原始佛教 その5

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674阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ
さてさて、ぼちぼち書き込みを始めましょうか・・・。

ちょっと復習のつもりで。私の>>114のカキコに関連する事柄なのですが、ブッダの無記あるいは捨置答の文脈
における「タターガタ」とはパーリ佛典の註釈(アッタカター)文献や、失訳の『別訳雑阿含経』では「衆生=有情」あ
るいは「我」を意味するとされています。しかし、考えてみると「タターガタ」の原意は元来上記のようなものであり、
その意味を「如来」や「如去」と捉えるようになったのはむしろ後世にゴータマ・ブッダが権威化あるいは神格化さ
れる過程で起ったことなのではないかと推測されます。たとえば原始佛典の古層とされる『スッタニパータ』に所
収の「マハーヴァッガ」の「セーラ」の部分に「如来十号」の原型と思われるものがみられますが、そこには、

   すなわち、かの師(バガヴァー)は、真の人・さとりを開いた人・明知と行いを具えた人・幸せな人・世間を知
   った人・無上の人・人々を調える御者・神々と人間との師・目ざめた人(ブッダ)・尊い師であるといわれる。

という記述はあっても、「タターガタ」の語は現れません。これは「如来」の概念が後世の付加であるという傍証と
なるのではないかと思われます。それを前提にすれば、『スッタニパータ』など原始佛典の古層に記される「タタ
ーガタ」を一般名詞としての「衆生=有情」や「我」の意味にトレースして読むことも可能なのではないかと考えま
す。
675阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/11/29 16:31
>>451で電波男さんがご提案の、
 
   「原始仏教における不可知論と無限について - 周辺思想を巡って」

の論題に非常に興味をそそられます。新たな知見が生じる予感がしますので何らかの論題(?)が提出できればと
思っています。
676粘土:03/11/29 19:37
釈迦が修行時代に飢え死にしそうになった人が現れたら煮えたぎるなべに飛び込むべしと教えられていた。
でっ、実際にそのようにしたところ熱湯につかる0.1秒前に熱湯が氷に変わった。
同じようなことが新約聖書にも書かれている、つまり自分のではなくて人の利益を求めよと。
これらは煩悩を殺すことによって真実がよりよく見えるようになるという諭であり、ジョージ・ソロスのような慈善家と投機家が同一であることを証明するための骨組みになっている。
677名無しさん@3周年:03/11/29 22:08
>645
>これは「如来」の概念が後世の付加であるという傍証となるのではないかと思われます。
>それを前提にすれば、『スッタニパータ』など原始佛典の古層に記される
>「タターガタ」を一般名詞としての「衆生=有情」や「我」の意味にトレースして読むことも
>可能なのではないかと考えます。

非常に重要な事だとは思いますが、
えーと、それでは我々はどうすればいいのでしょうか?

安易↑

678名無しさん@3周年:03/11/29 22:30
如来十号の原型になる部分に対応する人格≒修行完成者

 と

タタガター 一般名詞としての「衆生=有情」≒「我」

 に

さほどの差がないとなると

困る人続出!!

と成ると思います。
ちなみに俺は困りません。
679名無しさん@3周年:03/11/29 23:41
阿呆陀羅經様
知識の有る方たちはおおよそ撤退したみたいだし、
(他の仏教関連スレを見る限り)
電波さんのMLでボチボチやるのがいいのでは?

680ベロ ◆eOod7XM/js :03/11/30 02:01
本格的な議論は電波さんのMLの方でやられると思いますよ。
2ちゃんはそこへ案内するロビー的な場所として活用していけばいいのでは?
見てる人は圧倒的に2ちゃんの方が多いのだしね。
681ベロ ◆eOod7XM/js :03/12/02 01:25
釈尊は戦争についてどういう態度だったのだろうか?
一貫して平和主義に見えるが実際の所はどう思っていたのだろう?
釈迦族がコーサラ王に殲滅される時も、最後には止めなかったようだが・・・
682NB ◆YIoCB90ZbI :03/12/02 02:04
>>681
おお、いいねいいね。「原始仏教」の盲点。

日本仏教学会編で女性差別に関する論文集が昔出てたと思いますが
「戦争」については確かでてなかったような…。どうだっけ?
683ベロ ◆eOod7XM/js :03/12/03 01:48
釈尊には女性蔑視の傾向があるという話は以前からよく耳にしますね。
始めは比丘尼の出家を認めなかったとか、女性器に挿入するくらいなら
毒蛇だったかな?の口に挿入する方がまだマシと弟子には言ったとか。

当時のインドなんかしょっちゅう戦争していたと思うんだけど、政治との
関わりを避けようとする釈尊の姿勢は語られていますが・・・
684NB ◆YIoCB90ZbI :03/12/03 02:34
ふうむ。ベロさんはどうですか?政治との関わり。

ぼくは一応、支持政党無し、支持政策無し。で今のところやってるつもりです。
人格と志に迫力を感じる人であれば、どこにだって何にだって投票。なんて。
まあ、それもだいぶ怪しいんですけど、人に聞かれたらそう説明しておこうかな。
ってなぐらいのものでして。。変な先入観を受けるのはちょっとなあ。なもので。

いや、これってまさに平和ボケそのもので、全然ベストじゃないんですけど、
…悩みますね。なかなか。

って、スレ違いっぽいかな…。ははは。
685     :03/12/03 23:36
サットヴァとタターガタは、どちらも有情と訳されてるようですが、違いがあるとすれば、
どこがどう違うのだろうか。
タターガタは、tathaとagataを区切って、シナ仏教では、如来と訳したらしいですね。
如来という呼称は、中国や日本だけの概念だと思います。
686阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/12/04 00:01
>>685
> タターガタは、tathaとagataを区切って、シナ仏教では、如来と訳したらしいですね。
> 如来という呼称は、中国や日本だけの概念だと思います。
神格化された「タターガタ(如来など)」の呼称は、たとえば南伝分別説部ではブッダゴーサの著書などにも
記されています。 「如来」の概念そのものは南伝北伝共通であると思います。また、チベットでは「如去」の
解釈が主流のように聞きますね。
687電波男Ψ(´д`)Ψ:03/12/04 08:16
>>685
tathAgataの複合語を分解すると2つの解釈が出来る。
tathA-gata :如去
tathA-Agata :如来

これはインドからすでに大論争になってるんだよ。また、漢訳でも「如去」や「善逝」などがあるんだよ。
688685:03/12/04 18:49
確かに「善逝」という漢訳はありますね。m(__)m
どうなんでしょうか、大乗仏教においては、逝くよりは、来ると訳したほうが、
衆生に密着した、救済者的性格が強く出るように思います。
「如来」という訳のほうが、中国や日本の仏教ではメジャーだし、認知度も高いと思うのは、
わたしが不勉強だからだろうか。
また、南伝仏教でも「如来」は同じように幅広く使われているのでしょうかね。

お二方のように博識ではないので、あまり込み入った論争は出来ません。
唯、ごく素直な自分の感想を述べたまでです。