[13299]まず1回目 by.anzenunten 2003年07月08日(火) 01時50分 ■
ガーディアン アンリミテッドっていうWebの日刊新聞見ましたよ
http://www.guardian.co.uk/g2/story/0,3604,637215,00.html 精読してみたけれど半田晴久の見たまんまを率直に語られてしまっているねえ
私が意訳してみましょうか
題:Personal modesty in east-Asian cultures
→東アジア文化の謙虚さ(について)
副題:Why do Japan, China and Korea produce so many egomaniacs? Could it be a lack of criticism?
→なぜ日本や中国や韓国は、病的に自己中心的な人物を多く生み出すのか?
クリティシズム(批評・批判)が(文化として)無いからか?
(解説:これは「儒教的な秩序を重んじる文化が東洋にあるために、人の悪いところ良いところを率直に隠さず評価する、
口に出して言う、ということが少ない」ということを言っているのだと思います)
Last Saturday I was taken by an Italian friend to the worst musical performance I have ever heard in public.
→このあいだの土曜日、私はイタリアの友人に、私が今までに見た中で最低のミュージカルに誘われました
(解説:猛毒きちがいぜんじが「見た中で」ではなく「聞いた中で」だ、とどうでもいい揚げ足をとるでしょうが、
日本的な表現に置き換えれば、「見た中で」の方がしっくりきますのでこれで善し)
In the lovely hall of St John's, Smith Square, the excellent English Chamber Orchestra, conducted by Robin Stapleton,
went through a selection of popular opera arias,
four of them sung by a plump Japanese businessman and spiritual self-help entrepreneur by the name of Haruhisa Handa.
→いい感じのセント・ジョンズホールのスミス・スクエアーで、エクセレントなイギリス人の室内楽団が、
ロビン・ステイプレイトン(どう読むのかは知らない)の指揮で、
ポピュラーなオペラのアリア(旋律)が奏でられ、そのうちの4曲は、
半田晴久というどっしりと太った日本人のビジネスマン兼自己啓発セミナーの事業家が歌っていました
[13300]2回目 by.anzenunten 2003年07月08日(火) 01時52分 ■
Looking a bit like a cheesy entertainer on a Caribbean cruise, Handa growled and mumbled his way through Mozart,
Bellini and Wagner. As the grand finale, the ECO played Continent of Mu, composed by Handa himself.
→見た感じはちょっとしたカリブのクルーズツアーあたりに出てくる三流芸人風の半田氏は、彼のやり方で唸ったりぶつぶつ言ったりしながら、
モーツアルトやベリーニ(読み方知らん)やワーグナーをやっていました
グランドフィナーレでは、ECO(サーカスとかダークダックスとかみたいなグループか?わからん)が半田氏が作曲したという
「ムー大陸」というのを演じました
To call this spectacle(見世物) mediocre(ありふれた 月並みの) would not do justice to this remarkable occasion.
The whole thing was presented by that old maitre d' of the concert scene, Richard Baker OBE.
→このなかなか無いような機会に、言うならば二流のありふれた見世物とも言えるものはふさわしくないものでしょう
コンサート自体はこのホールの案内役であるリチャード・ベーカーOBE(OBEは何かの役職か?)によるものでした
いやあこんな真実がかかれていたとはねえ
まあ普通の人がみればだれでもこうみえるんだね半田氏は
私もそう思えるし
ちょっと熱中してしまいました
続きは気が向いたら「3回目」としてのせますね
[13301]3回目 by.anzenunten 2003年07月08日(火) 07時39分 ■
出勤前にもうちっと書き込み
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Now, I am told Dr Handa (he has several honorary(肩書きだけの) doctorates(博士号)
from various Australian institutions) is a splendid(豪華な) and charitable(慈悲深い) man.
Not only had he paid for the whole evening himself, but the box-office receipts(興行収益) went to the Royal National Institute for the Blind.
