>>951 そうですね。成功者ははじめのころにやったことで殆どの人が口をそろえて
「トイレ掃除をした」といいます。
953 :
名無しさん@3周年:03/06/09 21:02
>>944 動物も人間と同じく被造物であり、生命を持っている。動物は人間と違って
宗教や思想などの単なる脳内観念で殺し合ったりしない。どちらが立派か?
カントなどの観念論哲学をあり難がる必要はない。現実的根拠は何もなく、
砂上の楼閣である。せいぜい、生活者が日常無意識に考え行動している現象を
難しい言葉で言い替えただけ。それでも、現実の生活者の万分の一も把握でき
ているわけではない。
根拠のない観念にまみれた宗教や思想を棄てて、造られたままの動物としての
人間の自然の感情・本能に立ち帰ることが、先ず必要なのでは。さもなければ
人間は思想と宗教で遠からず自滅する。その兆候は既に現れている。
954 :
名無しさん@3周年:03/06/09 21:03
>>952 いやずーっと誰も感謝されない見返りのない善行をしないと駄目だよ。
そういう成功者の戯言ではだめ。
言葉でいい気になるなら、実践してみろ。
一生、毎日毎日東京の各駅前のごみを拾う。すばらしいことでしょう。
>>923氏のように立派なことを言う人は、自分にまったく利益の無いことをすべき。
私は感謝されたり認められたりしたいから毎日ごみ拾いだけするのは嫌だ。
貴重な時間も無駄になる。
毎日毎日時間を潰してごみ拾いをするのは苦行だ。
それも一生つづけるなんて。
それに表彰されちゃ駄目だぞ。名無しでがんばるのだ。
>>954 ことばは選んで使った方がいいぞ。反対のことを言っている。
956 :
名無しさん@3周年:03/06/09 21:16
>>949 「根本」
人間にはいくら考えても判らないことがあることは判っています。例えば、
何故人間や自然が存在しているか、など。あなたには判りますか?
「思考」
だから、現実の人間と自然のみを考えるべきだと言っている。「神」という
言葉を使ったのは、考えても判らないものの例えに過ぎない。
>>956 「根本」
神が作ったから自然は存在する。生まれてきたいから人間は生まれてきたというしかありません。
「思考」
だったら霊的な知識で考えればいい。神は霊的な存在だから、霊の知識で考えればいいじゃないか。
>>954 良いこというね。
おれは自分の為にならんことはいやだな。
自分で納得して死んで行くつもりだね。
自分にウソついて、奉仕なんてまっぴら。
かといって、人を不幸にして、自分の為をやってたら
心の底で気持ち悪いから、けっきょく自分の為にならんな。
まあ、他人がみんな自分に思えるなら、それもいいけどな!
959 :
名無しさん@3周年:03/06/09 21:25
>>957 「霊的」って一体何?脳内観念と違うの?それも神を思考していることでは
ないのか?
>>958 逆。人の益になることをすれば自分に返って来るって言うじゃないか。
我々が神の子と言うことは奥底では神と同じと言うことだ。
心はむかついても、奥底は嬉しいんだ。神が慈悲ある存在なら、良いことをすれば
報いるのは当然だろう。
たとえば、あなたが誰かより上の立場にいるとしよう。望み通りに動いてくれるのを
文句も言わずつづけてくれたら、いつかはお礼をしたくなるだろう?
962 :
名無しさん@3周年:03/06/09 21:31
>>960 だから君はつまらないゴミ拾いやドブさらいをしていなさい。
口だけじゃだめだよ。
口だけなら立派な人と見られたいだけのドキュンだよ。
無言でやり給え。それとも人にさせるだけ?
私はもっと大きな正義に向かって邁進するから(笑
963 :
名無しさん@3周年:03/06/09 21:31
>>961 超常現象は、ペテンか精神異常の結果であると証明されている筈だが。
>>962 べつに人にやらせないよ。漏れの言うことを聞く人間は存在しないから。
大きな正義とはなんだ?
