キリスト仏教

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1名無しさん@3周年
キリスト教と仏教は同じ宗教です。
2名無しさん@3周年:03/05/12 17:50
あめんみだぶつ
3名無しさん@3周年:03/05/12 17:51
ha
4名無しさん@3周年:03/05/12 17:54
根拠は?
5名無しさん@3周年:03/05/12 17:55
>4
どちらも同じようなことを言ってるから。
6名無しさん@3周年:03/05/12 18:18
たとえば?
7名無しさん@3周年:03/05/12 18:41
>>6
自分の巻いた種は自分で刈り取る。
これは因果を説いています。
8名無しさん@3周年:03/05/12 19:12
えっ
それだけですか?
ほかには?
9名無しさん@3周年:03/05/12 19:24
>>1
お前は、GLAか、それとも、あの白装束集団か?
10名無しさん@3周年:03/05/12 21:14
ブッダ「わたしは何を食べようか」「わたしはどこで食べようか」「昨夜はわたしは
    眠りづらかった」「今夜はわたしはどこで寝ようか」
    家を捨てて道を学ぶ人は、これら四つの憂いに導く思慮を抑制せよ。

イエス「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思い煩うな」

 
※キリスト仏教者は、重複する「何を食べようか」という思慮を抑制せよ。

11基督仏教:03/05/12 22:05
私はこの板で仏教を完全に会得しました。
知れば知るほど、この両者は宗教的に同じだという確信が深まってきます。
12名無しさん@3周年:03/05/13 20:19
まずイエスは、外道思想のはびこる西洋に、
東洋的な内道の思想を広めようとした先覚者であったことは注目すべき
ことです。
13名無しさん@3周年:03/05/13 20:37
イエスが説いたことはまったく仏教的だったか、
仏教的な真理を西洋に合わせた説き方で説いたかは、私は知ることができません。

前者であったとすれば、伝えられた人たちの受け取る能力によってフィルターが
かけられて今日に至ったということになります。
後者であったとすれば、イエスが当時の思想との兼ね合いでフィルターをかけて
説いたのでしょう。
あるいはその両方によってフィルターを掛けられて今日伝わっているキリスト教に
なったのでしょう。
いずれにしても、イエスと釈迦の思想の根本は同じでなくてはならないと私は
信じます。
14&lro;:03/05/17 20:39
 
15名無しさん@3周年:03/05/18 23:27
キリスト教と仏教は同じという論文は既出ですか?
レスがつかないのはどうしたことだろう。
16&lro;:03/05/22 23:52
 
17名無しさん@3周年:03/05/24 19:49
イエス「あなたがたはこの世の者であるが、わたしはこの世の者ではない」と言っている。
ブッダ「生き死にする者ぞ」と言っている。つまり、解脱した者。
解脱した者は、本物の心の開放を説いている。
「善悪の両者に汚されないこと」「見たこと・学んだこと・思索したこと・または戒律や道徳にこだわっては
ならない」ブッダ
「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとする人たちである。しかし、神はあなたがたの心をご存知である。
人々の間で尊ばれるものは、神のみまえでは忌み嫌われる。律法と預言者とはヨハネの時までのものである。」
「不正の富を用いてでも、自分のために友達をつくるがよい。そうすれば、富がなくなった場合、あなたがたを
永遠のすまいに迎えてくれるだろう。」

 死んだ者に道徳・戒律・善悪の意識もなく、これが正しいという識別もない。それらの思いさえ開放されて、
 真理である慈愛の行動を人に求める者、それが真の聖者の教え。
18名無しさん@3周年:03/05/24 20:36
>キリスト教と仏教は同じという論文は既出ですか?
八木誠一&秋月龍王民
仏教は阿弥陀信仰の他力
19名無しさん@3周年:03/05/24 21:06
「無者キリスト」っていう本があるよ
20名無しさん@3周年:03/05/24 21:57
>>17

「不正の富を用いてでも、・・・」のくだりは、人として納得できる言葉では
ありませんね。
キリストがどうしてそんなことを言ったのかを解説してほしい。
21_:03/05/24 21:57
22名無しさん@3周年:03/05/24 22:11
>>20
つべこべ言うな、ヴォケ! ・・・てことじゃね?

