1 :
名無しさん@3周年 :
03/08/27 20:25 キリスト教の基本教理である三位一体 三位一体を否定する教派は異端とされてきた。 しかし、果たして本当に三位一体は正しいのか? 本当に聖書から三位一体は導き出せるのか? 三位一体はマリヤ崇拝やクリスマスと同じように異教が起源らしいがどうなのか? ここらでちょっと三位一体について語ってみないか? 三位一体に変わる新しい理論もキボンヌ。 あと、小泉総理の「三位一体の改革」については他所でやってね。
2 :
名無しさん@3周年 :03/08/27 20:27
2
3 :
名無しさん@3周年 :03/08/27 20:28
姉妹スレ 果たしてオウム(アーレフ)の教義は完璧か?10
4 :
名無しさん@3周年 :03/08/27 20:28
5 :
マラの苦い水 ◆SEMENFpWJ. :03/08/28 16:25
◆三位一体が間違いである証拠◆
三位一体: エホバは三位一体の神,つまり三つの位格から成るひとりの神ですか。
いいえ,そのような神ではありません。み父エホバは「唯一まことの神」です。(ヨハネ 17:3。マルコ 12:29)
イエスはエホバの長子で,神に服しておられます。(コリント第一 11:3)
み父はみ子よりも偉大です。(ヨハネ 14:28)
http://www.watchtower.org/languages/japanese/library/rq/index.htm また,キリスト教世界の三位一体の教理によれば,神は三つで一つの不可解な神のようにされています。
しかし,その教えも聖書の中には見当たりません。
例えば,神はイザヤ 40章25節で,「あなた方はわたしをだれに例えて,わたしをそれに等しい者となし得るのか」とはっきり述べておられます。
答えは明らかです。神に等しい者などいるはずがありません。
また,詩編 83編18節は,「その名をエホバというあなたが,ただあなただけが全地を治める至高者である」
と分かりやすく述べています。―イザヤ 45:5; 46:9; ヨハネ 5:19; 6:38; 7:16もご覧ください。
http://www.watchtower.org/languages/japanese/library/pr/index.htm
6 :
マラの苦い水 ◆SEMENFpWJ. :03/08/28 16:28
エホバ神ご自身は,み子がどのような方かについて何の疑問も残しておられません。 マタイによる福音書には,イエスがバプテスマを受けた直後の出来事についてこう記述されています。 「天からの声があって,こう言った。『これはわたしの子,わたしの愛する者である。この者をわたしは是認した』」。(マタイ 3:16,17) イエス・キリストは,神の子です。 しかし,信仰心のある一部の人々は,イエスは神であると言います。 神は三位一体であると言う人もいます。その教えによると,「父は神であり,子は神であり,聖霊も神である。しかし,三つの神がいるのではなく,一つの神がいる」ということです。 それら三つの位格は「共に永遠で,同等である」とされています。(「カトリック百科事典」[英語])そのような見方は正しいでしょうか。
7 :
マラの苦い水 ◆SEMENFpWJ. :03/08/28 16:28
エホバに関して,霊感のもとに記された聖書は,「実に,定めのない時から定めのない時に至るまで,あなたは神です」と述べています。(詩編 90:2)
エホバは「とこしえの王」であられ,始まりも終わりもありません。(テモテ第一 1:17)
一方イエスは,「全創造物の初子」,「神による創造の初め」です。(コロサイ 1:13‐15。啓示 3:14)
イエスは神を父と呼び,「父はわたしより偉大な方(です)」と言われました。(ヨハネ 14:28)
イエスはまた,ある事柄については自分やみ使いたちは知らず,神だけが知っておられると説明されました。(マルコ 13:32)
加えて,イエスはみ父に祈り,「わたしの意志ではなく,あなたのご意志がなされますように」と言われました。(ルカ 22:42)
自分より上位の方がいないとすれば,一体だれに祈っていたのでしょうか。さらに,イエスを死から復活させたのは神であり,イエスご自身ではありませんでした。―使徒 2:32。
ですから聖書によると,エホバは全能の神であられ,イエスは神の子です。イエスが地上に来られる前も,地上で生活していた間も,このお二方は同等ではありませんでした。
そして,イエスは天に復活した後も,み父と同等になったわけではありません。(コリント第一 11:3; 15:28)
すでに考えたように,三位一体の第三の位格とされる聖霊は,人格的存在ではなく,何であれ神がご自分の望まれる事柄を成し遂げるためにお用いになる力です。
ですから,三位一体は聖書の教えではありません。* 聖書は,「わたしたちの神エホバはただひとりのエホバである」と述べています。―申命記 6:4。
http://www.watchtower.org/languages/japanese/library/w/2002/5/15/article_02.htm
8 :
マラの苦い水 ◆SEMENFpWJ. :03/08/28 16:29
> 「現代一般に信じられている三位一体の教理は…… > [殉教者]ユスティヌスの著作から裏づけを得ることができない。 > このことは,ニケア以前の教父たちすべて, > つまりキリストの誕生以後3世紀の間のキリスト教の著述家たち > すべてについて言えることかもしれない。 > 彼らが父,子,預言の霊あるいは聖霊について語ったのは確かだが, > 同等のもの,数において一つの本質,一つの中にある三つの存在として語ったのではない。 > 決して三位一体論者が今認めているような意味で語ったのではない。事実はその逆である。 > その三位一体の教理は,これらの教父たちが説明したように, > 現代の教理とは本質的に異なっている。 > 我々が述べるこの事実は,人間の見解の歴史における > すべての事実と同様,テストに耐えるであろう」。 > > 『最初の3世紀間の教会』 - ものみの塔 1992年8月1日号21ページより抜粋。 また、同記事にはさらに、興味深い事実が大量に記述されていましたので、一部要約します。 三位一体の成立過程は、歴史的文献から認知することが可能です。 事実関係を調べるならば、その成立を「ニケア公会議」(325年)以降と同定可能なのです。 また、実際にその教理をカトリックに持ち込んだのは、ローマ皇帝コンスタンティヌスであり、 彼自身はクリスチャンではなく、多神教を信奉する異教徒でもありました。 そして、当時はそれに異を唱える「アリウス派」が多数を占めていたそうです。 一方、三位一体について調べた経験がある人ならば、きっとその名を目にしたであろう、 アタナシウスとは、当時はむしろ異端者的な存在であったようです。
9 :
マラの苦い水 ◆SEMENFpWJ. :03/08/28 16:34
大天使ミカエルの正体。 神の「み使い」達は、それぞれ固有の名を所有し、その名で登場することもあります。 実際に聖書に表記されているのは、「ミカエル」と「ガブリエル」のみなのですが、 この両者が共に「ダニエル書」に登場する事から、彼らは別個の存在であることが分かります。 さて、これら「み使い」達は、その役割に応じた階級が存在するようです。 旧約側で明らかにされているのは、「セラフ」(イザヤ6章)と「ケルブ」です。 そしてもちろん、明確な階級の存在しない、普通の「み使い」達さえ存在します。 聖書は、サタンが「ケルブ」という高位の「み使い」であった事を伺わせますし、 その名を「ラファエル」と呼ぶ人たちさえ存在します。(エゼキエル 28:14) 今度は、新約側の記述を探してみましょう。こんな文脈で紹介されています。 > しかし,み使いの頭ミカエルは,悪魔と意見を異にし, > モーセの体について論じ合った時, > 彼に対しあえてあしざまな言い方で裁きをもたらそうとはせず, > ただ,「エホバがあなたを叱責されるように」と言いました。 > > 「ユダ 9」 "み使いの頭"(アーク・エンジェル)という表現は、原典のギリシャ語では、 この語が単数形であることを指し示しているそうです。 ということは、「ミカエル」の正体とは、旧約側で明らかにされてこなかった、 唯一無二の最高位の地位に位置する者なのであって、そのように考えると、 すでに議論に上った「ロゴス」(言葉)の意味でさえも、明確になってくるのです。 「ロゴス」の正体、それは、箴言8章後半に出現する、 「知恵」と同一の者であることは明らかなのであり、 神の創造の業を、その傍らで見守る者なのですから。 つまり、地上に来られる前のイエスは、「アーク・エンジェル」だったのです。
10 :
マラの苦い水 ◆SEMENFpWJ. :03/08/28 16:35
ミカエルとは
「目ざめよ!」誌2002年2月8日号は、聖書に出ているミカエルとはだれかという疑問を取り上げた記事を掲載した。
「み使い(天使)の頭」と聖書が呼ぶミカエルの実体については、意見の相違が生じている。
「ミカエルを神の子である主イエス・キリストとする意見と、いわゆる七大天使の一人とする意見である」。
では、どちらの意見が正しいのだろうか。記事はこう指摘している。
「聖書では、ミカエルのほかにみ使いの頭がいるとは述べられていません……したがって、エホバ神は他のすべてのみ使いに対する全面的な権限を唯一者にゆだねたとするのが妥当な結論です。
……創造者ご自身を別にして、ただ一人の忠実な方だけが、み使いたちを従えている者として述べられています。
それはイエス・キリストです。(聖書のマタイによる福音書 13章41節、16章27節、24章31節)
使徒パウロは明確に「主イエス」と「その強力なみ使いたち」とについて述べています。(聖書のテサロニケへの第二の手紙 1章7節)
さらにペテロは、復活したイエスのことを描写してこう言いました。「この方は神の右におられます。天へ行かれたからです。そしてもろもろのみ使いたちと権威と力とは彼に服させられました」。」。
記事はさらに、聖書のテサロニケへの第一の手紙 4章16節について注解した。
ここには、「主ご自身」が「み使いの頭の声と共に天から下る」という表現があるが、記事は、ここでイエスは「み使いの頭の声」で語り、かつ天から下るのだと述べている。
http://jwpc.milkcafe.to/pub2002a.html
11 :
マラの苦い水 ◆SEMENFpWJ. :03/08/28 16:36
また、聖クルアーンにもこのように書かれています。
『「アッラーは三(位)の一つである。」と言う者は,本当に不信心者である。唯―の神の外に神はないのである。
もしかれらがその言葉を止めないなら,かれら不信心者には,必ず痛ましい懲罰が下るであろう。(食卓章73節)』
『啓典の民よ,宗教のことに就いて法を越えてはならない。またアッラーに就いて真実以外を語ってはならない。
マルヤムの子マスィーフ・イーサーは,只アッラーの使徒である。
マルヤムに授けられたかれの御言葉であり,かれからの霊である。
だからアッラーとその使徒たちを信じなさい。「三(位)」などと言ってはならない。
止めなさい。それがあなたがたのためになる。誠にアッラーは唯―の神であられる。かれに讃えあれ。
かれに,何で子があろう。天にあり,地にある凡てのものは,アッラーの有である。
管理者としてアッラーは万全であられる。(婦人章171説)』
http://www.isuramu.net/kuruan/
12 :
マラの苦い水 ◆SEMENFpWJ. :03/08/28 16:36
人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト狂 人殺し宗教キリスト狂 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト狂 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト狂 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト狂 人殺し宗教キリスト狂 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教 人殺し宗教キリスト教
「松岡正剛の千夜千冊」に、こんなくだりがあります。 アウグスティヌス『三位一体論』(1975 東京大学出版会)について、 >三位一体とは「父なる神」「子なる神」「聖霊なる神」が一体であるということをさす。 >しかしながら、一体である神がなぜにまたこのように三位に分かれているのかを理解するのが難しい。 >高校時代から富士見町教会に通っていたぼくには、 >このことを得心するのが長らく苦痛だったほどである。 (中略) >なんとも三位一体論とは恐ろしいものである。 >これは小声でいうしかないが、 >こんなことはむろんまったくのデッチ上げであり、 >しかも最も神聖な論議を尽くした末の成果だったのである。 >アウグスティヌスはそれをいっさい引き受けたのだ。 >ぼくにはいまもって、一人でこのことの秘密を告白する勇気をもちえない。 この人によれば、「もっとも神聖な論議を尽くした末の成果」の「まったくのデッチ上げ」が、 すなわち「三位一体論」だ、とのことです。 これはきわめて重大な指摘と言えます。 これほど重大な示唆の核心を調べるには(そしてそれは調べられる必要があるはずです)、 たとえば松岡の言う「もっとも神聖な論議」が、実際にはどんな論議だったのかを、 明るみにしなければなりません。 なぜなら、キリスト者であろうとする人は、すべからく 「神を礼拝するものは、霊と真理をもって礼拝しなければならない」(ヨハネ4:24)はずだからです。
17 :
名無しさん@3周年 :03/09/03 21:38
フィリピ2章6節 「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに 固執しようとは思わず、」 三位一体論の拠り所となる、聖書中の「根拠」として有名なくだりです。 お手元の聖書をご覧ください。 しかしこれは捏造です。 「固執し」と訳されているギリシャ語にそのような意味はありません。 この語の変化形が用いられている聖書中の用例を、おなじ翻訳からご紹介します。 [ ]で囲った語句がそのギリシャ語の翻訳です。 マタイ13章19節 「・・・・・・心の中に蒔かれたものを[奪い取る]。・・・・・・」 ヨハネ10章12節 「・・・・・・狼は羊を[奪い]、また追い散らす」 さて、「固執しようと」を「奪い取ろうと」に訳しなおすとどうなるか、 わかりますか? フィリピ2章6節 「キリストは、神の身分でありながら、神と等しくあることを 奪い取ろうとは思わず、」 つまりキリストは「神と等しい者」ではなかったことになります。 このように、聖書本文の意味を捏造・歪曲してまで、「固執し」なければならない なにかがあるということでしょうか。
あぼーん
19 :
名無しさん@3周年 :03/09/04 23:56
黙示録3章14節 「ラオディキアにある教会の天使にこう書き送れ。 『アーメンである方、誠実で真実な証人、神に創造された万物の源である方が、次のように言われる。」 これもまた意図的な操作による意味の歪曲です。 「神に創造された万物の源」という表現によって、読者が重要な事実に気づかないようにされています。 すなわち、「子なる神」は「造られずして永遠に生まれし方」である、という教義を守るための印象操作が施されています。。 ここで「源」と訳されているギリシャ語の第1義は、「初め」です。 そして、黙示録で20回ほど用いられているこの語は、この3章14節を除いてすべて「初め」という意味。 訳語の統一を無視して「源」と訳す、この印象操作を一度外してみてください。どうなるでしょうか。 「アーメンである方、誠実で真実な証人、神に創造された万物のはじめである方が、次のように言われる。」 「アーメンである方」は、神の被造物の第一であることに読者は気づくでしょう。これは箴言8章22節からの 一連の文章と調和しています。おなじ翻訳からみてみましょう。 「主は、その道の初めにわたしを造られた。いにしえの御業になお、先立って。」
20 :
名無しさん@3周年 :03/09/05 04:14
三位一体は、奥義ですから哲学的に説明しても何の本質も捉えないものになってしまいます。 あきらめてください。
21 :
名無しさん@3周年 :03/09/06 11:51
ヘブライ1章8節 一方、御子に向かっては、こう言われました。 「神よ、あなたの玉座の笏は永遠に続き、また、公正の笏が御国の笏である。 詩篇45編7節の引用から筆者は、天使たちと御子との相違を論じています。 詩篇45編は、イスラエルの王への神からの祝福が歌われています。 異教の神を崇拝していた者にたいしての侮蔑の表現を除いて、「エローヒーム」(神)と主の崇拝者に呼びかけることはまずあり得ない、 という常識に沿って訳さないのはなぜでしょうか。 つまりこの部分の翻訳では、文法的に可能ではあっても文脈や出例に沿わない訳し方がわざわざ採用されているようにみえます。 ではどのように訳するべきか。文法的に可能であり、かつ文脈に沿うのは、たとえば、 ヘブライ1章8節 一方、御子に向かっては、こう言われました。 「神は永遠にあなたの玉座、公正の笏が御国の笏 1章9節の表現に「神よ、あなたの神は、喜びの油を、あなたの仲間に注ぐよりも多く、あなたに注いだ」とあります。 8節との調和のために「神よ、あなたの神は」と表現されています。 これは詩篇の歌い手にとっては噴飯物の、これまたあり得ない表現法です。 「唯一の神よ、あなたにとっての(つまり唯一の神にとっての)唯一の神は」と言い換えれば表現のおかしさに読者も気づくでしょう。 この訳の翻訳者たちは、筆者も歌い手たちもするはずがない読み方をなぜ読者には強いるのでしょうか?
22 :
名無しさん@3周年 :03/09/06 12:14
ウザイ クサイ あずみ は、フセインのケツの穴から生まれた三位一体
23 :
名無しさん@3周年 :03/09/07 21:56
西暦2000年8月6日、正統であるラテンの使徒継承教会、を自称するローマ司教の権威付けられた機関、 「教皇庁教理聖省」の「宣言」として公表された『ドミヌス・イエズス』はこのように述べています。 聖書に忠実を守り、誤っていて簡略化された解釈を退けて、第1ニカイヤ公会議は「神の子イエス・キリスト」に対する自己の信仰を荘厳にこう宣言した。 「このおかたは御父から生まれた独り子、すなわち御父の本質から[生まれた]、神からの神、光からの光、真の神からの真の神、造られずに生まれ、 御父と同一本質であって、このかたをとおして天にあるものも地にあるものも、万物は造られた。このかたはわたしたち人間のため、 わたしたちの救いのために降り、受肉し、人間となり、苦しみを受け、三日目に復活し、天に昇り、生けるものと死せるものを裁くために来られる」 と。 教父たちの教えに従い、カルケドン公会議もこう信仰宣言した。 「ひとりの同じ御子、わたしたちの主イエス・キリストは、このおかた自身神性において完全であり、人性においても完全であり、まことに神であって、 まことに人であって、 [ ...] 神性にしたがって御父と同一本質であり、人性にしたがってわたしたちと同一本質であり [ ...] 、神性にしたがって 世々に先立って御父からお生まれになったが、時代の終わりに、その同じおかたはわたしたちのため、わたしたちの救いのために、人性にしたがって処女マリア、 神の母から(お生まれになった)」 。 つまり、この宣言によると、 1 「神の子イエス・キリスト」は「御父と同一本質」である、と「第1ニカイヤ公会議」は「宣言した」。 それは「聖書に忠実を守り、誤っていて簡略化された解釈を退けて」の宣言だ。 2 「教父たちの教えに従い、カルケドン公会議もこう信仰宣言した」。すなわち「イエス・キリストは」「まことに神であって、まことに人であって、[ ...] 神性にしたがって御父と同一本質であ」ると。 1において『ドミヌス・イエズス』は第1ニカイヤ公会議の宣言が「聖書に忠実」であると主張し、 2において『ドミヌス・イエズス』はカルケドン公会議の「信仰宣言」が「教父たちの教えに従」っている、と述べていることに注意してください。 検証すべきは、「本当にそうなのか」ということです。。。
24 :
名無しさん@3周年 :03/09/07 22:27
創価も日蓮が本佛だっていってるし、 真宗も阿弥陀を祭る本堂より親鸞を祭る御影堂のほうが立派だし、 真言宗も大日如来よりかは南無大師遍照金剛だし、 結局中興の師がメインの神になっちゃうのよ。(目に見える存在として) そういう現象のひとつに過ぎないのでわ
> 1において『ドミヌス・イエズス』は第1ニカイヤ公会議の宣言が「聖書に忠実」であると主張し、・・・・・・(
>>23 )
「父」「子」が「本質において同一」というのは、本当に「聖書に忠実」なのか。
「聖書」のなかでも、この手の検証では比較的に見過ごされがちな部分からみてみましょう。「ヨブ記」をご覧ください。
ヨブと三人の友人のやりとりのなかで、エリファズはこう言います。
「どうして、人が清くありえよう。どうして、女から生まれた者が正しくありえよう。
神は聖なる人々をも信頼なさらず 天すら、神の目には清くない。
まして人間は、水を飲むように不正を飲む者 憎むべき汚れた者なのだ」(15:14−16)
この論旨をビルダドも述べ、
「どうして、人が神の前に正しくありえよう。どうして、女から生まれた者が清くありえよう。
月すらも神の前では輝かず 星も神の目には清らかではない。
まして人間は蛆虫 人の子は虫けらにすぎない」(25:4−6)
この主張は、ヨブに言及した主とサタンのやりとりを反映しています。
主 「・・・わたしの僕ヨブに気づいたか。・・・・・・無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。
お前は理由もなく、わたしを唆して彼を破滅させようとしたが、彼はどこまでも無垢だ」
サタン 「・・・・・・命のためには全財産を差し出すものです。手を伸ばして彼の骨と肉に触れてごらんなさい。
面と向かってあなたを呪うにちがいありません」(2:3−4)
ここでのエリファズたちの主張はサタンの主張とは調和し、それは「神はだれ一人として他の者を、天さえ信頼しない。
また、とくに人間はすぐに悪を行い、命のためなら、神をも捨てる。人間は神にとって価値の低いものだ」と要約できます。
サタンと、補足するヨブの3人の友の主張を、次のように考慮しましょう。 1.神はだれ一人として他の者を信頼していないか。 2.人間は命のためなら神をも捨てるのか。 3.人間は神にとって価値の低いものか。 ヨハネ10:11−12 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。 羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。 狼は羊を奪い、また追い散らす。 ヨハネ10:14−15 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。 ヨハネ10:17−18 わたしは、命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。 だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、 それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。 エリファズは「人間は神にとって価値の低いものだ」と主張し、サタンは「命のためなら人間は神をも捨てる」と語りましたが、 一方イエスは「自分の羊のためにわたしは命を捨てる」と述べました。「自分の羊」はイエスについてくる人間たちのことであり、 そのために命まで捨てることは「父から受けた掟」にしたがうもので、それゆえに「父はわたしを愛してくださ」り、 「わたしは」命を「再び受けることもできる」のです。 ここでイエスは、「父がわたしを知」るように「わたしは自分の羊を」知る、と言っています。 これが最大限の信頼の表明であることは、 「わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。 わたしと父とは一つである」(ヨハネ10:29−30)という言葉からわかります。 「すべてのものより偉大」な「もの」を「わたしの父」は「わたしにくださった」とイエスは主張していて、 さらに命を「再び受ける」ことを確信しているわけです。 互いの信頼の表明といえます。
サタンの言葉と、それを補うようなヨブの3人の友の主張について以下のように考慮するとき、
1.神はだれ一人として他の者を信頼していないか。
2.人間は命のためなら神をも捨てるのか。
3.人間は神にとって価値の低いものか。
イエスの言葉からは次のように答えられるようです。
1.神は「良い羊飼い」であるイエスを「知っておられ」、「すべてのものより偉大なもの」を与えた。これは最大限の信頼を意味する。
イエスが「自分の羊を知って」「羊のために命を捨てる」ように、である。
2.「良い羊飼い」としてイエスは、「羊のために命を捨てる」。イエスにとって、「これは、わたしが父から受けた掟」であり、
それを果たすために命を「自分で捨てる」。言い換えれば、父への愛と「羊」への愛のためなら、命を「自分で捨てる」と、
イエスという人間は言った。
3.「羊のために」自分の「命を捨てる」というほど、イエスにとっては価値の高いものであり、
「羊のために」イエスが「命を捨てる」こと自体、「すべてのものより偉大なもの」をイエスに「くださった」「父」の「掟」であることから、
「父」にとっても人間は価値の高いものだ。
さて、「教皇庁教理聖省宣言」『ドミヌス・イエズス』によれば、
>「神の子イエス・キリスト」は「御父と同一本質」である、と「第1ニカイヤ公会議」は「宣言した」。
>それは「聖書に忠実を守り、誤っていて簡略化された解釈を退けて」の宣言(
>>23 )
だそうです。この『ドミヌス・イエズス』の主張と「聖書」からのここでの一連の考慮(
>>25-27 )には「かみ合わない」ところがあり、
「第1ニカイヤ公会議」の宣言はむしろヨブの3人の友人の主張を後押ししてしまう部分があることに、読者はお気づきでしょうか?
*神は「良い羊飼い」であるイエスを「知っておられ」、「すべてのものより偉大なもの」を与えた。これは最大限の信頼を意味する。 イエスが「自分の羊を知って」「羊のために命を捨てる」ように、である。 *「良い羊飼い」としてイエスは、「羊のために命を捨てる」。イエスにとって、「これは、わたしが父から受けた掟」であり、 それを果たすために命を「自分で捨てる」。言い換えれば、父への愛と「羊」への愛のためなら、命を「自分で捨てる」と、 イエスという人間は言った。 *「羊のために」自分の「命を捨てる」というほど、イエスにとっては価値の高いものであり、 「羊のために」イエスが「命を捨てる」こと自体、「すべてのものより偉大なもの」をイエスに「くださった」「父」の「掟」であることから、 「父」にとっても人間は価値の高いものだ この論旨で、もし、「わたしと父とは一つである」ことを、「本質において同一」であると解釈すると、 1.「父」が「わたしにくださった」ものを天において「子」はすでに持たないのか。 2.「父から受けた掟」を「本質において同一」である者が果たすのであれば、 「自分の羊のためにわたしは命を捨て」「再び受ける」とき、命を与えるのは「本質において」自分か。 そうなら、サタンからみれば、イエスが「命を捨てる」とは、「本質において」、命を捨てるというより、 「命のため・・財産を捨てる」ことそのものではないか。なぜなら人間にとっての財産のように、 「子」は自分で命を取り戻せるのだから。 3.神がみずから「人間とな」ったという主張は、イエスのすべての「証し」、すべての「苦しみ」、すべての「祈り」も、 「神はその僕たちをも信頼せず、御使いたちをさえ賞賛されない」(ヨブ4:18)と述べたエリファズの言葉にたいする反証とは なりえない、と主張するに等しいのではないか。 4.「わたしは、命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる」とは、「父」と「本質において同一」である 「子」にとって、「自分を愛さない者はいない」という程度の意味で言ったのか。 ・・・などの疑問、また文脈との齟齬に直面します。 これは「聖書に忠実を守」っている教えなのでしょうか?
>>5 >◆三位一体が間違いである証拠◆
>
>三位一体: エホバは三位一体の神,つまり三つの位格から成るひとりの神ですか。
>いいえ,そのような神ではありません。み父エホバは「唯一まことの神」です。(ヨハネ 17:3。マルコ 12:29)
神性の実体においては唯一と認めてますが。
>イエスはエホバの長子で,神に服しておられます。(コリント第一 11:3)
キリストとは人性の名前です。
>み父はみ子よりも偉大です。(ヨハネ 14:28)
人性においてはね。
>>6 ヤーウェとは、三つの位格が共有する唯一の実体のことですが。
30 :
名無しさん@3周年 :03/09/15 21:56
>エホバに関して,霊感のもとに記された聖書は,「実に,定めのない時から定めのない時に至るまで,あなたは神です」と述べています。(詩編 90:2) >エホバは「とこしえの王」であられ,始まりも終わりもありません。(テモテ第一 1:17) >一方イエスは,「全創造物の初子」,「神による創造の初め」です。(コロサイ 1:13‐15。啓示 3:14) それは、あなた方の訳によればでしょ。こちらの訳では 「すべての造られたものに先だって生れたかた」「神に造られたものの根源」 としています。 >イエスは神を父と呼び,「父はわたしより偉大な方(です)」と言われました。(ヨハネ 14:28) そうです。人性においては偉大な方です。 >イエスはまた,ある事柄については自分やみ使いたちは知らず,神だけが知っておられると説明されました。(マルコ 13:32) そうです。キリストは神性においては全知全能ですが、人性においてはそうではありません。完全な被造物です。 >加えて,イエスはみ父に祈り,「わたしの意志ではなく,あなたのご意志がなされますように」と言われました。(ルカ 22:42) だから、キリストには人性と神性との二つの意志を持ってます。一つの意志しか持たない単意説は、第6回コンスタンチノープル公会議で排斥しました。 >自分より上位の方がいないとすれば,一体だれに祈っていたのでしょうか。さらに,イエスを死から復活させたのは神であり,イエスご自身ではありませんでした。―使徒 2:32。 もちろん、御父です。キリストの人性の意志で天の御父に祈ったのです。
さらしage
32 :
名無しさん@3周年 :03/09/19 15:53
◆三位一体が間違いである証拠◆ ウザイ クサイ あずみ の三位一体でしたが、 ウザイとクサイが氏んで あずみ一人になりますた。
33 :
名無しさん@3周年 :03/09/19 18:59
真のキリスト教は三位一体ではありません。
34 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 01:46
御父のことをエホバと呼んでるようなエセキリスト教のドアホは論外だが、 三位一体を理屈で理解しようとするのは無理よ。
35 :
名無しさん@3周年 :03/09/20 12:29
>>32 あずみ
サロメ
或る福
の三位一体で、
2chのDQN神になりますた
36 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 15:00
神はひとりなのか、あるいは三位一体という 統一体なのか。
37 :
名無しさん@3周年 :03/09/22 15:35
三位様式論
三位一体をめぐるこの手のやりとりが不毛なのは、 「聖書」には三位一体を裏付けるようなことが出ているか、 といったことをめぐる論になるからだと思う。 そうではなくて、ヨハネはどうだったか、パウロはどうだったか と調べてもらいたい。すると、イエスの神性については、パウロは 否定的だが、ヨハネはイエスをヤハウェと同一視している、といった ことが分かってくるだろう。 コロサイ書の著者は微妙だね。ヘブライ書の場合はまあ、否定的と 見ていいかな。 ヨハネあたりについてのエホバ側の解釈は苦しくなる。 エホバ側は第二テサロニケにおけるイエスと父なる神の同一視とも 見える発言をどう処理するのだろうかね。例の定冠詞の規則が このころにはくずれているといった話を使って、苦しい言い訳を するんだろうね。
39 :
名無しさん@3周年 :03/10/01 04:58
いい加減建設的な話題求む。 エフォみたいな改竄&戒律主義ではない他の三位一体拒否キリスト教ないの? いくらエフォがアリウス異端だといってもアリウス派とは言えんからな。 確かにキリスト教の伝承&聖書におけるキリスト論の不可解を手っ取り早くまとめるには 三位一体が楽なんだが、三位一体を否定したとき他にどんな解釈が有効なのか気になる。
え〜っと、とりあえず既存キリスト教(異端、自称含)のリストアップ・・・ ・ローマ・カトリック ニケア・コンスタンティノープル、カルケドン公会準拠(フィリオ・クェは無視として) ・東方正教会 ニケア・コンスタンティノープル、カルケドン公会準拠 ・シリア正教 ニケア・コンスタンティノープル公会準拠、カルケドン拒否 ・アルメニア使徒教会 同上 ・コプト教会 同上 ・改革/長老派 二ケア・コンスタンティノープル、カルケドン公会準拠 ・ルター派 同上 ・聖公会 同上 ・メソジスト 同上 ・SDA 概ね同上 ・・・なさそうだな・・・
といってユニテリアンを出してもしょうがないし・・・ 彼らって聖書ですら「最高の資料」でしかないんでしょ? マトモな教会で三位一体否定してるとこないんかな 以下の条件付で 天地万物を創造したのは唯一の神。ナザレの人イエスは神の独り子でありキリストであること。 イエスは聖霊によって処女マリアの胎内にみごもり人として生まれたこと。 イエスには罪のない状態で生まれ、それ以後も永遠に罪のない存在であること。 イエスは十字架刑(別にT字でもI字でもいいけど)によって処刑されたが三日後には復活して天に戻り、み父の右に座したこと。 イエスの十字架刑は人類の罪の贖いであること。イエスの贖いを信じるものは死後復活、永遠の命を得ること。 世界の終わりにはキリストが再臨すること。 聖書は神の霊感によって書かれた偽りのない神の言葉であること。 以上の条件付で三位一体否定派の教会ないかなぁ ただの興味本位だけど
42 :
名無しさん@3周年 :03/10/01 14:02
食いつき悪いなぁ
43 :
名無しさん@3周年 :03/10/01 16:39
44 :
名無しさん@3周年 :03/10/01 16:47
キリスト教の根幹、苦し紛れの仮説=「三位一体説」 イエスを人の子と認めればそんな変な説は必要ない。
45 :
名無しさん@3周年 :03/10/02 08:11
>>43 だめだよ。
モルモンでは旧約聖書の神エホバがそのまんま受肉してイエス・キリストになったという教理だし。
キリスト=エホバの更に上に父なる神エロヒムが存在すると言ってるわけ。
あと、嘘っぱちのモルモン経を使用してる時点で改竄聖書使ってるものみの塔よりもタチが悪い。
ものみの塔よりも条件みたしてないよ。むしろ上の条件だけならものみの塔ですら満たしてる。
それでもエフォはおかしいカルトなのは否定できない事実だから、マトモなとこはないかな、と思ってる訳ですよ。
もう大元のアリウス派ってないんでしょ?
ネストリウス派が残ってるなら残っててくれてもいいと思うんだけど、みんなニケア・コンスターチノープル派によって
消されちゃったんだろうね。
ネストリウスはエフェソス/カルケドン否定でもニケア・コンスターチノープルは準拠してるから残ったのかな・・・と言うわけでもないか。
46 :
名無しさん@3周年 :03/10/02 09:08
>>45 >モルモンでは旧約聖書の神エホバがそのまんま受肉してイエス・キリストになったという教理だし。
勉強になった。モルモンってサベリオス異端だったんだね。
47 :
名無しさん@3周年 :03/10/02 18:31
異端という名を付けて消し去ったわけか…… 権威主義のカトがやりそうなことだな。 新訳のキリスト受洗のトコは、どう言い訳してるんだっけ?
48 :
名無しさん@3周年 :03/10/02 18:32
三位一体論が誤りなのは当然だが、イエスが何者であったかは難しい問題だろう。 福音書記者が、イエスの行動について、よく引用しているのはゼカリア書だ。 ところが、ここのヨシュアとは、イエスの予型と思われるのだが、それは、 王メシアではなく、大祭司メシア(メルキゼデク型)なのである。 イエスは、神のまえに立つ2本のオリーブの木のひとつだろうが、もう一本は、 来るべきメシアということになる。 イエスは、ダビデ王型メシアではなく、メルキゼデク型大祭司であったのでは ないか? 同様の趣旨は、ヘブル人への手紙にもある。
49 :
名無しさん@3周年 :03/10/02 18:47
50 :
名無しさん@3周年 :03/10/02 19:24
手元に聖書がないので、該当箇所を正確にあげることはできないが、、、 たとえば、 イエスがユダヤ人との議論において、証人が自分だけでなく、父と2人である と証言するくだりがある。この議論は、イエスと父なる神が、まったく別の 人格でないと成り立たないだろう。
51 :
名無しさん@3周年 :03/10/03 11:56
>>50 >この議論は、イエスと父なる神が、まったく別の
>人格でないと成り立たないだろう。
この人今ごろ何を寝とぼけてるんでしょうか。
三位一体の定義において、御父と御子との位格(=人間の場合は人格のこと、御父と御子は神だら神格という)
は別なんですが。
52 :
名無しさん@3周年 :03/10/03 12:22
>>50 これですか?
