イスラムだけが唯一絶対

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503名無しさん@3周年
http://www.nihoniyasaka.co.jp/taidan/taidan1.html
澤田沙葉(さわだ・さふぁ) 先生 プロフィール

大正13 年(1924)岐阜市生まれ。昭和25年東大法学部政治学科卒。
戦後の混乱期にあって「国家再建」「世界平和」の道を求めて宗教界に飛び込む。
40 日間の完全断食をはじめ、雪の降る中を多摩川に浸かるなど、言語に絶する修練の末、
昭和30 年「唯一神道」の秘伝を継承。その後、旧皇族・久邇朝融(くにあさ・あきら)氏の旨を受けて
『竹内文献』の調査研究に取り組む。昭和35 年、財団法人ザビエル育英会設立に参加、理事に就任、
CDWU(世界キリスト教民主同盟)日本代表を務め、昭和50 年、「イスラーム・ウェルフェア・コー」(イスラム福祉団)
を結成。昭和53 年、メッカ大巡礼に参加。平成4年、「クルアーン研究所」設立。
CDP(Communitarian Democratic Power)として国連本部に登録される。
その間世界会議に度々出席し、とくにロンドン、ロサンゼルス等における講演「イスラームから見た日本神道」は満場の拍手喝采を浴びる。
504名無しさん@3周年:03/09/07 18:43
 日本におけるイスラム研究の第一人者である澤田先生は、たんにイスラムだけでなく、神道、キリスト教など、代表的な各宗教をかなり深く掘り下げて研究した方であり、また真理の実践者でもあります。
 先般、私(中矢)のもとに先生から送られてきたお手紙を読んだところ、途方もない計画が進行中であることを知りました。
 それは、イランの聖なる山として有名なダマヴァンド山のふもとに、世界平和樹立に向けた「平和の塔」を建立しようという計画でした。イラン大使館はすでに全面的に賛同しており、
 着々と具体化に向けて進展しつつあるようです。しかもこの構想は、出口王仁三郎聖師の『霊界物語』にもとづいているというのだから、興味津々です。
 さっそく今回、対談を申し込ませて頂きましたところ、ご快諾(かいだく)頂き、去る4月10日、埼玉県の浦和駅近くの某ホテルにてお会いすることになりました。
 ここで話し合われたことは、これからの世界平和と新秩序構築、ひいては「ミロクの世」建設に向けて、じつに重大な内容を孕(はら)んでおります。
 ただ、文中には注釈を入れるべき箇所がたくさんあります。こうした話に詳しくない方には何のことやらよく判らない部分も多いかも知れませんが、
 拙著の読者であればある程度お判り頂けるだろうと思い、あえて注釈なしで掲載することに致しました。(注釈をつけている時間がなかったというのが本当のところです。)どうかご了承ください。(聞き手: 中矢伸一)
505名無しさん@3周年:03/09/07 18:45
>>1
イスラム絶対でいいけど、過激な行動はしないでね。

                        By キリスト教徒
506名無しさん@3周年:03/09/07 18:46
中矢: 先生には久しぶりにお会いしましたので、今日はインタビューも兼ねていろいろなお話を伺いたいと思います。
   まず、とにかく、最近のイラク戦争のことをお聞きしたいですね。先生はこの度の戦争をどうご覧になっていますか。
澤田: 私は、サダム・フセインというのは、本当に口ほどもない、大変な恥さらしをしたと思っています。
   私は、イランにはこれまで15回行っているんですけど、一番最初に行ったのは、テヘランで開催された「サダム・フセイン犯罪会議」でした。
   イラクのナジャフにいたアヤトラ・ハキームというイスラム・シーア派の非常に有名な指導者が、サダム・フセインの弾圧を逃れてイランに亡命して、
   テヘランに「イラク・イスラム革命最高評議会」を結成し、「サダム・フセイン犯罪会議」というのをテヘランでやったんですが、
   それに呼ばれてテヘランに行ったのが、イランへの行き始めなんです。
507名無し:03/09/07 18:47
そう言う考えが戦争を招くのです。
508名無しさん@3周年:03/09/07 18:51
中矢: ナジャフと言えば、テレビでもよく出てきた場所ですね。
澤田: あそこは、イスラムのシーア派にとっては非常に重要な場所なんです。
 その時はすでにイラン・イラク戦争が始まっていました。
 日本ではあの戦争がどういうことで始まったのか誰にも判らなかったんですが、
 サダム・フセインの懐刀(ふところがたな)みたいな存在であった軍の作戦参謀、
 昔の日本軍で言うと辻正信(つじ・まさのぶ)みたいな人物がサダム・フセインに
 追い出されてロンドンに亡命して、暴露記事を書いた。イラン・イラク戦争は
 こういうわけで始まったんだというのが詳しく書かれたものを、私は手に入れたんです。
 あの時、イランに戦争をふっかけたのは、アメリカのCIAですね。
 CIAと、サウジアラビアの軍隊、そしてサダム・フセインが相談して戦争を起こしたんです。
 今日、21日目でイラクは陥落したことになっていますけど、あの時も21日間で
 イランは完全に壊滅できるという計算だったと書いていますね。
 それを訳して日本の総理大臣はじめ主だった国会議員の先生方はじめ
 各界の指導者たちに送りました。それで今ではほどんどの人が何故イラン・イラク戦争が起こったか知っていますが。
中矢: イラン・イラク戦争の時ですね。でも、ずいぶん長い戦争になりましたね。
509名無しさん@3周年:03/09/07 18:54
澤田: 8年間ですか。あの戦争で、サダム・フセインは敗退したでしょう。
    ホメイニ師が戦争を止めて和解したことに私も一枚噛んでるんですがね。
    それから、彼はクエートに侵攻したでしょう。
    10年前の、いわゆる湾岸戦争の時。それも敗退でしょう。
    あれで、イスラムというのはいかに口ほどでもないかということを
    世界に示したことでもあるんですね。そういう意味では、まあ、
    馬鹿の標本みたいなのがサダム・フセインです。
中矢: イラン・イラク戦争の時は、サダム・フセインはアメリカとくっついてやったけれど、
    今度はケンカしてるわけですね。
澤田: ということは何故かというと、内輪(うちわ)を知ってるから。
    アフガニスタンのタリバンもそうだったんですが。ソビエトに反抗させるために
    アメリカが仕組んだんだと言われていますよね。
中矢: ビン・ラディンもそうだといいますね。
510名無しさん@3周年:03/09/07 18:57
澤田: はい。やがて必要なくなってくると、内輪を知ってるから、邪魔なんですね。
   それで、消さなくちゃということで。フセインもそういう手で、今回、言うならば消されたと。
中矢: 内輪の事情をよく知ってるから。
澤田: そう言えると思うんです。イスラムのシーア派としては、
   彼と戦争もやったくらいだから、フセインが消えてなくなるということは、
   非常に大歓迎なんです。その後は、当然シーア派が力をつけてくるということですね。
   さっき言いましたハキームという指導者も、23年ぶりにイラクへ帰ってるわけですよ。
   そして、イラク復興に関わる新しい暫定政権の中にどういう形で入り込むかは判りませんが、
   必ず入るはずです。とにかくシーア派の発言権が増すだろうと。
   今朝の新聞にはイランのラフサンジャニ元大統領の言葉が掲載されていましたが、
   アメリカがいかにひどいことをやるか、用心しなければならないという内容の記事が書かれていました。
   イラクが片付いた次はイランだろうという警戒ですね。
中矢: イラクには親米政権ができるんでしょう。
澤田: そうでしょうね。
511名無しさん@3周年:03/09/07 18:59
中矢: 次の狙いはイランなんですか。
澤田: それは当然そうでしょう。
