「ひな形」,つまり清平を見ると天国がどんなところか大体想像がつく。
天国と言う言葉から,どんな素敵な世界だろうと思いを巡らせるものではありますが,
それは実は単なる思い込みに過ぎなくて,「天国」と看板のかかった場所に行ったって,
自分自身というものがなければ,そこは物凄く居心地の悪い場所になってしまう。
清平にはいつの間にか,大きくてきれいな建物が立ち並び,道路はすっかり鋪装された。
山に登る道のりもずいぶんと歩きやすくなった。でもそれらは自然に出来上がったのではなく,
誰かが石を運び,土を掻きながら徐々に作ってきたものなんだ。
食堂や寝床では,自分のことは自分でするというのが当たり前。でも,お年寄りには手を
貸してあげよう。障害をもった人には手を貸すのが当たり前,かどうかは実は微妙だ。
困っているように見えたら,声をかけてみるというのが現実的な解だろう。
当たり前のことを当たり前にできますか,という話に過ぎないんだと思う。
なんでもない時には,できて当然だろうさ。でも,体の具合の悪い時,気分の悪い時,
やる気の起きない時,いろんな肉欲に流されそうな時,そういったいろんな時にも,
同じように行動できるかどうか。そういうことなんだと思うんです。
日常生活の中ではいろんな要素が絡んでくるからね。清平という場所で少し世の中の
いろんなことと隔たった環境で,自分自身というのを見つめるということで。