何故、神は悪魔の存在のをだろう?

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1名無しさん@3周年
創世記でのアダムとエバは「悪魔」に騙され、罪を犯した。
じゃあ何故神は悪魔と言う存在を許したのだろう?
創世記でも、神は世界を作った時、神は
「神はこれを喜んだ」、と書いてあった。
つまり、神は(当たり前だけど)彼等に罪を犯してほしくなかった
なのに何故、罪の原因をそこに置いたのか。
神はこのことを知っていたはずなのに・・・
2名無しさん@3周年:03/08/03 22:28
>>1
スレタイが・・・
3名無しさん@3周年:03/08/03 22:29
時には悪魔も必要さ!
4名無しさん@3周年:03/08/03 22:30
どんなとき?

あと、題名まちがえて打ってしまいました、すみません
5名無しさん@3周年:03/08/03 22:40
さて、ヨブ記読むか。。
6名無しさん@3周年:03/08/03 22:46
悪魔なんていませんよ。
7名無しさん@3周年:03/08/03 22:47
>>1(=>>4?)
悪魔を何だと思ってる?
8名無しさん@3周年:03/08/03 22:47
妄想です
9名無しさん@3周年:03/08/03 22:50
>>1

それは、主に従う者と従わない者を分けるためです。
終わりの日に、主は従わない者を滅ぼされることで主の永遠の栄光と勝利を示されます。
10名無しさん@3周年:03/08/03 23:05
これで終わり?
11名無しさん@3周年:03/08/03 23:12
「神=善」「悪魔=悪」という構図を維持するため。
相対的で相補的な概念。善という概念は悪という
概念が無いと成立しない。悪という概念も善という
概念が無いと成立しない。

つまり、神は善であり続けるために、悪である悪魔の
存在を許している。
12名無しさん@3周年:03/08/03 23:28
究極神はその内部に悪魔を存在させている。悪の存在は炎に対するススのように発生した。余りに汚れがひどくなり悪が主軸になった時に浄化が起こる。
13名無しさん@3周年:03/08/03 23:34
難しくなってきた・・・

>相対的で相補的な概念。

これには懐疑的だな。善と悪は相反する物ではない。善なる行いをする時も
悪が必要になるときもある。キリスト教的概念だけで話するとなると
ヘーゲルを勉強してこなくちゃならないが。

>つまり、神は善であり続けるために、悪である悪魔の
>存在を許している。

これでは主人公を正義の味方にする為に悪の組織を登場させるようなものでは
ないか?
14No.13:03/08/03 23:44
>>13
>キリスト教的概念だけで話するとなると
>ヘーゲルを勉強してこなくちゃならないが。

これは俺がってこと
15名無しさん@3周年:03/08/03 23:50
創造や破壊の働きがないと宇宙は維持できん
ルシファーやアーリマンという存在も不可欠だ
キリスト教は厨房理解から抜け出さないとおかしなことになってしまう
キリスト教会は西洋神学をビジネスに利用している
正統な神学を実にくだらん安物に作りかえて満足している
キリスト信者の偶像的な信仰態度こそ最大の異端だ
16名無しさん@3周年:03/08/03 23:51
>>1
悪魔って架空のものでしょ。
17名無しさん@3周年:03/08/03 23:53
悪魔の創造はキリスト教が犯した最大の功罪である。
18名無しさん@3周年:03/08/03 23:54
じつは悪魔は神よりも強いんだ。もしくは神と対等にわたりあっていけるぐらい強いのだ。
聖書は親“神”派の立場から書かれているから悪魔の存在とかその存在理由について曖昧にしか語れない。
ということなのではないのかな。
19名無しさん@3周年:03/08/03 23:55
いわゆる悪魔と言葉を置き換えて呼ばれる善悪の悪。
この悪の特性には、永遠性、継続性がない。
20名無しさん@3周年:03/08/03 23:57
悪魔は妄想。
悪魔は幻想。
悪魔は存在しない。
21名無しさん@3周年:03/08/04 00:07
神々の怒りを知れ!
グリフォンよ、おまえの命運は尽きた!
22名無しさん@3周年:03/08/04 00:20
悪魔とは神の属性の現れにすぎない。だからこそ存在できる。
23名無しさん@3周年:03/08/04 00:27
>>22
たしかに。
普遍性はないが、神の属性。
24名無しさん@3周年:03/08/04 01:03
神は禅も悪も含む
25名無しさん@3周年:03/08/04 21:19
>13

>善と悪は相反する物ではない。

その方が懐疑的。。。

>善なる行いをする時も悪が必要になるときもある。

その表現自体が善悪相反している。

>これでは主人公を正義の味方にする為に悪の組織を登場させるようなものでは
> ないか?

そうそう!それそれ!
じゃないと信者を獲得できないから。
悪魔はだいたい、異教の神々なんだよね。
26名無しさん@3周年:03/08/04 21:28
>24

神が善も悪も含むとすれば、悪は悪魔でしょ?
善は?天使?
天使は神の使いだから、神も善サイドじゃない?
ってか、ハルマゲドンの善悪の戦いでは、
やっぱり神は善サイドだよなー。
それともジャッジで勝敗を決める役か?
27名無しさん@3周年:03/08/04 21:55
>>26

いや、聖書を読んでいると、神こそが悪、という気がしてくるよ・・・。
破壊と殺戮を繰り返し、嫉妬と異常なまでの憎悪・凶悪性を隠そうともしない性格・・・。
あれは、文字通りの悪魔だ

ハルマゲドンは、神がすべてを滅ぼして自分に服従する者だけをあつめた王国を作り、従わない者を永遠に苦しめるためのものだしね。
28名無しさん@3周年:03/08/05 03:38
神は悪魔です。悪魔はまた神にもなります。
というか表裏一体。
29No.13:03/08/05 15:50
>>25
>そうそう!それそれ!
>じゃないと信者を獲得できないから。
>悪魔はだいたい、異教の神々なんだよね。

そこまで言われると納得。

>>27
ソドムの話を聞いた時
神様が核兵器使っていいのか?
と思ったよ。(核兵器その物じゃないんだろうがそれっぽいので)
30名無しさん@3周年:03/08/05 17:03
>>29
核兵器ではなく、流星などに見られる隕石の衝突がリアリティがあるぞ。
31名無しさん@3周年:03/08/05 17:04
32名無しさん@3周年:03/08/05 17:19
神と魔物は表裏一体という気がする。
同じように、人間も善と悪との共同体でしかない。
完全な善もあり得ないし、完全な悪も存在しない。
この世界には。

どんな神父にでも悪の面が存在し、どんな悪人
にも正しい面が存在している。

完全なものなど存在しないのだ。
33名無しさん@3周年:03/08/05 17:26
>>32
妄想には付き合ってられません
34名無しさん@3周年:03/08/05 22:08
>32
その「表裏一体」を「相対的で相補的」と言ったわけです。
善が無ければ悪も無いし、悪が無ければ善も無い。
善悪ワンセットで完全な存在となるわけです。
善悪を知る木の実を食べたとは、そういうことです。
そういう相対的で相補的な概念が存在の条件となる世界に
人間は追放されたんです。

「完全なものなど存在しない」というのは、善や悪だけの塊みたいな
ものを「完全」と言っているのでしょうが、そういうものは元々この世界
には存在できません。善悪両方を含んでこそ「完全」で、この世界に
存在できることになります。逆に、一つの存在を観察したときに、
善と悪の両面が見えてしまうという世界でもあります。これは観察
する側にも問題ありで、善や悪、好き嫌いという本人の主観を
通して観察しています。善悪を知る木の実を食べたから。そういう
主観を超えた見地から物事を観察できるようになると、観自在
になります。
3532です:03/08/06 04:43
>>34
ありがとう。参考になりました。
36名無しさん@3周年:03/08/06 15:18
違うな。この世に悪など存在しない。
なぜなら、現時点の価値観で「悪」と見なされているものも、「悪」の側からすれば自分達は
「善」なのだから。
故にこの世は複数の「善」のみしか存在しない。
正義も同じこと。複数の異なる「正義」が互いに争っているだけにすぎない。
お互いの価値観がそれぞれ異なるから、異なる対象を「悪」と定義つけているだけ。
本当はこの世に悪など存在しないのさ。無論、神もな。
37名無しさん@3周年:03/08/06 16:02
>>36
それは云えるんですけど、その考えが通用するのは「ノンクリ」の世界のみかもしれません。

聖書的観点からすれば、「妬みとか、そしり、怒り、憎しみ、云々・・・」は
明確に「悪」と定義づけされている気がするんですけど・・・。
38名無しさん@3周年:03/08/06 16:51
>>37
聖書を基準にすればそれは正しいさ。
現実を基準にすれば>>36の方が理に叶っている。
キリストの神さんが完全モーマンタイな超スーパー正義だと誰が証明するかといえば
信者だけだからな。
39名無しさん@3周年:03/08/06 16:54
>>37
それは、あなたが聖書原理主義に浸っているからだよ。
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41名無しさん@3周年:03/08/06 21:16
>36

つまり、ある組織にとっては、自分達を善や正義として他を悪
とすることで、その組織がこの世界に存在できるようになる
わけです。本当の悪が無くても概念的に定義が必要なわけで、
じゃないと善や正義を主張できなくなります。

本当はこの世に悪など存在しないというのは理想ですが、
善や正義がある限り、悪も存在するでしょう。悪が無ければ
善も無くなります。相対的で相補的な概念で構成される
この世界の掟です。すべての相対的相補的概念が
無くなれば、この世界も概念上、無くなるでしょう。
定義できなくなります。この状態が不思議解脱です。
相対的相補的概念の両極の差を取る=差取る=悟る
と言われています。中観であり、空であり、中論の縁起を
理解したことになります。ちなみに、善があって悪がある
のは縁起です。
42名無しさん@3周年:03/08/07 02:15
良スレ。
43名無しさん@3周年:03/08/07 04:06
>>1
罪の原因ってなんですか?
44名無しさん@3周年:03/08/07 07:14
>>43

人類の始祖であるアダムが神に従わなかったこと。
一人の不服従によって、神はすべての人類を罪と定められました。
45名無しさん@3周年:03/08/07 08:17
参考になるかどうか判らないけど、
エドガー・ケイシーか誰かが
ルシファーは地上では悪魔として働くけど、
死後は魂を導く力として働くって読んだことあるよ。

で、地上で神や宇宙との一体感を育て無かった者は
死後ルシファーの力を借りて進む。
で、転生後も一心にルシファーとの結合を望むから
頭がよければ霊能力を持つらしいが、これは
神へ立ち返るためのチャンスらしい・・・

ま、僕も良くわかんないけど(- -;
46名無しさん@3周年:03/08/07 09:10
>>41
つーか、人類社会に絶対的に必要なモノは敵だからな。
敵がある以上、それに反対する自分は正義ということさね。
47名無しさん@3周年:03/08/07 09:28
>>1
その問題は普通に考えればずっと頭をもたげるね。
漏れは現実見れば悪が存在してないというのは
おかしい。だから悪魔を創ったと考える?
ん?言ってる事分からない?えっと神様が現実を
見たときこれは悪魔を創らなきゃ人間には理解できないだろうと
考え、悪魔を創った。それでも神は創造主・・
48名無しさん@3周年:03/08/07 17:41
ルシファーはキチガイ。死ね! クタバレ! 地獄で一人で暮らせっ!
みんなに愛されまくっちゃってる、天使ミカエルを見習えっ! 
まぁー、嫉妬することしか脳のない餓鬼畜生だから無理か・・・。
クサレ外道の劣等感の塊が・・・。

ルシファーよ・・・みっともなくて哀れな奴メ!

