~神のうちの真のいのち~ 今現在イエス御自身が語る

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ヴァッスーラは未公認であり虚偽の私的啓示です。ご注意ください。経験者の証です。
http://mypage.bluewin.ch/cafarus/tligmytestimony.htm(全訳)

証言(大部分は1999年に書いたもの)

私は、1996年まで、当時ヴァッスーラ・ライデンがいたローザンヌから、50キロ離れたジュネーブに住んでいました。ボーンカトリックです。
福音書に従って生きようと努め、ジュネーブの教区で活動して、大学に行きながらカテキスタとして奉仕しました。
1993年から94年に指導司祭からヴァッスーラの熱心な支持者G夫人を紹介されました。
ヴァッスーラの著書(TLIG)の第1巻をくれ、世界教会協議会(WCC)で行われていた、ヴァッスーラの会合に招待してくれた人です。
TLIGのお告げは奇妙に思えましたが、当時は私的啓示というものを知らなかったので、心を開こうとしました。
ヴァッスーラの講演を聴いて熱中し始め、本をさらに数冊買い込みましだ。読み進むうちに、自分が神に愛されていると実感し始めました(第1巻のテーマは神の愛)。
そのとき、母と一緒だったので、神にしるしを願うことにしたのです。ヴァッスーラが本物なら母が確証してくれますようにと願いました。母はそうしました。
でも、講演直後に感動していた母は、本を読んでからヴァッスーラに懐疑的になりました。
それでも、私は、神が答えてくださったと信じたので意見を変えませんでした。
すぐにメッセージ中毒になりました。毎日読まずにいられなくなったのです。G夫人はプレゼント用にもう20冊をくれました。
私はお告げを広め始めました。初めての経験でした。TLIGを広めるのが神の唯一の願いであり、それで世界が救われるとメッセージは繰り返していたからです。
当時、私はポルノと戦う会で活動していて、それがキリスト者の務めと考えていました。
しかし、TLIGを読んでからそれが取るに足りないことのように見えてきて、TLIGを読み宣伝する時間をとるために、集会を休むようになりました。
福音書も読まなくなりました。今イエスが語っているのだからお告げのほうが福音書よりも優れていると考えたからです。
他の人たちも私と同じように感じていました。G夫人はメッセージを毎日読んでいて、暇さえあれば第1巻を読み直しているといっていました。
3,4ヶ月してから、両親にもわかるほど私の行動が変化し始めました。ヴァッスーラへのわずかな批判さえ受け付けなくなり、たびたび母と大喧嘩するようになったのです。何事にも過敏になり泣くことが多くなりました。
メッセージを読まずにいると強い罪悪感にとらわれました。テレビを見なくなり小説も読まなくなりました。休暇があればTLIGをもって僧院に行こうとしました。メッセージを伝える機会になると思ったときにしか友人と付き合わなくなりました。
メッセージを読み出して8,9ヵ月後に、一日読まないでいてごらんと母から挑戦を受けました。私は「ひと月ぐらい平気よ」と答えて実行しました。
罪責感にとらわれました。神に背くことだと語りかける内なる声を聞いたようです。でも、メッセージが偽りだからではなく、愛する母を導く方法と思うからしているのだと自分に言い聞かせました。
罪悪感を感じつつも神に助けを願い続けました。アヴィラのテレジアと十字架のヨハネを読み始めて、深い神秘主義が驚くほど新鮮に心に浸透しました。認めたくありませんでしたが、TLIGを読まずにいられるのでほっとしました。
TLIGなしの3週目に入り、神は過去1年間を見つめられる、澄んだ強い心を与えてくださいました。私は初めてメッセージの信頼性を疑い始め、メッセージの真実を教えてくださるように神に願いました。
その月の末に、TLIGを読み返しました。しかし、今回はTLIGと福音書との矛盾が目に付きました。ある箇所でTLIGを読めなくなりました。教理省の最初の「警告文」が発令されたのはその一年後です。
メッセージを信じた結果、私は約二年間罪悪感に苦しみました。TILGは本物ではないと考えてみても、それを信じるように自分を洗脳してきたからです。
神も教会も自分も信じられなくなりました。警告するどころか読みもせずにTILGを薦めた司祭たちに騙されたと感じました。指導司祭もその一人だったのです。
私は「ひたすらあなたを求めてきたのになぜこうまで迷わせたのですか」と神に訴えました。イエスにも祈れなくなりました。TILGは他のどの偽啓示にも共通するように、イエスのイメージを巧妙に変えてしまうのです。
イエスを思うと、メッセージの真実を疑う者を責める、TILGのイエスが心に入ってくるのです。教会は非公認の私的啓示は真実と考えてもいけないし、読んでも広めてもいけないと教えているのに。
でも、祈りを通して、父なる神は私に御子のイメージを回復してくださいました。

