未知の世界 死後の霊界は

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77名無しさん@3周年:05/02/13 11:17:25 ID:vGjxMRpz
だだの夢です
78名無しさん@3周年:05/02/14 16:18:34 ID:yvGIhiJA
>>77
根拠は?
79名無しさん@3周年:05/02/16 23:15:44 ID:jThbepmS
宇宙の外から全宇宙を眺めることができたら、死後の世界がわかるよ。
80名無しさん@3周年:05/02/17 13:09:22 ID:yUpqpiWe
死後の世界なんてあるわけない。死んだら終わり。
81名無しさん@3周年:05/02/19 02:53:43 ID:hRJ9R6pp
>>80
例えば折れが死んでも、人類は営みを続け、宇宙は日々運行する。
ここに死後世界のヒントが隠されてているんだよ。
考えてごらん。
82名無しさん@3周年:05/02/19 04:13:32 ID:jCVu6BVs
キリスト教徒やイスラム教徒は
自分達の作り出した「擬似天国」に逝くそうな。
83立て看板:05/02/22 20:54:51 ID:bppET7vS
坐禅と見性 第十四章
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1108144172/
一粒の芥子、よく須弥山(しゅみせん)を隠す。
一掬(きく)の水の中に人魚たちが心ゆくまで踊る。
私は終日汝に相対していて、劫初以来会った事がない。
看よ、東山全嶺が水上を歩いている。
エックハルトの乞食の挨拶 「[朝な朝な好(よ)き朝です」。 雲門 「日々是好日」
扇を扇と呼ぶな、鋤(すき)を鋤と呼ぶな。
昨日は痛かったが、今日は痛くない。 さっきは泣きわめいたが、今は笑っている。
腹が減れば食い、疲れれば眠る。
雪がすべての山を白く覆うている時、なにゆえにあるひとつの山は覆われずにあるのか。
清浄の行者、涅槃に入らず、破戒の比丘、地獄に堕ちず。
我の知っている事を汝は知らず、汝の知っている事を我はことごとく知る。
大力の人がどうして彼の両脚を挙げることができないのか。
柱が毎日動き回っているのに、どうして私は動かないのか。
わたしは釈迦の出現以前からさとりの状態にある。 光あれと命ずる以前の神と共にあれ。
84名無しさん@3周年:05/03/18 21:06:02 ID:VItRbAyv
私も極楽、天国、天界、言い方は何でもいいけど
そういう場所に行きたいもんだ。
85名無しさん@3周年:05/03/20 02:52:00 ID:tOKRvCYu
天国は空想の世界。存在しません。死んだら終わりです。
86名無しさん@3周年:05/03/20 17:02:38 ID:2+REXJpF
動物は生かせられてるだけ。地球があったから生物が出てきただけ。
なんのために生まれたか?とか生きてんのか?ってのはバカ。生かされてんの。
で、生物は死んだら終わり。じゃあなんで死ぬのかってのは、自然の摂理で、新→古
くなる時間というものがあるわけで。
人間は頭がいいから、死を怖がっていろいろ哲学を考えただけ。宗教もそう。
根本的にただの動物なんだから。そっから考えナよみんな。笑われるぞw
87名無しさん@3周年:05/03/20 23:16:24 ID:blr1Os5H
>>86
なぜ、新しいものは古くなっていくんだ?
その説明をしっかりしやがれヴォケ
中途半端な野郎だな
自然の摂理とは何なんだ
あたりまえの事を詳しく説明しろ
何も分かっていないくせに偉そうに言うなよ
先人たちの理論をそのまま鵜呑みにしてるだけだろうが
人間様の頭で考えたところで宇宙の全てを理解
できるわけなかろうが馬鹿
地球があったらどうして動物が生まれてくるんだよ
おまいは他人に植え付けられた理論でしかものを
言えないんだな
あたりまえの事を詳しく理論的に説明してみろ
とりあえず、俺はあの世もなくていい
生まれ変わりもなくていいと思っている
こんな人生もうたくさんだ
88名無しさん@3周年:05/03/20 23:17:59 ID:eKHduTLs
>>86
お前精神科の扉たたいたほうがいいんじゃねえのw
89名無しさん@3周年:2005/03/21(月) 10:01:19 ID:eRrXwOAa
>82
そんな深見の戯言を真に受けてると、死んだらドス黒い深見霊界に行くよ。
ご愁傷様。
90名無しさん@3周年:2005/03/21(月) 17:48:20 ID:qVFY1ml5
死後の世界を希望してるやつって、今の意識が続いてほしいんだろ?
まーないでしょうw 死んだら終わり。
91名無しさん@3周年:2005/03/21(月) 17:53:02 ID:k0Y9DZLH
いや、逆。今が悪いから楽しい場所に行きたいという
人間の業
92nonchan:2005/03/21(月) 19:33:21 ID:SJTQcEyj
みんな大変だよね。考えすぎてもいけないし、でも考えずにいようと思っても考えずに
おれない時もあるしね。虚無的になってもしばらく後で後悔するしね。釈迦が行ったように苦しみたくないというのは真実ね。
すっきりしたいね。悟った人はすっきりしてるね!だから釈迦もイエスも悟りなさい!って言うんだね。
難しいけど。そうなんだよ。確かにこれが人間の性だよ。
93名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 11:03:22 ID:hger6+UU
丹波哲郎の本を読め
94名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 11:10:56 ID:6rvN47Mv
死んだら終わり。
95名無しさん@3周年:2005/06/06(月) 01:56:30 ID:iTJCVSxU
死んだら、自由に生きたい場所にいけるといわれる。

