フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』はこう述べています
『ユダヤ教が徹底的に妥協を排したのに対して、使徒パウロの布教活動の出発点であるアンテオケ教会は
異邦人への柔軟な文化適合を重視していたため、
その後のローマ帝国と辺境各地への布教においても、現地の異教の風習や祭礼がキリスト教的に再解釈された上で積極的に利用され、
ミトラ教やゲルマン民族等の暦と祭礼がクリスマスやイースターとして採り入れられた。
また、ローマ帝国各地で一時期隆盛を極めた女神イシスの廟がキリスト教の聖堂に建て替えられるなどし、
イシス母子像が聖母子像と置き換えられたり、そのまま聖母子像として流用されることがあった。
また、異教の多神教的世界観は、宇宙的キリスト教会における諸聖人の通功という概念を援用することで弾力的に吸収され、
諸聖人の記念日や聖像(イコン)が使用されるようになった。』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99 異教の習慣は徹底的に排除するべきではないでしょうか。
申命記 7:26
「いとうべきものをあなたの家に持ち込んではならない。
そうすれば、あなたも同じように滅ぼし尽くすべきものとなる。
それを憎むべきものとして憎み、徹底していとい退けなさい。
それは滅ぼし尽くすべきものである。」
クリスマス、イースター、聖母像、聖人崇拝、イコン・・・・・
これらの信条や風習のどれかを捨てるのはたいへん難しいことかもしれません。
親族や友達が、信条を変えないようあなたを説得しようとすることもあるでしょう。
しかし、人間を喜ばせるより神に喜んでいただくことのほうが大切です。―箴言 29:25。マタイ 10:36,37。