聖書が唯一の信仰基準なんて誰が決めた?

このエントリーをはてなブックマークに追加
708 ◆IbYG6dQTTc
英国福音派を代表するD.M.ロイドジョンズ牧師は
エペソ書講解説教『キリスト者の戦い』(いのちのことば社)の中で、
異端、背教、ローマ・カトリックの問題について取り扱っている。

p194「なぜ、カトリック教会を考察しなければならないのか。
一つは、カトリック教会の成立を知らなければ、
過去の教会史や世俗の歴史を本当には理解出来ないからである。」
P205「彼ら(カトリック)はイエスの位置を奪うだけはなく、
イエスが提供している偉大な救いの栄光と完全性を引き下げている。
信仰による義認に関する教えである。ルターが言ったように、
これは「教会が立つか倒れるかの試金石」であり、
プロテスタンティズムの全栄光がこれにかかっている。」
「重大なのはローマ・カトリシズムが義認は結局洗礼の結果であると教えていることである。
その結果彼らは信仰のみによる義認の教えを、危険な異端として公然と批判する。」
P206「聖書は「神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのイエス・キリストです。」と
言っている。ところがローマ・カトリシズムでは、マリヤ、教皇、司祭およびすべての聖人たちが
ことごとく必要である。もっとも重要な義認の教理に対してカトリックが虚偽を教えていると
私がいうゆえんである。」
709 ◆IbYG6dQTTc :05/02/06 21:56:10 ID:o6ksYhvn
>>709 続き 『キリスト者の戦い』
P207「もう一つの重大な誤りは、「救いの確信」の教理を完全に否定していることである。
救いの確信の教理ほど輝かしいものは無い。ローマ人への手紙にはっきりと言明されている。
「ローマ8:16 私たちが神の子どもであることは、
御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。」
しかし、ローマ・カトリック教会はそれを完全に否定する。
洗礼によって現在は帳消しにされ、義とされ、神に対して正しい状態になる」という。
「プロテスタントの教えはイエス・キリストの血がいっさいの罪と不義から私たちを
きよめるというものである。すなわち、十字架上でイエス・キリストがなしたことは、
私たちの過去の罪、現在の罪、未来の罪を贖う。この一回の行為は十分なものであった。
ローマ・カトリシズムは、それでは不十分であるという。洗礼後の罪は違ったものである。
司祭のもとへ行き、告白しなければならない。司祭だけがそれを処理できる。」
P208「キリストの御業は十分でないとして、このようにあらゆる方法で補われてきた。」
「その結果、(カトリックの)人は無知と迷信の状態に縛られている」