これは自我が、死後にも残る非常に質量の軽い素粒子の集まり
と考えると説明できる。ペンローズの量子力学の新しい理論
では、質量が小さいほど、同時に複数の場所に存在できるこれまでの
量子力学があてはまるらしい。
96名無しさん@3周年:2005/06/06(月) 01:59:40 ID:iTJCVSxU
そして、自我が質量の大きい肉体に制約されている
場合は、同時に複数の場所に存在することができない。
距離に制約される。

これが生きている人間の普通の人が体験すること。
97名無しさん@3周年:2005/06/06(月) 02:05:51 ID:iTJCVSxU
ペンローズの量子力学の新しい理論の荒っぽい説明:
1:質量が小さいほど、同時に異なった場所に存在でき
(これまでの量子力学)、
2:質量が大きくなると一つの位置にしか存在できなくなる
(我々の日常生活)

ここの板に合わせれば、一つの考えられる仮定は、
自我とは質量の小さい素粒子のあつまりではないか
ということ。とすると、超能力の遠隔視や死後の自由な
移動についても説明できるのではないか。
98名無しさん@3周年:2005/06/06(月) 02:13:52 ID:iTJCVSxU
自我とは質量の小さい素粒子のあつまりであるとすると、
質量の大きい肉体に、いかにして制約されるようになるか
ということが問題となる。

生命の形をいかにしてもつかという問題。
99名無しさん@3周年:2005/06/06(月) 10:01:30 ID:Vx+LrBIG
肉体がないから今の自分を保つ事が出来ない様な気がする。
人間には自分を自分として意識するために脳みそとか必要だよな。
だから死ねば無になるんじゃないかと思うんだけど、
そうなると霊とかが見える人の説明がつかない。
霊は残像なのか幻なのか、それとも死んでも意識が残るのか・・

でも、死んでもその先があるなら死んでからも人生楽しめそうだな。
行った事のない所に行きたい放題だろ?
新幹線とかにタダ乗りして観光名所を回るのは楽しそうだと思う。
それに人類の行く末も観察したい。
霊の存在になっても話し相手とか作れたりするとなお楽しそうだ。

死んだらその先はないと思うけど、あったらあったで楽しそう
100名無しさん@3周年:2005/06/06(月) 17:15:25 ID:lWK8x/8i
風呂除き放題(;´Д`)
101真理の探求者:2005/06/12(日) 13:21:15 ID:usgsg4X/
霊の記憶の保持についての疑問

