるって辟易してた。
こんな話がまかり通るのも日本だけだなあと思うとなかなか興味深いやね。
代々坊主で浄土真宗以外の人は明治政府に感謝しなさい。
生まれて来られなかったかもしれないのだから。または日陰者になってたかもねw
>>466 宗教法人の優遇税制は俺も疑問。
>>467 DEAD or ALIVEとのことですが、そういう解脱至上主義には疑問を感じます。
出家し解脱を目指す側の立場でこう言うのは逃げだとも思いますが、一般論でということで。
もし成功しないと親不孝者の最低人間だということになってしまうと、出家者のほとんどの人間が親不孝者になってしまいます。
大乗の言い方だと「仏陀の境地は目標であっても絶対にたどり着かない。それを目指す菩薩道にこそ意味がある」となるわけですが、俺は上座部もこれでいいと思うんですよ。
もちろん今だって阿羅漢がいるわけだから、実際に目指せる境地であるのは事実です。でも、同時に、目指す過程にも意味があると。
成功至上主義では、資本主義社会日本に蔓延するいろんな問題そのものではないでしょうか。仏教が提示できるのは今この瞬間に意味がある、未来の結果では無しに、ということだと思うのです。
祈りについてですが、よく反戦集会とか教会・寺でのお祈り会などをすると、「んなことやっても意味が無い。現場行ってなんかやれ。もしくは金出せ、服出せ、物資出せ」と言う人がいますが、これと同じことなんでは? 祈りにもいろいろあって、たとえば一週間飲まず食わずで戦争終結の荒行をやるとか、護摩をたくとかいろいろあるわけですよね。 これに「意味無い!」と言ってしまうのは、無宗教者の立場だと思うんですよね。 一言で「祈ってるだけじゃん」と言っても、それは具体化の方法論の違いであり、実際に人間(じんかん)に入り込んで為すのも、山奥で祈りに専念するのも、どちらもありだと思ってます。
>>471 あのねぇ、仏教界がそんな生臭坊主や団体ばかりと思うのは勝手だが、もっといろいろあるのよ。
たとえば寺にしたって教会にしたって、そこに信者さんがやってきて、仏像なり十字架を前に祈り懺悔し、心を平穏にしたり豊かにする。
そんな効果があるのよ。
寺とか仏像とかは、決して坊さんの占有物では無い。それは上座部においてさえ、そう。物理的なシステムにおいては、在家が出家に布施をしているが、その結果、在家は功徳という精神的応酬を受ける。
また、寺や仏像が整備されることで、在家は信仰心の方向性を保つことが出来る。
ミャンマーではパゴダを建てる事が大いなる功徳になる。「そんなの坊主が在家だますための詭弁だ」と君は言いそうだが、実際にそれで多くの在家が心の豊かさを得るのも事実なんだ。
政治は市民から税金を取り立てる代わりに、娯楽にうつつを抜かせる。
宗教は信者からお布施を取り立てる代わりに、心の安寧にうつつを抜かせる。
同じことだろ?
>>479 托鉢と喜捨も、法事や葬式と「まったく同じ」なんだがなぁ。
どうして法事や葬式で坊さんが経典読み上げなきゃならんのだ? なんの意味がある?
そこには「追善供養やそのほかのことをやって、残された者の心を安寧に導く」という効果があるわけだろう。
そして托鉢や喜捨も、そうすることでその人物が心を安らかに出来るんだ。「恵んでやってるんだ」という驕りではなく、「喜んで捨てさせていただく」、そこに価値を見出せる者がすることなんだ。
>>480 大学についてはよく知らないけど、キリスト教圏やイスラム圏でも、そういう宗教的なものが中心の学校ってあるんじゃないのかな?
日本に限ったことでは無いとも思うのだが。
また、仏教的には、今この身で(たとえば太刀山として)生まれずとも、輪廻の因果があるなら誰かの子供として生まれるのは必然とも言える。
むしろ、今この身にこだわること、これこそが執着。
話し外れるかもしれんが、人工授精とか試験管ベビーとか代理母とか、あるよな。
気持ちは良く分かる。わかるんだが、これらは「自分の子!」というのに執着しまくってる行為とも言える。
これってつまり、自分の血を継ぐ子供以外は要らない! ってことでしょ。もし子供が好きで育てないなら、養子でももらえばいいってことだし。
「自分」「自分の子」という執着は他人の子を差別することにつながり、しいては他国やその他いろんなものを差別することにつながるわけだ。
こういう「こだわりを捨てよ!」と、仏教は言う。
>>483 について訂正。「取り立てる」ってのは偉そうだ。政治も宗教も、どちらも「いただく」と書くべきですね。
ごめん。
ごめんイジメすぎたかな。やっぱり麻薬の売人だって急に仕事取り上げられたら 困るよね。メシの種には触れないようにするわあ。 ところで宗教法人の優遇税制について法改正した方がいいと思わない?
というか、あんたの言っていることは現実を知らない文明人の ただの奢りにしか見えないぞ。
>>481 >出家者のほとんどの人間が親不孝者になってしまいます。
私も個人的には、出家をするというのは、素晴らしいと思いますが
日本では一般的に、そういう評価になると思います。
本音は、今をよく生きているのだから、ほっといてくれなのですが。。。
日本の母性社会では、在家坊さんなのが妥当になってしまうのかなと。
ですから、「今この瞬間に意味がある」を提示するのも
結局は ALIVE であってこそになります。
結果より過程が重要なのに、結果を出さないと過程の重要性を示せないとは。。
右に習え精神を崩すのは難しそうです。
>>482 よく食いついてしまって申し訳ないのですが。
祈りは、他に術が無くてのリーサルウエポンだと思います。
平和を願うのに、戦争がある。そんな自分はどうしようもない。
どうせ無駄だと自分を言いくるめば良いが、
仏教、キリス教の共通する所は、自分にまで二枚舌をつかうなと。
だから懺悔するのではないでしょうか。
懺悔をして、あきらめずに心から願いつつければ、それは必ず
行動にもあらわれ、人にも気持ちが伝わり、意味を為すと思います。
だから、全力を尽くす結果が山奥での祈りなら、イイと思います。
社会全体としては、世間に入り込む方が必要ではと思います。
主客を織り交ぜて話しているので、もうしわけありません。
行動がどうのこうのとシツコイわたしですが、 中道を求めたときに、上座部はあまりにも世間というものを 切り捨ててしまうので、限られた人にできると思うのです。 世間・出世間の両極にも、中道があると思うのです。 その中道は、人に応じて違うと思います。 世間のしがらみが薄い人は、出世間に行けますが 出世間といっても、僧団があり、そこにはやり、まだ、しがらみがあります。 113さんの一番適した道は上座部そのものなのかなと思った次第です。
祈ることができる奴は行動する。できないのは祈ってるフリをしているだけ。 障害者とかは別よ。
>>488 お褒めいただき光栄です。ありがとうございます。
当方夢の世界じゃ生きられないもので。
>>485 坊主=出家者の家の子っていう異常性がわかんないの?
ほんとに上座部とか知ってんのかよ?
>>488 これは俺に対してのレスなの? 太刀山はなんだが浮かれたレスを返してるが。
>>494 単語使用の厳密性を気にするなら謝るよ。俺はただ日本の僧侶を愛称的に「坊さん」と呼んだだけだからな。
イタいスレだな。
497 :
ソーシキ仏教 :03/12/17 00:31
>タティ::政治家は自分のことに金を使えば公金横領で現実に裁かれるが だーかーらー、おめぇさん、どこまで知ってんだか知らないんだかって小バカにされんだよ。 ネズミ捕りと一緒で運の悪い政治屋しか、しょっぴかれてないだろ。自分党いや、自民党の 連中の1割でもいいからタイーホされてから言ってくれ。 因みに、オレの名前も知らねえよーでは政治のハナシは、もちろん、仏教のハナシも止めて おいたほうが良さそうだな。(ヒント:広務ちやん
事情通ぶったDQNまで登場。
毒饅頭の毒抜いたのでいいから食わせてくれ
>>495 あんた仏教徒なんだから文明人であるわけないじゃん。
>単語使用の厳密性を気にするなら謝るよ。
>俺はただ日本の僧侶を愛称的に「坊さん」と呼んだだけだからな
日本と日本の影響受けた韓国の一部以外で何処の世界に出家者が平気で
子供作って受け入れられてる国があるんだよ。
そんな素晴らしい環境は浄土真宗と明治政府のお蔭だってことを
みんな理解しなきゃダメよ。そして俗のすばらしさと出家の醜さを
世界に広めよう友達のわっ!
まあ、日本仏教でも、肉食妻帯したくなけりゃ、しなくてもいいしな。 って、周りがみんなそうなら、しないのは現実には難しいか・・・・。
>> >坊主=出家者の家の子っていう異常性がわかんないの? 「出家」という言葉の意味を把握していない。 原語では、家屋に住まない、妻帯しない、の意味はないといわれる。 例えば当時の婆羅門・僧侶は世襲制が原則で、非妻帯・屋外居住というもの を否定していた。
はて。 婆羅門は「出家」なのか? 出家修行者は婆羅門でも僧侶でもないよな?
訂正。僧侶ではあるかも。 ×出家修行者は婆羅門でも僧侶でもないよな? ○出家修行者は婆羅門ではないよな?
505 :
名無しさん@3周年 :03/12/17 13:34
>>503 当時のインドの体制を考えますと、王族の上に位置する
社会的地位なので、俗世間そのものに浸かってます。
その階級制度に意を唱えたのが、沙門といわれる人達で
この階級すべてから、バイバイしました。(釈尊もそうだった。)
バラモンの子はバラモン。
それ以外は成れません。
出家修行者とは、身分を越えて可能にさせる行為。
日本の出家は精神的な出家だと思います。
親や先祖は大切だけど、第一は仏様なのだぞという。
在家では、先祖・親が一番。仏様にお願い。
といった日本独自なものではないでしょうか。
506 :
ヤブノナカ :03/12/17 14:23
>>498 お気楽前総理にバカにされる「寝てる住人」に
DQNと言われりゃあ、世話ないな。
>>506 そりゃあお前、誰から見てもDQNはDQNだろ。
>>478 あなたが挙げた実例が間違いだって、とっくに指摘しましたよ。
それと、僕は松本仏教が正しいか正しくないかについては触れていません。
また微妙に話をずらしましたね。
>489 日本の出家は、どう考えたって本来の出家では無いですね。 寺の「財産」を継ぐために、子供や親戚から一人「本山」に差し出し、財産相続権を認可してもらうようなものです。 ここで子供が「いや、僕はまったく仏教に興味が無い。誰か求道心のある弟子を取るべきだ」などと言うと、住職である親父さんはともかく、親族が黙ってないでしょう。 日本で真の意味の「出家」をするのは、単なる変態扱いされるのが今の日本です。 そんなことだから、オウムのようなものの跳梁を許すことになるわけですが。 日本仏教が、物質界ではなく精神的な道を求める者の期待に応えられなかったわけで。 そういうわけで、日本仏教はまさに結果(相続)を追い求めるものに成り下がってしまったと感じます。 それぞれの宗派、大乗が問題なのでは無い。明治政府の廃仏毀釈、いや、江戸時代の檀家制度以降の問題です。
>>490 いえいえ、そういう考えもありだと思います。
ただし、行動する者も、祈りに専念する者も、逆の立場の者を責めたり、優越感に浸るべきでは無いと考えます。
宗教者であるならば物質的手段を使わない祈りにもそれなりの評価をしてすべき(してもらいたい)し、逆に政治やボランティアなど、物質的なものに宗教の効果を及ぼそうとする者を非難すべきでないと思います。
>>491 上座部の世間へのかかわり方は、東南アジアにおいても考慮すべき問題となっています。
タイではエイズ患者の終末医療に取り組んでいる僧院がありますが、仏教界だけでなく一般市民からも疑問視の声が上がってるんですね。
俗なことにどこまで僧院側は踏み込んでいけるのか。
これは今後も考え続けるべき問題だと思います。
>>509 少子高齢化の影響か、跡取りのいないお寺はいくらでもありますし、仏縁あって
お坊さんになる在家出身者もいっぱいいます。もちろん親戚からあのお寺をなん
とか……って場合もありますが、純粋な信仰心から真の意味での「出家」する人
も存在します(僕の知人にもいます)。それも忘れないでくださいね。
513 :
名無しさん@3周年 :03/12/18 01:03
千人に一人いたら鬼の首でも取ったように言うのかw
514 :
名無しさん@3周年 :03/12/18 01:06
しかし仏教は何の役にもたたんな。 まぁ宗教ってのはそんなもんか・・・
515 :
名無しさん@3周年 :03/12/18 01:09
>>514 仏教は特にだ。あれじゃ葬儀屋の読経部門と変わらん。
>>513 出家の動機が純粋な信仰心だという人は、ごく控えめに見積もって、お坊さん
50人に1人と思ってまず間違いないですよ。
517 :
ヤブノナカ :03/12/18 01:29
>>507 悔しかったら「小泉顕雄 議員」の感想やら本のこと
一行ぐらい書いたら、どうだ?
本の題名は「もっと教えて」に、して欲しかったとか・・・
いいかげん 113 の電波っぷりやとりまきの知ったかぶりがイタいのだけど、 なんとかなりませんかね。 ヴァカは太刀山だけで十分だよ。
>>512 もちろんそれは理解してます。
今でも日本各地の本山やいろいろなところで、修行に専念してらっしゃる方がいるのは事実ですからね。
でもおっしゃるとおり、そういう人が50人に1人なのが寂しいところで。
>>518 俺が電波だというなら具体的な例をもって示せ。
>>519 50人に一人なんてヨタを鵜飲みにしてるところだけで十分。
>>520 具体的な数字は知らないけど、感覚的にはそんなもんじゃねぇ?
あと「執着」「因果」あたりの基本用語さえまともに使えてないところもだな。
>>522 ほうほう。まともに使えてないと知ったかぶりで指摘されてもさっぱりなんだが。
って煽りに反応するのはよくないか。風呂はいろ。
感覚だけかよw 他人を非難するのにそんなのが許されるとでも思ってんのか?
私の経験からすれば、宗教系の大学の仏教関係学部で寺院の子弟は、2割前後、 本山加行の全体の3分の2ほどが、一般からの出家でしたけれど。
113 は「葬式仏教」「生臭坊主」というブランドイメージだけで 語ってるだけ。僧侶とまともに話をしたことすらないと思われる。
113さんのレス、まだ読んでいない新参者ですのでまたキョートーできるかどうか 明日以降にさせて頂きますが、 ヴァカの太刀山に向けて「コイズミアキオさんなる浄土宗の僧侶さん」をご登場 させたのだが、タティ以外とやり合うハメになるとは、このスレ向きと言やあ、 このスレ向きか。 で、張本人はトンズラなんだから、 なんとかなりませんかね。(オヤスミナサイ
528 :
名無しさん@3周年 :03/12/19 03:57
>>510 わたしの述べたい事はそこです。
自分の状況においてのベスト(その人の中道)を発見して
お互いが「あなたはそう来ましたか〜」
と尊重しあえる心の広さがほしいですね。
ただ、中道でなかった場合はバシッといえる存在が欲しいです。
>>511 こうなったら、上座部は上座部で世間と切り離して
行って欲しいものです。
変に大乗して欲しくないです。
私は、いろんな立場に応じた仏教の教団があってもいいと思います。
世の中には、小乗が適した人がいると思いますから。
大乗が適した人が小乗しちゃいけないというだけで。
>>528 同意。
意に反してタイの上座部は、サンガから追放されたタマ・カイ運動はもとより、
プッタタートその他、大乗化した運動が勢いを持っていて、伝統的なサンガは
取り残されていくばかりが悲しいですね。
小泉 顕雄って誰? そんなことよりコッパイタリア ユーヴェvsシェナ2ndレグ 2−1でユーヴェ勝利 得点者はデルピエロ、カモラネージ。デルピエロはここ3試合(CLオリンピアコス、 セリエAパルマに続いて)連続得点。ようやく怪我から復調してきたね。 ヒャッホウ!
>>530 >>小泉 顕雄って誰?
これはまったく同感w
>>526 臨済宗の僧侶と話したこととかはあるよ。また、タイの日本人比丘と話したこともある。
確かに525さんの言うように在家から志を持って出家する人が多いのも事実でしょう。
でも実際のお寺はと言うと???なところが多い。
それに、日本仏教が葬式仏教に「堕した」問題点など、書店に行けばいくらだって並んでるし。
在家から出家したものには継ぐ寺も無く、上座部のように在家と出家の境界が厳格でないため、結局俗界で普通に働いて生計立てたりということになりがち。
田舎の祖父母の家は真宗だが、そこの僧侶は30代なかばで、話題といえば「早く嫁もらわないと」ということばかり。
あぁ、真宗だからいいのか。
>>527 >>で、張本人はトンズラなんだから、なんとかなりませんかね。(オヤスミナサイ
これって俺のこと? 俺だって仕事とか忙しいときがあるんだけどね。
>>528 なるほどなるほど。上座部は上座部で世間と切り離していけ、というのもありかもしれませんね。
でもいまや上座部最大の売りともいえるヴィパッサナー瞑想は、出家しない在家でも十分効用があるわけです。
世間と切り離し・・・といっても托鉢・喜捨などでつながってる関係ですから、瞑想指導などなにかしらの還元は、必要でしょうね。
>>528-529 なんか上座部をおもっきり勘違いしてやしない?
出家だからといって外部社会と切れてるわけじゃない。
出家と隠棲とは関連はあるが本質的には別のもの。
隠棲を旨とする部派がないというわけじゃないが、それでも世間とかかわるこ
とが上座部の本来のありかたから逸脱してるかのような言い方をするのはおかしい。
また、外部社会に積極的に関与することと「大乗」とはまったく別の話。
上座部内部の改革運動を「大乗化」でくくるのはまちがってる。
>なんか上座部をおもっきり勘違いしてやしない? あなたが少し思い違いをしているような。 取りあえずタイを例に取れば、近年は法制上、国家の枠の中には入ったが、 社会の枠の外、という立場を上座部は捨てていないし、それまではそうだった。 戒律の拘束のせいで社会に期待されるようなことは、あまりできないとい うのは本人たちが嘆いているところ、それでスックした人たちも知っている。 また社会に積極的に参与しないということで批判されているのも事実。 上座部本来のあり方からすれば、社会と無接触ではないが、今日的な 意味で社会との関わりを持つことには限界がある。 タマカイ運動や、プッタ・タートが大乗化ということは、タイ・サンガ の比丘たちもそのような批判を行ったし、日本の文化人類学でも取り上 げられている。 プッタタートの言説なんか、シャーンティデーヴァ(アクシャマティ)の 受け売りでしょ。彼はそれを実行に移したところが偉大だとは思う。
535 :
実行委員長 :03/12/19 12:32
止息法を知らないで、仏教を語るな。来世で浅原になるぞ。
537 :
名無しさん@3周年 :03/12/19 15:21
>>534 フォローをありがとうございます。
弘法大師が、十住心論とかいうので
述べてますが、宗派の違いはその時点の機根に過ぎないと。
誰もが上る階段なので、自分の立場から批難する事なかれと。
国単位でみたら、不満を覚えれるかもしれませんが、
仏教全体でみたら、それも必要じゃないかとおもうのですよね。
わたしは、・霊が見える人達の修行法
・教学中心の人達の修行法
・自分がかわいくてしょうがない人用の修行法
・人になにかしないと気がすまない人用の修行法
・妄信的な人用の修行法
・疑い深い人用の修行法
いろいろあったら、面白いです。
538 :
名無しさん@3周年 :03/12/19 19:37
小泉 顕雄さん 「参院法務委員 決算委員 浄土宗教 伝寺住職 佛教大講師」 だそうだ。 坊さんで、議員さんなんだね。 しかし、私は常々思うが、髪を伸ばすのはどうかと思うよ。 本人に「坊主頭にしたくない」って、 そういう煩悩を持っている気がするから。 セットが乱れたら気にするだろうし。
539 :
名無しさん@3周年 :03/12/19 22:20
>>534 それを現象の上っ面だけの見方だと批判してるのだがね。
タイにおける「批判」は単なる悪口としての「大乗化」だし、
なんで文化人類学がそういう話題に対する論拠になるのかも
さっぱりわからん。文化人類学が何をする学問だかわかって
いってるか?
大乗と上座部との本質的差異は出家を悟りなり涅槃なりの絶対的
条件とするかどうかにあるのであり、そこの変更のないまま大衆
との関わりを増やしたところで「大乗化」したことには
ちっともならない。世俗との関わりは大乗にとってはmust
だが、上座部にとってはオプションのひとつ。上座部だからといって
大衆救済に動いてはならないなんてことはない。
タイ仏教界の保守派がたまたま世俗に対する超然主義を
とっているからといって、世俗への関わりが上座部から
大乗への変化を意味したりはしない。超然主義のもとで世間との
関わりを失ったことへの反省から改革運動がおきていることと、
「大乗化」とは明確に分ける必要がある。
540 :
名無しさん@3周年 :03/12/20 00:02
>>539 おれは違う人だけど、
オプションの一つと言えども、釈尊が比丘尼の存在を
しぶしぶ承認するぐらいだったから
できたら、関わりたくないのが本音だと思いますよ。
改革は誰を納得させるかというと、信者の方だから
修行の質がいくらか落ちるのは確実だと思う。
だって、伝統を守ってるのだから、改革自身が変じゃよ。
ペロさんとやら、そのコテハンはもしかしたら、ここ以外でも使ってません? 他所でお見掛けしたような気がするのですが。
542 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/12/20 02:24
ええ他所でもたくさん使ってますよ。 いちいちコテハン変えるの面倒なんで。
ユヴェンティーノであること、朝青龍好きであること、千代大海好きであること、 孔墨の徒であること、キリスト者にとって異教徒であること、仏敵であることは、 私にとって素晴らしい。前の5つは別として特に最後のものは人間として生きる上では 必須である。 このスレに書き込んでいる人たちと私の仏教観はほぼ等しい。 なぜなら私は松本史朗氏の仏教観は誤りであると認識しているし、多分このスレに 書き込んでいる人たちもそこは同じであろう。「松本仏教は仏教ではない」という ことにおいては共通認識をもっている。ではどこで私は仏教徒と対立せねばならないのか? それは私が「仏教は松本氏が考えているような理知的で、非神秘主義、平等主義で 人を救うにたるものでは決してない。それゆえに害毒である」との立場なのに対して、 そして私と対立している人々は「仏教は松本氏が考えているような仏教は松本氏が考えているような理知的で、非神秘主義、平等主義で 人を救うにたるものでは決してない。それゆえに善いものである」という立場だからだ。 私を屈服させるのは実は非常にたやすい。なにをもってたやすいとするか? それは松本史朗氏の言説が仏教の正統であると証明すればよい。 もし松本説が正しいのであれば私は今までの発言を撤回し、仏教に回心しよう。 しかしそれはありえない話なのでまあ私が「仏教は害毒である!」という主張を 撤回することはないであろう。 故に
>>539 >タイにおける「批判」は単なる悪口としての「大乗化」だし、
サンティアソクのサンガ追放と言うのは、教義・内容にわたって
詳細に検討され、その間のことは公開されている。
決して悪口のレベルではないし、タマカイ(タンマ・カーイ)にしろ、
dhamma kAya、のタイなまり、つまり大乗の法身から来ている。
これによって従来の上座部仏教にはなかった教義と実践を始めた
ことに摩擦が起きたもの。
それに#単に悪口#としても、それが上座部仏教と異質であるから
問題とされたことが分かるだろう。そうでなければ、悪口さえも起
こらない。
>文化人類学が何をする学問だかわかっていってるか?
