語ろうよ
曹洞宗?臨済宗?
3 :
名無しさん@3周年:03/08/16 02:16
黄檗宗
4 :
名無しさん@3周年:03/08/16 02:17
ナムカラタンノウトラヤーヤー
5 :
名無しさん@3周年:03/08/16 02:22
道元禅師が生涯、最も重視し、大切にした経典は、法華経です。
読みもしないで法華経=カルトなどという馬鹿者は、
道元禅師の爪の垢でも煎じて飲みなさい。
南無妙法蓮華経の7字題目は、道元禅師も実践されていました。
お亡くなりになる時、経行しながら、
法華経を読経されていたのは有名な話です。
因みに俺は層化でも懸賞貝でも零誘拐でも甲正解でもないからね。
間違えないように。
6 :
名無しさん@3周年:03/08/16 02:55
ガンティーも唱題してたね、日本語で。
創価は「法華経の偉大さに、ガンディーも云々」などと言い、
確かどっかでガンディーの銅像まで立てちゃってる。
あたかもそれが、創価の信仰の正当性を証しているとでも言いたげ。
でも、ガンディーが唱題したのは、創価どころか正宗のおかげでもなく、
日本山妙法寺大僧伽の藤井日達上人の影響なんだよね。
つまり、創価に言わせれば、身延系の題目なわけだ。
謗法の題目には力ないのではなかったっけ?
ガンディーは別格なの?
なんで?
7 :
名無しさん@3周年:03/08/16 03:01
禅→道元→法華経→創価
どうしても創価につながるのねw
8 :
名無しさん@3周年:03/08/16 10:46
カトリック禅センターもあるぜ。
道元教だな・・・
道元禅師が何というかな。
禅の本質から離れていると思わないのかな。
10 :
名無しさん@3周年:03/08/16 15:45
>>9 道元禅師が法華経を信仰していたのは事実ですが何か?
>>10 汝、まず国語を学ばれたし。
道元禅師と法華経と、あなたはどちらを信仰するのですか?
つまりは、そう言うことです。
12 :
名無しさん@3周年:03/08/16 15:59
日蓮さんは「禅天魔」といったらしいけど、
この言葉には何か禅的なものを感じる。
13 :
名無しさん@3周年:03/08/16 22:32
道元禅師を信仰するのがあなたの禅ですか?
16 :
名無しさん@3周年:03/08/25 00:33
宗門議論、どちらが負けても釈迦の恥とはよく言ったもんだ。
法華経だろうが般若心経だろうがお釈迦様が語ったお経にゃ違いあるまいに。
白隠さんだって法華経の比喩品を読んで大悟したんだし、ココロの栄養になりゃ
別に何読んでもいいんじゃない?
法華経だの華厳経だの金剛般若経だのと、経典に拘る必要性はまったくないと思うけどねえ。
話はかわるが、最近澤木興道さんの「禅のさとり〜証道歌」っての読んだ。
話は凄く面白いんだけど、証道歌の詩の語句の意味が書いてないのがちと
マイナス(^^;
証道歌、語句の意味わかりやすいようでわかりにくいんだよなあ。
今は華厳経を読みたいんだけど、新宿紀伊国屋とかのでかい本屋に行っても
全然関連の本置いてない。とほほ。
17 :
名無しさん@3周年:03/08/25 09:07
>16
ご存知でしょうけど、釈迦自身が「語った」お経というのはほどんどありません。
最古の経とされるスッタニパータですら、後世の大乗思想の混入が見られる位
です。
六師外道との間に論争があって、それを論破するために、釈迦の名前を借りて
仏教思想が増強されてきた背景があって、「中観思想」などが成立したのは
もっと後代になってからです。
ttp://www.kosaiji.org/Buddhism/index.htm 般若経でも、法華経でも、それを論破する「相手」の思想を意識しないと、
経の主張が正しく読み取れないと思います。
私から見ると、仏教の「空」は、建築現場の足場のようなもので、家(悟り)
が完成すれば、取り払われてしまう「仮」のものにすぎません。真理そのもの
というより、すべては方便(病気を治す薬)なのです。
法華経の中に、「火宅の喩え」がありますが、あれは実に象徴的です。ただし、
法華経自体もまた「方便」であることを悟る人は極僅かですが。
白隠や道元が法華経を信仰したというのは、「方便」としてありがたく頂戴した
ということで、○価学会のように、題目で成仏を願ったわけではない。嘘だと
思うのなら、道元の『正法眼蔵』の「生死」を読んでみればいい。死んだ後の
ことなど執着するなと言っている。「死後のための題目」など外道だと看破し
ている。
ttp://www3.ocn.ne.jp/~gogouan/Buddhists/syouji.html
>ご存知でしょうけど、釈迦自身が「語った」お経というのはほどんどありません。
ですね。お釈迦様がご存命のときは文字による経典は必要なかったわけですから。
ただ、じゃあ経典は全部作り話でしょうか?
確かに創作も入っている部分があるかもしれません。
しかし師から弟子へ伝えられてたものの中には、お釈迦様存命中になされた説法がかなり正確に伝わっているものもあるかもしれません。ないかもしれません。
今となってはその真偽を確認することは不可能です。
問題はそこじゃなくて、経典の内容に実があるかどうかという一点でしょう。
後世で創作されたものが入ったにしろ、そこに実があるならそれはそれで経典としての
役割は果たしているといえるでしょう。
また、経典によって説かれた境地に差異があるのも見逃せないものだと思います。
数学でいえば足し算引き算を習い、掛け算割り算にいって四則混合、それから方程式
やら関数やら、果ては微分積分など難しい分野にだんだんと進んでいきます。
じゃあ足し算引き算は間違いで、微分積分のみが正しいかと言われればどちらも正しい
わけで。
法華経の中で「法には一のみあり、二もなく三もなし」といって声聞・縁覚・菩薩乗を
仏の境地にたどり着くための方便と語っているのはまさにこのことでしょう。
経典もまた然り、説く境地に差異はあれどもどれも間違いとは言えぬかと。
有名な延命十句観音経など、後世で作られたお経についてすら白隠さんなどは価値を
認め、進んで教化に使っています。それで悟った人も多いと聞きます。
要は経典なり何なりを道具にして悟りを得られるか否か、その一点だと思います。
続き。
>般若経でも、法華経でも、それを論破する「相手」の思想を意識しないと、
>経の主張が正しく読み取れないと思います。
意識したことによって悟るきっかけができれば、それはそれで良いことでしょう。
ただ、意識しなきゃ悟れないというもんじゃないと思いますがねえ…
六祖慧能はまったく学がなかったといいますし、日本の抜隊禅師も晩年の出家で
仏教歴史はおろか理論すらあまり知らなかったらしいです。
それでも彼らは悟りを開いていますし。
「相手の思想を意識すること」を否定しはしませんが。
>私から見ると、仏教の「空」は、建築現場の足場のようなもので、家(悟り)
>が完成すれば、取り払われてしまう「仮」のものにすぎません。真理そのもの
>というより、すべては方便(病気を治す薬)なのです。
一切皆空を徹見してないんでコメントできんですー。
一切皆空という理屈はわかりますけど、自分のものとして使えてないんでパスします。
>「死後のための題目」など外道だと看破している。
賛同します。仏教は生きてるときにこそ必要だと思います。
きっかけがあってさまざまな経典を読み始めたとき、「なんでこんなに素晴らしい
ものが身近にあって気がつかなかったんだろう」と感動したことを覚えています。
ガキの頃に学校とかでこういうことを教えてくれてたらなあ、とも思ったり。
>>20 > きっかけがあってさまざまな経典を読み始めたとき、「なんでこんなに素晴らしい
> ものが身近にあって気がつかなかったんだろう」と感動したことを覚えています。
> ガキの頃に学校とかでこういうことを教えてくれてたらなあ、とも思ったり。
どんな経典で感動しました?
私、仏教はヘルマンヘッセしか驚いた印象ありません。それも大昔。
最近ネットで 「犀の角の如くいけ」てのを読んで感動しましたが、般若心経とは
違ったリアルな印象を受けました。
法華経で感動します?
般若心経とか読めますか? 読めませんよね。ということは、読んでくれる人が
必要なんですが、これはという人(本)になかなかであいませんね。
「犀の角」のいい本ないですかね?
特に感動したのはスッタニパータですね。
難しい理屈がなく、欲と執着からの離脱を素直に説いているので
読みやすいし心がけやすいです。
維摩経と金剛般若経も好きなお経です。維摩経は最初の十大弟子が
維摩居士にたしなめられてしまう場面に味わいが。
金剛般若経も般若心経などに比べると、具体的な行法が述べられている
んでわかりやすい気がします。
般若心経は中学生のころ精神修養のつもりで読んでましたけど、
未だにその真意はよくわかりません。一切皆空ということは
理屈ではわかりますけど、「無色、無受想行識、無眼耳鼻舌身意〜」
以後の段落が何を言い、どういうことを示しているのか…
続き。
法華経は入るに易しく出るに最も難しいものだと思ってます。
お経の中では「経中の王」とお釈迦さまが説かれてますし、あの白隠さんで
すら修行を重ね重ねて、40歳を過ぎてようやくその真意を徹見したくらい
ですんで。
ちなみに、仏教理論を何も知らずに原始仏教典からはじめてだんだん
経典を読んでいき、最後に法華経を読んでたら感動してたかもしれないです。
授記を与え、成仏を説いてるのは確かこの法華経だけじゃありませんでしたっけ?
ヘルマンヘッセは読んでないです(^^;
そのうち読んでみます。
>お経の中では「経中の王」とお釈迦さまが説かれてますし、
それは、お経の作者が釈迦を担ぎ出して、お経の中でそう語らせているだけです。
成立年代は、釈尊の没後約500年後、紀元100年前後というのが有力です。
ttp://www.sattva.jp/menu2/hou-hokekyo.html >あの白隠さんですら修行を重ね重ねて、40歳を過ぎてようやくその真意を
>徹見した
正確には、字句の意味に何ら難解なところはないのです。「三才の赤子にでも
わかる」内容です。だから、「真意」とは言っても、クイズの答のようなもの
ではありません。元々、仏法には最初から何ひとつ拳に隠されたものなどない
のですから。隠されていないものが、ある日突然、現実のものとしてありあり
と身に沁みて感じる。白隠さんの42才の時の証覚体験は、そういう種類のもの
だったと思います。
と、何か禅と微妙に外れてしまったんでフォロー。
禅関係の本では大森曹玄さんの本が面白いですね。特に「坐禅入門」。
古今の禅匠の具体的な話をひいてあるので、読んでいるだけで面白いです。
面白いですが、タイトルは入門と書いてありますが内容は高度です。
あとは…大西良慶さんの「坐禅和讃講話」あたりが面白かったです。
言葉が平易。難しい理屈をこねてなく、素人にもわかりやすく解説して
あります。
公案の解説本はいろいろ読みましたが、今ひとつ「コレ良い!」って感じる
本はなかったです。だから今は無門関くらいしか読んでません。
へきがん録は言葉が難しい(^^;
例えば馬大師不安。馬祖が病に伏したとき、僧が「お加減はいかがですか」と問うたところ「日面仏、月面仏」と答えた…という公案。
日面仏、月面仏がどんな仏さんか?ということがわからんと手の出しようが無い。
どこからか3冊組の解説本が出てましたが、高い。1冊7000円近くする!
丁寧に言葉の意味とか書いてあるので良さそうな本なのですが、値段が値段なんで
手出ないですワ。
>お経の作者が釈迦を担ぎ出して、お経の中でそう語らせているだけです。
果たしてそう言い切れますかねぇ?
もしかしたら本当に言ったかもしれない。言わないかもしれない。
今となっては確認の仕様がないです。
>白隠さんの42才の時の証覚体験は、そういう種類のものだったと思います。
白隠さんじゃない他人にゃわからんでしょう。
白隠さんの境地に辿り着かなきゃどうとも言えないんじゃないですかね。
もしかしたらそういう種類かもしれないし、違うかもしれない。
白隠さん存命の頃ですら、その法を受け継いだと言える弟子は東嶺和尚と
大休和尚の二人だけといわれてました。
今この時点で、白隠さんと並ぶ境涯に達している人は本当に数えるくらいしか
いないでしょう。
僕自分を省みるに、白隠さんどころかその門下に入りたての雲水の力量もあるか
果てしなく(激しく)^10疑問です。だから法華経の真意がどうだとか断定するのは
とてもとてもできませんね。
たとえば無門関の公案「牛過窓レイ」、徹見しました?
難透の公案ですが、これを徹見できんくらいでは白隠さんを評することはできんで
しょう。白隠さんは26のときにこのレベルの公案を通っているのですから。
牛過窓レイ、解説書見ると「牛の尻尾が煩悩を示す」とか書いてありますけど、そんな死んだ
理屈をこねることが禅じゃないと常々思ったりしてます。
>「牛過窓レイ」
「本来の真面目は何歳になった」というのと同じですよ。違いますか?
28 :
名無しさん@3周年:03/08/26 10:48
一度台湾の佛光山寺の日本別院に行ってみるのも面白いですよ。
日本仏教にはない、芯みたいなものがある。
日本仏教もあれくらいで取り組んだらかなり、復活すると思う。
>17氏
それだけでは死物ですぜ。
良い機会なので問いましょう。「牛過窓レイ」の公案につき、
1 何も知らぬ小学生にでもわかるように、専門用語を使わず
この公案の理、ポイントを説いてください。
2 日常でどう牛過窓レイの公案を使うのか、具体例を挙げて
説いてください。
ンー、、ようやく禅スレっぽくなってきたなあ(笑)
> ンー、、ようやく禅スレっぽくなってきたなあ(笑)
法演 『たとえば水牛が通り過ぎるのを窓の格子ごしに見ているとしよう。
頭が通り過ぎる。続いて角が、前脚が、後ろ脚が通り過ぎた。
ところが、しっぽだけがいつまでたっても通り過ぎない。どうゆうことだろう』
お牛さんね。うんこ始めたの。お牛さんのうんこはね。とーても長いの。
もーーー。うーーーん。といってからね。でもね、お牛さんは女の子だったから
恥ずかしかったの。窓のところから覗き見している人がいるから、見えないように
尻尾で隠したの。
女の子のうんち、覗き見しちゃだめよ。ペンペン。
水牛にしっぽがあると、誰が決めた?
>>31 > 水牛にしっぽがあると、誰が決めた?
馬鹿ねー。
窓枠抱えて、付いてきたじゃない。股間ばっかし覗いて
それじゃ、あたしの美しい尻尾見えないわよ。 ペシ。
33 :
名無しさん@3周年:03/08/26 17:24
禅の基本的な話、いいですか?
あの座禅やヨガ独特の座り方で、確か45分から1時間座るのが一つの区切り
だと思うんですけど、あれ痺れないですか?
んで、痺れて感覚が無くなって、こりゃまずいと思ったころに立ちあがって
部屋の中を少し歩くんだけど、これがもう痺れた足で無理矢理歩いて、
動くものだから、辛いの何の・・・。
あのじわーっとくる引き攣る感覚はたまらん。
34 :
名無しさん@3周年:03/08/26 17:29
禅は天魔の所為
なんだ、日蓮関係の人が混じっているの?
天魔ってなんだよ。天の魔?
禅というのは、一人で座って一人で悟って、入滅、というのが
基本的な考えだろう。人を助ける方法論なんて考えてたら、
それで頭がいっぱいになってしまって悟れないだろうし。
これを天の魔というとしたら、それはつまり、
一人で天界の最上部まで上り詰めて一人で悟って一人で満足して、
何もしないで、なんですかあなたは、ということなんでしょうか。
仏教の専門知識ないからよく分からん。
大乗の人が小乗の修行者を揶揄するようなもんなの?
でも、まずは自分が悟ってわからないことには、人を助けることも
導くことも無理だと思うんだけど。
まずは自分の問題を解決しないと話にならないし、それ以前に
「大衆」だの「国家」だのをなんとかしようとするのは千年早いって感じです。
36 :
名無しさん@3周年:03/08/26 18:20
しかしなんだね・・
黄檗宗のことに関しては誰も語らないねw
禅天魔ってのは、禅宗の人に「オレ悟った。どうだエライだろエライだろ!」
って勘違いしてた人が多いことからなされた批判でしょう。
生悟り禅者や中途半端に悟った人ほどこの傾向が強い…と推測されます。
…イタタタ、パパ、ボクもこのコトバイタイよイタイよ!
>35
>でも、まずは自分が悟ってわからないことには、人を助けることも
>導くことも無理だと思うんだけど。
ですねー。ゆえに仏教では「上求菩提、下化衆生」を眼目とするらしいです。
祖師の方々も「人を救う前にその力量をつけろ。菩薩の川流れではイカン」という
旨のことを言ってます。盲人が万丈の山、千尋の谷を道先案内するようなもんで。
まあ当然っちゃ当然ですが。
で、きちっと悟ったらその内容を他人にも分けてあげなさいよ、というのが
大乗(=菩薩より上の段階)の精神って話です。
十界(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏)の中の菩薩乗
に入る条件の一つに「世に救われない人がいる限り、悟りを開いて涅槃に入らず」
と願うこと…というのがあります。
知っていたら失礼。
39 :
名無しさん@3周年:03/08/26 19:58
黄檗宗 りぇんち〜 はぁい ふぉぇ〜 み〜と〜る〜らい〜
日本では臨済・曹洞の2門があまりにデカ過ぎて、黄檗宗は今ひとつメジャーさに
欠けるからねぇ… < 語らない
申し訳ないが、自分も最近まで黄檗宗の存在を知らなかった。
確か寺が中国の建築様式で、お経も中国語読みだっけか?
41 :
名無しさん@3周年:03/08/27 14:08
萬福寺の梵唄カッコイイですよ。
でも現在の黄檗宗は、臨濟宗の法灯を継いでいるみたいなので
教義は白隠の教えで念仏とかはしないみたいです。
>>40 > 日本では臨済・曹洞の2門があまりにデカ過ぎて、黄檗宗は今ひとつメジャーさに
黄檗は坊主が葬式のとき、お経の変わりに、歌謡曲みたいなのを歌う。
43 :
名無しさん@3周年:03/08/29 01:12
それなんかいいな・・・
>>43 > それなんかいいな・・・
歌うだけではつまらん、踊れ。
酒もってこい。
巫女連れて来い。
45 :
名無しさん@3周年:03/08/29 10:44
47 :
名無しさん@3周年:03/08/31 12:42
age
48 :
名無しさん@3周年:03/09/01 07:37
悪いけど、臭いスレですな。
髑髏タン、早く来てね。
49 :
名無しさん@3周年:03/09/01 09:43
臨済義玄の師である黄檗希運は黄檗宗の開祖?
50 :
名無しさん@3周年:03/09/01 12:47
>>48 >悪いけど、臭いスレですな。
>髑髏タン、早く来てね。
話に参化できないのなら、黙ってればよろすい
野良犬のように嗅ぎ回るのは、思考停止とみられる
52 :
名無しさん@3周年:03/09/02 18:42
>>50 >悪いけど、臭いスレですな。
スレ主は、嗅覚優位の生存状態から抜けられないのです
53 :
名無しさん@3周年:03/09/02 18:45
スレ主 → レス主に訂正
>>52氏
言い掛かりポイントを見つけて絡むだけかい?
人生そんな無駄なことに耽っているほど長くはないよ。
死は一秒一秒と人のそばに近寄っていく。天地開けて以降、死を免れた人間は一人としていない。
釈尊ですらも齢80歳近辺でこの世を離れられた。どんな人間も死を免れることはできない。
人が死と対面したとき、地位、財産、友人、果ては長く連れ添った伴侶ですらは全く何の助けにもならない。
力になれるのは、その人間が一生をかけて養ってきた正しき一心のみ。
人は積んだ善業と悪業に従って輪廻してゆく。
善業を積んだ人は昇り、悪業を積んだ人は下って苦しみを受ける。
それは宗教、因果を信じようと信じまいと関係なく生ずる魂に関する現象である。
ニュートン以前に重力があったように。ニュートン以降にも重力があったように。
ゆえに、古来道を悟った人は自らの心を明らめよと説いている。
貴方が輪廻転生の苦を逃れ、すみやかに見性成仏の道に入ることを祈る。
55 :
名無しさん@3周年:03/09/03 20:28
>貴方が輪廻転生の苦を逃れ、すみやかに見性成仏の道に入ることを祈る。
始まりとてない、終わりとてない、無始無終の輪廻の大海であるなら、たとえ
死神が刻一刻と近づこうとも決して慌てず、是非今生でと悟り急ぐこともなく、
逆に大海を悠々と泳ぐのである。無数に垂れこめた釣り針のなかを、威風堂々
と泳ぐのである。賢い魚は、餌の誘惑に負けて現身(うつしみ)を表すことは
ない。
これが勝者が歩む見性、ダルマの道なり
56 :
名無しさん@3周年:03/09/04 01:36
初歩的な質問「ファンシーダンス」の舞台って何宗?
58 :
名無しさん@3周年:03/09/04 23:26
>勝敗に拘る当たりに不徹底さが薫る
勝者の勝は勝義の勝
必ずしも条件反射のように、勝ち負けの地平で捉えなくともよい
半月は争わずして、雲間よりその勇姿をあらわし、
猫の弥助は牙を剥かずに、光るその目で闇を受け入れる
これを不二の法門という
59 :
名無しさん@3周年:03/09/05 00:23
60 :
名無しさん@3周年:03/09/05 00:32
禅宗以外の檀家から見るとかっこいいかもしれんが、
禅坊主のダメっぷりを知っている檀家から言わせると、
禅ほど救いようの無いものはないように思える
61 :
名無しさん@3周年:03/09/05 01:39
>>58 >勝者の勝は勝義の勝
そんなむちゃくちゃな(w
62 :
名無しさん@3周年:03/09/05 22:07
>公案の解説本はいろいろ読みましたが、今ひとつ「コレ良い!」って感じる
>本はなかったです。
>公案の解説本はいろいろ読みましたが、今ひとつ「コレ良い!」って感じる
>本はなかったです。
公案というのは、みずから考えるものだとばかり思ってたら、
他人の解説から学ぶものだと、始めて知った。
>死は一秒一秒と人のそばに近寄っていく
まあ、それはそうなんだけど、元からすぐ近くに居るものでもある訳で。
64 :
名無しさん@3周年 :03/09/08 23:05
>62
まあ無門関だって公案の解説本みたいなものだし。
本読んじゃいけないよ、って専門道場でも講本は許されましゅ。
65 :
名無しさん@3周年:03/09/08 23:37
においますね〜
66 :
名無しさん@3周年:03/09/09 23:44
>本読んじゃいけないよ、って専門道場でも講本は許されましゅ。
専門道場?
虚空を屋根で覆って、妾のように仏を囲うところかいな
道場の許しを得て、
>〜〜〜今ひとつ「コレ良い!」って感じる本はなかったです。ってね!!!!!!
>においますね〜
鋭く研ぎ澄まされた嗅覚で、見事に仏をキャッチされたし
坐禅するのを忘れておった。
だいぶ涼しくなってきたのう。
これからは悪行をあらためて、また坐禅を始めよう。
ちー-ん。
お前等はなんで坐禅する。 罪滅ぼしか?
ちー-ん。
68 :
名無しさん@3周年:03/09/14 02:22
気合を入れるために坐禅する。
あたかも目の前の白刃を受け止めるかの如く。
69 :
名無しさん@3周年:03/09/14 02:27
>>62 別に何読んでもいーじゃんか、実になりゃ。
公案だってお経だってお釈迦様の説法(=この世の様々な法則)の解説みたいな
モノなんだしさ。
数学の教科書と数学の教師の講義と学習塾の数学の参考書と何の違いがあるかって
話しになるやろ。
70 :
名無しさん@3周年:03/09/14 02:39
>>58 禅やる人間の陥りやすいワナにずっぽりハマッてるっぽいなぁ。
難しい文言使ってカッコつけなくていいから、もっと簡潔にわかりやすく説いとくれよ。
不二の法門、小学生や半ボケ恍惚ジジババにでもわかるように説けないんかいね?
真に悟っているなら自分の体験とコトバで説けるはずだよ。
71 :
名無しさん@3周年:03/09/14 02:44
今日、鈴木大拙っていう人の「禅とは何か」「禅と日本文化」
っていう本買ってみた。今から読むけどおもしろそう。
読んだ人いますか?
72 :
名無しさん@3周年:03/09/14 09:36
「禅と日本文化」…鈴木大拙さんのは読んだことないなあ。
柳田聖山さんのは読んだけど。
>>68 > 気合を入れるために坐禅する。
> あたかも目の前の白刃を受け止めるかの如く。
うむ。そういう坐禅もあったか。
おれは柔らかいのが好きだから、気合は入らんが、
坐禅をするといろいろ発想がうまれるな。
日本の禅は武士禅。だから禅僧にはキリッとしていい顔してるのが多い。
ところがこれが話してみると以外につまらん。内容がうすい。
いや俺は、禅僧と話す機会がないから想像するだけだがな。
歴史上の大人物でも、そいつが書いたのを見るとどうもつまらん。考えが幼稚。
若いうちは、一寸ショックだったな。
しかしそういうもんでもないと最近思うようになった。書き物からは人物は
分からんな。
74 :
名無しさん@3周年:03/09/14 19:19
闊達自在の境地=一般的視野からは幼稚に見えてしまうね。
因みに中国朝鮮の禅は念仏共修なので、剣道等武士文化の起源が朝鮮だなどという妄言は嘘八百
75 :
名無しさん@3周年:03/09/14 20:36
>難しい文言使ってカッコつけなくていいから、もっと簡潔にわかりやすく説いとくれよ。
あなたは花園のなかで、うっとりとするような薫風に包まれ、深い瞑想にはいる
そのまま、あなたはそっとトイレの前に運ばれる
恍惚状態のうちにも、やがておもむろにあなたは目を覚ます
依然として、トイレと花園は、妙用なる不二の中に溶け込んだまま。
話は変わるけど、今目の前に、漢文と日本語の般若心経を示されたら、
人間心理として、何れを有り難がるだろうか。圧倒的に漢文の方だと思うよ。
難しいことは、良きことなり。
>>74 > 闊達自在の境地=一般的視野からは幼稚に見えてしまうね。
> 因みに中国朝鮮の禅は念仏共修なので、剣道等武士文化の起源が朝鮮だなどという
妄言は嘘八百
そうか俺はアフリカの猿が起源だと思っていた。
以前は少し禅の本も読んだし、大拙も齧る程度には読んだ気もするが、
禅は分かりにくいな。
それから段階を追って達成していくような、そういうシステムが
ないような気がする。インドのヨガの方が分かりやすいな。
禅は勘違いすると全く成長がないが、ヨーガは勘違いしてても
独学でもそれなりのレベルには成長していくような気がする。
俺は禅の道場にも行ったことがないし、武術の先生の雰囲気が、
禅の印象なんだが、禅は独学は難しい。
禅は方法論がないかというと、そうではなくて、武術とかお茶とか
がその方法論と考えたらいいんではないかな。
道場のピーンとはりつめた空気は、禅独特のものだし、ああいう空間は
なかなか造れん。
インドの瞑想なんかは、壁にもたれたり、へたり込んだりしてやるからな。
俺も最近だんだん禅が分かってきた。分かってくると不思議だが、
あれだ。事務所が綺麗になったよ。まるで道場みたいにな。やっぱり
なんというかエネルギーが満ちるというか。 俺の文章からは全然
感じんかもしれんが、来る客が皆びっくりする。
「コギチャナカッタのが目茶目茶綺麗になったなー」
77 :
名無しさん@3周年:03/09/14 22:10
>>75 せめて禅関係の本くらい読もうよ。白隠さんの語録とかはいっぱい出てるし。
図書館とかにもそれなりに置いてあると思うよ。
何度も言うけど、本読んでれば間違いとわかるレベルでつまづいてちゃ仕方ないっしょ。
と、批判ばっかし書いてもテメェは何だコノヤロー!!ということになるんで自分の見解も書いておく。
お母さんから常日頃「部屋を片付けなさい」と怒られている子供がいた。
「怒られていやいや部屋を片付ける」「怒られるのが怖いから片付ける」というのが二である。
怒られるもなく、怒られるのが怖くもなく、片付けるもなく、片付けないもない。
ただ部屋に散乱したものが眼に入った刹那、思念を入れる間もなく体が動いて片付ける。
これが不二である。
この不二に入れば『母親に怒られる』という悩み、『無理やり片づけをさせられている』
という悩みもなくなる。ひとつの安心の境地。
このようなことが日常全ての行為につき、当たり前に徹底された人の行く土地を『極楽浄土』と呼ぶ。
白隠さんが『己心の弥陀、唯心の浄土』と説いたのはこれである。
仏法とか悟りというものは、坐禅してたら空に体がフワフワと浮いたような感覚になったり、ウットリと
するような恍惚状態が出るようなものではない。
もともと仏法とは「苦からの解脱」が眼目であるもの。あくまで現実の生活に実際に生かされる生物である。
ここを取り違えるととんでもない邪道に落っこちるんじゃないでしょうかね。
79 :
名無しさん@3周年:03/09/14 22:47
>>77 【座右の銘】
おまえの考えで
この世の真実を明らかにしようとするな
この世のすべてのものは真実である
ただおまえが付与した意味の世界のみが
虚像であることを知れ
@あなたは白隠さんの語録のなにを読むのですか
@絶対基準の拠り所として、頼もしいからですか
@不動の信頼に値するからですか
@それはだれが決めたことですか
80 :
名無しさん@3周年:03/09/14 22:55
>>77 原理主義は禅風にも反するからね
原始仏教スレじゃないけど、経典のあちこちをコピペして論争してもねえ
>>79 その銘には反論はないよ。
僕がなぜ仏教を尊ぶのか?また、白隠さんを尊んで語録を読むのか?
それはただ一つ。自分がこれまで生きてきて、そのなかで苦しみ苦しみぬいてきて、
それで一つ閃いて、苦しみが一気になくなったとき感じたことが仏教の説くところと一致していたから。
それ以外にない。
>>80 まあ、結局何が言いたかったかというと、78の最後の段落ってことで。
白隠さんやその門下の方々はみな抜け殻禅、陶酔禅、なぞなぞ禅を戒めてる。
その辺りのくだりを指して「本を読め〜」と書いたわけよ。僕も経典論争を
おっ始める気はないっす。
>>81 >
>>79 > その銘には反論はないよ。
> 僕がなぜ仏教を尊ぶのか?また、白隠さんを尊んで語録を読むのか?
> それはただ一つ。自分がこれまで生きてきて、そのなかで苦しみ苦しみぬいてきて、
> それで一つ閃いて、苦しみが一気になくなったとき感じたことが仏教の説くところと一致していたから。
仏教はどんな苦しみに有効だったの?
