【なぜ救われぬ】親鸞会総合スレNo.25【会内輪廻】

このエントリーをはてなブックマークに追加
72核心に迫る!
煩悩具足と信知して
 本願力に乗ずれば
すなはち穢身すてはてて
 法性常楽証せしむ

高僧和讃 善導讃


煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、
悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。

歎異抄(三)

【意訳】
 煩悩に満ちた我らは、どんな修行によっても迷いを離れることはできない。(如来はそれを)あはれに思って本願をおこされたのであり、
それは悪人の成仏のためであるから、他力をたのみにする悪人こそ、浄土に往生する因なのである。


以上、引用文が多く、難解な語も多かったかも知れませんが、「煩悩即菩提」は究極の境涯から発せられる言葉ですので、
誤解をされることの無いよう注意が必要です。