「おぉー、神よ。あなたの慈悲深さはよくわかりました。でも、もういいです
。世界のくず、嫌われ者、いたずらっ子のルシファーのアフォは、もう逝っちゃって
ください。お願いします」
49名無しさん@3周年:03/08/07 17:44
>>44
それって歴史上において、事実なの?
それとも誰かさんがお造りになったお伽話ですか?
50名無しさん@3周年:03/08/07 18:11
    |┃三   人      _____________
    |┃   (_ )    /
    |┃ ≡ (__) <  >1 糞スレ立てるな、蛆虫。氏ね。
____.|ミ\__( ・∀・)  \
    |┃=__    \    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    |┃ ≡ )  人 \ ガラッ
51名無しさん@3周年:03/08/07 19:02
>>49

聖書に書いてある「お伽話」だよ。
52名無しさん@3周年:03/08/07 19:42
創造主もそうなんですけど、イエス・キリストも「ユダが自分を裏切る」ことと
、「ペテロが三度否定する」ことも、あらかじめ知っていたわけですよね。
それから「自分が磔にされる」ことも・・・。

イエスは、「何故に、彼らを ほったらかした」のだろうか?


マタイによる福音書26の21  
   そして、一同が食事をしているとき言われた「特にあなたがたに言って
   おくが、あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」。

ヨハネによる福音書13の11  
   イエスは自分を裏切る者を知っておられた。それで、「みんながきれい
   なのではない」と言われたのである。

ヨハネによる福音書13の27  
   この一きれの食物を受けるやいなや、サタンがユダにはいった。
   そこでイエスは彼に言われた、「しようとしていることを、今すぐするがよい」。

ヨハネによる福音書6の64
   しかし、あなたがたの中には信じない者がいる」。イエスは、初めから、
   だれが信じないか、また、だれが彼を裏切るかを知っておられたのである。


う〜〜む?? なぞは、深まるばかり・・・。
53名無しさん@3周年:03/08/07 19:49
しかしなぁ、人が罪を犯す状況を作ってしまったのは神だぞ
(管理責任)
神の罪はどう処理すんだ?
54名無しさん@3周年:03/08/08 00:18
>>53
死刑。
55名無しさん@3周年:03/08/08 11:47
神にしてみりゃ
「あ、失敗した。でも捨てちゃうのも勿体無いなー」
くらいのもんだろ、人類なんて
56名無しさん@3周年:03/08/08 12:09
>>53
罪を犯す状況を作ってしまったのは人間だよ。
自然界の秩序は完璧。自然を欲望の為に破壊するのが人間。
57名無しさん@3周年:03/08/08 12:16
>>56
人類を生んでしまった時点で既に、完璧とは言いがたい
58名無しさん@3周年:03/08/08 12:26
>>57
人類は精神的進化の途上だから。
精神的進化は個人の努力によって達成されるものだと思うよ。
59名無しさん@3周年:03/08/08 12:48
ドラマには敵役がいなきゃ成り立たないよ。
はじめからめでたしめでたしじゃあ、話しが続かないもんね。
ということで神が自分が楽しむために作ったキャラが悪魔。
それに悪魔に翻弄されるおもちゃのようななさけないキャラ
もいないと、悪魔を作った意味もないことになってしまう。
それが人間だろ。
60名無しさん@3周年:03/08/08 12:50
>>59
人間が自分で楽しむために作ったキャラが悪魔なんだけどね
61名無しさん@3周年:03/08/08 18:15
人間に罪があるというのは、悪魔と同様に幻想である。
それでも尚、罪を唱える者は幻覚者であり、中毒患者である。
62名無しさん@3周年:03/08/08 19:00
    |┃三   人      _____________
    |┃   (_ )    /
    |┃ ≡ (__) <  >1 糞スレ立てるな、蛆虫。氏ね。
____.|ミ\__( ・∀・)  \
    |┃=__    \    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    |┃ ≡ )  人 \ ガラッ
63名無しさん@3周年:03/08/08 19:10
>>56
>罪を犯す状況を作ってしまったのは人間だよ。
自然界の秩序は完璧。自然を欲望の為に破壊するのが人間。

人間が万物を創造したのではありません、
人間が悪魔のエデンへの進入を許したのではありません、
人間が禁断の実のなる木を近くに置いたのではありません

聖書の世界は自然の力が支配する世界ではありません
生存本能の延長上に自然破壊はあります、欲望を捨てられれば自然が維持
できると思っているのなら大きな間違いです、増えすぎた人間の存在自体
が自然を傷つけているのです、

人間の活動による自然界への恩恵など何一つありません、
違うと言うのなら反論どうぞ >>56
64名無しさん@3周年:03/08/08 19:14
>>1
そんなこと考える必要なし。
とにかく神がいて、悪魔がいる。
神を信じて、悪魔の誘惑を避ければよし。
屁理屈は身を滅ぼす。
65マルティン・ルター:03/08/08 19:17
>>64
そして悪魔とは自分に都合の悪い人間の中にいるんだよね
66名無しさん@3周年:03/08/08 19:25
本来なら元教会員に対して「たくさんの苦労をされてお疲れ様でした」と
言うはずなのに、今活動をしてないからといって誹謗中傷・暴言を吐くのは
現信者として恥ずかしい行為です。
今のあなた達よりもっと大変な活動をしてきたはずなのに今までの教会を
支え築いてきたのに元信者というだけでどうしてそんなに罵声を浴びせる
のか私には理解できません。
中には見旨のために体を壊し現場に戻れない信者もたくさんいます。
そんな人達にさえ愛のある言葉をかけられないなんて余程今の教会自体にも
愛が無いんだとつくづく思います。結果じゃなくて心情復帰ですよ。
今日一日歩んでどんな心情を復帰したかが重要なんですよ。
67名無しさん@3周年:03/08/08 19:39
>>63

>56がおっしゃりたいのは、「人間界の秩序は不自然」ということじゃないかな。
他人を傷つけて悦びを感じるのは変態(不自然)だけど、当然のように平気な顔してるやつもいるよ。
しかし聖書では、「自分を愛すように他人を愛せ」といっている。聖書から学ぶことは多い。

どう考えてもこれが、人間にとって「自然な姿」だと思う。
68正論:03/08/08 21:00
>>321         
顕正会はある意味道徳教育です。
それは以前誰かが述べたのですが、現在の法律では罪に対する罰の基準が曖昧で、なぜこの容疑者
は死刑なのかとかはほとんど過去の例を参考に決めています。
しかし、仏法は罪に対しそれ相応の罰が当たります。罪に対する重さが明確に理解できるのです。
では聞きますが顕正会を学校教育に取り入れられない理由はなんでしょうか?
宗教、宗教と言いますが問題はその内容だと思います。
顕正会は厳密に言うと宗教ではありません。生活法です。いや宗教を超越したものです。
しかし現在ではそれに該当するものがないので宗教法人の枠に収まっているのです。
69名無しさん@3周年:03/08/08 21:05
>>68
もう映画の話はしないの?
70名無しさん@3周年:03/08/08 21:13
>>67
>56が言っている事は「原罪を犯したのも原因を作ったのも人間」
という意味だと思う、それに聖書によれば自然と人間は存在理由が
違うと思うのだが・・・?
71名無しさん@3周年:03/08/10 06:05
旧約の申命記の八章と九章に、>>1への答えが書いてあるような・・・
72名無しさん@3周年:03/08/10 07:32
例えば、ローマのヤヌス、インドのシヴァがそうであるように、元来「神」は、
単なる「善神」でも単なる「悪神」でもないのだろう。
創世記とヨブ記を比べてみると、ヨブ記の方が二元論的思考の影響を受けていない
より純粋な一神教のような気がする。
ヨブ記のサタンはあくまでも神の僕(試みるもの)であり、神はサタンに
「お前は私を唆した」と恨み言を言うだけで、創世記の蛇のように呪ってはいない。
大体が呪うということは、すぐ直接には手が出せないか、その気がないということだ。
73無宗教です:03/08/10 08:13
エホバの証人のサイトに入り込み、「なんでもコーナー」に書き込んでいる
「ゆか」という自称クリスチャンなる人物、
あの書き込みを読む限り、
「宗教はアヘン」と言われる意味が分かるような気がするよ。笑
ヘロヘロにラリったような意味不明な主張を読むと
クリスチャンが重荷になって、少し批判されるたびに過剰反応しているさまは
気の毒を通り越して嫌気がさすし、
人間の造った宗教ってくだらないと思う。
74名無しさん@3周年:03/08/10 08:32
>>73
スレ違い。
75名無しさん@3周年:03/08/10 09:46
旧約には善悪の要素は無いよ、義の追求のみ
76山崎 渉:03/08/15 09:39
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
77名無しさん@3周年:03/08/15 11:34
光の届かないところに影ができる。
しかし、影は光をあてると消えてしまう。
恐れるにあらず。
78光の子:03/08/15 12:26
影は光を拒む光。
光の覆いほど、光を見えなくするものはないからね・・・。

光を見る影よりも、影を見る光の方がより暗いのかもしれない。
79カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/08/15 12:39
最初は人も神のように慈悲深い者であっただろう。その慈悲ですべての生き物を
治めるハズであったと思う。そして、神のいいつけを守り、日ごとの食物を得る
ために耕し守ることに満足させるつもりであった。それが神の望み。
我々がそれに満足しないように、神は人をそれで満足しているか試した。満足し
ているなら蛇の誘惑も断れたハズである。
80名無しさん@3周年:03/08/15 17:16

  功雄版タロット

┏━━━━━━━┓
┃    ]X   .┃
┃───────┃
┃/|\(^^)/|\  ┃
┃⌒⌒ 从⌒⌒  ┃
┃     .     ┃
┃    ↑_↑   ┃
┃/|\( `∀´)  ┃
┃⌒⌒ (━つ━∈ ┃
┃ ←-┤ | |  .┃
┃   (__)_   ┃
┃───────┃
┃15   悪魔   .┃
┃    THE .   ┃
┃    DEVIL   ┃
┗━━━━━━━┛
81名無しさん@3周年:03/08/17 17:15
>>79 カミタタさん
>神は人をそれで満足しているか試した。満足し
>ているなら蛇の誘惑も断れたハズである。
あのう。神が絶対の存在ならば、
試さなくても初めからわかりそうなものだけど、
それじゃあ、ダメなの?