いやまあ、言いたくなかったら言わなくてもいいんだが、匿名だし
言ってみたら面白いかも。
83 :
名無しさん@3周年:03/09/15 00:51
禅の瞑想では、クンダリニーの開発はどうなのでしょうか
はっきりいって、未だにヨーガとの違いが分かりません
このような質問をするのは、はたして喪れだけだろうか
>>78 > 怒られるもなく、怒られるのが怖くもなく、片付けるもなく、片付けないもない。
> ただ部屋に散乱したものが眼に入った刹那、思念を入れる間もなく体が動いて片付ける。
> これが不二である。
こういう説明は伝統的な説明方法かもしれんが、
なんとなくわかりにくい。
分かったようで分からん。不二がなぞ。
家の子も親に似て散らかしてかなわん。
「不にじゃー」いうても分からんしのー。
まあしかし、俺の部屋だけでも最近ビシーッとしてきたんで、
子供も「へー。やるやん」とかいうとる。
>>83 > 禅の瞑想では、クンダリニーの開発はどうなのでしょうか
> はっきりいって、未だにヨーガとの違いが分かりません
> このような質問をするのは、はたして喪れだけだろうか
いや漏れも興味ある。
禅にもヤコ禅という分野があるみたいやな。ヤコ禅は大ぴらにやると
おこられるんで、それでも皆気になるらしくて、隠れてやるらしい。
ズバリ答えると書いてる人間特定できちゃうかもしれんので、喩えで
書かせてもらう。
ある人がいた。ヅラも性格も悪い。多少勉強ができる以外は何の取り柄もない
典型的ないじめられオタク人間だ。
ある時このままではいかんと発奮し、せめて仕事だけでは功を成してやろうと
思って数年間頑張った。しかし能力が足りず、持ち前の性格の悪さも災いしてまわりとの
人間関係がうまくいかず、その仕事がダメになった。
しかしここで挫けず、誠心誠意勤めれば通じないことはない。前の仕事がダメだったのは
俺の努力と誠意が足りないからだと更に発奮した。それからもっと頑張った。
睡眠時間は日に5時間以下、朝は5時に起きて夜は1時まで仕事をした。その間、自分が
したいことは何もせず、もてる全てを賭けて仕事に打ち込んだ。
大事な取引当日。自分の直属の上司がその取引をぶち壊すようなことをした。
その取引はダメになった。そして全てを失った。残ったものは凄まじい虚脱感以外何もなかった。
上司の行為は直接の原因ではない。自分の能力と努力の足りないのが主な原因だった。
だが、自分の努力をあざ笑い、踏みにじるかのような行為をされ、数年間の自分の努力は
何だったのだろうと思った。失敗したことはいい、自分の能力のなさが原因だから。
でも、俺は自分の本当の精一杯の誠意と真心を込めて仕事をやってきた。上司もそれを見ていた。
そして、それに対する仕打ちがこれか…そう思った。生きていく気力すら失われた。
続き。
その後一年間はホンモノの生き地獄だった。
生きる希望も絶たれ、さりとて死ぬ勇気もない。何の楽しみも未来もない。食事も取る気が失せ果てた。
数少ない友人とも何の会話もしなくなった。1年間、仕事以外での人との会話はほぼ絶した。
20キロ近く痩せた。重度の精神病に近かっただろう。歩いている時、こみあげてくるものに耐えかねて
思わずしゃがみこんで震えるときもあった。
それでも自殺はできなかった。生きるためには働いて食わねばならぬ。燃やし尽くしてもう燃えそうも無い
真っ白な灰をそれでも集めて燃やす如くに気力を集めて何とか仕事をした。
そんな中でも、更に気力を失わせるような行為が上司によって為され続けた。
これらの苦しい事件について、俺は家族や友人に一言も相談しなかった。否、できなかった。
相談してどうなるものでもないし、また相談したところで誰一人としてその悩みの答えを持っているとは
思えなかったからだ。
自分でその苦しみを抱え続け、1年間本当の生き地獄というものを味わった。
続き。
そして事件から1年後のある日。
昔の同僚から電話があった。何となく仕事の話になり、何となく自分の状況の話になった。
自分でも言おうと思っていなかったことをいろいろ話した。表面的な事実と心境だけで、
事件の核心などは何も語らなかった。
だが、電話の終わったあと、妙な感じになった。世界が自分と関係がなくなり、もはや過去の
苦痛も何もかも離れた、透き通ったような、何の苦しみもない、美しい世界になったような気がした。
いろいろな、自分の人生であった過去の事件が走馬灯のように目の前を流れた。
そのとき、唐突にある考えが閃いた。稲妻のようだった。それから数日考えに考え抜いた。仕事の合間も、
飯を食べているときも、常にその「あること」についてグルグルと考え続けた。
三昧境…というのだろうか?それはわからない。
そんな状態が数ヶ月続いた後、唐突に一つのことが閃いた。桶の底がスコーンと抜けるように。
今回の事件はおろか、今までの自分で苦しんできたこと、その全てが全くの自分の見当違いと
いうことがはっきりわかった。
更に続き。
そして、その閃きが、過去に触れた仏道の道にまさに合致していることに気づいた。
最初の閃きは確かに苦痛の一つを抜くことはできた。大きな一つだった。だが、それでも十分では
なかった。閃いたあともまだ苦痛は多く残って存在していた。
それから更に1年間、いろいろ考えに考え抜いた。
手に入る仏法の本、様々な思想哲学の本、そういったものを漁って読んだ。その中で更に様々な閃きがあった。
ようやく最近、更に同じような事件が起こっても、まるで風が頬をなでるようにやり過ごすことができるんじゃ
ないかと思えるようになってきた。本当にそうなのかは、事件が起こらねばわかるものではないが。
だが、閃く前も、閃いた後も、やはり自分に何も残っていないことは変わりが無い。
でも、俺は、そんな自分の状態を認識した上で、今後も自分と戦い続け、生き続けようと思った。
将来の見通しは今でも真っ暗闇だ。でも、それでもその闇を晴らすべく努力し続けようと思う。
もしかしたら闇は晴れず、苦行を重ねた挙句野垂れ死にするかもしれない。
それでも苦行を重ねて生き続けよう。そう思っている。
あの閃きがなかったら、今頃は犯罪者となって刑務所か、精神病院で薬漬けになっていたかもしれない。
>>ペシ氏
話にしてみればこんな感じ。抽象的&長文&愚痴タレ流しすまん。
以後名無しに戻りますワ。
91 :
名無しさん@3周年:03/09/15 02:13
唐突に閃いたという最初の一つを言葉にできますか?
>>84 むー、、、困った(^^;;
解説すると凄い屁理屈っぽくなっちゃうんですが、一応解説させてもらいます。
「片付けさせられている」「怖いから片付ける」っていうのは、自分と母親っていう
二者が対立してるわけです。片付けたくない自分と、片付けさせようとしている母親と。
ところが、転がっているオモチャとかが眼に入った瞬間、何の考えも無くオモチャ箱にポン
とオモチャを入れる。
何も考えずオモチャ箱にオモチャを入れるわけですから、そこには片付けさせる母親もなく、
片付けることを意識する自分もない。
そこにあるのは「事実としてオモチャを箱に入れる自分」という絶対のモノだけです。
そこには『させられているという意識(=苦痛)』は存在しない。何も考えてないわけですから。
涅槃ってのは、要するに苦痛の全く無くなった境地のことですよね?
とすれば、これは「部屋の片付け」という世界に冠する涅槃の境地なわけです。
…とゴテゴテと述べましたけど、要は「散らかったらスパッと片付けりゃいいじゃん、
そうすりゃ怒られることもないし怒られるとビクつくこともない」ってことです。
94 :
名無しさん@3周年:03/09/15 02:27
24時間禅じゃよ
95 :
名無しさん@3周年:03/09/15 09:16
>>90 うむ。うらやましい。 人間苦しむにも力が要ります。最近は深く苦しまなくなりました。
昔は苦しんだかもしれんが、もう忘れた。
これからは、箔がつきそうな、それでいて耐えられそうな苦しみを探して見ます。
>>95 > 禅とヨガは全然ちがうでしょ
違いは分かるということはいいことです。
私にすると、多少違うだろうな、くらいな感じです。
>>92 > そこには『させられているという意識(=苦痛)』は存在しない。何も考えてないわけですから。
> 涅槃ってのは、要するに苦痛の全く無くなった境地のことですよね?
> とすれば、これは「部屋の片付け」という世界に冠する涅槃の境地なわけです。
1)着手、2)盛り、3)涅槃
の3段階があるんじゃないんかなと思うわけです。
たとえば子供が自転車に乗る場合だと、一生懸命練習している段階が
着手です。やっと乗れるようになって、うれしくて、あちこち乗り回す。
これが盛り、平然と乗れるようになると涅槃ですな。
我が家の子供も、涅槃の境地で、あれだけしつこく粘って手に入れた
15段変則のチャリを、こともなげにぶっつけたり、雨ざらしにしたりします。
98 :
名無しさん@3周年:03/09/15 15:40
>そんな状態が数ヶ月続いた後、唐突に一つのことが閃いた。桶の底がスコーンと抜けるように。
>今回の事件はおろか、今までの自分で苦しんできたこと、その全てが全くの自分の見当違いと
>いうことがはっきりわかった。
それを究めれば、道元さんの心身脱落に通じるのかも知れない
心身脱落は、身塵脱落らしいね
塵が落ちて、心は明鏡の如し
本来無一物
ヨーガ的にいえば、スシュムナー管が通ったということかな
光があるから闇も見据えられる
あなたの明鏡、内なる仏陀の光が、遍く闇の隅々まで照らして
くれてる故に、賢い人は悟る
過ぎ去る片手の平を、もう片方の手でで受けとめるのは、無益な我執と
発菩提心、日々の瞑想と思索、頑張って保水です
99 :
名無しさん@3周年:03/09/15 23:00
お、活発な禅スレハケーン
どこもえらい廃れてるもんで・・・
ところでおまいらは座禅用の法衣とか持ってまつか?
100 :
名無しさん@3周年:03/09/15 23:22
持ってないなあ。 < 法衣
やるときはGパンTシャツで坐禅。
座禅専用の座布団(なんていうんだっけ?)も持ってない。
101 :
名無しさん@3周年:03/09/16 14:20
>>100 「坊さんが正装で指導してるから、なるべく正装にちかい格好で・・・」
って在家の座禅会のひとに言われた。
ちなみに作務衣は作業着だから、あんまりよくないとか。
言われてみれば確かにそうだが、背広はきついしな。
あと、「袈裟を縫う会」という活動もやってるらしい。
>>101 >
>>100 > 「坊さんが正装で指導してるから、なるべく正装にちかい格好で・・・」
> って在家の座禅会のひとに言われた。
純白のワンピースなんてどう? 注目あつまるよ。
女なら、心技態の正装、ふんどし。
そん位の勇気がないと、坐禅はむりだね。
諦めなさい。
嘘。
>>102 面壁座禅なので、まるで注目されず凹む罠
104 :
名無しさん@3周年:03/09/16 15:30
歴史に名を残す瞑想家は、素っ裸か腰布一枚
そのような問題で自分をぎすぎすさせる次点でアウト
105 :
名無しさん@3周年:03/09/16 20:30
> 涅槃ってのは、要するに苦痛の全く無くなった境地のことですよね?
俺は「めんどくさい」と言う言葉か好きじゃ。
坐禅をするようになって「めんどくさい」が本当に好きになった。
座右の銘は「めんどくさい」じゃ。
なにかをやろうとすると めんどくさい。
勉強をしようとする。難しい。調べるのが「めんどくさい」。
考えるのが「めんどくさい」。ほう「めんどくさい」のか。そう思って
「めんどくさい」をしばらく観察していると、これがだんだん化けてくる。
この化け方が面白い。「めんどくさい」を観察するのは、女子の裸をジーッと
眺めるようにおもしろい。恥ずかしがって、うつむいたり、テレ笑いしたり、
くねくねしたり、横を向いたり。言葉にすると「めんどくさい」だが、
中身は処女じゃ。
「めんどくさい」が好きにになると、何をやってもめんどくさくなくなった。
だからこのごろはなかなか女子の裸に出会えん。
坐禅→THE ZEN
108 :
名無しさん@3周年:03/09/16 21:17
109 :
名無しさん@3周年:03/09/16 21:25
>涅槃ってのは、要するに苦痛の全く無くなった境地のことですよね?
ま、有余涅槃では、現身の苦痛は残りま〜〜〜す
病気、怪我等々
>>109 > >涅槃ってのは、要するに苦痛の全く無くなった境地のことですよね?
> ま、有余涅槃では、現身の苦痛は残りま〜〜〜す
> 病気、怪我等々
処女の如し。
>>108 ウホッ、、怪しい香り満載(*´Д`*)ハァハァ
豪華絢爛な建物がなんともいえず胡散臭い。
論争なんぞする暇あるなら念仏唱えとけって。
禅と「悟り」は全く異質のもの。
音楽にたとえると禅は音階練習のようなもの
音階練習をしなくても、音楽はできるし、勘のいい人は
訓練などしなくても、音楽を楽しむことができる。
だけど、音階練習によって一つ一つの音を正確に出せるようになると、
演奏は格段と綺麗になる。
子供のころから、遊びたい盛りをスリッパでしばかれながら訓練して
一通り正確に演奏ができるようになる。難しい試験をパスして、音大に入ると
もっと厳しい訓練が待っている。音大を出たころには
すっかり音楽嫌いになっている。それでも、職業としては音楽しかなくて
音楽を教えている。
禅にありがちな構図だ。
「悟り」は、即興演奏を楽しむこと。
即興は訓練とは異質の何かで、それを説明する言葉はない。
瞬間、瞬間音に出会い、音を楽しむ。訓練しても即興はできない。
「悟り」は禅とは真反対、だから返ってそれを写し出す
ことができるともいえる。
114 :
名無しさん@3周年:03/09/18 08:45
…せめて本読みましょうや。
貴方の前のレス見ると、禅の実習はおろか禅の本すらよんでおられないようですが。
道元さんとかこれと逆のことを言っている人は数多けれど、『禅と悟りが反対』と言って
いる方は読んだことも見たことも無いぞ。
禅定は座ることではなく心にある。禅定とは散逸する心を鎮め集中することに他ならない。
悟りとは苦しみを断つ心の剣。智慧の剣。心に懊悩や煩悶があるなら、それは禅定ではない。
悟りとは心のひずみを治す薬のようなもの。ひずみが治ればその心は禅定に入っているわけで。
これが禅定は即ち悟りといわれる所以である。
禅は座ることが禅なんじゃないよ。
六祖慧能も同趣旨のことを述べている。
講談社学術文庫に大森曹玄さんの「参禅入門」って本がある。
ちょっと難しいけど、禅の知識的な理解するならこれを何度も熟読すると良いと思う。
入門とは書いてあるけど、内容はとんでもなく深い。40冊以上禅関係の本読んでるけど、
これは三本指に入る良い本だと評価してる。比較的手に入りやすいのもグッドですね。
115 :
名無しさん@3周年:03/09/18 08:50
>40冊以上禅関係の本読んでるけど、
>これは三本指に入る良い本だと評価してる。比較的手に入りやすいのもグッドですね。
そうですか。
今度図書館かどこかで借りて読もう。
ちなみに私が今まで読んで良かったのは
山田無文提唱の臨在禄、上下巻。
山田無文さんの臨済録上下巻……あれ?あ、なるほど、1冊にまとめられて再販されたんだ。
立ち読みしたことはあるけど買ってはないな。高いし(^^; < 4500円
図書館で借りたいけど、近くの図書館はあんましでかくないから置いてあるかなあ。
禅の本
読みたいものは
数あれど
財布の中も
趙州無字也(つД`)
118 :
名無しさん@3周年:03/09/18 18:22
>40冊以上禅関係の本読んでるけど
文字面を読むことを、一般的には読むといい、
いつのまにか、書物に読まれてしまっているのかも
(怒らないでね)
―40冊以上禅関係の本読んでるけど―
慧能はなにを読んで頓悟したのだろうか
>>117 > 山田無文さんの臨済録上下巻……あれ?あ、なるほど、1冊にまとめられて再販されたんだ。
> 立ち読みしたことはあるけど買ってはないな。高いし(^^; < 4500円
価値があれば安いし、価値がなければ高いんでしょうな。
>>114 > 貴方の前のレス見ると、禅の実習はおろか禅の本すらよんでおられないようですが。
いや、そういわれると身も蓋もない。
正解。
> 道元さんとかこれと逆のことを言っている人は数多けれど、『禅と悟りが反対』と言って
> いる方は読んだことも見たことも無いぞ。
それは素晴らしい。ということは新説ですな。
> 禅定は座ることではなく心にある。禅定とは散逸する心を鎮め集中することに他ならない。
集中力があると、単純作業なんかは、すごくいいでしょうね。ただ一旦間違うと
集中力のある人は、大量に膨大な不良品を製造します。もう後が大変です。
私はのらりくらりとやりますので、間違っても、そのうち更に間違って正常に
戻ったりします。 結果的に見ると.....まあほとんどはかどってないわけで。
> これが禅定は即ち悟りといわれる所以である。
> 禅は座ることが禅なんじゃないよ。
方法はどうでもいいんでしょうが、座るのは基本でしょうね。
坐禅というくらいですから。
禅定と禅は違うわけでして(わたしの意見ですが、)禅は訓練方法で
つまり坐禅でして、その結果としてこころの状態が禅定でして、
禅定はまあ「悟り」に近いといってもいいのですが、坐禅を止めると
元に戻って、しびれた足で太鼓にけつまずいて、ころんで「こんなところに
太鼓を置いたのはだれだ。馬鹿や郎」怒り心頭。禅定はこのように坐禅をやめると
消えるのです。「悟り」は足がしびれても滅多に太鼓にけつまずかないし、
怒り心頭なんてことがあまり無くなるのではないでしょうか?普段から。
> 講談社学術文庫に大森曹玄さんの「参禅入門」って本がある。
> ちょっと難しいけど、禅の知識的な理解するならこれを何度も熟読すると良いと思う。
そうなんですか? 新書のやつですか?
どっかにころがってたようなきもします。
こういっては大家?に失礼ですが、はっきしいって、なんと言いましょうか
もう少し、ひらめきのようなものがあって欲しいな。なんて思いました。
ひらめきが、きらめきになり、悟りになるのではないかな、なんて
思うのです。
>>118 >いつのまにか、書物に読まれてしまっているのかも
その辺は自分じゃなんとも言えんです。客観的な問題ですし。
自分で「読まれてない」と主張しても、ハタから見て読まれてればそれは読まれてるワケで。
ただまあ、禅の本読んでると面白いのだけは確かです。
>慧能はなにを読んで頓悟したのだろうか
慧能が大悟した瞬間についての記述は見たことないですねえ。
最初は街で坊さんが金剛般若経を読んでいるところに通りかかり、「応無住而生其心(まさに
住するところ無くしてしかもその心を生ずべし)」という文句を聞いて発心。
で、五祖のところへ行ったはいいが「お前は坐禅なんぞせんで、米でもついていろ」と言われ、ずーっと
ひたすら米つきをしてた。
その数ヵ月後、神秀と悟境の詩の作りあいをして五祖に悟りを認められてます。
あー六祖壇経読みたい。興味アリアリなんだけどでかい本屋に行っても文献置いてない〜。
>あー六祖壇経読みたい。
中央公論社世界の名著18「禅語録」で読めます。
値段もお手ごろです。
124 :
名無しさん@3周年:03/09/18 22:31
> 「悟り」は禅とは真反対、だから返ってそれを写し出す
>ことができるともいえる。
↑写し出すとき、それを不二というのです
禅定とは、それを直接体現すること
一歩距離を置いて、対象化して観察する知の満足とは別です
>慧能が大悟した瞬間についての記述は見たことないですねえ
慧能は最上機根の人であり、過去生において悟りの下地が充分に養われていた人だった。
米つきを命じられたのは、類稀なる彼の才能を兄弟子等の嫉妬や危害から護る為だったらしい。
最上機根であるが故に、「応無住而生其心」の本体を瞬時に読んだということか
師を訪ねたとき、既に悟っていたらしい。(かといって、彼を独覚と謗る理由はなにもないが)
唯、何分にも兄弟子等の手前、極めて世俗的な配慮としての米つきだったのでしょう
その辺は、以心伝心としてお互いに了解済み
125 :
名無しさん@3周年:03/09/18 22:56
中央公論社世界の名著シリーズはいいね
私も最近「2 大乗仏典」を古本で購入しましたです。
収録内容〜金剛般若経・維摩経・宝積経・廻諍論・中論釈・倶舎論・中辺分別論・唯識二十論・タルカバーシャー
責任編集・解説 by 長尾雅人
これだけの充実内容にも関わらず ¥1000+送料の幾許か
ありがたやありがたやありがたやの感謝三昧であります
126 :
名無しさん@3周年:03/09/18 23:42
>>123 ここ1年くらい探してたんですよー。激しくサンクスです。
神田行って買ってこよう。
>これだけの充実内容にも関わらず ¥1000+送料
滅茶苦茶安い。中央公論社バンザイ。
127 :
名無しさん@3周年:03/09/19 01:35
日本の名著シリーズもあるね。「道元」とか。
禅は集中です。しかし集中はゲームや、遊びや興味ある勉強、
生存をかけた闘争などには簡単に集中できます。
禅の訓練は 集中できないもの、つまり無価値なものへ
無理やり集中することの訓練です。
普通に考えるなら、無価値なことをする訓練とは、馬鹿になるための
訓練といって間違いありません。
そういうわけで、(上の方でどなたかが指摘されていましたが)禅を
して、それが成功すると実際に馬鹿になるのです。
ところが、時には、あるいはしばしば失敗します。失敗すると
反対のことが起こって、賢くなる場合があるのです。
禅はまじめにやると成功します。禅の公案などを見ると本質的には
極めて不真面目で、いい加減で、つまり、的を得ていると思います。
こういうことを理解しないと、禅は成功してしまいます。
129 :
名無しさん@3周年:03/09/19 11:16
公案集は面白くてずいぶん読んだ。
空に上っていった男の話とか呆れて笑ってしまったよ。
特に趙州には魅力を感じたな。
南泉斬猫の公案は色んな解説見ても未だに良く判らない。
最近読んだ山田風太郎の地獄太夫にも一休とのやり取りに絡んでこの公案にちなんで猫を斬る場面が
在るんだけど、見事な落ちでうなった。
130 :
名無しさん@3周年:03/09/19 13:07
131 :
名無しさん@3周年:03/09/19 13:10
>南泉斬猫の公案は色んな解説見ても未だに良く判らない
良く判らないから、公案にチャレンジする気にもなれる
猫の首は、未開種族の呪術と思っても悪くはない
公案というだけで、特別に神聖視するのは、詐欺師に騙されるより愚かである
禅ってヒンズー教にまで堕落した似非仏法だろ?
133 :
名無しさん@3周年:03/09/19 14:29
南無妙法蓮華経よりも
南無大師遍照金剛のほうが
1テラ倍ご利益がある
これ真実
弘法大師空海様>>>>>>>>>>>>>>>>最澄>法然>親鸞>(越えられない壁)>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>日蓮
>>128 …せめて本読みましょうや。
貴方のレス見ると、禅の実習はおろか禅の本すらよんでおられないようですが。
135 :
名無しさん@3周年:03/09/19 14:37
>>134 一休禅師の漫画は見たぞ!
あんなもんだろ?
136 :
名無しさん@3周年:03/09/19 14:37
あ、
うちじゃなかったのか
ゴメン(><
137 :
名無しさん@3周年:03/09/19 15:39
>>129 南泉は自らの首を切り落として、門下に知らしめるべきだった
幻術を使った猫の斬首が出来る能力がないならないなりにそうすべきだった。
観念やエゴの自己主張がもたらす猫仏性論に執らわれていたのは、何故ならば
南泉自身であったろうから。執らわれがなければ、風のように聞き流すだけのこと。
そして切り落とされた自らの首に、門下によって猫を戴けばいいだけ。
138 :
名無しさん@3周年:03/09/19 15:46
>禅ってヒンズー教にまで堕落した似非仏法だろ
両方とも如来蔵系
139 :
名無しさん@3周年:03/09/19 15:53
私、禅してるんですが知識は0です。でも禅は己の感覚を高め自分をフル使うための方法だと思うので、あまり知識はいらないような気がするのですが。 ご教授お願いします。
140 :
名無しさん@3周年:03/09/19 15:57
嗚呼、またまた台風だ
でも台風仏性論に自分は猫を巻き込まない
猫は猫
台風は台風
言語を超えた、タタターである
然り、今晩は荒れ模様
141 :
名無しさん@3周年:03/09/19 16:07
【六祖慧能&法達】
六祖の前に進み出て礼をするのだが、彼の頭が地面につかなかった。六祖がいさめて曰く、
「地面につかない礼をするのなら、礼をしないのと何の違いがあろうか。お前の心の中にきっ
と何かが詰まっているに違いない。それはいかなる物か」
法達が答えた。「法華経を読むこと三千部に及びます」
>>139 > 私、禅してるんですが知識は0です。でも禅は己の感覚を高め自分を
>フル使うための方法だと思うので、あまり知識はいらないような気がするのですが。
おお、あなたは正しい。 というか共感できますな。
「本を読むのは人の頭で考えることで、禅とはまるっきしかけ離れた行為だ。馬鹿もん」
とショーペンハウエル先生もいっておりました。嘘ではありません。
それでも人の頭で考えないと考えられない人もいますが、仮にも禅を志す者は
本を読むのは恥ずかしいことと考え、こそこそと読むべきです。
公案の盗み読みなんてもってのほか。そのようなことを進める祖師は香具師です。
即刻立ち去るべきでしょう。
本を読むことだけが頭で考えることではないだろう。
本を読まなくっても頭で考えているだけの禅はいっぱいあると思うが。
付け加えると、同じ本を読むのでも、
ハートで読む、とか読む行為自体が禅、ということもある。
…せめて本読みましょうや。
貴方のレス見ると、禅の実習はおろか禅の本すらよんでおられないようですが。
144 :
名無しさん@3周年:03/09/19 18:17
>>134 > …せめて本読みましょうや。
> 貴方のレス見ると、禅の実習はおろか禅の本すらよんでおられないようですが。
シツコクからんでおられるようですが、禅の本を読んであなたの頭はどうか
なったのでしょうか?
良くなったのでしょうか? なにか悟りに関連したことでも発見されたのでしょうか?
そういうことを発言されたらいががでしょうか?
本を読みたければ読んだらいいし、そんなに読まなくても理解の早い人もいます。
ろくに理解もできないのに、読んで解った振りをするのもどうかと思います。
「読んだ、良かった。」くらいでもいいですが、それについて理解を語れれば
なお良いとおもいます。いかがでしょう。
145 :
名無しさん@3周年:03/09/19 18:25
>でも禅は己の感覚を高め自分をフル使うための方法だと思うので、あまり知識は
>いらないような気がするのですが。
でも禅でもヨーガでも、五蘊に伴なう感覚器官を外界との接触から遮断して、マーヤ
としての己をフル放棄するための方法だと思うので、その為の知識でしたら有効な気
がするのですが。最も当の器がザルであれば、もちろん知識もいらないでしょうが。
>>143 > 本を読むことだけが頭で考えることではないだろう。
あなたは禅で頭が一杯になっているようですね。
ショーペンは 「本を読むと言う行為は、他人の頭で考えることで、自分の頭で考えることを放棄した
愚かしい行為だ。 」
といっているのですよ。
なんか勘違いしてません?
禅で頭が一杯になると禅の実践すらできないのです。
つまり注意深く他人の意見を聞くとかそういうことをです。
だから、隙間を持たなければなりません。脳みそも時間も空間も
余裕が必要なのです。余裕がないと、「自由闊達」は得られません。
>>145 > >でも禅は己の感覚を高め自分をフル使うための方法だと思うので、あまり知識は
> >いらないような気がするのですが。
> でも禅でもヨーガでも、五蘊に伴なう感覚器官を外界との接触から遮断して、マーヤ
> としての己をフル放棄するための方法だと思うので、その為の知識でしたら有効な気
> がするのですが。最も当の器がザルであれば、もちろん知識もいらないでしょうが。
いや知識がザルなんです。
148 :
名無しさん@3周年:03/09/19 18:39
>それでも人の頭で考えないと考えられない人もいますが、仮にも禅を志す者は
>本を読むのは恥ずかしいことと考え、こそこそと読むべきです。
あなたのお子様?にも、学校教育は人の頭で教育されるから、先生に教えられるのは
恥ずかしいことと考え、こそこそと教えてもらうように躾ましょう
>>146 劇ワラ。
ショーンペンがどう言ったか、それを何でおまえが知ってるんだ?
本を読んだからだろう。
ショーンペン ×
ショーペンハウエル ○
151 :
名無しさん@3周年:03/09/19 18:48
>いや知識がザルなんです。
分別してしまうあなたが、言語概念に振りまわされてるだけなんです、
ザルも知識も徹底的には存在するものでありません
152 :
名無しさん@3周年:03/09/19 18:48
>>148 >>149 > 劇ワラ。
> ショーンペンがどう言ったか、それを何でおまえが知ってるんだ?
> 本を読んだからだろう。
余裕です。人の意見は余裕をもって理解せんといけません。
今あなた(148,149)の頭は批判でつまっています。余裕ができると
自然と理解できるはずです。
154 :
名無しさん@3周年:03/09/19 19:19
ネーちゃん買っても、魂だけは売り渡すな。
>>154 > ネーちゃん買っても、魂だけは売り渡すな。
魂もかってやれ。
>>151 > >いや知識がザルなんです。
> 分別してしまうあなたが、言語概念に振りまわされてるだけなんです、
> ザルも知識も徹底的には存在するものでありません
振り回されてはいけません。振り回すのです。
存在しないとしたら存在するように、存在するなら存在しないように。
色即是空、空即是色
無分別は分別、分別は無分別
解ったようなわからんような、解らんような解ったような。
157 :
名無しさん@3周年:03/09/19 19:47
>156
振り回すにはしっぽがいるぞ。首尾よくしっぽを掴んだとして、
しっぽが振り回されるのか、それともしっぽが振り回しているのか。
>>153 客観的にみてキミのほうが余裕ないし、必死に人の批判しているように見えるけどな。
159 :
名無しさん@3周年:03/09/19 20:51
139ですが、皆さんの意見大変勉強になりました。まだ文字の裏にあるその人の気持ちや、その先に終着する意識の行方は感じとれませんでした。 まだまだ道は遠いみたいです。 ありがとうございました。
>>157 > 振り回すにはしっぽがいるぞ。首尾よくしっぽを掴んだとして、
> しっぽが振り回されるのか、それともしっぽが振り回しているのか。
人は尻尾をだして歩いています。つかむには事欠きませんが、つかんでも
いい尻尾とそうでない尻尾があります。変な尻尾を掴むと振り回されて
しまいます。今日はつかみ損ねて、おまけに踏んづけてしまったようです。
ところで、自分で自分の尻尾を踏まないように、禅では「足元を見よ」
と言います。足元ばかり見ていては明日に向って進めません。
足元を見る。明日を見る。それから批判に対してはアサッテを向いて
いる必要があります。
これが、禅を補足する「3法」です。
161 :
名無しさん@3周年:03/09/19 20:58
禅って、只管打坐だけど、だからこそ変な方向に
逝っちゃう可能性もあるから、いい師が必要とか言うんだろうな
>>159 > 139ですが、皆さんの意見大変勉強になりました。まだ文字の裏にあるその人の気持ちや、その先に終着する意識の行方は感じとれませんでした。 まだまだ道は遠いみたいです。 ありがとうございました。
誰でもボロを出し、尻尾をだす瞬間があります。裏にまわるとよく見えます。
163 :
名無しさん@3周年:03/09/19 21:08
まあ、禅に関する自説を書くのは別にかまわないんだが、
せめて、自分勝手にそう思っているだけです、とか宣言しておけば?