ヨハネ福 8:18 わたしは自分について証しをしており、わたしをお遣わしになった父もわたしについて証しをしてくださる。」
当然、御父と御子は別位格ですよ。実体が同じなだけ。
例えば、御子の受肉について、御父が受肉したなんて言ったら、サベリオス異端になりますから。
53 :
名無しさん@3周年 :03/10/03 13:45
54 :
名無しさん@3周年 :03/10/03 13:56
55 :
名無しさん@3周年 :03/10/03 15:23
>>51-54 そんな理屈をユダヤ人が納得するだろうか?
イエスは、彼らの論理においても、正しいと語っている。
つまり、あんたたちの論理は、めちゃくちゃということだ。
56 :
名無しさん@3周年 :03/10/03 15:27
>>52 違う。ヨハネではあったが。
>>54 実体がおなじなら、イエスの証人になれるわけないだろ。バカ。
57 :
名無しさん@3周年 :03/10/03 15:32
イエス之御霊教会教団は三位一体否定だったと思うけど、あそこは サベリオス異端なんかな?
イエスは、ユダヤの律法からみても正しいと述べている。 ユダヤの律法で、三位一体なんて認めるわけないでしょ。 それでも、イエスは自分が正しいといっているんだから、その線で 話しないと意味ないよ。
59 :
名無しさん@3周年 :03/10/03 15:35
>>56 >実体がおなじなら、イエスの証人になれるわけないだろ。バカ。
どうして?理由を言わずに相手をバカというとは。
60 :
名無しさん@3周年 :03/10/03 15:39
>>55 ユダヤ人が納得する信仰でなければならないの?
それならユダヤ教になればよろしい。
ユダヤ人が最も納得している宗教なんだから。w
61 :
名無しさん@3周年 :03/10/03 15:48
>>56 >実体がおなじなら、イエスの証人になれるわけないだろ。バカ。
実体が同じでも、別の位格においてそれぞれの客観性が成立つと認めています。
それを否定する場合、サベリオス異端として排斥しています。
>実体が同じでも、別の位格においてそれぞれの客観性が成立つと認め >ています。 それは、キリスト教徒の論理でしょ。 イエスは、ユダヤ人の律法からみても正しいとし、その論理でかたっている。 意味なしじゃん。
63 :
名無しさん@3周年 :03/10/03 16:00
>それは、キリスト教徒の論理でしょ。 位格と実体の定義が別であれば、論理的には直接矛盾はないはずですが。
>位格と実体の定義が別であれば、 ユダヤの律法には、そんなのありませんが、、、
65 :
名無しさん@3周年 :03/10/03 16:11
>>64 定義がされていないだけでしょ。矛盾する定義があるわけではないでしょ。
>>65 もともとそんな定義ないでしょ。
アホ発見!
67 :
名無しさん@3周年 :03/10/03 16:20
>>63 >それは、キリスト教徒の論理でしょ。
キリスト教徒だけが納得すればそれで十分なのでは?
68 :
名無しさん@3周年 :03/10/03 16:22
>>66 無いですよ?だからなに?旧約の律法も伝承の積み重ねでしょ。
すなわち、定義や他の命題の積み重ねですよね。
過去にない定義や命題を、各時代ごとの書物に書き加えてきたわけでしょ。
それとも、すべての旧約書物がいきなり空から降ってきたとでも思ってるんでしょうか。w
>キリスト教徒だけが納得すればそれで十分なのでは? 三位一体を信じないなら、キリスト教ではないということになっている。 それなら、最初から、議論はムダということになる。(w
70 :
名無しさん@3周年 :03/10/03 16:25
>>67 聖書原理主義者には理解できないんですよ。彼等は、66巻の書物がある日瞬間的に生じたと思っているらしいから。
>過去にない定義や命題を、各時代ごとの書物に書き加えてきたわけ >でしょ。 イエスの時代に、そんな定義がなかったんでしょ。
72 :
名無しさん@3周年 :03/10/03 16:28
>>71 そうでしょうね。旧約時代は地獄という定義が無いんですけど。
イエスの時代にはじめて登場しますね。w
73 :
名無しさん@3周年 :03/10/03 16:32
>>71 まああなたの理屈なら、地獄をはじめて定義したイエスさま自信も間違っているという話になりますね。w
74 :
名無しさん@3周年 :03/10/03 16:35
>>70 同じキリスト教徒同士でも、聖書原理主義者の人たちはニケア会議の結論に反対しているということなのでしょうか
>>73 >地獄をはじめて定義した
よくしらないが、旧約続編や外典にもないの?
>まああなたの理屈なら、地獄をはじめて定義したイエスさま自信も
>間違っているという話になりますね。w
三位一体や、位格と実体の定義は、イエスの定義なんですか?
76 :
名無しさん@3周年 :03/10/03 16:39
>>74 だいたい、聖書原理主義者が多いでしょうね。
モンタヌス派は聖書の記述から、初代教会の信者はみんな修道生活をしていたと勘違いしていたのかもしれません。
しかし、実際の発掘調査では、修道生活をしていたというような証拠がないとのことですがね。
77 :
名無しさん@3周年 :03/10/03 16:40
>>75 >よくしらないが、旧約続編や外典にもないの?
無いですよ。
78 :
名無しさん@3周年 :03/10/03 16:42
>>75 >三位一体や、位格と実体の定義は、イエスの定義なんですか?
定義なんてしてないでしょうね。地獄でさえ、そういう語彙を使っていたとうだけで、
実際に地獄がなんであり、陰府とどう区別するかなんかもはっきり述べられていないし。
>よくしらないが、旧約続編や外典にもないの? しかし、インド哲学とかも入ってきていたらしいからな。 (マサダの連中は、インド哲学を知っていたらしい) ほかのところにはあるかもな。
80 :
名無しさん@3周年 :03/10/03 16:52
>>79 正教会では地獄も陰府も同じ地獄と称してますね。
しかし彼等はパニヒダと言って、地獄の死者のための執り成しの祈りを認めています。
カトリックのレクイエムに相当しますね。
81 :
名無しさん@3周年 :03/10/03 17:03
三位一体に関しても、三位一体という言葉は無いにしても、 位格のプロソポンや実体のウーシアという語彙の使用例はありましたけどね。 そういう意味では地獄の例と同様に、 語彙の使用例はあったけれども、具体的な定義は未だってことでしょうか。
>位格のプロソポンや実体のウーシアという語彙の使用例はありましたけどね。 後の時代に位格のプロソポンや実体のウーシアで使われたギリシア語は、 当時からあったという意味以上には、何も感じないな(w
>>82 後の時代に陰府のハデスや地獄のゲヘンナで使われたギリシア語も、
当時からあったという意味以上には、何も感じない罠(w
84 :
名無しさん@3周年 :03/10/04 21:49
ユニテリアンの基本教理ってなんなの? 三位一体を否定してるくらいしか知らないんだけど
85 :
名無しさん@3周年 :03/10/06 01:15
モルモンはサベリオス異端じゃないよ。 確かにエホバ=イエスなんだけど、サベリオスの場合「御父受難説」だから。 父なる神(まぁエホバだけど)が肉体をまとったのがイエスってことなのね。 モルモンの場合はイエス(=エホバ)の他に御父(≠エホバ)がいるって教理なの。 父なる神エロヒム、御子イエス(エホバ)、聖霊の三位一体。 三位一体といっても別々に存在してる神で、目的、意思において完全に一致しているという 意味での三位一体ね。 正統教義の三位一体とは全く別物。
86 :
名無しさん@3周年 :03/10/06 06:25
>モルモンの場合はイエス(=エホバ)の他に御父(≠エホバ)がいるって教理なの。 では、サベリオス異端ではなくて、三神論になるのかぁ。
87 :
名無しさん@3周年 :03/10/06 13:54
>別々に存在してる神で、目的、意思において完全に一致しているという 意味 そりゃ三位三体論だろ!
88 :
名無しさん@3周年 :03/10/06 14:14
ユニテリアンの基本教理とはなんでごじゃるか。
89 :
名無しさん@3周年 :03/10/07 10:29
>>87 知らんがな
本人たちがそう言ってるからそう書いただけ。
俺モルモンじゃないし突っ込まれても・・・
90 :
名無しさん@3周年 :03/10/07 11:34
漏るの 御父、御子は、肉体を持っているそうです。 なんでも、初代教祖が森の中でお二方に会ったそうで.....
91 :
名無しさん@3周年 :03/10/07 12:25
ところでさっきから神の名前がエホバで登場してるわけだが・・・ モルモンでは神の名前はエホバなの?
92 :
名無しさん@3周年 :03/10/07 12:33
教典はいずれもすべて作り話に過ぎない。議論する意味はない。 同じく神の被造物であっても、イエスだけが神の子で、他の人間は神の子 ではないというのか。
93 :
名無しさん@3周年 :03/10/07 12:41
>>91 それはモルモンやエホ証問わず、主の御名前はヤーウェなんですがね。
意味としては、唯一の神性の実体の方を指してヤーウェなんですが。
94 :
名無しさん@3周年 :03/10/07 14:10
>>91 モルモンの神は、父(エロヒム)・子(イエス = エホバ)・聖霊。
エホバ(Jehovah)は英語での正典 「ジェームズ王欽定訳」 が数箇所だけで使っている神名。
モルモン賛美歌にも 「エホバ」 で登場する。
.......統一教会の成約聖歌にも、歌詞に 「エホバ」 の登場する歌はあるけどね......
95 :
名無しさん@3周年 :03/10/07 14:17
96 :
名無しさん@3周年 :03/10/07 15:09
モルモンは神の名前はエホバであると一番意固地になってる団体だよ。 何せ神自身がジョセフ・スミスに直接「私はエホバだ」と言ったんだからね。 これはキリスト教の歴史を知らないジョセフがジェームス王欽定訳に登場する エホバが本当に神の名だと何の疑問も持たずに信じていた故のミス。 エホバという名が後代のプロテスタントによる誤読だというのは有名な話。 ものみの塔ですらそれはあっさり認めている。 (間違っていたとしても神の名は使うべきである。ヤハウェでも構わないが、古くから 浸透しているエホバを採用した方が分りやすいから、という主張)
97 :
名無しさん@3周年 :03/10/07 16:38
サベリオスって何で異端なの? 不可解な正統派の三位一体論より、納得いくじゃん。 だれか説明してちょ。
98 :
名無しさん@3周年 :03/10/07 22:39
たとえばヨハネ17章のように、御子イエスが御父に祈っている場面があるが、 父と子が、同時に "別人" として存在していないと無意味になる、というような 説明だったと思う。 マタイ26章のゲツセマネでの祈りを読むと、御父と御子の意志は別っぽい。
99 :
名無しさん@3周年 :03/10/07 22:53
バプテスマする際、聖霊はいいとして、思い切り御父が語るんだよね 「(イエスを指して)これは私の子、私の愛するもの、私の心にかなうものである」 とか思い切り宣言してるしね。 あと、「私を遣わした方が」とかいつもイエス言ってるし。 それ考えるとサベリウスは確かに無理のある説だな。
100 :
名無しさん@3周年 :03/10/07 23:41
個人的にはアリウス派が一番しっくりする気がする・・・。 人間が死から生き返るはずないからやはりキリストは神だとかいうのもよく目にするけど 神が復活させればOKじゃん。 普通に人間以上の存在、神に限りなく近い存在、神の唯一の子、キリストとして聖書読むのが 一番しっくり来るよ俺は。 だから教会行くのやめて一人で聖書読んでる。
101 :
名無しさん@3周年 :03/10/07 23:44
>>100 >人間が死から生き返るはずないからやはりキリストは神だとかいうのもよく目にするけど
おい。キリストが復活したのキリストの人性においてだよ。キモイこと言うなよ。神性に復活なんてないよ。死なないんだから。
まあ、あんたがアリウス派なのは勝手だけど、アタナシウス派を誤解されるのはヤだね。
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103 :
名無しさん@3周年 :03/10/08 00:00
>>101 あのさ、ムキになんないでくれる?
「復活したのは神だから」なんて俺は言ってないし。そう言ってるヤツが
web上に結構いるって言っただけ(二ケア公会議について説明してるサイトとか)
あんたがアタナシオス派なのは勝手だけど、俺の事をたった数行の文で決め付けんな
104 :
名無しさん@3周年 :03/10/08 00:07
あのさー 神が三位一体かどうかとか、人類の贖いとかそんなことばっか考えてると イエスの言いたかったことがおろそかになる気がするんだけど。 生前のイエスの言葉をもっと心にとめる方がずっと有意義じゃね? 俺は三位一体だろうと別個の存在だろうと、どれも肯定も否定もしない。 ただ、イエスの言葉、そして聖書に確実に書いてある、 「神の独り子、キリスト」であることだけを信じりゃいいと思ってる。
105 :
名無しさん@3周年 :03/10/08 00:13
まぁまぁ。モチツケ、モマイラ。 そういえば養子説ってのもあったよね。 ヨハネの洗礼の時に神が自分の子として認定したって説。
アッラーフ アクバル! アッラーフ アクバル! アッラーフ アクバル! スブハーナッラー! スブハーナッラー! スブハーナッラー! フワッラーフ アハドゥ! フワッラーフ アハドゥ! フラッラーフ アハドゥ!
107 :
名無しさん@3周年 :03/10/08 00:54
ラーイラーハ イッララーフ ムハンマド ラスールッラー
108 :
名無しさん@3周年 :03/10/08 01:37
シリアとかコプトとかアルメニアみたいなオリエンタル・オーソドクスって 三位一体説を採用してるの? 彼らが異端な理由とかって何?
>>103 >
>あのさ、ムキになんないでくれる?
仮にムキになって何が悪いの?べつにムキになってるわけではないけど、あんたこそムキになってない?w
>「復活したのは神だから」なんて俺は言ってないし。そう言ってるヤツが
>web上に結構いるって言っただけ(二ケア公会議について説明してるサイトとか)
まあ、どっかの素人が建てたHPか何かを見て言ってるんでしょう。それかあんたのタダの誤解。
二ケア信条以外にもアタナシウス信条やカルケドン信条でも読んでみれば。
>あんたがアタナシオス派なのは勝手だけど、俺の事をたった数行の文で決め付けんな
誰かのHPの引用だとしても、あんたはその引用した内容から、
キリストは神だから復活したと解釈したことには変わりないんでしょ。
こっちも、それ以上のことも以下のこともいってないけど。
110 :
名無しさん@3周年 :03/10/08 12:58
>>108 三位一体はもともと「ローマ帝国国教会」の独自教理だから
コンスタンティのス帝がキリスト教公認した313年より以前
に成立した教団はほとんどのところが否定していると思われ。
111 :
名無しさん@3周年 :03/10/08 13:11
112 :
名無しさん@3周年 :03/10/08 13:16
>>110 >313年より以前に成立した教団はほとんどのところが否定していると思われ。
そんな証拠どこにあるの?w
そもそも聖書が正典化されるのも、397年のカルタゴ会議以降ですが。
ついでに、聖書も否定すれば?
113 :
名無しさん@3周年 :03/10/08 13:36
>>98 イエスは人間であり神性をもっている。
キリストは人間として祈る
人間性が神性に対して祈る
114 :
名無しさん@3周年 :03/10/08 13:39
>>98 >マタイ26章のゲツセマネでの祈りを読むと、御父と御子の意志は別っぽい。
御父の意志と、キリストの人性の意志は別ですよ。
つまり、キリストには神性と人性との2つの意志があるんです。
キリストの神性の意志は御父の意志と一つなんですがね。
>>110 >313年より以前に成立した教団はほとんどのところが否定していると思われ
これは歴史認識として明らかに間違いです。
そもそも三位一体論争が起こってないんだから、「三位一体を否定する」
ということがあったわけがない。
「あれか−これか」という選択肢が意識されてなかったわけだ。
ただし、今から著書等を見てみると、三位一体論と親和的な思想傾向
だったかどうかという区別はあるだろう。その場合、両方あるのは
当たり前。ヨハネ福音書に重きをおいているなら、イエス・キリスト
とヤハウェを同一視する思想になるのは自然でしょう。
116 :
名無しさん@3周年 :03/10/08 15:21
俺にはその人性が神性に祈るとかいうのが意味分らんのよ。 イエスの死は要するに人性の死ならただ一人の男が死んだだけで結局は贖いにならない 気がするんだわ。 いくら聖書読んでも人性がとか神性がとか出てこないのね。意味分らなくて混乱しまくりだよ。 ノンクリの俺には分らない事なのか? 複数の聖書著書を全て正しいとするためには三位一体くらいしか言い訳が出来なかった、って いう風にしか考えられん。 矛盾の誤魔化しというかさ。
117 :
名無しさん@3周年 :03/10/08 15:27
>>116 >イエスの死は要するに人性の死ならただ一人の男が死んだだけで結局は贖いにならない
>気がするんだわ。
贖罪が成立するのは、キリストの人性には全く罪が無く、神の恩寵によって神化されているから。
118 :
名無しさん@3周年 :03/10/08 15:29
>>117 それだと仮にイエスが三位一体の1位格ではなかったとしても贖罪は成立しない?
119 :
名無しさん@3周年 :03/10/08 15:39
>>118 確かに、贖罪の成立のみから、キリストの神性を導出するのは困難ですね。
キリストの神性の真意は、キリストは神であるロゴスが人性を取った、という意味ですから(ヨハネ福 1:1-14)。
そして、アリウス派とアタナシウス派との論点は、このロゴスの神性を認めるかどうかでした。
120 :
名無しさん@3周年 :03/10/08 15:47
ロゴスを神の言葉、つまり神の意志を人間界において伝える存在。 神の業を実際に執行する存在として捉えればイエスは神ではなく〜ってのを 矛盾なく説明できるような気もしないではない・・・。 でも計画立てて全ての監督を行ってるのは神だから神が行ったと言っても良いと。 どうだろ
121 :
名無しさん@3周年 :03/10/08 16:06
神の受肉
122 :
名無しさん@3周年 :03/10/08 16:12
>>119 これを見る限り、そういう余地はないと思うが。
ヨハネ福 1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
ヨハネ福 1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
123 :
名無しさん@3周年 :03/10/08 16:48
箴言8:22〜31のわたしとはだれ。
124 :
◆rXUHEibmO2 :03/10/08 17:10
125 :
名無しさん@3周年 :03/10/08 17:20
>>123 箴言8:22で「造る」と訳されるヘブライ語のカーナーと、「創造する」と訳されるバーラーとは区別しますが。
キリスト教の教理を作った初代の教父たちが、箴言8章のソフィアを ロゴスと同一視し、この部分を創世記冒頭の解釈に使って、ロゴスに よる世界創造という教説を作り出したことは、紛れもない歴史的事実 です。 その場合、ソフィアが「主は私をアルケーとして造った」と言ってい ることになりますが、その「造った」は「創った」とは違うなんて いうことは考えてませんでした。だから、その初代の教父たちが、 ソフィアの永遠性を主張したとか、いやソフィアには初めがあること になるとか、そういった後に問題になった議論を押し付けることは 時代錯誤です。つまり、この句によっては、どちらになるとも 言えず、ソフィアの非永遠性の典拠には使えません。
>>126 >つまり、この句によっては、どちらになるとも
>言えず、ソフィアの非永遠性の典拠には使えません。
それは言えますね。ギリシャ語の七十人訳聖書では、造ると創造するとは区別できなかったのですから。
128 :
名無しさん@3周年 :03/10/08 18:24
ところで、三位一体っていつ頃から言われたの? まずは、言われはじめた時期と確定した時期について わかる範囲で教えてくらはい。
129 :
名無しさん@3周年 :03/10/09 03:08
ニケアのとき初めて出た概念じゃないの? 神だ人だ父だ子だで争ってる最中に「んじゃ間をとりましょう、これで矛盾ないでしょ?」 みたいな感じだと思うよ。
130 :
名無しさん@3周年 :03/10/09 10:55
キリストの始まりについて
キリストは永遠の御子なのでしょうか。
132 :
名無しさん@3周年 :03/10/09 11:10
>>129 Maximus (A.D. 250) もすでに至聖三位を神としていたようです。
ただし、位格が三つで実体が一つという概念は、
Gregorius Nazianzenus (A.D. 329-389) を待たないとだめですが。
訂正:Gregorius Nazianzenus (A.D. 329-389) → Gregorius Nyssenus (A.D. 335-394)
>>133 ニュッサのグレゴリオスに最近では帰されている、
『ウーシアとヒュポスタシスの区別について』
のことですね。
抄訳を見つけました:
http://www.sal.tohoku.ac.jp/~shimizu/medieval/gr-pat.html ニカイアでは、聖霊の身分についてはまだ論じられてませんしね。
おもしろいのは、ニカイアの ホモウーシオス は、父も子も
等しく神であるというだけで、両者の一体性の主張ではないと
いうことです。そもぞもカルケドンまでいったって、
子が人間性については私たちとホモウーシオスだと言っている
ことからも、
ホモウーシオスというだけでは、一体性の説明にはならない
わけですね。
つまり、ニュッサのグレゴリオスの説明で分かるように、
三人の人間の間にも、「ウーシアは一つ、ヒュポスタシスは
三つ」という関係が成り立つわけですから、父子霊の一体性
は、「ウーシアは一つ」によって説明されているわけでは
なかったのです。
ここは、西方の教会に正しく伝わらなかった点ではないかと
疑っています。
ええと、結局のところ 三位一体が言われはじめた時期と確定した時期について だれか頭の悪いおれのためにまとめれ。おながいします。
>>135 「三位一体」という用語の話と、思想内容の話とでは、ご質問
の時期への答え方が違います。
そもそも「三位一体」と日本語では訳しますが、
trinitas = 3性
ですよね。3であることです。
用語としてはテルトゥリアヌスにあるそうですから(私自身が
テキストをみて確認したわけではありませんが)、そうなると
2世紀後半ということになるでしょうかね。
ただし、彼は法律的思考法をしますから、土地を3者が共有
するといったことを引き合いに出して、説明しているとか
いないとか・・・。思想的にニカイアをきっかけに深められ
成立したものとは、レベルが違う(よほど低い)と思われ
ます。
>>135 「三位一体」という用語の話と、思想内容の話とでは、ご質問
の時期への答え方が違います。
そもそも「三位一体」と日本語では訳しますが、
trinitas = 3性
ですよね。3であることです。
用語としてはテルトゥリアヌスにあるそうですから(私自身が
テキストをみて確認したわけではありませんが)、そうなると
2世紀後半ということになるでしょうかね。
ただし、彼は法律的思考法をしますから、土地を3者が共有
するといったことを引き合いに出して、説明しているとか
いないとか・・・。思想的にニカイアをきっかけに深められ
成立したものとは、レベルが違う(よほど低い)と思われ
ます。
すんません。間違えてダブらせてしまった。でも変だなあ、 こういうときはアップできないようになってたと思うんだが。
>>136 >思想的にニカイアをきっかけに深められ成立した
ということは、少なくともそれ以前はキリスト教的に
本質的なものではなかったってことで桶ですか?
あ、ども。頭悪いのに相手してくれてありがとです。
あ、スンマセソ。 ↑頭悪いのはおれね。
三位一体論に関してはどうしても無理がある。 まあそれを否定するとキリスト教を否定する事になるから そう出来ないんだろうけど。
>141 たとえば仏教でいうと、歴史上にあらわれた釈尊は自ら覚った後 その教えを周囲に説くんだけど、最初期には同じように覚った者が出てくる。 しかし、部派仏教の時代には自ら覚った釈尊と 後にその教えにより覚った者とに差をつける。 つまり釈尊以外は阿羅漢が最高位であると。 それから大乗になると妙覚の菩薩が最高位になったり。 歴史上に現れた釈尊は仮の姿で本当ははるか過去から法を説き続けているとか、 真理そのものが如来の本体であるとか・・・。 すごく乱暴にいうと-----こんなことは、仏教入門書には間違えても 書いてないような乱暴な言い方なんだけど----- 権威付けがだんだん甚だしくなるんだな。 で、それをまた「釈尊は覚った者のひとりである」としても、 つまり「権威付け」をはぎ取ったとしても-----もちろん一般的な 仏教徒にとっては抵抗があるだろうけど-----やはり仏教は成立すると思うんだな。 そこのところ、キリスト教にとっての三位一体っていうのは 生身のイエスさまの「権威付け」以上の何かがあって これを否定するとまったく成立しないくらいのものなのかな? だとしたらそれは何?
おれも、このスレ最初から読み直して出直しますけど だれかおれの相手してちょ。
>>143 128さん、あなたは十分賢いです。
私が基本的なこととして言いたいのは、ある教義をめぐって争いが起き、勝った方が正統として、負けたほうを
教会から排除し、異端だとみなすといったことが、歴史的に何度も起こりましたが、その争いが起きる前に遡って、勝ったほうの考えが
昔からあったということはないのだ、ということです。
もちろん勝ったほうは、自分たちの主張は初めからあったのだ(つまり聖書に書いてあるのだ)と言うに違いないのですが、
教義についての争いが起きる前は、そこで問題になっている違いについて意識してないので、双方の思想(にやがて分かれるような考え
が混在しており、かつ双方が区別されるものだとも意識されてなかったわけです。
子なる神は父と共に永遠だったのか、それとも時間を遡っていくとある時点で生まれるということが起こっ
たのだから、それより以前には子はいなかったのか、
という区別ないし違いは、アレイオスの問題提起によって、意識されるようになった、という
べきでしょう。
ですから、実は三位一体だってニカイア信条の時点でははっきりしたものとなったわけではありません。聖霊の身分が議論される
のはそのあとです。一応コンスタンティノープルの時点では、父子霊が皆等しく、
あるいは皆同じく神であることになったでしょうが(聖霊については神だとは明言されてないけど、父子との対等性が主張
されているので、こう解釈していいでしょう)、前に書いたように、同じウーシアだという主張が、現在西方の
流れに属する方たちが思うような意味で主張されていたかというと?だと私は思います。
だからtrinitas の主張はここで明確になったとは言えましょう。
>144 元福音派さん
相手してくれてありがと。
あなたのレスにあるタームをいちいち検索しながら
>>128 の質問は、はっきりとした答えがわからないながらも
おぼろげながら見えてきた。
実は、おれはニカイアだとかウーシアだとかという
タームさえ知らない厨なのだ。
このスレッド読み直すのも、たぶん基本的な述語なのだろうけど
そんなのもいちいち検索しながら読み直すので、
非常に遅い上に不正確なのだ。すんません。
三位一体をキリスト教の本質に関わるような欠かせないものだとする人と 誤りだったと見なす人って、結局それぞれどんな立場なのかな。 まあ、そんなことを考えながらざっと読み直しているんだが、ここのところ おれなりの乱暴さで質問をまとめると、↓になるんだけど だれか答えてくれるかな。 どこかのいわゆる正統な教会に属している信仰者ではあるが 「正直、三位一体だけはしっくりこない」っていうような人っているの? そんなことはあり得ないの?
>>69 >三位一体を信じないなら、キリスト教ではないということになっている。
ってあったけど、それならおれ的には
「キリスト教は唯一神の宗教ではなく、三位一体を信仰する宗教である」と
言い切っていただけると、ずいぶんわかりやすくなる。
それでもいいのだろうか?
教えて厨で、おまけにまじめな信仰者さんには失礼なのかもしれませんが 来週にでもまた来ます。
128さん 三位一体を信じる・信じないの前に、 そもそも三位一体ということがどういうことか、ちゃんと理解している 信徒って、意外と少ないんですよ。 とくにプロテスタント、さらにとくに福音派はひどい。 ちゃんと理解してないのに、「信じなければならない」というんです。 説明すると、サベリウス主義という異端の説明と同じようなことを 平気で言ったりしてね。 この板で活躍している某或る福だって、適切に説明できるかどうか あやしいものです。
150 :
名無しさん@3周年 :03/10/11 03:45
>>149 そうそう、三位一体とは神の領域だから人間がおよそ理解できるレベルではない。
聖霊に満たされれば信じることが出来る。とかなんとか言ってる人多すぎるよ。
人間が理解できるレベルを超える奥義ならばなんで普通に公会議で決定できるんだよってかんじ。
知人(福音派)に三位一体の詳細って何?どういうこと?って聞いたら
「唯一の主なる神がある時はキリスト(子、人)として、ある時は働きかける聖霊として、その実態は主なる神」
とか言うのね。それはサベリウス異端だろ!っての。
「君は家族からすれば長男だよね?でもアルバイトでは家庭教師の○○先生、学校では同級生の○○。
それぞれ見方や役割が違うけどみんな君自身だろ?そういうこと」
おーい、それもサベリウス異端だよ。
また、エフォやめて福音派に移った知人に聞いたら
「ものみの塔が三位一体を否定してるけど彼ら分ってないくせに否定してるよ。もしくは
分ってるくせに証人たちに嘘を教えてるのかも。本当は聖なる3人の神の位格が同じ目的で
お互い尊敬しあって家族の様に存在してるのに」
あのな、それはモルモンだろ。
クリスチャン本人がノンクリの俺に教理面で突っ込まれるのはどうかと思う。
しかも正統派の中枢教理である三位一体で…。
理解してないのになんで信じられるんだろね、不思議だ。
151 :
福音主義信仰表明 :03/10/11 03:53
福音主義信仰 1.聖書の神的霊感および神的権威、聖書の充分性。十全霊感、原語霊感、逐語霊感。 神についての知識の源泉、キリスト者の生き方の指針、としての聖書66巻の最高権威性。 2.聖書解釈における個人的判断の権利および義務。聖霊の照明。 3.三位一体の神。父、子、聖霊なる永遠の神。 4.アダムの堕落の結果としての人間の全的堕落。すべての人は罪人。 5.神のひとり子の受肉、人類の罪のための彼の贖いのわざ、イエス・キリストの仲保的とりなしと支配。 処女から生まれし、人となられた神であり、主であり、また罪深い人の救い主である御方としてのイエス・キリストの尊厳性。 6.信仰のみによる罪人の義認。 7.聖霊の主権性。罪人の回心および聖化における聖霊の働き。個人的回心(新生)の必要性。 8.イエス・キリストの再臨。 霊魂の不滅、肉体の復活、キリスト者の永遠の祝福とノン・クリスチャンの永遠の刑罰を伴う、 主イエス・キリストによる最後の審判。 9.キリスト教伝道者職の神的制定、洗礼と聖餐の二礼典の義務とその永続性。戒規の必要性。 個人としてのキリスト者、ならびに全体としての教会にとっての、伝道活動の優先性。
152 :
名無しさん@3周年 :03/10/11 04:07
なんだか各派のイデオロギーの発表会になっちまったようだ。 三位一体が正しいか正しくないかなど形而上の話であって、人間の知るところではない。 これだけで済むことだろが。
三位一体の聖書的根拠について。 いくつかありますが、わかりやすいのは、マタイによる福音書28,19でしょう。 「…彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、」 ここで「名」というのは、単数が使われています。 コイネー・ギリシャ語で、複数の名前が出ているにもかかわらず、単数が使われているのは、 見過ごすことの出来ない重要な点だと思います。 さらに、父、子、聖霊の三つが、ギリシャ語の接続詞καιで結ばれています。 これは、この三者が同列の存在として考えられているのではないでしょうか。 しかも、それぞれに定冠詞がつけられ、独立した存在を表しています。 以上のことから、父、子、聖霊の三つは、 それぞれ独立しているにもかかわらず、一つであると指していると思われます。
154 :
名無しさん@3周年 :03/10/11 14:03
日本語の 「三位一体」 という言葉に誤解を招く部分があるのかも? たとえば、↓ こいつらも 「三位一体キャラ」 と呼ばれたりするが、実は三位三体である。 \ │ / / ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ─( ゚ ∀ ゚ )< さいたまさいたま! \_/ \_________ / │ \ ∩ ∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩ ∧ ∧ \( ゚∀゚)< さいたまさいたまさいたま! さいたま〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________ ________/ | 〈 | | / /\_」 / /\」  ̄ / /
155 :
名無しさん@3周年 :03/10/12 12:31
実際ニケア公会以前の約300年間は聖霊やイエス、主なる神それぞれに神性を感じつつも 彼らが一人であるとか、三位一体であるとかはそこまで考えてなかったわけでしょ。 ってことは公会否定の非三位一体派を「異端」とするまでは良いとしても、 「三位一体を否定する教派はキリスト教ではない」 と言い切るのはかなりおかしいと思う。
156 :
名無しさん@3周年 :03/10/14 03:35
age
>>155 異端もキリスト教徒ですよ。これ常識。また異端とただの誤謬とも区別するべき。
「新カトリック大事典」
教会法によれば洗礼後,名目上キリスト教徒としてとどまりつつ意識的・意図的に神の意志に対して反対すえうのが異端であり,
これは信仰の諸前提から誤って導き出された神学的誤謬とは区別されなければならない.
「カトリック大辞典」
今日では異端とは客観的意義に於いては狭義のカトリック教理反する命題,
又主観的意義に於いてはかかる命題の容認、或る天啓的信仰事項として(fide divina),
又は公教的信仰事項として(fide catholica)信ずべき真理の頑固な否定,または真剣な会議を指す(教会法 1325条2項).
158 :
名無しさん@3周年 :03/10/14 13:24
>>157 でもなんらかの形で三位一体を否定する異端な人を指すとき「三位一体を否定しているのでキリスト教ではありません」
って言って排斥するでしょ、多くの人が。
それとも三位一体否定は異端どころじゃないの?
159 :
名無しさん@3周年 :03/10/14 13:28
>多くの人が。 その人たちの異端の厳密な定義を知らないだけです。 異端はキリスト教徒です。もちろん、洗礼が有効でなければなりません。 キリスト教徒以外の場合、異端とは言わずただの異教徒と言います。
160 :
名無しさん@3周年 :03/10/14 14:54
>>159 それではオリエンタルオーソドクスは異端だとして、
モルモン、ものみの塔は異端でしょうか、異教でしょうか?
