真言密教

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1名無しさん@3周年
「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん。」
「虚空が尽きるまで、迷える衆生が尽きるまで、さとり(衆生を救う行)の尽きる
 まで、永遠に仏に祈りつづけたい。空、衆生、さとりが尽きれば、わたくしの
 願いも尽きるであろう。」
2名無しさん@3周年:03/05/14 15:29
法華経の結経、『観普賢菩薩行法経』には、こう書いてあります。

《釈迦牟尼仏を毘盧遮那遍一切処と名づけたてまつる》

つまり
釈迦=毘盧遮那遍一切処=毘盧遮那仏=バイローチャナ・ブッダ=大日如来。
3名無しさん@3周年:03/05/14 18:40
>>1 よ乙
基本からいくか。
「真言密教の基本」−教理と行証− 三井英光 法蔵館 ¥2400

護身法、浄三業
「オンソハハンバシュダ、サラバタラマソハハンバシュドカン」
一切のものは自性清浄であり、我も又自性清浄である
・・・胸の前に掌を合わせ中を少々膨らまして蓮花合掌し、或いは虚心合掌す・・・
今この蓮花の印を胸に結び、この真言を何遍も誦えつつ、仏性輝いて、我心内の
曇りおのずから払われると、思念する。
4名無しさん@3周年:03/05/15 11:08
>>3
どうもです。1です。どこかでお会いしてるかもしれません。
真言スレ、ないですね。僭越ながら立てさせていただきました。
全くの無学ゆえ、名無しに戻ります。いろいろ教えてくだされ。

月氏には教主釈尊・宝塔品にして一切の仏を・あつめさせ給て大地の上に居せしめ
大日如来計り宝塔の中の南の下座にすへ奉りて教主釈尊は北の上座につかせ給う、
此の大日如来は大日経の胎蔵界の大日・金剛頂経の金剛界の大日の主君なり、
両部の大日如来を郎従等と定めたる多宝仏の上座に教主釈尊居せさせ給う此れ即ち
法華経の行者なり天竺かくのごとし

「報恩抄」

釈尊(上座)>大日如来(下座)と読めますね。
釈尊=大日如来じゃぁないんですか?
5名無しさん@3周年:03/05/15 18:34
>>4 そう、多分どこかで会っているいるはず・・・。
「神社・仏閣」板の「理趣経」というスレに要点を書いた。
しかし、これはまだまだトンデモ本扱いなので、その点、注意が必要。
             ↓
http://travel.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/977900651/96-

ここには、俺なりに考えたことをカキコしてみるよ・・・。
6名無しさん@3周年:03/05/15 18:41
>>5
ありがとうございます。
「理趣経」、あまり詳しい方がいなかったので助かります。
それにしても、神社仏閣板とは、、。こちらでもやってくださいよ。(笑)
どうぞよろしく。
7名無しさん@3周年:03/05/16 00:04
理趣経はお坊さん以外は研究するものじゃないよ。ってゆーか、読んでも駄目なんだよ。
8名無しさん@3周年:03/05/16 05:59
>>7
自ら仏に帰依し奉る。
    当に願わくは衆生とともに大道を体解して無上意を発さん。
自ら法に帰依し奉る。
    当に願わくは衆生とともに深く経蔵に入って智慧海の如くならん。
自ら僧に帰依し奉る。
    当に願わくは衆生を統理して一切無碍ならん。

9名無しさん@3周年:03/05/16 06:07
衆生無辺誓願度 煩悩無尽誓願断 法門無量誓願学 仏道無上誓願成

10名無しさん@3周年:03/05/16 19:08
大日如来を囲む四仏は、簡単に言ってしまうと発菩提心、平等智、慈悲、自利
利他の活動を表現している。如来が果位で菩薩がその因位。大日如来はその総合。
各仏、菩薩は華厳の重々無尽の関係にある。
胎蔵界は上が東で下が西だが、金剛界ではその位置関係が逆になっている。
トンデモ本によらば、これは宇宙を上から見るか下から見るかという関係に照応
しているとのこと。宇宙の真理の描写らしい。
11名無しさん@3周年:03/05/16 20:17
阿含宗は仏敵ですか?
新義と高野山は仲が悪いの?
神道とごちゃ混ぜの修験道はまがいもの?
立川流についてどう思われます?
真如苑は真言宗ですか?
12石川高明:03/05/16 20:39
お前ら、バカですか?
13石川高明:03/05/16 20:40
密教はいってみれば仏教の異端です。
14名無しさん@3周年:03/05/16 20:45
いいや、密教は仏教の最終形態です。
すべてがふくまれています。
15名無しさん@3周年:03/05/16 20:50
>>11
利他と懺悔が基本ということ、いたづらに験を争うものではないはず。

他で見つけたカキコ・・・
>お互い18本山会で親しく交流をしていますので中は良いです。

密教の法界観からすれば神仏混交はOKでは?蔵王権現とかいるし・・・

清浄句是菩薩位の誤読、欲望は清浄ではあるが清浄にしなければいけない、
とも読む。だいたい、坊さんだって欲望の結果生まれているんだから・・・

副産物として法力とかあるだろうが、基本はやっぱり懺悔と利他
懺悔には深い内省が必要なのではないか?

   全般的に俺も専門家の意見が聞いてみたい・・・
16&lro;:03/05/20 21:22
 
17名無しさん@3周年:03/05/21 22:28
弘法大師の説かれた秘密念仏知ってる人いる?
18名無しさん@3周年:03/05/21 22:32

はーらーいーたーこーしーぬーけーげーぬーけー
19名無しさん@3周年:03/05/21 23:05
キリスト教でいうと聖霊派?
20名無しさん@3周年:03/05/22 00:19
盛りあがってますねー
21名無しさん@3周年 :03/05/22 18:16
真言宗霊雲寺派 http://www.reiunji.or.jp/top.html
22名無しさん@3周年:03/05/22 18:41
しんごんはすんごい!
23名無しさん@3周年:03/05/22 22:58
ま、なんだな、威勢がいいのはお盆と正月だけだろな。
24波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/05/22 22:59
そうなん?
25名無しさん@3周年:03/05/26 17:30
真如苑はどうですか?
26名無しさん@3周年:03/05/27 03:01
>>12
>>13

そうなの?
27名無しさん@3周年:03/05/27 03:01
>>3
護身法入ってないじゃん。
28名無しさん@3周年:03/05/27 03:02
>>17
29名無しさん@3周年:03/05/27 03:03
>>8
意味不明
30山崎渉:03/05/28 08:57
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
31名無しさん@3周年:03/05/28 13:10
弘法大師は結婚したんですか?
それとも一生独身だったんですか?
32名無しさん@3周年:03/05/28 23:01
>31
司馬遼太郎の「空海の風景」には
一生、不犯であったという・・・という記述が
33名無しさん@3周年:03/05/28 23:30
へー男色の元祖って伝説も関係あるんかね
34名無しさん@3周年:03/06/02 09:21
理趣経、口語訳全文
    ↓
http://www.sra.co.jp/people/aoki/Buddhism/RisyuKyou/RisyuKyou.html
35名無しさん@3周年:03/06/02 09:54
>>25
真如苑は真言密教のなかでも、真如密と言ってもいいほどだとか。
真如苑はいいらしいよ
(ウチの寺真言宗なんで)
36名無しさん@3周年:03/06/02 10:18
>>25 >>35
寺門の人が、そう簡単に判断されて良いのでしょうか?
今から17〜18年前のことだが、友人に立川の真如苑の施設に連れて行かれた
事がある。広間に大勢の普通の小母さんたちが所狭しと溢れていて、一対一で
対座して何やらぶつぶつやっていた。普通の小母さんが大した修行も経ずに
やっていた感じ。
そして、会合が終わると門前にたむろして、「○○さまがご在所すると日輪がでる」
とか言って、みんなでわ〜わ〜騒ぎながら太陽を見上げて指差していた。
今だから言えるけど、生身の人間を祭り上げて礼拝の対象にするようなところは、
やはりヤバイと思う。信仰の対象はあくまで仏菩薩であるべきで、今のような
行いが「密教」の名前の下で行なわれる現状は、きっと宗祖お大師さんがお嘆きに
なっているに違いない。>>35さん 如何に思う??
3735:03/06/02 11:20
>>36
私が教えていただいた、お話の限りでは
貴方の方が、私より詳しいようですね。
私は、釈尊も、弘法大師様も、キリストさんもその他諸々も
神でもないし、人間で、この世は、
人間の考えで造り上げられてると思っております
教えもそうでしょう。?
38名無しさん@3周年:03/06/02 11:30
>>36
>>信仰の対象はあくまで仏菩薩であるべき
に対してだが、仏菩薩に拝した時に、その仏菩薩の教えを思い返さないと、
真の意味での信仰とは言えないと思う
<もちろん、36さんは、ご承知かとおもうが、>
横スレでごめん
3939:03/06/02 18:51
真言宗は、空海が天皇の前で、「大日如来」になったので成立したのです。
私は本当にあったと思います。私も今年できるかも。
大日如来は
イエス・キリストの
別名ですか?
これまた天皇家は
アシュケーナユダヤ人の末裔でしょ?
(スハァラディだったかな?)
旧約聖書の代表と
原始キリスト教の
代表が日本で邂逅したってのが真相じゃ
ないですかね。
41名無しさん@3周年:03/06/03 11:55
ソースは?
42名無しさん@3周年:03/06/05 14:09
なんか、寂しいな...
4343:03/06/05 17:43
秦氏の研究でしょうか?
44名無しさん@3周年:03/06/05 18:23
朝鮮民族は真言密教を知らない。
新羅に一時期在ったが戦乱ですぐに無くなった。

古代ゲルマン=アーリア人の先祖はインド出だから
まんざらでもないかも。
キリスト教は先住古代ゲルマン神との融合結果。
45名無しさん@3周年:03/06/05 23:38
>44
ゲルマン神話って、ジーク・フリードとかでてくるやつで
46名無しさん@3周年:03/06/06 08:34
>>36
あなたも同様に簡単に判断されているようです。
あなたのはたまたま真如苑に行った時の感想のようです。
たいした修行もしていない人がいるのは在家仏教だからです。
出家仏教は厳しい修行がありますが、社会からは離脱されます。
しかし一般の人はそういう生活がしたくても出来ない方が大半です。
特に家庭の主婦なんかは夫、子供gあいるために自由などほとんどないのが
現状です。
そういう人が信仰心をもてる宗教もまた存在してよいのではと思います。