>>160。
もっとも、そう書かなくてもこのスの住人は誰も本気にしないだろうけど。
164 :
名無しさん@3周年:03/09/19 21:46
>誰でもボロを出し、尻尾をだす瞬間があります。裏にまわるとよく見えます
裏ではなく、雲の上から見た場合には、知見できます
>>163 > まあ、禅に関する自説を書くのは別にかまわないんだが、
> せめて、自分勝手にそう思っているだけです、とか宣言しておけば?
>>160。
> もっとも、そう書かなくてもこのスの住人は誰も本気にしないだろうけど。
誰もが本気にするような素晴らしい自説を一発どうぞ。
>>161 > 禅って、只管打坐だけど、だからこそ変な方向に
> 逝っちゃう可能性もあるから、いい師が必要とか言うんだろうな
いったい誰がそういうのですか?
良い師は、世の中に良い師がいないことを痛切に嘆いています。
実際ろくでもないものばかりです。
ですから良い師はそんなことは言わないはずです。
ろくでもない師が良い師が必要というときは、単なる客集めではないでしょうか?
167 :
名無しさん@3周年:03/09/20 01:09
無性に澤木興道さんの法華経の解説本が読みたくなってきた。
以前、金がないから本屋でぜーんぶ立ち読みしたことあるんだけど。数時間かけて(笑)
澤木さんも興味深い禅者だよね。
極貧の幼年時代をすごし、戦争行って人殺しして、んで坊さんやってた。
生涯宿無し女房なしで坐禅一筋に生きた。死ぬまで本来無一物を通しつくした。
なかなかできないよこんな生き方。
講談社学術文庫の「澤木興道聞き書き」、自分的にいつもポケットに入れておきたい本の一つだね。
168 :
名無しさん@3周年:03/09/20 02:07
>澤木さんも興味深い禅者だよね。
>極貧の幼年時代をすごし、戦争行って人殺しして、んで坊さんやってた。
>生涯宿無し女房なしで坐禅一筋に生きた。死ぬまで本来無一物を通しつくした。
>なかなかできないよこんな生き方。
本来無一物が戦争に対する不感症の手助けになったとはいえないだろうか
坐禅一筋に生きれば、無一物を通しつくしたことに適い
そうでなければ不適格となるようなお墨付きでもあるのだろうか
まさに住するところ有りて、しかもその坐禅を生ずべしだったともいえよう
169 :
名無しさん@3周年:03/09/20 09:45
>>168 さあ、それはどうだろう。著書は結構読んでるけど話は理に適っているよ。
『坐禅一筋に生きるとこと』と『無一物に徹する』ことは確かにイコールではない。
なぜなら禅とは座ることじゃなく心にあるから。
澤木さんの論述の中で『無一物』を徹しているなと思ったのは、インタビューで家を
持っていないことを指摘されて「宿ありが間違っている、宿無しが本来だから」と答えて
いたくだり。
その他の部分でも、禅を他人の言葉を借りず自分の体験をもとに語っていることが多い。
読んでいると澤木興道が禅であり、禅が澤木興道になっているなあと感じさせられるよ。
坐禅一筋に生きることは無一物そのものじゃないが、坐禅一筋に一生を捧げられないようじゃ
尚更無一物には程遠かろう。
『坐禅に一生を捧げられないようでは尚更無一物に程遠い』…こう書くと「坐禅ばかり
やっているのが正しい道じゃないだろ」的なレスがつきそうだが、『そういう意味でこの文を書いたわけじゃない』。
先手打って書いておく。
ちなみに168は澤木さんの本、何読んだの?
また、他にどんな禅の本やお経を読んだのか、後学のために聞かせて欲しいな。
>>169 ぐだぐだいてってないで、おまえも澤木みたいにやってみたら。
できんのか?
あほらし。もともとその気もないくせに。ぐだぐだぐだぐだ。
禅じゃないが、人生一つのことに捧げとるよ。
それこそ自分の本業にうちこんで、家族以外の他人と会話をしないことが数ヶ月なんて
ことも全然珍しくない。
気合が入れば朝は6時に起きて夜は0時過ぎまで本業に没頭しとるよ。
澤木さんや、過去の祖師方に比べりゃとてもとても足元にも及ばないけどさ。
坐は禅の一つのあらわれ。僕は坐禅もするけど自分の本業が即ち禅となるよう
心がけてやってる。
本も読むけど本は本、理屈は理屈にすぎない。自分で噛み砕いて生活に生かせなきゃ
公案もお経もただの文字の集合体以外の何者でもない。
澤木さんの本を読んでいると、その辺まさしく禅、仏法が生きているなあと思うわけよ。
そのあたりは素直に尊敬に値すると感じるよ。
で、170氏=169氏でいいのか?まあ別人でも良い。
あなたはどういった本を読んだり参禅をされてるので?
…と、自分がウザくなってきたので板から消えます。
173 :
名無しさん@3周年:03/09/20 20:50
>>169 恥ずかしい?けど、氏の著書は読んでいないよ
読んだ禅の書籍も少なく、お経も代表的なものだけね
本来無一物なら、既に無上覚である
無上の覚醒に達した者が、なにか下心があって、坐禅をして何かを得ようとしたとも
思えない。得ようとするその心を超克したから、本来無一物というのであろうから。
また何かを捨てようと思って座禅に取り組んだとも思えない。
無一物とは、得るものも捨てるものもないから無一物なのだろうから。
仏陀は特定の形相でもないから、まさか澤木氏ほどの人が坐った仏を求めるはずもないし。
一体全体、澤木氏の坐禅一筋とは何だったのだろう。
読んでいないから、まったく分からない。
>>173 とりあえず「禅談」なんかどうかな。
ありゃあ結構面白い。
呼吸法について、座禅をやっている人に質問。
俺は、息を吸うときは頭のてっぺんから空気が入って、丹田にそれをため、
息を吐くときは、丹田から腰の周りに自然に吐き出すようなイメージでやっている
のだが。誰か他の方法があったら教えてください。
176 :
名無しさん@3周年:03/09/21 13:12
両手を打ち合わせると「ぱん」と音がする。
片手でも音がすると仮定するとどういう音が鳴るか。
>>176 > 両手を打ち合わせると「ぱん」と音がする。
> 片手でも音がすると仮定するとどういう音が鳴るか。
バカが鳴る。
178 :
名無しさん@3周年:03/09/21 17:09
隻手の音を聞くよりも両手叩いて商売商売
179 :
名無しさん@3周年:03/09/21 17:20
180 :
名無しさん@3周年:03/09/21 17:32
181 :
名無しさん@3周年:03/09/21 18:51
>いい言葉だなぁ…(じーん)
禅とは、悟性の追求である(爆
182 :
名無しさん@3周年:03/09/21 22:08
183 :
名無しさん@3周年:03/09/21 22:19
>>182 ちぁうて。
ビャクイン時代の市井のばあちゃんの言葉だそうな。
184 :
名無しさん@3周年:03/09/22 01:42
>両手を打ち合わせると「ぱん」と音がする。
> 片手でも音がすると仮定するとどういう音が鳴るか。
いつまで音の余韻にひたるつもり?
すんげえ久しぶりにこの板見たら、禅スレは未だに髑髏が跋扈しているんだね。
暇な野郎だ。頭でっかちなところも相変わらずだな。
>>185 > すんげえ久しぶりにこの板見たら、禅スレは未だに髑髏が跋扈しているんだね。
> 暇な野郎だ。頭でっかちなところも相変わらずだな。
もっと頭おおきくなれ。
>>183 > ビャクイン時代の市井のばあちゃんの言葉だそうな。
プ。
2chも臨在に登録しとけ。
189 :
名無しさん@3周年:03/09/23 11:08
やっぱ、ベシはドクロか。
からみは相変わらず三流ですね。
さすがにベシは髑髏さんちゃうやろ。
ここまでレベル低うなかったやん。
>>190 > さすがにベシは髑髏さんちゃうやろ。
> ここまでレベル低うなかったやん。
おまいらと付き合ううちにだんだんレベルが下がった。
いや下げざるを得んのだ。
必要悪じゃな。
>>188 > 意味不明
おまいらには、解説がいるな。
「ババアのたわごとを禅語録本にして残すんなら、2chの戯言も、臨済風に語録にして
大切に歴史にのこしたらどう?」と。
そしたらペシの言葉も歴史にのこる。
おまいらには意味不明でも歴史の検証を受けて、ペシはよみがえるのだ。
↑ ベシのような坐禅してると、こうした妄想を抱けるようになる。
ベシは、今までカキコしたスレを保存している、に5警策。
>>193 > ↑ ベシのような坐禅してると、こうした妄想を抱けるようになる。
うーむ。まだおまいらにはわからんな。 むりもない。
これが禅による真の開花じゃ。
>>194 > ベシは、今までカキコしたスレを保存している、に5警策。
ありがたく保存しておきなさい。
>>194 > ベシは、今までカキコしたスレを保存している、に5警策。
あーちなみに。べし じゃない。 ぺし。
こういう細かいところに気がつくようになると、禅の上達も早いぞ。
おまいらはペシ(peshi)がベシ(beshi)に見えるのは、「やるべき」が多くて、
いつでも「すべき」「やるべき」「まもるべき」そういうふうに、
心にゆとりが無いからじゃ。
ゆとりをもて。そしたらベシがペシにみえるようにる。
「すペシ」「まもるペシ」「やるペシ」(peshiじゃよ)
ん。わかるかな。
198 :
名無しさん@3周年:03/09/23 19:14
> おまいらと付き合ううちにだんだんレベルが下がった。
> いや下げざるを得んのだ
背伸びするより良いではないか
『日日是好日』 だにゃ
200 :
名無しさん@3周年:03/09/23 20:14
のどかだ。
ペシもベシも変わらんが、ペシが必死だベ゙シ。
まあ、必死になることはよいことだベ゚シ。
202 :
名無しさん@3周年:03/09/23 21:02
>>201 「べ」はべらんめーのべ。
「ペ」はぺちゃくちゃのペ。
禅ではべとペは大違いなのだ。べらんめー。
■ば段■ 罵りばかやろべらんめー
ばかやろ
びんぼたれ
ぶれいもの
べらんめー
ぼけたれ
■ぱ段■ 元気でぱっぱぺちゃくちゃ
ぱっぱらぱー
ぴちぴち
ぷりぷり
ぺちゃくちゃ
ぽっちゃり
■は段■ お疲れはーさん呼吸法
はあー
ひーひー
ふうー
へー
ほへー
>>203
乙
205 :
名無しさん@3周年:03/09/23 22:42
「ペシ」って、警策で叩かれる音だと思ってた
>>205 > 「ペシ」って、警策で叩かれる音だと思ってた
下級祖師:バシッ
中級祖師:パシッ
上級祖師:ピシッ
超上級祖師:ペシ
音の違いで格付けがでます。
日本人は語感が非常に鋭いのです。
ところが香具師は言葉巧みですが、語感が鈍い。
ですから普通の人は胡散臭いものは語感で分かります。
「波動」これは胡散臭い響きですね。
実はこのことばはもともとバイブレーションだったのです。
で本来「震え」なのですが、馬鹿たれが「波動」と訳したのです。
それに輪をかけた馬鹿たれコン猿がそれを日本中に広めたのです。
いや単なる想像なのですが、「波動」が流行る前、LAで
バイブレーションという言葉が流行ってましたから。
ハートは波動するんじゃなくて、震えなくてはいけません。
ペシのハートは毎日震えています。
「波動」の方が科学的でかっちょええ
>>207 > 「波動」の方が科学的でかっちょええ
ぱぱぱぱ、ぱか!!
209 :
名無しさん@3周年:03/09/24 20:47
丹田なんて無いですよね?
棚田なら実家にありますが
211 :
名無しさん@3周年:03/09/24 21:06
>>209 はい無いですよ。
インチキ丹田呼吸法などには気をつけてください。
212 :
名無しさん@3周年:03/09/24 21:38
>はい無いですよ。
>インチキ丹田呼吸法などには気をつけてください。
断見してしまうあなたの傲慢さに気をつけてください
インチキとかインチキでないとか、だれがそんなこと決められましょうか
213 :
名無しさん@3周年:03/09/24 22:32
>>209 丹田があるかどうかはわかりませんが、凄く便利ですよ。
心をすぐに落ち着けられるし、凄く幸せな気分になれます。
インスタント幸せやね
215 :
名無しさん@3周年:03/09/25 01:49
小周転もいいですyo
脳みそも、金玉も、丹田も無い人はいますから、
気にすることはありません。
↑ おまえのことか?
>>217 > ↑ おまえのことか?
気にすることはありません。
>禅僧と話す機会がないから想像するだけだがな
ペシて話し上手だけど禅僧じゃなかったんだ?
220 :
名無しさん@3周年:03/09/25 19:57
あの…ここのかきこみを見てると、座禅をほんとにしてる方とは思えないのですが…
なんというか、自分を高めていくという気持ちが少なく、他人を煽ったり、言葉で納得させたり…皆さんの座禅歴は何年ぐらいですか?
今一時間程してきた。「坐禅」をな。
坐禅するより2ch。
224 :
名無しさん@3周年:03/09/25 21:56
>他人を煽ったり、言葉で納得させたり
煽られたら、煽り返せばいいのです
相手の剣で敵を倒す如し
また、言葉で伝えられなくば、禅者の資質に欠ける
脳味噌の許容量を超えたとき、かっこつけてると難癖つけるのは野暮の極み
>>220 > なんというか、自分を高めていくという気持ちが少なく、他人を煽ったり、
言葉で納得させたり
人は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ。と
ある(忘れたが)哲学者が言ったそうだ。
もちろん悲しいから泣く、しかし泣くとまた悲しい。
おかしいから笑う、笑うと更におかしい。
物事にはこのように因果の循環がある。輪廻という。
たとえば、あー、たとえば、
自分を高めていくという気持ちが、自分を低める。
低めるからさらに高めたいという気持ちが
高ずる。これを心理学では努力逆転の法則というらしい。
高めたいと思わないから、自然に高まる。
高まるから、ますます高めたいと思わない。
努力を忘れると真理が現れる。
こういう境地に達するのは、なかなか難しいのかな。
これが坐禅の本質なのだが、、、、。
226 :
名無しさん@3周年:03/09/25 22:03
>>225 >高めたいと思わないから、自然に高まる。
>高まるから、ますます高めたいと思わない。
ちょっと無理がある。受験生なんかにそうは言えんだろう。
>>226 > ちょっと無理がある。受験生なんかにそうは言えんだろう。
坐禅しても受験は受かりませんから、受験生は努力しなさい。
努力を成果にする。努力は報われるのです。
物事には輪廻や因果と同様、ちょっとだけ無理もあります。
努力は報われない。
努力を楽しむんだ。
229 :
名無しさん@3周年:03/09/25 23:08
自分が言う高めたいって気持ちは
努力逆転の法則のように意識してやろうと思うのではなく
坐禅をしていくうちに下意識にアクセスできる時があり
それを感じたらもっとやりたいという気持ちがおきてくると思うんですよね
230 :
名無しさん@3周年:03/09/25 23:12
下意識を制するのが坐禅
たとえば心の奥底で勉強したくないのに意識的に無理矢理するのが努力逆転の法則ですよね。
なら心の奥底から勉強したいと思うことができたら、受験など屁みたいなもんでしょう
231 :
名無しさん@3周年:03/09/25 23:27
道元にあっては「参禅とは座禅なり」です。参禅を言い換えると「身心脱落」
だと言うのです。身心脱落とは身も心も一切の囚われから離脱する事で、大い
なる悟り「大悟」言い表します。
後世の禅者が言っています。「脱落をものに例えるなら、ざるで水を汲むよう
なものだ。幾ら汲んでもたまらないのにおなじだ」(正法眼蔵聞解)と面白い
比喩で誰にも分かります。
身心脱落とは一切の強迫観念から開放された大いなる悟りである。
「無」とはものに例えるなら、ざるで水を汲むようなものだ。
幾ら汲んでもたまらないのにおなじだ。
全くその通りで「無」の状態に入ると身心脱落して幾ら強迫観念が起きてきて
もたまらない。ざるで強迫観念を受けるみたいでどんどんこぼれ落ちていく。
道元は身心脱落は全て座禅にあると言う。とにかく理由を問わず座るのが悟り
の道である。ただ時間だけがとうとうと過ぎていく。
それをしたから何が得られるとか、一切の応答をせずやるばかりである。
何時の日かそれこそが大悟であると直感する時が来る。
「座禅」じゃねえっつってんだろうがよ!!
「 坐 禅 」 だ! 病を捨てろボケェ!!!
くだらねぇ事シコシコ書いてんな!! 坐禅してろボケェ!!
俺は素敵な坐禅を更に二時間してきたぞ!!
233 :
名無しさん@3周年:03/09/26 00:09
駄目だこりゃ(w
234 :
名無しさん@3周年:03/09/26 00:11
>228 いいこと言うね。 その言葉感銘を受けた。
235 :
名無しさん@3周年:03/09/26 00:30
>>220 このスレッドをよーく読んでみよう。
まともな答えがあるか?常識から外れた答えはないか?
「禅とは何か」という問いに説得力ある答えが出せているか?
そして何より、禅が現実に生かせているか?
悪いことは言わない。禅をやるならきちんと正しい師に就きましょう。
陶酔禅、神秘禅、なぞなぞ禅に陥ったらそれこそ人生破滅です。
禅というけどこれほど危ないものはない。なぜなら禅は心の法。
人が困っている人を助けたり、人を殺したり盗んだりするのもすべて原因は心にあり。
身法の過ちは目に見えるが心法の過ちは目に見えない。
心法の過ちは、それが身法にあらわれて初めて過ちと自覚できる。その過ちの代償は果てしなく大きい。
『本来無一物』を最高の境地と誤解すること莫れ。
無一物はあくまで最初の最初のほーーんの第一歩。そこから歩み歩んで初めて仏国土の因縁、菩薩の威儀を成就できる。
単なる空見、深山の石地蔵のような立ち枯れ禅に陥る事勿れ。
気合で鼠を落とせることなど朝飯前というところまで己を高めよ。
悟ったらその悟りすら捨て、見性に見性を重ねて祖師祖仏の見地に至る気概を持つべし。
かの大白隠ですら大悟18度、小悟数知れずと言っている。
臨済、無門、趙州、白隠の腹の底を掌のうちにわかるまでいって初めて大事必了といえる。
一度の見性で満足することなかれ。
そのわりには、初心者にちゃんと解説してあげようとする人がいないと思う。
「禅」て、そういうモノなの?
237 :
名無しさん@3周年:03/09/26 00:46
悟ってないものは発言するなってこった。
238 :
悟ってないもの:03/09/26 02:00
>『本来無一物』を最高の境地と誤解すること莫れ。
『本来無一物』は、それ自体であり、
あなたの観念や思考法則のフィルターを通すから、
最高の境地だとか第一歩だとかと理由づけ定義されてしまうだけ
宇宙は、それ自体であり、
涯てがあるとも、涯てがないとも主張はしない
永遠に沈黙しながら、その沈黙さえも沈黙しているのだが、
一度人間の意識下に入れば、その観念の洗礼を受けてしまい、
曰く、涯てがあるのか、それともないのかと、喧しい論争の餌食にされてしまう
釈尊の無記とは、そのフィルター以前なり
239 :
悟ってないもの:03/09/26 02:25
>悪いことは言わない。禅をやるならきちんと正しい師に就きましょう。
今は独覚で逝きます
縁あり、機が熟せば、師は顕れる
縁もないのに求めるならば、それは渇愛である
カルマに従います
放下著。
>>230 > 下意識を制するのが坐禅
> たとえば心の奥底で勉強したくないのに意識的に無理矢理するのが努力逆転の法則ですよね。
> なら心の奥底から勉強したいと思うことができたら、受験など屁みたいなもんでしょう
勉強ぐらいのことで、おおげさな。
下意識を制するまえに、普通の意識で勉強しなさい。
>>228 > 努力は報われない。
> 努力を楽しむんだ。
おおちゃくもの。 楽しまんでもいいから、勉強しなさい。
>>231 > 後世の禅者が言っています。「脱落をものに例えるなら、ざるで水を汲むよう
> なものだ。幾ら汲んでもたまらないのにおなじだ」(正法眼蔵聞解)と面白い
都合よくザルになればいいのですが、
大事なことまで、ザルになるから大変です。
おもらししちゃだめでちゅ。
>>235 > 臨済、無門、趙州、白隠の腹の底を掌のうちにわかるまでいって初めて大事必了といえる。
> 一度の見性で満足することなかれ。
禅とは「かるーーい」ものです。まさに吹けば飛ぶように。
あなたのように重いと、湖に投げると、
「ドボドボドボ」と沈んで、どざえもんになります。
雨が降ったら傘を差す。
鼠がでたら、ネズミ捕り。
気合で鼠を落として朝飯にするなんて、おえっ。
>悟ったらその悟りすら捨て、見性に見性を重ねて祖師祖仏の見地に至る気概を持つべし。
>かの大白隠ですら大悟18度、小悟数知れずと言っている。
>臨済、無門、趙州、白隠の腹の底を掌のうちにわかるまでいって初めて大事必了といえる。
>一度の見性で満足することなかれ。
こういう腐れ親父共に固執する奴こそ「立ち枯れ禅」
>>242 おおちゃくもの。 楽しまんでもいいから、勉強しなさい。
「楽」を知らぬ者よ、汝の名は「灯台下暗し」
>>219 僭越ながら、禅の知識のない方のため薀蓄を語ろう。
坐禅を分解すると、坐と禅となる。
禅とは六波羅蜜(布施、持戒、忍屈、精進、禅定、智慧)という菩薩の修行のひとつ。
坐は行住坐臥という四威儀のひとつ。これをあわせて坐禅という。
六祖慧能曰く「外、一切善悪の境界において心念を起こさざるを名づけて坐となし、
内、自性を見て動ぜざるを名づけて禅となす」。
禅には5つの分類があると8世紀ごろの禅師は言う。
即ち外道禅、凡夫禅、小乗禅、大乗禅、最上乗禅。
外道禅 「異計を帯びて上を喜び下を厭うて修する」
凡夫禅 「正しく因果を信ずるも、また欣厭をもって修する」
小乗禅 「我空偏真の理を悟りて修する」
大乗禅 「我法二空の所顕の真理を悟りて修する」
最上乗禅「自心の本来清浄にして元より煩悩なく、無漏の智性本よりおのずから
具足し、この心即ち仏にして畢竟異なることなしと頓悟して修する」
坐禅にも4つある。坐して禅せざる者、禅して坐せざる者、坐してしかも禅する者、坐せず禅せずの者。
坐して禅せざる者とはすわるけど心の中が揺れ動いてしまっているもの。
禅して坐せざる者とは心は落ち着けているけど座らない人。残り二つは読んで字の如し。
続き。
禅の目的とは何かというと、無目的の目的とか絶対的な無になりきるとか言われる。しかし落とし穴があるらしい。
鈴木正三が弟子に語った言葉を引用してみる。
「どうもお前達は、何も思わないでいるのが無念無心だなどと思って抜け殻坐禅をして
アッカ呆然となっていい気になっているが、そんな坐禅をしていると機が減って病人に
なりキチガイになるぞ。
ほんとうの無念無心の坐禅というのは『ただ勇猛心を用いる一つ』だ」
また、白隠も詩に曰く
「今時黙照の邪党を挫き、近代断無のカツ僧を塵(みなごろし)にす」
→カツは目へんに害と書く。
公案。
公案とは歴代の僧の言葉を問題としてとりあげ、悟りを開かせようとしたもの。
無門関、碧巌録などが有名。
段階として法身、機関、言詮、難透、向上、五位、四料揀、十重禁、末後、流通と
10段階ある。
はじめに与えられる公案としては「趙州無字」「隻手音声」「庭前の拍樹子」など。
趙州無字『僧が趙州和尚が聞いた。「犬にも仏性がありますか?」「無い。」』
隻手音声『両手をうちあわせればパチンと音が鳴る。では片手ではどんな音が鳴るか。』庭前の拍樹子『「初祖達磨が中国にやってきた意味は何ですか?」「庭前の拍樹だ。」』
ここで山岡鉄舟と弟子のやりとりを記す。
「某禅師は『わしのところに来れば猫でも杓子でも悟らせてやる』と言われます。その室に入ったものは不思議とできるようです」
「そんななぞなぞに毛が生えたようなものは禅でも何でもない。多少の理屈がわかったとて、
生死解脱とはなんの関係もない。白隠が死んで100年、そろそろそんな化け物も出てきたか。」
おわり。
俺は、いろんな人物を持ち出す人間は信用しないことにしている。
少なくともおまえは鈴木正三を本当に信ずるのか、と小一時間
252 :
名無しさん@3周年:03/09/26 14:52
>白隠が死んで100年、そろそろそんな化け物も出てきたか。」
三界唯心
化け物は何処に住んでいる?
>>246 > 「楽」を知らぬ者よ、汝の名は「灯台下暗し」
それを逃避癖という。
若い時の苦労は買ってでもする。
「ぐだぐだ言わないで精進なさい。」仏様も
そうおっしゃってます。
>>250 > 禅の目的とは何かというと、無目的の目的とか絶対的な無になりきる
>とか言われる。しかし落とし穴があるらしい。
禅においても、科学においても、信仰においても、
結婚においても、友情においても、商売においても、
研究においても、煽りにおいても、コピペにおいても、
世の中のすべてのことには
落とし穴がある。
そして、ちょろちょろするものはこの穴に落ちる。
だから仏様は「ちょろちょろするな」とおっしゃるのだ。
255 :
名無しさん@3周年:03/09/26 21:52
ペシって只者じゃないな。
256 :
名無しさん@3周年:03/09/26 21:56
なんでも落とし穴の中に居るらしい。
257 :
名無しさん@3周年:03/09/26 22:10
>>254 あらゆる落とし穴に落ちた者だけあって、実にリアルである
実体験ほど尊いものはない
経験は確信なり
258 :
名無しさん@3周年:03/09/26 22:20
>>254 自ら穴に落ち込む人は幸いなり
穴があったら入りたい≠ニ、
思い煩わずに済むのだから
>>253 あんた、PTAのおばはんか?言い方も言ってる内容もねちっこいな。
いい加減うんざりだが、試しに聞いてみよう。
楽市楽座の「楽」とはどんな意味なんだ?逃避市か?逃避座か?
そもそも因果応報の話から始まったもんだった。一つ公案でいこう。
「百丈野孤」は知っていると思うが、ありゃあ前半はどうでもいい。
「不昧因果」うんうん、確かに道理だ。
『黄檗は百丈を引っ叩いた。百丈は大笑いした』
これが肝だろ。こいつがどうにもいけないんだな、あんたは。
観えてないんだ。このまんまじゃ五百生間野孤に堕しっぱなしだ。
孤→狐だな。申し訳ない。字が小さくて見えんかった。
>>256 > なんでも落とし穴の中に居るらしい。
それは狐じゃ。
>>259 > 『黄檗は百丈を引っ叩いた。百丈は大笑いした』
> これが肝だろ。こいつがどうにもいけないんだな、あんたは。
> 観えてないんだ。このまんまじゃ五百生間野孤に堕しっぱなしだ。
コラ狐。人をたぶらかすでない。
ほらみろ、穴におちたろ。
262 :
名無しさん@3周年:03/09/27 00:48
何となくニーチェの思想と似てるとこあるよね。でも仏様がいるところが
面白い。
仏はどうやって殺すんでつか?
>>261 コラ狐。人をたぶらかすでない。
ほらみろ、穴におちたろ。
生死流転の業。
思考停滞。練り足らん。
腹にニ物も三物もある。
相変わらず「説教好きの自分見ず」か。
>>262 ニーチェでいいわけよ。
ただ面白味がないわけよ。
仏ってな面白いわけよ。
仏教ってな面白いわけよ。
>>264 > 思考停滞。練り足らん。
待ってました。思考全開で練ってください。
> 思考停滞。練り足らん。
狐なんだから許してあげよう
269 :
名無しさん@3周年:03/09/27 10:48
狸? 狐? うどん食いて〜。 腹減った。
270 :
名無しさん@3周年:03/09/27 10:52
でも、ペシは話面白いよね。もっと色々聞きたいね。
271 :
名無しさん@3周年:03/09/27 11:40
澤木ファンの方、まだいますかぁ〜?
自分もこの4,5年ですが澤木老師の本が大好きです。
座禅したことはないけど 大法輪閣の本集めてます。
澤木老師のビデオとかテープとかないのでしょうか?
(あ〜生澤木老師の法話を聞きたかった、、)
今、座禅を習うにはどこへ行けばいいのですか?
272 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/09/27 12:34
>待ってました。思考全開で練ってください。
思考は滅さない。
何でかな?
何でだろ?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ROM記念
禅は、答えを求むるに非ず。
ジサクジエーン
274 :
名無しさん@3周年:03/09/28 15:14
>禅は、答えを求むるに非ず
應に答えを求むるに非ずして、而も其の答えを求むるべし→應無所住而生其心
☆ペシの為の教養講座☆
「哀なり雲井を渡る初雁も心あればぞねをば鳴くらん」 by 続拾遺集
解るかな!
無理だろな!
何でだろ!!!???
275 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/09/28 15:43
>>274 心、住する処非ずして、問うこともまた非ず。
して?
何故に問う?
276 :
名無しさん@3周年:03/09/28 16:16
>1
禅ってたしかにかっこいいけど
禅を本気で語る人かっこわるい
本気な人は普通他人に語らない
それが禅だべさ
277 :
名無しさん@3周年:03/09/28 16:29
・・・。 ← 禅
278 :
名無しさん@3周年:03/09/28 16:30
・・・・・・。 ← これも禅
279 :
名無しさん@3周年:03/09/28 16:31
・・・・・・・・・。 ← 坐禅中。
280 :
名無しさん@3周年:03/09/28 16:32
・・・・・・・・・・・・。 ← ぺしっ。
281 :
名無しさん@3周年:03/09/28 16:34
放下箸。 m(_ _)m
282 :
名無しさん@3周年:03/09/28 16:54
>して?
>何故に問う?
ならば黙せよ
何故に問う?とも問うなかれ
283 :
名無しさん@3周年:03/09/28 17:05
みにょーん!
284 :
名無しさん@3周年:03/09/28 17:20
・・・。 ← 禅
285 :
名無しさん@3周年:03/09/28 17:21
禅ってたしかにかっこいいけど
禅を本気で語る人かっこわるい
本気な人は普通他人に語らない
それが禅だべさ
↑そうなのよね。
巷の禅書もみ〜んな本気にしちゃ駄目!!
