【1】
聖書は人の選んだ書類。取捨選択に人間の智慧が介在する。
異端は、宗教会議のメンバーが決めた。
新約聖書27巻は
ローマ教皇の教会がAD393年のヒッポ会議で、
ビザンチンの教会がAD692年にトゥルルス会議で決めた。
旧約聖書39巻は
ユダヤ教のAD90年ごろのヤムネア会議で決めたのを
援用しているに過ぎない。
AD381年にキリスト教の
ニカイア・コンスタンチノープル信条を
東西ローマ帝国内の
全国の第二回宗教会議(コンスタンチノープル公会議)で決めたので
これから外れた事を告白するものがキリスト教の異端。
単純なこと。
エホバの証人(物見の塔)はキリスト教でない。
信条告白をしない自己都合教だ。
旧約聖書(タナハ)だけなら、ユダヤ教も、イスラム教も使う。
新約聖書でも4福音書だけなら、イスラム教も使う。
新約聖書・旧約聖書に原理講論(成約聖書)なら、統一協会も使う。
書簡を選んで聖書と決定するのは、
教会の会議のメンバーによるのだから。異端の区分けは明確。
http://www.soutokuhu.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1013785720&st=19&to=27
【2】
初代教会は新約聖書27巻でなく
プラス3巻。
@ディーダケー(十二使徒の教訓)
Aバルナバの手紙
Bヘルマスの牧者
が東方教会のシナイ写本の正式版
30巻−新約聖書である。
現在の書簡数をマイナスした聖書もある
マルキオンの140年代の聖書で
@ルカ福音書にマルキオンの増補と改定が入り
Aルカの使徒行伝と
Bパウロの8書簡
の
10巻−新約聖書がある。
新旧約聖書66巻と文書に明記したのは
チャールズ王を処刑したクロムウエルのピューリタン革命で
ウエストミンスター宗教会議の信仰基準に載っている
一条項に過ぎない。
書簡数の絶対視は、神の言葉的・聖書的でない。
単にアングロ−サクソンの
共和国革命の精神的な産物に過ぎない。
ルーテル派は1522年、
新約聖書のヘブライ・ヤコブ・ユダ・黙示録などを疑問視していた。
カトリック教会は
旧約聖書を外典も含め、新約聖書は教父書簡も補って使う。
東方教会も
旧約聖書を外典も含め、新約聖書のヨハネの黙示録を疑問視していた。
【3】
聖書66巻を固定しするのは、
キングジェームズ版しか聖書で無いと勘違いする
イギリス庶民の迷信を受け継いだものである。
迷信の産物。
だから庶民の迷信の産物の作り話ハリーポッターが
日本で世界の英語圏で流行る。
聖書に反発する日本の庶民は
イギリスやアメリカの魔女や魔法物に星占いの方を信じている。
アメリカ信仰の産物としか言いようがない。
世界は英語圏だけで構成されては居ない。
バルト三国は
英語が通じず第一外国語のロシア語も庶民には通じない。
イスラム世界も第一外国語はアラビア語で
パキスタン人・アフガニスタン人・イラン人は英語より
コーランで使うアラビア語を知っている。
中南米のインディアンも
ペルー・ボリビアのケチュア語・アイマラ語に
パラグアイ語・グアテマラのマヤ諸語などから見ると
第一外国語はスペイン語である。