偉大な人キリスト。
真実に
2 :
名無しさん@3周年:03/09/19 18:53
もう一度福音書を読んで
3 :
名無しさん@3周年:03/09/19 18:55
『沈黙』も是非、お読みください。
4 :
名無しさん@3周年:03/09/19 22:10
「キリストの誕生」はイエスの生涯の続編です。
ぜひお読みください。
遠藤先生は以外に歴史小説の方がおもしろかったりする。。
6 :
名無しさん@3周年:03/09/19 22:20
>>1 そのような異端者の本など読まないで是非優れた本を読んでください。
悪霊を追い出せ! 福音派の危機を克服するために
奥山実/著
世の終わりが来る! 『ヨハネの黙示録』の私訳と講解
奥山実/著
7 :
名無しさん@3周年:03/09/19 22:23
8 :
名無しさん@3周年:03/09/21 10:26
彼がクリスチャンの見本だと思われたことが日本で福音伝道が広がらない理由の一つ。
さっさと棄教すればよかったのに。
9 :
穏健リベラル派:03/09/21 10:32
私は、遠藤周作さん大好き。素晴らしい作家だよ。
10 :
名無しさん@3周年:03/09/21 10:38
過渡の作家は吉外バッカ。
遠藤、三浦、曽野、永井。
早く破門汁!
11 :
名無しさん@3周年:03/09/21 16:05
>>10 なんでカトじゃない人まで入っているんだろう。
12 :
名無しさん@3周年:03/09/21 16:20
かなり狂信的な福音派教会に巻き込まれていた時期があったが、ある日、遠藤周作の
本をたまたま本屋で見つけて立ち読み、購入して家で一晩夢中になって読んだ。
結局福音派から救われるきっかけになった。心から神に感謝しているよ。
13 :
聖書信仰 ◆vGZ.NYYAao :03/09/21 16:21
>>12 主に立ち返りなさい。
福音派の教会に戻るべきです。
14 :
名無しさん@3周年:03/09/21 16:29
>>11 永井隆。作家じゃなかったねW
>>12 遠藤はニューエイジにはまりました。
15 :
名無しさん@3周年:03/09/21 16:33
12だけどね。。。。
もう15年以上も前の事で、当時は福音派教会以外の教会の様子はよくわからなかった。
巻き込まれちゃったのも自分の未熟さや弱さだったし、
福音派スレ等を見るにつけ、今はよい勉強したと思っているよ。
>主に立ち返りなさい。
>福音派の教会に戻るべきです。
主に立ち返って福音派を辞めたんだけどねぇ。(^^;;
16 :
名無しさん@3周年:03/09/21 16:35
あくまでも遠藤さんを語るスレで「私はこれで福音派を辞めました」
趣旨のスレではなかったね。失礼いたしました。
17 :
名無しさん@3周年:03/09/21 17:16
ワタシ的には「侍」が一番好き
18 :
名無しさん@3周年:03/09/21 18:20
三浦綾子も過渡じゃないよー。プロ。
19 :
名無しさん@3周年:03/09/21 18:32
そうです。三浦綾子は日本基督教団でした。
「死海のほとり」が好き
苦しむ人悲しむ人の同伴者であるイエスの姿が浮かんでくる
21 :
名無しさん@3周年:03/09/21 21:16
>>10 >遠藤、三浦、曽野、永井。
紛らわしいけど、カトの三浦は朱門です。
22 :
穏健リベラル派:03/09/22 00:29
「沈黙」「私が棄てた女」「深い河」「死海のほとり」「母なるもの」
それぞれ傑作で素晴らしい作品です。感動しますよ。狐狸庵ものも良いよ。
彼の考え・信仰的立場については、「人生の同伴者」を読むと理解が深まり
ます。
最後に、聖書になじみの薄い人には、「私のイエス」がお薦めです。
「イエスの生涯」「キリストの誕生」よりやさしく書かれています。
23 :
名無しさん@3周年:03/09/22 15:34
『私にとって神とは』光文社文庫、これお勧め。
わっかりやすいし、おんもしろいんだから。。
24 :
名無しさん@3周年:03/09/22 15:56
キリスト教勉強するなら、欧州音楽史、欧州美術史、欧州哲学、
欧州民俗学、欧州哲学、法律学、科学、ユダヤ教の歴史、キリスト教の歴史、
欧州歴史、聖書、神学、山本七平、遠藤周作、三浦綾子、で極め。
25 :
名無しさん@3周年:03/09/22 16:39
一般常識、だけでいい思う。
26 :
名無しさん@3周年:03/09/22 16:46
三浦綾子と遠藤周作の中間、でいいと思う。
27 :
名無しさん@3周年:03/09/22 17:06
>>24 同じ学問が2度繰り返されている気がするのだが・・・・
28 :
名無しさん@3周年:03/09/22 17:40
>>24 イスラム教とイスラム文化とイスラム美術もふくめてほしいな。
29 :
名無しさん@3周年:03/09/23 19:51
山本七平ってプロ?過渡?
30 :
名無しさん@3周年:03/09/23 21:39
31 :
名無しさん@3周年:03/10/03 01:56
イエスも遠藤もAB型
よって神
sage
33 :
名無しさん@3周年:03/10/03 04:24
もう遠藤周作のような日本人クリスチャン作家は出てこないんだろうか。
西洋人でなく日本人の心情で捉えた
キリストの教えを描ける作家
遠藤周作氏は偉大
35 :
名無しさん@3周年:03/10/03 15:42
34さん ソノとおりです。お見事!
36 :
名無しさん@3周年:03/10/03 15:49
遠藤周作氏は天才的頭脳を有していたわけです。
37 :
名無しさん@3周年:03/10/03 18:00
私はキリスト教者ではない他宗教者ですが、遠藤周作の「イエスの生涯」は読みました。
特にイエスの生前は弱虫で卑怯者であったとされる弟子達が、イエスの死後、
自分たちの死さえも恐れない不屈の布教者となったことへの考察がとても興味深かったです。
38 :
穏健リベラル派:03/10/03 23:27
遠藤周作さん、福音派からはキリスト教をねじ曲げる危険人物として、かなり嫌われていた。
本当に理不尽な話だよ。日本人キリスト教徒の作家としては、私は三浦綾子さんより好きだ
けどね。
39 :
名無しさん@3周年:03/10/03 23:40
三浦綾子・・旧社会党系、プロテスタント
遠藤周作・・自民党系、カトリック お仲間には、曾野綾子・三浦朱門 夫妻
まあ、みなさん、もうご存知ですよね。
40 :
名無しさん@3周年:03/10/03 23:41
俺も三浦綾子より遠藤周作の方が好き。
どっちも小説の才能は互角だろうけど
遠藤さんのほうが考え方がぴったりくる。
41 :
穏健リベラル派:03/10/04 00:44
現代に生きる普通の日本人としては、福音派の原理主義的な聖書解釈よりも、遠藤周作
さんのアプローチの方が受け入れやすい人が多いでしょう。
私も遠藤周作さんの描く、奇跡など行えない無力で哀れな「ナザレのイエス」が好きです。
42 :
名無しさん@3周年:03/10/04 00:47
原理主義のイエス像は人間というより神そのものだもんね。
天父受難説か。おい。
リベラルサタンです
44 :
穏健リベラル派:03/10/04 01:00
>>43 あなたみたいな宗教原理主義者がいるから、中東紛争も自爆テロも事件もなくならないんだよ。
宗教原理主義者は、激しく反省した方が良いよ。少しは「マハトマ・ガンジー」のような宗教
者を見習ったら。
45 :
名無しさん@3周年:03/10/04 01:01
>>44 43みたいのが消えても貧富の膨大な格差が埋まらない限り
テロも紛争もなくならない。
46 :
穏健リベラル派:03/10/04 01:45
>>45 なるほど、あなたの指摘には一面の真理がある。それは、正直に認めよう。
付け加えると、原理主義以外のキリスト教諸教派は、社会的な公正という
視点も多かれ少なかれちゃんと持ってるよ。
47 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/04 01:49
>>46 世界中から福音主義者が集まったローザンヌ世界宣教会議、
ローザンヌ誓約でキリスト者の社会責任が謳われている。
日本からは福音派の本田弘慈師、尾山令仁師らが出席。
>>44 ガンジーは異教徒であり、多元主義の異端に陥ってはならない。
異教に救いは無い。
>>41 それは人間イエス、という聖書から離れたイエス像を伝えることになる。
48 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/04 01:51
>>38 文学者としては遠藤周作が好きで手に入る本はすべて買って読んだ。(ただし文庫)
しかし、遠藤周作は多元主義、新普遍救済主義、万人救済主義に行き着いてしまっている。
イエス・キリストのほかに救いは無いという十字架の福音をゆがめるものである。
ただキリスト・イエスを信じる信仰によってのみ救われる。
知り合いのプロテスタントは遠藤周作嫌いだったな。
あれは汎神論だから駄目らしい
とはいえ俺は結構面白く読ませてもらった。
神を知らない日本人ってホント野蛮人ですよねぇ
50 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/04 02:02
>>49 白い人、黄色い人読みましたか?
人間の罪というのが良くわかる。
ただ多元主義、汎神論だとイエス・キリストの救いが無くなる。
イエス様のほかに救いはない。
信じるものは救われる。
か・・。
メ○ラとツ○ボのやり取りだな。
ま,そもそも強情なるイエスがメク○で,
それを信仰してきたものをツン○に例えるのも容易い。
具体的に挙げるのは造作もないことだが,
場所をとるので,省略。
これを批判するものも,○クラ,○ンボと同じなり!
52 :
Nagekinokabe:03/10/04 02:09
俺の知っている福音派の牧師は宗教学とかもやってたような人だが、
三浦綾子は嫌いで遠藤周作の方がいいと時々言っていた。
今でもそう言うかどうかは知らないけど。
最近、ある神学校の校長になっちゃったよ。
誰の事だか分かっても、書くなよ。
53 :
Nagekinokabe:03/10/04 02:11
福音派だから、さすがに汎神論を肯定したり
するような事は言わないんだけど、
特に人間観において遠藤を支持していたかな。
三浦の描く人間は綺麗過ぎるって。
54 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/04 02:12
>>52 遠藤周作氏は罪が良くわかるが、救いが無い。
三浦綾子女史は罪がわかって救いがある。
十字架の福音。
55 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/04 02:15
>>53 遠藤氏はある本で作家の良心について書いていた。
カトリック作家が人間を正直に書こうとすると、
醜すぎて良心に反することになる。
人間とはかくも罪深いものだ。
リアルに書くとそのようにおぞましい姿になるだろう。
正直か良心か。
56 :
Nagekinokabe:03/10/04 02:15
まあ、そりゃあ救済に対する理解は
カトリックと福音派とでは違いがありますからね。
58 :
名無しさん@3周年:03/10/04 02:49
「沈黙」ってローマ法王から出版停止かなんか言い渡されなかった?
59 :
名無しさん@3周年:03/10/04 02:51
>>55 おまい本当に或る福か?w
別人に見えるww
60 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/04 02:57
>>59 作家としては好きでも信仰的に多元主義、包括主義、普遍救済主義を
受け入れられるわけはない。
61 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/04 03:02
>>53 キリスト者の作家は「ありのまま」に人間を書いたら良心に反することになってくる。
これはモーリヤックの引用だったかな。
洞察力がある作家にはその人間の醜さが見えてしまう。
しかし、どこまで書けるのだろう。書いていいのだろうか。
良心が敏感であればよく見えるだろう。
しかしその良心は醜さに耐えられない。
62 :
名無しさん@3周年:03/10/04 03:06
作家として好き。か。異端は救われないと言ってて好きとは?
63 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/04 03:08
>>62 遠藤氏の洞察力で人間の罪が良くわかる。
罪がわかるといえば夏目漱石、芥川龍之介、太宰治もそう。
しかし、救いが無い。救いはただイエス・キリストの十字架。
罪だけがわかってイエス様の愛を知らなければ絶望するしかない。
64 :
穏健リベラル派:03/10/04 03:09
絶対に正しい宗教というのは、ありません。
絶対に正しいキリスト教というのは、ありません。
絶対に正しい聖書解釈というのも、ありません。
全てが相対的な世の中に、私達は生きているのです。
従って、キリスト教にしか救いが無いという主張には、賛成できません。
それは、キリスト教徒の傲慢で不遜な考えです。
遠藤周作さんも、「全ての物事が相対的であるから、多面的・重層的な視点が
大切だ」という趣旨の事を書いておられました。
65 :
名無しさん@3周年:03/10/04 03:11
或る福・・ソウセキも太宰も読んでるのか・・・
それでなんで福音なんだ・・・
66 :
Nagekinokabe:03/10/04 03:12
>>65 そういう人もいるよ。善悪は別として。
奥山氏もそうでしょ。
佐古純一郎氏の方が内容いいらしいけど。
67 :
名無しさん@3周年:03/10/04 03:15
遠藤氏は福音派の教えによると地獄に落ちた悪人なんだろ?
そういう人を福音派信徒が作家として「好き」っていってるのが
すごいなと。
68 :
Nagekinokabe:03/10/04 03:17
生きて目の前にいたら
嫌悪感を顕わにするのかもね。
69 :
穏健リベラル派:03/10/04 03:17
70 :
Nagekinokabe:03/10/04 03:20
71 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/04 03:23
72 :
穏健リベラル派:03/10/04 03:30
遠藤周作さんは、逐語霊感説のキリスト教原理主義者から糾弾されても、自説は曲げない
受けて立つと言っておられた。
公にはしておられないが、たぶん、色々な嫌がらせを受けたものと想像されます。
73 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/04 03:37
74 :
穏健リベラル派:03/10/04 03:40
>>73 貴殿、なかなか読み込んどるじゃないか.。感心・感心。
75 :
或る福音派信徒 ◆wtR5fOV6d. :03/10/04 03:45
>>74遠藤は最後にリベラルに走った。
多元主義→チャネリング→ニューエイジ
最後に生まれ変わりを信じて死んだ。
お前も気をつけろ。地獄に行くぞ。
76 :
穏健リベラル派:03/10/04 04:01
>>74 心配してくれて、有り難う。
死んだ後のことは、誰にもわからない。「ナザレのイエス」に任せてあるよ。
(_ _)Zzzおやすみ
小説家としての良心、キリスト者としての信仰
それは別のもの
小説家としては人間の罪、醜さから目をそらせない
多元的な考え、ニューエイジ的思想は
一般の日本人心情からすると当然
それを描くのも小説家としての良心
彼自身の信仰とは別ものとして読んでるよ
78 :
眠り猫 ◆hQyHD99Hb2 :03/10/04 11:27
『死海のほとり』でもプロテスタントの熱心な巡礼団と
行き会うんだよね。あのくだりは結構好きだな。
79 :
穏健リベラル派:03/10/04 14:45
「沈黙」の、小心で弱虫な「キチジロー」好きですね。
「深い河」の、悪女に誘惑され最後は人を助ける為に哀れに死んでゆく、愚直な
落ちこぼれ神学生「大津」、彼も印象的ですね。
秀作揃いなので、人間として・キリスト信者として考えさせられたり、深く感動する
部分がたくさんありますね。
80 :
サロメ☆天后☆ ◆sqHnb0/6.o :03/10/04 14:47
ニューエイジの癈狭斜。
被爆者をいけにえだと放言した永井と同類w
81 :
穏健リベラル派:03/10/04 15:16
>>80 「癈狭斜」とは、「背教者」という意味か?
「被爆者をいけにえだと放言した永井」とは、長崎で被爆した「永井隆」医師の事か?
そう言うあなたは、単に宗教にかぶれているだけだと思うよ。
82 :
サロメ☆天后☆ ◆sqHnb0/6.o :03/10/04 15:17
>>81 永井の言い草、知りませんか?
グ具ってみそ。
永井隆 批判で。
83 :
JEAの連絡先:03/10/04 15:20
住所:〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台2-1 OCCビル
TEL:03-3295-1765 (10:00〜17:00 月〜金)
FAX:03-3295-1933
E-mail:
[email protected] 郵便振替:00150-8-68442
困った福音派信徒を通報して下さい
84 :
穏健リベラル派:03/10/04 15:50
85 :
サロメ☆天后☆ ◆sqHnb0/6.o :03/10/04 15:57
住所:〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台2-1 OCCビル
TEL:03-3295-1765 (10:00〜17:00 月〜金)
FAX:03-3295-1933
E-mail:
[email protected] 郵便振替:00150-8-68442
困った福音派信徒を通報して下さい
遠藤周作の本もいいが、潮文社から出版されてる「霊界通信イエスの成年時代」
が、お薦めです。アイルランドのG・カミンズ著。
聖書の福音書では、イエスが伝道に出てから十字架で死ぬ以前の物語は記述されて
はいません、この本はイエスの修行時代の出来事を記述しようとする試みです。
イエスの成年時代の本から一部引用します。
「人には、光の体(霊体)というのもが与えられています。母の胎内に宿ったとき
から死ぬときまで、その体は神より光を受けたり放射したりするのです。残念ながら
肉眼にはそれを感じないのです。天の御父がすべての生き物に流入された生命を見る
力が備わっていないからです」
それから、若きイエスがエッセネ派で修行して出て行く時の場面です。
【イエスがエッセネ派での修行から旅立つ場面の一部抜粋】
エッセネ派の修道会の指導者シャンマイの言葉。
「隠者の生活はあなたに適していません。あなたの光を桝の下に置いてはなりません。
(マタイの福音書・5章15節参照)
あなたそのものが光なのです。ですからそれをここで隠せば、神の御心に反します。
あなたの光を人々の前で輝かすのです。さあ、これから世に出て行くのです!」
注、エッセネ派とは、紀元前150年頃に熱心なユダヤ教徒が不信仰な祭司から
袂を分かち「義なる教師」とよばれる人物に導かれ、死海のほとりの砂漠に
共同体を作って生活を始めた人々のことです。死海文書(写本)はエッセネ派
が残した、世界最古の旧約聖書の一部写本です。
93 :
名無しさん@3周年:03/11/28 23:01
あげ
94 :
名無しさん@3周年:03/11/28 23:01
hu
95 :
名無しさん@3周年:03/11/29 01:02
名古屋に原爆を落とすことができたら、どんなに素晴らしいことだろう ハレルヤ! アーメン
繰り返し読んで待つ
97 :
名無しさん@3周年:04/02/04 15:43
すべてを包み,赦す母なる神、
赦しのまなざしに満ちたイエス
この本のイエスならば理解できる
98 :
名無しさん@3周年:04/02/05 12:49
聖書の神は怖いけど
遠藤周作の理解する神なら
日本人として理解できる
100 :
名無しさん@3周年:04/02/09 07:30
読んだ
遠藤周作の本は英訳など、海外でも根強い人気がある
101 :
名無しさん@3周年:04/02/09 07:59
>80 :サロメ☆天后☆ ◆sqHnb0/6.o :03/10/04 14:47
>ニューエイジの癈狭斜。
>被爆者をいけにえだと放言した永井と同類w
シルビウスと共通するものがあるなあ。
ところでシルビウスはなんでストレートに遠藤批判を展開しないの?
102 :
名無しさん@3周年:04/03/04 15:49
自分も読んだんだけど、よかったと思う。
聖書読むだけでは難しかった内容も遠藤氏も作品でイメージかなりできた。
イエスの生涯、キリストの誕生、沈黙、聖書の中の女たち、
この本しか読んでないけどこれからもっと読んでみます。
103 :
名無しさん@3周年:04/03/14 20:26
サロメや、ここにもいないのかい。
どこへおゆきだい。
104 :
名無しさん@3周年:04/03/14 21:30
遠藤氏読んで入信したって人はいないの?
105 :
名無しさん@3周年:04/03/14 21:58
>>101 過去ログから汁の誤謬スレ拾ってきてみ。
遠藤周作のストレート批判あったはずだぞ。
異端審問棺シルビウスの手にかかったら
おそらくほとんどのカトリック文学者は
糾問され火炙りだろうな。
>>104 大勢いる
一般読者ももちろん
文学者仲間は次々受洗
編集者、三田文学関係者も
葬儀の時のにぎわい
宣教者パウロのふさわしい人だった
107 :
名無しさん@3周年:04/03/25 17:47
>>37 そう。彼はイエスの奇跡を信じちゃいなかったが、復活は信じていた。
復活できるくらいなら、病気くらいなおしてもいいじゃん、
と漏れはおもた。
108 :
名無しさん@3周年:04/03/25 18:56
「沈黙」は隠れキリシタンの話だけど、ローマ法王に
発禁本にされました。普通に売ってるけどw
109 :
名無しさん@3周年:04/03/27 12:01
『深い河』のほうが面白いと思います。
遠藤思想の集大成です。遠藤氏は仏教の阿頼耶識とかに関心を
もたれていましたね。転生にしても、イエスの復活にしても、
最後は非常に仏教的な理解にたどり着かれたと思います。
しかし、それは遠藤氏が信仰薄いものだったことを意味しないでしょう。
むしろ、信仰を深めた。教えをただ信じるのではなく、
自身のなかで深めていこうとされた、
その結果だったのだと思います。
110 :
名無しさん@3周年:04/03/27 12:47
「 死海のほとり 」もなかなか。ええと思いまつ 内容は忘れたけど...
111 :
名無しさん@3周年:04/03/27 15:46
とにかく『深い河』はいい。西洋の神学と闘ってやぶれた大津。
大津はインドへ行く。ガンジスへね。ガンジス川。
112 :
名無しさん@3周年:04/04/10 22:03
「深い河」で、遠藤氏は、善の中に悪があり、悪のなかに善が含まれている、
という解釈をあげ、これを仏教的だ、といっています。
「私にとって神とは」という書では(1983年)
悪のなかに善が含まれている、というのはカトリック的である、
としています。この時点ではまだ「善のなかにある悪」は
解決していなかったのでしょう。
113 :
名無しさん@3周年:04/04/22 23:01
「沈黙」は名作。
「侍」も名作。
しかして、「深い河」は傑作。
田川建三の「イエスという男」に勝るイエス論はないと思う。
115 :
名無しさん@3周年:04/05/04 16:08
>>114 あくまでイエス論でキリスト論ではないがな。
116 :
眠り猫 ◆hQyHD99Hb2 :04/05/06 14:55
エディプス・コンプレックスという構造が
一神教文化のなかにみられるといいますが、
日本をはじめとしたモンスーン地帯の文化では、
アジャセ・コンプレックスだ、といった人がいました。
これは的確だと思われます。
117 :
福音派の劣等生:04/05/21 03:38 ID:IyffomNC
私は、遠藤が好きだと思う。
情けない弟子がいかに生まれ変わったかと言う視点もいいとおもった。
しばらくチェックしていなかったが、まだこのスレッドあったんだですね。
良かった、良かった。
遠藤周作さんは、とても好きでしたし影響を受けました。
しかし数年前、亡くなられました。
私自身残念ですし、この国にとっても大きな損失だと思っています。
どなたか、遠藤周作さんと宗教観が近い日本人作家を、教えて
いただけませんか?遠藤周作さんの後継者のような方を、捜して
おります。神学者でも文学者でも良いです。
よろしくお願いします。
120 :
穏健リベラル派:04/05/22 20:32 ID:Aq3uS2hT
井上洋治神父の本、良さそうですね。書評を読んで興味が湧きました。
以下、アマゾンの書評から抜粋。
井上は、「ヒットラーでも懺悔すれば救われる」と言ったり、「キリスト教徒になって
死ぬと、お寺の墓に入っているお父さんやお母さん、ご先祖には、あの世で会え
ないのではないでしょうか?」と問われて、「もちろん会えます」と答える人だから、
他人事ながらカトリック内部での評判を心配してしまうほどなのだが・・・
こういう人は、まだまだキリスト教内部では少数派なんですよね〜。
というか、保守派から見れば異端に思えるだろう。
その点は、残念な現実。
121 :
119:04/05/22 21:46 ID:TKaRY9Q8
122 :
こら:04/06/07 11:09 ID:vuDXUdDM
>>1よ。
おいお前。
私、遠藤作品をそういう風に理解する人、嫌い。
>>8の言うとおり、遠藤先生はクリスチャンというより、人間観察眼に優れた方という
見方のほうが、ずっと説得力がある。
文学の世界と糞宗教を混同するカトちゃんって、本当に退いてしまう。
「天使」とか読んだ?でも、カトはまた主旨を捻じ曲げて理解するんでしょうね。
あぁ、馬鹿馬鹿しい。
>>107 遠藤周作は復活信じていたんだっけ?
はっきり肯定はしてなかったと思っていたんだけど。
「イエスの生涯」、ずいぶん前に読んだので、記憶違いかなぁ。
124 :
名無しさん@3周年:04/06/19 13:37 ID:3UjqwSMr
なるほど
125 :
かわず:04/08/13 15:08 ID:WRRgwqXo
司馬良太郎のイエス観は素晴らしいよ。
敬虔なキリスト教信者だったから。
127 :
名無しさん@3周年:04/09/07 00:18 ID:xi7i1wJB
遠藤周作氏のイエス観では、キリスト教は成り立ちません。
彼はイエスが奇跡も行わずただ病んでいる人の傍らにいただけだと
書いていました。
イエスがキリストたるゆえんは罪をも赦し、自然や悪霊をも従わせる力がおありになると
いうことです。傍らに立つイエスというのはただの共感でしかありません。
イエスの御力は罪を赦す権限にあります。
この力強い権限によって悪の根を絶つことができると宣言するために地上へ
お出になられました。
センチメンタルなお話に作り変えた遠藤氏は罪が深いといえます。
遠藤周作氏のつくったイエス像は、かなしみの共感者、人生の同伴者、というものでした。
これは日本人が伝統的にもっている、「同行二人」的な流れだと思います。
弘法大師空海はおろか、親鸞聖人にも、同行2人的な伝説があります。
いつも傍らにいる聖者、みたいな感じですね。
129 :
名無しさん@3周年:04/09/07 23:01 ID:xi7i1wJB
130 :
名無しさん@3周年:04/09/07 23:48 ID:r6TsTuBd
>>128 『御臨末の御書』
「我が歳きわまりて、安養の浄土に還帰すというとも、
和歌の浦曲の片男浪の、寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。
一人居て喜ばは二人と思うべし、
二人居て喜ばは三人と思うべし、
その一人は親鸞なり。
我なくも
法は尽きまじ
和歌の浦
あをくさ人の
あらん限りは」
131 :
名無しさん@3周年:04/09/07 23:52 ID:r6TsTuBd
一人ゐて悲しい時は二人ゐると思へ、 二人ゐて悲しい時は三人ゐると思へ、 その一人は親鸞なり。
132 :
名無しさん@3周年:04/09/08 21:02 ID:339GsXyp
仏教徒は遠藤周作を受け入れ、理解できるというわけですね。
わたしはイエスだけで十分ですから、釈尊は要りません。
133 :
名無しさん@3周年:04/09/09 04:53 ID:TNsAtlTA
キリスト教徒は排他的だからな。
134 :
名無しさん@3周年:04/09/10 20:47:14 ID:z5z6ywgF
>>127 だから、神に媚びて神秘的な力で自分達を救ってくれるスーパーマンを
待ちわびるような手前勝手な人間達には、自分は受け入れられないという
ことを知っていて「私に躓かない者は幸いである」ってイエスは言ったのだ
と思うよ。
遠藤は、イエスがたとえ自分と同じような弱い人間であったとしても、その
心情に共感して、自分もまたイエスに従いたい(不幸な人と苦しみを分かち
たい)と告白した。ところが、「正統な」キリスト教徒ときたら、そんな弱い
イエスじゃ信仰できないとおっしゃる。遠藤と「正統な」キリスト教徒と、
どちらがイエスに対する信仰が厚いか、いまさら論じるまでもないわな。
135 :
名無しさん@3周年:04/09/10 23:00:43 ID:r5oNIv04
日基に行ったら、遠藤周作や曾野綾子の小説沢山置いてあるよね♪日基はリベラルだから珍しくはないか(^_^;)
136 :
名無しさん@3周年:04/09/10 23:16:22 ID:r5oNIv04
「スキャンダル」まだ読んでないけど面白ろそうですよね★誰か読んだ人いますか?
137 :
名無しさん@3周年:04/09/10 23:22:01 ID:lu4Z4K3a
そうだ、インドに行こう!!
インドにいって、チャイを飲んで、カレーを食べて・・・ガンガーで沐浴して。
とてもいい旅になりそうだ!
138 :
名無しさん@3周年:04/09/10 23:23:00 ID:lu4Z4K3a
>>136 スキャンダルは読んでいないが 真昼の悪魔 は読んだ。
最後まで謎が楽しめる。
139 :
名無しさん@3周年:04/09/11 16:05:37 ID:ZoTNvI45
>>138 レスありがとうございます。「真昼の悪魔」は初めて聞きました(^_^;)図書館に行っても「スキャンダル」や「真昼の悪魔」のような本はさすがに置いてなかったですね(T_T)図書館だとさすがに置けないのかな(^_^;)村上龍の「トパーズ」とどっちが過激だろうか?
>>139 うちのほうの公共図書館はスキャンダルも真昼の悪魔も
あと、「悪霊の午後」というのもあります。遠藤作品。
141 :
名無しさん@3周年:04/09/12 13:11:59 ID:SHNY95Bx
>>140 「悪霊の午後」はあったような気がしました。
なんせ人口四万人足らずの小さな町の図書館ですからね^^;
余談ですが「王妃マリーアントワネット」を図書館で借りて高校の頃読んだ事ありますが、架空の人物をシャルロットコルデに当てはめたりして無理が多い気がしましたι
142 :
田川建三:04/09/12 13:45:06 ID:/LkrUyoz
134は漏れのファソ
143 :
名無しさん@3周年:04/09/19 23:40:19 ID:eecwiJtR
>>134 神の国は言葉ではなく力にある、と聖書には書いてあります。
144 :
名無しさん@3周年:04/09/19 23:57:56 ID:eecwiJtR
コリント(一)4:19−21
「高ぶっている人たちの、言葉ではなく力を見せてもらおう。
神の国は言葉ではなく力にあるのですから。
あなたがたが望むのはどちらですか」
彼女は火で焼かれる。
彼女を裁く神は、力ある主だからである。
ハレルヤ。救いと栄光と力とは、わたしたちの神のもの。
その裁きは真実で正しいからである。
145 :
名無しさん@3周年:04/09/23 19:32:22 ID:q10Ejqcl
ここまで読んだのなら、キリストの誕生まで、読んで欲しいです。
使徒行伝は少なくとも読んだほうが、理解が早い。
146 :
名無しさん@3周年:04/09/23 19:39:18 ID:JUAVSXn3
パウロ書簡は読まないほうがまし。
使徒行伝も同様。
護教目的で多様されている文献は、イエスの真の姿を粉飾してしまうだけ。
読むなら、4つの福音書のほかに、トマスの福音書を読め。
147 :
名無しさん@3周年:04/09/24 17:53:53 ID:/7ZQGwdg
>>145 「イエスの生涯」と「キリストの誕生」は二つでセットみたいなもんですからね。
>>146 四つの福音書も十分、粉飾されているようですが・・・。
福音書は、イエスを信奉するグループの信仰告白文学みたいなものですから。
148 :
名無しさん@3周年:04/10/04 22:00:06 ID:SHyBg6ox
随分落ちてしまったので、久々にあげてみようか。
「深い河」は必読です。「イエスの生涯」も「沈黙」もいいが、
「深い河」は良いです。
149 :
風:04/10/23 00:04:20 ID:2r/QG2Pd
狐狸庵先生!親しみを感じます。
150 :
オレンジ:04/11/05 01:05:59 ID:SwrKw83Y
クリスチャンとしては、落第生だと生前、遠藤周作さんは言っていたけれど、
それがまた一人の人間として魅力を感じます。
151 :
名無しさん@3周年:04/11/07 09:02:17 ID:PYPX2Yle
今年の年始にマツケンの「大友宗麟」(原作名はなんでしょうか?)を見ました。宗麟の平和郷を作ろうとしても戦争でダメになってしまう・・・・。
最後のシーンでローマは素晴らしいとこだと宣教師に言われて、そこで話が終わり、宗麟は天に召されてしまいます。
このドラマわざとらしさがなくて好きでした。
そのドラマに出てくる宮本真希が良かった。
153 :
名無しさん@3周年:04/11/08 22:03:03 ID:ryOk6YTa
>>152 侍女で最後には宗麟の奥さんになった役をやっていた人でしたよね?
154 :
名無しさん@3周年:04/11/08 22:10:26 ID:DeAABRMT
155 :
名無しさん@3周年:04/11/14 00:39:36 ID:LJkO+obe
世界で一番信者が多いのは、キリスト教?
二番目に多いのは、イスラム教?
156 :
名無しさん@3周年:04/11/14 11:26:17 ID:+sYJXZG3
157 :
名無しさん@3周年:04/11/14 11:28:24 ID:rSgi+MRd
違う。
一番多いのは無神論者。
158 :
名無しさん@3周年:04/11/14 11:29:31 ID:+sYJXZG3
>>157 「信者」が多いのは、という問いのようですが。
「無神論」は信じるものですか?
159 :
名無しさん@3周年:04/11/14 11:30:32 ID:+sYJXZG3
無神論はもっとも幸福な信仰といえましょうね。
160 :
名無しさん@3周年:04/11/14 11:42:51 ID:+sYJXZG3
リベラルといえばこれほど、リベラルな信仰もないですよね。
161 :
名無しさん@3周年:04/11/14 11:45:38 ID:rSgi+MRd
無神論も信仰でしょ。
神がいないことを信じているのだから。
神の不存在は証明されていないのに。
162 :
名無しさん@3周年:04/11/14 11:46:56 ID:+sYJXZG3
>>161 まあそうなんでしょうね。
ところで遠藤周作先生について語りませんか
163 :
名無しさん@3周年:04/11/14 11:49:50 ID:+sYJXZG3
遠藤先生にみるカール・ラーナー、ティヤールドシャルダンなどの影響とか。
阿頼耶識とか仏教の話と、ユング心理学にもご関心がおありでした。
164 :
名無しさん@3周年:04/11/14 11:53:42 ID:rSgi+MRd
人間の弱さに優しいひとだから、嫌いなひとは嫌いだろうね。
人間の弱さを理由に信仰の揺らぎを正当化させているようにみえるんだろうね。
そういうひとには。聞いているか>豚サロメ&アルフク
165 :
名無しさん@3周年:04/11/14 11:55:36 ID:K85IrHGU
一番多いのはイスラム教徒だろ
遠藤のイエス観ってさりげなく脱神話化志向で
限りなくルナン的な予感。読んでねえけど。
処女懐胎とかじゃなしにね。
168 :
名無しさん@3周年:04/11/14 11:59:05 ID:+sYJXZG3
>>165 イスラムよりもカトリック、プロテスタント、正教、他の総計のほうが多いみたいです
知識人向けの飼いならされたキリストつうか。
170 :
名無しさん@3周年:04/11/14 12:04:25 ID:+sYJXZG3
まあ野性は感じませんね。
デッキチェアの上で頬杖ついて考えた、とまでは言いませんが
171 :
名無しさん@3周年:04/11/14 12:04:58 ID:+sYJXZG3
もっと野性的で野蛮なキリストを描いた人はいないのでしょうか
増補版、どうなのかな。結局、読んでないけど・・・。
174 :
名無しさん@3周年:04/11/14 12:09:17 ID:+sYJXZG3
あずみさんも太鼓判のタガーワ・ケンゾーさんでつね。
非神話化されてない野蛮なキリストが面白いかな。
賢人でもなく聖者でもなく・・・
キリストのことを「分かったつもり」になるのを意識的に
避けてるところがあってさ、そういう点が他にないんだよね。
176 :
名無しさん@3周年:04/11/14 12:13:55 ID:+sYJXZG3
たしかに必読ではあります。
敬虔な信者さんも一度よんで、自分のキリスト像を揺さぶってみるのも
悪くは無い・・・・
177 :
名無しさん@3周年:04/11/14 12:16:09 ID:sJVvgzBH
狐狸庵センセーは、現代に生きるキリスト教徒の心情を勇気をもって暴露し、
代弁したってことじゃないかな。現代教育をまともに受けた人間が、聖書の
神話的な部分を一字一句信じられるということが欺瞞だわな。
だいたい、教養や科学的事実が邪魔になる宗教なんて、ただの迷信とどこが
違うんだろうか。
多分、聖職者を含めてすべての人がそう思っている。しかし、それを口にする
勇気がなかった。狐狸庵センセーは、自己欺瞞で敬虔な信者を装っている
大多数のクリよりも、数段も純粋な信仰者だと思うよ。
178 :
名無しさん@3周年:04/11/14 12:21:45 ID:+sYJXZG3
>>177 つまりキリスト教は迷信ということですねえ。
毎回「信じます」と告白するクリスティアンはどうなるのでしょうか。
嘘の上に嘘を重ね、次第に何が嘘かわからなくなる。
信じてないのに信じているふり?
179 :
名無しさん@3周年:04/11/14 12:22:34 ID:+sYJXZG3
嘘も100回言えば嘘でなくなる、というようなことを言った人もいました
180 :
名無しさん@3周年:04/11/14 12:25:20 ID:+sYJXZG3
遠藤先生の場合は、幼児洗礼ということもありますね。
お母さんの信仰だから、捨てられない。
捨てないために、自分を納得説得するための証拠立て、が
彼の創作活動の大きなモチベーションになっているのかもしれません。
>>177 そうそう、科学について半可通なブルジョア知識人には良いらしい。
朝日新聞の信者御用達、みたいな感じでw
ヘタレばっかだから挙句に十字軍に参加して平気なツラしたりしてw
184 :
177:04/11/14 12:31:10 ID:sJVvgzBH
それは、まず「自分の不信を認める」、それから「自分の不信と妥協する新しい
信仰を見つける」という過程を経るしかないでしょうね。
それをやらずに「心の底から聞こえる声に耳を蓋する」信者は、迷信の中に
埋没したままになる。迷信は信仰とは別もの。信仰というのは、日常に出会う
「不信」と対峙しつつ、それを解決していくことで築いていくものだと思うから。
狐狸庵センセーは、現実の世界で経験する「不信」に対峙する勇気を訴えた
かったのだと思うよ。むしろ、「不信」こそが真の信仰の入り口だということ
を言いたかったのでは。ロドリーゴは、あまりに過酷な現実の中で「古い信仰」
=「迷信」を捨てざるを得なかった。踏み絵に足をかけたときに聞こえたイエス
の声こそが、「不信」を乗り越える「新しい信仰」の始まりだった。迷信に埋没
して満足しているマカオの司教どもには永遠にたどり着けない境地だろうよ。
転び伴天連曰く、「アリストテレスの権威でキリスト教を
支えるのは間違いだ」だとさ。負け惜しみにも聞こえるけ
ど、イエズス会士だからあながち嘘を付いてるようにも聞
こえない、と。
↑小説には出て来ない話ね。
187 :
名無しさん@3周年:04/11/14 12:43:50 ID:+sYJXZG3
日本で布教するに当たっては
アリストテレスじゃ権威は付かないでしょうねw
皇室、名家、財界人あたりに狙いをつけないと・・・
189 :
名無しさん@3周年:04/11/14 12:52:57 ID:+sYJXZG3
マラーノ関係ですか。これは興味深い。
カルメル会の改革者、アヴィラの聖テレジアもマラーノの家系だったといいます。
アライドテレシスか
もちろん、詳細は、遠藤の作品が書かれた時代のカテキズムを、
検討しないといけないのだけど、
「カトリック教会のカテキズム」を読んで初めて、
遠藤作品によく登場する、「人生の同伴者イエス」という概念が、
イエズスの道行きに倣って、という考え方に、
基盤があるということが分かりましたわ。
わたしはプロテスタントの改革派なもんで、
教理的に復活して天におられるイエス・キリストというのを強調するので、
その辺の遠藤作品によく見られる「人生の同伴者イエス」という概念が、
一クリスチャンとしては、これまで実感できなかったのですわ。
>>191 改革派さん、こんばんわ。888です。先日カテキズムを
注文しました。友人から借りたものではいかんと思い、
気兼ねなく読めるようにと注文しました。
私の遠藤先生の見方も177さんのよう(
>>177,
>>188)です。
>>188それは、まず「自分の不信を認める」、それから「自分の不信と妥協する新しい
信仰を見つける」という過程を経るしかないでしょうね。
それをやらずに「心の底から聞こえる声に耳を蓋する」信者は、迷信の中に
埋没したままになる。迷信は信仰とは別もの。信仰というのは、日常に出会う
「不信」と対峙しつつ、それを解決していくことで築いていくものだと思うから。
このように理解なさっている方がいることに私のような若輩は大いに勇気を得ます。
194 :
191:04/11/14 21:33:47 ID:zLIxb9id
888さんって、ひょっとして「福音派やめました」スレの方でしょうか?
そうですかぁ。うーん。どうも自分は聖書を神話として読んでいるのか、
奇蹟の箇所とかも、素直に「すごいねぇ〜。」って読んでしまっていて、
特に疑問を持ったことなかったですねぇ。
ただ、「イエス様に倣って生きましょう」と言われると、
「そんな、魚やパンを増やしたり、死人を生き返らせたりは、
イエス様だからできることであって、ただの人間のわたしには無理です。」と、
言ってしまいますわ。^^
わたしは、ノンクリの時の方が、
遠藤作品に素直に入って行けていたのですが、
洗礼を受けてから、どうも「人生の同伴者イエス」という
遠藤作品によく登場するイエス観に反発してしまって、素直に読めなくなったというのがありましたわ。
それが「カトリック教会のカテキズム」を読むことで、納得がいったのは、
カテキズムの思わぬ「効用」でしたわ。笑。
>>194 そうでーす。「福音派やめました」の888です。
「イエスの生涯」を最初に読みました。ICUを卒業した
キリスト教否定の友人にもらったのですが、読んで何か
納得できました。最後のイエスの奇跡を遠藤先生が否定
なさるところは賛成反対を超えて遠藤先生の心情が出ている
ようで共鳴しました。友人は皮肉を込めてこの本を渡したの
だと思いますが、この本を読んで洗礼を受ける決心?が出来ました。
福音派で洗礼を受け、現在はカトリックのミサに参加している自分を
見てNHKのインタビューに答えていた遠藤先生を思い出します。
>>最後のイエスの奇跡を遠藤先生が否定
これは正確には十字架で死んだときルカ福音書(23・44〜46)
のようなことは起きず「何事も起きなかった」と書いている点です。
197 :
名無しさん@3周年:04/11/17 19:49:16 ID:5ySKhEJA
遠藤さんは、温かい人と思った。このに近親感が沸く。
198 :
まなみ ◆55nynIr58w :04/11/17 20:17:42 ID:aI/KR759
>>194 やはり、イエスさまよりも、カテキズムが大切なのね。
それもキリスト教になるの?
それとも異端かしら?
まなみさん、「カテキズム」を是非読みましょうよ!
私もまだ全部読んでませんが、よい刺激となるはずですよ。
私はキリスト教がイエスも含めブランドにしてしまい、〜だから
本物だとか異端だとか言って分別作業にいそしむのは信仰では
ないと思います。カテキズムを読むことにより信仰の歩みに真摯に
なれるかと思いますよ。
200 :
まなみ ◆55nynIr58w :04/11/17 20:45:51 ID:aI/KR759
>>199 わたしには、信仰の書である聖書かなぁ。
2ちゃんの流行より、教会のほうが大切だからね。
>>200 2ちゃんでカテキズムなんて誰が流行らせているの??
まさか、わたしとか。(w
>>198 福音書は、その福音書を記述した教会の教義なんだよ、
箇条書きではなく物語り形式を取った、その教会の教えなんだよ。
新約聖書の各文書は、その教会の教えなんだよ。
その各文書は、記述した人達が体験したイエスや信仰の真理を
その時代の言葉で、その時代の人達に語った物なんだよ
でも その時代は、今の日本の社会・文化状況とは、違うんだよ。
カトリックさんの「カテキズム」は、福音書のイエスや信仰の真理を
今の日本の言葉で、今の日本の社会・文化状況の中の日本人に
解りやすく語っている物だと思うよ。
多分ね。
そうそう、三百代言さん
>>202の言うとおりで、カテキズム
を始め信条や信仰告白も信仰を助けてくれるものなんだよ。
AかBかではなくていろんな視点から信仰を見てみるとより一層
信仰の歩みが明るく照らされるよ。
ソダネ。
福音書も信仰告白であってカテキズムと同じだね。
ただ正典化される前の福音書の信仰告白はなんか伸び伸びした自由さがあるのに
聖書完成後のカテキズムはなんか息苦しさがある。
多様な理解を許さないような。正統と異端の区別に拘りすぎて。
福音書もカテキズムである。そうだな。これは気が付かなかった!