よく分んないんですよ。
161 :
エホバの証人は異端 :03/10/14 14:59
エホバの証人の立場は聖書に基づくキリスト教とは言えないものだからである。 www.linkclub.or.jp/~jea/document/archives/19950614_ehoba.htm 歴史的キリスト教は普遍的基本信条−使徒信条・ニケア信条・カルケドン信条−を受け入れ、 父・子・聖霊の三位一体の神、神人両性を一人格のうちに統合するイエス・キリストを告白する。 この信仰の立場を全面的に否定するエホバの証人は、聖書の福音的信仰から逸脱するだけでなく、 福音に正面から反対する規範や行動を顕著に示している。 そのようなエホバの証人の人たちの神への熱心は、 「(正しく解釈された聖書の)知識に基づくものでは」ない(ローマ10:2)。 その最大の証拠が、エホバの証人による、 イエス・キリストの神性(イエス・キリストが神であること)の否定、 並びに三位一体の神の否定に見られる。 人となられた神であるイエス・キリストが、私たちの救い主、また主として崇められ、告白され、信じられ、 礼拝されるべきお方であることは、・ このイエス・キリストにおいて示された神を私たちに知らせ、 イエス・キリストが私たちと共におられることを確信させてくださるお方こそ、聖霊である。 聖霊は復活のイエス・キリストの御霊であり、 この御霊に導かれて私たちは「イエス・キリストは主である」と告白し、 イエス・キリストによって示された神の愛を私たちの心に注がれるのである。
>>161 別にエホバの証人の肩をもつつもりはないけれど、
パウロだってイエスの神性など考えてもいなかったし、
三位一体なんていう考えは思ってもいなかった。
パウロを引用しながら、三位一体説を信じなければだめ
というのは、おかしな話だ。
163 :
名無しさん@3周年 :03/10/14 15:15
>>161 では少なくともものみの塔は異教ではないということですね?
そういう尺度から見ればモルモンも異端であり異教ではないと思って良いのでしょうか?
ちなみに、東方正教会は正統だと思いますが、使徒信条は告白しませんよね?
164 :
名無しさん@3周年 :03/10/14 15:16
神でさえ虐殺を行う一神教など何故信じるんだ? この八百万の神々に畏怖、感謝する文化の国で
165 :
名無しさん@3周年 :03/10/14 15:17
>>164 スレ違い。他のキリストスレに行って下さい。論点が違います。
166 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/14 15:19
>>162 正典として神的権威性が認められたパウロ書簡を含め、
旧新約聖書66巻がトータルで聖霊による誤り無い神のことばです。
どこからパウロがイエスの神性を認めなかったなんていうことになるんだ。
とんでもない。どこの先生ですか。そんなこと言うのは。
>>163 ローマ教会のわけかたと福音派の分け方は違う。
167 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/14 15:20
興味深いスレですね。現在ノンクリスチャンの元エホバの証人です。 関係ないのですが、エホバの証人はニケアコンスタンティノープルとカルケドンは 否定してますけど、使徒信条の内容を読む限り、使徒信条だけはエホバの証人の信条 と一致してて面白いです。 まぁ十字架を杭に書き換えないと完全一致ではないですが(笑)
169 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/14 15:24
>>168 だからリベラルが三位一体、処女降誕、キリスト神性を否定しながら
詭弁を弄する余地があるということか。使徒信條はトンデモ解釈がしやすいんだろう。
どのみちリベラルもエホバの証人もこの正統的な
>>161 キリスト教信仰を否定する。
黙れ異端どもが。特に或る福。 イースタン・オーソドクスからすれば ・カルケドンを否定するオリエンタルオーソ ・フィリオクェ問題の西方 ・そっから離脱したプロ ・聖伝を否定するプロ ・自称キリスト教新興宗教 全部異端だがね。
171 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/14 15:28
>>170 奥山実師の祖父の兄は白川で伝道した正教の司祭だったが、
奥山師自身は正教の教会は偶像だらけだと言っていた。
聖書信仰こそキリスト教の本流です。
或る福が来てから嫌なムードが・・・ 元福さん助けてください
173 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/14 15:30
>>170 >>172 ↑
170=172 同一人物でしょう。汚いことばを使っているのはあなたです。
エペソ
4:29 悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。
4:30 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。
4:31 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。
4:32 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。
>>170 教理を形成する聖伝の中から”特に重要な部分”を抜粋したのが聖書だろうが。
聖書のみってのはおかしいだろ。
福音派ってのは初代からの歴史的連続性がない為に頓珍漢なことを言うもんだ。
大体聖伝を否定しといて聖伝の一種である各公会議決定の信条を採用してるのは笑える
>>173 汚い言葉で悪かったな。だが172じゃないぞ。
誰が異端のプロテスタント、しかもパウロスがハリストスの神性を考えもしなかったなんて言う異端
にすがるかよ
176 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/14 15:38
>>174 権威性が違うのです。ローマ・カトリックこそ歴史的連続性のないおかしな教えを
自己正当化するために外伝を利用している。
煉獄、マリア無原罪、共同贖罪、被昇天など聖書のどこにも根拠が無い。
ローマ教会の勝手な付け足しです。
信条は聖書から導き出されたものであり、聖書と合致する限りにおいて正しい。
ですから純粋なキリスト教信仰を保持する意味において
Evangelical福音主義-福音派がもっとも初代教会からの連続性を保っています。
177 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/14 15:41
>>175 福音派でキリスト神性を否定する異端者などいない。
リベラルプロテスタントと混同しないでください。
しかもそのリベラルとエキュメニカルなどやったのはカトリック教会ではないか。
リベラルに対して福音主義という呼称を使い、
エキュメニカルに対して福音派という呼称が使われます。
純粋な福音主義信仰を守るためにエキュメニカルに組することができなかったのです。
>>176 外伝?続編のことかね?
続編を省いたのは知識のないプロテスタント。
ハリストスが実際用いてたセプトゥアギンタ訳にちゃんと続編はあるだろ。
それこそ歴史的連続性がない証拠だ。
続編は立派に聖書です。
第一オーソの俺に対してナゼ西方のカトを引き合いに出す? カトだって福音派だって等しく異端。 まぁカトの方がマシではあるが
180 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/14 15:49
181 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/14 15:50
182 :
名無しさん@3周年 :03/10/14 16:18
183 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/14 16:21
>>182 東方、西方カトリックが持っている多くの刻んだ偶像は彼らの聖書への付け足しと
聖書からの差引きなしには説明が不可能なものです。
また彼らのマリアや聖人についての迷信は数限りなくあるでしょう。
184 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/14 16:37
キリスト者とはイエス・キリストが自分の罪の身代わりとして死なれ、 よみがえられたと信じる者です。 イエス様が命じられたとおり父、子、聖霊なる三位一体の神の御名によって洗礼を受けるが、 洗礼は救いの手段ではない。 主イエスと共に十字架にかけられた盗賊はただ信仰によってイエス様から約束をいただいた。
>>184 それじゃお前さんが何を今まで言い続けたことは無意味だね。
自分の首を絞めてどうする。
それじゃエホバ含むほとんどの教派がクリスチャンと名乗ってOKじゃねぇか
186 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/14 21:58
>>185 エホバやリベラルはイエス・キリストの神性を否定する異端ではないか。
聖霊によらなければ誰もイエス・キリストを主と告白できない。
イエス様を自分の罪の身代わりとして死なれた罪なき神のこひつじ、
神、主、救い主と信じることができるのは聖霊の御業である。
異端の者らはそのことを信じていない。
187 :
名無しさん@3周年 :03/10/14 22:00
>>185 彼は元々キリスト教徒ではありませんからw
188 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/14 22:02
>>187 冗談も大概にして下さい。福音派の教会で洗礼を受けたキリスト者です。
厨なおれも、とりあえずいろいろなサイトを覗きながら、論争のはじめから三位一体があったのではなく、もちろん最初から三位一体が異端の基準としてあったのでもないことはわかった。 で、厨なおれなりにここまでまとめると、 「イエスを特別視しなかった-----もちろん、教祖としては特別なのだろうけど、あくまでも人間と見るなどの意味で-----セクトが異端とされて、イエスをより特別視した方が正統として残り、その派が自らの主張を三位一体として作り上げていった」 ということでいいのか?ちょっと早とちりか?どんなもんだ? キリスト教信仰者ではないおれだが(もちろん、信仰者を軽んじているわけではない)、教祖や宗祖などを特別な存在として祭り上げていくことを組織をもった宗教に普遍なこととして見ているのだが。
>>188 洗礼を受けたからキリスト教者だって言うのをみて
「うちの教祖はなんとか師から伝法灌頂を受けたのだからうちは正統だ」と主張する仏教系カルトを思い出してしまうよ。
儀式やなんかで正統性を主張するのは苦手だな。
同じように歴史的連続性をもって正統とするのも間抜けな話だけどな。
途中でべらぼうなでっち上げが加わって変形するのは珍しくないからな。
しかし、ここには現在の聖書を絶対視するだけでなく、聖書の成立にさかのぼって話ができる人物はいないの?
失礼。いても、いまのおれにはさっぱりわからんかもしれないが・・・。
文脈でわかるだろうけど、戻ってきて読み直したら気になったので、いちおう
>>189 の
>もちろん最初から三位一体が異端の基準としてあったのでもない
っていう部分は
「もちろん最初から三位一体を認めないことが異端の基準としてあったのでもない」に訂正。
>>189 128さんの189は、非キリスト教徒の視点からみれば、至極当然のことと思います。私もそのように見ています。
>>163 どこからどこまでが正統で、異端で、異教なのか、ということは、自分が一定の信仰なり教派なりに属している−コミットしている限りで言えることであって、外部からは、そのような区別はなりたたないと思います。
正統か、異端か、異教かということを決める物差しは、自分が
・どのように信じるのが正しいか
について、また
・どの点で違うと、排除の対象になるか
についての考えに他ならないからです。
例えばパウロは
主イエスを告白する(あるいはイエスは主であると告白する)
神がイエス・キリストを死人の中から復活させたと信じる
という基準を立てていると思われます。これをクリアーするな
らば、他で意見の相違があっても、その人が救われることには
相違ないと言っていることになります。
外部から見れば、論争を経て勝った方が自らを正統とし、相手を異端と 決め付けて、教団から追い出したというだけの話です。 現在では福音派は「リベラル(と彼らが看做す相手)」を物理的に「追 い出す」わけには行かないけれど、精神的に排除して「そんなことでは 救われないぞ」とか「神の意思に適ってない」とか言って蔑視するとい う仕方で「異端だ異端だ」と言っているようですね。そうやって自分の 方が上だと思わないと安定しないという精神状態にあるのでしょう。 エホバの証人について言えば、私はこれはカルトだと思ってます。根本 主義ないし聖書信仰のパロディではないかな。その教義を正当化するた めの聖書の使い方が、根本主義的傾向を一段と押し進め、純化したもの (そういう仕方でのパロディ)になっていると思われるからです。 伝統的な教義を否定することに自らのアイデンティティを見出すという 点では、福音派とは違いますが、他とは一味違った極端な主張をする ところに自らがエリートであることの保証を見出しているような点は、 よく体質が似ているんですね。一部の福音派はカルト化していると 言われますが、エホバを見ているとなるほどこうなるんだなと参考に なります。
或る福は期待通り、「パウロはイエスに神性を認めてない」という主張にひっか かりましたね。頭から否定しているようですが、さてちゃんと「聖書的」に パウロがイエスを神だと認めていることばを提示してくれませんかね。 ちゃんと調べたら、なかなか提示できないことに気付くと思いますよ。 ま、伝統的キリスト教のバイアスがかかった日本語訳を調べれば、いくつか は見出せると思いますけどね。全部、バイアスをとっぱらえば消えてなく なります。 やってみますか?
公平のために言っておきますが、 ヨハネ福音書は、明らかにイエスの神性を認めており、しかも イエス・キリストを旧約のヤハウェと同一視しています。 私はイエスの神性を否定しているわけではないのです。パウロはそう 主張してない−−ヨハネは大いに認めている、と公平に見て行きま しょうといっているだけです。
福音派ってこんなやつばかりなの? だとしたら本当に終わってるね。 イエスが一番悲しむような論争をしてる気がする。 本当に君ら福音書読んでる?いや、引用するくらいなんだから読んでるんだろうけど 理解してる? イエスはもっと哀れみぶかいだろ?
>>196 は元福音派さんに対してではないことを遅れながら言っておきます
>>160 > それではオリエンタルオーソドクスは異端だとして、
> モルモン、ものみの塔は異端でしょうか、異教でしょうか?
> よく分んないんですよ。
モルモン、ものみの塔については、もはや洗礼が有効ではなかった筈ですので異教になると思います。
新興宗教がよく聖書の一部を引用しているのと同じノリですね。
オリエンタルオーソドックスは、分裂とするべきか異端とするべきかは微妙なところですが。
>>161 | 歴史的キリスト教は普遍的基本信条−使徒信条・ニケア信条・カルケドン信条−
| を受け入れ、父・子・聖霊の三位一体の神、神人両性を一人格のうちに統合する
| イエス・キリストを告白する。
↑ これって、www.linkclub.or.jp/~jea/document/archives/19950614_ehoba.htm
からの引用だったのね。つまり「エホバの証人に対するJEAの立場」という、
日本福音同盟総会での声明だ。
しかし、驚いたよ。JEAの公式の発言が自分たちの信仰の伝統について、こんな
低いレベルの認識しかしてないとはね。ちゃんと「普遍的基本信条」なるものに
ついて勉強している人はいないんだろうか?
・使徒信条を最初にあげるってのはどうかね。西方でしか通用しないものをね。
・ニケアとカルケドンしか挙げないとは、「聖霊」についての論争を経た成果
がでてこないじゃない?あるいは「ニケア」といって、「ニカイア−コンス
タンチノポリス」を指したつもりなんだろうか?
・ヒュポスタシス(ないしペルソナ)は「人格」かね?神性と人性がどのよう
になっているかを語る文脈で「人格」などと訳したら、おかしなことになっ
てしまうことに配慮しないのかね。ラフだねえ。
| 神人両性を一人格のうちに統合するイエス・キリスト
これだって随分甘い表現だと思わない? 間違いだとは言わないけどね。
それこそ「聖書信仰」の人が得意なように字義通りに読んだら、間違い
であり、「異端」だね。
「統合する」って他動詞で、文法的には「イエス・キリストが」(=主語、
つまり「統合する」という行為ないし動きをする主体)、「神人両性を」
(目的語)を自らのうちで統合するってことになるけど、そうなのか?
カルケドンにおける「信条」と呼ばれている部分をちゃんと読んで理解
した結果なのか?
そもそもカルケドン会議でどういう結論が出たかを読んだことのある人は
JEAのこの宣言を起草した委員会かなにかにはいたのかねえ。
英訳だけど挙げとくからこの際読んでみて、「カルケドン信条」なるもの
がどういう仕方で出てくるのかをこの際確認したらいかが?
http://www.piar.hu/councils/ecum04.htm
ふたたび
>>161 以上で指摘したように、いやしくもJEAの公式宣言がこの程度の認識で、エホバ
を批判するとは、目くそ鼻くそではないですか。
平信徒個人の発言なら私は何も言わない。一牧師ならまあ放置しよう。
しかしこれは一教派ではなく、たくさんの福音派が結集した団体の公の宣言なの
だ。多くの教派から、リーダーとなっている牧師たちや神学校の教師が参加して
認めた宣言のはずだ。それがこの程度のレベルなのだ。
私は改めてあきれている。本気であきれている。本気でJEAのリーダーたちに、
「あんたたち何やってるんだ!そんなことでまじめに福音派ですだの聖書信仰で
すだの、真のキリスト教は私たちですだの言えるのか?」と問い質したい。
202 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 14:23
たくさんの福音派が寄り合い所帯になった人工的な団体だからこそ、その程度の当り障りの無い宣言しか出来ないのではないかな。
203 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 14:59
ベニーヒンによると 七位一体〜 九位一体はかるくあるけどね
204 :
JEA創立宣言 :03/10/15 15:02
JEA創立宣言 混沌たる世界情勢の様相と、これに生命と光を与うべき、 内外キリスト教会一般の趨勢にかんがみ、過去四ヵ年の祈祷と熟議の結果、 「聖書をことごとく神の言と信じ、これを信仰と生活の動かすべからざる基準」 とする我らは、宣教師、邦人相携えて、ここに日本福音同盟を創立し、 厳正な聖書信仰にもとづく福音宣証のため結束し、 内に相互の交友と建徳を志し、外に広く現時代の祖国とアジアおよび 世界に仕えんとするものである。 日本福音同盟は、恵ふかき神の摂理により、 日本の福音信仰者たちの重荷とヴィジョンの中に発芽誕生したるものにて、 何ら人間的政治的、他律的な督促や慫慂(しょうおう)によるものではなく、 その今後の運営は、聖霊の導きのもとに、祈りぶかく、 一切自主、自立的になさるべきである。 右宣言する。 一九六八年四月二九日
>>202 それは違うと思いますよ。あの宣言は当たり障りのないというものでもないと思います。
例えば西方にしかない使徒信条は省く、きちんと「ニケア・コンスタンティノープル信条」と言うこと。
ただのニケア信条ではキリストは被造物ではない、永遠の存在である。父と等しく神である。
造られたとか言う輩を正統派は排斥するぞ!という内容でしかありませんから。
あと、神人両性を1人格に統合するというと、捉え方次第で異端である単性説にもなりえてしまうと思うんですよ。
いくら複数の教派だからってそのくらいは出来るでしょう?と。
206 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 19:53
>>206 いくら烏合の衆でもね、こういう声明を決定する会議に、
「こんな不正確な書き方をしたのでは、わがJEAの名がすたる。こう
直しましょう」ってなことを考える人かつ発言できる人が一人くらいは
いたっていいと思うよ。そしてもし一人がそういう発言をしたら、
これを直すのはなんでもないでしょ。すくなくとも信条のリストアップ
は単なる事実問題なんだから。
だから、一人もいなかったんだ、と推し測ってしまうね。JEAの学問
水準て、そんなもんなんだ、とね。
209 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 21:42
>>207 福音派には使徒信条が十二使徒によって残されたものだと信じている人もいるかもよ。
西方よりなのに、何故かアタナシオス信条は入れられていないんだよね。
>>209 そういう人がいるなら「使徒継承」を信じるカトリックでしょう。
211 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 21:47
>>210 カトリックでも、何時のだか忘れましたが、使徒信条はローマ教会会議で定められたものだったと認めてますが。
212 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 21:50
>>100 アリウス派って、ユニテリアン派とどう違うんですか?
213 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 21:51
>>209 >>210 福音派はさらに、旧新約聖書66巻のみが誤り無い神のことばと信じ、告白しているから、
外伝や教会会議を絶対視することはない。
教会会議は真理の再確認の意味しか持たない。
214 :
ヴォルムス国会のルター :03/10/15 21:53
1521年 ルター 4月18日 ヴォルムス国会 「私は聖書の証し、またその明白な理由から確信せしめられるのでなければ・・・・・。 というのは、私は教皇も宗教会議も信じない。それらはしばしば誤りを犯し、自己矛盾をきたしていることは明らかである。 ・・・・・私の良心は神のことばにと捕えられている。!」 「教皇は神の言葉を欠き、神の言葉にさからい、神のことばの上に立っている。」 神のことばである「聖書のみ」sola scriptura が最高の権威である。
215 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 21:53
>>210 アタナシオス信条は、一般にルーテル教会、改革・長老派教会で認められている筈なんですがね、
かなり重要な信仰の命題が含まれていますね。特に、キリストの人性における理性的意志に関して。
どの信仰箇条にも出てこないってまずいような。
東方教会では第六回コンスタンチノープル公会議の議定書などで補充しているのわけですがね。
216 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 21:56
>>213 ということは、福音派が単意説やアポリナリウス異端に走る可能性があるってことでしょうか。
217 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 21:56
>>215 どこにもアタナシオス信条を認めない、なんていってないでしょう。
リベラルじゃあるまいし。
218 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 21:56
219 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 21:58
>>217 否定するのと、オフィシャルに認めないのとは別だと認識してますが。
あなたは前者の否定しなと言っているのは分かってます。バカじゃないんだから。
重要なのはオフィシャルに認めていないってこと。
220 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 22:00
>>218 しかし、オフィシャルに認めていないのであればそうなる可能性はあるでしょ。
ネストリウス異端だってちょいちょい見られますし。
221 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 22:03
それに教会会議を絶対視しないという言い方も曖昧ですね。 教会会議にも誤謬はありえるという意味なのか、 それともオフィシャルな権限もないという意味なのか。
222 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 22:09
>>219-210 元福音派さんが問題にしている文書はエホバの証人に対してのもので、
それほど長い文章ではないしキリスト教信仰のすべてが網羅されているわけではない。
エホバの証人が異端であることが簡潔に宣言されているだけ。
福音派の立場からエホバ証人に対するさらに詳しい反論は、
いのちのことば社から出版されている『キリストの神性と三位一体-「ものみの塔」の教えと聖書の教え-』内田師
『エホバの証人の反三位一体にこたえる』ウッド師などがある。
それに日本福音同盟に加入する団体はWEB上には無い細則に同意している。
223 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 22:12
224 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 22:13
>>222 カトリックと同様に、エホ証に対して洗礼も認めないんでしょ。
異端ではなくて異教と思われ。
225 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 22:15
>>224 わけかたの違い。
異端、異教いずれにしても洗礼は有効とは言えないし、救いも無い。
226 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 22:19
>>225 そうですか?バプテスト教会のような幼児洗礼を認めない、
再洗礼を行う教会に対して、改革・長老派およびルーテル教会はオフィシャルに異端と見なしてますが。
改革・長老派からすればルーテル教会の聖体の認識は、ハイデルベルク信仰問答等で偶像礼拝として断罪していますが。
227 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 22:23
>>226 JEAに加盟する福音派には改革、長老、ルーテルも含まれている。
聖書信仰が福音派共通の恵みの絆であります。
228 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 22:24
>>227 ということは、JEAの超教派も所詮はリベラルってことで。
229 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 22:26
>>228 信仰的自由主義者は加入していない。リベラルなどとんでもない。
リベラルに対しての福音主義、
エキュメニカルに対しての福音派。
『日本の福音派』泉田師
230 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 22:28
>>226 >>228 リベラルの人たちが否定したのはキリスト神性、処女降誕、復活、再臨など根本的なこと。
これを否定したらキリスト教でなくなってしまうということ。
そのリベラルとカトリックはエキュメニカルをした。
231 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 22:28
>>229 では何故互いに異端でありながら超教派するの?
232 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 22:30
>>231 キリスト教の根本で一致してる。
JEAに改革派もアルミニウス派もいるが、これだってかつては考えられなかったこと。
しかし、信仰的自由主義、リベラリズムという共通の敵があらわれ、
キリスト教の根本を否定しだしたために共に信仰の戦いをしてきた。
233 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 22:32
>>231 異端の基準がローマ教会とは違うんだ。
マリア無原罪、共同贖罪、被昇天こそ危ないでしょう。
234 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 22:33
>>230 聖霊の位格、御父受難説の排斥、単性説および単意説の排斥、
キリストの位格の唯一性およびネストリウス異端の排斥、
マリアの終生童貞、なども入れていただきたい。
235 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 22:34
つまりはJEAも、野合という意味では、日本基督教団と大した違いはないと言うことですね。
236 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 22:35
>>232 それなら、メソジストやホーリネスも排斥するべきでは?
237 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 22:35
>>233 だからといって、ネストリウス異端の毒麦を放置していいのですか?
238 :
疲れる ◆HU7XfvOYA2 :03/10/15 22:36
>>234 マリアが終生童貞なのは改革者も証言していることだから問題ない。
239 :
疲れる ◆HU7XfvOYA2 :03/10/15 22:37
>>237 俺さんとサロメさんは明らかに異端です。何とか駆逐したいと思っている。
240 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 22:38
>>235 根本教理で一致している。
日本基督教団はイエスの神性さえ認めないリベラル、
すべての人がすでに救われているとする新普遍救済主義者の牧師が含まれる。
まったく違う。
>>232 JEA加盟のメソジスト、ホーリネス根本教理に同意している。
ニッキ教団はそうではない。
241 :
疲れる ◆HU7XfvOYA2 :03/10/15 22:38
242 :
疲れる ◆HU7XfvOYA2 :03/10/15 22:39
243 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 22:41
>>233 被昇天は正教にも伝承として残ってますが。
244 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 22:41
>>238-239 またアルミさんですか。
イエス・キリストがお生まれになったときマリアは確実に処女でした。
イエスの兄弟のとらえかたがカトリックとプロテスタントは違います。
独自の主張をしたいなら独自のハンドルを使えばいいでしょう。
245 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 22:43
>>241-242 日基教団リベラルとは違うのです。騙りはあなたでしょう。
あなたは自分で嘘をついているのをわかっていますね。
神はご存知です。
>>243 正典ではないでしょう。
246 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 22:43
>>240 メソジストやホーリネスから、アルミニウス的な要素を取り除くと、
ただの長老派や組合派になってしまいますが。
247 :
疲れる ◆HU7XfvOYA2 :03/10/15 22:44
>>243 正教は正しい伝承を伝えているよ。安心したまえ。
248 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 22:45
>>246 私は個人的に改革派神学がもっとも整合性が取れていると思うけれども、
神学は絶対ではない。
旧新約聖書66巻が基準です。
他の教会から聞く姿勢がないと、カルト化することになる。
249 :
疲れる ◆HU7XfvOYA2 :03/10/15 22:45
>>246 いや、まったくだ。排斥すべく努力しよう。
250 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 22:46
>>245 >正典ではないでしょう。
マリアの終生童貞説に関しても正典にはありません。
公会議で認められていること、または正統教理の父聖アタナシオスが認めている聖伝にすぎませんが。
聖伝の権威を認めて、なぜ被昇天を否定するのですか?
251 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 22:47
>>250 ハンドル見てください。騙りです。
マリア終生童貞を認めるプロテスタントなど存在しません。
252 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 22:48
>>250 マリアがイエス様を産んだ時は間違いなく処女でした。
253 :
疲れる ◆HU7XfvOYA2 :03/10/15 22:49
>>250 被昇天はわれわれがこれからするのだよ。
マリア様が被昇天したかどうかは聖書には書かれていないけれど
誰よりも先にされたのかもしれない。
信じたからといって信仰に触るわけではない。
254 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 22:50
>>248 >他の教会から聞く姿勢がないと、カルト化することになる。
「俺」や「サロメ」は、既にカルト化していると思われ。
あれが「福音派」かね?
255 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 22:50
256 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 22:52
>>254 だから神学的立場が違う者でも聞く用意がある、
聖書観、根本教理に一致している者が集まったのがEvangelical福音派です。
31以外異端です カルトです
258 :
疲れる ◆HU7XfvOYA2 :03/10/15 22:52
もうひとつ、大事なことを認めておきたい。 マリアは神の相続者である。 マリアはキリストの共同相続者である。
259 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 22:53
>>255 聖書に根拠が無いです。
>>253 付け足しで罪です。
あなたはなぜ嘘をつき、騙りをするのですか。
神様はご存知です。
260 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 22:55
>>256 サロメ俺さんは明らかに異端でしょう。
あれが福音派だと認めたら、福音派こそ異端ですね。
嘘は じゅっかい違反です
262 :
疲れる ◆HU7XfvOYA2 :03/10/15 22:56
263 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 22:56
>>262 嘘をつき、騙りをしているのはあなたです。
>>256 むやみやたらと聖書信仰を振りかざし、相手に対する思い遣りの欠片も無いような
断罪調のカキコを繰り返している、あの連中を喪前はどう考えているのか?
多くの人を躓かせる地獄の子が「福音派」を騙っているというのに。
265 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 22:58
>>259 >聖書に根拠が無いです。
三位一体やキリストの一位格二性の教理もね。
マリアの終生童貞説と同様、聖書と矛盾しないという消極的な理由しかありません。
266 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 22:59
>>263 あなたは、ネストリウス派俺さんを異端とは認めないのすか?
「父なる神」⇒ そんなものは存在しない。 「子なるイエス・キリスト」⇒ イエスは売春婦の私生児。 聖霊 ⇒ そんなものは幻覚。
268 :
疲れる ◆HU7XfvOYA2 :03/10/15 23:00
>>264 まったく申し訳ないことだ。すまん。何とか駆逐するからもう少し待っていてくれ。
>>265 ごもっともな意見です。
しかし 私のように 敬虔・柔和・謙遜・寛容な 健全な福音派の若きホープ リーダーもちゃんといます。
270 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 23:00
いつくしみふかき 友なるイエスは 罪のとがうれいを とりさりたもう こころのなげきを つつまずのべて などかはおろさぬ おえる重荷を いつくしみふかき 友なるイエスは われらの弱きを しりてあわれむ なやみかなしみに しずめるときも 祈りにこたえて なぐさめたまわん。 いつくしみ深き 友なるイエスは かわらぬ愛もて みちびきたもう 世の友われらを すてさるときも 祈りにこたえて いたわりたまわん。
271 :
疲れる ◆HU7XfvOYA2 :03/10/15 23:01
269→264
273 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:03
>>271 このトリップの人からも同じレスをいただきたいです。→ 疲れる ◆HC6OsWL3II
275 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 23:05
>>265 三位一体、キリストニ性一人格は聖書に根拠がある。
否定する者は異端です。
終生処女はそういう根本ではない。付け足し。
>>222 >>219-210 | 元福音派さんが問題にしている文書はエホバの証人に対してのもので、
| それほど長い文章ではないしキリスト教信仰のすべてが網羅されているわけではない。
| エホバの証人が異端であることが簡潔に宣言されているだけ。
だからあ、そういう簡潔な短い文章であるにもかかわらず、不適切なリスト
アップ、不適切な表現が含まれていること、そのことに誰も気づかなかった
らしいことを指摘しているのですよ。
わたしは詳しく書けなんて要求してません。キリスト教の歴史をかじった
大学生程度の知識すらきちんと表現できないこと、神性と人性の関係に
ついて微妙な細い線を辿ってできたような信条をラフに表現して平気で
いることを問題にしているのです。
そんなことでは、エホバは異端だと宣言しても、目くそ鼻くそではない
かと書いたつもりです。
277 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 23:11
1 聖なる、聖なる、聖なるかな、三つにいまして 一つなる 神の御名をば 朝まだき おきいでてこそ ほめまつれ。 2 聖なる、聖なる、聖なるかな、 神のみまえに 聖徒らも、 かむりをすてて ふしおがみ、 みつかいたちも み名をほむ。 3 聖なる、聖なる、聖なるかな、罪ある目には 見えねども、 みいつくしみの 満ちたれる 神のさかえぞ たぐいなき。 4 聖なる、聖なる、聖なるかな、み手のわざなる ものみなは、 三つにいまして 一つなる 神の大御名 ほめ奉らん。
278 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:11
>>275 >三位一体、キリストニ性一人格は聖書に根拠がある。
根拠ではなくて解釈の仕方でしょ。
否定すると確かに異端になりますが。
マリアの終生童貞説も信仰と道徳に関する教理ですから、
否定するとしないとでは、異端に関わる問題ですね。
もし終生童貞説が異端なら聖アタナシオスも異端になります。
私はJEAの宣言に賛同したあの牧師、この神学校教師を思い浮かべて います。「あんたらそんなことでいいのか?」と昔の仲間に向かって、 言っているのです。 リーダーたちがこういう調子だから、その宣言のしょうもなさに気づかず に、或る福だかだれだか知りませんが、何の疑問も持たずにこれを 本スレに引用して、天下に恥を晒しているのです。福音派以外のちょっと でも三位一体論について勉強したことのある人たちの物笑いの種になって いるのです。 平信徒はいざ知らず、教会の徳をたてようだの、躓きにならぬようにしよ う、羊たちを導こうだの考えている人たちは、ことばをもっと大事にし なければなりません。よく勉強しなければなりません。 狭い世界の中で、信徒たちから持ち上げられて、いい気になっていては いけない、といいたいです。
280 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 23:14
讃美歌66番 Holy, holy, holy! Lord God Almighty! Early in the morning our song shall rise to Thee; Holy, holy, holy, merciful and mighty! God in three Persons, blessèd Trinity! Holy, holy, holy! All the saints adore Thee, Casting down their golden crowns around the glassy sea; Cherubim and seraphim falling down before Thee,Who was, and is, and evermore shall be. Holy, holy, holy! though the darkness hide Thee, Though the eye of sinful man Thy glory may not see; Only Thou art holy; there is none beside Thee,Perfect in power, in love, and purity. Holy, holy, holy! Lord God Almighty! All Thy works shall praise Thy Name, in earth, and sky, and sea; Holy, holy, holy; merciful and mighty!God in three Persons, blessèd Trinity!
281 :
疲れる ◆HU7XfvOYA2 :03/10/15 23:15
>>278 まったくおっしゃるとおりだ。
私のできの悪い弟子が迷惑をかけている。許してくだされ。
282 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:16
そもそも、単意説を排斥した第六回コンスタンチノープル公会議の決議を認めて、 第五回コンスタンチノープル公会議で議決されたマリア様の終生童貞説を何故認めないのでしょうか。
>>209 etc.
どうでもいいことですが、私は
「アタナシウス信条」と呼びたいですね。たしかに人については
アタナシオスと呼びたいですが、この信条の起源からいって、なにも
ギリシア語よみすることはない、と思ってます。
この信条自体はたいしたもんではない、とつい余計なことも言って
しまいます。たくさんことばを連ねればいいってもんじゃない。
短くてしかも精確に定義する表現のほうがいい。
284 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 23:18
>>278 マリア終生処女は解釈の問題とまだいえても、処女懐胎を否定するリベラルは完全に異端。
彼らはイエス・キリストを冒涜し、マリアを侮辱している。
>>279 昔の仲間とは、悲しい文章です。
285 :
疲れる ◆HU7XfvOYA2 :03/10/15 23:18
だいたい、マリアが罪人だったら、ガブリエルが出てきて 「神の恵みに満ち満ちた方」などと言えるわけがない。 主のあがないにもあずかっていないというのに。 マリアは原罪がないと改革者たちが記録したのは正しいだろう。
286 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:19
>>280 で、あなたに答えていただきたい。
それだけリベラルと徹底して否定されるあなたに。
ネストリウス派の俺さんをどう思われますか?
異端ですかそうでないのですか?
287 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 23:19
288 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:21
>>284 で、終生童貞を認めるアタナシオスは異端ですか?
289 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:22
290 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:23
>>284 イエス・キリストは売春婦の私生児だったこらこそ
人の痛みが良く判ったとは思わないかね?
