【撫斬り】日蓮正宗系の教義を徹底検証!その2

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551Sansui (恥ずかしながら元妙観講)
『日蓮本仏論』の根拠は、文永八年の竜口の頸の座の死罪等に基づく、『発迹顕本』にある。つまり、上行日蓮としての迹を発して、久遠元初の本仏の本地を顕したことにある。
しかし、日蓮大聖人とは違って、血脈相承を受けただけの貫首には、『発迹顕本』はない。(笑)勧持品二十行の偈の難も受けていなければ、流罪・死罪もない。(笑)
貫首が日蓮大聖人との同格の存在であることを証明するためには、貫首が『発迹顕本』を行った上で、本仏としての本地を顕す責務が存在するが、無論、そんなことなど、阿部某には出来るわけがない。(笑)
そこで登場するのが、花野某・長倉某の日本宗教学会コンビが推奨する、中古天台もどきの『本覚思想』である。この思想の真の恐ろしさは、『本覚思想』さえ信奉しておけば、誰でも安逸かつ安直に、本仏の境地を得られることにある。(笑)
貫首が日蓮大聖人との同格の存在であることを知らしめて、何としても貫首の権威→自らの権威を高めたい下心と野心を持つ阿部某。そして、阿部某へのゴマすりと自らの功名・功利のために、花野某・長倉某の日本宗教学会コンビが遮二無二になって、
『発迹顕本』の替わりに持ち込もうとしている邪義。それこそが、『本覚思想』に依拠した貫首の絶対化・本仏化である。
しかし、稚児貫首であっても、要法寺から就任した貫首であっても、選挙で選ばれた貫首であっても、阿部某の如き豪邸芸者貫首であっても、血脈さえ授かれば誰でも本仏と同格になれるのなら、日蓮大聖人御一代の死身弘法の御教導は、全くの徒労に帰すことになってしまうのだ。
現在、花野某・長倉某の日本宗教学会コンビが煽っている『本覚思想』→『本仏貫首同格化』の愚劣さは、ある意味では、昭和52年路線当時に原島・福島コンビが煽っていた『池田本仏論』→『本仏池田同格化』の愚劣さよりも、遥かに狡猾かつ性悪なる邪義である。
そのように考えれば、「れいな」「法太郎」「妙観講」「石山の無任所・若手教師」等の反動過激分子の狡猾さや性悪さも、充分に納得がいくのではないだろうか。(笑)