【 マザーテレサ 列福式 】

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「マザーテレサとメジュゴリエ」
http://www.medjugorje.hr/Int%20O.%20Maasburg%20ENG.htm

2002年8月の国際青年の日に、メジュゴリエに260人の司祭が集まった。その一人、ウィーン司教区の司祭で、今ローマにいる、レオ・マースブルグ神父は、国際的「ラジオ・マリア」運動の前責任者で、今年マザーテレサの列聖調査に携わった。
法律、政治学、神学を学んでから、東欧諸国の宣教の仕事に着手。82年、教皇、ヨハネ・パウロ二世が世界をマリアの汚れなき御心に奉献した時、レオ神父は、モスクワのクレムリン宮殿で、一人の司教と一緒に密かにミサを行い、旧ソ連の心臓部で、同じ奉献をした。
多年に渡り、マザーテレサと旅行を共にし、マザーが各国に支部を開くときに共に働いた。世界中のマザーテレサの姉妹のために黙想会を行い、88年に、マザーがモスクワとアルメニアに最初の支部を開くと、数ヶ月、指導司祭となり、ソ連圏の「公的」カトリック司祭になった。
対談の相手はネゾビック神父。

マリオ・ネゾビック神父:レオ神父様。あなた自身とあなたの人生についてお話しいただけませんか?

レオ・マースブルグ神父:私はオーストリア人で、ウィーン司教区の司祭です。司祭になって20年になります。ウィーンでは2、3年しか仕事をしませんでした。それからはジプシーのような生活でした。
先ず、ウェレンフリード・ヴァン・シュトラーテン神父(『貧しい教会』の創設者)が、神学生の教育など、各種の教会プロジェクトに奉仕させるために、私を世界に遣わしました。それから、7年間、「ラジオ・マリア」で奉仕しました。
この間、30カ国にラジオ局を開き、ジプシーのような生活に戻りました。ひとつきに一日か二日ぐらいしか家で過ごせませんでした。

それから、マザーテレサと7年間旅行し、世界どこででも、必要とされれば、姉妹たちのために黙想会を開きました。ジプシーという語が自分にぴったりだと思います。それから、ローマで「落ちつかせて」くれまして、列聖審査省で奉職しました。
Q:キリストと聖母を知らせるメディアで働いた印象は。

A:ラジオでの経験は、とても大事なことを教えてくれました。当然、大衆メディアは教育の役割を負っています。人が運命に責任を持てば、ラジオはこの責任の柱のひとつになります。
残念なことに、今の時代の大衆メディアは、教育の道具になる代わりに、辱めの道具になっています。カトリックの大衆メディアが重大な責任をもっている理由がここにあります。

Q:あなたはマザーテレサ列福の準備をされています。それについて話していただけませんか。
A:御存知のように、教皇様は通常5年かかる待機期間からこの事例を免除なさっています。司教区の仕事はすぐにインドで着手され、ローマに通知されました。昨年の夏の終わりに、司教区の文書すべてがローマに送られました。
今年の復活週間に、列福調査省職員が、八万三千ページの証言を処理し、列聖調査省に「ポジティオ(肯定)」文書として手渡しました。五千四百ページの豊富な文書です。そこには、神のしもべの生涯のあらゆる要素が含まれています。
その生活、その聖徳、、、私たちは奇跡が認められるのを待っています。この文書を審査した神学者チームは、とうに「ポジティオ」としていますし、奇跡を審査しなければならない医師団も
すでに認めています。
結果の認定は今、枢機卿団と教皇様の手にかかっています。それから、列福の日付が公示されるでしょう。(列福は2003年春)
Q:レオ神父様。あなたは度々、メジュゴリエに行かれています。メジュゴリエと、そこで展開している信心をどう見られますか。
A:私は1983年に初めてメジュゴリエに行きました。7回か8回行っているはず。どの訪問も変わらず大きな恵みです。メジュゴリエで回心と信仰を見てきた何百人もの証言者から話をきいています。
司祭として最も感動したのは、ここでは、使われずにいる聴罪司祭の問題がないということです!ウィーンでは、幾つかの小教区で、月に1度か2度告解を受けるだけでした。
それが、ここでは、司祭はあまりに朝早く告解を受けたりしないように注意しなければならないのです。午後になるまで、告解者から抜けられなくなるからです。その恵みは盲目の人にも見えるほどはっきりしています。

Q:メジュゴリエでの聖母の御出現についてどのような見解をお持ちですか。
「聖母がここにおられる」と私たちは言うことができると思いますか。

A:私自身は聖母を見たわけではないのですが、例外的な恵みがここに集中していると感じています。私は二人の視幻者を知っていますし、正常さと、聖性への真剣な願いについて、最高の印象をこの二人にもっていると言うことができます。
メジュゴリエでは「実」を感じることができます。このような実は、普遍の教会とキリスト教に、どれほど役立つことでしょう。神がお与えになるどの恵みも常に新しい、と私は確信しています。
マザーテレサとメジュゴリエの恵みが共同しているのは歴然としています。
マザーテレサの多くの姉妹達がメジュゴリエで召し出しを受けました。メジュゴリエに触れ、メジュゴリエで召し出された司祭は、マザーテレサの姉妹団の霊性に近いのです。
91名無しさん@3周年:04/03/16 03:22


今時、メジュを信じるヤツなんていねーーよ。


 
92名無しさん@3周年:04/03/16 03:24


あの熱心な三上先生だって、誤りに気が付いて
ご自分のサイトからメジュゴーリエ関係の記事
ぜーーーんぶ、削除しちゃったんだから!!!


 

Qメジュゴリエにおいでになるときには、おそらく期待をもっていらっしゃることと思います。そしてお帰りになるときには、実を携えてお帰りになると。メジュゴリエに巡礼されてから、仕事にお戻りになるときに、どんなことが残っているのでしょう。

A他の司祭や巡礼者の経験は知りません。しかし、私がメジュゴリエに来るのは、年に一度かニ度、実家に帰り、母にい類を洗ってもらい、靴下を繕ってもらうようなものです。母は常にそうしてくれます。
旅先でバッグをあけてみると、チョコレートやピーナッツが入っているのに気づいたりします。メジュゴリエは自分にとってそんな意味を持っていると信じます。この場所で何も感じなくとも、あとで、賜物を発見するのです。聖母は母親に似ています。

Q:あなたはメジュゴリエを身近に感じられているのですね。ここに来る巡礼者にアドバイスはあるでしょうか。

A:私はマザーテレサから1つのことを学んでいます。「自分が期待し、望むことは重要ではない」ということ。唯一大切なのは、自分をイエスとマリアの導きに委ねるということです。