私が答えます 福音主義以外 全部ネスも俺さんも 異端です
292 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 23:25
>>288 処女懐胎を認めないなら異端。まだ終生童貞は解釈といいうる。
>>286 神学的に叙述する場合にテオトコス、と記述することが正確なことはあるだろう、
しかし、マリアを尊敬ではなく、崇拝の対象とするのは間違いであります。
>>285 全く根拠がない。マリアの両親は罪人でした。
293 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:26
マリアの両親が罪びとだったなんて聖書のどこにも書かれていないよ。
294 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:28
>>292 >処女懐胎を認めないなら異端。まだ終生童貞は解釈といいうる。
処女懐胎については書いてあることですからね。
しかし、三位一体や単性説、単意説の排斥などは解釈でしょう。
>>286 >神学的に叙述する場合にテオトコス、と記述することが正確なことはあるだろう、
>しかし、マリアを尊敬ではなく、崇拝の対象とするのは間違いであります。
あの、話を逸らさないでください。俺さんは異端かどうかを訊いているんですが。
295 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 23:28
>>293 すべての人は罪を犯した、とローマ書にある。
296 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:28
>>293 マグダラのマリアの事は書かれている。
実の母のマリアと重ねあわせているのだね。
あなたも罪びとです 悔い改めなさい
298 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:29
結局福音派は言葉尻だけの辻褄合わせなんだよな。
299 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:30
>>292 >全く根拠がない
なら、何でルターやカルビンはマリヤの無原罪懐胎を認めたの?
300 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:30
>>292 >処女懐胎を認めないなら異端。まだ終生童貞は解釈といいうる。
聖書の解釈の誤りと異端というのでしょ。何言ってるのだか。
301 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:31
>>295 だったらイエスもまったくの人だったんだから罪を犯したんだね。
302 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:31
>>295 キリストの人性を認めないのですか?キリストも人ですよ。
303 :
或る福音派信徒 ◆b0UXJ88Ngw :03/10/15 23:33
>>301 確かに人としてのイエスキリストは罪を犯しました。
しかし、神としてのイエスキリストがそれをあがないました。
304 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/15 23:33
三位一体なんて後世の教会が作り出した後付の教義。 イエスとは何の関係もないことだよ。
>>300 >処女懐胎を認めないなら異端。まだ終生童貞は解釈といいうる。
聖書の解釈の誤りを異端というのでしょ。何言ってるのだか。
306 :
或る福音派信徒 ◆b0UXJ88Ngw :03/10/15 23:35
307 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:36
>処女懐胎については書いてあることですからね 神と称する者がマリアを強姦したと書かれているのか?
308 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 23:36
309 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:36
>>303 キリストの無原罪は神性なんですね。
キリストの贖罪の功績が神性なら、死も神性においてということになりますね。
やはり福音派は異端ですね。
310 :
或る福音派信徒 ◆b0UXJ88Ngw :03/10/15 23:37
>>305 聖書に書かれていないことを付け足してはいけない
311 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 23:37
>>309 トリップ見てください。福音派はそんなこと言いません。
騙りです。
312 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/15 23:37
「異端」なんて言葉が今の世の中で有効だと信じているわけ? おめでたいやつ...
313 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:38
>>308 >イエス様は神様です。
それも解釈です。
マリア様の終生童貞という解釈も認めなさい。
314 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:38
> イエス様は罪を犯されませんでした。 キリスト教の教祖となって人類の進歩を2000年近く遅らせた これが罪。
315 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:38
316 :
或る福音派信徒 ◆b0UXJ88Ngw :03/10/15 23:38
317 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:39
318 :
疲れる ◆HC6OsWL3II :03/10/15 23:40
これはリベラルの人間イエスと同じように異端です。→
>>303
319 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:41
>>312 教会の中だけで有効と考えるべきだと考えてます。
教会の外に関しては、異端ではなく異教ですね。
疲れる ◆HC6OsWL3II さんとはその辺から話がずれているみたいで。
320 :
或る福音派信徒 ◆b0UXJ88Ngw :03/10/15 23:41
聖書のみ。これがキリスト者の取るべき正しい姿勢。
321 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:42
322 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/15 23:42
人として生まれ、生きたイエスを語ることは「異端」ですか? じゃ、福音書は異端の書ですね。 >318
323 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:43
トリップ割れたよ。簡単だった。(w b0UXJ88Ngw → #0
あずみは異端です
325 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:44
>>320 「三位一体」始め、公会議の決定は付け足しなんだな。
326 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:44
>>322 正統教理において、キリストの人性も認められているものですが何か?
327 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/15 23:44
イエス様も試みにあわれましたが、罪を犯しませんでした。 その罪の無いお方イエス様が罪の身代わりとして死んでくださり、よみがえられました。 ヘブル 4:14 さて、私たちのためには、 もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、 私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。 4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。 罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。 4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、 おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
328 :
異端がいたんだ :03/10/15 23:45
>>322 イエス様は神様。それを認めないあんたは異端だ。
329 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:47
>>325 聖書に対する付けたしといえばその通りかも。
そういう意味ではあずみさんこそ原理的。
330 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/15 23:47
>>322 福音書のイエス様はご自身を神、メシア、処女から生まれたと言われ、
処女から生まれ、死からよみがえられ、天に昇られました。
>>326 アーメン。イエス・キリストはまことの神にして、まことの人。
331 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:47
>>328 そうだそうだ
322を火あぶりにしよう!
332 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/15 23:48
イエスが神かどうかなんて、私にはどうでもいいことだって、 前から言ってること。 私はイエスが神だからイエスにしたがうんじゃないよ。 >328
333 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:49
>>330 オイオイ
キリストがどこでメシアと自称したかよ?
334 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/15 23:50
イエスが処女から生まれたんじゃなくても、復活なんかしてなくても、 イエスが神なんかじゃなくても、私はイエスという人が好きだし、イエス にしたがいたいと思うよ。
335 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:51
福音派は「聖書のみ」を唱えながら、都合が悪くなるとカトリックの公会議の影に 隠れます。 これは神と聖書に対する偽証罪です。
336 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/15 23:51
もちろん、イエスがキリスト(メシアッハ)なんかじゃなくても...
337 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:51
>>330 イエスが何時何処で自分は「神」だと自称した?
338 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/15 23:52
>>290 キリスト処女降誕は歴史的事実です。そのような考えは冒涜です。
しかし、主イエスは弱さに同情されるお方です。
>>327 古い英語のクリスマスソングに♪イエスは涙、弱さを知っていた、という歌詞がありす。
三位一体って気持ちよさそう
340 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/15 23:52
「使徒信条を認めるか?」なんてこともよく言うよ。 >335 「使徒信条」って、聖書に書いてないし...
341 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/15 23:54
処女から生まれたら神の子、メシアなんていうのは、はっきり言って 女性差別だよ。 出生によって人を差別するのは、おかしいと思う。
342 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/15 23:55
>>335 それは聖書に反しない限りにおいてです。
福音派こそ初代教会の継承者なのです。
>>337 ヨハネによる福音書8章。エゴーエイミ。
343 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:56
イエスは少なくとも、文鮮明のように「神」だの「メシア」だのと 自称するような、インチキ詐欺野郎ではなかったはずだがね。
344 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/15 23:57
>>340 使徒信條は聖書に根拠がある。
>>341 イエス様の処女降誕は歴史的事実です。
あなたは神話的に受け取り「信仰的事実として信じている」と称したが、
それではいかなる意味においても処女降誕を信じていないということではないか。
345 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/15 23:57
あんた、初代教会見てきたことあるわけ? >342 タイムトラベラーですか。
>>342 >福音派こそ初代教会の継承者なのです。
福音派の先祖はカトリックでした。
彼らはゲヘナで泣いてます。
347 :
名無しさん@3周年 :03/10/15 23:59
> キリスト処女降誕は歴史的事実 歴史学者の間で通説なのかな?
348 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 00:00
イエスの生誕を貴種生誕伝説として意味づけた古代の人々のイエス理解を、 そのまま信じることがキリスト教信仰だとは思っていないだけだよ。 >344
349 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 00:02
或る福音派信徒氏の頭の中での「歴史的事実」なのでは? >347
350 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 00:03
351 :
福音信仰者 ◆HL2fUAyECQ :03/10/16 00:03
352 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 00:04
三位一体はキリスト教の中心的な教義の1つ。「父なる神」と 「子なるイエス・キリスト」と「使徒などに下された聖霊」の3つが、 皆等しく、同一の実体である神の異なる側面(位格)であるというもの。 神は実体なのか? 神を抽象化して「純粋理性」や「絶対精神」と置き換えたカントや ヘーゲルは異端なのか?
353 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 00:04
最古の福音書であるマルコにはそんなこと何にも書いてないし、パウロだって 処女降誕については何もふれていないことを考えると、それ以降に成立した 神話(伝説)と考えることが妥当でしょう。
354 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 00:05
355 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 00:07
処女降誕を信じろというのは人間の知性や尊厳に対する冒涜 だとは思わないか?
356 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 00:08
357 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 00:08
「イエスにしたがいたいなあ」と思う人はみんなクリスチャン。 処女降誕とか復活とか昇天とか再臨とか、そんなこと信じるかどうか なんてどうでもいいこと。
358 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 00:09
ファンダメンタリストというのは、もともとそういう人たちです。 >355
359 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 00:10
>>357 リベラルというのは、もともとそういう人たちです。
>>処女降誕とか復活とか昇天とか再臨とか、そんなこと信じるかどうか
>>なんてどうでもいいこと。
360 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 00:12
>パウロだって処女降誕については何もふれていないことを考えると、 ルカは、パウロに同行した医者、ルカによる福音には、処女降誕について 書いてある。パウロとルカは一致しているよ、きっと。
361 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 00:12
イエスがこの世に来たのは、人々を解放するためで、ユダヤ教の律法や キリスト教のドグマに縛りつけるためじゃなかったはず。 そのことをよく考えようね。
362 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 00:13
>「イエスにしたがいたいなあ」と思う人はみんなクリスチャン。 >処女降誕とか復活とか昇天とか再臨とか、そんなこと信じるかどうか >なんてどうでもいいこと。 どうでもよくないことばかりをどうでもよいことにしてはだめジャン!
363 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 00:14
>>361 イエス様は人を何から解放するために来られましたか?
罪と悪魔の支配からです。
364 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 00:15
それはあなたの解釈。 処女降誕についてパウロとルカとが一致していると言うなら、一致している 聖書の個所を示すべきです。 >360
365 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 00:16
それもあんたの解釈。 >363 もっときちんと福音書を読もうね、ボク。
イエスが権力をもったのは周りのものや彼自身が神の声に従い、 かなりよい理解を行ったからです、 しかし、神の声は難解にして深遠です。理ある者は罪や悪魔を もう一度捕らえなおすのもよいでしょう。
367 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 00:18
368 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 00:20
読んでるけど、それがどうかしたわけ.... >367
369 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 00:20
>イエスがこの世に来たのは、人々を解放するためで、ユダヤ教の律法や >キリスト教のドグマに縛りつけるためじゃなかったはず。 >そのことをよく考えようね。 良く考えるべきは、あなたの方かもよ。 マタイ5章17節 「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。 廃止するためではなく、完成するためである。 1テモテ1章9節 すなわち、次のことを知って用いればよいものです。律法は、正しい者のため に与えられているのではなく、不法な者や不従順な者、不信心な者や罪を犯す 者、神を畏れぬ者や俗悪な者、父を殺す者母を殺す者、人を殺す者、みだらな 行いをする者、男色をする者、誘拐する者、偽りを言う者、偽証する者のため に与えられ、そのほか、健全な教えに反することがあれば、そのために与えられ ているのです。
370 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 00:23
神と隣人への愛に満たされていないところには、律法が必要なのかもしれないよ。 神を愛し、人を愛する、この事によって神の国が我々の間にあるのだとすれば、 律法よりもただ愛から出る行いが尊い真実なのかも知れないけれど。
371 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 00:24
マタイによる福音書はユダヤ人キリスト教の立場から書かれているから、 そこに描かれているイエスは律法を重んじる人として描かれていることを お忘れなく。 テモテへの手紙はパウロの数世代後のパウロ主義者によって書かれたもので、 イエスとは何の関係もないし、そこに書かれているのは、1世紀から2世紀 ころはやった通俗的な「善悪表」にすぎないよ。 >369
イエスは本当に来たのだろうか。 透明な輪郭だけの存在が動いていたのでは無かったのだろうか。 神、宇宙人、霊魂。それらの正体はこの運動する輪郭ではないだろうか。 エネルギーの粗密による紋様こそが神の声ではないだろうか。
373 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 00:28
>>371 それはリベラルの解釈。テモテへの手紙はパウロが書いたのです。
Tテモテ
1:1 わたしたちの救い主である神とわたしたちの希望であるキリスト・イエスによって任命され、キリスト・イエスの使徒となったパウロから、
1:2 信仰によるまことの子テモテへ。父である神とわたしたちの主キリスト・イエスからの恵み、憐れみ、そして平和があるように。
374 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 00:32
当時はパウロの名前を弟子たちが使って文書を書くことを、別に悪いこととは 思っていなかっただけ。牧会書簡に前提されている教会の姿はパウロの時代より もかなり整備されていることからも、パウロの時代よりも数世代後に書かれた ものとすることが妥当。この見解は新約聖書学をかじったことのある人なら、 誰でも同意すること。 >373
375 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 00:33
>>374 >>この見解は新約聖書学をかじったことのある人なら、
>>誰でも同意すること。
自由主義神学、リベラル神学に同意する者ならね。
福音主義、福音派はそうではない。
376 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 00:34
ファンダメンタリストの神学校じゃ、こんな初歩的なことも教えないわけ? >373
377 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 00:35
「新約聖書略解」でさえ、このくらいのことは書いてあるよ。 >375
378 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 00:36
なお、こういうことは神学というより「新約聖書学」では? >375
379 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 00:36
パウロは、ルカについて『愛する医者』と表現し、いろいろなとこで彼に 言及している。そのルカは、パウロを良く知っていたし、パウロが派遣される 際にペトロとヨハネに手を置かれたことも交流があったことも知っているだろう。 【 ガラテヤ2章9節 また、彼らはわたしに与えられた恵みを認め、ヤコブとケファとヨハネ、つまり 柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手 を差し出しました。それで、わたしたちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々 のところに行くことになったのです。】 ルカ福音書に書かれている福音は、使徒とパウロの考えに基づいていると言って も過言ではないと思われる。 【 コロサイ4章14節 愛する医者ルカとデマスも、あなたがたによろしくと言っています。 2テモテ4章11節 ルカだけがわたしのところにいます。マルコを連れて来てください。彼は わたしの務めをよく助けてくれるからです。 ピレモン1章24節 わたしの協力者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしく とのことです。】 ルカは、イエスの誕生について、次のように触れている。 【 ルカ1章27節 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめ(パルテノン[処女])のところに遣わされた のである。そのおとめ(バルテノウ[処女])の名はマリアといった。】
380 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 00:39
パウロ自身が処女降誕について何か言及した個所はありますか? >379
381 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 00:40
なお、コロサイ書は偽パウロ書簡ですよ。 >379
382 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 00:41
383 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 00:43
新約聖書学者のほぼ一致した見解です。 >382
マリアが処女ならヨセフは童貞ではないだろうか。 その答えも神の声の中にあるのだろう。
神の声は一致しない。それは神の声が揺らぎであるからである。
386 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 00:49
387 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 00:52
>>381 というか、聖書は全部教会の著書ですよ。すなわち伝承の一部。
388 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 00:52
>マタイによる福音書はユダヤ人キリスト教の立場から書かれているから、 >そこに描かれているイエスは律法を重んじる人として描かれていることを >お忘れなく。 それなら、共観福音書3書が皆挙げているイエスの律法に対する姿勢がわかる 個所をそれぞれの福音書からピックアップするよ。イエスの律法を大切にしている こととその判断は、マタイ福音書以外の福音書の記述からも読み取れるんだよ。 【 マタイ5章32節 しかし、わたしは言っておく。不法な(ポルネイアス[売る、姦淫])結婚でもない のに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁 された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。 マルコ10章11節 イエスは言われた。「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪 を犯すことになる。 ルカ16章18節 妻を離縁して他の女を妻にする者はだれでも、姦通の罪を犯すことになる。離縁 された女を妻にする者も姦通の罪を犯すことになる。」】 つまり、イエスは時に律法以上に律法の精神を大切にし、厳しい律法の本来 の意味を解説する。イエスはマタイ福音書によらずとも、律法から話をはじめ、 律法の本来の意味を明らかにする。その内容が時に、厳しいものであったとし ても、それはイエスがおっしゃられたことだから無視できないのではないだろうか。
389 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 01:02
イエスの時代、女性は男性と同じ権利を持つものとして扱われていない現実が あったからこそ、イエスは女性と同じ視点からそうした差別に満ちた社会を告発 するために、ユダヤ教の律法を逆手に取ったということではないでしょうか。 なお、あなたが示した個所を見ても、マタイとルカがマルコをどのように改変して いるかがよくわかって、興味深いです。 >388
390 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 01:06
>>389 改変した?ユダヤの律法を逆手に取った?リベラルの解釈はすごいね。
391 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 01:06
>パウロ自身が処女降誕について何か言及した個所はありますか? >379 新約聖書がパルテノスという処女を意味する言葉を使用しているわけ。 パウロ自身は処女降誕どころかイエスの母の活動やイエスの誕生について触れている 個所さえ見つけられないと思うよ。たとえば「パウロはどこそこでイエスの誕生に 触れているのですが、マリアが処女であったことには言及されていません。」という 指摘があなたに出来ますか?パウロが話題にもしていないマリアとイエスの誕生を パウロが処女降誕に触れていないなどと主張する根拠にされるのは筋違いですよ。 パウロは、イエスの誕生について触れません。しかし、パウロに同行したルカは、 きちんとマリアとイエスの関係、イエスの誕生の次第に触れています。ルカの 記述をパウロの考えと同じとするほうが、考え方としては現実的ですね。 ちなみに、ルカの聖体の制定についての説明は、パウロ書簡の中にあるその説明 と殆ど同じです。このような大切な部分においてイエスに対する見解が一致している のですから、イエスの誕生に対する理解も一致していたと見るのが常識的な判断 だと思いますよ。 【 ルカ22章19節 それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに 与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。 わたしの記念としてこのように行いなさい。」 1コリント11章24節 感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。 わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。】
392 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 01:08
>>391 当然の前提だったから言及しなかったとするのが自然。
393 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 01:12
聖書は教会の著書なんだから、教会の解釈に従うのが当然。 そういう目的に書かれたものなんだから仕方がない。
394 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 01:12
パウロはそんな伝説は知らなかったから、書いていないとするのが自然です。 ちなみに、パウロの時代には「新約聖書」などというものは存在していなかった こともお忘れなく。
395 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 01:14
>>394 そうですね。何故なら新約聖書は教会の著書だから。
396 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 01:14
>>394 新約聖書の一部が存在していました。
伝説って?処女降誕が歴史的事実で無くって伝説ってこと?すごいね。
397 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 01:16
確かにその後「新約聖書」となる文書の一部は存在していましたが、 その時点ではそれらの文書は「聖書」として取り扱われていたわけでは ありません。 >396
398 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 01:18
>>397 神的権威があると確認されたものが正典と認められました。
399 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 01:19
>>397 教会が正典と定められない限り、それらの書物が聖書としての意味はないからね。
現在は福音書が会堂で読まれてますが、当時はもっぱら旧約が会堂で読まれていたんでしょうね。
400 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 01:20
神的権威があるかどうかは知らないけど、最終的な正典結集が行われたのは 4世紀になってのこと。パウロの時代とは関係ないよ。 >398
401 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 01:21
>>398 聖書は権威の承認をもって読む人がいない限り、正典としての意味はないよ。
402 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 01:21
>>399 正典が正典として認められたのは教会の勝手な決定によったのではありません。
聖書自身の内的証明によります。『聖書の教理』
403 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 01:21
それも、70人訳のタナハが... >399
404 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 01:23
はいはい、聖書自身の内的証明かどうかは知らないけど、正典結集は 4世紀のこと。 >402
405 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 01:25
>>403 だから、七十人訳聖書が新約書物に引用されているんですよね。
406 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 01:27
さあ、寝よう。 おやすみなさい。
407 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 01:27
そもそも原語主義というのが間違っているわけで、 マソラ本文にもアラマイ語の書物が混じってますよね。
408 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 01:28
今、新約聖書で、処女・童貞を意味するパルテノスという言葉を使用している 個所を調べてみました。参考にその個所を挙げておきます。 マタイ 1:23 25:1 25:7 25:11 ルカ 1:27 使徒言行録 21:9 1コリント 7:25 7:28 7:34 7:36 7:37 7:38 2コリント 11:2 黙示録 14:4 これだけ多くの聖書個所に「処女」が使われているので、マリアに関して処女 という言葉を使うのが間違いであるというのも不自然です。第一、ペトロ、ヤコブ、 ヨハネ、パウロ、ルカ、などの福音書や書簡を書いた人たちは、イエスもマリアも 直に知っていたでしょうから、イザヤ書の翻訳を間違えたのだとしてその言葉「処女」 を主張するのはあまりにも的が外れているような気がします。
409 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 01:31
>>402 >聖書自身の内的証明によります。『聖書の教理』
そんなこと、コーランだって同じです。
コーランの本文中にも、コーランは正しいということが「内的証明」として述べられています。
教皇の不可謬権と同じだわな。
またやってたのか… あんたたち、ほんとに馬鹿でしょ…
411 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 01:32
すくなくとも、パウロはイエスもマリアも知らないと思うよ。 >408
412 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 01:36
アラム語とヘブライ語は親戚じゃないですか? 原語主義という言葉をどのような意味で仰っているのかはわかりませんが、 大事な言葉は、原語のニュアンスを一つ一つ伝えて、その上でこのような 訳を選択したとかこのような訳になったとかいう翻訳の過程を明記すべき でしょう。原語の単語に含まれる使われ方やニュアンスというものを説明 せずに、原語の文章に脚色するような訳は、映画や小説ならいざ知らず、 聖書に関しては不必要です。
413 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 01:38
>>412 アラム語は異邦人の言語だよ。同じセム語ではあってもね。
ヘブライ文字も異邦のフィニキア文字からの引用だけどね。
414 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 01:41
>>412 >大事な言葉は、原語のニュアンス
その通り。原語自体に何の権威もないです。
伝承が意味として後世に伝わればいいのです。
何故なら、聖書(霊感書物)とは御言葉を証しする書物のことであって、
聖書そのものが御言葉ではないからです。
415 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 01:42
ヘブライ語はイエスの時代の前からすでに民衆語ではなくなっていて、 宗教的な儀式などでしか用いられない言葉になっていたということ。 だから、ユダヤ教の礼拝においても、通訳がヘブライ語の聖句をアラム語 に翻訳していたと言われます。そうしないと、民衆にはヘブライ語は すでに理解できない言語となっていたからです。
416 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 01:43
>すくなくとも、パウロはイエスもマリアも知らないと思うよ。 >408
言葉尻を捉えないでください。たしかにパウロは姿は見えないけれども
イエスの言葉と確信するヘブライ語での呼びかけを機に回心し、福音を
宣べ伝えるようになるのです。パウロこそ逆に、霊に満たされて、イエスの
ことを良く知る人物と言えるかもしれない。パウロはヨハネを通じて、
マリアのことも良く話しを聞いていたかもしれない。
とにかく、イエスとマリアを直に知っていたのはペトロ、ヤコプ、ヨハネ
などの使徒かもしれないが、
>>408 で挙げた人物は互いに交流があり、
生の接点を持つ時代を生きた人たちなんだから、そのことを良く考える
必要はある。
417 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 01:45
キリスト教は少々大きくなりすぎたカルトっていうだけで 言ってることもやってることもカルトと変わらん。
418 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 01:46
それはパウロが勝手に言っていることで、信憑性については控えめに言っても かなり疑問が残ります。ちなみに、パウロとエルサレム教会とはかならずしも 親密な関係ではなかったことは、パウロ書簡からも明らかです。 >416
419 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 01:47
原語主義なんて重箱の隅を突っつくような聖書の学術的研究のネタを増やしただけ。 もともとの神学には無かったことだと思います。
420 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 01:47
>その通り。原語自体に何の権威もないです。 そんなことはあなたの勝手な理解で、自分は原語自体に非常に重要な 意味が隠れているということを述べているのですよ。 原語に触れる中で、本当の意味で霊の語らせるままに書かれた聖書の 本来のニュアンスが、全体としても浮き立たされて来るのだと思いますね。
421 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 01:47
422 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 01:48
「マリアが処女」なんて言ってるのは、その宗教がインチキである 証拠だとは思わないのかね?
423 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 01:49
と、ご本人は言ってます。 >421
グレゴリウス1世も、信仰は言語規則で縛られるものではないと言っています。 これは、教会において後期ラテン語の使用を批判し古典ラテン語を支持する保守派に対して言われた言葉です。
425 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 01:50
>>423 歴史的キリスト教会はその事実を確認してきました。
426 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 01:52
>>420 > そんなことはあなたの勝手な理解で、自分は原語自体に非常に重要な
>意味が隠れているということを述べているのですよ。
それで生業を立てている人にとっては大切かもね。
428 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 01:52
まあ、パウロほどキリスト教にいい意味でも悪い意味でも強い影響を与えた人は 他にいないことは事実。イエス以上にね.... >425
429 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 01:53
笑った! >427 山田君、座布団2枚持ってきて。
430 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 01:53
>それはパウロが勝手に言っていることで、信憑性については控えめに言っても >かなり疑問が残ります。 パウロのことを「パウロが勝手に」というあなたは、どれほどの信憑性のある 根拠をもってパウロの言葉に向き合っているのです? >ちなみに、パウロとエルサレム教会とはかならずしも >親密な関係ではなかったことは、パウロ書簡からも明らかです。 パウロは、パウロなりにイエスから直接言葉を授かり、使徒ともルカとも ともにイエス・キリストを宣べ伝える者となった人です。聖書から、 「エルサレム教会とはかならずしも親密な関係ではなかったことは、パウロ 書簡からも明らかです」などとパウロについて読み解くのは非常に不謹慎で はないかと思いますが、そのよう受け取らなければならないような記述 を自分は思い浮かべることが出来ないので、具体的にその個所を指摘ください。
431 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 01:58
>>428 パウロはイエス様ご自身から啓示を受けたのです。
432 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 01:59
パウロ書簡の中に「異なった福音をのべ伝える人たち」が出てくるけど、 この人たちはエルサレム教会からやってきたという考え方もあるんだよ。 あんた、もっときちんと批判的に聖書を読んだ方がいいよ。 >430
433 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 02:00
はいはい、それはよかったね。おめでとう... >431
434 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 02:00
マジ、寝よう。
435 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 02:01
>>432 それは恩寵に律法を付け足す、ユダヤ主義者に対して言われたことです。
" Christianity & Liberalism" by J. Gresham Machen (1881-1937)
tp://homepage.mac.com/shanerosenthal/reformationink/jgmculture.htm
436 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 02:03
エルサレム教会はユダヤ主義的ではなかったとでも? >435 あんた、もっと勉強した方がいいよ。
だから、福音派とリベラルで話し合ったって時間の無駄だって なんでわかんないかな?この若者たちは。
438 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 02:09
>>436 But what was the difference between the teaching of Paul and the teaching of the Judaizers ?
What was it that gave rise to the stupendous polemic of the Epistle to the Galatians?
To the modern Church the difference would have seemed to be a mere theological subtlety.
Paul certainly was right. The differences which divided him from the Judaizers was no mere theological subtlety,
but concerned the very heart and core of the religion of Christ. "Just as I am without one plea,
But that Thy blood was shed for me"—that was what Paul was contending for in Galatia;
that hymn would never have been written if the Judaizers had won.
And without the thing which that hymn expresses there is no Christianity at all.
"Christianity & Liberalism" by J. Gresham Machen (1881-1937)
tp://homepage.mac.com/shanerosenthal/reformationink/jgmchrandlib.htm
439 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 02:10
>この人たちはエルサレム教会からやってきたという考え方もあるんだよ。 >あんた、もっときちんと批判的に聖書を読んだ方がいいよ。 >430 解釈の可能性ばかりを追っていると、聖書の表面的な文字を追って聖書の中身 があなたの中に入りませんよ。聖書と神を信じる人と、その人々の交流がね、 聖書批判ばかりであったら、そこには何があるのでしょうか?聖書を信じない、 聖書を信じる人を信じない、聖書は批判的に読み解くための書、などと言って いて、キリスト教を信じているなんて言うことは出来ないと思います。 つまり、聖書は批判的に読む必要のない書物です。聖書の意味を明らかにする 必要はあるでしょうが。
440 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 02:14
> 聖書は批判的に読む必要のない書物です カルトだという告白か?
441 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 02:24
>カルトだという告白か? 逆では?カルトは、聖書を否定したり自由解釈して、キリスト教をゆがめているものです。
442 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 02:25
439もひとつの信仰の仕方だけれど あずみはあずみで信仰してるんだろうな
443 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 02:27
だから、もういいじゃないの、言い合わなくても。 それぞれの方法で勉強して立派なキリスト者になってください。
444 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 02:33
>>441 うぅーん。キリスト教徒と言うカルトでないというのは
オカルトを信じろってことなのか。日本人の常識と反対だね。
切り落としたはずの耳が生えたり、食物が空から降ってきたり
水の上を歩けたり、死人が蘇ったり。
それらの不合理、非常識を全て文字通り信じているの?
445 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 02:43
>>444 Evangelical福音主義、福音派は聖書通り信じる。
リベラル、自由主義神学の立場の者は信じない。
446 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 02:46
>>445 俺の親戚連中はたいてい改革派らしいのだ。
改革派はそのどちらに属するのかね?
447 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 02:55
>>445 もっとも固い改革派は超教派の交わりもしない。
改革派神学を絶対視する立場からリフォームドに対して、アルミニウス派を福音主義と呼ぶこともあった。
JEAに加盟、協力する改革派は間違いなく福音派。
リベラルではない。
この著作は改革派の大神学者メイチェンがリベラルに対して福音の真理を弁証したもの。
翻訳は『キリスト教とは何か-リベラリズムとの対決』by メイチェン いのちのことば社
" Christianity & Liberalism" by J. Gresham Machen (1881-1937)
tp://homepage.mac.com/shanerosenthal/reformationink/jgmculture.htm
またメイチェンの同僚の改革派神学者である、ウォーフィールドB. B. WARFIELDの
『聖書の霊感と権威』は福音派にとって歴史的著作。
tp://homepage.mac.com/shanerosenthal/reformationink/classic.htm
448 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 03:05
はて? いつからここはリベラルと福音派について論議するスレになったのか? 三位一体について語れよ
449 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 03:11
>>448 自称福音派は、キリスト教関係スレの機能麻痺を図る悪質な荒らしです。
あの団体の命を受けたチンピラだと思われ。
450 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 03:24
なぜイエスがただの預言者でなく神の子なんだ? なぜ聖書がただの書物じゃないんだ? それはまったく政治的な理由によるもので,三位一体なんてうそ。 神を遠ざけてるだけ。 イエスのように誰でもなれる、というようにしたくなかった人がいたんだろ いいかげん偶像崇拝やめろよな。聖書に書いてあるんだから。
451 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 04:06
>>447 スンダル・シングというインドのクリスチャンの本を読んだ者です。
この方についてはどう評価なされていますか?
452 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 04:08
>>445 スンダル・シング(サンダーシング)というインドのクリスチャンの本を読んで
感動し、イエスに導かれました。今カトリック教会に行こうか
プロテスタントにしようか悩んでいます。
でも、この方は聖公会なので聖公会にしようかなとも。
教会を決めかねて困っています。
スンダルシングについてどう評価なされていますか?
453 :
或る福音派信徒 ◆byBwOqLPB6 :03/10/16 04:13
>>452 インド教との混交、多元主義者の異端です。
悔い改めてください。
福音的な教会をお勧めします。
454 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 04:16
ナザレの人イエスはユダヤ人でありながら異邦人にも優しい心の広い人でした。 神は異邦人も見捨てないと説き、新しい神の見方を示した革新的な”ユダヤ教徒"でした。 聖書(へブル/アラム語)の内容を新しい見方で解釈し、人々に伝えた彼は、まさに 神の子と呼んでも”ふさわしい人”でありましょう。 が、それでも彼は最期までユダヤ教徒でした。
455 :
或る福音派信徒 ◆byBwOqLPB6 :03/10/16 04:19
>>454 異端は氏ね。
イエス様は神様だ!
人間に引き摺り下ろすあんたは地獄行き。
顔洗って出直して来い!
456 :
或る福音派信徒 ◆byBwOqLPB6 :03/10/16 04:20
>>454 キリストはユダヤ教徒ではない。神の子だ。異端を説くならほかでやれ。
457 :
或る福音派信徒 ◆byBwOqLPB6 :03/10/16 04:26
キリストは宇宙創造主だ。 父なるエホバと子なるイエスと霊なる助けぬしは3人一組の神である。 それを信じないリベラルは聖書を読む四角なし。
458 :
或る福音派信徒 ◆byBwOqLPB6 :03/10/16 04:32
宇宙が創造されたのはBC4000年だ。 最初の4000年が父の時代。 次の2000年が子の時代。 これからのミレニアムは聖霊の時代だ。
459 :
或る福音派信徒 ◆byBwOqLPB6 :03/10/16 04:35
千年王国は未来のいつか来るというものではない。 すでにもう来ているのだ。 突然始まるものではない。 徐々に知らないうちに始まっている。 キリストの再臨はすでに始まっている。 ペンテコステ運動の聖霊降臨という形でとっくに来ている。
460 :
或る福音派信徒 ◆byBwOqLPB6 :03/10/16 04:45
父なるエホバと子なるイエスと聖霊は3人でもひとりだ。
461 :
或る福音派信徒 ◆byBwOqLPB6 :03/10/16 04:54
正三角形を思い浮かべよう。 正三角形の3辺はみな違う色に塗られている。 父の辺は赤く 子の辺は黄色く 聖霊の辺は青く塗られている。 父の辺から見ると三角形は赤く見える。 子の辺から見ると黄色く見える。 聖霊の辺から見ると青く見える。 だが別々のものではない。ひとつの三角形である。
終わってるなぁ・・・
イエス・キリストがまことの人にしてまことの神である。 三位一体は正しい。 →キリスト教徒的には当然なんだけど。
464 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 08:05
三位のうち「聖霊」が一番、門外漢にはわかりにくい。 「聖霊」とは何ぞや_ 1.幽霊みたいな 2.霊魂 3.自然力 4.エンジェルのこと 5.、、 、、、
>>464 愛すべき者から、愛されるべき者に降り注がれるもの...と言うべきか...
466 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 08:23
5.超自然的力 6.人間に備わっている神に近い部分 7.目に見えない法則のようなもの 8. 超自然的実体との親和力 9. 人間を取り巻く説明不可能な力の場 10.