TLIGのような許可されていない私的啓示を無条件に信じる経験をしてきたので、私はそれがどれほど大きな被害を与えるかを証言できるのです。
TLIGはまったく誤謬がないように見えます。そう信じている司祭さえいます。福音書と教会の教えと教皇に何もかもが従順であるかのようにも見えます。自分は他より豊かな信仰と祈りの御霊を育てているのだと私は考えていました。
しかし、すべて砂上の楼閣だったのです。偽りの私的啓示を信じることを選べば霊的に滅ぼされます。
この経験は教会の警告と薦めに注意することがどれほど大切であるかを教えてくれました。
超自然現象や奇跡の追求がどれほど霊魂を危険にさらし、信仰の破壊に導くかを教えてくれました。また、「見ずに信じるものは幸いである」とトマスにかけた主のみ声を新しい方法で理解させてくれました。
メッセージを読んだのはたった8ヶ月だったのに、トラウマの連続だったので、立ち直るのに6年以上もかかりました。でも、ある意味では後悔していません。
この恐ろしい幻滅と苦しみは、本当の(無条件の)神の愛を教えるために、神がお用いになったものであり、福音書の素朴な教えと神とその教会への信頼に基づく、より豊かな、真実の信仰へと霊的に導いてくれたからです。
この苦しみの時期に私に助けの手を差し伸べてくれた、友人、家族、司祭の全員に心から感謝します。
神があなた方をいつも祝福し守ってくださいますように。
聖母マリア様が私たちの霊魂の救いを仲介してくださいますように。その素朴で、謙遜で、心のこもった奉仕の生き方が私たちの倣うべき模範となりますように。

マリア
431名無しさん@3周年:03/12/29 10:51
1995年10月6日ヴァチカンが発表した文書の日本語訳。
教理省からの通知
多くの司教、司祭、修道者、信徒が、スイス居住のギリシア正教会信徒ヴァッスーラ・ライデン夫人に関する権威ある判断を当省に求めてきた。彼女は文書や講演で、世界中のカトリック信徒に「天のメッセージ」と称するものを広めている。
教理省が「それらが本当に神からのものであるかを見るために、霊を試すために」(一ヨハネ四・一参照)行った、冷静かつ慎重な検討により、肯定要因の外に、カトリックの教義に照らして、否定すべき種々の基本要因が露見した。
啓示と称するものを受け取る奇妙な方法に加え、散見される教義上の誤謬を強調する必要がある。とりわけ、三位一体のペルソナについては、神的ペルソナの特定の名前と働きが混乱するほど曖昧である。
これらの「啓示」と称するものは、教会内に反キリストがまもなく君臨すると予言する。至福千年王国のスタイルで、神が最終的に栄光に満ちた介入をなさり、キリストの決定的地上再臨の前に平和と普遍的繁栄の時代が来ると告げる。
そればかりか、カトリックの教義に反して、一種の汎キリスト教的教会の到来が近いことを予言する。
以上の誤謬が彼女の後期の文書に見られなくなったというのは、彼女の言う「天からのメッセージ」が、個人的黙想の結果に過ぎない印である。
さらに、ライデン夫人は、ギリシア正教の信者でありながら、カトリック教会の秘蹟に恒常的に与ることによって、カトリック教会の各所で驚きの的になっている。
彼女が教会内のすべての裁治権と教会法の規範を超越しているかのような振る舞いである。実際、彼女が正教会の教会的規律を受け入れないので、ギリシャ正教を牧する司祭や信徒を含め、彼女は複数の権威筋をいらだたせている。
いくつかの肯定的側面もあるが、ヴァッスーラ・ライデンの活動によって否定的結果がもたらされているので、当省は、信徒が適切な情報を持ち、彼女の思想が各自の教区内で普及しないように司教たちが介入するよう要請する。
最後に、当省は、ヴァッスーラ・ライデン夫人の文書や講演が超自然のものであると考えないよう、主が教会に託している信仰の純粋さを保つよう、すべての信徒に勧告する。
http://mypage.bluewin.ch/cafarus/tlignotificationsreTLIG.htm
ローマカトリック教会のTLIG に対する通告

