153 :
K(ver.GG) :04/01/10 16:51
やけにそそるよ ターンもあやしく 踊ろう 踊ろう 仮初めのロンドを 爪の先まで 愛で満たされて 燃えな 燃えな 紅く ルビーより紅く 愛はいつも果てしない 甘く香る瞬間 絹のドレス広げれば 揺れる眼差し 俺だけを見つめてくれよ 永遠に LET'S GO WAKE UP DESIRE もっと素直に LIGHT UP YOUR FIRE もっと本音で 罪な素顔はもうSTOP STOP BABY COME ON NON STOP MUSIC WAKE UP DESIRE IWAN'T YOU NONONO LIGHT UP MY FIRE I LOVE YOU NONONO いっそエクスタシー 俺とエクスタシー 強く 強く 融けて 魔性のリズム
154 :
名無しさん@3周年 :04/01/10 17:14
カーストを超えた、クリシュナ信仰の祖とも言われる16世紀の聖者チャイ タニヤ、そしてシュリ・ラーマクリシュナも歌い踊るのが大好きだった、 クリシュナとゴーピーたちとのラーサダンスシーンの描写(『ギータ・ゴー ヴィンダ』)には、本当に驚きました(LOVE
>>141-146 いいねえ、特にこれはいつ聞いてもねえ。
心のアル中に対する方法について書き込もうと思ったけれど、辞〜めたっと。
156 :
名無しさん@3周年 :04/01/14 01:25
あの須磨氏(匿名)の口から、ラーマクリシュナとヴィヴェカーナンダに対する 評価を聞いた時は、仏教だのヒンドゥーだのと言う既成分類からは伺いしれない 階梯がやはりあるのだな、と、立場が立場だけに、心底驚きました。 全く違う真面目な話をしていたのに、仏頂面で「いつまでの音楽聴いてるんじゃ ありませんよ!」と、いきなり言われたことならあります。 やはり信者レベルでは大きく違いますね、ヒンドゥー教と仏教(笑 >岸本さん
157 :
名無しさん@3周年 :04/01/14 01:26
一枚丸ごと「ガヤートリーマントラ」が歌になった輸入CDを聴きながら。 澄んだ愛らしい歌声が楽しい1280円。 さあこれで、2chで積んだカルマが濯げますように。
158 :
名無しさん@3周年 :04/01/15 19:00
おまけに、トラに乗ったドゥルガー・マーのカレンダーをもらいました。
159 :
名無しさん@3周年 :04/01/15 19:20
あなたたち、楽しそうね。
160 :
名無しさん@3周年 :04/01/21 03:51
TMスレにあったシャンカラチャリアをめぐる派閥抗争について教えてください。
161 :
名無しさん@スーパースタ :04/01/21 21:41
マサラ映画の世界だなあ
162 :
k.v.y. :04/01/23 12:14
隠れヒンディーていったら、人類、皆、隠れヒンディーなんでないの? 本能と理性を健全につなぐ おおまかな法則は ほぼ、ヒンドゥの教義で説明されている筈。 人間本質の基盤だと思う。 細かいことを抜きにすれば、現代社会学や心理学・犯罪学、、、応用が利くね。
163 :
k.v.y. :04/01/23 12:24
なによりも、すべてを[善・悪][聖・俗]などで極端に二分化しない思想が 素晴らしいと思う。 本質としては、善も悪もない、両方在るのが本来の 姿である、と。 概念で 世間のすべては測れないと思うし、そのツケが 回ってきているなー、カリ・ユガだなーと痛感します。 陰も陽も持ち合わせた本質を認め、受け入れた上で、一定の秩序は保てるという。 この思想形態は、今こそ、社会的に活用・応用される時だな、と。
164 :
k.v.y. :04/01/23 12:43
たとえば、仏教・・・だと、大まかには、「現生にはなにもない」 「極楽浄土のことのみに価値を置く」といった感じだと思われるのだけど、 世俗社会から 隔離された状態でないと、完全な精進は難しくなる。 死後の世界だけを目的に、生きるのには、生涯は長すぎる・・・? この辺りに、問題があるのではないか、と思われ。 私自身、仏教には あまり通じていないので、 この論に、至らない部分が多いかもしれないのですが。 たしかに、世は乱れることになりそうだ・・・・
165 :
名無しさん@3周年 :04/01/23 15:32
始めに、二つとないブラフマン、<それ>みずからの栄光に浸された純粋存在、 があった。 <かれ>は独り存在した。他の何者も存在しなかった。全てよかった。 その時、うっかりした瞬間に、<かれ>は欲した、「私は多数になろう」と。 それでそこに、無数の世界を含む、全宇宙が出現したのである! そして<かれ>までもが、これをなしとげるために厳しい行や瞑想を行わなければ ならなかった。
166 :
名無しさん@3周年 :04/01/23 15:34
全ての動くものと動かぬもの.....全ての生あるものと生なきもの.... を包含する宇宙をつくり終わって、<かれ>は<みずから>それらの中に入り、 そして人にだけ、思考する能力を与えた。 結果として起こった、<かれ>の窮境は、諺にあるように、「五つの要素とい う網の目に捕らえられてブラフマンも泣く」というものだった。 『最高をめざして』スワミ・ヴィラジャーナンダの法語より 今日の諺「油断大敵」(- -;
167 :
名無しさん@3周年 :04/01/23 15:49
>>161 有名な『 ムトゥ 踊るマハラジャ 』の冒頭シーン、白馬が引く馬車に
乗った主人公(←召使...でも実は!)が、田舎道の街道をカクイイ歌と共に走り
抜けるわけですが、あれだけでもう現地では「スイッチオ〜ン」状態になる
んでしょうね、きっと。
そういういろいろな背景を知ってこそ、改めてあの映画を見ると....