中矢: アメリカは何が目的で中東に干渉してくるんでしょうか。覇権を狙ってるんでしょうか。石油なんでしょうか。
澤田: もちろんそういった見方もありますが、サダム・フセインの場合もそうですけど、結局、原因はイスラエルなんですよ。
中矢: イスラエル問題ですね。
512名無しさん@3周年:03/09/07 19:03
澤田: だから、サダム・フセインに言わせると、イラクは完全ではないにしても国連の決議にある程度は従ってるわけですよ。
    ところが、イスラエルの場合は国連が決議してるけれども、全然守ってない。
    それにもかかわらずアメリカは問題にしないどころか、援助したりしてるわけですよ。
    これはけしからんと、国連の言うことなんか聞くことないんだと、根本的にそういう立場なんですね。
    その反イスラエルの急先鋒はイラクでもないし、サウジでもない。イランなんです。そうすると、
    当然その問題が次に出てくるでしょう。だから、日本では、北鮮(ほくせん)、北鮮と警戒していますが、
    私は北鮮よりもイランだと思いますね。
中矢: 北鮮とは北朝鮮のことですね。
澤田: そうです
513名無しさん@3周年:03/09/07 19:07
中矢: ところで先生は、昔から、イランやサウジアラビアなどと交流が深いですね。
澤田: はい。もともとは、今から30年くらい前でしたかね、
   私は上野に5階建てのビルを持っていまして、「イスラーム・ウェルフェア・コー」、
   イスラム福祉団という意味ですが、やっておりました。
   これが、日本のイスラム団体の中では、ある意味で一番活動的だったわけなんです。
   そこで、サウジアラビアの文部大臣と、リヤド大学の学長がイスラム・センターの
   理事の案内で私のところへ来て、資金と教授陣は全部サウジアラビアで用意するから、
   日本にイスラム大学を作ってもらいたいと言ってきたんですよ。それで、八王子に
   イスラム大学を作ろうとして、予算を立てて、青写真も作ったんです。
   1ドル230円の時代だったんですが、1億ドル、日本円にして230億円かかると。
   そのうち100億円は土地の取得と造成費だという計画書を見せたら、サウジの方が
   ビックリ仰天しちゃって(笑)。とても話にならんと。
514名無しさん@3周年:03/09/07 19:10
 取り敢えず土地をなんとかしないと、ということで、八王子に各大学がどんどん出来つつあった頃だったもので、
 それで八王子がいいだろうということになったんです。でも八王子は駄目だってことで、富士山麓の忍野(おしの)村に行って、
 村長さんに会って、なんとか土地の問題を相談したんだけれど、なかなか折り合いがつかなくて、今度は京都へ行ったんですね。
 そこで、シーア派というものを初めて知ったんです。
 それまでは、日本にシーア派というものを判る人はいなかったんですね。イスラムのどの本を見ても、
 もちろんシーア派の説明というのはあるけれど、それはあくまでも−−サウジはワハーブ派なんですが−−ワハーブ派あるいは
 スンニ派の立場で見たシーア派だから、本当のシーアにはならないんです。日本では初めて私がそれを知ったということなんです。
 それ以降、イランとの関係がどんどん深くなっていったのです。私自身は、別に、スンニともシーアとも思っていないんですが。
515名無しさん@3周年:03/09/07 19:11
中矢: イランはやっぱりシーア派が多いんですか。
澤田: 圧倒的に多いです。
中矢: シーア派の国みたいなものですか。
澤田: はい。九割九分がシーア派ですね。イラクの方は、六割あるいは七割ですよ。
   ところが、今のシーア派にとって大事な、廟(びょう)というんでしょうか、
   予言者の正統な後継者と言われる12人のイマーム(指導者)たちがいて、
   彼らの廟があるわけなんですが、そのうちの6人の廟、それが全部イラクにある。
   イランは一箇所しかないんです。ですからイラクは、シーア派にとって非常に重要な場所なんですよ。
中矢: 複雑ですね。
516名無しさん@3周年:03/09/07 19:13
澤田: ですから、ちょっと表現に困るんですが、イランのラフサンジャニ元大統領が今言ってるように、
 アメリカはひどいやり方をすると。何だかんだと理屈をつけて、自分たちだけが正義だと言って、
 要するに自分たちの言うことを聞かない者は叩き潰すというようなのがアメリカのやり方だと。
 私はそれよりも、イランのダマヴァンド山という山に、「平和の塔」を作ろうということで、
 大本の出口信一先生、それから真光の広島支部長をやっている大橋さんという方と一緒に、
 広島市長、長崎市長に呼びかけ、発起人になってもらって、日本の各宗教団体にも呼びかけたいと、
 こう考えたわけです。さらに、国内に絞らないで、バチカンとか、海外の主だったところにも賛同を呼びかけて、
 世界的な平和の中心になるようなシンボルの塔をダマヴァンド山に作ろうと計画を進めているんです。
中矢: バチカンにも呼びかけるんですか。これは壮大なプロジェクトになりそうですね。
517名無しさん@3周年:03/09/07 19:15
澤田: 私はバチカンとも深い関係を持っているんです。カトリックは今回のイラク戦争について、全世界あげて反対しようという運動をやったんですね。
   ローマ法王、教皇聖下は、ブッシュ大統領とかイラクにも特使を派遣して、戦争しないようにとアピールしたんだけれど、
   残念ながらこういう結果になったわけですね。さて、これからどうするかと。一方は政治的問題であり、一方は宗教の問題なので、
   ちょっと次元が違うんですが、とにかくバチカンの意向は踏みにじられたわけですから。
中矢: それが出口王仁三郎(でぐち・おにさぶろう)の『霊界物語』にもつながってくると。この辺はウチの読者も大変興味をそそられるところだと思います。
518名無しさん@3周年:03/09/07 19:18
澤田:そうなんです。『霊界物語』の中には、イランのダマヴァンド山をスサノオノミコトが本拠地にして、
  全世界をミロクの世にするという預言があります。まあ、ダマヴァンド山という名称は出てきませんが。
  イスラムでは、マハディーという人が現れて、そういう時が来るという預言があるんです。
 『霊界物語』では、スサノオノミコトがフサの国の「産土(うぶすな)山」に館を作られて、
  そこを本拠地にして世界中を言向(ことむ)け和(やわ)すとある。今まで誰も気付かなかった と思うんですけど、
  私はイランに15回も行ってるものですから、『霊界物語』に出てくるその「産土山」とは、
  イランのダマヴァンド山に間違いないと思っているんです。
519名無しさん@3周年:03/09/07 19:21
 また、不思議なことに、普通の歴史では考えられないようないろんな伝承がそこにはあるわけですが、
 その伝承によれば、ペルシャ人というのはダマヴァンド山で始まったとされている。そして、
 日本で言えばヤマタノオロチですね。何年も前から、テヘランとかイランの各地に行くと、
 悪魔を退治してるような像が町に立ってるのを見るんですよ。日本神話のヤマタノオロチに
 似ているんで非常に関心を持っていたんです。そこでダマヴァンド山に行っていろいろ聞いてみると、
 いよいよヤマタノオロチ退治とそっくりの伝承があるんですね。
 去年の11月に行った時に、テヘランの博物館で、アリーという人物がマホメットから授かった
 「ズル・フィカル」という剣を持って、ヤマタノオロチを退治している絵を発見して、これはえらいことだと。
 このアリーが、さっき言いましたイラクのナジャフという所にいたんで、ナジャフというのは重要な場所なんですよ。
520名無しさん@3周年:03/09/07 19:23
中矢: そのモチーフが日本神話に入って来ているんでしょうか。
澤田: まあ、そうでしょうね。私はそうだろうと思うんですが。
中矢: いわゆる「古史古伝」として知られる『富士文献』では、