そちらこそ分かっている? 偏執的な宗教論に陥らない分だけ客観
的分析に優れている上、パーリ仏教の教義に精通した若干人の論考
もある。
>大乗と上座部との本質的差異は出家を悟りなり涅槃なりの絶対的 >条件とするかどうかにあるのであり、そこの変更のないまま大衆 >との関わりを増やしたところで「大乗化」したことには >ちっともならない。 1962年のサンガ法成立に際し、サンガラージャの任免権を政府が握 ることによって、サーサナの社会への還元を求められている。それが 現在のような形になるのは、サリット政権が崩れて後の現国王の意見に よるもの。それでも大衆への関わりは、プッタタートやサルボダヤ 運動、タマカーイ運動等々の伝統・非伝統両者の改革運動に影響されて のこと。これらの運動が起こるまでは、積極的な社会への接触はなされ ていないし、現在でも伝統的上座部は、開発僧といわれる人々でさえ消 極的で、実際の活動は、デクやネーンたちが行っている。 この対比は、現地のマハーニカーイの僧院だったが、ここで彼らの口 などから直接見聞した。
パソコンが落ちて続きの文章が消えてしまったので、 以下はまた後日にする。
消えてしまって、二度も書く気はないから、要点のみ。(後日は待たず) 大乗と上座部の教義上の相違ひゃ、視点により種々上げられるが、戒定慧の三学で捉えた 場合、現在の正統上座部の場合、パーティモーク(別解脱律儀)により、ニッパーン(涅 槃)に到達できるとする。これに対して、タマカーイが行ったことは、禅定により法身を 見ることで「悟り」が得られ、在家者でもニッパーンに至れるとした。 禅定の方法も、業処を説き、色法の分析に終始するAbhidhammmatthaasangaha、 nAmarUpapariccheda等に示される伝統的修法やビルマ式瞑想法(ヴィパッサナー)と異な る上、在家者が涅槃に至れるとするのは伝統説に対する異端説である。 プッタタートは「私はこの命と身体をブッダに捧げます。私はブッダの奴僕(dAsa、skt.同)で、 ブッダは私の主人です」として、インタパンヨーの戒名からプッタ・タート(BuddhadAsa、パーリ 表記でBuddhadAso。「ブッダの奴僕」の意味)と、改名する。禅から影響を受けたとされるが、 この文言自体シャーンティデーヴァのBodhicrayAvatAraの3-18、6-125偈の借用である。 また彼は戒と定に終始する伝統説に対して、戒と禅定による静められたところに持たさ れる仏の「智慧」を説き、これは慧能に認められる三学一致説にほかならないが、こうし て戒定から転じて「智慧」を重視し哲学的な思弁を好んだ点、大乗的であると批判される。 彼はこうしてサンガの教理の根本であるVisuddhimagga(ウィスティマック、ヴィスディマッガ) さえも否定し、哲学的思弁(智慧)を背景とした民衆救済運動を展開した。 このように本質的に従来の上座部の教義とも、構造上の差異が認められる。 伝統的教団の社会への門戸の開けは、政情の変化とこれらの運動に促される形で行われた が、なお一部の改革運動のようにサーサナを安易な福祉思想に読みかえることに満足せず、 現代社会の期待と伝統的教説のはざまで葛藤し、沈滞し相剋できずにいる状況のように思 える。
現在の日本でも、仏教は社会との接触を断ったことは一度もないが、このスレで「実 害」と評価されるのが実情なように、社会と接触があることが、そのまま社会貢献や社会 浸透と同義に見なすことは誤りだと思う。 そしてその上で、上座部が大乗的にならなくても、前代までの出家主義・伝統主義を貫 き伝統的経説の保存に努めて欲しいと私は願っています。 追伸:サルボダヤは東南アジアで知られていない訳ではないようですけれど、スリランカ の運動でした。間違え、スマソ。
セックスしそこなった。あの葡萄は酸っぱいに違いない。
生け贄を差し出す宗教の徒、だったのか。恐ろしい。
>>534 せっかく書いてもらって申し訳ないがここは戯論をもてあそぶ場ではないので
そんなもん書くんだったらエロ小説でもコピペしてもらった方がまだ有意義だ
>>552 エロ小説の方がよっぽど戯論だが。日本語さえも分かっていない香具師だな。
君のカキコもよっポど大衆を愚弄しているんだがね。
>>551 儒墨のこと。
554 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/12/23 00:29
534さんの記述からはブッダダーサ比丘の活動がよくわかってありがたいです。 534さん自身はブッダダーサ比丘のような傾向にはやや疑問がおありの様ですが、 僕はかなり刺激を受けましたね。あらためてかの比丘はホンモノだと思いましたよ。
>>553 墨子の明鬼編読んだことある?
ここでは鬼神にイケニエを捧げる意味について語っているのだが、
鬼神が本当にいればイケニエを捧げることは、鬼神を喜ばすことになるからイイコトだし、
鬼神がいなくともイケニエをみんなでわけてご馳走にありつけるからいいことだ。
なんて泥臭くていい言葉だ。
今日も楽しくセックスできて病気もせず、餓えもせず、安寧に暮らせるのも 多くの俗世の方々のお蔭です。 一点むかつくというかなんだかなあと思うのは出家した気になってる奴らまで この安寧を享受しているのに、本来受けるべきであろう人々が苦しんでいる 現実があることだなあ。
上座部とのからみを全く抜きにすれば、個人的にプッタタートは
尊敬しています。お写真でしか知らないが威厳もあるし。
>>555 生物の命を捧げる供儀を肯定する宗教は疑問でしょう。
中国人は文革の頃まで食人したカニバリストだし、それを養ってきた
土俗風俗に従う真似は出来ないな。。。
>>558 極端なことをいえば100万頭の犬ネコより麻原の命の方が貴い。(別に麻原じゃなくてもいいいんだが)
まあ元々人間の命をたかが畜生と量りにかけること自体そもそもナンセンスだけどねw
虫ケラの命までありがたがってるふりして、その内実は人間の命も虫ケラなみにしか
扱わない仏教なんぞはそもそも孔墨に対しようってこと自体が不遜。
>>559 1.アーレフ(オウム)が仏教なのか?そこからして疑問。
彼らは終末思想を説きキリスト教も公言していた。
幸福の科学を見れば、キリストもブッダも孔孟も名乗っている。
本人が名乗れば、名乗った宗教に属するというんであれば、これ
ほど皮相的見解もないと思います。
仏教の歴史で、教主に命を差し出すことを強要した例はないでしょう。
有るのならご呈示を願います。
儒教が生け贄は正当化しているのは、別に墨子を持ち出さなくても周礼・
論語でも充分です。また周武の廃仏を見ても分かるとおり、儒教は仏教に
対して暴力に訴えたこともあります。
徳川幕府の事実上のイデオロギーとしてはたらき、民衆を隷属させ、
明治以降の天皇論へと結びつき、太平洋戦争で八紘一宇・国体論を生
み出した亡霊を、今更持ち出すこと自体ナンセンスだと思います。
そういえば明治政府も廃仏を行いましたね。
>>560 そっくりそのままお返ししますよw
そんなことより今日はユーヴェのネドヴェドがバロンドール獲得したんですよ!
不幸な仏教徒(そういやバッジョもそうだな)の方々にも祝わせてあげますから
一緒に祝福しましょ!
グランデ! パヴェル!
>>561 >そっくりそのままお返ししますよw
全くもって意味不明でごわす。
日本人の精神構造を規定し、戦時下の精神的病理の要因となったものの中で、 もっとも早期に批判の対象となったのは、前近代的な封建意識の温床温情をな した儒教的道徳観念であった。丸山の『福沢諭吉の儒教批判』において指摘さ れているように、徳川封建体制の正統的イデオロギーであった儒教思想は、明 治維新以後の近代日本においても、日本人の思考様式に無視しえぬ影響を及ぼ しつづけ、近代日本人における独立自尊の精神、自主的人格の確立をはばむ障 害として作用し続けた。 (『丸山真男とカール・レーヴィット』佐藤瑠威) というのは当を得て、まさに定説。
ほかに丸山の文に、 貴賎上下の別を絶対化し「民はこれに由らしむべしこれを知らしむ可らず、世 の中は目くら千人目あき千人なれば、智者上に在て諸民を支配し上の意に従は しめて可なり」といふ「孔子様の流儀」では……(『戦中と戦後の間』) と自らの運命をお上にゆだねてしまっている無主体儒教思想が、近代的主体の 確立において克服しなければならない、封建的身分意識と深く結びついた儒教 的道徳観念であった、とされている。 この民衆を愚弄した発言はなんとかならんものかね。
ちょと逸れたものとしては黒住氏の 儒教と神道との習合や江戸社会における仏教の影響力の大きさを指摘して、 儒教が宗教や政治の面での固有の正統性を確立できず、神道などに論理を提 供することで既存の権威に寄生していった事情を明かにしている。明治期に なって、儒教が近代天皇制を支える道徳の根幹(教育勅語はその典型)を提 供したのは、こうした前提があったのである。 (黒住真『近世日本社会と儒教』) こうなってくると真の悪は国家神道ではなく儒教だな。 ほかにもいっぱいあるけどこの辺で。
上の一連のことは仏教徒が中途半端に儒教取り入れただけ。 というか孔墨の徒に儒教のことで文句たれても無駄よ。 まともな孔墨の徒は儒教なんか認めてないから。
スレタイ変更した方が良さそうだな。
●太刀山型の土俵入り● 「害毒としての儒教」●浅薄・好戦的●
>>566 >上の一連のことは仏教徒が中途半端に儒教取り入れただけ。
明治政府以降の廃仏下での出来事に、この言い訳はちょっと情けなさ過ぎる。
過去レスでも、出典・根拠は何も示していないしね。
>孔墨の徒に儒教のことで
「孔子」ならともかく、「孔・墨」というからあえて儒教としていていいんじゃない(W
こんなHPもある
ttp://village.infoweb.ne.jp/~fwjf1833/bokuka.htm ・墨家は神を信じ人類愛を説くという異色の思想集団であったが、同時にすぐれた守
備能力をもつ戦闘集団という面ももっていた。
口先だけで他人をたぶらかそうとし、好戦的な思想であることだけはよく分かった。
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| || || ○ このスレはこれまででだいたい結論が出ましたので終了です。 || || ○ これ以降書き込みは、「第2部開始」と明示して新しい話題を提供してください || || ○ 糞レス放置にご協力お願いします。 Λ_Λ || \ (゚ー゚*) キホン。 || ⊂⊂ | ||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄| ( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄ 〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧ は〜い、先生。 〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,) 〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
569 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/12/25 20:51
太刀山くんは孔墨の徒だと言うから、僕には孔墨の事がよくわからないので、 どこが素晴らしいのか教えて欲しいとお願いしたんだけど、教えてくれないしね。
>>太刀山型の土俵入り 痛いところを突かれたね。 教えを説くのは良いとしても、それとちみの行動があってなければ すごい批難されるからね。 さんざん、人の意見を悪く言ってたかが 今度は、自分の番みたいだね。 検討を祈る。
>>566 >口先だけで他人をたぶらかそうとし、好戦的な思想であることだけはよく分かった。
↑仏教のこと?
墨家が戦闘集団としての機能をもってたことは否定しないけど、好戦的というのと
口先だけで他人をたぶらかそうとしてたってのは承服できないね。
墨子読んだことないでしょ?
>>569 マジで気付かなかったwゴメンなさいね。
じゃあちょっと書いとくよ。
・社会の仕組み…仏教→否定、孔墨→肯定(盲目的に肯定するのではなく社会が上手く動くものに関して)
・親子の情…仏教→孔墨(後年儒教化の際、下から上に対する盲目的な追従に変節させられたが
元々は「直きゅうなる者(正直者)」というのはどういう者をいうかを
問われた際に孔子が答えたように相互的な愛情をいった。
・軍備…仏教→仏教がこれに対してどういう認識だったかは知らん。
孔墨→必要を認める。なぜかというと現実として自国を狙う他国が軍備を
もっているのにうすっぺらい平和主義をかざしても無駄だということを
夢見がちな釈迦と違って大人な孔墨を知ってるから。ただし絶対必要とは
いってない。孔子は飢餓を防ぐためには軍事費を削れといっている。
>墨子読んだことないでしょ? あんたのことを言っているんでないの? >マジで気付かなかったwゴメンなさいね。 それ以外にもいっぱいあるのに
>>572 さん
結局なにがいいたいの?まあなんか間違えみつけたんだろうから
上であげた3つ間違えてたら訂正しといてちょんまげ。
574 :
名無しさん@3周年 :03/12/27 22:17
>太刀山型の土俵入り びっくりした。 ちょっと攻撃されたら、「さん」ですと! もともと、そのくらいの謙虚さで仏教を攻撃すればいいのにねえ。 もっと徳をつみんしゃい。
あぼーん
>>574 まあうんこさんとか、おばかさんにも「さん」はつけるのだが…
そんなことより
>>571 で挙げた仏教=孔墨の相違点で誤りがあったら教えなさい(
スカイハイ釈由美子風)
>太刀山氏 仏教以外の害毒宗教・思想は何だと思いますか。
>>577 儒教、道教、ヒンズー教、チベット密教、ジャイナ教など思考の停止や社会の枠組み
から抜け出ることばかりいう宗教は全てこれ害毒。
儒教は社会の枠組みから出ることはいわんが、古えに学ぶことのみを強調し、思考する
ことを否定する向きがあるのであえて害毒にした。
579 :
名無しさん@3周年 :03/12/28 16:31
キリスト教忘れてるよ
アウグスティヌスとか見てると害毒には見えんのよね>>キリスト教
>太刀山氏 社会の枠組みから抜け出ることというと、 2chでも昨今問題になっている「自殺」についてはどう思いますか。 自殺は利己主義だとか、逃避だとか言う人もいますが。
>>580 仏教が「尽形寿、智慧を持って判断すること」を説いたのに比して、
アウグスティヌスは、夢の中に真理があり、夢の中の神のお告げこそが真実で
あるとした。人間の意識が介在しないから。
なぜなら人間の意識は誤ったものであるから、だと。
上●大学で何度この話を聞かされたことであろう。。。
>>581 聖書の創世記だったかで「アダムは生きるのに飽きたので死んだ」とかいう記述が
あったと思うのだが、俺はこれ読んだ時なんて羨ましいんだろうと素直に思った。
人がみなアダムのように死ねたらなんて幸せなことなんだろうか。
サド侯爵も「閨房哲学」や「食人国旅行記」の中で理想的な国家の制度として
自殺の容認を上げている。
つまり現状に不足がなくて死にたいと思うのであれば止める理由って特にないのよね。
自分が好意をもってる相手が自殺しようとしていてまだその相手に生きていて欲しいと
思うのであれば止めるであろうが、本人が納得していてまわりも特に影響ないので
あれば勝手にやってって感じ。
正直「自殺」という行為よりも「自殺」という行為を行う際の動機の方が重要なんじゃないの?
584 :
名無しさん@3周年 :03/12/29 16:41
581ではありませんが、 太刀山さんが半身不随になられたとき、自ら命を絶つのは如何でしょうか。 その動機は、日本の武士道における切腹の美学にも似た、甘美と悲壮感が 一如となった人間の尊厳ともいえるものだと思いますyo。
>>584 オレ仏教徒じゃないからそんなもんに美学は持たんよ。
腹上死には美学があると思うけど。
587 :
名無しさん@3周年 :03/12/29 17:40
性エネルギーを漏らしながら逝く凡夫の腹上死は、 間違いなくサムサーラへの道です。 日々精進are
>>585 ??仏教は自殺を禁止しているけれど??
>>588 マジですか?
何かの本に、釈迦の右腕であり、釈迦に「彼は私に次いで出現した者です」とまで言われた
シャーリプトラは故郷に帰って自殺したと書いてあった気がします。
本には太刀山氏の
>正直「自殺」という行為よりも「自殺」という行為を行う際の動機の方が重要なんじゃないの?
というのと同じようなことが書いてありましたが。
590 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/12/30 01:59
仏教での自殺に対するスタンスはケースバイケースだったと思います。 基本的には自殺は禁じられておりますが、確か自殺以外に苦痛を和らげる事が できない病気などの場合には稀に自殺を認めるケースもあったと思います。 ソースははっきり憶えていないので、私の勘違いかもしれませんが・・・
591 :
名無しさん@3周年 :03/12/30 02:04
なんだ?ここは?
592 :
名無しさん@3周年 :03/12/30 04:49
アダムは生きるのに飽きたから自然死しただけ。 自殺じゃねーよ。
>>589 別段、舎利子は目蓮の死期を知り、故郷に帰った折に、目蓮の死の前に亡くなったとあるのが、
後世の仏伝では目蓮の死を見るに忍びなかったためとか、両者同時死去説などが出てくるだけ
です。変易生死というものの先蹤でしょうか。自殺したという記述はありません。
>>590 >仏教での自殺に対するスタンスはケースバイケースだったと思います。
いい加減な...律蔵にありますよ。
また自殺についての律蔵の規定とどう折り合いつけるかというケースが一例サンユッタ・ニカーヤに
ありますよ。
594 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/12/31 00:49
自殺については確か、ゴーディカ長老の話しがあったような気がしますが・・・
はっきり憶えていません。
>>593 さんに律蔵にある自殺についての規定を教えて
頂きたく思いますが、よろしくお願い致します。
今日自殺しようと思ってる方、曙vsサップ見てからでも遅くないですYO! 年明けたら開けたで6日にはセリエA開幕するし。11日からは大相撲の1月場所か〜。 う〜んとてもじゃないが死ねないなあw
596 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/12/31 17:57
世間的な娯楽なんぞちっとも楽しくないから自殺を考えるんじゃないか?
>>596 キミも年末だというのに病んでるねw。そんな余裕のない人生送ってんの?
といいながらオレも紅白も3大格闘イベントもリアルタイムじゃ見られないから
全部録画か後日のダイジェスト番組で見る予定だけどさ。
法然の真摯な説法ならいざ知らず釈迦のクソみたいな説法よりかはよっぽど
自殺抑止効果あると思うぞ→世間的な娯楽
598 :
ベロ ◆eOod7XM/js :03/12/31 19:04
おいおい僕の事じゃなくて「自殺を考えている人」には世間的な娯楽なんぞ ちっとも楽しくないんじゃないのかって事だよ。僕はリアルタイムで上記 イベントを満喫できるので今晩は楽しみだよなぁ。法然さんの慈愛に満ちた 説法よりも、釈尊のグサッと来る説法を胸に刻みつつ、しかも世間の娯楽をも 満喫するのが精神安定上一番いい方法なんですよ。
599 :
名無しさん@3周年 :03/12/31 19:10
>>597 > 法然の真摯な説法ならいざ知らず釈迦のクソみたいな説法よりかはよっぽど
おまいは、お釈迦さんの説法の内容なんて、知らんのでは?
だれも直接聞いた者はおらんのだが、それにしても仏教や、歴史なんかを
勉強していなくても、それなりに想像力があれば、いままで見聞きしたことだけで、
釈迦がどのような人物かは、それなりに理解できるはずだが。
よほど偏った育ち方をしたのか?
それとも単に奇をてらっているだけなのか?
>>598 生きていることと煩悩をもっていることの大切さがわかりましたか?
601 :
ベロ ◆eOod7XM/js :04/01/02 00:01
>生きていることと煩悩をもっていることの大切さがわかりましたか? 太刀山さん、そんな事は仏教に出会う前からわかってるよ。ただ本物の仏教に出会い 煩悩に振り回される恐ろしさを体験してみないと釈尊の説法は理解できないかもね。 自分のいやらしさ、汚さを思い知れば知るほど、釈尊の説法は身に心に沁みますよ。
602 :
名無しさん@3周年 :04/01/02 10:27
>>600 > 生きていることと煩悩をもっていることの大切さがわかりましたか?
あんころ餅(=煩悩)食って、うまいと思って、辛いもんや、すっぱいもんが
まずいってきめつけてる、ぶよぶよのアンコぶとり。
釈迦の説法は山椒の実なんだよ。
アンコと砂糖しか食わん者にはその味の微妙さがわからん。そのうち
マットに突っ伏してブザマに曙することになる。
603 :
名無しさん@3周年 :04/01/02 23:42
>たちくん おれたちゃ、この俗世界が楽しいよね。 でも、恵まれた環境だからこそ出る言葉なんだよね。 余裕を持っていらるんだもの。 病的に楽しい趣味はもっているかい? おれはあるけど、冷静になると死ぬのが怖くなるんだよな。 でも、病的な趣味を持っているほど、人生は確かにおもしろい。 仏教的には俺の幸せは仮の安らぎらしいね。 煩悩の消滅をするという本当のしあわせってのがあるらしいよ。 でも、煩悩を楽しんでいるおれらにゃ。認めたくないよね。 というか無理。>>1のように、それは正しい人間の生き方か?と思う。 ところが一つ不安が、この社会の枠組みから抜けたくなるときがある。 イライラしてどうにかしたくなる存在だ。 たちくん。仏教が本当に人類の敵かどうかは、わからない。 聞いた話しによると、嫌いな人にむしろ感謝の気持ちをもてるように なれるのが仏教にはあるらしい。 常に余裕をもつ処世術としての仏教はありだと思ったのだよ。
>太刀山氏 仏教で「この部分は正しい」とか「この部分は共感する」とかのところはないですか。
>>604 何度も書いてるけど松本史朗氏の提唱する仏教が正しい仏教だったら、
アウグスティヌスがマニ教を捨てキリスト者になったように仏教へ回心するのに
やぶさかではない。
でも仏教ってどーみても理性とか知性とか思慮分別とか軽視してそうじゃん。
つうかしてるじゃん。
何が禅だ三昧だ自業自得だ解脱だフザケンナ!
606 :
名無しさん@3周年 :04/01/03 15:20
ん?
曙!生きてる限りやり直しはきく!オレはお前の捲土重来を期待してるぞ!
板間違えた
609 :
名無しさん@3周年 :04/01/03 21:11
>>605 原始仏教スレだと相手にされないからここで吠えてるの?
610 :
名無しさん@3周年 :04/01/03 22:31
>>605 >何が禅だ三昧だ自業自得だ解脱だフザケンナ!
べつにふざけてもいないでしょう
太刀山さんが一人で思いこんでるだけです
611 :
ベロ ◆eOod7XM/js :04/01/03 22:59
太刀山さん、仏教が理性や知性や思慮分別を軽視すると言うのは誤解だよ。 後数回その松本さんの本を読んでごらん。 それから岩波の『スッタニパータ』や『ダンマパダ』も読んでから釈尊を批難して下さい。 太刀山さんが考えてる仏教は、悲しいかな仏教の歴史の大部分を占めるエセ仏教ですよ。 特に三世に渡る実体的な業報輪廻を説いたり、有りもしない極楽を説き諦観を押し付けるのは偽物です。
612 :
名無しさん@3周年 :04/01/04 01:18
釈迦は理論を示したが、道を極めれたのはもともと優秀な釈迦だったからこそ。 釈迦は普通の人間が普通の環境で修行できる方法までは編み出していない。 釈迦のような優秀な人材も居らず、釈迦からの指導も受けられないときは、 釈迦の仏教の理論そのままに、現実に用いれる形にまで洗練した宗教が必要だ。
613 :
名無しさん@3周年 :04/01/04 01:21
614 :
名無しさん@3周年 :04/01/04 04:51
>>612 >釈迦は普通の人間が普通の環境で修行できる方法までは編み出していない。
同感。出家など誰もができるかというのだ。
そんな特殊なことをしなければ到れない境地なら、漏れはいらない。
禅仏教とかは、いつでもどこでも全て法そのままなので、今の自分に徹すればいいのだよね?