1995年10月6日に信仰教理聖省は「霊を試した結果」(1ヨハネ4:1)ヴァッスーラ・ライデンの著作についての第一回「通告」を発表しました。肯定的な面も認めながら、教理上の誤謬とメッセージを受け取る方法(一種の自動書記)を含む、否定面も指摘しています。
その結果、信仰教理聖省は、ヴァッスーラの著作と話を超自然的なものと見てはならないと結論し、信徒に適切な情報を通知して、TLIG を広めないよう司教団に要請しました。
第一回通告への反応
通告は予想しないものだったので、すぐに反応がありました。TLIG の推進者はその真実性を疑問視してこんな議論をしました。

−ヴァッスーラ・ライデンは信仰教理聖省に査問されていない。
−通告はただの意見で、間違っていると思う信徒は無視してよい。信仰教理聖省がスイスの司教団へ宛てたただの私的書簡という人もいる。
−通告文にはラッツィンガー枢機卿の署名がないので偽者である。

「通告」は教会に関する重要情報を通知するRCCが使う中心的機関のひとつ、オッセルバトーレ・ロマーノによって公表されました。
通告にラッツィンガー枢機卿の名前が見えない(ベルトーネ師を含む聖省の二人の名前はありました)点がヴァチカン内に「反TLIG 集団」が存在する証拠と言われました。
しかし、信仰教理聖省は「通告」のような毎日の通信を発行しているというのが事実です。このような通信文の重要性は、それらが教会の公的機関、信仰教理聖省によって出されることにあり、それで、署名者を明示せずにメディアが使うことも少なくありません。
それでも、TLIG 推進者の反撃に会い、私は、ローザンヌ、ジュネーブ、フリボールの司教区の高官に手紙を出して、「通告」の「正統的解釈」を求めました。1996年8月13日に回答が来ました。フランス語原文http://mypage.bluewin.ch/cafarus/tliglamas.htm
私が英訳した書簡の抜粋を掲載します。
「ローマ聖省の発行した通告は特定の問題についての聖座の発言を求めた個人や集団に宛てられた説明です。書簡の場合は特定個人(たとえば司教)に宛てられますが、その場合でも、この特別な通信は公教会が判断の基準です。
ライデン夫人に関する通告の場合は、説明を求めて信仰教理聖省長官に直接手紙を書いた、多くの司教、司教区の集団、信徒や詩人の集まりに答えたものであり、カトリック教会全体にとって価値があります。
信仰教理聖省の通告はヴァッスーラ・ライデン夫人に直接宛てられたものではなく、ライデン夫人の活動に関して権威者の判断を仰いだ、多くの司教、司祭、修道士、信徒に宛てられたものです。
それで、これはヴァッスーラ・ライデン夫人に対する聖省の公的非難とは言えず、むしろ、夫人の活動や言葉によって混乱をきたした人々に宛てられた聖座の警告です。
カトリック教会は他教会の信徒の霊的生活に干渉しないのが原則ですが、個人や組織の態度によって発生したどんな混乱についても、教会の教義の視点から、信徒に警告し説明する義務があります。
ライデン夫人の著作は多くカトリック信徒の間にかなり広まっていますから、聖省はその内容について意見できます。若干の肯定できる要素は発見できますが、カトリックの教義に照らして考えなければならない基本的に否定的な要素が多く見受けられます。
ヴァッスーラ・ライデン夫人が見解を述べるよう査問されなかったのは、他の教会信徒の精神生活に干渉するのを避けるためというのが第1。第二に、彼女はローマカトリックの組織や神学校で教えているわけではないからです。」
ラッツィンガー枢機卿噂の声明を反証
1996年5月に、TLIG のメキシコのグループが、ガダラハラでラッツィンガー枢機卿と短時間会う機会を持ちました。この私的会合の後で、グループは信仰教理聖省長官が「彼女の著作を出し続けてよい」と話したと宣伝し始めました。
しかし、信仰教理聖省は1996年11月29日に二度目の通告を今度はラッツィンガー枢機卿の署名入りで発表し、信仰教理聖省長官がガダラハラで話した意味を明確にし、第一回通告の正しさを確認しました。
このように枢機卿自身が署名入りで第2回目の通告で反証しているにもかかわらず、TLIG の推進者は「彼女の著作を出し続けてよい」の文句を引用し続けているのです。