467 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 08:48
>>463 もちろんそう。
>>451-452 福音派が認めることはないでしょう
ここでなりすまして汚いことばを使っているのは騙りです。→
>>453-461 しかも
>>458-459 で千年王国はもう来ている、などと言っていますが、
福音派の聖書解釈ではありません。
当然のことながらイエス・キリストの再臨はまだ来ていません。
468 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 09:00
469 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 09:23
>>468 アメリカ福音派と日本の福音派は違います。
ブッシュの支持基盤はファンダメンタリストだけではありません。
信仰的なリベラルは聖書を差し引いて再臨自体を否定することがありますが、
再臨はすべてのキリスト者の待ち望む日です。核戦争を待望しているわけではありません。
470 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 09:25
>>468 ファンダメンタリストの語はここから来ますが、
これは福音主義キリスト教のファンダメンタルズな根本真理のことです。
なおファンダメンタリズムの訳語として相応しいのは根本主義であって、
原理主義はマスコミなどが使う蔑称です。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/2431/evangelical.html ドイツ神学に対して聖書を防衛するために、
保守的なクリスチャンたちは全五巻からなる護教の書を発行しました。
第一巻は、キリストの処女降誕の擁護。
第二巻は、キリストの奇跡の擁護。
第三巻は、キリストの贖罪死の擁護。
第四巻は、キリスト復活の擁護。
第五巻は、キリスト再臨の擁護。
この五巻の書は、全世界の主要な神学校に無料で寄贈され、
聖書の真理の防衛のために役立てられました。
この書を題して『ファンダメンタルズ』すなわち、キリスト教の根本真理、と言ったのです。
これからはじめて、ファンダメンタリストという呼称が誕生しました。
その意味は、キリスト教の根本真理を保持する人、の意味です。
ファンダメンタリストの特徴は、聖書に書いてあることはすべて歴史的事実だと信じ切っているところ
……これこそこの二十世紀末において真に稀有なことなのですが
……疑わずに信じているのです。
-------------------------------------------------------------
471 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 09:30
>>468 キリスト者が待ち望むのはイエス・キリストの再臨です。
黙示録 -----------------------------------------------------------
21:1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
21:2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、
神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。
21:3 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。
「見よ。神の幕屋が人とともにある。
神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、
21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。
もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。
「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。
「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
21:6 また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。
わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。
21:7 勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。
------------------------------------------------------------------
472 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 09:33
神が在るというのと、紙が有るというのとは異なる。 神は空間・時間を超えた存在だから。 三位一体は間違っていない。
473 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 09:45
三位一体が理解出来ないのは、神を被造物と同じ次元で とらえようとするからでないの? ヨハネ 10:30 わたしと父はひとつである。 ヨハネ 10:38 父がわたしの内におられ、わたしが父の内いることを、 あなたは確かに知るであろう。
あるさん、おはようございます。
>>468 キリストの再臨は、神によって創造像された世界の完成です。
よく誤解されていることですが、世界の終末=滅亡、ではありません。
もちろん、核戦争によって世界が滅亡することを望んでいるわけでもない。
完成としての終末が、いつ、どのような形で到来するかは、誰にも分かりません。
ですからキリスト者は、いつそれが来ても良いように、
その日その日を、神から与えられた使命を果たしながら、精一杯生きるのです。
…でも、現実はなかなか…(^^;;
人間は、被造物なので、創造主なる神の全体を知ることは出来ません。 その一部を知るのみです。 しかも、考えて分かるのではなく、神が啓示してくださったところでしか、 知ることは出来ないのです。 その啓示が、聖書です。 聖書を通して私たちは、神がどのようなお方であるかを知るわけですが、 三位一体についても、聖書を通して知ることが出来る、と私は信じています。 聖書の中の三位一体については、このスレの上の方に書きました。 レス番号が分からないけど。。。
476 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 09:55
新約聖書によれば、キリストの再臨はイエスが生きていた時代の人々が 既に経験していなければならない。 ところが、彼らはそれを目撃することなく死んだ。 本当の意味は隠されていると見たほうがいいように思うが。
>>476 より厳密に言うと、福音書ですね。特にその中の、主イエスの言葉の中に、
そのように読める御言葉がありますよね。
しかし、全く別の読み方もあるわけで。
そういう意味では、本当のところはまだ誰にも分からない、というべきでしょう。
ただ、私たちが生きている世界には、始まりがあり、終わりがあると聖書は示しています。
ですから、本当の意味は、終末が到来した時に、明らかになると思います。
これも、聖書が語っていますね。
478 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 10:05
1+1+1=1 これが三位一体。 キリスト教の信者は、数学には弱い 勿論、そういいうナンセンスを信じる人達は科学,論理,啓蒙,進歩 とは相容れず、血戦をもって反対者と戦った。 その結果、2000年の長い年月人間社会で拷問と虐殺の血の流した。
480 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 10:17
まあ、10億年後には地球が太陽に呑み込まれるらしいからそん時かも しんねえし、宇宙全体がブラックホールになる時かもしんない。 まー、イエスが生きていた時代の終末とは、ローマによるエルサレム陥落 の事だろう。イエスの再臨とは、キリスト教徒をキリストの体に喩えてい ることから、キリスト教が世界に拡がってゆく事をさしていると思うつう か、それに違いない。最後の晩餐の場面でイエスの言った言葉。
481 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 10:21
>>478 1+1+1=3
これが成り立つのは、体積とか質量とか時間とか距離とかいったもんだよ。
神はこれらと違いますって。
482 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 10:22
>>478 1+1+1=3ですよ。位格においてはね。
本性においてはもっぱらあくまで1です。
483 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 10:25
>>481 いいえ。三位一体の教理においても1+1+1=3は成立ってますよ。
1+1+1=1なんていうと、かえってサベリオス異端になってしまう。
1なのはあくまで神の本性。これを3というと三神論になってしまう。
484 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 10:27
キリスト降誕以前はどうっだったの? 位格(何なんだろ?)は1+1=2 かい。 本性においてはもっぱらあくまで1なんだね。 本性(何なんだろ?)はキリスト降誕に関係無してわけかい? 無駄なものを誕生させたものだ。
足し算で考えるから、わけわかんなくなると、ヲイラは思うのだが。
486 :
CI Asia ♥ :03/10/16 10:34
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1+1+1=1 1+1+1=3 1+1+1=2と1 で何?
>>418 ことば尻をとらえるようですが、発言者がほかならぬあずみさんですから、ちょっかい
を出しておきましょう。
| それはパウロが勝手に言っていることで、信憑性については控えめに言っても
| かなり疑問が残ります。
これは
>>416 の
| 言葉尻を捉えないでください。たしかにパウロは姿は見えないけれども
| イエスの言葉と確信するヘブライ語での呼びかけを機に回心し、福音を
| 宣べ伝えるようになるのです。
に対するレスだと思いますが、
416は、パウロ書簡ではなく、使徒行伝を典拠にしてこういってます。パウロ
自身の残存することばからは、このような内容は読み取れません。そして、
あずみさんもご承知の通り、使徒行伝は自分たちの思想に都合のいいように、
パウロの言動にかなり脚色を加えていると推定されます。
もっともあずみさんもそれはご承知の上で、使徒行伝におけるパウロ回心の
3つの記事が相当程度パウロに遡る資料を使っていると考えて、418のような
書き方をしたのかも知れませんが。
阿修羅マンは3方向からそれぞれのみると別人。 しかし実際は1人。それと一緒。 いや乱暴な言い方だってのはわかってます。
>>461 福音派と称する異端はけーん!
いやいや、或る福は他人のことを「異端異端」と裁いているけれど、自分だって
サベリウス主義の異端じゃないの!
491 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 10:43
>>488 使徒行伝に脚色があるって、元福音派さん、いったい何言ってるの?
そんなこというのリベラルじゃんか。
旧新約聖書66巻は原典において聖霊に霊感された誤り無い神の言葉です。
これは福音派の当然の前提のはず。
492 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 10:43
コンピュータネットワークで使われる 「ルータ (経路制御機)」 という機器がある。 複数のネットワーク同士を相互接続するのに使われ、 1台の機械に複数のケーブル差込口(ポート もしくは インタフェース)が設けられている。 各ポート(インタフェース)には通常、それぞれ別個の識別子 (アドレス) を設定し、 おのおのが別個のネットワークを担当する。 あるポート(インタフェース)受信したデータを、決まりに従って別のポート(インタフェース)から 送出するのが基本機能だ。 各ポート(インタフェース)はそれぞれ独立の存在であるが、1台の機器の中で協調して動作する。
493 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 10:44
>>490 トリップ見てください。それが彼の目的です。騙りです。
494 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 10:44
>>487 だからよ、論理和をとるんだわ。
つまりだな、
0+0=0
0+1=1
1+0=1
1+1=1
これが基本法則。
んで、
1+1+1=1+(1+1)=1+1=1
簡単だろ。
495 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 10:47
>>484 >キリスト降誕以前はどうっだったの?
>位格(何なんだろ?)は1+1=2 かい。
降誕前から位格は3ですよ。
>本性においてはもっぱらあくまで1なんだね。
>本性(何なんだろ?)はキリスト降誕に関係無してわけかい?
降誕前から御子(=御言葉)は他の御父と聖霊の位格と共に唯一の神の本性を共有してましたよ。
>無駄なものを誕生させたものだ。
いいえ。御子の位格だけが、神の本性の他に、降誕後には人間の本性を取られました。
496 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 10:48
>>490 ここでちゃんと言っているじゃんか。
>>467 エホバの証人の水、水蒸気、氷の 説明が様態論サベリウス主義の異端の説明にしかならないことは、
尾山師がよく言われるし、それぐらいわかってる。羊群でも一年ほどか異端の連載をしていた。
497 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 10:49
>>494 それも違うと思います。ペルソナもナトゥラもブール代数で扱うものではありません。
498 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 10:49
499 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 10:51
>>497 どこが、どう間違ってるのか説明きぼん。
>>494 うん解ってる
でも1を決めたのは人、2を決めたのも人
実際1とは何か?それは解らない
水+水+油=水2と油1
1+1+1+=3でも1でも2と1でもそれは人の間でしか通用しないさね
501 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 10:53
>>499 ペルソナはブール代数ではなく、整数体で扱ってください。
502 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 10:54
>>490 その人はアルミ堕天使を名乗ったり、
ハンドルネームを騙っておかしな発言を繰り返す常習なのです。
私はそんな変な説明を思いつかない。
むしろ三位一体はよくいわれるアウグスティヌスの説明で普通は十分でしょう。
地上のことがらでたとえようとすることがそもそも無理。
504 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 10:56
>>499 三位一体の3の数は何処にいったの?ブール代数に3なんて元は無いし。
505 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 10:56
>>500 要するに、意味づけが問題なんだな。
1=神である
0=神でない
でどないだ?
506 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 10:57
>>503 もともと
>>461 は騙り。
地上の事柄で説明しようとするとどうしても無理がでるんです。
三位一体について「不可解なるがゆえに信じる」by ティルトゥリアヌス
507 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 10:58
>>505 ウザイよ。命題だけブールで扱ってください。
位格の数は命題ではないので。
>>505 なるほどね
1の神は何神いても1?
神どうしは混ざり合う?反発は無し?
509 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 11:01
>>508 神の数は、ブールで扱う命題ではありません。
ごめんなさい 終了 次ぎいってみよ〜 ↓
511 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 11:08
同じなら、空間的時間的に離れていても一体。 でええんでないの? つまり日本に住んでいようが、アメリカに住んでいようが、 南極に住んでいようが、火星に住んでいようが、日本人なら 日本人という点では同一。
512 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/16 11:13
>>490 とにかく、その騙りの人が異端ということでは一致できてよかった。
513 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 11:26
ヨハネによる福音の 初めに言葉があった。み言葉は神と共にあった。 み言葉は神であった。み言葉は初めに神と共にあった。 ・・・み言葉は人間となり、我々の間に住むようになった。 神は言葉(的?)なんだから、2つとか3つか数えることには意味がない。 んで、ブール代数でないと扱えないのでないかいな?? み言葉が見えたり触ったり出来る物理的存在である肉を伴った人間として 現れたイエスについては霊的存在(言葉的)は神と同一であるつうことで ねえの?
514 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 11:30
『異端』なんて言葉は中世スペインの異端審問の時代で終わって たのかと思いきや、日本のキリスト教徒の間ではまだ生きている 言葉なんだね。 新鮮な発見だよ。
>>496 了解。bvaENP/60o ではなく、byBwOqLPB6 のほうの或る福が
サベリウス主義なのだね。
516 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 12:22
>>51 >神は言葉(的?)なんだから、2つとか3つか数えることには意味がない。
ウザイよ。それだったら1つでもないってことでしょ。
もし、御言葉がブールで扱えるというなら、他の位格はどうなるんだ。
御言葉はキリストの位格のみだよ。
>>491 | 使徒行伝に脚色があるって、元福音派さん、いったい何言ってるの?
|
| そんなこというのリベラルじゃんか。
「そんなこというのリベラルじゃん」と言われてもなんら響きません。
私はリベラルよりもっと左ですから。
使徒行伝に脚色があるのは当たり前のことです。
当時の文化において、歴史を記述するということはどういうことで
あり、どのように記述することが「真実を語る」ことであるかにつ
いて、理解していただきたい。
私たちが考える「歴史的事実」の物差しを、2000年前の文書にあて
て、「神の言葉である以上、こうであるはずだ」と思うほうが、
自分たちを基準にして、他文化について判断する傲慢だと思います。
たとえ「使徒行伝は神の言葉である聖書の一部である」という前提
に立ったとしても、或る福さんのような読み方だけが正しいと考え
ることにはならず、むしろ、私たちの真理についての基準のほうを
相対化して、謙虚に使徒行伝が書かれた時代の著者の語り方につい
て勉強すべきではないですか?
このスレのテーマにもどって: みなさんの書き込みを見ていると、やはり西方教会の流れにある方が大半で、 カトにせよプロにせよ、また福にせよ、西方の三位一体理解の下にあります ね。そして、それを簡単に説明しようとすると、ぼろぼろと サベリウス主義 になってしまうのですね。 以前どこかに書きましたように、 西方は、まず神は一であるというところから出発し、それから如何にして三であるか の説明をしようとします(だからサベリウス主義に傾きやすい)。 これに対して 東方は、まず父子霊の三がみな等しく神であるというところから出発し、それから、 如何にして一であるかを説明しようとします。 私は三位一体論の理論的成立は東方路線でなされたことだと思います。ですから、 カトもプロも、このことについてはもっと東方の理解を学ぶべきです。
>>516 出エジプト記には神とは「在りて有る者」と書いてあります。
ちなみに、ヨハネによる福音 8:58
「よくよくあなたたちに言っておく。 アブラハムが生まれる
前から、『わたしはある』」
>御言葉がブールで扱えるというなら、他の位格はどうなるんだ。
はっきり言って、聖書は厳密な論理学の本ではありませんので、
はぁと。えぇと、つまりその、それは同じものに対して3つの
観点から見た言い方でそう言ってるんじゃないの?
簡単に言えば、おいらは日本人で男で・・・・とか数限りない
言い方が出来る。
521 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 12:46
>>520 >はっきり言って、聖書は厳密な論理学の本ではありませんので
それならブールで扱うのはますますナンセンスですね。
>>521 だからねえ、だからこそ現代に生きる者は現代のレベルで聖書を
解き明かす努力をせにゃならんのよ。前向きに考えるべき。
523 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 12:53
>>522 ウザイよ。位格が三つで実体が一つということの何が気に入らんのだ。
524 :
ニュース!!!!! :03/10/16 12:54
神のお告げが今ありました!!! 託宣↓ 「三位一体が正しい。みなにそう伝えよ」
神様のお告げが有りました(日本語で)!!! 「私は人を創ったが神ではない宇宙人だ!私は存在する生命体だ! 人は我々が奴隷とする為に創っただけの存在である しかし我らにも事情が有り故郷に帰らねばならなくなったので人を そのままこの星に残してほったらかしにしたのだ 後は勝手に人間が増え知能を持ち繁栄しただけである 聖書など各地に伝わる伝承・神話などは我々を基に微かに我らを 覚えている人間が伝えたものである 人間は我らの奴隷でしかない! 何時かまた奴隷として飼ってあげよう!!」 だとさ〜〜〜(・∀・)オレラハカチクナノダ〜
三毛猫=白猫+黒猫+茶猫(こんなんあり?) わしゃあ、三毛猫好きやねん。
527 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 13:38
>私は三位一体論の理論的成立は東方路線でなされたことだと思います。 東方路線について説明してください。
528 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 13:47
父と子と聖霊=創造と破壊と維持=ブラフマーとシヴァとヴィシュヌ ということで、東方路線とはヒンズー哲学にまで遡ります。
529 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 13:49
コンピュータ=ハード+ソフトウェア+OS みたいなもの。 OSは無くても可。イエスOSが導入されて使い勝手向上。 ソフトウェア = 聖霊 コンピュータ=ハード=神 は素朴な通念だったね。
>>527 「ウーシアは一つ、ヒュポスタシスは三つ」と言いますね。
「実体は一つ、位格は三つ」と訳して、このスレでも盛んに言われてます。
では、この「ウーシアは一つ」とはどういうことか?ということについて
さしあたって書きます。
ニカイア信条では、「子は父と〈ホモウーシオス〉である」と主張されてます。
これを「同一実体の」などと訳すと、ちょっとニュアンスが変わってくる。
たとえば、私とあなたは同じく人です。このことを「私はあなたとホモウーシ
オスである」ということができるのです。これは「私はあなたと同一実体」
と訳したら変ですね。
ニカイアの限りでは、子は父と全く等しく神であること、「神からの神」で
あるとしていて、その神であることにおいて父と全く変わらないということ
をホモウーシオスと言ったのです。
ニュッサのグレゴリオスも、ウーシアが一つであることは、複数の人間たち
の間でも成り立つこととして説明しています。「パウロとテモテとヨハネと
いても、三人の人間といってはいけない。ウーシアは一つであり、一人の
人間というべきだ」と。普遍についての実在論が背景にあるわけでね。
手軽に理解するためには、イデア論などを考えるといいでしょう。沢山の
個人がいても、人は一つである、という考えです。
ですから、父子霊の三位格が、ホモウーシオスだ、ウーシアは一つだと
言っても、それだけでは、それは三人の人間についても言えるこどなの
です。
では、一はどのように説明されるのか・・・(いつか続きを書きます)
531 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 13:52
素人的に言うと、三位一体は以下のように作られた。 1.イエスは「真理のために命を惜しむな、十字架を背負って、俺について来い」 と言った。 2.ところが、弟子たちは十字架にかかるのは嫌だったし、師を裏切った。 3.パウロが「主はすべての人間に代わって十字架にかかったのだ」という虫の いい教えを発明し、みんな喜んでそれを支持した(キリスト教のはじまり)。 4.誰かが「おい、イエスがいくら偉い預言者だとしても、一人の犠牲で人間す べての罪が贖えるというのはおかしいぜ。神だったんじゃないか。」と言い出した。 5.別の者がこう言い返した。「バーカ、神が十字架にかかったら、他の誰が天を 支えるんだよ。」 6.そこで、「神には3つの位があって、十字架にかかったのは、その内『子』で ある」ということにして、これに不服の者をすべて異端として排除した。
532 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 14:05
三位一体は神々が3人いるってことだしょ。 恥ずかしがってるだけだしょ。多神教と一緒になっちゃうから、 苦肉の策で、3でも1だといったんだしょ。
>>530 だいたい同じ考えだという事が分かりました。
どうも。
534 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 14:37
>>532 三位一体のうちの聖霊は神々ではないのかね?
3人だけでなくもっと大勢のはずだ。
535 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 14:48
コリント第一 12:4〜13 「霊」の特別な恵みには色々の種類がありますが、 恵みを下さるのは同じ「霊」です。 ・・・・実に、わたしたちは、ユダヤ人であれ、 ギリシャ人であれ、奴隷であれ自由人であれ、 洗礼を受けて皆一つの「霊」によって一つの体 に組み入れられ、また、皆一つの「霊」を飲ま せてもらったのです。
536 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 14:49
キリスト教は一神教というより三位一体教ではないか。
537 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 15:11
エウセビウス説とは
538 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 15:37
ヨハネ 17:21 どうか、みんなを一つにしてください。 父よ、あなたがわたしの内におられ、 わたしがあなたの内にいるように、 彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。 あなたがわたしをお遣わしになったことを この世が信じるためです。 ・・・あなたがわたしの内におられるのは、 彼らが完全に一つになるためです。
>>530 の続き
さて、午後の休憩になったので、続きを:
このように、ホモウーシオス(同じウーシアの)ということは、或る福と
あずみとの間にも言えることであって、父・子・霊はウーシアとしては
一つだというならば、私と或る福とあずみもウーシアとしては一つなの
でした。
ですから、東方は、三から出発するのです。そして以上の限りでは、
一ということの説明は不十分です。以上の限りで「神は唯一だ」という
ならば、「人間も唯一だ」ということも言えるような意味でしかない
からです。
しかし、西方は、すでに「実体は一つ」ということに、もっと重い意味
を込めているようです。だから、
「一人の人における精神、言葉、愛」というような仕方で、三一を説明する
ことになるのであり、そういう説明はちょっとラフな言い方をすると
サベリオス主義になりかねない。
これに比して、東方は以上の説明の限りでは、三神論で、神の唯一性を
説明できてないんじゃないか、と言われかねません。
では、ここをどう説明するか? それは続きで
540 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 16:01
ヨハネ 1:12 しかし、み言葉を受け入れた者、その名を信じる者には、 神の子となる資格を与えた。 彼らは、血によってでなく、 ・・・・神によって生まれた。 神の子=イエス=神 み言葉を受け入れた者=キリスト教信者=神の子=神 これでいいんだろか?
>>539 の続き
ニュッサのグレゴリオスによると、
父・子・霊は等しく神なのですから、皆、無限であり、永遠であり、・・・
という存在です。では、それぞれ無限な存在がどうして並存できるでしょうか?
たとえば人間は有限なものですから、複数の人間はそれぞれ空間的にも、また
空間的意味ではない意味においても、互いに別の場所を占めつつ、並存できます。
私には私の場所があり、私の権限があり、私のすることがあります。あなたにも
あなたの場所(私の場所とは別の場所)があり、あなたの権限(私の権限とは別の)
があり、あなたのすること(私のとは別の)があります。私はあなたを排除し、
あなたは私を排除しますが、互いに有限なので、並存できるのです。
では、いろいろな意味で無限なもの同士はどのように並存できるのでしょうか。
もし人間個体のように互いに排除する関係だったら、並存できないでしょう。
無限なものが一つ存在したら、他のものが存在する余地はなくなってしまうか
らです。
ですから、無限なもの同士が並存できるとしたら、それは排除しあうのではな
く、互いに浸透し合う事によってでしかありません。浸透しあうことを、
交わること(コイノニア)によって、と表現しています。
浸透し合い、重なり合って、存在している−−−それが一体性の説明です。
どうです。東方はまず三を立て、次に如何にしてそれが一であるかを説明
するというプロセスを辿っているでしょ?
そして、このような説明なら、サベリウス主義と画然と区別されるのです。
ただし、あえて言いますが、ここで説明された一体性は、「ウーシアは一つ」
ということではないのです。
542 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 16:23
>>541 有限の長さの線分に無限の点が存在する。
このことについては?
543 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 16:23
>>元福音派さん 西方的な説明ではどうなるのでしょうか? やはり難しいですか?
三位一体は科学的に説明しなきゃだめニョ 光の三原色にたとえればいいニョ
546 :
或る ◇bvaENP/60o :03/10/16 16:38
547 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 17:14
異端です。死んでくださいかぁ。 キリスト教は所詮カルトだにゃ。
548 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 17:16
>>541 >いろいろな意味で無限なもの同士はどのように並存できるのでしょうか。
>もし人間個体のように互いに排除する関係だったら、並存できないでしょう。
>無限なものが一つ存在したら、他のものが存在する余地はなくなってしまうか
>らです。
無限という入れ物の容積を有限の容積として扱っているというミスがある。
ある有限の容積Aがあって、これを2つに仕切る。
Aを無限に拡大すれば体積も無限になるが、仕切られた容積も無限に拡大
される。
>>545 は私ではありません。別の「元福音派」さんでしょう。
私は「しんでください」といった表現はいたしません。
自分を誰と名乗っているかではなく、書かれた内容によって
著者を区別してください。
パウロ書簡とパウロの名によって書かれた書簡とを区別するように、
ね。
550 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/16 19:05
その個所はたしかに不正確でしたね。勝手に言っているのはパウロ じゃなくて、ルカでした... >488 使徒行伝に描かれているパウロは妙に律法に忠実だし、パウロ書簡から 読み取れる思想性とはかなりギャップを感じさせるところもあるし...
あずみさん 異端です
552 :
名無しさん@3周年 :03/10/16 21:58
553 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/17 00:01
>>549 パウロが書いたと書いてあるのにそれを勝手に差し引いて解釈するのはリベラルの特徴ではないか。
聖書は2chじゃない。
新約聖書、パウロ書簡を翻訳する時に変なバイアスがかかって、
パウロがイエスを神であると信じていないような訳になっているのは、
エホバの証人が訳した新世界訳聖書とリベラルが訳した口語訳聖書ではないか。
福音主義,福音派が訳した新改訳聖書は正しく訳されている。
あの〜、ノンクリで聖書に興味を持ってる信仰心のない者です。 多分外側の客観的な意見が言えると思うんですけど、様々な訳を読みましたが、 新改訳って新世界訳並に必死さが伝わってくるんですけど。 まぁ新世界訳並は言い過ぎましたけど。
555 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/17 00:13
ローマ人への手紙。9章から ○エホバの証人とリベラルの共通点。 新改訳(福音派訳)「先祖達も彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。 このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン。」 新世界訳(エホバの証人)「父祖たちは彼らに属し、キリストも肉によれば、彼らから[出た]のです。 すべてのものの上におられる神が永久にほめたたえられますように。アーメン。」 口語訳(リベラル、自由主義神学者訳) 「 9:5 また父祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストもまた彼らから出られたのである。 万物の上にいます神は、永遠にほむべきかな、アァメン。」 福音派の訳した新改訳聖書はここでキリストが神であると読める。 しかし、異端のエホバの証人とリベラルが訳した聖書は神とキリストを分離している。
556 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/17 00:20
>>554 エホバの証人とリベラルの共通点は、イエス様を神様と信じたくない、ということのようです。
その動機からこのような翻訳になる。
>>555
557 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/17 00:20
新共同訳はどうなってるのかな? >555 翻訳の妥当性を論議したいのなら、ギリシャ語原文も示すのが 当然だと思うよ。ネストレの何版かも忘れないように...
いや、やっぱりただ必死なだけにしか見えないよ・・・
559 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/17 00:27
「先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られた のです。キリストは、万物のうえにおられる、永遠にほめたたえられる神、 アーメン」(新共同訳 ローマの信徒への手紙9:5) あんたによれば、新共同訳はリベラルのはずだけど.... >555
560 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/17 00:27
>>557 新共同訳はリベラル、カトリック、エキュメニカル共同訳だから、
カトリック神学者はイエスの神性、処女降誕否定するような訳にしないんだろう。
9:5
ων οι πατερες και εξ ων ο χριστος το κατα σαρκα ο ων επι παντων θεος ευλογητος εις τους αιωνας αμην
新共同訳9:5
先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。
キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。
561 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/17 00:31
要するにこの方は、「リベラル」をおとしめるためならうそをついても かまわない、または事実を隠蔽してもかまわないと思っておられるよう です。まるで統一協会なみのデマゴギー....
562 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/17 00:32
>>561 新共同訳はカトリックとの共訳でしょう。違いますか。
563 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/17 00:33
どうして最初から新共同訳も引用しなかったわけ? >560 すくなくともあんたのやり方は決してフェアじゃないよ。
564 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/17 00:34
新共同訳はリベラルだと、あんた言ってなかった? >562
565 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/17 00:35
>>563 リベラルだけで、訳した聖書ではないでしょう。
少なくともカトリックはキリスト処女降誕、神性を否定はしない。
566 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/17 00:36
>>564 尾山師によればこの点でリベラルの神学者より、カトリック神学者のほうがまともだったそうだ。
567 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/17 00:38
で、翻訳としてはどちらが正しいのかな? ちなみにネストレの異読はあるのかな? リベラルがどうこう言う前に、そのあたりからきちんと調べないと いけないんだと思うよ。加筆の可能性もあるだろうし...
568 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 00:38
お山はカス。
569 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/17 00:39
ちょっとネストレの26版持ってくるよ。
570 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 00:41
あずみがんがれ! ここなら、ピッたし。文句言わんぞ。 マラの苦い水はドシタ?本スレだぞ。さ、こい。。
571 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/17 00:46
ο ων の個所はない写本が多いのかな? 正直言ってギリシャ語は苦手なので、だれか遂語で訳入れてください。 自分で辞書引くと、何時間かかかりそう...
572 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 00:47
似非福音派と、エホ症は同じ病に取り付かれています。 終末思想。。。。。仲良く汁。同病相哀れんでください。。。。。。
573 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/17 00:49
でも、ちょっと見たところ、χριστοςという語は最初の方だけで、後ろの文は θεοςしか出てきてないから、キリスト=神という解釈はどうなんだろう...
574 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/17 00:50
>>572 その点におけるリベラルとエホバの証人の共通点は
千年王国がもうすでに来ていると称すること。
575 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/17 00:50
口語訳の方がまともなような気もするよ。
576 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/17 00:51
そんなこと、誰が言ってるわけ? >574
577 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/17 00:53
そんなことより、ギリシャ語の単語に遂語で訳入れてください。 >574 神学生なら、そのくらい簡単でしょ?
578 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/17 00:54
>>576 異端のひとたち。
私の家にきたエホバの証人もキリストはすでに再臨している、などと言っていた。
三位一体は聖書に根拠があると宣言してお帰りいただいた。
キリストが再臨されていないのに、そう主張する点でもエホバ証人と、リベラルは同じ。
579 :
カトリック信徒 :03/10/17 00:55
>>574 あなたは間違っています。黙示録20章はキリスト教会の開始を持ってすでに始まっているのです。
そして、千年王国の千年とは字義的年数ではなく、非常に多くの年数という意味です。
すでに「千年」が始まってから2000年が経過しています。キリストの再臨というのもあなた方は間違って捕らえている。
前千年王国説は虚偽です。再臨とは最後の審判です。
580 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/17 00:56
エホバの証人が何言ったか知らないけど、イエスが再臨したなんて教団は 言ってないよ。 >578 ウソはいけません。
581 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/17 00:56
キリスト再臨も主キリストが支配される神の国もまだ来てなくて、定められた時に来ること。 神の国の雛形が教会。でも再臨はまだ。
582 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/17 00:57
そんなことより、ギリシャ語に遂語で訳を入れてほしいんだけど... >578
583 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/17 01:00
それとも、遂語で訳入れると何かまずいことでもあるわけ? >578
584 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 01:09
585 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/17 01:10
あーあ、ふられた.... 寝よう。
586 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/17 01:11
587 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/17 01:15
「再臨はあった」のと「再臨は来ない」じゃ全然ちがうと思うけど、 あんたの頭の中ではこの2つは同じことですか? >586 ギリシャ語がメンドイ? これは主の訓練。へこたれずに、さっさと 辞書を引け!
588 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/17 01:16
明日の朝までにはやっておくように。 私は寝ます。
僕も寝る。。
私は今、神としてこの世に再臨している
591 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/17 01:22
ギリシャ語は変化がすごいから、辞書引くのマジ大変なんだよね。 でも、言い出したやつが一番悪いんだから、責任は取っていただきましょう。
592 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 01:23
>591 言い出したのは誰?
593 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/17 01:24
いま、辞書必死で引いてる人。 >592
>>590 ま〜だいたのか。シャブ中。ある福に感じたところを言ってみそ。
595 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/17 01:27
神学生はこき使われて当然の存在。 会堂の掃除に週報の作成、お年寄りの送迎や皿洗い。 何やらせてもかまわないし、それが主の訓練。
596 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 01:36
再臨というのはキリスト教が広まることを比喩的の言ってる訳で ローマがキリスト教を国教とした時が「再臨」の時。 イエスは今、神としてこの世にりん臨君しているのです。
>595 そのレスでは、シャブ中=あずみになってしまうが。。やれやれ。。。
>596 わかった!りんりんはやめよう。
>>555 指摘されている箇所は、聖書によって訳が異なるように、テキスト的にはどち
らにも訳し得るところです。ですから、ここからパウロがイエスを神だと考え
ていたかどうかについて結論を出すのは危険です。むしろ他のパウロの発言か
らするとここをどう訳すのが妥当であるか、を考えるべきでしょう。
或る福はこの発言によって、「聖書の語ることに聞く」という態度をとって
ないことが分かります。
彼の態度は、自分が信じる内容に合致するように聖書を読んだり訳したりする
のが正しく、そうでない読みかたは間違っている、というものです。
これでは自分が信じていることが本当に聖書に書いてあることなのかどうかを
調べるというようなことはできません。自分が信じているように聖書を読むの
が正しいということが前提になっているからです。
これは聖書を信じるという建前とは裏腹に、聖書に自分の信念を押し付けると
いう冒涜的態度を事実上とっていることなのです。
私は福音派の中にいた人間ですから、まさしくこういう態度が蔓延している
ことを知ってます。
>>555 指摘されている箇所は、聖書によって訳が異なるように、テキスト的にはどち
らにも訳し得るところです。ですから、ここからパウロがイエスを神だと考え
ていたかどうかについて結論を出すのは危険です。むしろ他のパウロの発言か
らするとここをどう訳すのが妥当であるか、を考えるべきでしょう。
或る福はこの発言によって、「聖書の語ることに聞く」という態度をとって
ないことが分かります。
彼の態度は、自分が信じる内容に合致するように聖書を読んだり訳したりする
のが正しく、そうでない読みかたは間違っている、というものです。
これでは自分が信じていることが本当に聖書に書いてあることなのかどうかを
調べるというようなことはできません。自分が信じているように聖書を読むの
が正しいということが前提になっているからです。
これは聖書を信じるという建前とは裏腹に、聖書に自分の信念を押し付けると
いう冒涜的態度を事実上とっていることなのです。
私は福音派の中にいた人間ですから、まさしくこういう態度が蔓延している
ことを知ってます。
すいません。また重複書き込みをしてしまいました。
602 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 01:40
訂正 再臨というのはキリスト教が広まることを比喩的に言ってる訳で ローマがキリスト教を国教とした時が「再臨」の時。 イエスは今、神としてこの世に臨君しているのです
604 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/17 01:42
>>599 どちらとも訳せるならば、読者の判断にまかせるべきでしょう。
キリストを神と読めないような訳にするのは疑問。その問題意識をもって、
福音派が新改訳聖書を訳したと聞いた。
それに、聖書の語るところを聞く、どころか元福音派さんは、
勝手にいろいろ差し引いて解釈してるじゃないですか。
605 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/17 01:45
>>590 >>自分が信じる内容に合致するように聖書を読んだり訳したりするのが正しく
その例がエホバの証人の新世界訳でしょう。
彼らはイエス様を神と信じたくない。
イエスは神だよ。この点では馬鹿のある服と意見が一致する。
>>602 平和を愛する全ての人へ、おやすみなさい。
だが、おいらは聖書崇拝なんかしねえよ。 聖書が真理の全部なんて馬鹿言ってるのは或る服原理主義だけだよ。 死ぬまでにはこの間違いをしっとけ!