>>1
糞スレも突き抜けてると輝くもんだな。
23名無しさん@3周年:03/05/25 01:56
わたしたちは、神からみてすべて不正な者とイエスは言っているのではないでしょうか。
『悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて言った、
「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。」』
ブッダは「妄執という一つのものに、一切のものが従属した。」と言っています。

イエスだけが悪魔に試されたのではない。全ての人が試された、そしてそれに従った。
それは、人々が働く力となり、物を生み出す力となった。
ですから、働いて稼いだ金のことを不正の富と言っているのではないでしょうか。そし
て働くことを許された。
ブッダのように真理に忠実で托鉢で生きることもないとイエスは言っているのでしょう。
24666:03/05/25 02:09
>>20
 暴力団が取り立てをする高利貸しが通常銀行よりも
大きな顔してる時代だしw
25名無しさん@3周年:03/05/25 04:08
仏陀が優れてるわけでもキリストが優れてるわけでもない、と思う。
26名無しさん@3周年:03/05/25 09:02
 言われなくとも、お前がブッダやキリストより立派でないことには
誰も異存はないと思うよw
27名無しさん@3周年:03/05/25 09:53
「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとする人たちである。しかし、神はあなたがたの
心をご存じである。人々の間で尊ばれるものは、神のみまえでは忌みきらわれる。律法と予言
者とはヨハネの時までのものである。」これは、イエスがパリサイ人に語った言葉ですが、

肉からくる欲求を征し、肉からくる思いを征し、真理を愛する人であれば、道徳や戒律、これは
正しいとか正しくないとかの思いにこだわらず、善悪をも離れ、慈愛や寛容といった思いを優先
すべきだと聖者は言おうとしているのでしょう。

「天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、
雨を降らせて下さるからである。〜 それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、
あなたがたも完全な者となりなさい。」

そうなるにはやはり、善悪の思いと、正しいという思いとを捨てなければならないでしょう。
それを捨てれば、嫌な人を憎しまずに済み、人を自らの判断で人を戒めることもなくなるのでは。
28名無しさん@3周年:03/05/25 10:29
>>15
外出すぎ

基督教も仏教もイスラム教も一緒にきまってる
GLAはその点は正しかったが、そっから先がペテン
29名無しさん@3周年:03/05/25 16:06
>>26
>25は仏陀がキリストより↑とか↓とかはないって言ってるンじゃないの?
まぁよくそんな汚い言葉を吐けるなぁ・・・。
30名無しさん@3周年:03/05/26 20:51
「ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようか
と言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがた
の天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の
国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」
イエス

「この世で、人たる身を得て、気前よくわかち与え、もの惜しみをしない人々が、ブッダと真理の
教えとに対して信仰心あり、修行者の集いに対して熱烈な尊敬心をもっているならば、かれらは天界
に生まれて、そこで輝く。もしも人間の状態になっても、裕福な家に生まれる。」ブッダ

31名無しさん@3周年:03/05/26 21:12
>>30 信仰の薄い者たちよ。何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。

飢餓に襲われている北朝鮮で
そんなこと言ったら、袋叩きになると思われ。
32名無しさん@3周年:03/05/26 21:13
「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自信が思いわずらうであろう。
一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」イエス

「かれらは(修行僧)は、過ぎ去ったことを思い出して悲しむこともないし、未来のことにあくせく
することもなく、ただ現在のことだけで暮らしている。それだから、顔色が明朗なのである。
ところが愚かな人々は、未来のことにあくせくし、過去のことを思い出して悲しみ、そのために、
萎れているのである。」ブッダ