また信仰の対象はあくまで仏菩薩でということですが、釈尊ご自身も人間でありましたし、
仏典の多くは釈尊の死後に仏弟子たちが補足、作成したものです。
37さんのいうとおりで宗教は人間の手で始まっております。
ただ歴史があるかないかでその重みのようなものは違いますが、
まあ我々も長い目でみて、生きてはいませんが、1000年後に真如苑がどうなってるか
天界から見守ることにしましょう。
4747:03/06/07 07:39
真如苑で、「カルマを絶つ智慧」が得られればいいのですけど。
48名無しさん@3周年:03/06/07 09:22
真如苑は真言密教といっても、かなり異端でしょう?
空海より教祖を崇めているのでは?
ここの信者さんって高野山に参拝したりするのでしょうか?
49名無しさん@3周年:03/06/07 09:57
結局空海も教祖も人間だから、やはり歴史のあるなしじゃないんじゃないかな。
きっと真言密教もきっと設立時はとやかく言われただろうし。
例をあげれば
最近の若い者はなっとらんというあれでしょう。
歴史は繰り返す。
50名無しさん@3周年:03/06/07 09:58
49
失礼
>歴史のあるなしじゃないんじゃないかな

歴史のあるかないかの違いじゃないかな。
51名無しさん@3周年:03/06/07 11:48
>>38 さんの言っていることが、外れていないと思う。
大日如来とその変化身の仏菩薩の境地を自分のものとし、実践するのが密教。
密教の修行とはそういうものでしょ。前提は清浄心。
在家の凡夫にできることは、ネガティブな人間的欲望を清浄にし、できる範囲で
利他行をやるということだろう。清浄なんて言っても、大げさに考えるのではなく、
かね、おんな、さけ、地位、名誉、etcといった欲望の妄執を詳らかに知悉して、
これにとらわれないようにし、自己の向上をはかり、家族、隣人を思いやる・・・、
といった当たり前のことを実践するだけ。これは別に密教だけではないが。
密教では曼荼羅の中央の仏菩薩の内証を感得することが重要だけれども、それに
ついては先人によって色々究明されているのだから、在家は素直にその成果を頂く。
執着を離れた境地は、実に全てが「平等」で、「慈悲」によって生かされ、生きている。
そんなところだろう・・・。
それから、密教も「人間」が始めたことだから、と安易に考える者が多いようだが、
大乗仏教というのは哲学的思弁ももちろんあるが、それとは別に「人為」を越える
智慧の感得というものもあるんだよ。それは、行者が禅定に入ることによって
「与えられるも」なんだけど、凡夫が自分の認識に限界があるのも知らずに、これに
ついて邪推するのは控えた方がいい。まあ、俺を若いときには、「密教」って
なんじゃそれ、だったから、若いやつの軽率な言動も理解できるのだが。
大乗仏教というのは奥が深いんだよ・・・。
52名無しさん@3周年:03/06/07 15:38
漏れ個人的には教祖崇拝の宗教は信じる気がしない。
歴史の短い教祖が威張っていたり前面に出ているのは理解できない。
弘法大師のように天皇直々に期待されていた宗祖と、一個人の教祖
とは全然格が違うな。

北朝鮮の亡命飛行機パイロットでさえ、豚金のことを、
「自らで自らを尊敬しろと言う者が・・・・」って逃げて来る。
53名無しさん@3周年:03/06/07 16:32
ただ弘法大師のことも実はよく分からない部分もある。
実際どの程度の知名度、期待があったのか。
これも後から作られた話もあるようだし。
弘法大師伝説の地っていっぱいあるでしょ。
そんなに日本全国廻っていけるとも思えないし。
54名無しさん@3周年 :03/06/07 20:35
ドロドロしていて危なっかしいインド密教をMADE IN JAPAN風に短期間に上手くまとめて
神道神とも融合させて、真似の出来ない奇跡に近い才能だと思うね。
55名無しさん@3周年:03/06/08 00:26
>54
インド密教ではなく中国密教でしょう
空海が輸入したのは
チベット密教のほうはインドから直接だったみたいだけれど。
56名無しさん@3周年:03/06/08 09:57
偉大過ぎる先人にパラサイトして威を借りながら・・・・・っての多いよな、
いつの時代でも、
57名無しさん@3周年:03/06/10 03:43
生まれ 生まれ 生まれ 生まれて 生の始めに暗く
死に 死に 死に 死んで 死の終わりに暗し
生も死も闇の中にある
58名無しさん@3周年:03/06/10 15:23
空海の死因って何ですか?
59名無しさん@3周年:03/06/10 22:39
>>58
わたしも興味があります。
そもそも、死期を悟って、断食をして、最期は水までも断つ。
これは、ミイラになるために非常に適した行為である。

いまも、高野山の奥の院でおられますが、いままでその姿を見たものは
衣を羽織にいかれたかた一人であり、いっさい他言をされなかったので
実際どのようなのかは不明です。
60名無しさん@3周年:03/06/10 23:02
さらに、弘法大師は自分が悟りを開いたとか、自分の意見が
出て来ないように思います。

さて、何度も口にされたと言う「気づけば大日、迷えば凡夫」という言葉。
そして>>57の言葉。
私には、即身成仏の境地におられたと思わずにはいられない。
さらに、「経験しない事は言ってはならない」てな感じで
自身でおっしゃってます。
心の底から、経験なりで大日如来を確信していないで上の事を言うなら
あれだけ、既存の仏教で納得できない探求をし続けた弘法大師にとって
これほど、遺憾な事はないと思うし、生に執着を示すと思う。
しかしながら、入定へのいきさつは見事でございます。
61名無しさん@3周年:03/06/10 23:20
釈尊「人によってはならず、法によるべし。」

チベット密教は正直、人に依っています。
それが原因か悟りの境地を神秘体験であるように受け止められているようです。
日本の密教も神秘体験の宗教であるが、神秘体験≠即身成仏であるのです。
現代のオウム、そう●など、思いっきり人に依っている。
人に依るのは、仏陀が説かない限り、問題が生じるであろう!

さて、弘法大師を信仰しているのはいかがであろうか?
わたしは考えたのであるが、弘法大師と言う方は、自分の主観をほとんど
感じず、極めて客観的に解釈をして、日本密教に変えていったと思います。
つまり、あらゆる学問を幅広く学ばれた弘法大師であるからこそ
客観的な視点を持つ事が出来、弘法大師に帰依=密教に帰依。
つまり、奇跡ともいえる密教の理想的な人格化ではないでしょうか?
その客観性の是非は歴史が物語っていると確信する次第でございます。
密教は歴史ともに素晴らしい。
62名無しさん@3周年:03/06/11 00:04
聖徳太子は既存神道を日本仏教に変えて行く過程での矛盾を被ったみたいですね。
あたかも世界第一号の宇宙飛行士がチャレンジの犠牲になるように。
弘法大師は何故か危ないものをひじょうに上手くアレンジ導入しているのですね。
63名無しさん@3周年:03/06/11 00:25
真言密教のお坊さんは霊能力をもっているというのは
本当なのでしょうか

64名無しさん@3周年:03/06/11 01:10
>>62
一歩間違えたら、危険な教えを類稀なる頭脳で
正統に伝えてくださいました。
あまりの見事さに、これは日本の為にあるんではと思うぐらいです。
弘法大師でなければ、ありえなかったと思います。
だからこそ、いまの真言僧は密教以外の教えも学び、密教の秘奥を
真摯に求め、真の教えを現代で迷える人の道しるべにせねばなりません。
曼荼羅思想、それは万人の共存を示した尊い教え。
65名無しさん@3周年:03/06/11 02:16
>>63
霊能力は、持っている人もいるでしょうが、一般的ではありません。

さて関連しますが「祈るところ必ず霊験あり」
と申します。本来われわれは大日如来の現れであるのですが、
煩悩のように欲と言う迷いの闇で覆われていて、
全く気づいていないというのです。
この世はすべて、大日如来の現われであるという。

普段は迷いの闇があるが、心の奥底に隠れている仏の境地に常に居座る
事が即身成仏といえる。密教には「三密」を駆使する事により
万人がその境地に至れるとあります。
66名無しさん@3周年:03/06/11 02:17
三密とはすなわち、観念をもち、手に印を結び、口に真言を唱える。
これにより、迷いの闇が払われるというのである。
いつもお祈りしている事は、仏の境地で願いを起こしていないが
仏の境地で願えば、不思議な力が働くと言う。

霊験はいろいろと伝えられている。とにかく自分で実感することが
なにより、一番であろう!

つまり、人に頼る訳ではなく、問題の解決は自分で図るのである。
そのために、様々な仏の形がある。大日如来が無理であれば、
具体的な形を示す仏を念じ、自己を高め、不動の心を形成する。

さて、世の信じられない不幸な人がいるが、可能性的に
もし、仏の世界で、無意識のうちに「不幸」になるように考えて
いてなっているとしたら、怖い気もする。
67名無しさん@3周年:03/06/11 02:18
ここで冷静になりたいが、
あくまでも密教は自分の心を作るために編み出されたものである。
一般に欲を削ぐことが、悟りの方法と言われたが、欲を削ぐのは難しい。
ならば、煩悩を利用して、意識改革を図る。それが密教だ。
自分の心を作るのに必要なのは、曼荼羅思想が重要である。
欲も、他の宗教もすべてを受け入れたところに本当の自分がある。
すべてを受け入れたうえで、自分の心をつくる時、
自分の為になす事が、人の為に成す事に繋がっている形になっている。
これを現世利益と呼ぶ。
本来、不思議な力を得る為にあるのではない。
副産物で霊験があるのである。

答えは、他人にあらず、自分の中に存在するのだから。
68名無しさん@3周年:03/06/11 22:00
>67
「自分の心を作る」とはどのようなことですか?
69名無しさん@3周年:03/06/11 22:17
>>68
一般には、ちょっとのことでは動揺しない心ですね。
いきなり、不幸が訪れるとショックを受けて、そこに怪しげな
宗教がやってきても、大丈夫な心です。

厳密には、お釈迦様の縁起を真の意味で理解する事です。
これは、非常に難解です。言葉を越えた世界ですからねえ。
70名無しさん@3周年:03/06/11 22:35
不動心という奴ですか?

