【なぜ救われぬ】親鸞会総合スレNo.25【会内輪廻】

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128こーすけ
高校のころから、友人の中にはキリスト教に興味を持つ人がいましたし、若い人の中には「体制的」又は「空気のよう」な仏教に興味が持てず、
「新鮮」に感じられる他の宗教に関心を寄せる人が少なくないと思います。ただ、私は仮に「たまたま」我が家の御宗旨が「浄土真宗大谷派」
であっただけだとしても、一応それが何物なのかを知ってから、他の宗教を見てみたいと思っていました。
129こーすけ:03/10/14 07:36
我が家は私が小学校中学年のころまで祖父母が元気で、祖父は毎朝、正信偈を朗々と唱えていました。
「きーみょーむーりょーじゅーにょーらーい」という「音」はまさに「お経のように」覚えていました。
3畳の狭い仏間でしたが、仏様の前に家族みんなが座って手を合わせるということも、自然に習慣となっていました。
そうした「素地」も、私が簡単に他の宗教や宗派へ「移ろう」という気になれなかったことに影響しているかもしれません。
130こーすけ:03/10/14 07:42
渡辺照宏『仏教・第2版』、同『日本の仏教』(いずれも岩波新書)を読んでいたころは、
「インドの仏教が本物で、日本で広まった浄土真宗などは偽物なのか?」と思いましたが、
「なんまいだ」のお念仏が仏教の「お祈り」の代名詞になるくらい社会に広まっているのに、
それを無視することはできないとも感じていました。
131こーすけ:03/10/14 07:45
刑事司法のことを勉強していて感じることですが、宗教や法律を含めて広く社会制度というものは、
その社会の現状と歴史と文化を反映していると思います。

たとえば、韓国や一部の東南アジアの国の刑事司法制度は極めて日本と似通っていますが、
それは日本が一時期占領したからです。それらがうまく機能しているかどうかは、「日本的な制度」が
その国の現在の社会や文化とどのくらい適合しているかによります。
132こーすけ:03/10/14 07:48
したがって、宗教についても、きっと、「理念としてこれが正統だ」ということと、人々の生活に合うかどうかということとは、
少し違うのだろうと思います。仮に「インド古来の仏教」が正統だとしても、日本人がそれをそのまま守らねばならないとは、
必ずしも言えないと思うのです。

最近、網野善彦『日本社会の歴史(上)(中)(下)』(岩波新書)を読んでいて、日本の仏教各派が政治や経済との関係で、
歴史的にどういう活動をしてきたかについての記述に興味を持ちました。中世では弾圧されていた浄土真宗が、
近世になって「国教」に近い存在になったのは興味深いと思います。