霊界の件で質問です。
人間は何度も輪廻しているようですが、非常に疑問に感じるのは、何度も輪廻して毎回得られた経験や技術、悟りという莫大な英知、霊にとっての記憶資産、経験という財産は、
生まれ変わるとスッカラカンに忘れてしまうわけですが、
それというのは、スッカラカンに消滅するのではなく、パソコンのハードディスクで例えていえば、一時的に人間界に来たときだけはケーブルがつながっていないだけで完全に残っているのか、
それとも、毎回生まれ変わるときにハードディスクは完全消去されて何もなくなってしまうのか、
まったく記憶は持続性がないのか、過去から転生して積み重ねてきた記憶や英知、霊界で得た経験値などはどうなりますでしょうか?
一時的に忘れているだけだとしたら、霊になったら過去の莫大な英知が戻って、死んだとたんに超越した悟りを得た霊になることになりますが、
そういう話は霊のいろんな本を見ても書いてないよう気がします。
ということは、何度も輪廻してきて肝心の霊にとっての記憶という過去から積み重ねた財産は全部パーになってしまって、いくら現世で賢く悟っても、
また来世では全部ザルから水がこぼれるようになくなって意味がないのか、何度悟っても、悟っても、パーになることの繰り返しでそんな馬鹿げたことがいつまで繰り返されているだけなのか、
それとも、死んだら記憶は戻るのか?
記憶が消滅して、積み重ねがないとしたら、何度生まれ変わっても、まったく進歩しないように思います。
霊界通信の本を見ても、霊になってもこの世の延長でという話で、前の記憶が蘇ったという話はまったくなかったと思います。
霊にとって永遠の宝とは、結局は無形の財産である経験値や悟りといった無形資産しかないわけですが、それの行方がまったく行方不明の気がします。
行方不明になっている記憶はどうなったんでしょうか?


102名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 15:16:46 ID:UKGWvS/G
輪廻とか霊とかが無いってことじゃないの。
103名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 17:51:53 ID:L3kIczA+
存在しない魂や霊などを妄想し偉そうに説く霊媒詐欺師に気を付けろ。
104真理の探求者:2005/06/13(月) 13:40:54 ID:Yc3ZttdC
丹波さんは記憶がどうなったか書いてますか
105名無しさん@3周年:2005/07/05(火) 18:02:22 ID:j5DhIanz
ロボトミーとかで脳をほんのちょっとイジられただけで別人みたいに人格がかわっちゃうんだよ。死んで脳が腐ったり焼かれたりした後に意識だの記憶だのが残る訳ないじゃん。とんちんかんな事いうな。
106クエスチョン:2005/07/29(金) 16:36:47 ID:IlP+dOPc
手塚治虫のブッダを読むのじゃ、
「さなぎがから蝶になり脱皮し空へ舞っていく、死とは一瞬の事、
さなぎが蝶の世界を知るかね。」さなぎが生で死が蝶のことを指す。
お釈迦さんは、弟子に、死後の世界を考えるよりも、今の人生を
いかに生けていくかを考えなさいと言った。
お釈迦さんは知っていても教えてくれないのさ、そのことは知らなくてもいい
ってこと。
107名無しさん@3周年:2005/07/29(金) 16:43:35 ID:iOaFpZAw
死んだら、その人に、ふさわしい世界に行く。
だから、死後の世界どうこうより、生きている間の
思いと行いが大切だと思う、自分の善の心を信じて
周りに惑わされる事なく、素直に純粋にしている事が
重要だと思う。多くの人が居る、人の誠意を踏みにじり
思いやりと優しさのない人、そんな人は
自分も他人も、とにかく不幸にしたいのさ
気づいているのか、いないのか知らないけれど、とにかく
自分の善の心を信じれば間違いない。
108名無しさん@3周年:2005/07/29(金) 16:47:57 ID:fUFKqHpZ
まあ、ここ読んどけ。

無明の闇を晴らす 阿弥陀仏の本願力
http://www.shinrankai.or.jp/jinsei/jin15.htm
109名無しさん@3周年:2005/08/01(月) 23:49:35 ID:Pmoax0WC
死んだら終わり
110名無しさん@3周年:2005/08/02(火) 01:43:38 ID:U4hwINMJ
曹洞宗開祖、道元禅師の著作「正法眼蔵」の
三時の業に、原因結果の関係は三種類あると書いてあった
自分のしたことの報いはかならず、受けると
書いてあった
111名無しさん@3周年:2005/08/02(火) 01:47:25 ID:4ZvKWnj7
はっはっは。死んだこともない輩が死後の世界を語ろうなどとは片腹痛い。