609 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/17 01:47
>>599 当時のKGK出版から出ている本を見ても、
口語訳がイエス様を神と読めなくするような訳であることが指摘されている。
口語訳、新世界訳をどう読んでも読者の判断に任せてはいず、
特定の「イエスを神としていない」という解釈でしか読めないように押し付けられている。
610 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/17 01:51
>>599 「聖書の語るところに聞け」ばイエス様は神様、救い主、主となるでしょう。
聖書しか信じないならサー、世界史も読むなよ。 科学も一切信じるなよ。聖書以外のものは一切読むなよ。 >或る服
612 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 02:11
救いがイエスにあるということさえしっかり抑えてればみんな救われるってことでしょ? 何も難しく考えるこたーないよ。
613 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 02:13
>>612 そうですね。
ですから、リベラルだろうとものみの塔だろうと原理主義だろうと
みな救われますよ。
614 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 02:13
「聖書の語るところに聞け」って言うけどさ なんで、下手な喩え話を連発せて技と何のことか 判らないようにしているのだい?
615 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/17 02:26
ローマ書9章5節 この 冠詞 父(先祖) から ων οι πατερες και εξ この 冠詞 キリスト 肉 ων ο χριστος το κατα σαρκα 冠詞 ある 上 万物 神 ほむべき 祝福 ο ων επι παντων θεος ευλογητος まで 冠詞 永遠 アーメン εις τους αιωνας αμην 先祖達も彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。 このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン。
616 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 03:18
漏れはキリスト教原理主義です。 キリスト教に歯向かうやつは皆殺しです。
617 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 08:58
>キリスト教に歯向かうやつは皆殺しです。
そして
>>616 もあぼーんされましたとさ。
618 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 09:03
"キリスト教に歯向かうやつは皆殺しです。" これは、キリスト教の伝統・文化といえる行動パターンで 616の主張には別段、異端的要素はないと言える。
619 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 09:51
>>618 ひねくれてんな〜
マタイ 26:51〜52
イエズスといっしょにいた者の一人が、剣に手をかけて抜き放ち、
大祭司のしもべに切りかかって、その片方の耳を切り落とした。
そのとき、イエズスは彼に仰せになった。
「剣をもとにおさめなさい。剣を取るものは、皆剣で滅びる・・・」
キリストにしたがわない伝統・文化はキリスト教のものではなく、
この世のもの、人間のもの。要するに勝手にやったこと。
そのような歴史的事実があったにせよ、それはキリスト教の
組織を内部から破壊させようとする勢力と見た方が当たってる。
コリント第2 10:4
エフェソ 6:12
にもはっきりと示されてる。
皆殺しにできるのはキリスト教徒ではない。神しかいない。
そんなことより、あずみさん来ないかなー
620 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 11:01
ヨーロッパの異教的諸民族をキリスト教の支配下に置こうとしたカール大帝の時代にすでに後の Inquisitionの様な宗教裁判がありました。1184年のVeronaの教会会議で司教達は異教徒の 迫害、特に南フランスのカタルシスの異教徒迫害を意図し、組織的な迫害を体系化しました。 新しく組織された異端審問は、ナチのゲシュタポやKGBの先駆組織です。18世紀まで少なくとも 百万人の命が奪われましたが、焼き殺された犠牲者数は千万人にのぼると推測する歴史学者もいます。 さらに、死を宣告された人々の十倍もの人々が長期の牢獄刑や烙印刑や鞭打ちの刑に処されました。 身体部分(舌、耳、腕、足等)を切断された人もいました。また、労苦の聖地詣の旅に処された人も いました。 1209年から異端審問は南フランスのカタルシスの異教者への十字軍遠征を始めました。彼らは、次の 二十年間で完全に撲滅されました。十字軍が南フランスの町ベジェールの城壁内に入ると、市民は皆、 異端者やカトリック教信者も一緒に、堡塁で固められた大聖堂に逃げました。大聖堂の門の前で十字軍 の指揮者の一人が大司教のCiteaouxに、カトリック教信者と異端者をどう区別すればいいだろう、と聞 いた時、シトー大司教は、「皆殺してやれ、神が自分で正しい信者を選び取るだろう」と答えたとの記録 が残っています。
621 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 11:03
1096年から1291年まで、法王の推奨によりパレスティナの「聖地」への十字軍遠征が七回にわたり行 われました。この法王達のパレスティナの「聖地」支配欲により、2千2百万人が犠牲者になったと推測 されています 。1099年イェルサレムの征服後、この敬謙な十字軍の騎士達は血に酔って女性や子供 を含むユダヤ人とアラブ人の市民すべてを、剣で刺し殺しました。約七万人の市民が犠牲になりました。 目撃者の記録によると、虐殺の後、血まみれになった騎士達は、幸せの涙を流しながら彼らの救世主 イエス・キリストの墓参りをし、神に感謝しました。
622 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 11:05
古代地中海地域の多神教徒と同様、中世に至るまでキリスト教化されなかったゲルマン民族とスラブ 民族は容赦なく侵略と虐殺にさらされてきました。支配された地域の人々には洗礼か死刑の選択しか 残されていませんでした。クロードウィヒ一世(466ー511)はさまざまな戦いで自分のフランケン王国を 広げ、カトリック教を国教にしました。八世紀と九世紀初めのカール大帝の時代にはもっと大規模な キリスト教の戦いが行われ、多神教の民族が殺されました。最後まで多神教徒であったゲルマン民族 のザクセン人とカール大帝は772年から804年まで戦い続けました。かろうじて支配出来たものの、大勢 のザクセン人がキリスト教より死を選んだこともあり、人口の多半数はカール大帝のザクセン人の大虐殺 で失われました。その後ヨーロッパでは300年間も多神教徒に対する残酷な粛清運動が続けられました。 ザクセン地方の人口は回復し、キリスト教徒となったザクセンの侯爵は1147年、皮肉にもいまだに多神教 であったスラブのヴェンド族への十字軍遠征を行ない、再び大虐殺を招く結果となってしまいました。 もともと強制的にキリスト教徒にさせられたヨーロッパ人が新大陸を発見した十六世紀には、新大陸の 多神教徒を虐殺し、強制的にキリスト教化していきました。
623 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 11:07
コロンブスの発見の50年後すでに、カトリック教徒のスペイン人は百万人のインディオ達を殺害したり、拷問 や強制労働で虐待したり、レープ等で梅毒や他の伝染病をうつして死に至らしめました。 発見から150年後にはアメリカ全体で1億人先住民が死に絶え、それは征服地域の人口の90%以上に当ると のことです。アメリカの征服とは、史上最大の人種抹殺でした。大勢の民族と民族文化が永遠に滅ぼされました。 それに比べ、ヒトラーは何と腑甲斐ない職人だったことでしょう。 キリスト教徒のインディオ殺しは残酷で、例えばインディオを13人ずづ絞首台にかけ下からは小さい火を燃やし、 絞め殺すと同時に焼き殺したのです。何故13人ずつかと言うと、救い主のイエスキリストと12使徒の名誉のため でした。また、インディオの子供の頭を岩や木に投げつけ、生きたまま犬の餌にしました。こういた「立派な」行為 を熱心に書き留め、その記録をスペイン宮廷に送りました。当時、後に司教となるラスカサス僧を除き、司祭等の カトリック聖職者は特にインディオという悪魔の子孫を絶滅させたかったのです。現在カトリク教会は「当時人々は やり過ぎた。残念ながら教会はインディオ達を守れなかった」と事実を捻じ曲げています。そして教会は当時 カトリックの聖職者から一線を画していたラスカサス司教のインディオスに対しての同情を引用するのです。 しかし、ラスカサス司教は真にヒューマニストだったのでしょうか。彼は衰弱したインディオ達が鞭と強制労働で 数多く死ぬのを見た時、どんな人道的な解決法を見出したでしょうか。そうです。このラスカサス司教、残酷な 時代にありながらキリスト教の愛を満たしたインディオの救い主であったとしてカトリックの広告塔として利用 されているこの人物こそ、アフリカの黒人を奴隷として働かせればインディオが救われると考え、新しい悲劇 となるところの奴隷栽培を創始した、その張本人なのです。しかし、インディオ達もそれによって救われること はなく、殺戮され続けました。
624 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 11:09
うざい、マラの苦い水
625 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 11:12
626 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 11:19
627 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 11:24
俺さん=サロメ=マラ=高木
628 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 11:25
中世の異端狩りはしょうがない側面もある。異端とされたほうは 共同体から追放される運命にあったから、死を賭けた勝負だった。 今のように異端とされたからといって、共同体から追放されず 暮せる時代とは訳が違う。
630 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 11:26
>>625 言ってることとやってることが全然違うじゃないか。
大量殺人の歴史的事実があったからこそキリスト教が普及
したというほうが当たってないかね?
631 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 11:27
十字軍遠征の前に、イスラムがイベリア半島やシチリアなどの 南ヨーロッパを荒しまくったことに触れないのは片手落ちだと思う。
632 :
或る福音派信徒 ◆kZP88rFFik :03/10/17 11:28
プロテスタントも無実のインディアンをずいぶん殺したが しょうがない側面も或る。死を賭けた勝負だった。 今のように異端とされたからといって、共同体から追放されず 暮せる時代とは訳が違う。
633 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 11:30
どこの宗教でも「すばらしい、人を引き付ける教義」を持っている。だが、教団の 実態は、侵略の尖兵になり、奴隷売買や麻薬売買に従事し、反対者は魔女として 火あぶり。信者の猟奇的犯罪が続発する。ゴロツキが出入りしている.教団の教義 がどんなに素晴らしかろうと、実体が伴わなければ、全く意味などない。全くだ。 価値ゼロだ。もっともらしい教義を持つ殺人集団に等しい。 「教義」に振り回され、教団の実体との乖離に目を背ける盲従者。「教義」は、 宗教奴隷を束縛し、搾取し、使役する為の麻薬に過ぎない。教団の真の思惑も 知らずに必死に尻尾を振る奴隷信者。これをして、「馬鹿宗教」の「低能」信者と 形容する以外に適切な表現などない。
634 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 11:31
当時のインディオ100万人虐殺とか、アメリカ先住民1億人って、 ちょっとトンデモ資料?
635 :
或る福音派信徒 ◆kZP88rFFik :03/10/17 11:32
>>633 聖書は神の言葉を正しく記録する唯一の書物だ。それだけは命をかけて守り抜く。
たとえ殺人者と呼ばれようともだ。後の世代のためにいのちをかける。
636 :
或る福音派信徒 ◆kZP88rFFik :03/10/17 11:34
セイレムの魔女裁判でわれわれは無数の少女を殺したが、 魔女に世界を支配させるわけには行かないから、 これもやむをえなかった。われわれには神の福音を守り抜く責任がある。
637 :
或る福音派信徒 ◆kZP88rFFik :03/10/17 11:37
>>634 トンデモです。そんなに殺せるわけない。ユダヤ人600万人は事実です。
638 :
或る福音派信徒 ◆kZP88rFFik :03/10/17 11:41
自分の家族がやるかやられるかの瀬戸際に立たされれば誰でも「やる」。 インディアンに家族が殺される危険がいつも付きまとっていた。 こちらがやらなければ全員皆殺しにあっていた。 われわれがインディアンを殺したのはインディアンがわれわれを殺したのと同じではない。 われわれは正当防衛をしたのだ。悲しいことだが、やむをえないことだった。
639 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 13:09
>>638 >われわれがインディアンを殺したのはインディアンがわれわれを殺したのと同じではない。
>われわれは正当防衛をしたのだ。悲しいことだが、やむをえないことだった。
あーた、殺人やらかしたの?
つうほーしますた。たいーーーーーほしてもらお。
640 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 13:20
>>634 殆どは、スペイン人が持ち込んだ免疫の無い病原菌で死んだのだよ。
641 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 13:41
誰もその時代の精神から自由ではない。 現代の感覚で歴史を裁くことは簡単だが、何の成果も無い。
642 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 13:50
>誰もその時代の精神から自由ではない。 マルコ 10:42−45 のイエスの言葉とその生き方は、その時代を 超えている。
643 :
或る福音派信徒 ◆kZP88rFFik :03/10/17 14:00
>>640 あんたはその時代にいたのか。それはすごい。タイムマシーンでも使ったのかね。
644 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 14:52
645 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/17 16:34
>>555 この聖句は、原典を見ると、文法的に二通りの読み方が可能なんだそうです。
このように、文法的に二通りの読み方が可能な聖句があり、三位一体論が関係している聖句については、「聖書から論じる」がこう述べています。
『ある箇所が文法的には二通り以上に翻訳できる場合,どれが正しい訳ですか。
それは聖書のほかの箇所と一致した訳です。
もし,聖書のほかの部分を無視し,自分の好きな訳の特定の節を中心にして自分の信条を組み立てるなら,
その人の信じている事柄は実際には神の言葉ではなくて,自分自身の考えか,
もしかすると別の不完全な人間の考えを表わすものとなります。』
この本は、さらにこう述べています。
『この節は,キリストが「万物の上に」,または「すべてのものの上に」おられ,またそれゆえにキリストは神であると述べているのですか。
それとも,異なった別個の存在としての神とキリストとに言及し,神が「すべてのもの」の上におられると述べているのですか。
ローマ 9章5節のどちらの訳し方がローマ 15章5,6節と一致しますか。
この句はまず神とキリスト・イエスとを区別し,次いで,「わたしたちの主イエス・キリストの神また父の栄光をたたえる」ことを読者に勧めています。(また,コリント第二 1:3とエフェソス 1:3も参照。)
ローマ 9章のつづきの部分を考慮してみてください。
6-13節までの箇所は,神の目的が肉による相続ではなく,神のご意志に基づいて成し遂げられることを示しています。
14-18節は,出エジプト記 9章16節に記されているファラオに対する神の音信に言及し,神が万物の上に,つまりすべてのものの上におられることを強調しています。
19-24節では,陶器師と陶器師が作る粘土の器を用いた類推によって神の優位性がさらに例証されています。
ですから,5節の「すべてのものの上におられる神が永久にほめたたえられますように。アーメン」という表現は何と適切なのでしょう。』
646 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/17 16:34
さらに、「新約聖書神学新国際辞典」はこう述べています。
『ローマ 9:5は論議を呼んでいる。……この表現はキリストを指していると見るのは容易であり,また言語学的にも全く可能である。
そう読むとすれば,この節は,『万物の上におられる神であるキリストは,永久にほめたたえられるように。アーメン』ということになるであろう。
それでも,キリストは神と完全に同等であるということにはならず,ただ神の性質を備えた存在として描写されているにすぎないということになろう。
というのは,テオスという語には冠詞が付されていないからである。
……この言葉は神に対する頌栄であるというほうがずっと妥当な説明のようである。』(「聖書から論じる」より)
さらに、新共同訳聖書に準拠する「新共同訳新約聖書略解」はこう述べています。
『頌栄(問題の部分)は11:36の終結部分と呼応し、歴史の支配者である神に対する賛美。
「キリスト賛歌」と称し、《キリストは、……神》とキリストを主語とするこの訳は無理がある(口語訳参照)。』(一部追記)
新共同訳のような訳は、三位一体の教理を聖書翻訳に持ち込むものですので、教会の人たちは喜んでも、学者たちは気分を悪くするようです。
http://biblia.milkcafe.to/45-ro-09-05.html
647 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 16:53
>>646 ヨハネ 3:5−6
「よくよくあなたに言っておく。人は水と『霊』によって生まれなければ、
神の国に入ることはできない。 肉から生まれた者は肉であり、『霊』か
ら生まれた者は霊である。」
ルカ 20:42−44
『主はわが主に仰せられた。・・・』このようにダビデがメシアを『主』
と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか」。
これについては?
まあ、こうなるとは思っていたが、、、 やっぱ、ヤハウェか、イエスが来臨せねば、この話は終わりにならんのじゃて。 つーわけで、キリスト教徒の9割は、異端として、ゲヘナに投げこまれよう(w
649 :
名無しさん@3周年 :03/10/17 19:10
>>646 >新共同訳のような訳は、三位一体の教理を聖書翻訳に持ち込むものですので、
>教会の人たちは喜んでも、学者たちは気分を悪くするようです。
ふと思ったんだけど、それは新約聖書が編纂された時代も事情は同じだった
でしょう。おまけに、当時は教会のしがらみと離れたところで客観的にテキスト
批判するような学者はいなかった。そういう独善的な環境の中で、三位一体
に都合のいい編纂や改訂が行なわれたとしたら.....。
現存する最古の写本ですら、「三位一体毒」がまわった代物だと考えるべきだ。
1、たしか、エルサレム城外に掘った穴で、死体はここに投げ込まれた。 ここに投げ込まれると、魂が永遠に浮かび揚がれぬらしい。 2、現代でいう「アズミの穴」のこと。それぐらいクサイらしい。
________________ 【父から生まれた、ただひとりの子】  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
こういう、科学や哲学で反論できない議論をしてて、よく身が保つわね(w 私なら絶対参加しないわよ。
パウロがイエスを神と考えていることを裏付ける箇所は、 そこだけではどちらとも決定できないロマ書の一箇所しかないようですね。 だって、これだけまっても、この一箇所しか話題にならないのですから。 そうであれば、そのロマ書の一箇所も、イエスと神とを別々に解するほうが 蓋然性が高いことになるでしょう。
654 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/19 16:09
ヤーウェに対するキリストの関係を問う場合、明示されていることを超えて、パウロ の言葉の中に、第四世紀の神の子としてのキリストの定義、すなわち御父と同じであり、 共に永遠であり、御父と同質である、ということを読み込んではならない。パウロの言葉 は定義を導き出すための要素であり、解くべき問題の一部である。そのパウロの言葉を もし後の時代の定義で解釈するならば、それは時代錯誤というべきであろう。パウロは 称号としては「主」を好んだのではなかろうか。それは意味が広く、しかもキリストの 人類に対する、教会に対する、宇宙に対する関係は明示しているが、一方ヤーウェとの 関係をあまり厳密に定義づけるものではないからである。唯一神を信じるユダヤ人として のパウロは、二神教ではないか、あるいはヤーウェが十字架上で死んだと信じている、 という批判を受けたくはなかったであろう。
655 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/19 16:12
>>653 いま時間が無いのであとで続きを書く。では。
それに元福音派さんはイエス様を神様と信じているのですか。
救いの確信はありますか?
656 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/19 16:19
真正のパウロの手紙とされるものの中で、キリストが神と等しいとされているのは、 ローマ人への手紙九章五節で、その文章を「キリスト」のところで区切らずに読む とすればこうなる。「....万物の上にいます神であるキリストは....」。しかしここ は次のように読むべきであろう。「....肉によればキリストもまた彼らから出られた のである。万物の上にいます神は....」。パウロにとって「神はキリストとなられた。 そして世をご自分に和解させ....」(2コリント5:9)という事実のほうがより確実な ことである。この文章は、キリストの活動は神の活動であり、問題なのは、キリストが 何をなしたもうたかということであるというパウロの確信を反映している。 (「パウロの福音理解」J.ジースラー著、森田武夫訳、ヨルダン社)
657 :
名無しさん@3周年 :03/10/19 16:26
祈りの時に、心が神へと誠実に働くのは、「神」と主なる「イエスキリスト」と「聖霊」による。 三位一体という機能が働く。
658 :
名無しさん@3周年 :03/10/19 16:32
神は時として、選ばれし者に対しては、「エロヒム」と名乗り、また恐るべき嫉む神、「アドナイ」として、 その多くは、「エホバ」と名乗っています。
659 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/19 16:37
それゆえ、<キリスト>がこの神の救済の歴史の頂点に出たことが最後に イスラエルの特権に数えられる。「肉によるキリスト」は1・3参照。頌栄 は11・36の終結部分と呼応し、歴史の支配者である神に対する賛美。 「キリスト賛歌」と解し、<キリスト>は、....神>とキリストを主語と するこの訳は無理がある(口語訳参照)。 (「新共同訳 新約聖書略解」p408)
660 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/19 16:43
>>659 エホバの証人とおなじような解釈ですね。
661 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/19 16:47
654と656のジースラー氏の見解についてのご感想は? >660
662 :
名無しさん@3周年 :03/10/19 17:00
>>653 では聞くが
創世記18の1の主は、18の2で三人の人の姿でアブラハムの前に現れている。
しかも、18の1の主はアレフ ダレット ヌン ヨッドではない。
ヨッド ヘイ ヴァブ ヘイである。
三位一体の神がアブラハムの前に現れたという以外、どのような説明が付くと言うのか?
663 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/19 17:48
>>662 それについてはユダヤ教のミドラッシュ(聖書の注解)がこう述べている。
『「目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた」(創世記一八・二)
この三人とはだれだろう?彼らは天使のミカエルとラファエル、それにガブリエルだった。
ミカエルは、サラに男の子が産まれることを伝えにきた。
ラファエルの役目はアブラハムの割礼の傷を癒すことであり、ガブリエルはソドムとゴモラを滅亡させるために送られてきたのであった。』
「賢者たちの【聖書】伝説 上(ミルトス)」より
664 :
名無しさん@3周年 :03/10/19 17:52
>>663 ミルトスは原始福音の異端
創世記18の1には天使などと書いていない。
又、天使の固有名詞も書いていない。
ヨッド ヘイ ヴァブ ヘイである
665 :
名無しさん@3周年 :03/10/19 17:52
意見は多く提出された方がよい。考える機会となりますから。
666 :
名無しさん@3周年 :03/10/19 17:55
イエスは、(信仰の模範)主ですかね。 人として神に祈ったのは、信仰の模範を示す為。
667 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/19 17:59
>>664 私としては、その三人は「父(=エホバ)・子(=ミカエル=イエス)・聖霊(=ガブリエル)」
だと思いますがね。これで全て説明がつきます。
>>665 同意。出来るだけ多くの意見があれば、その中から最も良い意見を選び取ることが出来ますからね。
668 :
名無しさん@3周年 :03/10/19 18:01
669 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/19 18:18
670 :
名無しさん@3周年 :03/10/19 19:01
創世記に書かれているあたりの時代だと、 天使が神と同一視されていそうな気はする。 たとえば、創世記32章で ヤコブと天使? が格闘した話
672 :
名無しさん@3周年 :03/10/19 19:14
673 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/19 19:17
ヤコブがヤボクの渡しで格闘したのは、日本で言えばカッパのような姿をした 神。「イスラエル」の語源を説明するための原因譚と思われます。ちなみにこの 伝承はJ資料とされています。 >670
674 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/19 19:30
ヤハウェ信仰の形成は部族の統合の過程と何らかの関係があるのではと言われて いますが、どうもヤハウェという名前は「高められる」「あがめられる」という 意味と言葉と関係があるらしくて、どうもそのことが一山岳神にすぎなかった ヤハウェが超越神にまで「出世」した理由の一つではないかと思われます。
相変わらず、或る福氏は「自分の信仰基準に合うように聖書を解釈する」立 場を無批判にとっているようですね。 内容を公平に吟味するのではなく、結論がエホバの証人的であるかどうかで 評価するという姿勢であるようですね。 マムレの樫の木のところでアブラハムに現れた3人を、三位一体の現れとみ る理解は、伝統的にあって、私の印象に残っているのは、東方の比較的 新しいイコンです。 しかし、それは無理でしょう。 新約聖書が書かれた時代にあったと推定される旧約解釈の可能性としては、 3人の内一人はヤハウェの顕現体であり、他2人は御使いであるというもの です(この二人はソドムに行って、ロトを助けている)。 ヨハネ福音書の著者は、このヤハウェ顕現体を旧約におけるイエス・キリ ストの姿とみていると、私は解釈しています。 ヨハネによればイエスはヤハウェなのです。
そもそも三位一体ってなに? へんな宗教の話やめた方がいいよ。 基地害と思われて、世間から相手にされなくなるよ。 キリは、結婚式ぐらいにしときな。
エホバの証人は、いやニューヨークの統治体は、と言ったほうがいいかな、 学問的成果が自分に都合がいいと、敵の首をとったように利用し、都合が 悪いと無視して、自分たちのレベルの低い議論をくりひろげます。 ですから、パウロの真正書簡が、イエスを神としてはいないということに ついては、標準的な学問的知見を使うので、有利になりますが、 ヨハネについては、ヨハネ自身はイエスをヤハウェと考える立場で語って いるので、これを否定するのにずいぶん苦しい言い訳をすることになるの です。
678 :
名無しさん@3周年 :03/10/20 02:36
福音書を書いたヨハネが 「イエス=旧約のヤハウェ」 と考えているのはわかりました。 黙示録を書いたヨハネは福音書のヨハネと同じ人でしょうか。 (「同じ人(使途ヨハネ)」 説もあれば、「別人(見者ヨハネ)」 説もあるようで......) 黙示録1:8 では全能の主なる神(ヤハウェ)が 「私はアルパであり、オメガである。」 と語っているのに対し、 黙示録22:13 ではイエスが 「私はアルパであり、オメガである。」 と語っており、 同一視している。
679 :
名無しさん@3周年 :03/10/20 02:44
>>672 確かに、「天使(御使い)」 とは一言も書かれていません。
「神」 だったり、「その人」 だったり、謎の存在ですね。
>>673 ありがとうございます。
その 「河童のような神様」 は、三位一体の神様とは無関係なのでしょうか。
「イスラエル」 とか 「ペヌエル(ペニエル)」 という言葉と関係付けられていますから、
カナンのエル神の関係者かもしれませんが......。
680 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/20 02:46
>>675 エホバの証人が間違っていることは当然でしょう。
>>677 真正書簡を云々するところですでに元福音派さんは、
福音派の聖書的立場を捨てて、リベラルやエホバの証人と同じ立場に立ってしまっている。
・旧新約聖書66巻は聖霊の霊感による原典において誤り無い神のことばです。福音派なら当然。
もう寝る。
681 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/20 11:01
>>675 >>「自分の信仰基準に合うように聖書を解釈する」立場を無批判にとっているようですね。
それは聖書を差し引いて読むリベラル、高等批評、進化論を無批判に受け入れる人たち、
イエス様を神様と信じられずに、そのように訳すエホバの証人やリベラルの人たちに向けられるべきことばでしょう。
682 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/20 11:11
683 :
名無しさん@3周年 :03/10/20 11:13
おれには福音派の聖書解釈の内容よりもその姿勢のほうが不気味。 解釈という行為から恣意性を排除することは不可能なのに、 正しい唯一の解釈が存在すると信じ込んでいるらしい点が本当にきもい。
>>680 まあ、言ってもしょうがないことだけど、このレスそのものが、私が指摘して
いる
「内容を公平に吟味するのではなく、結論がエホバの証人的であるかどうか
で評価するという姿勢」(
>>675 )
を裏付けてますね。聞く耳のない人にいくら語ってもしかたないということ
でしょうかね。
> 福音派の聖書的立場を捨てて、リベラルやエホバの証人と同じ立場に
> 立ってしまっている。
自分たちを基準にして、他者を切り捨てるというわけですね。
そういう立場からみれば、リベラルもエホバも同じですか?
あなたは何のためにこの板でリベラルやエホバの証人に対して、批判的書
き込みをしているのですか?自己満足のためですか?それとも伝道しよう
としている?
もし後者なら、パウロのように、「富める者に対しては富める者のように、
・・・・」してはいかが。
つまり、「リベラルに対してはリベラルのように、エホバに対してはエホ
バのように」語らなければね。
それを、自分の立場でなければ味噌も糞も一緒のような決め付け方では、
伝道に熱心という意味でのエバンジェリカル=福音派の看板が泣きますよ。
#私は彼らと同じ立場というより、もっと左です。「元」福音派と称して
いるのですから、現在福音派の立場のわけがないのは当たり前。それ
に対して、「福音派の聖書的立場を捨て」と言っても仕方ないよ。
>>681 | イエス様を神様と信じられずに、そのように訳す
エホバの証人には確かにこの判断は該当します。しかし、あなたのおっしゃる
リベラルが「そう訳す」のは、イエスを神と信じないからではありません。
あくまでもパウロの意図を正確に訳したいからです。
私は、パウロはイエスを神とは思ってないといいますが、ヨハネはイエスを
ヤハウェと見ていると言ってます。ですからヨハネ福音書の「ロゴスは神
であった」等々は割引しないできちんと訳すべきであることを了解してます。
そのことと自分がイエスを神だと思うかどうかとは別問題です。
或る福はこのような発言によって、パウロ自身がどう考えていたかは関係
なく、自分たちの信仰基準に合うような訳がいい訳だという、エホバと
大差ない立場をとっていることを告白しているようなものです。
686 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/20 11:31
>>685 あとテトスの手紙があるが、とにかく今は急いでいる。
それに元福音派さんは信仰無しに正しく訳せるわけないのはわからないですか。
687 :
名無しさん@3周年 :03/10/20 13:17
旧約聖書の王ダビデはエホバを神と定めていましたが、イエスの出現前にイエスを主と定め、 詩編などでイエスに対して祈り、また預言をしています。 また、イエスご自身も、ダビデについては王という表現を用いており、 イエスはダビデから数えて14代目になります。
>>686 テトスがでてきましたね。テサロニケの第二も挙げるべきでしょうね。これらは、イエスを神としている箇所として、基本的なものです。ロマ9などの曖昧なところよりも、こちらのほうがもっと早くでてくるべきでした。
私はこれらがイエスを神であると主張するところであることを支持します。テサロニケの第二などは、ひょっとするともっと極端に父なる神=イエス・キリストという後にサベリウス主義とされるような考えすらもっていたかもしれません(確言はできませんが)。
で、或る福氏も予想はしていると思いますが、「リベラル」と共に、私はこれらの文書はパウロのものではないと考えております。
パウロより後の時代の信徒集団のうち、パウロの権威を主張する人たちによって書かれたものでしょう。
> 信仰無しに正しく訳せるわけないのはわからないのですか
エホバはそれなりの信仰を持ってます。その信仰に合うように訳してます。正しく訳してるでしょうか?
だから或る福氏の言いたいことは
「正しい」信仰無しに正しく訳せるわけない
ということだと思います。そして「正しい」と或る福氏が評価する信仰とは、あいかわらず根本主義何か条かを認めるような信仰なのですね。ということは、
「福音派が持っているような信仰無しに正しく訳せるわけない」
と主張していることになります。
そんなこと私が認めるはずがないじゃあないですか。
「下手な信仰を持っているよりは、そんなものないほうが、まだましな訳ができる」
加えて、私は正典を訳すというようなつもりではなく、歴史的文書を訳すつもりでいますので、「信仰を持っていたとしても、それを棚上げした上で訳す」のがよいと思ってます。
689 :
名無しさん@3周年 :03/10/20 15:42
>688 或る福音派氏に必要なのは、真実を暴くことではなくて、聖書に代わる心の 支えを見つけてあげることだ。 依存症の人間がカルトにはまると、みんなこういう風になる。たとえ迷信とわか っている教義でも、依存症の人間にとって、それは自分自身に同化している から、引き剥がすと身を削がれるように辛い。 真実を告げるだけ、どんどん頑なになってしまって逆効果だよ。
690 :
名無しさん@3周年 :03/10/20 15:58
神は唯一 キリストは神の子であり、内に父である神を宿していた。 創造においての父 救いにおいての御子 働きにおいての聖霊
691 :
名無しさん@3周年 :03/10/20 16:21
>>690 成る程な、と思います。
勉強になりました。
692 :
疲れる ◆UmfzPDX9ts :03/10/20 16:27
>>690 異端。父のロゴスが主イエス。父の霊が聖霊だ。
693 :
疲れる ◆UmfzPDX9ts :03/10/20 16:27
694 :
名無しさん@3周年 :03/10/20 16:44
ヨハネ福 14 8 ピリポはイエスに言った、「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」。 9 イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。 10 わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである
695 :
名無しさん@3周年 :03/10/20 16:45
>或る福音派氏に必要なのは、真実を暴くことではなくて、聖書に代わる心の >支えを見つけてあげることだ。 それ以前に常識を身につけさせてやることだろ。 アイツ義務教育受けてないんじゃない?
696 :
名無しさん@3周年 :03/10/20 16:52
>>693 もうちっと、丁寧にレスしましょう。
人に教えるつもりならば。
697 :
疲れる ◆UmfzPDX9ts :03/10/20 16:57
698 :
名無しさん@3周年 :03/10/20 16:59
福音派は芯でください。
>>697 悔い改めなきゃならん事はお互い様で、その事を
自覚してもらいたいものでありんす。
700 :
名無しさん@3周年 :03/10/20 19:35
701 :
名無しさん@3周年 :03/10/20 19:50
>「下手な信仰を持っているよりは、そんなものないほうが、まだましな訳ができる」
>>688 同じことだ。読者の信仰を萎えさせるための文章を無意識のうちにしつらえてしまいそう。
702 :
名無しさん@3周年 :03/10/20 19:55
703 :
名無しさん@3周年 :03/10/20 20:22
>>692 >異端。父のロゴスが主イエス。父の霊が聖霊だ。
正教(三一論) ーーー> 聖霊は父から発出する
カトリック(三位一体論)−> 聖霊は父からも子からも発出する
もめて相互破門
>異端。父のロゴスが主イエス。父の霊が聖霊だ。
これは三一論???
>>692 早計
御子は、見えない神の姿
わたしが父におり、父がわたしにおられること
自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである
参ヨハネ14.10〜11
705 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/20 22:50
706 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/20 23:02
この
>>697 はただの騙りです。
>>699 そう。罪があることは自覚している。イエス・キリストのほかに救いは無い。
707 :
名無しさん@3周年 :03/10/20 23:50
父と子と精霊の精霊って何?
708 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/20 23:57
709 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 00:02
>>708 誤字でしたすいません
なるほど
神の力ってことでいいですか?