福音書カテキズムのほうが、神学的カテキズムよりも生き生きしているな。
福音書カテキズムはストーリー仕立て。感性に響いてくるよ。
神学的カテキズムは、論理的すぎて、どうも知性過剰な気がするな。
もしまなみ氏が、万が一
「カトリック教会のカテキズム」を読破することがあったら、
その時は、改革派スレを神様と、わたし以外の住人にお任せして、
2ちゃん引退してもええ、と思いますわ。(w
207 :
名無しさん@3周年:04/11/19 17:39:29 ID:kdoQOPqL
ほんなに面白いのん? まなみちゃんガンバって w
208 :
名無しさん@3周年:04/11/19 21:03:12 ID:AAodP9/z
知らないあいだにスレが盛り上がってる  ̄|_|○
209 :
名無しさん@3周年:04/11/20 01:11:57 ID:XtTwjRAi
キーワードは、様々な意味で「母なるもの」ですよね〜。
210 :
カイ:04/11/24 00:33:18 ID:LDAf1fol
もう少しでクリスマスですね。
遠藤周作さんは、日本のクリスマスをどう思っていたのでしょうか?
211 :
名無しさん@3周年:04/11/24 09:37:11 ID:cUC03jx6
周作ちゃんは マリアさま一筋だったようね。イエスさまのことは
キリちゃん..キリちゃんと呼ばわれてたそうで。ヾ(´▽`)ノカワィィ
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
213 :
名無しさん@3周年:04/11/26 15:05:37 ID:9PqKVZ3n
今買ってきたよ
214 :
名無しさん@3周年:04/11/26 16:35:39 ID:btA2vhe4
「イエスの生涯」もう必要ないのでブックオフに売ってこようかな?
216 :
名無しさん@3周年:04/11/26 17:25:23 ID:btA2vhe4
「母なるもの」もいいですね。読みました。
でももっといいのは「影法師」です。
あと「十一の色硝子」もおすすめ。
いずれも、辞め司祭の末路を書いた小説が出てくる。決定版ですな
217 :
名無しさん@3周年:04/11/26 17:34:55 ID:btA2vhe4
辞め司祭の小説はあるが、
辞め牧師の小説って聞かない。ないのか。
218 :
名無しさん@3周年:04/11/27 13:55:33 ID:y+mbgS5Z
読み終わった……
219 :
武庫川女子大学総長:04/11/27 14:10:21 ID:faWTUzBu
「沈黙」しか読んでいない。
220 :
名無しさん@3周年:04/11/27 23:37:44 ID:wjY9H3Ew
狐型狸先生、本当に良いですね〜。
コルベ神父の話なんか、思い出すと今でも
胸が熱くなるな〜。
それから私は、純文学だけでなく、ユーモア小説や
エッセイも愛読していました。
いろんな意味で弱虫の私は、多くの希望と慰めをもらいました。
周作(狐型狸)先生、心からありがとう。
むしろ、カトリック信者でない人にとって福音であったと思う。
222 :
212:04/11/28 22:22:59 ID:DYmK5WIa
212の「狐型狸」は、「狐狸庵(コリアン)」の誤りでした。
お詫びして、訂正いたします。
223 :
名無しさん@3周年:04/11/28 22:43:36 ID:5xphknCn
遠藤周作はいい作家だよ。
彼を異端とけなすやつはイエスのことを何もわかっていない。
イエスはいいやつだから自分のことを信じないやつも救うに決まってる。
偶像崇拝なんてことはやつは絶対に言わない。
ちなみにキリスト教徒は釈尊の教えもちゃんと学んどけ。
キリスト教はそれなりに悪くない宗教だが釈迦の教えにはかなわないぜ。
224 :
名無しさん@3周年:04/11/30 23:16:01 ID:NZOzxK9C
狐狸庵先生は、今頃は天国で何をしているのでしょうかネ。
225 :
名無しさん@3周年:04/12/02 00:05:42 ID:Stbep9hd
天国はあるのでしょうか?
あの世はあるのでしょうか?
226 :
名無しさん@3周年:04/12/04 00:43:22 ID:i9aS6uYo
227 :
名無しさん@3周年:04/12/06 00:43:34 ID:oEj9RTXC
>>226 色即是空。
空即是色。
諸行は無常なり。
世の中のすべてのものは移り変わる。
欲がある限り生きることはすべて苦しみである。
だから自らの欲を知り、全てが刻一刻と変化してることを知り、
今この一瞬に悔いがないように良い行いをしろって言う教えだよ。
ちなみに天国も地獄もあの世も無い。
そんなの死ななきゃわからないからね。
わかりもしないことをさもわかるようにいう他の宗教の方が疑問。
228 :
名無しさん@3周年:04/12/06 00:48:20 ID:yRsnDN0m
>>224 狐狸庵先生、今、「世直し」の手伝いをしているそうだよ。
江原啓之氏の霊視によれば、だけど。
佐藤愛子氏の「冥土のお客」という本に書いてあったよん。
ジョンレノンイマジンよりもスッキリした感じですね。
聖書からのあるしゅの捏造しすぎで、イエスとの個人的な出会い無い
信者さんにはとても興味が持てそうですね。
>>227 確かに生きている人間には、その言葉以上のことは何も見つけることはできませんね。
釈迦は道徳を混ぜて目くらましをしないところが好きです。キリストも本当はその
つもりだったと聖書を読むと思うのですが、キリスト教徒は道徳と宗教を混同し、
自己満足しているように見えます。
遠藤先生はその点を誤魔化さなかったのが偉大だと思います。
231 :
名無しさん@3周年:04/12/06 22:12:47 ID:c4pe9oHH
放課後の教室ではじめて「沈黙」を読んだとき。
踏むがいい、とイエスが言ったとき、自然と涙が出てきました。
私は無神論者で、クリスマスには仏壇にケーキを供えてしまう人間だけれど、
こんなにも、こんなにも人を愛そうとした人がもし二千年も前にいたなら、
寂しい道も歩いていけるだろう、と思いました。
>>129 正直に言いますが、中年ではありません。
233 :
名無しさん@3周年:04/12/13 07:22:34 ID:/ualyTma
>>223 異端だとかなんとかではなくて
彼の書くキリスト教が
彼の属する「カトリック」とはかなりかけ離れていたのは事実。
教会の教えとかなりずれる事を表明しているのだから
本当の意味でのカトリックだとはいえないんではないかな?
彼自身の心の中でその擦り合わせをどうやっていたのか知りたいね。
上からの教えが正しいと丸呑み出来てこそ
初めて真っ当なカトリックであり得る訳だから。
(そして漏れはそんなカトリックが大嫌いだが)
だから非常に裏表のある人物のように思うんだよ。
彼がプロテスタントなら違和感はないんだけど。
234 :
名無しさん@3周年:04/12/13 07:36:25 ID:ZARM6Nd8
235 :
名無しさん@3周年:04/12/13 16:35:16 ID:NXllIFMr
>>231 わかりやすい感想がなみだを誘うがな・・・。お上手ですな。感心
236 :
名無しさん@3周年:04/12/13 16:50:36 ID:798vX2es
>>233>>上からの教えが正しいと丸呑み出来てこそ
初めて真っ当なカトリックであり得る訳だから。
スレの趣旨とは、ずれるけど、その通りだと思います。
この言葉を某天理教占い師に、耳の穴かっぽじって聞かせてやりたい。
某天理教占い師が、それこそ、
カトリックの上からの教えを正しいと丸飲みできたら、
そのときは、改革派スレを神様と他の住人に任せて、
わたしは2ちゃん引退してもええと思いますわ。(w
237 :
名無しさん@3周年:04/12/13 19:00:30 ID:evhcfOoO
>233
遠藤本人もカトから批判があるの自覚してたけど、
丸呑みねぇ・・・。
イエスはユダヤ教を丸呑みしなかったから、イエスなんだと
思うけどね。
丸呑み派って、福音派だけかと思ったら、カトも改革派もなんだねぇー
238 :
名無しさん@3周年:04/12/13 20:45:24 ID:798vX2es
>>237 わたしは、某天理教占い師のカトリックの求道姿勢を、批判しただけで、
(そもそも、本人にカトリックの求道、という意志があるのかどうか?
という問題がありますが。本人にその意志がなければ、それはそれでいいのですけどね。)
改革派は、教義丸飲みちゃいますよ。詳細は、このスレで話してもええんかな?
>>236-237 カトリックは教義丸のみに意義がある教派です
「全世界同じ教えを信じる=普遍的(カトリックの元の意味)」のが建前
何しろ「聖書を一人で読むのはお勧めしていません」と断言している
自分なりの解釈は御法度なのです。
細かい点までいちいちローマの教理庁(異端審問庁とも言う)からお達しが出る。
そう言う意味ではカトリックはイエス的ではないという事にもなるよね
教皇が変わるとがらっと教理も変わったりします。
今の強硬になってから思いっきり保守的になりました。
「聖書丸呑み」の人たちと同様困ったもんです
考える事を放棄したら人間終わりよねw
240 :
名無しさん@3周年:04/12/13 23:03:26 ID:QPYyfdFB
かつて狐狸庵先生が教えてくれました。
全ての物事は、相対的なものである。
そして、移り変わってゆく。
それ故に、絶対に正しい宗教・思想・価値観というのは無い。
物事を多面的・重層的に見る事が、とても重要なのだと。
カトリック教会に対しても、狐狸庵先生は相対化して対応して
いたのだと思います。聖書の歴史的・批判的研究も支持されて
いましたし、キリスト教以外の宗教にも理解がありました。
私は、狐狸庵先生の説くイエスが好きです。
そして、狐狸庵先生を尊敬しております。
>>240 >全ての物事は、相対的なものである。
>そして、移り変わってゆく。
>それ故に、絶対に正しい宗教・思想・価値観というのは無い。
これこそカトリックから最も遠い考え方ではないか。
遠藤がカトリックではなかった証拠のようなものだ。
惜しむらくは彼がそれを最後まではっきり表明する事なく帰天したことだ。
>>241 カトリックの実態はちがうでしょ。
プロテスタントに辟易してある意味の信仰の自由求めて
カトにやってきて、満足してる人は多い。
243 :
名無しさん@3周年:04/12/14 15:17:01 ID:erfjzD3m
建前はともかく、実際にはカトリック教会にも多様性が
あるのではないでしょうか。
神学的にも、ガチガチの守旧・保守派から、エキュメニカル運動
(世界教会一致運動)を進めている穏健進歩派、その他までいますから。
日本にも禅をやっている神父さんがいますし、井上洋治神父
などは公然と遠藤周作先生に同調し本も何冊も書いてる。
ただ、カトリックの出版社からは、公式にと遠藤周作先生を
支持した本は出てない。
244 :
名無しさん@3周年:04/12/14 15:37:14 ID:88Wk1EA3
>>240 神が人間に自由意志を与えてくださったのは、間違ってもいいから自分の頭で
納得が行くまで考えて見なさい、というメッセージが込められていると思います。
ところが、人間は試行錯誤して考える自由人よりも、毎日パンを投げ与えてくれる
気前のよい主人の奴隷であることを望む。
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中に大審問官の挿話が出てくる
のだけど、読めば読むほど大審問官がカトリックと重なって見えてしかたなかった。
狐狸庵先生自身も影響を受けられているんじゃないかな。詳しいことは知りません
が、当時の思想界に大きな影響を与えたことは間違いありません。
(以下の「悪魔の最初の試し」に一部引用されている)
ttp://www.kt.rim.or.jp/~igeta/igeta/dos/kara.html#09
>>243 終末論的でないイエス像を提唱したドミニク・クロッサンはカトリックの聖書学者だよね。
クロッサンについては賛否両論あるが、とにかく現在の史的イエス研究に一石を投じたことは確か。
クロッサンは司祭を辞めて修道女と結婚したらしいが、別に大学を追われたとは
聞いてない。カトリック系出版社から出させないなどの“制裁”はあったのかね?
246 :
名無しさん@3周年:04/12/14 17:07:04 ID:EjKxe/mO
リッチョッティの「キリスト伝」が一番いい。
247 :
名無しさん@3周年:04/12/23 19:14:14 ID:BKZtiUv5
248 :
名無しさん@3周年:04/12/25 01:21:13 ID:vhdlKSbu
今日はイエス様の誕生日、何をお祈りしますか?
ちなみに私はクリスチャンではないけれど、
どんな些細な事にも感動し幸せを感じることができますように…
その心を与えたまえ。
249 :
名無しさん@3周年:04/12/25 02:20:45 ID:Bt69vElF
「この世から、原理主義の宗教がなくなりますように・・・」
「この世から、宗教が全部なくなりますように・・・」
251 :
名無しさん@3周年:04/12/29 02:27:17 ID:IlmJtjrL
>>250 バッカじゃないの!
もっと現実味のある事を祈れよ!
来年もお年玉がたくさんもらえますように
253 :
名無しさん@3周年:05/01/20 09:04:48 ID:DoaTNpRy
age
254 :
ERBM:05/01/20 22:06:40 ID:y6cw4TIg
255 :
名無しさん@3周年:05/02/22 00:43:08 ID:G4TkKb53
もう一度、話し合おう!
256 :
名無しさん@3周年:05/02/22 03:34:22 ID:ydtoWmNf
私も幼児洗礼のカトリック信者ですが、
遠藤周作先生の書かれている本全てに渡り、矛盾や違和感を感じるところがないんですよね。
日本には遠藤周作先生以外に読むに値する作家はいないと思っていただけに、
このスレを見て、彼が他界したことをまた思い出して、目頭が熱くなりました。
257 :
名無しさん@3周年:05/02/22 03:59:51 ID:ydtoWmNf
「いつも自分が救われたような顔をして、人を裁くようなキリスト教信者というのは、
やはりキリスト教から遠いものだと私は思います。」
私のイエス -日本人のための聖書入門- 遠藤周作
258 :
名無しさん@3周年:05/02/22 04:08:26 ID:ydtoWmNf
「しかし、私は神の存在に疑問を抱いたからといって、それがキリスト者として間違
った態度だとは考えていません。信仰というものはそういうものであって、九九%の
疑いと一%の希望なのですから。」
私のイエス -日本人のための聖書入門- 遠藤周作
>>256 >遠藤周作先生の書かれている本全てに渡り、矛盾や違和感を感じるところがない
まともなカトリックの風上にもおけない。
260 :
名無しさん@3周年:05/02/22 05:34:29 ID:ajxD7uSG
>>256-258 うーん、あえて言えばある意味自分も259側になっちゃうかなあ。
遠藤周作は信仰そのものではなくて信仰の周辺を色々切り取って
描いているような感じが自分にはしたよなあ。彼の経験を語るよりも
信仰の可能性を語っていたような、言い換えれば哲学で信仰を捉える
ままに作品にしていたような・・・・・そんな感じに自分は思っていた。
>>257 知識や理屈が愛を伝える道具になっているわけでなく、知識や理屈で
愛を説明し説得する自称信仰者が蔓延している信仰共同体があったと
したら、それは教会の不幸かもしれない。
>>258 信仰とは、99%の信頼と1%の疑念なんじゃないか?
261 :
名無しさん@3周年:05/02/22 05:37:50 ID:ajxD7uSG
1%の疑念がない状態がもっとも大切で、それは愛と信仰と希望の
三つが一つに重なる時であって、真に愛がその芽を出す時なのかも。
262 :
名無しさん@3周年:05/02/22 07:07:22 ID:ajxD7uSG
愛する者の内に神は居られるのであって、カトリックの内に神が居られる
のではないのかもしれない。これは、カトリックと神を信じる者との間に
緊張を生じさせる考え方だから大きな声では言えないけれども。自分は、
カトリック信者が天国にいけるのだと考えるよりも、カトリック信者でも
天国にいける可能性があると考えたほうがよいと思っている。このように
考えるようになったのはいろいろな経験と気づきと検証によるのだけれど
それらをここですべて一挙に吐露することは出来ない。
263 :
名無しさん@3周年:05/02/22 07:15:38 ID:1b1h2ZxS
遠藤がえがいたのは人とともに苦しまれる神。
これは菩薩とかがでてくる仏教では「人とともに苦しまれることは
尊いこと」は当然とされているが、キリスト教教理派では異端らしいね。
教理派では、神は苦しまないとの教理を、大前提として
しまっている。
264 :
名無しさん@3周年:05/02/22 07:16:21 ID:ydtoWmNf
>>262 >愛する者の内に神は居られるのであって、カトリックの内に神が居られる
>のではないのかもしれない。
私もそう思います。
265 :
名無しさん@3周年:05/02/22 07:20:04 ID:ydtoWmNf
>>263 私は「人とともに苦しまれるイエス様」を「尊い」という感覚をもったこと
はありません。他のカトリック信者の方はどうなんでしょう。
266 :
名無しさん@3周年:05/02/22 08:41:18 ID:Cc+Nuyv9
263さん
その根拠を教えて。
カトリック教会の教え<カトリック中央協議会>にはでていませんよ。
>>262 そうですね。私はもう宣教の必要はないと思います。
イエスの愛と平和の価値観が浸透すればそれでいいんで、
洗礼とか教会とかはあんまり必要ない。
268 :
立て看板:05/02/24 00:27:57 ID:5Qfsksvi
坐禅と見性 第十四章
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1108144172/ 一粒の芥子、よく須弥山(しゅみせん)を隠す。
一掬(きく)の水の中に人魚たちが心ゆくまで踊る。
私は終日汝に相対していて、劫初以来会った事がない。
看よ、東山全嶺が水上を歩いている。
エックハルトの乞食の挨拶 「[朝な朝な好(よ)き朝です」。 雲門 「日々是好日」
扇を扇と呼ぶな、鋤(すき)を鋤と呼ぶな。
昨日は痛かったが、今日は痛くない。 さっきは泣きわめいたが、今は笑っている。
腹が減れば食い、疲れれば眠る。
雪がすべての山を白く覆うている時、なにゆえにあるひとつの山は覆われずにあるのか。
清浄の行者、涅槃に入らず、破戒の比丘、地獄に堕ちず。
我の知っている事を汝は知らず、汝の知っている事を我はことごとく知る。
大力の人がどうして彼の両脚を挙げることができないのか。
柱が毎日動き回っているのに、どうして私は動かないのか。
わたしは釈迦の出現以前からさとりの状態にある。 光あれと命ずる以前の神と共にあれ。
269 :
名無しさん@3周年:05/02/24 17:11:29 ID:pCy0oj29
>>268 申し訳ないが、正直、何も心に響かないのね。
270 :
名無しさん@3周年:05/02/24 17:14:26 ID:pCy0oj29
「信仰といいうのは、なにも、その人間の頭だけにくっついているものではなく、う
どんを食べたり、釘の出た靴を履いて、痛い、痛いと思いながら歩いたり、電車の中
にコウモリ傘を忘れたりする、ごくありふれた日常生活の一部と同じようなことであ
り、何か極彩色(ごくさいしき)の特別な衣装を着て歩き回るわけではないのです。」
私のイエス -日本人のための聖書入門- 遠藤周作
271 :
名無しさん@3周年:05/02/24 17:21:17 ID:pCy0oj29
「普通、信仰者というと、その日から疑いがすべて晴れ、安心した気持ちでいる、と
あなたは思うかもしれません。しかし、何度も言うように、そんなことはありえない
のです。みんなと同じ迷いをやり、みんなと同じ悩みをやっているわけです。」
私のイエス -日本人のための聖書入門- 遠藤周作
272 :
名無しさん@3周年:05/02/24 17:28:27 ID:pCy0oj29
>>259 遠藤周作先生は、カトリック信者側から書いています。
カトリック側からの原則とすることはカトリックの立場上できないのです。
現場と理想と言えばいいのでしょうか。
これを勘違いしてる方が、遠藤周作先生をカトリックの風上にもおけない
と批判されるようです。
274 :
名無しさん@3周年:05/02/24 21:52:28 ID:pCy0oj29
275 :
名無しさん@3周年:05/02/24 21:59:05 ID:pCy0oj29
「ただ、どこが違うかというと、迷いや悩みを持ったりしても、そういう迷いとか悲
しみとかを知ってくれる人がいるのだということ、そういう存在があるのだというこ
とです。そして、これが、私はキリスト教を信じてよかったな、という気持ちになる
大きな拠所(よりどころ)でもあるのです。」
私のイエス -日本人のための聖書入門- 遠藤周作
276 :
260:05/02/25 00:13:57 ID:9ZNh/Zbp
自分は、
>>260-262を書き込みした者です。
>>264 レスありがとう。
>>267 > そうですね。私はもう宣教の必要はないと思います。
>イエスの愛と平和の価値観が浸透すればそれでいいんで、
>洗礼とか教会とかはあんまり必要ない。
自分は、洗礼や教会を否定しません。イエスの愛と平和についてイエスの
言行をお手本にするならば、イエス・キリストは強いてヨハネから水の洗礼
を受けられましたし、復活した後の弟子の派遣に際しても洗礼に言及して
おられます。
●マタイ3章13-15節
『そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。
彼から洗礼を受けるためである。ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせよう
として言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、
わたしのところへ来られたのですか。」
しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことを
すべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの
言われるとおりにした。』
●マルコ16章15-16節
『それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに
福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は
滅びの宣告を受ける。』
俳優が役柄を演ずるために理解する愛と平和の価値観が必要とされているの
ではなく、真に愛と平和の価値観が社会に生きる人隅々にまで浸透することが
まずもって大切なことなのだと自分は思います。
277 :
名無しさん@3周年:05/02/25 00:33:26 ID:9ZNh/Zbp
>>270-272 >>274-275 カトリック信徒であっても、実際には信仰者ではない人がカトリック
内部には沢山いるのではないかと自分は考えます。遠藤周作さんの場合、
一般向けの小説やエッセイからは信仰者としての遠藤さんが自分には
見えません。神に身を預け、隣人に対しても神への信仰を告白し相手の
幸いを祈り求める、そういう神への信頼を偽りなく隣人に伝えたり公言
することが「信仰」なのじゃないでしょうか?カトリック信徒が
カトリックを99%疑いつつ1%の希望を持って受け入れるというのなら
わかりますが、神への信仰という次元で99%疑っていることで信仰が
成り立っていると豪語してしまえば、それは信仰の意味合いからして
少しおかしいのではないかと思います。
278 :
名無しさん@3周年:05/02/25 00:57:01 ID:nbPAQuyZ
>>277 >遠藤周作さんの場合、 一般向けの小説やエッセイからは信仰者としての遠藤さんが自分には
>見えません。
確かに見えにくいですね。敢えて露骨には書かなかった。
遠藤周作先生はシャイであり、また護教作家と呼ばれたくもなかったのでしょう。
でも、登場人物に対する暖かい眼差しを随所に感じるとることができますよ?
「口笛を吹く時」の平目への眼差し、「私が棄てた女」の森田ミツへの眼差し。
これは、とりもなおさず、先生の人を愛を持って見てる眼差しに他なりません。
それと、遠藤周作先生の神への信頼は100%です。信仰に関しては、
99%疑い信仰を固めてもいいではないか?という遠藤周作先生らしい頑固な説得法なのですよ。
279 :
名無しさん@3周年:05/02/25 01:11:44 ID:9ZNh/Zbp
とは言っても、信仰に対して斜に構えたり疑問を持ちつついる人に
ついてその気持ちが自分にわからないわけではありません。むしろ
ものすごくその主張というか叫びの感覚がよくわかるのです。
ですが、自分の経験から、ほとんどカトリック信者の信仰は愛に
基づいたものではないかもしれないと思います。それはなんかどこか
愛を源泉とした信仰とは別の、神を外側に置き去りにした信仰哲学の
現実への適用とでもいうような命の通った感じの薄いものなのです。
神に対して開かれた心から始まる感情の吐露として信仰を実践する
生き生きとした信仰者が少ないように感じます。神への信頼から始まる
人間関係として「いつもあなたが神に守られていますように」という
積極的に隣人を愛する信仰や表現を見聞きすることが少ないわけです。
つまり神に対して開かれた心から始まる信仰と愛の表現が、本来の
キリスト者らしさでありそうですが、実際はカトリック内部にそうした
生き生きとした信仰者の雰囲気があまり見当たらないのです。
280 :
278:05/02/25 01:15:10 ID:nbPAQuyZ
「全く希望がないより、1%の希望でもあれば、人間は神を信仰する価値はある。」
と言いたいのだろうなあ、と私は考えとります。
281 :
名無しさん@3周年:05/02/25 01:17:06 ID:nbPAQuyZ
>>279 いやーあなたが言わんとすること分かります。いろいろ考えてみます。
282 :
名無しさん@3周年:05/02/25 01:18:47 ID:9ZNh/Zbp
>>278 >それと、遠藤周作先生の神への信頼は100%です。信仰に関しては、
>99%疑い信仰を固めてもいいではないか?という遠藤周作先生らしい
>頑固な説得法なのですよ。
なるほど、そのように理解する読者がおられることで遠藤氏も喜んで
おられることでしょう。遠藤氏がどうあれ、あなたのそのお考えは信仰
と遠藤氏への愛情をこちらに感じされるものでした。どうもありがとう。
283 :
282 誤字失礼:05/02/25 01:21:44 ID:9ZNh/Zbp
L3×感じされる→感じさせる
284 :
名無しさん@3周年:05/02/25 01:25:09 ID:9ZNh/Zbp
285 :
名無しさん@3周年:05/02/25 01:35:58 ID:C5MxYAvB
遠藤周作は、事実上、信仰を失っていたのが現状だったでしょう。
彼は聖書に書かれている事も奇跡も使徒達によるでっち上げだと言ってるし、
イエスの死後、弟子達がイエスを神格化したのも、彼らがイエスを見捨てた
と言う呵責から神格化したに過ぎないと発言しています。
99%の疑いというのも、彼が信仰を失っていた大きな印でしょう。
以前、(それこそ40近く前ですが)彼の言葉が、カトリック新聞に載り、
大きな騒ぎとなり、ドン・ボスコ社から出ている「カトリック生活」と言う
雑誌上でも、彼の不信仰な発言について大きな議論の的となりました。
また彼の小説が以前、欧米で禁書扱いになっていたというのも、これまた事実です。
内容があまりにも異端的だったからです。
最も今のカトリックには、禁書目録がなくりましたがね。
彼の小説は、ある種の人々には、大きな慰めをもたらしますが、正統な教えからは、
かけ離れた存在で、多くの人々の信仰を迷わす存在です。
異端の教えに染まりたくない人は、遠藤氏の小説は避けるべきでしょうね。
確実に、救いの道を踏み外します。
286 :
名無しさん@3周年:05/02/25 09:52:46 ID:nbPAQuyZ
遠藤周作先生は、カトリック信者を見て書いてないんですよ。信者に対しては
あんたはもういい自分の道を行けなんです。先生が意識してた読者は、徹底して、
キチジロー的な未信者である典型的日本人だったと感じております。
これを勘違いすると、大きな誤解をしてしまいます。
自分が多少悪人になってまでも、つまりカトリックから煙たがられても
先生は日本人という不毛の川に、最初の一本の細いワイヤーを
渡そうとしたのだと私は考えとるのです。最後まで自分一人で
その壮大な計画を成就するために、彼は彼の神との間に
契約を結び、結局、種明かしや言い訳をすることもなく、お墓の中に一人持っていったと
信じております。これは、幼児洗礼である私がヒシヒシと感じるものですが、
一貫して先生の論には、未信者の典型的日本人がどのように感じるかを意識した
ガードがあるのです。「そうそう、そこで日本人は不気味がるし、そのように疑い、
そしてそう責めてくるはず。」というものに対して先生は見事にくぐり抜けて
見せてくれます。
ですから、当然、私も、森田ミツのような純粋な清き明き幼子のような心
を持った方や、信仰心に燃えるカトリック信者の方が、
遠藤周作先生の本を読むと訝しがることもあるだろうなあ、と想像がつきます。
もう一度私が指摘した視点で見つめ直して欲しく思います。
天国で微笑んでいる遠藤周作先生が思い浮かぶではありませんか。
287 :
名無しさん@3周年:05/02/25 10:22:14 ID:nbPAQuyZ
「キリスト教信者の特別な生き方なんてあるわけがないのです。キリスト教の信仰を
持ったからといって、人生に賭ける気概がなく、何の冒険もしないでよい、と思った
ら大間違いなのです。」
私のイエス -日本人のための聖書入門- 遠藤周作
288 :
名無しさん@3周年:05/02/25 10:28:20 ID:rMKRi4NK
そんなことよりも大学受験の偏差値表でもはっておけ
バーカ
290 :
名無しさん@3周年:05/02/26 07:06:11 ID:VbvX9V97
「彼の容貌を私たちは見たこともない。彼の声を私たちは聞いたこともない。」
イエスの生涯 遠藤周作
「イエスの生涯」の最初の一行です。
291 :
名無しさん@3周年:05/02/26 07:47:01 ID:VbvX9V97
「今から語るイエスはどんな顔をされていたのかも私たちは知らぬ。無数の宗教画に
想像で描かれたイエスの顔にはいつもある型(パターン)がある。肩までかかる長い
髪、ちぢれた髭、やや頬骨の出た痩せた輪郭。その型(パターン)にもとづいて長い
歳月の間、多くの芸術家たちは自分たちの哀しみや祈り、その時代の苦患(くげん)
や悲願をこめてイエスの顔を創りあげた。」
イエスの生涯 遠藤周作
292 :
名無しさん@3周年:05/02/26 07:49:24 ID:VbvX9V97
>>285 >遠藤周作は、事実上、信仰を失っていたのが現状だったでしょう。
しかし、厳しいですね。(笑)
293 :
名無しさん@3周年:05/02/26 08:22:02 ID:OJ/Xwq/t
遠藤周作って隠れリベラル派だったんじゃいかしら
彼は、自分の疑いや迷いを「日本人像」という形で
表現したが、リベラル派のいうようにイエス様の
再臨も信じてなかったのでは。だからカトリックの
属する自分との矛盾を吐露したのでは。
294 :
名無しさん@3周年:05/02/26 09:52:52 ID:VbvX9V97
>>293 >彼は、自分の疑いや迷いを「日本人像」という形で 表現した
日本人だったら、このように疑うし迷うだろう。そして、それは
自分の疑いや迷いでもあった、と。
295 :
名無しさん@3周年:05/02/26 10:07:29 ID:VbvX9V97
再臨について、他のカトリック信者の方はどうなんだろう。
私は、直接的に現われるというより、死んだ後に神に会えるという
くらいにしか考えてない、というのが正直なところです。
ほーら、カトリック信者(もしくはお前)はこれほどまでに不信心だと、
言われそうで恐いのですが。
296 :
名無しさん@3周年:05/02/28 01:49:12 ID:t7lgHOAJ
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/ と ノ ハァ
/ 人 Y ハァ
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297 :
名無しさん@3周年:05/02/28 02:11:49 ID:t7lgHOAJ
「イエスの生涯をつらぬく最も大きなテーマは、愛の神の存在をどのように証明し、
神の愛をどのように知らせるかにかかっていたのである。」
「現実に生きる人間の眼には最も信じがたい神の愛を証明するためにイエスがどのよ
うに苦闘されたかーーーそれがイエスの生涯をつらぬく縦糸なのである。」
イエスの生涯 第四章 ガリラヤの春
遠藤周作は、多元主義者であったと聞いたことがあります。
299 :
名無しさん@3周年:05/02/28 20:32:11 ID:95H4C8X8
293
それは違います、キリストの誕生を呼んでください。
むしろ同伴者のイエスとして、すでに再臨していると言う考え方ですよ。
300 :
293:05/02/28 21:15:16 ID:KhxFtHqv
>>299 読みましたよ。ただ再臨してることも九九%の
疑いを持つなら、彼の信仰とは何でしょうか。
彼は苦難に満ちた「同伴者のイエス」を創り出し
作品にしてますが、やはり転倒した信仰だと思いますね。
神が人を創ったのであって、人が「私のイエス」を
創ったのではないです。その基本が崩れている以上、
信仰の是非を論ずるのも虚しいです。
作家としては、評価してますが。
301 :
名無しさん@3周年:05/03/01 02:42:12 ID:13di9WD5
>>300 > 神が人を創ったのであって、人が「私のイエス」を創ったのではない
『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』と書いてある。
神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。(マタイ 22 32)
神が人を創った。これはそうです。
人が神を創った。そうではない、と言いたいところですが、聖書には上のように
書いてあります。
それは、人が神を捉えられないんです。同じ愛の神を見上げるものの、神はその人
の信仰や年齢や性別や住んでいる国や内的外的環境によって、違って見えるんです。
それをアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、遠藤周作の神、と言うんです。
そういう意味での「私のイエス」なんです。
しかし、遠藤周作先生に手厳しい方が多い。私はどの本を読んでも、これぞ
カトリック!と感動しておるのですが…。
遠藤氏の小説のどういう部分で、カトリックとそれ以外の違いが出てくるのかはわかりませんが、
これぞクリスチャン!と感動できるものであれば、もっとよいのだと思います。
303 :
名無しさん@3周年:05/03/01 02:58:53 ID:13di9WD5
「『神の愛』とか『愛の神』を口で語るのはやさしいのだ。苛酷な現実に生きる人間
は神の愛よりもはるかに神のつめたい沈黙しか感じぬ。苛酷な現実から愛の神を信じ
るよるは怒りの神、罰する神を考えるほうがたやすい。だから旧約のなかで時として
神の愛がかたられていても、人々の心には怖れの対象となる神のイメージが強かった
のだ。心貧しき人や泣く人に現実では何の報いがないように見える時、神の愛をどの
ようにしてつかめるというのか。イエスは勿論(もちろん)この矛盾に気づいておれ
れた」
イエスの生涯 第四章 ガリラヤの春
304 :
名無しさん@3周年:05/03/01 03:03:17 ID:13di9WD5
>>302 確かにこれぞクリスチャン!と感動できる部分は少ないというか、私も
パッとは思いつきません。ないかもしれませんね。^^;
やはり、日本人の読者をかなり意識していたのではないでしょうか。
バタ臭さを排除するというか…。
>>304 確かにそうですね。
彼の作品「沈黙」は19世紀後半の日本人にキリスト教を知るきっかけを与えたことは確かです。
身近でない分、客観的にキリスト教を眺めることができると思います。
三浦綾子の「氷点」も一緒に読めばすごくいいと思います。
日常から遠い話と近い話を同じようなテーマで触れることができます。
>>305 おいおい、I Love Jesus!と名乗る位なら、
異端の本を書く作家なんて褒め称えないでくれよ。
彼は、キリストの神性も奇跡も否定してるんだぞ。
本の中身も、今で言うニューエイジ的な価値観が一杯。
カトリックの敵と言っても過言ではない。
三浦綾子の「氷点」の方が遥かに素晴らしい、
全てのキリスト者は、むしろ読んだ方が良い。
実話だしね。
307 :
名無しさん@3周年:05/03/01 04:25:20 ID:13di9WD5
>>306 >彼は、キリストの神性も奇跡も否定してるんだぞ。
完全に否定はしてないんですよ。いや、否定はしていないんです。
これも、やはり、キチジロー的で警戒心の強い未信者の日本人を意識して
書いているのですよ。
「イエスに神性も奇跡も無かったでいいではないか。それでも信仰に値する!」
否定ではなく譲歩した説得法なんです。
「徹底的に疑って、ここまで譲歩しても、私はイエスを信じれるんだがな。」と。
周作先生はカトリック側からの批判を覚悟で、自己犠牲の精神で書いておるのです。
「カトリックからは理解されなくても神は俺のことを理解してくれるさ。ニヤリ」
遠藤周作先生のあのイタズラ小僧っぽい笑みを浮かべた瞳を思い浮かべ
ると、じ〜ん、とするではありませんか。
>>307 >「徹底的に疑って、ここまで譲歩しても、私はイエスを信じれるんだがな。」と。
犬よ、それは違うのだ。遠藤は晩年に多元主義に救いを見出した。
たまたま自分はカトリックに生まれただけであるとよく彼は言った。
たまたま生まれたお国や家の宗教がそのものの宗教になる。
それだけのことであり宗教なんぞくそくらえになったのだ。
それでよいのだ。イエスを否定しても神を否定することにはならない。
神はすべての創造主。すべての宗教の創造主である。
イエスはメッセンジャーに過ぎない。それでも神は信仰できるのだ。犬よ。
309 :
名無しさん@3周年:05/03/01 04:53:09 ID:13di9WD5
>>308 >遠藤は晩年に多元主義に救いを見出した。
そのように見えるだけで、他宗教を尊重したにすぎないのですよ。
彼は筋金入りのカトリックです。
>たまたま自分はカトリックに生まれただけであるとよく彼は言った。
これは先生流の照れです。私も真似て人にそう言うと思います。
しかし、心裡は違うんですよね。
「俺は本当に運が良かった。まあ、そうでない場合もカトリックを
選んだがな。ニヤリ」これです。
「『神の愛』を証するためには彼等をあの孤独と諦めの世界からつれ出さねばならぬ。
イエスは、人間にとって一番辛いものは貧しさや病気ではなく、それら貧しさや病気
が生む孤独と絶望のほうだと知っておられたのである。」
イエスの生涯 第七章 無力なるイエス
>>307 では、また明日、同じ時間に来て下さい。
遠藤氏の数々の証言をここに載せましょう。
では、良い1日を。
312 :
名無しさん@3周年:05/03/01 08:41:45 ID:VOow/ggQ
307は、なかなかの読みですね。
奇跡は、否定はしていないのは確かでも、表面上の奇跡よりも
モット大事なものがある。奇跡に注目するあまり、それを、見失ってもいけない
と言う事です。
彼の著書では、Xとか、たまねぎとか読んでいるものですよ。
313 :
名無しさん@3周年:05/03/01 10:48:06 ID:+s50y8me
>>307 >イエスに神性も奇跡も無かったでいいではないか。
イエスが神でないのなら、贖いも成立しないし、我々の救いも成立しない。
洗礼を受ける事も教会に行く事すら無意味になる。つまりそれはキリスト教の
崩壊すら意味する。
彼が言うように、イエスを神格化したのは弟子達であり、奇跡も全てでっち上げの
作り話にしか過ぎないと言ういかにも、教会内の進歩主義者が喜びそうな話である。
彼らは、イエスの神性も教会の神聖さも全て取り除きたいのである。
314 :
名無しさん@3周年:05/03/01 12:02:18 ID:Kl74HWZR
キリスト教は、仏教のように
「まぁ、ここは方便なんだけどね♪」と
言わないのがいかにも大人げない。
315 :
名無しさん@3周年:05/03/01 12:24:05 ID:sN1AV467
>「俺は本当に運が良かった。まあ、そうでない場合もカトリックを
>選んだがな。ニヤリ」これです。
遠藤らしい皮肉と嫌味に満ちた感じですね。彼は、どうみても
信仰とは離れてることを公言しながら、まだ神にすがる姿って
自分に酔ってる感じもしますね。ホモの三島ならともかく、
クリスチャンとして汚らわしい限りです。
クリスチャンって狭いね
317 :
名無しさん@3周年:05/03/02 01:16:54 ID:ezOj2c8Z
あまりにも批判が厳しく多いので、私も少し不安になり、
慌てて、遠藤周作先生と佐藤泰正さんの対談形式で綴られている「人生の同伴者」
を半分ほどと、「死海のほとり」の1エルサレムを2回読んでみました。
やはり、先生は先生でした。
318 :
名無しさん@3周年:05/03/02 01:36:33 ID:ezOj2c8Z
佐藤
「ーーーーーーーいままでのいわゆる教団的、教義的ななキリスト教とかイエス像
とかいうものに対して、たえず挑戦し、作家の誠実をかけてそこを問いつめていく、
そういうお仕事だとおもっています。いままでの既成のものを揺さぶっていかれる
というか、そういう遠藤さんのお仕事ということの意味がわかる人はわかっている
と思うんですが。」
319 :
名無しさん@3周年:05/03/02 01:40:34 ID:ezOj2c8Z
断片的になりますが…
遠藤
「読者にはおそらく歯痒い(はがゆい)というお気持ちがあるんでしょうが、もし
あれを露骨に書いたらどうだろう。日本の読者は逆に寄りつかないと思いますね。
キリスト教のことを敬遠するのが日本の文壇ですから。」
320 :
名無しさん@3周年:05/03/02 08:40:57 ID:5GXkBVTy
316 さん、それは偏見です。
まあプロテスタントか原理主義者でしょう。
遠藤を支持するカトリック信者は、かなり多いです。
私もその一人ですよ。
イスラムでもキリスト教でも、原理主義者は危ないのです。
神からいちばん遠い存在です。
321 :
名無しさん@3周年:05/03/02 09:27:18 ID:MpwFCoAY
(カトリシスムにおいて)人間は人間にしかなりえなぬ孤独な存在条件を課せられております。
したがって、神でもない、天使でもない彼は、その意味で神や天使に対立しているわけです。
たえず神を選ぶか、拒絶するかの自由があるわけです。つまり神との闘いなしに神の御手に還
る(かえる)という事は、カトリシスムではありません。ここにカトリック者にたいする大き
な誤解の一つ「君は信仰をもち救われたから、もはやくるしみがない」は粉砕されるわけです。
カトリック者はたえず、闘わなければならない、自己にたいして、罪にたいして、彼を死にみ
ちびく悪魔にたいして、そして神に対して。
それ故(ゆえ)、カトリック者の本来の姿勢は、東洋的な神々の世界のもつ、あの優しい受
身の世界ではなく、戦闘的な、能動的なものです。彼が闘い終って、その霊魂をかえす時にも、
神の審判が待っています。永遠の生命か、永遠の地獄かという、審判が待っています。」
遠藤周作 「神々と神と」
322 :
名無しさん@3周年:05/03/02 09:52:02 ID:MpwFCoAY
>>321を知らない人が、古い映画だけど
ロバート・デ・ニーロの「ミッション」なんかを観ると、
滝から人が落ちるところが凄かったという感想しか出ないことになるんだ。。。
異端者と言ってもおかしくない遠藤周作氏の言葉
一作家としてではなく、彼個人の信仰告白と言っても良い。
キリストは、奇跡をしたと言われてるが、
実際は、「無力」で何の奇跡もしなかったのである。
キリストは死後、弟子達によって神格化されたが、
どうしてそうなったかも私は分からない。
彼らはキリストを裏切ったが、のちにこれを後悔して
キリストを捨てた辛さと悲しみの余りに、
キリストを神として、初めて認めるようになった。
こうして少しづつイエスは、キリスト、すなわちメシア、
救い主となってきたのである。
324 :
名無しさん@3周年:05/03/02 11:06:26 ID:MpwFCoAY
現世御利益ととられかねない奇蹟が無かったとしても、
イエスを神の子として信仰できる信者。
実は、これが一番しぶといキリスト教信者なのではないかと
思うんですよね。
もっと大切なものに気づいている信者と言えばよいのか…。
>>321 遠藤氏はカトリシズムをよく理解しているではないか。
カトリック者は最後の一瞬まで悪魔と戦い続けるのです。
そして審判を待つ。この峻厳さがカトリック本来のものです。
遠藤先生はカトリックの本道をしっかり押さえておられると思う。
カトリックに、なまぬるさ、なまやさしさは似合わない。
326 :
名無しさん@3周年:05/03/02 13:49:15 ID:5GXkBVTy
321 さん。それは古い文献ですよ。
晩年にはあまり神の裁きは強調していないでしょう。
また仲の良かったシスター鈴木の本でも、神の裁きよりかなり神の愛を優先しています。
カラがたどり着いたもので評価しないと。
うんと毒薬、沈黙時代と、後半ではかなり考え方が進化しています。
>>326 そいえばそうですね「神々と神と」はデビュー評論ではないですか。
晩年はニューエイジやユングに凝っていましたしね
聖書の中のイエスと
遠藤が作り上げた小説の中の模造イエスは、
あまりにも差があるし、まったくの別人。
中学の時、「沈黙」を読んだだけなのでよくわかりませんが、
遠藤周作の小説は気をつけて読む必要があるということはわかります。
想像が結構入っている気がします。
330 :
うさぎ888σ(・ω・*) ◆l8/Ncjcsrg :05/03/03 02:06:20 ID:S/lgPhMS
キリスト教が自分に合わないと言って、
自分に合うよう作り替えた人だからねえ。
332 :
名無しさん@3周年:05/03/03 07:11:26 ID:pZ40QACo
遠藤先生の本の中には、
腋臭(わきが)という言葉がよく出てくる。
あれは西欧のキリスト教の臭いを象徴してるね。
333 :
名無しさん@3周年:05/03/03 07:26:18 ID:pZ40QACo
だから、日本人がついていけそうにない
キリスト教が描かれる場面では
腋臭が立ちこめていることが多い。
334 :
名無しさん@3周年:05/03/03 08:56:24 ID:iTB2tEUf
イエスの捏造は嘘意見、不適切。
日本人の目でイエスをアプローチすると、そんな見方そんなイエス観があるのかな?
