聖書が唯一の信仰基準なんて誰が決めた?

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>>58
まさにそこが、カトリックとプロテスタントの違うところ。

○カトリック・・・聖書と聖伝。
○プロテスタント・・・聖書のみ。

つまり、「聖書が唯一の信仰の基準」というのは、プロテスタントの立場。
もっと言うと、ルター派はそのように主張するけど、
改革派・長老派(カルバンの系統)は、聖書と共に信条、と言っているようにも見える。
ただし、聖書と信条とは、相反するものではないことは、上に書いたとおり。

カトリックが言う「聖伝」は、全て古代の信条と聖書の中に記されていると、
プロテスタントは考えるわけ。
それは、事柄そのものが記されているのではなく、その神学というか、教理が、
聖書には内包されているが故に、聖書(と信条)以外の伝統(あるいは聖伝)を、
プロテスタントは退けるわけだ。

ではなぜ、プロテスタントがそのような考え方をするのかというと、
聖書に「明らかに」記されてはいない伝統を、カトリックでは聖伝として守ることが、
間違っていると、考えるわけなんだ。
それは、上に書いた理由で、信条にも反する、つまり、使徒伝承に反する、というわけ。
例えば、聖人崇拝、マリア崇敬など。

だから、他のスレなどで、マリア崇敬が間違いとか正しいとか議論されているけど、
あの議論そのものが、おかしいと言えばおかしいんだ。
基本としている事柄が、全く違っているのだから。