なんだったのでしょうか。
とあるHPで見ました。国民の90%は仏式で葬儀をあげるそうです。
以外と神式の葬儀は少ないのですね。
皇族は神式なので、今現在、神式で葬儀をする家は皇族側近や武家や公家、神社の子孫がやはり多いのでしょうか。
人口も昔より増加してますので、それなりに比例してるのも理解出来ます。
神社・教派神道以外の神式っぽい宗教もありますので全てが純粋な神式とは言い難いですが。
255 :
名無しさん@3周年:04/02/14 21:12
大阪の20万人以下の市ですが、そこの葬儀場によると、一年のうち天理は時々あるけど、
金光や黒住はほとんどしたことがないそうです。人口比で想像つきますが。
256 :
名無しさん@3周年:04/02/14 22:07
>>254 阪本是丸が神葬祭について書いた論文を読んだことありますが、江戸時
代以前は神職すらも葬儀はほとんど仏式で行なっていたそうです。天皇
家も孝明天皇までは仏式でした。
明治維新後もしばらくは、神葬祭がキリスト教徒の隠れ蓑になることを恐
れた新政府は神葬祭普及には消極的でした。神葬祭が広がったとしても
その後ということになりますから、「元来神葬祭はほぼ無から出発したの
だから、いくら普及されたといっても葬儀全体の絶対数から見ればわず
かなものであったともいえよう」(阪本)ということになります。
257 :
名無しさん@3周年:04/02/15 00:17
てか、明治大帝は南朝の末裔って説も以前観たけど、
神葬祭はいいんだが、京都から出たことが決定的間違いなのでは?
あと、ほんの少しでも修験道くらい解禁にしとけば良かったのかも、
列強との不平等条約が是正された明治後期か大正前期に、
日本海軍が絶望的戦いをしている大戦後期の昭和18年頃には、
鞍馬とか生駒とかの名前の付いた空母が出てくるんだよ。
川面さんあたりが東京西部を呪的防備都市にしようと提唱もしていたようなのだが、
皮肉なのは今は別の団体のそれなのだな、
神前結婚式だって明治以降だろう。
へぇ〜。
私の家の過去帳(とはうちでは呼びませんが)をしらべました。
明治以前の私の家は、氏子総代や神官をしており、また総代→神職の繰り返しで、もともと片田舎の神社出身の様で、上記とはやはり違い、神式の葬儀を行っていました。
神社葬というやつでしょうか?
明治以前でも神式葬はあるようです。
260 :
名無しさん@3周年:04/02/15 04:41
>明治以前でも神式葬はあるようです。
詳細きぼんぬ。 いつ頃の話ですか? 幕末以前?
それとも寺内社だったとか?
262 :
名無しさん@3周年:04/02/15 10:28
263 :
名無しさん@3周年:04/02/15 22:40
「天の時至れるなり。起て、光玉と名のれ。手をかざせ。厳しき世
となるべし。」(昭和34年2月27日神示)
「神火玉(弾)造りさせて、アチコチ火噴かん。...霊の界、火、日、
陽出づる故、暗きを好む邪の魂霊は、段々にアガキきつくならん。
従って、いよよ地はゴタゴタ、メチャメチャの事次々起こるよう
になりて危なし危なし。オロシ器にかかる大根に等し。」
(昭和38年8月15日神示)
「幾億年目の大ヒックリ返し、神が致すを以って、凡て古きは捨て、
新しき改まりたるマコト神の子文明期へ進ましむる大仕事へ切り換
え致す訳なるも、人間界にはそれに対する手立てだになき時の到来
を「終末」と申せしなり。」(昭和36年8月20日神示)
「火の洗礼、大アガナヒを受くべし。モウシェ、ヨハネ、イエスの伝
えし神裁き火の洗礼の戒めも、この天の時を予告せしめしなり。」
(昭和34年5月30日神示)
「霊界のゲヘナの火はいよよ盛り燃えて、焦熱地獄の蓋吹き飛ばし、
大口あきたる中に陥り行かん。」(昭和36年8月20日神示)
264 :
名無しさん@3周年:04/02/15 22:52
「霊界のゲヘナの火はいよよ燃え盛り行くなれば、やがて地倉の蓋も地獄
の蓋も一度に一緒に吹きとばし、大口あきし中に墜ち行くキタナキ魂ウヨ
ウヨ。」(昭和36年8月20日神示)
地主&神社→総代→銀行とやっていたらしく、もちろん明治以前の事細かく分類された時代の記録があります。
日本昔話に出てきそうな名前がたくさん(藁。
大昔ウチに借金を返さないまま今に至る子孫もチラホラ。
土地を借りたまま、今や自分の土地みたいになってる記録もあります(藁。
地域の地主や神社後に銀行をしていたため、地域葬儀??を自分の神社でやってたみたいです。そこにははっきり神式葬と記載されていますね。うちは仏教と無縁なのでしょうか。
私が思うに神式葬儀は5%以下ではないでしょうか?