>>613 ワロタ
もう誰だか分からなくなっているW
>>616 ホントだw。ご指摘ありがとうございます。
やり直しとういうわけで
>>611 あなたは松本派なの?
618 :
ベロ ◆eOod7XM/js :04/01/06 03:45
松本派もクソもないよ、あえて言えば釈尊の発見したダンマ派だね。修行法に こだわれば、どうしても時代や地域や性別や宗教等の限界がある。でも釈尊が 本当に伝えたかったダンマはそういう限界を打ち破って今僕に伝わって来てるよ。 具体的には三法印や四諦・八正道、中道や縁起説(空観)、自己の愚鈍さ等々。
>>618 そのダンマ派ってのは松本派とイコールなの?
ちがうんだったら仏教ってやっぱし糞じゃんw
620 :
ベロ ◆eOod7XM/js :04/01/06 23:36
僕の考えと松本さんの考えと共感する部分も、そうでない部分もあるよ。 ただ、僕の思う釈尊のダンマと松本さんの思われている釈尊のダンマはとても近い と思うね。でもそれ以外の松本さんの主張には同意できない所も多々あるよ。 著書でしか知らないが松本さんの主張は仏教史全体の中で、ある一部分のみを仏教 として認め、その他の思想は全く認めないのでちょっと極端に過ぎると思う。 それはそれで彼の魅力だから本を売ったり固定ファンを作ったり出来るんだろうけど。 ま、何をもって「仏教」と定義付けるのかコンセンサスを得ない内から「糞」とか 「害毒」とか言われると、釈尊ファンの僕としてはちょっと悲しくなるんですよ。
621 :
名無しさん@3周年 :04/01/07 00:33
>>620 いや、あれは煽りの一種でしょ。
悲しまなくてもだいじょうぶ。
>太刀山氏 チベット仏教やダライ・ラマについて、どういうところが怪しいですか。 また、あなたは霊魂や死後の世界についてどう思っていますか。
>>620 やっぱりこういう思想とか宗教とかを人に説明すんのは難しいね。
まあ難しくてもやらなきゃならないんだろうけど。
なにがいいたいかっていうとですな。
松本氏っていうのは歴史的に仏教は大部分において、霊魂(アートマンの存在を)認め、
それによって輪廻転生が生前の行ないによって次の人生の結果が決まるという業報論に
立脚し、解脱とは本来の自己(アートマン)を悟る(知覚?)ことによって、霊魂以外に
存在するものは虚妄だとし、唯一真に存在するもの「梵(ブラフマン)」と一つに
なることによって輪廻の輪から脱け出すというようなヒンドゥー教と見分けが
つかないようなことを主張し、しかも霊魂というのは言語表現による認識を拒否
するので、霊魂を極める(悟りを得る)ためには、一切の知的活動を停止せざるを得ず、
結果として、仏教は分別・判断・言語による表現といった知的行動を拒絶あるいは軽んじ
思考停止を推奨し、清浄な霊魂と穢れた肉体(現実世界)という区分けのもと、
清浄な霊魂を不浄な肉体から解放するために肉体と精神を痛めつける苦行を推奨することに
よって現実の苦しんでいる人々を苦しみから解放するのではなく、苦しませている原因を
肯定し、しかもより増長させるようなことにも加担してきた。
っていうのが松本氏が唱える歴史的実体としての仏教で、ただ松本氏はこれは
仏教ではなく仏教とはこの歴史的実体とは本来相反し、理性と知性、平等と慈愛、
言語表現の尊重をその本質としてしており、これらを拒絶する霊魂主義(解脱主義)は
仏教ではない!って>>1の書籍に書いてるんだけど、
私の方は歴史的実体としての仏教こそが仏教の本質が明確に表れたもんだって
いってるだけなんだよね。
>>622 ダライ・ラマが世界から隔離された地域のみにおいてあの不合理な輪廻転生を
根本においたチベット仏教をな扱うのはまだ許せるが、現代の文明社会には
あんなもん害毒にしかならんでしょ。
中国の侵略うんぬんいうのであれば、政治家としてとる手法としても
正しい態度ともみられないから、政治家としても宗教家としてもろくなもんじゃ
ないでしょ。
625 :
名無しさん@3周年 :04/01/08 09:18
ぅぅん
626 :
名無しさん@3周年 :04/01/09 00:03
627 :
ベロ ◆eOod7XM/js :04/01/09 01:08
太刀山さんが
>>623 で書いてる松本さんの主張には僕も概ね賛成しますよ。それは
少しでも真摯に仏教を学び、釈尊が発見されたダンマに出会えばすぐにわかる。
ただ松本さんも言うように歴史的事実として仏教教団が歩んで来たのは、全く
その逆である事も悲しいかな事実ですよね。
>私の方は歴史的実体としての仏教こそが仏教の本質が明確に表れたもんだって
>いってるだけなんだよね。
と太刀山さんが言う根拠は何ですか?仏教の本質と言うからには仏教の中にその
根拠があるんですよね?
>>627 >と太刀山さんが言う根拠は何ですか?仏教の本質と言うからには仏教の中にその
>根拠があるんですよね?
解脱と悟りと因果応報
仏教が孔子儒に勝る点。 開祖を超える弟子が出た→法然。 思想的には仏教は孔子儒の足元にも及ばないが、ただ弟子の出来でいうと 法然が生まれてしまった分孔子儒がやや不利か。
630 :
名無しさん@3周年 :04/01/10 10:32
じゃ、儒教が勝ってんだね
うーん、孔儒に処世術以外の思想なんかあるのだろうか?
>>631 それは「仏教って葬式以外なんか役にたつの?」って仏教徒が聞かれることに等しい
発言だね。
633 :
名無しさん@3周年 :04/01/10 21:52
でもなんで法然なん?
634 :
ベロ ◆eOod7XM/js :04/01/10 23:32
釈尊を超えたかどうかなどは主観の問題ですので別にして、 確かに法然さんは各宗祖の中でも飛び抜けて偉大ですね。 事実上、解脱や悟りや因果応報を無化してしまいましたからね。
635 :
名無しさん@3周年 :04/01/11 04:05
漏れは ・霊魂や死後の世界、 ・人間から人間への生まれ変わり、 ・この生きている人生の枠内での、自己の身口意でなしたことに意味的に対応する報い (大まかなもので、一生報いを受けない場合もある) があると思っているが、仏教で言われているような六道世界、三世にわたる業報は信じていない。 太刀山氏は、輪廻説反対だそうだが、この漏れの信条みたいなのについてはどう思いますか。 そもそも、生まれ変わりは仏教の専売特許ではないし、 業報みたいなものも、宗教によってさまざまなレベルがあって、 キリスト教では「種をまいた者は刈り取ることになる」 程度にしか言っていないはず。
636 :
名無しさん@3周年 :04/01/11 07:53
>>635 なるほどキリスト教にも業報思想があるな。
>>632 別に「儒教ってもう滅んでいるジャン」とは言っていないつもりだが。。。
638 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/01/11 11:40
太刀氏へ。 もう一度原始仏教スレッドを精読してください。 あなたの次への突破口が見つかると思いますよ。
639 :
名無しさん@3周年 :04/01/11 14:57
最澄、空海、道元、栄西、親鸞、日蓮などと比べて、 法然がすばぬけて偉大だとは思えませんが ベロさん 「ずばぬけて偉大」と書いてますが、そんなに差がありますかね? 私にはよく解りませんが、各宗を開いた僧侶は確かに皆偉大でしょうが あまり差は無いように思えます。 私の好きな坊さんは「@空海、A良寛、B最澄、C道元、D明恵、F法然」です。 尚、A〜Fに関してはあまり差はありません。 ようするに「偉大」かどうかなど別にして 「空海大好きー」って感じです。
640 :
名無しさん@3周年 :04/01/11 15:01
あと慈雲も凄いっす。
641 :
バーニングなんたら :04/01/11 21:08
害毒が強いのは儒教だろ?
642 :
名無しさん@3周年 :04/01/11 21:36
儒教は金を取りますか。 金を取るとすれば、取るのは誰(どういう団体)ですか。 仏教は布施を説いていて、カルトの搾取に利用される可能性大。
>>636 キリスト教は事効論だから厳密には業報思想はないよ。
>>637 >631は仏教はもう滅んでるっていいたかったの?
私がいいたかったのは処世術しかないように見えるってのは朱子学派以降の
論語読まない連中が流布した儒教に対する世間のうわべだけで見られてるものよってこと。
まあ仏教には処世術さえないわけだが。ぶっちゃけ処世術ってスゴイ重要よ。
コレ間違えると身を滅ばす可能性大。
>>635 輪廻説反対というよりも輪廻説否定だね。
ところで輪廻って本当に信じてる奴いんのか?
あんまよく考えないで流してるだけじゃないのか?
あっキチガイは別ね。
>>638 別にそんな膨大なもん読ませなくても、松本史朗氏の提唱してる仏教が
正統な仏教だってことを証明しさえすればいいことなんだけど。
松本氏が正しいのであればいくらでも仏教=害毒ってのは撤回するよ。
646 :
名無しさん@3周年 :04/01/11 23:36
>>645 つーか、あんたの言ってる問題ってぶっちゃけ輪廻転生だけじゃん。
別に松本だけが言ってることじゃないぞ、転生前提仏教の否定は。
647 :
ベロ ◆eOod7XM/js :04/01/12 01:28
>>639 まぁ「ずば抜けて偉大」と言うのは完全に僕の主観なので適当に流して下さい。
ただ叡山で「智慧第一の法然坊」と称賛された方が「三学の器にあらず」と
言い切った事、さらにその宣言があった事で民衆の隅々に信仰としての仏教が
行き渡るきっかけになった事、自身は終身、持戒・持律を貫いた事、そして
釈尊のお心には背くかもしれないが、仏教のパラダイムを大きく転換させた事等々
いやむしろ釈尊への回帰とも言える法然さんの仕事はやはりずば抜けていますね。
>太刀山氏 松本氏云々はおいといて、あなた自身は「転生などない。死んだら無になる」と思っていますか。 こんなこと聞く理由は、ただの興味です。 処世術が大切だというのは、賛成。 中国思想には漏れは詳しくないですが、『菜根譚』は座右の書としています。
処世術が大切であるかどうかではなくて、 処世術を「思想」と置き換えているところが問題だ、と言っている。 処世術自体に、何らかの系統や体系があるというのなら、また違った話にはなるが。。。
>>626 とりあえず最高の褒め言葉をありがとうございます。皮肉じゃなしにね。
情けないレベルになってきたな。
>>646 誰が言ったかが重要なのではなくて、何を言ってるかが重要なのだよ。
オレが松本氏を取り上げるのはあの人が俺の知る限りの仏教学者の中では、
最もキッチリ「霊魂」関連の問題を取り上げているからなのだよ。
>>652 そりゃ専門書、読まな過ぎだよ。
書肆の店先に並ぶ啓蒙書ではたしかに少ないけれどもね
654 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/01/14 09:09
>>652 >誰が言ったかが重要なのではなくて、何を言ってるかが重要なのだよ。
↑の前提と
↓の結論とでは明確な矛盾があります。
>オレが松本氏を取り上げるのはあの人が俺の知る限りの仏教学者の中では、
>最もキッチリ「霊魂」関連の問題を取り上げているからなのだよ。
その矛盾した思考回路が生む誤認として和辻哲郎を知らないなど色々ありますが、あなたの立論すべて
が完全に無意味になるのです。お分かりですか?
私が原始仏教スレッドを参照しろと言ったのは、山口、松本、袴谷などの"反eka-vAda"、"反如来藏"、"空、無我"
などをプラサンガ(批判することで矛盾点を明らかにする方法)の向こう側を記述し始めているからなのです。
ま、あなたのような頭の固い人にはまず受け入れられないでしょうね。残念です。
>>654 ごめんどこが矛盾してるのか正直わからんから説明してくれる?
和辻って砂漠みたいな自然環境の厳しいところじゃ唯一絶対の神をたて、
南洋などの気候の温暖で緑豊かなところだとオマンコ大好きな素敵な多神教が
生まれやすいとかいってたおっさんだっけ?
656 :
名無しさん@3周年 :04/01/14 10:56
>>655 >ごめんどこが矛盾してるのか正直わからんから説明してくれる?
本当にわからないのであれば、自己満足な仏教観で発言しないでくれる?迷惑だからさ。
「人でなく何を言っているのかが重要」と言っておきながら、松本氏を担ぎ出すところに矛盾がある。
いったん否定した事柄を結論から再度肯定するなんて論理破綻もいいところ。
このような矛盾脳が導く結果として
>和辻って砂漠みたいな自然環境の厳しいところじゃ唯一絶対の神をたて、
>南洋などの気候の温暖で緑豊かなところだとオマンコ大好きな素敵な多神教が
>生まれやすいとかいってたおっさんだっけ?
この程度の認識しか持てない愚劣さを晒すのです。和辻哲郎でググルことぐらいはしないと。。
これじゃ、誰もあんたのいうことを信用してくれないよ。
和辻哲郎の『原始仏教の実践哲学』を読むべきですね。松本、袴谷のような感情論を臭わせることなど
一切なく、論理的に輪廻轉生根拠を批判し断見に陥ることなく原始仏教を語っています。ま、あなたには
読解不能だと思いますが。和辻哲郎については
http://www.tabiken.com/history/doc/T/T354R100.HTM からさぐってください。
>>656 松本氏が従来の仏教を批判しているから、害毒の仏教といってるのではなくて、
従来の仏教を批判している人だから参考に取り上げただけなんだが、何をそんなに
感情的になってんだ?↑の意味はわかるよね?
仏教が害毒だということが露呈するともう美味い汁が吸えなくなって困るのは
わかるが、元々まともな生業じゃねえんだからこれを機に真人間になれば?
658 :
ベロ ◆eOod7XM/js :04/01/15 01:21
太刀山さんも、もう少し(せめて和辻哲郎ぐらいは読んでから)仏教学者の系譜 ぐらい知ってから発言すべきでしたね、霊魂否定など何も松本さんが代表的でも ないし。ていうか2chでは霊魂否定派(すぐに断見派と言われるが)がかなり 多いと思いますよ。原始仏教スレや哲学板の三法印スレ見ればわかるよ。 元々、三法印では「諸法無我」って言われてるしね。 ただあなたの言う様に、歴史的事実としては釈尊の教えに背き、仏教教団が 霊魂や輪廻転生を悪用し、民衆を愚弄して来た事は確かですが・・・
>>658 あんたらは法(主張の内容)より、仏(主張している人格)の方が重要だってことだろ?
>>658 >霊魂や輪廻転生を悪用し、民衆を愚弄して来た事は確かですが・・・
こういう表現が既におかしいことに気付いてないのが仏教徒。
仏教は霊魂や輪廻転生を正当に活用してきたぞ。その結果が差別と、堕落と、偏見と
救われない人々だったってだけのこと。
661 :
名無しさん@3周年 :04/01/15 06:33
輪廻転生を説かないからでしょ。 仏教では輪廻転生はほぼ確実視されていたのに、 天国とか地獄とかワケわからんこと言い出してから ぐちゃぐちゃになっていった。
>>652 のレスは非常に重要。つまり松本氏的な意見が他にあるにしても
それはほとんど世間に出回っていない。つまり世間では、松本氏が主張するような
ことは仏教とは認められていない。つうことだね。
663 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/01/15 09:06
>>657 >感情的になってんだ?↑の意味はわかるよね?
まったく感情的にはなってないですが?私の
>>656 の発言すらまともに読めていない。
そのように判断するから矛盾脳というのですよ。
>>662 も不認識であることを自白しているようなもんです。
近代では和辻哲郎、宇井白寿、中村元が代表的で、現在では山口瑞鳳、松本四郎、袴谷、その他、、、電波男Ψ(´д`)Ψ
元に返って釈尊とその弟子たち、竜樹、無著、世親、、、、、、、、、、、、、、、、、(かなり大雑把ではあるが)
と霊魂とその輪廻転生を仏教から度外視する原理主義は生まれているのです。結果的には仏教の牽制役
になっているのですが、それぐらいの勉強はしてください。
原始仏教スレッドを少しでも読むと小学生レベルでも理解できるのですが、わたしは伝統仏教、教団組織仏教を
すべて否定しております。それらが害毒であるというのも同意見ですよ。
このように考えて仏教を立て直そうとした人たちが時代時代に存在しました。既成教団化した害毒仏教に立ち向かい
釈尊に立ち返ろうとした原理主義者たちが。(イスラム原理主義とは意味が違う)
私は自分の信念に従って、僧侶の職を退いて現在は建築設計で生計を立てております。教団内部で改革する
勇気と実力が私には備わっていませんでした。
原始仏教スレッドをもう一度熟読することをお勧めします。なぜすべての仏教教団を敵に回して原理主義を
貫こうとしているのかを理解してください。
>>662 >世間に出回っていない。つまり世間では、松本氏が主張するような
>ことは仏教とは認められていない。
世間側の見方に立てばそういうことになる。
裏を返せば、仏教学者や僧侶・仏教教団が諸法無我、無我説を説いていたにもかかわらず、
世間は霊魂救済説の立場に立って、それに見合うような説を抽出・喧伝し、社会に還元、
異説を構築していった。
仏教教団や僧侶の見解は、江戸期や明治などの古書でもよく散見される。
当方の手元には、僧侶が、明治から大正にかけてあらたに入り興る西洋思想や
神道・新宗教のまっただ中にあって、様々な方面に配ったチラシ・配布物のよ
うな仏教者たちの活動の後が知られる生々しいマテリアルが、まとまっていく
つかある。
研究者が少ない分野なので、当時の状況というのはわずかしか知られていないが、
こういうものを公表したら、また現在の評価とは違った側面が見られると思う。
>>656 激同。
665 :
名無しさん@3周年 :04/01/15 09:22
>>661 あなたの意見では、生まれ変わりは認めるが、中間生というものは認めないの?
>>663 真摯に仏道を歩むつもりなら、どの教団にも所属しないのが一番いいと漏れも思う。
皮肉なことだが、組織というのは人間の団体であって、どうしたって煩いが多い。
一休、良寛などのほうが、寺の坊さんより自由かつ正しい仏教だと思うのは漏れだけか。
>>658 >せめて和辻哲郎ぐらいは読んでから
これってなんで?「仏教は糞です」って大書した著作でもあんの?
昔「風土」だけはパラパラ読んでみたことあるけど、比較宗教学としては
読むべきところもあったが所詮比較宗教学なんつうもんは信仰とは関係ないからねえ。
いい題材扱ってるわりには文章が絶望的につまんないから読むに耐えなかった思い出がある。
残念だねえ。
祝、ケモノの数字ゲット!コッパイタリアユーヴェが勝ちますやうに! あとラヴァネッリの出場キボンヌ!
669 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/01/15 10:57
>>666 >>せめて和辻哲郎ぐらいは読んでから
>これってなんで?「仏教は糞です」って大書した著作でもあんの?
だから読めと言ってるだろ。「伝統仏教、組織仏教は糞だ!!」と言うのが和辻哲郎のその著書の主意だよ。
読まないで、判断下せるほどお前はエライのか?
>空海、明恵、梅原猛、吉本隆明、中沢新一の系譜じゃなかったの?
馬鹿垂れ。明恵上人はともかく(判断保留と言う意味)、他の人とは価値観がまったく違うよ。
原始仏教スレッドを読めと言ってるだろ。間抜け。
670 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/01/15 11:07
>>668 >ところで松本四郎って映画音楽の人みたいだけど仏教関係もやってんの?
松本史郎の間違いだったな。タイプミス。
でもな、こんなしょうもない揚げ足をとったり、アホ丸出しで「仏教は糞だ!!」と吼えまくられてはいい迷惑
なんだよ。同じく「仏教は糞だ」と思っている人間にとっては。分かるかな?
>>669 こんなものいいするオッサンからすすめられてはいそうですかっつって
読む人間の方がどうかしてると思うがね。
あんた人に読まさそうと思うんだったら読みたくなるような書き方すれば?
お得意の対機説法とやらの出番はないの?
あと私がいいたいのは、伝統仏教、組織仏教が糞なんじゃなくて仏教自体が糞だって
言ってるのであってそこのところはお待ちがいなきようお願い致し申し御座候。
672 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/01/15 18:30
>>671 ああ、そうかい。
それじゃあんたの発言はすべて「与太」と言うことで終了だよ。
あんたの立論をすべて崩されているのに何のリアクションもない。話を組み立てる小学生並みの筋道
さえ実につけていない。議論する最低限のマナーも弁えないのなら、もう相手にしないよ。
あんたが糞と言うことでキリだ。
>>671 >こんなものいいするオッサンからすすめられてはいそうですかっつって
>読む人間の方がどうかしてると思うがね。
孔儒っていうのは、こういうことなんだね。
笑える。
674 :
名無しさん@3周年 :04/01/15 19:47
>あなたの意見では、生まれ変わりは認めるが、中間生というものは認めないの? 認めますが、論理的思考や厳しく現実を見つめる視点など、宇宙の実態を把握し、 追求しようと努めるべきところが、単なる道徳論にすりかわった仏教など、 何の意味もないばかりか、恣意的、主観的な人間の考えを押し付けるものに なってしまっては、仏教は仏教としての意味を120%失って −20ポイントぐらいの害毒ですらあるとはいえないでしょうか。 「経典に書いてあるからコレが正しい」では絶対になく、 単純な法則によって導かれる、どんなことにも適用可能な 普遍的な原理だけを真実とする考え方を身につけることが必要。
>666 〜 信仰とは関係ない、というけど、何に基づいて信仰するのかな。 現在の宗教者を否定した上で仏教を語るのなら仏教の文献 をたよりとしないわけにはいかないでしょ。 その文献からどれだけのことが讀み取ることができ、どれだけのことを 読み取ることができないか(読み取ってはならないか)ということを 和辻哲郎は『原始仏教の〜』の最初に明確にしているのよ。 だから70年以上昔の本だけど、まともに仏教を考えようとする 人にとっては今でも必読の書だというわけ。 だから、読んでみなってすすめてるんだよ。
676 :
名無しさん@3周年 :04/01/15 21:38
>664 >仏教教団や僧侶の見解は、江戸期や明治などの古書でもよく散見される。 >当方の手元には、僧侶が、明治から大正にかけてあらたに入り興る西洋思想や >神道・新宗教のまっただ中にあって、様々な方面に配ったチラシ・配布物のよ >うな仏教者たちの活動の後が知られる生々しいマテリアルが、まとまっていく >つかある。 私も江戸末期から大正にかけての僧侶が残した覚書などを結構読んでみましたが、 今からは考えられないほどの危機意識をもって活動してますね。 一方で教団内部には >世間は霊魂救済説の立場に立って、それに見合うような説を抽出・喧伝し、社会に還元、 >異説を構築していった。 という連中も多くいる。両者の間で相当に悩み搖れながら迫り来る西洋思想と 対決しようとしていた人たちが随分いたようですね。 学問分野としてはほとんど未開拓の分野だけど(辻善之助が悪いのだろうが)、 今日の宗門大学で宗義をおちょくりながら教団からメシをくわせてもらってる 連中につめの垢でもせんじて飲ませてやりたくなるような覚書や文集があるから、 誰かやってみない?
