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名無しさん@3周年 :
03/10/07 14:52 【 教会の流れ 東ローマ−東方正教会 】 初代教会−−−−−−−− ↓__________↓ ローマ・カトリック教会_東方正教会(シリア[アンテオケ]・エルサレム・コプト(エジプト)教会) ↓__________↓ ルーテル教会____ビザンツ・コンスタンチノープル総主教区 −−−−−−−− ___________↓________↓_____________↓ ____−−−−−−ロシア正教会_トルコ・コンスタンチノープル総主教区_セルビア正教会 ____↓______↓________↓ フィンランド正教会__日本正教会_____↓ ___________↓________↓ __________朝鮮の教区−−−T_↓ __________________↓_↓ _________________韓国正教会
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名無しさん@3周年 :03/10/07 14:54
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名無しさん@3周年 :03/10/07 14:57
聖書が原語で読めたなら −−−聖書語学の証しと勧め 大久保史彦 聖書語学同好会 57 いつも喜んでいなさい p136 テサロニケ人への手紙第Tの5:17の 17 αδιαλειπτωσ προσευχεσθε.(註:語尾のσは別文字) アディアレイプトース プロシューケッセ「絶えず」「祈れ」 45 的をはずれると「罪」 p107 神に背を向けた状態 「罪」というのはギリシア語でハマルティアーといいます。 これはもともと「失敗」という意味があり、 槍を的に向かって投げるとき的をはずすという意味からきているのだそうです。 新約聖書においては、 このハマルティアーは明白な罪の行為を指しているのではなく、 罪の行為が起こってくるもとの罪の状態を意味し、 神という「的」からはずれ、神との正常な関係からはずれた人間の状態、 神に背を向けた状態をいうのです。 αμαρτια(単数形)ハマルティアー 正教要理 p39 四、罪 人間が神に与えられた中で最も大切なものは自由です。 他人の意志によらず、束縛を受けず・・・喜びを持つ、・・・ しかし、人間は自由をはき違え悪魔の誘惑に負け、 自分の生命を神のみ手にゆだねることを拒み、神の前に罪を犯しました。 ・・・。悪は神から来るものではなく罪から生まれるものです。 無限に尊い神にそむいた罪ですから人間は自分の力で罪のつぐないを することはできません。・・・人間が悪にうち勝つために 救い主ハリストスを遣わすことを・・・されました。 註※ [新教]神に背を向けた状態・・・。[正教]神にそむいた罪・・・。
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名無しさん@3周年 :03/10/07 14:58
【 ロシア的「罪」の理解 その1 】 → ドストエフスキー 罪と罰(下)江川卓訳 赤613−7岩波文庫 定価(本体760円+税) 宗教的「罪」は、грех:グリェーフ(グレーフ)と呼ぶ。 使い方として、 @しかたない損も(責任も)半々に(半分こに)грех пополам Aグリェーフを使う、若気の過ち грехй молодости 失敗・間違いの語を使う、若気の過ち ощйбки молодости B彼を虐めるのは可哀想 грех его(彼を)обежить:アビジャ−チ(怒らせる:侮辱する) とあり、このことから、法律ではなく生活上の罪、 ロシア的な宗教的「罪」の使い方は、 「神様を怒らせるような事をしでかした」「どっちの人間にもある過失」 「人生一度は誰もがする失敗」と理解できる。法律を破ったの意味ではない。 慣用句というか、決まった言い方に、 人間は皆、罪人です все Люди грещнь? 罪の赦しを神に祈る замолить грех ・・・ ロシア文学「罪と罰」で使われる「罪」は、 Пре−ступление:プレ−ストゥプレーニエ 越える−歩む(踏み越えてしまう)という法律上の罪を意味する。