ところで真言宗のお坊さんは漫画の孔雀王みたいに九字切ったりするんですか?
九字はもともとは仏教とは関係ない外道の法らしいですが。
71名無しさん@3周年:03/06/11 22:51
>>70
不動心、そうですね。
注意して欲しいのは、頑固で聴く耳を持たないのでは無い事です。

九字切る?孔雀王を見たこと無いですが、
ん〜。しらないです。
7270:03/06/11 23:06
九字というのは臨兵闘者皆陣烈在前の九字を唱えてそれぞれに印を組み、
なぜか、漫画では最後の「前」の後に「はぁー!」とかなんとか叫ぶと敵に向けた掌から
氣?あるいは衝撃波が出て敵を倒してしまうのです。
73名無しさん@3周年:03/06/11 23:12
>>70
>九字はもともとは仏教とは関係ない外道の法らしい

ソースありますか?

7472:03/06/11 23:19
たしかな情報ではないです。
昔、本で読んだ記憶があるだけです。
なんでも中国の道教や陰陽道が起源のようです。
たしか「役小角」についての本でした。
7573:03/06/11 23:32
>>74
ありがと。
臨兵闘者皆陣烈在前のあとには「はぁー!」とは言いませんが、あと一言言って念を入れますよ。
あまり重用してはいない法ですが、人によりますかね。
7674:03/06/11 23:48
あと一言ですか。
「悪魔降伏 七難即滅 七福即生秘」とかですか?
77名無しさん@3周年:03/06/11 23:57
>>76
いや、そこは口伝なのでここには書けないんだよ。
気を持たせてすまんね。でも何かの本とかには書いてあるかも知れない。
78名無しでカキコ:03/06/12 00:11
>>69 >>77 ご苦労さんです。在俗の立場から少々カキコさせていただきます。

得度もしていない身では、正規の三密を厳修する手立ては事実上、塞がれている
のだが、顕の究境である華厳教理を学ぶことは可能だ。
実にそれは真言の初門であり、かつ東方発菩提心・普賢菩薩の内証、転じて
大円鏡智へ果する荘厳な法界観である。華厳の法界とは、智と慈が実に表裏一体の
ものであることが無分別に如実に了解できるものである。

鎌田茂雄氏の略説
http://www1.linkclub.or.jp/~bussei/e_txt/02_01_067.doc

「下記に鎌田氏の言葉を紹介するが、インドの華厳経は、実践的、体験的であり、
一般の人でも、見性体験さえすれば、中国華厳宗が難解に説明し、実際からは
それている無尽縁起、事事無礙法界の真相を会得、実感するのである。修行すれば、
文字の研究ができないような庶民でも誰でも会得できる点で、インド華厳経は、
実践宗教であり、大乗的なのである。」
http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu-a1/fl-daijo/kotoba-kegon.htm#62a-1

・学究的な論述が多くなされる華厳だが、1〜2ヶ月ぐらい実践的に観想し続けると
、「じゅわ〜」っと来るぞ。こんな快楽はもうないだろう。坊さんも何でもっと
薦めないんだろうか、あんなに楽しい華厳を・・・。おっと逝けない。膠着しちゃ
いけないんだっけ。後はサクサクと利他行をしましょう。
79名無しでカキコ ◆lX/3zqtk/U :03/06/12 01:09
華厳教理を探求する上で非常に参考になったのは、私の場合、井筒俊彦氏の著作だ。
イスラム・スーフィズムがご専門のようだが、東洋思想全般に通じた世界的な碩学。
ちょっとした図説にも透徹した叡智が滲み出ている。その図説がものすごく参考に
なるワケ。抹香臭い説論以外は、この井筒俊彦氏しか読んでいないのだが、これで
十分だった感じがする。

『意識と本質』−精神的東洋を索めて− 
井筒俊彦著 1983年 岩波書店 2806円
『コスモスとアンチコスモス』−東洋哲学のために− 
井筒俊彦著 1989年 岩波書店 2330円

『コスモスとアンチコスモス』に「事事無碍・理理無碍」−存在解体のあと−と
いう著作が収録されているが、これが華厳に対する論及となっている。
「理理無碍」とは井筒氏の造語。
華厳の法界観を想起する上で、強力な解析のツールを得たという感慨がある。

?近代的理性?も伝統的教論に鋭く肉薄できることを改めて実感する著作群である。

今度からトリップ付けます。
80名無しさん@3周年:03/06/12 02:11
>>78 >>79  大切な事を言ってくださいました。
弘法大師の十住心論には、華厳宗が第九住心
密教が第十住心であると位置づけている。
しかし、これは土俵の問題で、優劣ではない。
弘法大師は、あと天台宗(第七)との三つを取り上げ、広く深い主張を
認め、三者を肉薄したものだと評した。
この順番はそれぞれの性質において、なんとか場合分けをしたのです。

わたしは、重々無尽の法界縁起を学ぶのは大変意義があると思う。
そして、弘法大師は華厳思想を密教の境地に至る直前の段階と
主張された。 思想が非常に近いのです。
本当に悟りを目指すものは段階を踏んで密教に行き着くのがよい。
しかも、この華厳思想は、真言宗の教義の上で頻繁に取り上げられます。
81名無しさん@3周年:03/06/12 02:12
82名無しさん@3周年:03/06/12 02:12
(続き)
さて、一般の方たちにとっての密教。それはそれで意味がある。
曼荼羅思想でみれば、この世に不要なものは無いのである。
いまこそ、偏見をもたず、差別無しに良いところに目をむける
思想を持たねばならぬと思う。
そもそも、かつての日本人は曼荼羅思想のように、神道や仏教、キリスト
教を受け入れてきた。他国のように、血を血で争う事は無い。
肯定的な珍しい民族であります。

>>78でおっしゃるとおりに、密教に制約があるが、阿字観などは
一般向けでとても良いと思のです。下手に秘奥をしると危険であるのも
否めませんが。
また、華厳を極めたと感じたら、それから密教に触れていただき
その上でどうであるか、体感していただきたいと思う所存です。
83名無しさん@3周年:03/06/12 02:22
それと、わたしは偶然ですが、ちょうど井筒俊彦著
の「イスラーム文化」を読み始めたところです。

物事のつながりを真に感じ、絶対的な安心感をもつ。
しかし、それを踏まえた上の広い世界が存在する。
なにもお釈迦様ただお一人がすごいだけではないようです。
>>82 >>83 本当に偶然ですね。井筒俊彦は他に「イスラーム哲学の原像」岩波新書、
「イスラーム生誕」中公文庫を持っています。
「イスラーム哲学の原像」は12〜13年前に購入したんですけど、その時点で
既に絶版になっており、古本屋を探して歩いて、何とか購入することが出来ました。
非常に思い出深い一冊です。内容は期待以上でした。スーフィズムの修行の階梯が
詳らかに記述されていて、「アッラーは偉大なり・・・アッラーは偉大なり・・・」
と呪文を繰りながら己心を内観し、行が徹底してくると、光明が満ちてきて、
最後には「無」に至る、そんな内容でした。
ご説のとおり、一般の人には「阿字観」が瞑想法として向いているようですね。
新聞か雑誌か何かで読んだことがあります。結構前の話ですが、高野山で在家の
人を対象に「阿字観」の講習を開きまして、それを受講した信者の方が「阿字観」に
嵌まりましてね、そして大阪市内に「阿字観」道場を造ってしまった、という
話です。
私は、「阿字観」関連の本は持っていないのですけど、「阿字観」をガイドする
ナレーションのCDを持っています。PHILIPSの密教「阿字観瞑想」というタイ
トルです。私も俄然「阿字観」を修してみたくなってしまいましたので、何か
アドバイスいただければ幸いなのですが・・・。
書店でよく見かける書籍は、紺色のカバーの「密教瞑想と深層心理―阿字観 曼茶羅
精神療法」山崎 泰廣 創元社という本だと思うんですけど、これはどんなもの
なのでしょうか。ご存知でしたら講評などしていただけるとありがたいのです。
何か「阿字観」についてのスタンダードな参考図書があるのでしょうか?
ちなみに私の住所は横浜です。
阿字観の講習、全国各地の高野山真言宗の寺院でやっていました。
             ↓
http://www.koyasan.or.jp/ajikan/h15yokou/h15yokou.htm
86悟った人:03/06/13 17:39

真言密教も至極にあらず。
87名無しさん@3周年:03/06/13 18:39
そもそも、「至極」なんて、あるのでしょうか。
「ある」と答える人は、カ。。(以下略)
88悟った人.86:03/06/13 21:22
>>87
悟りの極致を、「至極」と言う。
数息観、日観、阿字観、白骨観、三密加持、造寺、度僧、布施、設斎、写経、読経、葬祭、
座禅、古則話頭、経論、要文、学得、参得、苦行、荒行等をなすを至極とは言わず。
8988:03/06/13 21:24
空海が創建した真言宗は、立宗理論に偽書が用いられている。
本当でしょうか?
その書名はなんですか?
90名無しさん@3周年:03/06/13 21:32
>>84
真言密教の信者さんも「偶然」を信じてますか?