677 :
名無しさん@3周年 :04/01/15 23:36
>>664 >裏を返せば、仏教学者や僧侶・仏教教団が諸法無我、無我説を説いていたにもかかわらず、
>世間は霊魂救済説の立場に立って、それに見合うような説を抽出・喧伝し、社会に還元、
>異説を構築していった。
件名 : [Linka(1169)] Re:] 『週刊文春』異見あり
日時 : 2000年1月31日 0:43
東洋文庫の福田です。弁天堂さん、情報ありがとう。早速立ち読みしてみました。で、脱力してしまいま
したねぇ、あまりにもひどいので。
『週刊文春』2月3日号(文藝春秋)のコラム「異見あり」にて、自称仏教原理主義者(だったっけ?)の
宮崎哲弥氏が「チベット「活仏」に宗教的意味はない!?」という文章を書いています。
ゲルク派の始祖、ツォンカパ等の思想を持ち出して、ウンチクをたれています。すぐ読める分量なの
で、コンビニなどで立ち読みされてみては?一読した感想ですが、まぁ、書斎仏教的にはご説ごもっ
ともな意見かもしれませんね。
書斎仏教学(を私はやっていることになるのですが)としては、この文春の記事は全くの無知をさら
け出しているようなものです。
チャンドラキールティやツォンカパは中論に基づき、輪廻を否定している、というわけですが、もちろ
んこんなことはありません。誤解を恐れず、簡単に言えば、中観思想が否定しているのは、実体的な存在
ですので、輪廻であれ、涅槃であれ、それどころか空性思想でさえも、みな等しく実体的には存在しない
ということを言っているにすぎないわけで、ツォンカパが輪廻が存在しない、などと言っていないどころ
か、事実はその真逆、つまり、輪廻も涅槃も凡夫も仏陀も、すべて存在する(ただし実体的に、ではなく!)
ということを、繰り返し主張しているのです。これこそが中観思想が他のいかなる思想とも異なる、独自
な主張の肝心要の点だ(これを書斎仏教学的には「中観派の不共の勝法」と言います)と、これも繰り返し
繰り返し説いているのです。
678 :
名無しさん@3周年 :04/01/15 23:46
その「書斎仏教」というのいいね。 道場で師について修行しなければ法は伝わらないとかいうのは、俺はおかしいと思うし。
679 :
ベロ ◆eOod7XM/js :04/01/16 01:53
>あと私がいいたいのは、伝統仏教、組織仏教が糞なんじゃなくて仏教自体が糞だって >言ってるのであってそこのところはお待ちがいなきようお願い致し申し御座候。 だから仏教自体のどこがどう糞なのか論理的に説明して下さいよ。 輪廻転生や神秘主義や非論理性等々が仏教自体であるとどうして言えるのですか? と言うか、太刀山さんは和辻哲郎さえも読んだ事なくて、いったい誰のどう言う 書物を読んで、あるいは誰の影響で「仏教が糞」だと結論付けたのですか? 孔墨がそう言ってるのですか?それともご自分の脳内妄想なんですか?
>>679 >孔墨がそう言ってるのですか?
弘明集とかの時代になれば、儒教等そういう態度ですね。
Subject: [Linka:0449] Re: 思想を議論する際には実名を(長文) Date: Wed, 20 Nov 2002 19:42:58 +0900 福田です。最近の輪廻を巡る議論に心を痛めています。 まず、実名で発言すべきか、という問題については、石濱さんの言っているのは、 メーリングリストのルールとして、という意味ではなく、これまでのリンカの様々 な発言の経緯を見て、議論が荒れる場合、たいていはハンドル・ネームだけで発 言している人が引き起こしていることを言っているのです。 思想・信条は個人の全人格を背負っているはずなので、ネット上のバーチャルな 人格のみで発言するには適さないものと思います。これはルールの問題ではなく、 発言する人個人の実存的な責任の問題だ、ということを石濱さんは言おうとして いるのでしょう。 こう言うと、そんなことを人からとやかく言われる筋合はないし、ファッショだ、 という印象を持つかも知れませんが、言葉や特に名前・レッテルと言ったものは、 非常に強い呪縛力を持っており、自分が自分の意思で使っているつもりが、実は そのことによって自分の行動が知らず知らずのうちに、方向付けられてしまうも のです。人間が物を考えた上で、その表現手段として言葉があるのではなく、言 葉の方の力によって思考内容自体が決定されてしまうのです。ハンドル・ネーム を使うということは、自分がそれを選んでいるのではなく、その言葉によって、 その人の生き方や思考内容が方向付けられてしまうということを頭に入れておく べきだと思います。 余談になりますが、このような言葉の呪縛力は悪い場合ばかりではなく、よく働 く場合もあるでしょう。浄土真宗の方がおられますが、称名念仏というのは、自 分の自発的行為として「南無阿弥陀仏」と称えるのではなく、阿弥陀仏の計らい でそのように称えさせられ、そのように称えることで、その人の中に宗教的な心 が培われていく、という考え方であろうかと思います。
さて、輪廻の問題については、慧持教さんが [Linka:0425]「Re: 輪廻転生にま つわること」でおっしゃっていることでいいと思うのですが、少し補足しますと、 我々凡夫が何度も生れ変るということは、これもいい面と悪い面があり、自分の した悪業の結果として、次の生の境涯にその果報を受けなければならないと同時 に、今生で努力した結果として自分の心が少しでもよくなったなら、それを来世 にも引き継いでいける、ということを意味します。我々は一足飛びに仏陀の境地 に到達することも、菩薩行を行なうこともできないので、このように少しずつ功 徳を貯めていかないことには、そういう目標に向っていくことができないのです。 このように仏陀になる、あるいは菩薩として生きることが仏教の目標である限り、 輪廻がなければ、仏教の作り上げた思想全体が成り立たなくなってしまうのです。
日本仏教でも、昔は輪廻を前提とした教えであったはずです。浄土真宗でもそう
ですね。法蔵菩薩は何度も輪廻転生しながら冥想し修行して浄土を作り、阿弥陀
仏になったわけですし、歎異抄を読んでも、我々はみな無限の過去からの輪廻の
中でいつかは父母兄弟の関係にあったはずであり・・・という、ツォンカパが説
いていることと全く同じことを言っています。こういうことを全部象徴や比喩に
すぎない、と言って心理的な解釈体系を作り上げるということもできないではな
いでしょうが、そんなことを言い出せば、どのような解釈でも可能になってしま
います。すべての言説を、文字通りのものではなく、別の意図があるとして、全
部置き換えてしまうとすれば、何でもありということになります。それでも、そ
れが菩薩や仏が善巧方便で説かれるのであれば、可能かもしれませんが、何の修
行もしていない凡夫がそれをやっても、人を惑わすだけのことです。
リンカには、初歩の人やいろいろ疑問を持っている人がたくさんいます。そこで
このような思想的な問題に発言する場合には、相当の責任があると同時に、みな
さんも、それぞれの人の発言の内容をよく吟味して無責任な発言にふりまわされ
ないようにしてください。
--
福田洋一
Home:
http://tibet.que.ne.jp/ E-Mail:
[email protected]
684 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/01/17 17:24
だれが引用したのか知らないけど、リンカでのぼくちゃんにたいする福田氏の書き逃げ現場だね。 よければぼくちゃんとのやり取りの始終をアップしようか?(笑)
685 :
名無しさん@3周年 :04/01/17 21:46
福田さんというかたも、輪廻が説かれる場と、そうでない場の区別をしているようでありながら、 ご自分の思考の中では両者を無自覚的に混沌としたままで放置しているのですな。 大概の仏教学者はそうなんだけれどもね。
688 :
名無しさん@3周年 :04/01/17 23:21
677です。 本人の了承を得ずに無断でコピペしたこと悔やんでいます。 断っておきますが、わたしは基本的にsage カキコはしません。 ですからわたしのカキコは677だけです。ですが引きがねになる ような行為に対しては謝らなくてはなりません。 輪廻説に対しての氏の意見が最もだと思いまして、無断で引用させて 頂きました。ただそれだけのことです。他に含むところはございません。
689 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/01/17 23:41
>>688 別に悔やむ必要はありませんよ。これも「言論の自由」の範囲ですから。無断コピペとおっしゃいますが、
>>687 に示すURLによると、HPにて公開されているらしいものに含まれておりますよ。リンカにおける
私の発言もアップするようなことはしませんのでご心配なく。
ですが、
>輪廻説に対しての氏の意見が最もだと思いまして、無断で引用させて
>頂きました。ただそれだけのことです。他に含むところはございません。
と言う意図を示された以上、その「最もだ」と思われるところをあなたなりに立論する「言論の責任」は
あるかと思います。
>>687 チベット学関係は口の悪い人が多い。山口瑞鳳氏の毒舌は芸術の域に達している。
「浄土教?あんなもの仏教じゃないよ。人の約束楯にとって、自分は努力しないで往生して成仏しようなんてせこいやつらだ」
とかね。
弟子たちにもその毒舌は感染するのだが、山口氏はその毒舌を絶対に文章にはしなかったね。
>東洋文庫の福田です。弁天堂さん、情報ありがとう。早速立ち読みしてみました。で、脱力してしまいましたねぇ、あまりにもひどいので。
>書斎仏教学(を私はやっていることになるのですが)としては、この文春の記事は全くの無知をさらけ出しているようなものです。
たとえMLであってもこれは頂けないね。品がなさ過ぎる。なさけないね。
691 :
ベロ ◆eOod7XM/js :04/01/18 02:21
確かに原始仏教を基準に浄土教を見ると、外道としか言えない気がしますね。 ただ浄土教には浄土教の宗教としての素晴らしさがあるとは思いますが。
692 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/01/18 17:55
>>691 ベロさん
仏教として浄土教について言及するのは多くの処理事項がありますね。
まず
1 原始仏教が宗教であるのか
2 釈尊は宗教にたいしてどういう見解を持っていたのか
3 宗教的定義から原始仏教と浄土教ではいかなる齟齬があるのか
4 そもそも宗教とはなにか
から整理しなければなりません。
作業前段階として、わたしは
「原始仏教で示す方法で心の安穏を得られない場合、宗教として浄土教を選択する」
と一応、位置づけます。そうです。原始仏教をそのまま宗教としては位置づけません。
>692 1 の問題は普通はおもいつかないことですね。でもいわれりゃなっとく。 で、4 の答えがまずは必要になるとおもうのですが、電波さんの考えを、 作業仮説のようなもので結構ですから、お示しくださいませんか。
694 :
ベロ ◆eOod7XM/js :04/01/20 01:26
確かに宗教や仏教などと普段何気なく使っている言葉程、定義付けが曖昧ですね。
まず何をもって宗教と言うのかと言う宗教の定義が重要で、その上で浄土教は
電波さんの思う宗教として考えるが、原始仏教は電波さんの思う宗教の範囲には
入らないと言う事ですか?僕も
>>693 さんのように電波さんの思う宗教の定義を
聞いてみたいです、よろしくお願いします。
悪態ついてりゃイイ、と思っている太刀山 見てるか〜〜〜
696 :
名無しさん@3周年 :04/01/20 12:21
でもね、ヤシのいうことは、社会の中で実際に生きて行くうえで、 実に的をいている気が漏れにはするよ。 仏教は社会的世俗的努力や情熱を、やはり弱める作用がある気が漏れにはするのだ。 骨抜き、腑抜けにされるような感じがするのだ。 世俗から離れた観点を持つことができるから“岡目八目”的に智恵が優れているとも思うがね。
話の発端(1) 件 名 : [Linka:0436] Re: いま話題になっている、輪廻転生とラマに師事することについて少し Chiba 様 何処にコメントしようかと迷いましたが、取りあえずここにぶら下がります。 >> その後の説明で「輪廻転生とはわれわれの心が、六道輪廻の状 >態を現していること >なのです」と説明されたました >このアメリカ人尼僧の解釈が悪いとは思いませんが、「輪廻転生」>というのは近代合理的な心理主義に還元できないものがあると思います。 この捉え方は、近代合理的は心理主義であるとするのは大きな間違いです。はっきりと明言しているものに、天台宗の「一念 三千」があります。 さらに皆様に申し上げたいのですが、輪廻をそのまま「生れ変り」を是とする仏教思想だと考える事には大きな問題と矛盾点 を含むことになります。「生れ変り」を主張し、それが菩薩の行だなどと言ってしまえば、常見に陥ります。またそれを前提 に日々の修行があるとすれば、修行の完成を間延びさせてしまう事になります。 それとは逆に、死後には何も残らないとするのも断定的な見解であり、「断見」として退けられる思想であります。釈尊がこ の両極端の思想を退けたのは、「執着の増大」と「快楽主義」を誡めるためです。思索的な結論は極論であるとして結論付け ておりません。 「輪廻」とはモニエルによりますと、 Meaning m. going or wandering through , undergoing transmigration MaitrUp. ; course , passage , passing through a succession of states , circuit of mundane existence , transmigration , metempsychosis , the world , secular life , worldly illusion AsaMsArAt} , ` " from the beginning of the world "') Up. Mn. MBh. &c. [1119,3] ; w.r. for %{saM-cAra} Bhartr2. とあり、「生れ変り」とヤッテシマウのはある種、偏見だと思いますよ。 またジャータカのおとぎ話と、その変形を真に受けるのもチョット恥かしい。 電波男Ψ(´д`)Ψ
話の発端(1,1a)
Reply-To:
[email protected] To: <
[email protected] >
> >このアメリカ人尼僧の解釈が悪いとは思いませんが、「輪廻転生」というのは近
代合理的な心理主義に還元できないものがあると思います。
>
> この捉え方は、近代合理的は心理主義であるとするのは大きな
> 間違いです。はっきりと明言しているものに、天台宗の「一念
> 三千」があります。
ということは、天台宗の「一念三千」は「近代合理主義は心理主義ではない」と明言
しているというのですか?
私も、いわゆる近代合理主義のすべてが心理主義だとそこまでは申しておりません
が、近代合理主義の産物のひとつに、「心理主義的還元」があると思うのです。
私は、西洋近代の知的枠組みでは輪廻転生の問題をせいぜい心理主義的に解釈するこ
としかできないのでは、と申し上げたつもりなのですが。
近現代の心理学、深層心理学etc.の方法論では輪廻転生の問題には触れられないか、
もしくは心理主義的に還元して解釈する傾向があり、そこが限界だと思うのです。
>さらに皆様に申し上げたいのですが、輪廻をそのまま「生れ変
>り」を是とする仏教思想だと考える事には大きな問題と矛盾点
>を含むことになります。「生れ変り」を主張し、それが菩薩の
>行だなどと言ってしまえば、常見に陥ります。またそれを前提
>に日々の修行があるとすれば、修行の完成を間延びさせてしま
話の発端(1,1b)
>う事になります。
だから仏教の転生論は心の連続体(アーラヤ識)が転生するのであって、常住不変な
魂の実体、アートマン(我)が転生するのではないとしているのです。それによって
常見に陥ることを防いでいるのです。
いずれにせよ生まれ変わりは否定しきれない事実であるのと違いますか?
生まれ変わりの研究は現代でもいくつかレポートがありますが、ごくたまに前世を記
憶しているという幼児が存在することが報告されているそうです。「そういう報告を
見ると、ああこれは前世はあるのではないかなと私は思います」と、或るチベット仏
教の高僧が答えていたことを記憶しております。
チベット仏教の講演会をやるといつも輪廻転生の問題が質問に出るのですが、チベッ
ト仏教者は前世来世があることを理解しているのであり、なぜ前世来世があるのかに
ついての答えもちゃんと持っていらっしゃる。
参考ページ:【ケンスル・リンポチェ】「輪廻と死」
http://www.kokonor.com/mmba/lama/khenzurrinpoche/rinnetoshi.html Chiba Hiroyuki
話の発端(1,1,1) 輪廻については何度もここで議論がされておりますが、そもそも何故輪廻についてここで議論をするのか、私も疑問に思います。またはじまったなと思いつつ あります。 チベットの人々が我々に仏教における輪廻の問題を喚起させるとしても、だからといってここで輪廻とはどういうものなのか議論をするのは、ちょっとチベッ トとは関係ないのではないでしょうか? 実名の記載の有無については私はどちらでもいいですが、チベットと関係あるようにレスするのが、最低限のルールと思いますが‥‥。どうでしょう? 野 村 正 次 郎 @ 早 稲 田 大 学 大 学 院
話の発端(B 1) 石濱裕美子です。 ちょっと気になることがあります。 このMLは私を始めとして殆どみなが実名を使用しております。 時たま、おちゃめなチベット名などのHNを使う方がいらっしゃいますが、 まあご愛敬ということで、「あの人かな」等と推測する楽しみもありました。 しかし、このところ「輪廻」についての議論が続くにつれ ちょっと気になってきました。 実名をもって自らの発言に責任を持ちつつ発言をする方がいる一方、 匿名の方は、そのようなプレッシャーなしに発言をするというのは、 フェアでない気がするのです。 思想を議論することは情報を単純にやりとりすることとは根本的に異なります。 今まで拝見してみても、みなさんまじめにこの問題に取り組まれている方ばかりです。 実名をあげて議論することが議論に益し、 さらに、このMLの品位を保つことになると思いますが、いかがでしょうか。
702 :
名無しさん@3周年 :04/01/20 19:16
コピペのオンパレード ねえ
703 :
名無しさん@3周年 :04/01/20 19:57
太刀山氏は、朝青龍の活躍に夢中で、このスレッドにこられないみたいだ。 今日の朝青龍の相撲はとてもすごかった。 相手を豪快に持ち上げた。どんな力しているんだヤシは。
704 :
名無しさん@3周年 :04/01/20 21:52
ここでいってもしょうがないかもしれないけど、リンカからのコピペで ハンドル使用の可否についてのコメントがありますね。 仏教「学」の世界はとっても狭い。一応定職についてさえいれば、 よっぽどのことをしない限り首が飛ぶことはないだろうけど、 発言内容ではなく「発言した」という事実だけで修士論文がとお らなくなる世界だということを、石濱さんや福田さんは忘れてしまっ たのか、幸せなかたでそういうことを見聞きしなかった人なんだろうかな。
705 :
名無しさん@3周年 :04/01/21 00:13
>>691 そういや、浄土系の大学で講義してるくせ、浄土教は新興宗教だと言って
憚らない先生がいたなぁ。原始仏教が大本で正統なのはもっともだけど、
時代や場所の変遷で変容していくものだよね、そもそも宗教って。
その都度、ニーズに応えて発展・伝播してきた仏教の思想的な奥深さって、
それ自体が凄いと思うのよ。それを仏教として認めるかどうかは別として、
釈尊の思想を礎石とした広大な大乗の世界観、浄土教の救いにも魅力はある。
俺なんかは死ぬ時にゃ、寂しいから仏さんに迎えに来て欲しいタチだし(w
ついでに言うと、有名でお忙しいであろう西方極楽浄土の阿弥陀様じゃなく、
研究させて戴いた東方妙喜世界のaksobhyaタンだったらいいなと(w
葬式仏教ってなんだァ!?とか、僧侶じゃない俺は思ったりもするけど、
袈裟だからって人前に出るのに襤褸布の継ぎ接ぎじゃ汚いし失礼だし。
どうしても性欲が頭から離れないと嘆く正直な親鸞さんに素朴な人柄を
感じたり、軽自動車でレンタルビデオを返却しに来る坊さんを見たり。
そうすっと、仏教っていいなぁと思ったりするわけですよ。
706 :
ベロ ◆eOod7XM/js :04/01/21 00:31
>>705 >その都度、ニーズに応えて発展・伝播してきた仏教の思想的な奥深さって、
>それ自体が凄いと思うのよ。それを仏教として認めるかどうかは別として、
>釈尊の思想を礎石とした広大な大乗の世界観、浄土教の救いにも魅力はある。
僕もそう思いますよ。でもね、あまりにも仏教の原点を忘れ去ってしまったら
それはもう仏教とは言えないとも思うのですね。時代や地域のニーズに応じて
変遷していっても、決して忘れてはならないものってあると思います。
707 :
名無しさん@3周年 :04/01/21 00:42
>>706 うーむ。
俺や漁師が東方妙喜世界で解脱を目指すことを責めているのかな(w?
釈尊もいいけど、釈迦仏の西方無勝世界ってマイナーだからね。
ちょっと魅力が無いかなと。薬師仏の東方浄瑠璃世界なんかも・・・
って、もういいか(w
生まれた時には仏説無量寿経があったんでね、それも仏教かと。
ダメですか?真面目にやるの、娑婆世界じゃなきゃ(w
708 :
名無しさん@3周年 :04/01/21 20:52
ベロさんて僧侶なの? それとも、学生さん? 有名なコテハンなのかな?