想像以上に興奮しました、はっきり言って(笑
出家しボロを纏った先代マハラジャ(二役)の背後に、チラチラと金色の
光が輝く加工もぐ〜。
168 :
名無しさん@3周年 :04/02/08 16:30
「苦行の力によって、人は神をわが子として持つことがある。 カーマールプルクに行く途中の道ばたに、ランジット・ラヤの 湖がある。バーガヴァティ、つまり母なる神が彼の娘として お生まれになったところだ。いまでも、毎年チャイットラの月には、 人々はこの神なる娘に敬意を表してあそこで祭礼を行っている。 私はあそこにぜひ行きたいと思っているのだ。
169 :
名無しさん@3周年 :04/02/08 16:31
ランジット・ラヤはある地方の地主だった。苦行の力によって、 彼は母なる神を自分の娘として持った。彼は娘を深く愛した。 彼女もたいそう彼を慕っていた。ほとんど彼の側を離れなかった。 ある日、ランジット・ラヤが領地に関する事務を取っていた。 たいそう忙しかった。少女は子供のつねとして、「お父さんこれは なあに?あれはなあに?」と言ってしきりに邪魔をした。
170 :
名無しさん@3周年 :04/02/08 16:32
ランジット・ラヤはやさしく、「わが子よ、どうぞ私をひとりに しておいておくれ。たくさんのお仕事があるのだからね」と 言ってきかせた。だが、少女は離れようとしなかった。 ついに父親は、うわの空でこう言った、「ここから出て行け!」 それを口実として、少女は家を出て行った。 貝細工の行商人が道を歩いていた。彼の荷物の中から、彼女は 手くびにつける一対の腕輪をとり上げた。代金を請求されると、 お金は家に置いてある箱の中にあると言った。 それきり彼女は姿を消した。誰ひとり見た者はいなかった。
171 :
名無しさん@3周年 :04/02/08 16:33
やがて行商人がやってきて、腕輪の代金を請求した。彼女が家に いないことがわかると、家の人々は捜索に走りまわった。 ランジット・ラヤは四方八方に人を出した。行商人に払うお金は、 彼女が言ったとおり箱の中にあった。ランジット・ラヤが悲しんで 泣いていると、人々が走ってきて、湖に何か見える、と言った。 みながいっせいにその場にかけつけると、貝殻の腕輪をつけた片腕が 水の上で振られているのが見えた。一瞬の後にそれは消えた。 いまでも人々は、毎年のお祭りに彼女を母なる神として拝んでいる。 (Mに)これは全部ほんとうのことだ」 M「はい」 『ラーマクリシュナの福音』(ヴェーダーンタ協会刊)
172 :
名無しさん@3周年 :04/02/08 17:58
173 :
岸本梵太郎 :04/02/09 04:10
スワミ・スリ・ユクテスワの言われる通り自然の状況はドワパラユガなのだよ。 だが、「資本主義」と「社会帝国主義」の地球史上前代未門の危機的状況 故に、カリユガの状態が続いてる訳なのだよ。つまりだ、近代史上最大の 社会科学者は誰なのか、それは、ラ−マ・クリシュナに決まってっだろ。
174 :
名無しさん@3周年 :04/03/10 16:28
彼は小さな寝台の上にすわり、一心に母なる神と話をなさった。 師「私は知りたいとも思いません。母よ、あなたの蓮華の御足への純粋な愛を 持てますように。(Mに)人はすべての悲しみと欲望を捨てれば、たちまちこの状態 になれるのだよ。」
175 :
名無しさん@3周年 :04/03/10 16:29
(母なる神に)マーよ、あなたは私の礼拝を捨てておしまいになった。 どうぞ母よ、私がすべての願望を捨てることをしないよう気をつけて下さい。 母よ、パラマハンサは子供にすぎません。子供に母はいらないのですか。 ですから、あなたがお母さん、私は子供なのです。 どうして子供が母親なしに生きることができましょう」
176 :
名無しさん@3周年 :04/03/10 16:30
シュリ・ラーマクリシュナは、石を溶かすような声で、母なる神に話し かけておられた。ふたたび彼女に向かってこうおっしゃった、 「単なるアドワイタの知識。わたしは唾をひっかける。あなたが私の内に エゴを保存しておかれるかぎり、あなたはいらっしゃるのです。 パラマハンサはただの子供です。子供に母がいらないのですか」