最近の漏れは全てが「必然」で
神仏の計らいの中を人は釈迦の掌の上の孫悟空のようにさ迷うだけのような気がしています。
>>90
「信者さん」と呼ばれて少々途惑ってしまいました。しかし、自分の投稿を読み
返してみれば確かにこれは信者だw。そうです、私はきっと信者です。
さて、「偶然」という話ですが、これを考究していた先人は「偶然」と「必然」は
限りなく近接したもの、乃至は「偶然即必然」とでも言うべきものと捕らえていた
ようです。
単なる偶然はそのまま捨て置くとして、それを体験した個人にとって人生上の
意味のあるの、あるいはその場では意味合いが判断できなくても後で重みのある
現象だったと判断できたもの、これを「共時性」(シンクロニシティー)と
呼びます。シンクロニシティーなんて言い方は、なんか色々なところで言われて
いて、もう手垢だらけですけど。
これを追求した人はユングという心理学者で、フロイトの同時代のスイスの人です。
実際にフロイトの弟子にもなりました。ユングは西洋人には稀なキャラクターの
持ち主で、人間の持つ顕在的な「自我」意識よりももっと深層のところで「自己」と
いう本質的な本性が存在していて、その本質的な「自己」と顕在的な「自我」が
日常の精神活動において一致をみること、これを「自己」の「実現」と言って
いますけど、それがすなわち人間性の完成だ、みたいなことを言っているワケです。
これって、仏教の「真如」とか「仏性」、「真我」なんていうのと概念が似てまして
、ユングは東洋の叡智を備えていた、なんて評する人も多いんです。実際にユングは
東洋の「曼荼羅」を発見していますし、ああ、これは19世紀の西洋人でおそらく
初めて曼荼羅を「評価」したという意味です、それから「易」の追求も試みて
いますね、これも「共時性」の一環なんだけど。
「自己」の「実現」の道程に現れる偶然=共時性は、世上言われているような
「宿命」論とは違いますね。そこには主体の「気付き」が契機としてあるわけです。
「気付き」が切っ掛けとなって、自分というものの存在感が深まってゆく。しかし、
ぼ〜っとしていると、チャンスを逃してしまうんですね。だから、自分にとって
生起してゆく現象がどんな意味合いを持つのかを自覚的に観てゆかなくちゃならない
と思うんです。そう、共時性になり得るような偶然、それは自己の実現に資する
場合が良くあるんです。そういう見方で「偶然」を捕らえられるようになると、
人生の意味というのが身近かに感じられるようになるのです。しかし、後で
ならなきゃ「偶然」が「必然」だったのか分からんのですが、共時性というのは、
もしかしたら死ぬまで分からないかもしれません。だから、「一合一会」なんて
言うけど、後でどういう意味合いが飛び出してくるのか分からないですね。
会った瞬間にはさっぱり分からなくても、その後に結構意外な展開が有ったり
します。
ユング心理学の邦人の第一人者は河合隼雄氏で、なんと現職の文化庁長官です。
日本も結構捨てた国ではありません。著書に「ユング心理学と仏教」岩波書店が
あります。禅の「十牛図」、華厳の「事事無碍」それに「大乗起信論」に触れて
いますね。
私にとって、「井筒俊彦」という名辞が何らかの意味を持つのか否か、自分で
暖めてみようと思う次第です。
93名無しさん@3周年:03/06/14 01:50
>>84
レスを下さってたとは驚きました。

>「密教瞑想と深層心理―阿字観 曼茶羅
>精神療法」山崎 泰廣 創元社
それでしたら、たしか、山崎 泰廣師の著作で「密教瞑想法ー阿字観」
というものがございます。
こちらの方が良いと思われます。
瞑想の際に重要な事など、比較的詳細に記されてます。

講習会があれば、そちらに行かれるのも良いでしょう。
わたしだったら、本を購入して方法を学び、実際に月輪を自ら描き。
まず、阿息観→月輪観と進み、
さらに、月輪に蓮と阿字を書き加えまして、阿字観を修するのが
おもしろいと思います。
山崎師の著作で十分だと思います。

>得度もしていない身では、正規の三密を厳修する手立ては事実上、
>塞がれている
密教の阿字観を知れば、正規にも通じてます。
むしろ、在家の方にもっとも適したものではないかと思います。

94名無しさん@3周年:03/06/14 02:01
>>86 >>88
もしあなたが悟った方でしたら、興味があります。
悟りを開く人は、ものの見方が我々とは異質で、
むしろ「面白い」と感じます。

上の方でユングの事をおっしゃってましたが、潜在意識と表面意識での
一致はすばらしい事でありまして、必然を作り出す
事が可能なモノだと。
神通力はまさに、必然を作り出しています。
9586:03/06/14 11:05
>>94
ユング心理学なんぞ、唯識にも及ばず。
けだし、唯識も至極にあらず。(空海の言うところの、「第六住心他縁大乗心」)
真言密教の瞑想、観法、加持、祈祷、労して功無き愚法なり。悟りにあらず。
>>93
紹介いただいた書籍の書誌が分かりました。
「密教瞑想法」−密教ヨーガ・阿字観− 山崎泰廣 永田文昌堂
早速、メールで書店に注文いたしました。
アマゾンでも購入可能ですね、1〜2週間で配送です。
>むしろ、在家の方にもっとも適したものではないかと思います。
その言葉を信じて修してみたいと思います。貴重なアドバイス、
ありがとうございました。
十喩を詠ずる詩 沙門遍照金剛文
 如幻の喩を詠ず
  吾れ諸法を観るに譬へば幻の如し
  総て是れ衆縁の合成する所なり
  一箇の無明と諸の行業と
  中にあらず外にあらず凡情を惑はす
  三種の世間は能所の造なり
  十方法界は水蓮の城なり
  空に非ず有に非ず中道を越えたり
  春の園の桃李は肉眼を眩かす
  秋の水の桂光は幾ばくか酔嬰する
  楚沢の行雲は無にして復有なり
  洛川の廻雪は重くして還つて軽し
  封着して狂迷すれば三界さかんなり
  能く観じて取らざれば法身清し
  咄い哉迷える者は誰か此を観ずる
  超越して阿字の営に還帰せよ
       −続遍照発揮性霊集補けつしょう−
合掌。 
97名無しさん@3周年:03/06/15 00:30
>>96
あなたなりに何か得るものがあったら幸いです。
たしか呼吸法はそれから学びました。
そのおかげで、動揺してても落ち着けます。

98名無しさん@3周年:03/06/15 00:37
>>95
カントも当然ながら、お釈迦様に及んでませんね。

さて、瞑想やらなにやら、愚法ですか。
それは、機根に応じてのお話ですか?
機根関係なしでおっしゃってるのでしょうか?
悟り、云々ではなく意味はあると思われますが。
やがて、悟りに繋がるのであればと思います。

そもそも、密教は万人が悟りに近づけるように編み出されたと
いう方便だそうですから。
99名無しさん@3周年:03/06/15 03:41
チベット密教、後期密教は邪教なのでしょうか?
100悟れる人、86.95:03/06/15 11:18
>>98.99
カントなんか、あかんト。哲学者ではあるが、覚者にはあらず。
我輩も、昔苦労して読んだことがあるが、窒息しそうじゃった。

瞑想して、悟りを開こうなど、大いなる勘違いじゃ。それは、瞑想じゃなくて妄想じゃ。
密教で万人が悟るなんぞ、これ又、大いなる勘違いじゃ。
機根の劣る、凡夫にできるわざににあらず。密教を研究する人、遠回りになるぞ!
ものの言えない人、如何にして真言を唱えんや?
手のないひと、如何にして印を結ばんや?
各種観法や修行して悟ろうなど業作りの造作に属す。
「座禅、瞑想、観法、読経、写経、写仏、六度万行、仏を求め、喧を厭い静を求むるは、
 是外道の法なり。仏と祖師とは、蕪事の人だ。妄想することなかれ。」
>>94
>潜在意識と表面意識での一致はすばらしい事でありまして、必然を作り出す
事が可能なモノだと。

この言葉、読み過ごしてしまえば気にも留めないような一言ですが、素晴らしい
含意のあるものだと思い起こし、少しく付記させていただきます。
上にも挙げた河合隼雄氏ですが、著書に『明恵 夢を生きる』京都松柏社という
のがありまして、その著書において鎌倉初期に在世した華厳宗の高僧、明恵上人の
残した夢見の記録、『夢記』を分析しているんですね。ユング心理学では夢の分析を
主要な手段としますので、高僧が残した夢の記録というのは格好の研究題材と
なるのです。河合氏はそれまで仏教関連はあまり馴染みが無かったようですが、
明恵上人の生涯を俯瞰した経験から、『自己』の『実現』の成就に対する仏教の
大きな駆動力をあらためて認識したようです。明恵の軌跡が大きな感銘を与えたので
しょう、新聞の記事か何かで読みましたが、河合氏は今では尊敬する歴史上の
人物の第一等に明恵を挙げています。恥ずかしながら、私もこの著作に書かれた
明恵の行状に触れることにより、初めて『仏教』を垣間見たわけで、それから
華厳の遍歴を始めた次第です。『明恵 夢を生きる』は河合氏の著作であるか
否かを問わず、高僧の生涯を著述、分析した本として大変な名著だと思います。
その著書で書かれた一節を紹介します。

『行状』(明恵上人の記録)を見ると、〜彼がいろいろな共時的体験をしたことを
記しているのが興味深い。たとえば、行法の途中に侍者の良詮を呼んで、手水桶に
水に一匹の虫が落ちて死にかかっているので、これを助けるようにと言う。
良詮が驚いて手水桶を見にゆくと、果して蜂が一匹溺れて死にそうになっていた、
などというエピソードが述べられている。他にもこのような逸話が多く記載されて
おり、この点については後に詳しく論じるが、深い無意識層にまで下降すると、
このようなことがよく生じと、現在の深層心理学では考えられており、明恵の
修行の深さが伺い知らされるのである。・・・

引用、終わり。
また、私の体験を他スレに書きましたが、あえてここに再掲します。

今から12〜3年前の話なんだが、山形の密教寺の庫裏に宿泊したことがある。
副住職の話ではその寺は後水尾天皇の祈願所だったそうだ。今でも皇室の使者が
やってくるとのこと。
山の寺で得度の出来る本山だが、住職は里に降りていて、副住職とまかないの
おばさんが寺を守っている。
その副住職と夜、メシを喰っている時に、色んな話を聞いた。夜明け前に本堂で
勤行をしていると、天井あたりで龍がグルグル巡るといっていた。それから、
宮中の女官か高貴な女性の姿がふわっと浮かんで、本堂の中をす〜っと浮遊する
とも話していた。それは、副住職一人だけが見るのではなく、繁忙期にくる
里の坊さんたち、みんなで見たと言っていた。現代でもそういうことは有るのだろう。
ちなみに、その副住職、俺達が扉の閉まっていた本堂の前に到着したその刹那に
扉を開けて私たちを迎えてくれた。こちらから声を掛けたわけではないのだが。
副住職は一言「お客さんが来るとわかるんですよ」と言っていた・・・。