悪魔(野望の妄執)に従い、人は未来のことにあくせく働く。
金持ちが働きもせず、飽食・享楽にあけくれるよりましだろうが。
貧乏人も、自分の目的のためにあくせく働くより、誰かに仕えた
ほうがいいと言われているみたいだし。
とにかく聖者は、明日の自分の目的のためあくせく働けとは言わなかった。
仏陀にイエスが感化
されて仏教がイエスに感化されたと−。
こーはどーでしょ。
法然上人のお母さんて、ユダヤ人だと思う。
阿弥陀如来や大日如来て、名前を変えた
イエス・キリスト−
34名無しさん@3周年:03/05/27 07:26
>>28
GLAはすべて正しい。
間違っているのは、デンパのアンチだけ
35名無しさん@3周年:03/05/29 23:20
聖書より、あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を
引かれてはならない。

地上のものに心を引かれてはならない、ニルヴァーナから離れるから。ブッダ
はそんな感じだな。
 
36名無しさん@3周年:03/05/30 23:46
ニルヴァーナは、昆虫であろうと、自分に利害関係のない小さな生き物でも、慈しみ愛する
心を起こす、そんなような感じだった。
37名無しさん@3周年:03/05/30 23:54
ひょっとしたら伝道之書が仏教の影響で、間接的な影響は
あるかも知れないって話は、時々、すっけどな。
イエス・キリストは上座部感化されて
大衆部はイエス・キリストに感化されたってどーでしょ。

日本の仏教はほとんどが大衆部である処の
大乗仏教だもんな。
39名無しさん@3周年:03/05/31 00:04
大衆部=大乗ってのもどうかな? 南方仏教国は出家者でなけりゃ、
仏教徒にあらずってもんでなし。
40カミミタ ◆wQho5LLYeo :03/05/31 21:30
ニルヴァーナをほんのひと時でも体験すれば、イエスもブッダも真理とひとつになったということ
がわかる。この上なき最上の喜びの境地を知って、それは、生も死もない境地だということ。すべては
水の泡か陽炎のごとく虚妄であると感じ、悩み迷いはない境地。同時に勇気とどのようなことも
できるという自信が湧くということ。そして、自殺者や殺人者が地獄の境地で苦しむのを知る。
しかし、この上なき最上の喜びの境地より、現世への思い、欲望に愛着があったので、イエスが言う悪魔
のことば、野望の妄執に破れ、残念ながらその境地を失った。

人は肉体を失う時も、そんなことが起こるのだろう。神聖なものを信じ、神聖な心と共に生きれば、真理
を拒絶することなく、天国へ行き、欲望や享楽、仕事などへの強い思いがあれば、妄執に破れもう一度生まれ
変ると思われる。

イエスが奇跡を行うのも、真理と一体になったことを現しているのであり、その経緯から、人々を真理に近づける
ために生まれるべくして生まれた人だということ。
41名無しさん@3周年:03/06/02 22:04
『わたしも権威の下に服している者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に
「行け」と言えば行き、ほかの者に「こい」と言えばきますし、また、僕に「これをせよ」
と言えば、してくれるのです。―イエスはこれを聞いて非常に感心され、〜」


自分の利益や夢の追求のために自ら動き、或いは人を従わせることは悪魔の思いのままである
といえないだろうか。一応それも働くことと言うが、イエスは人に仕えること、上司に仕える
こと、顧客に仕えること、そのようなことが感心される働きかたであると言っているのだろう。
42名無しさん@3周年:03/06/03 21:11
園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、―
かれらの功徳は、昼夜に常に増大する。それらの人々は、法に安住し、戒めを身に具えて、
天におもむく。―ブッダ