177 :
名無しさん@3周年 :04/03/10 16:32
Mは言葉を失ってそこにすわり、師の内なる神の現れを見つめていた。 彼は思った。 「師は慈悲の大海だ。教師として私の、また他のまじめな魂たちの 霊意識をめざめさせるために、ご自分をパラマハンサの状態にとどめて おかれるのだ」 Mはさらに思った、「師はおっしゃる、 『アドワイタ・・・ チャイタニヤ・・・ニティヤーナンダ』と。 つまり、非二元のブラフマンの<知識>によって、人は意識に達し、不滅の 幸福を楽しむということだ。師は非二元の知識を得られただけでなく、 不滅の至福の状態にあられる。 彼はつねに、宇宙の母への忘我の愛に酔いしれておられるのだ」と。
178 :
名無しさん@3周年 :04/03/10 16:38
ハズラーは手を合わせて師を見つめ、ときどき「あなたのなんと恵まれて いること。なんと恵まれておられること」といった。 師(ハズラーに)「でもお前は、ほとんど信仰というものを持っていない ではないか。ジャティラとクティラのように、芝居に加わるためにここに 住んでいるだけだ」 『ラーマクリシュナの福音』ヴェーダーンタ協会刊
179 :
名無しさん@3周年 :04/03/10 16:44
だれか教えてくれ ・新しい職業(例:IT産業など)が出来た場合、カーストも新しく作られるのか? ・異なるカースト間での結婚をして生まれた子供はどのカーストになるのか?
180 :
下心なき礼拝 :04/03/10 16:46
故事研究家たちは、仏教時代のこの終わりにこの国(インド)にヴァッジラ・ ヤーナ(金剛乗)の仏教教師たちが現れた、と説く。最高の至福であるニル ヴァーナを得ようと努力して欲望の支配をほぼ脱却すると、人間の心は瞑想 の助けを借りて偉大な虚無に溶け込もうと前進する、と説いた。 しかし、そのとき、非存在の女神ニラートマーが心の前に現れて、そうする ことを許さず、それを自分の身体に結びつける、というのだ。 するとその求道者がこの世の事物を楽しむのに使っていた肉体はもはや存在 しなくても、彼が幽体を持っている限り、この女神が彼に毎日、感覚的快楽 のエッセンスの集まりをたのしませてやる、というのである。
181 :
下心なき礼拝 :04/03/10 16:47
それゆえ、彼らが教えた、物質的対象の楽しみの放棄によって理想世界の 究極の楽しみを得るという教義がやがて歪められてきたことは、疑いの余地 がない。 物質的対象の不断の快楽の成就が宗教の目標となり、それがこの国に非常な 堕落をもたらしたことは当然である。 チャイタンニャが現れたころには、この国の無教養な人々はその歪められた 仏教の教義を採り入れて、様々な秘密宗派に分裂していた。
182 :
下心なき礼拝 :04/03/10 16:49
タントラで説かれている純粋のヴァーマーチャーラは上層階級の間でさえ 歪められ、下心を持って宇宙の母を礼拝し瞑想し、奇跡的な力と感覚的な 快楽を探求することが流行となった。 そして信仰ムードの助けをかりて霊性の世界で無限の至福を得たいと願う その時代の求道者は、道を見だすことができなかった。 チャイタンニャは最初、彼自身がその比類ない放棄と離欲を実践することに より、これらの求道者の前にそれらの理想を示した。(略)
183 :
下心なき礼拝 :04/03/10 16:53
堕落して理想から転落していた数多の仏教宗派が、このように彼の慈悲に より、ふたたび真の霊性の道に連れ戻されたのであった。歪められた ヴァーマーチャーラの信者たちのグループは最初は彼に公然と反対したの だが、下心なき礼拝によって<宇宙の母>のビジョンを得ようと努力した。 それだからチャイタニヤの非凡な生涯の出来事を記すにあたって、ある 記録者たちは、無の教えの支持者である仏教徒たちもまた、彼の誕生のとき に歓喜した、と記されている(『チャイタンニャ・マンガラ』) 『ラーマクリシュナの生涯』 スワミ・サラダーナンダ著 ※言うまでもなく、悪用厳禁よろしくm(_ _)m