白隠も澤木興道も、かっこ悪いから本気じゃなにも語らなかった。
それが禅書だべさ
286 :
名無しさん@3周年:03/09/28 17:21
・・・・・・。 ← これも禅
288 :
名無しさん@3周年:03/09/28 17:22
・・・・・・・・・。 ← 坐禅中
289 :
名無しさん@3周年:03/09/28 17:23
いてーなー!! ← ペシっ
290 :
名無しさん@3周年:03/09/28 17:24
放下匙。 m(_ _)m
291 :
名無しさん@3周年:03/09/28 17:38
・・・。 ← 禅
292 :
名無しさん@3周年:03/09/28 17:38
・・・・・・。 ← これも禅
293 :
名無しさん@3周年:03/09/28 17:39
・・・・・・・・・。 ← 坐禅中
294 :
名無しさん@3周年:03/09/28 17:40
ぺしっ! ← いてっ
295 :
名無しさん@3周年:03/09/28 17:41
放下禅。 m(_ _)m
296 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/09/28 18:10
ROM記念
↑
ただ、これのみにして調ふべし。
ROM記念
↑
ぼろを隠すには、最良なり。
問うこともまた非ず。
―――― from 過去の教訓
298 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/09/28 19:13
ROM記念
直指人心←これにて調ふべし。
299 :
名無しさん@3周年:03/09/28 19:36
はたして、煽りか、釣りか、自演か、真実か・・・。
放下匙。 (^_^;)
放屁禅
>直指人心←これにて調ふべし。
>心、住する処非ずして(
>>275)、直指すること能わず
302 :
名無しさん@3周年:03/09/28 20:13
303 :
名無しさん@3周年:03/09/28 20:16
このスレ笑える。
304 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/09/28 20:18
縁滅しても、縁滅せざるは是迷いなり。
305 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/09/28 20:22
>>301 無一物でも、これ心は揺れる。by慧能
(非風非旗)
306 :
名無しさん@3周年:03/09/28 20:23
変人さん、出番で砂(w
>>304 >縁滅しても、縁滅せざるは是迷いなり。
不生不滅の理にて、尚迷う狐かな
308 :
名無しさん@3周年:03/09/28 20:28
ペシ きぼんぬ。
>無一物でも、これ心は揺れる。by慧能
>(非風非旗)
既出にて埋没したままの狐なり
2chにて、祖師のコピペに大忙し
310 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/09/28 20:32
311 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/09/28 20:36
312 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/09/28 20:40
直指人心→色
本来無一物→空
これにて調ふべし。
313 :
名無しさん@3周年:03/09/28 20:45
>>312 >直指人心→色
変人さん、なんぼなんでもそりゃ無茶なんでは(w
>>310 理にすら到達してない香具師
尻尾の手入れは、暫し休まれよ
>>311 >色即是空 空即是色じゃよ。
言葉は、月を指す指のようなもの
言葉を超えよ
観念のフィルターを払いのけよ
>>321 >直指人心→色
>本来無一物→空
>これにて調ふべし。
↑ぼろを隠すには、最良なり
新たに、日々、尻尾も手入れされたし
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ロム記念(^。^)
316 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/09/28 20:57
317 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/09/28 21:00
318 :
名無しさん@3周年:03/09/28 21:10
319 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/09/28 21:15
>>317 >世俗諦
>勝義諦
>にて鑑みなされ。
痛々しいから、止めれ
ロム記念にて調ふベシ
321 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/09/28 21:19
322 :
名無しさん@3周年:03/09/28 21:23
>>317 >世俗諦
>勝義諦
>にて鑑みなされ。
世俗諦、勝義諦を椰子に聞くことは酷である
世俗諦、勝義諦を椰子に聞くことは酷である
323 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/09/28 21:41
>>322 これが分からんと、どぉも・・・(笑
仏教の初歩だから(笑
324 :
名無しさん@3周年:03/09/28 22:04
>世俗諦、勝義諦を椰子に聞くことは酷である
>世俗諦、勝義諦を椰子に聞くことは酷である
洒落が分からんと、どぉも…(ゲラ
禅スレの初歩だから(ゲラ
325 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/09/28 22:13
これは、もしや頭を破壊する公案かな?
だったらよしとするか・・・
禅スレだから(笑
326 :
名無しさん@3周年:03/09/28 22:27
禅
327 :
名無しさん@3周年:03/09/29 17:56
>>304 -
>>325 仏教徒の恥 仏教の恥 宗教の恥 人類の恥
・・・。 ← 禅
・・・・・・。 ← これも禅
・・・・・・・・・。 ← 坐禅中
瞬間湯沸かし器 ぽっぽ〜。 ← 煽り、釣り
人の家の庭でウンコする人といいます。 m(_ _)m
328 :
名無しさん@3周年:03/09/29 18:22
(・_・) ← 禅
329 :
名無しさん@3周年:03/09/29 18:27
(-_-) ← 本当の禅
330 :
名無しさん@3周年:03/09/29 19:24
( ゚∀゚) ←修行に失敗して向こうの世界へ持って行かれた
331 :
名無しさん@3周年:03/09/29 20:02
\(゚д゚)/←悟ったと勘違いしてる人
332 :
名無しさん@3周年:03/09/29 20:04
禅
333 :
名無しさん@3周年:03/09/29 20:07
〜〜 ネ単 〜〜
334 :
名無しさん@3周年:03/09/29 20:08
欲
335 :
名無しさん@3周年:03/09/29 20:09
△▲▽■◆◇。
←雑念
336 :
名無しさん@3周年:03/09/29 20:13
ピンクの乳首が…。
←煩悩
337 :
名無しさん@3周年:03/09/29 20:14
ネ単
338 :
名無しさん@3周年:03/09/29 20:22
(`ε´)
←太った雲水
>>325 >これは、もしや頭を破壊する公案かな?
どれどれ、おまえの迷妄は吹き飛んだかな
340 :
名無しさん@3周年:03/09/30 02:51
褌
341 :
名無しさん@3周年:03/09/30 12:00
禅のおかげでやっと雑念レスに負けないようになりました。
禅
342 :
名無しさん@3周年:03/09/30 12:07
俺は電車乗ったとき、目の前に女子高生が座る時があると
パンツが見えそうで
激しく興奮します。
禅
脱落にゃ
344 :
名無しさん@3周年:03/09/30 13:29
禅のおかげで猫舌がなおりました。
禅
345 :
名無しさん@3周年:03/09/30 13:31
善より禅
346 :
名無しさん@3周年:03/09/30 14:20
今まで寝るときに雑念が出て寝れなかったのがピタリと治りました
やっぱすげえよ
睡眠薬
347 :
名無しさん@3周年:03/09/30 15:14
最近親の教育がなってないせいか、未成年で「新聞いらねーよ」なんて
断わってくる子供がいる。権利のなんたるかを教える事の出来ない親が
多いせいか・・・ある日の事そんな子供に「逝って良し」と言ったら急に
態度が一変し、「おじさん、どこの新聞やさん?」と聞くので名乗ると、
玄関に親と子供がニコニコ一緒に出てきて「あんた2ちゃんやってる?」と
聞いてきた。もちろんやってると答えると「何ヶ月ぐらい取れば良い?」こう
聞いてきたので、「6ヶ月以上キボンヌ」と答えたらマジ大笑いして取ってくれ
た。なにか狐につままれたような日だった。
349 :
名無しさん@3周年:03/09/30 21:38
350 :
名無しさん@3周年:03/09/30 21:42
>>348 場所によっては、かなりアブナイ拡張員っているからね。
2chネラーって言うだけで信用(?)されたんだね。
352 :
名無しさん@3周年:03/09/30 22:15
性狂新聞ね
354 :
名無しさん@3周年:03/10/01 07:09
>>313 >>直指人心→色
>>変人さん、なんぼなんでもそりゃ無茶なんでは(w
無茶ではないよ(笑
あらゆるものは「色」。
「空」が、どこそこにある訳ではない。
>本来無一物→空
そのとおりだよ(^。^)
355 :
名無しさん@3周年:03/10/01 07:25
356 :
名無しさん@3周年:03/10/01 07:39
「六祖壇経」の現代語訳を読んだが、すこしもありがたくなかったぞ。
360 :
名無しさん@3周年:03/10/01 11:45
縁は異なもの、味なもの。
361 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/01 12:53
【色即是空 空即是色】
これが解らんと・・・。どうも。
ちなみに「分かる」ではない(笑
ちと、ムズカッタかな?
363 :
名無しさん@3周年:03/10/01 13:55
↑ 馬鹿丸出し
364 :
名無しさん@3周年:03/10/01 13:57
365 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/01 15:50
>>364 おいおい・・・・(>_<)
分かる←これじゃあ駄目なんだよ(笑
仏教なんだから(@_@)
366 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/01 15:54
>>362 >「分かる」では無い、とすると「何」?
既に私が答えておるよ(笑
367 :
名無しさん@3周年:03/10/01 16:09
>>367 「分かる」では無い、とすると「褌」
??
369 :
テスカトリポカ:03/10/01 16:40
↑ ナイスぼけ (^^)/
370 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/01 16:44
>>367 逝ってよし
無音の音
明鏡止水
やっぱムズイか・・・(>_<)
371 :
名無しさん@3周年:03/10/01 16:52
縦読みすると「無明や」
372 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/01 17:00
不一不二
ひとつに非ず
ふたつに非ず
分かることかなわず
373 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/01 17:01
ちと、ムズイよな(笑
374 :
名無しさん@3周年:03/10/01 17:34
>>373 言葉には出来ないですね
それを悟らなきゃいけないかと
375 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/01 17:47
>>374 そそ、
貴殿は既に、無音の音を聞いたにやにお見受けする。
如何に?
376 :
名無しさん@3周年:03/10/01 18:47
意味を教えてください色即ぜー空の。
俺には
大空のように自然に色気をこれとしろ。
とここまではワカるのですが (-_-)
377 :
名無しさん@3周年:03/10/01 18:49
今日本にはある仙人がきてる…
事実だ
379 :
名無しさん@3周年:03/10/01 20:59
>「六祖壇経」の現代語訳を読んだが、すこしもありがたくなかったぞ。
六祖壇経がいつおまえにありがたがれと頼んだか?
バカタレ目!!
380 :
名無しさん@3周年:03/10/01 21:06
>ちと、ムズイよな(笑
笑で己を慰めてるね(ゲラ子
381 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/01 21:34
>>380 まだまだ・・・だな(笑
↓
【色即是空 空即是色】
そのうちに・・・(笑
382 :
名無しさん@3周年:03/10/01 21:49
>【色即是空 空即是色】
2chで、呪文のように繰り返すだけの龍之介
それ以上は・・・・・・・・・・・・・・・(クス子
383 :
名無しさん@3周年:03/10/01 21:52
>「六祖壇経」の現代語訳を読んだが、すこしもありがたくなかったぞ。
「六祖壇経」は必ずありがたがるものとの呪縛に罹っているらすい
デジャヴ(悪夢)かな。以前全く同じ内容のスレがあった記憶が。
その時は確か髑髏仮面という人が「これにて調ふ」「色即是空 空即是色」「明鏡止水」を連発していた。
で、そのコテハンを煽る人達がいて、どちらも気持ち悪かった。
禅を学ぶ人は皆こんな感じ?
385 :
テスカポリトカ:03/10/01 22:10
禅してる人は・・・
(-_-) ← 沈黙
386 :
名無しさん@3周年:03/10/01 22:26
>>384 ここ明らかに一流はいないことは覚えとくように
むしろあまり俗世界に関わりたがらず
そこらの爺さんが
すげーひとだたりする
387 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/01 22:29
>>384 「分かる」とは「分ける」なんだよ。
だから、「分けて」どうするんかいのぅ〜〜〜?
と言うとる。
白隠禅師の隻手の音声は、「音」があろうとなかろうと「音」なんだよ。
わたすは、dでもを言うてる訳ではないぽ(^。^)
388 :
名無しさん@3周年:03/10/01 22:42
問答無用!今は今!不変なものは言葉にあらず!
この原理主義者たちめ!内なる宇宙を感じなさい!
(-_-)禅
389 :
名無しさん@3周年:03/10/01 23:34
>>386 >むしろあまり俗世界に関わりたがらず
>そこらの爺さんが
>すげーひとだたりする
迷いによって悟りがあり、悟りによって迷いがある。
迷える衆生によって仏陀もあり、衆生が無数であるゆえに、仏もまた無数である
そこらの爺さんは、
無数のすげえひとの中の一人である。
390 :
名無しさん@3周年:03/10/01 23:42
>白隠禅師の隻手の音声は、「音」があろうとなかろうと「音」なんだよ。
>わたすは、dでもを言うてる訳ではないぽ(^。^)
音があろうとなかろうと音なら、それでよしとせよ。
dでもを言うてる訳ではないぽ(^。^) と、何故に念を押さねばいけない?
迷いだろ
391 :
名無しさん@3周年:03/10/02 00:00
おまいらに言いたい
過去様々な悟りを開いた人がいる
皆、後世の人の為に
悟った言葉を残してくれた
だが今のやつらは
知識を武器に
明らかに体得してないことを
素人に語る。
質問されると意味不明な答えが返ってくる
この文に反論しようと思う気持ちが出た人、あんたの悟りは
遠い果てだよ
まぁ、屁理屈はどうでもいいとして、おまいらどこの道場にかよってまつか?
おいらは永平寺東京別院でつ。
393 :
名無しさん@3周年:03/10/02 01:08
>だが今のやつらは
>知識を武器に
>明らかに体得してないことを
>素人に語る。
三界唯識
あらゆる思惟も現象も、虚妄なる己が心の表象化なり
>この文に反論しようと思う気持ちが出た人、あんたの悟りは
>遠い果てだよ
あんたは悟りをどうしようっての?
様々な悟りなら、在り様も一律でなし
巻尺で、一度悟りの本体までの距離を測ってみようかな!?
遠いのか近いのか、確認してみるのも禅的だなあ
394 :
名無しさん@3周年:03/10/02 01:19
>>393 言葉の裏にある気持ちがよめる人ならわかるよ
こんな俺の安っぽい
言葉の真意もわからねば
何十年も修行した
先人には遠くおよばん
395 :
名無しさん@3周年:03/10/02 02:24
君たち、だめだ。
>>392 俺は校正技能道場に通っている。
ちなみに君の文章は
>まぁ、屁理屈はどうでもいいとして、おま「い」らどこの道場にかよってま「つ」か?
>おいらは永平寺東京別院で「つ」。
三箇所校正しなければならない。
2chでは正規表現。
398 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/02 08:36
>>390 >迷いだろ
迷いがあるか・・・
迷いがないか・・・
なじょしてさように思推がおよぶか?
分かることかなわず。
思推にはおよばず。
あっても、なきても不一不二。
禅をやったら対人恐怖症治るかな?
400 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/10/02 10:38
401 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/02 11:05
>>400 鳥は天空を羽ばたき
また
虫は木の葉をムシル
402 :
名無しさん@3周年:03/10/02 11:15
花は無心に蝶を招き
蝶は無心に花を訪れる
403 :
名無しさん@3周年:03/10/02 11:28
>鳥は天空を羽ばたき
>また
>虫は木の葉をムシル
鳥が天空を羽ばたくは、
虫は木の葉をムシルは
お前の主観でなくて、なんだというのか
鳥は鳥
虫は虫
羽ばたく属性、ムシル属性、
あまつさえ、天空さえもが、
おまえの思惟の論理なり
禅とは?
404 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/02 13:10
>>403 主観も客観もないんだよ。
対象化することもない。
なにもない・・・
関係性がそこにあって、そうある。
そうある。
↑
このことを言うとるんだよ。
禅知識 言えば言うほど 墓穴掘り
406 :
名無しさん@3周年:03/10/02 13:51
ここは「ゆかいなポエム道場」です
407 :
名無しさん@3周年:03/10/02 14:41
>>399 ここにいる奴は知識だけだし、人助けの心も無い奴らだから俺が教えてると
治る。ただしそれには時間と正しく教えてくれる人が必要だ。
坐禅中ではどこに集中するかで効果がまったく変わる。
正しい人に教えてもらいながらじゃなきゃ難しいな
408 :
名無しさん@3周年:03/10/02 14:50
>主観も客観もないんだよ。
>対象化することもない。
>なにもない・・・
>関係性がそこにあって、そうある。
>そうある。
↑
>このことを言うとるんだよ。
痛い香具師
○○の一つ憶え
ロム記念にて非難汁(哀
409 :
名無しさん@3周年:03/10/02 15:16
>>404 >なにもない・・・
いわゆる「無」ということでしょうか?
それに縁起の理法ですね?
いろいろ勉強になりまつ。
410 :
名無しさん@3周年:03/10/02 15:43
>いろいろ勉強になりまつ。
そうですか・・・。
それは光栄です(^。^)
鳥がはばたけば、心もはばたく。
なき心も・・・またはばたく。
二相なり。
色即是空
411 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/02 15:45
それが無心ということ。
あぼーん
414 :
名無しさん@3周年:03/10/02 16:00
>なにもない・・・
>関係性がそこにあって、そうある。
>そうある。
↑
>このことを言うとるんだよ
関係性という概念すら超えるべし
勝義を垣間見ないものが、
何故に、>このことを言うとるんだよ。
ロム記念にて避難されたし
415 :
名無しさん@3周年:03/10/02 16:08
おい誰か
>>413通報しろ!!
バカかお前?まじで捕まるぞ 汗
>>414 >関係性という概念すら超えるべし
>勝義を垣間見ないものが、
>何故に、>このことを言うとるんだよ
何分にも2chだからね
鷹揚にかまえてください
大慈大悲の観世音
417 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/02 16:44
>>414 >関係性という概念すら超えるべし
>勝義を垣間見ないものが、
>何故に、>このことを言うとるんだよ。
平常心是道
求めようとせば道より外れる。
禅とは・・・
捨て去ること。
418 :
名無しさん@3周年:03/10/02 17:16
>>417 >求めようとせば道より外れる。
求道、なるほど。
言われてみれば、「求める自分」、この姿だけがその道にあるだけか。
時系列に捉えれば、そうでありたい自分が今ここにあるだけだ。
未来に対して、求めるものが今ここにあるわけがない。
ただあるものは、「求める自分」だけか。
419 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/02 17:55
>>418 つまり、
道を尋ねて、知る、とか知らない。とかの問題ではないですね。
ようするに、
そういった対象化されたものを追うわけではない。
もしそうならそこで迷妄ですね。
>>417 い い か げ ん 2 c h 捨 て ろ
421 :
名無しさん@3周年:03/10/02 18:52
>禅とは・・・
>捨て去ること。
禅とは、捨て去ることすら捨てること
空見と空観を混同するなかれ
422 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/02 19:16
>禅とは・・・
>捨て去ること。
言葉とは、必ず二律背反的な矛盾を含む
捨て去ること、だと主張すれば、
同時に、それを逆にした、
禅とは、拾うことだと主張していることをも意味する。
真実の立場からすれば、なんらの主張すら行われない。
釈尊の深遠なる沈黙
必死になってる龍之介の、いとおかしけりこと
>円相の位相
所詮は平面的円相しか言い表しえん
平面では、裏と表(クス
425 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/02 19:31
426 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/02 19:34
>>424 貴殿の心象が表出しとる。
円は円
なんの属性もありらんなるべし。
427 :
名無しさん@3周年:03/10/02 20:02
TEST
>円は円
円は非円に依って言い表しうる
>円は円と主張する香具師は、
言葉の宿命である相対性すら分かってない
菩薩は最初から菩薩なのではなく、
菩薩でないことによって菩薩なのである
言葉は実に空であり、相対的なり
>>423 >必死になってる龍之介の、いとおかしけりこと
>>296,304,310,311,312,316,317,319,321,323,325,361,
365,366,370,372,373,375,381,387,398,401,404,411,
417,418,422,425,426 and etc...
これだけ、二元的言葉への依存度が高い禅愛好家?はギネスもんだね
一流の禅師のような、簡潔にして密度の高い、頌を詠むこともないのよね
泪ぐましい老人の努力は、労るもんです
少なくとも、聞き流す度量くらいは、持ちたいものです
431 :
名無しさん@3周年:03/10/02 21:38
言葉には対と為す像が定まるものと、像が定まらないものがある。
言葉は意味を持たなければならない。
しかし、像が定まらない言葉には意味付けが出来ぬただの名札である。
そのような言葉を理解するにはどうしたらよいか。
言葉に頼らず、それに代替するものを見つけなければならない。
432 :
名無しさん@3周年:03/10/02 21:43
Now and Then
433 :
テスカポリトカ:03/10/02 22:11
(-_-) ← 只管打坐
434 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/03 09:36
>>428 貴殿は「空」に執着しとる。
言語そのものは相対概念に依り意味をなす。
そのために不立文字ってのがある。
_______________________
差別相
無差別相
二相にて調ふべし。
__________________
つまり・・・
無音の音、は音なんだね。
音はなくても
音はあっても
音なんだよ。
「ある」とか「ない」をひっくるめた「音」だね。
隻手の音声
鑑みなされ。
435 :
名無しさん@3周年:03/10/03 10:25
>>434 「隻手の音声」、白隠禅師のこの公案は、実に言葉では語れないものだよ。
仮にその音が現に空気を揺らし、耳に聞こえても時系列的に一瞬なんだよね。
その一瞬の音に思いを巡らし、味わうことは、意外と難しいことでもある。
ならば、その一瞬ではなくて、かなりのスパンをおくとどうだろうね。
例えば、劇、映画を観ているとき、そして観終わった後の自分と自分を取り巻く
状況を、観終わって暫くしてから振り返って観る。
この事とこの公案は、似たようなことではないのかな。
別に劇、映画でなくとも、現に今生活する自分の周りの出来事でも全く同様。
あのとき、あったものが今ここにあるとは限らない。
しかし、もう既に起こり得た出来事に対して、振り返って見ることにより、
その出来事の全体像が蘇る。これって「ある」と「ない」が今ここにあることだよ。
最も振り返るために用いる道具なり、手段は、自分の感覚、感性なんだけど。
436 :
名無しさん@3周年:03/10/03 10:45
上のレスの続き
まあ、絵画の鑑賞、音楽鑑賞と同じことだよ。
もうひとつ、この公案は、論理的矛盾を孕んでいるにも関わらず、
むしろ、それで完全性を表現しているよね。
言葉という論理性の限界、すなわ有限性を語るものでもある。
言葉の上では「ある」、「ない」とか分けているが、言葉で無理に表現すれば、
「ない」も「ある」のうちなんだよね。
最もこうして思うと、
>>434のように難解な意味をはらむ言葉を引用しなくともよいことになるけど。
つまり、高尚な言葉も低俗な言葉も同じなわけだよ。
ならば、簡単に解が出る筋道を選んだ方が楽ではあるよね。
437 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/03 11:18
>>436 >もうひとつ、この公案は、論理的矛盾を孕んでいるにも関わらず、
>むしろ、それで完全性を表現しているよね。
修行僧は、この公案を外に向けてたかと思うよ。
つまり、どうしたら聞こえるのかと?
この公案を解いたのは寺男。
寺男は、つまりはこの矛盾性を自己に向けたのかと思う。
白隠の言う矛盾性は・・・つまりは自己の矛盾性。
自他不二。
以心伝心の公案なんだろね。
倶てい竪指の公案と同じかと思うよ。
>その出来事の全体像が蘇る。これって「ある」と「ない」が今ここにあることだよ。
縁生するものは、そのまま縁滅す。
人間の記憶こそが永遠の謎なんだろうね。
438 :
名無しさん@3周年:03/10/03 11:26
南無観世音
439 :
名無しさん@3周年:03/10/03 20:07
机先生
おそれいります。
とても深い。
勉強させて頂きましたm(__)m
440 :
名無しさん@3周年:03/10/03 20:25
>>439 【コテハンに戻すの、忘れるなよ!!】
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
410 :名無しさん@3周年 :03/10/02 15:43
>いろいろ勉強になりまつ。
そうですか・・・。
それは光栄です(^。^)
鳥がはばたけば、心もはばたく。
なき心も・・・またはばたく。
二相なり。
色即是空
411 :机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/02 15:45
>>410は私です。
ハンドルが消えてました。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
441 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/03 20:41
>>439 >机先生
>おそれいります。
人間は、経験した範疇でしか物事を捉えられん。
宇宙の果ては、ありや?なきや?
経験あらずんば分かるはずがない。
死後は。ありや?なきや?
経験あらずんば分かるはずがない。
相対立するは結論でるまじ。by道元
442 :
名無しさん@3周年:03/10/03 20:51
禅に疎い私だけど,色々聞く禅の話を聞いて思うのは,思考の間隙にポーンと何か投げこまれ、
思考が一瞬停止。そして思考が戻った時になんとなく世界が変わって見える。新鮮さを感じる。
禅てそういうもののように思う。見えていなかった,気づいていなかったものに気づいたり・・・。
「悟り」という究極の極致のためというより、川の流れや岩をよけつつ舟を漕ぎ続ける心構えとでもいいますか・・。
目的のためよりプロセスそのものの輝きを見出すとでもいうか・・・。思いこみという常識や同調圧力からの<脱>洗脳って感じ。
このスレのような禅の話って好きです。知的な冒険しているような気持ちになったり,
自分の心をのぞいているような気持ちになったり・・・。持て余し気味な自分を御すいい薬です(^^)
443 :
名無しさん@3周年:03/10/03 21:00
>>319 :机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/09/28 21:15
>>
>>318 >>逝ってよし!
>>
>>
>>320 : :03/09/28 21:15
>>
>>317 >>>世俗諦
>>>勝義諦
>>>にて鑑みなされ。
>>
>>痛々しいから、止めれ
>>ロム記念にて調ふベシ
>>
>>321 :机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/09/28 21:19
>>
>>320 >>オマエモ逝ってよし!
>>
これが悟った人間に見えるなら、あんた逝ってよし!!
444 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/03 21:14
>>442 禅、てのは、つまりは人が培ってきた思考システムを破壊していくんだろうね。
自己矛盾性の内在に気づいていく。
いわば自己洞察なんだろうね。
求めるにあらずして、疑をもって自己に問う。
この問いかけが禅なんだろう。
して・・・
その隙間に一瞬入る。
この刹那なんだろう。
そうそう・・・
思考停止なんだろうね。
思考とは、また厄介なものである。
445 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/03 21:18
>>443 貴殿の心象がレスに表れてますよ。
大事なのは・・・自己への洞察。
446 :
ケイヒ末 ◆i./89bp18g :03/10/03 21:31
>>445 貴殿はこんなところで活躍しておったのか。
自己を洞察してゆくと神に出会いますぞ。
下も脱ぎたい。
服から解放されたい。
448 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/03 21:39
>>446 ケイヒ末どの、おひさしゅう存じますm(__)m
>自己を洞察してゆくと神に出会いますぞ。
そんなことも・・・
すっかり忘れて、なにもなくなって。
一如の法門を開きなされ。
我と仏の二見を離れなされ。
449 :
ケイヒ末 ◆i./89bp18g :03/10/03 21:44
>>448 机龍之介殿、探しましたぞ。
机龍之介の言うことはひとつひとつ検索せにゃならんので苦労する。
一如の法門を調べてくるから姿をくらますでないぞ。
450 :
名無しさん@3周年:03/10/03 21:49
禅をやってるちゃねらーってのもなんだかスケール小さい話。
451 :
名無しさん@3周年:03/10/03 21:52
禅とは、妄想の世界に入る事。思考は別に止めなくて良い。フル回転。
現代風に言うと、波動になる。しかし、実態は確認できない。
妄想であると言えば、解決する。
妄想をフクらませば、宇宙の声から風の声まで簡単に聞こえる。
何時間も禅をすれば、色々妄想出来る。何でも聞こえる。
結局、白隠禅師はそんな事言うとマズイので、抽象的な話を説いてしまった。
452 :
名無しさん@3周年:03/10/03 21:53
↑いい感じに妄想してますね
>>434 >言語そのものは相対概念に依り意味をなす。
>そのために不立文字ってのがある。
相対的言語では手に負えないことを、(既出)レスを用いて、必死に主張し続ける姿、
その執らわれが痛いってのよ、わかる?
>>398 >分かることかなわず。
>思推にはおよばず。〜〜〜でしょ。
不立文字が本当にわかるのであれば、意識の変容があってしかるべき
川を渡り終えて、尚且つ筏を担いで歩くのは愚かしいこと
真相は、川のなかであっぷあっぷ
鑑みなされ
莫妄想
>>437 >縁生するものは、そのまま縁滅す。
滅することなく生ずることなく、断絶することな常住することなく、
同一でなく別異でなく、来ることなく去ることもないような、戯論の寂滅という、
吉祥なる縁起のことわりを説きたもうた、最高の説法者である仏陀に帰命す。
――― BY ナーガールジュナ
>人間の記憶こそが永遠の謎なんだろうね
記憶が実在すると信じて疑わない頭の構造が、永遠の謎なんだろうね。(=^_^=)
☆無明ありて記憶の謎あり
☆謎謎知恵の輪に、髑髏が挑む
456 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/03 22:44
>>455 >滅することなく生ずることなく、断絶することな常住することなく、
おいおい(笑
縁起を言うておるんだよ。
ナーガールジュナだったら中論を言うとるんだよ。
自性なくば、これ縁起にて調ふべし。
縁ありて「あり」そのまま滅っす。
「あり」とは、いうなれば関係性だよ。
>記憶が実在すると信じて疑わない頭の構造が、永遠の謎なんだろうね。(=^_^=)
おいおい(笑
実在する。とは言うとらんよ。
実在するもんはない。無自性。
狐狸庵先生は・・・
どっかの悪い教団にでも嵌ってるのかな?
シムパイだなぁ〜〜〜
457 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/03 22:51
>>453 >相対的言語では手に負えないことを、(既出)レスを用いて、必死に主張し続ける姿、
>その執らわれが痛いってのよ、わかる?
勝義諦
世俗諦
分別智
無分別智
が、分かってないかと思うよ。
だから・・・一番基本の、
色即是空 空即是色
↑
これが大事なんだよ。
458 :
名無しさん@3周年:03/10/03 22:58
狐狸庵・机龍之介
二人で文通してくれ。
お前らの話、どうせ答えは出ない。
早く全裸になりたい。
お前らだってそう思っているはず。
>>459 【隻手の音声】
>>434では
音音音音音音音→七度音に立ち止まる龍之介
狐狸庵は、全裸になったぞ
風の様に立ち止まることなく
龍之介の狡い誤魔化しの音を、
もう片方の手で受けとめはしない
461 :
名無しさん@3周年:03/10/03 23:28
こんなこと言いながら現実はしがないサラリーマン
龍之介と狐狸庵の無限ループ・・・・・
おまいらいいかげんにしろ
もっとくだらないこと書け
おまいらの文はくだらないけどな
464 :
名無しさん@3周年:03/10/03 23:36
>実在するもんはない。無自性。
無自生から無自性に
龍之介の唯一の進歩
465 :
名無しさん@3周年:03/10/03 23:43
お前ら、
会社帰りの電車の中で読んだ禅の知識をぶつけ合ってもしょうがないだろ
>>461 最近、手持ち株を利食いましてねえ
下がったところで、再び買い増し
どうやら、第二のりそなになる予感 なんちっち
発菩提心!!
467 :
名無しさん@3周年:03/10/03 23:52
禅に憧れをもった人たちが知識を語って満足するスレはここでつか?