  大陸にある「高天(たかま)ノ原」から日本にやって来て
  初めて国を治めたのが国常立尊(クニトコタチノミコト)で、
  後に遅れてやって来た弟の国狭槌尊(クニサヅチノミコト)と
  共に日本の国を分割統治したと記されています。その「高天ノ原」とは
  今のペルシャのあたりと言われています。そういうことも、あながち
  根拠のない話ではないのかもしれませんね。
521名無しさん@3周年:03/09/07 19:26
澤田: そうだと思うんですよ。そういうことで、非常に関心を持って、一昨年でしたか、
 大本の人が43人だったと思いますが、ペルセポリスへ行ったんです。
 イランといったら、ペルセポリスというくらい有名なんですが、宮殿があるところですね。
 そこには、世界中から貢物(みつぎもの)を持ってくる彫刻というか絵が描いてあって、
 皆それを見て感心してるんですが、肝心要(かんじんかなめ)なことを見逃していると思うんです。
 それは、それらの彫刻あるいは絵の周囲に画かれた花、それが全部、蓮華(れんげ)なんですよ。
 蓮華がずーっと彫ってあるんですね。
522名無しさん@3周年:03/09/07 19:28
 それから、テヘランの国立博物館にあるダリウス大王の像なんですが、それも大王が蓮華を持っているんです。
 その蓮華とは何であるか。要するに、仏教の南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)、
 あるいは、極楽浄土の蓮華ですね。蓮華の関連からして、『霊界物語』にもスーサという所がでてきますが、
 スサノオノミコトと密接な関連があるところですが、そこのチョガザンビルにも行ってみたんですが、
 岡山にあるスサノオノミコトの廟というもの(熊山の遺跡)とそっくりだというので皆さん驚いていましたね。
 岡山のよりももっとスケールが大きいんですが。チョガザンビルは世界遺産になっていますが、
 その一番上に牛の頭の像を飾ってあったんですね。
 その廟を造った王朝は、アケメネス王朝のもう一つ前の時代のアラム王国という王朝なんですが、
 このアラムという名前の意味が、なんと「蓮華」なんですよ。ペルセポリスというのは、
 アケメネス王朝のダリウス大王がアラム王国のスーサを見本にして建設したと言っていいんじゃないかと思うんです。
 さらに、シラーズという所があって、その近くにアケメネス王朝の王たちの墓を岸壁に彫ったものがあるんですが、
 元は、エジプトから来ているんですよ。そこで、日本の問題も出てくると思うんですが、日の出る方に向かって造ってあるんですね。
 そういうのをずっと調べていくと、今のエジプトまで遡(さかのぼ)って行くんです。
 それはもう、否定できない事実なんですね。こういうことを調べていくと、実に面白い。
 私が何でこのことに興味を持つかというと、唯一(ゆいいつ)神道というのがありますね。
523名無しさん@3周年:03/09/07 19:30
中矢: 吉田神道とは違うわけですね。
澤田: 吉田神道を別名「唯一神道」と言うけど、吉田神道とはちょっと違います。
   大石凝真素美(おおいしごりますみ)が唯一神道と言い出したんで、
   私はその言葉を使ってるんですが、これは「唯一神の道」というふうに考えた方が正しいと思うんですね。
524名無しさん@3周年:03/09/07 19:32
中矢: 大石凝翁(おう)が創始者ですか。
澤田: いや、この唯一神道の初代は聖徳太子なんです。聖徳太子から始まって、
   二代目が天武(てんむ)天皇で、三代目が役(えんの)行者、それから四代目が、
   加賀の白山(はくさん)を開いた泰澄(たいちょう)禅師ですね、五代目が源頼光で、
   六代目が荷田春満(かだのあずままろ)、それから七代目が大石凝真素美、そして八代目が
   私ということになってるんですよ。
   そこに、実に妙々不可思議なものが伝わってるわけでして、『霊界物語』に出てくるいろいろな話、
   元はそこから出てるんですね。いわゆる大本研究で出てくる、中村孝道(こうどう)だとか、
   言霊(ことたま)だとか、そういうのを辿(たど)っていくと荷田春満に行き、その元は天武天皇まで行くんです。
525名無しさん@3周年:03/09/07 19:34
 太安萬侶(おおのやすまろ)が書いた『古事記』の序文には、
 日本の古い家が持っている伝承がどんどん無くなっていくから、
 今のうちにこれを記録として残しておこうという天武天皇の詔(みことのり)
 にもとづいて書かれたとありますね。それを集めて編纂(へんさん)
 して、稗田阿礼(ひえだのあれ)に覚えさせたということですよね。
 ところが、山本家に伝えられている伝承ではそうではなくて、
 壬申(じんしん)の乱の時に、山本家に天皇になる前の天武天皇が行かれて
 −−天皇になられる前の大海人皇子(おおあまのみこ)の時ですが−−
 太古から伝わっている「古事記のモト」を受け継がれたんです。
526名無しさん@3周年:03/09/07 19:37
ここに、今の大祓(おおはらえ)で言う天津金木(あまつかなぎ)・天津菅曾(あまつすがそ)
の問題が出てくるんですけれども。
これを天武天皇が稗田阿礼に教えられたということなんですね。
それで、『古事記』は和銅5年に太安萬侶が献上したと書かれていますが、
その前の和銅4年の2月の初午(はつうま)の日は、伏見の稲荷大社の創建の日とされています。
 京都の稲荷大社について、京大の名誉教授の上田正昭さんに調べてもらってるんですが、
よく判らないと。
527名無しさん@3周年:03/09/07 19:37
ここに、今の大祓(おおはらえ)で言う天津金木(あまつかなぎ)・天津菅曾(あまつすがそ)
の問題が出てくるんですけれども。
これを天武天皇が稗田阿礼に教えられたということなんですね。
それで、『古事記』は和銅5年に太安萬侶が献上したと書かれていますが、
その前の和銅4年の2月の初午(はつうま)の日は、伏見の稲荷大社の創建の日とされています。
 京都の稲荷大社について、京大の名誉教授の上田正昭さんに調べてもらってるんですが、
よく判らないと。
528名無しさん@3周年:03/09/07 19:39
稲荷神社の総本山である伏見稲荷の創建は、和銅4年に、稲荷大神のご出現に際して、
稗田阿礼が祠(ほこら)を造って、天武天皇から教えられた「古事記」を理解するための
鍵であるフトマニノミタマを納めた。これが、稲荷の始まりです。もちろんそれは社殿の
ことであって、「稲荷大社」、古くは「伊奈利(イナリ)」と書いたのですが、「イナリ」
の創建そのものははるか太古に遡りますね。
 これについてはじつに面白い史実がありますが、とにかく山本家に伝わっていた伝承が、
稲荷に伝わってるわけなんです。それが、中村孝道に伝わって、上田喜三郎(うえだきさぶろう)、
後の出口王仁三郎聖師に伝わったということなんですね。
529名無しさん@3周年:03/09/07 19:42
 山本家というのは、岐阜県垂井町に美濃一ノ宮の旧国幣大社・南宮(なんぐう)大社がありますが、そのすぐ近くにある旧家で、
 玉祖命(タマノオヤノミコト)の子孫と言われています。そこの当主は南宮大社の禰宜(ねぎ)をしておられると思いますが、
 この山本家に、日本の古史古伝を理解する上でなくてはならない実に重大な秘伝が伝えられています。
 その一つは、日本と世界は、相似形をしていると。日本と世界の関係を正確に知ろうとすると、天津金木というものを置いて…。
 例えば、四国の土佐という国が古事記に出てきますが、トサというのは、土と水と書いてトサと読むんですが、天津金木では
 土に当たる木は黄色で表すんです。天津金木というのは、四面に色を塗ってありますから。天は青で表して、土は黄色、水は水色
 ですが、そうすると、トサというのは土と水の面ですね。二柱の天津金木を置くんですが、一つは黄色、一つは水色です。
 この黄色と水色の天津金木を二本置いた形をトサの国というんです。これを256倍に拡大すると、オーストラリアになると。