と西洋も認めだしたんですよ。
だから遠藤は訪欧とも面会できたんですよ。
教会の体質が変わってきたと言う事です。喜ばしい変化ですね。
1960年代は沿道が神父に呼ばれ、説教されていたんですよ。
その時、井上洋治神父は何も背なんだとエッセイに、笑い話
を書いていますよ。
カトリックかどうか知らないが,ピオ○○会なんて阿呆もいるので、、原理主義者には、
気をつけることですね。不幸になりますよ。
335 :
名無しさん@3周年:05/03/03 08:57:13 ID:iTB2tEUf
イエスの捏造は嘘意見、不適切。
日本人の目でイエスをアプローチすると、そんな見方そんなイエス観があるのかな?
と西洋も認めだしたんですよ。
だから遠藤は訪欧とも面会できたんですよ。
教会の体質が変わってきたと言う事です。喜ばしい変化ですね。
1960年代は沿道が神父に呼ばれ、説教されていたんですよ。
その時、井上洋治神父は何も背なんだとエッセイに、笑い話
を書いていますよ。
カトリックかどうか知らないが,ピオ○○会なんて阿呆もいるので、、原理主義者には、
気をつけることですね。不幸になりますよ。
336 :
名無しさん@3周年:05/03/03 08:58:24 ID:iTB2tEUf
すみません、2重投稿してしまいました。
お恥ずかしや。。
337 :
名無しさん@3周年:05/03/03 09:01:37 ID:eTwpwt+O
338 :
名無しさん@3周年:05/03/03 09:16:50 ID:pZ40QACo
>>335 井上洋治神父様は遠藤先生と
いっしょにフランスに留学された神父様ですね。
神父様の本の中には難解で頭が痛くなるものがありました。
人間が神を認識できないのを
眼球に例えて説明されていたのが印象に
残っております。
339 :
名無しさん@3周年:05/03/03 09:44:41 ID:nkVK9VUy
>>334-335 おそらくこの方は、新約聖書を読んだ事がないと思われる。
遠藤氏は、新約聖書の中のイエスを大きくねじ曲げ、
”彼独自のイエス”を作り上げている。
それは、真のイエスとはまったく違うし、神でも、救い主でもない。
悪魔がイエスの姿に化けて、信者を誘惑し堕落させているかのよう。
まさに偽造されたイエス。印刷のプロが本物ソックリに偽札を作っても、
やはり本物とは違うように、遠藤氏のイエスは名はイエスだが中身はまるで違う。
この遠藤氏の似非イエスは、”遠藤教”と言う一種の新興宗教でないのか?
これはキリスト教でもないし、この新興宗教を信じてもそこには救いはない。
340 :
名無しさん@3周年:05/03/03 10:04:51 ID:pZ40QACo
「長旅のせいかイエスはくたびれて見え、頬もこけ、眼も落ちくぼんでいたが、
周りに集まってきた老人や子供たちを眺める時、そのくぼんだ眼に言いようの
ない優しい光が宿った。」(死海のほとり)
341 :
名無しさん@3周年:05/03/03 10:08:36 ID:pZ40QACo
>>339 遠藤先生はカトリックに焼きを入れたのです。
342 :
名無しさん@3周年:05/03/03 10:18:20 ID:pZ40QACo
そしてカトリックはそれも
呑み込んでしまうでしょう。
343 :
名無しさん@3周年:05/03/03 10:59:51 ID:gvC+u3rd
遠藤はマザコンだから聖母マリアを慕うなどと公言している。
やはり信仰を変えたと思われても仕方がないのでは?
344 :
名無しさん@3周年:05/03/03 11:13:56 ID:pZ40QACo
夏目漱石の母への想い。うしろめたさがない。
遠藤先生の母への想い。うしろめたさがある。
というか異端的で某教区では禁書扱い?だった遠藤を
カトリックは次第に利用しつつあるな。
時代に左右されない聖書が一番だと思います。
347 :
名無しさん@3周年:05/03/03 17:38:47 ID:E39CUhAI
時代に翻弄される聖書は最低だ
翻弄されているのは人だと思う。聖書の内容はこれまで変わっていない。
>>345 カトリックで洗礼を受けたというだけで、
中身はカトリックじゃない人がいっぱいいるからね。
司祭にも、信徒にも。
350 :
名無しさん@3周年:05/03/03 17:44:22 ID:E39CUhAI
聖書の解釈がばらばらなのに神はどう思っているのだ、まったく
>>350 聖書の解釈がばらばらなのはプロテスタントだけ。
ただ最近は、カトリック内では進歩派の神学者や神父、
司教が好き放題の解釈で引っかき回してるけどね。
352 :
名無しさん@3周年:05/03/04 02:14:54 ID:qwN92Nq7
>>345 遠藤周作先生は、洋服を和服に仕立て直したと言われますが、
私は、むしろ先生の方がカトリック(「普遍的な」)ではないかなと
考えております。ぎりぎりの信仰だけど非常に堅い。
>>349 人が人を責めれないです。堕落したように見える神父様であろうが、
信徒が不倫しようが、姦淫しようが。
こればっかりは、人が判断できるものではないから。
やっぱり、それでもカトリック信者なんですよ。
>>352 確かに堕落とか不品行ってのは、まだカトリックのうちだ。
だけど、カトリックの教えに反することを広めるのは、
自分の霊魂だけでなく、他人の霊魂をも危険にさらすことだから、
カトリックとして絶対やってはいけないことだよ。
354 :
名無しさん@3周年:05/03/04 03:21:49 ID:Nz9nb+S7
遠藤周作先生は、筋金入りのリベラル派だと思いますよ。
そして、最も嫌っていたのは、護教的で排他的な宗教原理主義者です。
晩年は、プロテスタントのリベラル派神学者、ジョン・ヒック先生の提唱する
宗教多元主義の概念に深く傾倒されてましたね。
その成果が、晩年の傑作「深い河」に表われています。
「深い河」を読めば、遠藤周作先生がキリスト教の絶対性に、こだわっていない
事がよくわかるでしょう。
弱くて無力だが、真実の愛を教えた、教師(預言者)イエスで良いではないですか。
私は、そんな狐狸庵先生が好きです。
355 :
名無しさん@3周年:05/03/04 03:26:37 ID:qwN92Nq7
>>353 その通りです。小さな者を躓かせる者は…ですからね。
ここで遠藤氏を批判している方々よ、そこまで言うからには
あなたがたは主の道を右にも左にも一歩もそれていないのだろうな?
そして「疑いなく自分は正しい信仰を保っている」と誇れるのだな?
さらに言えば、自分の教派の教えに忠実であることを誇ることは
尊き我らが主イエスの御心に違わず適っているのだな?
主は語られた。
「実に、あなたたちファリサイ派の人々は、杯や皿の外側はきれいにするが、
自分の内側は強欲と悪意に満ちている。」
自分たちの物言いがどのようであるか、省みる頭のある者は省みなさい。
またこうも語られた。
「人を裁くな。……人を罪人だと決めるな。」
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」
あなたがたは、信仰の問題で人を裁くことができるほど、
すすんで他人に石を投げることができるほど、罪と無縁の義人なのか。
何が霊魂を危険にさらすことなのか、見分けるほどの権能があるのか。
「あなたがたは、何が正しいかを、どうして自分で判断しないのか。」
兄弟たちよ。ここまで言えばもう十分であろう。
律法学者やファリサイ派の人々であることをやめ、よき隣人になりなさい。
>>ここで遠藤氏を批判している方々よ、そこまで言うからには
>>あなたがたは主の道を右にも左にも一歩もそれていないのだろうな?
>>そして「疑いなく自分は正しい信仰を保っている」と誇れるのだな?
>>さらに言えば、自分の教派の教えに忠実であることを誇ることは
>>尊き我らが主イエスの御心に違わず適っているのだな?
たたみかけるように書いてるつもりだろうけど、
順番がめちゃくちゃだよ。
>>356 >あなたがたは主の道を右にも左にも一歩もそれていないのだろうな?
遠藤先生は、左にそれすぎて、真ん中にすら戻れなくなってしまいました。
偽りのイエスや偽りのキリスト教を広めてはいけません。
盲が盲を導けば、どうなりますか?
>何が霊魂を危険にさらすことなのか、見分けるほどの権能があるのか。
聖書のイエスと遠藤氏が作成したイエスでは、あまりにも対照的で、
酷すぎます。イエスの教えをねじ曲げないで欲しい。
多くの人が、惑わされてしまうから。
裁いてはならないが、互いに愛を持って戒め合う必要はあります。
360 :
由良信隆:05/03/04 13:00:42 ID:q3qOVrW6
361 :
名無しさん@3周年:05/03/04 13:33:11 ID:qwN92Nq7
>>356 カトリックの方ですね。私も遠藤先生が大好きなんですよ。
>>358 遠藤先生は盲ではなく逆によく見えすぎていたと思います。
カトリック信者を少し長くやれば、
遠藤先生と同じ迷いや悩みが必ずでてくるんです。
362 :
名無しさん@3周年:05/03/04 13:55:59 ID:BOuZRAUl
自分で判断していいのか。
聖霊の導きのよって聖書を読んで、
自分で判断する、ということでOKですね。
>>361 どんな迷いや悩みですか。
>>362 そう思います。
聖霊様の導きによらなければ、正しい理解はおろか、つまづき折れてしまう。
364 :
名無しさん@3周年:05/03/04 14:15:20 ID:ucGJZPGr
私もカトリックですので、逆に遠藤周作の書いてる文章は
理解できません。勘違いされてる方も多いですが、
遠藤周作を裁いてるのではないです。遠藤周作の文章が
カトリック信者と公言して書く文章に値するか否かです。
これに否を唱えることは、決して「人を裁く」ことではなく
自らの信仰を保つ上で当然なんです。
良書は悪書を駆逐します。
354さんに同意です。
わたしも深い河を読んで、イエスの深い愛がわかり、涙が止まりませんでした。
しかし、その先生が否定されるカトの常識って何だろう。
恐ろしくなりました。
>>364 <遠藤周作>という<人間>ではなく、<彼の小説>を問題にしているってことですね?
>>367 人格ってことです・・・。
小説は彼の思想の現われ、ときに思想そのもの。
369 :
名無しさん@3周年:05/03/04 14:36:59 ID:qwN92Nq7
>>364 カトリック信者になられてどのくらいですか?
>>368 人格そのものは、人によって好き嫌いはあるから分からないけれど、
彼が小説以外の場でもキリストの神性などを否定してるわけだから問題はあるでしょう。
少なからず影響はあるよ。
彼は有名人だし、カトリック信者と公言してるわけだしね。
>>369 364じゃないけど、あなたは何年?
372 :
名無しさん@3周年:05/03/04 15:03:32 ID:/PHmz1ZX
カトリックでないと言って人を排除してきた歴史がカトにはあるんですよ。
それに反省を込めて、神、キリストを見直し他のが、遠藤です。
それは法王庁も、すでに認めています。
深い川を読んで教会に来た人を失望させない事です。
カトリックのせくと主義にはうんざりですよ。
、私たちの教会には昔偉いブラザーがいたので、自分の考えでカト
を理解する訓練をつけてくれました。
外人の多い教会ではどうしても、遠藤に反発するのでしょう。
愚かな人たちがk戸にも多くいます。
373 :
名無しさん@3周年:05/03/04 15:06:16 ID:qwN92Nq7
私は生まれた時から数十年カトやってますが
遠藤先生の書いてあることが骨の髄まで染み入るほど理解できるんですよ。
当然、信者としての期間の長短が信者の優劣を決めるなどとは全く考えていませんが、
そうではなく、日常生活を通して信仰を考えていくうちに
遠藤先生の書いてあることに必ずぶつかると思いますね。
>>372 カトリックでないと言って人を排除してきたカトリックの歴史がある。
それはわかるけど、
反省を込めて、神、キリストを見直すのはお門違いです。
反省して見直すなら、それは法王庁だろう。
神、キリスト、聖霊に間違いはありません。
>>371 TVの対談番組でも否定してますよ。
>>372 >愚かな人たちがk戸にも多くいます。
あなたの方が愚かに見えますよ。
ようは、人間が作り上げた偽りのキリストを信じるか、
聖書のキリストを信じるかでしょ?
遠藤のキリストと聖書のキリストは別物。まるで違う。
フィクションの遠藤作のキリストを信じた所で何の益があるのかな?
それよりも聖書に書かれている真の神、救い主、贖い主である
イエス・キリストを信じましょうよ。
小説の中の作られたキリストを信じた所で救いはないのですからね。
376 :
名無しさん@3周年:05/03/04 15:18:10 ID:qwN92Nq7
>>374 遠藤先生は神学者ではなく作家なんです。
遠藤先生がイエスに神性と奇跡を信じていたかどうかの
本当のところは分りません。先生はお墓の中に持っていきました。
神性や奇跡を信じるかどうかは、信者である我々個々人の問題なんですよ。
377 :
名無しさん@3周年:05/03/04 15:22:41 ID:qwN92Nq7
うさぎ888σ(・ω・*) さんお勧めの「母なるもの」の中にも
先生は、「私にも決して今まで口に出さず、死ぬまで誰にも言わぬであろう一つの秘密がある」
と書いています。私は先生が誠のカトリック信者だったと考えているのです。
>>376 遠藤周作はクリスチャンじゃなかったかもしれないということ?
380 :
名無しさん@3周年:05/03/04 15:27:19 ID:qwN92Nq7
>>378 いいえ、遠藤先生はカトリック信者の中のカトリック信者です。
先生は持ち前の頑固さと恥ずかしがり屋と茶目っ気が混ざり合って、
イエスの神性と奇跡を信じてるとは絶対に言わないことにしてた、と私は
考えているのです。
>>376 >遠藤先生は神学者ではなく作家なんです。
それがどうしたのですか?
彼は有名人です。世間に多大な影響を与えてますよ。
彼の中で信仰についてどう思うと、それは彼個人の問題でしょう。
誰も何も言いませんよ。
しかしですね、小説や他の媒体を通じて、彼は異端的な事を
言ったり書いたりしている。
そしてそれは一般の人々に影響を与えています。悪い意味でね。
>遠藤先生がイエスに神性と奇跡を信じていたかどうかの
>本当のところは分りません。
ですから、彼は否定していますよ。
キリストは、無力で何も出来ない男だったが死後、弟子達によって、
どういう訳だか分からないが神格化されたのだと。
彼の発言や小説で、躓いた信者は多いですよ。
未信者の方やカトリック信者でもその教えが気に入らない人々は、
遠藤が発明した似非キリストに感動したとか、涙したとか、
言ってますけどね、信仰を捨てた信者も周りにはいるんです。
382 :
名無しさん@3周年:05/03/04 15:38:16 ID:/fkf7Oou
深い河か、、、なかなかいい雰囲気を出している。
でも、イエスのように十字架を背負うことを
実践して、神学をやめた青年はみじめすぎないかな。
やはり、キリストには勝利者というイメージ
もないと、みじめすぎるし、希望にもならない。
>彼の発言や小説で、躓いた信者は多いですよ。
>信仰を捨てた信者も周りにはいるんです。
本当の信仰に到達してなかったのでしょう。逃げ出した弟子と同じです。
>イエスの神性と奇跡を信じてるとは絶対に言わないことにしてた、と私は
>考えているのです。
キリストの神性を信じていないなら、キリストを救世主とは信じていない。
つまり、クリスチャンではないということになるけど・・・。
イエスがただの無力な人ならどうして人が救われよう。
信仰を告白することは重要です。「信」=人に言う。
あなたが考えていることが必ずしも遠藤周作の考えとは一致しないよ。
>>383 そのときは、信仰を持つまでの段階だったかもしれない。
求道者の段階だったかもしれない。
その人たちの救いの可能性を砕くことは、主の望まれることでしょうか?
386 :
名無しさん@3周年:05/03/04 15:59:31 ID:qwN92Nq7
>>384 あなたはいつから信者をされていますか?
後から信者になられた方は自信を持って信者をやってます。
しかし先生や私のように小さい時からこの日本で信者をやってると
「かくれ」としての要素があるんです。
私が先に引用した文の前の部分です。
「切支丹時代を派池にしたある小説を書いてから、私はこの転び者の子孫に
次第に心惹かれはじめた。世間には嘘をつき、本心は誰にも決して見せぬという
二重の生き方を、一生の間、送らねばならなかったかくれの中に、私は時として、
自分の姿をそのまま感じることがある」
387 :
386:05/03/04 16:01:11 ID:qwN92Nq7
×派池
○背景
<(_ _)>
388 :
名無しさん@3周年:05/03/04 16:07:02 ID:qwN92Nq7
386の続きです。
それは、キリスト教を土壌とした国では味わうことのないストレスですよ。
390 :
名無しさん@3周年:05/03/04 16:16:23 ID:/fkf7Oou
>>389 日本では踏み絵以降、長い間、キリシタンは少なくとも見かけ上は敗北者であった。
391 :
名無しさん@3周年:05/03/04 16:23:11 ID:ucGJZPGr
>>373 >そうではなく、日常生活を通して信仰を考えていくうちに
>遠藤先生の書いてあることに必ずぶつかると思いますね。
だからといって、信仰を捨てるのとは問題は違う。
遠藤が抱える問題を受難として乗り越えるときに信仰が
深まるのであって、それはゆるぎないものだ。
もはやキリストは、無力で何も出来ない男だったなんて
書くほど、信仰を捨てた証を見た時、カトリック作家と崇める
信者の気持ちが理解できない。
>>390 そうですね。それで、私が25歳になるくらいまで
どのような感覚だったかというと
異文化の中国人の中で一人日本人として暮らしていく感覚でしたよ。
内面がキリスト者は全然違うんです。
そんな中で私が遠藤先生の本をどのように受け取ったか
想像できますよね。
>>391 あなたはカトリック信者の方ですか?
もしそうであればいつ頃洗礼を受けたか教えてください。
394 :
名無しさん@3周年:05/03/04 16:45:32 ID:ucGJZPGr
>>393 私の洗礼時期がいつかは個人的なことです。この場で語るべき
ことではないです。 しかし貴方は自分の弱さを「先生の書物」で
代弁してるだけだと思います。それは遠藤が「日本人像」という
フィルターで代弁したように。しかしいかなる環境におかれても
ゆるぎない信仰こそがクリスチャンの証だと考えます。
その意味で遠藤の本は「反面教師」には適すると思います。
もし個人的な質問なら、メール等にしてください。
395 :
名無しさん@3周年:05/03/04 16:47:07 ID:qwN92Nq7
396 :
名無しさん@3周年:05/03/04 17:14:33 ID:ucGJZPGr
ー私にとって神とはー
「女房と二人で告解に行くときは、この間なぐったことはいうたら
いかんぞ、神様にも言っていいことといかんことがあるからなと
釘をさして出かけることがありました。」
>>395 信仰に強弱を持つ考えは、あまりよく分かりませんが、
人間の弱さがあることは事実だと思います。しかし遠藤の本の
「イエス」はやはり遠藤の「イエス」でしか思えません。
397 :
名無しさん@3周年:05/03/04 17:21:05 ID:qwN92Nq7
>>396 その部分は、全くもって遠藤先生のユーモア。
カトリックの信者が長い人にはツーカーで分る部分です。
398 :
名無しさん@3周年:05/03/04 17:28:49 ID:ucGJZPGr
確かに イエスは復活もしてない無力で何も出来ない男と
ユーモアで語ってるのでしょうか?平気で信仰を捨てたふりを
して、実はは「芯が強い信仰」を持ってると強弁するのですね。
それこそ、私からすれば「ジョーク」にすぎないですね。
また一般のカトリックの信者は、異常な価値観としか
思えません。
399 :
名無しさん@3周年:05/03/04 17:33:35 ID:qwN92Nq7
>>398 やはり、あなたはプロテスタントの方ですね。
そして志を高くもって自らキリスト教を選んだ・・。
400 :
名無しさん@3周年:05/03/04 17:38:30 ID:ucGJZPGr
>>399 貴方が多重人格的要素を「先生の本」で正当化するのは
結構ですが、普通のカトリックの信者にまで伝播するような
言い方はやめてください。
一般のカトリックの信者は、告解に行くときは神に偽りなく
語り、罪を赦しを乞うのです。まー異常な価値観の人は
告解でユーモアーを語るかもしれませんが。。。
>>396 まあね。。告解は神さんでなく 神父に弱み握られるだけ・・・
神さんは すべてお見通しなんで 語らんでもええのよねん。。
402 :
名無しさん@3周年:05/03/04 17:42:50 ID:qwN92Nq7
>>400 信仰の理解に柔軟性が欠けていると思いますよ。
人は告解で自らの罪を全て神父様に語ることはできません。
自分で一番罪が重いだろうと思うことから順番に語るでしょうね。
403 :
名無しさん@3周年:05/03/04 17:44:25 ID:qwN92Nq7
>>401 そうです。それが先生のユーモアの前提ですから。
周作ちゃんのユーモアは 信仰の本質を旨く表現してはるね。。
405 :
名無しさん@3周年:05/03/04 17:55:54 ID:ucGJZPGr
>>402 告解は神父に語るんじゃないんですよ?神に語るんですよ。
また遠藤のように「神様にも言っていいことといかんことがあるから」
という態度をユーモアと考える神経は理解できないですね。
じゃー告解をしなければいいじゃんって結語になるだけです。
406 :
名無しさん@3周年:05/03/04 18:00:21 ID:qwN92Nq7
だらしなく見えてて、実は、逆さ十字架に架けられても棄教しない
本当にしぶとい信者であるということ。
先生の強い信仰がわかる人にはわかるんです。
407 :
名無しさん@3周年:05/03/04 18:02:48 ID:qwN92Nq7
>>405 必ずその神経がわかるようになりますよ。
>>405 んだんだ。周作ちゃんのユーモアの真髄を理解するためにもカトに改宗しなはぃ・・
409 :
名無しさん@3周年:05/03/04 18:13:28 ID:ucGJZPGr
>>407 私は遠藤は人間的作家的には好きです。しかし
自称カトリック作家として見るとき、疑問に思うだけです。
日曜のミサにいつも二日酔いで来るおばさんも、そんなことを
言ってました。カトリック信者は、クリスチャンホーム故に
信者になる人も多いです。遠藤も離婚した母親の影響ですよね。
聖歌もまとも歌わない二日酔いでミサに来るおばさんを見るとき、
カトリックの寛容さを感じますが(プロなら怒られるでしょ)
それが信仰の本質とは思えません。
410 :
名無しさん@3周年:05/03/04 18:16:10 ID:ucGJZPGr
二日酔いで来るおばさんの口癖
「あたしは信仰はずぶといのよ!」
>>401 神に罪を告白し、悔い改めることで赦される。
神父さんに祈ってもらっても、自分で改めようという気持ちがなければ意味が無くなる。
自分でも祈ることが重要だと思う。
遠藤周作の小説は未信者も読む。
キリストの神性を否定するならキリストを証しする小説とは言えない。
412 :
名無しさん@3周年:05/03/04 18:33:23 ID:qwN92Nq7
>>409-410 >日曜のミサにいつも二日酔いで来るおばさん
いや、このおばさんを決して偏見をもって見ません。
このおばさんを、自分以上に神は愛しておられるかもしれない、と考えるのが
本当の信仰です。そして、自分が踏み絵を踏まず、おばさんが踏み絵を踏んだとしても
どちらが天国に入るかはわからないと考えるのがカトリックです。
413 :
名無しさん@3周年:05/03/04 18:47:26 ID:tZR+tUcp
>>397 内容がどうこうでなく、読者にどう伝わるかが大切でしょう。
仮に、カトリックにならわかるものなら一般書店に置くことは適切ではない。
未信者には悪影響があるという意味です。
416 :
名無しさん@3周年:05/03/04 18:55:58 ID:ucGJZPGr
>>412 私はミサにいつも二日酔いで来るおばさんを偏見で
見てないつもりです。ただ私はミサの前にお祈りして心を
整理します。そしてこのおばさんにも「よき姿」でミサに
来るように導いてくださることをお祈りするだけです。
確かに遠藤は、踏み絵を前に拷問を受ければ、踏んでまた
主に戻ることを繰り返すと述べていますね。
それは人間的なのかもしれないですが、それがカトリックだ
と言われると戸惑いますね。
>>416 主を礼拝するには心を整えておく必要がありますね。
418 :
名無しさん@3周年:05/03/04 19:09:31 ID:qwN92Nq7
>>416 >遠藤は、踏み絵を前に拷問を受ければ、踏んでまた
>主に戻ることを繰り返すと述べていますね。
これは先生が実際にそうするかどうかは分りません。先生は踏むぞ踏むぞ
と思って見てたら踏まないものなんですよ。先生がくり返し書いたのは
おそらく他の信者に神の深い愛を伝えんがためです。もしくは他の
信者の十字架を重くしたくなかったからか。その辺がツーカーでわかる
んですよね。
419 :
418:05/03/04 19:12:13 ID:qwN92Nq7
×おそらく他の信者に
○おそらく未信者の方に
<(_ _)>
大事な事は、聖書に書かれている真のキリストを信じ、愛する事。
決して遠藤の小説の中の似非キリストではない。
423 :
名無しさん@3周年:05/03/04 19:23:35 ID:qwN92Nq7
>>420 それは理想。現実は、聖書の中のほとんどの民衆がそうであったように、
現代でも、弱い人々が十字架を背負って人間では真似しようと思っても
なかなか真似のできないイエス様を理想に、とぼとぼと歩いていくことにな
ります。それが信仰というものです。
424 :
423:05/03/04 19:31:15 ID:qwN92Nq7
いやぁ・・・興味深く読ませてもらいました。
私はおおむね ID:ucGJZPGrさん の意見に共感した。
とくに
>>400 >>405には我が意を得たりと思いました。
「じゃー告解をしなければいいじゃんって結語になるだけです」
ほんまやね。
たぶんねぇ、カトリックはイエスに倣うことが目的になってるから
ユーモアにせざるをえないんじゃないかね。
プロテスタントは十字架にかかり復活されたキリストを信じることがアルファでありオメガであります。
426 :
ERBM:05/03/04 19:44:12 ID:vMhGfD0T
聖書じゃ足りないと言うのは、自分で聖書を全部読んだからそう思ったんですか?
聖書を理解するには何度も創世記から黙示録まで繰り返し読まないと無理でしょう。
新約と旧約をそれぞれはじめから順々に読む必要があります。
428 :
ERBM:05/03/04 21:20:39 ID:vMhGfD0T
>>427 福音書だけじゃキリストの全ては見えてこないってことサ。
ワルトルタの本はわかりやすいんだよ。
あなたたちプロテスタント信者は聖書に固執するけど
オレがこだわるのは真理であり、真理を大切にする。
聖書は真理を悟るための補助でしかない。
一字一句に神経質になってる一部の福音派は哀れに見える。
>>428 繰り返し何度も読んだのでしたら、そうですか、としか言いませんが。
表紙だけ見て、全て見た気になっているかもしれない・・・。
全てを理解するのは難しいので、他の本は理解するための補助にはなります。
聖書に代わり立つ書物は存在しませんよ。
一字一句に注目する価値が聖書にはあります。
431 :
名無しさん@3周年:05/03/04 22:32:24 ID:Nz9nb+S7
どの宗教にも原理主義者がいますが、カトリック原理主義も困ったもんですね。
まるで、中世ヨーロッパの異端審問所みたい。
正統と異端、異教徒と未信者、この問題は一神教が抱える宿命。
その事実と弊害に、周作先生は早くから気づき悩んでいたんですよ。
さらに周作先生は、聖書の歴史的・批判的研究を支持されていた。
それ故に、自然の流れとして、宗教多元主義に帰着したのだと思います。
それが、カトリックの正式な教理と多少違っていても良いじゃないですか。
しかし皆さん、イエスが本当に肉体を持って「復活」したと信じてるんですか?
どう考えても、「復活」というのは比喩的な意味ですよね。
弟子たちの心の中に、十字架で死刑になった、愛の教師(預言者)イエスの
人格が蘇った。それが、原始キリスト教の始まりでしょ。
432 :
名無しさん@3周年:05/03/04 22:36:46 ID:K31cixnM
433 :
名無しさん@3周年:05/03/04 22:38:20 ID:BOuZRAUl
>>432 いわゆる「非神話化」というやつですね。ブルトマンの。
434 :
名無しさん@3周年:05/03/04 22:40:23 ID:BOuZRAUl
でも「非神話化」で疑問なのは、福音書に肉体をもってよみがえった、と読めるように書いてあること。
当時の信仰者たちは、ちゃんとたとえ話として、非神話化して読んでいたのだろうか。
>>431 キリストの確かな復活があったからこそ、人類の永遠の命が約束されています。
キリストは人類の(罪)代わりに十字架にかかられました。
本当なら、僕たちがかからなければならないところなのです。
しかし、代わりとなってくださったイエス・キリストが復活したので、
信じる者には永遠の命が約束されているのです。
436 :
名無しさん@3周年:05/03/04 22:55:37 ID:BOuZRAUl
正式な教理と違う信仰を持っていることを公言して、問題でないのなら、
カトリックは会衆制になったということなのではないだろうか。
437 :
名無しさん@3周年:05/03/04 23:03:01 ID:K31cixnM
遠藤氏みたいなことを司祭が言ったら大変なことになるだろうけど、
一般信徒がなにを言っても、教会内の政治勢力にならないからな。
438 :
名無しさん@3周年:05/03/04 23:05:02 ID:BOuZRAUl
>>437 I神父は?
ちなみにI神父の著作はカトリック出版社ではなく、
日本基督教団出版局から出されている。
439 :
名無しさん@3周年:05/03/04 23:08:45 ID:K31cixnM
>>438 I神父とか、M神父とかよく標的にされるけど、
使徒の継承者である司教団が認めているなら、
一般信徒がなにも言うことはありません。
440 :
名無しさん@3周年:05/03/04 23:23:50 ID:BOuZRAUl
もういいや。わからなくなってきた。
多元主義でファイナルアンサーだ。
実は最近、仏教にひかれている。多元主義を否定していたのは、
自分のなかで起こってくる多元主義に対する好印象を
必死で消し去りたいという思いがあったからなんだ。
しかし、行いがよければ、仏教でも救われるんだ。
少し安心した。とりあえずインドへ巡礼にいこうとおもっている。
441 :
名無しさん@3周年:05/03/04 23:28:40 ID:K31cixnM
信じれるものを信じればいいと思う。
おかしなことを勧めるカルトでなければ、その救いに賭けてみるのもよい。
442 :
ERBM:05/03/04 23:33:53 ID:vMhGfD0T
>>429 I Love Jesus!さん
私の読んでる聖書はバルバロ訳とフランシスコ会訳です。
解説付きなのでとてもわかりやすいよ。
オレたちカトリックが何年聖書の研究してると思ってる?
長い歴史を経てとても洗練されてるノサ。
でもキリストをもっと詳しく知るためにはワルトルタが役立った。
それとね一番大事なのは真理なの。聖書じゃないんだ。
聖書は真理を悟るための補助なんです。
大切なのは神と隣人を愛し、善く生きることであって、一字一句にこだわることではない!
>>439 バチカン公会議後の司教叙階は、
形相が変わってるので無効の疑いがあるよ。
つまり彼らの何人かは司教ではないかも知れない。
断言はしないけど。
444 :
名無しさん@3周年:05/03/04 23:39:31 ID:Nz9nb+S7
仮に新しい教皇が選ばれるとして、リベラルな考えの人物が新教皇になれば、カトリック
教会も変わるのだろうにな〜。
今の教皇の側近は、保守派ばかりだそうだ。宗教界の対話と協調を重視する、教理的に
リベラルな新教皇、どうも望み薄だな・・・
仏教徒も天理教信者も、イスラム教徒もヒンドゥー教徒も、当然救われると思いますよ。
神様には、色々な呼び名があるからね。それが、宗教多元主義の一つの側面。
遠藤周作さんの言葉を借りれば、神の名は「にんじん」でも良いのだよ。
愛の源泉、愛の固まり、それが「神」だと思います。
445 :
名無しさん@3周年:05/03/04 23:43:38 ID:BOuZRAUl
復活は象徴。とするならば聖体は・・・聖変化ももちろん、象徴説だよね?
聖公会、ルーテル、カルヴァンを飛び越えていっきにメソジスト、バプテストのところまできちゃった。
聖書解釈も個人の自由、カテキズムも参考文献ってことで、あとは個人の判断だ。
すごいリベラルな教会だ。。リベラルすぎる。。。でもこれが現実にあわせたアジョルナメントなのかもね。
>>442 聖書や聖書の解説以外の本に真理はないと思う。
解説書を用いるのは全然結構です。
>>444 二兎追う者、一兎も得ず。
ひとりの人が、ふたつの道を歩くことはできない。
ひとりの人がふたりの主人に仕えることはできない。
光と闇は混じらない。
私の外にあなたがたの神があってはならない、と主は言われます。
447 :
ERBM:05/03/05 00:09:40 ID:0GlqO5Nf
>>444 『ヤハウェ』って名前、かっこよくないですか?
ヤハウェ・サバオス。う〜ん、いい響き♪
神の名前が『ぷりん』とかだったら、え〜〜〜!な感じなんですが。(wラ)
名前は大事だよ。きっと。
御子の名前「イエズス」にこだわったくらいだもんね。マタイ1:21
448 :
名無しさん@3周年:05/03/05 00:13:01 ID:TH9iV52E
>>445 カトリック教会が今後、どの方向に進むことになるのか
一信徒としても関心を持たずにはいられませんね。
449 :
名無しさん@3周年:05/03/05 00:17:16 ID:TH9iV52E
>>447 うむ、旧約のヤハウェは嫉妬深くて恐ろしい神のイメージでつよ
愛のイメージはないですなぁ。
450 :
名無しさん@3周年:05/03/05 00:18:43 ID:jIIKkZJf
>>446 ある地点にたどり着くのに、複数のルートが存在するのは自然だと思います。
むしろ、「道は一つしかない」という考えは、危ういとさえ思います。
452 :
名無しさん@3周年:05/03/05 00:25:19 ID:j/7fQA9z
熱愛するからこそ嫉妬深いのですよ。
情熱の神なのです。
453 :
名無しさん@3周年:05/03/05 00:28:43 ID:TH9iV52E
>>452 成程。にしても、やはり選ばれた民の神というイメージが拭えません。
「諸国民の神」 何かないですかねぇ
454 :
名無しさん@3周年:05/03/05 00:34:13 ID:jIIKkZJf
>>451 たしかに、私は仏教信者の側面もあります。いまだ、悟ってはいませんがね。
そういうあなたは、どうやら偏狭なカトリック優越主義者のようだ。
>>453 神様のことを、「自然の法則」という人々もいます。参考まで・・・
>>454 僕はプロテスタントです。
別にどちらでも必要以上に線引きする必要はないけど。
キリスト教が危ういと思うならあなたの意志で離れることもできます。
456 :
名無しさん@3周年:05/03/05 00:44:22 ID:GJbJlyvN
>>450 禿げ同です。キリスト教の中にも複数のルートがあると思います。
プロでもカトでも。仏教徒も父なる神が愛をもって見ておられる。
ただし、キリスト教を離れると、山を延々と迂回して登っていくという
イメージがありますね。
>>426 >オレはマリア・ワルトルタの本の影響を受けまくったよ。
>エンメリックもいいけどサ。
俺は、あんまりワルトルタは好みません。(以前は禁書扱いでしたし、預言集も全てハズレだし)
でもまぁ、この本は、バルバロ師ご本人から頂いたから別な意味で本棚にありますけどね。
信仰の糧として読もうとは思いませんね。(それでも遠藤氏の本に比べたら1万倍くらい価値はありますよ)
これはいわゆる私的啓示ですから信じる義務は当然ないし、これらの類の本は、みんな記述が
バラバラなんですよ。(聖書に無い説教や出来事が多く出てくるから全く信じない人もいるだろうしね)
でも、キリストの受難について聖書以外で読む場合は、福者エンメリックやシスターヨゼファの
記述なんかは好んで読みますよ。(こちらの方が信頼できますね、個人的にはですけど)
読むのが面倒な人は、「パッション」を見ても良いと思う。
我々の弱さ、神の憐れみ、神の愛、赦しなど色々な事が映像を通じて感じられる。
(信仰の目で見なければ、ただの拷問映画だけどね。罪人であればあるほど、そしてその認識が強いほど、
神への愛、信頼、赦しに対する信頼も高まる。マリア・マグダレナの心境か)
あれを見たら罪を犯さないように・・・と、少なくとも俺みたいな冷淡な信者でも決心はするだろうな。
自分の罪で、再びキリストを鞭打ち、十字架に釘付けにしてはならないと・・・。
458 :
ERBM:05/03/05 04:47:04 ID:JrWCSUyx
>>457 >これらの類の本は、みんな記述がバラバラなんですよ。
そうですね。書く人が違えば、記述に選ぶ言葉、幻視者の受け取り方、感じ方、見る角度が違いますからね。
表現や言葉を間違えてる場合もあるかもしれませんし、忠実に描写しきれなかったのかもしれません。
何人かの人が同じものを見てなにかを書いてみても、全く同じにはならないものだと考えています。
459 :
温泉キチジロー ◆7BRvx/hjn6 :05/03/05 05:35:50 ID:GJbJlyvN
新約聖書の初めの部分がマタイ マルコ ルカ ヨハネの4人が
イエスの生涯を4本書いてますね。初めて新約聖書を読む人は、どうして
4回も同じような話が書かれてあるのだろうと不思議な気持ちになると思います。
(トリップ初挑戦うまくいくかなw)
460 :
名無しさん@3周年:05/03/05 05:44:15 ID:WN1MDdjd
>>458 例えば、聖母が亡くなる年齢も全然違いますしね。
まぁ、何を選ぶかはその人の自由でしょう。
ようはキリストや聖母への愛が深まればいいのですから。
>>459 上手くいきましたね。
複数の人が書くことで証拠になる。
使徒たちは少しでも多く残しておこうと考えたんだと思う。
マタイが書いただけなら、マタイの創作かもしれない。
マタイだけでも信じれるけど。
よく知らないけど、必要だから神様が聖書に入れられたんですよ。
462 :
温泉キチジロー ◆7BRvx/hjn6 :05/03/06 00:19:44 ID:IICGooDY
279 :名無し :05/02/06 16:31:04 ID:6JI4ITlu
神は唯一であって、人間の神についての認識が複数
あるから神が複数あるように見えるだけ。
トンボの目(複眼)に映ったろうそくがたくさんあるから
と言って、ろうそくがたくさんあると言っているようなもの。
また、そのような考えは、キリスト教でとる人間が
少ないからと言って、間違いという根拠にはならない。
遠藤先生の「深い河」をお読みください。
素晴しいです。特定宗教教団の枠組みをこえた、神の愛が示されています。
カトリックであるかどうか、そんなことはもんだいではない。
カトリックがあって、イエスの愛があるのでしょうか?違います。
イエスの愛があって、カトリックが出来たのです。
イエスの愛の普遍性が、カトリック教会という教団組織に先立つのです。
464 :
名無しさん@3周年:05/03/08 23:38:09 ID:bKoGizXc
>>463 然り、同意見です、その通りです、アーメン。
>>463 それはニューエイジ思想の本です。
到底受け入れることは出来ません。
これ以上、キリストを侮辱しないで下さい。
>>465 ニューエイジではありません。宗教多元主義です。
467 :
名無しさん@3周年:05/03/11 01:01:46 ID:t3CxB9rW
ナザレのイエスが説いた「愛」は、自己中心で偏狭なものではなく、「隣人愛」ですよ。
我々は皆、良きサマリア人になるべきなんです。
信じる神様の名が、「にんじん」でも「玉ねぎ」でも良いではないですか。
伝統的キリスト教徒は、「父なる神」と呼んでるだけです。
神様(超越者)には、色々な名前があって良いのです。
>>467 遠藤作品がいかに信仰を歪めるか、という見本のようなレスだな。
469 :
名無しさん@3周年:05/03/11 03:04:41 ID:xUxElGGB
>>463 >>467 禿げ同ですね。このスレに影響を受けて、氏の本をまた読み返すことになっています。
イエス・キリストのほかに救いはありません。
471 :
名無しさん@3周年:05/03/11 22:47:05 ID:t3CxB9rW
>>470 あなたの亡くなったご先祖は、どうなりましたか?
>>471 最終的に信じたかどうかはわかりません。
しかし、主は公正に裁かれます。
473 :
名無しさん@3周年:05/03/11 23:22:20 ID:TKctwr0G
主の復活は 心の中で生きてることですよ
>>473 主は、今も実際に生きておられます。
死んでいると思う者がいても、主は、生きておられます。
475 :
名無しさん@3周年:05/03/12 14:11:43 ID:759iKFvo
>>472 >>474 ナザレのイエスの説いた神様は、「赦しの愛の神」であって、決して
「裁きの神」ではありません。
イエスが実際の肉体を持って、今も生きていると言うのですか?
もしそうなら、今の住所はどこですか?
>>475 キリストを心に受け入れなければ赦されません。
キリストの霊が今も生きておられます。
477 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :05/03/12 14:28:02 ID:TqhWzyRu
家族にも、毎日こう言い続けてるのかしら?