ああ…そうでつか
468 :
名無しさん@3周年:03/10/03 23:54
>466
そういう生活感こそが「禅」だ!
なんてね。
469 :
名無しさん@3周年:03/10/03 23:56
会社帰りの電車で禅の本読んでる人なんているのかな?
いたとしたら私は素直に尊敬します
470 :
名無しさん@3周年:03/10/03 23:56
それが、凡夫の宿業というものさ。
471 :
名無しさん@3周年:03/10/04 00:07
雲
これについて語れ
>禅に憧れをもった人たちが知識を語って満足するスレはここでつか?
>ああ…そうでつか
釈尊の御臨終に先立つご遺言
↓↓↓↓↓↓↓
おのれのみが灯
* まじだよ、これ*
一切法畢竟空は、おのれより出ずる→自燈明
( )
>>471 >雲
空をさまよう雲たちには
根もなく家もなし
心を漂いよぎる
差別の思いもまたしかり
ひとたび自性心の見られることあれば
識別は止まん
虚空には形や色がつくられるも
虚空は黒白に染まらず
自性心よりすべてのものは現れ出でるも
心は善悪に汚されることなし
>これについて語れ
*自性だ無自性だと、平面的な突っ込みはするなよ
474 :
名無しさん@3周年:03/10/04 00:49
自燈明、法燈明はわかりまつが
どうも ここの人たちは小手先のことばかりで心にストーンと
語るものが伝わってこないでつ
ぽくちんがお会いした禅宗の方は、
何を聞いてもストーンと心に届くかえしをなさる。
そのほうら知識をつける時間を禅に使い
根本高めたほうが
よいぞ よいぞ
475 :
名無しさん@3周年:03/10/04 01:04
禅禅わからない
>どうも ここの人たちは小手先のことばかりで心にストーンと
>語るものが伝わってこないでつ
どうもおまえは小手先ばかりに目が逝くようだな
狐狸はさきほど、オリオンの星を見てきた
指し星の星、自ずより仰ぐ
477 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/04 01:55
ROM記念
478 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/04 07:51
>>458 >狐狸庵・机龍之介
>二人で文通してくれ。
>お前らの話、どうせ答えは出ない。
答えを出すんではなく。
答えが既にある。
迷いは人のみぞあり・・・
森羅万象、すべてが調ってる。
なにも求めるものはないし、
既にあるものを知ることもない。
自灯明とは、これ内省あるのみ。
直指人心とは己の矛盾に気づくこと。
こんなやつらが
いたっていいじゃないか
見物するのも
たのしいぜ
480 :
名無しさん@3周年:03/10/04 08:40
>>478 机先生、どうも有難う御座います。
禅のお話、興味深くロムしてます。
今後、益々の先生の活躍を期待してます。
481 :
名無しさん@3周年:03/10/04 09:08
>>478 お前話、矛盾している。
それが、自己矛盾なのだから良しとする。
気づいてくれたようだし。
では、反省の日々を送って下さい。
482 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/04 09:19
>>481 だから・・・
二相なんだね。
色即是空
ひとつに非ず
ふたつに非ず
分別することかなわず。
>>480 ライオンの雄が、子ライオンを噛み殺しても矛盾はない。
アンドロイドも座禅していいでしゅか?
雲…空より生じて空に帰す
485 :
名無しさん@3周年:03/10/04 10:01
>>1 「禅」って、そんなにカッコイイとおもうのかなあ?
カッコつけ過ぎ、気取りすぎ、力み過ぎって感を受ける。
禅僧というのも、どこか殺伐とした感じがするし。
まるで川の水が流れる様に、さりげない様相を漂わせている
禅僧がいたら、カッコイイと思うけど、ここのレスから受け
る印象じゃみんなカッコワ〇イ。
世俗の様相は、他人に見える外面には気を使うが、他人に見
えない内面の様相は雑草だらけというのが現状だからなあ…
だのに、自分が苦しんでいるにも関らず見栄を張ってしまう。
悲しいにも関らず、涼しい顔をしてしまう。面子を保つ為に
実相を無視してしまう。悲しいかな、悲しいかな…
486 :
名無しさん@3周年:03/10/04 10:03
>>482 矛盾がないから、よいというわけではありませんよね。
487 :
名無しさん@3周年:03/10/04 10:08
>>482 反省の座禅をしなさい。
話はそれからだ。
488 :
名無しさん@3周年:03/10/04 10:25
机先生。
禅は饒舌ではいけません。
489 :
名無しさん@3周年:03/10/04 10:49
せっかく成仏しかかっていたのにな
サムサーラの網にかかってしまった
490 :
名無しさん@3周年:03/10/04 10:50
大菩薩峠ですね
491 :
名無しさん@3周年:03/10/04 10:58
机龍之介先生。すまん。あやまる。
書き込みはしてね。貴方が必要だ。
貴方がいないと、下がって行くだけだこのスレ。
492 :
名無しさん@3周年:03/10/04 10:58
>>485 の良い意見を
脳内に感じ取れない
ここはそんな掃き溜めだ
493 :
名無しさん@3周年:03/10/04 11:01
494 :
名無しさん@3周年:03/10/04 11:01
下らないカキコで
下がるなら
それも良いじゃないか
必要ないカキコを
増やし
必要なカキコは
減っていく
495 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/04 11:06
>>486 >矛盾がないから、よいというわけではありませんよね。
「よい」も「わるい」もない。
そのように・・・・「ある」だけ。
人の分別が二分する。→分別相
本来無一物。→無分別相。いわゆる仏智。
仏智は、いわゆる大慈・大悲。
施すものでもなく、施されるものでもない。
自他不二。
世界は全て調っていて、人の心は浮き草の如く揺れ動く。
良因良果
悪因悪果
>>493よ
>>485 がいってることが
本当の禅だろうよ
感じ取れないのか?
知識で他人を納得させる
語り合う
そんなもんじゃなく
己と向き合い
己の内を手にしてく
そんなもんだろ
497 :
名無しさん@3周年:03/10/04 11:11
>>485の人
あなた何かやってらっしゃるのですか?
実に本質をついた
文なのですが
498 :
名無しさん@3周年:03/10/04 11:17
>机龍之介先生。すまん。あやまる。
>書き込みはしてね。貴方が必要だ。
>貴方がいないと、下がって行くだけだこのスレ。
煽る有暇では〜〜〜
有暇を最大の功徳に向ける
499 :
名無しさん@3周年:03/10/04 11:30
>>495机先生
文体が非常に磨ぎ澄まされて、心に突き刺さるようです。
感慨深い。非常に感慨深い思いです。
ありがとうございますm(__)m
500 :
名無しさん@3周年:03/10/04 11:33
>>496 弁舌巧みな論師であれば、ジュニアーナの道を
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜、行者の道を
禅においても何においても、アカデミックな要素は必要とされます
書店に並ぶ数々の経典や論書の類は、ひとえに縁覚(学者等)によって
著され、紹介されたものです。学問的なアプローチ抜きにして、仏教は
語れません。
501 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/04 11:50
>>499 これも仏縁じゃな(^。^)
うず高く積まれた経書より、隠元禅師は「庭前柏樹子」に驚嘆したらしい。
経書に依らざるべし。by道元
502 :
名無しさん@3周年:03/10/04 12:07
すまん
今気がついた。
あなた達は学者で
俺は道をゆく者だった
俺は禅をやっての
体験談を語り合いたかったのだがな
最後に人は言葉に騙されやすい
アカデミック?
聞こえはいいが
そんなアプローチでは真実は一生わからんだろうよ
503 :
名無しさん@3周年:03/10/04 12:08
全裸で徘徊したいが自信がない。
お前らだってそう思っているはず。
505 :
名無しさん@3周年:03/10/04 12:17
>>502 学者は一人もいない。
机龍之介先生は、只の暇人。
その上、自作自演までしてる。
悪いヤツだ。
374です
コテとトリつけました、以後よろしく
507 :
名無しさん@3周年:03/10/04 12:59
>世俗の様相は、他人に見える外面には気を使うが、他人に見
>えない内面の様相は雑草だらけというのが現状だからなあ…
>だのに、自分が苦しんでいるにも関らず見栄を張ってしまう。
>悲しいにも関らず、涼しい顔をしてしまう。面子を保つ為に
>実相を無視してしまう。悲しいかな、悲しいかな…
唯一救いがあるのは、そんな悲しい自己欺瞞な生き方を、だれしも
客観的に分かっていることです。埋没してるようにみえても、実は
分かっている。
だからいずれは積極的に道を求めたりするのです。
8万4千ともいわれる様々な法門に、それじゃなくとも必然的に縁する
ように出来ているということだっていえる。
どうしようもない雑草的な部分を、逆に使いこなすようにして生きている。
傲慢な憐れみなどかけるよりは、そのほうがずっと禅的だったりして。
↑諸法は無我
508 :
名無しさん@3周年:03/10/04 14:21
>>507 >どうしようもない雑草的な部分を、逆に使いこなすようにして生きている。
禅が、カッコイイとしたらそういうところなんでしょうね。禅僧等は修行が
進むほどに、世俗では「雑務」と言うわて貶められるような事柄で修行をさ
れているようですからね。実践するのは難しい事だと思うけど。
価値が無く、世間や皆から貶められるような事柄を、キラリと輝かせるのは
並大抵の事ではないと思うなあ…。
でも、確かにこれができるのは、生死の苦しみや悲しみ、迷いを受けて生き
ている人間だけかもしれませんね。自縄自縛からの開放の道を歩めるのは。
509 :
名無しさん@3周年:03/10/04 15:55
>>501机先生
>これも仏縁じゃな(^。^)
ありがとうございます。
やっと、自分の殻から抜け出せるような切っ掛けが掴めました。
力を抜いて生きねばならんのでしょうな?
510 :
名無しさん@3周年:03/10/04 16:02
おまえら本当にレス読んでる?
禅とは何であるかを
>>413がもう答えを出してるだろ?
禅
511 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/04 16:22
>>509 陽は東よりいでり西へと沈む。
ムズイと思えばムズイ。
かように思わなければ、なんてことない。
そのたの心次第。
いうならば思慮には及ばぬ。
なんてことはない。
迷いもなくば悟りもなし。
512 :
名無しさん@3周年:03/10/04 16:36
あんた、本当に駄目だ。
513 :
名無しさん@3周年:03/10/04 17:45
マックス放出<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<
無限遡及の龍之介
大慈大悲の観世音(合掌(T_T)
514 :
ケイヒ末 ◆i./89bp18g :03/10/04 17:49
>>511 机先生
迷わない人間を見たことはありません
515 :
名無しさん@3周年:03/10/04 18:21
机先生、無自性とは、無実体・無本質とみてよろしいでしょうか?
516 :
名無しさん@3周年:03/10/05 02:07
机先生
過去の偉人達の
修行エピソードを教えてください
517 :
名無しさん@3周年:03/10/05 03:12
机先生
頭良くなりたいです
518 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/05 06:58
>>514 >迷わない人間を見たことはありません
あっちゃ〜〜〜(笑
禅スレなんだからね。
そのように解釈してくれないと・・・
困っちゃう(笑
迷いもなくば悟りもなし。
迷いありて悟りあり。
こういう事じゃよ(>_<)
519 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/05 07:04
>>515 >机先生、無自性とは、無実体・無本質とみてよろしいでしょうか?
自性なるものはなにもなし。
実体・本質、→これ関係性なり。
条件の相依性・関係性において・・・ある。
これ即ち無自性。
520 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/05 07:13
>>516 >過去の偉人達の
>修行エピソードを教えてください
禅僧の足跡を辿るのもいいけど・・・
方丈記の鴨長明の生き方だとか、
山頭火の歩行禅
妙好人才一、などを研究するのもひとつの示唆を与えてくれるかと思う。
>>517 >頭良くなりたいです
無学の悟り。→慧能
無学とは、学ぶべきものがない。
良し悪しに心乱るるなかれ。
執着は法を遠ざける。
521 :
名無しさん@3周年:03/10/05 08:07
机先生が知ってる
エピソードみたいのを何でもいいので
聞かせてください
>>511机先生
世界がそのようであれば、己もそのようであるべし。ということなのですね。
もともと、迷いも悟りもない。
ということでしょか?
迷いとか、悟りは人間が作り出す。ということですか?
523 :
名無しさん@3周年:03/10/05 08:22
漏れは個人的には仏教スレで一番好きなコテハンが龍之介殿なんだよ(^^
まあ禅とはいえ、選好みをしてしまうのは人間の性なのじゃ。
どーであろうか、龍之介殿?人を慕うのは慎むべきであろうか?
「執着」であると称して、止めるべきであろうか?これ如何に???
524 :
名無しさん@3周年:03/10/05 09:03
>>523さん
自作自演がなけりゃ いいひとかもな
みていて寂しい気もするな…
525 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/05 09:27
>>521 一休宗純は、遺偈・臨終の時「死にとうない」。
こう言うた。
この話は誰でも知ってるが・・・
526 :
名無しさん@3周年:03/10/05 09:31
いいね、いいね
もっと言って
527 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/05 10:05
>>523 >どーであろうか、龍之介殿?人を慕うのは慎むべきであろうか?
>「執着」であると称して、止めるべきであろうか?これ如何に???
一期一会
逢って・・・
縁ありて「あれ」ば大切にせんやならぬ。
そこから別れて・・・
縁なきて「なく」ば貴殿の心の記憶なり。
「なき」ものに慕いても・・・・・どうにもならん。
記憶とは、既に「なき」なり。
>>526 お題を貴殿に言うておる。
如何に?
528 :
名無しさん@3周年:03/10/05 10:18
机先生
実は…なんも……
知らないんだね……
529 :
名無しさん@3周年:03/10/05 10:29
>>527 っふっふっふっ。さすがは龍之介殿。見事に愛情の禍福の違いを説きおった。
気持ちのいい一本を取られたわい。今日もまた、一期一会を大切にしようぞ。
530 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/05 10:30
>>522 >もともと、迷いも悟りもない。
無分別智
>迷いとか、悟りは人間が作り出す。ということですか?
分別智
さように調へばよろし。
531 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/05 10:34
>>529 これがあるとき、かれがある。これが生ずるとき、かれが生ずる。
これがないとき、かれがない。これが滅するとき、かれが滅する。
532 :
名無しさん@3周年:03/10/05 11:04
ぺシ、いや机さん せっかく空を大悟した77さんが来たのに
何にも学ばんのか?
533 :
名無しさん@3周年:03/10/05 11:14
77さん不二ならば机と77さんの違いは?
..∧_∧
( ・∀・) 旦 脚なくして来る者に、この”カルカン”をあたえよう
く y /つ
(__|つ )
535 :
名無しさん@3周年:03/10/05 11:20
行くこともなし、くることもなし。
536 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/05 11:22
>>532 ベシさんとは・・・・
そなたの記憶じゃな。
今ここ。にて調ふべし。
537 :
名無しさん@3周年:03/10/05 11:24
忘れてもた
538 :
名無しさん@3周年:03/10/05 11:41
なんだ?この気持ち悪い自作自演は。
539 :
名無しさん@3周年:03/10/05 11:46
だれかの心ほどではない
>>537 俺もここ見てるとなんか負の気持ちでみたされる
540は77さんでしょうか?
542 :
名無しさん@3周年:03/10/05 13:10
>>532 ぺしの方が、人間はできてるけど禅僧じゃない。
机龍之介は、(もと)禅僧で知識はあるけど、悟ってない。
禅僧でもこんなお喋りがいるんだね・・・。
ところで、ケイヒ末も禅関係の人間なのか?
普通の感覚で「臨済録」を読むと、ただのキチガイのたわごとに見える。
544 :
名無しさん@3周年:03/10/05 14:32
>机龍之介は、(もと)禅僧で知識はあるけど、。
めでたく絶望的に臭う香具師とは、おまえ→542だと分かった
545 :
名無しさん@3周年:03/10/05 14:43
>>544 は、洞察力がない。 端的に言うと頭悪い。
546 :
名無しさん@3周年:03/10/05 15:22
>端的に言うと頭悪い。
禅の最大の仇は、端的にいって頭である
547 :
名無しさん@3周年:03/10/05 15:27
328 :名無しさん@3周年 :03/09/29 18:22
(・_・) ← 禅
329 :名無しさん@3周年 :03/09/29 18:27
(-_-) ← 本当の禅
330 :名無しさん@3周年 :03/09/29 19:24
( ゚∀゚) ←修行に失敗して向こうの世界へ持って行かれた
331 :名無しさん@3周年 :03/09/29 20:02
\(゚д゚)/←悟ったと勘違いしてる人
548 :
名無しさん@3周年:03/10/05 16:04
英語が話せるようになったからといって迷いが消えるわけではない。
禅や仏教の概念を理解したとしても悟った訳ではない。
坐禅が必要なのはそういう事ですか?
549 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/05 16:14
>>548 法を求むれば法は離れる。
求むことなかれ。
目的を持てば、すでに道より外れる。
一言で言うなら、
死にきりなされ。
これにて調ふべし。
550 :
名無しさん@3周年:03/10/05 16:28
>>548 それは机先生に対する皮肉ですか?
>>549 机先生にあそばれては、ご理解できなかったと見えまする。
551 :
名無しさん@3周年:03/10/05 16:40
552 :
名無しさん@3周年:03/10/05 16:47
机先生曰く・・・「直指人心にて調ふべし。」
553 :
名無しさん@3周年:03/10/05 16:51
机先生曰く・・・「色即是空 空即是色じゃよ。」
「直指人心→色」
「本来無一物→空」
これにて調ふべし。 (゜д゜)ウマー
554 :
名無しさん@3周年:03/10/05 16:53
>>549 >一言で言うなら、→言葉の無限反復はいらぬから
>死にきりなされ。→生きながら死になされ
これにて調ふベシ
555 :
名無しさん@3周年:03/10/05 16:55
>>551 机先生曰く・・・「心、住する処非ずして、問うこともまた非ず。」
556 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/05 17:11
>>551〜
>>555 主語、述語、目的語は、それぞれのレスで全部違う。
国語の基本かと思うよ。
>>551 文脈を見れば分かるかと思うが・・・
分からなかったら、
ただ坐ってればよろしかと。
557 :
名無しさん@3周年:03/10/05 17:11
>>551 >何が調うんですか?
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
>>478 >森羅万象、すべてが調ってる。
558 :
名無しさん@3周年:03/10/05 17:17
559 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/05 17:31
>>553 >「直指人心→色」
特別に解説つけるね・・・・(>_<)
「心」はないよ・・・→諸法無我。
なき心を指し示す。
分別相。
色だね。
やっぱ、この文面はムズイかな?
>森羅万象、すべてが調ってる。
「調ってる」てどういうことなんでしょうか
私も調ってるんですかね?
561 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/05 17:45
>>560 「不生にて調ふべし」。by盤珪
>「調ってる」てどういうことなんでしょうか
>私も調ってるんですかね?
新手の公案ですか?
調う⇔調わない。
これにて、調ふべし。
562 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/05 17:58
>>560 調う。ってのは、説明する言語がなかなかないね(^^ゞ
辞書の「調う」っていう意味とも違う。
>>562 >
>>560 > 調う。ってのは、説明する言語がなかなかないね(^^ゞ
> 辞書の「調う」っていう意味とも違う。
調ったやつってのは、調子のいいやつのことだろ。
お調子もん。
>>561 > これにて、調ふべし。
調子にのんな、四足の机。中国人も食わん。
団地尼
>>549 > 法を求むれば法は離れる。
> 求むことなかれ。
「ほー」てのは女のことか?
だいぶ逃げられた口だな。
口説きたかったら、髪の毛はやせ。
> 一言で言うなら、
> 死にきりなされ。
こらスケベやろー。おまえが「いくー、いくー、ああ」って声あげてんだろ。
だから女が寄って来んのだ。
566 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/05 19:10
ROM記念
567 :
名無しさん@3周年:03/10/05 20:53
カキコしててもROMでつか?
568 :
名無しさん@3周年:03/10/05 22:07
饒舌禅
569 :
名無しさん@3周年:03/10/05 22:10
そろそろ、AA攻撃を見舞ってやるかな
570 :
名無しさん@3周年:03/10/05 22:16
いやいや、
もう少し、様子をみてやるか
>>537 違うよ。ここ1週間ほどはまったくカキコしてない。
これからもあんまししないと思う。
空体験私もしてるよ。穴倉から出るのに偉い時間かかったよ。
たまに心境の問答でもしてみる?
573 :
名無しさん@3周年:03/10/05 23:32
>>474 >ぽくちんがお会いした禅宗の方は、
>何を聞いてもストーンと心に届くかえしをなさる。
禅宗の方は、『小児向カメレオン型神変観自在応病与薬』という方法で
対応されてるのでしょう。
いわゆる、相手のお・つ・む≠ノシンクロナイズドさせる説法でして、
一般的には、対機説法と呼ばれております。(-人-)…ナマステ ブッダ
>>549 >法を求むれば法は離れる。
> 求むことなかれ。
法は無我なり
無我とは縁起なり
縁起とは、離れるでもなく、離れるでもなくもなく
求むことなかれも及ばざる法なり
これにて調ふベシ
一歩間違えばキチガイ一直線の生ザトリへの道だってこともしっかり認識していただきたいと
思うんだけれど、そういうことを言う資格のないただの禅好きでした。
これからちとお勉強する分野はまた別なんだけど……。
576 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/06 06:26
>>570 >もう少し、様子をみてやるか
私に遠慮してるなら、遠慮しなくていいですよ(^o^)丿
私の知ってるAA貼りは半端じゃなかった。
つうか・・・
私と被る人はいないかな?
いろいろ話はしてみたいのだが。
577 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/06 07:50
>>571 77さん、おはつです。
今、スレの全部をロムりました。
貴殿の貴重な体験を読まさせて頂きました。
感慨深いものがあります。
>違うよ。ここ1週間ほどはまったくカキコしてない。
>これからもあんまししないと思う。
こうは仰らずとも、またカキコなさって下さい。
つうか・・・
わたしの方が後発ですので、スレへの挨拶がなかったことは大変失礼しました(^^ゞ
また、ペシさんとか優秀コテハン?も・・・よろしこ。
ちなみに髑髏仮面とは私の別コテです。
若輩ものですが・・・
いろいろご教示くだされm(__)m
また、私は叩きには慣れてますのでドンドン叩いてくだされ。
【打つほどに光輝く玉鋼(たまはがね)】
机氏は(元)禅僧という話ですが、ちょいと質問。
臨済は四料揀を唱え、洞山は五位を唱えている。
この両者の違いを寺ではどのように講義されているのですか?
すなわち、洞山はなぜ五位を唱えたのか?現実のどのような場面で五位を使うのか?
どういう意図で五位と四料揀は分けて説かれたのか?
また、5つの頌の意味。
更には白隠が兼中到の頌を雪竇の『徳雲閑古錐』の詩に置き換えた真意はどこにあるのか?
これらをどう説法されているか、是非ともお尋ねしたいです。
579 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/06 12:52
>>578 洞山はそもそも、坐禅を修せねば解るもんでもない。
つまり、礼儀・礼節の曹洞。
四料揀は、そもそも論理的意味はない。
つまり、芝居の臨済。
違いはない。
そもそもが、日常性における、
「意味連関という理想」自体を消滅させてしまう方法。
つまり、行為に意味を持つこと自体の切断。
それは、北宗には北宗のやり方があるのでは?
南は南。それぞれ・・・
それぞれが違う。ってことでしょうね。
>更には白隠が兼中到の頌を雪竇の『徳雲閑古錐』の詩に置き換えた真意はどこにあるのか?
仏に逢うたら仏を殺せ。とか・・・
祖師再来意。に真意を求めるってことと同じかと・・・。
どうですか?
〇〇という真意がある。とは言えない。
77さんて通りがかりさんなの?
581 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/06 13:15
追記
例えばだけど・・・
対立しない「無」を、「絶対無」って言い方したら、
「絶対無」ってのはありえない。という論法に発展したことがある。
こういう場合は、それ以上話は進まない。
>四料揀は、そもそも論理的意味はない。
その答えは頂けないですなあ……
もし意味が何もないなら、わざわざこんな語録を残す必要もないわけで。
五位や四料揀が説かれたってことは、そこに何らかの意味があるから説かれたのではないですか?
>>更には白隠が兼中到の頌を雪竇の『徳雲閑古錐』の詩に置き換えた真意はどこにあるのか?
>仏に逢うたら仏を殺せ。とか・・・
>祖師再来意。に真意を求めるってことと同じかと・・・
真意が無いならなぜ置き換えたのか?
言葉や詩に意味がないなら放置すればいいわけで、わざわざ置き換える必要はないですよね。
「祖師再来意」とか「仏に会ったら仏を殺せ」というのは、この問いの答えになってないです。
ていうか、そもそも五位と四料揀の頌読んだことあります?
仏教とは苦からの解脱を説くもの。
ある人が「人生苦しいです、どうすればいいのでしょう」と教えを請いにきたのに「一切皆空、無だ、絶対無だ」と
いったところで何の救いにもならない。
もし本当に何もないなら仏教などいらない。禅も不要。祖師が語録を残す必要もないし釈尊が数万の法門を説く
必要もなかったわけです。
仏教が説かれたということは、そこに苦から逃れる具体的現実的な考え方や論理があるはず。
それを一定の観点から言い換え、体系化したのが公案禅だと思うのです。
全てを『空』と『無』で十把一絡げに押し込むのでは禅をやっている意味が無くなってしまうと感じられます。
583 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/06 13:53
>>77 >その答えは頂けないですなあ……
おやおや・・(笑
貴殿のお題に折角答えたのにね?
で、貴殿はどう考えてるのですか?
>いったところで何の救いにもならない。
それは、貴殿が仏教を解ってないのでは?
>全てを『空』と『無』で十把一絡げに押し込むのでは禅をやっている意味が無くなってしまうと感じられます。
じゃぁ・・・貴殿は、
禅をやって、意味を求めてるのですか?
どんな意味を禅に求めますか?
私は何も隠さず、老師のところへ行った。
老師は「わしは十二指腸潰瘍を取っとるんで、起きれん」と。で、
「あんたが敬宗君か。臨済の修行はほとんど済んどるそうなけど、じゃ聞くが、仏教は滅か不滅か」
と。
「老師、仏教というものはどこにあるんですか」
「ほう、あんたそれを知っとるか」
「いや、知りません」
「知らんのに、なぜ仏教と言うた」
「ここへ寝ておるあなた何ですか」
「わしは玄魯だ」
「わたし敬宗です。(良久)老師、私聞きますけど、臨済のやっておることは、こことここと、言葉で言うことと動くことと、この四つ以外には何もないじゃないか」
とこう言うた。
「ほう、どうしてそこが分かった!」
「四料揀、五位、十重禁戒を全部やってみて分かった。老師、これで修行が出来たなんて大嘘や。
聞きますが、老師、どこをどう得たら、人間として自分自身を、今、生きることを知っているんでしょうか」
と言うた。そしたら
「そこまで追い詰めとるか」と。
「それだからこそ、どこかに誰かおらんかと探しよったら、あなたがおった。だから、あなたに習うこともない」
と言うたら、
「待て! おれもおまえに教えることは何もないんだ! だが、教えることはないが、お前を出せ」
とこう来た。
「偽りのないお前を出して来い」
と。
四料揀については、苦を滅する心の段階を説いたものと認識してます。
『人』を自分、『境』を他人と解釈すると四料揀は非常にわかりやすいと思う。
あんまり多く語ってもナニなんで、『人を奪って境を奪わず』だけ語る。
『人を奪って境を奪わず』とは『我無し、彼有り』。本来無一物を悟り、外界からの干渉に
心が動じなくなった段階。
いくら自分がイヤだと思っても雨は降り、他人は自分の思い通りには動かない。
たとえそれがどんな悪いことであるとしても、厳然として泥棒は自分の物を盗んでいくし、いじめっ子は悪口言ったり
暴力を振るったりする。
…こんな感じで残り3つ、それぞれに具体的な意味、境地境涯があると思います。決してただの無じゃないと思う。
五位については…内容は何となくわかる気がするけど、どういった視点で五位を作ったのか不明。
ひとつひとつの頌を独立してみると意味や境地はわかるが、これをなぜ5つあわせて一個の問いとしたのかが
どうもピンとこない。
とすれば、自分の五位の理解が五位全体について誤っている可能性が高い。
だからこそ、(元)禅僧である机氏が五位について何か説法を聞いたことないかと尋ねたんですけどね。
>どんな意味を禅に求めますか?
己事究明、これに尽きる。
自分とは何か。日頃喜んだり苦しんだりする心とは何か。
なぜ苦しむのか。どうやったら苦しみを抜けることができるのか。
なぜ古人は禅を学んだのか。なぜ公案があるのか。お経は何を言わんとしているのか。
僕の禅/仏道とのかかわりの出発点は自分の抱えた苦しみにある。
これ抜きにして禅を学ぶことはない。それは観念論ではなく、具体的に使えるものでなければ意味が無い。
586 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/06 15:21
>>585 ある日蓮系の坊主が、僧堂でやる歯磨きは歯を見せないでやるが、
あんなことして意味があるのか?って言ってた。
その坊主は禅については全く方向がずれてる。
なんでそこで意味を求めるんかいの?
ようは、言われたことを黙々とやってればいいかと思う。
意味を求めても何にもない。
じゃあ、やる意味がなかろう?
なんでそう頭が固いのかと。言ってやりたかったが言わなかった(w
歯を磨く。という日常的行為は既に意味を有してる。
そんな日常的行為を通して、一瞬の「非日常性」を会得することが大事なのかと思う。
「坐る」のは、いわゆる非日常性。なんの目的も持たなくていいのではないか?
目的をもったのでは・・・いわゆる禅定とは違う気がするが・・。
禅とは、いわゆる「日常性」から開放された刹那を垣間見る。ッてことかと思う。
一瞬の空白。
白隠の見性体験か?道元の脱落心身か?竹に当たった小石か?
前レスに私が書いた「死にきる」。ってのは、いわゆる時間が止まった刹那を
象徴的に言ったまでのこと。
「死にきる」ってことは・・・「生きる」ってこと。かと思う。
587 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/06 15:31
>>585 >とすれば、自分の五位の理解が五位全体について誤っている可能性が高い。
>だからこそ、(元)禅僧である机氏が五位について何か説法を聞いたことないかと尋ねたんですけどね。
理解したとしても・・・
公案だったら破壊されてく。
いわば禅は、こういう矛盾性がある。
588 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/06 15:36
>>585 つまり・・・
四諦(苦集滅道)でも、
無苦集滅道。→般若心経。
その時の位相で理解する他ない。
十牛図・八図で全部捨て去る。
じゃあ、今までやってきたのが無意味なのか?