 それとともに、世界は一巨人の形をしており、日本はその赤子で、世界という親に育てられた日本が、成長して、いよいよ今度は
 世界を養うというとでも言いましょうか、そういう時が来ると。それが、山本家に伝わっている教えなんですよ。
530名無しさん@3周年:03/09/07 19:45
>>503-504>>506-513
澤田氏のプロフィールが真実であるとしても、以上見ただけでかなり胡散臭い人物なのは明らか。
昔は結構このような左派の馬鹿学者が学会で大手を振っていた。
>ホメイニ師が戦争を止めて和解したことに私も一枚噛んでるんですがね。
このホラ吹き振りはご愛嬌だが
>澤田:あの戦争で(イラン・イラク戦争)サダム・フセインは敗退したでしょう。
あの戦争で勝利したのはイラクなのは中東情勢を聞きかじった者なら知らないはずがない。
決定的なのは生物兵器でイランが大きく後れを取っていたため。
長距離ミサイルによる毒ガス攻撃はホメイニはじめとするイラン首脳陣に計り知れないほどの
精神的ショックをもたらした。
結局1988年7月20日、ホメイニは国営放送を通じ以下の声明を発表。
「イラン首脳の提言を信じ、私は政策を変えた。これは神の意志による。
私はかつて血の最後の一滴まで戦うと皆に約束したが、国の利益のために国連の停戦決議受け入れを
決断した。私は毒を飲むより苦しい思いで決断したのだ」
ホメイニの事実上の敗北宣言だった。
531名無しさん@3周年:03/09/07 19:45
   聖徳太子も、創始者ではなくて、前からあったものを伝承されたということなんです。
   では、聖徳太子の前とは何なんだと、これをどうしても知りたいと思ったのがきっかけで、
   いろいろ調べて、ずーっと遡っていったら、イランなりエジプトなり、メッカの方までいくんですよね。
中矢: 「日月神示(ひつきしんじ)」の岡本天明(おかもと・てんめい)さんが、
   日月神示が降りる前に、山口志道(しどう)の書いた『水穂伝(みずほのつたえ)』
   というのを研究していたのですが、その『水穂伝』の最初に「稲荷古伝(いなりこでん)」というのが載っています。
   そこに、マルにチョン(ス)の図があるわけです。スと言えば、神を表すシンボルであり、日月神示のシンボルでもある。
   ですから、「稲荷古伝」を研究していた後に「日月神示」が降ろされたというのは、何か稲荷と関係があるんじゃないかと思うんです
532名無しさん@3周年:03/09/07 19:49
澤田: そうでしょうね。前橋に私が非常に懇意にしている大本の前橋支部長の桜井さんという人がいるんですが、
   岡本天明さんは生前よく桜井家に行ってたらしいんですね。それで、いろんな話を聞いたということです。
   今出ましたマルにチョン、これは「ス」ですね。七十五声のマン真ん中に鎮座まします「ス」ですね。いわゆる「スの大神」ですね。
中矢: 今の「真光」などの神道系新宗教でも教義の中で説かれる「スの大神」ですね。スのことを主神とか、「スの大神」と呼んでいるようですが、
   彼らのこうした教義にしろ、その教義のモトとなったものがあるということだと思います。
   山口志道が『水穂伝』に載せた「稲荷古伝」は、荷田家から伝わったものですね。春満から。そうするとやはり、その辺の流れがあるんじゃないかと。
澤田: はい、そうですね。
中矢: そのルーツをさらに辿っていくと、中東の方にいくと。
533チェイニー:03/09/07 19:51

>>484  サンキュー
断じて、石油利権ではナイ!  断じて、石油利権ではナイ!  
   
                       へっへっへっへっ
534名無しさん@3周年:03/09/07 19:53
澤田: そう思うんですよ。コーランにしても、聖書にしても、肝心要のところに触れてないんです。
 私は、『竹内文献』も、昭和天皇の皇后さま、香淳(こうじゅん)皇后のお兄さんの久邇宮(くにのみや)さんに頼まれて調べたんです。
 普通で見られないところも、徹底的に調べたんですけれども、歴史書という点から見ると、それは『古事記』と『竹内文献』とでは天地の差がありますよ。
 しかし、根本的に違うものなんですね。『古事記』の方は、宇宙の成り立ちを神の名をもって現したもので、歴史とはなんら関係ないんですよ。
 『竹内文献』は、壮大な宇宙観なんですね。
 そういう意味で『古事記』というのは実に妙々不可思議なものなんですが、これがどこから伝わったのかというと、日本が考え出したものではなく、
 聖書で言うならば一神教の、アダムよりさらに前に遡る時代からずっと伝わってきた。それが日本に伝わったというのが、おそらく正しい見方だと思うんです。
535名無しさん@3周年:03/09/07 19:55
中矢: ちょっと話は変わりますが、先生は東大を出られてから神道もおやりになったし、
   カトリックもおやりになったし、大本も研究されて、今はイスラムということで、
   いろんなことを経験されてますけれども、最初は神道だったんでしょうか。
澤田: はい。
中矢: それからキリスト教でしたか。
澤田: はい。その間に『竹内文献』が入るわけですね。神道をやって、秘伝の継承を受けて、
   そして日本の各界にそれを知らしたわけですよ。そしたら、それを見た久邇さんが
   「あんたに頼みたいことがあるんだけど」と。
536名無しさん@3周年:03/09/07 19:58
中矢: それで、『竹内文献』を調査して、その後キリスト教へ行かれたと。
澤田: はい。何故そうなったかというと、天照日大神(アマテラスヒノオオカミ)、
   いわゆる天照大神(アマテラスオオカミ)よりもずーっと前の、
   天照日大神の神勅(しんちょく)というのがあるんですが、
   日本でいうと神武天皇の500年前に書かれたというもので、
   それには「時が来たならば竹内家からすべての宝物を天皇家に返せ、
   そうすると天皇家がしかるべくする。それまで一切のものに、
   何人たりとも触れてもならないし、公表してもならない」と。こういう神勅があるんですよ。
中矢: それは、「万国天皇」再出現の神勅というか、預言みたいなところですか。
澤田: ええ、まあそうですね。
中矢: あれは、本当にあるんですか。
537名無しさん@3周年:03/09/07 20:01
澤田: ええ、あります。そうしますと、『竹内文献』が事実ならば、大変な問題ですから、
 ぜひやろうと言う人が日本全国にいっぱいいたんだけれど、私は、神勅がある以上、
 これ以上はできないんだと。もし、これを守らなければ『竹内文献』を信じないことになるわけだし、
 信じるなら従わなければならないし。ということで、久邇さんにもそういう報告をして、
 とにかくこれは、保留させて頂くということになったんです。そういうことで、私は困っちゃったんですね。
 それでその後、1年間、夜寝ずに願をかけたんです。最初の半年間は、皇居前の芝生の上に座って、
 皇居三殿に向かって、徹夜で座禅をしてね。最初は警察が飛んで来て“何をしているんだ”と詰問されましたね。
 すぐ大変な仲良しになりましたが。その後、3ヵ月間は神田明神で「お百度」を踏み、その後3ヶ月間は
 上野の五条天神で夜通しでしたんですね。計1年間、夜寝ずにずっとやったんですよ。あれは辛かったですね。
538名無しさん@3周年:03/09/07 20:03
イスラム「擁護派」、『古事記』や聖徳太子のスレ違い粘着カキコして必・死・だ・なw
神道(多神教)とイスラムなど相対立する関係に過ぎない。

多神教徒のために,御赦しを求めて祈ることは,仮令近親であっても,
かれらが業火の住人であることが明らかになった後は,預言者にとり,また信仰する者にとり妥当ではない。
(コーラン9章113節より)

それにしても、澤田氏は神道、カトリックについでイスラムかw
イスラムにすがる者が宗教ジプシーの典型的例。
東大出ても、この体たらく!