俺は今生きてる世界が大嫌いだし自分の人生も大嫌いなので、とっとと死ぬさぁー。
生きるメリットなんざカケラもねえぜ。
112名無しさん@3周年:2005/08/26(金) 18:10:36 ID:6nMM/QQO
宅間守死刑囚と福田和子受刑者は地獄で窯茹でされています。
113名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:02:54 ID:0TXNiEBX
シルバーバーチよりコピペ
「地上界は永い間の物質偏重の生活によって、霊性を鈍らせてしまったのです。人類もかつては目に見えない
界層との連絡活動を盛んに行っていたのです。内在する永遠の実在の資質である霊的能力について、ちゃんとした認識があったのです。
古い時代の記録、たとえばキリスト教のバイブルを細かくご覧になれば――といって、わたしがバイブルにこだわっていると思われては
困りますが――太古にさかのぼるほど、心霊的能力が自然に使用されていたことがわかります。残念なことに、それが他の能力と同じように、
使用されなくなるにつれて退化していき、今日では、霊的波動を捉えることのできる人は、ごくごく少数となってしまいました。
 今日の人間は“牢(ろう)”の中で暮らしているようなものです。その牢には小さな窓がたった五つしかついておりません。それが五感です。
目に見え、耳に聞こえ、鼻で嗅ぎ、舌で味わい、肌で感じるものだけを実在と思い、それ以外の、身のまわりに起きている無数の出来事には、
まったく気づいていらっしゃいません。あなたが存在するその場所、およびその周辺には、次元の異なる世界がぎっしり詰まっていて、そこでも
生命活動が活発に展開しているのです。見えないから存在しないと思ってはいけません。あなたの感覚ではその波動が捉えられないというだけのことです。
 人間が“死”と呼んでいるのは、その物的身体が活動を止めるというだけのことです。往々にしてそれが、残念なことに、魂に十分な準備ができて
いないうちに起きることがあります。が、いずれにせよ、死とともに、本当のあなたである霊は肉体という牢から解放され、より精妙な身体、
霊的身体――幽体と呼ぶ人もいます――を通して自我を表現することになります。それまでずっと無意識のうちにその時に備えていたのです。
あなたがたが“死”と呼んでいる現象は、実は、それまでとは比較にならないほど大きな活動の舞台、生命活動の世界へ誘ってくれる門出なのです。
なぜなら、その時から霊的能力が本格的に機能を発揮しはじめるからです」

114名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:03:36 ID:0TXNiEBX
「死後も地上の同じ場所に留まるのでしょうか。それとも、まったく新しい別世界となるのでしょうか」

「宇宙はたった一つです。が、その中に無数の世界が存在するのです。生命はたった一つです。
が、それも無数の段階があるのです。こうした霊的実在の問題を扱う際に直面するのが、言語の不便さです。
大ざっぱで、ぎこちなくて、意を尽しがたい、ただの符号(シンボル)にすぎないものを使用しなければなりませんので、
わたしの本意が伝わりにくいのです。
 生命は一つです。宇宙は一つです。そこには限界というものがありません。ここが宇宙の端っこですという、最先端がないのです。
ですから、皆さんの視界から消え去った過去の人たちは、今もあなたと同じ宇宙の中で生き続けているのです。しかし、界層が異なります。
波長の次元が異なります。次元の異なる意識の中で生活しているのです。それでいて、あなたと同じ場所にいるのです。
その肉眼に見えないだけです。それはちょうど、あなた自身は気がつかなくても、あなたは今わたしの世界である霊界にいるのと同じことです。
 生命のあらゆる側面が一つに融合しているのです。仕切り線というようなものはありません。
その中に物的な側面と霊的な側面とが存在し、同じ場所で融合しているのです。
115名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:04:14 ID:0TXNiEBX
たとえてみれば、無線の周波のようなものです。あなたのいらっしゃる
同じ位置に、周波数の異なる電波が無数に存在するのです。宇宙空間に
充満しているのです。が、そのうちのどれをキャッチするかは、受信機
の性能一つにかかっています。それと同じで、あなたは今の段階では物
的波動に制約されています。それしかキャッチできないのです。霊視能
力者というのは同じく光の波動でも物的なものとは次元の異なる、より
精妙な波動をキャッチできる人のことです。霊聴能力者というのは、同
じく音波でも物的なものを超えた、より繊細な波動をキャッチできる人
のことです。すべてはその人の性能にかかっております。
 さて、死後のことで、ぜひとも知っておいていただきたいのは、肉体
を捨ててこちらの世界――生命の別の側面、いわゆる霊の世界へ来てみ
ると、初めのうちは戸惑いを感じます。思いも寄らないことばかりだか
らです。そこで、しばらくは地上世界のことに心が引き戻されます。愛
情も、意識も、記憶も、連想も、すべてが地上生活とつながっているか
らです。そこで、懐かしい場所をうろつきますが、何に触っても感触が
なく、誰に話しかけても――我が家でも会社でも事務所でも――みんな
知らん顔をしているので、一体どうなったのだろうと困惑します。自分
が“死んだ”ことに気づかないからです。しかし、いつまでもその状態
が続くわけではありません。やがて霊的感覚が芽生えるにつれて、実在
への自覚が目覚めてまいります」