709 :
名無しさん@3周年 :04/01/22 01:21
霊魂(あるいは死後生)の有無について諸説分かれているような宗教は、おかしいんじゃない? 人をナメるのも甚だしい。 サンジャヤの方がマシ。
710 :
名無しさん@3周年 :04/01/22 03:01
仏教は、なーんて言うと粋じゃないかな。 俺にとって死後の世界は物語ですよ。実際は、 お花畑とかそういうの、あるんだろうなーくらいで・・ ないかも(w だって、仏陀って何?から始まるしね。釈尊いないかもだし(w N先生の説だと舎利弗が・・まぁいいか。てゆーか、霊魂の有無って(w 浄土について話すのは、原理主義とか”仏道修行^^;”に 血眼なことへのアイロニーでね。そもそもが 「宗教をやってる」と普通のヒトに言われたら終いなんだが、 僧侶であって研究者な人でも眉唾でしょう。 俺も指導教授によく言われたしね。 「”××仏の存在”って記述はなんや!」って(w 俺は経典上の意味で述べたんだけども、 「ホンマにおるとでも思ってんのか!?」ってな感じだった。 そう考えると偉いと思うよホント。考えすぎて懐疑的に なり過ぎてるかもだが、イベントや広告でパタパタと ハマっちゃったりね。どうせハマるなら宗教本とかより 吉川英治なんかの小説のがマシだと思うんだが・・あ、 ちなみに俺のバイブルは彼の『親鸞』ね(w 高校時代にクソ真面目な仏教マニアだった自分(学校は奇特狂系)が、 こういうのがホントなのかなぁ・・と思ってしまった長編。 かくして遠藤周作の『沈黙』でもむせび泣いてしまった俺なんだが(w、 キーワードは「自分に正直」とか「信じる力の強さ」とでもいうかなー。 そういうのが好きなんだよね、人の。 あ、まとまり悪い。スマソ
711 :
名無しさん@3周年 :04/01/22 21:05
>710 >「ホンマにおるとでも思ってんのか!?」 N先生がだれかはしらんし、おたくの指導教授がだれかはしらんが、 宗学で飯食っている奴にすらこんなこと言う奴がいるのはホンマやで。 わてかて、極楽に・・・なんていうたら、 「お前、ほんきで信じてんのか(このアホッ)」ていわれたもん。 坊主で、宗門大学で専任やっている奴の言葉やで。
712 :
名無しさん@3周年 :04/01/23 16:45
>>710 >あ、まとまり悪い。スマソ
ほんと。頭悪い香具師は、発言は出来るだけ控えること
>>712 きつい発言はやめれ。マッタリいきましょう。
714 :
名無しさん@3周年 :04/01/25 01:42
自作自演じゃないぞ。仏教徒じゃあるまいし、そんなことするか。
716 :
名無しさん@3周年 :04/01/25 04:39
>>711 宗学かぁ。坊さん子弟のコースやったなぁ。俺が敢えて仏教学から浄土系を
睨んだのは、そういう人たちへのアンチテーゼというか・・
「阿弥陀阿弥陀うるせェなぁ。似たようなモンはいくらでもあんだぁよ」
と言ってやりたくてね。小生意気なガキやったもんで。でも、
さすがにその分野には優秀な先達というか、代表的な研究者としては
藤田宏達博士とかね。開拓し尽くされていた(w
博士の『原始浄土思想の研究』にはお世話になったなぁ。絶版だったもんで、
神保町まで出掛けて行って手に入れたよ。
単純に仏教に興味を持ってると、そういうのでメシを食っているというのが
どうにも胡散臭くてさ、当時は。いまは全然そういうのもアリでしょっ、
てな感じなんだが・・というのは、そういう子弟さんにしょうもない男がいたのよ。
田舎寺院の跡取でさ、夏休みの帰省後に「檀家の爺さん婆さん連中から
金を巻き上げてやった!」と豪語して。馬鹿でも全入の子弟推薦だろうが、
爺さん婆さんにとってみりゃ、お寺の息子が大学に行ったなんて自分の孫のこと
みたいに喜ぶわけやんか。それを「割のいいバイトだよ」だって。
しかも念仏三昧どころか、単位もとらずに部屋でエロゲー三昧の生臭坊主さ(w
案の定、留年して消えて行ったらしいが・・その後の消息は不明。
まぁね、そんな坊さんが念仏唱えてS600を買おうが、それで救われる人がいるなら
宗教かなと。むしろ自分自身、この不景気に阿弥陀さんに助けてもらって、
寺院に僧侶として就職を、などと不遜なことを考えてしまったり(w
実際、宗学の専任でも研究者はクールだわな。
スタンスとしては盲信的な宗教家より全然いいと思うけど、
僧侶ならちっとは宗教者っぽくいてよ、とも思う。
滝に打たれて霊能力を磨いたりね(w
>>712 わかった。できるだけ控えて発言するよ(w
まあ研究者が研究対象に移入してはいかんだろね。 被告人が裁判官をやるようなもんかな。 聖書学もキリスト教信仰とははっきり区別されてるようだね。
718 :
名無しさん@3周年 :04/01/25 10:56
>>715 仏教では自演が許されるのを良く知っているな。
719 :
名無しさん@3周年 :04/01/25 12:09
>717 移入してはいけない、というのはわかるのだが、 信仰対象の存在を否定する、という一つの立場を明確にしているわけで、 その立場をとることが研究対象に移入していない、ということとは必ずしも イコールではないとおもうぞ。
720 :
名無しさん@3周年 :04/01/25 12:11
それと、坊主でありかつ、宗学研究者、という立場で、 信仰対象の存在を否定することが 坊主、宗学研究者双方の立場で認められるか、というのも疑問。
721 :
名無しさん@3周年 :04/01/25 14:11
研究と信仰は同時にできるよ。 批判的に見て研究することと信仰することは違うもん。
>>692 電波男さん
>>1.原始仏教が宗教であるか
原始仏教は宗教と言うより、哲学だと言う人もいますよね。
神を否定も肯定もしない原始仏教は
やっぱり「神」と「救われる側の人間」という立場の他の宗教と
違いと違いますからね。「Religion」の意味の違いでしょうか。
大乗仏教では、諸菩薩や諸仏などが、私達を守護してくださると
いわれておりますよね。
私も、どうしようもない困難や、不安にぶつかると、
「神様、どうか助けてください」みたいな、他力に頼りたくなります。
これが「Religion」の基本なのでしょうか。
724 :
名無しさん@3周年 :04/01/26 03:11
横レス。
>>722 その末法仏こそ、かの有名な弥勒菩薩やあーりませんか。
>>723 そもそも「Religion」てな、キリスト教文化圏に
派生した単語でしょ。その単語の想定する対象は「キリスト教」
であって、他の宗教はその範疇に含まれないのよ。ちと忘れたけど、
宗教学の講義でそんな話が出たのを覚えてる。ちなみに、
他力本願の「他力」は、「神様、どうか助けてください」ってのとは
ちょいと違う。勘違いしてる人多いけどね。
>>703 大正解!そんな明敏なあなたならきっと仏教の毒から見事のがれられるでせう。
とりあえず朝青龍は美しいのう。
彼の根本には仏教はないのであろう。間違いない!(このネタ使ってる芸人の名前が
どうしても思いだせん。)
この朝青龍全勝の熱狂が冷めたら、またここに顔出します。それまでアディオス!
ぐゎいどく____としての大相撲にふれないタチヤマ、逝ってよし!
>>726 大相撲で身を滅ぼすなんて人間として最高じゃんw。
我々が生きているのは快楽を貪るためであって、欲求不満が募っててもどうしようも
ないからせめて2chでカキコして憂さを晴らすとかいうためではないんだYO!
カキコ
仏教は、こちら(凡俗)側からの話ではなくて、 あちら(聖賢)側からの話が基本だからわかりにくいよね。
>大相撲で身を滅ぼすなんて人間として最高じゃんw。 太刀さんがサッカーなり相撲なりを面白いと感じるのは、 それらに関して太刀さんに足りてない部分があるからだよね。 自分以下の集中力、情熱に関しては魅せられる事はないから。
>我々が生きているのは快楽を貪るためであって、 おそらく、相撲もサッカーも実際に自分でやりこんでいる人の方が、 同じ映像を見ても、微妙な所まで鑑賞できる。
無邪気に楽しんでいるのに、水をさすのも無粋だな。 確かに、消費者・視聴者・初心者の立場に立つ限りは、害毒の面の方が大きい。
とても単純で明白な事なのに、文章には乗りにくい。
釈尊の視点は有効な物だと思う。 判断、意思決定するのには有効な道具だと思う。 後の仏教と呼ばれる思想の一群も、程度はあれその利点を引き継いでいると思う。
734 :
名無しさん@3周年 :04/01/26 21:06
↓太刃さん、あんたには頭痛を伴うほど至難だろうが、ちょっと目を向けてみてね。
「良国日本の再興」 日本戦略の研究会(日戦略研)
2002年7月第1週
[email protected] ★ 表題: 「3S(スポーツ・セックス・スクリーン)政策」
020707 担当: キャサリン・クー
[email protected] ◇ スポーツ・セックス・スクリーン(含む映画テレビ映像)は、庶民にとって大きな楽しみです。しかし、この3Sが、
対象国の民衆を勤勉から引き離し、快楽を求めて怠惰無気力な烏合の衆に没落させる手段道具として、海外勢に意図され
ていることを認識する必要があります。
◇ 先般のワールドカップサッカーでは、若者が「ニッポン!ニッポン!」と熱心に応援し、国家意識の向上に大いに貢献
しました。しかし、利用価値が極めて低い大競技場(今回のサッカー場)の新設のため、資金負担に喘ぐ地方自治体が多数出
現することが確実です。
◇ 「するスポーツ」は国民の健康・体位向上・親睦に役立ちます。早朝草野球、ママさんバレー等、普通の(格別の運動能力
を持たない)多くの庶民が参加できるスポーツをもっと普及させるべきです。
◇ 一方、プロ化した有料の「みるスポーツ」は快楽興奮はあるものの、若者を中心とする低所得層(いわゆる貧乏人)から、
選手や団体等の高所得層(いわゆる金持ち)に「カネが移転」することが中心的効果で、狭義の生産的成果は全くありません。
将来のあり方を再検討する必要があります。
735 :
名無しさん@3周年 :04/01/26 21:07
◇ 日本の将来を支える「子供を造るセックス」は大変重要ですが、紳士たるべきまともな成年男子が援助交際等の「セックス産業」 に走る姿は、どう見ても将来の日本沈没を暗示しています。 ◇ 映像(スクリーン産業)過多で、夜更かし睡眠時間減少も問題です。文字・文章できちんと理解するのではなく、画像(テレビ・マンガ) で感覚的に感受するのも、時と場合で重宝ですが、本当に自分で事を起こす(発明発見・新規事業の創業等)には、正確さ・緻密さ不足とな ります。 ◇ 曖昧で一時の感性で揺れ動く「烏合の衆」(例えば選挙の際の無党派層)の増大は、海外勢の「対象国無力化戦略」の罠にまんまと陥る こととなります。3S謀略戦略の犠牲となって、日本の精神的没落を促進することのないよう、現状認識と将来対策が肝要です。
当時の社会状況を考えずに、現代の常識をもって、 歴代の仏教各派を断罪するのは意味のないことに思える。
3Sについては、軍板、政治板の連中の声も聞きたいね。 でも、スレ違いじゃないの>734.735
太刀さんが、何かの分野の専門家・当事者の立場に立てば仏教は役に立ってくれるよ。 歳を取ると誰でも、自分が自分の人生の当事者であると思い知らされる。 それからでも遅くないかも。遅いかも。 それまでは楽しい事、熱中出来る事を今まで通りやると。 過ぎる時間はもどらない、だから好きにしたら?
>だから好きにしたら? こうゆう貴方任せの部分も、仏教徒にありがちな害毒の部分かもね。
普通、仏教として説かれるとき、 論理の下部構造が省略されているんだよね。 だから、読み手の理解は、 読み手の持っている現状に対する理解(下部構造)に大きく左右される。 丁寧に教説と現状を往復しつつ、 全体の構成を再現しようとする人は少ない。 切実に困ってないから。 だから好きにしたら?
相撲すら見られないほど忙しい日々を送っておりましたが、なんとかROMだけはしておりました。
名指しで呼ばれたのでちょっとだけね。
>>722 原始仏典ですら、100%釈尊がおっしゃったことでは「無い」のは、いまや常識とさえ言えます。
その上で自分が上座部に魅力を感じるのは、大乗に見られる荒唐無稽さ、過剰な装飾を省いたシンプルな真理があると思えるからです。
そういう意味で、あなたが例として書き出してくれたリンク先なんですが、釈迦自身がお経に書いてますというのは、なんの説得力も無いんですよ。
末法思想もそうなんですが、大乗のほとんどは、どう考えたって釈尊はそんなこと、言ってないとしか思えない内容だらけなんです。
これは明らかに後世の人間が自分の作り出した経典に「重み」を持たせるために、釈尊が言ったと設定しただけのことなんです。
ただし、これは宗教の是非とは別の問題、どちらかと言うと、学問的な論点です。
末法思想を大事にする宗教があっても、自分はかまいません。が、自分はそんな「宗教」には魅力の「み」の字すら感じないということなんです。
>>734 「貧乏くさい」という言葉以外何一つ与えられませんね。
釈迦が成道した後「真理を伝えようとしても、人々は理解し難いし、お互いに煩いがあるだけだろう」と思い、 そのまま入滅しようとしたところ、梵天が衆生のために法を説いてくださいと懇請しに来る逸話があるな。 梵天勧請というやつ。 この話でいつも漏れは思うのだが、遠回しに自分や教えに重みや価値を持たせ、 「本当は説きたくないのだが、衆生のためなら、仕方ねえなあ」 という態度で偉そうに人々の前に登場するために作った話じゃないのか。 弟子が開祖マンセーのために作った話かもしれないし、 釈 迦 自 ら が 、 そ の 暗 い 権 勢 欲 を 発 揮 す る た め に 自 ら 仕 組 ん だ 話 か も し れ な い 。 近頃、漏れは後者ではないかと思ってきているのだ。 カルト教祖並の暗い性格のキモイ奴ではないかと。
>>743 こういうカキコの方が「よくもこんなくだらん考え方するやつがいるな」
とキモクなる。
何千年も続いてきた宗教で、 生まれたときから周りが“お釈迦様” などと呼んで聖人扱いしている中で育ってきたら、 たぶん漏れのカキコをわざわざ邪推しているように思うだろう。 しかしな、今聖人とされていて特別扱いされている古人でも、 我々と全然違うような特別優れた人間だったのだろうか。 始まりは「王族から修行のたびに出て、厳しい苦行をして、つまらんことをした。 いまさら帰れないから、仏陀と称して人々から尊敬や供養を受けよう」 程度の動機かもしれないじゃないか。 自分でそう意識している(悪意)ならまだマシだが、自己愛性人格障害のヤシとかだと、 自 分 は 仏 陀 で あ る と 思 い 込 ん で い て 、 決 し て 自 分 に 疑 問 を 持 た な い からやっかいだ。
746 :
名無しさん@3周年 :04/01/27 19:07
>>746 人間知らなすぎ。外国人知らなすぎ。宗教家知らなすぎ。
漏れは仏教のことはそこそこ知っているぞ。
四諦八正道三法印六波羅蜜五戒三毒・・・・・。
スッタニパータとかダンマパダは、岩波文庫で数年間読み込んで本がボロボロだぞ。
番号までは言えないが、状況に応じてそれらの句が浮かぶくらいだ。
まあ、そんなことはどうでもよいが、よく考えてみてほしい。
もしあなたが究極の悟りを開いて仏陀になったとしたら、
梵天の勧請によって「このまま入滅しよう」という自分の意思を変えるのか。
また、梵天が勧請しなければ、迷妄の深い衆生に法を説きに行かないのか。
漏れが仏陀で、法を説くことにより衆生がそんなに救われると思うのなら、
梵天に頼まれなくても弘法するだろう。
結局、梵天勧請なんて、作り話で釈迦や悟りをヨイショしているだけだろう。
ありがたく思わせようとの意図を感じる。
ほとんど笑い話だな。
749 :
ベロ ◆eOod7XM/js :04/01/27 20:57
>>747 >四諦八正道三法印六波羅蜜五戒三毒・・・・・。
梵天勧請と言うのは作り話でも何でもいいけど、743が勉強した上記の教えに疑問
をいだくのなら、743は仏教と縁がないのかもしれないが、そうではなく共感する
部分もあるのなら、それを自分の人生に生かせばいいのでは?万一釈尊が虚栄心
からそういう話を作ったとしても、そんな事は仏教の本質とは何の関係もない。
ダルマに生きるということのみが釈尊の弟子ですよ。釈尊を持ち上げたり権威
づけたりしても個人の苦悩の克服には何の役にも立たないよ。
それと釈尊自身が覚者だと宣言したとしても、それに頷く人がいたからこそ、
「まさにあの方の言う事は真実だ、あの方はブッダだぜ!」と信解した人々が
いなけりゃ仏教もここまで語り継がれる事もなかっただろうしね。
750 :
名無しさん@3周年 :04/01/27 21:18
>>747 >もしあなたが究極の悟りを開いて仏陀になったとしたら
仏教、とくに大乗仏教においては究極の悟りなんてないだろうよ
空はなにものも頼みとすることなく、菩提や慈悲も虚空のように無我であるということだ。
本質がないから堅固で不可壊。人智が及ばないから、釈迦の無記だってあったのだと思う?
>結局、梵天勧請なんて、作り話で釈迦や悟りをヨイショしているだけだろう。
>ありがたく思わせようとの意図を感じる
神話的技法として、いまの自分なら素直に受け入れられる。
第一ヨイショなんて、窺う方の卑屈さが感じられてならない
751 :
名無しさん@3周年 :04/01/28 01:49
釈尊は傀儡で、実際は舎利弗が仕切っていたという説も。
他教の経典に舎利弗を「仏陀」と呼ぶ記述が・・・
なーんて、
2500年も煮詰められて現在する宗教を、
誰がなんだと話してもキリがない気がする。仏教学ならね、
そういうの大切だけどさ。学問じゃなく宗教として考えれば、
『仏説父母恩重経』は偽経でもいいこと書いてると思うし。
人の話ってのは膨らむもんだし、仏教の端緒に2500年も続く
思想の裾野があったことが驚くべきことよ。なんつーかこう、
見てると字面ばっかね。2500年間も本屋で暇人が宗教本を買って
趣味に読んで続いてきたわけじゃないし、理屈だけじゃなく
そのグローバルな展開には生死を賭けた信仰や人間の営みがあったわけでさ。
頭悪いから上手くいえない。また叱られるかな(w
>>747 梵天勧請を取り立てて論うまでもなく、そんなこと言ったら宗教は
押し並べてそんなもんだろ。文化なんだからさ、脚色の中に人生を
描く部分もあるわけよ。キリスト教なんて「神の子」だぜ(w?
釈尊が宇宙人でも半魚人でもいいけど、四苦八苦なんかは毎日感じてる
真実だしな。少なくとも俺にとっては。
>>750 小乗でもねーだろさ。俺は「結局悟れない」って悟るのが本質だと思うけどね。
だから理屈はともかく一休宗純の「死ぬのが怖い」って末期の言葉が好き。
親鸞の「女のことが頭から離れない」ってのも好き。さすがに俺でも、
六角堂で聖徳太子なんて有難くて抱けない気持ち、理解できるよ(w
752 :
名無しさん@3周年 :04/01/28 07:38
くだらん仮定の質問だが、 釈迦か、世界一の金持ちビル・ゲイツかのどちらかと人生を交換できるとすれば、どちらがいい? 俺はビル・ゲイツだ。 しかし俺がもっと若い時は、釈迦と答えていただろう。若さって恐い。
753 :
名無しさん@3周年 :04/01/28 07:47
ビルゲイツは来世で貧民になる予定だ。
>>752 問題は、今のニッポンの坊主どもも、そう答えそうなところだ(w
>>753 なぜ?
俺が思うに、今生で正しい方法で富を築いて、物質・精神ともに豊かな生活を楽しんだ人は、
来世でも豊かになるのではと・・・。
>>754 俺の意見では、そこが日本の素晴らしいところ。
で 仏教をザッとでいいから見たのか、読んだのかと 小1時間、問い詰めたい・・・。
757 :
ベロ ◆eOod7XM/js :04/01/29 02:03
んー、釈尊は有り余る財産と地位や名誉と愛欲と家族と・・・ その他のものを手に入れても、それらが何ら自分個人の生老病死の 苦悩の克服には全くもって役立たないとお考えになられたからなぁ。 現代人一般には理解し難いのも無理はないね。
758 :
名無しさん@3周年 :04/01/29 13:45
仏教が少なくともキリスト教よりはマシな宗教であることは間違いない。 少なくとも殺し合いがない。何故でしょうか?
仏教は現世否定的なのがチョットな〜 一切皆苦とかさ〜 もっと人生エンジョイしようよ
>>757 いつも思うのだが、世俗的なものを捨てて出家修行したとしても、
その生老病死の苦悩の克服はできないのではない?
財産や職や家族を失う分だけ、その苦悩がより過酷なものにならないのかな・・・。
ただ、世俗はキレイなものではないと俺は思って入るがね。
不正や争いや苦しみに満ち溢れていて、
悪人たちが闊歩していると(仏典にもそんなふうなこと書いてあるね)。
761 :
ベロ ◆eOod7XM/js :04/01/29 19:40
>>760 >いつも思うのだが、世俗的なものを捨てて出家修行したとしても、
>その生老病死の苦悩の克服はできないのではない?
釈尊は生老病死の苦悩を見事に克服できたからこそブッダと敬われてるんでしょ?
で、その釈尊の教えに帰依して自分も克服しようと努力する生き方を選んだ人達が
仏教徒なんじゃないの?それに釈尊は家族や財産を捨て去り、出家修行に打ち込む
事は理想的だけれども、そうできない人達にも在家のままで教えを実践して行く
方法もたくさん説いていますよ。昔から仏教教団は出家の男女と在俗の男女の4種
から構成されています。出家修行は執著を少なくして修行しやすい環境を作る事が
できますが、在俗で仏道を歩む事の方が出家よりもはるかに誘惑が多く欲望に負け
やすいので、ある意味在家の方が厳しい道だと言えるかもしれませんね。
>>759 俗世間とのエンジョイの違いでふ。
>>761 ある意味、火に油を注いでいる中で火を消そうとするんだから
鎮火さすどころか、これ以上燃え盛らないようにしているだけでも大したものではないでしょうか。
ソーシキ仏教の格好ばかりのお坊さんを見れば、一目瞭然ですね・・・・。
763 :
名無しさん@3周年 :04/01/30 03:54
>>760 下痢して垂れ流しながらも説教食らわして涅槃に入る。
なかなかできることじゃあない。その意味ではたしかに克服だよ。
ただね、彼がもし史実通りの人間なら、若い頃は想像以上に
ギラギラしていたと思うよ。放蕩の限りを尽くした挙句、
どうしても拭い去れない苦悩に気づき、克服したい欲望に駆られたのだろう。
いま生きていたら、それこそクローン人間でも作って脳移植を、
とか考えたかもね。ただ、そこまでやっても四苦からは離れられない。
普通は考えなくなるけど、神経質で正直な人だったんでしょう。
史実なら、ね。
ま、十字架にはりつけられるようなオナニー的な死より、
俺はクソ垂れ流しながら死ぬってあたりが非常に好きだけどね。
生きてるってことは本来、クソの山にハエがたかってグジグジと蠢いて、
何かが発せられるようなエネルギーに満ち溢れてることと思うわけよ。
クッせー臭いとか、パンツの染みとか、脂にまみれた垢とかさ(w
インドに行けばわかるよね、なんで仏教だったのか。
俺ってば、またわけわかんねー。
>>762 葬式仏教を馬鹿にすなよ。彼らは末法の世で仏教の亡骸の保護に努めてるのだ。
文化財ってのは格好が大事なのよ。一休さんが宴の席で、袈裟に食べ物を食わせた
ところでさ、いまの人間はアホかとしか思わん。地蔵の開眼供養に小便を頭から
かけたり、彼の卓越した能力は現代では発揮できんだろう。
764 :
名無しさん@3周年 :04/01/30 11:06
>763 数々カキコは見てきたけれど、明快で面白すぎ。もっと教えて。
出家というやり方は、気候風土によっては本来できないのではないかと俺なんか思う。 熱帯の一年中寒くないような地域じゃないと、どうしても家屋やその他の財物が必要になるのではないかと。 日本では三衣一鉢ではやっていけないだろう。 今の寒い時期、ホームレスの人たちはホント大変だなと思う。 ロシアにもホームレスはいて、よく冬に凍死してるし。 寒さとひもじさには勝てぬ(吾輩は猫である)。
風土決定論ですか。
767 :
名無しさん@3周年 :04/01/30 15:00
財産持ちすぎ・モノ持ちすぎの 坊主ほど滑稽なものは、ないでつね。
768 :
名無しさん@3周年 :04/01/31 00:38
>>764 自灯明、法灯明。己自身を頼みとされるがよい。
なーんて、これは某大河で大滝秀治が吐いた台詞の受け売り(w
>>765 だって、インドしか知らない人が考えた宗教だしね。
あと、そういうのも浄土教とか起こった理由の一つ。
土着の宗教と習合するのは布教のためもあるけど、
過酷な環境を裏返して浄土の荘厳に反映させたと。
浄土の様相が常夏の島で、青い海、青い空、水着のネーチャンが
出てきたりしたら、間違いなくロシア産の経典。んなな、ないけどね(w
>>767 だからいいんだって、別に。たとえば浄土系の坊さんは
中間生で修行に励むんだよ。いわゆる、悟りの担保だね。
娑婆は末法の世で誘惑が多すぎる。松井のホームランも見たいし、
ダービーも気になるし、トリビアも観たい。昼休みには「いいとも」も。
ラストサムライでみせた渡辺謙の好演がオスカーをとるか気にもなるし、
さっきすれ違った子の視線は、俺のことを気に入った眼差しだ、とも思う。
軽自動車よりもニュークラウンが欲しい。狂牛病なんかクソ喰らえ、
どうしても吉野家で特盛をつゆだくで食べたい・・・etc.