ダメだとしたら、神にも予測不可能なことがあるって事ですか?

8281:03/08/17 17:19
ぐは!HN間違えちゃった。
カミタタさんじゃなくて、カミミタさんでしたね。
ごめんなさい。
83名無しさん@3周年:03/08/18 09:14
>>81
違う、違う。
単にいやがらせをしているだけだろ。
「こいつにこれだけの試練を与えてみるか。こいつどんな風味になるかな」とな。
神にしてみりゃ、俺達なんてのはゲームキャラみたいなもんで。
RPGやってるガキみたいなもんだ。先が見えたら楽しみねえだろ?
意図的に見てないだけじゃねえの。どっちにしても、趣味がいいとはいえないけどな。
8481:03/08/18 19:55
>>83
なるほど。嫌がらせをする趣味の悪い神かw
面白い説だな。マジで。


で も 、 や だ Y O ! ヽ(`Д´)ノ
85カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/08/20 21:29
神は予測していた。そして、この世に豊かな人と貧乏人ができることも。
豊かな人々が、神の栄光だと威張らないように、貧乏人が神から恵みがない
と思わないように、あれやこれやと作戦を練っていたと思われ......
8681:03/08/20 23:28
>>85 カミミタさん

予測できたとすると、、、
予測した上での失敗ということですか?
選択肢が失敗しか無かったからでしょうか?

意地悪じゃなくて、信心深い方はどう考えていらっしゃるのかと思いまして。
87名無しさん@3周年:03/08/21 15:55
>>85
仮にそれが事実だとしても、作戦練るだけなら転職を考えているOLにだってできるだろ。
練るだけじゃだめだっていっとけ。
88カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/08/21 20:57
神の「日ごとの食物と神の創ったもののみで満足しているか?私(神)はそれに
満足させる立場である。それ以上望めば、人々が増えた時、私に不平不満を言う
であろう。そして奪い合いがはじまる。しかし、この地を天とは別の性質の人の
欲望の楽しみの世界にしてもよい。その代わり私から離れた罪人となれ。その罪
の証として善悪を知る知恵を受けよ。賢くなり、あなた自身が自分の望む世界を
造れ。その代わりあなたの望む貪欲なものを私に望んでもあなたにあげない。し
かし、それでも私は全ての人を平等にする義務を背負うことにしよう。しかし、
それはあなたの楽しみを奪うことになりかねないので、表立ってはしない。それで
も私を慕い、私の意に叶う者は災い少ない人生を繰り返す者となるであろう。」

だいたいこんな感じかな。宗教の本読んでるとこんな感じになるけど。
この地はこの世の楽しみを求める人々の為に創造したかったんだと思う。
しかし、でたらめな欲望の世界は人々が不幸になると人も神もは知ってる。
その助けのひとりにイエスがこの地に現れた。
89カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/08/21 21:08
とにかく、この地を神から離れた罪の世界であるとした方がメリット
はあると思う。
そのひとつが自制だね。さまざまな人々がこの世にはびこること思えば
欲望が神の望みと共にあるとするより、罪からきているものとする方が
コントロールし易いのでは?
90名無しさん@3周年:03/08/21 21:31
>>89
メリットとかコントロールの問題なのか?
神はそんなものを基準にするとあなたは本当に考えているのか?
91カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/08/22 00:55
神はやもえずこの地の人を罪とした。それが人に有益となるためだから。
人が罪だと教えられることにより、人自身が欲望を自制しやすくなった。
その罪とは、安らぎから離れることであり、人はその罪を認識することに
より安らぎに近づく意識が生ずる。
92名無しさん@3周年:03/08/22 05:08
>>91
なんだか抽象語だらけ。
受け取る方もさまざまな受け取り方があって大変だぞ。
9390:03/08/22 08:20
>>91
それは、神の意思ではなく
神を利用し、人人を宗教によってコントロールするために利用した権力者のいいぐさそっくりではないか。
罪の意識により人を縛りつけようとする宗教団体の理論だよ。
94名無しさん@3周年:03/08/22 08:26
>>93
飴とムチの手法ね
95カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/08/22 21:49
>>93
もし、恐怖を餌に「これを信じればあなたは地獄に堕ちない」という宗教があれば、
<その内側は強欲なおおかみ>― とイエスはそのようなことを言っている。
また、果報を餌に「これを信じればあなたはこの世で大きな実益がある」という宗教
でも同様でしょう。貪欲からくる喜びを求めるには、人に仕え人を喜ばせ自分も少し
は痛みを絶えて適正な報酬を受け取る、つまり仕事をすることだと思えばいい。それが
神のこの世の者に対してのひとつの戒めとみていいでしょう。

しかし、信仰には更に、変化することのない幸せが説いてある。
96カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/08/22 21:50
もう既に多くの人は、その実によって霊からくる安らぎと肉からくるものと見分けている
と思われる。イエスも「あたりまえのことです」とするのが深い信仰だと言っている。

人は罪人になる前は、霊の存在であった。霊からくるものをそのまま受けた人であった。霊
が死を知らないように、死を知らない人であった。そして、安らぎのままであった。
聖者を見る限り、そのように捉えるのが順当でしょう。罪人になり肉を知るようになった。

マタイによる福音書から、イエスの教えを少し考えてみると、
怒りは肉から来ているものであり、怒らないなら自らの霊に従っている。
情欲は肉から来ているものであり、情欲をいだかないなら安らいでいる。
悪人に手向かうな。― 霊は責めることをしない。善悪の識別もなく全てを赦す、手向かわない。
敵を憎めではなく敵を愛せ。― 霊は憎むことはない。
正しい者にも正しくない者にも、悪い者も良い者も関係なく雨を降らせる天の父のように完全となれ。
― 正しい正しくないの識別は肉から来ている。
何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようか思いわずらうな。― いつも飲み食いのなどのことを
考えているのは肉から来ている。

など、これらのことは原始仏教にも心の迷いを断つこととして書いてあるので、このようなことを霊
に従い、安らぎとともにあると認識し、罪なき状態であり神の望みであることと思えばよいでしょう。



97カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/08/22 21:53
で、聖書を読み始めてまだ日が浅いので、懸命なクリスチャンの方々にはこのような
例えでイエスを信じることはよい、イエスは人を騙してるのではない、真に人々の幸せ
のために教えられているのだと言うと叱られるかもしれませんが、

例えば、妻がなにを着ようかなどということにとらわれ、借金をしてまで衣服に凝って
しまったとすれば、深い信仰でそのような癖の問題は解決する。

仕事でも、互いに自分の意見が正しいと本気で言い張り、憎しみまでもってしまったとする。
本当は赦しあうことが大切だと深い信仰でお互いをみれば、争いは起きない。

どうしても性分に合わない、憎たらしい人にも、赦しが大切だと思えば自分の心が安泰である。

企業でも、社員に売り上げを伸ばせと焚きつけられるよりも、自分を愛するようにお客を思えと
言われるほうがよい。お客も社員の少しのミスは赦す。

こんなこと考えてみましたが、クリスチャンの方はもっと別のものを目的にしてるのですか?
9890:03/08/22 22:04
>>95

よくわからんのだが。
あなたは、>>91で「神はこの地の人を罪とした」と言ったな。
私はそれは、権力者が神の名のもとに、自己の利益のために人人をコントロールするときの手法だ、と言ったのだ。
その点について、どう思うのか。
99煩悩教:03/08/22 22:08
新訳に主が試みているとか書いてなかったか?
悪魔に惑わされた人は天国に入れないよん、という意味じゃないかな。
なんだか知らないけど誰もかれも入れるわけにはいかない事情があるんでしょう。

まあ、そんな大袈裟に考えなくても、詐欺商法が横行しているので
分かるよな。騙されたら地獄なのは考えるまでもないね。効かない
薬を売る薬売り。安い蒲団や着物を高く売る業者。効かない呪文を
唱えるエセ宗教。などなど。少なくともそんなのに騙されない程度
にはなってなきゃいかんだろうな。
100名無しさん@3周年:03/08/22 22:10
100
101カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/08/22 22:46
神のためだとして人の権力に従うことは、イエスのことばから見出せない。
人の上に立つ者も、下の人に仕えよというようなことはイエスは言っている
のだが。
それで、権力者は関係ないでしょう。人は神と自分との一対一の関係。
私が思うには、自分の霊に従うことが神との関係を保つこと。
誰でも自分の思いどうりにしたいハズだ。それがサタンに従うこと。
ゆるせ、愛せ、怒るな、情欲をいだくな、そのようなことが自分の霊に従う
ことで、神への信仰があったほうが、そのようなことをし易い。
私も「全ては神の望みだ、この世は多いに楽しめ、遠慮はいらん」と思えば
無理してでも不道徳なことをして大いに楽しんでいたかもしれません(W
102名無しさん@3周年:03/08/22 22:57
>>101
言葉を伝えるのは難しいな。

過去、宗教が権力と結びつき、神の名のもとに多くの過ちを犯してきた。
その手段として、宗教者は人を罪びとにしたて、罪悪感により、人人をコントロールしてきた。
そのような事実がある
過去と書いたが、今でも一部の宗教では行われていることだ。

あなたが>>91で書いた、「神は人を罪とした」という思想は、こういった意味で危険だといいたかったのだ。
103名無しさん@3周年:03/08/22 23:00
>>101
「神が人と一対一の関係」というのは、それこそ関係ない。
「神が人を罪とした」という思想は、本当に神の真意なのか?そうは思わない。
この思想は、権力者が神の名を語り「権力者が人に罪の意思を植え付けた」というのが正しいのではないか。
104カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/08/22 23:08
罪悪感を餌に、恐怖を煽り、これを信じれば救われるという教えは
最低だと思う。「神は人を罪とした」という思想はその意味で危険。
私の一方的な意見は危険だな。自分自身納得してるけど。
105名無しさん@3周年:03/08/22 23:16
「神のお言葉」には、
親が子を支配するための言葉、
夫が妻を支配するための言葉、
権力が大衆を支配するための言葉、
等が、神の名を使って、神の名のもとに伝わっているものも少なくない。
106煩悩教:03/08/22 23:22
新訳聖書の場合、もしも人々の過ちを許すなら自分も天の父に許される
というようなことが書かれているので、罪があったとしても全く救いが
ないわけじゃないね。
107名無しさん@3周年:03/08/23 13:21
悪魔もまた、南無阿弥陀仏と唱え、即ち往生を得た。
光り輝く、人類の救済者孔雀明王となって転生したといわれる。