184 :
名無しさん@3周年 :04/03/10 16:53
185 :
名無しさん@3周年 :04/03/10 16:57
「我々に必要なのは、人間をつくる宗教である。我々が欲するのは人間を
つくる教育である。我々が必要としているのは、人間をつくる原理である。
ここに真理への試練の道がある。肉体的に、知的に、精神的に汝らを弱く
するものは、如何なるものにてもあれこれを毒として投げ捨てよ。
その中に生命なし。それは真理たりえず。
人間を弱らせる神秘主義を止めよ。しかして強くあれ。もっとも偉大
なる真理は、世界においてもっとも単純なるもの、汝自身の存在のごとく
単純なものである」
スワミ・ヴィヴェーカーナンダ
「霊的貧困」を巡る現代的考察。結構読み応えがありました。
ttp://www.vedanta.jp/contents/about/rm/rm-usa.html
186 :
名無しさん@3周年 :04/03/27 18:39
インドを旅行したことのある者です。全体的に周りました。期間は6ヶ月でした。 南インドはノンビリとしていてあまり感じなかったのですが、特にバラナシという場所は私にとってはまさに混沌でした。 乞食、商売乞食、聖者、インチキ聖者、巡礼者、旅行者、住民、死体、動物、対岸、貧困、富豪、ドラッグ、犯罪、善意、 車、バイク、サイクルリクシャー、オートリクシャー等とにかくむちゃくちゃでした。 あれがヒンドゥー教の創りだした文化だとしたら楽しいものとは言えない。 ただし、旅行する場所としては最高に楽しい。
ヒンドゥは、単純な善悪の概念のみで計り知れない混沌さが魅力だと思うよ。
188 :
名無しさん@3周年 :04/04/28 02:23
釈尊の生まれ故郷はインド
>>179 パラマハンサ・ヨガナンダ2世の「人間の永遠の探求」森北出版刊を嫁。
正しい階級意識論が簡潔でしかも中身が濃く解かり易く述べられているぞよ。
190 :
岸本梵太郎 :04/05/13 05:19
実はですな、皆様方に紹介していただきたいかたを探索しておりますのじゃ。 現在のわたしはな野球の名門校の宇部商業の近くに住んでおりましてな、 アンタルマウナ(黙然法)という瞑想法を日本語でのみ実践しておりますのじゃ。 それでですな、できれば、サンスクリット・ベンガル・ヒンディ−・タミ−ル 等のア−リア諸語で実践をしておられて一字一句の意味を詳しく御教授下さる かたを探索致しておりますのじゃ。それが無理なら次善の策としましてな、 アメリカ−ナ・イングリ・フランク・ゲルマンなどのヨ−ロッパ半島系の諸語 でもかまいませんし、国際言語ならばエスパニョ−ラの様なアフリカ系の言語 でもかまいませんのじゃ。よろしくお願い申しますぞい。
191 :
名無しさん@3周年 :04/06/18 16:54 ID:wrSztrzR
人大杉解消して
192 :
名無しさん@3周年 :04/06/22 00:37 ID:hRD/9vfk
申し訳ない。 質問をさせて下さい。 ハリジャンってアウトカーストなんですよね?? ってことハリジャンとはバラモン教の時代からあったのですか?? それともヒンドゥー教になってからできたカーストなんですか?? テスト対策してたら引っかかったんで・・・。
193 :
密教者 :04/06/22 01:31 ID:emlrc5os
インドはあらゆるものに寛容でギスギスしてないとこはいいよねぇ。 だらしなさ過ぎるとこはもうちっとどうにかしなきゃとは思うけど、 なんもかんも嫌になったらやっぱインド行ってみたいと思う。 宗教もヒンドゥーならとりあえず浸れそう。
HarijanとはHari(神)のJana(子)ってことだよ。 神さまが人間を創ったのなら、「神の子」は神が人間を 創った時から、存在したことになるよ。
インドが寛容ってことはないだろう。 こないだもレズっぽいシーンのある映画が焼き討ちに あったっていうし。外人が良家の娘と仲良くなるとかしよう ものなら、男の親族に半殺しに合いかねない。 人口も人種も大杉るから細かいことは気にされないってだけの話しじゃないの?