で、気づいたら豪華なRC工法の寺院にBMW7シリーズさ。
仏教は無形文化財だからね、この娑婆では。
葬式で法話を垂れるにはそれなりの学芸員資格が要る(嘘)
ま、エリート官僚から転身して叡山で修行に励むような
真面目な方もおられますのであしからず。
あの人は遂業式を終えてどうなったのかな・・
769 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/01/31 09:13
>>768 自己正当化はみっともないよ。
人間そのものを自堕落に導くことを後押ししているようなもんだ。
坊主と友達になったらアカンな。
梵天勧請は確かに妙な話。 でも、全体との関係を考慮に入れつつ考えていけば、 中道を理解するうえでの、貴重なヒントになるよ。 禅、上座部の修業をした人なら、 ある程度、自分の思考について統制をかけることができるようになる。 思考への手助けを止めることにより心を止める。 本来なら、第二の思考を生む始めの思考を思考の生まれる間際で押える。
だから>743の >釈迦が成道した後 >「真理を伝えようとしても、人々は理解し難いし、お互いに煩いがあるだけだろう」 >と思い、 こんなことは有り得ない。 釈尊なら、「真理を伝えようとしても、・・・」の「真理・・」の「し・・」 の時点でもう統制がかかっているだろう。 当然 >梵天が衆生のために法を説いてくださいと懇請しに来る 事もないし、その後の梵天に対する釈尊の返答もないはず。
この話を伝えた坊様達も、この事を重々承知の伝えたと思う。 禅、上座部の大元たる原始仏教の徒がビパサナから離れているはずがないからね。
では、なぜ坊様達はこの話を伝えたか?
>>747 の後半部分は修行をしない人の疑問としてもっともであるし、
修行をした者のとっても>772のような疑問が出る。
743よ、どう思う? >747 >漏れが仏陀で、法を説くことにより衆生がそんなに救われると思うのなら、 >梵天に頼まれなくても弘法するだろう。 743にはぜひ、悟りをひらいてほしいものだ。
743、五逆も当然知ってるだろ。 ベロさんは坊様だ。だから敬意をもって遇するように。 梵天勧請の合理的・論理的な全体での意味合いを明らかに知ったとしても、 自堕落で有り得る。 釣りだったらごめん。>743
漏れは近頃、仏教に大いに不信感があり、梵天の話については、 わざわざかなりの疑いをこめて書き込みしてみた。 卑俗な発想で邪推していると思う人も多かっただろう。 史実や、釈迦仏教の悟りがどんな内容なのかは、もちろんはっきり知らない。 ただ、電波扱いされてもかまわんが、こんな漏れでも 神霊(知恵や慈愛などの善的な性質や大きな力を持つ高級な霊魂。もちろん肉体を持たない) みたいなのは本当にいると思っているのだw また、禅やヴィパッサナーが釈迦と同じ悟りなのかは、漏れにはよくわからない。 ヴィパッサナーだと、観察している自分は消えないので、 “そのまま”“ただ坐る”只管打坐の禅の方が漏れ的には好き(楽なので・・・・いや、かなり難しいのかも)。 743で書いた『真理』というのは、難しく考えずに“初転法輪”で説いた内容くらいに考えてほしい。 四諦・八正道・十二因縁みたいなものだっけ? いろいろ書いて、文の脈絡が変な長レスになってしまったスマソ。
ビパサナの要点は自分を消すことじゃないんだよ。 どうして自分を消したい? どこの誰かに吹き込まれた?
釈尊が山師である可能性も否定する必要はない。
ただ
>>749 でベロさんが仰っているように
>共感する部分もあるのなら、それを自分の人生に生かせばいいのでは?
これに尽きる。
梵天勧請の合理的な理解を望んだのは743だけじゃない。
また、”妙”な話は原始仏典中至る所に見られる。素直な目があれば。
>>778 何か、禅では『観察している自分』が残らないほどに、ただ坐れるようになりなさいと教えていた気がする。
で、そのまま坐ればいいので簡単でいいと思っただけ。
身体は坐って動かさないので、思考だけが自由に働く。
そのため、実にいろんなことを考えるが、手をつけないでそのまま。
ヴィパッサナーは、自分の心身の状態をラベリングか何かしなかった?
冷静に自分を見つめる目はできるのだろう。
事実と評価の間に、一段落できるだろうから、
自分の感情のコントロールが意識的にできやすいのだろうと思う。
現象的には、禅もヴィパッサナーも共通点が多いのでは。
漏れは観察などせずに『そのまま躍動している』禅の方が自然で気に入っているだけ。
仏教に対して不信感があるなら、 その不信感を743自身が充分に理解できるようになるまで、 仏教から距離を置いてみたら? 人は、なにか困ったとき神霊のせいにしがちだ。 神仏は尊し、神仏に頼らず。 この心がけが守れないようなら信仰・信心は止めたほうがいいと思う。
坐るなら、自己流ではなく何方かの指導を受けること。 別に怖いことはない。経験のある第三者の視点は貴重だ。 初心者のほとんどは、坐るとき無駄な力みがある。
783 :
名無しさん@3周年 :04/01/31 23:35
ただ坐る、というだけじゃ、刺激がなさすぎだと思う。
今でもセクスしながら座禅組む仏教ってあるの?
おやすみ>743.783
今日はsage進行なんですか?
>>776 >ベロさんは坊様だ。だから敬意をもって遇するように。
そんな必要は全くありません。僕自身も含めて今の日本の伝統教団の坊さんで
敬意をもって接してもらえるような人物は皆無だと思います。
「梵天勧請」と言っても知らない人もいるかもしれませんので、どんなエピソード
かと言うと、釈尊が悟りを開き寂静な境地に止まっておられた時に、釈尊は心中で
もうこの世のでやるべき事はやり終えた、だからこの寂静な境地のまま入滅して
しまおうと決心された。その時にバラモン教の最高神である梵天が急いで天界から
下りて来て、菩提樹の元で入定中の釈尊に「どうかゴータマ様、あなたが悟った真理
をお説き下さい、説法の旅に出て下さい」と懇願する。が釈尊は「いや、私の悟った
真理は実に微妙で深遠である。世間の人々は欲楽にとらわれて、聞く耳をもたない
持たないだろう、私の説法は徒労に終わるに違いない」と言って断る。しかし梵天も
「どうか説法して下さい、あなたが説法すれば真理に気付く人々も必ずやいるはず
です。もし説法されないなら、その人々も無明に覆われてやがて死んでいくでしょう。
ですからどうか説法を!」と詰め寄る。このやり取りが3度続いて、4度目に釈尊が
神通力を使って世間を見渡し「池の中の蓮華の花も池中で枯れてしまうものもある、
また水面まで出てくるものもある。そして水面から出て、立派に花を咲かせるもの
もある。それと同様に世間の人々の中にも全く私の話を理解出来ないものも、少しは
理解できるものも、また私同様に正覚を得る性質をもつものもいる。私の説法はその
もの達には役立つであろう。さぁ不死の門は開かれた、耳あるものはダルマを聞け!」
と言って説法の決意を固められた。と言うお話です。ちなみに「仏の顔も三度まで」
と言うのは、この梵天勧請が元ネタで、三回ダメでも四回目には活路が見出せると
言う意味だそうです。あ、これはあくまで僕の理解してるものですので、間違いで
あるかもしれません。詳細は中村先生等の仏教書や、ネットで確認して下さい。
>>769 >>770 768の皮肉がわからんかな?
自己正当化というか、
768はレスからして僧侶ではないだろう。
君等ならそれこそ、
地蔵の頭に小便をかけた一休に対し
「なんと罰当たりなことをー!!」
と追い駆け回した村人だろうな。
鎌倉時代に生きていたら、
親鸞聖人を破戒坊主と蔑んだかも知れん。
肉食妻帯を実行した人物だし。
宗教はなんのためにある?
原理主義もほどほどに。
>>786 一言。
伝統教団でも個人的に尊敬に値する人物はいる。
客観的にも第三者から敬われている者は無数いるだろう。
無分別を履き違えたか?敬意をもって接せらるるか否かは、
己が判断することではない。君は日本仏教界の代表ではないぞ。
謙遜するなら己だけでよしとせよ。
789 :
名無しさん@3周年 :04/02/01 08:40
790 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/02/01 08:47
>>787 かなり頭が悪いね。突っ込みどころ満載だよ。
>君等ならそれこそ、
>地蔵の頭に小便をかけた一休に対し
>「なんと罰当たりなことをー!!」
>と追い駆け回した村人だろうな。
>鎌倉時代に生きていたら、
>親鸞聖人を破戒坊主と蔑んだかも知れん。
>肉食妻帯を実行した人物だし。
>宗教はなんのためにある?
このことと↓
>原理主義もほどほどに。
とはどうつながるのかな?話の筋、把握できてる?それ以前に原理主義をまったく理解できてないじゃん。
チミの頭の悪さは
>>788 にも顕著だよ。たとえば、
>伝統教団でも個人的に尊敬に値する人物はいる。
このハクチ性は説明するのも汚らわしいが、「例外や少数は全体の免罪符にはならない」といえば十分だろう。
もうすこし知性とそれを成立させる「考える筋道」を鍛えたまえ。
791 :
名無しさん@3周年 :04/02/01 08:49
>>789 >彼は嘆いているんだよ。
だから何?嘆いているだけで方向性を出せないのはごみと一緒。
792 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/02/01 08:51
>>790 怒りに打ち震えておるな。
八正道を忘れたか?
どうも頓知が苦手なようで。
それより内容についてだが、
皮肉を自堕落としかとれていないことを
原理主義と表現したまで。
これもまた皮肉なわけだが。
おわかりか?
ベロ氏へのレスは君とは無縁だろう。
失敬、無縁ではないな。無関係と言った方が適切か。
皆無という言葉はあまり使うものではない。
ということだな。
>>791-792 ちょっと痛いな。
わしならなんでも、いいのか?
794 :
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/02/01 17:38
>>793 別に怒っていないよ。あまりにも哀れでおなかが痛いだけ。
頓知を使いたければ、他所へ行け。場違いは人をさぶくさせるだけ。
シニカル気取りは場所を選ばないと後の羞恥のゆえに自殺してしまう羽目になるぞ。
つまり、限りなくおつむが弱い証明になるのだが、
>皮肉を自堕落としかとれていないことを
>原理主義と表現したまで。
原理主義とはまったく関係のないこと。
795 :
ベロ ◆eOod7XM/js :04/02/02 01:43
僕の考えでは伝統教団組織に属し、そのおこぼれで生活しているという事実だけで、 十分立派に釈尊の教えを裏切ってるように思うんですよ。だから皆無と表現した までなんですが・・・。ちなみに僕の尊敬する仏教者は伝統教団と決別した人ばかり なんですよね。「尊敬に値する」と言う基準が個々人の価値観によって全く異なるの ですから、話が噛み合わないと思いますが。僕の場合その基準はいかに釈尊の教えを 生き方の中に実践しようと努力しているかです。
796 :
名無しさん@3周年 :04/02/02 02:05
荒れてますねェ(w
d瞋癡・・仏教者なら無瞋ですよん。
>>769 たしかに、中間生があるから自堕落な生活を送っていい
ということにはならないけどね。でも大事なのはさ、
髪を生やしてフェラーリ・エンツォに乗ってる坊さんが
悪いっつーんじゃなく、現状では誰かの精神的支柱になれていれば
いいんじゃないのかと。禅宗系にもいるけどね。
織○無○師のように、焼肉をバクバク食って外車に乗って、
かつ霊能力(!?)をもっていて逮捕までされちゃう人(w
でもホラ、そういうんじゃなくね。
末法とかなんとか理屈じゃなく、荒廃した世の中にあってね。
日々の糧を得るため、生きるために致し方なく生類を殺める自分たちは
往生できないのでしょうか?そう言って嘆く漁師たちにね、
ただ南無阿弥陀仏と念ぜよと。法然上人は言ったわけだけど、
現在ってそういうのとは方向性が違いますからね、人々の悩みが。
だから現状の坊さんの自己正当化ととられても仕方ないわけだけど、
結局、過度期なんじゃないでしょうか。鎌倉時代にも似た。
これからはあれですよ、対象はネコを殺しちゃう若者とか、
リストラで首吊りしちゃうオッサンとかね。そうそう、
ゴールが強風で倒れたことに責任を感じちゃって、
自殺した校長先生もいましたね。なんとういか、
国家として宗教を認めないこの国では、難しいですね。
ここまで微妙で過敏で極端なことが蔓延ってしまうとー。
またわけわかんねーな、俺ぁ(w
控えろって言われたのにねー。
797 :
名無しさん@3周年 :04/02/02 02:25
>>795 ベロさんこんばんは。「ハイ、こんばんはー」とか言ってそう(w
ベロさんの指す釈尊ってのはどういう存在ですか?
彼は実在したかもわからないし、大乗と上座部でも捉え方が違うし、
仏説とはいっても偽経をはじめとしていろいろある。
浄土教なんて釈尊の考えからは大幅に逸脱してしまっている。けど、
前にも言ったように、時代や風土、社会情勢によっても多様化する
もんだと思うわけですよ、宗教ってのは。796で述べたように、
生類を殺めたら往生できないと嘆く漁師に対し、仏説の経典を
用いて浄土往生を説いた法然上人は「尊敬に値しない」ということですか?
それとも「釈尊の教えを生き方に実践している」ことになるのかな。
伝統仏教という意味では彼は鎌倉新仏教の旗手の一人だったわけだけど、
そういう多様化ってのは中国でもそれ以前のはるか昔に史実にも
見当たらないような場所で起こっていたかも知れない。
「釈尊の教えを生き方の中に実践する」とはとても難しい表現です。
というのは、私にとって「釈尊」は、「仏陀」と同義で
概念的な存在でしかないですからね。仏教は衆生のためにあって欲しいし、
多様化やそれを許す懐の深さがあったゆえに世界宗教に発展してきたと
考えているものですから。
ちょっとわけわかめだけど、少し真面目に書いてみますた。
798 :
名無しさん@3周年 :04/02/02 02:29
自己レス。間違いました。 「生類を殺めたら往生できない」のではなく、 「成仏できない」とうのが正しいかな。 細かいことは苦手だけど、往生ってのは浄土があって 意味を為す言葉ですもんね。ウハハハ!
ひさしぶりにカキコ。 白川静氏の字書読んでて思ったのだが、論語の雍也第六「敬鬼神而遠之」と 言う言葉は正に神を正しく認識してる者って感じがするね。 孔子は鬼神を敬するが故に遠ざかったのであろう。
800 :
名無しさん@3周年 :04/02/02 06:11
796,777 外しまくり。
要するに釈尊の弟子、仏教者を名乗るなと言うことだろ。 賛成。 仏教を参考にした新宗教ですと名乗るべきだった。 ウソはどこまで行ってもマコトにはならない。 原理主義とのレッテル張り屋が湧いて出てくるだろうが、 事実は事実さ。
802 :
名無しさん@3周年 :04/02/02 21:34
>>801 そこなんだけど、例えば浄土教の根本経典である三部経
(阿弥陀経・無量寿経・観無量経)は偽経ではないし、
いわゆる仏説なわけよ。そこんとこどうなんかなと。
釈尊は釈尊はと言うけど、釈尊だって実在したかもわからないわけで。
そういう話をすると線引きの問題になってくるよね。
日蓮なんかは法華経以外は偽物だ、みたいに激しく断言したわけだけど。
わかるよ、そりゃ八正道が本筋にあるってことはさ。でも、
かといって「わしらは生き物を殺す職業に就いてるから
成仏できないんでしょうか」とする人々に対し、「できない」
とか言い切ってしまうのは宗教者としてどうなんかなと。それは仏教ではない、
と、その点だけに限って言ってしまえば、じゃ、仏教って手前の成仏を
考えてりゃいいのかよと。自己満足じゃないすか、慈悲だなんだ言ったって、
肉屋や魚屋や漁師を救えないんじゃさ。そもそもが多様化して
ここまで発展してきたのが仏教だとすれば、全部本物じゃねーかと。
人のために辿ってきたとすればね。それでも、それは仏教じゃねェと
言われればそれまでだけど、じゃアンタのいう仏教って何よと。
や、801さんにじゃなく一般論としてよ(w? 実在したかもわからん、
一応、原始仏教とされる教義にこだわって、その後の多様化や
体系化を認めずに自己満足を正統として他を否定すると。それも一つの
スタンスなんだろうけど、意味あんのかなと思うのよね。
じゃ、釈尊が舎利弗の傀儡だという説が正統だったら仏教も否定するのかな。
そんなな、仏教学や考古学の定義でどうとでも変わることだし。
実際に釈尊に会った人間もいないんだしさ。原理主義でいっちゃうと、
部派仏教まで遡って否定しなきゃならん。大乗、上座部は何をかいわんや。
龍樹でさえ何者よ?ってなるわなぁ。
803 :
名無しさん@3周年 :04/02/02 21:36
ハッキリ言って、原理主義者の大好きな釈尊は中国も日本も鎌倉時代も 知らなかったわけじゃん?いかに仏陀といえども、超人じゃねーんだし、 そこまで包括してどうこうは言えない。そこを後代の釈弟子たちが各々の 地域・時代で、多様性を内在した仏教を世界宗教まで押し上げたわけでしょ。 華厳経にしろ阿弥陀経にしろ、そういった流れの副産物であってね。 前にも言ったと思うけど、大事なのはそこに生きた人間の営みの中に 「仏教があった」という事実でね。鎌倉の悩める漁師に法然が対し、 南無阿弥陀仏と念ぜよと説いた。それが仏教ではない、 と否定する原理主義になんの意味があるのかと小一時間問いたい(w 2500年前のインド人の生き方をそっくり真似して仏教だよと。 だから、なんなのかと。至極狭義な仏教じゃね?それって。 仏教というより、釈尊教といったほうが適切かもしれない。 でもそういう奴に限って釈尊の時代に生きてたら、 ガチガチのバラモン教徒だったりしたんだろうけど(w かんなり思いつきでよく調べもせずに書いたけど、そういうこと。 誰か答えてくれよ、原理主義者の人。俺頭悪いからわかるようにさー。 法然は釈弟子じゃねーのか?過去仏とか他方仏とか否定しちゃうのん?
804 :
名無しさん@3周年 :04/02/02 22:22
乞食の身ですんで、肉も魚もありがた〜く食べさせていただきまった。
807 :
名無しさん@3周年 :04/02/03 00:21
>>806 君のレスみたいなのが、煽りというのだろうな。
どうして知らなすぎなのか、理由を述べてみたら?
そして、どういうのを仏教というのか、述べてみてくれ。
808 :
名無しさん@3周年 :04/02/03 01:02
>>804 頭悪いのは認めるから教えてくれよ。なんでだ?
>>806 知ってるなら教えてくれよ。
>>807 煽り?訊いてるだけだよ。知らなすぎなのを
述べたところで、なんの意味がある?
知らない内容を、訊いてるだけだよ。ウフフ
809 :
名無しさん@3周年 :04/02/03 04:30
ッチ、誰も答えてくれないのかよ。
誰でもいいから悪い頭でもわかるように教えてくれよ。
ここの連中って講釈と文句ばっかで、
悩める衆生に仏教をわかりやすく教えてもくれないのか?
なんのために仏教、宗教やってんだよ(w
全部手前の、自己満足のためだけかい?
乱暴な言葉を使う人とかもいるしさー。他の板ならともかく、
ここも大差ないねェ、人の質が。結局2chでしかないわけかな。
なーんて言ったら、まーた短気な仏教愛好家に叱られそうね(w
無瞋ですよ、無瞋。あと、頭悪いやつに何を言っても理解しないから、
って逃げもナシね。対機説法してくれよ。
>>807 仏教ってな、仏陀を目指す宗教だろう?
完成された人格ってやつか。たしかそう聞いたね。
利他行の実践に重きを置き・・んー大乗仏教ってイイ!
むかし、アリの巣を潰したことも後悔しちゃうよ。
810 :
名無しさん@3周年 :04/02/03 07:30
つまんないの。 食いついてきてるかな感を愉しんでると思ってるのか? ふぁーあ。じゃ、出かけますか。 もうコネーョ(w!
811 :
名無しさん@3周年 :04/02/03 08:57
>>810 じゃ、もうくるな。サヨウナラ。
ここにくるのは千年早い。
だれが (w を多用するやつに説明したりするか。
812 :
名無しさん@3周年 :04/02/03 11:39
情けないねえ。
813 :
名無しさん@3周年 :04/02/03 11:58
怒ってる怒ってる、見たら心に波が立って辛い目に・・
と思いながらまた覗いてしまう。不動心を試しちゃってる(w?