民明書房刊「ルシファーの歴史と思想」より。
108名無しさん@3周年:03/08/24 10:06
大魔王即大如来。
如来になるには、一度悪魔を経験しないといけない。
109名無しさん@3周年:03/08/24 10:11
>>1

試行錯誤しなきゃ成長できないからだろ?
何度も輪廻転生しながら修行してくわけ。
110名無しさん@3周年:03/08/24 14:35
>>109
修行じゃなくて、遊びだよ。
戯れせんと生まれけむ、遊びをせんと生まれけむだよ。
11181:03/08/24 17:30
>>107
民明書房刊と書いたら、ネタだとわかる人は、特定の年代だけだぞw
11281:03/08/24 17:56
>カミミタさん
レスありがとう。また、亀レス失礼。

人が原罪を背負うようになったのは、
神の試行錯誤の末で、予想範囲内だったって事ですよね。
と、いうことは、禁断のリンゴの話は、失敗談ではなく、発展だったんでしょうか?
そうなると、キリスト教のことはよく知らないけど、通説と違うような。。。

罪の概念や、地獄の概念で人を恐怖させる宗教は多くありますよ。
キリスト教だけではなく、仏教でも地獄の概念はあるし。
しかし、宗教家の中でも、一部の人はそれを否定しているフシがあります。
「地獄などがあるから人が現世で迷うのだ。」と。
そういう考えを持つ人は、どうやら、地獄の存在などを明示しなくても、
おのれの神性(仏性)に問いかければ、正しい行いをすることができると考えているようです。
個人的には、魅力的な説ではあります。
113カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/08/24 22:41
人は最初、肉体がありながらも霊の存在であった。この上なき最上の境地ニルヴァーナ
とともに存在し、安らぎの境地とともに人は存在していた。イエスの言う神の国とは、
その至上の喜びであり、安らぎの世界であり、霊の世界。
今でも、神の創った自然などに安らぎを求め、生き物を慈しみ愛するなら、その境地に
近い。

今のように、次から次へと何かを求め働くこともなかった。霊のままでは、何かを求める
こともなく、働く意欲がないから。人が人を生むこともなかった。快楽を知ることもなく
人を地に満ちさせることを人がしない。

神にはできないことはないし、知らないことも、未来を予測することも可能。
未来全体の発展の為に知恵と欲望を与えたのだが、それは邪念から来ているものとし、また、
人が発展の為に明日を望みあくせく働くことも、発展で得たものを享受することも、快楽も
享楽も全て安らぎから離れるものとした。

邪念からくるものを愛する者は、現世だけの喜びを得て死後失うのだが、真理を愛する者は、
死後また生まれたとしても、良い家に生まれる。
禁断のリンゴの話は、失敗だったとそのまま信じることで、人は自らを戒めた方が良い。



114名無しさん@3周年:03/08/25 07:54
>>113
そうは、思わんな。
アダムとイブは、子供(動物)を意味している。
子供の喜びは確かに美しいのだが。
知恵の実を食べ、知恵を得て、ついでに邪念を得た。
大人(人間)になったんだ。
アダムとイブは、知恵のみを食べる事が必用だったから食べたんだ。
単純に失敗で片付けられる話ではない。
115名無しさん@3周年:03/08/25 08:11
>113
カミミタさんはじめまして、私は今のところ無宗教なんですが
良い家にうまれるとは、なにをもって良い家とするのでしょうか。
預金残高が多い家のことでしょうか、愛のある家系のことでしょうか。

116名無しさん@3周年:03/08/25 13:17
>>115
カミカタたんじゃないが、俺でよければ。
良い家とは「ケイマン諸島にある隠し口座の残高が億単位あって愛のある家庭」のことです。
それ以外は全員負け組。
117名無しさん@3周年:03/08/25 13:30
>>116
スパイ・ゲーム!!
118カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/08/25 21:51
>>114
神にはできないことはないし、知らないことも、未来を予測することも可能でしょう。
禁断のリンゴの話は予定どうり。神の目からして失敗ではないでしょう。
人はそれを自分が悪かったからと思うことで、謙虚になれるのでは。
>>112
節度があって、他人をわざと悲しませたり困らせたりしない人に悪い報いは来ないでしょう。

<地獄とは>
「かれらは欲望を貪り、熱中し、溺れて、吝嗇で、不正になずんでいるが、死時には苦しみ
におそわれて悲嘆する、― ここで死んでから、われらはどうなるのだろうか。」-ブッダ
― 死んだらどうなるのだろうか?これが気がかりな人はこの世の地獄を得ている。
「ある金持ちがいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。ところが、
ラザロという貧しい人が全身でき物でおおわれて、この金持ちの玄関の前にすわり、その食卓
から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。」
― この金持ちが死に黄泉で苦しんだ。奇抜な格好を好み、ぜいたくで遊び暮らし、しかも、
明らかに偽りなく飢えている人が自分のすぐそばまで来ているのに助けようともしない。
-イエスはそのような人が死後苦しむと言っているのです。

「殴る者は殴られ、怨む者は怨みを買う。罵りわめく者は罵られ、怒りたける人は他の人から
怒りを受ける。業の輪廻によって、椋め取られた者が椋め取る。」-ブッダ
天の父は、どのような人も愛し、人に危害を加えた人に報復するとみられる。それが人が最初
に危害を加えないようにする戒めとして。それが人に知られない来世で行われるので、殴られた
人はそれが悪いことと早く気がつき殴らないようにしないといけない。

私は、自分自身が地獄や苦しみをつくり、また、よっぽどの者でないと死後地獄へ堕ちないだろ
うと思う。
  


119114:03/08/25 21:59
>>118
知恵がついたことを、「人がそれを自分が悪かったと思う」必要があるとは、どうしても思えないんだ。
謙虚になる必要はあるのだろうが、それは、罪の意識がもたらすものではない。
罪の意識がもたらすのは、罪悪感だ。それは、謙虚と似て非なるものだ。もっとも、遠いものだよ。
120カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/08/25 22:00
あまり欲が深いと、必要なものもない所に生まれ変わるかもしれません。
「求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。」− イエス
わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください、と祈ることによって、
必要なものが与えられる。少欲な者ほど、また欲望のない者ほど豊かな者に生まれる
のでは?
「この世で、人たる身を得て、気前よくわかち与え、もの惜しみをしない人々が、
ブッダと真理の教えとに対して信仰心あり、修行者の集いに対して熱烈な尊敬心をも
っているならば、かれらは天界に生まれて、そこで輝く。もしも人間の状態になっても、
富裕な家に生まれる。」− ブッダ

気前よく人にわけ与える人、求める人には与え、借りようとする人に断らない人、
あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を重んじる人、解脱しようとして自然の中
で瞑想をする人々に尊敬心をもつ人、平和をつくりなそうとする人に敬意を払う人など
この世の利得ばかり求めず、なんらかの信仰を広めようとしている人たちに尊敬心を
もつ人は来世でよい運命になるとみた。
121カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/08/25 22:12
>>119
罪悪感は私は少しも持っていません。
神が必要に応じて人を大人にしたんです。
ただ、欲望だけに生きるのが当たり前にならないよう、
人を愛することも必要なのです。そのように考えましょう。
恐怖や罪悪感は、人が大人にされてからのこと。
神聖な神の国にはありません。霊にはないのです。
自分が人に迷惑かけていないのに、恐怖や罪悪感を持つことは
いけないことなのです、神の上では。
人に迷惑かけたならその人の為に自分が罪悪感を持つべき。
122114:03/08/25 22:17
>>121
そうなのか?よくわからんのだが。
私は、>>118であなたが言った「人はそれ(知恵のみを食べたこと)を自分が悪かったからと思うことで、謙虚になれるのでは」に引っかかったんだ。
自分が悪かったと思うことで、謙虚になるというのはおかしいのではないか?
それは、罪悪感ではないのか?といったつもりなのだが。
悪意は無いと思うが、論点がずらされているようだ。
123名無しさん@3周年:03/08/26 10:29
俺は酒を飲み、肉を食らい、女を抱くことで幸せを感じているよ。
宗教的観点から見れば背徳行為であり、精神を堕落させる行為であっても俺が幸せならば
それで無問題。
それを悪魔がかなえてくれるならば、俺にとっては悪魔が神様さ。
辛い思いや頼みもしない試練なんぞを与えるだけしか能のない奴が神だっていうなら、
そいつは俺にとっては神様じゃなくて悪魔だね。
124カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/08/26 19:47
問題なのは自分が正しい者、或いは偉いと思ってしまうことではないかなぁ。
ここ欲界では、誰も自分が正しい者と思ってると神から忌み嫌われるという。
『ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もう
ひとりは取税人であった。パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、「神よ、
わたしはほかの人たちのような貪欲な者、姦淫をする者ではなく、また、この
取税人のような人間でもないことを感謝します。わたしは一週に二度断食して
おり、全収入の十分の一をささげています」。ところが、取税人は遠く離れて
立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、「神様、罪人
のわたしをおゆるしください」と。あなたがたに言っておく。神に義とされて
自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。
おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであ
ろう』。
自分の欲求を無理に抑えて信仰に没頭し、自分が正しい者と思ってしまった
人、偉い者と思ってしまった人は気の毒かもしれません。
まあ、私個人としましては、すべてほどほどにしようと思うのであります。
125名無しさん@3周年:03/08/26 20:58
>>124
つまり、知恵のみを食べると謙虚になれるのか。
126名無しさん@3周年:03/08/26 21:22
>>124
>問題なのは自分が正しい者、或いは偉いと思ってしまうことではないかなぁ。

どちらかというと、「自分が正しい」という感覚自体はむしろ必要なのかも。
宗教は、「お前は罪だ」と執拗に繰り返し、罪悪感を植えつけることで人々を隷属させてきたからね。

問題なのは、「自分が正しい」というだけではなく、そこから「自分は正しいから、人を裁いてその人を悪と決められる」と思い込んでしまうこと。
これまでの宗教は、こういった自己中心的傾向に陥って「罪」を量産してはその「罪人」たちに自分たちの宗教による贖罪(=服従)を迫る脅迫集団になってしまった。