966 :
名無しさん@3周年:03/06/09 21:40
>>928の
「神霊界」深見東州著の本など読んではいけません。
ワールドメイトという認可されてない宗教団体の教祖が書いた
本で、現在元会員を含む数々の訴訟をかかえています。
きれいごとを言ってるだけで、本音は入会や救霊を受ける
ように仕向けることです。深見氏もトイレ掃除をしたと自慢
してました。こんなとこで布教しないでください。
>>965 大きな正義とは巨悪を叩き潰すことだ。
そして多くの民衆を救う。
正義を人に説くのは好きだけど、毎日ゴミ拾いは真っ平だね。
>>966 深見東州はよこしまな心を持たないようにしているらしいですけどね。
970 :
名無しさん@3周年:03/06/09 21:48
>>964 この情報過多の時代に、情報を選ばなければ生きて行けないよ。
情報選択の基準は、それが現実と合致しているか否かということ。
架空の事実に基づく情報は無益有害。人間は現実界に存在している
ことを忘れるな。
「真理の基準は、現実に合致している点にある。」(ルカーチ)
>>970 霊的な存在もしかり。ルカーチの言葉は霊的な物にだけ当てはまらないと言うのかな?
972 :
く〜 ◆sXokcR7xS. :03/06/09 21:51
帰ってきたら、、、、
キモイぞ鮮明!
うげえ、吐き気が、、、、
とてもぜんぶにこたえられないがつるこ評として
つるこもはじめからあんなズベコウではなかったが、
階段下の狭い部屋に押し込められ
毎晩のようにセンセーに強姦同然に犯され続け
そこでの自分を見出すためかなり呻吟したのだろう
そのうちに子羊の婚姻だなどといわれてみんなにおだてられながら
幹部の衆前でのセンセーとの性交にもなれてきて
はじめはただ痛かっただけのお勤めにも喜びを見出してきたのにもかかわらず
「おまえは子供を作る機械だ」とのつめたいお言葉にも耐え、
崔元福センセーとの3人性生活にも慣れてきたら
そのことを称してレアとラケルの問題も勝利したといわれ
何がなんだかわけもわからずにその勝利を幹部家庭にもといわれ
また別の男女同伴の性生活をしているうちに
その裏表の虚飾のせかいでの身辺着飾りの虚飾にもこだわり
金銭に麻痺して来たころ子供の教育も虚飾の教育しかできずに
こんどは母子協助を霊の子供に該当する幹部男子に施すようになり
実の子供にも・・・・
973 :
名無しさん@3周年:03/06/09 21:53
>>969 立派です。
私も巨悪を二度と立てないようにしてから赦す事にします。
976 :
名無しさん@3周年:03/06/09 22:05
>>974 見えない、聞こえない、触れない、匂いも味もない。確認しました。
あなたも確認して下さい。
私も背後霊を感じました。
977です。
霊ではないがおとといのことを話しましょう。
近所の中央図書館に行ったときのこと。思いつくままに本のある場所をコンピュータで調べて
見に行くのを繰り返しました。ひとつ「推理」に関する本を探すとなぜか児童書コーナーに行ってしまいました。
そこで周囲の気が一変しましたね。子供がパワーが有り余っていると言うが、そのパワーから来る
気が充満していましたね。大人のそばでは全く感じないのに、子供の集合の中にいるとそれを良く感じました。
入ったとたんにはっきりと解りました。それを説明は出来ません。しかし、気功で弾力のあるタイプの気を出すように
そこにあることが解ったのです。
980 :
名無しさん@3周年:03/06/09 23:35
>>977 あなたが霊の実在を確認したのなら、人類の歴史始まって以来の大発見。
どんな形してたか?明日の新聞を楽しみにしてるよ。とりあえず檻に入れ
といてくれ。
>>980 霊の実在を確認した人なんか腐るほどいるじゃないか。
何をムキになってるの?
