948 :
名無しさん@3周年:04/09/26 15:16:23 ID:Bxe2BmIR
012345678901234567890123456789012345678901234567890123456789012012345678930123456789456789
949 :
栗山さん :04/09/26 23:26:48 ID:RW2MZbFn
意味のないカキコはご遠慮ください。
ヤケになっちゃいけませんです。
他のクリシュナムルティのスレはまだあるんでしょうか?
次スレは統一したいですねぇ。
スレを所有しようとする愚かな栗山。
951 :
栗山さん:04/09/27 12:55:24 ID:/9OeTNYe
スレが欲しいならあげますよ。
私はスレ立て人として書いてるだけです。
っていうかもうこのスレ話題もないし、もう終わりだね。
是非、一読することを薦めるが、「どうしたらよいか教えて下さい」という
「解答を要請するクライエント」式の読み方では役には立たない。
価値の条件に一致する経験は、意識の上で正確に知覚され、象徴化される。
しかし、価値の条件に一致しない経験は、
あたかも価値の条件に一致しているかのように選択的に知覚される。
また、その一部か全体が否定されて、意識されなくなる。
こうして、価値の条件に従って選択的な知覚を始めたときから、
自己と経験の間の不一致、心理的な不適応、傷つきやすさといった状態が出現するようになる。
自己と経験の不一致の状態を理解するのに便利であると思われるのでここでとりあげてみよう。
自己の象徴化の過程にともない、自己配慮を求める欲求が発達してくる。
人は、自己配慮を求める欲求を満足させるために、価値の条件に従って
自分の経験を選択的に知覚するようになる。
Are you experienced?
君はもう経験したかい?
経験は重要ではない。
経験は過去である。
Tの領域は、経験と自己概念とか一致している現象の場、
Uは経験が象徴化される際に価値の条件にあてはまるように歪曲されて知覚された現象の場、
Vは自己構造と矛盾するために意識することを拒否された経験のある現象の場である。
958 :
名無しさん@3周年:04/10/11 03:02:48 ID:sOosYlLK
k言う所の「観察者」とは何なのですか?
君が培ってきた価値観のことだ。
これは良いこと。これは悪いこと。と分別している君自身だ。
忘れてはならない。
∧,,∧
(;`・ω・) 。・゚・⌒) あなたががチャーハンを作る時、
/ o━ヽニニフ))
しー-J
∧,,∧
。・゚・。 (;`・ω・))) チャーハンもまたあなたを作っていることを。
。・゚゚。.━ヽニニフ))
/゚・.7
961 :
名無しさん@3周年:04/10/11 22:29:01 ID:j7vHKZHK
では観察者は観察される者であるというkの言葉の意味は何なのですか?
判断する者は判断される者という事ですか?
与えたものが与えられるという話に似ていますね。
962 :
名無しさん@3周年:04/10/12 01:32:07 ID:J7YVc7Iy
クリスナムリなる人物の実態は
ことばあそびだな。
ごくろうさん。
┌―――――――――――
|いちなるものを頭を依らずに理解できたなら、
|・・・・・
└――‐v――――――――
∫
旦
( `Д´)ノ
. ~l;;;;;;;;;;;l~
l;;;;;;;;;;;l
.  ̄ ̄
964 :
名無しさん@3周年:04/10/12 20:50:50 ID:GSYJoXui
僕は両親に受け入れてもらえるような人間になりたかった。だから、両親が、
こうだと思っているような人間として自分を経験しなきゃいけないんです。」
「ロジャースクライエント中心療法」 佐治守夫・飯長喜一郎 編
有斐閣新書 1000円
この本を読め。これか君への精一杯の俺の思いやりだ。
966 :
のあ:04/10/13 07:34:45 ID:aMncvNl9
実践Kスレ改め宗教哲学オタクが頑張って彼女作るスレ。
967 :
961:04/10/13 19:03:21 ID:gVNuOitt
私は常々思うのですがkの教えが語られる時たいてい教えの外辺部分
が語られ教えそのものの本質について語られる事が少ないです。
私に言わせれば「愛」だとか「実践」とか言うのはkの教えの主旨
からはずれている、と思うのです。
なぜならこういってよければkの教えは徹底的な認識論だと思うからです。
まさにその認識を実践するんだよ、といわれれば何もいう事は
ありませんが。
968 :
栗山さん:04/10/13 19:25:49 ID:euWrsAU2
認識は実践できるだろうか?