以上。
103名無しさん@3周年:03/06/16 00:28
>>99
コピペしとこう
--------------------------------------------------------------------------------
チベットの仏教は7世紀頃に始まりますが、11世紀頃にインドで成立した後期密教(タントラ仏教)
の影響を強く受けています。後期密教は修行のプロセスに性的な要素を取り入れて、より強力に
悟(さと)りの境地に到達しようとする教えです。日本に伝えられた密教は中期密教以前の段階で、
後期密教は一部を除いて入ってきていません。そのため、チベット寺院の堂内や仏像、仏画、仏
具などには日本と基本的に共通する部分があるいっぽう、目立って異なる表現も少なくありません。
例えば、仏像には明妃(みょうひ)、ダーキニーをはじめ多数の女性の尊像があります。また、父
母仏(ふもぶつ)と称される男女尊が抱き合う尊像も多数あります。さらに憤怒系の損像では、骸
骨や血や肉を表現するなど一見奇怪でグロテスクな表現も見られます。
--------------------------------------------------------------------------------
何を持って邪教とするかが問題になってくるんでねーの?
真言立川流はこのタントラ仏教に属すると思う(思うだけ)けど、邪教との烙印を押されて潰されたね。
104名無しさん@3周年:03/06/16 03:38
>>100
>瞑想して、悟りを開こうなど、大いなる勘違いじゃ。
あくまで表面的な理論を踏まえ、その限界を越えようとするための、
理論を越えた所を修習するためではないでしょうか?

>密教で万人が悟るなんぞ、これ又、大いなる勘違いじゃ。
>機根の劣る、凡夫にできるわざににあらず。
一部の人は、座禅だけで、独自に悟れたり、普段の生活の中から
悟りを見出したりできるかも知れないが、みなが努力をしても
直接、釈尊が説法をしていただける訳ではないので、実際は
ごく一部の人だけになってしまう。
だから、悟りに随分近いところまで来ている者の万人であったら
よいでしょうか?

>密教を研究する人、遠回りになるぞ!
密教の世界観をただ学ぼうが、あくまで方便であり、
縁起などの理解を避けるのであれば、意味がない。
修行が努力の限界に来た時に、初めて密教が生きれくると
考えてよろしいでしょうか?

>ものの言えない人、如何にして真言を唱えんや?
>手のないひと、如何にして印を結ばんや?
あくまで、悟りを一時的にでも体験する方法ですか?一種の裏技。
しかし、これにより悟りに至れる人もいない事は無いと
考えてますが、どうでしょう?

>各種観法や修行して悟ろうなど業作りの造作に属す。
煩悩を最小限にした時、その最小限が無への致命的な足かせに
なった時、それは外道であるではダメですか?
105名無しさん@3周年:03/06/16 03:45
(続き)
世の中にはたくさんの教えが存在するが、
言葉を越えた真意を見つけれなければ、すべて結局、業にでしかなく、
まあ充実した人生を送れるようにはなるのであるが。
ただ教えは、その人に応じてなければすべて、外道ではあるが、
方便になっていると考えれば、仏教ではあると思ったのですが?

外道で思いつきましたが、
そうとは言え、世間では、悟りへの道が確立はしていません。
「あの人は本物だ」とうわさが聞こえてきてもいいとは思うのです。
悟りを開き、仏陀になれるのだったら、現代においても
最適な方便が出来るのでありましょうし。
ばんばん阿羅漢になってると噂が立てば、さすがに無視できないと。
そういう人が本を出ていたら、是非読んで見たいと思います。

しかしながら、世の人はあからさまに邪教と言えるものに、依存している。
(自分が正統だとはいいはしません)
それをある程度は気づかせる事が出来るはずだと思います。
某公●党で有名なあの人は、言動からは、決して悟れるものとは思えないが
それでも、あれだけの発展に至っている。可能なことは可能なはずだと
思います。
あなたのこれからの展望を聞かせていただきたく存じます。
106100:03/06/16 11:20
>>104.105
沙門の果報は、念慮を止めることによって完成するのであり、学ぶことによって
得られるものではない。
君は今、心でもって心を求め、他人の家に頼って、そこから学び取ろうとばかりしている。
そんなことでは得られる日の来るはずもない。

いにしえの人は、心聡く、たった一言で直ちに学ぶことを絶った。
だから、「絶学無為の閑道人」と呼ばれた。

今どきの人は多知多解であろうとして、言葉の意味を広く探求し、そのことを
修行と称している。しかし、実は多知多解はかえって真実の目を塞ぐものである。
ただ、思念をやめることを弁えてさえいれば、それで事は済む。

今、大事なことは、あらゆる時、あらゆる機会に、日常の行住坐臥の一つ一つの
うちに、ひたすら無心を学び、ものを分別することなく、日ねもす、のほほんと
して、成り行きにまかせ、まるで阿呆のように生きてゆくことだ。

世間の人は、誰も君を知らぬ、君の方も人に知ってもらおうとか、知られたくない
などと気を使うこともない。
無一物とは、何物ももたぬことである。佛も祖師も、ただ、それだけの男である。
無一物ならば、見聞覚知あるまじと思う。覚者は、見聞覚知、直に無一物なり。
ここをよく心得べき事なり。

どえらい修行をつづけて、悟りを開いたなどと言うのは、こけおどしである。
法師は、説法を極めて好み、心中の煩悩を離れず、口に文字を談ず。
汝若し、心要を知らんと欲せば、ただ一切善悪すべて思量するなかれ。
自然に清浄心、体に入ることを得て、湛然常妙用恒沙である。

「誠の出家というは、生死の家も出、善悪の家も出、仏の家も出、
 万事にはなれ切りたる人をさして、僧俗男女に限らず、誠の出家と言うなり。」
『密教瞑想法』が届いた。パラパラと目を通して見た。『阿字観』の定に入った
時の感得内容が記されているが、華厳の時に経験した内容とは違うんだな。
瞑想法によって結果が異なるというのも興味深い。
華厳の時は、別に座禅したわけではなく、禅定に入ろうなんて意識もなしに、
ただただ華厳の世界が嬉しくて嬉しくて華厳の世界を想像していただけだった。
今は多少知恵がついたので、その観想していた内容が「理」から「事」への
「生起」、それと「法界縁起」の二点だと指摘できるのだが。当時は通勤時や
仕事中、入眠の時に(要するに一日中ってこと)観想をやっていた。そうしたら、
ある朝、目が覚めると下のような感覚に襲われたんだ(別スレへの既存の書き込みを
再掲しておく)。内容の重複する部分が有るが勘弁を願う。この「歓喜」感に似た
体験をした、若い女の人の話を新聞で読んだことがある。読んで、ああ、同じだ、
と思った。その女の人はそれを切っ掛けに出家して、千葉県の寺の尼さんになって
しまったのだが。
一体感というのは、行なんかしなくても何かの拍子に体験する人はいるみたいだ。
ネットを見ていて、二人ほど体験を読んだことがある。「密教」の方は「宇宙的」
だと記しておく(そう本に書いてある。まだやっていないからよく分からんのだが)。
PHILIPSの「阿字観瞑想」のCDは、2003年3月に禅宗のCDと一緒に再発売と
なっている。内容は俺が昔買ったやつと同じ。ニーズがあるんだね。ちなみにCDの
瞑想誘導のナレーションをやっているのが、山崎泰廣師。本の著者だった。というか、
阿字観瞑想は山崎氏が権威なんだね。
引用した書き込みの中で「悟り」なんて書いちゃっているけど、これは一種の見性
体験に過ぎないと思う。別に悟ったわけじゃないので、念のため・・・。
>>93氏、あらためて感謝!
184 名前:十住心論第九極無自性住心(その1) 投稿日:03/04/22 04:06
ネタ切れのようだから、私の経験談を披露しよう。
一般に「悟り」についてあからさまに披瀝するのは日本人の心性に反する
ようなので、このようなことを語るのははばかれるところなのだが、これは
体験者の責務であるとも思える齢に達したので、臆することなく語りたい。
私の仏教体験の端緒は河合隼雄の「明恵、夢を生きる」。27歳ごろの事。
この本には、明恵が華厳に執心する様が描かれていたと記憶している。
あれほどの明恵が依拠した華厳とはなんなのか、探求したい欲望に駆られ、
色々華厳関連の書籍を紐解いた。内容の緻密さでは、井筒俊彦が秀逸だった。
岩波で著書が出ている。彼の論は、仏教思想のみならず、道教やイスラムの
スーフィズムにまで及んでいる。華厳の「事」と「理」、それに「重々無尽」と
いう概念について、とことん突き詰めていった。
185 名前:十住心論第九極無自性住心(その2) 投稿日:03/04/22 04:08
すると、成るんだよ・・・自分が世界で世界が自分だという感覚に。
机を見ても壁を見ても、ああ、これは俺なんだ。何を見ても俺。俺が遍在して
いる(笑)。しかも、無生物でもものすごく愛しい。全てが愛しくなる。
じゅわ〜っと、愛しくなる。>>XXX〜>>XXXは茶化した物言いだが、あれは本当だ。
穿ってみれば、>>XXXは知っているのかもしれない。まあ、買いかぶりかもしれ
ないが。普段は自分に対して外在しているとしか思えなかった物質が自分と
同一だと感じる妙な感覚。それから、経典一般に説かれているような無上の
「歓喜」。その上、無条件に存在者から抱擁されているかのような安堵感。
きっと、今はもう記憶をなくしてしまっている、嬰児の頃の、母に慈愛を
もって抱かれていた時のような感覚。仏恩とは本当だ。悟るとは嬰児に
帰ること。空間が粘っこく感じる。動作が弛緩する、というか浮遊するような
感覚。何を見ても顔が緩む。
そんなことが、二日ほど続いた。さすがにこれでは仕事が出来なくなると思い、
少々焦った。そしたら、二日でこの感覚が消えた。(私は普通のリーマン)。
ちなみに、寺院での修行は全然行なっていない。水行とか、そういう類のことも
無し。ということは、出家しなくても一定の水準には到達するのだろう。
(寺は要らないが、邪魔でもない、そんなところが私の本音)
最近、弘法大師の「十住心論」を読んでちょっと、驚いた。第九巻は華厳なのだが、
弘法大師は当時、既に井筒俊彦のような華厳の哲理の解説を書いていたのだ。
それも、華厳の思惟の方法まで・・・。華厳を経た私には、うなづけることばかり
だった。しかし、弘法大師は言う・・・、極無自性住心(華厳の悟り)は
真言の初門に過ぎない、と。
少々、追記する。
華厳の観想で大事なことはビルシャナ仏に対する「信」ということ。
ビルシャナ仏の法身=法界≒世界と思い込んで、自分もその法身に没入(渉入)
していると観ずること。自分も含めて事事無碍なんだと・・・。
弘法大師は華厳を「極無自性心」と命名しているが、これは「自性なしを極む」と
読むらしい。含意の深さに脱帽・・・。
111名無しさん@3周年:03/06/16 21:53
>>99
>>103
なに言ってんの?!いい加減にしてよ!
日本には中期密教までしか伝わってないけど、
チベットには後期密教までが伝わってる。チベット密教はいわば密教の完結型。
チベット密教のことをセックス宗教だとか考えてるのかもしれないけど、
日本のお坊さんより、チベットの僧侶のほうがずっとずっとまじめだよ!
アマゾンで検索しても詳しい書誌が載っていないので、ここに奥付を書いておく。
『密教瞑想法』−密教ヨーガ 阿字観− 山崎 泰廣 著
著者略歴 1929年 神戸市に生まれる 1954年 高野山大学大学院卒業
1955年 宮島弥山にて虚空蔵求聞持法成満 1974年 伝燈大アジャリ位拝命
密教の源流を求めてインド・ネパール・タイ・カンボジア・スリランカ・中国等を踏査
現在 種智院大学教授(密教学) 高野山大学講師 国際ヨーガ学会主幹 常光院住職
著書 『密教辞典』(法蔵館)共著
『密教−阿字観瞑想−』(CD PHILIPS)
『密教瞑想と深層心理−阿字観 曼荼羅 精神療法』(創元社)
『密教の神秘思想』編著(朝日カルチャーブックス)
英文”SHINGON”(SHAMBHALA)
==弘法大師降誕1201年記念==
昭和49年7月3日第1刷発行
平成6年10月20日第15刷発行
発行所 永田文昌堂
P.S.入定する準備としてやる「護身法」の五つの三密も載っているし
(印も絵入り)、親切な本だと言うのが感想。別の坊さんは、在家の人はこの
護身法だけでも、心の安心が得られると書いていた。ほんと、在家向けの良書だぞ。
本の帯の推薦の声
■著者山崎教授は密教の真髄をきわめた本格派。高野山で修行ののち、インド・
ネパール・セイロン・タイなど密教の源流を行脚し、さらに、さらにヨーガと
現代医学の角度からメスを入れ、構造的生理的に瞑想法を解明
 −読売新聞書評より−
■真言密教の深秘は教理と実修法を、広く一般在家の方達にも理解出来るように
書かれた最初の書物である。
 −英文毎日デイリーニュースより−
■現代人にとって親しみやすい有形から入って無形に至る合理的”阿字観・
月輪観”の存在を教示・・・
 −読者名古屋市 安藤○○−
113名無しさん@3周年:03/06/17 00:01
>>106
レス多謝でございます。