478 :
名無しさん@3周年:05/03/12 14:45:44 ID:759iKFvo
>>474 まるで、保守的な福音派の伝道師みたいな方ですね。
480 :
名無しさん@3周年:05/03/12 19:50:51 ID:xj/h9Ww1
プロの方が遠藤先生を嫌う理由のひとつとして、
遠藤先生が、私もそうなんですが、バタ臭さ、いわゆる西欧人の腋臭(わきが)
をできるだけ排除したいと考えてるからではないでしょうか。
481 :
名無しさん@3周年:05/03/12 19:57:47 ID:xj/h9Ww1
これは憶測なんですが、プロには、幼児洗礼者が少なく、
日本でもまれた信者が少ないからバタ臭さに平気でいられるのではないか。
というのが今のところの私の考えなんです。
成人してから福音を知ると、一気に喜びがきて、弾けてしまうのではないか。
と見ています。
482 :
名無しさん@3周年:05/03/12 20:22:26 ID:xj/h9Ww1
喜びが大きいと、カトの静かさがもの足りないし、遠藤先生も生ぬるく
感じてしまうのではないかと思います。それで、自分の喜びを他の人にも
伝えたくなるのですが、その時、未信者の時にキリスト者を見て感じていた
バタ臭さを自分自身が身にまとってしまっているということを、
忘れてしまっているのです。これが、プロの方のジレンマを生み出していますね。
483 :
名無しさん@3周年:05/03/12 21:06:06 ID:759iKFvo
>>480 >>481 >>482 同じプロテスタントでも、リベラル派には評判良いですよ、狐狸庵先生。
むしろ、未信者の方や求道者の方に、読むことを薦めてるくらいです。
遠藤周作さんを嫌い、信者が作品を読む事を警戒しているのは、福音派
と呼ばれている、聖書原理主義者の人々です。
484 :
名無しさん@3周年:05/03/12 21:12:01 ID:xj/h9Ww1
>>483 そうでしたか。事情も知らずに申し訳ありませんでした。
しかし、聖書原理主義者の人々は困ったもんですな。
485 :
名無しさん@3周年:05/03/12 21:16:08 ID:wGCAhNh+
映画の「深い河」一度だけ、BSで深夜に放送されたんだけどね。
インド・ロケがすごい。美津子役の秋吉久美子がガンジス河で沐浴するシーン、
最高です。
486 :
名無しさん@3周年:05/03/12 21:17:00 ID:koAonfRl
>>484 その拠って立つ精神において原理主義なのは構わないんだが、
字面だけなぞって思考停止されるとねぇ。
487 :
名無しさん@3周年:05/03/12 22:16:57 ID:NXcvSx1G
はっきり言って、最晩年の遠藤はキリスト教を捨てていたと思われ。
488 :
名無しさん@3周年:05/03/12 22:35:37 ID:759iKFvo
>>487 狭い意味での、排他的宗教であるキリスト教はね・・・
489 :
名無しさん@3周年:05/03/12 22:36:53 ID:wGCAhNh+
人生最晩年に、キリスト教を捨てていた
ということは、結局、キリスト教が彼にとっての救いにならなかったということでしょうか。
490 :
名無しさん@3周年:05/03/12 23:06:33 ID:759iKFvo
>>489 誤解を与えてしまったら、すみません。
遠藤周作さんが棄てたのは、キリスト教の絶対性だと思います。
違う表現を使えば、キリスト教を諸宗教の一つとして、相対化して
信じていたんだと思います。
周作先生自身は、人生の同伴者イエスの説いた神様を、最後まで信じて
いたと思います。照れ屋でしたが、愛情豊かな立派な方でした。
日本人も、惜しい作家を失いましたね・・・
491 :
名無しさん@3周年:05/03/12 23:10:29 ID:koAonfRl
というより、包括主義的に真理の受容のあり方の多様性を認めたと言うことではないでしょうか。
492 :
名無しさん@3周年:05/03/12 23:15:36 ID:GHPXFEqh
遠藤先生が晩年信仰を捨てていたと考えるのは大間違いですな。
493 :
名無しさん@3周年:05/03/12 23:27:10 ID:759iKFvo
>>491 カトリックにおける他宗教の理解は、包括主義が現在の許容限度だと
思われますが、周作先生は宗教多元主義に近いと思われます。
特に晩年は、プロテスタントのリベラル派神学者ジョン・ヒック(John Hick)
先生の提唱された、宗教多元主義の概念に傾倒しておられましたから。
ジョン・ヒック(John Hick)先生の著作は、一般人向けのものもあります
から、興味を持たれたら、読んでみると良いと思います。
494 :
名無しさん@3周年:05/03/12 23:30:45 ID:wGCAhNh+
>>493 「深い河」にもジョンヒックの名前が出てきたような?希ガス。
495 :
名無しさん@3周年:05/03/12 23:40:34 ID:NXcvSx1G
しかし、絶対性を否定した場合、啓示宗教はどのようにして成立するのでしょうか。これが根本問題ですね。
あくまで絶対性の枠内にぎりぎり留まろうとするのが包括主義で、その一線を超えると多元主義になってしまうと思うんですが。
福音派の人たちが異様に強硬な姿勢を示すのも、この問題があるからで。
遠藤の場合、見方によって色々意見はあるでしょうが、一線を超えていたと思いますね。
キリスト絶対主義はもう支えきれないと。正直な方です。
496 :
名無しさん@3周年:05/03/12 23:45:58 ID:wGCAhNh+
じっさい、エックハルトあたりもキリスト絶対主義を飛び越えていた。
そして異端の嫌疑をかけられたまま獄死
>>475 > イエスが実際の肉体を持って、今も生きていると言うのですか?
> もしそうなら、今の住所はどこですか?
ハ イ 。 目 の 前 。 コ コ 。
こ の ス レ の 中 。
二人または三人がわたしの名によって集まるところには、
わたしもその中にいるのである。
--- マタイによる福音書 / 18章 20節 (日本聖書協会 新共同訳) ---
てなわけで、このスレのデータが収められているサーバにも、
皆さんが今読んでいるこの文章によって占められているパソコンの
メインメモリやグラフィックメモリ上にも、主は臨まれているような
希ガス…
えーっと、異端でしょうか?
498 :
名無しさん@3周年:05/03/13 00:18:50 ID:itc4IHO+
>>495 「啓示宗教はどのようにして成立・・・」
神の啓示と言う概念も、決して単一のものではなく、多面的・複層的
でありうる。そうは、考えられませんか?
499 :
名無しさん@3周年:05/03/13 00:26:58 ID:0WhquXHH
>>498 啓示宗教においては創唱者の教えの継承上、血筋・弟子の権威化が
起こりやすいと言えるのではないでしょうか。
500 :
名無しさん@3周年:05/03/13 00:43:39 ID:itc4IHO+
>>499 私も、そのように思います。
人類の歴史の中で、いったい何万人が異端・異教徒・無神論者
の烙印を押され、殺され・迫害されてきたことか・・・
いずれにせよ、遠藤の小説は異端。
そうした物にいつまでも執着するのは、
ちょうどリトル・ペブルに執着するのと同じ。
つまり、「まともなキリスト教の教えから言っておかしい」
と言っても聞く耳を持たず、異端の教えに染まっていく。
やがて、盲が盲を導くように・・・。
502 :
名無しさん@3周年:05/03/13 08:59:53 ID:WFbQuDel
井上洋治神父様の『日本とイエスの顔』という本を読んでいるのですが、
その中で、神父様も『イエスの生涯』『死海のほとり』を、イエス像に賛成
すると否とにかかわらず、日本の精神的風土にガッチリと噛み合った画期的な作品だ
と絶賛しています。遠藤先生と神父様は、1950年、マルセーユに向かう
フランス船の4等船室で出会われました。
井上洋治神父様
1927年神奈川県生れ。東京大学哲学部哲学科卒。1960年司祭となる。
ウイスキーよりは日本酒。チーズよりは塩辛が好き。
503 :
名無しさん@3周年:05/03/13 09:12:51 ID:N7NBRVzg
「リトルペブルのような異端」扱いされるくらいなら、
すっぱりカトリックをやめて仏教に改宗したほうがいいんだろうな。
504 :
名無しさん@3周年:05/03/14 00:28:51 ID:cwy0VWNt
あ〜あ、また異端審問官があらわれたか・・・
>>502 遠藤周作さんと井上洋治神父は、古くからの親友ですね。
井上洋治さんの著書は、その内容のせいか、カトリック系
の出版社からは出ないんですよね〜。
やはり、なかなか変わらないな〜、カトリックは・・・
505 :
名無しさん@3周年:05/03/14 00:30:20 ID:dP5QvJ2A
日本でキリスト教を再構築してもいいのではないか。
天の父→「無」のイメージ
パン→お餅
ぶどう酒→日本酒
これだけでもかなり馴染みやすくなると思う。
506 :
名無しさん@3周年:05/03/14 00:45:51 ID:fFUxs12o
和風建築の教会を建てて欲すぃ。これだけでもカト信者は倍増しそう。
遠藤周作先生も 聖人として列聖される日も近いでせう。
>>505 遠藤の小説の愛読者からは、
このような異端者が生まれる。
>>508 彼らのうちでは、「聖書<遠藤小説」の式ができてしまっているでしょうね。
510 :
名無しさん@3周年:05/03/14 20:19:15 ID:cwy0VWNt
>>508 異端と言うより、新しい解釈の一つのアイデアでしょ。
>>509 聖書そのものより、遠藤小説の方が、イエスの説いた「愛」
の理解に有効な場合は、充分あり得る。
>>510 解釈にも正しいものと正しくないものがある。
愛を求めて読むなら、まず最初に聖書を読む方が良い。
遠藤小説のイエスはあくまで遠藤小説のイエス。
基準を見誤ってはいけない。
512 :
名無しさん@3周年:05/03/14 21:28:44 ID:iOvAauYa
513 :
名無しさん@3周年:05/03/14 21:29:59 ID:yTdZlxYP
まあ、カトリックは、禅、エニアグラム、レイキ・ヒーリング、マントラなんかも
導入しているくらいだからね?いろいろあっていいんじゃないですか。
514 :
こんな感じ ◆WBRXcNtpf. :05/03/14 23:06:22 ID:VBwTXvfz
トリップ利用前のテスト。
リッチョッティのキリスト伝を読め。ちょっと高いけど。
516 :
名無しさん@3周年:05/03/14 23:34:46 ID:cwy0VWNt
>>511 「解釈にも正しいものと正しくないものがある。」
それを決めるのは誰なのか?
カトリックの教理庁か?はたまた、あなたご自身か?
517 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/14 23:35:39 ID:VBwTXvfz
以前
>>260 >>262 >>266 >>277 >>279 >>282を投稿させていただいた者です。
遠藤周作さんはカトリックの信仰者であることをご自身に課そうと努力
なさった方ではないかと自分には映ります。
遠藤周作さんだけではなく、小説家や劇作家の方のキリスト教に関する
意見には真実としての形ではなく事実半分ごまかし半分のところがあると
思っています。カトリックやキリスト教を聖職者ではないものが収入を
得るために利用することは哲学的発展は有り得たとしても、本当の信仰
からは遠ざかりやすいものなのかもしれません。
>>516 たしかにいえることは、僕でもなく、カトリック教会以外にとってはカトリックではない。
聖書全体で他の箇所と矛盾のない解釈かを確認する。
ちなみに僕はカトリックではない。
519 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/14 23:52:44 ID:VBwTXvfz
遠藤周作さんは、ある時、愛という言葉と聖書の記述との関連で、
三浦朱門という同僚の小説家の話として、愛にはアガペーとフィリア
そしてエロスとストルゲの4つがあると述べていました。実は聖書に
エロスやストルゲは出てきませんし、アガペーとフィリアにしても
カリス、フィランスルピア、ファラデルフィアなど他にも多数の「愛」
で括られて訳されてしまっている言葉が点在します。ですから愛に
4つの言葉があると言ってしたり顔でキリスト教の話をする人の真実性
は普通は半分なのであり、きちんとエロスとストルゲの概念を聖書の
内容にはないギリシャ語の概念として説明した場合でも、聖書の
メッセージを語るには大きく事実内容を欠いたものとなるのです。
自分は、遠藤周作さんのカトリックに対する信仰を否定したくはありま
せんが、その知識は多分に哲学的でありその観念もカトリック圏内の
周辺で独自に可能性を探っているような独自の神観念なのではないか
と考えざるを得ないと思っています。
520 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/15 00:22:27 ID:pPFaKPvm
自分は、信仰というのは教えを信じて教会で告白することではなく
隣人にそのことを個人的に伝えることで初めて本当の意味でそのスタート
ラインにつくものなのだと思います。そういう意味で信仰と希望と愛と
いうのは一体なのです。
実は自分はカトリックが恐ろしいと感じ、その教えの矛盾を感じています。ですから自分は、ハッキリ結論を言ってしまえばカトリックでも
プロテスタントでもどっちであってもその教えにあやかっているだけでは
誰も救われないのではないかと考えます。一端投稿はここまでにします。
521 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/15 00:24:32 ID:pPFaKPvm
520の改行乱れ、失礼!!
522 :
名無しさん@3周年:05/03/15 00:30:33 ID:DGA00jSE
>>519 あなたは、愛を7つに使い分けて聖書を語ってる本しか真実性がないと言わんばかりですね。
523 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/15 00:33:20 ID:pPFaKPvm
524 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/15 00:39:28 ID:pPFaKPvm
>>522 愛を語るなら自分と神との関係に触れるべきだと思います。
また、愛を語るなら自分と隣人との関係を語ればよいと思います。
不用意に聖職者以外が事実を曲げたり愛を解説して教義に関与する
ような姿勢を示せば教会からも信仰からも愛からも遠ざかることに
なる危険があるのではないかと自分は考えています。
526 :
名無しさん@3周年:05/03/15 00:45:46 ID:AngJ5+BL
「人+人 ◆8fRI53Oe1o 」さんの書き込みは、どうも意味がよくわかりません。
支離滅裂に感じるのは、私の読解力不足の為でしょうか・・・
527 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/15 00:49:00 ID:pPFaKPvm
>>522 >あなたは、愛を7つに使い分けて聖書を語ってる
自分は、愛に7つあると限定してもおりません。単語の種類の分け方にも
色々と考え方があるとは思いますが、ざっと10種類は聖書中に愛とされて
訳される言葉が存在するのではないかと考えています。
@アガパオーαγαπαω 143箇所
Aアガペーαγαπη 116箇所
Bアガペトスαγαπητοs 61個所
Cフィラデルフィアφιλαδελφια 6箇所
Dフィラデルフォスφιλαδελφοs Tペトロ3章8節
Eフィランスルピアφιλανθρωπια 使徒28章2節 テトス3章4節
Fフィロウφιλεω 25箇所
Gフィリアφιλια ヤコブ4章4節
Hフィロスφιλοs 29箇所
Iカリスχαριs 164個所
528 :
名無しさん@3周年:05/03/15 00:51:06 ID:DGA00jSE
>>526 その通りです。
人+人 ◆8fRI53Oe1oさんは、一見スゴイことを書いているように見えますが
支離滅裂です。
529 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/15 00:53:33 ID:pPFaKPvm
>>526 >「人+人 ◆8fRI53Oe1o 」さんの書き込みは、どうも意味がよくわかり
>ません。支離滅裂に感じるのは、私の読解力不足の為でしょうか・・・
あなたの方に、「支離滅裂」であることを相手に伝える表現力が
不足しているのではないでしょうか?相手の文章が読み解けないので
あれば、このような理解でよいかと逆に相手に自分の言葉と文章で
問い返せば良い事です。自分の言葉で相手の文面を租借して問い返せない
なら読解力の不足でもあるでしょうが表現力の不足でもあると思います。
見ず知らずの相手の投稿を単に「支離滅裂」と断定するのは相手に対する
誹謗以上の何ものでもありません、きっと。
530 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/15 00:55:47 ID:pPFaKPvm
>>528 あなたも、投稿の相手を誹謗しているだけになります。
一見スゴイ効果的な攻撃のように見えますが、只の煽りです。
531 :
名無しさん@3周年:05/03/15 00:56:20 ID:DGA00jSE
>>519 > 遠藤周作さんは、ある時、愛という言葉と聖書の記述との関連で、
>三浦朱門という同僚の小説家の話として、愛にはアガペーとフィリア
>そしてエロスとストルゲの4つがあると述べていました。実は聖書に
>エロスやストルゲは出てきませんし、
先生は聖書の記述との関連でエロスとストルゲという言葉を出しただ
けで、聖書にエロスとストルゲ出てくるという話をされたのですか?
> アガペーとフィリアにしても
>カリス、フィランスルピア、ファラデルフィアなど他にも多数の「愛」
>で括られて訳されてしまっている言葉が点在します。
「訳されてしまっている」の主語は?
点在とは、聖書に点在?遠藤先生の本に点在なのか?
この文章をもう一度書き直して頂きたいと思います。よくわかりませんね。
532 :
名無しさん@3周年:05/03/15 01:02:42 ID:DGA00jSE
>>527 それなら、日本語の聖書を読んで真実を掴む信者はいませんね?
533 :
名無しさん@3周年:05/03/15 01:05:26 ID:DGA00jSE
人+人 ◆8fRI53Oe1oさんの
>>527の投稿を見て、
>>519の
言わんとすることが少しわかりました。
535 :
名無しさん@3周年:05/03/15 01:12:23 ID:DGA00jSE
私には、正直なところ、人+人 ◆8fRI53Oe1oさんは、遠藤先生以上に
聖書を研究したから、先生に感化されるのが感情的にイヤだ、という風にしか思えませんが。
もしくは、ご自分の知識を自慢したいか。
536 :
名無しさん@3周年:05/03/15 01:13:42 ID:DGA00jSE
日本語の聖書が、人+人 ◆8fRI53Oe1oさんが
>>527で挙げた多くの種類の「愛」を
使い分けて訳してない以上、事実をねじ曲げていることになりますよね?????
537 :
名無しさん@3周年:05/03/15 01:18:03 ID:AngJ5+BL
「人+人 ◆8fRI53Oe1o 」さん、残念ですが、あなたへの「誹謗」と
受け止められたのですね。その事に関しては、すみませんでした。
別の言い方をしますと、文章の脈絡が追いづらく、あなたが何を言いたい
のか、さっぱりわからないのです。
538 :
名無しさん@3周年:05/03/15 01:28:27 ID:DGA00jSE
>>520 >自分は、信仰というのは教えを信じて教会で告白することではなく
>隣人にそのことを個人的に伝えることで初めて本当の意味でそのスタート
>ラインにつくものなのだと思います。そういう意味で信仰と希望と愛と
>いうのは一体なのです。
いやあ、ここもおかしいですよ。
「そういう意味で」の前後のつながりがあるようには思えませんが?
>>538 「世に信じていると告白すること」が「信仰」だ、ということを言いたいのでは?
「人に」+「言う」=「信じる」ということではないかと。
540 :
538:05/03/15 01:42:22 ID:kbmi4527
>>537 >文章の脈絡が追いづらく、あなたが何を言いたい
>のか、さっぱりわからないのです。
私もそうです。バベルの塔を築いているのではないかと。
>>539 私も同じクリスチャンとしてなるべく善意で解釈したいのですよ。
541 :
名無しさん@3周年:05/03/15 01:47:46 ID:AngJ5+BL
>>539 「世に信じていると告白すること」が「信仰」だ・・・
仮にそうだとすると、江戸時代の隠れキリシタンの人々は、どうなるので
しょうか?地獄・煉獄行きですか?
人に信じてると言えない、強く行動できない、弱虫キリスト教徒にも光を
当てたのが、周作先生の功績の一つじゃないでしょうか・・・
542 :
名無しさん@3周年:05/03/15 01:54:40 ID:VTDq1kMy
>>541 隠れキリシタンが救われないわけじゃない。
信仰にもレベルがあるだろう。
未信者に無いはずの光を当ててしまったのも遠藤周作。
誰が何を言おうが所詮、遠藤の小説は異端の書。
彼が描くイエスは、聖書のイエスとはまるで違う。
遠藤が描く偽りのイエスに希望や信頼を持った所で、
救いはない。
LPの妄想であるイエスや聖母の偽メッセージを
頑なに信じた所で救いが無いと同じ。
545 :
名無しさん@3周年:05/03/15 03:11:09 ID:VTDq1kMy
同様に福音派にも救いはない。
教会の外に救いはないのだ。
遠藤小説には救いがあるのか?
>>547 それならば、もはや「遠藤教」じゃないか。
549 :
名無しさん@3周年:05/03/15 04:37:07 ID:AngJ5+BL
>>548 答えは、「否」です。決して「遠藤教」ではありませぬ。
あえて呼ぶとすれば、それは「ナザレのイエスの説いた神様教」です。
救いはもちろんありますよ、と言うか、すでに皆、救われているんです。
イエス等の説く神様(超越者)の愛(慈悲)に、気づいて受け入れている
か、気づいていないかの違いだけ。
>>549 どう考えても、遠藤が作った「似非イエス教」だよ。
これ以上、盲が盲を導くのはいかがなものかと。
どうして自分だけでなく、多くの人の手を引いて、
真の教えから離れようとするのですか?
異端に執着するのは良くないよ。
551 :
名無しさん@3周年:05/03/15 13:59:52 ID:AngJ5+BL
遠藤周作さんに否定的な人々に尋ねたいのですが、何故に
ナザレのイエスを、超能力を持った不死身のスーパーマンに
したいのでしょうか? 理解に苦しみまする。
「神は、愛なのです。」と説き、自分の生涯でも、真実の「愛」を
説き実践した、「愛」の教師・預言者イエスで良いではありませ
んか。
ナザレのイエスが生身の人間だからこそ、彼の悲しみ、苦しみ、
恐れ、絶望が現実味を持ち、我々の心の扉を叩くのではないの
しょうか。
552 :
名無しさん@3周年:05/03/15 14:07:34 ID:PPONEBuP
>>551 人性に目を塞いで、神だ神だと言っているほうが楽なんですよ。
そうすれば、こちらは何もしなくてすむしね。
>>551 遠藤周作さんに肯定的な人々に尋ねたいのですが、
なぜイエスの復活も奇跡も否定して、無力の
それも死後、弟子達によって神格化された
無能な男にしたいのでしょうか?
聖書に書いてある事まで否定するなんて理解に苦しみまする。
私は、遠藤氏が信じてやまない多元主義に反対します。
私は、遠藤氏が99%疑っていたキリストを信じます。
554 :
名無しさん@3周年:05/03/15 15:20:15 ID:AngJ5+BL
意志堅固な方ですな、福音派の方ですか?
>>553 Amen.
>>554 キリストの復活がなければ、人類の永遠のいのちも存在しない。
イエス・キリストが復活したのだから僕たちにも復活がある。
556 :
自然体 ◆uRPTLodhJU :05/03/15 15:40:02 ID:cx3Uytm6
>>553 神性や奇跡がなければ揺らぐ信仰と、「仮に」神性や奇跡が
なかったとしても揺らがない信仰。どちらの信仰が強いと思いますか?
疑いの中で成長した信仰ほど強いものはないと思いますよ。
>>556 仮に神性や奇跡がなかったのなら、もはやキリストじゃないよ。
信じる部分がなくなっている。
信仰しても救いはないじゃない。
「疑いの中で」ってそういう疑いは信仰じゃないよ。
それは神性、奇跡云々の前に歴史的なイエスの存在を信じているだけ。
558 :
自然体 ◆uRPTLodhJU :05/03/15 16:25:35 ID:cx3Uytm6
>>557 どうして弟子達は、イエスの奇跡を目の当たりにしてたのに、
十字架に共にかけられる道を選ばなかったのでしょうか。
どうしてペテロは鶏が鳴く前に、三度も「イエスを知らない」と
言って裏切ったのでしょうか。
本当に奇跡を見ていたら、永遠の生命をもらうために、すすんで
十字架にかけられてもいいようなものですね。
このような問いにあなたの信仰は揺らぐのでは?
559 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :05/03/15 16:30:14 ID:u38TOF0Q
560 :
名無しさん@3周年:05/03/15 16:32:01 ID:oh0c7s7e
磔なんて嫌じゃん。
561 :
自然体 ◆uRPTLodhJU :05/03/15 16:35:14 ID:cx3Uytm6
>>559 ペテロは劇を演じたというのですね。
では、ペテロ以外の弟子はどうでしょうか?
イエスの奇跡を見たはずの弟子達はみんな逃げ出していますよ?
562 :
希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :05/03/15 16:39:51 ID:u38TOF0Q
>>556 ただ単に自分は、トマスなんかと違って、
キリストの奇跡や復活を見なくても
信じる事が出来るほど
信仰が強いのさと言いたいだけでは?
そう、
>>557が言ってる事は正しい。
>>558 >このような問いにあなたの信仰は揺らぐのでは?
なんでやねん。
四六時中、信仰が揺らぎっぱなしなのは、君の方では?
565 :
名無しさん@3周年:05/03/15 16:51:58 ID:k+hJeqSV
>>561 イエスの復活前のお弟子たちは みんな弱々しかったけど・・・
イエスの復活後は ヨハネを除いてみな殉教されてるにゃ。。
助けぬし聖霊さまのお働きは すばらしいやね。。o(^-^)o†
>>558 >どうして弟子達は、イエスの奇跡を目の当たりにしてたのに、
>十字架に共にかけられる道を選ばなかったのでしょうか。
答えは、簡単。
弟子達が全員十字架にかかる事は可能だったが、それは神の御旨ではなかった。
弟子達にはキリストの福音を全世界に広め、洗礼を授けるという使命があったから。
彼の働きがなかったら、今の我々はなかった。
567 :
35歳 高卒会社員:05/03/15 17:18:38 ID:nYgBLHgi
たまたま調べものをしていたら、迷い込んで?しまいしました。
途中から割り込み失礼します。遠藤周作は十代後半時期に漁るように読んでいましたので何だか嬉しく皆さんの意見を拝見させて頂きました。非常に良く勉強されていて、良い意味で真面目ですよね。
私は、「沈黙」でも当時 心が大きく動きましたが皆さんが今回触れていない「海と毒薬」「悲しみの歌」の連作が今でも好きです。
特に「悲しみの歌」は抜粋の数ページだけで今でも泣けます。一連の「共にいる、伴走者」的 神の存在という解釈自体
に出会えただけでも私にとっては「奇跡」でありどんな時でも傍らには 自分の眼には見えないだけであり
遠藤周作流のイエスがそこにいるのかもしれない・・・と思えただけでもそこには「神」と「救い」がある気がします。
お陰で映画の「ジーザス・クライスト・スーパースター」や「最後の誘惑」を観ても遠藤流イエスの影響か 涙してしまいます。
ですので 聖書にある奇跡があったのか?無かったのか?興味は正直ありません。
極論を言うと所謂皆さんがおっしゃる「神」という存在がいなくても構わないですし(遠藤流のイエスならいて欲しいですが)、
天国も無くても構いません。 ただ特定の宗教に属していない人間である私は、金銭主義もしくはヒステリックで偏った考えと
私が思える宗教以外の他宗教に関してニュートラルに観ることが出来ているんじゃないかな・・・と思い込んでいます。
この考えのベースは、やっぱり「無力で奇跡を行えない遠藤流イエス」の影響があるからだと思います。
遠藤周作が作家なのか、宗教家なのか それも私にとってもどうでもいい事です。 ただ遠藤周作には 感謝とご冥福(あの世があるならですが)
をお祈りしたいですね。
568 :
自然体 ◆uRPTLodhJU :05/03/15 17:23:37 ID:cx3Uytm6
>>566 十字架にかけられる前のイエスから弟子達が遠ざかっていた理由として
「福音を全世界に広め、洗礼を授ける使命があったから」というのですね。
では、それがわかる記述が、十字架にかけられる前の弟子達の姿を描いている
聖書のどこに出てきますか?
そのとき、弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。
マタイによる福音書 26ー56
ここでは、わざわざ「見捨てて」という言葉が使ってありますね。
イエスが十字架に架けられる前の時点で、弟子達が既に神の子という確固たる
確信を持っていることが見えてこないんですよ。
>>568 >弟子達が既に神の子という確固たる 確信を持っていることが見えてこないんですよ。
ですから、「福音を全世界に広め、洗礼を授ける使命」と言うのは、最初から神の計画の中にあったのです。
ペトロは、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」
と言った。弟子たちも皆、同じように言った。(マタイ26:35)
イエスは言われた。全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。(マルコ16:15)
キリストが十字架を避ける事ももちろん可能だしキリストを捉えに来た人々を一瞬のうちの滅ぼす事も可能でした。
また上記の言葉通り弟子達もイエスと共に死ぬ事も可能でした。しかし、それをしなかったのは、あるいは実現
しなかったのは、聖書に書かれている事を実現させる為であり、人類の救いを完成するにはどうしても必要な事でした。
イエスが捕らわれた時、イエスを守る為に剣を持って闘ったペテロを諫めたのはイエス自身でした。
それは、先も申したように、聖書に書かれている事が実現する為です。
イエスが諫めなかったら、イエスを守る為に最後まで闘っただろうし、その為には、死ぬ事さえ
厭わなかったでしょう。
お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。
しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう。(マタイ26:53-54)
ゲッセマネでイエスは、父の御旨なら十字架を避けて欲しいと願った。
弟子達もイエスと共に死ぬ事も厭わなかった。しかし、それレらが実現しなかったのは、
聖書に書かれている事・・・・すなわち神の御旨の実現の為だったのです。
聖書に書かれている事を表面的な事だけ見て、それらを人間的に考える事は、きわめて危険だし、
人間的に考えれば、イエスの神性を否定する事も可能だし、遠藤的な無能で無力なイエスや弟子が出来上がるのです。
570 :
名無しさん@3周年:05/03/15 19:23:43 ID:AngJ5+BL
聖書というのはね、ただの古文書なんです。
しかも、著者や執筆事情がバラバラなんですね。
それ故に、他の古い文献と同じように、歴史的・批判的に
研究しないとダメなのですよ。
そうすると、無駄な部分、核になる部分が、おぼろげながら
見えてくるんです。
それを、日本人向けに味付けし再編集したのが、遠藤周作
先生の一連の作品です。
聖書の語句を、金科玉条にして無批判で受け入れるのは、
ナンセンスですよ。
>>570 君の方がナンセンス。異端に染まりすぎです。
遠藤氏の小説を読んでると、そのような思考回路になってしまうのですね。
良き反面教師です。どうもありがとう。
>>558 アダムとイヴ
義人と呼ばれるノア
信仰の父と言われるアブラハム
主イエスの弟子たち
みな、選択を迫られたときに失敗している。
人類で唯一失敗のなかった方は主イエスだけです。
失敗によって自分の無力さを人は知る。
主イエスの復活を見る必要があった。
>>564 >なんでやねん。
おもしろい。
573 :
I Love Jesus! ◆Fhcps.A/9I :05/03/15 23:57:41 ID:AtuMEJ7r
聖書は単なる書物ではない。
それに反対するすべてのものを征服する力を持つ生き物である。
ナポレオン
574 :
I Love Jesus! ◆Fhcps.A/9I :05/03/15 23:58:06 ID:AtuMEJ7r
聖書は単なる書物ではない。
それに反対するすべてのものを征服する力を持つ生き物である。
ナポレオン
575 :
I Love Jesus! ◆Fhcps.A/9I :05/03/16 00:10:17 ID:FUtuEV5E
第1章 20節から
20それには何よりも次のことを知っていなければいけません。
すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。
21なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、
聖霊に動かされた人たちが、神からの言葉を語ったのだからです。
第2章
1しかし、イスラエルの中には、にせ預言者も出ました。
同じように、あなたがたの中にも、にせ教師が現れるようになります。
彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、
自分たちを買い取ってくださった主を否定するようなことさえして、
自分たちの身にすみやかな滅びを招いています。
第2ペテロ 1:20−2:1
576 :
名無しさん@3周年:05/03/16 00:51:47 ID:F7pmVU9L
いつの時代も、リベラルという立場は、弱い場合が多いな〜。
右は、聖書原理主義者やカトリック優越主義者、左は、無神論者
から攻撃されてる。
それが現実、仕方ないか・・・
そうです。
聖書は誤り無い神のことばです。
578 :
名無しさん@3周年:05/03/16 01:08:26 ID:Rh4XWs2P
3つの福音書でペテロは泣いたと書かれています。おそらく本当に
泣いたと思われます。ペテロはどうして激しく泣いたのでしょうか?
【マタイ27ー75】
ペテロは「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われた
イエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。
【マルコ15−72】
ペテロは、「にわとりが二度鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」
と言われたイエスの言葉を思い出し、そして思いかえして泣き続けた。
【ルカ22ー61 62】
主は振りむいてペテロを見つめられた。そのときペテロは、
「きょう、鶏が泣く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われた
主のお言葉を思い出した。そして外へ出て、激しく泣いた。
【ヨハネ18ー27】
ペテロはまたそれを打ち消した。するとすぐに鶏が鳴いた。
579 :
I Love Jesus! ◆Fhcps.A/9I :05/03/16 01:17:23 ID:FUtuEV5E
580 :
名無しさん@3周年:05/03/16 01:19:35 ID:Rh4XWs2P
希美さんは、559で、
>ペトロが三度、知らなぃと言ったのわ、キリストの預言を成就させるため。
とおっしゃっていますが、これは間違いですね。
3つの福音書で、「イエスの言葉を思い出し」と書いてあるので、
キリストの預言を成就するためにペトロが自らの意思で「あの人を知らない」
と言うことに決めていたのではないことがわかります。
それとも、ペテロは神に催眠術にかけられていたのですか?
581 :
名無しさん@3周年:05/03/16 01:22:24 ID:Rh4XWs2P
582 :
名無しさん@3周年:05/03/16 01:28:52 ID:Rh4XWs2P
まだ、この時点では、ペトロでさえ信仰が弱いのです。
しかも、弟子達は、イエスが十字架に架けられた後も、叱られていますよ?
【マルコ福音書 17ー14】
イエスは十一弟子が食卓についているところに現われ、彼らの不信仰と、
心のかたくななことをお責めになった。彼らは、よみがえられたイエスを
見た人々の言うことを、信じなかったからである。
583 :
I Love Jesus! ◆Fhcps.A/9I :05/03/16 01:29:01 ID:FUtuEV5E
そしてキリストによって強められた。
584 :
名無しさん@3周年:05/03/16 01:33:28 ID:Rh4XWs2P
私は、聖書には、弟子達がイエスを疑いながら、弱かった信仰が
だんだん強くなっていく様を見事に描いていると思います。
ペトロはなんと逆さ十字架に架けられて殉教していますね。以上です。
585 :
584:05/03/16 01:36:59 ID:Rh4XWs2P
文章が目茶苦茶ですが、なんとかご理解を。m(__)m
イエスと旅していたときは、不安はあったのかもしれないが、
キリストの存在に対しては、疑いを持っていなかったと思う。
ただ、キリストの受難のときに肉体限りではあるが「死」というものを見て、
震え上がり、冷静さを失い、そこから逃げ出してしまったのだと思う。
キリストの復活を見て、勇気付けられ、聖霊に触れられて、霊の目を開かれた。
587 :
名無しさん@3周年:05/03/17 00:07:09 ID:/cD/qDub
>>584 本当は逃げたかったんですよ。
でも思い直して自らローマへの道を戻り、逆さ十字架に架けられました。
最後の最後までペトロらしい人生だったと思いますよ。
588 :
名無しさん@3周年:05/03/17 00:12:56 ID:U1BO0fs+
>>584 「裁き」から逃れたく、「永遠の生命」が欲しかっただけではないのですか。
自分だけは満足しても、身近な者達を苦しませ、悲しませることについては
一体どう思っていたのですかね。根拠のない自分だけの満足のために、実は
大きな罪を犯したことになります。
>まだ、この時点では、ペトロでさえ信仰が弱いのです。
しかし、ガラテヤ2章11−14節からは、その後も弱かったような気がする。
福音書に出てくる、イエスに叱責されたり、イエスを裏切ったりする場面も
この箇所とあわせ読むと、リアリティを感じてしまう。
主よ、告白します。
昔通った教会の牧師が説教で
「遠藤周作の作品を読むな」というのを聞いたとき
私はこの教会を去る決心をしました。
主よ憐れみたまえ。あーめん。
591 :
名無しさん@3周年:05/03/17 01:15:14 ID:18ya7g4g
明治時代、内村鑑三さんが正統主義にこだわり、ユニテリアンを
敵視して警戒し、執拗に排斥しなければな〜。
現在は、日本のキリスト教の主流になっていたかも知れないよ。
内村鑑三さんは、立派な方だったが、その事に関しては惜しまれる。
ユニテリアンの信仰は、宗教多元主義の概念に近いからね。
>>590 良い牧師さんじゃないか。
神は、その牧師を祝福されたな。
「読まない方がいいです。」というのが一番よかったのかもしれないけど、悪い牧師ではないと思う。
求道者を躓かせたくなかったのでしょう。
>>590 遠藤周作の小説のために教会生活を躓かせるなんて本末転倒だと思うけど?
あれは読むにゃ。。これは聞くにゃ。
あれは食べるな。。他の教会には行くにゃ。。
すべて俺の言うとおりにしろ!天国は保障しるヽ(`Д´)†
595 :
名無しさん@3周年:05/03/18 00:43:59 ID:vOW8grOz
イエス・キリストは大乗仏教の影響を受けていたらしいな。
596 :
名無しさん@3周年:05/03/18 01:32:51 ID:+iNu+jpT
>>567さんは正しい。イエスの愛に触れれば、奇跡はどうでもよくなる。
>>596 ただ単に、そう思いこみたいだけだろ?
俺が困った時に祈ったのに、何も奇跡が起きなかった。
ああ、奇跡なんて無いのさ。そうに決まっている。
って、感じ?
イエスのある部分は受け入れて
ある部分は否定したり、どうでもいい
だなんて思う事自体おかしな事。
>>596 イエス・キリストの奇跡がどうでもいいだなんて、キリストの復活もどうでもいいの?
キリストの復活なくして人がどうして永遠に生きることなどできようか。
遠藤の小説はそういうことすら考えなくさせるの?
だったら本当に危ないよ。
600 :
名無しさん@3周年:05/03/18 14:15:28 ID:fVI0PV/a
601 :
うさぎ888σ(・ω・*) ◆l8/Ncjcsrg :05/03/18 15:00:47 ID:p6Nf7/BV
とにかく遠藤先生の作品を読んでからカキコ希望!
どの作品を読んで何を感じたかを書くのがこのスレ。
602 :
名無しさん@3周年:05/03/18 15:20:23 ID:9FBCb1t5
603 :
うさぎ888σ(・ω・*) ◆l8/Ncjcsrg :05/03/18 15:23:27 ID:p6Nf7/BV
>>602 うるさい!
スレ主に言え。ボケッ!炒飯でも食ってろぉー
∧,,∧
(;`・ω・) 。・゚・⌒) チャーハン作るよ!!
/ o━ヽニニフ))
しー-J
アッ! 。・゚・
∧,,∧ て 。・゚・。・゚・
(; ´゚ω゚)て //
/ o━ヽニニフ
しー-J 彡
∧,,∧ ショボーン
( ´・ω・)
c(,_U_U ・゚・。・ ゚・。・゚・ 。・゚・
━ヽニニフ
よしバレてない
クルッ ∧,,∧
ミ(・ω・´ )つ サッサ
c( U・ ゚U。彡・ 。・゚・
━ヽニニフ
∧,,∧ 。・。゚・。 ゚・。゚・ できたよ〜
( ´・ω・)つ\・゚・ 。・゚・・/
604 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/18 21:37:09 ID:kokAreck
>>535-538 >>536 >日本語の聖書が、人+人 ◆8fRI53Oe1oさんが
>>527で挙げた多くの種類の
>「愛」を使い分けて訳してない以上、事実をねじ曲げていることになります
>よね?????