 仕事は法に安住するための戒めとなりうるということです。

人は利を求めて自分を与えてはならない。自分を捨て去ってはならない。―ブッダ

 自分を捨て去ってまでも、無我夢中で利益を得ようとしてはならないということも
 言っている。
43名無しさん@3周年:03/06/07 01:20
慈しみ
 いかなる生物生類であっても、怯えているものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、
 目に見えるものでも、目に見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むもの
 でも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、
 幸せであれ。〜
 あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対して
 も、無量の慈しみのこころを起こすべし。
 また全世界に対しても無量の慈しみのこころを起こすべし。
 上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし〜
 この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。

我々凡人でも、どのような人に対してでも幸せであれと思うことが大切でしょう。
その思いが、聖者の境地に一歩近づき、自分自身の思いを正し、救われる。
4444:03/06/07 07:32
キリスト経の「山上の変容」と阿含経の中の「示現経」の内容が同じと考えられます。
45名無しさん@3周年:03/06/08 23:28
「敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となる
ためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも
正しくない者にも、雨を降らせて下さるからである。」

「あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。人をさばくな。
そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、
自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされる
であろう。」

 イエス

 
46名無しさん@3周年:03/06/10 14:10
イエス、及び釈迦は、伝統宗教の祭祀祈祷に生贄をささげる風習を改め、

また、一部階級や一部民族しか救われないとする排他的な宗教から、全人類を

対象とする普遍的で慈しみのある進歩的な法を立てた。
47名無しさん@3周年:03/06/10 19:55
「内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、
わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、
わたしをとりこにしているのを見る。」
「肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。肉の思い
は死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。すなわち、それは神の律法に従
わず、否、従い得ないのである。また、肉にある者は、神を喜ばせることができない。」
 ローマ人への手紙

「諸々の欲望を捨て、欲に打ち勝ってふるまい、生死のはてを知り、平安に帰し〜」
「偽りもなく、慢心もなく、貪欲を離れ、わがものとして執着することなく、欲望をもたず、
怒りを除き、こころ静まり〜」
  ブッダのことば

肉欲を絶って平安に帰することがブッダの修行 
48名無しさん@3周年:03/06/10 20:32
プンナンカ「先生!およそこの世で仙人や常の人々や王族やバラモンが盛んに神々に
      犠牲を捧げましたが、祭祀の道において怠らなかったかれらは、生と老衰
      をのり超えたでしょうか?」
ブッダ「ブンナンカよ。かれらは希望し、称讃し、熱望して、献供する。利得を得ること
    に縁って欲望を達成しようと望んでいるのである。供犠に専念している者どもは、
    この世の生存を貪って止まない。かれらは生や老衰をのり超えていない。」

「たとい神々といわれるものが、あるいは天に、あるいは地にあるとしても、そして、多くの
神、多くの主があるようではあるが、わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。
万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する。」
「ある人々は、偶像についての、これまでの習慣上、偶像への供え物として、それを食べるが、
彼らの良心が、弱いために汚されるのである。」コリント人への第一の手紙より

神々からのはからいを求めて供養物をささげるよりも、肉欲に打ち勝つのが神を喜ばせる。
布施や献金は、肉に打ち勝つためのものであり、それによって神からの見返りを求めてはなら
ないでしょう。


49名無しさん@3周年:03/06/19 19:57
「むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい。」
   コロサイ人への手紙
「一切の哲学的断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起こすことがない。」
   スッタ二パータ

偏見や伝承の学問や戒律や誓い(イエスもいっさい誓ってはならない、と言っている)
思想などに依存することもなく、道徳や道徳的見解から善悪にとらわれることもない。

 


50カミミタ ◆wQho5LLYeo :03/06/19 20:37
自らは地上のものにこころ引かれることなく、質素な生活に満足しながら
でも、人々の幸せを喜ぶならば、真理と同質に近い喜びが得られる。

人が喜ぶのを見て喜べ。人が幸せであることを喜べ。
自らは「この上なき最上の喜びの境地」を最上のものとし、地上の幸福にとら
われることなく、決して死を味わうことのない平安の境地に帰することを望む。