>沙門の果報は、念慮を止めることによって完成するのであり、
>学ぶことによって得られるものではない。
わたしは、「心中の煩悩を離れず、口に文字を談ず」を滅す事が
かなわないからこそ。見聞を広めることをして、持っている主観をなるべく
取り払う方法を考えています。
その上で、密教の修行法でそのどうしても残ってしまう少欲を
あわよくば、無に出来るのだと考えていますし、現実的に思うのです。
ひたすら無心になる術がわかりません。

と言うのも、
>「思念をやめることを弁えてさえいれば、それで事は済む。」
>「ひたすら無心を学び、ものを分別することなく、日ねもす、のほほんと
>して、成り行きにまかせ、まるで阿呆のように生きてゆくことだ」
そのいわば、禅宗のような方法はごく一部の人しか出来ない事だろうし、
まして、これだけ文明の進んだ現代では生活をしていく上でも(自分には)
山に籠もらない限り到底不可能だと思うのです。

>心要を知らんと欲せば、ただ一切善悪すべて思量するなかれ
密教の思想に影響を受け、ひとまず、すべてを認める気持ちが
芽生えた段階です。
しかし、いきなり無を念じるのは、多知多解によりどうしても足かせに
なってしまうと思うのです。

もし、釈尊が説法をして下さったら、自分だけに合う対機説法をして
いただけるでしょう!しかし、今のところ、それは叶わないです。
だから、こそ自分で見識を広め、自分にもっとも適当な方法を
探す事を見聞し、自分に見合うものを探求していくのはどうですか?
114名無しさん@3周年:03/06/17 00:33
(長文申し訳ありません。続きます)
>世間の人は、誰も君を知らぬ、君の方も人に知ってもらおうとか、
>知られたくないなどと気を使うこともない。
所詮、真理は言葉であらわせるものではなく、同時に他に真理をそのまま
伝える事も不可能であり、結局は自分自身の問題であるから、
自分は自分で評価すればいいということでありましょうか。

わたしは、「無為是仏心」といった言葉を例に取りますと
何もしない事が仏心であるなどと、まる覚えをすることをしないで
その理由を考えないと納得しません。
だから、有為とはどういう事かと考えますと、自分の煩悩のままに
行動を起こしたりする。欲の絡む行為だと考えます。
仏とは、慈悲と智慧であります。
だから何もしないわけではなく。(と言っても体は生命活動をしてますので)
自分の欲の為に何もしないのが仏心ではと考えるわけです。
そこから、具体的に無為とはどのような事であるかと…
115名無しさん@3周年:03/06/17 00:34
(さらに)
であるからこそ
あなたのご忠告が正しい真理への道であろうが無かろうが
自分で導き出せなければ、意味がないと思っております。
そのまま鵜呑みにする事は、他人に依存する事になります。
わたしは人を頼りはしますが、依存は避けるべきだとおもいますので。
だから、あなたの思想に自分なりの理由が導き出されれば、
(納得してから)実践をしたいと思います。
やはり、有をいきなり無にはできません。

あなたは、わたしが焦って、自分を見失っているように思っておられませんか?
否定はしません。そもそも、わたしの心は無常であります。しかし
なぜか悟りという常駐を目指そうとしています。
じつに矛盾な迷いの行為でありますね。
しかし、根本が変だと思われても現状からすこしでも気づいて行きたいのです。

だから、今後に生かすためにも、あなたの意見をばしばしと
お聞きしたいのであります。
116名無しさん@3周年:03/06/17 02:01
>>111
現実社会では、日本の密教より、チベットの密教の方が
よっぽど、お坊さんで素晴らしいのは否めませんが、
理想を突き詰めますと、後期の密教はシヴァ教の変型であるそうです。

中期密教までは良かったのですが、後期密教ではさりげなく
ヒンズー教のシヴァ教が入り込み、基本の思想が変わっている。
ましては、中期密教で説かれなかった事、つまり
セックスの恍惚体験が実体否定をした釈尊の境地と説いているのです。
「般若経」により、実体否定をする認識をもてば、執着したセックス感覚
が悟りの境地をはるかに遠ざけているとわかるはずだそうです。
それは知覚経験でしかないからである。
言葉を越えた世界だとはいえ、幻をみているに過ぎない。

簡単に言うと、中期の現世利益に一歩も近づけないやり方で、
発展したものではないそうだ。
現代では、この境地を誰も気づかず、だれもおかしいとすらいわないのが
現実のレベルらしい。
廃れているわけね。
117名無しさん@3周年:03/06/17 04:47
>>116
ありがとうございます。勉強になりました!
ところで、勉強不足なもので教えていただきたいのですが、
実体否定をする認識をもつ、ということについてですが、
密教は実体験を重視しますが、
セックスをするというのは、その実体験とは全く別物ということですね?

>>103
コピペありがとうございます。
>>111
私も以前は全く同じように思っていたのですが、
最近色々と疑問が出てきたのです。。
118名無しさん@3周年:03/06/17 04:55
名無しでカキコさんは面白い道を歩んでますね。

そうですか、山崎師の本に出逢えるのも必然すら思えます。
わたしの考えでは、あなたの深層意識の思いがそう導いているような気分です。
密教では悟りを求める心が「仏」になれる条件にありますが
これは、実は深層意識が実際に体に及ぼす力のことを言ってるのでは?
密教の霊験を辻褄が合うように考えると、これに行き着くんです。
発展すれば、必然にする力を欲しているのに、ただ気づいてないから偶然では?
まあ、主観ですがね。

うすうす気づいてましたが、なるほど>>108-109はあなたでしたか。
インパクトありましたからね。
>>83あなたの話で知って、ある時、本屋で目にとまり購入したのですよ。
偶然と言うかなんというか。
それにしても。ちょうど2chで求めるものを得たし、ひと段落して
去ろうと考えてたんですが、何故ここに来たのかわかりません。
でもなんかしら得るものがある。
119名無しさん@3周年:03/06/17 05:55
>>117
別だと認識してます。
私としては、どうしても無にし難い欲、あえて欲という存在を認め
それを利用し、最終的にに無にするのだと思います。
それができる事は実体否定を認識することでもあると思います。

そして、仏教ではセックスをタブーとしてきたが、それを真っ向から
受け止め、言及したのが密教だと。

実体否定をする認識するのに足かせになっている少欲(欲を
なるたけ減らしてもどうしても残る)を利用して意識改革を図る事を
利用して、セックスで意識改革を図れると思うのは勘違いだ。