Handa has sponsored various educational institutions in Albania, China, Australia, and Britain,
as well as being a patron(後援) to the World Blind Golf Association.
All this is very fine, and it is perhaps not a big deal to put up with(我慢する) his whims(気まぐれ) in return(報いと
して・見返りとして):
singing a new Ave Maria of his own composition to the Pope(ローマ法王) and 60,000 pilgrims(巡礼者) in Rome,
acting in a Noh(お能) play at the United Nations Plaza in New York, or stumbling(つまづきながら・危なっかしく)
through a Tannhauser aria(タンホイザー:ワーグナーの歌劇) in London.
→今、私は半田氏が豪華で慈悲深い男性であると聞かされました(彼はオーストラリアのいろいろな組織からもらった、
いくつかの肩書きだけの博士号を持っています)
彼は今夜のミュージカルの費用を全部肩代わりしただけでなく、興行収入は王立盲人教会に渡しています。
半田氏はアルバニアや中国やオーストラリアやイギリスのいろいろな教育機関と世界盲人ゴルフ教会にも後援をしています。
これらはみないい事です そして、これらの半田氏の気まぐれの見返りに、ローマ法王やローマの6万人の巡礼者の前で
半田氏が自分で作ったアベ・マリアを歌わせてやることや、ニューヨークのユナイテッドネーションプラザ前でお能を披露したり、
危なっかしくてはらはらさせる(程度の出来の)タンホイザーをロンドンで披露するのを、グッと我慢して付き合ってやるに値するものかも知れない
[13303]補足 by.出雲の暇人 2003年07月08日(火) 09時10分 ■
anzenuntenさん
本掲示板における当該記事の第一発見者として補足させていただきます。
Belliniは「ベルリーニ」(シチリア島出身のオペラ作曲家。マニア向け)。
ECOはイギリス室内管弦楽団の略で、名門です。数多くの名演奏がCD化
されてます(今年のMLBオールスターの野茂か石井くらいの位置づけ)。
[13318]その4 by.anzenunten 2003年07月08日(火) 23時13分 ■
I could not help reflecting(思案する), none the less(にもかかわらず),
about the remarkable(顕著な) lack of humility,
the bizarre(奇妙な) shamelessness of such ego-inflationary(インフレ:物価が上がって価格価値が下がること) performances.
A certain sense of perspective(考え方、物の見方) - call it humour -
would surely stop most people from indulging(ふける、耽溺する) in this kind of thing.
Humour is of course the enemy of the kind of enterprise that made Handa's name.
The programme notes informed me that he "has written more than 60 books".
They have such titles as Let Heaven Make Your Fortune, which promises to reveal
how the secrets of the spirit world can direct you "towards the personal and professional success
you feel you deserve(報いとして受けるに足りる)".
→であるにもかかわらず、私は、この奇妙で恥知らずで、エゴのインフレのような(半田氏の)パフォーマンスには、
顕著なヒューマニティー(人間性、人間らしさ)の欠如を感じずにはいられません
(注:ここから数行は難しくて、ニュアンスが間違っているかもしれません)
これは、ある見方をすれば、ユーモアとも言えますが、多くの人が(しらけて)確実にひいてしまうでしょう
半田氏が名を成したこの手の(福祉)事業にとっては、ユーモアというものは(不謹慎で)受け入れられないものであるからです
このミュージカルのパンフレットには、半田氏は60以上の著作があると書いてあります
彼が書いた本の題名は「天があなたを幸運に導く」「個人的に、そして社会的に成功するための、
神霊的世界の秘密(秘伝)を明かす」というもの具合のものです
[13322]その5 by.anzenunten 2003年07月09日(水) 00時21分 ■
Spiritual uplift is a big business in our confused and secular times.
And Handa has invested his money well in real estate, business consultancies and other financial interests.