【 ロシア的「罪」の理解 その2 】 p428 ロシア語を知らないと気がつきようもないが、 この長編の題名の一要素である「罪」の原語「プレストゥプレーニエ」 は「越える」を意味する「プレ」という接頭辞(せっとうじ)と、 「歩む」を意味する「ストゥパーチ」という動詞の合成語から派生した名詞で、 原義は「ふみ越えること」の意味なのである。 ロシア語で「罪」をあらわす言葉には、このほかに、 主として神の掟を破った罪を意味する「グレーフ」という名詞があるが、 「プレストゥプレーニエ」のほうは、人間の定めた掟を「ふみ越えた」罪、 つまり、犯罪なのである。 p429 ・・・ソーニャは自分のことを「罪の女」と呼んでいる。 この「罪の女」の原語は、神の掟を破った罪を意味する「グレーフ」 から派生した「グレーシニツァ」である。 ということは、神を信ずるソーニャが抱いていた罪意識を、 「ふみ越えた」という言葉によって、 ラスコーリニコフが強引に自分の罪意識に引き寄せ、 彼女を自分の「同類」にしようとしていることを意味するのだろう。 ちなみにキリスト教徒で「罪の女」と聞けば、 売春婦とか、マグダラのマリア(マグダレーナ・マドレーヌ)を思い浮かべるだろう。 帝政ロシア時代の売春婦は、黄色い免許証を持っていた。つまり公娼制だったのである。
★古代ギリシアの思想 山川偉也 講談社学術文庫 1200円 p402 ローマ帝国の国教となって以降に起こったキリスト教徒内部での異端審問騒動と、 それに決着をつけるために開かれた全地公会議のようなものを思い浮かべてみよう。 周知のとおり、「ニケア・コンスタンティノープル信経」 (第二回「コンスタンティノープル公会議」、三八一年)が定められるまで、 キリスト教徒か否かを明確に判別する基準は存在しなかったのである。 ‡ 正教要理 p77−78 一、洗礼機密 1.啓蒙礼儀 洗礼機密のはじめに行われる啓蒙礼儀は、 人が物質や社会的地位・身分に捕らわれる僕となっている日常生活をすて、 神を知り神の僕となる生活に入る決心を表すものです。 これはハリストスの福音を中心とする生活をはじめる意志の宣言です。 宣言は教会の入口で西に向かって行われます。 ・・・・・・西は・・・・・・暗闇の始まり、人生の終り、死を待つ生活を意味します。 このことから東に向き直ることは、自己中心、物質中心の生活を 主の福音に従う生活へきりかえる意志の表明となります。 次いで「主に配合する」との決心の言葉によって 主を中心とする生活の始まりを宣言し、終りに主に向かう生活の信条として 受洗者の信仰告白(ニケヤ信経)が読まれます。 ※ 天主経=主の祈り ニケア=ニカイア、コンスタンチノポリス=コンスタンティノープル
【 はじめに 】 父と子と聖神 の名に因る。「アミン」 神よ,我罪人を憐み給え。 【 天主経 】 天に在ます我等の父よ, 願わくは爾の名は聖とせられ,爾の国は来り, 爾の旨は天に行わるるが如く地にも行われん, 我が日用の糧を今日我等に与え給え, 我等に債ある者を我等免すが如く,我等の債を免し給え。 我等を誘に導くかず,猶我等を凶悪より救い給え。 蓋国と権能と光栄は爾に世世に帰す。「アミン」 【 ニケア・コンスタンチノポリス信経 】 我信ず,一の神父,全能者,天と地,見ゆると見えざる万物を造りし主を, 又信ず,一の主イイスス・ハリストス神の独生の子, 万世の先に父より生れ,光よりの光,真の神よりの真の神, 生れし者にて造られしに非ず,父と一体にして,万物彼に造られ, 我等人人の為,又我等の救の為に天より降り, 聖神及び童貞女マリアより身を取り,人となり, 我等の為にポンティ・ピラトの時十字架に釘うたれ,苦を受け葬られ, 第三日に聖書に適いて復活し,天に昇り父の右に座し, 光栄を顕して生ける者と死せし者とを審判する為に又来り, 其国終りなからんを, 又信ず,聖神主,生命を施す者,父より出で, 父及び子と共に拝まれ,讃められ,預言者を以て嘗て言いしを, 又信ず,一の聖なる公なる使徒の教会を, 我認む,一の洗礼,以て罪の赦しを得るを, 我望む,死者の復活,並に来世の生命を 「アミン」 光栄は父と子と聖神 に帰す,今も何時も世世に。「アミン」