なんとなくわかりました
ありがとうございます
710 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/21 00:04
>>707-709 神は唯一です。そしてこの神は父なる神、御子キリスト、聖霊なる神の三位一体です。
>>708 聖霊は全能の神であって、天使とするエホバの証人は異端です。
711 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 00:05
>>710 全能の神ってことは父と子と同義ってことですか?
712 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/21 00:12
713 :
アリウス派 :03/10/21 01:03
聖霊は神ではない。 神はエホバ神だけ
714 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/21 01:09
715 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 01:32
神ご自身も霊なのですが(ヨハネ4章24節)、 その神がお与えになる霊というのは、ご自身の分身なのですか。 別「人」格のものですか。 それとも、単なる力なのですが。
717 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 01:37
何が違ってわざわざ分けてるのでしょうか
>>717 同じだよ。でも、度合いが違うだけなんじゃないの?
天地創造の神の火が100パーセントだったとしたら
ペンテコステの神の火は1パーセントとか。
719 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 01:45
詳しくは分からないのですが 唯一神ではないのでしょうか
720 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 09:58
>>715 電力会社と契約者の関係みたいなものと思われます。
電気を消費するといっても発電所設備の一部を分捕ってくるわけではないでしょ。
721 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 10:01
神ご自身が「霊」(発電所)。 人(契約者)にお与えになる「霊」(電気)。 で、聖霊も神がお与えになる「霊」なのですが、 やはり別人格なのですか。
722 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 10:29
キリストとは何者か? 1、万物より先に存在し全てをコントロールされる方。 2、αでありΩであるかた。つまり初めであり終わりである方。 3、その体であるキリスト教会の頭。 4、神に万物を和解させた方。 5、ご自身の体においてしかもその死において人と神を和解させた方。 さらに聖書ではキリストを神のみに適用される表現を用いて表現している。 ↓ 三位一体論
723 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 10:50
>719 神が唯一絶対であれば、神は宇宙に遍満するしか「身の置き所」 がない。「ここには神があるが、あそこにはない」ということなら、 神は空間によって制限されてしまい、絶対というのと矛盾する。 そうなると、聖霊というのは神の創造物ということになる。なぜなら、 この人には聖霊が下っているが、あの人には下っていない、という ならば、やはり聖霊は空間に制限されていて、神とは別物というこ とになるから。 さて、人間に生まれつき聖霊をくっつけなかったのは神の意志という ことになる。だから、善人にも悪人にも太陽の光や雨を恵まれる 神様が、聖霊についてだけはエコヒイキするという矛盾を生じる。 使徒行伝のペンタコステの記述は、イエスの教えと明らかに反して いる。もちろん、後世の教会関係者の捏造だ。
724 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 11:39
))719 エコヒイキしているという考え方の裏には、神は全ての人間を 公平に扱わなければならないと言う考えがあります。 しかし神には裁き主として、罪人を罰する権利があると同時に ある罪人を無償で救い出すこともできるのです。 ある者には憐れみを示し、限りない恵みを与え、ある者には、 永遠の裁きを下し、神の義を示すのは、我々には測りがたい 神のみこころなのです。
725 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 11:43
>723 罪人を罰する、あるいは無償で救い出す権利が神の側に あるというのは、それでよいとして、 聖霊≠神 というのには異論なしですか?
726 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 13:10
>725 父≠子(キリスト)≠聖霊 父=神 子=神 聖霊=神 神の属性の一つに「愛」がありますが、神が世界を創造する前、 被造物が何も無かった時、神はいったい誰を愛されたと言うのでしょう。 愛する対象を必要とするとしたら、神は自己充足とは言えません。 愛する相手を求めなければならないなら、神は神でなくなってしまいます。 唯一の神には三つの位格があり、父、子、聖霊の間で、豊かな愛の交わり が存在します。ですから、神はおひとりで、なにものをも必要とされません。 三位一体は人間には十分に理解できませんが、神は人間の知性や理性を はるかに超えておられる方です。聖書には三位一体を示す言葉やヒントが たくさんあります。人間の理性と対立するから信じないのか、神は、わたしの 思いを超えて偉大な方であると認めて信じ受け入れるかのどちらかでしょう。
727 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 13:25
>726 A=Bである、とA=Bではない、というのは、互いに相反 します。一方が正しければ、他方は必ず間違っている。 これは論理の基本です。 だから、 「父≠子(キリスト)≠聖霊 」と、 「父=神 、子=神 、聖霊=神 」 というのは論理的に矛盾しています。 >三位一体は人間には十分に理解できませんが、神は人間の知性や理性を >はるかに超えておられる方です。 しかし、その三位一体は人間が作り出したものです。聖書のどこにも「神は 三位一体だ」とは書いていない。「天の父」や「人の子」や「聖霊」という名称 から、論理的に推理して、でっちあげたものです。つまり、「人間の知性や 理性(論理)を超えている神について、一切の論理が通用しないのならば、 三位一体もまた無効です。 三位一体だけは有効で、それに対する論理的判断だけを否定するならば、 詭弁になります。
728 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 13:37
三位一体はこういうことでないのか? 潜在意識として神は子の内にあり、子はそれを認識する ことにより神の内にある。そして、意識の本質は(相互 作用はあるにせよ)物理的存在ではないので、すなわち 霊である。
>>727 君の論理は古いというか幼いというか。現代は、二値論理による判断だけではないぞ。
多値論理という世界もあるぞ、暇があったら調べてみ。
ところで、三位一体は形而上ということにして、論理外と決めしまってもいいのではないか?
730 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 13:42
>727 聖書には他にも矛盾に思えることがらがあります。 それは神の絶対主権と人間の自由意志です。 どちらかを認めるとどちらかを制限しなければなりません。 両方とも同時に成り立たないように思われます。 しかし、神は絶対的主権者であり、思うことをことごとく 実行されます。神の御手をさえぎって、何をするのかと 言いうるものはどこにも存在しません。 そして人間には自由意志が与えられています。 いかなる場合も、神が自分の考えを実行する為に、 人間の意志を力でねじ伏せるということはしません。 ある人がAかBを選ぶ場合、Bを選んだとして、神は、 Bを選ぶことを予知して、それに沿った計画をたてる わけではありません。最初に神が主権的にBを選ばせる 事を決定し、その人は自分の自由意志によってBを選ぶ わけです。これは二律背反しているように見えますが、 わたしは両方とも受け入れています。 神に三つの位格があり、しかも神は唯一であるということ も、矛盾に見えても真理なのです。
>>730 矛盾でもなんでもない、単なる三値論理なだけ。
A(真)、B(偽)、C(真でも偽でもない、いわば不確定)ということ。
732 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 14:08
Cがあるから、自由意志もありうる。
733 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/21 14:13
>>685 >パウロ自身がどう考えていたかは関係
>なく、自分たちの信仰基準に合うような訳がいい訳だという、エホバと
>大差ない立場をとっていることを告白しているようなものです。
はい?リベラルのことでしょう。イエス様を全能の神と信じたくない、という動機から読み込んでいる。
さて、聖書的、学問的にこの箇所はパウロがイエスを神としていたと読みうるのです。
新改訳が翻訳されたのはリベラルの翻訳した口語訳聖書が、
イエスを神としない、という解釈でしか読めないような訳になっていたことに対する
問題意識があったそうです。しかも、口語訳聖書はやがて新改訳聖書を訳すことになる福音派の牧師たちの
抗議にまったく返答しなかったといいます。口語訳の翻訳者達はこのように非学問的な態度をとったのです。
謙虚に聖書を読み、学問的に検討し、神のことばに耳を傾ける姿勢に欠けていた。
>>731 例えば、「曖昧な」とか、不確定な要素を嫌うのであれば、
Cの結果に対してまた三値論理をネストすればいいだけ。
まあ、これだとトートロジーに陥る可能性は残されているが、
別に回避出来ないこともないわけだから・・・
735 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/21 14:16
>>688 エホバもリベラルも聖霊によって新生していない者の集まり。
(リベラル教会の中に新生した者がいないわけではないが、彼の受洗の条件は新生では無い。)
福音派は新生したキリスト者の集まりです。
再生した知性で無いと理解できないことがある。
736 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 14:21
>>735 真性したキリスト者の集まりというより、ローザンヌ誓約を聖書代わりとする集団だろ。
737 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/21 14:21
>>500 1+1+1=1ということは無い。
この本の著者はあっさり言っている。「神は無限のお方なのだから∞+∞+∞=∞」
『キリストの神性と三位一体』(いのちのことば社)
738 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/21 14:25
>>736 聖書に啓示され、ローザンヌでも表明された福音の真理に同意することが出来る新生したキリスト者の集まりです。
739 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 14:35
∞+∞+∞=∞ これねえ、こう書けない事もないが、記号∞の扱いかたが違うね。 それにトートロジーだし、意味ない式だあね 1=1、0=0 と同じだ。 それと、1+1+1=1は、背景が算術なのか、論理なのかで意味が異なるし、 記号の意味によってどう取り扱いかで違う結果が出るし、何進を使用するかでまた違うし・・・ 要は無いと言えない、それ以前に前提がないので、それだけでは無意味な式。
>729 A=BとA≠Bが背反なのは、論理の常識でしょ。 「正しい、間違い、わからない」で言えば、 「A=BとA≠Bが両立する」というのは、間違い。 それに、あなた自身が詭弁にはまっているのに気付いて ないんじゃない? 三位一体は形而上だから、論理外だ、 -->三位一体が正しいかどうかは、人間には判断できない -->しかし、三位一体は正しいのだ これを要約すると、「三位一体は正しいから正しいのだ」???
741 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/21 14:43
>>739 もう少し正確に引用しておく。
「彼らは(三位一体を否定する異端のエホバ証人)数学的な発想に固執し、
神の偉大さを数学的に割りきろうとしています。
三位一体の教理は、いわば1+1+1=1と教えるようなものだから、全く理に合わないと見なすのです。
・・無限の存在である神をそのように限定された「1」という数字で表すことは、不適切なことです。
もし聖書の教える神をあえて数字や数式で表そうとすれば、
神は無限の方ですから∞+∞+∞=∞となるでしょう。
しかし、私たちは神を数学的な合理性の枠の中に押し込めてはならないと考えます。」
742 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 14:45
>>738 聖書の啓示 AND ローザンヌ誓約での福音の真理
この論理積という意味に取らせてもらったよ。
これだと、聖書の啓示ではこう言ってるが、ローザンヌではこう言っていないの場合、こう言っていないになる。
つまり、聖書よりもローザンヌが優先することがあると言うことだ。
>730 いわゆる「因果律の不可知性」ですよね。 サイコロを振って、ランダムな目が出る。これは統計によって ランダムだということが証明できる。 しかし、神が意図的にランダムな目を出したということは否定 できない。ランダムの裏に意図があるかないかは、現象その ものからは判定できない。 >神に三つの位格があり、しかも神は唯一であるということ >も、矛盾に見えても真理なのです。 神は唯一であるというのは、旧約聖書に出て来るから神から の啓示だと認めるとしても、三位一体はイエス自身に説かれた ものでも、十二使徒によって説かれたものでもありません。 イエスの死後、数百年かけて、神学者達が論理によってでっち あげたもので、何ら神聖なものではありません。 本当に三位一体が神からの啓示ならば、「わからない」と判断 することは許されているが、人間の論理でできたものである限り 「間違っている」。なぜなら、論理に反するから。
744 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 14:51
>>740 >論理の常識でしょ
そうね。一般的ではないが、あくまでも特殊な限定された領域だったらね。
>三位一体は形而上だから、論理外だ、
>-->三位一体が正しいかどうかは、人間には判断できない
までは言ったが、
だーれも --->しかし以下のことなど言っていませんが、なにか?
三位一体は、犯人がでっちあげたアリバイ工作のような代物です。 イエスの教義から、自分の都合のよい解釈をひねり出すために、 最初は小さな嘘をついた。ところが、そこからほころびが出てきて、 次々により大きな嘘をつかざるを得なくなった。 その結果、神は三つ頭の化物のような姿になり、「神学」という名の 砂上の楼閣が無知蒙昧な人間の頭上に千年以上ののしかかる 結果になった。
746 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 14:59
>>741 >しかし、私たちは神を数学的な合理性の枠の中に押し込めてはならないと考えます。
確かにそうだが、その前に数学で神を扱えるのか?答えは然り、扱えない。
因みに1+1+1=1 が数学的に成り立つケースもあるので、全く理に合わないと言っている輩も輩だが・・・
そもそもだ。「三位一体」の呪文を唱えたら、どんな魔術が起こる というんだ。 人間が神に救済される時には、「○位△体」という穴埋め試験を 通らないとダメだとでも言うんだろうか。「三」も「一」も、神の救済 のメカニズムを説明するだけで、救済そのものとは何の関わりも ないことを認めるべきだ。 車は、誰でもアクセルを踏めば発進する。エンジンやトランス ミッションの仕組みを知ろうか知るまいが、関係ない。ましてや、 神の救済は人間の論理を超えているのに、なぜそれを論理で、 「三」や「一」で説明せねばならんのだ。 キリスト教会は、昔からアリストテレス哲学に頼ることを通じて、 こういう愚行を繰返してきた。神学を科学によって武装しようと して、結局は科学から反対に裁かれてしまった。 本当に正しいと信じているならば、言い訳など必要ないはずだ。 「三位一体」が必要になる理由は、神の救済を自分流の論理で ねじ曲げたという良心の呵責を誤魔化すためということにすぎない。
748 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 15:22
>被造物が何も無かった時、神はいったい誰を愛されたと言うのでしょう
>>726 「自分自身を愛するのと同じ仕方で隣人を愛しなさい」 - イエス・キリスト
アリストテレス哲学なんざぁ、19世紀後半から瓦解し始め、 21世紀の今となっては太古の神話と同じ扱いだわ。
750 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/21 15:41
>>748 そこでもやっぱりイエス様は、隣人を設定してるじゃん。
神は三位一体です。
751 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/21 15:45
アタナシウス信条 「我らが一つなる神を三位において、三位を一体において、礼拝することである。 しかも、位格を混同することなく、本質を分離することなく」
752 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 15:54
753 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 16:03
754 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 16:14
>>750 御言葉を思い浮かべてもらったのは、「他者を愛する」という美質を身に付けることが出来るのはそれ以前に「自分を愛する」ことを習得している者だけである、と言いたかったからです。
被造物がまだだれもいなかった頃から主は[愛に富まれる]方だった、と考えるのはちっとも無謀ではないと思います。
755 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 16:17
神が存在するには、神を知る者がいなくてはなりません。
756 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 16:21
要するに原因と結果が同時に生じます。 鏡を互いに向かい合わせると無限長のトンネルのような ものが映しだされます。それによく似てる。
757 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 16:22
三位一体は宇宙の真理です。信じないものは教会から出て行きなさい。
758 :
或る福音派信徒 ◆6yugqI8E3U :03/10/21 16:26
>>754 自己愛はニューエイジの思想。異端です。
759 :
或る福音派信徒 ◆6yugqI8E3U :03/10/21 16:27
>>754 自分を捨てて愛が得られるのであり自己愛からは他者愛は発生しません。自己愛はヒューマニストの作り事です。
760 :
アリウス派 :03/10/21 16:28
エホバ神だけが唯一の神。それ以外は神ではない。 エホバ神に礼拝せよ。 聖霊に礼拝するなど言語道断!
761 :
或る福音派信徒 ◆6yugqI8E3U :03/10/21 16:29
>>760 父と子と聖霊は一体です。それを信じない者は言語道断。
762 :
或る福音派信徒 ◆6yugqI8E3U :03/10/21 16:31
他のために自分の命を捨てる者は永遠の命を得ます。
763 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 16:37
>754 無駄だよ。世の中には「隣人愛」の何たるかが理解できない人間という のがいるもんだ。そういうのに限って、信条やら戒律を振り回して他人 を裁くんだ。 放置しておきなよ。
764 :
或る福音派信徒 ◆6yugqI8E3U :03/10/21 16:44
他のために自分の命を捨てる者は永遠の命を得ます。 他のために命をなげうち永遠の命を得たキリストが何よりもそれを証明しました。 異端者は悔い改めてください。
765 :
或る福音派信徒 ◆6yugqI8E3U :03/10/21 16:46
766 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 16:47
767 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 16:49
>>764 迫害されるためにキリスト教があるみたいな感じ。
768 :
或る福音派信徒 ◆6yugqI8E3U :03/10/21 16:51
創造主なる神は道を踏み外した子供たちが元に戻れるようにと 自ら実物教訓をおあたえになることを決意されたのです。 それがイエス・キリストです。信じてください。
769 :
或る福音派信徒 ◆6yugqI8E3U :03/10/21 16:52
770 :
或る福音派信徒 ◆6yugqI8E3U :03/10/21 16:52
>>767 まったくそのとおりです。
迫害されるものは幸いです。
771 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 16:54
>>755 「神」・・・信者がいて崇拝されている奴
という定義なら755の言い分は正しいかもしれない。
しかし、全ての被造物が背くとしても、わが主が「全能なる至高者」である事には変わりありません。
>765 自分の心ん中をよ〜く観察してごらん。 なぜ、自分を騙すんだ?自分では全然信じちゃいないくせに。 自分を騙してまで救済が必要なあなたの心に問題があるんだぜ。 現実から目を逸らさずに、それを見つめることだ。
773 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 16:56
>764 無駄だよ。世の中には「自己愛」の何たるかが理解できない人間という のがいるもんだ。そういうのに限って、空しい議論を振りかざして キリスト者を裁くんだ。 放置しておきなよ。
>772 自分の心ん中をよ〜く観察してごらん。 なぜ、自分を騙すんだ?自分では全然信じちゃいないくせに。 自分を騙してまで救済が必要なあなたの心に問題があるんだぜ。 現実から目を逸らさずに、それを見つめることだ。
775 :
或る福音派信徒 ◆6yugqI8E3U :03/10/21 16:59
素直に子供のようにイエス様を信じて悔い改めてください。
告白するが、いくら何でも他人のために死にたくねえ。 少なくとも俺は。
777 :
或る福音派信徒 ◆6yugqI8E3U :03/10/21 17:02
>>776 悔い改めてください。他に命を譲り渡すのが自然界に神が定められたおきてです。
「一粒の麦死なずば・・・」
わかりましたね?
778 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/21 17:04
>>735 小さな群れ=刻印を押された14万4000人のイスラエルの子ら以外は聖霊によって新生することはありません。
>>737 「1×1×1=1」じゃないの?
>>760 同意。
>>761 天使を神として、それを崇拝の対象にする者は言語同断。
779 :
或る福音派信徒 ◆6yugqI8E3U :03/10/21 17:06
>>778 144000人とは別に無数の群集がいます。黙示録7:9
天使崇拝者は死になさい。
>776 うんうん。それがまともな人間だよ。 熱心なキリスト教徒なんて、一皮剥けば、天国の席欲しさに 自己犠牲めいた言葉を口にする偽善者の集まりさ。自分で 実行する勇気もないくせにな。 勇気がないから、自分を十字架に掛けられない。だから、 イエスさまを代わりに掛けて拝むって寸法だ。奴らには勇気の ひとかけらもありゃしねえ。口だけ達者だが、要するにすべて 嫌なことはイエス一人に負わせて、自分だけ安泰を決め込もう って悪人ばかりだ。 サタンの俺でさえ、ムカついてしょうがないぜ。
781 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 17:15
>>777 実際、俺個人のために死んでくれるようなヤシがいたら・・・
つーか、いるわけねえじゃん。
782 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/21 17:18
783 :
或る福音派信徒 ◆6yugqI8E3U :03/10/21 17:27
784 :
或る福音派信徒 ◆6yugqI8E3U :03/10/21 17:33
神の三位一体は地球上の数学概念では公式化できません。 それは3次元を超えている神の領域です。 足し算、引き算、掛け算は意味を成しません。 しいていえば、聖四面体にその鍵がある。
785 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/21 17:40
>>783 「異端です」で反論になるなら俺の発言ほとんど反論されちゃうよ。。。
786 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 17:44
787 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 17:44
>>784 聖四面体?
正四面体のことすか?プリズム?
788 :
或る福音派信徒 ◆6yugqI8E3U :03/10/21 17:47
789 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/21 17:56
>>788 だからさー。どこが間違っているのか具体的に指摘してよーー。
>>788 プリズムだとすりゃあ、
太陽光の連続スペクトルを分離→光・・・真理・・・命・・・光の子
・・・連想でばらばら出てきた・・・
791 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 18:17
>>737 >神は無限のお方なのだから∞+∞+∞=∞
横槍スマソ。三位一体はそういう意味ではないです。
実体が一つで位格が三つという意味にすぎません。
位格が三つあれば、あくまで位格は三つです。
実体が一つというだけ。勝手な概念を導入するのはやめた方が。
792 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 18:21
>>778 >天使を神として、それを崇拝の対象にする者は言語同断。
聖書のプニューマは天使ですか?
ということは、神ではないプニューマ崇拝は偶像礼拝では?
793 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 18:31
欧州でカルト指定していされた教団 Sahaya Yoga : 日本じゃ無名。 統一教会 : 言わずと知れたカルト・・・ 創価学会 : 金力を背景に政治力はあるカルト、最近凋落ぎみ・・・ サイエントロジー : 日本じゃマイナーだが危険。 崇教真光・真光系 : 手かざしで有名、霊障を売りにするカルト。 アンマン派 : 日本じゃ無名 セブンスデー : せいぜい異端 エホバの証人 : 暴力は無しだが真正カルト
794 :
アリウス派 :03/10/21 19:06
>>761 「…唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています…」Tコリ8.4
「わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出…」Tコリ8.6
唯一の神はエホバ神を表している。三位一体神ではない。
エホバ神を礼拝するため御子と聖霊が働くのです。
唯一の神はエホバ神のみ
エホバ神を礼拝せよ。
>>794 じゃ、創世記になんで神は「われわれ」と複数形で出てきたのさ。
796 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 19:28
>>795 神の充満性を表すための尊厳複数。
ヘブライ語の「えろひむ」は複数形と聞いています。
やもめが飛んだ日 好評発売中!?
798 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/21 19:32
>>792 >聖書のプニューマは天使ですか?
そうです。
>ということは、神ではないプニューマ崇拝は偶像礼拝では?
そうです。崇拝の対象はエホバだけです。
>>795 「エロヒム」は「神々」という意味だけど、神が複数いるわけではないでしょ?
>>796 だから神の位格が複数あるってことなの。バカ?
800 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/21 19:42
>>799 「兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、
『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。」(マタイ5:22)
801 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 19:43
パウロの書簡から、三位一体の神を導くのは無理と思われ パウロは、預言と律法からイエスキリストの福音を伝えようとしている 預言と律法はユダヤ教の聖典 ユダヤ教では、三位一体は、異端
802 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 20:01
>>798 エ保証は、プニューマ(プネウマ)は 「霊」 と訳し
天使と同一視はしていない。
803 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/21 20:07
>>802-803 使徒ははイエス様を「私の主、私の神」(ヨハネ20:28)と呼び、天使と同一視はしていない。
806 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 20:18
>>806 「私の主の母よ。。。」
いつ、エリサベトが天使崇拝をした!馬鹿野郎!
808 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/21 21:08
>>804 続いて、「神と子」もしくは「主とキリスト」が、“the A and the B”の形式で記述されている聖句を挙げます。
つまりこれは、冠詞の用法が、厳密な意味でのシャープの法則には当てはまらない場合です。
まずは、ヨハネ 20:28です。
新世界訳聖書(エホバの証人)「それに答えてトマスは彼に言った、「わたしの主、そしてわたしの神!」」
新共同訳聖書(カトリックとプロテスタント)「トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。」
口語訳聖書(プロテスタント)「トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。」
新改訳聖書(ファンダメンタル)「トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」」
ここは、英語にして“the Lord of me and the God of me”の形になっています。
この聖句は、シャープの法則によって三位一体論を擁護したい三位一体論者にとっては頭の痛い聖句です。
というのも、三位一体論的なシャープの法則をそのまま適用すれば、神とイエスとは別個の存在であるということになってしまいます。
この問題を解決しようとして、三位一体論者はこう論じます。
「ここでは、神とイエスとの両方に冠詞が使われている。
これは、神とイエスとがお互いに対等であることを意味している。そこで、この聖句は三位一体を証明する聖句である」。
しかし、これは大きな矛盾です。
結局、三位一体論者に言わせれば、定冠詞の用法がどちらであっても、結論は同じで、キリストは神ということになります。
これでは詐欺です。
あるいは、三位一体論者はこう述べます。
「ここで、トマスはイエスが主であり、神であると認めたのだ」。
しかし、このように述べると、その人は、三位一体論を擁護するためにシャープの法則を捨てたことになります。
http://biblia.milkcafe.to/thesis007.html
809 :
三毛猫 ◆Lvowcu9EIE :03/10/21 21:17
>>808 英語を持ち出しても意味がないと思います。
三位一体の神様が3人でアブラハムを訪ねたときに、
アブラハムは「私の主よ、私の神よ」といいました。
810 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 21:25
>>809 ふーん。その三人の一人がイエスだったんだ。
811 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/21 21:26
>>809 ギリシア語で“the A and the B”の形式で記述されているという意味です。
812 :
三毛猫 ◆Lvowcu9EIE :03/10/21 21:38
聖母マリア様がエリザベトをご訪問になったとき、 エリザベトは聖霊に感じて言いました。 「私の主のおん母がおいでになるとは」 イスラエルの人々にとって「私の主」とは「私の神」です。 エリザベトの告白を聞いてから、マリアは聖霊に満ちて歌いました。 「わが霊魂は主を崇め奉り・・・」 イエズスは神です。
813 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/21 21:45
814 :
三毛猫 ◆Lvowcu9EIE :03/10/21 21:53
>>813 聖母マリア様がエリザベトをご訪問になったとき、
エリザベトは聖霊に満たされて言いました。
「私の主のおん母がおいでになるとは」
イエズスはイスラエルの主です。イスラエルの主は神です。
イエズスは神の御子です。
815 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/21 21:56
>>814 もちろんイエスはイスラエルの主どころか全人類の主であり、エホバも全人類の主ですが
これは「キリスト」をあらわす称号であって、旧約の中で「エホバ」という意味で使われている「主」とは違うものです。
816 :
三毛猫 ◆Lvowcu9EIE :03/10/21 22:02
聖書はイエズスが神であり、神の御子であることを証しております。 処刑に組したユダヤ人さえ 「まことに神の御子であられた」と認め告白しております。 素直にみ言葉を受け入れてください。
817 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/21 22:10
>>816 そうです、イエスは神の御子です。
「天からの声があって,こう言った。『これはわたしの子,わたしの愛する者である。この者をわたしは是認した』」(マタイ 3:16,17)
しかし、神の御子であっても神ではないというのが私の考えです。
818 :
三毛猫 ◆Lvowcu9EIE :03/10/21 22:21
>>817 いいえ。イエズスには神格があります。それを認めてください。異端になります。
819 :
三毛猫 ◆Lvowcu9EIE :03/10/21 22:22
私はこれで失礼します。おやすみなさい。
820 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 22:24
>>818 139 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2003/10/20(月) 00:01
或るチャンとも合わない。。
調和という言葉で聖書解釈を混乱させる。
あなたの宗派を教えてください。。
>>129 141 名前:アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA 投稿日:2003/10/20(月) 00:03
>>139 浄土真宗です。
821 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/21 22:27
>>818 >いいえ。イエズスには神格があります。
すみませんが聖書的根拠をあげてください
>それを認めてください。異端になります。
正統が正しくて、異端が間違いだとは限りません。
>>819 おやすみなさい。
ちなみに東本願寺派です。
825 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 22:56
856 :アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/21 22:42 エホバの証人さんいますか? キリスト=ミカエルの根拠と、地獄の否定の根拠と、イエスの神格の 否定の根拠について教えていただきたいのですが。 どなたか相手していただけないでしょうか?
826 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 23:18
827 :
名無しさん@3周年 :03/10/21 23:19
欧州でカルト指定していされた教団 Sahaya Yoga : 日本じゃ無名。 統一教会 : 言わずと知れたカルト・・・ 創価学会 : 金力を背景に政治力はあるカルト、最近凋落ぎみ・・・ サイエントロジー : 日本じゃマイナーだが危険。 崇教真光・真光系 : 手かざしで有名、霊障を売りにするカルト。 アンマン派 : 日本じゃ無名 セブンスデー : せいぜい異端 エホバの証人 : 暴力は無しだが真正カルト
828 :
名無しさん@3周年 :03/10/22 11:47
>>799 だって実体は一人なんでしょ、それなら単数形にするべきだよ。
829 :
名無しさん@3周年 :03/10/22 12:05
>828 ヘブライ語のことは知らんけど、フランス語にも似た用法があるよ。 「君」はtuで単数だけど、敬称の「あなた」はvousで、複数形の 「君たち」と見分けがつかなくなる。だから、口頭で「Vous etes belle!」 と言えば、聞いただけでは、相手が一人なのか複数なのかは判断 できない。 >796さんの言う「尊厳複数」ってそういうことじゃないの?
830 :
名無しさん@3周年 :03/10/22 15:43
究極的なものはただ一つであると考えると、物と物を区別する意味がなくなり ます。この世の多様性も究極的には一つに集約されるからです。 究極的なものは複数あると考えると、やっぱり物と物の区別に意味がなくなり ます。存在するそれぞれが究極的なのですから、すべての物の間にある論理学 的つながりが消えてしまいます。ある物の上に何物かが存在することを認めな いのですから、一つの物の説明とか意味がなくなります。 こうして哲学では一と多の問題は解決することができないわけですが、幸いに もクリスチャンは三位一体の神様のおかげで、完全な解決が与えられています。 三位一体の神様は、本質においてただ一人の神であり、同時に父、子、聖霊の 三つの位格(ペルソナ)をもっておられます。一であって同時に三であり、 三であって同時に一なのです。ここに哲学の根本的問題である一か多の問題を 解決する鍵があるのです。
831 :
名無しさん@3周年 :03/10/22 15:51
>830 そういうのは、子供騙しの屁理屈って言うんだよ。 ポケットの中にビスケットを入れて、ポケットを叩くと3つになった。 さて、3つに分かれたビスケットは、ひとつのビスケットの破片で あり、一部である。だから、三とも言えるが、同時に一(の一部)で もある。「三位一体のビスケットは、本質においてただひとつの ビスケットであり、同時に3つの異なる形を持った破片として、 三つの位格(ペルソナ)をもっている」....というわけだ。 幸いかどうかは知らんが、ビスケット一枚で子供を言いくるめる位 は簡単にできるわな。 どうせなら、もっと叩きがいのある詭弁をキボンヌ。
832 :
二毛猫 ◆fwPLt9.72Y :03/10/22 15:53
縦横高さで3次元の骨組みが成立する。 それに時間軸が加わって3次元が動く。 三位一体は3次元で知覚できる神の性質。
833 :
名無しさん@3周年 :03/10/22 15:57
>832 それは単なる類推から作った臆測にすぎません。
834 :
二毛猫 ◆fwPLt9.72Y :03/10/22 15:59
>>833 事実です。三次元世界に生きるものは三次元的にしか神の概念を捉えられないのです。神は次元を超えています。
835 :
名無しさん@3周年 :03/10/22 16:17
>834 3次元世界を表わすのに3つの軸が必要ということと、神の三位一体 には何の関わりもないでしょ。そういうのを詭弁というんだよ。
>>835 「詭弁」とは言わない、「関係がない」と言う。
837 :
二毛猫 ◆fwPLt9.72Y :03/10/22 16:23
三次元世界にいるものは三次元的にしか知覚できないことは明らか。それ以上何も言う必要なし。
838 :
名無しさん@3周年 :03/10/22 16:23
む・むずかしすぎる・・・ そんなの一般信徒には難しすぎます。 神様は何でもあり。 しょせん、私たち人間ごときには、理解できないのでは?
>>837 次元ってあなた数学的に考えているのか?
840 :
名無しさん@3周年 :03/10/22 16:24
三毛猫は三色だから三匹一体。
841 :
二毛猫 ◆fwPLt9.72Y :03/10/22 16:27
>>839 三位一体は次元という用語と概念を持たなかった古代人が
神を表現するのに用いた唯一可能な説明だったと思われ。
>>841 いや、俺が言いたいのは、あなたが次元という概念を数学的に扱っているのか、
物理学的に扱っているのか、どちらなの?と言うことだよ。
>>830 > 三位一体の神様は、本質においてただ一人の神であり、同時に父、子、聖霊の
> 三つの位格(ペルソナ)をもっておられます。一であって同時に三であり、
> 三であって同時に一なのです。ここに哲学の根本的問題である一か多の問題を
> 解決する鍵があるのです。
人間だって、父と子と母についていえば、3つの人格だけど、人間としては一つ
なんじゃないか?三位一体論の理論構成をした人たちの哲学ではそうなるんだ
けど。だから、上に引用したような理屈では、何も解決してないぞ。
844 :
名無しさん@3周年 :03/10/22 16:39
>843 父と子と母は人間として一つではない。それぞれ別人格である。
845 :
名無しさん@3周年 :03/10/22 16:43
父と子と母は人格は3つあっても一体。
846 :
名無しさん@3周年 :03/10/22 16:43
>>841 高さ、幅、奥行き、これくらいの言葉は古代のユダヤ人も持って
いただろうに。そら、失礼つうもんでしょ。
>>808 > 続いて、「神と子」もしくは「主とキリスト」が、“the A and the B”の形式で記述されている聖句を挙げます。
> つまりこれは、冠詞の用法が、厳密な意味でのシャープの法則には当てはまらない場合です。
> まずは、ヨハネ 20:28です。
なんか変だ。エホバからすれば、ここは「厳密な意味でのシャープの法則にあて
はめると都合がいい」場所なんじゃないか?どうして「当て嵌まらない」なんて
言うんだろう。三位一体論者が「当て嵌まらない」というのなら分かるが。
かつ、こういう呼びかける発言について、グランビル−シャープが当て嵌まる・
当て嵌まらないというのはナンセンスだ。文法の使い方が分かってないんじゃ
ないか?
ここは「the A and the B が何かをした」でも「何か(誰か)がthe A and
the B に何かをした」でも、またその他そういう文章の一部に使われている
ものではなく、ただthe A and the Bであり、呼びかけないし告白なのだ。
文の省略された形としてみても
「あなたはthe A であり また(and)あなたは the B です」
とみることが妥当だろう。それとも
「あなたはthe A and the Bです」
だと言うかい?どっちにしてもエホバには都合の悪い箇所だ。
そもそもエホバはグランビル−シャープが守られていないという細い線に頼って
第二テサロニケだのテモテやテトスの、イエスについて「主にして神」としてい
るところを切り抜けようとしているわけだから、ここでそれを持ち出して云々す
るのは、諸刃の剣なんじゃあないか?