こんなクズ学者を紹介する香具師もまた然り。
539名無しさん@3周年:03/09/07 20:04
 そして、4月29日の当時の天皇誕生日に、皇居へ行きまして、坂下門をおりてきたら、
 キリスト教の牧師さんが「全て重荷を負える者はわれに来たれ」というビラを配っていまして、
 それを見て、俺こそ重荷を負える者だと思い、キリスト教の門を叩こうと思ったんです。
 その牧師さんは、プロテスタントの小さな教会の方だったんですが、それがキリスト教との縁ですね。
 しかし、日本でもこれをやった人は果たして何人おるかと思うんですが、ヘブライ語で旧約聖書を全部読んだんですよ。
 終戦直後、現在の迎賓館は、もともとは東宮御所だったんです。それがマッカーサーに取り上げられて、
 しばらく国会図書館に使ってたんですね。そこにヘブライ語の聖書があったんで、毎日通って読んだんですよ。
 あれは相当長くかかりましたね。
 当時私はまだ学生でして、銀座の三越の7階に、カトリック中央協議会のチべサーという神父さんがいて、
 上智大学と共同で英会話を教えてたんです。そこでは教会もやっていたんですが、そこに英会話を習いに行ったんです。
 カトリックのことは知ってはいたんですが、そこでまあ改めて、カトリックの門を叩いたわけです。
 それから、キリスト教民主党(CD)の日本代表になりまして。
 ローマで毎年開かれる世界会議、それに毎年出席しましたから、ローマは12、3回行ってるんです。
 それでバチカンとも深い関係を持ってるんです。
540名無しさん@3周年:03/09/07 20:07
中矢: そうなんですか。それで、その時はキリスト教に傾倒されて、その後にイスラムの方に入っていかれたと。
澤田: はい。C D というのは、世界75ヶ国に組織されてるんですよ。当時は、そのうち17ヶ国で政権を担当していました。
   イタリア、ベルギー、ドイツ、ヴェネズエラとかね。それは大変な勢力だったんです。
   そこへ、いわゆるオイルショックが起こって、どうしてもイスラムを放っておけないと。
   部局を作って、本格的にイスラムというか、アラブを研究して、手をつなぐ必要があると。
   といっても、イスラムのどこから手をつけていいか、誰も皆目判らないわけですよ。それで私がその部局の担当者に指名されまして、
   キリスト教民主世界同盟と言っておったんですが−−今もベルギーにあるんですがね−−それのイスラム・アラブ部の部長になりました。
541名無しさん@3周年:03/09/07 20:09
 その頃日本におけるイスラム団体としては、東京では日本ムスリム協会というのだけがあったんですよ。
 たった一つだけね。そこへ電話して、私は世界キリスト教民主同盟の日本代表ですが伺いたいと言ったもんですから、
 論争が始まると思って総動員で集まって、私を待ち構えていました。こっちはそういうつもりじゃなくて、研究したいわけだから。
 東京モスクへ行っても良いですか、とかね。礼拝もアラビア語でないと出来ないから、テープレコーダーを持って行ったり。
 今もそうですが、イスラムを代表するサマライという人がいて、今はイスラム・センターの理事長ですが−−イラクのサマラという場所、
 これも非常に重要な場所で、今問題になってるナジャフとかカルバラよりもある意味で重大な場所なんですが、サマライというのは、
 サマラの人という意味なんですね。その人のところへテープレコーダーを持って行って、礼拝の言葉ややり方を吹き込んでもらったんですよ。
542名無しさん@3周年:03/09/07 20:12
 そうしたら、それは非常に簡単なもので、その中に「ラー イラーハ イッララー ムハンマド ラスルラー」
 という言葉が何回か出てくるんですよ。これは、「アッラーの他に神はない、マホメットはアッラーのみ使いである」
 と訳してますが、これの前半は「神の他に神はない」と訳さないと具合が悪いと思うんです。
 その頃はまだこれから研究しようという頃でしたから、サマライ先生の後に従って、「ラー イラーハ イッララー ムハンマド ラスルラー」
 と私が言ったら、もうあんたはムスリム(イスラム教徒)だと。この言葉を唱えさえすれば、誰でもムスリムですからね。
 非常に簡単なんですよ。洗礼とかもないし、勉強も必要ないんです。
 イスラムの指導者たちに紹介するから、次の金曜日に東京モスクに来てくださいということで、行ったら、
 日本のイスラムの指導者たちが全員集まっていて、正式にイスラムに入りましたということになったんです。
 しかし、調べれば調べるほど、今のイスラムは根本的に誤解されてるんです。本当のイスラムが理解されてないというか…。
543名無しさん@3周年:03/09/07 20:15
中矢: とくに日本人は、イスラムというと好戦的なイメージがありますね。
   コーランにしても、非常に争いが好きなような、野蛮なイメージがあると思うんです。
   でも、実際はそうじゃないと。イスラム教徒の人口は世界中で確か10億人くらいいると思いますが、
   それだけ多くの人が魅かれるという宗教は、そんなに軽いもんじゃないと思うのですが。
   その辺は、先生の本を読ませて頂いて少し判ったような気がしましたけれども(笑)。
澤田: そうした誤解を解くためには、今出ているコーランの訳では駄目なんですよ。
   例えば、岩波文庫で出ている井筒先生の訳でも、原文のアラビア語から見ると
   チョット首を傾げなければならない個所が相当ありますね。
   だから、本当のイスラムというのを理解するためには、本当のコーランの訳が絶対必要なんです。
544名無しさん@3周年:03/09/07 20:17
中矢: どなたか正しく訳したコーランを出したりしないんですか。
澤田: 私は2回訳していまして、今、イランの政府が出版するという計画が進んでいるんです。
 『古事記』の場合もそうですが、大石凝真素美は、前に言いました山本家では「大石さん」
 と呼んでいますが、六通りの意味があるんだと言っています。それを知ってかからないと
 『古事記』の解釈にならないんだと。コーランの場合はマホメットが七通りの意味があると言っている。
 ここで申し上げたいのですが、マホメットというのはヨーロッパ的発音で、イスラム世界ではムハンマドと言います。
 それは「褒(ほ)め称(たた)えられる者」という意味ですが、注意しなければならないことは、
 ムハンマドと言う時には必ず後に「彼の上に平安あれ」あるいは「彼と彼の子孫の上に平安あれ」と付け加えることです。
 これを言わないと呼び捨てにすることになるわけで、イスラム諸国と友好を深めることは望めないですね。
 われわれ日本人には最初はなかなか馴染(なじ)めないですが。
545名無しさん@3周年:03/09/07 20:20
中矢: イスラムを理解する上での基本ですね。重要なところだと思います。
澤田: コーランの話に戻って、ちょっと例をあげると、コーランの一節で、
   「イスラームが世界中の全ての宗教の上になる」というか「凌駕(りょうが)する」
   というふうに、どの邦訳本を見てもそう訳してあるんですが、実は、
   「凌駕する」とか「打ち勝つ」と訳しているそのアラビア語には、「学ぶ」と言う意味があるんですよ。
中矢: 全然違いますね。
澤田: それから、「戦う」あるいは「殺せ」と訳してあるところでも、
   全然逆の意味があるんです。そういう別の意味を明らかにしないと、
   本当のイスラムというのは判らないですね。

546名無しさん@3周年:03/09/07 20:21
>なぜ親米ポチがサヨクになるんだ?