私の意見は否です。
私にとって実践とは何か特別なことではない。
愛の実践、気づきの実践、それは滑稽でしょう。
そういう意味なら同意ですが。
人の生は実践の連続ではないでしょうか?
食べること、家族/誰かと関わること。社会との関係、
あるいは自分自身の思考(それはあなたのではないが)
好もうが好むまいが、それらと付き合うしか私たちにはないわけです。
そして認識はそこから立ち現れるものだと重います。
ですから私にとってKの言っていることは外辺ではなく、まさに中核を語って
いるようにしか思えません。如何でしょうか?
今回の栗山の言っていることはおおむね正しい、
ただし、多くのK読者が、Kを読んで自分の日常生活に上手くそれをあてはめられず、
結局何も理解できないままにいるのもまた事実だろう。
970 :
栗山さん:04/10/13 22:15:46 ID:euWrsAU2
そ こ で 実践なんですね。
つまり自らの生を実践することで、Kの言ってること全ては分からないとしても
何年後かにはもう1ミリくらい分かるようになる。
それならいいんじゃないかと。
一歩一歩踏みしめて。と。
971 :
961:04/10/14 11:57:25 ID:fN4GMCHU
栗山さん のおっしゃられていることは生という実践のなかでこそ
認識は立ち現れる、ということでしょうか?
そういった意味で実践と言われるのならば納得できます。
972 :
栗山さん:04/10/14 12:43:21 ID:YJ3OYY8T
>栗山さん のおっしゃられていることは生という実践のなかでこそ
>認識は立ち現れる、ということでしょうか?
多くの人は、クリシュナムルティの言葉を読んで、その意味することを理解することに
偏重を置きすぎているという気がする。
理解しようとがんがるが、私たちは聖なる書物やクリシュナムルティの書物からでさえ学んでいない。
正直そうではないだろうか。
クリシュナムルティが語っていたのは、自らの生から学びなさい。ということではないだろうか。
同時にクリシュナジは「話し手は重要ではない」とも言っている。
もし自己の変容が起こるとしたら、それはこの逃れようの無い「自らの生」をどのように
生きるのか、どのような態度で生きるのかに架かってくるのではないだろうか。
自らの生い立ち、家族、社会、国家の条件付けを見ず、感情に溺れたり、ある特定の思考様式に
自身を支配させたり、あるいは内なる欲望を野放しにしたり、他者との関係性について理解の扉を
閉じていたり。
そのように自らの生を送っているのなら、クリシュナムルティを読むことに何の意味があろう?
973 :
何にも信じない者:04/10/14 16:56:06 ID:NgvSQAaj
>自らの生い立ち、家族、社会、国家の条件付けを見ず、感情に溺れたり、ある特定の思考様式に
>自身を支配させたり、あるいは内なる欲望を野放しにしたり、他者との関係性について理解の扉を
>閉じていたり。
こういうの思考はクリシュナムルティを真似したいものが実行することでは
なかろうか?。あるいは悟りを開いたと思われる理想像と言うのかな。
だからな、こういう人なんかは結局、愛というものをがんばって培おうと
するんやないのか?。そのために腸内洗浄したり菜食したり感情をコント
ロールしようとしたりして日々を送るんやろうなあ。
974 :
何にも信じない者:04/10/14 20:20:23 ID:NgvSQAaj
何と言うのか、クリシュナムルティが正しくないということをいいたいのやなくて
クリシュナムルティが真理を知っている模範のようにみて、その方法を真似しても
クリシュナムルティと貴方はいろいろと違うから、途中で適応障害を起こすかもし
れへんで。
例えばやな、基本的生理的欲求を除いた欲望とかわいてくるとすると、イコール