Apart from advertising himself as a singer, Noh actor, "motivational speaker", artist,
flower-arranger, photographer, calligrapher, Zen priest, and Shinto promoter,
Handa is also the composer of such effusions as Astral Piano Concert,
with "a spiritual resonance that any listener can appreciate",
The Japanese Soul, and Whistling Melody - whistled tunes "produced by an artist at the height of his creative powers".
→精神的高揚は、現在の混乱した非宗教的な時代には大きなビジネスになります
半田氏は彼のお金を不動産やビジネスコンサルタント、その他経済的利益のためにたくさん投資してきました
半田氏が彼自身をシンガー、能の演者、やる気を起こさせる話し手(←いい言い方すぐに考えつかなかった)、
芸術家、華道家、写真家、筆耕(文章で飯を食っている人)、禅坊主、そして神道家あると宣伝していることは置いておいても、
半田氏はまた、星の数のごとくたくさん溢れ出す、神霊との感応によって誰もが感銘するピアノコンサートの作曲家でもあります
日本人の心、口笛のメロディー、口笛の調子は半田氏の高い創造力によって作り出されています
くたびれてきちゃいました フラフラ
間違っていたらすみません
[13323]その6 by.anzenunten 2003年07月09日(水) 07時34分 ■
There is a distinct air of make-believe about all this but, after all,
no one is forced to buy Handa's books or be uplifted by his whistling melodies.
The question running through my mind last Saturday night was this:
why is it that Japan, China, and Korea, where personal modesty is a traditional virtue,
produce a disproportionate number of egomaniacs who buy pages of the New York Times to reveal the mysteries of life,
start new religious cults, or pay people to pretend that they are artistic and intellectual geniuses?
→半田氏の曲にはすべて際立った、偽りの、見せ掛けの雰囲気があり、結局だれも半田氏の本を買うに至らないし、
半田氏の口笛のメロディーで精神的高揚をすることも無い
このあいだの土曜日の夜(半田氏主催のミュージカルの日)に、「なぜ日本や中国や韓国は、つつましさが伝統的美徳であるのに、
ニューヨーク・タイムスのページを買い取って人生の神秘について披露したり、狂信的な新興宗教を始めたり、
芸術家として文化人として天才であるかのように見せかける人たちが、
(つつましさが伝統的美徳とされるには)不釣合いなほど多く排出されるのか」という疑問が頭の中をよぎりました
[13335]その7(今日はこんだけ) by.anzenunten 2003年07月10日(木) 00時46分 ■
Is it because tradition has broken down? Or is it because of a lack of critical culture, especially in Japan?
There are many fine artists, musicians and writers in Japan, but they are rarely exposed to public criticism.
Book, film and music reviews in the press are purely descriptive or read like PR.
→この(半田氏のような人が日本中国韓国で数多く輩出されるという)ことは、東洋文化の伝統が崩壊したために起こってい
るのでしょうか?
あるいは、批判批評という文化が東洋に、特に日本に、無いことによるものなのでしょうか?
日本には優れたミュージシャンや作家が数多くいますが、彼らが外部の批判にさらされることはほとんどありません
日本の新聞の中での本や映画や曲の論評は、純粋に作品の説明か、作品のPRです
[13356]その8 by.anzenunten 2003年07月10日(木) 23時29分 ■
anzenunten苦戦中
今回の部分は訳が難しいです
かなり間違っていると思います
でも書き込みます
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This means that anyone in a position of power can make a fool of himself without fear of ridicule.
Perhaps it is not that, however. Perhaps it is because personal modesty in east-Asian cultures is mainly social,
and not metaphysical, as it were. If there is no God, but many gods, it is easier, maybe,
for human beings to believe that they can count themselves among them.