>矛盾そのものではないか。

そんなこと小林本人に聞いてくれ。
奴の最近の論理は奴しか理解できん。
547名無しさん@3周年:03/09/07 20:22
 長年住んでいた浦和から品川へ移るまでの私はどちらかというと研究の方に重点があったんですが、最近品川に移ってからは、もっぱら祈りですね。
 明けても暮れても。あれは大変なんですよ。1日5回の礼拝をするということになってるんですが、マホメットがやったとおりにやろうとすると、本当に大変。
 私がイスラムに関わってから、もう30年くらい経(た)ってるんですが、最近になってマホメットというのはすごかったんだなと判りましたね。
 祈りの時に必ず唱えなければならない、コーランの一番最初に出てくる第一章開端章というのがあるんですが、ファーティハと言うんですけどね、
 これを本式にやると、毎日46回も唱えることになるんですね。
548名無しさん@3周年:03/09/07 20:29
左翼=共産党だと思うからこんがらがるんだ。
コヴァのいう保守にとってはアメリカも左翼つまり、革命勢力や侵略者に含まれるわけだ。
尊王攘夷やね。あほくさい。愛国者氏ね。
さぁ、俺はこれからアメ車乗ってマクドナルド食いに行って帰りにハリウッド映画のビデオでも借りてくるか〜
549名無しさん@3周年:03/09/07 20:32
 それくらい重要な章なんですが、この章は七つの短い節から成り立ってる非常に簡潔なものなんです。
 その六番目の節に、アラビア語で言うと「イフディナー シラータル ムスタキーム」という言葉があります。
 「イフディナー」というのは、「私たちを導いてください」という意味で、「シラータル」は「道」。
 問題は、最後の「ムスタキーム」という言葉なんです。これを「正しい」と訳して、その節全体の意味を、
 「私たちを正しい道に導いてください」と訳してある。
 あるイスラム団体は、ご丁寧(ていねい)にも、この「正しい道」がいわゆるイスラム教であって、
 その次に、「あなたが怒り給うものの道でなく」と続くんですが、これはユダヤ人であり、
 次の「踏み迷えるものの道でなく」というのはキリスト教であるという注釈をつけてるんですね。
550名無しさん@3周年:03/09/07 20:34
>>546
>>496をみれば、小林信者に成り済ました在日なのはバレバレw
自虐的な日本人でもここまでは書かない。
2CH全体で迷惑をかけているのは、他のスレでアラビア語の学習をしてると詐称していた香具師。
外国語の勉学より、相も変わらず他人への絡みと罵倒のヒキー特有の粘着カキコに
全精力を傾けているらしいw
こんなヒマがあれば、単語の一つでも覚えるべきなのだが。
自堕落な生活を送る負け犬にはやる気もないか。
551名無しさん@3周年:03/09/07 20:35
 ところが、今の「正しい」と訳している「ムスタキーム」という言葉でも、アラビア語は三つの子音から成り立っているんですが、
 「コム」という動詞の形容詞が「ムスタキーム」なんですね。この「コム」というのは本来「立ち上がる」とか「復活する」という意味なんですよ。
 その形容詞だから、「正しい」という意味もあるかもしれないけれど、それよりも「立ち上がる道」とか「復活の道」と訳さないといけないんですよ。
 さらにその「立ち上がる道」あるいは「復活の道」が「正しい道」であるという意味も含んでいると思うのです。それをなぜ「復活の道」と訳さないかというと、
 キリスト教が「復活」と言うからです。
 ともかくそういうふうに見ると、コーランの中に「復活」という言葉が数え切れないくらい出てくるんです。これをだいたい、井筒さんの訳を見ても「審判」と訳している。
 「復活」という言葉を避けているんです。ところが「復活」というのを避けたら、コーランにはならないんですよ。「私たちを復活の道に導いてください」という元来の意味に戻ると、
 すなわち「キリストの教えた道に導いてください」ということにもなりますからね。だから、キリスト教とイスラムは喧嘩するってことは本当はあり得ないんです。元々は同じものなんですよ。
552名無しさん@3周年:03/09/07 20:41
中矢: 正しく訳せば聖書と違うということはないんですね。
澤田: 本質を見ればもう、完全一致なんですよ。
 それからもう一つ重大なことがあります。
 20年くらい前にイスラム・センターがバス4台を連ねて箱根に行ったことがあるんですが、
 その時にイスラム・センターの理事が、道路を登って行く他の一般の車を見てね、
 この人たちは物見遊山に行くんだが、我らはアッラーを礼拝に行くんだと言うんですね。
 そこで私は、ちょっと待てと。「あなたは箱根という山をどういう山であるか知ってるか」と尋ねたんです。
 もちろん知らないと。これは元来「聖なる山」という意味なんだと。ハコネというのはね。
 だから元来、箱根というのはアッラーすなわち天地創造の神を礼拝していた所なんだと。
 天地の創造主を礼拝していた聖なる山であったんだと言ったんです。
553名無しさん@3周年:03/09/07 20:43
 それから私は続けて言ったんですが、あなたはコーランに「天地創造以来、地上のすべてのウンマ−−アラビア語で共同体とか民族とか国という意味ですが−−に、
 御使いや預言者を遣わして、間違いの起こらないように、そのウンマの言葉で同じ真理を伝えた。これがイスラムである」と書いてあるのを知ってるかと。
 その最後の御使いがマホメットであるのだと。
 普通は、イスラムはマホメットが創ったと言うけれども、話がまったく逆なんですね。
 コーランの一番最後に啓示された第5章の一節に、「今日汝(なんじ)のためにイスラムを授けた」というふうに訳してありますが、原文のアラビア語に忠実に訳せば、
 「汝にイスラムを許した」という意味になる。つまり、天地創造以来、貫いているものがイスラムなんですね。そのイスラムの中にマホメットも仲間入りを許したという意味なんです。
554名無しさん@3周年:03/09/07 20:46
 問題は、マホメットは日本でいうと聖徳太子とまったく同じ時代の人なんです。
 まあ、聖徳太子の方が一年前か、同じ年か、微妙なんですがね。
 そうすると日本の聖徳太子の前に、日本というウンマに当然日本語で同じ真理が伝えられていると。
 これがイスラムであるというのがコーランの教えなんです。
 それは何であるかというと、当然、神道であるということですね。
 それが現在どういう形になって日本人に伝わっているかと、
 こういうことを研究することこそイスラムの本当の研究なんだと。
 いわゆるコーランを研究するのも大事だけれど、
 もっとそれ以上に、少なくとも日本において大事なのは、こういう研究なんです。
 そういう目で神道を見ると、実に興味深い、いろんなことが判ってくるんです。
555名無しさん@3周年:03/09/07 20:49
 私は上野でイスラムのレストランをやっていたこともありまして、
 その店に上野公園の地図を描いて貼っていたんですが、上野の、
 一番高いところが天神山ですね。あそこが古墳になってるんですが、
 あれがまあ、祭壇だったんでしょうね。それで昔はそこに向かって
 浅草の雷門(かみなりもん)からずっと天神山に向かって参道があったわけです。
 今は、鉄道敷いたおかげで道が変わってしまいましたが、あれがもともとは参道で、
 雷門というのが天神の入り口の門であったわけですよ。
 その門の所に、酉(とり)の市(いち)で有名な鷲(おおとり)神社がありますが、
 あれは当然アッラー、すなわち天地創造の神の御使いの鷲、
 すなわちオオトリがいなければならないわけですからね。
 そういう目で見ると、下谷(したや)神社の起源なんかにしてもそうですし、
 なんで稲荷町というのがあるかとかね。今の下谷神社も元を洗うと稲荷神社ですよ。