ご指摘の部分に関しては、信仰の上でとても重要な問題だと思います。
聖書の事実を我々は知らされていないし、カトリックの誤謬を信徒は知らずに
飲み込まされているということはあり得ないとも言えないと思います。
遠藤周作さんについての話題とは直接関係ありませんが、カトリックの信仰
を考える上でも、キリスト教という観点からも聖書の記述の事実と比較して
問題点を把握しておくことは信徒・未信徒を問わず重要なことだと思いますので
ここで自分の考えの一部をお話しておきます。
605 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/18 21:43:18 ID:kokAreck
お話することの第一点は、聖書に現れる「愛」としての「アガペー」
と次の資料内容とを比べてカトリックの教義の不明瞭さについて指摘
します。
資料:『現代カトリック事典』ジョン・A・ハードン/編著
A・ジンマーマン/監修 浜 寛五郎/訳 エンデルレ書店
P7 項目◎「アガペー agape」
最もキリスト教的な愛の形。この語は三位一体のペルソナ(神なる父と子と
聖霊)の間の愛を描くためにキリストによって使われ、キリストの弟子が互いに
愛し合うことを命じたときにも、この語が使われた。(ヨハネ13:34-35)。
アガペーとは完全に無私の愛であって、自分の利益を求めず、他人の利益に
なることだけを求める。あるいは他人と分け合うことだけを求める。
固有名詞として、初代教会の宗教的会食をさす語として「アガぺー」が
使われている(1コリント11:20-22,33-34)。最初に、このような会食は聖体
祭儀といっしょに行われたが、しばらくのちに会食に秩序の乱れと不正行為が
生じたため、ミサから切り離された。カルタゴ公会議によってこのアガペー
(宗教的会食)を禁止する規定が発表され(397年)、8世紀にはこの習慣は
まったくすたれてしまった。第二バチカン公会議以来、ある範囲内での
アガペー(宗教的会食)が奨励されている(『信徒使徒職に関する教令』 8)。
606 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/18 21:49:39 ID:kokAreck
以下は、新共同訳にて「愛」と訳されている個所について福音書のみに
ついて列挙し、ギリシャ語原典(UBS修正三版)と比較して訳語に疑問の出る
聖句はオリジナルで訳した資料です。
1.マタ 3: 17 [新共同
そのとき、「これはわたしの愛する【アガペトス】子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。
2.マタ 5: 43 [新共同
「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し【アガペセイス(アガパオー)】、敵を憎め』と命じられている。
3.マタ 5: 44 [新共同
しかし、わたしは言っておく。敵を愛し【アガパーテ(アガパオー)】、自分を迫害する者のために祈りなさい。
4.マタ 5: 46 [新共同
自分を愛してくれる【アガポンタス(アガパオー)】人を愛し【アガペセテ(アガパオー)】たところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。
5.マタ 6: 24 [新共同
「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛する【アガペセイ(アガパオー)】か、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
607 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/18 21:50:23 ID:kokAreck
6.マタ 10: 37 [新共同
わたしよりも父や母を愛する【フィロン(フィロー)】者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する【フィロン(フィロー)】者も、わたしにふさわしくない。
7.マタ 12: 18 [新共同
「見よ、わたしの選んだ僕。わたしの心に適った愛する【アガペトス】者。この僕にわたしの霊を授ける。彼は異邦人に正義を知らせる。
8.マタ 17: 5 [新共同
ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する【アガペトス】子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。
9.マタ 19: 19 [新共同
父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい【アガペセイス(アガパオー)】。』」
10.マタ 22: 37 [新共同
イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい【アガペセイス(アガパオー)】。』
608 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/18 21:52:41 ID:kokAreck
11.マタ 22: 39 [新共同
第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい【アガペセイス(アガパオー)】。』
12.マタ 24: 12 [新共同
不法がはびこるので、多くの人の愛【アガペー】が冷える。
13.マコ 1: 11 [新共同
すると、「あなたはわたしの愛する【アガペトス】子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
14.マコ 9: 7 [新共同
すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する【アガペトス】子。これに聞け。」
15.マコ 12: 6 [新共同
まだ一人、愛する【アガペトン(アガペトス)】息子がいた。『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に息子を送った。
16.マコ 12: 30 [新共同
心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい【アガペセイス(アガパオー)】。』
17.マコ 12: 31 [新共同
第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい【アガペイセス(アガパオー)】。』この二つにまさる掟はほかにない。」
609 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/18 21:54:33 ID:kokAreck
18.マコ 12: 33 [新共同
そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し【アガパン(アガパオー)】、また隣人を自分のように愛する【アガパン(アガパオー)】』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」
19.ルカ 2: 52 [新共同
イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された【カリティ(カリス)】。
20.ルカ 3: 22 [新共同
聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する【アガペトス】子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
21.ルカ 6: 27 [新共同
「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し【アガパーテ(アガパオー)】、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。
22.ルカ 6: 32 [新共同
自分を愛してくれる【アガポンタス(アガパオー)】人を愛した【アガパーテ(アガパオー)】ところで、あなたがたにどんな恵み【カリス】があろうか。罪人でも、愛してくれる【アガポスイン(アガパオー)】人を愛して【アガポンタス(アガパオー)】いる。
23.ルカ 6: 35 [新共同
しかし、あなたがたは敵を愛しなさい【アガパーテ(アガパオー)】。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。
24.ルカ 7: 5 [新共同
わたしたちユダヤ人を愛し【アガパ(アガパオー)】て、自ら会堂を建ててくれたのです。」
610 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/18 21:56:41 ID:kokAreck
25.ルカ 7: 42 [新共同
二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛する【アガペセイ(アガパオー)】だろうか。」
26.ルカ 7: 47 [新共同
だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛【ヘガペセン(アガパオー)】の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛する【アガパ(アガパオー)】ことも少ない。」
27.ルカ 10: 27 オリジナル
彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい【アガペセイス(アガパオー)】、また、あなた自身のように隣人に対しそうありなさい』とあります。」
28.ルカ 11: 42 [新共同
それにしても、あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。薄荷や芸香やあらゆる野菜の十分の一は献げるが、正義の実行と神への愛【アガペン(アガペー)】はおろそかにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もおろそかにしてはならないが。
29.ルカ 16: 13 [新共同
どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛する【アガペセイ(アガパオー)】か、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
30.ルカ 20: 13 [新共同
そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する【アガペトン(アガペトス)】息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』
31.ヨハ 3: 16 [新共同
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された【ヘガペスイン(アガパオー)】。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
32.ヨハ 3: 35 [新共同
御父は御子を愛して【アガパ(アガパオー)】、その手にすべてをゆだねられた。
611 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/18 21:58:30 ID:kokAreck
33.ヨハ 5: 20 [新共同
父は子を愛して【フィレイ(フィレオ)】、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。
34.ヨハ 5: 42 [新共同
しかし、あなたたちの内には神への愛【アガペン(アガペー)】がないことを、わたしは知っている。
35.ヨハ 8: 42 [新共同
イエスは言われた。「神があなたたちの父であれば、あなたたちはわたしを愛する【ヘガパーテ(アガパオー)】はずである。なぜなら、わたしは神のもとから来て、ここにいるからだ。わたしは自分勝手に来たのではなく、神がわたしをお遣わしになったのである。
36.ヨハ 10: 17 [新共同
わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる【アガパ(アガパオー)】。
37.ヨハ 11: 3 [新共同
姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者【フィレイス(フィレオ)】が病気なのです」と言わせた。
38.ヨハ 11: 5 [新共同
イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた【ヘガパ(アガパオー)】。
39.ヨハ 11: 36 [新共同
ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられた【エフィレイ(フィレオ)】ことか」と言った。
612 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/18 22:02:45 ID:kokAreck
40.ヨハ 12: 25 [新共同
自分の命を愛する【フィロン(フィレオ)】者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。
41.ヨハ 13: 1 [新共同
さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して【アガペサス(アガパオー)】、この上なく愛し【ヘガペセン(アガパオー)】抜かれた。
42.ヨハ 13: 23 [新共同
イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた【ヘガパ(アガパオー)】者が食事の席に着いていた。
43.ヨハ 13: 34 [新共同
あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し【アガパーテ(アガパオー)】合いなさい。わたしがあなたがたを愛した【ヘガペサ(アガパオー)】ように、あなたがたも互いに愛し【アガパーテ(アガパオー)】合いなさい。
44.ヨハ 13: 35 オリジナル
もし、互いの間に愛【アガペン(アガペー)】を保つならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」
45.ヨハ 14: 15 [新共同
「あなたがたは、わたしを愛している【アガパーテ(アガパオー)】ならば、わたしの掟を守る。
613 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/18 22:06:20 ID:kokAreck
46.ヨハ 14: 21 [新共同
わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する【アガポン
(アガパオー)】者である。わたしを愛する【アガポン(アガパオー)】
人は、わたしの父に愛される【アガペセセタイ(アガパオー)】。
わたしもその人を愛して【アガペソー(アガパオー)】、その人にわたし
自身を現す。」
47.ヨハ 14: 23 [新共同
イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する【アガパ(アガパオー)】
人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され【アガペセイ
(アガパオー)】、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。
48.ヨハ 14: 24 [新共同
わたしを愛さ【アガポン(アガパオー)】ない者は、わたしの言葉を守らない。
あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしに
なった父のものである。
49.ヨハ 14: 28 [新共同
『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と
言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛している【ヘガパーテ
(アガパオー)】なら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。
父はわたしよりも偉大な方だからである。
50.ヨハ 14: 31 [新共同
わたしが父を愛し【アガポオー(アガパオー)】、父がお命じになった
とおりに行っていることを、世は知るべきである。さあ、立て。ここから
出かけよう。」
614 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/18 22:07:20 ID:kokAreck
51.ヨハ 15: 9 [新共同
父がわたしを愛された【ヘガペセン(アガパオー)】ように、わたしもあなたがたを愛してきた【ヘガペサ(アガパオー)】。わたしの愛【アガペー】にとどまりなさい。
52.ヨハ 15: 10 [新共同
わたしが父の掟を守り、その愛【アガペー】にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛【アガペー】にとどまっていることになる。
53.ヨハ 15: 12 [新共同
わたしがあなたがたを愛した【ヘガペサ(アガパオー)】ように、互いに愛し【アガパーテ(アガパオー)】合いなさい。これがわたしの掟である。
54.ヨハ 15: 13 [新共同
友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛【アガペン(アガペー)】はない。
55.ヨハ 15: 17 [新共同
互いに愛し【アガパーテ(アガパオー)】合いなさい。これがわたしの命令である。」
56.ヨハ 15: 19 [新共同
あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛した【エフィレイ(フィレオ)】はずである。だが、あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである。
57.ヨハ 16: 27 [新共同
父御自身が、あなたがたを愛しておられる【フィレイ(フィレオ)】のである。あなたがたが、わたしを愛し【プェフィレカテ(フィレオ)】、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。
615 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/18 22:10:00 ID:kokAreck
58.ヨハ 17: 23 [新共同
わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが
完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしに
なったこと、また、わたしを愛しておられた【ヘガペサス(アガパオー)】
ように、彼らをも愛しておられた【ヘガペサス(アガパオー)】ことを、
世が知るようになります。
59.ヨハ 17: 24 [新共同
父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して【ヘガペサス(アガパオー)】、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。
60.ヨハ 17: 26 オリジナル
そして御名を彼らに知らせましたしこれからも知らせます。このわたしを愛している【アガペサス(アガパオー)】あなたの愛【アガペー】が彼らの内にあり、わたしもその彼らの内にいるためにです。」
61.ヨハ 19: 26 [新共同
イエスは、母とそのそばにいる愛する【ヘガパ(アガパオー)】弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。
62.ヨハ 20: 2 [新共同
そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられた【エフィレイ(フィレオ)】もう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」
63.ヨハ 21: 7 [新共同
イエスの愛しておられた【ヘガパ(アガパオー)】あの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。
616 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/18 22:12:42 ID:kokAreck
64.ヨハ 21: 15 [新共同
食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この
人たち以上にわたしを愛している【アガパス(アガパオー)】か」と言われた。
ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛している【フィロー(フィレオ)】
ことは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を
飼いなさい」と言われた。
65.ヨハ 21: 16 [新共同
二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛している
【アガパス(アガパオー)】か。」ペトロが、「はい、主よ、わたしが
あなたを愛している【フィロー(フィレオ)】ことは、あなたがご存じ
です」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。
66.ヨハ 21: 17 [新共同
三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛している
【フィレイ(フィレオ)】か。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを
愛している【フィレイ(フィレオ)】か」と言われたので、悲しくなった。
そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを
愛している【フィロー(フィレオ)】ことを、あなたはよく知っておられます。」
イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
67.ヨハ 21: 20 [新共同
ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた【ヘガパ(アガパオー)】
弟子がついて来るのが見えた。この弟子は、あの夕食のとき、イエスの
胸もとに寄りかかったまま、「主よ、裏切るのはだれですか」と言った
人である。
>>298 そうです。彼は残念ながら多元主義の異端者でした。
618 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/18 22:15:41 ID:kokAreck
>>605で挙げた『現代カトリック事典』の文面を読むと、カトリックでは4世紀前後に
愛餐を意味するアガペーという言葉が消えています、8世紀にはその意味に
おけるアガペーが教会内部で不都合を生じさせたということで言葉そのものが
忘れ去られました。第二バチカン公会議後の反省において、愛餐という定義
付けの下にアガペーという語を復活させようとしているようです。
しかし、新約聖書の福音書だけを一例に挙げてもそこに現れる「愛」は
多くがアガペーという言葉で愛を、アガパオーという言葉で愛することを
表現している個所が大半であることが事実なわけです。教会の信仰の中核に
「アガペー」を愛餐として中核に位置付けたところで果たして教会生活が
聖書を明らかにすると言えるのか?より大事な聖書の本質を故意に欠くことに
つなががるものではないのか、疑問が持たれるところだと思います。
619 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/18 22:19:29 ID:kokAreck
618の後半など、文面が相当荒れて不必要な重複した単語が見受けられたり
しますが、乱文ご容赦下さい。
620 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/18 22:40:17 ID:kokAreck
第二点は
>>616に挙げているヨハネ福音書におけるイエスとペトロとの
やり取り(64-66)が注意を払っていただきたい問題点のひとつです。
イエスがペトロにアガペーという言葉でご自身を愛されているかと二回
問います。対してペトロは二回ともアガペーではなくフィロー(フィレオ)
という言葉に代えてイエスに応対します。最後に三回目、イエスはご自身
から「フィレイ(フィレオ)」という言葉でペトロに問いかけます。
ペトロの悲しみの意味は翻訳聖書を読んだのではわからないのかも
しれません。カトリック信仰上自分にはここが、とても大きな示唆を
与えていると思っています。
イエスが信頼し、教会を託されたペトロに倣うならば、ペトロ自身も
ペトロの後継者も何もかもをイエスと分かち合ったイエスの代理である
とか不可謬であるとか宣言することなく、イエスを慕いイエスに精一杯
応えようとしながらも心を完全に一致させることの出来ない人間的な
弱さと限界を持った一人の使徒であるということにもう少し注意を
払うべきではないかと感じます。カトリックは歴史の変遷の中で、
キリスト教の真髄を見失ってしまっているかもしれません。弱さも
限界も告白する中でのペトロにイエスは教会の司牧を託したのでした。
イエスが近づいて信頼を寄せる人がほかならぬペトロであったことを
キリスト教に興味のある人は信徒・未信徒を問わず今一度考えてみる
必要があるのではないでしょうか?
621 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/18 22:56:51 ID:kokAreck
カトリックが曲がっているとすれば次の旧約聖書の成就にあたることが
ないかどうかというのが問題点です。
●旧約聖書イザヤ書44章8節
『恐れるな、おびえるな。既にわたしはあなたに聞かせ
告げてきたではないか。あなたたちはわたしの証人ではないか。
わたしをおいて神があろうか、
岩があろうか。わたしはそれを知らない。』
●申命記32章、その内でも37−39節
『主は言われる。
「どこにいるのか、彼らの神々は。どこにあるのか、彼らが身を寄せる岩は。
彼らはいけにえの脂肪を食らい
注がれた酒を飲んだではないか。さあ、その神々に助けてもらえ
お前たちの避け所となってもらえ。
しかし見よ、わたしこそ、わたしこそそれである。わたしのほかに神はない。
わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、またいやす。
わが手を逃れうる者は、一人もない。』
イエスキリストに近づき、神である岩が唯一であると認める時に我々
は鎧を捨ててイエスに近づきながら我々は、イエスの言う「父なる神」
に出会ってゆくのかもしれません。使徒の頭、教会の頭とされたペトロ
でさえも弱い人間のうちにこそイエスに認められているという節がある
のです。ペトロはイエスのようになっていたから、あるいは特別の
栄光がそこにすでにあったがゆえにイエスに信頼され、民を任された
のではなかったのではないか?と問題提起され得ると自分は思います。
カトリックの正しさは不可謬であると宣言する故のものではなく、
お互いに祈りや愛によって信仰や救いを神に願いつつ与えあうところに
あるものなのではないでしょうか?
622 :
名無しさん@3周年:05/03/19 02:46:36 ID:frYj8bu0
あ〜あ、またしても聖書原理主義者の登場ですか・・・
遠藤周作さんが書いたのは、文学・啓蒙書としての「イエスの生涯」です。
決して、教典自体ではないのです。
19世紀以降、文学・啓蒙書として書かれた「イエスの生涯」(イエス伝)には、
とても優れた作品があります。
例として、今も読み継がれている、代表的な作品を幾つか挙げておきます。
エルネスト・ルナン (Ernest Renan ) 「イエスの生涯」
フランソワ・モーリヤック 「イエスの生涯」
シュヴァイツァー(Albert Schweitzer) 「イエスの生涯」
遠藤周作 「私のイエス」「イエスの生涯」「キリストの誕生」
さらに、井上洋治神父の最新刊、「わが師イエスの生涯」を加えておきまする。
他にも、「イエスの生涯」(イエス伝)は数々ありますが、現代聖書学の成果を
ふまえた、文学性のある穏健な作品のみを挙げました。
624 :
名無しさん@3周年:05/03/19 03:11:02 ID:frYj8bu0
>>623 それでは、あなたに対してに対して尋ねよう。
あなたにとって、読むに値する本とは、何なのか?
>>624 聖書
イエスに関して言えば、聖書以外なんの価値もなし。
あ、ちなみに福音派じゃないよ(w
626 :
名無しさん@3周年:05/03/19 03:55:04 ID:sumJsBGm
>>624 「死海のほとり」いいですぞ。
この本は、13章から成っていて、現代→当時→現代→当時と場面が変わります。
で、1エルサレムの32ページを読むだけでも大変面白く勉強になります。
学生時代入信したばかりの戸田と幼児洗礼の私。そして、その数十年後に聖書研究
を続けてきた戸田の案内で聖地エルサレムを見て回る「作家になった私」。
627 :
626:05/03/19 04:01:37 ID:sumJsBGm
やはり、日本人には合わないなあと思われるキリスト教を描いてる場面では
西欧人の腋臭がたちこめますw
この板にも、1エルサレムに出てくる「学生時代の戸田」を自分に重ね合わせ、
赤面する人がいるかもしれませんぞ。
628 :
626:05/03/19 04:13:52 ID:sumJsBGm
私が大爆笑した箇所をひとつ紹介しておきます。
信者の学生達が、らい病院に慰問に行くのだが、迎えたそこの事務長が患者さん達に
会う前に、「皆さん消毒風呂に入られますか」と学生達に勧める。その時の場面。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私はもちろん二、三人の者が立ちあがりかけた時、戸田が首をふって、
「消毒なんかしなくたっていいよ。すべきではないと思うな」
そんなことをするのは患者たちにたいする侮辱だと彼が言い、私たちは黙りこんだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
629 :
626:05/03/19 06:28:42 ID:ZPLxQV8L
あれれ、よく見ると、アンカーを間違えてました。
私の
>>626のアンカーは、
×
>>624 ○
>>623 >>625 ということにしておいてください。
未だ井上洋治神父の最新刊、「わが師イエスの生涯」は読んでいませんが、
私も
>>622さんの勧められてる本をみなさんにお勧めします。
630 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/19 07:41:02 ID:i0CscN+u
皆さんおはようございます。
>>622 >あ〜あ、またしても聖書原理主義者の登場ですか・・・
聖書原理主義とか、そういう立場でこちらは書き込みしているわけでは
ありません。カトリックは次のように聖書に親しむことを奨励しているの
ですから。また、あなたはカトリックではない方かもしれませんね、いろいろ
な書籍を挙げておられますが、ジュゼッペ・リッチョッティ著『キリスト伝』
フェデリコ・バルバロ訳 ドン・ボスコ社 ISBN4-88626-068-3なんかはお読みに
なったことはありますか?この書籍に対するあなたの評価なんかが伺えたら
うれしいですね。
『カトリック要理 改訂版』p92-93より以下引用
【(C) 教会の生活における聖書
聖書において、神父は深い愛情をもって常にご自分の子どもと出会い、
語り合います。そして神のことばは教会にとってはささえと気力となり、
教会の子どもにとっては信仰の力、魂のかて、霊的生命の清く尽きない
泉となるような力と性質をもっています。
教会はまた、すべてのキリスト信者に、しばしば聖書をひもといて「イエズ
ズス・キリストの崇高なる知識」(フィリピ3・8)を学ぶよう、特に強く
勧めています。したがってキリスト者は喜んで聖書に親しまなければ
なりません。それは神のことばに満ちた典礼により、あるいは信心深い
聖書の読書により、あるいは教会の司牧者の承認と指導のもとに行われて
いる、いろいろの方法によることができます。しかし聖書を読むに
あたっては、神と人間との対話ができるよう、それに祈りを加えることを
忘れてはなりません。実際「私たちは祈る場合は神に話しかけ、神の
ことばを読む場合は神の話を聞く」のです。(『啓示憲章』21、25参照)】
>>620 ペトロの悲しみというのは、
イエスが示されたアガペーの形態をもって愛することができ(てい)ない、
ということを自分が悟っているから、ということでしょうか?
それにしても、アガペーと会食の関連付けもまた意味不明なところです。
もう少し詳しい説明をお願いできますでしょうか?
632 :
名無しさん@3周年:05/03/19 15:01:11 ID:Uam5OKMu
>>631 「カトリックはペトロを神と近すぎる扱いをしてる。もっとペトロは弱い人間
として捉えるべきだ。そんなペトロでもイエスはよしとしたのだから。」
というカトリック批判みたいですね。
633 :
名無しさん@3周年:05/03/19 15:47:48 ID:frYj8bu0
>>626 「死海のほとり」、たしかに素晴らしい本ですね。傑作でしょう。
疑いつつも、信仰を棄てきれない辛さ。
さらに、この作品にもイエスの人間としての姿が、遠藤流に描かれています。
そんなイエスに感動すると同時に、今の自分自身について、「これで良いのか」
と反省させられる本でもあります。
遠藤周作さんの「イエスの生涯」を読む人は、さらに「死海のほとり」も読むと良い
ですね。相乗効果で、周作先生の考えが、より理解できると思います。
634 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/19 16:57:28 ID:i0CscN+u
>>631 ペトロの悲しみについて説明しきることは自分には出来ません。しかし、
少なくとも聖書のギリシャ語原典にはアガペで尋ねるイエスとフィローで
応えるペトロがいるのですから、それはそのままを翻訳すべきだと思います。
それまでの体験から怖気づき気味のペトロに対してやさしくイエスの方から
歩み寄ってペトロに「主よ、あなたは何でもご存知です。わたしがあなたを
愛していることは知っておられます」と言わせた三度目のイエスの問いかけは
ペトロの最後を考え合わせると「愛する者ら(フィロン)のために自分の命を
投げ置くこと、それ以上に大きな愛(アガペン)はない」ヨハネ15章13節の言葉
の成就への布石にもなっていたのではないかと思います。イエスはペトロの
ためにも命を惜しまれなかったこと、ペトロ自身が一番よくわかっていた
でしょうし、ペトロの最後はフィローと告白してきたその方を含めて愛する
者たちのために命を投げ置くのですから。
人間として弱いペトロに限りなくイエスご自身の方から近づいたことは
ペトロに完全を見たからでもペトロに栄光を見たからでもなかったのでは
ないかと自分は思うのです。もちろんこのことがあってからイエスは天に
昇られ、聖霊降臨が訪れ、イエスの弟子たちは勇気を得つつ宣教に向かう
ことになるのです。イエスが共におられた時には「フィロー」としか告白
出来なかったペトロは、イエスの仰っていたとおり都に留まっていた時に
聖霊を受けた後は恵みと力に満たされた事でしょう。しかし、最後には
フィロン(親愛なる者たち、愛する者たち)のために命を投げ置き神の御前に
あって無上のアガペーを神と人とに示し、キリストに従う者の先人として
立派に使徒の役割を担った使徒の頭にふさわしい人物であったことを歴史に
刻まれることとなるわけです。
はじめにイエスが近づいてくれた素直なペトロ。自分にはそのペトロという
人物像が非常に重要な気がしてなりません。その意味でも
>>616に挙げた部分
の翻訳は異なる単語を「愛」で括ることなく、書かれている原文に直接返って
ゆけるような明瞭な翻訳がなされるべきだと考えます。
635 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/19 17:02:41 ID:i0CscN+u
>>632 ペトロというのは「岩」という意味ですから、旧約の預言などとの
関係で色々と考えないといけないのではないかと自分は思いますよ。
単にカトリック批判をしているなんてつもりはありません。カトリック
が歴史の中でカトリックではなくなっていやしないだろうかと不安や
怖れが自分の中にあるのは確かです。それは否定しません。
636 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/19 17:15:22 ID:i0CscN+u
>>631 > それにしても、アガペーと会食の関連付けもまた意味不明なところです。
>もう少し詳しい説明をお願いできますでしょうか?
この点については自分の方が聞きたいくらいです。ただ
>>605で挙げた
『現代カトリック事典』の説明最後にある「信徒使徒職に関する教令 8」は
手元に『第二バチカン公会議 公文書全集 (南山大学監修)』があるので
引用することが出来ます。自分にはその説明はアガペーを主に愛餐とし
カリスをアガペーと同列に扱うことで愛の意味合いにおける比重をアガペから
カリスに移して説明されているように見えますが、皆さんはどう思うのか
お聞きしたいところですね。
【8(愛のわざ) すべての使徒敵活動は愛徳から発し、愛徳から力をくみとら
なければならないが、ある事業は、その性質からしてすでに、生き生きとした
愛徳の表現としてふさわしいものである。主キリストは、このような仕事が
自分のメシアとしての使命のしるしとなることを望んだ(マタイ 11・4-5参照)
続く】
637 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/19 17:22:30 ID:i0CscN+u
【律法のなかで最大のおきては、心を尽くして神を愛し、隣人を自分と
同じように愛することである(マタイ22・37-40参照)。隣人に対する
この愛のおきてを、キリストは自分のおきてとなし、新しい意味を加え
て、それをさらに豊かにした。というのは、愛の対象となる兄弟たちと
自分が同一のものであることを望み、「あなたがたが、わたしの兄弟で
あるこれらの最も小さな人々のひとりにしたことは、つまりわたしにしたことである」(マタイ25・40)とキリストは言っているからである。
事実キリストは、自分が人間性を受けたことによって、一種の超自然的
連帯性をもって全人類を一家族として自分に結び合わせ、「互いに愛し
合うなら、それによって、人は皆、あなたがたがわたしの弟子である
ことを認めるであろう」(ヨハネ13・35)と言って、愛を自分の弟子の
しるしとしたのである。 つづく。
638 :
我 ◆82SSORBSMo :05/03/19 17:23:42 ID:ApTzQseO
639 :
名無しさん@3周年:05/03/19 17:31:18 ID:DnXklgdd
遠藤周作は正直なんだよ。
キリスト絶対主義はもはや不可能だということは明らか。
640 :
名無しさん@3周年:05/03/19 17:31:45 ID:Uam5OKMu
>>634 > 人間として弱いペトロに限りなくイエスご自身の方から近づいたことは
>ペトロに完全を見たからでもペトロに栄光を見たからでもなかったのでは
>ないかと自分は思うのです。
私もそう思うし、遠藤先生も、他のカトリック信者の方々も同じように考え
ていると思いますよ。
それで、あなたの言いたいことは、ペトロの理解が大切だから「愛」をもっと
細かく分けて訳した方がいいということですね。それは遠藤先生がですか?
それとも日本の聖書のことですか?
あなたの投稿が、このスレとどのように関係があるのか、さっぱりわからない
のですよ。
641 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/19 17:33:47 ID:i0CscN+u
実際、聖なる教会はその初期において、聖体の晩餐に「愛さん(アガペ)」
をつけ加え、教会全体が愛のきずなによって、キリストを中心として
結ばれていることを表明していた。そのように、教会はいつの時代に
おいても、この愛のしるしで識別されている。教会外の人による愛の
事業に敬意を払うとともに、愛のわざが教会の義務であり、譲ることの
できない権利であることを教会は強く主張している。そのため、困窮者
や病人に対する同情はもちろん、さらに、いわゆる慈善事業やあらゆる
窮乏を和らげる相互扶助の仕事などを、教会は特に高く評価している。
これらの愛の活動と事業は、交流機関が容易に使用でき、人間相互間
の距離がある程度克服され、世界の人が一つの家族を形成するかのよう
になった今日、以前よりもより緊急な、より広範囲にわたるべきものと
なった。愛の活動は、今日すべての人とあらゆる窮乏にゆきわたることが
でき、またゆきわたらなければならない。食物、飲物、衣料、医薬、仕事、
教育などをはじめ、人間らしい生活をおくるために必要なものを欠く
人々、困窮や病弱に苦しむ人々、追放や投獄で苦しむ人々を、キリスト
教的な愛徳は、所を問わずどこにおいても探し出し、あたたかい心
づかいをもって慰め、適切な援助をしなくてはならない。この義務は
まず富裕な個人と富める国民に課されている。 つづく。
642 :
名無しさん@3周年:05/03/19 17:34:37 ID:OW4peHs+
何かのコピペですか?倫理神学か公会議文書のテキストみたいな口調だな
643 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/19 17:42:47 ID:i0CscN+u
>>639 遠藤周作は、自分の哲学を語るのに正直であったかもしれませんが、
それならばキリスト教に絡めずに話をしたらよかったのではないかと
思う部分が自分にはありますね。思想としてカトリックを語ったり
欧米のキリスト教を「ヨーロッパのキリスト教」と位置付け、合理的
分析的、明白なものとして一方に置いた上で、日本におけるキリスト教
を語る。そうした哲学的宗教考察で日本的なキリスト教というものを
考えても、キリスト教を語ることにはまったくならないのではないかと
自分は思います。キリスト教を分解して再構成するだけの日本向けの
『キリスト』を冠した哲学を語っているのが遠藤さんのキリスト教への
切り口なのではないかと思ったりしてしまいます。
644 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/19 17:51:50 ID:i0CscN+u
>>640 >それで、あなたの言いたいことは、ペトロの理解が大切だから「愛」
>をもっと細かく分けて訳した方がいいということですね。それは遠藤
>先生がですか?それとも日本の聖書のことですか?
遠藤氏が聖書の内容について語るときに、彼の知識は半分は本当で
半分が偽りやむ意味なものであったり、話半分で事実認識が大幅に欠け
ているのではないか思わせるものがあると自分は感じているのです。
聖書の翻訳には逐語訳とは言いませんが原典の言葉の違いを如実に
反映するものがあっていいと思っています。
>>642 >>636 >>637 >>641は繋がっていて、南山大学監修「第二バチカン公会議
公文書全集」サンパウロISBN4-8056-5604-2 のP223-224からの抜粋です。
645 :
名無しさん@3周年:05/03/19 17:59:04 ID:BmTkfUVU
遠藤は晩年、唯識に深く入り込んでたね。
私は元カトリックだけど、仏教の唯識や中観の思想に接するに及び、キリスト教から離れてしまった。
別にキリスト教が嫌いになったわけじゃないが。
むかしは、バルトなんかも勉強してたもんだが、キリスト絶対主義にはついに付いてゆけなかった。
646 :
名無しさん@3周年:05/03/19 18:01:39 ID:OW4peHs+
阿頼耶識などについて積極的に発言していますね。
禅の方面に行くと、中観思想にいきつくし、唯識論に発展していからざるを得ない。
647 :
名無しさん@3周年:05/03/19 18:02:48 ID:OW4peHs+
いからざる→いかざる
648 :
名無しさん@3周年:05/03/19 18:11:30 ID:SH2NC712
日本では仏教というと葬式仏教だけど、思想を勉強すると凄いよね。
紀元前後には極めて高度な論理学、認識論を構築してる。
惜しむらくは、仏教の学問は極々一部の知的エリートにしか開かれていなかった。だから、大部分の人はその物凄さを知らないんだね。
最先端の理論物理学の知見は仏教の存在論に近いらしい。
実体論は不可能な時代になりつつあるな。
649 :
名無しさん@3周年:05/03/19 18:12:26 ID:TaNXMrP1
英文和訳で「perfect」を「完壁」と訳したところ、誤りだといわれました。
なぜでしょう?
650 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/19 18:15:18 ID:i0CscN+u
以下は
>>636 >>637 >>641に続く「信徒使徒職に関する教令8(愛のわざ)」から
の引用。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
このような愛の実践は、なんの疑惑をも招かない純粋なものであるべきで、
そのためには隣人の中に神の姿と主キリストを見るようにしなければならない。
人間は神の似姿に造られており、そのうえ困った人に与えたものはことごとく、
実に主キリストに与えたものである。また、援助を受ける人の自由と品位が、
深い心づかいによって尊重されなくてはならない。純粋な意向を私欲や支配欲
によって汚してはならない。正義の立場から行うべきことをまず行ない、正義の
立場からすでに与えなければならないものを、愛の贈り物として与えるような
ことがあってはならない。災いの結果だけでなく、その原因をも取り除かなければ
ならない。助けを受ける人々が、徐々に他人への依存から解かれて自立できる
ように、その助けを秩序づけなければならない。
したがって信徒は、困苦に悩む個人や国民に効果ある助けを与える私的、
あるいは公的な、さらに国際的な愛の事業と社会福祉の事業を重んじ、すべて
の善意ある人々と協力して、これらの事業を援助すべきである。】
〔以上
>>636 >>637 >>641 に続き「信徒使徒職に関する教令8(愛のわざ)」引用終り〕
651 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :05/03/19 18:33:45 ID:i0CscN+u
自分は宗教を生きるという事は、命の置き所を決するということでは
ないかと考えています。宗教は思想や観念として捉えることも出来るの
ですが、理性というのは現実が成り立っている集中化を分析展開して
最後にはバラバラにするものなのかもしれないと思う節があります。
仏教が思想であることと同じようにキリスト教やカトリックの真髄が
思想や論理であると考えるならば早かれ遅かれその人の信仰は解体して
神へ向かうリアルな集中化は雲散霧消すると思います。ですから
本当に信ずるべき宗教に関して真の土台を欠いたままあまり哲学的な
追求をすると、あるとき大切なものが無くなってしまう。そんな悲劇が
待っているのではないかと危惧します。そんな風にはなりたくないもの
です。
652 :
名無しさん@3周年:05/03/19 18:53:05 ID:SH2NC712
思想というと観念の遊戯に堕してしまう連想もありますが、仏教の本来の思想は求道=解脱(悟り、救い)と別のものではないですよ。
むしろ、人間の作り出した一切の観念(=そこに人間の煩悩、苦、罪の源泉がある)を根こそぎ取っ払うための方便ともいえるもの。
その結果、リアル=真実に達しようというのが、極々簡単に言って仏教の目的でしょう。
自力、他力を問わず、最終の目的はここにあります。
653 :
名無しさん@3周年:05/03/19 19:51:52 ID:frYj8bu0
仏教徒でもキリスト教徒でも、救われるから心配ない大丈夫だ。
明らかな邪教に関しては、わからないが・・・
聖書原理主義者は、「仏壇を焼き払い、先祖を埋葬した墓をいじくり、
正式に改宗しろ」と言うが、その必要はない。
仏教徒かつキリスト教徒である事は、ごく普通に両立する。
少なくとも、宗教多元主義の概念ではそうだ。
654 :
名無しさん@3周年:05/03/19 21:13:28 ID:OW4peHs+
>>652 そうです。私も最近それを知りました。
究極のリアリティです。科学とも全く対立しないし、奇跡の類も必要ないし、
不合理を信じる、ということもない。
論理的で納得できる。ひじょーにスッキリします。
655 :
名無しさん@3周年:05/03/19 22:09:20 ID:frYj8bu0
>>652 >>654 然り、同意、その通り。
この概念が普及すれば、宗教戦争は激減するだろうにな〜。
原理主義的な宗教を信じ込んで、人生を狂わされる人もね・・・
えー、過渡のクセして「大法輪」買ってたりする者です、ハイ…
仏教って、大衆的・通俗的な部分の裏側にとんでもねー哲学体系を
持ってたりするらしいってのは、素人目に見ても感じ取れマス …
だからこそ、バチカンが仏教を「福音宣教にとって挑戦となる」
って見做してるんでしょうねー。
まー過渡だったら、過渡の本筋を損なうことなく仏教思想の一部を
モジュールとして飲み込んで仕舞いそうな希ガスんですけどねー。
ローマのミトラ神の誕生日とかヨーロッパの巨木信仰をクリスマスに
取り込んだみたいにさー。
657 :
名無しさん@3周年:05/03/20 01:25:18 ID:pqxuLXRl
カトの神父さんって、昔から仏教ファンがいるね。
宣教のためというのも一部あるけど、ホントに好きになっちゃたというタイプもいるね。
658 :
名無しさん@3周年:05/03/20 01:35:43 ID:tiuxG9s1
クリスチャンである神学者・聖書学者も、「キリスト教が行き着くべき所は、
仏教の無である」と言ってるよ。
逆に、キリスト教由来の文化が日本仏教に流入しているモノもあるよ。
漏れの祖母は浄土真宗なんだけど、そこの寺では「賛仏歌」を
みんなで歌うらしい。で、結構コレが好きだって話。
660 :
名無しさん@3周年:05/03/20 03:22:47 ID:iscqy2dw
仏教には、良い意味で、何でもあり的な側面があるからね。
ヨハネ・パウロ2世の「希望の扉を開く」では仏教に対してけっこう否定的な捉え方だった。
662 :
名無しさん@3周年:05/03/20 15:11:48 ID:/ZbVGIMe
うさぎ888さんお勧めの「母なるもの」。今から読みます。(^^)ニコ
663 :
名無しさん@3周年:05/03/20 17:40:34 ID:/ZbVGIMe
仏教は、生活者として両立できますか?
執着を捨てよだから、株や健康器具を買えなくなる。というより買う気持ち
が湧かなくなるのではないかなあ。服装も気にならなくなるはずだし。
人を選ぶような気がする。
664 :
名無しさん@3周年:05/03/20 18:47:08 ID:yzrsEP9t
宗教家としてはダライ・ラマ14世が上だな。
665 :
名無しさん@3周年:05/03/20 18:55:25 ID:Ug/TqQP5
666 :
662:05/03/20 18:56:27 ID:/ZbVGIMe
短編「母なるもの」を読み終えたのですが、これは渋いですね。
遠藤先生が、隠れ切支丹のマリア信仰がどうして強くならざるを得なかった
のかを、ご自分の母への思いと比較することで、推察する内容だと思いました。
もっとも、一般のカトリック信者の分析でもあるのでしょう。
マリ吉ではありませんが、マリア様の像が欲しくなりました(苦笑)。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
かくれたちにとって、デウスは、きびしい父のような存在だったから子供が母
に父へのとりなしを頼むように、かくれたちはサンタマリアに、とりなしを祈
ったのだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
667 :
I Love Jesus! ◆Fhcps.A/9I :05/03/20 19:23:42 ID:9o9me57q
>>617 せっかく救いを知ったのに残念ですね。
>>622 遠藤氏の小説は、文学としての価値はあるのだろうけど、
決してクリスチャンとしての証になる小説とは言えない。
・「イエスの生涯」のイエスは、無能な男だという遠藤の勝手な想像。
・「聖書」のイエスは、神の子、主権者、救い主、公正なる審判者。
遠藤小説のイエスは、真実のイエスとは違うということ。
遠藤氏のキリストへの理解が小説の通りなら、彼の中には信仰がなかったというだけのこと。
それだけのことですよ。
>>667 遠藤周作氏の最後の作品は、インドの女神とキリストを
同一視するまでに至っている。
多元主義、シンクレティズムの異端だ。
669 :
名無しさん@3周年:05/03/20 20:17:50 ID:mcO9wN5z
>>663 それは小乗でしかも出家者用。在家はもっとゆるいです。
あと大乗仏教もまたしかり。
670 :
名無しさん@3周年:05/03/20 20:28:05 ID:yzrsEP9t
仏教は中観・唯識・如来蔵あたりが面白いのにな。
日本の仏教は宗派が先にたっている。
おまけに南都の仏教哲学が全然知られていない。
実にもったいないことだ。
これでは宝の持ち腐れである。
672 :
I Love Jesus! ◆Fhcps.A/9I :05/03/20 20:41:01 ID:9o9me57q
673 :
名無しさん@3周年:05/03/21 03:05:32 ID:9B+1fqRJ
遠藤周作さんを、異端と呼ぶなら呼ぶが良い。
「宗教多元主義がけしからん・・・」、「否」、たいへん素晴らしい。
異端でけっこう。
大宗教の歴史の中で、宗教上の争いで人を殺した数が一番少ない
のは、間違いなく仏教だ。キリスト教徒が、仏教から学ぶ事は、とても
多い筈だ。
がんじがらめの教条主義キリスト教は、嫌いだ。
私は、「愛の教師イエス」と「仏教」を信じる。
674 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/21(月) 06:51:44 ID:rR5J5d0g
おはようございます。
キリスト教は、仏教ではありません。他者としての神と隣人のために命を
賭す生き方と、家族や国や血縁をすべてすっかり拭い去って自己の中に自己完成
を求める生き方とはおのずと違いがあるものです。国としても家族としても個人と
しても鎖国思考で閉鎖的自己完成を目指すような行動は、現実的にも現代に
あっては不可能なのではないでしょうか?自分を見つけること、他者を受け入れる
こと、両方が必要なのだと思いますが、親も立場も糞もあるか!!と自己を見つめ
だすよりも、神との先約があって神の下に自分は人々と生きる!という謙遜の
内に感謝と喜びをもって生きるという選択のほうがいくらか自然な人間のありかた
ではないかと、まあこれは観念上のことかもしれませんが自分には思えます。
自分は、悟ってもいないし、救われているかどうかもわからないただの罪人
ですから、大きなことは決して言えませんが、遠藤周作さんを否定する理由には
遠藤周作さんが代父になって洗礼を受けた故矢代静一さんとの間にあった自分の
関係した出来事が背景にあり自分はそのことを半ば怖れていてこれまで数年間
他者にお話し出来ずにおりました。また、キリスト教への考えにおいて4世紀
以前にカトリックと言える教会共同体が存在していたのであってそれ以降の
カトリックの歩みはキリスト教としては曲がっていったのではなかろうかという
信仰上の危惧に関しても、これは誤解を受けることをおそれて今まで人に
話したことのない自分自身の信徒との間にあった個人的またある意味宗教的
な幾つかの体験から生まれてきたものなのです。
675 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/21(月) 06:52:19 ID:rR5J5d0g
遠藤周作さんが救われたのか救われたいないのかは自分は神様ではないので
わかりませんが、その思想がキリスト教をさらに複雑に曲げてしまう可能性を
持っているという意味で聖書や要理の記述などと比較してそのあいまいさや
異同の事実を明確にする必要はあると考えています。
自分は、カトリックが愛に結びつく教会、愛の発展する秩序に溢れた教会
であることを節に願っている者の一人ですが、聖人崇敬や前世紀に話題になった
世界各地でのマリア出現と呼ばれる超常的現象、日常見聞きする色々な霊的な
話、そうした霊などとの関係において常に自分はその真偽を見分けていた自信
もなく霊の現象を軽視もしていないため、ずーっと自分がカトリックに関して
思うことについて沈黙してきました。しかし、近年秋田の佐藤司教様やファチマ
の幻視者ルチアさんが亡くなったとのニュースを聞くにつけ、このまま黙って
もいられない状況になったのだと感じ、少しずつ色々なことを真剣にしかも
偽ることなく語っていかなければならないと思うようになっています。
最初に自分の罪や弱さについてお伝えし、祈りをもってこれらの話ははじめ
ないといけないと思っておりますが。詳しいことに関しては、また後ほどか
後日に・・・。
676 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/21(月) 06:55:32 ID:rR5J5d0g
>>674-675は、乱文で所々間違いや言い回しのおかしさがありました。
乱文失礼しました!例:×救われたいないのか→○救われていないのかetc.
677 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/21(月) 07:12:41 ID:rR5J5d0g
以下はあまりに言葉が足らなかったので訂正します。王子としての立場、
国を治めるべき立場の親、妻子があって家族がいたこと、兄弟姉妹の存在、
出家以前のそうした仏教創始者についての環境を少しだけ表現を過激に
書いたつもりでしたが、大事な家族の存在について触れていませんでした
ので書き込み内容をここだけちょっと訂正しておきます。
>>674 L7
×親も立場も糞もあるか!!
↓
○親も兄弟姉妹も妻子も立場も糞もあるか!!
678 :
名無しさん@3周年:2005/03/21(月) 12:25:15 ID:Uoo0mXMc
>>674 「家族や国や血縁をすべてすっかり拭い去って自己の中に自己完成
を求める生き方」
イエスは「私の家族とは誰か」といっていますね。
イエスも家族や血縁は捨てたはず。荒野で修行をしたり。自己完成も目指したのでは?
680 :
名無しさん@3周年:2005/03/21(月) 13:05:00 ID:Uoo0mXMc
>>679 では言い方を変えよう。
キリスト教徒はイエスにならって自己完成を目指すものなのでは?
「あなたがたも完全になりなさい」という言葉が山上の垂訓にありましたね。
>>680 ・主にあって、あなたの父と母を敬え。
・主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。
>>680 自分自身で完全にはなれない。
もしそうなら、キリストは必要なくなる。
ただのモデルではないか。
683 :
名無しさん@3周年:2005/03/21(月) 13:09:17 ID:Uoo0mXMc
>>680 マタイ伝の数々の命令、イエスの発言は無視ですか?
684 :
名無しさん@3周年:2005/03/21(月) 13:10:14 ID:Uoo0mXMc
>>682 完全になる可能性があるから、もしくは努力が必要だからイエスが発言したんじゃないですか?
俺はあんなみすぼらしーのぼせあがった奴が完全に見えないんだけど?
>>683 無視などしていない。
>>681の2つも主の命令です。
>>684 主にあって完全とされるのです。
人間関係を切ることとは直接関係がない。
信仰は個人、救いは家族、霊的戦いは教会です。
687 :
名無しさん@3周年:2005/03/21(月) 13:14:52 ID:Uoo0mXMc
>>686 「信仰は個人、救いは家族、霊的戦いは教会です」
これは聖書のどこにありますか。
688 :
名無しさん@3周年:2005/03/21(月) 13:15:39 ID:Uoo0mXMc
>>686 あなたの信仰で、あなたの家族は救われましたか?聖書どおりに。
>>689 それはよかったですね。
スレ違い気味なのでこのへんで、、、
・地上でイエス様を信じた時
新生--救い。
・地上でのクリスチャン生活
聖化--キリストに似たものに変えられていく。途上。
・イエス・キリストの再臨
栄化--復活のからだ。キリストの似姿に変えられる。
やはり、噛み合いませんね。とほほ。
>>690 質問箱ならもっと具体的というかわかりやすく説明してくれると思います。
聖書の箇所も明確に出してくれるかもしれません。
少なくとも僕よりもずっと博学の方がいると思います。
694 :
名無しさん@3周年:2005/03/21(月) 14:42:06 ID:SBDNSmL+
本当は仏教の方が「関係性」を重視するんだけどね。
というよりも、仏教というのは「全ての存在が関係性において成り立ってる」ことを悟るのが目的でしょう。
キリスト教(とキリスト教とは直接関係ないがプラトニズム)を背景にしている実体論の方が誤りというのは徐々に分かっってきだしてるんだけどね。
欧米でも知識人の間ではそういう認識がひろがりつつある。
695 :
名無しさん@3周年:2005/03/21(月) 14:43:37 ID:4DOPUmc6
人+人 ◆8fRI53Oe1oさん、あなたの文章は長いですね。
そして、残念な事に、とてもわかり難い文章です。実際、要旨がわかりませんでした。
ここで二つ、お尋ねします。
一、イエスが無力な生身の人間だと仮定すると、何故ダメなのか理由を教えてください。
二、聖書が誤りを含む、ただの古文書の一つでは、何故ダメなのか理由を教えてください?
