【】日本仏教改革しよう!【】

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 坊さんは、教育業をやっても、福祉事業をやっても、葬式業をやっても
いいだろう。僕は、基本的には悪いとは思わないんだ。NGOもボラン
ティアもいい。坊さんは、そういうことが自由にできるということが大事
だ。これはいかん、あれもいかんというより、何をやってもいいというこ
とが大事だ。一方で、そういう事業はすべてサイドワークだという認識も
大事だろう。坊さんは、仏道をしっかり歩み、自制しながら自らの人間性
を高めていくことが必要だ。仏道が本業だ。
 葬式は仏事ではない。本業ではない。禅僧は座禅が本業。浄土宗・真宗
の坊さんは称名念仏が本業だ。真宗の坊さんは、座禅して念仏することを
原則としながら、行住坐臥、時を選ばず、期間を選ばず念仏をするという
ことが本業なんだ。本業をきちんとやれば、サイドワークで社会的意義の
あることをするのは結構だろう。むしろ積極的やるべきだろう。葬儀が社
会的に意義のないこととは、僕には思えないんだ。
 元死刑囚の免田栄さんが本に書いている。正確な文章は覚えてないが、
日本の教誨師というのは、箸にも棒にもならん存在らしい。死刑囚が獄中
で僅かに会える民間人が教誨師だ。ところが、必死に冤罪を訴えても、教
誨師をやってる坊主というのは、全く聞く耳を持たないそうだ。教誨師は、
法務省から委託を受ける名誉職だそうだ。坊主にとってはおいしい職業な
のだそうだ。彼らは、法務省の顔色ばかり伺って、服役囚には真の顔を向
けないのだそうだ。
 冤罪受刑者の救済に立ち上がった教誨師の存在を僕は知らない。正義感
の無い教誨師は教誨師の風上におけない。坊さんは、使命感と正義感をも
って、もっといろんな場で活躍すべきだろう。
 確かに、葬式に問題点が無いと言うことではない。問題点は、料金体系
の不明確性だ。葬儀執行料に対する課税が無いということ、消費税がかか
らないということも問題だ。今後、日本は葬式が増える。税収は枯渇する。
葬儀執行料課税問題は、論議すべきことだろう。