>>811 嘘、ゴメン。また来ちゃった。
814 :
名無しさん@3周年 :04/02/03 12:05
>>809 わかってるじゃないか。
仏教は、自分のためにやるものだ。
悟りに至るためにね。
他人のことなんぞ、どうでもいいのだよ。慈悲は持っているがね。
そんなものに「執着」してられないよ。
815 :
名無しさん@3周年 :04/02/03 12:09
仏教は他の宗教ほど厳格に善悪を作らない。 これは、仏教が本r内、社会と共存するための宗教では無いからだろう。 キリスト教は善悪を作る。ユダヤ教も、イスラム教も作る。 そして争うのだねぇ。 仏教は、自己を高めるのだから、極限まで高まり、完結された自己同志が 依存することなく安定した関係を保つ社会を形成することができる。理想的にはね。 まぁ、そのときは共産主義も可能になるだろう。
816 :
名無しさん@3周年 :04/02/03 12:14
他の宗教は、弱い人間が神の制約のもとで加護を得て、人間として生き、人間として死に 死後天国へ至るわけだが 仏教の場合は、自力で仏になる。人で無い人になる。そして生きているうちにそれがなされることが 可能なのだ。まぁ、仏教には他力の概念もあるんだが、他力も結局自力に内包されているんじゃないかな。 仏教は人間を捨てる宗教なんだよ。
817 :
名無しさん@3周年 :04/02/03 14:24
へぇー
818 :
名無しさん@3周年 :04/02/03 14:56
「よりよく生き、必要以上の執着を捨て、心の安穏を求めること」これが仏教の基本です。 「悟り」や「解脱」や「成仏」など大上段に構えてしまえばもはや仏教ではなくなります。 原理主義とはそのような当たり前に帰れという主張なのです。
819 :
名無しさん@3周年 :04/02/03 23:05
ふぅーん
820 :
ベロ ◆eOod7XM/js :04/02/04 00:09
鎌倉時代の法然さんは当時の常識や社会通念の中で、極力民衆の為に念仏の救いを 説きました。それは民衆の支持を受け、とても尊敬に値する事だと思います。 ただ現代日本で、法然さんの念仏を称えれば誰でも分け隔てなく極楽浄土へ往生し、 阿弥陀仏の元で無上覚を得ると言う教えが通用するとは僕には思えません。 僕には霊魂・来世や他方仏・他方世界信仰が全くないからです。 仏教の基本的な教えは時代や地域や人種や貴賎や男女等々を問わず、普遍的に通用 するものだと僕は考えます。 釈尊の説くダルマ(具体的には四諦八正道・中道・縁起説・空観・五戒・三学・ 三法印・三毒・慈悲行等々)には、僕は頷かざるを得ませんでした。それらは 教団組織に属さずとも・寺院やご本尊などの拠り所がなくとも、どんな職業や 境遇であろうとも実践可能な教えでありますし、努力目標として釈尊のような 人格完成を目指しつつも、その結果にこだわる事も無く、自分のいのちをより 良く生き切ると言う過程を楽しむものだと考えます。実際仏教に出会ってから 僕の思考法は一変してしまい、生きるのが楽しく心も安楽になりましたよ。 僕は僕自身の経験を通して、僕が素晴らしいと思い、ホンモノだと実感できた 釈尊のダルマを実践し、現代日本で生きる人々に少しでも共感をもってもらえ るならば、それにまさるよろこびはありません。その為に自分の出来る範囲で 日々実践しています。
821 :
名無しさん@3周年 :04/02/04 02:23
2chやめろ。 話はそれからだな
こういう人↓は法然など語らず明恵でも信奉してて下さいな。 >釈尊の説くダルマ(具体的には四諦八正道・中道・縁起説・空観・五戒・三学・ >三法印・三毒・慈悲行等々)には、僕は頷かざるを得ませんでした。それらは >教団組織に属さずとも・寺院やご本尊などの拠り所がなくとも、どんな職業や >境遇であろうとも実践可能な教えでありますし、努力目標として釈尊のような >人格完成を目指しつつも、その結果にこだわる事も無く、自分のいのちをより >良く生き切ると言う過程を楽しむものだと考えます。実際仏教に出会ってから >僕の思考法は一変してしまい、生きるのが楽しく心も安楽になりましたよ。
魂の進化が遅れた段階にある人にとって 方便といえども救いとなるものであるなら、 それをわざわざ取り上げたり叱責したするのは愚行というもの 好きに信仰させておくがいいさ その「仕方がない人たち」がいるからこそ、 そうでないワタクシたちが際立つわけで、そのように世の中は保たれているものだ しかし低い教えが悪いというわけではなくて、 善い悪いではなく、これは現時点ではやむをえない必要悪のようなものであって その一見愚かな教えを取り去ることだけがベストではないということ
年寄名跡(年寄株)の継承金を巡る訴訟 必要どぅわ〜〜〜 先代立浪親方(元関脇・羽黒山)VS現立浪親方(元小結・旭豊) 必要でない〜〜〜 一勝一敗。勝負は、ファイナル・最高裁に持ち越し。 ------------------------------------------------------------ 北尾といっしょに傍聴しよう!ツアー 現在、申し込み中。
3 :名無しさん@京都板じゃないよ :02/03/11 18:05
廃仏毀釈などと言う罰当たりな事をして神道を国家宗教に
仕立て上げた末路が太平洋戦争での大敗北である。
4 :名無しさん@京都板じゃないよ :02/03/11 22:29
>>3 同意でござる。
5 :名無しさん@京都板じゃないよ :02/03/12 00:17
仏教の信仰が形骸化したから廃仏毀釈が起きたのではないですか?
どうして廃仏毀釈が原因で太平洋戦争で大敗北したのですか?
廃仏毀釈と国家神道との関係を素人に述べてください。
6 :名無しさん@京都板じゃないよ :02/03/12 00:28
>3
国が廃仏毀釈を進めたように言っているけど、違うよ。
政府が行ったのは「神仏分離」
元々違う宗教だから分けて信仰させようとしただけ。
それを民衆が勘違いして「廃仏毀釈」
逆に政府は古社寺保護法というのを作って保護しようとした。
それになぜそれを敗戦につなげるのか分からん。
神道=戦争責任のような考え方はいい加減止めてもらいたいね。
>>823 ←正に明恵そのものやね。お偉いそうで結構なこった。
827 :
現人神の土俵入り :04/02/04 22:23
アラッ、ヒトガミ アラッ、ヒトガミ アラッ、ヒトガミ アラッ、ヒトガミ
あぼーん
829 :
ベロ ◆eOod7XM/js :04/02/05 01:39
法然さんも元々は自力の修行に打ち込んで、その果てに「私自身はとても三学の器 にはあらず」と言う絶望を経験し、それでもそんな自分が救われる道はないのかと 一切経を5回も読破した末に善導大師の観経疏の一文に出会って心の平安を得たん ですよね。ですから元来は自分の救いを求めていたのであって、他者の救いの事を 中心に考えていた訳ではないと思います。そのあたりは釈尊の姿勢と似ていますね。 ただ、当時は末法思想や天台五時教判等の変な仏教理解が通念で、法然さんはモロ にその影響を受けていますね。それに曇鸞さんの『浄土論註』等を読むと、浄土教 は明らかに釈尊の仏教からの離脱を目論んでいるようにも思えます。 あと、現代人に通用する浄土教の解釈としては、阿弥陀仏や極楽浄土の実在を前提 とはせずに、法蔵菩薩の誓願を、偉大な菩薩の先輩のモデルケースとして、自らも またその誓願を心に誓い地道に仏道を歩もうと努力すると言う様に解釈する事は 可能ではないかと僕は思います。
ハナっから、地道に仏道を歩もうとしない たまたま寺に生まれちまったから、仕方なく坊主やってる。 また、社会もそれを許しちゃう。 どこまで行っても「おカネ教」だな。 この国は
>>830 それは違う!ただたんに仏教が情熱を傾けるにたりないもんだっつーだけ。
平安時代とかは経典をそらんじていれば教養があるってみなされたけど、今じゃ
変人扱い。世の中の民衆も永い眠りからやっと眼が醒めてきた感じ。
832 :
ベロ ◆eOod7XM/js :04/02/05 19:16
そうそう、霊魂信仰に基づく輪廻転生や不条理な現状を肯定するだけの本覚思想や 他方仏・他方国土の実在を説いて民衆に諦観を植え付けてきたある種の浄土教など、 マヤカシのエセ仏教などとっとと葬り去ってしまわねばなりません。
>>832 このおっちゃんまだ「マヤカシのエセ仏教」とかいってるし…
834 :
名無しさん@3周年 :04/02/06 02:20
>>832 霊魂を無視したら、仏教としての条件を外れたことになります。
835 :
834ではないが :04/02/06 02:59
漏れは時々、霊らしきものを見たり体験したりするので、 死後生や霊魂みたいなのを認めない宗教は間違いだと思っているよ。 そればかりに教えの比重があるのもおかしい宗教だとも思うがね。 不思議なことに、仏教の中では漏れは、 原始仏教や密教などの神秘的霊的な感じの宗派よりも、 禅宗や浄土教などの、ほとんど霊魂のこと無視しているような教えの方がすきw
836 :
名無しさん@3周年 :04/02/06 10:17
↑ ? とりあえず、原始仏教、密教、浄土、禅の説明してみ。 解ってるとは思えん。
837 :
名無しさん@3周年 :04/02/06 17:56
>>835 >漏れは時々、霊らしきものを見たり体験したりするので、
あなたの波長が単に餓鬼界(プレータ)に符号しているのでは?
>禅宗や浄土教などの、ほとんど霊魂のこと無視しているような教えの方がすきw
「六租壇経」は座禅はしないで、読んで頭で理解する悟りらしい。
↓の文言は、まさしくあなたのような方のために説かれたものと思われます。
(インドや中国の心身的技術を駆使する密教的浄土教を、一切合切放擲した日本的浄
土教の良し悪しは別問題として)
念・仏・と・い・っ・て・も・仏・の・色・相・光・明・を・念・じ・る・の・は・
観・仏・三・昧・で・あ・る・が・こ・の・念・仏・に・よ・っ・て・仏・身・と・
同・体・の・仏・性・を・こ・の・身・に・観・想・す・る・な・ど・は・智・慧・
も・お・ぼ・つ・か・な・く・心・も・浅・劣・な・自・分・ら・の・境・界・で・
は・な・い・…・。仏・の・身・相・を・観・念・せ・ず・た・だ・仏・の・御・名・
を・念・ぜ・よ・。わ・れ・わ・れ・凡・夫・は・何・か・と・障・害・が・多・く・
観・想・念・仏・な・ど・出・来・は・し・な・い・。さればこそ釈尊が憐れみをたれ
て、称名念仏をひたすらにおすすめ下されておいでなのだ。
―――法然『要義問答』
838 :
名無しさん@3周年 :04/02/06 18:08
面白い奴が出てきてんな
実際に幽霊とか神霊とか天狗とか龍とかの霊的な存在を 禅や浄土教ではあまり言わない気がするけど。 理屈をこね回して、座禅や念仏三昧するだけじゃないの?
>>836 君が説明してみろよ。
どういうところが「解っているとは思えん」のか、から。
それと、
>>837 の「仏性」って何?
仏になる可能性か? 仏の性質か?
では仏って何?
禅宗とかでも、「仏性」云々を言うが、
そのあいまいな言葉に自己満足して悦に入っているのは変だぞ。
しかし、上にも書いたが、仏教の中では、こういう仏教の方が漏れは好きだったりする
(まだマシだという意味で)。
841 :
名無しさん@3周年 :04/02/07 13:06
はぁ?
みなさん人生ちゃんと楽しんでます? 自分が楽しめないからって、楽しんじゃダメとかいっちゃダメよ。 某宗教の方々。
エスプリの片鱗すらないレス
844 :
名無しさん@3周年 :04/02/07 18:10
分かった。使ってる言葉と指示内容がバラバラなんだ。 ほっとけ、相手すんな。面白いけど。
845 :
名無しさん@3周年 :04/02/07 21:34
>>841 >>843 お前らのような自分の見解は積極的に述べずに人のレスに難癖つけるだけの低脳は書き込むな。
高みに立って人を馬鹿にしているつもりだろうけど、厨房並みのずるさと卑しさだな。
相手が場違いなことを言っていたら、それと協調的に対話しながらも間違いを指摘するのがまともな人間の筋だろう。
仏教徒が高慢利己主義馬鹿であることの見本になっているから、まあよいか。
846 :
名無しさん@3周年 :04/02/07 21:38
2ちゃんに何期待してんだ
847 :
名無しさん@3周年 :04/02/07 23:30
大漁ですな
>>837 まあ、スレを読まずにカキコなんだけど、
「日本的」って用語もそろそろきちんと定義しといたほうがいいよね。
「日本的」なる仏教とは、いわゆる「民族宗教」と同質なものなのか?って切り口からとりあえず。
「日本的」なんて言葉を「仏教」にくっつけるにあたっては、その言葉で言い得ることと言い得ない
ことの区別は、はっきりさせてから使ったほうが実り多いと思うよ。
849 :
名無しさん@3周年 :04/02/08 00:46
>>848 読んでもいないのに、相手に同意を促したり、返答を求めるような
カキコをなぜするのだろうか。
別に読むことを強制したりはしないのだが、読んでもいないなら、
>>837 の名指しも意味がないってことですね。
>>849 おお、なるほどその通りですね。
じゃ、無視してくださって結構です。ってことで、許してくださいな。
>>849 NB=natural Bakaまたはnatural bureimonoと思ワレ
852 :
名無しさん@3周年 :04/02/08 12:38
へぇー
853 :
名無しさん@3周年 :04/02/08 18:23
854 :
名無しさん@3周年 :04/02/08 19:13
宗教がなければ世界は平和 ジョンレノン曰く。。。
855 :
名無しさん@3周年 :04/02/08 21:45
↑ ジョンレノンは共産党員だということがよくわかります。
薬中のいってることまともにとりあうなよ
>>854 あっ仏教徒だからいいのか。失敬、失敬。
857 :
小野 洋子 :04/02/09 00:15
宗教のために殺し合ったり、死ぬのはバカだ!と言ってんのよっ。 宗教のために殺し合ったり、死ぬのはバカだ!と言ってんのよっ。
858 :
名無しさん@3周年 :04/02/09 04:13
>848-851 全くスレ趣旨に違わない限り、カキコしてもいいではないか。 NB ◆YIoCB90ZbI さん、気を悪くするな。 >太刀山氏 浄土真宗は、同和問題で叩かれてから、 かえって同和をも取り込もうとして差別しなくなったんじゃないの?
>>858 正直オレ法然にしか興味ないから浄土真宗が仏教的に差別してようが、人を不幸に
してようが、そのこと自体になんの感慨もないのよね。
大体親鸞がほんとにきちんと法然を受け継いでるとは思えんし。
860 :
名無しさん@3周年 :04/02/09 22:34
マジレスします 同和ってなんのことですか?
マジレスします。 マジで知らないの?
>>860 同和問題とは、部落差別の問題という意味で書いた。
同和とは、被差別部落民やその団体の意味で書いた。
863 :
名無しさん@3周年 :04/02/10 06:15
阿弥陀さんなんて居ないことは知ってますよね
知ってます。 でも、その居ないものを信じきって完全に大安心してしまうハチャメチャさというか、 酔狂さが面白い気もする。
>>863 とりあえず選択本願念仏集読めば?
法然のは、そういう下らないレベルの話じゃないから。
866 :
名無しさん@3周年 :04/02/10 20:31
へぇー。
867 :
ベロ ◆eOod7XM/js :04/02/11 00:23
法然さんに関心が強いのなら駒沢大の袴谷憲昭さんの『法然と明恵』(大蔵出版)は 読みましたか?中々面白い本ですよ。袴谷さんも松本さんと並んで、山口瑞鳳門下の 如来蔵・本覚思想批判論者の代表人物ですが、彼も法然さんには一目置いていますね。 以前駒沢大で袴谷さんの講義をモグリで聞いた事があるんですが、仏教を真に理解 したいのなら『選択本願念仏集』は岩波文庫で出てて値段も安いし入手も容易だから 必ず読むようにと言ってましたね。それ以前から僕も当然何度か読んでますけど。
868 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆otI/nSEv1c :04/02/11 00:54
そうかね。 機能日蓮宗関連で某会合に出たんだよ。そこには東日本の同和問題関係者も いたし在日関係者もいた。 最近の2chの差別発言はたいへん怒っていた。 俺もここを見せたよ。その場でな。連中は何をするかわからん。俺にもとめられないし、 警察も止めないだろう。 何が起きても自分で責任をとることだよ。おれは連中を止められない。 車に轢き殺されようがブロック抱かされて海につきおとされようが、山の中に つれていかれて自分で墓穴ほらされようが、自分の書いた文章は自分で責任をとれよ。 俺は知らない。もう止められない。連中はここを知ってしまった。
869 :
名無しさん@3周年 :04/02/11 01:00
日蓮宗死ね
↑ たぶん自称仏教徒の本音?
871 :
名無しさん@3周年 :04/02/11 09:53
>>868 このスレッドのどこに差別発言があるんだ?
「差別があることは仏教が関与してきたのでは」との意見があるだけだろう。
また「差別=悪」の前提で書いてあるだろうが。
とマジレスしてみた。
>>868 気持ちいいセックスちゃんとしてる?
というか人生ちゃんと楽しんでる?
仏教を離れれば少しは人生拓けるよ。ガンガレ!
>>857 狂信からではなく自らの思想、信条に殉じられる人は幸せデアル。
たとえば、ソクラテス。たとえばキリスト。例えば伍員。例えば仲由。
彼等はいづれも己がもつ信条を捨てさえすればまだ生き抜くことはできた。
彼らにとって「信条」という形なき自分自身にしか価値がないものは、命より
大事なモノだった。
オレは正直彼らが羨ましい。俗塵の中でしか生きられない私だが、死ぬ時くらいは
せめてあのように美しく死にたい。他者の目にどんなに醜くうつろうとも。
874 :
名無しさん@3周年 :04/02/11 22:03
我らが“そそそそそそそ尊師ぃぃぃ”であるお釈迦様は?
875 :
名無しさん@3周年 :04/02/11 23:35
>>他者の目にどんなに醜くうつろうとも。 今以上に、醜く映ることはないから心配するな!
876 :
名無しさん@3周年 :04/02/12 10:08
>太刀山型の土俵入りさん 『出家者』ではなく、隠者とか隠遁者はどう思いますか。 特に、老齢で静かに俗世を離れて庵で暮らしていたような人は。
>>876 ほんとに隠れてるんなら別に文句もないが、隠遁とか隠退とか、世俗を離れるとか
言う奴に限って大体そんなこと微塵も思ってない奴が多すぎる。
特に中国の老荘、禅関係。まああそこはああいう国だからそれもおもしろいんだけど、
日本でまで真似すんじゃねえよクソがって感じかな。
誰とはいわないが梅原猛とかその辺の連中。
最近村上龍の「全ての男は消耗品である」を読んで思ったのだが、 朝青龍に対するのもそうだが、横綱という存在に対して異常なまでに 品格を求めるのは、失われつつある「父性」というか「厳格な父親」 というものに対しての憧憬なのだろうか?
879 :
名無しさん@3周年 :04/02/14 23:22
害毒としての創価学会。
880 :
名無しさん@3周年 :04/02/15 23:51
今までの宗教・思想で、仏教を批判しているものを教えてください。 仏教批判者の名を挙げてみてください。 キョーミあります。
881 :
名無しさん@3周年 :04/02/16 00:28
浄土真宗は同和問題関連の問題も起こしたのか・・・・ つくずく糞仏教教団だな。
883 :
名無しさん@3周年 :04/02/16 01:45
浄土真宗はピンキリだからね。 キリスト教と同じで分派がはげしくて何でも有りだから 一くくりに浄土真宗と言っては親鸞に申し訳ない。
真宗も言を入れれば真言宗。 狂っていたとて不思議でもなし。
885 :
名無しさん@3周年 :04/02/16 23:25
肉を食ってる奴が浄土真宗を否定できるだろうかと。
ナオンのケツばっか追いかけてるタチヤマ、万歳。
おれはお尻よりおっぱい派
乳 離 れ し ろ
仏教と対立するような思想・宗教は何ですか。 日本の歴史で、仏教と戦った思想・宗教はありますか。
890 :
名無しさん@3周年 :04/02/17 23:50
>>877 >隠遁とか隠退とか、世俗を離れるとか
>言う奴に限って大体そんなこと微塵も思ってない奴が多すぎる。
ワロタ。同感だ。
891 :
名無しさん@3周年 :04/02/17 23:57
サーリプッタは、故郷に帰って死んだと何かで読んだけど、 釈迦が数十億年に一度しか(?)出現しない有難いブッダだと考えるのであれば、 なぜ傍を離れて故郷に帰ったりしたのだろう。 故郷の人々に布教しに逝ったのかな? それとも・・・・。
自分でベラベラベラベラ言うようでは あきまへんな。
すんまへん。↑
>>890 に対してでおます。すつれいすますた。
894 :
名無しさん@3周年 :04/02/18 00:47
>太刀山型の土俵入り氏 ダイバダッタはどう思う? 釈迦を殺そうとして無間地獄に落ちたとされているはずだけど。
895 :
名無しさん@3周年 :04/02/18 10:48
896 :
名無しさん@3周年 :04/02/22 04:57
「こうやなければアカン、そんなもんは偽物や」とはまた、 アンタらの仏教はひどく了見の狭いもんでおまんな。 要は、より良く生きれればええのんとちゃいまんの? ムリせず大らかに粛々と。宗派の違いは、それこそ方便やろ。 あては南無阿弥陀仏が楽ですさかい、唱えまっせ。 童の頃に婆ちゃんに抱かれて、仏壇の前で「なーまなーまなーま」 一緒に唱えましたさかいな。偉い阿弥陀さんに少しでも近づきたくて、 遠回りやけども悟りを目指してる身ですよって。 あの時の婆ちゃんの暖かい手は、それこそ阿弥陀さんの手でおました。
897 :
名無しさん@3周年 :04/02/22 05:05
さいでっか
>>896 >悟りを目指してる身ですよって。
これ書いてる時点で法然を理解してないのが丸わかり。
親鸞、とその法孫の江戸時代の坊主(ツマンナイ奴だから名前忘れた。五木寛之が
なんか書いてたと思う)の罪や深し。
>>894 この話を作った奴はまさか後世、法華経で提婆品なんかが作られるとは夢にも
思わんかっただろうなあ。
900 :
名無しさん@3周年 :04/02/22 21:17
>>898 あなたのその一言で法然を理解していないのが丸わかり。
901 :
名無しさん@3周年 :04/02/22 22:12
>>899 釈迦が麻原並みのカルト教祖で、
提婆が果敢にそれに挑んで人々を解放しようとしたのだったとしたら・・・・・。
漏れは近頃マジでそんな感じに思ってきているのだが・・・・。
>>888 遅レスだが、嫌だ!
でもパイずりとセックスだったらセックスの方が好き!
>>901 ウルトラマン。われわれを信用させておいて実は、こいつのほうが
地球乗っ取りをたくらんでる!!!
>>902 韓国公演のソウルから帰ってきたのか(w そのまま、西向いてガンダーラまで行きやがれっ(w
>>903 あんまシャブばっかやってると体こわすよ。
>>901 麻原は釈迦に比べるとチンポ小さそう。 特に意味はない。
お経にデカマラだって書いてあっただけ。
現実を見つめつつ補強をしながらなおかつ美しさを保ってきたユヴェントスは正に 儒墨的なチームである。 夢ばかり見て結果も美しさも保てないインテルは仏教的である。
907 :
K ◆JytZGz.M.s :04/02/27 18:53
>>1 面白い発言ですね。
>本来、知恵重視、平等主義、霊魂否定、輪廻否定、
>反神秘主義、反苦行主義
私は仏教が、苦しみを取り除く方法が根本で、
副産物としての「智慧」に代表される様々なことがあると思います。
ですから、副産物が薬にも毒にも転じるわけで
理想論とあなたがおっしゃった事に「なるほど」と思いました。
毒の部分を正当化したらダメですから。
逆に薬の部分もあるので、そこまで強調する事も無いとおもいますけど。
それと、輪廻否定しているですが、学者が悟りを開いたとは
聞いた事がないので、「否定」と断言するのも変に思います。
それと、釈尊は我々から見ると、人間の存続から反する行為(根本の目的)を
されてますね。
この理由は一体なんなのか?
理由が分からなければ、「害毒」と言ってしまうのも分かります。
分かれば、本当に帰依というのをしてしまうのかも知れません。
キーワードはヒンズー教が握っている気がします。(直感)
釈尊会のデブ何気に羨ましい。 まあだからって仏教徒にまで堕ちたくないけど。
909 :
名無しさん@3周年 :04/02/29 14:20
釈迦が右脇から生まれたとか、 生まれたすぐに7歩歩いて天上天下唯我独尊と言ったとかいうのは、 もちろん嘘なのだろうね? キリストの処女懐胎・死後の復活と同じような話だ。 なぜアホ信徒は、嘘とすぐわかる教祖マンセー話を作るのかな。
910 :
名無しさん@3周年 :04/02/29 14:41
>太刀山型の土俵入り タリバンの仏教遺跡(大仏)破壊行為はどう思う?