それを持っている人間の内面には「不足」が生じているということになる。つま
りそれは自分が持っていないものを欲望しているから、いつまでたってもそれは
満たされないということやと思うのだが。でもそれは仕方のないことでもある。
そういうふうに感じるのだから。クリシュナムルティはむしろ逆やろ。
自分には不足がないから、持っているものを欲求しているのや。あらゆることを
知っているからそれをただ愛でてるのや。
そういうものは、修行とか、菜食とか、まあ、確かにある程度は必要かもしれん
が、欲求を我慢するとかなってクリみたいになりたいと思うのは最悪やで。
975 :
何にも信じない者:04/10/14 20:27:18 ID:NgvSQAaj
そいからな、いろいろこの道に興味ある人間って、クリの本とかけ離れた
人間見かけると、やさしく排除するで。
そんでもって病的な部分も排除しようと試みるのや。しかし病的な部分は
排除したり頑張ってヒーリングしたりとかも、それが本当にその人にとっ
ていいことかどうかは別問題やと思うな。
病的な部分もクリとは別の道でもそのまま持っていて埋没してみると
豊かな道みたいなのができたりするで。拉致被害者見てみ。病的やないか。
あの人ら、少し傲慢さもあるけど、自分の欲求をひたすらぶつけてゴネて
マスコミにも取り上げられるようになったやないか。ああいうのが彼らの
ヒーリングやったりするのかもしれへんで。それで調子に乗ってるぞとか
言ってまた彼らも非難される。こういう人生も味わい深いかもしれんで。
>そ こ で 実践なんですね。
しかし、本当に実践出来る奴なんて殆どいない。
そこをもう少し考える必要がある。
977 :
栗山さん :04/10/15 01:51:44 ID:qIipHZvv
>そういうものは、修行とか、菜食とか、まあ、確かにある程度は必要かもしれん
>が、欲求を我慢するとかなってクリみたいになりたいと思うのは最悪やで。
クリシュナ爺の対話を見ても、訪問してくる人はそういうものを通ってきた人が
多いでしょ。んでK爺に一蹴させられて、その後、理解を示す人と途方に暮れる人
と分かれるわけですね。ここは結構、ポイントだなと思う訳です。
途方に暮れる人は決まって「どうしたら良いか」を聞いてるんですね。
そしてK爺が言ってるようにHOWは問題じゃないと。
>そんでもって病的な部分も排除しようと試みるのや。しかし病的な部分は
>排除したり頑張ってヒーリングしたりとかも、それが本当にその人にとっ
>ていいことかどうかは別問題やと思うな。
病気もある意味実践じゃないかと思うわけです。ヒーリングは実は病的な現実の理解とは
ほど遠いところにある。病的な現実の理解には、その病的な現実をあるがままに受け入れる
より仕方がないんです。奇妙な方法で私たちは現実を直視していない。
ここまでOKですか?
978 :
栗山さん :04/10/15 01:57:29 ID:qIipHZvv
>>そ こ で 実践なんですね。
>しかし、本当に実践出来る奴なんて殆どいない。
>そこをもう少し考える必要がある。
いえ、実践するしかないんです。でなければ自ら死を選ぶかです。
生きることは実践の連続だと私は言いました。
それはクリシュナムルティの言ってることの実践ではないんです。
自らの生が即、実践なのだということ。
私たちの記憶、怒り、悲しみ、矛盾、無明、etcが即、すべて実践(つまりがっぷり四つに組む)
という意味なんです。
誤解されるとマズイのですが、私が言ってる実践は、気づきの実践とかそういうものでは
ない。まったくノーマルな私たちの逃れざる生の現実そのものを言っているのです。
認識と生、クリシュナムルティの言葉と自分の言葉を分離して考えるのはもう止めましょう。
ということです。
OKですか?