重要なのは、自分を高くするだの低くするだのと言うことではない。
自分の方が高いだの低いだのと言う、ばかげた妄想を捨てることだろうね。
127カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/08/26 21:43
知恵を神から離れることとすることで、賢くより物を多く作り出す者が、
信仰の上では威張れないようにしたかった。また、全ての人々に対しても、
この地で生きる限り謙虚になるようにしたかった。

知恵のみを食べると直接謙虚になるのではなく、知恵のみを食べたことで、
神から離れるバカをやらかしたという責任を人に負わせることで謙虚にし
たかった。実際は神の思惑どうりになったのだが。

そのように思うが...........
128カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/08/26 21:49
『自分を他人と「等しい」と示すことなく、他人よりも「劣ってる」とか、
或いは「勝れている」とか考えてはならない。』― ブッダ

ブッダはそれらの思いは迷いであると言ってるのでしょう。
129名無しさん@3周年:03/08/26 22:02
>>127
いや、ちがうんじゃないかな。
知恵の実の話は、人がバカをやらかしたというような、単純なものとは思えないんだ。
人が知恵のみを食べる選択をしたのはなぜか?ただ、愚かだったからなのか?
その責任により、謙虚になれるのか?本当にそんなこと可能なのか?本当か嘘かもわからない、大昔のことに責任を人は感じ取れるのか?
基本的に、この話は隠喩だと思っているが、人は、自らの意思と責任で知恵のみを食べたのだと思うよ。
知恵を得ることは、必要だったんだよ。
130名無しさん@3周年:03/08/26 22:10

神って何?
131名無しさん@3周年:03/08/26 22:14
>>130

頭から生まれるもの。
132名無しさん@3周年:03/08/26 22:42
>>131
神が、頭から生まれたものなら神じゃなくなりますね。
神は全てを創造した存在ですから。
神が人間の頭で想像したものだったら神より人間の方が偉くなってしまう。
>>131さんは、「神はいない」って言ったほうがいいんじゃない?
そうでないと、神が先か人間が先かみたいな話になってしまう・・・。
133カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/08/26 23:03
神は霊であると言われ、人は死んでから霊になり、少なくとも一時的に誰でも
神を知るのではないかと思う。仏教徒でも人が死んで成仏したと言うように、
霊の世界は安らぎの世界。その世界を真理と言う。「安らぎは虚妄ならざるもの
である―ブッダ」「安かれ―イエス」
イエスもブッダも多くは、人を安らぎに近づける教えを説いており、人が安らが
ないのは人の肉体からくるものが阻害しているからだという事実に基き教えを説く。

人は安らぎで神を知ることができ、考えても解らない存在でしょう。
134名無しさん@3周年:03/08/27 08:33
>>133
>人が安らがないのは人の肉体からくるものが阻害しているからだという事実
それは、違うと思うな。それだと、身障者や、身体の悪い人に救いは無いことになってしまう。
135名無しさん@3周年:03/08/27 09:45
>>132
神より人間の方が偉いに決まってるだろ?
人間がいなければ、神の存在意義なんざカケラもねえよ。
136名無しさん@3周年:03/08/27 18:25
>>135
だからぁ〜。神というのは人間より偉いの。
人間より偉くない神なんていないの。
分かる?
あんたはただ神はいないってことを言ってればいいの。
137カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/08/27 20:12
>>134
イエスの言葉から引用して

 <肉からくるもの>    <霊=見事、神の国または成仏できたら> <自分の霊に従い安らぎを得るには>

 怒り            怒りはない               怒ることないなら安らぐ
 情欲をいだいて女を見る   情欲はない               情欲がないなら安らぐ
 しかり、否しかしゃべるな  この世を感じて自分の思いがないだろう  思慮してあれやこれやしゃべるのは悪から
 悪人に手向かうな      悪人という識別はない          悪人と認識し嫌がる、憎むことないなら安らぐ
 手向かうな         手向かう意欲はない           手向かう意欲がないなら安らぐ
 求める者に与え       自分の物に対する愛着はない       物に対する愛着がないなら安らぐ
 借りようとする者を断るな  自分の物であるとする認識はない     これは私の物とする認識がないなら安らぐ
 敵を愛し          敵を敵とする認識はない         敵を憎まないなら安らぐ
 自分を愛する者を愛すな   自分の意にかなうという認識はない    自分の思いにかなったことによる愛がないなら安らぐ
 富に仕えるな        富に対する愛着も、得ようともしない   富を得ようと思わないと安らぐ
 何を食べようか
 何を着ようかと思いわずらうな 何を食べよう、何を着ようと思わない  何を食べよう着ようと思わないなら安らぐ
 
神の国、天国にはこの世の喜びとは違う喜びがあって、自分を捨ててまでも神ため、つまり人々の平安と安らぎのために尽くした
人々は神の国で至上の喜びの霊となって幸せとなる。天国はそれを受けて、この世のことより平安と幸せを好む人々の行くところ
でしょう。
                                              
138[email protected] :03/08/27 20:14
SUBUDと2チャンネルの癒着について語ろう。
139名無しさん@3周年:03/08/27 21:37
グノーシス派は、異端ではありません
140名無しさん@3周年:03/08/27 22:06
>>137
その対比には、どうしても、権力者が庶民に贅沢をさせないようにするために神を利用した臭みがあるなぁ。
基本的に美しくて耳障りのいい言葉ばかりだけど、無批判に信じるのはどうだろう。
141ネットサーファー:03/08/27 22:20
安らぎとはヘロインである。
142警告!:03/08/27 22:30
>>141
この板はねーおまわりさんも見てるからね。。
君、ダウナー系にはまって人生棒に振っちゃいかんよ?
辛い事があったらさ。宗教にはまんなさい。せっかく来たんだからさ。
ほら、宗教はアヘンだって言うでしょ?
あ、アッパー系合わない?
じゃさ、ブードゥ教とかどう?
昨日TVでやってたんだけどさ。ゾンビパウダーなんかいいと思わない?
もっと完璧に廃人になれるみたいよ?
でさ、でさ、ゾンビになる前にゾンビになった人を見るわけ。
いいなって思ったら、ゾンビ合格ね。
即生ける死人ね。
ま、死んだら元も子もないけど、あの世なんてないしね。。
生きてるって結構、奇跡ですよ。君。。
143カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/08/27 22:40
>>140
そうだな、イエスの言葉は信じたい人だけ信じればいいと思う。
安らぎを求める人々には神は断ることもなく無制限に受け入れるだろう
けど、嫌がる人にを受け入れようとしないだけだよ。神は手招くことを
しないと言われているから、嫌がるなら天国に入れない、いや天国に入
らないと思えばいいよ。それも、自然の摂理かも。
ただ、私たちはこの世がよいものと思うけど、ある程度限定されていると
思うんだ。災害で苦しんでる人々も、神の上では平等なハズ。死んで生まれ
変るとして、私だけが幸福な人生を望めるとは限らないかもしれない。
144名無しさん@3周年:03/08/27 22:47
>>143
いや、ぜんぜん140で言っていることはちがう。
イエスの言葉なら、それでいいんだけどね。140は、イエスの言葉として伝えられている言葉は、権威主義の教会のお言葉が大分混じっているんじゃないかと。
つまり、あなたがイエスの言葉を引用しているけど、それも玉石混合なんだよ、と伝えたかったわけ。
イエスは本当にいい事言うと思ってるよ、信者じゃないけど。
145ネットサーファー:03/08/27 22:50
>>141
私の頭に満ちているのは脳内ヘロイン(βーエンドルフィン)です。
修行の結果ある程度コントロールできるようになりました。
現在禁断症状の対処の訓練をしています。
146警告!:03/08/27 22:52
>>145
ドーパミンの分泌過剰にもご注意ください。
>>が自爆してます。
147カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/08/27 23:15
>>144
イエスのそのいい事だけ信じたら?イエスは「あたりまえのことです」と思い
信じることが一番信仰があると言ってる。
つまり、あたりまえのことを言ってるんだ。イエスはいいこと言っている、それ
が信仰のはじまり。
神は人が理解し難いことは言わない。人のうちに先生をつくり、教えによって人
を従えることをさせない。
148名無しさん@3周年:03/08/27 23:23
>>147
言いたいことはわかるけど。
キリストの言葉を、キリスト教という権威を通さずに考えることは事実上不可能。
神と人が一対一になるには、むしろキリストは無視したほうが早いとおもえるほどだ。
まだ、手垢のついていないあいだみつをの方がなんぼかましかもしれん。というのは言い過ぎだが。
149&lro;:03/08/31 00:02
 
15081:03/08/31 11:38
>>148
おいらは、クリスチャンじゃないけど、キリストという霊性には普通に敬意はらっていて、
聖書は読まないけど、キリスト教に関連した台詞を聞いておいしいと思った所は
つまみ食いするし(すぐ忘れるけど)、そういうのもアリなんじゃないかな?

だから、事実上不可能かどうかは、人それぞれじゃないかと。

ただ、直接目の前にキリストさんが現れて「畏れよ」とか言われたとしても、
「やだ」って言えるぐらいの異教徒ではあったりするw
(キリストさんが現れることは、キリスト教ではあり得ないんだっけ?)
原理主義者が聞いたら激怒するのかな。。。

手垢が付いたというか、伝言ゲームのようになってしまって、
一部の宗派では極端な排他主義が生まれたところが、残念だなぁ。
151&lro;:03/09/01 21:30
 
152&lro;:03/09/04 01:35
 
15381:03/09/12 10:52
何かまずいこと書いちゃったんだろうか(汗

それはともかく、結局何で悪魔はいるんだ?
154名無しさん@3周年:03/09/13 01:05
おれ、思うんだけど、キリストも釈迦も、正味のところはしゃべってないと思うよ。
神も悪魔も、天国も地獄も、嘘も方便でその時代に、民衆のレベルにあわせたところでわかりやすくしゃべってたんじゃないかな。
本当のこと言ってもしょうがない、あるいは理解してもらえないということはいくらでもあるからね。
15581:03/09/13 04:01
>>154
そんなあなたには「神との対話」という本を薦めてみます。

しかし、この板で「神との対話」を話題にすると、こてんぱんに叩かれるかも知れない
諸刃の剣(^-^;)
156154:03/09/13 08:28
>>155
なぜ薦めるのか、154のレスにどのような関連があるのか書いてもらわないと、判断のしようがない。
15781:03/09/14 01:02
>>156
あ、そうか。ごめんなさい。
神との対話という本は、創造神と名乗る神とのチャネリング本で、
いわゆるニューエイジに分類されます。宗教ではないと著者は主張しており、
神を信じなくともそれはそれで、必ずしも問題があるとは限らないと書かれております。
 そして、本の中の神は、裁く神ではないし、嫉妬する神ではないとも言っています。
誰にも傷つけられず、満ち足りているのに、一体誰を傷つけようとするのかと。