<タティヤマの見解> ・暴力OK! ・ほとけの名を利用するは勿論、シューキョーでのカネ儲けOK! OK!
>>907 ごめん。何いいたいのか法然と一緒で機根のない私にはサッパリわかりまへん。
めんどいからどっちか選んでくらさい。
仏教→弱者に生存価値なし、差別的平等歓迎、思考停止、霊魂礼賛、現実社会の否定。
孔墨→強者にのみ生存価値があるわけではない、平等的差別歓迎、思考の追求、
霊魂無視、現実社会を認識し改善に努める。
>>910 そこにいる仏教徒がその遺跡にどういう思い入れを持ってたかによるだろうね。
騒いでるの外部の奴らだけだったとかよくある話だし。
まあ人に危害を及ぼさないんだったら、遺跡破壊もすっきりしていんじゃないの。
914 :
K ◆JytZGz.M.s :04/03/01 21:08
>>912 機根は大丈夫だと思いますよ。もう一度読んで頂きたいでございますが。
言いたい事は簡単です。
ただ「仏教は、苦しみを取り除く為の教え」だと思うのです。
でも、凡人には無理だった。だから、それに至る過程として、
意識の改革といったことで、巧みに利用してみた。
と思うのです。なんと!副産物は大きな効果があった。(善悪は知りません)
仏教のそのような評価(副産物の部分なので)は分かりません。
人はどんなに満たされても何かを失ったり、必ず死ぬのだから、
すごく辛いだろう苦しみを取り除く上で、価値があると思います。
人口爆発を危惧して、殺し合いをするくらいならを想定して
全世界出家運動はありかもしれない(笑)
人はほっといてもどんどん増えていくだろうし。餓死はいやです。
人情的に好きな人との子供が欲しいと思ってしまうもの。
太刀山型の土俵入りよ、てめぇの妄想でののしるのは勝手だが、 都合の悪いことを無視するのはまずいぞ。 法然の何をよんだというのだい? >900 に反論ぐらいしろよ。
平山のツメの垢でも 飲んでろ!!
>>914 「苦しみを取り除くための教え」か。
であれば仏教徒はクソ退屈(独角仙人の話は別かな?)で膨大な経典読むよりも
マリファナでも栽培してラリってるべきだね。
「苦しみを取り除く」のが仏教なら「苦しみがあるとしてもやらなければいけない限り
真正面から苦しみに向き合う」のが孔墨。
どっちが楽かは仏教に分があるのは明白だけど「人間」としてどちらが素敵か、
孔墨に分があると見るのは、少しでも人生に真剣に向き合ったことがある人なら
これまた明白だね。
しかし仏教ってほんとヒッピーくせえなあ。こういうところが正に糞なんだよねえ。
>>916 平山ってどの平山?サッカーのか?であれば目指す場所が違うから
意味ねえよ、と畜生にマジレスするオイラカコワルイ。
920 :
名無しさん@3周年 :04/03/02 09:58
思考停止は、どの経典に書いてるの? つーか、思考停止出来る仏教徒なんているの? いるなら是非会ってみたい。 霊魂礼讃は、どの経典に書いているの? 現実社会の否定に関しては、全否定でなければ問題無いね。 否定すべき点もあるだろうし‥ 基本理念に「中道」がある以上、そう決め付けれるものではない。 まっ、どうでもいいけどね。
921 :
K ◆JytZGz.M.s :04/03/02 15:24
>膨大な経典読むよりも >マリファナでも栽培してラリってるべきだね。 マリファナでの自己消滅には抵抗がありますよ。 努力が必要ですが 贅沢な事に、自己を失わないで可能にする方法があるそうなんですよ。 >苦しみがあるとしてもやらなければいけない限り >真正面から苦しみに向き合う 苦しみを取り除くには、まず逃げないで見つめる必要があるようです。 こちらの方が難しいみたいですよ。 孔墨の場合は、苦しみを除くのは諦めるとして、 いかに人として、現実的に濃く生きるかを充実させて 大きな苦しみを悔いなくさせる事で打ち消そうしているのですか? >人生に真剣に向き合ったことがある人なら 非常に窮地に立たされて、自分と向き合って、大いなる存在に気づいて 仏教に入り込む人もいるんですよね。 そういう人にとっては、 「なんで、本当に感謝しなければならない存在を無視するのだろう」 と思っているかもしれないですね。
922 :
名無しさん@3周年 :04/03/02 16:57
孔墨の言う「苦」と仏教で言う「苦」の違いすら解っていないのに講釈垂れるバカがいる。
どアタマ蹴ってもらわねえと 太刀山の馬鹿さ加減は、直らねえだろ(w
924 :
名無しさん@3周年 :04/03/02 18:46
>>912 仏教では、死後にも永遠に存続するバラモンのアートマン説に対して、
無我説を説きます。すなわち、霊魂のような固定的常住不変の存在は認めていません。
霊魂説を仰るのであれば、浮ばれぬ先祖霊を供養して生きている人間の不幸や災いを
取り除く祖霊信仰や御霊信仰が、仏教ではなく道教に基づくという事実に目を向ける
べきでしょう。
仏教=霊魂説なんて構図は、あまりにも仏教を知らなさ過ぎます。
925 :
名無しさん@3周年 :04/03/02 18:48
霊魂は固定的?常住不変? だれに教えられたの?
926 :
名無しさん@3周年 :04/03/03 01:29
>>925 おれもいつもそう思うよ。
霊魂が存在したとして、
その内容や状態は固定的常住不変ではありえないだろうし。
以前上のほうで、
仏教が「常見をも断見をも排した」というのに俺は不満を書いたのだが。
927 :
現代インド仏教の父アンベードカル :04/03/03 02:30
異なった視点から(皆さんご存知だとは思いますが),シャーキャ(釈迦)国の王 子であったガウタマシッダールタさんは,釈迦国が攻め込まれる事実を知り, 生け捕りにされる前にと,出家→バラモンになりましました。ところが,ぼっ ちゃんの王子には修行がつらすぎるから断念し,のちに中道等の逃げ思想を 設けました。霊魂・輪廻に関しては「無記」→訳わかんないから無視しました。 四諦説なんてのは誰だって思うことじゃない?いわば釈尊(目覚めた人)とは,気の弱い,都合が悪い事柄は避 けて通る人物であったのだよ。史実をもっと学んだほうが良いと思います。 後世のやたらめったらな解釈は,日蓮系の諸悪集団を生み出すだけ,無駄むだ ムダ。初期仏教経典をがじきじきの教え 阿含経(阿含教とは無関係)など読 んでみな。ブッデッズムは,ただの道徳,人道ですから
928 :
ベロ ◆eOod7XM/js :04/03/03 03:37
このスレもよくここまで続いたね、もうすぐ1000いくじゃん。 仏教理解はムチャクチャでも、太刀山くんの発想はよかったのかな? いずれにせよ2500年も話題になる事を言い出した釈尊は偉大だよ。 釈尊だけじゃなくイエスも孔子もソクラテス等々もそうなんだけど。 今生きてる人類の中で2500年後にも話題になってる人はそうはいないと思うね。 僕も仏教のおかげで、生まれて来てよかったなぁと思う人間になれそうですよ。 日々いい勉強になっています。
>927 おいおい、どうやったらクシャトリアがバラモンになれるんだい? 史実をもっと学んだ方がいいのはチミのほうだな。
>>ただの道徳,人道ですから その教えが出来にゃい守れにゃい、エテコーの僕とチミ・・・
931 :
名無しさん@3周年 :04/03/03 21:50
>>925-926 言葉が足りなかったようです。M(__)m
恒常不変という意味は、肉体の死後にも肉体の消滅とは無関係に存続する実体とか本体
としての我→霊魂、の意味で使いました。仏教はそこのところは無我、すなわち、肉体の消
滅後にも存続する実体乃至本体としての霊魂のようなものは認めていない立場なわけです。
ですが、お釈迦様は、死後生や輪廻のことを問われたとき、無記で答えました。それはとり
もなおさず、「空」を仰りたかったのだと思います。禅には、「趙洲無字」の公案というのがあ
るそうですが、お釈迦様の手法は、それさえも遥かに凌駕していたということでしょう。言語
化しないで沈黙にて直指人心、これぞ究竟の空の醍醐味かと。
【霊魂信仰】 霊魂の存在を信じ、肉体を離れても存続し、生きている人間や事物に影響をおよ
ぼすものとしてこれを崇拝すること。
【霊魂不滅】 人間の肉体は死滅しても、霊魂は肉体を離れて存続するということ。
小学館国語辞典より
932 :
名無しさん@3周年 :04/03/03 22:46
>>931 仏典には輪廻転生や来世、宿業(前世の業)などの話が多く出ている。
そういうものが存在するのを前提に書いてあると思うよ。
釈迦は無記と「答えた」のではなく、聞かれても思わせぶりな沈黙を守っていて、
最後に毒矢の例えで論点をすり替えてやり込めてしまったのだろう?
質問を発すること自体愚かだとやり込めてしまったわけだ。
こうすると「知っているが語らない」という高みに立ったスタンスを守れる。
「知らない」「わからない」では、自分の沽券にかかわると思ったのでは?
麻原が積極的に自分の意見を述べずに沈黙を守っているのに似ていると思うよ。
太刀山型の土俵入りが「ちゃんとした仏教ならオウムとかあるじゃん」みたいな発言をしていたのは、
最初はハァ?だったが、近頃はよくわかるw
>>932 >最後に毒矢の例えで論点をすり替えてやり込めてしまったのだろう?
執着を離れなさいとをおっしゃってたのですよね?
輪廻も前世も何も知らない人が、
「あるって言っている人がいるけど、実際どうなんだろう?
釈尊に聞いてみよう!」
となった時に、もし聞いても言葉遊びにしかなりません。
また、帰依をしている人(釈尊)の言葉で「ある」と聞いたら
死後の事しか考えなくなるに違いありません。
困った時の人頼み、自分をより所に出来ない愚か者の話だと思いました。
(この悩みの根源は、人の言葉に縛られてるかと。)
私は自分に対して考え、「ぎくっ」としました。
では釈尊は本当に分からなかったのか? と言いますと、 どうやら、輪廻・前世を知っている修行者には、普通に話しているっぽいです。 例えば、阿含経です。 認識している人には、それから解脱しましょうという事で。 輪廻・前世を認識していない人には、適さない話だと思います。 認識できていないのに、なにをどう解脱すればいいのか分かりませんから。 面白い事に、 輪廻とか前世を完全に否定をしている人は学者さんばっかです。 この方達は悟りというか、目覚めているのですか? 麻原の沈黙は、答えられないだけではないですか? 被害者の遺族を信者にしてこそ、本物だと思いますから。 釈尊は、家出をして捨てた親族を最後は信者にしていた訳ですから。 もし遺族が信者になったのなら、見方をかえるでしょう。
太刀山とか932なんか 血液型で人間のタイプを 分けれると思ってる奴かw
936 :
名無しさん@3周年 :04/03/04 00:56
>>918 >膨大な経典読むよりも
仏教は経典が多すぎるよ。
最終的には何を説いているのかうやむやになってしまう。
他の世界宗教や中国思想では、そんなに原典が膨大ではない。
解説書は膨大にあるのだろうがね。
937 :
名無しさん@3周年 :04/03/04 01:15
>>932 >麻原が積極的に自分の意見を述べずに沈黙を守っているのに似ていると思うよ。
積極的に沈黙を守っているかっこいい人間が、たまにニヤって笑ってるのね。
ふ〜ん。
洗脳信徒だろ?あんた。
>>933-934 うーん、何をレスすればいいかわからないが、
仏教に文句はあっても、あんたの人柄には文句ない。
>>937 「積極的に自分の意見を述べる」ことをせずに、ただ沈黙を守っているという意味だよ。
意見を述べなくても、積極的に自己の態度を示すならよい。
「答えてやるかボケ。さっさと帰れクソが」という発言でも、
思わせぶりで気を持たせた態度を取るよりは俺には好感あるよ(まだマシだという意味で)。
上の方で以前こういうこと書いたことがあったと思う。繰り返しスマソ。
>>938 さん
>「知っているが語らない」という高みに立ったスタンスを守れる。
釈尊と麻原では背景が違っているので、沈黙はまったくの別物と思ったのです。
穿った見方をすれば、高みにいるかも知れませんが、
見かたを変えれば、やさしさに溢れています。
穿った見方以外もして欲しいです。
もし、悪心を抱いているものが、穿った解釈を聞いたら
「これは使える!」と悪用する可能性があります。
「人はどういうのに惹かれるか」を仏典から探すなら、忽ち毒になります。
毒と薬になる部分をしっかり見つめないと騙される時代ですね。
940 :
現代インド仏教の父アンベードカル :04/03/04 18:16
>929 そっか 間違えですね・・・ ごめんなさい カースト間移動でなく 出家ですね 詳しくは『BUDDHA AND HIS DHAMMA』をごらんあれ ひねくれた解釈かもしれませんが シッダルタもただの人間ですわ
オウム被害対策弁護団て、 仏教の今の状態を望んでいたんだろうか。 その辺、誰も突っ込まないけど。 厭な気分だ。
942 :
名無しさん@3周年 :04/03/04 22:09
仏教超ネガティブ!イラネ!!
慈悲のこころを見出せない者ども、逝ってヨシ!
>>920 >つーか、思考停止出来る仏教徒なんているの?
鏡見れば?映ってるよ。仏教徒ってだけで思考停止してるじゃんw
>>935 血液型って血液の種類以外になんかわけれんの?
946 :
名無しさん@3周年 :04/03/05 10:43
思考停止だって? ガキか?
947 :
名無しさん@3周年 :04/03/05 13:14
敬虔なクリスチャンも思考停止してるよ。しかも「無意味な禁欲」というオプション付きでww
>>918 >>しかし仏教ってほんとヒッピーくせえなあ。
ヒッピーには、乱チキ乱交パーティーが必須条件です。。。
乱交っつっても連中のはセックスよってもたらされる快感を求めるっつうよりも、
異常な雰囲気の中で忘我状態になることを目的としてるから、
>>948 のいってることは
完全にはあてはまらんのよね。
950 :
名無しさん@3周年 :04/03/06 16:30
キリスト教もイスラム教も信者数は増えているけど、 仏教は頭打ち→減少中だからな。。やはり真理と呼べる「何か」が足りないのは確か。
951 :
名無しさん@3周年 :04/03/06 18:24
インドで仏教が衰退した理由は、その難解さだろう。 ヒンドゥ教は、神々と人間を現世利益という接着剤で一体化させる ことに成功したんだと思う。 大衆迎合主義は、人々に受け入れられやすい反面、その功罪も同じようにある。 数ある仏典の中には、とても世間的には認知され難いような記述も堂々と存在 するが、オウムはあまりにも正直にそれを出してしまったんだと思う。 世間的に成功したいんなら、当たり障りのないソフトな面だけを教義とすれば 良かったのだが…。でも、その一線を超えたというところに、オウムの価値的 意義はあるんだろう。神々や菩薩が、必ずしも世間的に迎合されるはたらきを するとは限らない。もしも世界が、人間の理性で解明できるような簡単な仕組 みであるなら、とっくの昔に人類はすべてが仏陀や神になっているだろう。
>>951 さんへ
仏教徒としては100点満点なので、今すぐ世の中のために死ぬか、
無人島にでもいってくらはい。
おねがいします。
太刀山型を象った墓石なんて、けっこういけるかもね
>951 世間的に迎合するとかどうかという問題じゃないと思うよ。 たしかに瑜伽論にも殺人容認教義はあるけれど、 ものすごく厳格な適用条件があり、実際には不可能だよ。 実行することのみを目的として適用条件を無視したのはオウムおよび その実行犯の誤謬だよ。 第一あいつらシヴァ神をまつっていただろ?それがどうして仏教なんだい?
悪態ついてりゃイイっていう時代、もうそろそろ終わりにしようぜ!(W 悪態ついてりゃイイっていう時代、もうそろそろ終わりにしようぜ!(W
>>955 葬式で自分でも内容わかってないお経読んでる人たちの頭しく同意。
いいかげん仏教徒も夢ばかりみてないで少しは現実をみてほしいね。
957 :
名無しさん@3周年 :04/03/08 10:43
仏教徒が夢を見ているのは、そうかもしれないな。 誰しも仏教を学びだしたり信仰しだしたりした時、 「こんなので生きていけるの?」 というような感想を持ったのではなかろうか。
現実はみてるんじゃないか? 現世利益。 仏教徒はみんな、どんな夢をみているのか知りたいですな。 酔っ払いは、しらふを笑うといいますが・・・
天地上下より東西南北の広大さを信じるなら仏教向き、 東西南北より天地上下の果てしなさを信じるなら仏教には向かない。 最近、何となくそんな気がして来ましたですよ。
>>959 上下と東西南北を分けるのは間違い。
四方八方+上下の十方で世界観を構成するのが仏教。
961 :
名無しさん@3周年 :04/03/09 04:32
今仏教を熱心に学んだり実践したりしている青年淑女諸君で、 本当にそのまま一生生きていける(食っていける)算段は立っているか? 世を厭い儚み、夢の世界に突入していってるのではないか?
ふむ。 現実を見つめるのでなければ、中道は完成しないと思います。 >世を厭い儚み これは、三毒以外の何ものでもないですよね? 慈悲が無い人は夢に逃げるしかないのではと、考えてみたり。 小乗が適する人は、小乗が最上と思ってきた。 金に振り回されない人でなければ、必ず曲がってしまいますね。
963 :
あるスレからのコピペ・・・って、俺が書き込んだのだけどw :04/03/09 13:50
5 :名無しさん@京都板じゃないよ :04/02/20 05:06 俺、仏教嫌いだけど、 ・開祖が存在するから ・その開祖が外国人だから ・その開祖が家庭・社会を捨てたから ・教えの内容にごまかしが多いから ・人間をランク付けしているから(ブッダ・阿羅漢・凡夫など) ・「業」「三悪道」で人々を脅してきたから(嘘の教義で人を脅して騙す。遠まわしに布施を要求) などの理由かな。
>>世を厭い儚み、夢の世界に はは〜、仏教の世界観・一切皆苦がピンと来ない、ある意味 恵まれてる人ですね。そういう、あなたでも元プリンス・釈迦が 辿った道を理解する日が来るかもしんない・・・・
グズの消極主義の欲深オッサンの辿った道を理解する日など来てほしくないね。 文字通り人生オシャカになっちまわな。
966 :
名無しさん@3周年 :04/03/09 16:50
馬鹿と何とかは使いようですね。
>グズの消極主義の欲深オッサン どんな人物だったかほとんど正確には知りえないのに、 ひどいこと書きすぎて反省。 すんません。ちょーしに乗りすぎました。
>>967 お見事。そうやって自己反省するのが仏教で言うところの発心。
ユーヴェがCL敗退しちまった。なぜ神はこれ程までにオレを苦しめるのだろうか? まあ朝青龍がいるからいいけど。
仏教に 使う金なら 小力士に 貢いだ方が 有意義だべよ
坊や。 自分のシュミ発表すんのは、勝手だがネガティブ・キャンペーン張んなら 傲慢&お節介野郎のブッシュん所に売り込みに行ったらどうだい?!
>>932 亀レスだが、「無記」説はあくまでも説であって、説かれたものと理解すべきだと思う。
沈黙はインドでは肯定の意味であり、この当時のインドの習慣を知らないと、そういう
陳腐な解釈に陥ってしまう。
まあでも大乗以降「維摩の沈黙」とかいって
>>932 でいってるようなことが
もてはやされたことは否定しないよね?
>>973
>>974 もてはやされたことはないよん。
黙ってりゃいいんだったら、仏教論争って起きないでしょーがさ。
>>974 否定さえされているんだけども。。。この御仁は(ry ^^;
977 :
名無しさん@3周年 :04/03/13 18:20
>>974 「維摩の沈黙」じゃなく、「維摩の一黙」のほうがメジャーなんですよ。(^_-)
維摩経は、不二の法門や無生法忍についての洞察が述べられた経典です。
小乗の阿羅漢たちが、維摩という在家の居士によって、さんざんに揶揄されるところに、
大乗仏教の真髄が発揮されているようです。
太刀山先生も是非ご一読なさって、仏教の妙用深遠な部分に触れてみてつかさい
978 :
ベロ ◆eOod7XM/js :04/03/14 00:43
979 :
名無しさん@3周年 :04/03/14 01:03
「仏の道は無量にして、ゴールなし」っつーことで。 >>タティ チメームチムチの者にされんなよ!
このスレの住人の傾向としては
>>974 みたいなことかくと必死になって反応する
傾向がありますな。キモはここか。
981 :
名無しさん@3周年 :04/03/14 10:14
そうかぁー?
982 :
綿矢りさ「蹴りたくもない背中」 :04/03/14 10:32
955 :石原チンタロウ :04/03/06 22:42
悪態ついてりゃイイっていう時代、もうそろそろ終わりにしようぜ!(W
悪態ついてりゃイイっていう時代、もうそろそろ終わりにしようぜ!(W
956 :太刀山型の土俵入り :04/03/08 10:37
>>955 葬式で自分でも内容わかってないお経読んでる人たちの頭しく同意。
いいかげん仏教徒も夢ばかりみてないで少しは現実をみてほしいね。
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この太刀山型という者の傾向として、自分のことを言われていても
全く自分のこととは思っていない・気付いていないという傾向がありますな。
イタさはここか、と。
そうじゃなくて、973みたいのことかくと、必死になって974みたいな発言を 繰り返す傾向にあるね。どちらかというとオチはここら辺だね(W
985 :
名無しさん@3周年 :
04/03/15 05:24 中四国地方の T会場で以下のような事がありました.入会後2年位の会員で夫婦 仲が悪く夫がいたる所に中傷している妻に 対し会場責任者のK女史は 倫風輪読 会の席上、目を その妻をしっかと見据え「○ ○ ○ ○」 ー犯罪者の名称ー と投げつけ、つずけて犯罪を犯した者は昔は出歩かないものだったけどね、と言い 放った.そして,自分が責任者として朝の演壇の最後の演壇をする時はその妻の 身体的特徴を 誰にでも分かるようにいちいち取り上げ「この人の庭は草ボウボウ で 私も子育てで忙しい時は出来なかった。と草ボウボウを話題にして延々と話し 後,演壇を聞くときは眼を閉じているとか誰か分かるように 言動をあげつらって いました.要するにそんな悪い噂のあるひとは 来て欲しくないから責任者として 排斥行為をするのでしょうが 凄いでしょう.この責任者の倫理は 悪い噂の人物 には 行わなくて良いみたい.会誌頒布もその妻は 誘わなかった.代わりに本を 沢山勧められ,買っていたけど.他の宗教法人は 参加可能だそうです。 あと会誌頒布で 訪れた家庭内のことを「あんな家でも玄関に子供の写真を飾っ ある、とか行った先の家庭事情を 会員同士で情報交換している。いいところも 沢山ある会だけどね。