979 :
何にも信じない者:04/10/15 04:32:35 ID:O8xDTDJv
>病的な現実の理解には、その病的な現実をあるがままに受け入れる
>より仕方がないんです。奇妙な方法で私たちは現実を直視していない。
竜樹によると「涅槃と輪廻を区別している限り輪廻の中にいる」と言っている
からな。至福に憧れている人は後々、自分がまさか想像した至福を断念する日
が来ることを知るようになるだろうか?(私はまだやが)
しかしやな、病を持っていて受け入れられる人はいいねんな。でもまた同時に
克服したいと思うが、どう克服するかについては、難しさが残るねん。変化が
欲しいからいろいろとセラピーを試したくなるものやで。で、また同時に
セラピーじゃ駄目だという人もいっぱい知ってんねん。病を持っている人の
本質とは以下の通りやったりしてな。
「我々は自分たちの期待が今回こそは前の場合と違って裏切られないことを
期待する。そのため現在は決して我々を満足させず、経験は我々を欺いて不幸
から不幸へと我々をひきずり回し、ついには不幸の絶頂である死にまで至らし
めるのである」パスカルより
ま、クリは「死」は不幸でもなんでもないのやけどな。
980 :
何にも信じない者:04/10/15 04:48:44 ID:O8xDTDJv
しかしやな、私もクヨクヨするで、ほんま。特に「愛」について。
クリカテゴリーでは、愛は死んでも永遠に行き続けるのやろ?、すると
愛はやはり神やねん。
しかしやで、西洋哲学みたいに愛は人間的な愛しかなくて死と同時に
なくなるものと思うとやな、結局神でもなんでもなくて弱弱しいもの
やねん(無神論系)
無神論系はな、愛は弱いから、愛の前に棍棒を振り回されると負ける
ねん、思いやりを持って人に接したとしても、野蛮な人間相手にする
と押し切られてオシマイになる可能性が極めて高い。傷つきやすい心
と鈍感な心の持ち主に「ゴチャゴチャいわんとしっかりし!」とか
いって怒られると鈍感な人間が勝ったりするのや。クリカテゴリーの
輩たちの現実はどう認識されとるのか?
981 :
何にも信じない者:04/10/15 04:54:49 ID:O8xDTDJv
変な文章書いてすまんな>>980
日本語間違えてるが、訂正するのはめんどくさなのでそのままにさせて
いただくよ
>誤解されるとマズイのですが、私が言ってる実践は、気づきの実践とかそういうものでは
>ない。まったくノーマルな私たちの逃れざる生の現実そのものを言っているのです。
わかってないな。だから、Kを読んでも生の現実そのものを見ようとしない奴ばかりだ、って言ってるんだよ。
983 :
名無しさん@3周年:04/10/16 09:54:33 ID:Xb+eKjZb
オマエモナー
984 :
栗山さん :04/10/16 17:48:32 ID:mJjK995j
>クリカテゴリーでは、愛は死んでも永遠に行き続けるのやろ?、すると
>愛はやはり神やねん。
クリカテゴリーだと、愛は未知の領域のようですよね。
それについて何も言われ得ないという。煙を伴わない炎だという。
>しかしやで、西洋哲学みたいに愛は人間的な愛しかなくて死と同時に
>なくなるものと思うとやな、結局神でもなんでもなくて弱弱しいもの
>やねん(無神論系)
無神論になるとそうでしょうね。人間は肉人形に過ぎないという唯物の方に
行くという。私たちが「愛」と思っているものはクリ爺に言わせれば記憶の反応
でしかない場合がほとんどのようですが。
>傷つきやすい心 と鈍感な心の持ち主に「ゴチャゴチャいわんとしっかりし!」とか
>いって怒られると鈍感な人間が勝ったりするのや。クリカテゴリーの
>輩たちの現実はどう認識されとるのか?
勝ち負けはないでしょう。w) 必ず愛が勝つなんて歌もありましたが、
愛は争わないでしょう。鈍感な心の持ち主(彼は永遠に鈍感だろうか?)を
愛はそのままにするでしょう。愛が知られる時、それは私たちの関係性において
ではないでしょうか?どこか特別なところ、特別な人が持つものではく、
いつも傍にいて、普段は私たちは目が眩んでK爺のように明瞭には見えないが、
それでもなお、そのアトモスフィアぐらいはごく稀に、見る事ができると思うんです。
じゃなけりゃ人生は暗すぎます。幸いなことに私はそうじゃない。このまま暗いのかと
思っていましたがそうじゃない。おそらくみなさんもそう暗くはないのでしょう。
そう思いませんか?