116名無しさん@3周年:2005/09/12(月) 19:06:26 ID:v6qiMtl4
おそらく全身麻酔がかかった状態が永久につづく。
なにもない。夢すらみない。
117名無しさん@3周年:2005/09/15(木) 00:54:05 ID:sz8ht5m3
江原さんもシルバーバーチの事、勉強してたよね?
自分は父親を亡くして、死について身近に感じたし
シルバーバーチの事を理解できるようになったよ。
死んだら終わりなんて思っている人には解からない
かもしれんが。
死んだ後、現世をうろつくなんて可哀想だ。
お墓に執着しすぎるのも生きてるときに自分の居場所は
死んだらココ!と決め付けちゃってるんじゃないのかな?
118名無しさん@3周年:2005/09/17(土) 21:52:30 ID:yh938Y4r
死んだら終わり。
119名無しさん@3周年:2005/09/17(土) 22:24:18 ID:Qw0Go6l/
まあ、死んでからのお楽しみって事で。
120名無しさん@3周年:2005/10/05(水) 19:44:25 ID:CEE6mSCV
>>117
同じだ。
身近に死を体験して、色々不思議な思いを体験したり、
死について深く考えたりしたせいか、死後生を素直に受
け入れられるようになった。

逆にいえば、逝ってしまった人が、残された我々に、真理
を見る機会を与えてくれたんだと思う。

普段なら、「死後生」や「死」については、考えることさえ
気味悪くていやだった。
121名無しさん@3周年:2005/10/06(木) 19:49:09 ID:ZCZIdhFP
>>118

死後の世界があるか無いかは、今の時点では判らないけど、一応「ある」
と信じておけば、実際にあっても驚かないし、なければないで無に帰すればいいし。
無いと信じて死ぬよりも、あると信じて死んだほうが被害が少ないのでは?

一説によれば、「無い」と信じて死んだ人は、自分が死んだことにも気づかず、
生前の欲望のままに振舞いつづけて、結局は人に憑依して迷惑かけるらしい。
122名無しさん@3周年:2005/10/12(水) 15:13:07 ID:8teqtdam
昨日の爆笑のテレビ、あの世を信じてる人が意外に
少ないんでおろろいた。
死後の世界と霊の存在って、もう少し当たり前の
認識なんだと勝手に思ってた。
123名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 00:10:18 ID:O0jWRZLN
あったとしても言われているようなものだという確証は何もない。
魂の成長とか笑っちゃうよ。
124名無しさん@3周年:2005/11/02(水) 17:51:41 ID:cBRstNcG
>>121
「ある」と信じることにより、「限られた人生」という切迫した現実からのプレッシャーから
解放され、一度きりの人生をもうろうと虚ろに過ごすことになる。
125名無しさん@3周年:2005/11/07(月) 14:18:35 ID:GAx2SBMR
ない
126名無しさん@3周年
死後に霊界があるという人は脅し目的です。
脅した後に救うふりする宗教家がうろうろいるから気をつけよう。
死んでもいない人間が偉そうに死後のことを話すのは詐欺である。
知らないことをあたかも知ってるふりするなんて罪ですよ。