>>613 >愛には多くが含まれるんじゃないか?
>Kの言う愛、埼玉の言う愛、誰かの言う愛
こういう言い方は全くの誤解であり、欺瞞でもある。愛は一つしかない。それは誰にとっても同じ。
Kの言う愛とか、埼玉の言う愛とかは存在しない。
世間では愛も真理も人それぞれであって、Kの言う愛や、埼玉の言う愛が、
全くの別物であっても構わないというような風潮があるが、それはただ単に言葉が混乱しているだけだろう。
(聖書にはバベルの塔で言葉がバラルしたとかって書いてあるんだっけ。聖書はよく知らないけど。)
言葉にはそれが持って生まれた意味があるし、厳密な言葉遣いというのは、
こういう話をする時には特に必要になってくる事だと思う。
そして、Kが愛について語った事と、埼玉が愛について語っている事が全くの別物だと俺は思っているし、
埼玉が愛だと言っているものの殆どは、愛ではない、と俺は思っている。
言葉足らずな部分もあるだろうが、俺が書きたかったのはそういう事。
問題は、愛ではないものを愛だと混同して、その愛ではないものを愛だと呼んでしまっている人が、
世界中に大勢いるという事。
そして、Kは何度も対話する事で、愛ではないものを愛だと条件付けられている人たちを、
その条件付けから解放できるようにいろいろな話をしたんだと思う。
>>616 >>609は俺の書いた文章だけど、
>>606は俺の文章ではないよ。
メール欄にsageと書いてる書き込みでも俺のレスとそうでないレスがあるから、
勝手に混同して憤慨するのはやめて欲しい。