 稲荷というのは元来そういうもので、メッカの一角にもイナリと称する場所があるわけです。
556名無しさん@3周年:03/09/07 20:52
中矢: そのお話には驚きました。確か、「光を与えるもの」という意味でしたね。
澤田: ええ、そうです。そういう思いもつかないことがイスラムを知ることにより判って来て、実に面白いんです。
 そういうことで『霊界物語』にしても、私は出口先生にも言ってるんだけれど、
 現在大本は“死に体(たい)”になっていると思うんですよ。大本の人たちは皆、霊界物語、霊界物語と言うけれど、
 集まって拝読してみたりしても誰もわけが判らないし、日常生活にも生きてこないですよ。これが、そういう目で見ると、
 ダマヴァンド山が産土山であるとか、そういうことが判ってくるんです。
 アメリカがイラクに対して戦争を始めたのなら、我々としてはダマヴァンド山に平和のシンボルを作ろうではないかと。
 アメリカが武力で押さえつけたようなことではなしに、体主霊従ではなく、霊主体従でなくてはならんということですから、
 日本的なやり方で、言向(ことむ)け和(やわ)すということですから、言霊の力で本来の真理を明らかにしようと。
 そういう時がいよいよ来たと思うんですね。
557名無しさん@3周年:03/09/07 20:54
中矢: アメリカのやり方は、明らかに体主霊従ですね。
  強いもの勝ちの論理で、力で押さえつけるのが彼らのやり方ですが、
  それじゃ駄目なんだと。皆が心を一つに、共通の神を祀って、
  そういう思いの力で立て替え・立て直しをやって行かないと、
  本当のミロクの世は来ないんだということですね。
澤田: その通りです。
558名無しさん@3周年:03/09/07 20:57
中矢: すばらしいお話ですね。だけどやはり、こういうことは『霊界物語』だけを見ていると判らないというのはあると思うんですね。
   そうではなく、先生のように複眼的に、包括的に見ていくと、いろんなことや全体像が判ってくる。
   そこが面白いし、大事なところだと思いますね。
澤田: そうやって研究していくと、実に面白いことが『霊界物語』に書かれてあることが判ります。あれはもう、実に魅力的ですよ。
中矢: やはり、出口聖師は天啓というか、啓示で受けたんでしょうか。
澤田: 天啓というより、霊眼で見たんでしょうね。高熊山で修行した時に霊界を探検し、それで見せられたんでしょうね。
中矢: ヴィジョンみたいなもので見て、それを口述したんでしょうね。
559名無しさん@3周年:03/09/07 20:59
澤田: そうでしょうね。その中には今の山本家に伝わっている言霊の説明だとか、
 『古事記』の解釈の説明などが載ってるんです。
 去年の12月、私はダマヴァンド山へ2回行ったんですが、2回目の時は、
 普通はテヘランからダマヴァンド山の西南の麓(ふもと)に行くんですが、
 雪で近寄れないものですから、ずっと迂回しまして、東南に当たるところに
 遥拝(ようはい)するような場所があるんです。
 そこから見たダマヴァンド山の姿は、完全にピラミッドですね。
中矢: ピラミッドですか。
560名無しさん@3周年:03/09/07 21:01
澤田: その遥拝所のような場所に行ったおかげで、いい経験をしたと思ってるんです。
  『霊界物語』の記述によれば、ダマヴァンド山からインドに宣伝師を派遣するわけでしょう。
  そのちょうど通り道が遥拝所の所に当たるんですが、そっちから見るとピラミッドの形なんですね。
  また『霊界物語』によると、宣伝師をここに派遣すると大黒主(オオクロヌシ)という
  体主霊従の親玉みたいなのがいて、それが日本の大山(だいせん)へ逃げて来たと。
  それでいよいよスサノオノミコト自身が乗り出してきて、大山にやって来て、
  ヤマタノオロチを退治したということになっているんです。ところが大本の人に話しても、
  皆さんそういうふうには受け取らないんです。『霊界物語』は『霊界物語』、大山は大山と。
561名無しさん@3周年:03/09/07 21:04
中矢: ええ、まあそうでしょうね。
澤田: そうすると力が出て来ないんですね。出口先生と一緒にイランに行った時に、
   その遥拝所みたいな所で、出口先生は「天津祝詞(あまつのりと)」
   −−すなわち「大祓」ですね−−を奏上されたんだけど、私はそれを聞いて、
   天津金木と天津菅曾、天津祝詞の太祝詞事(ふとのりとごと)を
   いよいよ復活する必要があると思ったんです。それを復活させないとミロク神政は来ませんよと。
中矢: なるほど。出口先生というのは、大本の出口信一さんですか。
562名無しさん@3周年:03/09/07 21:06
澤田: そう、信一さん。栄二先生の娘婿です。五代目になるんですね。
   大本では内紛やっているんで、前出の前橋の桜井さんという人が、
   どうしても私に何とかして欲しいと、綾部に行ってもらえないか
   ということで、8年位前に行ったんです。私自身は昭和30年に
   すでに大本に行っておりまして、亀岡で4日間修練をやって、
   それから綾部へ行きました。
中矢: その頃は王仁三郎聖師はもう…。
563名無しさん@3周年:03/09/07 21:08
澤田: 亡くなった後でした。亡くなってから4、5年後ですかね。
   大石凝真素美のお墓が、三重県の亀山近くの、確か神辺村という所にありまして、
   そこへ行ったんですが、そのお墓を立てたのは大石凝の8人の弟子なんですよ。
   八人の連名で墓を立ててある。そこの一番末弟に王仁三郎の名前が載ってるんです。
   ですから、王仁三郎聖師は大石凝真素美翁の弟子なんですね。ということで、
   どうしても大本を知らなければということで綾部に行ったというのが始まりなんです。
中矢: そうですか。大本のお話も詳しくお伺いしたいところですが、話を先に進めまして、
   これからの日本の、あるいは日本人の役割について、先生のご見解を伺いたいのですが。
澤田: といいますと。
564名無しさん@3周年:03/09/07 21:11
中矢: 日本人は今こそ、世界平和のためにもっと日本人自身が目覚めて、
 本当の意味での国際貢献というのをやっていかなければならない時期が
 来てるんじゃないかと思うんです。そのためには根本的な部分に目を向ける必要があると。
 私も数年前にイスラエルに行きましたが、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教が
 ごちゃごちゃになってしまって対立ばかりしてますね。それがこれまでの歴史でしたが、
 何とかこれを対立から融合に向けていかなければならないと。そういう点で先生の役割も
 非常に重要なものがあるんじゃないかと思っているんです。
 日本人は調整役が上手(うま)いですし、日本にとっても本当にこれから弥栄(いやさか)えていくためには、
 そういうやり方で世界に貢献していくということが、一番の道ではないかと。武力でもなく、金でもなく、
 そういう道が日本人にとっての使命と言いますか。
 それで『霊界物語』があったり、「日月神示」もそうかも知れませんが、
 とくに神道に、その道を開く鍵が隠されてるような気がするんですけれども。
565名無しさん@3周年:03/09/07 21:13
澤田: まったく同感ですね。またコーランの話に行き着くんですが、コーランに書いてあるイスラムというのは、
 世界の地上のすべての宗教は、いわゆる「イスラム教」でなく、本当の意味の「イスラム」でなくてはならないと。
 イスラムというのは「神にすべてを任せる」という意味です。イスラムという言葉は言うまでもなくアラビア語で、
 そのまま使っているわけですが、これを日本語に訳すとすれば、「惟神(かむながら)」と訳すべきだと思うんです。