密教は自分を実の如く知る事を目指しているのが
「気持ちが良くて訳がわかりません」は違うでしょう!
そうでは無く、もっと深層の己を知るのです。
そして、深層に触れたとき神秘体験がおこるのではと考えてます。

そもそも私の考える少欲とは、本来無常なものにどうしても
特徴を作って不変性を求める人間の根本的な欲である。
>>118
自ら僧に帰依し奉る。
    当に願わくは衆生を統理して一切無碍ならん。

仏縁に深く謝し奉る。感涙、感涙・・・

南無大師遍照金剛・・・合掌。




121名無しさん@3周年:03/06/17 12:21
>>113〜115
>(納得してから)実践をしたいと思います。

是の如く疑うを生死の業といい、是の如く疑うを煩悩という。
一切の法を行じて、所得の心無きを、名づけて無所得とか、無心という。
誰も皆言よる、「(納得してから)実践をしたいと思います。」と。
いったい、どんな真理を悟り、どんな道を修めるというのか?
「君たちの今の動きに何が欠けているのか?
 無明の実性は仏性であり、幻化の空心は法身である。
 無と云うは空である、仏も又空である。それで無即仏、仏即無と云うのである。」

「一切法は皆是れ仏法、諸法は即ち是れ解脱。
 解脱は即ち是れ真如にして、諸法は真如を出でず。
 行住坐臥は悉く是れ不思議の用にして、時節を待たず。
 経に曰く、在在処処、即ち仏有りと為すと。」
122名無しさん@3周年:03/06/17 16:12
>>121
まず世の中を観察すると、怪しげな新興宗教が蔓延り、
一心に信じるものが、不幸の道をたどっている。法に依るのを第一と。
無条件で人を信じる事は、自分をより所にしていないと思います。
であるから、その部分を含めて付き合っていただきたい。

さて、わたしは、空の原理がわかったところで、(観察は出来ていない)
この無明はかなり厄介であると実感はしています。

>是の如く疑うを煩悩という
正確には疑うというより、具体的にどうするか行動が伴わないのですね。
そもそも、見ている世界がそのまま外にあるのでは
ないと信じて疑いません。目の前のものが虚妄であると肯定してます。
つまり無所得であるから、日常すべてにおいて空を観察するように修習する
ようにただ単に知識ではなく、
その意識を改革していく事は念頭には置いています。
しかし、現実的で具体的な方法が密教のでしか見当たらない。
密教の方法は実に人間の性質に即して考えられていると思います。

しかし、あなたはそれ以上のモノがあるという。
あなたのおっしゃる至極と言うものを
>日常の行住坐臥の一つ一つのうちに、ひたすら無心を学び、
>ものを分別することなく、日ねもす、のほほんと
>して、成り行きにまかせ、まるで阿呆のように生きてゆくことだ
では、個人的に密教の魅力が上回ってしまいます。
もっと具体的に示していただければと思います。
たとえば、
「ついつい、こうこう…と考えてしまうが、●●の気持ちが過ちで、
注意としては、根本的に★★であり、…」
等とポイントをご教授下されば幸いです。
123121:03/06/18 00:06
>122
「もし人、仏を求めば、この人、仏を失う。
 もし人、道を求めば、この人、道を失う。」
 仏教は密教以外にもありますので、色々、あたって見てはどうでしょうか?
 ひまがあれば、キリスト教等も仏教と合い通じるものがあるようですが? 
124名無しさん@3周年:03/06/18 02:52
>>123
はて?あなたは「悟れる…」の方では無かったののですか?
人違いでしょうか。

ちなみに、わたしは既にキリスト教を認めていますし
場合によっては、イエスの言葉を思い起こし、自分を戒める事もあります。
全くの別物とは思えません。
他の仏教も認めています。見下す事は決してありません。
そして、禅宗より、わたしには密教が入りやすいと思っていますので。
まあ、密教に華厳を含んでいますが。

真言密教の守らなければならない4つの事に、幅広く学べとありますし、
もっともだと思います。
だから、学べることがあれば、耳に入れたいと思うのです。
125カルト警報:03/06/18 09:25
★> 説法聞きたければ同行にならなければなりません。
> 同行になるには、儀式を受けないといけないので
> 冥加料35万円(変動制)払って2日間京都で缶詰にされて
> 帰ってきてからも、護持費、会費、廻向費、御布施など
> 死ぬまで払い続けなければなりません。
> 同行になった事を、他人にばらしたら無間地獄へ落ちてしまいます。
> 毎晩仕事が終わってから深夜まで日曜日は朝6時からお寺に行き
> 持てるツテやコネを最大限に活かしひたすら済度する為に走り回り
> 家庭崩壊しようと、会社を首になろうと
> ひたすら無量壽寺に尽くす為に一生をささげなければいけませんが
> それでも、聞きたい?

> 勧誘する時には絶対に
> 念佛宗無量壽寺の名前は出しません。
> もし少しでも名前を出してしまったら
> その人がネットなどで調べてしまい
> ここのスレなどを見て念佛宗の実態がばれて
> 京都へは連れて行けなくなるからです。

> たとえ夫婦であろうと、家族、親、兄弟、親族、友人など
> その人を済度して京都まで連れて行って同行にしないと
> 念佛宗の事を明かす事は出来ません。
> 同行になっていない人に念佛宗の事を明かすと
> 無間地獄へ落ちると脅されています。
> 練りに練られた勧誘方法だと思います。
> それまで精神社会に触れたことの無い
> 働き尽くめだった社長さん達を仏法を説き先ず入信させる。
> その部下、取引先など首を横に振れない人達を済度する。
> その人達が自分の家族、親族を済度する。
> それで、増えに増えて現在3万人。
> あなたの周りにも、きっと念佛宗同行がいるはずです。
126117:03/06/18 14:46
>>119
レス、ありがとうございます!!
127名無しさん@3周年:03/06/18 21:56
>>126
チベット密教の粗捜しとも取れますが、
ただ素晴らしいと思う一心で妄信するのでは無く
自分で素晴らしいと思うところを自分のモノにして頂きたいです。

ただ弘法大師が世間で神と呼ばれる存在にどういった理解を
示していたかについては、大変興味があります。
弘法大師が仏教を色眼鏡無しに観察したように、
我々も弘法大師を客観的に観察すべきかもしれません。
128病弱名無しさん:03/06/19 00:36
弘法大師空海様
今の日本の宗教界を
正してください

南無大師遍照金剛

合掌
129名無しさん@3周年:03/06/19 22:34
>>128
・・・だね。
欲にまみれたクソ坊主達は弘法大師に合わす顔があるのだろうか。
130名無しさん@3周年:03/06/19 22:48
同感
131名無しさん@3周年:03/06/21 00:43
阿字本不生の意味をおしえてください。
132名無しさん@3周年:03/06/21 01:49
聞くな、んな事
133名無しさん@3周年:03/06/21 10:09
呼ばれた気がしたのでカキコです。
【阿字本不生】 ある回答。
「あ」「うん」の呼吸といいますよね?
これは、人間が「あ」といって生まれ、「うん」といって死ぬという事で
つまり、初めと終わりと考えていただきましょう。
「阿」ですが、私たちの生まれを「阿」としましょう!

その私たちの誕生ですが、「無」からいきなり「有」になった訳では
ありません。(「有」が「無」にもならない。) 
様々なご縁。つまり、両親が出会ってとか、受精してとか
それだけでなく、親が事故に遇わないで済んだとか、
あの時、〜の電話のおかげで、危機を回避していたとか…

さらに、自分の生命の起源を辿っていっても、始まりってなんでしょう?
神というなら、その前は?
様々な働きがあって、自分がいるのです。そして、自分を意識しているから
自分なのです。良くない例えですが、脳死になっても、あなたの体は存在してる
自分で自分を認識しているからこそ、「生」と思うのです。
我々は宇宙の一つの現れに過ぎませんが、実はすべてと無縁では無い。
世の中すべてが宇宙、大日如来の現われなのです。無から有にはならない。

あなたも本来、生まれてないんです。
ただ、生と死という事に極端な特徴があり、意識しているのです。
【自分の心の本源(阿字)は不生である。】
あなたは、本源をまだ、しらないから、あらゆる物事を特徴付けて判断します。
逆に、こんなに物事を特徴付けて考えれる生物はありますでしょうか?
生命の神秘。素晴らしい事でもあります。
この貴重なひと時に感謝して、生かされてる事を感じて下さい。
実に規則的に呼吸をしている事だけでも、すばらしい事です。
134名無しでカキコ ◆lX/3zqtk/U :03/06/28 22:16
下がったのでageておきます

>>131
今、金岡秀友の「密教の哲学」を読み直しています。昔、平楽寺書店のサーラ叢書
で読んだのですが、今は講談社学術文庫で新装刊行されていて、買い直しました。
便利な世の中になったものです。その気になれば、ほぼどこでも買える・・・。
「阿字本不生」はこのbookでは、有・空・中の統合された当体というような解説が
されています。天台では「仮・空・中」の三諦で、華厳では俺の感覚では理、
理事無碍、事事無碍の三法界に当たると思う。事事無碍が仮にあたるか、ハッキリ
した言説は読んだことは無いが、かなり近いんじゃないかな。
阿字本不生、観察する観点の違いによって、異なった相を表すイデアのようだ。
135名無しさん@3周年:03/06/29 06:41
密教って呪術だろ?
136名無しさん@3周年:03/06/29 06:46
137名無しさん@3周年:03/06/29 22:14
>>135
仏教の残骸。
ヒンドゥー經の呪術的な要素を取り入れた仏教。
138名無しさん@3周年:03/06/30 01:36
世界宗教の発達が、呪術的要素からの脱却だとすれば、
密教は退化した宗教。
139名無しさん@3周年:03/06/30 08:41
へぇー そうか?
じゃー「南無妙法蓮華経」って、題目何回も唱えるのも
「南無アミダ仏」って念仏何回も唱えるのも
堕落した宗教だよね。
140名無しさん@3周年:03/06/30 09:10
>>139
今ごろ何言ってるの?大乗仏教が起こった時点で、十分堕落
してるんだよ。とはいえ目的は衆生済度だから一概に言えない
部分もあるがね。

