全部、苑の公式見解ですよね。
> 苑には伝燈法脈があります。
> それが苑が伝統仏教という根拠になっております。
苑は自らを「伝統仏教だ」と常日頃強弁してますね。
醍醐寺で伝法潅頂を受けたことなどを根拠にしているんでしょうが、
真言の教義を離れ、教祖を「教主」だ「如来」だと担ぎ上げ、
さらにはその妻や子までを祭り上げ、勤行で拝ませ、
その上「接心」などという霊媒まがいをはじめた時点で邪法も邪法。
とても「伝統仏教」などとは言えない代物。
> 真如霊能による接心という修行があります。
> 霊能者の方にみていただくのですが、占いではありません。
> 座禅を組んで悟りを得、因縁をきっていくことを
> 普通の人でも可能にしたものと思ってください。
意味不明です。
そもそも「霊能者」とは何ですか?霊媒ですか?
霊感のある人を教団が「養成」して、見えざるものからの
「神託」を取り次ぐという事ですか?
(霊劇だ、霊言だ、というのを額面通り受ければそうなるでしょう)
また、そもそも安易に「悟りを得」などというべきではないし、
「因縁」は切るべきもの−切れるものでもありません。
(続き)
> 真如苑では次のようなことを、それぞれの心に従って行っています。
これは真如苑に限ったことではありませんが、
「それぞれの心に従って」ときれいごとを標榜しつつ、
信者を縦組織の人間関係で管理し、恒常的にオルグし、
教団のドグマを繰り返し言い聞かせ、依存心や恐怖感を植え付ける−
これが「それぞれの心に従」うことでしょうか?
> 法幢(お話し)を聞くなど
「プルーフ」なんかもその中に含まれるんでしょうが、紋切型の
奇跡談を繰り返し繰り返し聞かせ、礼賛すること−これは「法話」の
類とは言えません。
マルチまがい商法の小集会なんかと同じ、オルグ・洗脳の手法です。
> 接心での気づきを日々の生活の中に活かし、自分の言動や
> 心の動きを修め、慈愛を周囲に現していくことに努めます。
「接心」への懐疑は前述のとおり。
「マインド・コントロール」以外何者でもありません。
> どうして、勧誘の時に「お寺に行こう。」って
> 嘘をつかなくてはいけないんですか?
同意。
苑自身、新興宗教であることを認めようとしないから滑稽。
醍醐寺やら高僧やらいろいろな権威を借りてきて粉飾しようとも、
「真言系の新興宗教」であることは紛れもない事実。
またその組織運営の点でも、マルチまがいに近いことを奨励して
いるのも事実。「霊だ」「因縁だ」と、人間の恐怖心を利用して
教団に人を縛り付けているのも事実。こういうカルト性を改めずして、
社会にから受容・認知されることはないでしょうね。
創価は嫌い。顕正会は、戦後暴れ回って急激に勢いを増した層化に似ている。
だが、層化の毒牙にかかった、日本の新興中産階級はもういないし、
宗教そのものの吸引力もなくなっている。法華経なんて、難解な経典、
今の若者は見抜きもしないよ。また、それを易しくするなんて芸当、
顕彰会には不可能だから。もうこれは、存在する価値ないよ。
現に、「他者を自分の教団に入れる」これだけが、唯一の教義としか思えない
連中ばかりなのだから。