●●●†††リトル††ペブル†††●●●

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28名無しさん@3周年
インガム司教の「教令」(2002年6月16日)に対するリトル・ペブルの回答および第三の上告
ttp://www.littlepebble.org/documents/third_appeal_lp_22june2002.html
ここに至るまでの事実経過については以下を参照
ttp://homepage1.nifty.com/charbeljapan/chousa_index.htm
文中で言及される関連文書については以下を参照
ttp://www.littlepebble.org/important_events/index.html
文中で言及される教会法については以下を参照
ttp://www.ourladyswarriors.org/canon/

要約:
「・・・・1998年9月11日に、ウィルソン司教は彼が「教会的調査」と呼ぶところのものを開くことを意図している、と私に伝えてきました。
12ヵ月後、彼は、「教令」において公式に、私たちの共同体を閉じるよう命令をなしました。
この段階においては彼の委員会による「調査」などなんらなされておらず、彼も、彼の部下も、私自身に対する何らの審問も行ってはいません。

そして私はローマに「上告」しました・・・教会法が要求するとおり、ウィルソン司教を通じてです。
私はこの上告を規定の期間内にローマに伝えるように、彼に頼みました。

さらに十二ヵ月後、司教は委員会を開きましたが、その委員会は私が「上告」をなしたことを知らされていませんでした。
(このことは彼らの報告書によって明らかです。)
彼らは、この委員会は教会的調査そのものではないと語り、審問のための委員会に過ぎないと言いました。
私は、完全な教会的調査を求めたのであり、またその資格がある、と彼らにくりかえしました。

委員会から何の音沙汰もないまま、ほぼ十二ヵ月たってから、私は「上告」がどうなったのか回答を求めました。
何の返事もありませんでした。
それで私は私の弁護人であるウッズ神父に連絡をとり、彼は私にもう一度「上告」をなすように忠告しました。
私は教会法1638条にしたがってそれをなしました。

私はその文書がどうなったのか、知りたいと思います。
29名無しさん@3周年:03/06/22 23:47
続き

インガム司教は、1999年9月27日のウィルソン司教の「教令」に含まれる要求の執行は、私の「上告」によって自動的に停止されたという私の主張は誤りであるといいました。
しかし、教会法1683条は、上告は判決の執行を停止させる、と明確に述べています。

私はあなたに以下の事実について考えてほしいと思います。
委員会は2000年の5月に組織されました。しかし、それは、私の共同体の閉鎖を命じる1999年9月30日の「教令」が出た後のことだったのです!このようなことが、教会の歴史において、いつから、正常な手続きになったのでしょうか?!
・・・・
ケビン・マシューによって率いられた委員会は、私の合法的な要求にもかかわらず、自身の判断をなしました。
私が「上告」をなした、という事実は、単純に無視されました。

2001年1月24日に、ウィルソン司教は教理省に彼のとった行動への支持を求めて手紙を書きました。
(この時点で、司教は、教会法が要求するように私の「上告」を適切な経路を通じて送達していないように思われます。)

2001年2月3日、教理省はつぎのようにウィルソン司教に知らせてきました。

「いわゆる聖シャーベル修道会はカトリック教会においていかなる合法的存在も有していないことはきわめて明白である。
カム氏自身が、その承認は離教者によってなされたものだということを認めている。
それゆえ、1999年9月27日のあなたの教令は、完全に有効であり拘束力を持つ・・・」

バチカンからのこの言明は、司教にあてた私的言明に過ぎません。それは私にも、指名された弁護人にも、送達されていません。さらに、私は問題となっている聖職者が離教状態であることを認めたなどという言明をなしたことはありません。
まったく逆に、「私たちの」シュナイダー司教はウィルソン司教の「教令」において言及されているシュナイダー氏と同一人物ではないと指摘したのです。・・・
30名無しさん@3周年:03/06/22 23:48
続き

(訳注:リトル・ペブルを支持するシュナイダー司教は、司祭であったときはスペインのトレド教区のCardinal Marcel Gonzales Martinのもとで働いていました。
1998年に、彼はThuc Lineの司教であるアタナシウス司教から司教叙階を受けています。
Thuc LineというのはベトナムのArchbishop Pierre Martin Ngo-dinh-Thuc(†1984)から司教叙階を受けた個々の司教たちの系列のことで、ピオ十世会と同様の保守主義的路線をとり、ヴァチカンに不従順でした。
しかしアタナシウス司教は一致に立ち戻り、2001年に教皇ヨハネ・パウロ二世とミサを共同司式しています。)

また私は何度かの会合において、ウィルソン司教に対して、疑問の余地無く、私たちが聖にして母なるカトリック教会の幾人もの司教たちによって支持されたばかりでなく、彼らの教区における聖シャーベル会の活動を現実に認可した、ということを証明してきました。
(訳注:次で挙げられている諸司教の文書を参照。ttp://www.littlepebble.org/important_events/index.html
また、ttp://www.shoal.net.au/~mwoa/important_events/index.htmlにリトル・ペブルを支持した諸司教のリストがあります。)