 あるいは「南無」あるいは「帰命(きみょう)」と訳すべきだと思うんですが、こういう本来のイスラムにならなければと。
 地上の全ての宗教は、それを教えたんだというのがコーランの教えなんですね。
 こういうことが、日本人はどういうわけか、スポッとすぐ判るんですね。ところが、いわゆるムスリムと称するイスラム圏の人たちは、
 やっぱりイスラム教になっちゃって、対立的な見方で、キリスト教だ、仏教だというふうにしか考えられない。少なくともそういう傾向が強いと。
 例えばイスラエルの問題にしても、これから重大問題になってくると思うんですよ。中東問題の根本は、イスラエル問題ですから。
566名無しさん@3周年:03/09/07 21:16
 エルサレムへ行くと、ソロモンの神殿のあったところに、イスラムの黄金のドームが燦然(さんぜん)と輝いています。
 いわゆる岩のドームですね。この岩のドームの問題、これは実に重大な問題で、コーランの立場から見ると、
 あれはどういう意味を持っているのかと。これは、ブッシュ大統領が逆立ちしても、いくら武力でやろうとしても、どうにもならない問題なんです。
 これを解決する道は、コーランの中にすでにちゃんと書かれてあるんですよ。そしてこれを理解できるのは、私は日本人だと思うんです。
 そういう意味で、日本は特別な役割が与えられてると思うんですね。
 例えば、コーランの中にアダムとイヴの息子でセツというのが出てくるんですが、
 このセツが向こうで布教が出来なくなって、島へ逃げたということになってるんですが、
 この島というのは、おそらく日本であろうと言われてるんですよ。
 ご存知のように『先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんきたいせいきょう)』には、
 安房(あわ)神社から50箱の土函(つちはこ)が出てきたことが書かれてあるんですが、
 イスラムでは、マホメットによると、今のコーランのような、天から授かった巻物が104巻あって、
 その最初の50巻がセツに授けられたというんですよ。
567名無しさん@3周年:03/09/07 21:19
中矢: それはまた驚きです。日月神示にも、「神の御手に巻物があるぞ、その巻物の数は50巻ぢゃ」という記述があるんです。(『五十黙示録・扶桑之巻』第十二帖)
澤田: そうなんですか。不思議ですね。ともかく一番最初に、セツが50巻を授かってるんですよ。私はこれが今の安房大社に伝わったのではないかと思うんです。
 こういうものを調べていくと、否(いや)でも応でも日本の神道というのは見逃すことのできないものとして浮かび上がってくるということなんです。
 これにもとづいていよいよ日本人が、全世界に向かって言霊の力をもって言向け和す時が来たと。だから今回のイラク戦争はそういう意味の火を付けたと、
 ブッシュ大統領も別の見方をすればそういう役割を果たしたということになると思うんですね。
568名無しさん@3周年:03/09/07 21:21
中矢: なるほど。その聖地で、イランを初めとするイスラム諸国やバチカンや、
  日本からは大本や、他の各宗教も一緒になって皆で「平和の塔」を建立しようと。
  これはかなり具体的な話になっているんでしょうか。
澤田: ええ、そうです。イラン側は、とにかくテヘラン市長にも連絡しまして、
  イランは総力を挙げて応援すると言っています。イランとしては、ラフサンジャニが言うように、
  うかうかしてるとまずいことになると。次はイランが狙われるという時であるだけに、先手を打って、
  これからの世界のあるべき姿はこういうものであるということで、
  最初は非核三原則ということをダマヴァンド山に打ち出したらどうだということも考えたんですが、
  それではちょっと強すぎるんで、「平和の塔」ということで、全世界に呼びかけようと。
  その根拠はというと、『霊界物語』に書かれてあるわけです。
  『霊界物語』は大著なんで、全部読む必要はないんで、要点だけ読んでもらいたいと。
  そうすると、いろんなことがよく判ると思うんですがね。
569名無しさん@3周年:03/09/07 21:23
中矢: 先生は『霊界物語』はずいぶん読まれたんですよね。
澤田: ええ、イランが出てくるもんだからね(笑)。
中矢: 私は未精読なんですが、やっぱり、すごい内容だなと思われましたか。
澤田: そうですね。イラク戦争が起こった今こそ、すべての宗教団体に呼びかけてやらないと、
   せっかく世界中で反戦運動が沸き起こったのに、はけ口がないわけです。
   これは実らせる必要があるんですよね。そういう意味でダマヴァンド山の「平和の塔」
   というのは格好の目標だと思うんです。
570名無しさん@3周年:03/09/07 21:26
中矢: むしろ今、世界ではアメリカのやり方に反対する人の方が多いですね。各地でバラバラに反戦デモとかやってますけれども。
   何か一つシンボル的なものがあると、その力が結集しやすいと思います。
澤田: 今回は簡単にカタが付いてしまいましたが、皆、あの戦争はおかしいなという気持ちが残っているわけです。
   イラクが大量破壊兵器を所持しているという名目で、国連を無視して戦争をやったけれども、
   大量破壊兵器なんてものは結局出てこないですよね。そうすると、何のためにやったんだということになって、
   要するにアメリカがイラクの石油が欲しいんだか、あるいは中東の覇権を樹立したいんだか、
   もっともらしい理由をつけて軍事介入をしたんじゃないかと考える人がたくさん出てくると思うんですよ。
   そうすると、もう21世紀に入ったわけですし、ここは強い者勝ちの論理ではなく、
   神の理にもとづいた世界秩序を作り上げなければならない。だから、そういうことで始まったというか、
   ついに火がついたと。そういう意味で、今回の戦争も神の摂理だなあと思っています。
571名無しさん@3周年:03/09/07 21:28
中矢: お伺いしたところによると、「平和の塔」建立にあたり、地鎮祭を、今年の11月3日に行う予定とのことでしたが。
澤田: その方向で現在イラン側とも調整を進めています。私は、ミロク神政というのは、もうすでに神界では出来上がっていると思うんです。
   これからそれが地上界にうつって来ると。「平和の塔」の建立をきっかけに、この地上現界においていよいよミロクの世が成就していくという
   −−たんなる平和運動ではない、三千(さんぜん)世界の経綸(けいりん)上の神仕組みが始まっている気がしています。
572名無しさん@3周年:03/09/07 21:30
中矢: 私の会でも及ばずながら力になりたいと思っております。
   とはいえ、なにせ小さな会なもので、大したことはできませんが…。
澤田: いやいや、大きい、小さいは関係ないですよ。
   実際私には「日本弥栄の会」がいよいよ世界を導く中心的役割を果たされる時が来たように思われ、大いに期待しているんです。
中矢: 有り難うございます。ぜひ、ご期待に添えるよう、頑張りたいと思います。先生もどうぞご壮健で、ますますご活躍ください。
573名無しさん@3周年:03/09/07 21:32
 この日、インタビューが行われた埼玉県浦和市のホテルに、澤田先生はなんと品川から3時間半かけて自転車でやって来られました。
 浦和にお住まいの頃は、毎朝4時頃に40から50分ほど散歩することを日課にしていたそうです。
 年々足腰が衰えていくから、たまには浦和まで自転車で行こうということで、ペダルをこいで来てくださったのですが、
 それにしても79歳とは思えない強靭な体力と精神力には、ただただ驚かされました。
 とにかくこういう先達がいらっしゃり、こういう話が現実に進んでいることを皆様にも知って頂きたく、今回の対談と相なりました。
 今後の展開については、また本誌でご報告するつもりです