ってたら、そうじゃない。
その時に位相で調ふべきや。
知らないなら知らないって素直に言えばいいのに。
590 :
名無しさん@3周年:03/10/06 15:49
机先生〜
坐禅にも意味はある。
雑念を払い、心を落ち着け、気合を入れ集中して座る。それは何のためかといえば、あらゆる事に及んで心を乱さないため。
剣の道にあって刃と刃の鉾先を交えたとき、ビビって心をみだせば相手に斬られる。
商いの道にあって、取引のときに利に目がくらんだりすれば商機を失う。
学の道にあって、ものを学ぶときに自己の見解に固執すれば正しい学を身につけることはできない。
禅があらゆるものの根底となりうるのは、これが所以である。
そして、このように坐という「静」に、日常という「動」の機を含んでこそ坐禅は生きると考える。
少なくとも、僕一人にとっては『日常性から開放された刹那云々』などというのはまったく不要。そんなに非日常性が
欲しいなら酒飲んだり仲間とパーーッと騒いだほうが余程気が晴れる。
坐禅したりお経を読んだりするのは、僕は少なくともそんな理由ではやらない。
僕が求めるのは日常に生かせる仏法。ただの理屈じゃなく、現実の荒波の中で実践があるモノ。
カキコを止めたのは、ここで書いている主な方々と考え方、求めているものが違うなと思ったから。
またしばらくこの板から離れようと思う。
>>591 >僕が求めるのは日常に生かせる仏法。
活かそうとする心を捨てなさい。仏法なんぞ糞だ。糞だから素晴らしいんだ。
593 :
名無しさん@3周年:03/10/06 15:54
机先生〜
先生の文を読み先生の器の小ささがわかりました
本など読まず俺はひたすら修行することにします。
机先生、道をしめしてくれありがとうございました
77さん待ってください
俺も77さんと同じ気持ち過去をみていただければわかりますが
知だけに走り
実を学ばない人たちに何度も疑問を投げかけました
どうか志が同じものもいることを理解してください
595 :
名無しさん@3周年:03/10/06 16:01
77さんちっとも進歩してない。。。
禅のもともとの意味は
己を使いこなす為の法
インドにしても少林寺にしても
知に走らず、己を修行し現実に生きていくのに利用する為
だがこの国の禅の教えはどこか違う
歴史の中で不思議な独特の道に入ってしまった
一度なにが本質か
発祥の地に求めてみるのもあり
逆だよ。知に走っているのは77さんの方。
禅は世界中どこでも同じ。
598 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/06 16:35
>>591 しばし待たれなされ。
一期一会とはいえ、貴殿もセッカチ過ぎるのでは?
>カキコを止めたのは、ここで書いている主な方々と考え方、求めているものが違うなと思ったから。
>またしばらくこの板から離れようと思う。
仏教の道は一律に調ってる訳ではござらん。
或る時は薔薇色の世界に酔うたこともあります。
そういった変遷を辿ってきたのです。
まあ、お茶でも飲んで・・・
それから立ち去るもよろし。
居着くのもよろし。
貴殿の心しだいなり。
599 :
名無しさん@3周年:03/10/06 16:45
去る者は追わず。あわてる乞食はもらいが少ない。
聞きたいのだが
坐禅の時にみなさんは何を行っていますか?
601 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/06 17:15
>>600 時空一如
思慮するでもなく、それに拘るでもなく。
ただ・・・ただ・・・坐ればよろしかろ。
盤珪禅師の弟子が禅定を組もうとしたとき、盤珪は止めさせた事がある。
禅定すればいい。
ってもんでもないし・・・。
無修行の修行。by盤珪
602 :
名無しさん@3周年:03/10/06 17:21
>>591 >ここで書いている主な方々と考え方、求めているものが違うなと思ったから。
>またしばらくこの板から離れようと思う。
人を計れば、ダルマが我を読み
安らかに放置すれば、
我がダルマを読む
受容と拒絶を超えたところに
我法不二の出会いが見出される
人を計って坐禅をするなら、
それは仏を自らの糞壷で圧するようなもの
一度きれいに洗い流されたし
603 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/06 17:30
>>594 >知だけに走り
>実を学ばない人たちに何度も疑問を投げかけました
「知」といえば、代表的なのが電波男氏だろう・・・。
彼とは一度だけ絡んだことがある。
私が法華経を読んだか?読まないか?
って話。
じつは私は法華経にはあまり関心がないんだね。
白隠が法華経に興味をもったからといって、じゃあ皆が法華経を学べ、
ってのも可笑しな話かと思う。
白隠にはそれなりの法華経に至る理由がある。
ちなみに、道元は「経書に依らざるべし」。
どう考えるかは各人の心しだいなり。
ちなみに、道元は「経書に依りて依らざるべし」。
字面を追ってばかりいてはダメだよ、机君。
605 :
名無しさん@3周年:03/10/06 17:53
机殿が、いつの間にやら(元)禅僧に昇格している(@_@)
人の噂も七十五日
追憶だけが虚空をよぎる
諸行無常の響きあり
606 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/06 18:03
>>604 ほぅ〜〜
そうであったか・・・・(^^ゞ汗
法に依りて人に依らざり。つうのもあったな。経典かなにかで。
>ちなみに、道元は「経書に依りて依らざるべし」。
本当に道元がそう言ったかどうかなんて知らん。うろたえんでいいぞ。
ただ、こっちの方がピーンとこないか?
608 :
名無しさん@3周年:03/10/06 18:27
>606
教行信証だかにありましたね。
ただ、みんな! あんまり机をいじらんほうがいいぞ。
前みたいに壊れるといかんから。
609 :
名無しさん@3周年:03/10/06 18:28
庭前の柏樹子
610 :
名無しさん@3周年:03/10/06 18:39
おまえたちのうちで、この猫のために何かを言える奴がいるか。
言ったなら、猫を放してやろう。
∧∧
(*゚ー゚)
[ ̄ ̄ ̄ ̄]
| ̄ ̄ ̄;;|
|__n_;」
611 :
名無しさん@3周年:03/10/06 18:43
叩かれても叩かれても
不壊の金剛であり続ける机先生が好きだ
本当は、禅の何かを体得してるのかもしれない
612 :
名無しさん@3周年:03/10/06 18:46
>610
ブヒ━(´(●●)`)━!!!
613 :
名無しさん@3周年:03/10/06 18:46
机さんを叩く気はないんだ。
机さんそこはわかってください
ただどうしても
自分の体から出た言葉以外を言うので
禅をまったく知らない人が読んだら
このように語り合うのが
禅なのか
と思われるのには納得がいかないのです
和尚様
615 :
名無しさん@3周年:03/10/06 19:36
616 :
名無しさん@3周年:03/10/06 19:38
喝〜っ、禅とは、すなわち、もぐもぐもぐじゃ。
おぬしたちもやってみい。
もぐもぐもぐ。
617 :
名無しさん@3周年:03/10/06 20:41
禅とは、無形態の法身を観想することである
机氏の禅云々が問題なのではなく
観ることができないわれわれが問題なのである
人間の弱さは、常に自己を他者と比較させ、少しでも相手の欠点を見つけだしては、
己の優位を保とうとすることにある
阿修羅の本性は最大の悟りのネックである
>>617 > 人間の弱さは、常に自己を他者と比較させ、少しでも相手の欠点を見つけだしては、
> 己の優位を保とうとすることにある
他者の欠点がよく見えるのはすばらしい、己の欠点が見えないことは、
それにもましてすばらしい。
619 :
The Cultic Soul Brothers ◆QR.2ptpmTo :03/10/06 21:16
>>619 > 原理主義者ですな。
「他者の欠点がよく見え、自己の欠点が見えない」は誰もが認めうる
人間の特徴だから、そこからして、それは理にかなっているのだろう。
この理が示すのは「人の弱さ」であって、「人間の強さ」なのだ。
人間は人ではなくて、人と人の関係なのだが、禅はこの関係を断ち切って
人が人であるかのように、ものがものであるかのように、つまり悟ろうとする。
この試みは残念ながらいまだ嘗て一度も(いや幾分の例外を除いて)
成功していない。
この理は非常によくできた強固な節理であって、挑戦者を拒みつづけている。
621 :
名無しさん@3周年:03/10/06 21:57
>他者の欠点がよく見えるのはすばらしい、己の欠点が見えないことは、
>それにもましてすばらしい
見よう見よう、知ろう知ろうとする思いが強ければ、反って見えなくるし、知ること
も出来なくなる。私≠とおしてものごとを見るから。私≠とおして知ろうと
するから。相手のことまで意識するなら、尚更、見ることも知ることも難しくなる。
622 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/06 22:03
>>607 >本当に道元がそう言ったかどうかなんて知らん。うろたえんでいいぞ。
>ただ、こっちの方がピーンとこないか?
つうか・・・
相対立するは結論でるまじ。by道元
なんじゃよ。
依らざるべしは「依りて」を内在しとる。
意味とすれば同じ事。
623 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/06 22:15
>>614 >禅をまったく知らない人が読んだら
>このように語り合うのが
随分まえに禅愛好家と絡んだことがある。
その人は、論理的整合性を追及する考えだったな・・・。
むしろ禅は、その思考システムそのものの破壊だからね。
噛み合うってことはなかった。
庭前柏樹子を論理的整合性で追求しても無意味である。
こういうことなんだろうね(^。^)
624 :
名無しさん@3周年:03/10/06 22:22
>相対立するは結論でるまじ。by道元
>なんじゃよ。
>依らざるべしは「依りて」を内在しとる。
>意味とすれば同じ事。
机ちゃん、なんともはや、平面的な受け答えすぎない
形式論理学じゃないんだからね、ここは
禅者はもっと立体的であるべきです
625 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/06 22:32
>>624 >禅者はもっと立体的であるべきです
禅者がこうであるべき・・・ってのはないよ。
あえていうなら自由人みたいなもんかと思うよ。
イメージとすればね。
いわゆる菩薩だね。
626 :
名無しさん@3周年:03/10/06 22:42
>庭前柏樹子を論理的整合性で追求しても無意味である。
非常に論理的な文章ですね
将に思考は難物であります
世俗諦をとおしてしか勝義諦は成り立たないなら、
庭前の柏樹子もそのようであってしかるべきでしょう
空見に陥るなかれ
627 :
名無しさん@3周年:03/10/06 22:46
>禅者がこうであるべき・・・ってのはないよ。
こうあるべきは、こうあるべきでないことをも内在してます
あしからず
もうこのような知の満足というか、暇人の戯言というか、
こういうの、卒業したいものです。お互いに
「あんたそれは違うよ!」と思って書き込み途中、ふと気づいてやめた。
まず自分だ。
> 禅者がこうであるべき・・・ってのはないよ。
「こうあるべき」があって、その中に自由がうまれる。
人間という制約を受けることによってはじめて自由になる。
コミニケーションの自由も、捕まることによって生まれる。
誰からも捕らえようもない議論を展開しようとすれば、
それはコミニケーションではなくなる。まず枠の中に入り
そこで自由になる。それが自由の醍醐味なのだ。
630 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/06 23:16
>>629 >誰からも捕らえようもない議論を展開しようとすれば、
半年前の禅関係スレからしたら、格段にレベルは高いよね。
議論は展開されてますよ(w
半年前だったら話しにもならんかったしね。
どうでもいいけど・・・
貴方は、2ちゃんは最近入ったですか?
>誰からも捕らえようもない議論を展開しようとすれば、
↑
こんなこと言うて・・・(ワラ
>>628 が究極の悟りだと思う
自分をコントロールできるかどうか
机先生の矛盾文を読んで相手してる時点で
俺は小物だ
机先生がなにを書こうが笑ってみれるようになれば
俺も一つLVが上がるんだろうな
ということで先生これからもがんばってください
632 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/06 23:25
>>631 >ということで先生これからもがんばってください
こちらこそ宜しくね(^o^)丿
ありがとう。
633 :
名無しさん@3周年:03/10/06 23:27
ある意味、机先生は
ほんとに先生みたいなもんだ。
先生が書く文に
自分の心が捕らわれずみれるかどうか
試験官みたいなもんだな
先生
栄養あるもの食べて
体に気をつけてください。
ありがとうございました。(^-^)
635 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/06 23:37
>>633 >ほんとに先生みたいなもんだ。
こちらこそ宜しくね(^o^)丿
ありがとう。
636 :
名無しさん@3周年:03/10/06 23:39
こら、禅坊主ども、論理性の否定は社会性の否定である。
社会にあって飽き抜くもの分別知から離れることはできぬ。
分別のまっただなかで、無分別の清風を更かすにはどうしたら
よいか。云え、云え。
637 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/06 23:40
>>634 >ありがとうございました。(^-^)
こちらこそ宜しくね(^o^)丿
ありがとう。
638 :
名無しさん@3周年:03/10/06 23:44
>>637 あなたは、なぜ、悟った振りをするのですか。
なぜ、知っている振りをするのですか。
639 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/06 23:46
640 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/06 23:48
641 :
名無しさん@3周年:03/10/06 23:50
642 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/06 23:53
643 :
名無しさん@3周年:03/10/06 23:56
644 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/07 00:01
>>643 明鏡止水
では、これにて・・・おやすみ。
645 :
名無しさん@3周年:03/10/07 00:07
はあい、ぐっない。
646 :
名無しさん@3周年:03/10/07 00:08
他のものは、636にどう答える。云え、云え。
>>646 > 他のものは、636にどう答える。云え、云え。
もう一度質問、日本語でかいてくれる?
648 :
名無しさん@3周年:03/10/07 00:39
はい、ミスタイプでスマソ。
こら、禅坊主ども、論理性の否定は社会性の否定である。
社会にあって生き抜くもの分別知から離れることはできぬ。
分別のまっただなかで、無分別の清風をふかすにはどうしたら
よいか。云え、云え。
649 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/07 05:26
>>648 おいおい・・・(>_<)
>こら、禅坊主ども、論理性の否定は社会性の否定である。
そもそもが、このところが間違いだよ。
だから私がいうておる。
>>社会性の否定である。
こういうことだよ。
650 :
名無しさん@3周年:03/10/07 05:56
651 :
名無しさん@3周年:03/10/07 06:26
他のヤシはどうよ。
652 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/07 06:39
猫の褌
>>648 > はい、ミスタイプでスマソ。
> こら、禅坊主ども、論理性の否定は社会性の否定である。
> 社会にあって生き抜くもの分別知から離れることはできぬ。
> 分別のまっただなかで、無分別の清風をふかすにはどうしたら
> よいか。云え、云え。
おまえが聞きたいのは何だ?
清風をふかせたいのか?
「清風を吹かせるにはどうしたらいい」ってのが質問か?
お前のいう清風とはなんだ?
それともなにか別の意図か? 机禅的な質問を机がどう答えるか?
机以外がどう答えるか、比較してみたいということか?
そうすると質問は適当に意味不明な質問をして、これまた適当な
こたえが返って来ることを期待しているのか?むにゃむにゃと
やったら何かが起こらないかとほのかな期待をもって引っかきまわし
ているわけだ。
どうなんだ?
654 :
名無しさん@3周年:03/10/07 09:43
>>653 未到底!!
ってか全然だめだな。
他の者はおらぬか。
655 :
名無しさん@3周年:03/10/07 09:45
机もいいとこまでいったんじゃが、あと一歩。
656 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/07 09:49
>>655 じゃあ、お題を貴殿にの・・・。
貴殿の前にあるモニターは、存在や?そうでなかや?如何に?
657 :
名無しさん@3周年:03/10/07 09:54
>>656 阪神とダイエー、はてどちらが勝つじゃろうなあ。
658 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/07 10:05
>>655 あはは
逃げおったか・・
だったら「逃げる」と書けば宜しいのに?
で、おそれいりまつ。
こういうことじゃよ(w
659 :
名無しさん@3周年:03/10/07 10:06
そんなことじゃ、現代に禅はいきんぞ。せいぜい
個人のうじうじした心の問題に終始するだけじゃ。
論理性や社会性を否定して悟ったようにすましきってる
野狐が多すぎる。
環境問題、経済問題、平和問題、いろんな問題がひしめいている
中で、それらに目を閉ざして静かな庵で茶をすすっているような
禅ではいかん。
というわけで、藻前らに最上の公案をつきつけよう。
東海地震震源域に、ぼろぼろの原発が立つ。
さてこれをいかにするか、云え、云え。
この手の問いこそが禅者が答えなければならない真の公案じゃ。
無常迅速。くだらん禅問答や宗教談義で、人生をすり減らす
もんではなないぞ。
http://aa2.2ch.net/test/read.cgi/eq/1065288666/
660 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/07 10:07
661 :
名無しさん@3周年:03/10/07 10:09
662 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/07 10:11
663 :
名無しさん@3周年:03/10/07 10:12
ちなみに、648の模範解答は、
「社会性!!」でちた。
664 :
雲 ◆mizu2vy5RY :03/10/07 10:15
>>663 > ちなみに、648の模範解答は、
> 「社会性!!」でちた。
ほんとうの回答は
ミスタイ プー。
でした
666 :
雲 ◆mizu2vy5RY :03/10/07 10:16
>>664 > それは言葉にすれば、遠のく物です
言葉にすれば、しったかぶり です。
669 :
雲 ◆mizu2vy5RY :03/10/07 10:18
>>610 駄目だよ、言わなければ殺すまで書かないと
671 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/07 10:25
>>667 >> 一切空
> 一切バカ
一切空であっても、空に囚われててはならぬ。執着することならず。
見事に執着が現出しちまったの(>_<)
解るかや?
672 :
名無しさん@3周年:03/10/07 10:40
そんなこと解らんでええ。
>>654 > 未到底!!
> ってか全然だめだな。
> 他の者はおらぬか。
こういう奴は、質問の質問を造っても、質問の意味がわからんらしい。
>>671 >
>>667 > >> 一切空
> > 一切バカ
> 一切空であっても、空に囚われててはならぬ。執着することならず。
> 見事に執着が現出しちまったの(>_<)
> 解るかや?
あ、実際バカ。
675 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/07 11:00
>>674 ムヅイからしょうがないな。
ヒントだけね(w
一切
一切
こういうことだよ。
解らんでも生きてはいける。
飯だけ喰えれば・・・よろし。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ちなみに解説なし。
> 東海地震震源域に、ぼろぼろの原発が立つ。
> さてこれをいかにするか、云え、云え。
そうかそれは大変だ。なぜもっとはやくいわん。
方法は瞬間的に300個浮かんだ。
一つを教えよう。こいづめに伝えなさい。
まずゼネコンを使って周りに穴を掘れ。 これはあわせてゼネコンの失業対策になる。
巾100M深さ1000Mくらいかな。
直ぐにかかれ。
それからのことは穴を掘っている間に考えよう。
>>675 > 一切
> 一切
あ。かさねて馬鹿ね。
>>675 > 飯だけ喰えれば・・・よろし。
おまえキャラクターとしてはおもしろいな。 机龍之介の禅風船ガム
なんて作って売ったらうれるぞ。
くちゃくちゃとかんで、プー。
おまけで、この公案に答えたら100万円。
どうせ誰も答えられん。
それで、テレビで解答して、馬鹿にされて、叩かれて、
それでもヒーローになるかもしれん。
679 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/07 13:01
>>678 貴殿は空想家なんだね。
たしか、アンリファーブルも空想家だったらしい。
夢見る夢男君。だね〜〜〜
風船ガムとは?
随分と古風な事をおっしゃる・・・
680 :
名無しさん@3周年:03/10/07 13:11
机〜、禅病に気をつけろ。
ぐだぐだ言う前に座ってろ。
今日もやっとるの〜〜生臭坊主どもがぁ
かっかっかっ
683 :
名無しさん@3周年:03/10/07 13:33
684 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/07 13:51
>683
逃げる
685 :
名無しさん@3周年:03/10/07 13:54
>>679 > 貴殿は空想家なんだね。
> たしか、アンリファーブルも空想家だったらしい。
机のような妄想家とは親戚みたいだな。
妄想と空想の違いはスケール。
カンデカミヲなんかもほとんどばかげた空想だが、スケールが大きかった。
スケールが大きくなると、穴を掘るぐらいのことでも、全く世界が
変わってくる。
地震や原発のスケールにはそれ以上のスケールで考える必要がある。
スケールを自在に操るのが空想であり禅なのだ。ゴホッ。
机の脳みそに100mぐらいのバカ穴を一つ掘ってみてはどうだ。
妄想の整理箱になる。
そっか?
禅が教えていることはただ一つじゃ。
普通の真人間たれということ。
だがこれがなかなかむずかしい。
机みたいなヤシが一番普通の道からはずれておる。
机が普通に戻るまで、あと100年はかかるじゃろうなあ。
何賭可博士は、1000年ぐらいかの。
しかし、普通へは、だれしも次の一歩で到りうる。
689 :
雲 ◆mizu2vy5RY :03/10/07 14:18
690 :
雲 ◆mizu2vy5RY :03/10/07 14:21
691 :
雲 ◆mizu2vy5RY :03/10/07 14:22
>>686 いかようにもがいても、せんなかるまいに
692 :
名無しさん@3周年:03/10/07 14:24
原発が建とうが爆発しようが、
虚空は増えもせず、減りもせず
うろたえるでない 年寄めが
>>690 しかし、人はどこかに歩かねばなるまい。
それが人間の「普通」ということじゃ。
坐りこんでいるだけでは、尻がくさるぞ。
>>692 おぬしのような、禅の悟りをもって、分別知の放棄に
堕落せしめる姿勢こそが、禅をくさらせておる。
分別のただ中で、無不別を行じることこそが
禅なのじゃ。偽物め。
>>692 > 原発が建とうが爆発しようが、
> 虚空は増えもせず、減りもせず
> うろたえるでない 年寄めが
プルトニュームの回収にはぜひ参加してくれ。
おまえのようなのが必要とされている。
なんじゃ、なんじゃ、ここにおるヤシらは。
偽物ばかりじゃのう。
>>688 > 机が普通に戻るまで、あと100年はかかるじゃろうなあ。
> 何賭可博士は、1000年ぐらいかの。
> しかし、普通へは、だれしも次の一歩で到りうる。
アフォ-。1000年先でまってるから、勉強してついて来い。
おまえらさかさま向いて歩いてるんだ。わかっとるのか?
>>687 > そっか?
> 禅が教えていることはただ一つじゃ。
> 普通の真人間たれということ。
おまえが言うと、その真人間のスケールが小さすぎる。
だから、皮をかぶって、パンツはいて、ぬいぐるみを着てそれでようやく
そこにおっても見える。
だから取り合えず、皮をかぶれ。
>>697 ははは、はじめからかぶっておるわ。
熊のきぐるみをな。
おぬしなかなか見込みがあるな。
ここの連中ってこんな禅ごっこしてて楽しい?
うん、たのちい。
701 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/07 14:57
ほぉ〜〜〜
ここまでROMりましたが、おのおの方の心象が手に取るように伝わるの・・。
>>693レスは誤字だらけで、また意味が全く分からぬ(>_<)
わからんでええ。
703 :
名無しさん@3周年:03/10/07 14:59
>おぬしのような、禅の悟りをもって、分別知の放棄に
>堕落せしめる姿勢こそが、禅をくさらせておる。
>分別のただ中で、無不別を行じることこそが
>禅なのじゃ。偽物め。
天変地異への心の準備として言ったんだがな
偽者こそ、本物への階梯なり
> プルトニュームの回収にはぜひ参加してくれ。
>おまえのようなのが必要とされている。
化身をイパーイ差し向けような
思う存分に酷使してくれ
禅寺に禅者はおらんということじゃな。
>>703 天変地異に際してはガクガクブルブル。
これが普通の真人間のふるまいじゃ。
おぬし漬物石にでもなりたいのか。
706 :
名無しさん@3周年:03/10/07 15:08
708 :
名無しさん@3周年:03/10/07 15:12
>おぬし漬物石にでもなりたいのか。
わちきは密かに貝になりたい
しばし落ち
709 :
雲 ◆mizu2vy5RY :03/10/07 15:17
710 :
雲 ◆mizu2vy5RY :03/10/07 15:20
>>693 歩けば足が疲れるね
100年、1000年、一億光年
歩くも歩かないのも一緒
711 :
ロバート一休:03/10/07 16:13
そう。
普段何気なくかゆい所をかいた時
この何気にきずければ
(-_-)禅
ロバート、日本語の勉強もっと頑張れよ
713 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/07 18:42
>>59177氏
>坐禅にも意味はある。
>雑念を払い、心を落ち着け、気合を入れ集中して座る。それは何のためかといえば、あらゆる事に及んで心を乱さないため。
なんかの意味とか目的とかあると、それは常に時間の流れが内在するね。
人間つうのは、こういったある方向性をいつももってる。
もってる。ってことはなんだろうか?
それにいつも心を奪われてるんじゃあなかろうか?
奪われてるから・・・なんか気が付かないもんがあるんじゃないか?
例えばだね、
死んだら、死も生もない。
生きてたら、生も死もあるんだね。
合掌
∧ ∧
*〜 ''''彡 ' ー'ミ (ヨンダカニャー)
じ'''''じ'''J
俺のついてる禅寺の和尚さんは、この前、サンバを踊ってくれた。
>>715 > 俺のついてる禅寺の和尚さんは、この前、サンバを踊ってくれた。
坐禅じゃなくて、サンバをならえ。
717 :
名無しさん@3周年:03/10/07 22:10
踊る禅僧賽銭!!!
\\ 踊る禅僧賽銭!!! //
+ + \\ 踊る禅僧賽銭!!!/+
+
. + /■\ /■\ /■\ +
( ´∀`∩(´∀`∩)( ´ー`)
+ (( (つ ノ(つ 丿(つ つ )) +
ヽ ( ノ ( ノ ) ) )
(_)し' し(_) (_)_)
718 :
ケイヒ末 ◆i./89bp18g :03/10/08 11:25
>>713 机先生
>死んだら、死も生もない。
>生きてたら、生も死もあるんだね。
これは、どんな方向性に心奪われた人の見解でしょうか?
719 :
名無しさん@3周年:03/10/08 11:53
瞑想は心身の健康のためには勧められるが、禅の修養は、世界とは
かかるものであるとハッと気づかされる断続的経験、つまり自己=
世界(非自己)であるという認識のための手段に過ぎない。だから、
人間は世界のあり方に抗って生きることは不可能だし、この世界、
自然をあるがまま受け入れることこそが禅的自己の完成、救いなの
である。
自己の悟りに頼るかような人間哲学が堕落の結果であると教えるの
がキリスト教である。結論だけ飛躍して言ってしまえば、真の自己
完成、救いと言えるものはキリスト信仰によってしか得られないと
断言しておこう。
720 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/08 11:54
>>718 >これは、どんな方向性に心奪われた人の見解でしょうか?
無自性。
一如の法門のホンの入り口でしょ?
「生」とは、相対するから「生」であって・・・
その意味をなす。
ならば・・・
相対があらずんば、また生死なし。
721 :
ケイヒ末 ◆i./89bp18g :03/10/08 12:09
>>720 机先生
人間は物事を相対して知覚するようにつくられてます。
明があるから暗を知覚できるのです。
すなわち、それは真理なのです。
真理から目をそむける教えが禅ですか?
722 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/08 12:21
>>721 >真理から目をそむける教えが禅ですか?
既に貴殿が答えてるであろう?
知覚できるから・・・明暗ならば。
認識できるから・・・生死なのである。
認識なくば、生死なし。
これにて寸分の狂いもない。
明瞭にわたすは答えておる。
どぉじゃな?
723 :
ケイヒ末 ◆i./89bp18g :03/10/08 12:27
>>722 悟りました。
禅とは認識を無視できるように修行する教えですね。
2杯ビールを飲んだだけであらゆる認識を失う高木をこれからは尊敬しまつ。
724 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/08 13:00
>>723 >禅とは認識を無視できるように修行する教えですね。
認識を無視しなくたって、チョッとだけ発想を転換すれば厨房にだって理解できるよ(w
永久に貴殿が死なないんなら。→もしもの仮定だよ。
生きる、も、死ぬ、も概念とすればなくなる。
こういうことを言うておるんじゃよ(^。^)
なにも仏教の「悟り」の話じゃないよ。
だから言うたろ?
一如の法門の・・・ホンの触り。って・・(笑
>机殿
あそこの1と98は同じ人のような気がするのじゃが、貴殿はどう思うかの?
726 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/08 13:37
>>725 >あと、言っても無駄だと思いますがジサクシエンはしてませんよ。
>まーこれは、論理的に証明できないので(w
>信じてもらうしかない。
先生は、こう仰ってるんだけど。
信じるか?
信じないか?
相対立するは結論でるまじ。by道元
727 :
名無しさん@3周年:03/10/08 14:09
童貞のままでいい?
>>727 あるがままを受け入れればよろしい。
童貞
しろうと童貞
エキスパート
相対立するまじ。by机殿
729 :
名無しさん@3周年:03/10/08 15:52
>>1 > 語ろうよ
てゆうか、どこがどう「かっこいい」のか書いてくれ。
730 :
名無しさん@3周年:03/10/08 16:02
ミミ
ミ 彡
ミ 彡
ミ 彡
ミ 彡
ミ 彡 ∧,,∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ミ ミミ ゚Д゚ 彡 <師よ!野狐ばかり出没して困ってます
ミ ミ 彡. \____________
ミ 彡
ミ ミ 彡
ミ ミ 彡
\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
||\ \
||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄
|| || ̄ミ 彡 ̄ミ 彡 ̄||
|| || ミ 彡 ミ 彡 .||
.||ミ,,彡 ミ,,彡
>自己の悟りに頼るかような人間哲学が堕落の結果であると教えるの
>がキリスト教である。結論だけ飛躍して言ってしまえば、真の自己
>完成、救いと言えるものはキリスト信仰によってしか得られないと
>断言しておこう。
キリスト教とは、絶対他力の信仰なんでしょうかね
わたしの考えでは、イエスにしろモーセ等にしても、
神仏のこの世への化身(応身)した姿だと考えております。
また、ごちゃごちゃここで書くのも面倒なので省略しますが、
キリスト教やイスラム世界で言われている、一神教=神の概念
は、仏教では、悟りの完成途上である最終我であると思うのです。
空・無相・無願をもって、娑婆世界の雑踏を生きるのが仏の教え
だと思います。
また、仏教では断言ということも存在しません。空ですからね。
諸法は無我なのです。
どんな勝れた教えであっても、教条主義に陥った途端に魔の餌食となります
>>諸法は無我なのです。
これは断言じゃないの?
>>>諸法は無我なのです
↑いいですか〜〜〜
空性は認識されますね
言葉として、観念として。
しかし、その認識における分別は、また空ということです。
分別は相対的縁起に基づき、縁起=空というわけです
空性が空性を認識することはないのです。
ゆえに、
「諸法は無我なのです」という認識も空なのです。
断言じゃないのでありんす
734 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/08 19:34
五蘊皆空
色はそのまんまで空である。
735 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/08 19:48
>>730 して、野狐ってのは何処におりますか?
レス番を付けて下され。
なんか、近くにいそうな気がするが・・・気のせいだろうか?(爆
>なんか、近くにいそうな気がするが・・・気のせいだろうか?(爆
穴倉は暗いしな〜
老いた狐は、嗅覚も鈍る(ゲラゲラゲラ
737 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/08 20:17
>>736 私は、慈悲の心でこれ以上は突っ込まないよ(笑
五蘊皆空じゃよ。
まあ、これ以上は突っ込まないよ(笑
大慈・大悲じゃな(爆
>>733 随分と笑わかしてくれるな!!