985 :
何にも信じない者:04/10/16 19:42:32 ID:of7rmJhQ
>勝ち負けはないでしょう。
なあ?。隣の国見てみ?。そいから様々な構造的な制度とか権力のある
ところを見てみ。
いろいろ官僚の文句を言ってみたり官僚を神だと言ってみたり、組織は
悪だと言ってみたり、ボランティアで世の中を平和にするとか言ってみ
たりして、世の中のバイブレーションは、あんたたちから見たら膿出し
でいい方向に向かってる証拠だからなのか?。
>>985 それはただ単にそういった国の人々は、権力や勝ち負けと言った物に条件付けされてるだけだろ。
Kはそういった条件付けからの解放について話してるんだから。
987 :
栗山さん :04/10/17 00:55:42 ID:PYcxcLLn
> なあ?。隣の国見てみ?。そいから様々な構造的な制度とか権力のある
>ところを見てみ。
>いろいろ官僚の文句を言ってみたり官僚を神だと言ってみたり、組織は
>悪だと言ってみたり、ボランティアで世の中を平和にするとか言ってみ
>たりして、世の中のバイブレーションは、あんたたちから見たら膿出し
>でいい方向に向かってる証拠だからなのか?。
ボランティアや組織を悪者に呼ぶ=個人主義は、権力、闘争、競争、支配、そ
れらの対局、反動というよりはむしろ、愛というものの理解、真、善、美がど
こから来るのかの認識の違いだと思う。それはnorth Koreaでは偉大なる首領
様からしか来ないが、私はそれは私の内的なところから来るとしか言えない。
そしてそこから行動し、それが結果的に世界を変えうる力になることに、実は
ある手応えを感じる。
つまり、認識の問題である。人々の間の真、善、美が国家に、官僚組織に、
法律に、政治に、宗教に、ということを人類の長い歴史の中でやってきており、
結局それは真、善、美をもたらさないということを世界の大多数が認識するまで、
権力、闘争、競争、支配を伴った誤った愛と正義がはびこることになるだろう。
もし私たちが、真、善、美が自分たちの裡にあるという認識を持てば、
分かち合い、協力、信頼ができるだろう。今これを想像しにくい状況であるが、
一人のKを読んだものとして、そう願わずにはいられないでやんす。
乱文スマソ
988 :
何にも信じない者:04/10/17 12:54:09 ID:NBMZT12j
>>987 北朝鮮の出来事は要するに、自分とは認識の違う人たちの独自の現象
だと捉えてる限り、世界は永遠に分裂したままだと思いますねん。
いまの見解を述べているその自分の姿がみえるだろうか?
989 :
何にも信じない者:04/10/17 13:04:39 ID:NBMZT12j
>権力や勝ち負けと言った物に条件
ここのひとたちは「勝ち負け」「闘争」などの言葉そのものに条件
づけられているから、勝ち負けの言葉は使わない。
現在の日本の状況にはまず、争いも勝負の世界も最初から巧妙に
排除されている現状があるから(最終的には権力の不戦勝や)、
「勝ち負け」やはり適切ではないかもしれない。
あらゆる国で、集まった血税があるとすると政府は自分の取り分を
最優先させるために、再分配の機能が失われて制度疲労に陥ってる
ところでは、富むためには誰かが取られなきゃならんのやね。
観察者は止める役割は果たさん。人間以外それはでけんねん。
990 :
何にも信じない者:04/10/17 14:50:31 ID:NBMZT12j
そいからな、クリやそれだけでなく歴史的に名のある高僧が数々言われてる中
どれが本物でどれが偽者とかは私は知らない。でもこれらの人々と信仰の立場
というものは違うねん。
クリみたいなのはな、自分で見出すねん。やから自分ひとりで普遍性になるぞ
と言ってんねん。途中で間違えて考えが変わることもある。でもやはり確信が
あるから、危険な態度に近かったりするのや。ある意味傲慢なんやで。
これと逆の態度があんねん。そいはな、仏教も正しい、キリスト教も正しい、
あれもこれもいいねん、協調しましょうという争いの嫌いな日本人が好む態度
ねんなあ。それで自分が見出した態度は他人と入れ替えらたら正しいだろうと
いうような科学的客観性とは違うねん。はっきり言って信念の問題や。
ただし対象は正しく捉えなければならんだけなんや
朝鮮半島の不平等を君が提示してどうするんだ?
