>>709 続き 『キリスト者の戦い』
P207「もう一つの重大な誤りは、「救いの確信」の教理を完全に否定していることである。
救いの確信の教理ほど輝かしいものは無い。ローマ人への手紙にはっきりと言明されている。
「ローマ8:16 私たちが神の子どもであることは、
御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。」
しかし、ローマ・カトリック教会はそれを完全に否定する。
洗礼によって現在は帳消しにされ、義とされ、神に対して正しい状態になる」という。
「プロテスタントの教えはイエス・キリストの血がいっさいの罪と不義から私たちを
きよめるというものである。すなわち、十字架上でイエス・キリストがなしたことは、
私たちの過去の罪、現在の罪、未来の罪を贖う。この一回の行為は十分なものであった。
ローマ・カトリシズムは、それでは不十分であるという。洗礼後の罪は違ったものである。
司祭のもとへ行き、告白しなければならない。司祭だけがそれを処理できる。」
P208「キリストの御業は十分でないとして、このようにあらゆる方法で補われてきた。」
「その結果、(カトリックの)人は無知と迷信の状態に縛られている」