できれば「堕落した宗教」ではなく「堕落した佛經」にしときな。
141名無しさん@3周年:03/06/30 18:09
より深奥を求めた最澄に対し、空海は一般受けを狙った。
密教はサブカル。だから空海の方が大人気。
小難しい学問より低俗なバラエティーの方に人は集まるのと一緒。
142名無しさん@3周年:03/06/30 20:09

ちょっとは頑張って勉強してね
143名無しさん@3周年:03/06/30 23:06
>141
そうとも言えない、
最澄は密教をもとめて、空海に教えを乞うた。
また密教は天台でも重要な要素だ。
修業実践重視の空海にたいして、学問、理論重視の最澄
どちらも必要。
144名無しさん@3周年:03/07/08 18:03
真言宗は天台法華の十界互具の思想をパクってます。

http:www.geocities.jp/mksutra/singonbokoku.html
145144:03/07/08 18:07
146名無しさん@3周年:03/07/08 18:26
真言宗の坊さんへ。
空海は久遠仏ではありません。勘違いしないでね。
147名無しさん@3周年:03/07/10 03:02
>>146
それは、法華思想です。 話してる土俵が違うのです。
密教では、本来、久遠の成仏、来世の成仏などにはこだわらない。
この世で、つまり生きているうちに、仏になる事を目的としている。
密教は、知識ではない。 (そもそも仏教は知識ではないが。)
どれだけ、大日如来に気づくかが焦点である。
ひたすら、研究だけの者は成仏できないであろう。
実践が要でもある。 
148名無しさん@3周年:03/07/10 04:50
>>145
お邪魔してきました。

法華経は便宜的方便。
それは、原始仏教の時代から、言い伝えられてない事からも察しがつく、
しかしだからといって、法華経がおかしいとはいえませんがね。
釈尊の時代から、方便がありましたからね。
また、法華経を絶対的にそれのみを信じるのはそれはそれでよい。
それで、満足しないものが、密教なりを求めればよいのだから。
149名無しさん@3周年:03/07/11 19:00
釈尊関連でいえば、台密、チベット密教、それに善無畏三蔵も大釈同体、真言密教だけ
大釈別体説。
佛身論の点からいえば真言密教は密教の中で異端でつ。
空海のこじつけ教。
150名無しさん@3周年:03/07/11 19:35
九顕一密などといっても法華経の一念三千、十界互具のパクリ。なんで華厳より下なんだ。
151名無しさん@3周年:03/07/11 21:09
>>149
しかしまあ、はっきりと別って言ってもらった方が
すっきりする罠。
152名無しさん@3周年:03/07/11 23:09
空海の演出能力の高さは認める。
開祖と言うよりはプロデューサーと言った方がしっくりくる罠。
153名無しさん@3周年:03/07/12 00:18
>>149-150
真意を外れず、わかりやすく解説してるのを評価するべきだと思う。
まあ、それがあってるのか、間違ってるのか、我々にはわかりづらいが。
そもそも、パクリと言うが、時代の背景を考えると、密教がまったくの別物より
同じ仏教であると、あえて法華経などから、取り入れた可能性もある。
頭をやわらかくしてみよう!
弘法大師の書物は「大日経や金剛頂経を所依とする密教」の解説である。
理解の指針を示してもらえたのである。

それに、十住心論のすばらしいところは、当時の有力であった天台、華厳、密教
をそれぞれ、尊重して、密教は確かに異端であるから、十番目の境地と
している。 真の優劣は論じてない。
華厳と密教のつながりは、弘法大師は華厳を非常に尊重しておられた。
しかし、弘法大師は、自分のことをほとんど書物に残していない。

>>152
弘法大師は八祖目にあたるのをお忘れなく。

さらに凄いのは法華経、他の大乗経典、密教経典などは作者がいるはずなのに、
正確には不明=我がない。 崇高な者達に見られる特徴である。
154名無しさん@3周年:03/07/12 09:35
五大皆響在り
155山崎 渉:03/07/15 14:06

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
156名無しさん@3周年:03/07/17 00:33
名無しでカキコさんへ  お礼を申し上げます。

河合隼雄氏の著書「カウンセリングを語る」上・下を読みました。
予想以上に素晴らしいので、他の書籍を9冊ほど購入しました。
あなたがあれから、どれほど密教に傾倒されたかわかりませんが、

河合氏の著書を読む事により、
密教の不動明王・観音菩薩と金剛界・胎蔵界と西洋・東洋
との話の繋がりが見えてきました。
なお、氏は観音菩薩と西洋と東洋との言葉を引用されただけですが。

この方は、ユングの影響を受けられてるとは言え、猿真似をしたのでは
なく、自分らしく構築されてるように見受けられました。

なにが、素晴らしいと言えば、人間の深層に迫る第一人者の意見を
聞いたら、そこに密教の哲学が被るのです。
心に収まりのつかない感動を思えたので、カキコした次第です。
157名無しさん@3周年:03/07/17 23:38
>>156
河合さんの本は素人受けしますが、臨床心理の専門家からみて役に立たない
ものがほとんどです。

もっと良質の臨床心理の本を読むことをおすすめします。
158名無しさん@3周年:03/07/17 23:43
ここは臨床心理じゃなくて真言密教の話題だろが!
159名無しさん@3周年:03/07/18 16:19
>>157 (もし私への言葉なら>>158
わたしの気持ちが、あなたにはわかりますまい。
何故役に立たないのかについても河合氏がおっしゃってますが
またその訳が、密教のそれと非常に似てると感じました。
河合氏のカウンセリングを受けてみたいですね。

密教を知るものだから、すばらしさに気づいたといったところです。

河合氏の導き出す人生観には、密教の教義と共通する所が
数多くあるのです。驚くばかりです。
また、密教の方便(現世利益)に非常に相通じるものがあります。

密教の戒めに、一般の学問も学べとありますが、まったくその通りだと
思います。密教は多くに通じてるようです。

>もっと良質の臨床心理の本を読むことをおすすめします。
おすすめの書がありましたら、読みたいと思います。
素晴らしいとは、いいますが河合氏のが万能だとは思いません。
また、わたしにとっても、もっと良質であるかが、興味あります。
160名無しさん@3周年:03/07/20 08:45
>>159
>わたしの気持ちが、あなたにはわかりますまい。
なにがいいたいのかわからないよ。

ちなみに私は得度して四度加行はうけてますよ。
161名無しさん@3周年:03/07/22 01:23
>>160
>なにがいいたいのかわからないよ。
その理由は、あなたと同じ立場で話をしてないからだと思います。
もともと、ある方にだけ向けた言葉ですし、
本来の目的はあなたに、私の心境を伝えようとしたわけではありません。

わたしは、「名無しでカキコさん」より、ある書籍を薦めて頂きました。
結果的には、その紹介により、わたしの学ぶ密教を他の角度から、
見る機会を与えて下さいました。
自分のたどる道に大きな良い意味での影響を与えて下さった
「名無しでカキコさん」に感極まって、何か意思表示をしたくなったのです。
162名無しさん@3周年:03/07/22 01:24
>>160
>密教を知るものだから、すばらしさに気づいたといったところです。
と申したのは、私が密教を知る以前の状態ならば、これほどの感動は
無かったからです。つまり、わたしの機根の問題です。
そして、密教を知るものなら尚更、河合氏の意見を、密教の教義と
比較すると、まったくの別物では無く、むしろ共通点を見出せると
思いました。 密教は、あらゆるところに通ずると思ったのです。

157さんの意見には、十住心論で言う、横の十住心が感じられませんでした。
何を持って「良質」とおっしゃるのか?
竪の十住心のみの発言に見受けられました。
だから、「わたしの気持ちが…」と申したのです。

>臨床心理の専門家からみて役に立たない
>ものがほとんどです。
この理由を河合氏本人が言及しております。役に立たない理由というのも
本人のおっしゃる点、そして密教の立場的に(仏教全体でも)
考えても、理にかなっているのです。

しかし、あなたが密教に精通した人で、その意見が出るのなら、
それがどういった理由の上に成り立つ発言であったのか?
あなたがすすめる本を読んで、考えてみようと
思ったのです。 あなたの意見が確固たるものであれば、
河合氏を越える本を薦めて頂きたく思います。
163&lro;:03/07/29 08:50
 
164こん:03/07/30 13:31
密教のお経をおぼえたいのですがおすすめのサイトありますか
165名無しさん@3周年:03/07/30 14:18
サイトよりもむしろ、お寺でお坊さんにおすすめの教本を聞いたほうが早いと
思いますよ。宗務所から一般信者さん用に配布してたりしますから。
ないところはないかな・・・。
ただ、ここからは私の私見ですが、お経を覚えるよりは、
家の掃除をしたり、両親の肩を揉んであげたりとか、小さい親切を
してあげて欲しい気がします。

 


166名無しさん@3周年:03/07/30 15:03
サクラ大戦というゲームで敵キャラが
「オン キリキリ バサラ ウンバッタ」
「オン マイタラ シティ ソワカ」
と唱えるのですが、これって真言でしょうか?
だとしたら敵キャラが唱えるのに、どのような理由が込められているのでしょうか?
167こん:03/07/30 17:51
165
ありがとう
確かに人様に親切にしたほうが喜ばれ自分もうれしくなりますね
ゴミをひろったりするのでも人様の役に立つ・
168空海 ◆GbTxXt3ZKU :03/07/30 21:48
http://worya.hypermart.net/battle23.htm
SiON さんという方の「私と宗教」はかなり
ためになります。
このような情報を求めております。
本でもWebページでも構いませんので、
情報をお持ちの方は教えていただけません
でしょうか?よろしくお願い申し上げます。

169名無しさん@3周年:03/08/02 20:19
あからんまで
170名無しさん@3周年:03/08/06 09:47

171_:03/08/06 09:49
172名無しさん@3周年:03/08/06 10:34
昔、孔雀王を読んで、密教の本を買って修行した。
173名無しさん@3周年
↑学研のエソテリカシリーズのやつ?