十十十 カトリック 96 十十十

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77名無しさん@3周年
>>68,>>72補足

啓示による予言は、人間側が解釈したように実現するとはかぎらないことについて、
聖トマス・アクィナスは「対異教徒大全」第百五十四章12節で、イザヤ38:1におけるヒゼキヤ王についての予言を例に取りつつ説明しています。
英訳は
Summa Contra Gentiles(University of Notre Dame Press)Book III,Part II,p.244参照

リトル・ペブルの予言一覧
ttp://www.shoal.net.au/~mwoa/book_extracts/list_prophecy.ht

教理省の解釈試案によれば、教皇が何発も銃弾を撃ち込まれて殺されるという内容の「第三の秘密」は、暗殺未遂事件によってすでに終了したことになっているのではありませんか?

また、聖ヴィンセント・フェレルは、自分の受けた私的啓示によって、最後の審判が「文字通り切迫している」と解釈し、死の前の二十年間はそのように主張し続けました。が、もちろんそれは実現しませんでした。
(A.Poulain ,S.J.,The Grace of Interior Prayer(Kegan Paul,1912)p.326参照)
神秘神学に関する有名なこの著作は、教皇ピオ十世による認可を受けています。

また、聖ノルベルトは、聖ベルナルドに対して、「自分は啓示によって、反キリストがこの世代のうちに来ることを知った」と断言しています。(前掲箇所参照)
また聖ジャンヌ・ダルクは、獄中で主から「私はあなたを助けるだろう」との私的啓示を受け、これを解放を意味するものとして解釈しましたが、もちろん処刑されました。(前掲書p.324参照)

プーランは以上のような例をあげて、
「懲罰に関する全ての予言は、すべて条件付きであると考えてよい。特別な恩恵を約束する予言も、同様である」(p.327)と結論しています。
繰り返しますが、この著作は教皇ピオ十世自身による認可済みの著作であり、著者はカトリック・エンサイクロペディアの寄稿者でもある、有名な神秘神学の権威です。
したがって、予言が人間側の解釈したようには成就しないことを根拠として、リトル・ペブルはカトリックではない、と主張することは、明らかにできません。