以上、ご回答くだされば幸いでございます。
696 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/21(月) 14:51:36 ID:SMh7DGVi
>>694 仏教も好きですな。中観・唯識・如来蔵とう言葉を聞いただけでもエロス
を感じる。でも、やはり年齢を選ぶような希ガス。
697 :
名無しさん@3周年:2005/03/21(月) 14:59:39 ID:SBDNSmL+
>>696 客観的に自分や物事を見ることが出来るようになるには年季が必要な気もしますね。
一途な熱中も、それはそれで良いものですけど。
それと日本のお坊さんは怠慢ですな。
それにくらべてキリスト教の聖職者は立派だ。元カト現仏の漏れでもそう思う。
無尽蔵の宝があるのに。
>>695 横やりですが。
1.イエスが無力な人間だったのなら救いも復活もないということになるから。
この質問は信仰があるかないかの問題だと思います。
イエスは神の子、救い主 → イエスを信じる信仰がある
イエスはただの無能な人 → イエスと信じる信仰がない
2.神が人を通して書かれたものであり、神に誤りはないから。
699 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/21(月) 15:08:49 ID:SMh7DGVi
今度は「母なるもの」の中の短編「指」を読んで見ました。
これは、(1)イエスにそっと触れた、血漏の女の病人らしい弱々しい指
(2)イエスの傷を触るまで信じることのできなかった短く太く意志の強いトマの指
(3)パウロ2世の人差指で十字を切る白く輝いた指
が出て来ます。遠藤先生はご自分を(1)と(2)の中間だろうか?と書いています。
自分の指はどんな指だろう?考えさせられましたな。
700 :
名無しさん@3周年:2005/03/21(月) 15:14:52 ID:SBDNSmL+
正面切ったテーマ小説より、さりげない短編の方がいいですね。
周作氏の作品では『哀歌』が一番いいな。
701 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/21(月) 15:37:59 ID:SMh7DGVi
>>700 「哀歌」とこられましたか・・・あったかな・・・
どっちにしろ内容が思いだせないので読まんといかんです。
ところで、あなたはカトを止めて仏教。キリスト教のバタ臭さや腋臭に
耐えられなく棄教された。遠藤周作が気になられるのはやはり、消臭
されてる部分があるからなんでしょうな。
702 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/21(月) 15:50:07 ID:SMh7DGVi
>>698 ラブジー君のプロでは、証しが重要であり、私は奇跡を信じる!と
公言しないといけないのだと思います。ところが、人は不思議なもので
カトの遠藤先生が奇跡を信じない。私が奇跡を信じない。と公言しても
実は、人間の心の奥深いところでは、奇跡を信じていないという確固たる
自信を持ててないものなんですな。人の心は神のみぞ汁ブラックボックス。
奇跡を信じると遠藤先生が公言したところで、信じる人が増えるとも
思えない。信じないと公言したところで、信じない人が増えるとも
思えない。奇跡や復活を信じる部分は、各個人と神との間に任されて
いることなんです。
703 :
名無しさん@3周年:2005/03/21(月) 15:50:57 ID:ATo5aiGV
>>652 >>人間の作り出した一切の観念(=そこに人間の煩悩、苦、罪の源泉がある)を根こそぎ取っ払う
キリストと向き合うということも実はそういうことです。
教理主義も聖書主義も、観念にしばられる機となってしまう
なら放棄したほうがいいでしょう。
704 :
名無しさん@3周年:2005/03/21(月) 16:38:49 ID:4DOPUmc6
>>698 一、ナザレのイエスは、「神は、赦しの愛の神である」と説いた。
故に、全ての人は、すでに神の愛の中にある。つまり、既に救われている。
イエスは、神の愛の倫理を説き徹底的に実践した、模範とすべき人間だった。
この様にイエスを信じることも、信仰に違いないと思えますが・・・
二、神に誤りがないとしても、執筆者は人間であるので、当然、歴史的・地理的
・言語的な制約を受け、執筆者自身の思想も反映される。
従って、文字の通り逐語的に無謬と決めつけるのは、疑問の多いやり方である。
705 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/21(月) 22:37:46 ID:hOOs79UB
>>678 その場面の背景は知っておかないとあなたのように誤解してしまうかも
しれません。イエスを迎えに来た母と兄弟と書かれている人たちは、「彼は
気がふれているからちょっと来てみてくれないか?」という民衆の要求を
受けてイエスの元を訪れたのでしょう。イエスは、ご自分の想いを知ろうとする
者や知っている者に自分の父や母や兄弟という感覚をお持ちであったのです。
イエスの想いが何か、何よりもまず先にそちらの方を考えて判断を優先させる
者たちが父であり母であり兄弟であるとイエスは仰ったのです。
イエスが公生活で初めて奇跡を行ったのはカナの婚礼の席上です。イエスは
母の問いかけに対して「私の時はまだ来ていません」と答えるものの実際には
水がめに水を満たしたものを上等の酒に変えるという初めての奇跡をそこで
行われます。イエスはカナの婚礼の席上、母の言葉を原動力として初めて
公生活におけるある一面の第一歩を踏み出したわけですから、その出来事が
偶然であれ必然であれ、イエスの母親への特別の敬意を疑うべくもありません。
荒野の修行や自己完成の部分については、イエスが神との先約の内に神の
御心を行うことを第一として邁進した道であったという事は福音書全体の中
において一貫して見て取れることです。突然自己の中に自己を見つめだした
のではなく神との関係を第一にするという基礎の上にイエスの言行はあるわけ
です。
706 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/21(月) 22:56:19 ID:hOOs79UB
>一、イエスが無力な生身の人間だと仮定すると、何故ダメなのか理由を教えてください。
そのような仮定はキリスト教が教えている内容、聖書自体の内容から導かれ
ないことだからです。理性でイエスの可能性を語り出せは、その可能性は
無限にあるのかもしれません。しかし、イエスを哲学しだすならまず最初に
その人はイエスが我々の現実に一切関与しないのだと考えていると推測できます。
また、イエスは理性に活動範囲を与え、我々の知的本能に迎合して知性を
かきたて傲慢さをくすぐってくれると考えるがゆえにイエスに対してそのような
仮定を持ち出すのではないでしょうか?イエスに集中するという事は、
イエスを賤しめたり単に我々と同じ人間のレベルに引きおろすのではなく、
イエスそのものを愛し信じることに始まりそこに結することなのだと思います。
707 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/21(月) 23:10:57 ID:hOOs79UB
>>695 > 二、聖書が誤りを含む、ただの古文書の一つでは、何故ダメなのか
>理由を教えてください?
聖書が何であるかというのは、現在教会が教えていることを考える
必要があります。
『聖書とは聖霊の霊感によって神のことばを書き記した書物です』
(カトリック要理 改訂版 P87)
これが、教会が2000年間教えている聖書に関する必要な認識です。
聖書自体の内容を考えてみても、聖書を読むならば、聖書を
どのようなものと考えなければならないかが書かれているので、
それを抜粋します。(カトリック要理P87-88の解説部分より抜粋)
「聖書はすべて神の霊感を受けたものであって、教えのために、戒めの
ために、矯正するために、正義を教えるために有益である。」
(Uテモテ3章16節)
「聖書のどんな預言も自分かってに解釈してはならないことをしらなけ
ればならない。預言はかつて人間の意志から出たことではなく、聖霊に
導かれたある人びとが神によって話したものだからである。」
(Uペトロ1章20−21節)
聖書はそれを記した人が、“神が望むように”書いているものなのです。
ですからそれを読む者も“神が望むように”読まないならば、それは
聖書を理解しているとは言えず、本当の意味で聖書を読むことにも
ならないのです。
できれば他のスレでやって欲すぃ・・・
709 :
名無しさん@3周年:2005/03/21(月) 23:34:11 ID:XyvwoN+4
>>707 それは、未開時代の神概念の惰性的残存に過ぎない。根拠は皆無。現代は、未開時代
ではない。
聖書も、科学や精神医学の発達の成果を取り入れて改訂すべきではないか。
人間の科学的探究心も、「創造主」が人間に与えた重要な資質。それを否定する
ことは、神を否定することになる。
科学の発達によって神が否定されることも(既に否定されている)、神の意図で
あり、人間に対する大いなる犠牲と愛であるとは考えられないのか。
今回のインドネシアの大津波を眼前にして、英国国教会の大主教は、神の存在と
祈りの効果を事実上否定した。ローマ法王が同様な宣言をするのも時間の問題だろう。
信者達も、いつまでも2000年前の人間の考えにしがみ付くことを止めて、心の準
備を怠ってはならない。
711 :
ヨネ組み手:2005/03/21(月) 23:56:58 ID:3/96kYRG
我は、様々な病気をしたで、神経麻痺、椎間板ヘルニア、帯状疱疹、梅毒、ヘルペス、
淋病、膠原病、こう書くと、ボロボロとおもうやろ? でもな、手かざしのおかげで
至って元気やで。
イエス曰く「天は自らを救けるモノを救く」、「元気になりたい、その為には病気を治す事に全力を尽くそう」
と決心すると。手かざしをして、「医学と十字を組む」ように、神様は理由があって、医者を世に出されたんや、
科学は道具亦は手段の開発に過ぎないのだと思うで。
批判派は、鬼の首でも取ったかのように、手かざしは「万能なモン」でない「プラシーボ」「インチキ」と、
誹謗中傷するが、エエか、西洋医学でも「医療ミス」があるで100%信頼できへんで。医者や薬が、患者
を治んやない、患者の自然治癒力で治しているんや。自らを救うのは自らの心でやで。
AV見ながらセンズリ扱いてばかりいないで、神業にはげみナハレ。アーキタナーイ(禿藁!
712 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 00:01:14 ID:XyvwoN+4
>>711 それはどこの教祖から吹き込まれたこと?その教祖も、ひどい病気になったら
慌てて病院に駆け込むのだから、よーく見てな。
713 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/22(火) 00:09:21 ID:mjH6JBd4
>>708 遠藤周作さんの発言とカトリックや聖書の実際とをきちんと比べてみること
は、このスレッドに沿った書き込みでしょうし、アリだと思います。
>>709 別にキリスト教が科学を否定しているわけではありません。
えんどう豆で行なった遺伝の法則で知られるメンデルは修道院でこの研究を
したのですし、コペルニクス的転回で知られるコペルニクスも修道士です。
北京原人の発見などで知られるティヤール・ド・シャルダンも司祭です。
キリスト教は、科学を否定しません。しかし、物事のすべてが物理や化学に
還元できる性質を持つのだと仮定することほど危険で安易なものはないと
思います。学問には色々なものがありますが、物理的、化学的、生物的、生理的
心理的、経済的、政治的、社会的、および道徳的などの順で純粋な客観性は
見られなくなってくるという考えもあるようですし。一般論に出来るものと
いうのは繰り返し起こる現実についてのみであり、世間ではそれだけが説明
の求められる何かであるのかもしれません。科学はその意味でバッチリだと
言えるのでしょうが、そうした原則がすべてにおいて貫けるものではないの
だと思いますね。科学の経験則は集約されて現代の主要な側面であると
言えるのでしょうが、もっともっと古くからの同じように宗教は経験の集約
として存在しつづけているのですから、この事実を無視したり排除しては
いけないのではないでしょうか?
714 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 00:28:07 ID:4f+ZT8RI
>>713 科学は、人間が神から離れる努力の中で発達した。
科学は、神など思考せず、専ら被造物としての人間と自然を対象としたため、
奇跡を上回る進歩を遂げ、人類に大いなる利便を齎した。
一方、宗教は、傲慢不遜にも神など思考したため、数千年間何の進歩もなく、
果てしない争いを続けている。
宗教者を除く大多数の生活者としての人間は、宗教とは関係なく、営々として
本来の生存の努力を続けてきたという事実を忘れてはならない。彼等は、宗教
など、昔からの惰性として、生活の片手間にやったのであり、目的などでは
なかった。
人類が追求してきたものは、生物としての生存とそれに必要な物質的充足であり、
甘ったれた精神的充足などではなく、またその余裕などなかった筈だ。
>>714 そういうことを書き込むと、どんな物質的充足があるんで?
716 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 00:57:12 ID:4f+ZT8RI
>>715 飯食って充足したから、片手間にやってるだけ。飯が先だ。人間誰でもそうだろう?
>>714 現代人の心因性の病が昨今の社会問題になっているんだがなぁ。
>>716 人はパンのみで生きるのではない。
主の口から出る全てのことばによって生きる。
この人の本を読めばキリスト教のことが少しはわかりますか?
なんかとっつきやすそうに思ったんだけど
>>719 正しいキリストを知ることはできませんよ。
聖書が一番無難ですよ。
721 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 01:10:34 ID:4f+ZT8RI
>>717 心因性の病など、いわば贅沢病。無人島に一人で置き去りにされたら、生きるための
必死の努力で、そんな病気など瞬時に吹っ飛ぶよ。神様や宗教もね。
>>718 「人はパンがなければ、そもそも生きられない。宗教もやれないし、主のことばも
聴けない。」
「パンのみで生きるのではない」という言葉は、パンを軽視している点で、人間の
洞察に欠ける聖書の多くの言葉のなかの一つ。神が作ったのは、生の欲求という
基本的本能を持つ生物としての人間。これが唯一の「普遍」である。
722 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/22(火) 01:12:55 ID:mjH6JBd4
>>714 あなたが何を言っているのかこちらにはよく伝わってきません。
遠藤周作との関係も全く見えてきませんし、レスが難しいのでスルーします。
>>721 人間はひとりに隔離されたりしたら狂う。
アメリカではそういう実験がある。
クリスチャンは狂いにくいそうですよ。
現代日本人は精神的には発展途上国なんだよ。
こころは原始人のままなのかもね。
724 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 01:22:35 ID:0C5kYl9M
>アメリカではそういう実験がある。
>クリスチャンは狂いにくいそうですよ。
素朴な疑問ですが、どうしてそんな実験が許されるのでしょうか?
>こころは原始人のままなのかもね
本気ですか?
聖書を読んでこのように思われるのなら、神様以外の何かがあなたを導いているとしか思えません。
残念です
>>724 精神のメカニズムの実験でしょうね。
真っ白な壁で何もない部屋で生活するそうです。
無刺激だ人間は狂うそうです。
サルとかもそうだったかな。
報酬はものすごい条件を提示できるそうです。
いやになればいつでもやめることができます。
日本では禁止されています。
>聖書を読んでこのように思われるのなら、
>神様以外の何かがあなたを導いているとしか思えません。
>残念です
残念とは?
科学至上主義のことをさして精神的に原始的だと言っただけなんですが?
726 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 01:29:08 ID:4f+ZT8RI
>>723 >現代日本人は精神的には発展途上国なんだよ。
>こころは原始人のままなのかもね。
あなたは、日本人として自国民を軽蔑してるの?こころが原始人のままなのは、
2000年前の外国の聖書を盲信しているクリスチャン ではないですか。クリス
チャンは、精神的には2000年前と同じで、発展途上でさえありませんね。
聖書や宗教に依存すると、人間の精神の成長は停止します。
727 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 01:37:56 ID:jOKypWHh
>>707 >> ですからそれを読む者も“神が望むように”読まないならば、それは
聖書を理解しているとは言えず
聖書を読むときの神の望みとは何だろう。
また、その望みを知ることができるのは聖職者のみだろうか。
誰がその望みを知ることができるのか?
>>726 日本人は科学至上主義とか経済主義が多いと言っているだけ。
自分の財産は全部自分の懐にしまう。
アメリカとかでは高所得者は寄付とか自発的にするんだよ。
だから国が社会福祉に力を入れなくてもいい。
だから所得税が低い。
>聖書や宗教に依存すると、人間の精神の成長は停止します。
それこそ偏見だろう。
主によって生まれ変わった者は堕落しないよ。
729 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 01:43:06 ID:jOKypWHh
>>728 アメリカでも都市の多くはホームレスであふれかえっているよ。
福祉に力を入れないのは、不必要だからではなく、
切捨て政策だから。
>>729 本来の形はそうではないよ。
話が外れたけど、あなたのその考えは偏見だよ。
日本では通用するかもしれないけど、世界では通用しないよ。
了見の狭い人だと思われるだけだね。
あなたがそう思っていても口にしないのが賢明だよ。
731 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 01:47:07 ID:4f+ZT8RI
>>728 宗教者は「堕落」という言葉をよく使うが、具体的な意味は何?
架空の神や聖書を盲信して、人間を軽視・否定することこそ、堕落の最たるものでは
ないか。
>>731 私には神がいるから何もしなくてもいいの、という感じで
すべき努力を怠ることとか快楽に溺れることですかね。
誰がどのように人間を軽視したのかな?
むしろキリストは人を愛しておられますよ。
架空かどうかはあなたの決めることではないのだけど。
733 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 01:56:48 ID:jOKypWHh
>>730 アメリカの都市をこの目でみてきたので間違いない。
また共和党の政策も理解してきた。
ずばり、切捨て政策だよ。共和党の背景にある、市場原理
も歪んだ理解になっている。
>>733 アメリカは「自由の国」だし、経済主義になっているんだろうね。
僕もアメリカを見てきたことがあるけど、全てがそうなっているわけじゃないよ。
堕落というと、人工妊娠中絶も政府が公認しただけの殺人であって一種の堕落だね。
735 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 02:00:31 ID:jOKypWHh
>>734 海外でいくら虐殺をしてもいいとうのも、堕落だよ。
736 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/22(火) 02:01:47 ID:mjH6JBd4
>>727 >聖書を読むときの神の望みとは何だろう。
誰でもそういう風な疑問が湧きます。自分もわかります。教会では神に願うこと、
神に聞くこと、つまり祈りの付加によって聖書が信仰者と神との対話を
助けるのであると教えています。一人一人が神と出会う場として聖書に向かう
ときには神の望むように聖書を読むやり方がそれぞれに見えてくるのかも
しれません。こうすればいいという模範解答はないのだと思います。聖霊や
霊感とは何か、そういうことは聖書の勉強会や教会の聖職者に直接お聞きに
なるのが良いかと思います。
『カトリック要理 改訂版』p92-93より以下引用
【(C) 教会の生活における聖書
聖書において、神父は深い愛情をもって常にご自分の子どもと出会い、
語り合います。そして神のことばは教会にとってはささえと気力となり、
教会の子どもにとっては信仰の力、魂のかて、霊的生命の清く尽きない
泉となるような力と性質をもっています。
教会はまた、すべてのキリスト信者に、しばしば聖書をひもといて「イエズ
ズス・キリストの崇高なる知識」(フィリピ3・8)を学ぶよう、特に強く
勧めています。したがってキリスト者は喜んで聖書に親しまなければ
なりません。それは神のことばに満ちた典礼により、あるいは信心深い
聖書の読書により、あるいは教会の司牧者の承認と指導のもとに行われて
いる、いろいろの方法によることができます。しかし聖書を読むに
あたっては、神と人間との対話ができるよう、それに祈りを加えることを
忘れてはなりません。実際「私たちは祈る場合は神に話しかけ、神の
ことばを読む場合は神の話を聞く」のです。(『啓示憲章』21、25参照)】
>>735 人類はそれを繰り返してきましたね。
ところで神なくしてどうして人命の尊さを説明されますか?
これは僕が日頃から共産主義者や無神論者に聞いてみたかったんです。
738 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 02:10:28 ID:4f+ZT8RI
>>737 無神論者(ヒューマニスト)は、宗教のように超越的な神ではなく、現実のすべて
の人間に最大の価値を置きます。
共産主義は、存在しえないユートピア観念に最大の価値を認める点で、宗教の一種。
「擬似宗教」と呼ばれる。宗教とは、信じる「神」が違うだけ。
自分の宗教と人間の生命との二者択一を迫られた場合、後者を優先すべきことを
教義上明確にしている宗教が、唯の一つでもありますか?
>>738 >無神論者(ヒューマニスト)は、宗教のように超越的な神ではなく、
>現実のすべての人間に最大の価値を置きます。
誰が置くんですか?
人は生まれて死にます。
誰が保障するのでしょう?
>共産主義は、存在しえないユートピア観念に最大の価値を認める点で、宗教の一種。
>「擬似宗教」と呼ばれる。宗教とは、信じる「神」が違うだけ。
でも彼らは神はいないといいますよ。
僕にとって何々主義であるかよりも無神論か有神論かに関心があります。
というのは、神がいないと言う以上、全ては偶然で単なる現象です。
全ての存在がそうなら、価値はありません。
価値があると思うことも人間の脳内物質の反応に過ぎません。
どうせ生きているものは死ぬのだから少し早いか遅いかの問題でしかありません。
僕は神が人を愛していることを知っているので、いのちは価値あるものだと言います。
>自分の宗教と人間の生命との二者択一を迫られた場合、後者を優先すべきことを
>教義上明確にしている宗教が、唯の一つでもありますか?
主イエスを唯一のキリスト(救い主)として受け入れる者は、誰でも永遠のいのちが与えられます。
信じるか信じないかが重要なのです。
そこで殉教したか生き延びたかが救いに与る云々を左右するわけではありません。
740 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 02:25:24 ID:myhfVF1L
どうも、I Love Jesus! ◆Fhcps.A/9Iさんの思想は、彼が批判している人と同じくらい「原始的」な印象を受けます。
無神論者が生命を尊重できないというのは、失礼にも程があると思う。
どうやったらそんなに思い上がれるのだろうか、不思議なこと。
そんな考えをもっているようじゃ、いつまでたっても実社会じゃいい大人には相手にされないと思いますよ。
>>740 こんばんは。
僕も若輩者ですし、人間的に至らない部分もたくさんあります。
それはいわずもがなです。全く否定しません。
ただ誤解してほしくないのは、僕は悪意から言っているのでもなく、
無神論者が生命を尊重できないとは言っていませんし、思ってもいません。
しかし、どこに根拠を置いてそう考えるのかというのが疑問だということです。
人間がそこに価値を置いても、人間はいつまでもいるわけじゃないし、移り変わりがあります。
歴史を通じて人間の考えや人間の価値観が同じく続くというわけではありません。
価値観の根拠である人が普遍でないのに、生命という価値観が普遍とは言えません。
世の中のほぼ全ての人が生命は尊いと考えていることは知っています。
そのことについてどういう理由から確かにそう思うのか疑問なのです。
これはオーバーな言い方ですが、もし僕がクリスチャンでも有神論者でもなかったら、
残虐で極悪非道な殺人鬼少年になっていたかもしれません。
わかりにくい文章だったので、こういう考えです。
クリスチャン 無神論者
↓ ↓
生命は尊い 生命は尊い
↓ ↓
神 ?
簡単に書くとこんな感じです。
743 :
始まりと終わりのない時間 ◆L.GTFhOniA :2005/03/22(火) 02:43:46 ID:L8ePKbwk
盲信&妄信してるクリスチャンに何を言っても《馬&鹿の耳に念仏》ですよ、みなさん
>ラブジー
卒園式はいつだ?W
744 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 02:44:29 ID:myhfVF1L
>740
あなたの主観ではそうかもしれませんが、やはりあなたは思い上がりすぎだと思いますよ。
あなたの741の文章を、「共産主義」「イスラム」「仏教」でも何でもいいですが、そのどれにあてはめても意味は変わらないではないですか。
あなたは、おそらくイスラム教でも創価学会でも共産主義を信奉したとしても、同じことを言っていただろうと確信します。
にもかかわらず、他の思想(おそらく深く知りもしないのに)軽蔑する。その姿勢がありありと見えるのですよ。
そうでなければ、日本人が原始的などということなんて思いつきもしないはず。
日本人で絶対的経済最優先なんて人は、そんなにいませんよ。
むしろ世界的には、ユダヤ教徒やキリスト教徒の経済最優先主義が問題となっているのではないですか。
イラクで罪もない人を1年余りで1万4千人も殺したのは誰ですか。キリスト教徒です。
でも、普通の人は、キリスト教徒だから経済最優先で好戦的な者ばかりとは判断しません。
ところがあなたはどうでしょう?
信仰以前に、人間として成熟されることを望みます。
「?」の部分が僕の疑問点です。
僕はやはり「?」に超越者が入るというところに行き着くのではないかと考えています。
746 :
始まりと終わりのない時間 ◆L.GTFhOniA :2005/03/22(火) 02:47:45 ID:L8ePKbwk
747 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 02:51:30 ID:myhfVF1L
>742
学問的なことは私もわかりませんが、そもそも無神論者の人から見たら、クリスチャン→生命は尊い ということは自明ではないと思いますよ。
生命が尊いのなら、米軍(最高司令官は熱心なキリスト教徒、そして兵隊の多くはキリスト教徒)がテロリスト以外の人間を1年で1万人以上も殺せるわけないじゃないですか?
748 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 02:55:45 ID:myhfVF1L
>745
仮に超越者だとしても、それがキリスト教の神とは限らないのではないですか?
むしろ一神教ということを厳密に推し進めるのなら、イスラム教などの神に行き着くような気がしますしね(キリスト教は「三位一体論」をとることで、多神教的要素があるのは否定できない事実)。
とか突然言われたら何この人、と思うでしょ?
>>743 もう少しことばに気をつけては?
>>744 先ほども書きましたが、僕には人間的に至らない部分もたくさんあります。
別に他の思想を軽蔑しているとわけではありません。
もしそう感じたのなら素直に謝ります。
クリスチャンはともかくとして、人を全てのうちで最も優れているという考えについて否定的なのです。
科学至上主義や経済主義は基本的に人間を至上のものとして扱います。
日本人はその傾向が強いと言っているだけです。
日本の神道には初詣などの儀式がありますが、どちらかというと、
国民の多くは人間の利益のための道具としてそれらの神を見ています。
そういう自己中心的な点において人の愚かさを垣間見ることがあります。
もちろん全ての人に愚かさがありますが。
この問題は神を信じるかどうかで全然理解も認識も違うと思います。
クリスチャンは目に見えるものは一時的で、見えないものは永遠だと知っています。
そういう点でも理解できないのは無理ないのかも知れません。
一言に人間としての成熟といっても、宗教は道徳ではないし、外交などで得る平和、
もちろんそういう平和は良いものですが、真の平和とは思わないわけです。
750 :
始まりと終わりのない時間 ◆L.GTFhOniA :2005/03/22(火) 03:03:43 ID:L8ePKbwk
>>749 え!君はクリスチャンにはプライドなんぞないと言ってなかったかな?
>>747 クリスチャンとして今、実際に問題になっている社会問題について言及しませんが、
(神の意図に反することを言ってしまうといけないので)
主の時に主は全てを公正に裁かれると思っています。
>>748 あなたはどう思っているのかは察することは不可能ですが、
日本人の宗教に対する考え方は、何かを信じていればいい、と感じだと思います。
でも僕は違います。
何が真理かということが問題なのです。
>>750 人間としてのプライド、自分自身からくるプライドは持ちません。
我が主を誇りとします。
753 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 03:10:36 ID:L8ePKbwk
>>752 おれは《クリスチャンとしてプライドを持って答えてみてくれ》と言いましたが?
で、君は「クリスチャンにはプライドなんかありません」みたいなこと言うてましたが?
>>753 >クリスチャンとしてプライドを持って答えてみてくれ
あなたのプライドいうプライドは少なくとも人間的なものです。
自尊心とか言い負かせたいというプライドでしょう。
クリスチャンの持つ誇りとはそういうものではありません。
755 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 03:14:21 ID:myhfVF1L
>別に他の思想を軽蔑しているとわけではありません。
そういわれますが、言葉の節々をみるにそうは思えないのですよね。本音の建前というか。無意識にというか。
>751
>何かを信じていればいい
それでいいじゃないですか。
むしろ、ブッシュさんのようになるよりは、神社やお寺にたまにお参りするくらいでよいのではないですか?
それに真理というのも、あなたの主観的真理にすぎないのですから、特に外部的には問題にならないと思いますよ。
その主観的真理は、ムスリムのいう真理や仏教徒の言う真理、また共産主義者の真理とは、客観的には同じ価値をもつものに過ぎないのですから。
どれも等しく尊いですが、あなたの考えだけが真理でということは無理だと思います。
756 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 03:20:58 ID:myhfVF1L
>>アイラブジーザスさん
>国民の多くは人間の利益のための道具としてそれらの神を見ています。
それでいいではないですか?
なぜなら、
>そういう自己中心的な点において人の愚かさを垣間見ることがあります。
多くの国民は、あなたの↑の言葉に表れているように、傲慢で思い上がってはいないのですから。
というよりも、むしろキリスト信者さんのHPをみると、自分の利益のためといえるような気がしますよ。
心の病を治すためだとか言う人も多いですし、祈りのページを見ても、建前はともかく、実質は御利益信仰といって間違いないとと思います。
「ヤベツの祈り」などは、信じられないほどの御利益信仰ですね。あそこまで露骨な御利益信仰は、日本人でもそうないですよ。
ただ、私は御利益信仰の何が悪いのかなと思いますが。必ずしも御利益信仰だから自己中心的、という決め付けもどうかと思いますね。
また、仏教などのすべての思想が御利益信仰ということはできません。
757 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 03:28:13 ID:myhfVF1L
>>749 >外交などで得る平和、もちろんそういう平和は良いものですが、真の平和とは思わないわけです。
そうですね。
他の異なる思想や宗教を尊重する姿勢が重要だと思います。
残念ながら、クリスチャンの一部にもその姿勢にかけている人がおり、その結果、真の平和を妨げる要因の一つになっているのでないかと思うんです。
>>755 >そういわれますが、言葉の節々をみるにそうは思えないのですよね。
>本音の建前というか。無意識にというか。
そうであったなら謝ります。
>それでいいじゃないですか。
僕とあなたの感じ方は違います。
こういう物事に対する姿勢が違います。
また、僕はそう思いません。
>どれも等しく尊いですが、あなたの考えだけが真理でということは無理だと思います。
それは神様の主観である必要があるので、その考え自体があなたの主観です。
神を認めず人間として語る以上、客観的でも主観的でも互いの理解はなかなかないと思います。
真理に2つも3つもありません。
互いの信仰や立場を尊重するというだけです。
信仰の妥協とは全く別の話です。
あなたの宗教に対する考え方は、僕が最初にやり取りを交わした方とほぼ同じです。
客観的に迫っても無宗教・無神論の人から神を認める形をとらないと、
なかなか歩み寄ることは難しいと思います。
これ以上をお話されても、
宗教全般、あるいはキリスト教を卑下していると受け取られるのではないかと思います。
それはお互い様なわけですが。
>>756 それこそあなたの理解不足かもしれませんね。
クリスチャンらがいう御利益宗教はこの世のこと限りです。
最終的な死に対する勝利、永遠のいのちです。
それがクリスチャンの希望です。
ヤベツの祈りに関しては、主が恵み深い方であるということです。
御心に叶うなら、そのような祈りも聞いてくださいます。
忍耐強く祈ることで信仰も鍛えられます。
さまざまな意図があります。
>>757 聖書に次のような感じのことばがあります。
戦争は起こります。
しかしおそれずにいなさい。
それは産みのための苦しみです。
かなり適当ですがこういう感じです。
また他の人に聞いてみてください。
760 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 04:02:25 ID:myhfVF1L
>759
>それこそあなたの理解不足かもしれませんね。
そうかもしれません。
ただ、あなたも、初詣に通う人たちを断罪することは理解不足ではありませんか、ということをわからせるためのたとえだと思ってください。
>クリスチャンらがいう御利益宗教はこの世のこと限りです。
>最終的な死に対する勝利、永遠のいのちです。
>それがクリスチャンの希望です。
建前はそうですし、そのような側面があることを、私は認めておりますよ。
だからこそ、クリスチャン一般を愚かな人たちだとは思わないのです。
>ヤベツの祈りに関しては、主が恵み深い方であるということです。
ですが、あれは、端から見ていたら御利益宗教の典型ですよ?
もしそうでないとおっしゃるのなら、あなたも
多くの国民がご利益を願っているから自己中心的で愚かだ
という考えもおやめになったらよいかと思います。
人間そんなに単純ではないのですよ。
>御心に叶うなら、そのような祈りも聞いてくださいます。
>忍耐強く祈ることで信仰も鍛えられます。
>さまざまな意図があります。
そのとおりですよ。
ただ、それは、キリスト教以外の宗教でも同じというわけですね。
ちなみにあなたの以上の書き込みは、「クリスチャン」をたとえば「ムスリム」に代えても話は通じますね。
761 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 04:06:16 ID:myhfVF1L
>聖書に次のような感じのことばがあります。
>戦争は起こります。
>しかしおそれずにいなさい。
>それは産みのための苦しみです。
これを、たとえばイラクの誤爆の被害にあった民間人1万4千人に言えますか?
また、ここに書かれている聖書は、思想的に他の聖典の戦争に関する記述よりも優れたものなのでしょうか。
762 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 04:07:22 ID:myhfVF1L
>僕とあなたの感じ方は違います。
>こういう物事に対する姿勢が違います。
>また、僕はそう思いません。
それでいいじゃないですか?
そこでとめておけばいいのに、「多くの国民が自己中心的だ」「原始的」とか信じられない発言をされるから、その人格(とあなたの信仰までも)が疑われるのですよ。
>それは神様の主観である必要があるので、その考え自体があなたの主観です。
そのとおりです。
>神を認めず人間として語る以上、客観的でも主観的でも互いの理解はなかなかないと思います。
私は無神論者ではありませんよ。
>真理に2つも3つもありません。
そうですね。
ただ、客観的にそれを証明するのは無理だということですよ。
多くの人にとってはあなたの思想は真理ではありませんが、それを証明するのは難しいのと同じことです。
>>760 初詣は偶像崇拝であり、罪です。
ムスリムは神と人との唯一の仲保者なるイエス・キリストを信じておらず、
イエス・キリストがまことの神、救い主、主であることを否定します。
また彼らはコーランを勝手に聖書に付け足しています。
ムスリムに救いはありません。
キリスト者がイエスの御名によって祈れるということは、
イエス・キリストにあって神の子とされたキリスト者の特権です。
>ですが、あれは、端から見ていたら御利益宗教の典型ですよ?
>もしそうでないとおっしゃるのなら、あなたも
>多くの国民がご利益を願っているから自己中心的で愚かだ
>という考えもおやめになったらよいかと思います。
>人間そんなに単純ではないのですよ。
神を人の上にある存在だと認めていますよ。
また聖書の内容にも関係しますから、
それを否定するあなたには理解はできないと思います。
>ちなみにあなたの以上の書き込みは、「クリスチャン」をたとえば「ムスリム」に代えても話は通じますね。
それはあなたが無宗教か無神論者だからでしょう。
そして宗教というものの本質について話しているのだから当然ですよ。
中身としては全然違います。
無宗教で宗教を裁くことは不可能ですよ。
結局あなたのいうことは
>>726と同じなんです。
特定、あるいは全ての宗教を攻撃したいなら、ほかですべきですね。
最終的なことは、あなたが死んでからわかるでしょうね。
あなた自身はそれでいいんじゃないですか?
>>763 起きていました?
明日は仕事?とか大丈夫ですか?
>>762 同じように絶対の神を認めないなら一緒でしょう。
>>752 そうですね。
I Love Jesus! ◆Fhcps.A/9I さん、
この讃美歌をご存知でしょうか。
『さかえの主イエスの十字架をあおげば』(讃美歌142)
『十字架にかかりし主イエスをあおげば』(聖歌158)
When I survey the wondrous cross
On which the Prince of glory died,
My richest gain I count but loss,
And pour contempt on all my pride.
Forbid it, Lord, that I should boast,
Save in the death of Christ my God!
All the vain things that charm me most,
I sacrifice them to His blood.
See from His head, His hands, His feet,
Sorrow and love flow mingled down!
Did e’er such love and sorrow meet,
Or thorns compose so rich a crown?
His dying crimson, like a robe,
Spreads o’er His body on the tree;
Then I am dead to all the globe,
And all the globe is dead to me.
Were the whole realm of nature mine,
That were a present far too small;
Love so amazing, so divine,
Demands my soul, my life, my all.
>>765 早く寝たら、目が覚めてしまったのです。
769 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 04:22:22 ID:baBnWwX8
>初詣は偶像崇拝であり、罪です。
あら〜、私のアドバイスが全然通じてないようです(T-T)
あなた方の信仰も、ムスリムから見れば多神教、偶像崇拝で罪ともいえるのですよ。
(というか、一般人の目から見たら、神と人との仲介者が不要な方が、より洗練されているのでないか、という疑問があることを付言しておきましょう)
また、ユダヤ教徒から見れば、どこの誰が書いたかわからない書物を聖書に付け加えたと見ることも出来ますよね。
(ちなみに、現在の聖書学に寄れば、多くの新約の書物は名義人によるものではないのはほぼ確実とされ、つまり偽造文書ということになります。ただ、私は偽造文書だから悪いとは申しません。たとえば法華経だって偽造文書といえますよね)
もう、周りを冷静に見ることができなくなっちゃってるようですね。
あなたはちょっと危なっかしいですよ。
でも、根はいい人だということはわかるんです。
ぜひとも原理主義者になってしまわれないようにお祈り申し上げます。
770 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 04:28:45 ID:baBnWwX8
>神を人の上にある存在だと認めていますよ。
>また聖書の内容にも関係しますから、
>それを否定するあなたには理解はできないと思います。
いいえ、私も神の存在は信じていますよ。
>それはあなたが無宗教か無神論者だからでしょう。
>そして宗教というものの本質について話しているのだから当然ですよ。
>中身としては全然違います。
そうですね。
ただ、その違う中身、は等価です。
そうでないならあなたはそのことを証明する必要がありますが、それは不可能なんです。
>無宗教で宗教を裁くことは不可能ですよ。
裁いていませんよ。
裁いていると思われるのなら、それはあなたが
「自分の思想はそのほかよりも優れている」ということを他人が認めないこと
をもって、「裁かれている」と認識しちゃってるからなんです。
>結局あなたのいうことは
>>726と同じなんです。
>特定、あるいは全ての宗教を攻撃したいなら、ほかですべきですね。
私は、信仰をもつことが人間性や成長を阻害するとはまったく考えていませんので、726さんとは同じではありません。むしろ正反対ですね。
なぜあなたが「自分が攻撃されている」と思うかについては上で説明しておきました。
>最終的なことは、あなたが死んでからわかるでしょうね。
>あなた自身はそれでいいんじゃないですか?
そうですね。
讃美歌142
>>767 クリスチャンの誇り、プライドというならこういう意味です。
♪
さかえの主イエスの じゅうじかをあおげば
よのとみほまれは ちりにぞひとしき
じゅうじかのほかには ほこりはあらざれ
このよのものみな きえなばきえされ
みよ主のみかしら みてみあしよりぞ
めぐみとかなしみ こもごもながるる
めぐみとかなしみ ひとつにとけあい
いばらはまばゆき かむりとかがやく
ああ主のめぐみに むくゆるすべなし
ただみとたまとを ささげてぬかずく
>>761 それが人命を軽視するというわけではありません。
>>767 たぶん曲をきいたらわかると思います。
英語の歌詞で聖歌を歌ったことがないので。汗
>>768 そうなんですか。
僕は夕飯のあとに寝てしまって眠れなくなりました。
>>769 あなたは汎神論者なのかもしれないね。
>それでいいじゃないですか?
>そこでとめておけばいいのに、
>「多くの国民が自己中心的だ」
>「原始的」とか信じられない発言をされるから、
>その人格(とあなたの信仰までも)が疑われるのですよ。
自分のそういう状態を知らずに神を求めることなんてできませんよ。
自分の弱さや愚かさを自覚するまで人は自分を心のうちで神とします。
774 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 04:41:04 ID:baBnWwX8
>それが人命を軽視するというわけではありません。
いやですからね、そういうことをさらっと言えること自体、「この人は本当にいのちを心から尊重しているのだろうか?」と思ってしまうのですね。誤解されやすいのか、本音が出てらっしゃるのか。
あなたのほかの言葉(ご利益宗教云々など)から、「この人は、よく知りもしないのに他の人の思想を軽んじているな」と思わせてしまいかねないのと同じように。
>あなたは汎神論者なのかもしれないね。
汎神論とは何かよくわかっておられますか。
まあとにかく、熱心に信仰すると、時には失うものもあるのだなというこということがよくわかりました。
あなたはまだ若そうなので戻ることができると思いますよ。ご自分の信仰の熱心さはそのままに、私との対話を頭の片隅にでも置いてほしいですね。
私は何もあなたに相対主義者になってくれなんていっているわけじゃないのですよ。
むしろ、その熱心さの陰に、壊れやすく危ういものを見るのですね。
またです。
776 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 04:46:43 ID:baBnWwX8
あなたは、私までを直接愚かと言いたいのですか?
>自分のそういう状態を知らずに神を求めることなんてできませんよ。
>自分の弱さや愚かさを自覚するまで人は自分を心のうちで神とします。
私は、自分が弱く愚かな存在だと思っていますが、それを他人にも仄めかすようなことを平気でおっしゃるとしたら、あなたは本当に信仰によって成長が阻害されると726さんに批判されても仕方ないように思いますね。
また、私は何度も申し上げておりますように、神の存在を信じています。
>自分の弱さや愚かさを自覚するまで人は自分を心のうちで神とします。
これも繰り返しですが、同じことはエホバの証人さんやモルモン教徒、またムスリムの皆さんもおっしゃいますね。
だからといってどうってことはないのですが、このようなことを面と向かって言うような人は、信仰にはいって間もない人が多いように感じます。
777 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 04:48:52 ID:663LNPSc
>>776 直接面と向かって言うのではありませんよ。
神が絶対な存在ならそういう風に考えるのが普通です。
そうでなくては誰も信じないでしょうね。
伝道という話もできません。
あなたの神のポジションと僕の神のポジションは違うんでしょうね。
何教とかではなく、自分の主なのか道具なのかという意味で。
あなたのいう成長はこの世の評判を得れるかに過ぎないと思いますが。
特に他宗教や無神論者からよく思われる宗教という評判で。
ちなみにあなたの信じる神様はどのような方ですか?
779 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 05:16:58 ID:baBnWwX8
おっと、まだレスを下さっていますね。
>何教とかではなく、自分の主なのか道具なのかという意味で。
>・・・・
>ちなみにあなたの信じる神様はどのような方ですか?
あなたは、もう私の信じる神様がどのような方かを、すでにご自分で決めてかかってらっしゃるではないですか?
私がこれまで言いたかったことはことごとく伝わっていないようですが、ここでも同じことを言うことができます。
「自分の主」か「道具」か。
ときに人は、「神は自分の道具のような存在ではない」と考えつつも、実は自らの肥大化した自我のための道具となっているにすぎない場合が少なくないということですね。
これは、本人は気付いていないが、端から見ていたら信仰を自らの道具としているに他ならないわけなのですね。
そして、原理主義者はキリスト教であれどの宗教であれ、そのような落とし穴にはまっていることが多いように思うのです。
では
>>779 いえ、あなたが神を信じている振舞いをしているようには見えなかったので。
781 :
通りすがり:2005/03/22(火) 05:58:37 ID:2wZNbYXu
原理主義はおそろしい。
同時に、理性的なクリスチャンがいるのもわかって、ほっとしました。
782 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/22(火) 06:30:51 ID:coGIjMHG
愛の原理っていうのは、他者がかけがえのないものであるということを
知ることに似ています。小さな子どもを持つ母親は、自分以上に子どもを
大切にするかもしれない。教会の牧者は信徒のために自分の命を惜しまない
かもしれない。
まずは、神を信じることと神を愛することからはじまります。しかし、
隣人に愛を持たないならば、神を愛するということが意味を持ちませんし
周囲の人にも何もわかりません。
愛というのはそのような経験にバッタリと出くわさない限り感じたり
気づいたりし難いものです。
○最後に○
ここは遠藤周作さんの作品や彼のキリスト教観の周辺について色々な
意見交換をする場でしょう。ですから、あまりそこから遠い話題の意見
交換は別のスレッドでなさったほうが良いかと思います。
783 :
始まりと終わりのない時間 ◆L.GTFhOniA :2005/03/22(火) 06:37:22 ID:L8ePKbwk
えーと、何度も言いますが、「盲信&妄信している者に何を言っても、
《馬&鹿の耳に念仏》だと思われ」
784 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/22(火) 06:43:37 ID:coGIjMHG
カトリックには、霊の関わる問題が結構あります。そして、その問題に
対する意識や対応は信徒によっても司祭によってもバラバラであったり
するのですが、そのような現象が事実であること、救いにも関連している
という場合が多い、などから見逃すわけにもいきません。
遠藤周作さんは、そういう側面が面倒であり、いっそのことそのような
面を根こそぎ取り除いたところに人間らしい誰にでも受け入れやすい
宗教を考えてみよう、とした人なのではないでしょうか?
しかし、誰かがカトリックであろうとすれば良いか悪いか別にして
奇跡の話は見聞きしますし、七つの秘蹟など特別な神からの恵みという
ものについても当然受け入れる中で信仰生活が営まれるというのが実情
ですから、合理的にキリスト者でいるなんて甘い世界に浸ってはおれ
ないでしょう、多分。
785 :
始まりと終わりのない時間 ◆L.GTFhOniA :2005/03/22(火) 06:53:45 ID:L8ePKbwk
>>784 イエスの生涯は、ノンクリでも読みやすいかな?興味はあるんだけど
パラドックス あれこれ。
「貼り紙をしないで下さい」という貼り紙。
「クレタ人は嘘吐きだ」と言う一クレタ人。
「私は謙虚であることが自慢です」という人。
787 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 14:14:06 ID:CzxiM3fA
>>786 「それは言葉のお遊びだよ」という言葉のお遊び。
788 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 14:45:25 ID:jOKypWHh
地縛霊の中には、「宗教への盲信」に由来する地縛霊がいます。
地上時代に“間違った教え”を潜在意識の中に強烈に植え込ん
でしまったために、死後も正常な霊的覚醒ができなくなってい
るケースです。
そうした地縛霊となるのは、地上時代に熱心に
信仰してきた者に限られます。例えばキリスト教徒の場合には
“最後の審判”が現実に起こると思い込み、自分が死んだこと
を認めようとしません。そして同じ信仰を持った者同志で教会に
集まり、祈りの時を持ち、終末の復活の日がくるのを待ち続ける
のです。間違った宗教の弊害は、地上においてばかりでなく、
このように霊界に行ってからも続くことになります。
789 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 19:33:25 ID:JUlp6ta9
>>788 あなたには見えるの?
私も一度見たことがあるからね。
788みたいなコピペって、脅しのつもりなのかな。
でも、キリスト信者は自縛霊(漢字出ない)なんて信じてないと思うからあまり意味がないと思うんだけど。。。
>>790 自殺した人が呪縛霊?自縛霊?になるって聞くけど、
自分で死んでおいてなんだよそれと思ってしまうよ。
>791
何でその場合、地獄に行くんじゃなくて、自縛霊になるんですか?