>>847 エホではないが、あなたのレスを読んで次のところがよく解らないので言う。
> 「あなたはthe A であり また(and)あなたは the B です」
>とみることが妥当だろう。それとも
> 「あなたはthe A and the Bです」
>だと言うかい?
前者「」内と、<それとも>以下の後者の「」内の違いはなに?
849 :
名無しさん@3周年 :03/10/22 18:25
>843 >人間だって、父と子と母についていえば、3つの人格だけど、人間としては一つ >なんじゃないか? なるほどね。父の精子と母の卵子が結合したと考えると、生まれてきた子は 父と母のそれぞれ一部でもあるという考え方ね。こりゃあ、おもしろい。 こういうのもあるよ。手にある5本の指は、別のようで実は一体化している。 どこにも切れ目がないからね。あるのは「しわ」だけだ。 いずれにせよ、ちょっと考えたら「三位一体」の説明材料なんてわんさか見つ かるね。
多分、キリスト教の三位一体を生み出したのは、「宗教と世俗権力と財力」 の「悪の三位一体」だったんだろうね。
851 :
名無しさん@3周年 :03/10/22 18:37
>>848 「あなたは緑色です、そして、あなたは黄色です」と言うか
「あなたは黄緑色です」と言うかの違いです。
852 :
名無しさん@3周年 :03/10/22 18:53
人には、個別の自我があり、その奥には超自我(潜在意識)が ある。 だから、イエスはこう言った。 ヨハネ 5:30 「・・・・わたしは自分の意志でなく、わたしをお遣わしになった 方の意志を果たそうとするからである」。
853 :
名無しさん@3周年 :03/10/22 19:36
>>851 次の
>「あなたは緑色です、そして、あなたは黄色です」と言うか
>「あなたは黄緑色です」と言うかの違いです。
は、
>「あなたはAです、そして、あなたはBです」と言うか
>「あなたはCです」と言うかの違いです。
という論理構造になっていますけども・・・
854 :
名無しさん@3周年 :03/10/22 19:48
>>799 だから、熟慮のとか威厳を示す複数形ていうの。
数の複数形じゃないの。
だから聖書の翻訳では単数形なの
フランシスコ会訳とか岩波訳とか
教会か本屋で見てみたら。
旧約聖書から三位一体は導きだせんと思われ。
>>848 ,
>>851 ,
>>853 > 「あなたはthe A であり また(and)あなたは the B です」
> 「あなたはthe A and the Bです」
私自身の意見は、どっちにしても同じことになってしまうだろう
と、エホバの説明に対して突っ込んでいるのです。
エホバの「the A and the Bなんだから、AとBはシャープ法則を
使う限りは別々のものについて言われることになる」という
論は、これに動詞等々をつけて完全な文を想定した上でないと
吟味できないわけですね。
省略された二つの文が and で結ばれていると見るなら、
AとBが別々のものを指している必要はないし、
the A and the B がひとまとまりになって、主語、目的語
補語になっているなら、・・・・と吟味していきます。
で、ここでは補語にしたのですが、これだと主語が「あなた」
ですので、やはりイエスに対して、主、神と呼んでいること
になるのでエホバは受け容れないだろうと・・・・
じゃあ、
エホバはここをどう説明できるんだい?と聞いているのです。
856 :
名無しさん@3周年 :03/10/22 19:56
852の続き。 脳細胞の一個一個には意識はないが、これがネットワークを 作ると意識が生じる。 脳細胞は生化学的に反応してるだけ なのに。 これって、集合意識に似てる。
857 :
名無しさん@3周年 :03/10/22 20:05
神と子と聖霊の組織である天。 これならよいですか?<三位一体
858 :
名無しさん@3周年 :03/10/22 20:45
>>855 文法と論理は違うものですが・・・
シンタックス上の誤りとロジック上の誤りもちがうものですが・・・
>>858 ご指摘の違いを855に適用するとどういうことになりますか?
ぜひお教えいただきたいです。
860 :
名無しさん@3周年 :03/10/23 16:01
詩編 50:1 神々の神、主は、御言葉を発し日の出るところから日の入る ところまで地を呼び集められる。
861 :
名無しさん@3周年 :03/10/23 16:18
エホバの主権を立証する為に、人と人とが争ったなら、 パウロやキリストの労力はってどうなるの?
862 :
名無しさん@3周年 :03/10/23 16:20
人と人とが良く生きて、仲良くすればいいだけじゃん!
863 :
名無しさん@3周年 :03/10/23 16:21
エホバの証人って、毎日が戦いで、平和じゃないって感じがする。
864 :
名無しさん@3周年 :03/10/23 16:40
>>862 神の御旨をアウトオブ眼中にしたままでは「良く生きている」つもりにしかなれないでしょう。
みなさま方、お忙しいところお騒がせしてすいません。
>>1 の
>三位一体はマリヤ崇拝やクリスマスと同じように異教が起源らしいがどうなのか?
って、具体的には何なんですか?
いや、ひとつの説みたいなものなのかもしれませんが
お暇な時に教えてください。おながいします。
867 :
名無しさん@3周年 :03/10/23 20:58
マリアは素晴らしい女性、が、マリアマグダネレのことを イエスは「マリア」と呼んでいる、使徒達より先に復活後に 一番先に呼んでいる。いかにイエスが平等に、かつ模範的に隣人愛を 示しているかが明快に理解できます。 クリスマスをイエスの誕生日としてイエスそのものを歓んでいるのですから、 信仰の無い者達の方が純粋でしょう。
868 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/23 21:02
>>866 エホバの証人がそう言っていたから。具体的にはこれ。
歴史家ウィルデュラントはこう述べました。
「キリスト教は異教を廃棄したのではなく, 逆にこれを採用しました。
....神聖なる三位一体の考えはエジプトから来たものである。」
ここを参照してください。
How Did the Trinity Doctrine Develop?
http://www.watchtower.org/library/ti/article_04.htm ほかにも、どっかのスレで「三位一体は異教からきた」みたいな発言を見ました。
「セム一神教」スレだったかな?今はdat落ちしてて見れないようです。
869 :
名無しさん@3周年 :03/10/23 21:14
一体である必要はなに? 別でもいいように思うけどな。聖書深読みしないと根拠ないし キリスト教って、そんな事しないと信仰成りたたんのかな?
プロテスタンティズムを推し進めれば、公会議決定などに縛られる必要はないのだから、三位一体を否定しても異端とはなりえない方向に向かう。
>>865 嘘吐きのパラドックスがどう目下の問題に関係するのでしょうか?
ぜひお教えいただきたいものです。
872 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/23 22:29
>>870 聖書のみ、信仰のみ、万人祭司の三つがプロテスタントの原理です。
三位一体は聖書に根拠があります。
異端です わたし以外
屁理屈を認めない連中は、異端として処理して、殺した、ということ。 今は、殺せなくなったので、放置プレイに徹している、つーこと。
875 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 09:44
>>872 >>聖書のみ、信仰のみ、万人祭司の三つがプロテスタントの原理です。
プロテスタンティズムが運動でしかない、ということを言ってるようなものだな。w
876 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 09:44
2
877 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 09:50
こんな運動しなくても〜♪
878 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 10:03
879 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 10:40
社民党同様、解散の危機です。(w
880 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 10:48
御子のはじまりは ・創造された ・生まれた ・永遠 ・他 どうみるかによって意見が分かれると 思いますが。
881 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 11:32
>>868 初代会長、チャールズ・ティズ・ラッセルのお墓はピラミッド型なんですよ。
882 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 11:34
三位一体とは構成を示しており、三つの位格は同じであるという こととは異なる、父と子と聖霊により・・・という意味。
883 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/24 11:34
884 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 11:36
イエスの神性は、復活のときに、神の右に座っていたという伝承以外に は、感じられないな。生前のイエスに神性はあったのかというと、嘘っ ぽいとしか思えないな。
885 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 11:51
初穂です
生前のイエスは、モーセと同じことをしていた。 生前のイエスが神なら、モーセも神でないと可笑しい。
887 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 12:36
>>886 死後のイエスが神だということでしょうか?
888 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 12:38
>>884 ,886
なら、俺は2CHやってて、884,886も2CHやってる。
だから、887=886=884
すなわち、三位一体の自作自演つうこった。
890 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 12:46
>>886 モーゼの神話を下敷きに、イエスの神話が捏造されただけ。
891 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 13:05
ここで素朴な疑問なんだけど、「イエス様は実在しなかった架空の人物」説の信奉者な人たちにとって三位一体って「神と聖霊とモーセ」なんでしょうか。
>887
>>884 を読め
アブラハムに顕われたのは、ヤハウェとイエスとモーセだったのかな?(w
893 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 13:18
>>886 >生前のイエスは、モーセと同じことをしていた。
モーセは神である主に対して、「わたしは何者でしょう。
どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの
人々を導き出さねばならないのですか」と答えている。
(出エジプト記 3:11)
さらに、 「ああ主よ。どうぞ、ほかの人を見つけてお遣わし
ください」とまで言っている。
(出エジプト記 4:13)
イエスとモーセが同じで神とは何じゃらほい?
>>891 三位一体説ってのは結局のところイエスを信仰の対象とするための理論的装置
(一体でないとすると、神でないイエスを信仰の対象とすることは、神以外の
信仰を禁止した律法に反する)なので、イエスを非実在と考える人にとっては
単に不要なだけだと思うのだけれど。
イエスは、復活のとき、神でなく、自分に対して願い事をするように なると語った。 死後のイエスは、神でいいんじゃないのかと思う。 まあ、ここのところを踏まえて、拡大解釈をして、イエスは神という のなら、私的には、許せるな。
>>886 モーセには神の子としての伝承もなければ、贖罪に関する記述もなく、
神の国を語ってもいない上に「主」として扱われた形跡もないな。
「同じ」とは「奇跡をおこした」レベルのアバウトな比較のもとでってことか?
せいぜい似てるといえるのは、荒野での神聖性の獲得ぐらいじゃないか?
でもこれは別にこの二人にかぎったこっちゃないし。
>>896 議論する気はないが、
>「贖罪に関する記述もなく」
贖罪論は、後からできたものだろう。
生前のイエスのどの言動によるのか?
899 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 13:52
>>894 その説明の仕方って物凄く危険なのではないでしょうか。「禁止されてい
る行為をどうしてもヤりたいので法の条文に(こじつけてきな)新解釈を
ほどこしました」と打ち明けている犯罪者の言い分とそっくり同じに聞こえ
るんですけど、いかがなものでしょうか。
900 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 13:56
>899 三位一体論そのものが、 >その説明の仕方って物凄く危険なのではないでしょうか。「禁止さ >れてい る行為をどうしてもヤりたいので法の条文に(こじつけてき >な)新解釈を ほどこしました」と打ち明けている犯罪者の言い分と >そっくり同じに聞こえ るんですけど、いかがなものでしょうか。 だなーー!
>>898 ああ、贖罪に関してはそのとおりだな。そこは取り消す。
>>899 >>901 実際正直なところ、神でないものを崇拝しちまった後での後知恵だと俺は思う
けど、犯罪者云々までおとしめなくていいとも思う。俺はキリスト教徒じゃな
い(というかかなりアンチキリスト入ってる)ので、弁護する意図もないがね。
イエスを信仰の対象にしていいかどうかの理論的解釈は、ある程度おおきくなっ
てきた教団にとって大問題だったはずで、最終的に異端とされた教派との議論
(ないし論争)の中で形になったものだろう。背景にそういう事情でもなければ、
別に聖書に書いてあるわけでもない解釈をあれだけ大騒ぎして成立させたりし
ないよね。いろいろ悩んで議論した結果そうなったということについていえば、
それをとやかくいう必要もないと思う。
言いたかったのは、イエスを非実在として信仰の対象から外すという選択を
するのなら、三位一体説には存在意義はないよという話だけ。
追加。 これがキリスト教徒にとって受けいれがたい解釈なのは承知。 でも、実際そうとしかとれないんだもの。
905 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 16:01
三位一体の採用を潔しとしなかったアリウスさんの場合は同じジレンマを どうやって解決していたんだろう
>>905 具体的にどうしたかはしらないんだけど。
アリウスはイエスを被造物とし、神性を認めていない。
ってことは、一定の聖性はみとめながらも、究極的には祈りの対象とはしない、
という論が展開されなきゃならんはずだね。
思うに、いちばんスゴい聖人、お願いするのはいいけど祈りの対象はあくまで
神様の方、みたいな位置付けにしようとしたんでなかろうか。
907 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 18:33
イエスをどう見るかが分岐点になる。
908 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 18:37
>>907 そうだね。
もうひとつは「聖霊の名において行う」奇跡をどうとらえるかって話もあるが。
神と聖霊とを別としてしまったときに、神でないものが起こすものを奇跡と
呼ぶのが唯一神信仰と合致しなくなるおそれがでてくる。
神によらない聖霊とか変なものがもちだされてけったいなカルトができても
こまるだろうし。
なんだかんだで、離れ業的ではあるものの、三位一体説というのはおとしどころ
としてはよくできてると思う。まあ、さらに3つの位格のうちの優位劣位の話を
もちだしては
>>703 みたいなこともおきたりしたわけだが、そのあたりについて
はお前ら単にモメたいだけちゃうんかと。
>>908 ごていねいにどうも。
非キリスト教徒(信仰心ゼロ地獄逝き確定w)の素人が言うことなので、
鵜呑みにはしないでね。
910 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 21:11
「そして神は『われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう』と仰せられた。」創世記1:26 とありますなぜ、神はお一人なのに、何故「われわれ」という言葉を使ったのでしょうかか?それは神が 「三位一体」(父・子・聖霊、三つの位格がある)の神だからです。
911 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/24 21:11
>>905 私の場合はイエスを崇拝の対象にはしていません。あくまで被造物だと考えています。
崇拝の対象はエホバ神のみです。
ただ、私の場合はイエスの神性は認めていますが、神性を持っていても神ではないというのが私の考えです。
しかし、「なぜ神でないものが神性を持っているのか」ということでただいま小一時間問い詰められていますw
912 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/24 21:14
天上における神々の会議が存在していたと考えられていた時代の神話の残滓だ と言われていますが... >910
913 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/24 21:14
914 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/24 21:16
ヤハウェはもともと一山岳神にすぎなかったんだけど、部族の統合にともなって 超越神へと出世したらしいよ。
アリウス氏はエホ証ではないんだろ?エホバ神って名詞にこだわりでもあるのか? ヤハウェでいいじゃん
916 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/24 21:20
>>912 さすがリベラルw
「神は神聖な会議の中に立ち
神々の間で裁きを行われる。」(詩篇82:1)
>>915 じゃあそうします。
>>913 それ、エロヒムじゃなく、エロビームのほうじゃないか?
918 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/24 21:43
私は別にリベラルじゃないよ。 伝統的なプロテスタント教会の一員にすぎません。 >916
919 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/24 21:46
>>917 チョットダケワラタ。
>>918 そうなんですか。では、2chで勝手にリベラルってことにされているだけなんですか?
920 :
名無しさん@5周年 :03/10/24 21:57
921 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 21:58
エロヒム=神々=宇宙人たち と言う説が学会では通説
922 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/24 22:01
923 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 22:16
ラエリアンのクローン人間はどうなったのかな。
924 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 22:24
★神は一つです。 多神教のようにたくさんの神々がいてお互いに争ったりすることはありません。 「偶像に供えられた肉を食べることについてですが、世の中に偶像の神などはなく、 また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています。」 Tコリント8:4 ★神は3人格です。 しかし、聖書ではしばしば複数形で語られることがあります。主語は複数形でも動詞が 単数形であったりします。これらはひとりの神の中に複数の人格があることが暗示され ています。 「神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、 空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」創世記 1:26 新約では、さらに明確に、父、御子、御霊の3つの人格が神であることを示唆している。 「イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。 イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。」 マタイ3:16 ★神は3つの人格で一体です。 イエスが父なる神とひとつ。クリスチャンに内住する聖霊はイエスご自身です。 (キリストの御霊といわれる)などから、全く一体なる神であることが明らか。 「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。」 Uコリント13:13 結論:この問題を理性的に解決することは困難です。私達の限りある知識と経験では結論を 出せません。ただ聖書の信頼性に拠って、この事実を受け入れることが必要なのです。
>>924 どこの教団の、もしくは誰の説明?
微妙にサベリウス異端臭がするんだが・・・
926 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/24 22:41
>>918 attention
これはリベラル思想であって、伝統的キリスト教とは全く関係ありません。→
>>914
927 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 22:50
>>926 イエス様は迷い羊が一匹でも出れば見つけて囲いに入れるまで探し続けるとおっしゃいました。
私は人類すべてを神様はお救いになると信じています。
928 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 22:55
>>924 神が人格を持つときイエスとなるので、
人格はひとつ。。よってパス。。
929 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/24 23:03
>>927 イエス様がさがされるのはヤギやタヌキではありません。
救いに選ばれた者、契約の民です。
イエス・キリストを信じない者は滅びます。
人が滅びるのは罪ゆえです。
"SINNERS IN THE HANDS OF AN ANGRY GOD " Jonathan Edwards (1703-1758)
tp://www.jonathanedwards.com/sermons/Warnings/sinners.htm
翻訳は『怒れる神の御手の中にある罪人』CLC出版
申命記 からの主題説教。
32:35 復讐と報いとは、わたしのもの、それは、彼らの足がよろめくときのため。
彼らのわざわいの日は近く、来るべきことが、すみやかに来るからだ。」
930 :
名無しさん@3周年 :03/10/24 23:12
>>929 福音派は間違いです。カトリックの要理(CCC)に学びましょう。はるかに進んでいます。
CCC605
失われた羊のたとえの最後で、イエスは、神の愛が一人も除外しないことを思い起こさせた。
「このような小さき者の一人が滅びることは天におられる父の御心ではありません」
主は、「多くの人の贖いの代償として命を与える」ために来たと言われた。この「多く」という語は、制限を設けるものではなく、われわれを救うために自らを捧げられるあがない主の比類なき人格によって、人類すべてを際立たせている。
教会は、使徒に従って、キリストが一人の例外もなく万人のために死なれたと教える。すなわち、「キリストが受難を受けなかった人は過去にも現在にも未来にも一人もいない」と。
http://www.scborromeo.org/ccc/para/605.htm
931 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/24 23:13
932 :
アリウスの逆襲 ◆AMEN/5fCvA :03/10/24 23:14
>>924 >★神は一つです。
確かにこの世界の神はただお一人しかいませんが、この世界より上位の世界には神は複数います。
>「神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、
> 空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」創世記 1:26
つまり、これは上位の世界に複数の神が存在することを示しています。
「神は神聖な会議の中に立ち
神々の間で裁きを行われる。」(詩篇82:1)
さらに、上位の世界の存在であるヤハウェ神の世界よりも、さらに上位の世界が存在します。
神さまにも神さまがいるのです。
「あなたは義を愛し、悪を憎む。このゆえに神、あなたの神は 喜びの油を
あなたのともがらにまさって、あなたに注がれた。」(詩篇45:7)
ヤハウェ神は根源神ではありません。
933 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/24 23:20
>>930 救いに選ばれた者は時いたってイエス・キリストを信じ、告白し、洗礼を受けるでしょう。
ヨハネ
3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。
3:19 そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。
その行ないが悪かったからである。
3:20 悪いことをする者は光を憎み、その行ないが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。
3:21 しかし、真理を行なう者は、光のほうに来る。その行ないが神にあってなされたことが明らかにされるためである。
1ヨハネ
2:18 小さい者たちよ。今は終わりの時です。あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり、
今や多くの反キリストが現われています。それによって、今が終わりの時であることがわかります。
2:19 彼らは私たちの中から出て行きましたが、もともと私たちの仲間ではなかったのです。
もし私たちの仲間であったのなら、私たちといっしょにとどまっていたことでしょう。
しかし、そうなったのは、彼らがみな私たちの仲間でなかったことが明らかにされるためなのです。
2:20 あなたがたには聖なる方からの注ぎの油があるので、だれでも知識を持っています。
2:21 このように書いて来たのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、真理を知っているからであり、
また、偽りはすべて真理から出てはいないからです。
2:22 偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。
御父と御子を否認する者、それが反キリストです。
2:23 だれでも御子を否認する者は、御父を持たず、御子を告白する者は、御父をも持っているのです。
あたしはヤギでも狸でもありません。ひどい言い方をしないでください。これからカトリックで洗礼を受けようと思っています。
936 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/24 23:24
>>934 イエス様を自分の罪の身代わりとして死なれ、よみがえられた救い主、主、
処女から産まれた、まことの神、まことの人と信じているなら、あなたはヤギではないです。
聖霊によらなければ信じることなど出来ません。
創造主は唯一であるのになぜ複数形になっているのか? 主な解釈は3つ 御使いたちとの合議 威光を表す複数形 三位一体 あくまで、三位一体を聖書のみで、判断するなら、ヨハネ14:23−26あたりかなぁ
938 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/25 00:44
ヤギとヒツジって、DNAを調べてみると、きわめて近縁の動物らしいよ。 自然状態では無理だけど、人工授精をおこなうとハーフが生まれるらしい。 >936
939 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/25 00:50
>>938 創造者は三位一体の神。メーカーが同じ。
へぇ〜☆
>940は、>938ね
人間とチンパンジー、掛け合わせると神の声は聞こえるだろうか。
943 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/25 02:02
小児科医から聞いた話だけど、動物園のゴリラが病気になると治療に呼ばれる そうです。ゴリラの病気って、人間とほとんど同じらしいよ。
人間だけが特別な存在・・・あほか
945 :
名無しさん@3周年 :03/10/25 02:04
946 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/25 02:12
人間とゴリラとは、共通の祖先から分化して間もないため、きわめて近接した 関係にあるということでは? 人間の祖先がゴリラということじゃないと思うよ。 >945
947 :
名無しさん@3周年 :03/10/25 10:00
ゴットマシーンの中枢は三位一体システムです。
948 :
名無しさん@3周年 :03/10/25 10:35
>>945 あずみ婆さんは、ゴリラと関係が近いので、よくわかっているのです。
あずみじゃないけど補足ね ゴリラもチンパンジーも我々ホモサピエンスも分類上は同じヒト科だからね。 詳細は 霊長目真猿亜目ヒト科ヒト亜科パン属チンパンジー 霊長目真猿亜目ヒト科ヒト亜科ゴリラ属マウンテンゴリラ 霊長目真猿亜目ヒト科ヒト亜科ホモ属サピエンス種サピエンス ってことになるけど。 っていうかチンパンジーからすればゴリラよりも人間の方が近い動物なんだぞ。
>>932 アリウスさんよぉ。
宗教またいでいろんな聖典をごちゃまぜにして議論するの、いいかげんに
やめにしないか?
単にかきまわしたいだけちゃうんか?
951 :
名無しさん@3周年 :03/10/26 12:59
>>855 >エホバはここをどう説明できるんだい?と聞いているのです。
邪推してみた。
エホバ=エホバの証人一般ということなら、説明以前にその問題を持ち出してこない、
いやできない、に1デナリウス。
#そこ個人サイトでしょ?ご当人にメイルなさってはいかが?
*邪推の過程
統治体はそこらを追及すると薮蛇になることに気が付く位の頭はあるので
グランビル・シャープ法則について表立って言及したりしないだろう。
たとえば去年の雑誌記事で三位一体を否定する記事ってのがあったけど、
いつもの主張を繰り返してただけだった。グランビル・シャープの法則が
適用されるような章句への言及はもちろんなし。
彼ら、自分にとって具合の悪い個所に言及することってほとんどないから。
創世記の「我々」やヨハネ1:3の「言は神であった」のように
キリスト教に関心ある人ならたいてい知っているから
布教戦略上どんな無理筋でも一応の反論を用意しておかざるを得ないけど、
そうでないなら無視するに限る(下手すると信徒のほうがつまづいちゃうし)、
てなとこじゃないのかな。
というわけでここからは邪推だけど、
一般信徒はそのような文法規則を知らないので、
さいたまアリーナにいる任意の人間を捉まえて855の質問をぶつけても
相手は何を問われているのか理解できない、まして説明のしようもないのでは
ないだろうか。
考えるべきことは他にもあるが、はぁと、とか飛ばせる状態じゃないのでご勘弁。
とりあえずエホ証はカルトだ、というのには体感を伴って同意。
952 :
名無しさん@3周年 :03/10/26 13:33
>>884 イエスには贖いへの評価が正しく行使されたのではないか?
王位継承という。
953 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/26 15:05
924>「イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。 924>イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。」 マタイ3:16 マタイのこの個所はマルコ1:10からの孫引きなんだけど、この個所はキリスト養子説を思わせる 表現みたいだけど... すくなくとも、この個所から「三位一体」を引き出すのはかなり強引、というより でたらめ。
954 :
名無しさん@3周年 :03/10/26 16:29
しかし君たちさ、三位一体論争を交わす前に先ず前提の吟味を怠ってはならないね。 そもそも神、キリスト、聖霊ってどういうものかさえもわかってはいないのに、 いきなり飛躍して三位一体は正しいのかって少しばかり乱暴すぎはしないか?
神=私=神の声の発信元 キリスト=神の声の解釈者の一人 聖霊=神の声の媒体
956 :
名無しさん@3周年 :03/10/26 17:02
>>955 何?言っていることを整理すれば、こういうことか?
・神(電波塔)→聖霊(電磁波)→キリスト(TV、ラジオetcの受信機材)
または、
・神(電話の相手)→聖霊(電話器を含む通信ネットワークシステム)→キリスト(電話の相手)
>>954 個別の理解→全体の理解という順番に進むと思ってる君のほうがまちがい。
958 :
名無しさん@3周年 :03/10/26 17:19
隣人を愛し、正しくエホバを崇拝すること。 理解というより自覚が大切。
959 :
名無しさん@3周年 :03/10/26 17:28
>>956 とどのつまり三位一体とは現代における通信ネットワークのこと。
960 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :03/10/26 18:11
ロシアジョーク 有線通信とは、頭が東京にあってシッポが大阪にある大きな犬のようなもの。 大阪でシッポを踏むと、東京で犬がワンワンほえる。 無線通信とは、そこから犬がいなくなったようなもの。 >959
>>954 それは、言えてる。
また、救いの教理としては、あまり価値無い論争だしね。
(イエス・キリストを信じる信仰で十分かも?)
>>961 そのイエスに祈っていいかを決めるためのものなんだけれども。
>>962 祈っていいんじゃない?教会じゃなければ...
(この場合は、ヤハウェがベターみたいだけどマタイ6:6参)
まあ神に祈って、イエスは救い主であることを認めるのが根幹なんだよな。 三位一体が正しいかどうかで信仰がゆらいだりはしないわな。 ....或る福みたいなやつ以外はさw
>ベターみたいだけど
>>963 「父に祈れ」と命令されているのに「父」以外、たとえば「子」、に祈ったら明らかに命令違反だと思うが
>>965 禁止はされてないから、ベターっていう表現のほうが適切かなぁと思いまして。
967 :
名無しさん@3周年 :03/10/27 09:59
三位一体って、現内閣が推し進めている地方と中央の税改革のことだろ。
968 :
名無しさん@3周年 :03/10/27 10:51
>>967 地方と中央じゃあ、3つにならんだろ。
あと一つは何?
969 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/27 10:54
>>967-968 人智を超えた神秘的ともいる神学的奥義を政治家風情に軽々しく扱ってほしくなかった。
970 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/27 10:55
訂正 人智を超えた神秘的とも言える神学的奥義を政治家風情に軽々しく扱ってほしくなかった。
971 :
名無しさん@3周年 :03/10/27 10:56
972 :
或る福音派信徒 ◆bvaENP/60o :03/10/27 10:56
>>964 私は揺るがないが、三位一体を否定すれば、その者は異端者となる。
973 :
名無しさん@3周年 :03/10/27 11:12
>>968 政治に疎いな、地方と中央ではなく
権限・財源・人間
だよ。
>>969 そういうレスを期待したがためにレスしたんだよ。即反応ありがとん
975 :
名無しさん@3周年 :03/10/27 11:36
次スレ、まだぁ〜?
>>975 >>1 です。規制で立てられませんですた。。。どなたか↓で立てててくださいませんか?
お願いいたします。
果たして三位一体は正しいのか!? 第二位格
名前: (・∀・∀・∀・)
E-mail:
内容:
キリスト教の基本教理である三位一体
三位一体を否定する教派は異端とされてきた。
しかし、果たして本当に三位一体は正しいのか?
本当に聖書から三位一体は導き出せるのか?
三位一体はマリヤ崇拝やクリスマスと同じように異教が起源らしいがどうなのか?
ここらでちょっと三位一体について語ってみないか?
三位一体に変わる新しい理論もキボンヌ。
あと、小泉総理の「三位一体の改革」については他所でやってね。
前スレ
果たして三位一体は正しいのか!?
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1061983539/
977 :
名無しさん@3周年 :03/10/27 11:54
>>976 証人さんですよね。
質問箱正常化に協力していただけるなら、
立ててみますが、誘導するという事で。いかがでしょうか?
>>977 >証人さんですよね。
違いますって(笑)
「三位一体はマリヤ崇拝やクリスマスと同じように異教が起源らしいがどうなのか?」
この部分を見てそう思ったんですか?
でも協力していただけるなら、私も協力してみます。お願いします。
979 :
名無しさん@3周年 :03/10/27 11:59
もう質問箱要らないよ。 サロメや或る福の落書き広場でいいよ。 出鱈目な回答者が質問箱に粘着している限り、 質問者に誤解を与えかねないし。
三位一体議論の誘導先として立てていただければ私も助かりますし 質問箱の正常化にも役立てると思います。
>>980 立てれませんでした。(T_T) でも、たったら、
誘導先とさせていただきます。も少しがんばってみます。。
主の平和♪
>>981 ありがとうございます。お願いいたします。
983 :
名無しさん@3周年 :03/10/27 12:17
984 :
サロメ☆天后☆ ◆sqHnb0/6.o :03/10/27 12:32
場かじゃないの? 或る福さんの回答は間違ってる? 粘着に叩きつづける連中が問題なんでしょ!!
985 :
同じく立てられません。スマソ :03/10/27 13:05
>>976 万一スレが長く伸びて「第4位格」とかなると嫌なんで、
スレタイはもうちょっと練ってくださると嬉しいですね。以下蛇足。
「異教起源」っていってもエジプトやらインドやらの三つ組の神は
本質がどうのとかいう理論を背負っているわけじゃないしなあ。
ある神話内で神統譜の序列の最高位に三柱の神がいるってだけでしょ。
そういう神話体系が、どうやったら
「唯一の神がいて、その神には三つの位格がある」つう理論の起源になるのか、
エホ証は説明しないんですよね。ただ「異教起源だ」って繰り返すだけ。こういうの
議論とはいわないよな。
で、暴論ついでに書き捨てていくと、
「聖書というのはキリスト教最初期の粗笨な形態を文書化したものなので、
後に登場した理論を聖書から直接演繹するのは根本的に無理がある」
という主張も世の中にはあるんですよ。……ていうか、聖書の文書自体が
時代の要請と過去の伝承なり文書のすり合わせという後付け作業の壮大な累積でしょ?
それを構築とよぶか虚構とよぶかはまた別の問題として。
986 :
名無しさん@3周年 :03/10/27 13:25
>>985 ありがとうございます。きびしいですね。。。
>万一スレが長く伸びて「第4位格」とかなると嫌なんで、
>スレタイはもうちょっと練ってくださると嬉しいですね。
むずかしいですね。。。「第4位格(藁)」みたいな感じでふざけちゃったら駄目ですか?
あんまり良くないようだったら普通に「2」にして下さっても結構です。
名前の「(・∀・∀・∀・)」も別に変えて下さっても結構です。。。
>「異教起源」っていってもエジプトやらインドやらの三つ組の神は
>本質がどうのとかいう理論を背負っているわけじゃないしなあ。
それでは「三位一体はマリヤ崇拝やクリスマスと同じように異教が起源らしいがどうなのか?」
の一文抜いちゃいますか?
でも、確かに中心となる三神が出てくる神話が多いのは気になります。安定感のある数字だからでしょうか?
「シヴァ・ヴィシヌ・ブラフマー」ですし、昨日(正確には今日)、
質問箱でのギコエル氏の発言が気になって「天御中主神」について調べてみたところ
古事記「天御中主神・高御産巣日神・神産巣日神」で「造化三神」を形成しているようなんです。
実に興味深いです。
988 :
名無しさん@3周年 :03/10/27 17:03
イエスキリストという交換手を通し、エホバという本体へと祈りを 運ぶネットワークが聖霊。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ O 。 , ─ヽ ________ /,/\ヾ\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |__|__|__|_ __((´∀`\ )< というお話だったのサ |_|__|__|__ /ノへゝ/''' )ヽ \_________ ||__| | | \´-`) / 丿/ |_|_| 从.从从 | \__ ̄ ̄⊂|丿/ |__|| 从人人从. | /\__/::::::||| |_|_|///ヽヾ\ / ::::::::::::ゝ/|| ────────(~〜ヽ::::::::::::|/ = 完 =
990 :
名無しさん@3周年 :03/10/28 01:36
三位一体に変わる新しい理論はどうなの?
神の声があります。
992 :
名無しさん@3周年 :03/10/28 03:22
993 :
名無しさん@3周年 :03/10/28 03:25
基準は人の思いでなくみことば。
994 :
名無しさん@3周年 :03/10/28 03:29
三位一体の起源はエジプトだよ。常識。 それがユダヤ経由でローマ教会に伝わった。
995 :
名無しさん@3周年 :03/10/28 03:31
正しいか否かで語ってる辺り全体的に終わってる
996 :
名無しさん@3周年 :03/10/28 09:18
>>991 ↓これだろ。
514 :ネットサーファー@神の国 :03/10/28 00:20
神の声の聞こえない人。
彼らは、神の声がまるで存在しないかのような貧しい世界に住んでいる。
しかし、神の声を聞く人を訪ねれば、神の声を直接聞くのと同じ効果が得られる。
で、神様に聞いてみてくれ。「あなた様はいらしゃいますか?」って。
997 :
名無しさん@3周年 :03/10/28 09:26
エジプトだけじゃない。
998 :
名無しさん@3周年 :03/10/28 09:29
四位一体もあるな
999 :
名無しさん@3周年 :03/10/28 09:32
東洋思想の影響を多分に受けている。
1000 :
名無しさん@3周年 :03/10/28 09:32
一心同体もあるな。
1001 :
1001 :
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