→これ(つつましさがない人が日本中国韓国にたくさん現れること)は、権力など力のある位置・立場にいる人が、
他人にあざけり笑われること(批判・批評)が無いために、バカなことをしてしまうことを意味します
が、半田氏の場合はそうではないでしょう
これはたぶん、東アジアの文化における個人としてのつつましさは、もともとかつてそうであったように社会的な現実的なものであり、
理論だけの抽象的なものではないからです
(下の一文はちょっと難しくてあやふやです)
もし神がいないのではなく、たくさんいるのであれば、多くの人(社会)の中で自分が社会の一員であることを自覚するのは、
おそらく、人間にとって難しいことではないでしょう
(解説:ようするに、半田氏の厚顔無恥にでしゃばって出ることは、東洋文化のつつましさの崩壊とは別の理由であるということか?)
(続き)
I don't really know the answer. But once the ego is released by power, fame and money,
it can quickly grow to monstrous proportions. This is true everywhere, but especially in east Asia.
There is no evidence that Handa is a monster. In the world of spiritual mumbo-jumbo he is probably
at the harmless end, and his charity is beyond doubt.
→私には、正しい答えはわからないが、しかしいったん自我・エゴというものが権力や名声や財力によって放たれてしまうと、
自我・エゴはすごい勢いで強くなっていってしまいます
このことは、世界中でどこでも起こることですが、特に東アジアで顕著です
半田氏が化け物である証拠はどこにもありません
半田氏はこの精神的なわけのわからぬ宗教儀式のようなミュージカルを無難に終えて、
この半田氏の慈善事業(→このミュージカルのこと)は「変だ」という疑いも、なんとか乗り越えることができました
13424]その9(最終回) by.anzenunten 2003年07月12日(土) 09時40分 ■
And yet I found it a slightly humiliating(屈辱的な) experience to watch this generous(気前のよい) buffoon(道化師) perform with a distinguished orchestra.
It made a nonsense of artistic standards. We were watching a rich man's fantasy and had to pretend to enjoy it,
just because he throws his money around. This may have done wonders for the blind, but was an insult to those who genuinely love music.
→しかし、私はこの気前のよい(=寄付でお金をばら撒いているから)道化師(=半田氏のこと)が、優れたオーケストラといっしょに演ずるのをみてて、少々むっとしました
この組み合わせはこのミュージカルの芸術性を高めるのに、なんの効果もありませんでした
私たち参加者は、金持ち(半田氏)の気まぐれを見て、そして彼が彼のお金を周囲にばら撒くようにと、
その気まぐれを楽しんでいるフリをしなければならなかったのです
このミュージカルは、音楽やミュージカルに興味が無い人には素晴らしく映ったかもしれませんが、
音楽を愛する人にとっては屈辱でした
[13522]あっはっはっはっは by.北斗の券 2003年07月12日(土) 18時34分 ■
原文も面白かったよ。
[13523]この文章気に入ったよ by.北斗の券 2003年07月12日(土) 19時14分 ■
But once the ego is released by power, fame and money,
it can quickly grow to monstrous proportions
[13431]半田さん、もうウソはだめだよ by.anzenunten 2003年07月12日(土) 09時59分 ■
日本人、つまりワールドメイト会員の前ではご利益をえさにあの半田氏の最低の旦那芸にお金を払ってつき合わせて、
海外では日本で稼いだお金をえさにして旦那芸につき合わさせている実態が浮かんできました
彼の芸を素晴らしいと言ってのける人は、この海外の記事の最後で言っているとおり、
芸術など全くわからない人(原文では盲人という言い方をしています)で、
要するにご利益欲しさに盲信している人ですね
ご利益のためなら誰に迷惑をかけても平気
そう猛毒きちがいぜんじたちですね
もともとこういう猛毒たちは猛毒きちがいな素地があるんですね
その素地のひとつが「芸術がわからない」ということですね
今回の鹿島でも、半田氏の幼稚園児並の鯨の絵を見て喜んでいるんでしょうからねえ
芸術がわからないのは半田氏もですねそうゆう意味では
私も半田氏のウソの数々がわかるまでは盲目でしたが