とはいっても自殺する人にもいろいろ事情があるだろうし、それに現代の自殺って、多くは鬱病から来る突発的なものともきくからね。
一概に非難できないとも思うけど。
>>792 僕は呪縛霊なんて信じないよ。
人を惑わすためにする悪霊のいたずらだろうね。
どんな理由であれ、自殺なんかしたらダメだよ。
自分では元に戻せないんだから。
>>793 いや、791をみて、ひょっとして信じているのかなと思ったんだよね。
それなら安心。
ところで、鬱病で突発的に自殺するような人たちに、「どんな理由であれ、自殺なんかしたらダメだよ」といっても意味ないと思う。
>>794 もちろん直接そんなことは言わないけどね。
「がんばれ」という言葉は自殺へ追いやるんだと聞いたよ。
がんばっていることを評価しないとダメなんですって。
796 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 21:22:01 ID:RBZJgeVo
I Love Jesus!さんはイエス・キリストとの出会いで救われたわけですね。
それは真実の経験で、だれもそれを否定することはできないし、尊重すべきものですね。
難しいのは、仏教の悟りでも、(よく知らないけど)多分ムスリムでも、その人にとって真実としか考えられない救いの経験があると思うんですよ。
それをどう考えるかが難問。
>>796 異教徒に伝道はしても、攻撃のために彼らの信仰をどうこう言わないよ。
798 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 21:59:04 ID:myTW2D0h
宗教的真理といのは、一つとは限らないのでは・・・
また、必ず「ある」とも限らないでしょう・・・
799 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 22:15:33 ID:upkDbH+7
私もクリスチャンです。本当に思うのはどんなに小さな事でも大きな事でも、愛がなければ解決出来ないと思います。
討論や勉強ももちろんだけど、イエス様の愛を少しでも実践していかなければ意味無いと思います。イエス様の愛を悪い頭なりに、心で受け入れられたら疑問も少なくなっていくんじゃないかな。
クリスチャンの方もノンクリの方も
801 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 22:36:24 ID:fwF+lUr4
>>799 愛とは、口に出すものではなく、心の赴くままに人知れず与えるもの。口にした
途端に、その実質は失われる。本当に愛のある人は、決してその言葉を口にしない。
神やイエスや聖書の命令で施す愛は、愛ではない。
愛を唱えるキリスト教が最も多くの人間を殺したことが、その動かぬ証拠である。
>>801 言葉ではなく愛を行え、と聖書にあるよ。
知らない?
誰かの命令でって、すべての人の社会性も教育を受けて持つようになるのに。
人は誰でも愛がないというのかな?
803 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 22:51:30 ID:myTW2D0h
過去の歴史で、キリスト教が異教徒・未信者に対して不寛容だったのは、
残念ですが、疑う余地のない事実ですね。
現在でもキリスト教保守派は、偏狭で不寛容です。
804 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 22:56:55 ID:fwF+lUr4
>>802 >言葉ではなく愛を行え、と聖書にあるよ。
やっぱり愛を唱え、おまけに命令しているではないか(笑)。
それが、キリスト教の偽善、誤りの根源。
神が作ったままの人間には、愛も憎しみも本能として備わっている。人間が書いた
書物に過ぎない聖書などに教えてもらういわれはない。
君は高校生らしいが、聖書などに首を突っ込む前に、先ず人間を学べ。
>>804 命令だから、ではなく自然にそうできるようになる。
或いは、本来の愛ある姿を思い出させるとでも言っておこうか。
人間を学べ?聖書でそれを含むそれ以上を学ぶことができます。
わざわざ敵意剥き出しのあなたに従おうとは思わない。
キリストが偽善だというなら、黙ってそう思っていればいい。
それができないなら、あなたは街頭で反キリストを伝道したらいい。
806 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 23:06:39 ID:myTW2D0h
聖書に教えられる事はとても多いですね、ただ、丸飲みでは危険すぎます。
ナザレのイエスは、真実の「愛」を説いた立派な人でした。
しかし、弟子達は、彼を「神」にしてしまいました。
>>803 ただ最近は、キリスト教の教派共同体の信仰よりも、オノレの独自の信仰の方が上なんじゃい!ってそれを共同体に強いて認めさせようとするような人もいるらしいからねぇ。
今は、教会に入らない(関わらない)自由も憲法で認められているし、しかもその教会もいろんな考えの教派があるのだから、別に不寛容なのが一つや二つあったとしても、特に問題ないかと。
だって、そこに関わらなければいいだけだから。
かえって、お前のところは不寛容なんじゃい!とイチャモンつけることは、ときにはその教会共同体の信仰の自由を否定するという不寛容な行為になってしまう。
現代、カルトかどうかも外部的な行為によって判断すべきとされており、その思想内容によって判断すべきではない(思想信条の自由:憲法19条)。
808 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 23:22:13 ID:myTW2D0h
>>807 あなたの言うこと、一理あるね、認めますよ。
信仰の自由(信仰しない自由)は、保証されるべきと考えます。
809 :
名無しさん@3周年:2005/03/23(水) 00:35:43 ID:ksSzup2h
皆さん既にご存じかも知れませんが、遠藤周作さんの小説「深い河」に、大津
という神学生が登場するのですが、その基本モデルは井上洋治神父なのです。
もちろん創作なので、物語が全て事実な訳ではなく、大津に関する部分も誇張
・脚色されています。
日本のカトリック教会においては、特異な存在の神父さんですね〜。
聖書に関しては、遠藤周作先生と同じく、日本人に合った解釈と、非神話化が
必要との立場です。この事では、リベラルといえるでしょう。
また、宗教多元主義に関しては、「私は、キリスト【道】を信じて生きる・・・」と著書で
書いておられました。この事では、やや保守的といえるかもしれません。
賛否両論あると思いますが、私は、好きですね〜。
もうご高齢なのですが、元気で長生きして欲しいです。
井上洋治神父の志を継ぐ方が、これからも現れてくれれば良いのですが・・・
810 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/23(水) 01:31:25 ID:jKw65/n5
>>785 >
>>784 >イエスの生涯は、ノンクリでも読みやすいかな?興味はあるんだけど
なぜかこの書き込みを見たときにこちらは吐き気に似た感覚を持ってしまい
ましたが、手元にあった「イエスの生涯」を確認したので意見を言わせて
もらいます。
『イエスの生涯』は遠藤周作さん御自身についてイエスに自分を投影し
考えたことの集積であるということで、『イエス』とは関係がないと思います。
聖書記者の霊性や教会の伝統を彼の独白によって軽視することほどキリスト教
信者として危ないことはないのではないかと思います。
彼はこの書の中で一貫して無力で何の何も出来なかったイエス像を描きます。
そして最後には「我々は自分の人生を投影してこの人を考える・・・・」と
書いています。
遠藤氏は故意に聖書の中のイエスにまつわる出来事について都合の良いところ
だけを抜書きしていて聖書について真摯に語ってはいません。たとえば、
『第8章 ユダ、哀しき男』の中でラザロの復活について書いていますが、
実際にラザロの墓の前で死後4日経って遺体の腐敗臭などについて心配し
イエスに告げる姉妹についてやラザロが墓から出てくる様子などについては
全く触れません。またイエスが「友」と呼んだラザロについて『ラザロとは
死者、つまりまだ「愛の神」を知らぬユダヤ人を象徴するとも考えていい。
それは死者と同じようなものなのだとイエスは考える。』などと書き、聖書
の記述に違うばかりか「イエスは考える」として遠藤氏自身の考えを全く
イエスに重ねて投影させてしまっています。自分にはこれは「やりすぎ」と
しか思えません。
811 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/23(水) 01:32:03 ID:jKw65/n5
信仰というのは、神を愛するということを誰かに表明することであって
神を愛すると表明し合うもの同士が互いに愛し合うことにその実があるのです。
ですから、「私」とイエスを重ね合わせて『イエス』の実像は自分同様に
こうだったに違いないと断定的に公言するのは信仰ではありません。
わたしは、あなたと同じようにイエスを信じています。
イエスはわたしの救いです、それはあなたの救いのみなもとでもあり、
わたしはイエスがあなたと共にいつもいつまでも共にいてくださることを
心から願っています。
と上記のようなメッセージを隣人に自身の信仰告白と愛を伝えるのであれば
信仰者がイエスの愛を隣人と分かち合いたいという一つのメッセージであり
アプローチとなろうかと思いますが。自分は「イエス」であるとイエスに
自己を投影し、「我々は自分の人生を投影してこの人を考える」と本気で
公言してしまえば、真に信仰対象としてのイエス、互いの愛のみなもとである
共通の頭(かしら)としてのイエスはどこかに飛んで、「われこそ神、自分は
イエス教」になって自己の内に自己を完成させることが絶対となるような
閉鎖的個人的勝手な神も他者も存在しない宗教になってしまうのではない
でしょうか?
812 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/23(水) 01:37:30 ID:jKw65/n5
>>811 改行するところが少しずれてしまって意味が変わってしまうところが
あるので再度掲載します。
信仰というのは、神を愛するということを誰かに表明することであって
神を愛すると表明し合うもの同士が互いに愛し合うことにその実があるのです。
ですから、「私」とイエスを重ね合わせて『イエス』の実像は自分同様に
こうだったに違いないと断定的に公言するのは信仰ではありません。
“わたしは、あなたと同じようにイエスを信じています。
イエスはわたしの救いです、それはあなたの救いのみなもとでもあり、
わたしはイエスがあなたと共にいつもいつまでも共にいてくださることを
心から願っています。”
と上記のようなメッセージを隣人に自身の信仰告白と愛を伝えるのであれば
信仰者がイエスの愛を隣人と分かち合いたいという一つのメッセージであり
アプローチとなろうかと思いますが。自分は「イエス」であるとイエスに
自己を投影し、「我々は自分の人生を投影してこの人を考える」と本気で
公言してしまえば、真に信仰対象としてのイエス、互いの愛のみなもとである
共通の頭(かしら)としてのイエスはどこかに飛んで、「われこそ神、自分は
イエス教」になって自己の内に自己を完成させることが絶対となるような
閉鎖的個人的勝手な神も他者も存在しない宗教になってしまうのではない
でしょうか?
813 :
名無しさん@3周年:2005/03/23(水) 01:42:37 ID:CSc5Nxv/
>人+人さんへ
自分の言いたいことを充分に思考・整理して、簡潔な表現でお願いします。
814 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/23(水) 01:49:04 ID:jKw65/n5
>>813 宛名になっている「始まりと終わりのない時間 ◆L.GTFhOniA」さん以外の
方は、読んでもらわなくても構いません(乱文ですし)。スルーするなりご自身
の書き込みをなさってください。
815 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/23(水) 01:55:00 ID:jKw65/n5
ならメールでやってください。
817 :
名無しさん@3周年:2005/03/23(水) 02:24:15 ID:ksSzup2h
人+人 ◆8fRI53Oe1o さん、どうやら周作先生が嫌いなようですね。
周作先生の「イエスの生涯」について、賛成・反対、どちらの意見があっても
いいでしょう。
周作先生のアプローチを、私は、支持し賛成します。
「イエスの生涯」「死海のほとり」「キリストの誕生」・・・
私自身が、強く生きられない弱虫人間のせいか、それぞれ、心の琴線に触れる
感動的な作品に感じます。
それから、聖書本文を読むより、わかりやすく、イエスが好きになり、キリスト教に
興味を持った人も少なからずいるでしょうから。
818 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/23(水) 02:24:27 ID:jKw65/n5
>>785 【810-813の書き込みについて一言注意をさせてもらいます】
うーん。
色々考えて自分の以下の記述は、自分が考えた一つの仮定的な話の筋で
あると申し上げておくことにします。
>“わたしは、あなたと同じようにイエスを信じています。
>イエスはわたしの救いです、それはあなたの救いのみなもとでもあり、
>わたしはイエスがあなたと共にいつもいつまでも共にいてくださることを
>心から願っています。”
> と上記のようなメッセージを隣人に自身の信仰告白と愛を伝えるのであれば
>信仰者がイエスの愛を隣人と分かち合いたいという一つのメッセージであり
>アプローチとなろうかと思いますが。
上記の文面は自分の本心から言うと、少し違います。つまり、イエスが
仰るように天の父について信頼し救いのみなもとにするからこそイエスと
も一致すると思う部分があるのです。イエスの教えを通し父である神に
向かう祈りが「主の祈り」です。イエスの望みは天の父の御心を行なう
ことにおいて我々がイエス自身のことばに従っていくことでしょう。
イエスが父でありイエスと父とは一致してるとしてもイエスのみを最終
目標とするのではなく天の父に向かうあり方をイエスの姿勢に倣って
常に持つことがイエスご自身の思いに一致するためにも必要だと考えて
>>811-812の該当書き込み内容については、撤回はしませんが注意を
呼びかけさせていただくことにします。
819 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/23(水) 02:30:43 ID:jKw65/n5
>>817 すきか嫌いかではなく、遠藤氏は聖書について真摯に読者に伝えて
いないと時々感じるという自分の意見をお伝えしているのです。
自分が遠藤氏を好きか嫌いかと言ったらどちらでもありません。ただ
少し『残念だ』というような気持ちに似た感覚を彼に対して持っています。
820 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/23(水) 02:39:16 ID:jKw65/n5
>>817 >私自身が、強く生きられない弱虫人間のせいか、それぞれ、心の琴線に触れる
>感動的な作品に感じます。
遠藤氏自身、歴史は強者について書いていて小説は弱者について書かれて
いるというようなことを言っておられますね。しかし、それであればイエス
自身について聖書とも教会の教えとも違うイエス像を『イエスの生涯』
などという題名を冠して出版しないでほしいと自分なら思ってしまいます。
キリスト教を引っ掛けてことばを操り弱者を描く仕事に「イエスの生涯」
というタイトルをつけるその小説家としてのセンスに対して信仰者としては
疑問を抱かざるを得ません。
821 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/23(水) 02:48:16 ID:jKw65/n5
>>817 > それから、聖書本文を読むより、わかりやすく、イエスが好きになり、
>キリスト教に興味を持った人も少なからずいるでしょうから。
遠藤氏はイエスを語る中で自分自身を語っている。聖書本文と教会の
教えからは遠藤氏のようなイエスへの自己投影は生まれてきてはいけない
と自分は思っています。ですから、遠藤氏の作品を読んで感化されて
成人洗礼をお受けの方の信仰というのはどうなんだろうか、大丈夫なん
だろうか、となんだか心配になったりするというのが自分の正直な
感想です。それは信者が増えることだとばかりに手放しで喜ぶ気には
なれません。
人+人のご意見はよくわかりました。
くどいのでそのへんにしてください。
823 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/23(水) 09:46:16 ID:OTnPyYuq
>>821 >遠藤氏の作品を読んで感化されて
>成人洗礼をお受けの方の信仰というのはどうなんだろうか、大丈夫なん
>だろうか、となんだか心配になったりするというのが自分の正直な
>感想です。それは信者が増えることだとばかりに手放しで喜ぶ気には
>なれません。
これは激しくそう思います。
私もこのスレを読んでから、いろいろなカトリック
信者の方に遠藤先生は、奇跡や復活を信じていたと思うか?と尋ねてみました。
信じていたというのが一致した意見であり、私もそう思うのですな。
作家としての誠実さで、奇跡を削ぎ落として見せたのですよ。
それでもイエスの神性は残るし、信仰する価値はないだろうか?
と「日本人に」問いかけているのです。
824 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/23(水) 10:00:17 ID:OTnPyYuq
遠藤先生の本を読んで、洗礼を受けられた方は
信仰を深めて、人に奇跡を信じていると公言しなくていいから
自分と神との契約のうちに奇跡を信じるようになればよいと思うのですな。
奇跡をどうしても信じれない方もいますが、
ルルドの泉だけでも66名が奇跡に認定されております。
バチカンは、それはそれは厳しい検証の後に、やっとこさしか
認定を出しません。
825 :
名無しさん@3周年:2005/03/23(水) 11:06:42 ID:ksSzup2h
「我等なぜキリスト教徒となりし乎」 光文社
安岡 章太郎 井上 洋治 著
この本を読めば、遠藤周作さんと、そのユニークな
キリスト教信仰が、より深くわかりますよ。
826 :
名無しさん@3周年:2005/03/23(水) 11:20:14 ID:t8MOTvUR
2000年前の事実など、確認の方法がないのだから(現在の事実でさえ、絶対的
真実の発見は困難)、聖書も遠藤氏の本も、絶対的真実からは程遠い想像と推測の
産物。でっち上げは誰にでも可能。いっそでっち上げるなら、遠藤氏のような尤ら
しいもののほうが面白い。
>>238 さーて ◆RLtoLnT/2E さんのレスを読んで思いましたが、
遠藤氏が多元主義者であったにしろ、そういうものが
あったのかもしれないと少しですが、思いました。
晩年の小説には賛意を持つことはできませんが。
もしそうなら僕としては、あと書きにでも、その本意を明確に書いて欲しかった。
それが自己満足的にイエスを描いたと言われる所以のひとつなのだと思います。
語弊の多い言い方かもしれませんが。
828 :
名無しさん@3周年:2005/03/23(水) 21:24:28 ID:aCsmGYfB
昨日799書いた者です。800かいて下さった方ありがとうございました。
アーメンの一言に愛を感じました。キリスト教や、教会で信じられない嫌な思いしたかた沢山いらっしゃると思います。ただただ、本当に愛のみで祈りましょう。サタンの誘惑も要塞も、イエス様の愛にはかないません。愛をひたすら内面から出しましょう。
地の塩になりましょう☆与えて頂いた時間を、イエス様にあって、楽しみながら生きて行きましょう。
829 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/24(木) 05:37:20 ID:x+hmCAgb
>>823 >信じていたというのが一致した意見であり、私もそう思うのですな。
>作家としての誠実さで、奇跡を削ぎ落として見せたのですよ。
>それでもイエスの神性は残るし、信仰する価値はないだろうか?
>と「日本人に」問いかけているのです。
キリスト教の焦点はキリストの奇跡はキリストそのままを認める意味で
認め、現実の信仰生活上の奇跡についてはそれがあってもなくてもこれも
またキリストの仰るごとくあまり関係しないということだと思います。
聖書にあって福音記者各者はイエスの行なった奇跡について色々と書いて
います。イエスが「悪く姦通の世代はしるしを切に求める、しかも預言者ヨナの
しるしのほかには、しるしは与えられない」(マタイ12章39節)と仰る事柄など
を含めてイエスを丸ごと愛し信頼するのが、キリスト者の基本的な姿勢なはず
です。
信仰とはイエスを信じることであって奇跡やしるしを求めることではないと
言えるでしょうが、イエスの奇跡を否定する中で奇跡やしるしの存在は認めて
も構わないと言うならそれは全くキリスト教を覆した発言であり、危険な思想
です。
830 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/24(木) 05:46:42 ID:x+hmCAgb
カトリックは、今非常に危ういキリスト教となっているような気がします。
皆さんは、イエスを丸ごと信じるなかで、イエスの言葉に従って行動し、お互いが神に向かう愛と神からの愛に満たされるように配慮しあって
祈りと愛で互いが神に赦され、互いが赦しあう中で信仰と現実を生きて
ゆかれますように!
831 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/24(木) 05:48:38 ID:x+hmCAgb
>>828 本当にアーメンです。
僕たち全ての人が祈ることを神様は聞いてくださいます。
人の目には愛して、愛そうとして祈る姿はなかなかみえないかもしれません。
しかし神様を通してその愛が通じると思います。
必要な励まし、慰め、癒しも同様にです。
神様は時間と空間を越えて働いてくださいます。
切に祈る者の祈りを神様は聞いてくださいます。
それを知っているから誰かに悪く言われても黙って祈ることができます。
キリストの下に築かれる平和を求めて祈っていきましょう。
愛の源泉である方は主なる神様です。アーメン。
833 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 08:57:55 ID:K8Fp3ngd
>>832 「神」を語る前に、あなたの神の定義とその存在証明をして下さい。想像の産物
である架空の神に祈っても、何の意味も効果もありません。
834 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/24(木) 10:09:51 ID:AR5m0LIU
>>829 >イエスが「悪く姦通の世代はしるしを切に求める、しかも預言者ヨナの
>しるしのほかには、しるしは与えられない」(マタイ12章39節)と仰る事柄など
>を含めてイエスを丸ごと愛し信頼するのが、キリスト者の基本的な姿勢なはず
>です。
丸ごと愛し信頼する。その通りですな。
親は、丸ごと愛し信頼している息子が、大人になって親孝行してくれようが
してくれまいが、やっぱり息子を愛し続けます。親孝行してくれると嬉しいですが
積極的に親孝行してくれとは頼まないし望みません。
遠藤先生は、丸ごと愛し信頼しているイエスだから、奇跡を行った行わなかった
に拘わらずイエスを愛しているんです。イエスに奇跡を望まないのです。
奇跡がどうでもよいというのはこういうことですな。
835 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/24(木) 10:27:31 ID:AR5m0LIU
>>830 >カトリックは、今非常に危ういキリスト教となっているような気がします。
私もそう思います。チャットで女性のカトリック信者に聞いたのですが、
再三にわたって不倫を持ちかけてくる妻子持ちの男性カトリック信者がいるん
だそうです。しかも、教会内!で。盗賊の巣にしているとはまさにこのことで
すな。人を裁いたので、今後私も苦しくなるのですがw
836 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/24(木) 10:32:30 ID:AR5m0LIU
>>832 らぶじー君の投稿を読むと癒されますな。
837 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/24(木) 10:38:34 ID:AR5m0LIU
>>833 あなたの指摘することについて信者どうしで語り合わないのに、なぜか分り合っています。
あなたもこちら側にきませんか?(^^)ニコ
838 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 12:26:50 ID:K8Fp3ngd
>>837 分かり合っているのなら、何故それを一般人にも分るように説明できない?
突き詰めれば本当は何も分ってはいない。わかった「つもり」でいるだけです。
キリスト教とは、盲信者の閉鎖団体なのですか。それでは、人類における普遍とは
程遠いでしょう。らぶじー氏は、聖書を少しかじっただけで、創造主が作ったままの
人間、即ち神についても無知な異常者という気がします。まあ、高校生なら仕方がな
いが、人生経験や判断力もないのに聖書などに嵌り込むと、酔生夢死の一生を送ること
になり、一度きりの人生を捨て去ることにはなりませんか?ご両親も心配している
筈です。あなたが年長者なら忠告してあげるべきでは。それが本当の「愛」でしょう。
839 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 13:31:26 ID:s6grMnY+
>>833 >>838 神の定義と存在証明か。
2ちゃんの掲示板でできるくらいならとっくの昔に科学者が証明しとるで。w
あんたが死ぬ時にはわかることやろ。もうちょっとまともな質問し。
そういうの、見苦しいで。あんたは子どもか。
イラクのムスリムにそのこと聞いてきたらええわ。
それと無知な異常者とかいうのは言葉悪いわ、ほんま。
あんたが人の粗見つけたからいうて強気になっとるんか?
聖書などにって言うもんが平和は語れん。
批判するやなんてもってのほかやで。そうとちゃうか?
心配なのはあんたの感性やで。対人関係うまく築けるんかと思うで。
でもあんたは強気になっとるだけやろ?
これ見て腹たてるんやろうけど、気ぃつけや、ほんま。
840 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/24(木) 13:42:22 ID:Vogr7NWT
>>838 以下の自然体さんのコピペを読んで考えてくれ。
神を知るためにはあなたの方から神を愛するようにならんといかん。
他者の信仰をくじきたい、神を否定したいという気持ちで信者に近づいてきても、
神はわからんよ。そしていつか暇な時にでも、新約聖書を、
拒絶するような気持ちではなくてさ、素直な気持ちで、自分のために、
静かに、読んでみなされ。
108 :自然体 ◆uRPTLodhJU :05/03/16 19:22:02 ID:l+41XBih
>>95 いえ、私はだらしないカトリック信者のひとりにすぎません。^^
>>97 >ただ信者は曖昧な言葉不明慮な点が多すぎるし、
>無宗教者をまったく考えていない言葉があるので、時々突っ込みたくなるんです。
これは信者の弁護をするなら、例えば「スノーボードの楽しさ」を
言葉を使って説明し、その楽しい感覚を相手の心の中に発生させることができるか
なんです。そう考えると、信者が信仰を語るとき、曖昧な言葉や不明瞭な点が出てくる
ことがわかられるかと思います。スノーボートの楽しさ「を知る」ためには
滑ってみるしかないし、信仰「を知る」ためには信仰してみるしかないのですね。
841 :
聖☆瑠迦:2005/03/24(木) 13:47:02 ID:90QRBEcL
>>838 あなたも目覚めなさい
キリスト教は素晴らしいです、はい。
イエス様の御力により世界からすべての苦しみはなくなるのです
イエス様を信じなさい
あなたは天国に行きたくないのですか?ああそうですか。残念ですね
変わりに私たち聖なるクリスチャンが祈ります
「我が偉大なるイエス様、地獄いきなる者への苦しみを受けとめて下さい。 アーメん」
主の満足!!
842 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 14:01:31 ID:s6grMnY+
>>840 そうやなぁ。
スノーボードしとるんを遠くで見とっても爽快感とかわからんやろな。
もっともやな。うまいこと言う人やで。
843 :
始まりと終わりのない時間 ◆L.GTFhOniA :2005/03/24(木) 14:29:37 ID:90QRBEcL
>>842 アホか? 爽快感は滑ってみないとわからんだろうが、
テレビでボーダーが木に激突して死んだり、初心者が何度も転ぶ姿を見て「危険性を知る」こともできる
実際に「滑ってみなくても」
844 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 14:34:27 ID:s6grMnY+
>>842 神を喩えてスノーボードであらわしただけやろ。
滑らんでも転ぶもんはおる。中にはよそ見してたのか木にぶつかるわな。
関係ないけど、言葉に気ぃつけや。
見ず知らずにもんに言う言葉とちがうで。
845 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 14:37:44 ID:K8Fp3ngd
>>839 >>840 肝心の神の定義とその存在証明ができないため、感情論と人格攻撃に走るのが
キリスト教徒の特徴。分りもしない神などみだりに口にすべきではない。
架空の神と天国の実在を信じ込まされて、嬉々として自他の生命を奪いつづける
自爆テロリストと同じレベル。狂気以外の何物でもないではないか。異常者という
言葉が最も相応しい。
宗教とスノウボードなどのスポーツや芸術とは本質的に異なることも分らないのか。
前者は、架空の神など信じるために、現実や社会常識から遊離し、人格そのもの
が(半)不可逆的に変容される。後者による現実離脱は一時的。終われば直ちに
現実に復帰できる。
人間は現実界に生きている。「狂気」とは、現実からの永続的離脱である。現実上の
根拠がないことを軽軽しく口走ってはならない。
846 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 14:45:17 ID:s6grMnY+
>>845 信者とちゃうで。
>>839をもう一度よう読みや。
あんたのいうことも安易に口にすべきではないなぁ。
それは人間性の問題やで。
847 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 15:04:33 ID:K8Fp3ngd
>>846 遠藤周作だったら、君達のような答えはしないだろう。
人間性の問題を言うなら、根拠の皆無な人為的観念によって、人間の自然の
感情や本能を制限・歪曲・変容し、絶え間ない争いと殺戮を続ける宗教こそ
問題ではないのか。
自分でも分かりもしない神を饒舌に語る宗教ほど、創造主の意図に遠いものは
ない。「語り得ないものには、沈黙しなければならない。」
848 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 15:09:30 ID:s6grMnY+
>>847 俺の言うてる論点とはすりかわっとるがな。
キリスト教の問題はええのや。
あんたの言葉遣いについていうてるんやで。
次から気ぃつけようて、心で思うて実際に言葉を選んだらええんや。
それにあんたがここでナニを言うたかて、キリスト教がなくなるいうもんでもない。
それこそ限られた時間の無駄使いやで。
ところで、あんたの思う創造主の意図とはどういうものなん?
それとも無神論者なんか?
849 :
始まりと終わりのない時間 ◆L.GTFhOniA :2005/03/24(木) 15:15:13 ID:90QRBEcL
>>844 おれの素晴らしい言葉使いにイチャモンつけるなんざ100年早いと違うか〜
出直してきなさい
甘いの〜
850 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/24(木) 15:18:30 ID:Vogr7NWT
>>845 >宗教とスノウボードなどのスポーツや芸術とは本質的に異なることも
>分らないのか。
どちらも「やってみないと」本当に知ることができない点で同じですな。
くり返しになりますが、信者の信仰を挫く目的の投稿はしない方がいい。
火あぶりにされても、信仰を捨てない信者もいるくらいですから。
851 :
始まりと終わりのない時間 ◆L.GTFhOniA :2005/03/24(木) 15:21:38 ID:90QRBEcL
要はあれだ、
わざわざ滑らなくともスノーボードは「たいしたことない、それより爽快感を味わう方法はある」
ってことを知ることができるっちゅう話でゴワス
852 :
始まりと終わりのない時間 ◆L.GTFhOniA :2005/03/24(木) 15:26:16 ID:90QRBEcL
>>850 おれはサーファーだからボーダーにサーフィンを奨めるな
それがいけないことか?
雪山連合協会なら激怒するだろうが
853 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 15:26:44 ID:K8Fp3ngd
>>848 創造主の意図は、作られたままの、生の欲求という基本的本能を持った生物として
の人間と、その生存を支えている自然とをつぶさに観察することによってのみ、見
出される。宗教が、人間と自然を超越した、認識不能な神をいくら求めても、何も
得られる訳がない。
神を人間の思考の対象とする限り、神とはどこまで行っても人間の観念作用に過ぎ
ない。即ち、神とは、人間の想像の産物である。
人間に認識できないものを認識する、などと言うのは、とんでもない言語矛盾である。
854 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/24(木) 15:37:15 ID:Vogr7NWT
>>809 >皆さん既にご存じかも知れませんが、遠藤周作さんの小説「深い河」に、大津
>という神学生が登場するのですが、その基本モデルは井上洋治神父なのです。
そうでしたか。
今『侍』を読んでるので、読み終えたらもう一度『深い河』を、読み直してみま
す。10年くらい前に読んだきりで、すっかり内容を忘れてますからな。
855 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/24(木) 15:40:48 ID:Vogr7NWT
>>857 >創造主の意図は、作られたままの、生の欲求という基本的本能を持った生物として
>の人間と、その生存を支えている自然とをつぶさに観察することによってのみ、見
>出される。
これが天の父でしょうな。
856 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 15:42:57 ID:K8Fp3ngd
>>850 >火あぶりにされても、信仰を捨てない信者もいるくらいですから。
観念に過ぎない想像の産物のために、与えられた現実の生命を捨てる。それが宗教
の「病理」なのです。これほど創造主の意図に反するものはない。その「病理」を、
分析、解明、除去する必要がある。
創造主なら、必ず「私を捨てて生きよ」と言ったはずです。
遠藤さんも、確か、踏絵に関してそんなことを言っていましたね。
857 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/24(木) 15:45:05 ID:Vogr7NWT
858 :
始まりと終わりのない時間 ◆L.GTFhOniA :2005/03/24(木) 15:47:21 ID:90QRBEcL
>>856 お前、どうやって「創造主の意図」を知ったわけ?
860 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/24(木) 15:51:16 ID:Vogr7NWT
>>856 あなたは、揚げ足取りばかりしますな。
私は、あなたがどんなに信仰を挫こうとしてもダメですぞ、という例えに使った
一行ではないですか。
ところで、動物ではなく、人間だから、火あぶりにされても信仰を捨てない者が
いるのでしょうな。
861 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 15:53:46 ID:s6grMnY+
言語矛盾やと思うんは、全てを言葉にして答えをつかもうとするからと違うか?
創造主がどう思ったかはあんたも知らんのと違うか?
どう思ってもあんたの好きやけど、他を否定したらいかんで。
信教の自由を知らんのか?日本の憲法にはあるやろ。
義務教育でならうことやで。あんた、中学生に戻るか?
他人の信じるものが気に食わんかったら政治家になればええんやで。
それからキリスト教は禁教にしようと言えばええんや。
憲法改正案を国会に持ち出したらええんやで。
世間がどう反応するか、どんな眼であんたを見るか、楽しみにしてるわ。
病理、病理と言ったら聞いてくれるんと違うか?
憲法が改正されたら少なくとも国内からクリスチャンはいなくなるで。
2ちゃんねるでは見かけなくなるやろな。
それから外国でも行ってあんたの神を布教してらええんやで。
862 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/24(木) 15:55:31 ID:Vogr7NWT
キリスト教は、本能に生きる動物を目指すのではなく
人間の完成を目指す宗教なんでしょうな。
動物と人間の違い。人間らしさとは何か?
>>862 岸田秀によれば、人間は本能の壊れた動物だそうで、
むしろ本来の本能に生きるために宗教が必要と思える。
864 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 16:37:50 ID:K8Fp3ngd
>>862 観念的な「人格の完成」などを目指すから、人間同士の殺し合いが生じる。
生物としての人間は、生の欲求の基本的本能から派生する共同体形成・維持、
自他の死への恐怖、他者への憐れみという本能を有している。人為的観念の
遊戯に過ぎない宗教は、これらの本能を破壊する。
人間も本来的には、他の生物と同じ動物。人間が特別などと思い上がっては
いけない。宗教で殺し合うのは人間だけ。この意味では、人間は犬畜生にも
劣る存在である。
>>863 人間の本能の破壊は、観念信仰の宗教(特に、ユダヤ・キリスト・イスラム一神教)
が主な原因。
865 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 17:03:42 ID:92FTMfF8
>>864 宗教と言うよりは社会システムの成立そのものが本能の敵のような気がしますね。
>>864 >>宗教で殺し合うのは人間だけ。
それ以外の殺し合いは、他の動物にも共通か?
867 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 17:40:37 ID:K8Fp3ngd
>>865 自己を含む共同体の形成・維持も、生の欲求から派生する人間の本能だから、
社会システムが、長い年月をかけて自然発生的に形成されたものであれば、
むしろ本能に合致するものと言える。しかし、特定の個人または少数人の
観念操作によって、人間の自然の感情・本能に基かずに作られたシステム
は必ず破綻を生じる。社会主義、共産主義がその典型。革命によって作られた
システムも同様。キリスト教も、当時のユダヤ教社会におけるイエス個人の
革命であったから、さまざまな害悪を齎した。
868 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 17:44:44 ID:92FTMfF8
>>867 >社会システムが、長い年月をかけて自然発生的に形成されたものであれば、
>むしろ本能に合致するものと言える
これは事実に反する。典型的事例は共同体における性的タブー。
869 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 18:08:43 ID:K8Fp3ngd
>>868 「性的タブー」って近親婚のこと?若しそうであれば、そもそも近親に対しては
性的欲望は起こりにくいし、また近親婚による遺伝的弊害から、生の欲求の本能
に基き、近親婚禁止のシステムが発生したものだと思う。
宗教による性的行動の制限は、生物学的根拠の無い教祖の観念の産物に過ぎず、
これほど自然の摂理(創造主の意図)に反するものはない。「生めよ、増えよ、
地に満てよ」が実現できないではないか。その歪は、聖職者による多数の性犯罪
として現れている。むしろ、神や聖書に反したこれらの聖職者のほうが、創造主
の意図に添うものであると言える。
870 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/24(木) 18:11:16 ID:Vogr7NWT
>>864 >生物としての人間は、生の欲求の基本的本能から派生する共同体形成・維持、
>自他の死への恐怖、他者への憐れみという本能を有している。
人間が持っているエゴイズムという本能が抜けていますな。
これは宗教を信じる信じないに拘わらず人間が生まれながらに持っている本能です。
このエゴイズムという本能の集大成が、国をあげての殺し合いを生むんです。
キリスト教がブレーキをかけても、人間のエゴイズムが勝った時、殺し合いが
起こる。竹島を巡って日本と韓国が戦争になるとしても、キリスト教に
端を発して殺し合いが起こるというのではなく、人間のエゴイズムという
本能に端を発して戦争が起こるんです。
>人為的観念の遊戯に過ぎない宗教は、これらの本能を破壊する。
キリスト教はエゴイズムという本能を破壊ではなく抑制しますな。
これは、共同体形成・維持に寄与することになります。
871 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 18:11:45 ID:92FTMfF8
とっつぁんか?
872 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/24(木) 18:15:46 ID:Vogr7NWT
>>869 >人間の自然の感情・本能に基かずに作られたシステムは必ず破綻を生じる。
キリスト教は、人間の自然の感情・本能の中にある「愛」に基づいて作られた
宗教だから、2000年も破綻しないんですな。
859 :名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 15:50:19 ID:8fbr6DN0
>>856 お前、どうやって「創造主の意図」を知ったわけ?
866 :名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 17:31:39 ID:8fbr6DN0
>>864 >>宗教で殺し合うのは人間だけ。
それ以外の殺し合いは、他の動物にも共通か?
874 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 18:18:51 ID:HqU4hrxe
遠藤周作の話から随分飛びましたねえ。
東洋人にはインド系カトリックがよいと思いますよ。
マザー・テレサにアントニー・デ・メロ。
そしてデ・メロの協力者であるカルロス・G・ヴァレス。
875 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 18:20:00 ID:92FTMfF8
インド司教団はローマとあまり良くないようだ。
876 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/24(木) 18:22:16 ID:Vogr7NWT
>>869 キリスト教なくして、人間の自然の感情・本能に任せて国を創ると
北朝鮮ができあがるのではないでしょうか?あの国には宗教はない。
チュチェ?思想があるだけですな。
877 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 18:24:00 ID:zeqgneVU
デ・メロ<ラッツィンガーの犬シルビウスが声を震わせて中傷していたな
878 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 18:24:28 ID:HqU4hrxe
>>875 そうなんですかw
アジア・シノドスあたりでも東洋の諸般事情を考慮して柔軟にやらせてくれ的な
意向らしいですねアジア各国の司教団は
879 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 18:27:05 ID:92FTMfF8
>>878 そうですね。
インドの宗教問題は一つ間違えば死人が出るような先鋭な状況が起きうるからなぁ。
880 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 18:27:22 ID:zeqgneVU
ラッツィンガーの犬は何故アマゾンであんなに東洋神秘思想の書評を
書いているんだろうか。謎だ。
881 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 18:36:04 ID:HqU4hrxe
>>880 本当はすごくすきなんじゃないですかね。まあ
スーフィズム、竜樹、ヴェータンダやゾクチェンやらボン教まで網羅しているところが何ともすごいわ
汁氏が活躍しているときに彼のスレでゾクチェンや中沢新一の評価を聞けばよかった
883 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 18:52:13 ID:K8Fp3ngd
>>872 >2000年も破綻しないんですな。
破綻しまくりではないか。今まで何億人、何十億人の人を殺した?
これ以上の破綻はない。
>>873 >お前、どうやって「創造主の意図」を知ったわけ?
現実の人間と自然をつぶさに観察すれば、創造主の意図はすべて現れている。
>それ以外の殺し合いは、他の動物にも共通か?
生存のため、自己や子供を守る為の殺し合いは、他の動物とも共通。
生の欲求という基本的本能に基く自然の行為。さもなければ、生存は
不可能。
なお、キリスト教がエゴを否定するのは根本的な誤り。人間のエゴが
なければ、人類はとっくに滅亡していた。
人間は、独りでは決して生存できないことを知っているから、自己を
含む共同体を形成・維持する。共同体の中では、エゴは相互的なもの
であるので、自己のエゴを維持するためには、他者のエゴとの調整が
行われなければならない。これが、道徳の起源である。
>>883 >>現実の人間と自然をつぶさに観察すれば、創造主の意図はすべて現れている。
それだけじゃ、キリスト教が創造主の意図を把握する方法との差違は示せないぞ。
>>生存のため、自己や子供を守る為の殺し合いは、他の動物とも共通。
おっと、質問が適切でなかったようだ。「殺し合い」ならば、
どんな状況においても自己を守る必要があるもんな。
では、質問をし直そう。例えば、幼い女の子を誘拐していたずらし、
その挙げ句殺してしまったり、小学校に刃物を持って侵入し、
教師や児童を刺し殺すのと同質のことを、他の動物も共通に行うのか否か?
またそれらの行動も「生の欲求」で説明できるのか?
もしできるのなら、それも「自然の行為」として肯定されるべきなのか?
885 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 22:45:31 ID:K8Fp3ngd
>>884 造られたままの人間とは、生の欲求という基本的本能を持った生物に過ぎない。
これが唯一の普遍である。キリスト教は、この普遍を根拠とするものではない。
被造物に過ぎない、しかも精神に異常を有する犯罪者イエスを、創造主と同一視
している。創造主に対するこれほどの冒涜はない。
その犯人は、残念ながら、宗教による場合と同様、本能の健全な発達が阻害されて
いた。度々の通院暦がそれを示している。少数の不良品は常に発生する。キリスト教
は、大量の不良品を人為的に発生させる。
あ〜あ、聖金曜日〜♪
「冒涜者にして偽預言者であるナザレのイエスを十字架にかけろ!!」
887 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/25(金) 07:20:04 ID:BIojw/Xn
>>834 >遠藤先生は、丸ごと愛し信頼しているイエスだから、奇跡を行った行わなかった
>に拘わらずイエスを愛しているんです。イエスに奇跡を望まないのです。
>奇跡がどうでもよいというのはこういうことですな。
未信徒が読者に占める割合を勘案しても遠藤周作像の告白に対して「イエスの
生涯」とタイトルをつけるその感覚に対して自分は閉口します。「わたしの
中における彼」とか「イエス像考察」とか、無難なタイトルにするならば
自分もこれほどこの小説を毛嫌いしません。もしも遠藤氏が事実は学問の
役割で真実を「イエスの生涯」で書いたのだとすれば彼のイエス像の真実は
もはやキリスト教ではないものであったと言えるのではないでしょうか?
>>835 チャットで聞いた素性のわからない話なんて信用してどうするんです?
あなたがあるカトリック信徒から相談を受けたとか、そういうことでしたら
いいのですが、あなたのカトリックセンスと常識がそんなこと書いてると
少し疑われちゃうかもしれませんよ。
888 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/25(金) 08:53:44 ID:pIRtv6To
>>887 >未信徒が読者に占める割合を勘案しても遠藤周作像の告白に対して「イエスの
>生涯」とタイトルをつけるその感覚に対して自分は閉口します。
聖書を読んだ人のそれぞれが「イエスの生涯」と題して小説を書くことができます。
遠藤先生の「イエスの生涯」に共鳴する人が多いのは事実ですな。
>チャットで聞いた素性のわからない話なんて信用してどうするんです?
私はあなたの投稿を読んで、あなたがクリスチャンだと信用しています。
彼女にもカトリック信者だと信用できるものがあったのですな。
私もカト信者として身内の恥を晒すのはどうかと迷いましたが・・。
889 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/25(金) 09:08:33 ID:pIRtv6To
>>885 >造られたままの人間とは、生の欲求という基本的本能を持った生物に過ぎない。
>これが唯一の普遍である。キリスト教は、この普遍を根拠とするものではない。
全く逆ですな。キリスト教は人間の普遍な基本的本能を根拠としています。
イエスは、人間が右の頬を打たれれば、自然と打ち返したくなる本能をよく理解
しています。基本的本能が人間にある限り、キリスト教は普遍ですな。
>キリスト教は、大量の不良品を人為的に発生させる。
あなたが信用のおける国を、指折り数えてご覧なされ。
そして、あなたが誰からも見捨てられるような立場になった時、あなたを
心から愛してくれる人はどんな人ですかな?
890 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/25(金) 09:13:18 ID:pIRtv6To
>>883 >破綻しまくりではないか。今まで何億人、何十億人の人を殺した?