檻にいれろだって、( ´,_ゝ`)プッ
983 :
名無しさん@3周年:03/06/10 00:19
>>981 >>982 霊が確認されたなら世紀の大ニュースなのに、新聞で読んだ覚えは
一度もありませんが。
折角捕まえたのに、檻に入れとかないと逃げるだろ。どんな顔してる
のかな。詳細な報告キボーン。
>>951 誰も彼もがゴミ拾いし始めたら、社会が停滞します。自分の職業を通じて「隣人」
に奉仕すればよいのです。
>>953 同族を殺しあうのは人間だけだからね。人間は、生まれつき本能が壊れた動物
なのさ。だから、理性を捨てたら動物以下だ。もちろん、生存も不可能。
>>958 960さんのフォローの通り、「他人の中に神を認める」ということは、「他人の
ために奔走する」のではなくて、「自分(の一部)のために奔走する」という
ことになる。その時に損得勘定も、人と神の対立(そもそも、神が存在するか
どうかについて議論の余地があること自体、人と神が断絶している証拠)も
消えうせる。うまく言い表せないけど、人道主義と神とは不可離ということに
なると思う。神仏の方ばかり見て、現実を黙認する信仰者よりも、無神論に
徹して人道主義を貫き、社会正義の実現に奔走する革命家の方が、はるかに
神に近いと思う。「神」は隣人を通してでないと姿を現さず、「神」を見る
ことになるのは後者に限られるから。
高名な科学者の「神見体験」というのは、象徴的だと思う。彼等は、物理法則の
玄妙さの中に「神」を見るのだけど、科学的精神とは「自分の主観(独断、偏見、
希望的観測)を一切排して、現実をあるがままに見て、客観的真実を見出す」
ということだから、はじめから「神ありき」ではない。
「神ありき」ではないのに、結果的に「神に出会ってしまった」のだから、
これこそが本物と言うべきです。宗教者のように、はじめに「神ありき」で
スタートした場合には、科学の批判的精神を嫌悪する。しかし、それは自分
の信仰が批判に耐えられないほど脆弱で、深層意識では「本当に神が存在する
かどうかわかるものか」という疑惑を持っていることを示している。もし、
強固な確信があるなら、科学的批判など屁の河童のはずだから。
988 :
名無しさん@3周年:03/06/10 10:40
こんにちは。哲板さん、もういないのかな?
あのさ、宗教と哲学の違いのこととか言及されてますが、
哲板さんの書くこと考えてることを読むと、もうキリスト教もキリストも神も
論理とかばっかりを気にして、それはいくらあなたが「キリスト教を信じたい」
といっても無理な話です。
キリストを只の人間なんて平気で定義づけてしまったりもうその時点でキリスト教信じようとしてない
じゃないですか!
結局あなたの中で、この宗教は哲学的にしか考えられないんですよ。
まあ宗教的な家庭で育ってない人にとってこういう風に深く考えちゃうことは
ありがちですが、もし神を本当に信じたいなら、ただ信じればいいんじゃないんですか。
幼い子どもが飢えや爆弾や虐待やらなんやらで死んでいるのはアダムとイブがリンゴを食べたからです。
神様は私たちに選ぶ権利を与えて下さったんです。その最初の権利を踏みにじったのが
アダムとイブですが、神様は私たち人間が何億回悪い判断を下しても
まだ選ぶ権利を与え続けてくれているんですよ。
あと、罪のない子どもは天国に行くので大丈夫です。
神は本当に大愛の存在ですよ。
第二次世界大戦であれほどむちゃくちゃなことをしたのに、戦争放棄させて頂いた。
当時は気付かなかっただろう。でもしばらく経てばハッとするときがくる。
その時が来たからこそ反省して命を大切にするようになった。
990 :
名無しさん@3周年:03/06/10 11:46
>>990 その通りwara
人間は痛い目に遭わないと行動を改めない
自分で行動を変えようと心理の本でさんざん言っているのにやった人はいない。
だけど、神は出来るだけ痛い目に遭うことから守ろうとしている。
親と似たような心境だと思われ。でも肉親よりは出来た心をしているはず。
話は聞いてくれるし、どうすれば喜ぶか知っているし。
992 :
名無しさん@3周年:03/06/10 11:54