だから、どうしても地上の幸福に耽ることなく、慈しみのこころを起こし、人
が幸福であることを喜ばねばならない。
真理と同質に近い心理状態なら、今度は妄執に打ち勝てると思うから。

51名無しさん@3周年:03/06/19 22:36
キリスト教→求めよ、さらば与えられん。
仏教   →捨てよ、さらば与えられん。
52名無しさん@3周年:03/06/19 23:10
仏教も求法者と言い
キリスト教も肉に従うなと言う
肉に従わず求めることと言えば、真理あるのみ

ということではないか......
53名無しさん@3周年:03/06/19 23:17
エッセネ派は仏教教団の影響を受けている
という学者もいる。
54名無しさん@3周年:03/06/20 09:25
修道女や尼さんは、どうして神仏に見放されたようなブスばかりなのでしょうか?
55名無しさん@3周年:03/06/23 23:22
仏教でいうところの縁起。
これはキリスト教的には十字架の縦の線と横の線(縁と起)が
交わって縁起していることを表すシンボル。
56名無しさん@3周年:03/06/23 23:32
>>53
ソースキボン
57名無しさん@3周年:03/06/23 23:35
>>54
子供を作ることが仕事なのに性交しないから
58名無しさん@3周年:03/06/23 23:39
バチ当たりめ。子供が出来ないように祈ってやる。
59名無しさん@3周年:03/06/29 10:09
縁起は因と縁だったかな。訂正しておこう。
60名無しさん@3周年:03/06/29 22:47
たとい称賛を得たとしても、それは僅かなものであって、平安を得ることはできない。
論争の結果は、称賛と非難との二つだけである、とわたしは説く。この道理を見ても、
汝らは、無論争の境地を安穏であると観じて、論争をしてはならない。
すべて凡俗の徒いだく、これらの世俗的見解に、智者は近づくことがない。かれは、見
たり聞いたりしたことがらについて「これだ」と認めることがないから、こだわりがない。
 ― ブッダのことば

愚かで無知な論議をやめなさい。それは、あなたが知ってるとおり、ただ争いに終わるだ
けである。主の僕たる者は争ってはならない。だれに対しても親切であって、よく教え、
よく忍び、反対する者を柔和な心で教え導くべきである。おそらく神は、彼らに悔い改め
の心を与えて、真理を知らせ、一度は悪魔に捕らえられてその欲するままになっていても、
目ざめて彼のわなからのがれさせて下さるであろう。
 ― テモテへの第二の手紙
61名無しさん@3周年:03/07/04 21:09
救世主の特別教育

ベツレヘムで誕生し、エルサレム神殿での清めと奉献の後、聖家族はナザレに戻り、
そのナザレにいた時にヘロデの命令が出され、その結果エジプトに逃避したのである。
エジプトからかえってからはナザレではなくカペナウムに滞在したようだ。
イエスは12歳になるまで両親と共に暮らしたと言われる。
しかし12歳以後は、カルメル山にあるジュディーの家で学んだと言われる。
この時の勉強はイエスは12歳から15、6歳までの間に、時折り行なわれた。
13歳から16歳の間、イエスはまずインドで、次いでペルシャ、
エジプトで教育を受けた。インドでの滞在期間は3年であった。
ペルシャでは、イエスはその国の伝統的教義にしたがって、修行を積んだと
いうことである。
イエスは父ヨセフの死によって、ペルシャからエジプトへ行く前に
パレスチナに呼び戻されている。
エジプトへ行ったイエスは、そこでの訓練期間中、先に来ていた伝令者ヨハネと共にいた。
二人はピラミッド神殿の中で、同胞団の最終階位を授かり、秘儀成就者となった。
62アルミ堕天使 ◆XqrQAy2Hxg :03/07/05 15:04
バカ犬よ。よく聞け。
ソ連は復活する。今はお得意の死んだフリをしてるだけなのだ。
その証拠に、北朝鮮の低空ミサイルを誘導するのに衛星を提供しているのだ。
そのミサイルはどこに向けられていると思う。もちろんわが国である。
その弾頭には何がつけられていると思うか。核物質だ。
お前たちは俺の言うことを信じなさい。そして一刻も早くアメリカの側につきなさい。
わかったか!糞犬どもよ!
犬よ。韓国は良い国である。
韓国はアメリカによって正しい国の道を選んだのだ。
北朝鮮もそうなるが時間がかかる。一戦交えねばならんだろう。
アメリカはそれを望んでいる。
北朝鮮は完璧にロシアと中国の前衛基地になっておる。
中国がサーズで弱体化している間にやるであろう。
時をみはからっているところだ。
韓国人はアメリカと共になってテロ国家撲滅のために祈りなさい。