>これ以上の破綻はない。
キリスト教のブレーキがなければ、もっと悲惨なことになったでしょうな。
キリスト教が人を狂わせたのではなく、集団になった人のエゴがキリスト教
の教えを破ったのです。
891 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 10:22:05 ID:iXx1j1mM
>>889 >全く逆ですな。キリスト教は人間の普遍な基本的本能を根拠としています
「右の頬を」も「汝の敵を」も、人間の自己保存の本能を否定しているではないか。
キリスト教徒を含めて、このような「教え」を守れる人間は一人もいない。誰も従
えないような「教え」は、生物としての人間の本質に反した、無意味、無効なもの
である。
イエス自身の行動でさえ、自らの「教え」に反しているではないか。
>あなたが誰からも見捨てられるような立場になった時、
それは自分の責任であり、自己反省のための良い機会である。そんな時に甘やかしては、
人間としての成長ははい。それは本当の「愛」ではない。
>>890 >キリスト教が人を狂わせたのではなく、集団になった人のエゴがキリスト教
>の教えを破ったのです。
宗教者お決まりのあくなき自己正当化。いい加減な仮定でものを言ってはならない。
「木は実によって知られる。」彼等は皆キリスト教の特に熱心な信者。人間をその
ように変質させたのは、キリスト教そのものではないのか。人為的なキリスト教を
擁護するため創造主が造ったままの人間を非難するのは、順序が逆だろう。
892 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/25(金) 10:56:40 ID:pIRtv6To
>>891 >人間の自己保存の本能を否定しているではないか。
あなたは右の頬を打たれれば叩き返す人間の本能をそのままにしておけと言う。
人間の自己保存の本能、それが殺し合いであり戦争じゃないですか。
893 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/25(金) 11:09:42 ID:pIRtv6To
894 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 11:35:09 ID:iXx1j1mM
>>892 >人間の自己保存の本能、それが殺し合いであり戦争じゃないですか。
人間性の理解が不足している。本能に基く殺し合いや戦争であれば、同時に反対の
本能も働く。相手を完全に抹殺することは、戦争のコストを考えれば却って自己の
生存に不利に働くし、また相手に対する憐れみの本能も働くので、適当なところで
手が打てる。宗教が介入すると、まとまる話もまとまらない。
>>893 >キリスト教はブレーキをかける。
それは全く逆。韓国の反日感情の激化には、実は、韓国におけるキリスト教の
拡大が大きな原因となっている。感情のみのいわれ無き「正義感」と過去に大国か
ら虐げられたトラウマから生じるルサンチマンである。これらはいずれもキリスト教
の特徴。ニーチェは「キリスト教は弱者のルサンチマンである」と言った。
895 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/25(金) 12:32:20 ID:pIRtv6To
>>894 >本能に基く殺し合いや戦争であれば、同時に反対の本能も働く。
>相手を完全に抹殺することは、戦争のコストを考えれば却って自己の
>生存に不利に働くし、また相手に対する憐れみの本能も働くので、
>適当なところで手が打てる。宗教が介入すると、まとまる話もまとまらない。
キリスト教があったから、GIは紳士的だったのですな。日本兵は
現地では獣兵と言われるほどに強姦してまわったそうですが、GIが
獣兵だったと聞いたことがありません。日本の子供を肩車してるGIの
写真がなかったですかな。ブレーキのおかげで、私たちは「より」酷い
目に遭わずに済んだのです。侵略してきたのが神無き国、例えば、
北朝鮮や中国だったなら、今でも日本人はその国を恨んでいるで
しょうな。今日の親米感情も、アメリカが目茶苦茶なことは
しないだろうと、ほどほどに信頼できるからです。それはアメリカが
キリスト教国だからですよ。
ルサンチマンは、キリスト教によって育まれるものではありませんな。
むしろ抑制する。
896 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 14:00:31 ID:iXx1j1mM
>>895 >GIが 獣兵だったと聞いたことがありません。
GIが占領直後から、日本の女性とどれほどヤリまくったか知らないのですか。
日本政府主導で、女性を大量に調達しなければならなかったのですよ。
日本とその国民のために過酷な状況下で戦い、命を捨てた日本の兵士を「獣兵」
などと呼ぶべきではない。今日の平和と繁栄は、すべて彼らの犠牲の上に築かれて
いる。あなたはどこの国の人間ですか。
なお、共産主義は、存在しえない共産主義ユートピア(神の国)観念に人命にも
優先する価値を置く点で、宗教と同じ。「擬似宗教」と呼ばれる。キリスト教
とは、信じる「神概念」が違うだけ。マルクスもヒットラーもキリスト教徒。
マルクスのユダヤ人嫌いもヒットラーの反ユダヤ主義も、当然のことながら、キ
リスト教が原因。当時のローマ法王はナチスを黙認した。
キリスト教徒と社会・共産主義者とは、相性がよい。いずれも同根だからです。
今、映画のスカーレットレターを見ているが、
魔女裁判というのは、カルト宗教にしか見えない行動ですね。
ことあるごとに悪魔、悪魔。・・・怖いよ。
キリストの教えで、優しい人になっている人がいる一方で、
醜い行動を起こす人がいる。
仏教でも、その教えから優しい人がいる一方で、
醜い行動を起こす人がいる。
同じような行動をしても仏教やイスラムだけが
カルト扱い、基地外扱いというのは、納得がいかない。
898 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 16:04:57 ID:O+xBw5mH
>>896 WW2で日本が勝っていたらよかったというのかい?
国民のためというより天皇のためだったのでは?
実際は天皇を操る軍幹部のためだったわけだけど。
今ある平和は全ての戦死者の上に成り立っています。
獣兵と呼ばれるような悪い行いがあったのならば反省しなくてはいけない。
それはどこの国の兵隊でも同じです。
>>897 キリスト教の名の下に醜悪なことをした人は大勢いますね。
900 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 18:36:17 ID:iXx1j1mM
>>899 >WW2で日本が勝っていたらよかったというのかい?
君はどこの国の人間?
>国民のためというより天皇のためだったのでは?
君達が「人間のためより神のため」と言うのとまったく同じことではないのか。
>>900 日本国籍を持っていますよ。
天皇は人間です。
902 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 18:58:53 ID:iXx1j1mM
>>901 日本人でありながら、日本が負けたほうがよかった等と言う者のことを
「売国奴」と呼びます。
イエスは人間です。
904 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 20:52:02 ID:O+xBw5mH
日本が勝たなかったほうがよかった、というのは変だよ。
どうして負けたほうがいいんだ?理解に苦しむ。
条件付の停戦とかならともかく無条件全面降伏だぞ?
負けたのは仕方なかった、というならばまだわかるが。
905 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 21:15:39 ID:iXx1j1mM
>>804 >日本が勝たなかったほうがよかった、というのは変だよ。
先祖代代からお世話になっている祖国日本よりも、キリスト教国である敵国に
勝って欲しいのでしょう。
昔のキリシタン大名の中には、日本の領土をキリシタン国の外国に渡そうとした
者がいる。
キリスト教を信じると、このような忘恩の徒になってしまうのです。「愛」を唱え
ながら、やってることはその正反対なのが、キリスト教の大きな特徴です。
906 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/25(金) 21:32:47 ID:pIRtv6To
>>896 >GIが占領直後から、日本の女性とどれほどヤリまくったか知らないのですか。
>日本政府主導で、女性を大量に調達しなければならなかったのですよ。
だから、キリスト教がなければ「より」酷い目にあったはずだ。
と書いてる。わざわざ先の投稿で括弧つけてるでしょう?
>日本とその国民のために過酷な状況下で戦い、命を捨てた日本の兵士を「獣兵」
>などと呼ぶべきではない。
私が「獣兵」と呼んだのではない。現地の人々が本能むき出しの日本兵
をそう呼んだのです。もし当時日本にキリスト教の土台があれば、現地の人も
「獣兵」とまでは呼ばなかったでしょうな。現にGIを獣兵のようにむごかった
という話は聞きません。
GIが本能にまかせて銃剣で妊婦の腹を刺したりしたのですか??
>今日の平和と繁栄は、すべて彼らの犠牲の上に築かれている。
>あなたはどこの国の人間ですか。
まあ、あなたと同じ程度に愛国心があると思ってください。
今日は聖金曜日だなあ。ミサもないし。
キリスト教は暴力性・本能を抑制する。
さて、日本人はアメリカ人に比べて暴力性が多大である。。
なぜか。それはクリスチャンであるかどうか、がかかわっているのだ。
つまりアメリカ人はクリスチャンで、日本人はクリスチャンでない。
だから日本人はアメリカ人より暴力的なのである。(日本人は獣兵である)
そこで、日本人をキリスト教徒にすれば、
暴力性・本能を抑制できる。それは素晴しいことだ。
だから日本人はキリスト教徒に改宗すべきなのである。
909 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/25(金) 21:42:34 ID:pIRtv6To
本能にまかせた日本兵の残虐さと、キリスト教でブレーキがかかった米兵の残虐さ
の差は歴然としてますな。日本兵はこんなことまでしたが、米兵はそこまでは
しなかったという具体例は事欠かんでしょう。
910 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 21:44:30 ID:iXx1j1mM
>>806 30年戦争、十字軍、セントバルテメローの大虐殺、魔女の火あぶり、異端審問、
南米原住民の大虐殺、アイルランド紛争、などのことは何故言えないのか。
911 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 21:45:32 ID:O+xBw5mH
しかし、イラクでは米兵もおかしなことをしている。
イギリス兵はアーロン収容所で・・・、とやっていくと
キリスト教徒かどうかの問題ではないことがわかってくる。
キリスト教徒であるかないかにかかわらず、残虐性をむき出しにすることがある、
ということだ。
912 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/25(金) 21:46:07 ID:pIRtv6To
一例を挙げときますか。
日本兵は米兵捕虜を使って生体解剖(人体実験)をした。
米兵が日本兵捕虜にそんなことはしていませんな。
913 :
%82%b3%81[%82%c4 ◆RLtoLnT/2E :2005/03/25(金) 21:48:45 ID:pIRtv6To
>>910 キリスト教がなければ、本能にまかせ「もっと」野獣化しておったということです。
それで済んだんですよ。
914 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 21:50:15 ID:O+xBw5mH
>>913 それは証明できないですよ。歴史に「もし」はありませんから。
科学の実験じゃないので歴史上に「同じパターンでキリスト教じゃなかった例」を
つくって実験することは出来ません。
証明できない以上、「それで済んだ」といってすますことは出来ないはずです。
915 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 21:52:51 ID:3QYcvWJU
太平洋戦争終了直後、日本に進駐した米国軍人は、品行方正な紳士が
選ばれたんですよ。ならず者がいたとしても、ほんの少数です。これは、
間違いありません。戦中派・闇市派の人に尋ねれば、必ずわかる事。
進駐が長引くに従って、不良米国軍人も増えた。それも事実です。
さらに言えるのは、戦勝国が敗戦国に対する態度として、とても寛容で親切な
対応だった事。当時の米国の、極東戦略の影響もあったのでしょうが、これも
事実です。
それに反して、旧日本陸軍は、反人道的な残虐行為を上官が部下に命令して
いたんです。良心から、残虐行為を拒否した部下には、制裁が加えられました。
酷い話です。
補足しますと、旧日本陸軍の中にも少数ですが、良心的な上級将校がいた事、
旧海軍は旧陸軍に比べれば、はるかに品が良かった事を付け加えておきます。
916 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/25(金) 21:56:57 ID:pIRtv6To
>>914 キリスト教の土台がある米兵と日本兵の残虐さの「差」を考えたり、
紀元前の「目には目を歯には歯をの残虐な世界」のことを考えれば、
何となく分るというもんです。胸に手をあててごらんなされ。
917 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 22:00:18 ID:3QYcvWJU
世界の人々が、平和に幸せに自由に暮らせれば、「日本」という
国の名前なんて、どうでも良い事です。
自分の国のみの、優越性・幸福を追求するのは、【国粋主義者】
のやることですね・・・
918 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/25(金) 22:01:12 ID:pIRtv6To
やっぱインターナショナルが一番です。アメリカ日本州だろうが
中国日本自治区だろうが・・・問題なしです!
日本人もバイリンガルになれていいカモ!
920 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 22:03:09 ID:iXx1j1mM
>>916 キリスト教は、史上、これだけ多数の残虐な大殺戮を犯しておいて、見え透いた
言い訳はするな。みっともないよ。
遠藤先生にならって多元主義が一番です。ブッダでも救われる。
ガンガーの女神によっても救われます。
922 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 22:06:40 ID:O+xBw5mH
遠藤先生は「キリスト教だけが救いの道じゃないよ」ということを示されたと思います。
ビルマを戦った塚田はガンガーのガートで阿弥陀経を読んで日本・ビルマ両軍の戦死者を
弔いました。素晴しいです。
923 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 22:10:34 ID:O+xBw5mH
遠藤先生は神学という武器・武装によって「自分達だけが正しい」と主張する
ヨーロッパ中心主義に辟易されていたのです。その思いをストレートにぶちまけた、
いわば最後のメッセージが「深い河」なのです。
このスレで発言される方は「イエスの生涯」「キリストの誕生」「沈黙」「深い河」を
踏まえましょう!そうすればより有意義な意見交換が出来ます。
924 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 22:14:48 ID:iXx1j1mM
>>921 宗教(特にキリスト教)の本質上、多元主義など絶対に不可能。現に、多元主義を
巡って、宗教内部でさえ紛争が起きている。戦争が起きる可能性さえある。
宗教は、判断の基準となる現実上の根拠が皆無な観念の遊戯だから、当然のこと
でしょう。
専ら人間と自然を対象とする科学においては、検証に基いて全人類的な合意が容易に
達成できるのは、判断の基準となる現実が厳然として存在するからだ。「真理の基準
とは、現実と合致するか否かである。」
925 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 22:20:22 ID:O+xBw5mH
>>924 たぶん、そうだと思います。
というか、アジアと西洋じゃ発想がぜんぜん違うんだと思う。
一神教ってのは「自分の意見や立場が絶対正しい」とするためのモノなんですね。
だから、別の立場を認める、というのは基本的にありえない。
こちらの立場に引き込むことを前提として、緊急手段として「相手の立場を認める」ということはあっても。
926 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 22:20:59 ID:3QYcvWJU
>>920 キリスト教に、反省すべき過去の過ちがあるのは、確かだ。
たとえば、多くの人が迫害され殺された。暗い部分だ。
そういう部分は、深く反省し、自己吟味・自己批判を続ける
べきでしょう。
そうではあるが、暗い部分だけに目を向けるのは不公平だ。
キリスト教が人類に与えた、明るい部分・評価されるべき部分も
多いはずだ。
>>924 宗教的多元主義の概念は、各宗教が【唯一絶対の救い】という
主張を放棄できれば、充分に実現可能だ。
927 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 22:22:18 ID:O+xBw5mH
>>926 「唯一絶対の救い」をキリスト教から抜き取ることは出来ないでしょう
928 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 22:33:27 ID:3QYcvWJU
>>927 既にプロテスタントの一部リベラル派は、放棄してる。
カトリックは、保守派からリベラル派まで懐が深い。
事実、遠藤周作さんのような方もいる。
929 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 22:37:09 ID:O+xBw5mH
>>928 多元主義や普遍救済を認めれば世界は平和になるけど、
それではガマンならない人たちがいますから。
930 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 22:51:29 ID:cBAnbl26
藻前らの頭は、キリスト教=アメリカなのか。
いくらなんでも、それはあまりに・・・・
ところで、
ロシア人の残虐さはチェチェンで証明済だ。死体処理の手間を省くために生きた人間にダイナマイトを巻きつけて、木っ端微塵に。
アメリカが影で指導した中米の軍事政権の残虐さはどうなんだ(主にプロテスタント。カトリック教会は民衆寄りで反政府として敵視された)。
一例として、母親の見てる前で、裸の子供を大男があばら骨や内臓がむき出しになるまで岩にこすり付けて殺す、なんて嗜虐的なリンチ殺人が横行。
数十万が殺害された。チョムスキーの本にも載ってる。
そして人類史上最大の虐殺はスペイン人によるインディオの大虐殺。数千万の無防備な人間が殺されつくした。
さて、上記の行為は何教徒によってなされたのか。
931 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 22:53:31 ID:O+xBw5mH
932 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 22:56:39 ID:O+xBw5mH
チョムスキーだろうがラス・カサスだろうが都合の悪い情報は遮断されます。
人間は自分の立場・信条を脅かす情報を予め排除するからです
933 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 23:05:34 ID:cBAnbl26
>>932 それは一面ではたしかにそうだ。
でも、それだけ言ってたのでは何も始まらない(人間ひとり残らず当てはまるからね。)
イエスは偉大だったが、自称キリスト教徒はイエスの名の下に悪いことをいっぱいした。
マルクスも偉大だったが、自称マルクス主義者はマルクスの名の下に悪いことをいっぱいした。
それが歴史の皮肉というもの。
935 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/27(日) 09:55:12 ID:AIiCaG4b
『侍』は、最初だけ取っ付きにくいですな。まだ私も途中なんですが、
最初少し読んで投げ出したくなる人がいると思うので、おせっかいとは
思いますが、メモを出しときます。
*侍の家族
陸奥(みちのく)の【侍】=六(ろく?むつ?)。妻【りく】。長男は12歳【勘三郎】。
侍は父と死別。谷戸にある3つの寒村を任されている。足の悪い【叔父】がいる。
侍の直属の上司は【石田さま】。
*宣教師
ポーロ会…3年前に日本にきた【ベラスコ神父】、その部下【ディエゴ神父】。
大坂に二人の上司【ムニョース神父】。
ペテロ会…ザビエルが作ったこともあり、他の会の宣教の仕方に難癖をつけたがる。
*その他
【後藤尚三郎】…江戸に住む通商顧問官。ベラスコ神父と顔見知り。
936 :
名無しさん@3周年:2005/03/27(日) 10:59:59 ID:LHdcbfjM
自慢じゃないけど、我が家の墓は遠藤周作先生のお墓と同じ墓地にあって、
距離にして10メートルも離れていない。
また、すぐ近くにウルトラマンの生みの親の円谷さんのお墓もある。
937 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/27(日) 13:13:42 ID:+ftOUarF
>>936 遠藤先生のお母様のお墓も横にあるのではないでしょうか。
もしくは同じお墓に入っていらっしゃるのかもしれませんが。そうすると、
「母なるもの」に書いておられましたが、先生はお一人でよくそこを
訪れていたということになりますな。
938 :
名無しさん@3周年:2005/03/27(日) 13:29:25 ID:5svoJg6E
ユダヤ教もキリスト教も、心的外傷から発生した宗教のようだね。健全な
人間性から遊離しまくっているのは当然。
939 :
名無しさん@3周年:2005/03/27(日) 15:49:31 ID:ZDuPysuz
>>895 人類史上、初めて原爆を二個も落としたのは
誰だかは忘れてはいけない。
また、キリスト教は悪魔の存在を認め続けている
限り、人を悪魔扱いして、大虐殺=正義という妄想
にかられるということも忘れてはならない。
940 :
名無しさん@3周年:2005/03/27(日) 16:01:57 ID:ZDuPysuz
>>924 キリストが唯一の救いであっても、他宗教でも救われるという展開
は可能。万物はキリストでできているということを生かせばよい。
それからキリスト教から悪魔概念の排除をすることは絶対に必要。
悪魔?
えー、居るよー。
オナ金マラソンに参加したことのある香具師だったらわかるような希ガス。
魔女裁判を正当化するわけではないけど、宗教を人の都合では変えられない。
政教分離をすればいいことでは?
人を社会的に裁くのは国家の中の司法がすればいい。
943 :
名無しさん@3周年:2005/03/27(日) 18:15:44 ID:xh9KWLT7
>>942 >宗教を人の都合では変えられない。
宗教も人間の営みの一つに過ぎないのだから、時代が変われば、人の都合で変えら
れない訳がないでしょう。
宗教には、「進歩」がないのですか。イエスもムハンマドもルターも、ユダヤ教や
キリスト教の「進歩」「改革」を目指したのではありませんか。但し、宗教の本質
上、従来は「改革」のたびごとに堕落し、新たな紛争だけを生み出していますが。
世俗的権力の典型である司法などに頼らないで、宗教自らが宗教の近代化・改革の
努力をすべきでしょう。
>>943 教義を変えることはできないってこと。
客観的に見れば人の営みでしかないのかもしれないけど神との関係だからね。
945 :
名無しさん@3周年:2005/03/27(日) 18:58:37 ID:xh9KWLT7
>>944 「神」も、人間の思考の対象である限り、どこまで行っても人間の観念の産物
に過ぎません。どこを見渡しても「実在」しないのですから。
946 :
名無しさん@3周年:2005/03/27(日) 19:05:04 ID:MV4o44gx
>>945 そうだよ。人間には人間の観念の範囲内でしか神を捉えられない。
だからイエスが来たんだよ。
947 :
名無しさん@3周年:2005/03/27(日) 19:37:21 ID:bWdBwDDH
イエス伝(イエスの生涯)にも古今東西いろいろあるけど、専門の聖書学者・神学者
の書いた作品は、ほぼ全てつまらない。心に響かない、心の琴線に触れない。
これは、保守派・リベラル派に関係なく共通している。
保守派の作品は「おとぎ話」だし、リベラル派の作品ではイエスが「過激な革命家」
になってたりする。
やはり、専門外の文学者の書いた作品が、一番読みやすく心に響く。
私自身は、遠藤周作さんの「イエスの生涯」が一番好きですね。
次点は、エルネスト ルナンの古典「イエスの生涯」かな。
948 :
名無しさん@3周年:2005/03/27(日) 20:12:06 ID:bWdBwDDH
>>940 「キリストが唯一の救いであっても・・・」
言いたい事は、良く理解できます。たぶん、それは包括主義と呼ばれる
立場で、現在のカトリック教会の見解でもありますね。
しかし、その立場では、異教徒・無神論者を、どうしてもキリスト教徒より
下位に見てしまう。キリスト教優越主義から抜け出せていない。
やはり、もう一歩踏み出して欲しいところですね〜。
949 :
名無しさん@3周年:2005/03/27(日) 20:14:12 ID:pA+EnFIR
>>948 それは信条を逸脱するから無理だと思いますね。
950 :
ガス:2005/03/27(日) 20:56:41 ID:oy80niGh
951 :
ガス:2005/03/27(日) 21:29:05 ID:lL7Xedbc
952 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/27(日) 21:44:09 ID:hfwUAilN
>>934 >イエスは偉大だったが、自称キリスト教徒はイエスの名の下に悪いことをいっぱいした。
しかし、キリスト教徒が行った良いことの方がその何千倍何万倍も多いでしょうな。
953 :
Albert Magnus:2005/03/27(日) 22:25:35 ID:8FW8q6T7
>>952 > しかし、キリスト教徒が行った良いことの方がその何千倍何万倍も多いでしょうな。
あの、いや、だから…
ソレは自慢しないほうが良いような希ガス。
私たちが例え「善行」をするとしても、ソレは世に対して誇るためではなく
主に仕えるためなんだから…
954 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/27(日) 22:38:41 ID:hfwUAilN
アルバートさんのおっしゃることもわかるんです。
しかし、わからん人はキリスト教信者が殺人鬼に豹変すると思うとります。
ここで否定しておかないと、わからん人は一生キリスト教信者を
誤解し続けないとも限りません。悔しくてですな。
955 :
名無しさん@3周年:2005/03/27(日) 22:43:38 ID:P/5wDjBc
苦しみはそのまま善行なのですか
だから聖書では喜んでる人は悲しみなさいと勧めてるのですか
956 :
936:2005/03/27(日) 23:06:11 ID:LHdcbfjM
>>937 はい、たしかに墓碑には「パウロ・遠藤周作」のほかに「母郁子」とあります。
お兄さんの名前もあります。
ちなみに遠藤先生のお墓もある我が家の墓は、府中カトリック墓地です。
ただ、うろ覚えですけど、「母なるもの」の登場人物の「母」の墓は、
どっかの島じゃなかったでしたっけ?
>しかし、キリスト教徒が行った良いことの方がその何千倍何万倍も
>多いでしょうな
そうとも言い切れないような気が(汗
わたしはキリスト者ですが、(簡単に数で比較は出来ないけれど)
良いこともしていますが、おんなじ位主の御心にそわないことも
やってますから(汗
ただ、主の教えと逆方向のことをしている人たちがいる影で、
主に真摯に従おう、その生き方に真剣に倣おうとした人たちも
いたとは思います。
いずれにせよ、何もかも主のご計画の一部だと思います。
958 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/27(日) 23:14:13 ID:hfwUAilN
>>955 >苦しみはそのまま善行
病気の苦しみを善行とは言えませんからな。キリスト教は
苦しみに意味や価値があると教えますが。
>だから聖書では喜んでる人は悲しみなさいと勧めてるのですか
そんなことはないです。サッカー選手はゴールが決まった瞬間に十字を切ってます。
聖書を正しく読んだら、喜びは大きくなり、悲しみは小さくなりますぞ。
959 :
名無しさん@3周年:2005/03/27(日) 23:16:04 ID:Ad7Izgxr
『悲しみの歌』は読んでて涙出てきました。
まだ読んでない人の為に内容については触れませんが。
960 :
名無しさん@3周年:2005/03/27(日) 23:18:16 ID:P/5wDjBc
レスありがとうございます。
すいません、聖書を読めないものです。(字は読める)
教えてほしいんですが、その苦しみの意味と価値を具体的に
教えてほしいです。
>>955 > 苦しみはそのまま善行なのですか
その苦しみを主にお捧げすれば良いって、黙想会でお世話になった神父様方は
おっしゃってた…
そしたら、主の十字架による贖いの業に対して補完的な働きができるんだってさ。
あ、それからそれから。
「自分の苦しみを主にお捧げして、主の御業を補完する」ってコトは自分の功
徳になるだけじゃなくて、お世話になった人や愛している / 愛していた人に
譲り渡すこともできるんだってさ。
件の黙想会指導の神父様は、「皆さんの先祖のためにも、その功徳を譲って下さい」
とも仰ってました。
963 :
名無しさん@3周年:2005/03/27(日) 23:29:26 ID:P/5wDjBc
私は955です。そうですか、私はプロテスタント畑でして、
ちょっとまえに、沈黙を読んでから、がらりと鱗がはがれてしまった
んじゃないかと、思うほど、考え方がかわりました。
私はプロテスタントより、カトリックの教えのほうが向いてるような
気持ちであります。
>>959 『悲しみの歌』は涙が止まりませんな。
クリスチャンが読むと説明しすぎな部分がありますがw
(下げた方がいいのかな?ageとsageの感覚がまだよくわからんのですw)
>>960 イエスが十字架にかかられ、苦しまれたのは、その苦しみを御父にお捧げして
わたしたち人間を罪から解放し、永遠の命に与らせる為だといわれます。
わたしたちの苦しみも、同じように神さまにお捧げしますと、
神様は、その苦しみを イエスの苦しみと合わせて
他の誰かのために役立たせてくださいます。
960さんが今、苦しみのなかにあるとしたら、それは決して無駄では
ありません。神の御手を通して、その苦しみにより、
誰かを救うことが出来るのです。
聖書は読めなくてもネットは出来るのですね?
もしよければ、「ラウダーテ」で検索をかけて、カトリックの「女子パウロ会」の
ホームページをちょっとご覧になってみてください。
聖書入門の講座があります。お役に立つかもしれません。
>>961-962 おお、そのように考えるべきなんですな。アルバートさんありがとうございます。
>>965 レスありがとうございます。聖書は持っていて目の前にあるんですが、
自力で理解できないのです。できれば、誰それの脳を借りずに自力で
キリストを理解?といいいますか、なんていうか、自分の人生を聖書に
照らし合わせ、楽になりたいなと思てます。今は人様に多数のクリスチャンに
このように誘導をお願いしてるわけでして。どうもありがとう
皆さんのレスで、また一つ空白の場所にかけらが埋まりました。感謝
♪カトは良いと〜こ〜 いちど〜は〜おいで
♪ア チョイナ チョイナ。
# あ、別に、「プロテスタントは(・A・)イクナイ!!」って言ってるワケじゃ
# 無いっすよ、念のため。
>>967 苦しみの意味や価値。簡単なところでは、死にたいくらいの失恋をする。
死にたいくらいの失恋をして相談にきた友人に同情してあげれる心を得ますな。
何かアドバイスをしてあげて癒せる人になってるかもしれません。
この意味や価値は、神を信じると「より」強力になります。
>>968 私も実はそんな気持ちなんですな(苦笑)。
970 :
名無しさん@3周年:2005/03/28(月) 14:51:11 ID:BzZDWiv3
遠藤氏の一連の作品は、まさにクリスチャン作家しか書けない大変な労作であり、
宗教的情熱の発露ともいうべきものである。
しかし、遠藤氏自身がキリスト教の信者であるという大きな限界がある。神が
存在しなければ、またはキリスト教以外の神を信じる者にとっては、彼の作品
は紙くず同然であり、従って、人類にとって普遍的な芸術作品とはなりえない。
また、イエスがその極めて短期間で「神格化」された原因を「X」とし、今後の
考察の課題としているが、この「X」は、現代の発達した精神医学により、容易に
解明できるのではないか。即ち、「感応精神病」(精神病は、患者に接する者達に
転移する)の概念である。
971 :
名無しさん@3周年:2005/03/28(月) 23:20:49 ID:T7h2pOm6
>>970 それではイエスが病人を癒した出来事はどうみる?
972 :
名無しさん@3周年:2005/03/28(月) 23:28:50 ID:wzg8qx7t
>>970 >人類にとって普遍的な芸術作品とはなりえない。
普遍的な芸術作品が日本にありますか?
973 :
名無しさん@3周年:2005/03/28(月) 23:45:28 ID:BzZDWiv3
>>971 全部作り話か、または今でいう「プラシーボ(偽薬)効果」でしょう。「病は気から」
ということわざもあるからね。
「本当に病気だったのか」「本当に治癒したのか」「治癒とイエスの行為との因果関係」
この三つを厳密に判定しなければなりません。
現代では、ある薬が本当に効果があるかを判定するために、即ち「プラシーボ効果」
を除外するために、医師にも患者にも知らせずに、偽薬を一群の患者(「コントロー
ル」「対照」という)に投与し、本当の薬を他の一群の患者に投与し、効果に「有意
な」差を生じるか否かを判定する「二重盲検法」を用います。
厳格な「二重盲検法」を適用すれば、宗教による病気治癒の効果は「ゼロ」でしょう。
それどころか、「気のせいで」治ったと思い込み、治療を怠ったために、却って悪化
し、極端な場合には死に到るケースが多数あります。
974 :
名無しさん@3周年:2005/03/28(月) 23:55:34 ID:T7h2pOm6
975 :
名無しさん@3周年:2005/03/29(火) 00:01:46 ID:nSRTf+cs
>>974 それこそ大嘘か、または完全には死んではいなかった、即ち仮死状態だったと
いうことでしょう。
「完全に死んだ人間」が生き返ったという事実が確認されたことは、人類史上
一度もありません。
976 :
名無しさん@3周年:2005/03/29(火) 00:05:55 ID:PFc1a3D2
>>975 それでは迫害者サウロがパウロに名を改めキリストよりになったことは
どう見る
977 :
名無しさん@3周年:2005/03/29(火) 00:24:39 ID:90PuxrTP
>>970 「キリスト教以外の神を信じる者にとっては、彼の作品
は紙くず同然であり・・・」
「否!」
非キリスト教徒が読んでも、深い感銘を受ける作品と思います。
少なくとも、「人情」が理解できる人には・・・
人間イエスと関係者の心情が、とてもうまく描かれており、読む者
の心を打つのだと思います。
978 :
名無しさん@3周年:2005/03/29(火) 01:09:00 ID:nSRTf+cs
>>976 サウロ(パウロ)は、もともと、ファリサイ派の原理主義者。その盲信的素地があ
ったので、キリストの処刑により精神的変調を生じたのでしょう。
彼の熱心な布教活動は、まさに盲信者、狂信者のそれ。本体、個人の問題である
宗教をこれほど熱心に布教したこと自体、イエスの極端な神格化として異常な
ものを感じます。
パウロは生前のイエスを知らなかった。自分の観念により、イエスとは関係無い
パウロ教を作り上げたという感じがします。
979 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/29(火) 02:38:57 ID:7R+bJ0GG
>聖書を読んだ人のそれぞれが「イエスの生涯」と題して小説を書くことが
>できます。遠藤先生の「イエスの生涯」に共鳴する人が多いのは事実ですな。
自分にはあなたの指摘することがカトリックの信仰を複雑にし、信徒と
未信徒とを混乱に陥れていると考えています。
>私はあなたの投稿を読んで、あなたがクリスチャンだと信用しています。
>彼女にもカトリック信者だと信用できるものがあったのですな。
>私もカト信者として身内の恥を晒すのはどうかと迷いましたが・・。
あなたのレスはこちらが遠藤氏の主張に絡めて話をしていることについて
全く読み取っていないし、頓珍漢で表面的な対応をしているのですよ。
>>829で「悪く姦通の世代はしるしを切に求める、しかも預言者ヨナの
しるしのほかには、しるしは与えられない」(マタイ12章39節)とこちらが
訳した個所と
>>830の内容から
>>835のレスがあったのだと思われます。
しかし、こちらは聖書の翻訳の不明瞭さ、たとえば「悪い」とか「不品行」
などと訳すことで見えなくなってしまう霊的な真実について明らかにした
つもりですし、その真実とは神が旧約から新約に至るまで異教への信仰に
対して夫婦関係の不貞として指摘することが多いという事実をふまえての
翻訳なのです。これは、遠藤氏が多元主義などと言われるような信仰を示す
ことが姦通として表現される霊的危険と意味合いにおいて重なるかもしれない
という注意の促しなわけです。個々のカトリック信徒に不倫があるかもしれない
とかそういうことをほのめかすための書き込みは、こちらはしたつもりがない
のです。遠藤氏のキリスト教観は聖書を素直に見たときにおかしいぞと感じている
ことを示唆しているマタイ12章39節の翻訳なわけです。遠藤氏はカトリックの
信仰を複雑にし、翻訳聖書は聖書で大事なところに限ってあいまいさや不明瞭さ
を残す訳をしている。そういう二重の危険について理解してもらうのが
>>829 >>830の意図でした。読み取ってこちらが確認してもらいたかった内容とそちら
で汲み取った理解にあまりにも距離があってどうレスをしていいかしばらく
考えあぐねてしまいました。レスが今ごろになった失礼はお許しを。
980 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/29(火) 02:42:40 ID:7R+bJ0GG
981 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/29(火) 03:07:42 ID:px6qQ8sT
>>979 いや、あなたの書いてる内容
>>829と
>>830のどちらも、
>>979で説明されるまでもなく十分に汲み取っていましたな。
>個々のカトリック信徒に不倫があるかもしれない
>とかそういうことをほのめかすための書き込みは、こちらはしたつもりがない
当然、あなたがそんなことを言うつもりがないのも
わかって書いておるんです。
当然、他の読者も読み取っておられるでしょう。
982 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/29(火) 03:12:52 ID:7R+bJ0GG
>>978 イエスが亡くなって聖霊降臨があり、イエスの弟子たちによる宣教が
行なわれるなか、初めての殉教者が出ます。ステファノという若者ですが
その時、サウロ(パウロ)はステファノの殺害に賛成していました(使徒
言行録7章58節から8章1節を参考)。サウロの召し出しについては
9章に記載されています。また、死人を生き返らせるという奇跡はイエス
だけのものとして新約聖書中に記載があるわけではありません。使徒の
頭と目されていたペトロは9章36−42節にあるようにタビタという女性を
生き返らせますし、パウロはパウロで若者を生き返らせるエピソードを
持っています(同じく使徒言行録20章9−10節)。
パウロはペトロや他の使徒を良く知っていましたしイエスと同時代の
人間の一人であると考えてよいと思います。イエスが十字架に磔にされる
前に行なった最後の晩餐と呼ばれる儀式についても最もパウロが詳しく
書き記しています(Tコリント11章23節以下)。イエスを述べ伝えなかった
パウロ、イエスを知らなかったパウロという仮定は、聖書を読む限り
において実際には成り立ちにくい考え方です。
983 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/29(火) 03:18:01 ID:7R+bJ0GG
>>981 もしもこちらの意図を汲み取っていたのであれば、そこで遠藤氏の
著作や思想などとの絡みでレスを返すべきでしょうね。突然相手の
わからない自称カトリックの女性とチャットをしてどうのこうのと
レスをする意図はこちらには理解しかねます。こちらがきちんとレス
したのですから、そちらが突然そうしたレスを返した意図もきちんと
説明してくれますか?なんだか反応がずいぶん軽率な感じがまだ
こちらは拭えていませんのであなたのレスの意図について明確に
してください。
984 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/29(火) 03:26:37 ID:7R+bJ0GG
985 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/29(火) 03:27:00 ID:px6qQ8sT
>>982 反論になってません。
>>978氏は、パウロは「生前の」イエスを
実際に目にしていないと言ってるのです。978氏は、「イエスを述べ伝えなかった
パウロ」「イエスを知らなかったパウロ」とは仮定していません。
頓珍漢な読解ですな。
986 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/29(火) 03:37:39 ID:7R+bJ0GG
>>982の書き込みは誤解を招く表現がありました。
冒頭「イエスが亡くなって聖霊降臨があり、」は
「イエスが昇天した後、聖霊降臨があり、」と書く方が誤解されない
と思います。十字架に架けられたイエス(
>>978さんの「キリストの処刑
により精神的変調)への対応と聖霊降臨とを繋げると話が飛躍しすぎて
誤解が生じやすいと思われます。読者の誤解を防ぐ目的で982番の書き
込みはわかりやすいように訂正させていただきます。
では後、スレッドを出ますからレスおよび書き込みはまた今度。じゃ、
987 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/29(火) 03:42:40 ID:px6qQ8sT
>>983 そんな揚げ足取りをするなら、あなたの
>>983の投稿それ自体も
遠藤氏の著作や思想などと絡みを持たせたらどうですか?
それと、私に言うわりに、あなたは新しいスレッドで
独りよがりの長文投稿をいくつもされていますが、あれらが
遠藤氏の著作や思想と「絡みを持たせた」投稿と言えますかな?
他の投稿者や読者に気を配っているとはとても思えませんが。
988 :
人+人 ◆ZGRlzXlcXc :2005/03/29(火) 03:48:00 ID:7R+bJ0GG
>>985 生前のイエスを目撃していないことは、聖書を読む上で何か支障が
あることでしょうか?聖書は聖書本文の中にも書かれていて教会など
がそのように教えるように「聖霊の霊感によって神のことばを書き
記した書物」なのです。イエスとも使徒とも同時代に生き、ステファノ
の殉教に際してこれに荷担していたパウロがイエスの呼びかけを受けて
180度変わり、イエス宣教の先駆者のごとくに宣教に邁進するわけです。
イエスとの出会いは確実にあったし、イエスの言行もよく知っていた。
それがパウロという人物です。
あなたはお若い信徒さんなのか基本的な信仰についての知識に欠けて
いるかもしれませんよ。煽りや無意味な誹謗なんかして変な性格を
さらけ出さないように注意して下さい。あなたを追い詰めたレスを
こちらがしていたりして機嫌を損ねさせましたか?そうであれば
その点はお許しを。お互い様。
989 :
人+人 ◆8fRI53Oe1o :2005/03/29(火) 03:50:27 ID:7R+bJ0GG
>>987 だからあなたは信仰についての知識に少し弱い部分があるのですよ。
普通はあなたみたいな非難をする人はいません。やけになったレスは
やめてください。では、ごきげんよう。
990 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/29(火) 03:53:51 ID:px6qQ8sT
>>989 そういう、蔑みの言葉を待っていました。
あなたの思い上がりを自覚してもらうために、
「あなたと私の信仰ではどちらが上ですか?」
という質問を書こうと思っていたのです。
991 :
名無しさん@3周年:2005/03/29(火) 03:57:21 ID:nSRTf+cs
>>988 「聖霊」「霊感」とは、それぞれ具体的には何ですか。
聖書の文言や教会の説教の盲信は、「聖書を学ぶ」ことにはなりません。
992 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/29(火) 04:03:10 ID:px6qQ8sT
>>988 >生前のイエスを目撃していないことは、聖書を読む上で何か支障が
>あることでしょうか?
誰が、どこに「聖書を読む上で」支障をきたすと述べていますか?
978氏は、生前のイエスを目撃していなかったパウロが、個人的に
妄想狂だったのではないか?という主張ですよ??
あなたは読解力が足りない上に、妄想が激しいんですよ。
妄想した上で以下のような説明が続く。
>聖書は聖書本文の中にも書かれていて教会など
>がそのように教えるように「聖霊の霊感によって神のことばを書き
>記した書物」なのです。
うんざりですな。
993 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/29(火) 04:38:07 ID:px6qQ8sT
>>986 > 冒頭「イエスが亡くなって聖霊降臨があり、」は
>「イエスが昇天した後、聖霊降臨があり、」と書く方が誤解されない
>と思います。
どのように誤解するのでしょうか?
正しい理解と誤解の例をよろしく。
>十字架に架けられたイエス(
>>978さんの「キリストの処刑 により精神的変調)への対応
>と聖霊降臨とを繋げると話が飛躍しすぎて誤解が生じやすいと思われます。
意味不明。
独りよがりで得意になってもらっては困る。
説明は中学生にでも分るように書くべきだと思いますぞ。
994 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/29(火) 04:57:14 ID:px6qQ8sT
>>988 >イエスとも使徒とも同時代に生き、ステファノ
>の殉教に際してこれに荷担していたパウロがイエスの呼びかけを受けて
>180度変わり、イエス宣教の先駆者のごとくに宣教に邁進するわけです。
>イエスとの出会いは確実にあったし、イエスの言行もよく知っていた。
>それがパウロという人物です。
これは、未信者には説得力のない、キリスト者の一般理解ですな。
遠藤先生と同じように私も、バタ臭さや腋臭臭には敏感な方なので
「イエスの呼びかけを受けて」
「イエスとの出会いは確実にあったし、イエスの言行もよく知っていた。 」
などと、こういう掲示板では、迂闊に書かないようにしています。
>あなたはお若い信徒さんなのか基本的な信仰についての知識に欠けて
>いるかもしれませんよ。
おそらく私の方が歳上だし信仰の期間も長いと思います。
もし、あなたが「信仰は知識ではないという基本的な信仰」を持っているなら、
上は、私に発するべき言葉ではないと思いますぞ。
日本人一般から見て、不気味に思われるし、何の益にもならない
知識のひけらかしは卒業してください。
995 :
さーて ◆RLtoLnT/2E :2005/03/29(火) 07:33:13 ID:px6qQ8sT
>>983 私がチャットした女性は、共通の神父様の癖まで知ってるし
何気ない会話から敬虔なカトリック信者だと分りましたな。実際に
会ったことはないが、1ヵ月くらいチャットしているわけだで、
そんな中、カトリック教会内での腐敗をそっと告白してきた。
証拠を出すわけにはいかないが、言い寄ってきた男性信者の名前は
今からでも聞けば分る。だから、限りなく黒に近い話さ。
私の意図。教会内部でも信じられないことが起こっててびっくりした、
ということをまず読者に伝えたかったのと、カトリック信者は
襟元を正さないといけないと思って欲しかった。
かんなぐりや妄想、人を悪く悪くとろうとするあなただから、
こんなにくどくどと説明してるんですぞ。
また、私の信仰のスキを見つけようとしてここまで読みましたかな?
その心が神から遠いんですよ。
>>995 ×1ヵ月くらいチャットしているわけだで、
○1ヵ月くらいチャットしていたわけで、
m(__)m
997 :
名無しさん@3周年:2005/03/29(火) 12:36:47 ID:kiVbuXp+
キリスト教徒は、聖書を読むより、遠藤周作の作品を読むほうがはるかにマシ。
第一、面白いし、小説家だから文章も上手。聖書を「盲信」せず、その「事実」
の検証を行い、聖書を、架空の神や霊から、神の造化、顕現、神そのものとしての
現実の人間に近づけようと努力している。信者だから限界はあるが。
人間が見えるという点で、遠藤氏や曽野氏は、キリスト教徒としては、稀有の、かつ
貴重な存在である。
「深い河」は永遠の名著
999 :
XYZ(正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/03/29(火) 12:39:48 ID:IiYDna2G
>>997 >キリスト教徒は、聖書を読むより、遠藤周作の作品を読むほうがはるかにマシ。
冗談じゃない(ーー;)
自らのキリスト教理解による自縄自縛をハリストス教の所為にしているように
感じられる作品のどこがマシなのでしょう。小説としては価値のあるものはある
し、曽野氏も嫌いではない。でもやっぱり距離を置きたい人ではある、遠藤周作は。
1000 :
名無しさん@3周年:2005/03/29(火) 12:40:54 ID:i/JLScP/
1000
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。