インガム司教の声明は、聖座が指示を下したと示唆しています。
さらにそれは、2002年3月22日に、教理省書記官Most Rev. Tarcisio Bertoneを通じて、同省は・・・彼らの見解によれば、幾つかの機会において、教区の委員会を設け調査を行ったという、マレー司教とウィルソン司教を全面的に支持すると述べています。

第一に、マレー司教は1984年に委員会を設置しませんでした。
そのために私は、調査を求め続けたのです。そしてそれは何年も後になって、1998年に、ウィルソン司教によってはじめて機会が与えられました。この委員会の設置自体、それまでいかなる委員会も設置されていなかったことの明白な承認です。

第二に、インガム司教は、彼の「教令」において、マレー司教は単なる「司牧書簡」を出したに過ぎないと明白に述べています。
この場合、文書は「教令」ではありません。単なる個人的見解の表明です。

インガム司教が聖座の支持を得ているという主張はばかげたものです。教理省は、それ単独では、「聖座」自体ではありません。
31名無しさん@3周年:03/06/22 23:51
続き

インガム司教は述べています。「ウロンゴング教区によって開始された合法的な教会法上の調査による発見を考慮して・・・」

私は、はっきりと断言しますが、以下の理由によって、正当な教会法上の調査などなんらなされていません。

1、インタビューは、単なる準備的聴聞であって、教会的調査をなすものではありません。

2、2000年の委員会は無効です。私が、1999年に、いわゆる「教令」に対して「上告」をなしているからです。それは、そのような
グループによるいかなる種類の判断もあらかじめ無効化しています。

3、調査は、あらゆる主張、提出されたあらゆる文書を調べ、あらゆる証人の意見を聞かなければなりません。

5、教会から、私たちの土地を視察しにきた人間は一人もいません。私たちの主張の証拠として提出された五万通にのぼる手紙類も、何千もの奇跡的癒しの記録や回心の記録も考慮されませんでした。あらゆる証拠は無視されました。

6、教区委員会によって指名された私の弁護人ジョン・ウッズ神父は、手続きの理由について無知でした。

7、インガム司教は私たちに対する彼の「教令」において、私が、2000年11月17日のインタビューの文書に変更を加えた上で署名したと述べています。

これに対する私の答えは以下のとおりです。

委員会において発言された事の記録が、署名を求めて私のところへ送られてきました。
私も、私の弁護人ウッズ神父も、教会が質問するであろう質問についてあらかじめ知らされていませんでした。
それゆえ、私はそのときにできるかぎりの範囲で回答しました。
文書が送られてきたとき、いくつかの詳細をつけくわえることが、私の主張を委員会が理解するのを助けるだろうと考えました。私は質問を変更せず、もともとの回答そのものも変えませんでしたが、単に後者に説明を付け加えました。
32名無しさん@3周年:03/06/22 23:51
続き

8、それは「教令」において、最終的な決定として「聖座は宣言した・・・」と述べています。
聖座は、それ自体としての教理省では、ありません。教理省は、聖座の部分に過ぎません。

9、「教令」は、言うところの「誤った教説」が一体何なのか、何ら明示していませんし、
私はいかなる教会権威者によっても、それらが何であるのか、あるいは何であるかもしれないのか、知らされたことは、ありません。

10、またそれは、信徒たちにとって、私の「教えと行動が危険で有害である」と言っています。
危険で有害なものとは、一体何なのでしょうか?

11、「教令」は、マルコム・ブロウサード神父が、「司祭としての職務を有していない」と述べています。
これは事実に反します。
なぜなら、シュナイダー司教によって司祭としての職務を与えられているからです。そして、司祭は、いかなる状況下においても、司祭のままに留まります。

12、どのようにして、宗教的霊魂たちの修道会が、カトリック教会の教えに反するものでありうるのでしょうか。教皇ヨハネ・パウロ二世の「奉献生活」に従って生活しているというのに?

以上に述べたことをもとに、私はここに明瞭に、以下のことを言明します。

私は聖シャーベル修道会を解散しません。1982年に神が私に与えた仕事も。

私はインガム司教によって2002年7月20日に渡された「教令」も、1999年9月11日のウィルソン司教による以前の「教令」も受け入れません。
1984年12月2日のマレー司教の司牧書簡における「発見」も拒否します。
Most Rev. Tarcisio Bertoneによって伝えられた教理省の言明も拒絶します。
理由は、これらの「教令」や司牧書簡は、非合法だからです。このことは、教会法1638条「上告は判決の執行を停止する」によって、また教会法1628条、1417条、49-50条、221条によって決定されます。

最後に、最も最近の「教令」は、破門の布告を含んでいませんので、私も、私の仕事を支持する人々も、聖なる使徒継承のローマ・カトリック教会のメンバーとして留まります。
・・・・」