わかったか!犬!
63アルミ大天使 ◆rV3U2lyEdQ :03/07/05 15:06
             
犬たちよ。ききなさい。

ブッシュは偉大なる神のしもべである。
彼は今開かれているアカバ首脳会談で、自分が主のみ声を聞いてイラク攻撃とサダムへの攻撃に踏み切ったことを証しした。
http://www.haaretz.com/hasen/pages/ShArt.jhtml?itemNo=310788%26contrassID=2%26subContrassID=1%26sbSubContrassID=0%26listSrc=Y
「神がアルカイーダを攻撃せよといわれたから私はアルカイーダを攻撃した。主がサダムを攻撃せよと言われたからサダムを攻撃した。今、私は中東問題を解決する決断をしている」
彼は聖霊のバプテスマを受けた福音派のクリスチャンである。
世界最強の軍を与えられた最高指導者として、神の声を聞く力を与えられたのだ。
世界情勢を握っているのは究極的には神である。
だが、神の声を聞き、行動を起こすものが必要なのだ。ブッシュは立派に任務を果たして、世界平和に貢献したし、今も貢献しようと決断している。立派な男である。
お前たちは文句を垂れていないで、ブッシュと共に主に仕え、世界平和に少しでも貢献するのだ。

わかったか、犬たちよ!

64名無しさん@3周年:03/07/05 23:42

   キリスト教は

   新興宗教

65山崎 渉:03/07/12 10:41

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
66山崎 渉:03/07/15 14:03

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
67名無しさん@3周年:03/07/19 22:36
「また昔の人々に『いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果たせ』と
言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあ
なたがたに言う。いっさい誓ってはならない。天をさして誓うな。そこは神の御座
であるから。」― イエス

「もしもかれが戒律や誓戒を破ったならば、かれは戒律や誓戒のつとめにそむいて、
おそれおののく。それのみならず、かれは「こうしてのみ清浄が得られる」ととなえ
て望み求めている。たとえば隊商からはぐれた商人が隊商をもとめ、家から旅立った
旅人が家をもとめるようなものである。
 一切の戒律や誓いをも捨て、世間の罪過あり或いは罪過なきこの宗教的行為をも捨
て、『清浄である』とか『不浄である』とかいってねがい求めることもなく、それら
にとらわれず行え。―安らぎに固執することもなく。」― ブッダのことば

 戒律を守ること、神への誓いを宗教的行為としていたそれまでの宗教から
 脱皮して、真理に基づく心を人々に教えようとしたのでしょう。
 イエスも「律法と予言者とはヨハネの時までのものである。それ以来、神
 の国が宣べ伝えられ、人々は皆これに突入している。」と言っている。
 ブッダも神々を崇拝していたバラモンの教えを正そうとしている。神々よ
 り素晴らしいもとしてニルヴァーナを説く。
 神の国=ニルヴァーナでしょう。

68名無しさん@3周年
>>1
新しいネット宗教を立ち上げたようですね
これこそまさに、この糞スレが眩いばかりの神々しさでさん然と
輝くスレであらせられる所以でございましょう

あーめんみだぶつ