266 :
名無しさん@3周年:04/02/23 20:43
久しぶりにage
267 :
名無しさん@3周年:04/02/27 03:44
ハロワ行ったら木曾御嶽本教の神職のバイトの募集があった。
・・・神職ってバイトでいいのか?
面白そうだから応募してみようかな。
教派神道、神習教というのは、桜神宮が本拠地の様ですが、地方支部や教会というのは無いのでしょうか?
規模がどの程度なのか解りませんが、各地域の神社が法人独立したのと似てますね。
情報を希望
269 :
名無しさん@3周年:04/03/10 10:37
神社のおみくじって当たりますか?
270 :
名無しさん@3周年:04/03/10 12:27
!!!募集!!!
日本の一番中心の神はいったい誰なんでしょうか
神名をあげてくれませんか
271 :
名無しさん@3周年:04/03/10 16:17
阪神
273 :
名無しさん@3周年:04/03/13 23:28
西神中央
名神!(高速)
275 :
名無しさん@3周年:04/03/15 10:36
第二神明!(道路)
276 :
だじゃれ大会:04/03/15 19:07
ゴーストスィーパー美神
277 :
名無しさん@3周年:04/03/15 20:26
>>256 江戸幕府が檀家制度によってほぼ全ての日本人を仏教徒にしたのですから
現在も仏式の葬祭が主流なのは当然でしょうね。
明治天皇から神葬式になりましたが
明治天皇の父君、孝明天皇は熱心に黒住教を信仰したそうです。
京都の宗忠神社は唯一の勅願所になっていたそうですし。
ひょっとしたらそんな影響があったかも
国家神道から最初に独立できたのも黒住教が最初ですし。
昔は東の禊、西の黒住と言われていましたが・・・今は・・・
ちなみに黄門様で有名な水戸光圀公は幕府に逆らい
奥様を神葬祭で送ったとか
278 :
名無しさん@3周年:04/03/16 00:12
>>277 その光圀公が執り行った神葬祭って、どんな形式だったのでしょうか?
江戸時代以前の神道にはそもそも死生観についてまとまった構想が見られ
ないようですし、神式の葬祭がどこまで遡れるのか、興味のあるところです。
279 :
名無しさん@3周年:04/03/16 08:31
>>278 良く調べ直したら神葬祭というのは正確ではありませんでした。
幕府への気遣いもあってか仏式を排除した
「本朝の礼を挙げて以って儒礼を兼ねた」ものであったそうです。
光圀公は「神道集成」の編纂を始め領内の神道化を進めていたそうです。
神職はその家族まで神葬祭を執り行って良いとしたそうですが
光圀公が亡くなった後は結局幕府の圧力で神職も仏葬式になったとのこと
江戸時代は神道で葬式をだすのは命がけ(!?)
「四禮の研究」近藤啓吾著、臨川書店に詳しいです。
280 :
名無しさん@3周年:04/03/16 09:20
>>279 ありがとー!自分でも調べてみます。
水戸藩の神仏分離もその辺からつながる部分がありそうですね。
281 :
名無しさん@3周年:04/03/16 09:26
四禮の研究 : 冠婚葬祭儀禮の沿革と意義 / 近藤啓吾著<シレイ ノ ケンキュ
ウ : カンコンソウサイ ギレイ ノ エンカク ト イギ>. -- (BA62385575)
京都 : 臨川書店, 2003.5
233p ; 22cm
注記: 附載「漢土の古典に見える神事の酒」ほか: p[147]-202 ; 翻刻『家
禮冠婚師説』(若林強齋述): p211-233
ISBN: 4653037590
別タイトル: 四礼の研究 : 冠婚葬祭儀礼の沿革と意義 ; 家禮冠婚師説
著者標目: 近藤, 啓吾(1921-)<コンドウ, ケイゴ>
分類: NDC9 : 385
件名: 冠婚葬祭
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BA62385575
おっ。良く知る人の名前が著者として出てる。