で、大事な本当の事はキリストや釈迦は言っていない。との意見を見て、
キリスト教についてみんなが薄々感じている疑問について真っ向から答えている
部分があるので、薦めてみたくなったのです。
 基本的には、人はどうあるべきかを書いた自己啓発的な内容で、
宗教批判の本ではありませんが、何かの参考になるかと。
 たとえば、原罪については、そのようなものは存在しない。
何故神が原罪を与える必要があるのか。と言っています。

アダムとイブの伝承で、禁断の実を食するのを防げないわけなど神には無い。

悪魔は存在しない。神は世界に天使しか送り込んでいない。
悪魔を悪魔と呼ぶのなら、誰が悪魔を抱きしめるのだろう。
肉体のあるこの世界でなければ、満たされていることは頭でわかっても、
実感することができない。
熱さを知らなければ、冷たさを知ることはできない。
低いを知らなければ、高いを実感することはできない。
そのような、経験による実感を目的とした場であるからこそ、
人を傷つける存在もまた、その人の幸福や愛を実感させるために、
神が送り込んだものだという感じのことが書いてあります。

つづく。
15881:03/09/14 01:21
つづきです。

地獄については、基本的に存在しないと本の神は言います。
天国しか存在しない。神は裁かないとも言っています。
 ただし、神から遠い所に行く魂がある。
その、神から遠い状態が人々が言う地獄であり、
それは、その人自身が引き寄せるものであると言っています。
(おいらは、無明の状態であると解釈しました)
だから、神との対話的には、罪がどうのと恐れる必要はありません。
 人は神に似せて作られたミニチュアの神であるから、
自分が本当は何を望むのか、愛ならどうするかを問いかければ、
自ずと望ましい行いをすることができると本の神は言います。
(性善説ですね)

まあ、おいらの解釈が20%程含まれているけど、このスレに関係ある事項について
要約すると、こんな感じです。

おいらも完全に信じているわけではないけれど、そういう考えもあるのかぁ。っと、
ちょっとだけ気が楽になりました。面白かったし。
そういう意味で薦めたわけです。

ただし、ちょっとは疑うことを知らない人には、腑抜けになってしまうかも知れない
とんでも本でもあるかも知れません。
159154:03/09/15 22:50
>>158
なるほど。
じゃ、話はもとにもどるが、なぜ、神は人に完全なる自由意志を与えておいて、なおかつ悪に惹かれるのだろう。
このテーマについてはどうなんだ。
16081:03/09/16 22:22
>>159
それについて、簡単に書いてしまうと、一気に説得力が落ちるのだが(^-^;)
まあ、いいや。

本の中の神曰く、
自由意志は、自己の体験のために多くの選択肢を用意すべく与えられました。
また、神は自己に似せて人間を作ったために、神と同様に自由意志があるのです。

神との対話では、善と悪は存在しないのです。
じゃあ、何をしても良いかというとそうとは限らず、
望んだ結果を得るために行動しなさいといいます。
 望みとは何かについて、例えば、
車が通る危険な道路で、子供が遊んでいたとします。
子供は遊びたいから道路で遊びますが、親は無理にでも止めるでしょう。
このとき、子供は自分の望みが叶わなかったと思うかも知れません。
しかし、子供の本当の望みは生きることだから、この場合
親は子供の望みを叶えたのです。
 多くの人は、平和とか、大げさな言葉じゃなくても、平穏に暮らしたいと思っている気がします。
そのためには、強制的な力によっては人の信念は変わらないという基本的原則を
広める必要があるかも知れません。
 そのためには、一人一人が手本になり、暴力等が起こらない土壌を作るべきです。
したがって、暴力等は人の望みのために「役に立たない」と、なるわけです。
16181:03/09/16 22:26
つづきです。

やりたいようにやってるだけでいいなら、本の神が何故口を出すのかというと、
東京から九州に行くのに北へ向かっても九州には着かない。
望む結果を得るためには、どうしたらいいかを助言するだけだ。っと、本の神は言います。
望む結果を得ようとするには、そのために行動しなければなりませんが、
今のままでは、人類は望む結果が得られないため、多くのメッセンジャーを
送り出したんだそうな。

そして、迷ったら「愛ならどうするか」とおのれの神性に問いかけよと言います。

かなりアレンジしましたが、大体そういう感じです。
ただし、しつこいようですが、個人的には、一部受け入れられないところもあります。
そんなに割り切れないよねぇ。
ま、それはいいとして、これらを考慮したら、少なくともおいらは悪に惹かれません。

尚、善悪の物差しは、時代や場所によって変化するもので、
悪と言うレッテルを貼って人を責めると、巡り巡って自分も責められます。
人を責めるのもおやめなさいと言っています。

読む気に・・・ならないか(^-^;)
162154:03/09/17 00:58
>>161
悪いが、説得力が無いような気がするよ。
愛に満ち溢れた神、という存在自体が、世の中の現状に適応しない気がする。
善もあくも無い、というところは賛成だが、その部分と、神とが整合しないんだ。
16381:03/09/18 01:24
>>162
愛に満ちあふれた神は世の中の現状に適応しないかなぁ。
おいらはそう思わないけど、具体的にはどうして?

個人的には、善も悪もない説がしっくりこない。
164ウェルギリウス:03/09/19 04:05
 ダンテの神曲では、地獄の底でユダを噛み千切ってるのはサタン。
ヤハウェとかイエスだとかに恨み有る者同士で何故手を組まん。
165154:03/09/19 19:01
>>163
>愛に満ちあふれた神は世の中の現状に適応しないかなぁ。
>おいらはそう思わないけど、具体的にはどうして?
生まれつき不幸な人の存在について、納得いく説明を聞いたことが無い。
神が愛に満ち溢れていないとすれば、まあ仕方ないかと思えるけど。


>個人的には、善も悪もない説がしっくりこない。
その部分が、その神との対話という本の独自性であり、売りなのでは?
それがなきゃ、これまでのキリスト教とかわんない。
166カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/09/19 20:40
神は愛である。ただ、人間が思うような甘えられる愛ではないでしょう。神は霊である。その
霊を人間自身からは愛により表現できるのだと考えている。
愛は善悪を超越し、正しい正しくないの判断を超えている。「愛は寛容であり、情け深く、ねたまない、
高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。」
つまり、死後、肉体を失い霊になれば、責めることなく戒めることのない、寛容ですべてをゆるすのです。
霊は人が情け深いこころで、人を思いやり愛した時のように癒され、この世の物すべてを望まないから、
ねたまないし、自分の利益を求めない、肉体のない霊は高ぶらない、誇らない、いらだたない、恨みをいだ
かない。
愛は人間の肉欲からくるものを超越し、霊(神)の領域に入るものだということで、人間の人を思いやり
愛するこころが神に通じるものだと思うのです。
167カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/09/19 21:39
神は裁かない、ご自身のために人を裁かない。天の父は、人々の平穏のために人を裁く。
つまり、神はこの地の平穏を願って、法則をつくった。相手を傷つける者は、天から
災いを受ける。「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのおりにせよ。」
そうすれば、人々からしてほしいと望むことが返ってくる。

神は人を戒めない、人をそのこころと望みを尊重し、より分けて下さると思う。
愛する者、愛するこころを望む者は、愛ある人々の中へ、平穏と安らぎを無制限に与えて
下さる。神の創った自然の喜びが、人には手に入りやすいように。
この世を望む者、肉にある者は、更に肉の者となり、必要な物まで与えられず、その望む
こころに従って、必要な物を得なければならない環境に生まれる。「これらの国々の栄華
と権威をみんな、あなたにあげましょう。」という悪魔のことばに従ってしまい、永遠の
命の境地を失ったということを体験している。この世の物を望み喜ぶこころは、悪魔から
くるものなのです。そのような者は、来世で、神から恩恵を受ける理由にならないよう悪魔
に従っていることとしたのです。

16881:03/09/21 21:03
>>165
う〜ん。個人的には、反対だけど、
神との対話的には、結果は本人が引き寄せることになっていて、
生まれつき不幸でも、それはその人が望んだ結果となる。
神が決定しているわけではないらしい。
 ただし、カルマというのは存在しないらしい。
そこは、おいらも神との対話でも納得できない部分だよ。
まあ、全体的にはいい本だと思うけどね。

善も悪も無いというのが売りというか、神対読者の多くは
「全てはひとつである」とか「愛ならどうするか」が大事だと思っているよう。
169名無しさん@3周年:03/09/21 22:11
神も悪魔もいないと考えるとシンプルだと思うんだけど
170154:03/09/22 23:20
>168
すべてはひとつである、とか、愛ならどうするか、なら前者は東洋思想で、後者はキリスト教で説いている。
なにが売りなのだろう。
読めばわかるのだろうが。
17181:03/09/25 21:44
>>170
たぶん、著者と神の対話形式で、著者が俗っぽい立場で質問するところが、
共感を呼んでいるのではないかと思う。それだけじゃないけど。
一度立ち読みしてみては?