992 :
何にも信じない者:04/10/17 18:27:22 ID:NBMZT12j
最後にこれだけ言って去ることにする。
クリは嘘はついてないと思う。またクリは苦しまん!。絶望したり、恨んだり
せん。ええなあ!。
しかし、人間は苦しむねん、地べた這いずり回って、もがいてんねん。
それでああしたい、こうしたいといろいろと野心燃やす。しかしクリから見れば
無明や無知が根本にあるから、それを見ないといかんといっている。
そんでやな、自分を含めて、アンタは苦しいでっか、人の不正に対して怒りが
湧いてくることはないんか?。もし心の中で、葛藤しているのに「怒ってません、
私は愛に満ち溢れてます」とかいってたら、自己欺瞞ちゅう話やなあ。ひたすら
ありのままの姿にふたをして、たっかーーい段階のところに頑張ってしがみつく
としたら、きっついと思う。
愛とかを連発してる価値観の場所では、家族とうまく折り合わない、友達がいな
い、親に愛されなかった、ひどい仕打ちを受けたなどのことがダメージになって
しまうねんて。正直に人との間の漠然とした不調和があっても見ないようにな
ってみ。愛が大事なものから、それが損なわれれば損なわれるほど、問題視さ
れるのや。その視線が多大な精神病患者を生み出すな。世間が「愛に満たされて
なかったなんて残念や」と思いやる視線につぶされて、本人もまたそれを駄目
と思い込んで、セラピーに駆け込むんやなあ!。実はそれほど大した問題でも
ないのになあ。
993 :
何にも信じない者:04/10/17 18:33:35 ID:NBMZT12j
>実はそれほど大した問題でもないのになあ。
これはうまい言い方やとは思わんけど、ほんとはそうやで。人間の世界では。
「私は神」という場所でのみ問題やと思う。
すまんが、時間が取れないので、もうここを去るからな。
わしもな、ここにカキコくらいやから、未熟やで、でもいいもんね、と思う。
┌―――――――――――
|絵に描いた餅は食えんよ・・・
何を実践するのだね?
└――‐v――――――――
( `Д´)ノ
. ~l;;;;;;;;;;;l~
l;;;;;;;;;;;l
.  ̄ ̄
995 :
栗山さん :04/10/17 23:24:04 ID:PYcxcLLn
>北朝鮮の出来事は要するに、自分とは認識の違う人たちの独自の現象
>だと捉えてる限り、世界は永遠に分裂したままだと思いますねん。
>いまの見解を述べているその自分の姿がみえるだろうか?
北朝鮮は分かりやすい例だと思うので引用したまでだ。
対岸の火事とは思わん。自分のまわりだけ平和で良いなどということはない。
あなたの言っていることは私もそのとおりだと感じている。
>あらゆる国で、集まった血税があるとすると政府は自分の取り分を
>最優先させるために、再分配の機能が失われて制度疲労に陥ってる
>ところでは、富むためには誰かが取られなきゃならんのやね。
>観察者は止める役割は果たさん。人間以外それはでけんねん。
だから人間が変わらなければならないのではないだろうか。クリはそ
う言っているが私もそう思う。観察者(こういう区別は変だが)がで
きうることは、変化の可能性を示すことである。皆搾取されるだけの
バカではない。あなたがバカでないなら、私も他の皆もバカではない
のだ。実によく、この世のどうしようもない不正義について知ってい
るのである。しかし皆どうしたら良いかわからない。私の確信は、現
在の政治や経済の人が生きるための機構において変化が出てくるだろう
というものだ。北朝鮮もいつまでもあのままではないだろう。
国も人の心も固定したものなど何一つない。
>そんでやな、自分を含めて、アンタは苦しいでっか、人の不正に対して怒りが
>湧いてくることはないんか?。もし心の中で、葛藤しているのに「怒ってません、
>私は愛に満ち溢れてます」とかいってたら、自己欺瞞ちゅう話やなあ。
それは自己欺瞞だね。
996 :
栗山さん :04/10/17 23:30:30 ID:PYcxcLLn
>クリは嘘はついてないと思う。またクリは苦しまん!。絶望したり、恨んだり
>せん。ええなあ!。
それは違う。クリの人生は苦しんだり、絶望したりしている。
それなのに、自分の人生がおかしくならなかったのは奇跡に近いと本人自身が
言ってるよ。クリを羨んでもしょーがない。
> しまうねんて。正直に人との間の漠然とした不調和があっても見ないようにな
>ってみ。愛が大事なものから、それが損なわれれば損なわれるほど、問題視さ
>れるのや。その視線が多大な精神病患者を生み出すな。
その視点は正しい。愛は傷つき易いが、世界で一番壊れにくいものだと思う。
壊れ易いものは何か違うものだ。日本的には他人とのセンチメンタルな
関係かな。これは情緒的だということの単なる顕われだ。そんなものは犬も
喰ワン。
997 :
埼玉:
センチな栗山がよく言うぜ。
オバサンみたいに鈍感だ。