珈琲を噴いちまったぜ。フキフキ
>私は、慈悲の心でこれ以上は突っ込まないよ(笑
己のねぐらに突っ込まないのは、かしこい分別だな
むやみやたらに空を連発するするおまえのような香具師を野狐という
変人時代から何も進歩しとらん
741 :
名無しさん@3周年:03/10/08 21:07
仏は常にいませども
現ならぬぞあはれなる
人の音せぬ暁に
ほのかに夢に見え給ふ
742 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/08 21:08
>>739 >変人時代から何も進歩しとらん
そうか(笑
じゃあ、古くからの私のファンなんだな。
大事にせんとな(笑
ココアうめぇ
寒いからの〜
744 :
名無しさん@3周年:03/10/09 06:02
たかし
ワンカップ一杯じゃ酔えない女になりました
甘えることを知らない女だった
女を商売にして初めてわかったの
やり直したい
あなたとの出会いから
>>744 腹ァすかした三人のガキんちょと
呆けたバアさま置いてどこいっちまっただ。
バカさ言ってねえで早ぉ帰って来い!!
たかし
746 :
名無しさん@3周年:03/10/09 08:49
>>744 おらも男を商売にして初めて分かっただ。
やり直してぇ。
おめえとの出会いかから。
ひろし
747 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/09 09:11
ROM記念
色即是空 空即是色
748 :
雲 ◆mizu2vy5RY :03/10/09 09:33
>>719 つまり、キリスト教の救いってのは、カタルシスってことなのですね
他人の足で歩くことは楽だわな、でもそれが本当の救いなのかな?
749 :
名無しさん@3周年:03/10/09 12:26
>>748 おまいらが救いというものを知らないだけ
750 :
名無しさん@3周年:03/10/09 13:15
禅スレでキリスト教を語るヤツも珍しい。
机先生の話を聞いてる方が面白いぞ。(・∀・)
751 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/09 13:45
>>739 >変人時代から何も進歩しとらん
そろそろお題に答えましょう。
変人→髑髏仮面→机龍之介
この流れはないんですね。
つまり「生きる」ってのは、全く連続してオランダ大統領。なんですよ。
瞬間、瞬間に「ある」つうことなんですよ。
後ろもない。先もない。今、ここ。
鑑みなされ。
752 :
名無しさん@3周年:03/10/09 14:06
流れがあるから自分で認識して書いてるんだろーが
オレ、ガキの頃から
親父に殴られて育って心がおかしいんだ…
机せんせぇい
た す け て …
754 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/09 14:48
>>752 >流れがあるから自分で認識して書いてるんだろーが
貴殿の記憶が残存するからなんじゃよ。
>>753 >親父に殴られて育って心がおかしいんだ…
親父に殴られたもんは何処にあるのじゃ?
出してみなされ。
拙者が成敗してしんぜよう。
つまり・・・
記憶とは「ない」。
「なき」ものに心惑わされべからず。
最近まで生きていた禅僧で立派なのは誰だ。
山本玄峰か、沢木興道か?はたまた?
ついでに、今生きている禅僧で偉い奴は?
756 :
名無しさん@3周年:03/10/09 15:04
757 :
名無しさん@3周年:03/10/09 15:06
ないものが残存するかいな あほらし
758 :
名無しさん@3周年:03/10/09 15:11
おらはおまえたちに惑わされんぞ!
(-_-)禅
759 :
雲 ◆mizu2vy5RY :03/10/09 15:18
>山本玄峰
なんとなくだけどこの人の悟境に疑問があるんだよなあ。
いや、この人はすごかったって人、なんかエピソードあげて。
俺は山田無文さんとか結構好きかも。
761 :
名無しさん@3周年:03/10/09 15:36
禅寺に禅者はいねえ。みんなつくりものだ。
禅者なら寺のそとにうようよいるぞ。
中田、イチロー、以下もろもろ・・・
762 :
名無しさん@3周年:03/10/09 15:50
763 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/09 15:51
>>757 心はなくとも心は動く。by慧能
非風非旗
764 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/09 15:53
765 :
名無しさん@3周年:03/10/09 15:53
>761
よく悟った!
766 :
(゚З゚):03/10/09 15:56
767 :
名無しさん@3周年:03/10/09 15:59
寺からでないかぎり、こんなスレからでないかぎり、
藻前らは一生、悟れねえぞ。
768 :
名無しさん@3周年:03/10/09 16:03
>767
その引き際・・鮮やかです
769 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/09 16:03
770 :
(゚З゚):03/10/09 16:12
771 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/09 16:34
>>770 諸行無常
是生滅法
生滅滅威
寂滅威楽
鑑みなされ。
記憶とはない…
って今もオレの心の中で活動してんだよ
クソ坊主っ!!
てめえ出直せや
………
机先生すみません
でも自分をコントロールできないんです……
774 :
名無しさん@3周年:03/10/09 17:19
>>761 の言うように
理屈でどうこうじゃなく
扱えてこそ
本物だろうし意味がある。
775 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/09 17:33
>>772 >って今もオレの心の中で活動してんだよ
お主だけではあらず。
悠久の昔から禅僧はこの壁と向き合うんじゃよ。
如何に?
如何に?
これを自らに問うなり。
竹に小石が当たって気づいた僧もあらば、
川のせせらぎを聞きし気づいた僧もあらば、
虫の声にて気づいた僧もある。
「疑」なくば答えあらず。
自らに問うなり。
我と仏の二見を離れるのじゃ。
一切を無と心得るべし。
無…ですか……
机先生ありがとうございます。
何か心が開けました
yossha!
778 :
名無しさん@3周年:03/10/09 18:55
>775 それは断見外道。あなた、本気で仏者やってるつもり?
779 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/09 19:00
>>778 「疑」なくば答えあらず。
私のファンかな?
780 :
テスカポリトカ:03/10/09 19:25
ケッコウ隠れファンが多いですね。(^^)
>779
外道はいつもキャッチ・アンド・リリース、が私のモットーです。
悪しからず。
782 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/09 19:45
>>781 だから・・・
>「疑」なくば答えあらず。
何処が「断見外道」なのか「疑」があっても板に書けないんじゃ〜〜〜
逃げてるのと同じだよ。
私は2ちゃんでは随分叩かれたよ。
だけどそれでまた成長もした。
笑われても・・・
恥をかいても・・・いいから、
カキコしてみ?
どうよ?
783 :
名無しさん@3周年:03/10/09 19:50
>>782 お前駄目なやつだな。
悟った振りなんて、60過ぎて人生終わってからでもできるだろ。
それに気づかないと、一皮むけることなんかできないよ。
784 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/09 19:56
>>783 一期一会なんだよね。
残念だね。
私の方から絡んでくるのは滅多にないことだけどね。
785 :
名無しさん@3周年:03/10/09 20:28
>>775 >竹に小石が当たって気づいた僧もあらば、
>川のせせらぎを聞きし気づいた僧もあらば、
>虫の声にて気づいた僧もある。
おまえの実体験に基づいた気づきじゃないとは、だれにも分かることなんだし、
公明正大さのためにも、出書を記されたし。
786 :
名無しさん@3周年:03/10/09 20:31
>>783 話聞いてると、割と面白いよ。禅僧にも一人ぐらい広報部長がいても
いいんじゃないかな。
787 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/09 21:03
>>785 今ごろ絡んできても遅いんだよ(笑
>一期一会なんだよね。
>残念だね。
こういうことだよ。
即今即所
だね・・・
いわゆる「禅」だから。
788 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/09 21:20
>>785 >おまえの実体験に基づいた気づきじゃないとは、だれにも分かることなんだし、
>公明正大さのためにも、出書を記されたし。
大慈・大悲でカキコしませう。
出書するまでもなく、禅僧なら大体知ってるかと思うよ(笑
789 :
名無しさん@3周年:03/10/09 21:22
>>787 なんでわかんないかな。
おまえ、自分が駄目なやつだということを、今、気づかないでいつ気づくんだ。
60すぎたじじいになって気づいたときに、後悔するよ。
ひとのふりみてわがふりなおしぇ〜
791 :
名無しさん@3周年:03/10/09 21:36
>>机
自作自演はいいから。
おまえも禅を少しはかじっているのならわかるだろ。
くだらないエセ悟りを捨てろ。それもナウ。
792 :
名無しさん@3周年:03/10/09 21:48
机せんせいをバカにするな!!
せんせいのお話は大変ありがたいものなんだぞ
先生が言葉を書き
私がそれを読み
知だけの愚かさを悟る
ありがたいお方だ
793 :
名無しさん@3周年:03/10/09 22:32
どのスレでも、知識だけの厨がでてくると、リアルでガンガレと説教する親父が出てくるな。
794 :
名無しさん@3周年:03/10/09 23:13
>>786 >禅僧にも一人ぐらい広報部長がいても―――
机を禅僧と妄想するのは勝手だが、
本物の禅僧に失礼なきように
気をつけましょう
795 :
名無しさん@3周年:03/10/09 23:33
>793 >794 言いたいことは、わかるんだが、そんなに目くじら立てなくても
いいかと・・・?
796 :
名無しさん@3周年:03/10/09 23:37
しかし、なんだなあ
スレの最初では、禅の書物についての話題が多かったが、
今の流れは、本の知識が形見を狭くしている
本を読むというのも、なかなか一筋縄ではいかないのかなあ
「心が迷えば法華が我を読み、悟りが開かれれば我が法華を読む。
長時間読んでも心を明らかにできなければ、理とは永遠に仇同士となる。」
by 六祖
だってよ
797 :
名無しさん@3周年:03/10/09 23:50
>>795 大慈・大悲のかんぜおん すね
お・や・す・み・な・さ・れ・ま・せ
798 :
名無しさん@3周年:03/10/10 00:05
机先生に問う、禅とは一言にして何ぞや。
799 :
名無しさん@3周年:03/10/10 00:10
328 :名無しさん@3周年 :03/09/29 18:22
(・_・) ← 禅
329 :名無しさん@3周年 :03/09/29 18:27
(-_-) ← 本当の禅
330 :名無しさん@3周年 :03/09/29 19:24
( ゚∀゚) ←修行に失敗して向こうの世界へ持って行かれた
331 :名無しさん@3周年 :03/09/29 20:02
\(゚д゚)/←悟ったと勘違いしてる人
800 :
名無しさん@3周年:03/10/10 00:39
>>796 本読むのは良いし
知識を得るのもいいんだけど
先生は質問にも本の言葉で返すから……
801 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/10 05:22
>>798 >机先生に問う、禅とは一言にして何ぞや。
なりきり
では早速宅間守になりきって小学校へ行くとするかのう
803 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/10 07:35
江戸時代に盤珪という僧がおった。
そこに、農民が尋ねてきた。
「毎日が農作業で坐るいとまもありません」。
「これで修行ができますやら?」。
ここで盤珪は
「農作業しながらでも修行はできる」。
「無心に・・・なりきりなさい」。
いわゆる盤珪の「無修行の修行」である。
ご飯を食うても修行であり、掃除をしても修行なり。
盤珪・鈴木正三は頭脳明晰・境涯抜群である。
しかし、彼等は仏教者では無かった。強いて言うならば実践陽明学者であろうか。
自らの境涯に頼りすぎた。彼等の生存中は大衆も「かっこええなあ」とついてきた。
しかし死後何も残らなかった。
真の仏教徒は三宝を残して去る。白隠・親鸞の様に無に徹すれば自ずとそうなる。
盤珪の建立した数々の寺院はそのほとんどが荒れ果てている。
百聞は一見にしかず。
廃寺と化したボロボロの本堂の前に立つ時、何を思うであろうか。
現在盤珪の語録が残るのは、「仏道修行すれば彼のようになれる」と勘違いする人が
沢山いるからだと思う。
なるほど。
で、山本師はどうでしたか?
806 :
雲 ◆mizu2vy5RY :03/10/10 11:12
807 :
雲 ◆mizu2vy5RY :03/10/10 11:18
>>804 「無修行の修行」が残ったよ
寺なんかよりよっぽどと尊いと思うけどね
勘違いでも、仏道修行に入る人がいればそれでいいじゃん
何を思うかって、?それこそ、諸行無常
808 :
雲 ◆mizu2vy5RY :03/10/10 11:19
810 :
名無しさん@3周年:03/10/10 15:29
こらこら君たち心を乱して何をしているのですか?
(-_-)禅
811 :
名無しさん@3周年:03/10/10 17:11
812 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/10 17:30
馬鹿め!
南嶺の猿に仏性がある訳がない!
お前の来るところではない。
さっさっ、
早く立ち去るがよい。
813 :
名無しさん@3周年:03/10/10 18:08
山川草木悉有仏性。
814 :
名無しさん@3周年:03/10/10 18:23
かばめ!
くることもなく、猿こともない
これにて、調ふべし
815 :
名無しさん@3周年:03/10/10 18:24
うんこにも、仏性はありまつか。
816 :
名無しさん@3周年:03/10/10 18:27
お前自身が糞壷だと自覚しなさい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
817 :
ふわわぁ〜ん:03/10/10 19:22
(-_-)
818 :
名無しさん@3周年:03/10/10 19:41
悟ってしまえば、仏も糞もなく
愚かさや怒りや貪りに苦しめば苦しむものほど、
仏や悟りというものが輝きを放つのです
819 :
名無しさん@3周年:03/10/10 19:48
スレも後半へと近づくと胃下垂の如くレベルが下降ギミに
ある意味人為的な面があるが習性なんだろね
因果応報
820 :
名無しさん@3周年:03/10/10 20:45
>スレも後半へと近づくと胃下垂の如くレベルが下降ギミに
>ある意味人為的な面があるが習性なんだろね
低きものほど、高みを意識するものなり
習性なんだろね
821 :
名無しさん@3周年:03/10/10 20:56
お前らほんとに、悟りくさくてうざいな。
悟り臭いこといわなきゃいられない病気だな。
もっとさっぱり抜けきったヤツはいないかね。
822 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/10 21:10
五祖の公案
__________________________________
馬鹿め!
南嶺の猿に仏性がある訳がない!
お前の来るところではない。
さっさっ、
早く立ち去るがよい。
_________________________________
五祖が、黄梅山東禅院の門を叩いた慧能への公案。
823 :
名無しさん@3周年:03/10/10 21:28
藻前らは、悟りはないとか、悟ったようなこといいながら
悟り臭いことばっかゆって、だれ一人悟っちゃいない。
悟りはないというなら、悟りのないところを
すぱっと示せないかね。どうよ机?
824 :
名無しさん@3周年:03/10/10 21:29
漏れが手本を見せてやるから、藻前らもマネするんだぜ。
いいか、みてろよ。
825 :
名無しさん@3周年:03/10/10 21:29
ぶ り ぶ り
826 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/10 21:39
>>823 【廓然無聖】
なにもない。で調いなされ。
827 :
名無しさん@3周年:03/10/10 21:48
だめだな。
まるで、満腹のくせして、「はらぺこでつ」
ってゆってるようなもんだね。
828 :
名無しさん@3周年:03/10/10 21:50
ほれ、机。机になりきったとこを、
すぱっとここに出してみい。
829 :
名無しさん@3周年:03/10/10 21:52
君はだるまでも、五祖でもないんだからさ。
机になりきらんことには、君自身になれんぞ。
830 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/10 21:55
賊機有り
831 :
名無しさん@3周年:03/10/10 21:59
「賊機有り」には賊機はないよ。
そんなことしてると、どんどん机じゃなくなってしまうぞ。
832 :
名無しさん@3周年:03/10/10 22:00
君は既に机ではないので、「机」龍之介と今日から
なのりなさい。
833 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/10 22:05
柏樹子
834 :
名無しさん@3周年:03/10/10 22:05
よいか、tukueが、つくえとなって、机となり、つくえになって、またtukueと
なる。逆でもよいぞ、机が、つくえとなり、tukueとなって、つくえとなり、机に
もどる。それが、【廓然無聖】、もしくは庭前柏樹子の意じゃ。
わかったか。
835 :
名無しさん@3周年:03/10/10 22:08
そうであってこそ、おぬしは机じゃ。
しかし、おぬしはまだまだ机ではないわ。
「机」にすぎんな。
836 :
名無しさん@3周年:03/10/10 22:11
そんじゃあな、いい加減にするんだぜ。
837 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/10 22:11
水に浮く氷の如し
838 :
名無しさん@3周年:03/10/10 22:15
水に浮く氷は「水に浮く氷の如し」なんてゆったりしないよ。
839 :
名無しさん@3周年:03/10/10 22:16
ぷ か ぷ か
840 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/10 22:18
色即是空 空即是色
これはプロセスではないよ。
何故に時間的概念が入る?
貴殿の位相はお見通しじゃよ。
841 :
名無しさん@3周年:03/10/10 22:21
↑を書くのに、何秒かかった?
842 :
名無しさん@3周年:03/10/10 22:22
まいった。
化けの皮がはがれましたな。
では、失敬。
843 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/10 22:26
>>838 つまり、「知」というのは文脈を読む過程の概念がそのまま脳にインプットされる。
だからどうしてもそこに時間の概念で捉えちゃうんだね。
木を燃やしても、木が灰になる訳ではない。
木は木で
灰は灰
そこに時間の連続性はない。
844 :
名無しさん@3周年:03/10/10 23:28
維摩の一黙
845 :
名無しさん@3周年:03/10/10 23:34
>>843 そこから早く逃げ出さないと手遅れになるよ。
あなたが、今、いるとこは、魔界だよ。
846 :
名無しさん@3周年:03/10/11 09:18
修行を積んだ禅者様は蓮画像を見ても平気でsか?
847 :
名無しさん@3周年:03/10/11 09:27
無為にして漏らすなり
848 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/11 09:49
>>845 >あなたが、今、いるとこは、魔界だよ。
魔界も極楽もないんだね。
涅槃寂静。
つまりは娑婆即寂光浄土。
貴殿がおります「今ここ」こそが浄土なんじゃよ。
だから大切なんだね。
一期一会ってのが。
>>846 >修行を積んだ禅者様は蓮画像を見ても平気でsか?
位相を具現化したものだね。
どう見るか?
は、貴殿の明鏡台にあり。
如何じゃな?
払拭するもよかろう。
心は明鏡台の如し。by神秀
849 :
名無しさん@3周年:03/10/11 10:02
>>848 あいかわらず、ステレオタイプだなぁ。
教科書どおりのことばかりいってて楽しいんだろうか、君は。
850 :
名無しさん@3周年:03/10/11 11:05
思い捉えることなくば、心囚われることなし。
人は喜んで思い捉えるが、やがて心囚われて悲しむ。
このジレンマ、輪廻から如何にして脱出するか?
う〜〜〜〜〜〜
忘れろ!!考えるな!!逃げろ!! かな?
851 :
名無しさん@3周年:03/10/11 11:46
すべてをあるがまま捉えるそれが禅。
善も悪も初めも終りも不幸も幸せもそのまま捉えて生きることだ。
人生=禅
852 :
名無しさん@3周年:03/10/11 11:52
>忘れろ!!考えるな!!逃げろ!! かな?
地面を離れて起き上がろうとしても、決して成る道理はない
坐って来ます。
854 :
名無しさん@3周年:03/10/11 12:29
>すべてをあるがまま捉えるそれが禅。
>善も悪も初めも終りも不幸も幸せもそのまま捉えて生きることだ。
>人生=禅
↑ステレオタイプの見本みたいなレスだな〜〜〜ギャハハ!!
855 :
(机)龍ヨネ介:03/10/11 12:31
(-_-)禅
゙(-_・)
856 :
(机)龍ヨネ介:03/10/11 12:34
"悟"
(^Д^)ギャハハ!
857 :
名無しさん@3周年:03/10/11 12:39
あ、机はすなおに、カッコつけたんだね。
カッコいい!!
858 :
名無しさん@3周年:03/10/11 12:40
机=かっこいい。
禅=かっこいい
机=禅
今日机は禅となった。
859 :
〔机〕龍ヨネ介:03/10/11 12:44
(-○_○)禅
860 :
名無しさん@3周年:03/10/11 12:55
861 :
『机』龍ヨネ介 :03/10/11 13:09
囿囚囮ノ團圓ハ因囲競馬場ヲ田園ニスル
哩觧シ悟レ(^δ^)禅
烋氣彳彡彑广夲囿團圓宀孑幺巛唸厶匚凵冂冖囚困口固
回園因囲囮囹
囿囚囮ノ團圓ハ因囲競馬場ニテ
862 :
名無しさん@3周年:03/10/11 13:41
すまん。読めねえ。
863 :
名無しさん@3周年:03/10/11 13:44
>>852 >はて、何が地面から離れているんだ?
↑答えが出てるではないか〜〜〜ギャハハ!!
はてはてはてはてはてはてはてはてはてはてはて
864 :
名無しさん@3周年:03/10/11 13:46
俗に、空中浮揚と言われておる。
865 :
名無しさん@3周年:03/10/11 13:51
>すまん。読めねえ。
読んだという椰子がいるなら、実は読まないということなのです
これにて調ふべし
>>848 某スレでのやり取りをみていたけど、
人の心を読めないとは。
己の心の動きもろくざま掴めておらんという証でもある。
机先生も不覚であった。
心は明鏡台の如し。by神秀
心は鏡也、硝子では非ず。
867 :
名無しさん@3周年:03/10/11 15:15
以上に他人の机の中身が終始気になると ミエルのだろうか
木乃伊とりが木乃伊にならなければよいのだが…
868 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/11 15:54
>>866 どんなスレであろうと、心は動かざること山の如し。
どんなスレであろうと、そこに差異はござらん。
どんなスレであろうと、自作自演に心躍るなかれ。←これは即刻承知。
動いているのは、貴殿の心じゃな(w
非風非旗。by慧能
869 :
名無しさん@3周年:03/10/11 16:23
座禅をして鯰の霊が入るとうんこが長細くなります。
ワールドメイトの救霊を受けてください。
870 :
雲 ◆mizu2vy5RY :03/10/11 17:12
871 :
名無しさん@3周年:03/10/11 17:20
なに、2chは坐禅も座禅て書くようになったの?(w
いくら何でも道元さんが怒るでしょ。コピーライト(レフト)違反?
「六祖壇経」「中論」か・・・・
一山なんぼのお手軽(インスタント)悟りだ。
だから智慧無しなんだな。
873 :
名無しさん@3周年:03/10/11 18:00
。。。ヘ(;・・)ノ广 坐禅
874 :
名無しさん@3周年:03/10/11 18:06
>動いているのは、貴殿の心じゃな(w
>非風非旗。by慧能
観念の対岸においやると、途端にしらけてしまう
2チャネラーが求めているのは、机さんの実生活における
非風非旗 と思うぞよ
机さんの非風非旗 を語りなされ
机さんの色即是空を語りなされよ
それでこそ、
875 :
名無しさん@3周年:03/10/11 18:14
机さんは、われわれ初心者にも分かるように、実にわかりやすい、
教科書どおりの解説をしてくださるのだ
喪前等こそ、なんにも分かってないみたいだな
めっ!!!
876 :
「机」龍ヨネ介:03/10/11 18:17
(#^Д^#)
877 :
モンマルトル:03/10/11 18:22
878 :
名無しさん@3周年:03/10/11 18:23
机さんの机の中には、具昧という妙薬が入っている。
それを一度食べてしまうと、それは、われわれの煩悩という毒がなくならない限り
は、永遠に消化されることはない
めっ!!!
879 :
《机》龍ヨネ介 :03/10/11 18:34
(´ζ`)手作りの引き出しダヨー
880 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/11 19:49
>>877 至高体験があったとしても、その世界にドップリ浸かっていたんでは何にもならないかと思う。
それはひとつの切っ掛けにはなるとおもうが。
それが全てではない。
つまり、薔薇色の世界観。のうちは未だ本当の初歩である。
自らの概念に自らが酔っているに過ぎぬ。
「無」とはなんなのか?
決して断見ではないのである。
父母未生の前の本来の面目。
いわゆる公案とは、一寸も隙のないところを通過するのである。
無門関を通過なされ。
881 :
名無しさん@3周年:03/10/11 20:33
その世界にドップリ浸かって出てこないのは机先生じゃないのか。
いつまで、洞穴にたてこもっているつもりですか。
882 :
名無しさん@3周年:03/10/11 20:35
悟りを捨てられない。
禅を捨てられない。
宗教の迷妄、執心は、
執着をもっとも嫌う、
禅すらも例外ではない。
883 :
名無しさん@3周年:03/10/11 20:51
「褌」ってかっこいいんだけど…
に見えた
884 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/11 20:56
>>881 その世界、とか、あの世界とか言うくらいではマダマダかと思うよ。
悪いけど。・・・その概念があるうちはね。
その世界も、あの世界もないんだよ。
貴殿の手を自分で抓ってごらんよ。
「痛い」。と感じる、そこに自分があるだけだよ。
何で自分があるのか?
大事なのはそこのとこなんだね。
涅槃寂静。そして・・・諸法無我。諸行無常。
いわゆる仏教は、三法印が全てだよ。
一切皆苦。を入れて四法印。
885 :
名無しさん@3周年:03/10/11 21:09
>>877 >あなたが開いたスゴイタイケンは、ここに投稿した方がいいよ。
禅書やナーガールジュナ、般若経典を読めば、内的思索によっても充分に到達しうることなんじゃがな
机先生は変人時代に、おん自ら、わたしには瞑想体験や神秘体験はないと正直に言っておられるよ。知らなかった!?
(ナイーヴな877は、禅はいいから、日曜教会に逝きなさい!!
886 :
名無しさん@3周年:03/10/11 22:16
また洞穴に立てこもる・・・。
ほんとわからんやっちゃな。
887 :
モンマルトル:03/10/11 22:33
>>885 >内的思索によっても充分に到達しうることなんじゃがな
・・・・・・・・? ? ? ? ?・・・・・・・・・・・・
しかも、神秘体験云々なんてことをいうとは!
あなたは、禅とは無縁の世界の住人なんですね。
キリスト教については、アシジのフランシスコの伝記を読んで感動した事があります。
(教義(文化)については全く判りませんが。)
888 :
名無しさん@3周年:03/10/11 22:46
Samba24って?
889 :
名無しさん@3周年:03/10/11 22:52
>また洞穴に立てこもる・・・。
>ほんとわからんやっちゃな
立てこもること、大いに結構。
見性とか頓悟は、それで終わるわけではない
それからが本当の瞑想とかタントラがはじまるんよ
>キリスト教については、アシジのフランシスコの伝記を読んで感動した事があります。
>(教義(文化)については全く判りませんが。)
↑それを神秘体験ていうの。意識の高揚とか変容をともなえば、それは体験なのよね
神秘とは、そういう崇高なものとの出会いでもあるわけね。
巷に流布しているような、そういうのばかりが神秘体験とは限らない
最も、そういう体験もけっこうしてきているけどね
890 :
名無しさん@3周年:03/10/11 23:12
>立てこもること、大いに結構。
>見性とか頓悟は、それで終わるわけではない
>それからが本当の瞑想とかタントラがはじまるんよ
はじまって、その先どうなるの?
891 :
名無しさん@3周年:03/10/11 23:30
藻前らだめだね。カルトだし、小乗だし、キモイし。
禅やって、捕らわれから自由になって、固定観念が
破られて、瞑想して、気持ち良くなって・・・
その先が肝心なんじゃないのか。
社会という生きる現場で、他者に具体的に何をしてあげられるか。
他者の痛みや苦しみ、問題をどう取りのけるか。
どう関わるのか。
そこが肝心なのに、そこに踏み込んでいこうとしない。
禅の個人主義、内面主義、反社会性にはげしく疑問を感じますね。
こういう禅のあり方を根底から破れる、もしくはやぶろうとする
禅者はいないのか。
と書いても、禅語ならべて、ごまかすだけなんだろうな、机は。
892 :
名無しさん@3周年:03/10/11 23:31
>はじまって、その先どうなるの?
個の完成に向かう
ことわり的には、無始無終だから、完成もないだろうけど、
だからといって、無為に安住はしない
893 :
名無しさん@3周年:03/10/11 23:33
だからね、他者との関わりという視点が完全に欠落しているでしょ。
他者との関わりなしに、個の完成なんかないんよ。
894 :
名無しさん@3周年:03/10/11 23:56
>>893 そうはいっても、今も自分の内部でごーごーと渦巻く問いかけ≠ヘ、
後戻りできないんよ
自分の機根は、しみったれた独覚タイプだと分かっているから、自分は
自分の道を行くだけなんよ
そんな人生があったっていいじゃない
895 :
名無しさん@3周年:03/10/12 00:11
ひらきなおるのかい。
で、君がどう生きてもいいんだが、
禅とはそもそもそういうものなのかい。
禅がとてもゆがめられた形で君により他者に伝えられる
時の、他者の人生におよぼす被害というものを
君は考えていない。あくまで自己厨な宗教に
禅を堕落せしめているとはおもわないのかい。
896 :
名無しさん@3周年:03/10/12 00:13
>今も自分の内部でごーごーと渦巻く?問いかけ?
そんなもの、君が他者への関心とか関わりとかを
もとうとしたとたんに、氷解していく。
ってそんなこともわからんで、禅をやってるのか。
仏道の根本も理解していないんだな。
897 :
名無しさん@3周年:03/10/12 00:47
っちゅうかおまえら禅なんかまともに学んだことねぇだろ?
なまじな知識でどうこういってんじゃねぇよ。
禅ってのは座ることじゃねぇ。
気持ちよくなったらそこでもう禅じゃなくなっちまう。
そもそも釈迦の禅と達磨の禅と後の宗教者の禅は全部違うものなんだ。
言葉で言い表せない悟りの境地。
それを得るためなら漸悟でも頓悟でもかまわない。
どうせ京極夏彦とか読んだだけで知った気になってんだろうが。
禅に思索はいらねぇ。
だけどそれは思索をし尽くした人が初めて言えること。
かっこいいとか言う前にせめて五灯ぐらい読んでみろ。
そおすりゃ少しは過去の禅者の凄まじさに触れて軽くかっこいい
なんて言ってらんなくなるだろうよ。
898 :
名無しさん@3周年:03/10/12 01:09
漏れにいわせりゃ、禅とは、立ち上がることだ。
立ち上がるために、坐るんだよ。
藻前ら、坐りっぱなしじゃん。
899 :
名無しさん@3周年:03/10/12 01:30
禅はバラモン教の影響を受けてるんでしょう?釈迦の教えをベースに
バラモンの難行苦行をミックスした。それが禅。釈迦はバラモンの難行苦行を否定した。
900 :
名無しさん@3周年:03/10/12 01:35
901 :
名無しさん@3周年:03/10/12 01:40
>
>>895 いいんですよ。
それなりに背負えるもんだけ背負えばいいんです
>>897 確かにまともに学んだかと問われれば、まともには学んでない
しかし、これこれが禅であるというような基準点がないから禅だと思っている
禅とは無基底の大海を泳ぐダルマなり〜〜〜な〜んちゃって(^。^)!