>>169
う〜ん。でも、それでは身も蓋も無いわけで(ry
17281:03/09/25 21:55
>>167 カミミタさん
気合いの入った文章に頭が下がります。

>更に肉の者となり、必要な物まで与えられず、その望む
>こころに従って、必要な物を得なければならない環境に生まれる。
初めから必要なものがある人っているんでしょうか?
人は常に不足を意識する生き物のような気がしますが。

必要なものが衣食住に関わるものだとするならば、
みんなが分かち合えばいいような気もするのですが。。。
世界の流通も発達してるし。
173カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/09/27 03:15
我々凡人は、何事もなくてもブッダに尊敬心を抱き、今現在、不幸のないことに満足すれば
いいのではないかと思います。イエスがこのように祈りなさいと言っているのも、必要最低限
な生活でも満足できるように、また、みこころが地に行われ、人々がみこころによって幸せで
あるよう、人の幸せを願うことにより、自らが神の国の子と同じこころを保ち、こころの幸せ
を獲得するのです。両者も、この世の物の喜びを追うこころを捨て、こころの安らぎこそ幸せ
であると説いているのです。
 ブッダのことば(慈しみ)
 「足ることを知り、わずかな食物で暮らし、雑務少なく、生活も簡素であり〜いかなる生物
 生類であっても、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の
 生きとし生けるものは、幸せであれ。あたかも、母が己が独り子を命を賭けて護るように、
 そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし。
 上に下に、また横に、障害なき怨みなく敵意なき慈しみを行うべし。この世では、この状態
 を崇高な境地と呼ぶ。」このようなこころが安息の境地ニルヴァーナに近いものです。
 イエス(父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。だから、
     あなたがたはこう祈りなさい)
 「天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが
  天に行われるとおり、地にも行われますように。わたたちの日ごとの食物を、きょうもお与え
  ください。わたしたちの負債のあるものをゆるしましたように、わたしたちの負債もおゆるし
  ください。わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。」
174カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/09/27 03:18
イエスの祈りも、実は私たちが霊の世界の人となること、神の国の子、つまり仏界を説いて
いるのです。「あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。」
人々を慈しんで、みこころが地にも行われ平安であることを祈り、私は日ごとの食物があれば
よいと少欲な者になろうとする。祈る私たちにも、災いなき平安な暮らしができるように望む。
つまり、肉体のない世界であり、成仏できた世界、神の国であり霊の世界は、神聖な世界であり、
安らぎであり、平安な世界であるので、生きながらにして近づくことを信仰の目的とするのです。

霊の世界は肉からくるこの世の物への欲求が塞ぐので、日ごとの食物があることに満足できる
ほどの少欲な者になること、自分が思う善悪の判断や、自分への有益、不利益を超越した、生き
とし生けるものを、正しい者、正しくない者など関係なく慈しみ愛するこころを保てば、憎しみ
も怒りも悩みもなくなり、平安なこころになるのです。

あなたも、自分のこの世の物への望みをなくし、ただ生きものを慈しみ愛して下さい。そうす
れば自分の悩みは少なくなるでしょう。また、そのような者に天は手助けをして下さるという
のです。
175カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/09/27 03:20
ブッダいわく
「この世で、人たる身を得て、気前よくわかち与え、もの惜しみをしない人々が、ブッダ
と真理の教えとに対して信仰心があり、修行者の集いに対して熱烈な尊敬心をもってるな
らば、かれらは天界に生まれて、そこで輝く。もしも人間の状態になっても、富裕な家に
生まれる。そこでは、衣服、食物、快楽、遊戯が労せずして手に入る。」

世界には、必要な物さえ手に入らない人々がいます。日ごとの食物さえ手に入れにくい
人々。私たちは今現在は、必要な物が手に入りやすい。しかし、人々が悪魔のことばの
まま生きるならば、天にも見放され、困難な来世になるかもしれません。

それぞれの人々が単独で自分の栄華(繁栄)と権威や偉くなること、を追い求めず、社会
全体が必要なものを製造し、それを分け与える。つまり、国が製造してもよいものを規制
し、失業者などが出ないように、それぞれの会社が全ての人々を受け入れる。競争で発展
やサービスを損なわないようにするのではなく、人々が「自分を愛するようにあなたの隣
人を愛せ」を戒めとして受け入れれば理想社会になるかもしれません。そして、余った時間
を食ったり飲んだりで過ごすことなく、真理とともに目覚めている。そうすればいいのかも
しれませんが、それは今の時代でも、個人でしようと思えばできるでしょう。
しかし、ブッダのことばでは「世間一切に背くことなく」とありますから、世間に合わせて、
個人のこころだけ幸せを目指したいなら、幸せを目指せばいいと思います。

176名無しさん@3周年:03/09/27 03:21
よく想像上の出来事に対してそんなにのめりこめるな
ガンダムの物語にのめり込んでいる子供達と同じだな
177名無しさん@3周年:03/09/27 09:38
>>175
人人が悪魔の言葉のまま生きれば、困難な来世になるというのは違うだろー
178&lro;:03/10/16 08:25
 
179名無しさん@3周年:03/10/17 14:48
>>176
ガンダムは俺を救ってくれたが、神は俺を救っちゃくれない。
よって ガンダム>>>>>>>>>>>神>>テコンV
180名無しさん@3周年:03/10/17 14:54
>>1

>じゃあ何故神は悪魔と言う存在を許したのだろう?

じゃあ何故神は>>1の存在を許したのだろう?


181名無しさん@3周年:03/10/17 15:16
>>180
大勢に影響ないから。
182名無しさん@3周年:03/10/17 22:48
>>180

神にとっては、この世界がどうなろうがどうでも良いことだから。
183名無しさん@3周年:03/10/17 22:53
神は悪魔の親だから。
神の中にキリストや悪魔ルシファーを生む「要素」があったから。

神は善悪全てを併せ持つ。だから私達全ての「親」なのだ。
もちろん、悪魔にとっても「親」なのだ。
184名無しさん@3周年:03/10/17 22:57
しかし、神はルシファーの親であるがゆえに、ルシファーを滅ぼす事は出来ない。
ルシファーを滅ぼす事は、「神」自らを滅ぼす事になるからだ。

よって、「神」は悪魔ルシファーとその仲間と眷属達の存在を認めなければならない。
そして許さざるを得ない。
185名無しさん@3周年:03/10/17 22:58
ていうか、そんなもんいない。。
186名無しさん@3周年:03/10/17 23:10
神=ちんぽ
悪魔=まんこ=こんにゃく=くりとりす=するめ=めだか=かめ=亀頭=乳首=乳頭=子宮=膣=まんこ=こんにゃく=(以下繰り返し
18781:03/10/18 13:27
>>173 カミミタさん
遅いレスでごめんなさい。
>こころの安らぎこそ幸せであると説いているのです。
それはそうですね。
>神の国であり霊の世界は、神聖な世界であり、
>安らぎであり、平安な世界であるので、
>生きながらにして近づくことを信仰の目的とするのです。
これも同意です。
>そのような者に天は手助けをして下さるというのです。
それでは、条件付きの加護になってしまうような気がするのですが。。。
皆を区別なく助けるのが、天の意志ではないでしょうか?
お日様の光が誰にでも降り注ぐように。
ただ、意識しないと気づかないので、小欲な者が気づきやすいというだけでは?

>ブッダいわく
>「この世で、・・・
ソースを教えてください。
>衣服、食物、快楽、遊戯が労せずして手に入る。
仏陀の教えではそれを望むことをやめるのが先だと思いますが(^_^;)

>私たちは今現在は、必要な物が手に入りやすい。
でも、必要なものが何かを決めるのはその人個人ではないでしょうか?
何を求めるかの指針が宗教なのではないでしょうか?
食料などは、「生命を維持」するために誰にでも「必要」でしょうが、
物質主義的な考えの現状では、精神性や深い愛について考える機会が少ない気がします。
そもそも、どうして「生命を維持」することが優れているのでしょうか?
これに即答できる人は少ないのが現状です。おいらもできません。
 そういう意味では、現状でも充分困難なような気がしますし、
そもそも困難かどうかを決めるのも、やはりその人個人のような気がします。
18881:03/10/18 13:29
つづきです。
だから、
>人々が悪魔のことばのまま生きるならば、
>天にも見放され、困難な来世になるかもしれません。
という意見には、同意しかねます。
まず、おいらは、因果応報を信じていないし、
天が人を見放すということが考えられない。
 あと、悪魔の言葉って、例えばどんなものですか?

乱文&偉そうで、スマソ。
189名無しさん@3周年:03/10/18 17:47
人間の中にある生命の一表現を「善」だの「神」だの「聖」だのと規定し、
それに反するように見える物を「邪」だの「悪魔・邪神」だの「悪」と
規定して分離し、一方の善なるものだけを伸ばして行こうとしたのが
宗教の最大最悪の過ちであり、錯覚である。

善悪両方併せ持ち、決して分離出来ないのが「生命」の真実の姿。
それが真理。

それに気付かぬ限り、「生命」は反乱し続ける。
190名無しさん@3周年:03/10/18 21:04
カミミタさんの考え方も、ある種の人には有効だと思うよ。
189のような考え方も理解できる。
神と我を「主体ー客体」と考えるか、一なるもの、ととらえるかの違いだろう。
191名無しさん@3周年:03/10/20 18:26
キリスト教・仏教等(新興宗教も含む)の後世の者達が人類に仕掛けた三つの罠

1、本来人間に備わっている欲望や感情(恨み・憎しみなど)を悪と規定し、押さえつけ、克服させるように仕向ける
2、しかし、本来備わっているモノを抑圧出来る訳も無く、抑圧がかえってそれら欲望や感情を増幅させ、それが葛藤や苦悩を生む
3、そこで、苦悩の中にある者達に向かって、「お前達を救う神(法・仏・教え…何でも良い)はこれだ!」と説いて、霊的・心理的・肉体的に隷属させる

そしてそれらの教えにより、幾ばくかの安心や安らぎを得た者達は、その教えや神や仏が唯一絶対の真理であると思い込み、その教えによって、自分が隷属
しているように、他人をも隷属させるようになる。それらが後世の者達によって作られたエゴの教義である事を知らず…