マリア

http://mypage.bluewin.ch/cafarus/tlignotificationsreTLIG.htm
「大罪」と「聖霊を汚す罪」に関するTLIG の新教理
―TLIG に反対するものは永遠の裁きに合う―
http://mypage.bluewin.ch/cafarus/tligmortalsin.htm(全訳)

TLIG にみるかなり否定的な要素の中で、もっとも支配的なのが、大罪と聖霊を汚す罪に関する教えです。これを説明するために二つの抜粋を引用します。はじめに、「父なる神」が言ったとされるヴァッスーラへの最近のお告げから。
「私の声を打ち消すのは大罪である」「彼らの行為は私を喜ばせない。彼らは全人類の敵になっているからである。私の選んだ者たちが私のみ心を民に伝え私の家を立て直すのを邪魔するからである」(9/28/2000 www.tlig.org/msg/vasb1060.html)
TLIG の用語では「私の声」とはTLIG のことで、「私の選んだ者たち」とはヴァッスーラとその追随者を意味します。
TLIG を批判しその正当性を信じない人たちに言及した書簡の中で、ヴァッスーラは書いています。「神の慈しみの呼びかけを堂々と迫害しそれを悪とさえ呼び、泥を投げつける者は、そうすることによって聖霊を汚す罪を犯し、許されざる罪を犯しているのです」
TLIG の用語では「神の慈しみの呼びかけ」とはお告げをさします。
ヴァッスーラはキリストが言ったという言葉を引用します。「神の義が彼らを地獄に突き落とすであろう」(1/10/2002の書簡。www.tlig.org/forum/forum452.html)
この問題について私たちに宛てた公開書簡の中で、ヴァッスーラは、次のように説明しています。
「神の慈しみから出てくるよい働きを悪と呼ぶならそれは大罪です」
「神の働きを悪と裁きそれを迫害し、呪い、非難し、惑わしの霊の仕業にすることを義務と考えるなら、聖霊に対する冒涜になります。ですからこのような人は冒涜を犯しているのです。聖霊に発する聖なる働きであるものを悪呼ばわりするからです」
「私的啓示、予言啓示を信じずに放置しているというなら話は別です。彼らは裁いていないので大罪は犯していませんが、聖なるものを故意に悪と呼び、神の慈しみの働きを迫害すれば大罪になります」(www.tlig.org/forum/forum498.html)
ヴァッスーラは自分の意見を支えるために、聖シメオン、大聖ヴェルギリウスなどの聖人の著作を、マリア・ワルトルタのような疑わしい著作からの抜粋と並べて引用しています。(1)
「神の慈しみの働き」がTLIG のお告げを意味していなければヴァッスーラの言葉に部分的には同意できます。また、十字架の聖ヨハネの見解を思い出す人もいるでしょう。
十字架の聖ヨハネは超常体験はその反対が証明できなければ神からのものではないと考えよと進言しています。これは教会博士の言葉です。
メッセージの教えを要約するとこうなります。TLIG の真実性を信じないのはかまわないが、TLIG に反対意見を述べたり、その真実性に対立する議論をし、その宣伝を邪魔すれば、聖霊に逆らう罪を犯すというのです。
さらに、「お告げに反対するどんなことも悪魔の仕業であり、それを批判する、あるいはどんな出現でも批判する者は、たとえ、教会権威者であっても聖なるものとは言えない」と言っています。