>そおすりゃ少しは過去の禅者の凄まじさに触れて軽くかっこいい
>なんて言ってらんなくなるだろうよ
凄まじく迫るものを、かる〜くかっこいいとかわすのも禅的だと思います
軽いというの、好きですね。存在の軽さ、控えめさ、〜〜〜はぐれ雲のごとくありたいですね
>そもそも釈迦の禅と達磨の禅と後の宗教者の禅は全部違うものなんだ。
すこ〜しだけポイントを教えてくれませんか
机さんのようにマニアックに誤魔化さないでね
師の拳は吝嗇なれど、
法の拳は大慈大悲の観世音
902 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/12 08:32
>>901 >机さんのようにマニアックに誤魔化さないでね
仏教とは非常にシンプルです。
当たり前なことを、当たり前と言うておるんです。
いわゆる人の業は、当たり前を当たり前に思えない。
煩悩とはこういうことです。
粉飾をすべて脱落させたのが脱落心身なんじゃぁないでしょうか?
仏の逢うたら仏を殺せ!
903 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/12 08:35
× 仏の逢うたら仏を殺せ!
○ 仏に逢うたら仏を殺せ!
904 :
(机)龍ヨネ介:03/10/12 13:56
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇
〇 〇 〇 〇 〇 禅 〇 〇 〇 〇 〇
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇
905 :
(机)龍ヨネ介:03/10/12 14:07
>>904の「悟りの図」を焦点をずらして見てください。
真ん中にある「禅」という字が
「 〇 〇 〇 禅 〇 禅 〇 〇 」
↑こんな感じに2つに見えるように焦点をずらすかぼんやり
見つめてください。「禅」の文字の間に〇が一つ入るように。
しばらく見つめていると2つに見える「禅」の文字が両方消えますので
そうすれば悟りを開いた時の感覚を疑似体験できます。
これはあくまで悟りの感覚だけを疑似体験するものです。(^Д^)
>>905 なんか○がお地蔵さんの頭に見えて怖い///こっち見てる///
907 :
名無しさん@3周年:03/10/12 17:56
>× 仏の逢うたら仏を殺せ!
不生にして不滅の仏を殺した道元は神になった
908 :
名無しさん@3周年:03/10/12 18:23
>>907 >× 仏の逢うたら仏を殺せ!
不生にして不滅の仏を殺した道元は神になった
それをいったのは道元じゃなくて臨済だよ。(^д^)
909 :
名無しさん@3周年:03/10/12 18:55
>それをいったのは道元じゃなくて臨済だよ。(^д^)
道元とは元なる道を、仏を殺して神となり
白隠とは、菩提樹の陰に隠れて白光に入るがゆえに白隠なり
やれ臨済だ、やれ曹洞だと二分する輩は、この理を、ついぞ識ることなし
910 :
名無しさん@3周年:03/10/12 18:57
ギャハハ!!分かったか
911 :
名無しさん@3周年:03/10/12 19:27
お前らに、学校のテストとか受けさせたら、Aだろうが、Bだろうが
おなじことじゃ、がはははとか言って0点とりそうだな。
912 :
名無しさん@3周年:03/10/12 19:35
分別臭い椰子だな〜
しらけ節 ♪♪
913 :
名無しさん@3周年:03/10/12 19:45
お前らみたいなヤシが、医者になったら、健康も病気も皆同じ、
生も死にも区別はないわ、がはははは、とか言って、とんでも
ない医者になりそうだな。
914 :
名無しさん@3周年:03/10/12 20:30
医者か?医者になるのか?
ちょうどいい、脳死と心臓死の違いを教えてくれ。
915 :
(机)龍ヨネ介:03/10/12 21:05
できた?(‘ ε ’)
916 :
名無しさん@3周年:03/10/12 21:33
医者は関係ないし嫌いですね。
第一そんなに頭良くないしね。
特に西洋医学というものの考え方には悲しさを痛感します。
たくさんの動物を犠牲にして、医学を進歩させて、ち〜とばかし人間の寿命を
伸ばして喜んでる姿、滑稽ですね。
病気の根本は何か、というアプローチがないんですよね。悲しいです。切ないです。
ま、脳死と心臓死の違いですか?
厄介ですね。五蘊は無我だし空だし、お互いの構成要素の間には、利害関係とか意思の
疎通なんてないですよねえ。生も死も、その五蘊を構成している諸々のダルマが表れたり
消えたりするだけのことなんでしょうからね。
脳死はともかくとして、心臓が停止した心臓死ね、微細身はまだ体内に留まっていると。
しばらくは留まっていると。脳死では、微細身の留まる心臓はまだ動いていると。心臓を
動かす風(ルン)のエネルギーは活動していると。そゆうことらしい。
917 :
名無しさん@3周年:03/10/12 21:38
918 :
名無しさん@3周年:03/10/12 23:18
禅やっていると、どんどん学校の成績さがりそうですね。
919 :
名無しさん@3周年:03/10/12 23:41
>911 ウケタ
>918 仕事の成績も下がるよ
お寺は10年通ってたけど、この2年間行ってない。
純粋培養の馬鹿ばっかり。本物の馬鹿の巣窟。
馬鹿のオリンピックがあったら金メダル確実。
10年気づかなかった俺も馬鹿だけど。
でもメリットもあるよ。
会社で少々の馬鹿がいても腹が立たない。
奈良時代のお寺なんかは最先端の文化学術の集約センター
だったわけだけど、いまは社会の底辺のクズの集まり。
あいつらはろくな死に方しないぞ。
お寺プロパーの人間とは深く関わらないほうがいい。
見性したらすぐ世間に戻りましょう。
その後も関わると人生棒に振ります。
920 :
名無しさん@3周年:03/10/12 23:49
やっぱそうか。
くわばら、くわばら。
921 :
名無しさん@3周年:03/10/12 23:50
どうでもよくなっちゃうんだろうね。
世の中のことが。
922 :
名無しさん@3周年:03/10/13 00:50
良くしようなんて考えなくてもいい
そんなことも分からんのかよ
923 :
名無しさん@3周年:03/10/13 02:20
趣味で、毎日会社から帰ったあと,自己流で座禅をしてます。
五年くらい。
特に悟ったわけじゃないんですが,それなりの変化をたどってきました。
いつも終わった後はすっきりして気持ちいいのですが,
はじめのころは,何を見ても悪魔に見えたり,笑ってる人に見えたりする時期があって,
その後,額のチャクラにすべてが集まって,こめかみが痛くなる時期があって,
その後,大量発汗と悪夢がきて,
ぼんやりするだけの時期があって,
今は,視覚は消えて,腕が勝手に動き,体が煙っぽいのを発します。
ヨガで言う,クンダリニー?びていこつがなんともいえぬ感じです。
禅のつもりがヨガみたいですね。
禅はチャクラやクンダリニーについて,何か言ってますか?
すべて魔境だから流せ、ですか?
細かい途中のことについて知りたいなら,密教、ヨガ系の本も併読してということなんでしょうか?
ちょっとクンダリニー,怖いんですけど。
924 :
名無しさん@3周年:03/10/13 03:26
>>919 だったわけだけど、いまは社会の底辺のクズの集まり。
あいつらはろくな死に方しないぞ。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
| お |
∩_∩ | ま |
( ´∀`)< え |
( ) | も |
| | | | な |
(__)_) \_____/
925 :
名無しさん@3周年:03/10/13 10:08
>ちょっとクンダリニー,怖いんですけど
おそれることなかれ
おそれることなかれ
>>925 > >ちょっとクンダリニー,怖いんですけど
> おそれることなかれ
首が細いと首でつっかえて、9. (死亡確率90%)
首が太いと脳みそまで一気にいって爆発。(死亡確率99.%)
まず、脳みそを鍛えよ。おまえは脳みそが小さすぎる。
来年の春が危ない。
927 :
名無しさん@3周年:03/10/13 11:10
洩れは頭頂開も甘露も体験済み
残念だったにゃ〜
928 :
名無しさん@3周年:03/10/13 11:12
929 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/13 12:07
>>923 >禅はチャクラやクンダリニーについて,何か言ってますか?
何も言ってない。
そもそも唯識派と中観派は考え方が違う。
私は中観のほうです。
般若心経も、密教からすれば如来像思想が根底にあって、
そういう読み方をするんでしょうけど、
宗派、各思想において捉え方も違うのだろうね。
俺は知っている。
なぜお前が中観派か。
なぜならおまえは「中論」しか読んだことがないからだ。
931 :
名無しさん@3周年:03/10/13 13:12
でも,丹田とチャクラはある意味同一のものではないですか?
932 :
『机』龍ヨネ介:03/10/13 14:17
論より証拠(-_-)
从
土 ネ単
933 :
名無しさん@3周年:03/10/13 14:47
>>902 >いわゆる人の業は、当たり前を当たり前に思えない。
「当たり前」に埋没してしまうか、反発するかのどちらかなんだよな…。
そのどちらでもないのが、当たり前のことなんだろうけどね。
今、当たり前というと、普通は慢心の方をイメージするかな。
生きているものごとになど、何の感慨も湧いてはこないような。
仏教とは、そんな味も素っ気もない教えではないと思う。
華厳経などは、荘厳なファンタジーのようだと云われているし…
禅はこういうものは嫌う傾向があるようですね。
ところで机さんは、讃佛乗や、仏伝文学などはどー思われます?
934 :
名無しさん@3周年:03/10/13 14:48
南泉とかいう椰子は、やっぱ魔境にあったんだな〜〜〜と思うこの頃〜〜
∧_∧
(´∀`) なんだにゃ〜
935 :
名無しさん@3周年:03/10/13 15:01
單に示す・・・それが禪
936 :
名無しさん@3周年:03/10/13 15:05
937 :
《(-_-)》龍ヨネ介:03/10/13 15:11
なんでみんなはそんなに禅学に励んでるの?
やっぱり自分の宗派を住持したいとか?
それとも悟りたいとか思ってるの?
938 :
名無しさん@3周年:03/10/13 15:23
(゚σ゚)⇒ーーーー
←俺は悟ったと電波を飛ばす人
939 :
名無しさん@3周年:03/10/13 15:26
(゚σ゚)⇒ーーーー 禅
940 :
名無しさん@3周年:03/10/13 15:27
そうかなっ!!
ーーーーーー\(゚д゚)/
悟り
942 :
名無しさん@3周年:03/10/13 15:31
>そもそも唯識派と中観派は考え方が違う。
>私は中観のほうです。
そもそもにおいて机さんは、中観派の般若空が、深い瞑想と三昧によって
自身において、今、まさに、ここに現証するものであり、ナーガールジュナ
にしろ他の中観論師にしろ、ヨーガに熟達したヨーギだということを知らな
いのかなあ。
また簡単に、唯識派と中観派は考え方が違うと平面的に仰る前に、後期中観派
が唯識派と結びついて、「瑜伽行中観派」が形成された事実も一考して欲すいです。
机さんは大変に律儀な方で、たいていは丁寧なレスを返してくれる人だと思いま
すが、例えば以前、白隠が法華経に帰依した理由は、白隠の幼少時における恐怖
の体験がトラウマとなって云々が示す様に、どうもいまいちの感が否めません。
かくいう私自身も、道元と白隠に関しては、昨夜、皆様方を不快にさせるレスを
してしまい、深く反省している次第でありますが…。
(やれやれ、文章を書くのって面倒臭いこの頃でもある〜〜〜
(-_-) 本当の禅
>>942さん
ここは
いかに机さんの言葉に己を心を乱されないか
悟る場所です
あなたも昔の私と同じ
まだまだですな…
945 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/13 15:43
>>933 讃佛乗
阿弥陀如来を一心に信仰して、阿弥陀様と自分を繋ぐ手綱をいつも握ってるんだよ。
だけどいつか瞬間にこの手綱を離す。
この瞬間こそが禅における開眼なのかと思う。
つまりは他力でも自力でも、通じるとこは・・この手綱を離した瞬間。
伝仏文学
例えば漢字ひとつにおいても、日本における「空文化」。いわゆる「道」の文化に通じるとこはあるかと思う。
中国では剣道。とはいわないですけどね。
剣術でも漢字でも同じ。
やはり深く仏教文化かと思う。
日本では、漢字は輸入ものだから、これは書道という文化に受け繋がれている。
伝仏文学に関わらず、あらゆるものは仏教に関わってる。
建築においてもそうだろうし、
日本庭園なんかも、いうなれば仏教文化そのものだろうしね。
946 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/13 16:05
>>942 そもそも禅は中国がルーツかと思いますよ。
漸悟の神秀を何故外したのか?ってとこを鑑みなされ。
神秀ってのは長老で五祖の一番弟子。しかも秀才。
なんで五祖は慧能に法衣を託したのか?
慧能はヨーガはやっておらんけどぉ〜〜〜??はて?
あとね、学者がなんて言おうと・・・
それよりもっと優れた禅が中国にあったんだよ。
古きを尋ねねばね。学者は学者でそれはそれ・・・無学→慧能。これがルーツだよ。
白隠
白隠の生家は日蓮宗。だから親は「地獄に落ちる」とか・・・恐怖観念を植え付けたんだろうね。
だから白隠は、この恐怖はずっとあったかと思う。
で、引き出しの中に法華経をしまっておいたのだが、やっぱ、また見たくなったんだろうね。
幼い時から法華経は読経してたのでしょうからね。
白隠が法華経を取り出したのは、それなりに感慨深いものがあるかと思う。
なんでか?
親からの「地獄観念」を、いままさに自分の手で総決算する瞬間だっただろうし。
そう想像してるけど・・・。
947 :
名無しさん@3周年:03/10/13 16:06
(^o^)/^^^
禅家に生まれてもみくちゃっちゃ!
朝からスーツはしわくちゃっちゃ!
948 :
名無しさん@3周年:03/10/13 16:22
>慧能はヨーガはやっておらんけどぉ〜〜〜??はて?
やっておらんのでなくて、すでにそれを満たすだけの最上機根だったってこと
如来が菩薩の条件を、わざわざ修養しなくても既に具足しているようにな
最上機根として生まれるか
それとも、誰かのように下司機根として生まれてくるか
現象世界における、それぞれの個体差は何れより来るか
鑑みなされ
(ヨーガを狭義にしか解釈できないみたいだな
949 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/13 16:38
>>948 >ヨーガを狭義にしか解釈できないみたいだな
私もかつては唯識的な考えを持ってましたから、貴殿の考えてることも理解できますよ。
だがしかし、ある時期になると一切を捨てねばならぬ。人牛倶忘。
つまり空白の瞬間じゃな。
阿頼耶識があろうとなかろうと・・・それを越えて即心即仏。円相の位相。
つまり人牛倶忘は・・・・何もない。無。
何もないのに阿頼耶識云々もなくなる。
あってもなくても宜しい。
だからここのとこは人それぞれの境涯なのだろうけど・・・
だけどそうなると「空」の解釈をどう捉えるのだろ?
唯識派は、そこが分からんのです。
では、唯識派は無自性。というふうには捉えてないのですか?
自性。というのが分からん。
>>946 もし私が机さんの言う
すぐれた禅を学び
行っているものとしたらどうしますか?
>ヨーガを狭義にしか解釈できないみたいだな
私もかつては唯識的な考えを持ってましたから、貴殿の考えてることも理解できますよ。
だがしかし、ある時期になると一切を捨てねばならぬ。人牛倶忘。
つまり空白の瞬間じゃな。
阿頼耶識があろうとなかろうと・・・それを越えて即心即仏。円相の位相。
つまり人牛倶忘は・・・・何もない。無。
何もないのに阿頼耶識云々もなくなる。
あってもなくても宜しい。
これを思考停止派の開き直りという
私が言えるのは
中国のある所でおこなわれている
禅は
日本の禅寺で教えるものと違うということです。
もしや時が立つうちに形式ばかり伝えられ
秘伝と言われる
内面修行の方法が伝わってないのでは?
と禅僧をみて
感じた記憶がありますな
あと坐禅をしてるからすごい!
みたいな意識を禅僧から感じると
はぁ〜
と思いましたな
953 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/13 17:07
>>951 >これを思考停止派の開き直りという
思考停止。というより・・・そもそも禅は思考停止だよ。
>>952 少林寺拳法の見学でもしてきましたか?
954 :
名無しさん@3周年:03/10/13 17:26
知識の切り売りはいらない。
自己体験を持っている人はいないのだろうか。
>>953 白隠が「大疑現前」という状態になったのは、無字の公案を考えていた時だったという。
公案を与えられるということは、要するに無理難題を吹っかけられることである。
白隠が全力を振って考えているうちに、思考の可能性は使い果たされ、
もうそれ以上考える余地がなくなってしまった。それまでに浮んで来た様々な着想やイメージが、
思考の飽和状態の中で互いにくっつき合い、意識の表層を氷盤のように蔽って動きが取れなくなる。
これが打通直前の状況だったのである。ここまで来なければ、新しい光は生まれて来ないのだ。
中途半端な思考停止は智慧生ぜず。ちみ働きないもん。
956 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/13 18:20
>>955 ほぉ〜〜〜。なるほど。
唯識派が考えてる公案というのは、こういう事ですか。
まったくもって参考になります。
>白隠が全力を振って考えているうちに、思考の可能性は使い果たされ、
ほぉ〜〜〜。なるほど。
白隠が全力を振って考えるとは・・・。以外でした。
ほぉ〜〜〜。なるほど。
>意識の表層を氷盤のように蔽って動きが取れなくなる。
未那識から阿頼耶識へと逝ったんですね?
そして新しい光が生まれたと・・・。
>中途半端な思考停止は智慧生ぜず。ちみ働きないもん。
そうですか・・・?
公案とはそもそも、中途半端じゃ駄目ですね。二項じゃないですから。
中途半端じゃないから智慧(仏智)なんでしょうし。
だけど、唯識から解釈する公案。ていうのは大変に参考になりました。
中論だったらまた違う解釈なんでしょうけどね。
957 :
名無しさん@3周年:03/10/13 18:22
>だけどそうなると「空」の解釈をどう捉えるのだろ?
「空」とは、頭で解釈するものなんですか!?!?!?!?!?!?
>私もかつては唯識的な考えを持ってましたから、貴殿の考えてることも理解できますよ。
かつて唯識をやってたんですか!?!?!?!?!?!?
わたしの未熟な瞑想力では、とうてい極め尽くせないのがそれなんだがなあ
>何もないのに阿頼耶識云々もなくなる。
>阿頼耶識があろうとなかろうと・・・それを越えて即心即仏。円相の位相。
あなたは、阿頼耶識を垣間見たのですか?!?!?!?!?!?!
(やっぱ、机さんは机さんだったね。2chの机さん、貴殿の禅学に栄光あれ!!(^。^)
958 :
名無しさん@3周年:03/10/13 18:28
禅が思考停止だというのは、大きな勘違いだと思うよ。
机は、大拙の「分別の無分別、無分別の分別」って言葉知らない?
これが、中の道なんだよ。これを実現するものが禅であって、
一方を称揚して、片方を切り捨てる二者択一じゃいかん。
959 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/13 18:28
>>957 >「空」とは、頭で解釈するものなんですか!?!?!?!?!?!?
私は、貴殿に聞いておるんですよ(笑
で・・・・
貴殿は、私のお題に答えられんでしょ(笑
まあ、ここのとこは大慈・大悲でいいよ(笑
貴殿は立派じゃよ。
あーっはっは。
960 :
名無しさん@3周年:03/10/13 18:33
社会の中にあって、思考をぎりぎりまで働かせて、よりよいものを
作り出そうとする。そのぎりぎりの思考の中に無分別の機がきらめく。
これが大乗の禅。事上の禅とよぶものであり、社会や分別から遊離、
もしくは、忌避して、思考を停止して、それを悟りと考えるなどとは
野弧の禅そのもの。非常に有害。
961 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/13 18:39
>>958 >禅が思考停止だというのは、大きな勘違いだと思うよ。
禅における作務は何でやるんだろう?
これは一瞬の非言語的思考だよね。
つまり、目的のない純粋な「行為」そのもんだよ。
二項の対立しない行為と言ってもいい。
いわゆる、思考停止とはそういう意味である。
>机は、大拙の「分別の無分別、無分別の分別」って言葉知らない?
色即是空 空即是色
>一方を称揚して、片方を切り捨てる二者択一じゃいかん
こんなこと言うておらんよ(笑
962 :
名無しさん@3周年:03/10/13 18:41
色 即 空
空 即 色
分別 即 無分別、
無分別 即 分別
思考 即 思考停止
思考停止即 思考
社会 即 個人
個人 即 社会
この「即」が禅なのであって、
思考停止が禅なのではない。
955の公案観は、何もまちがっていない。
思考の徹底と、無思考の徹底は表裏一体である。
963 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/13 18:46
>>960 世俗諦と勝義諦がごっちゃになってるかとおもうよ。
私がいう思考停止。つうのは・・・いわゆる「気づき」だよね。
日常の生活で思考停止せよ。
という意味ではない。
964 :
名無しさん@3周年:03/10/13 18:48
>禅における作務は何でやるんだろう?
>これは一瞬の非言語的思考だよね。
>つまり、目的のない純粋な「行為」そのもんだよ。
>二項の対立しない行為と言ってもいい。
社会の中における現実の「作務」は掃除をしたり、
茶わんを洗ったりという単純労働だけではなりたっていない。
作務の中に言語を超えた純粋経験を実現しようという指向はよく
わかるが、そこにとどまっていては、社会の現場で禅はいかされなく
なる。人間は一生禅寺にこもって生きていくわけにはいかない。
言葉や、理屈、知識、分別を遠ざけてしまっては、現実には現代の
社会においては、思索すら、一つの「作務」であるという認識にたって、
思考や思索に立ち向かっていかなくてはいかん。
一つの商品を開発する。そのためにアイディアをしぼる。これも一つの
公案であり、作務である。こういう視点に立たないと、社会的脱落者
ばかりを生み出す禅になってしまうぞ。
965 :
名無しさん@3周年:03/10/13 18:52
>世俗諦と勝義諦がごっちゃになってるかとおもうよ。
それをわけるからおかしなことになる。
寺の中でしか禅はできないのか。
悟りはないのか。
966 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/13 18:53
>>962 >思考の徹底と、無思考の徹底は表裏一体である。
では、
貴殿の前にあるモニターは、存在なるや?いなや?
お答えくだされ。
>思考の徹底と、無思考の徹底は表裏一体である。
この方法で・・・
如何に?
>>927 > 洩れは頭頂開も甘露も体験済み
> 残念だったにゃ〜
やっぱりそうか。だから危ないのだ。
おまえはやっぱりあれだ。
脳みそが小さすぎる。おれがすこし鍛えてやろう。
もうすこし詳しく書いてみよ。
968 :
名無しさん@3周年:03/10/13 18:54
>貴殿は、私のお題に答えられんでしょ(笑
>あーっはっは。
答えに執着するなかれ
笑う門には、野狐の影
969 :
名無しさん@3周年:03/10/13 18:57
>では、
>貴殿の前にあるモニターは、存在なるや?いなや?
>お答えくだされ。
モニターは、モニターである。漏れは、アップル社のシネマディスプレイを
使っている。20インチの液晶だ。これで、仕事をしたり、勉強をしたり、
2ちゃんに書き込んだりする。それだけじゃ。
>この方法で・・・
>如何に?
創造的に考える、その思考の徹底が、そのまま無思考の徹底である。
970 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/13 18:58
>>964 >公案であり、作務である。こういう視点に立たないと、社会的脱落者
>ばかりを生み出す禅になってしまうぞ。
社会的脱落者にならないための智慧。
これがいわゆる分別智。
でしょうね。
これは大事ですよ。
971 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/13 19:01
>>965 >それをわけるからおかしなことになる。
鈴木大拙も分けてるよ。
なにか?
972 :
名無しさん@3周年:03/10/13 19:01
だから、わけるなっちゅうに。
分別智と無分別智は表裏一体である。
仕事のできないヤツは禅者とは言えない。
973 :
名無しさん@3周年:03/10/13 19:04
一 即 多
多 即 一
わけて、つなげる。つなげて、わける。
わけることにおいて、つなげ、つなげることにおいて、わける。
わけるがゆえに、つなげ、つなげるがゆえにわける。
わけるがためにつなげ、つなげるがためにわける。
わけるも、つなげるも表裏一体。
といういみですべてはひとつにつながっている。
974 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/13 19:05
>>969 >創造的に考える、その思考の徹底が、そのまま無思考の徹底である。
二項選択の公案は思考はしないでしょ?
思考。というシステムそのものが対立してるんだからね。
そこを「思考停止」って言ってるんだよ。
つまり、対立してはいかん。
対立してはいかんから・・・
思考は出来ない。ってことだよ。
975 :
名無しさん@3周年:03/10/13 19:07
>>949 かつて私は「教義を曲げて生き残りを図る仏教、潔くなし」などと思っていました。
しかし、本々釈迦はそんなに了見の狭い教えは説かなかったのかも知れませんね。
976 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/13 19:10
>>972 >分別智と無分別智は表裏一体である。
生きていくには分別する智慧がなけりゃ生きてはいけない。
仏の智慧→から分別する智慧へ・・・表裏一体ではない。
977 :
名無しさん@3周年:03/10/13 19:10
>>971 >なにか?
なにか?と促せば、更に野狐になる
978 :
名無しさん@3周年:03/10/13 19:11
柳は柳ならずと、柳は柳なりは、即で結ばれるよね。
思考停止と、思考は、表裏一体である。
979 :
名無しさん@3周年:03/10/13 19:12
また坊さんは、わけてもらわんことには、「宗教」が解消されて
寺がなくなってしまうので、必死にわけようとするだろう。
だがわけてしまっては、みんなが坊さんにならなくてはならなくなる。
社会人としてのあり方をゆがめられることになる。
それでは仏教はますます腐っていき、衰えますぞ。
980 :
名無しさん@3周年:03/10/13 19:13
己を鑑みることができないのを野狐という
尾だけは、何故か不可思議にも鏡にて手入れする
981 :
名無しさん@3周年:03/10/13 19:17
>仏の智慧→から分別する智慧へ・・・表裏一体ではない。
野狐流戯論という
「表裏一体」も「表裏一体ではない」も「誤り」だし「誤りではない」。
さて、皆の心はどこに着陸するか。
983 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/13 19:27
>>982 分別智と無分別智というのは・・・・
つまり「相」が違うんだよ。
984 :
名無しさん@3周年:03/10/13 19:27
思考のただ中で、思考停止を行じ、思考停止のただ中で、思考を行ずる
ような離れ業が禅の悟りじゃないのか。思考や分別を放擲して
寺にこもって、作務におぼれて庭掃きばかりやって、悟ったような気に
なってるバカが多すぎる。
受験生が必死で受験勉強に取り組む。ビジネスマンが金もうけのために
必死で知恵をめぐらす、医者が医療に没頭し、学者が学問に没頭する。
これがそのまま悟りであるとするような禅でなければ、社会において
無用どころか、有害な宗旨をかかげることになる。
くりかえすが、分別の放擲は、悟りではない。
思考停止は、悟りではない。
985 :
名無しさん@3周年:03/10/13 19:29
>皆の心はどこに着陸するか。
過去に着陸したのであれば、着陸することなく
未来に着陸するのであれば、着陸することなく
今、現在に着陸しつつあるのであれば、今は一瞬も留まることもなく
986 :
名無しさん@3周年:03/10/13 19:31
>>984 思考停止のただ中で、思考を行ずる
それは単に言葉遊びじゃ。
>>984 溺れるほど作務しちゃいけないの?
良いんじゃないの?一日中庭掃きばかりでも。
庭掃きだけで悟った釈迦のお弟子さんもいるんだしさ。
一念岩をも穿つよ。
君も青年の主張してるね。
988 :
名無しさん@3周年:03/10/13 19:39
>>964 >社会の現場で、禅はいかされなくなる。
社会のあり方がオカシケレバそれを拒否するのも禅なんじゃないか?
かつて日本の禅宗の僧侶が、無我を説きながら戦争に若人を駆りたてたという
過去もあるそうな。もうそういうことは繰り返さないでほすいもんだ。
989 :
名無しさん@3周年:03/10/13 19:41
なぜ、覚る必要があるのか?
悟りとはなんなのか?
結局だれもわかっちゃいない。
990 :
机龍之介 ◆T3kw04asSo :03/10/13 19:41
思考停止。ってのを観念的に捉えてはなにもならない。
いわゆる非言語思考。と言うてる。
これは作務でも公案でも同じ事。
非言語とは、つまりは目的のない、なにも対立しない思考・行為のことである。
日々の一瞬の出来事。
だからこれを、竹に当たった小石とか、裏山のせせらぎの音とか。
ひとつの瞬間のことを言ってる訳です。
つまり、日常のなかの瞬間。
非日常性のことです。
これがいわゆる頓悟です。
991 :
名無しさん@3周年:03/10/13 19:50
>>987 つまりな、老婆心で詳しくゆえば、
人の役にたつことをするのが悟りなんだよ。
人の役に立つかどうかなんてどうでもよくて、
ただ悟りたくて、庭掃きばっかやってる。
そんなことやって迷いに迷いを重ねている。。
悟ろうなんて気持ちを捨てて、そんなことどうでも
よくなって、さて俺は人の役にたつために何をしよう、
庭掃きばっかやっててもいかんなと思い始めたときに、
藻前はやっと悟ったと言えるわけだ。社会的前進、社会参加
これこそが、悟り。社会的無能者は禅者とはいえない。
>>988 思考停止するからそういうバカなことが起こる。
批判、分別、これがかぎりなく大事。
禅野郎どもは、かならず社会的なことに無関心、
無為、無責任、人任せ、何もできない、何もしない、
社会的無能者のくせして、おおいばりときちゃ、煮ても
焼いてもくえはしない。
>>990 まさしく、そうだよ。思考停止とは、言葉を抜けること、超えること。
それはな、動いているものをカメラでとれば、停まってみえるのと
同じこと。思考と非思考の関係もそれ。思考と思考停止は両方なりたつ
ものでなくてはならない。
992 :
名無しさん@3周年:03/10/13 19:52
禅って、議論に向いてないよね。
993 :
名無しさん@3周年:03/10/13 19:54
ほらな、すぐに無分別に退避しようとする。
一般庶民が、申し訳ありませんが、、、。
埼玉県内で、宗教勧誘ではなく(!)
子供に法話をお話いただける寺院はないでしょうか?
>>992 議論など始めからしていおりませんが、なにか?
996 :
(´;_;`):03/10/13 20:03
>>984はいいこと言ってると思います。
>>987は987さんの中に入ってきた教えを知識としてとらえているばかりに
禅道が見えていないんですよね。おそらく特定の宗派を住持しているから
だと思いますし、ここには学者ばかりで禅僧はほとんどいないようです。
布教も大いに結構。そこで今一度立ち止まって見れば禅とは何かを感じる
ことができるのではないですか?教えも所詮は言葉。されど大事な言葉。
997 :
名無しさん@3周年:03/10/13 20:07
思考≒禅ではない 思考≠禅 間違えぬように
998 :
名無しさん@3周年:03/10/13 20:07
>ほらな、すぐに無分別に退避しようとする。
無分別を濫用すればそうなる
本当の無分別を知らないから、興味の対象となり、その言葉が表象化される
いわく〜〜〜
>分別智と無分別智というのは・・・・
>つまり「相」が違うんだよ。
実際には、真の無分別(智)にはいれば、無分別(智)も何もない
999 :
名無しさん@3周年:03/10/13 20:07
999
1000 :
名無しさん@3周年:03/10/13 20:09
1000
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。