しかし、一時期隷属していた者達の一部は、一般社会に触れ、多くの人達と交わるにつれ、それが誤りであった事に気付くように
なる。そしてそこから真の宗教が始まるのだ。
192ふじわらふひと:03/10/20 18:35
191のは、滅ぶ道の説明だろうに
193名無しさん@3周年:03/10/20 19:40
191はスーパーフリーのメンバーによる自己弁護なのだ。
194カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/10/26 21:25
>>176 私は永遠の命の境地を知っている。
>>187 そのような者に天は手助けをして下さる→言い方が悪かった。
   生き物を慈しみ、自然の中で瞑想を楽しめば、生と死の隙間は縮む。
   「この世で=神々との対話(岩波文庫 中村元訳
   ブッダの教えでは、それを望むことを止めることが教えです。
   しかし、望まぬ人が添えて与えられる、耽溺しないから。あと過去世で
   苦難に耐えた人。煩悩の残りのある人は生存の輪廻を繰り返し、しかし、
   善い人は、道路環境、水道、社会環境その他諸々の社会設備が整った時代
   と国に生まれる、と思う。(私は死なない境地があることを体験し、それなら
   全ての人々は平等であるという思いによって推理している。) 
195カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/10/26 22:01
>>「生命を維持する」ことが優れている。
「神は物質的に豊かでないことに喜びを見出すことを求める」ことを建前としている。
成仏世界、神の国はこの世の物は何もない。この世の物を失い悲しむことで命を断つなら
ば神の国に入れない。自己の優劣に対しての悩みも同様。神の国は肉体がない世界。自分
に囚われている者は迷いにある者で、神の国を望んでない。この世は罪が生み出したもの
としてそれを建前としているが、それなら自己の断滅こそ正しいと思いがちだが、善悪を
支配する神はこの世の秩序を重んじる存在。自殺者は成仏もできず、この世に生まれるこ
とも許されず、永遠の闇の中で苦しむ。
ブッダ「生存のための妄執も、生存の断滅のための妄執も存在しない。」このことが大切
であると言っている。断滅の妄執に囚われた人は地獄に堕ちる。生命を維持する心も生存
のための妄執。
>>188 悪魔のことば 永遠の命の境地を知り、この上なき最上の喜びの境地を一時得たが、
野望の妄執によって、それを失った。聖書にある「悪魔は〜これらの国々の権威と栄華とを
みんな、あなたにあげましょう。」に似ている。栄華と権威を求めて働き、他人を蹴落とせ
と言うもの。
ブッダ「世間は妄執によって導かれる。世間は妄執によって悩まされる。妄執という一つの
ものに、一切のものが従属した。」永遠の命の境地を知らない一切の人は、妄執に従属した
のです。
196カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/10/26 22:28
>>189
この世は、成仏世界を拒否した人々の住む世界。この上なき最上の喜びの境地
を拒否し、この世の喜びを捨てきれない人々のために創造された。この世の喜び
を捨てきれない人々というか、成仏世界に飽きて、他のものを望む霊の者のため
に神が創造した訳だ。人の善悪の知恵が悪としなければならない理由として、人
の知恵で得た道徳や哲学を人の拠りどころとせず、絶対的なものを拠りどころと
して、人が人を知恵でもって支配させない神の配慮があったためだ。
全ての人々は独立自由である。そのため、人を傷つけてはならないなどの教えを
説いたのがイエス。死は物質的世界にはどうしても必要だった。永遠に不平等な
世界を続けないために。ブッダはその死を中心とした諸々の苦を解決させようと
して教えを説いた。イエスもブッダも同じ真理から教えを導き、人々の益のため
に語ったのです。今現在、良識ある人は聞かなくていいと思う。
197名無しさん@3周年:03/10/28 23:12
あーあ。もう、まともなレスはつかんだろうなぁ。
198名無しさん@3周年:03/10/28 23:27
永遠の命を知ってるのはよいことだが、何を言いたいのかよくわからないのだが。
簡潔にできんのか。
199カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/10/29 18:36
簡潔に言うと、人が亡くなったら、慈愛しか存在しないということ。しかし、その
世界にはなかなか入れない。霊の世界は、自分を愛することはない。自分の欲望も
自分へのこだわりも何もない。それは、自分自身がないから。神の国は、この世を
望む心もなく、慈愛に満ち溢れた世界。
そんな世界とは別に、神は欲望の世界、つまりこの地を創造されたが、人は欲望ば
かりでなく、慈愛も大切にしろとイエスもブッダも語っているのだ。
この世を楽しむのは赦すという建前でイエスはせめて「自分を愛するように隣り人
を愛せ」と戒めとして生きよと語っている。

イエスも原始仏教もその世界から教えを導いている。
200カミミタ ◆sapmwx2TAI :03/10/30 19:22
神はこの世の存在者全てを罪人とした。それは、神の本心ではないだろう。
この世を罪なる世界とすることで、この世の存在以外のものから善を見出すため
である。つまり、御言葉を善とさせ、人々の善悪の判断基準を教える神の意向。

例えば、或る者が神の創ったこの世のため、子を儲け幸せな家庭を築くことが神
に忠実であり、自身も幸福であると考えてるとしよう。しかし、その妻には子が
できなかった。或る者は妻を幸福な家庭ができない者として嫌った。
しかし、神の意向は妻をゆるすことであり、いかなる場合でも隣人を愛すること。
霊は人を責めない、肉が人を責め嫌う。

或る者が、人を雇ったとしよう。雇われた者が失敗をし会社に損害を与えてしま
った。雇った者が「あなたは、私を儲けさせるために雇ったのだ。損害させた分
全て返せ。」
全てこの世を善とするならば、そのことに反論する理由は見つからない。それは
あたりまえのこととして受け入れられてしまう。しかし、人に愛がある限り、神
の意向を行っている。


201悪魔崇拝するしかない:03/10/31 03:34
日本で悪魔崇拝したいんですがどこにはいればいいの?マリマンが入ってる悪魔キョウダンは日本にあるの?
202名無しさん@3周年:03/10/31 03:37
悪魔崇拝する気は無いが、逆十字のペンダントが欲しい。
できればちゃんとキリストが逆さに貼り付けられてるやつ。

かっこええ
203名無しさん@3周年:03/10/31 08:17
ルシファー崇拝はありそうだけどね。ルシファーと神、本当はどっちが悪魔なのかわからんけど。
204名無しさん@3周年:03/11/04 03:39
フリーメーソン国立にあるけと、どういうことやるの?悪魔崇拝となんか関係あるの?
205名無しさん@3周年:03/11/04 09:41
>>204
金持ち用の会員制クラブのようなものらしい。(そのまんまかも)

世界一有名で取材も簡単に受け付けてくれる秘密結社
206名無しさん@3周年:03/11/08 05:50
神がいたとしたら人間が天災や戦争で蟻のようにたくさん死んでいくのを
見て ゲラゲラ笑っているよ  アハ アハハハ
207ミカエル:03/11/08 12:40
ルシファーって知恵の天使長だったのでしょ?
208名無しさん@3周年:03/11/08 20:51
神は悪魔さえも利用するからだよ。
209名無しさん@3周年:03/11/08 22:43
確かルシファーとサタンは別物だつたような。
21081:03/11/10 01:25
とりあえず、マジネタらしい。
http://kobe.cool.ne.jp/torichan/matayoshi/
いろいろいっちゃってる自分だが、
リンク先を見てまだまだ甘いと思ったよヽ(´ー`)ノ
211&lro;:03/11/17 18:27
 
21281:03/11/19 00:00
スレの流れを止めてしまったようだ。。。スマソ

くだらねーよ。とか、スレ違いだろうが。とかの突っ込みが欲しかったのですが。
213名無し:03/11/28 13:22
悪霊祓いって本当に効くの?普通の祈りじゃだめ?
214名無しさん@3周年:03/11/30 17:49
霊を祓う人が霊と会話できる人だったら効果がありそうだがね。
215名無しさん@3周年:04/01/25 19:07
あげ
216名無しさん@3周年:04/01/25 21:18
>>1
悪魔なんて存在し!な!い!のです。
だから、「悪魔の存在を信じている人間」が「悪魔そのもの」
なんですね。よくよく弁えること。
217名無しさん@3周年:04/01/25 21:26
>>216
中世教会は悪魔の存在を信じるように民衆を教育しました
なぜならば悪魔がいるならば、身を守る方法は神を信じるしかないからです
中世教会は悪魔を信じやすいように悪魔に姿を与えました、それは
かつて地中海世界で信仰されていた妖精や神の姿を模したものでした
これは再びそれらの宗教が息を吹き返さないようにする為でもありました
仮にそうしたものを信仰しようとした場合「悪魔崇拝者」として処断する
事ができました
218名無しさん@3周年:04/01/25 21:37
> 中世教会は悪魔を信じやすいように悪魔に姿を与えました、それは
> かつて地中海世界で信仰されていた妖精や神の姿を模したものでした
> これは再びそれらの宗教が息を吹き返さないようにする為でもありました

ばかだよな、忘れさることが出来たかもしれない異教に再び命を与えただけじゃな
いか。オレには復活してしまった異教の断片で教会が不純化されたようにしか見え
ないよ。
219名無しさん@3周年:04/01/25 21:46
>>218
いや忘れさせる事は出来なかったらしい、キリスト教がいかに北欧方面に
出兵してもなかなかキリスト教化できなかったらしいから
キリスト教初期の政策は奴隷の禁止、だけどノンクリの奴隷は奨励していた
しかし奴隷にならなくてもいいというのは土着信仰を守る人の前では大して効果
がなかったようだ、北欧の方のキリスト教にバイキングなどの名残がみられる
のは妥協の産物みたいだ

ちなみに悪魔のイメージ作りは大成功を収めたらしい
現在でも悪魔の姿=異教の神のキメラ
220名無しさん@3周年:04/01/25 21:57
悪魔は存在するのかしないのか?
その答えを得る方法は以下のスレの25番に書かれている。
http://mentai.2ch.net/psy/kako/960/960587168.html
221名無しさん@3周年:04/01/25 21:57
> なかなかキリスト教化できなかった  妥協の産物

今あるキリスト教は「それまでのキリスト教と北欧の宗教の合併後の姿」と考えて
よろしいのでしょうか。
222名無しさん@3周年:04/01/25 22:04
http://myweb.cableone.net/idcomp/armstreechf.asf(ムスリム vs ヒンズー)
http://myweb.cableone.net/idcomp/chechclear.asf(ムスリム vs 露助)
http://myweb.cableone.net/idcomp/wtcjumpershigh.asf(ムスリム vs プロテスタント・ユダヤ)

223名無しさん@3周年:04/01/25 22:10
>>221
いいえ、キリスト教そのものは
発端がイエス、編集がパウロ
それらにギリシアの哲学が理論武装を施し
ローマ帝国という媒体がローマ街道を使って拡散させたモノを
政治利用を考えた権力志向の信者が人心掌握の為に若干の修正を加え
他の教派が口を挟めないように「これ以上の解釈をしたらコロス」と
念を押したモノを、闘争本能豊かなゲルマン民族が担って歴史を重ね
完成したのが「キリスト教」と現在は言います
224名無しさん@3周年:04/01/25 22:15
キリスト崇拝者は悪魔主義者と同じことです。
彼ら自身が悪魔という幻を作り出して必死に抵抗しようとしている。
その相反する両者を作り出している根源に気づくことが、
カルトから足を洗うための第一歩となる。

端から見ているとほんとにおかしなことをしている人たちだと、わかる。
225名無しさん@3周年:04/01/25 22:19
ひぇ、イエスは発端でしかないんだ、ちょっとショックだな
226名無しさん@3周年:04/01/25 22:20
ロスケなんてどうでもエエ
227名無しさん@3周年:04/01/25 22:38
心理学者ユングは、イエスが神聖視されるぶんだけ、反キリストである
サタンの存在も大切にされなければならないと主張した。したがって、
神と子と聖霊の三位一体説は不充分であり、そこにサタンも含んだ四位
一体説にしてこそ、「悪」をも包み込む神の十全性が完成されるとした。
(町田宗鳳著「なぜ宗教は平和を妨げるのか」講談社+α文庫)
228名無しさん@3周年:04/01/25 22:48
>>1
善悪の判断を自分で選択するのでなければロボットと変わらない
229名無しさん@3周年
ノアの洪水で人々を惨殺したのは悪魔の所業かも。