【 主の祈り[1] 】 キリスト教徒が最も日常的に祈りとして用いるのは、 『マタイ伝』6章9〜13節または『ルカ伝』11章1〜4節に書かれた「主の祈り」である。 聖イグナチオも『霊操』において、これを取り上げている。 この短い祈りはイエス自身が薦めた祈祷の文句である。 その祈りを構成する言葉自体は多くは『聖書』に起因し、 ユダヤ教の祈り「カディシュ」や後に『タルムード』に収録されたものである。 いわば、当時のユダヤ人が用いた一般的な祈りの文句を凝縮したものである。 その引用典拠は、次のようになる。 「御名が崇められますように。御国の来たらんことを」(『エゼキエル書』に由来する祈祷文) 「天になされるごとく、地にも行われんことを」(『トセフタ・ベラコース』3章7節) 「なくてはならぬ食物でわれらを養いたまえ」(『箴言』30章8節) 「われらが債務を許すごとく、われらの罪を許したまえ」(タルムード『メギラ:巻物』エステルのプリム祭) 「われらを試みにひきあわせんことを、われらを悪から遠ざけたまえ」(朝の祈祷文)
【 主の祈り[2] 十字の切り方 】 カトリックの『聖書』はここまでしか述べていないが、 英国の『ジェームス王版聖書』では、さらに次の一文が付け加えてある。 (最古のギリシャ語原本には、この部分はない。) For thine is the kingdom, and the power, and the glory, for ever. Amen. 汝がために、御国と、力と、栄えあり、永遠に。アーメン。 ※ギリシア・ロシア正教式※ 額に触れ、アテーと唱える。 胸に触れ、マルクトと唱える。 右肩に触れ、ヴェ・ゲブラーと唱える。 左肩に触れ、ヴェ・ゲドラーと唱える。 胸の前で手を握り合わせ、ル・オーラムと唱える。 指の間の短剣の切っ先を上げ、アーメンと唱える。(江口之隆訳) ※旧約聖書※ 『歴代志上』29章10、11節から取られている。
【 食前の祝文 】 主よ,衆人の目は爾を望む,爾は時に随いて彼等に糧を賜う, 爾の豊なる手を開きて,諸の生ける者を爾の恵に飽かしむ。 【 食後の祝文 】 ハリストス吾が神よ, 爾が地上の福を我等に飽かしめ給いしを爾に感謝す。 求む,爾の天国をも我等に得しめ給え。 【 第三アンティフォンの替わりに・真福九端 】 主よ爾の国に来たらん時,我等を思い給え。 心の貧しき者は幸なり,天国は彼等のものなればなり。 泣く者は幸なり,彼等は慰めを得んとすればなり。 温柔なる者は幸なり,彼等は地を嗣がんとすればなり。 義に飢え渇く者は幸なり,彼等は飽くを得んとすればなり。 矜恤ある者は幸なり,彼等は矜恤を得んとすればなり。 心の清き者は幸なり,彼等は神を見んとすればなり。 和平を行う者は幸なり,彼等は神の子と名付られんとすればなり。 義のために窘逐せらるる者は幸なり,天国は彼等のものなればなり。 人,我が為に爾等を詬り,爾等を窘逐し,爾等の事を偽りて, 諸の悪しき言を言わんとき,爾等幸なり。 喜び,楽めよ,天には爾等の報多ければなり。 【 至聖生神女讃詞 】 生神童貞女よ,慶べよ, 恩寵に満たさるるマリアよ,主は爾と偕にす, 爾は女の中にて讃美たり,爾の胎の果も讃美たり, 爾は我等の霊を救う主を生みたればなり。 【 十字架讃詞 】(生国の為に祈る) 主よ,爾の民を救い,爾の業に福を降せ, 我が国に幸いを与え,爾の十字架にて爾の住所を護り給え。