たのしそう たのしそう 乱交修行するぞ 乱交修行するぞ
197 :
名無しさん@3周年 :04/07/17 03:38 ID:SFNhwY2m
マジレスすると、芸能欄の椎名林檎板に、ヒンドゥ教で有名な、例の夫妻(これ以上は語れない)がコテハンで在住している。ホント。必見。でも、かなり俗っぽいかもしれん。 人間くさー。 「うわあ…見なかったことにしよう」て、思うかも。トイレ洗剤のコマーシャルみたいに w
198 :
名無しさん@3周年 :04/07/29 08:11 ID:EhLikMcO
199 :
名無しさん@3周年 :04/08/04 01:16 ID:A9NfHQSY
バリ島のヒンズー教ではシヴァ神がブッダなんだね。 インドではヴィシュヌの十化身のひとつだし、 ヴィシュヌの一番重要な化身クリシュナが「バガヴァット」と呼ばれていたりするし、 ブッダはヴィシュヌ系に近いと思われがちだが、 バリ島のシヴァ=ブッダというのはわかる気がする。 リグヴェーダではそれほど重要ではないシヴァとヴィシュヌが後世台頭したのは、 シャンカラとラーマーヌジャが大きいと思っている。 シャンカラの思想「梵我一如」はある意味「諸法無我」と紙一重だ。 このシャンカラが信仰した主祭神はシヴァだった。 ラーマーヌジャは哲学的に過ぎるシャンカラの反動として世間に受け入れられた。 神に対するバクティ(信愛)は、浄土教における専修念仏に近い。 ラーマーヌジャはヴィシュヌが主祭神だった。 シャンカラやラーマーヌジャが各々の神と出会ったのは色んな環境もあったろうが、 神よりも二人の対照的な思想がヒンドゥー内で競い合うように重要な地位を確立し、 シヴァとヴィシュヌの信仰が為政者などにより支持され、 “敵対する陣営がシヴァ教徒なら自分達はヴィシュヌ教徒だ”とか、 もしくはその逆とか、そういった感じでシヴァとヴィシュヌがインドで大きな存在になっていったと思う。 バリには、確かに変わった所もあるが、 インドで失われた古い教風も多く残っている。 バリのバラモンが五鈷杵と五鈷鈴をもって儀式を行うのは面白い。 インドでは金剛杵は仏教の法具として顕著なものと写るからなのか、 ヒンドゥーの祭儀では一切見ることはできない。 ネパールなど金剛乗と共存ずるところでは、 尚更、ヒンドゥー教徒はヴァジュラを遠ざける。 バリでは仏教徒はいないはずなのに、バラモンが金剛杵と金剛鈴を使う。 この経緯についてはもっと知りたいところだ。
200 :
名無しさん@3周年 :04/08/04 17:49 ID:Z86zJ5o+
>>199 >シヴァとヴィシュヌが
>後世台頭したのは、
>シャンカラとラーマーヌジャが
>大きいと思っている。
ヴィシュヌの化身としての仏陀は、
ヒンドゥー教の主流的な教えでは、
ヒンドゥーの敵たちにわざと間違った教えを説いて、
ヒンドゥーの敵を惑わして滅びを早める働きがあるとされる。
シヴァ派のシャンカラは「我(アートマン)」を強調しはじめながら、
本当のアートマンとして「梵(ブラフマン)」に気づけという。
これは仏教の「諸法無我」に気づく境地に遠回りしながら到達しているような教えだ。
ィジュヌ教は「仏陀」を神の化身として仏教の教えを否定的に説き、
シヴァ教(シャンカラ系)は仏陀を隠しながらも教えが仏教に極めて近い。
現代の多くのインド人は教理上のことには興味を示さないが、
仏塔のストゥーパとシヴァの男根のリンガへの信仰は習合されていのも、
単なる造形上の偶然の相似ともいえないかも知れない。
201 :
名無しさん@3周年 :04/08/15 02:09 ID:2QoAXIsP
仏像というのか神像というか知らないけど めちゃくちゃエロいよね。実写版でダンサーに させたら(されたら?)立ってられない自信あるよ。 少なくともくの字になるね。
202 :
&lro; :
04/09/13 23:53:21 ID:3w1J1X4j