993 :
名無しさん@3周年:03/06/10 11:57
>>988 プッ 選ぶ権利?笑わせてくれる。
アダムとイブ?いたかどうかもわからんもんを引き合いに出すとは。イタイイタイ。
何にせよ、幼い子供が飢えやら貧困やら虐待やら爆弾やらで苦しんでいるのは事実。
そしてそれを救えるのは、結局、同じ時間軸の中にいる人間だけ。
で、そういうと、おまえらは「そういう人間とめぐり合わせたのも神の御業なのです」
などと言うんだよな。
おまえらみたいのを社畜じゃなくて神畜っていうんだよ。
天国へ行ったこともないくせによくもまあ、罪のない子供は逝けるなんて言えるもんだ。
最初から苦しむような環境に生まれさせたことに対しては何も言わないのか。
>>989 プッ 戦争放棄させて頂いた?笑止。
戦争を回避するのも人間の知恵なら、それを止めたのも人間の知恵によるもの。
で、そういうと、おまえらは「そういう知恵を人間に与えたのも神の御業なのです」
などと言うんだよな。
おまえらみたいなのを(ry
人は何度でも同じ過ちを繰り返す。そしてそれを修正するのも人間だ。
神が何かしたと思ったら大間違いのコンコンチキだぜー。
>>993 >最初から苦しむような環境に生まれさせたことに対しては何も言わないのか。
自分でそれを選んだからね。
>プッ 戦争放棄させて頂いた?笑止。
たしかに人間のおつむを通して戦争回避を考えた。
そういうことではなく、人間は賢いけど、それをあまり強調すると傲慢になる。
だから傲慢にならないための言い回しだと思ってくれ。
995 :
名無しさん@3周年:03/06/10 12:06
現世の救いが本来の救いではないってこと。
刈り入れの日を待て
このスレは続くのですか?
>>913 人間の生命がこの世限りであることを明確に証明することが出来るので
あれば、不運な境遇に生まれた人は本当に不幸です。
しかし、輪廻転生していることを信じ、全てが自己責任のもと成り立って
いることを理解すれば人間の努力の余地があると思います。
この世限りの命である・・・と思うことはあらゆる不幸からの脱却を
放棄する考え方であると思います。
998 :
名無しさん@3周年:03/06/10 12:27
自分自身の救いを求めれば求めるほど、救いは遠ざかる。神は自己中心主義
者は決して救わない。あるがままと他者への想いの中にのみ、本当の救いは
ある。来世のことなど、充分に現世を生きた後に、死の間際に考えるべき
こと。未だ早すぎ。
「未だよく生を知らず。いずくんぞ死を知らんや」(孔子)
この運動に関わったために人生を棒にふった人達が大勢いる。私たちカトリック者は
指をくわえて見ているだけでいいのだろうか。疑問である。とにかく、山本恭子は長
崎大司教の指示にさえまったく従わないのである。ところで、私が取材の過程で
入手した衝撃的な実話をひとつ紹介しよう。1988年の2月21日、当時19才だった
田中緑さん(仮名)は、山本恭子のコミュニティーに関わったおかげで、その数日前
から突如「悪魔が見える!悪魔が見える!」と叫びはじめ、同日(21日)午後、奄美
大島の自宅の風呂場でついに自殺したのである。これについては複数名の証言
を得、裏付けも取った。そのほかにも沖縄の18才の少女が海岸で焼身自殺をし
たりしており、そのほかにも変死、病死などたくさんある。この件は山本恭子自身
もはっきりと認めている。
さらに脱会者の訴えによれば、山本恭子はその奄美大島の自殺した女の子に
「犠牲の霊魂だから耐えろ」と、言い、しかも、「13日の日には地獄の門が閉まるから、
13日に死ねば誰でも天国に行ける」などと放言していたという。とにかく、このようなリト
ル・ベブル運動のようなカルト集団はほっとくわけにはいかない。これ以上、犠牲者が
続発する前に何らかの手を打つべきである。カトリック教会はこのための調査委員会
を早急に設置すべきであろう。
引用元
江原 錠治 著
リトル・ペブルの運動への警告 P23-26
1000?
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。