聖霊を汚す罪と大罪に関する教会の定義
公教要理(CCC)は、福音書がイエス・キリストにおける罪人への神の慈しみの啓示であることを前提に、罪についての条文を開始しています。1857の条文では罪が大罪になる必要条件を3つ明記しています。
それはイエスの金持ちの青年に対する答えにより、十戒のひとつにそむく罪でなければなりません(マテオ十19)。知りつつ犯すならば罪であることを自覚すべきです。真面目な改悛がなければ、大罪は永遠の死をもたらします。
聖霊を汚す罪に関しては、神の慈しみを故意に拒否し、罪を悔いることを拒み、救いを拒むことと定義されています(CCC1864)。この罪は許されず永遠の呪いを招くので特に深刻です(マテオ12:31)。
ところが、これらの罪に対するTLIG の定義は、お告げに堂々と反対する者すべてを含むように変えられているのです。
それは、お告げが神からのものであると最初から宣言している(信仰教理聖省の判断ともギリシャ正教会の判断とも矛盾します)からです。それで、お告げに反対する者は、自動的に神と救いに反対していることにされるのです。
ここで福音書にある偽預言者と偽キリストについての警告を思い出しましょう。「そのとき、誰かが『見よ、ここにキリストがいる』、『あそこにいる』と言っても信じるな。
偽キリストや、偽預言者が起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとする」(マテオ24:23-24)、「多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わす」(24:5)とイエス様はおっしゃっています。
教会はこの警告を真剣に受け止めています。事実、私的啓示と出現は信仰箇条ではなく、カトリック信徒は信じない権利をもっています(CCC67)。
さらに、教会はすでに私的啓示についての否定的声明文を出している(TLIG のこと)のですから、信徒はそれを読まず、本物に見せかけて宣伝してはならない倫理的責任を有するのです。
TLIG の宣伝者はみな、この事実を見過ごして否定さえしています。それはTLIG の「イエス」が、このお告げを全世界に広めて知らしめるよう執拗に求めているからです。それがキリスト教会に従わないことを意味してもです。
聖マルガリータ・マリア・アラコクに告げられた、天主のみ言葉からどんなに離れていることでしょう。
「長上の命じることをすしなければならないだけではなく、長上の同意なくして私が命じるどんなこともしないように願います。私は従順を愛します。それなくして誰も私を喜ばせることはできません」と主はマルガリータにおっしゃいました。
大罪と聖霊を汚す罪に関するTLIG の教えの誤りは、福音書と教会に従順でありたいと願う人々をまさしく咎めるために新しい教理を作り上げていることにあるのです。
TLIG の小細工

TLIG が福音書と罪に関する教えを変更することには二つの利点があります。

1、メッセージに反対するのは受け容れられないし、疑うのは悪霊の誘惑の犠牲者になっているしるしだと信者に思わせる。これは離反を防止する強力な道具になります。それで、救いに至る最善の道はTLIG だと信者は確信するようになります。

2、TLIG に反対する多くの人は善良なクリスチャンであり、司祭であり、司教であり、TILGに深入りしている肉親や友人を心配しているにすぎません。
彼らを極悪人のように責めることによって、TLIG 信者は自動的にTLIG の読者の前で、すべての信頼を失い、同情されるだけの存在になっているのです。
時には家族や教区、同じ信仰を分かち合い、同じ教会に属する信徒を分裂させます。お告げの論理的な教えが悪い実を結んでいる証拠がここにあります。
一番心配になるのは、統一教会やエホバの証人のようなカルトでこのような小細工が行われているということです。多くの人が声を上げてお告げに潜む危険に警鐘を鳴らすよう危機感を感じている理由がここにあります。それは教会の警告に基づくものです。
ヴァッスーラは自分もお告げも裁かれることを許さないのに、「大罪人、聖霊を汚す罪人」と他を裁くことは悪いとは思わないのです。自分をシエナの聖カテリナや聖パードレ・ピオになぞらえますが、教会に従順だった彼らの徳に倣おうとしません。
それどころか、お告げに関する教会の勧告に背くよう信者を奨励することをまったく悪いこととは考えていないのです。このようなことはすべて拒否すべきことがらです。

マリア