阿含宗という宗教34

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911名無しさん@1周年
メシヤの意味が分からない様なので。。。

【 教会暦 】
2003年4月13日(日)受難の主日([棕櫚(シュロ)]枝の主日)
★主のエルサレム入城の記念
福音朗読 マルコ11:1−10 さて、彼らがエルサレムの近くに来て【新改訳】
★[通常の]ミサ
第T朗読 イザヤ50:4−7 神である主は、私に弟子の舌を与え【新改訳】
第U朗読 フィリピ2:6−11 キリストは、神の御姿であられる方なのに【新改訳】
福音朗読 マルコ15:1−39 夜が明けるとすぐに【新改訳】

●聖書用語検索(新改訳)http://www.gospel-haiku.com/info/biblesearch.htm
「礼拝の歌 キリスト教讃美歌」MIDI Files of Multilingual Hymns (Japanese Index) 
 http://www.ylw.mmtr.or.jp/~johnkoji/hymn/index-j.html
「礼拝の祈祷」主の祈り http://www.ss.iij4u.or.jp/~ana/inori.htm
「ウエストミンスター小教理問答の学び」移動用フレーム
 http://www.jesus-web.org/westminster_s/frame.htm
「教派いろいろ対照表」翻訳の世界<特集記事より>
 http://www.asahi-net.or.jp/~mv4y-mnm/hitorigoto/kirisuto.htm
●キリスト教書専門書店一覧 http://www.asahi-net.or.jp/~hn3y-srt/menu/syoten.html  

賛美歌 130 midi♪  喜べや 称えよや シオンの娘 主の民よ 
http://plaza20.mbn.or.jp/~ginzanokaze/Jesus/a168.htm
賛美歌 541 midi♪  父 御子 御霊(みたま)の
http://plaza20.mbn.or.jp/~ginzanokaze/Jesus/a383.htm
912名無しさん@1周年:03/04/11 20:57
【 キリスト教成立のキーワード:私的考察 】
@罪(ハマルティアαμαρτια) 唯一神との契約違反で
天国[楽(=エデンの)園]の自由を失う 
[手に汗して生きる]地上生活と人類の「原罪」の発生 
A愛 地上生活での神の戒め 神と人への『愛(アガペーαγαπη)』 
B契約(ディアテーケースδιαθηκησ) 律法と預言書と詩篇から
 最期の晩餐による肉(パン)による信者の繋がりの教会と
 血(ブドウ酒の杯)による「贖罪」の「契約」 
C十字架(スタウロスσταυροσ) 神との新しい契約としての人類の原罪の贖い 
 贖いで足りない所を補う 主への讃美と善行と施しをイケニエとして捧げる事 
 行いの有る『信仰(ピスティスπιστισ)』 
D復活(アナスタシンαναστασιν) 
 古いものを捨て「神のロゴスθεοσ λογοσ」によって新しく生きる甦りの命と 
 最後の審判でのキリスト(χριστοσ)の弁護による救い(ソーテールσωτηρ) 
 天国に戻る『希望(エルピスελπισ)』 
E教会(エクレシアεκκλησια) 契約により
 キリストを頭(かしら:主人:キュリオス)として
 肢体になった信者(クリスティアノス
 油塗られた者χρηστιανουσ 使徒11:26)は 
天国(パラディソスπαραδεισοσ)を相続する自由人の女から生まれた子となり
 聖霊(ハギオンαγιονプネウマπνευμα)の賜物として 
 異言(グロッサ)・霊的な歌や癒しの奇跡を得る 
F公会議 同質・同一本体 三位一体 神人一人格 各信条[ニカイアなど] 
 総主教制[監督(主教)−長老(司祭=神父)−執事(助祭=輔祭)] 
 神の母[テオ・トコス:神・生みし者]の呼称 
 聖書(テモテβ3:16[旧約])の選抜などを決定
913名無しさん@1周年:03/04/11 20:58
 【 復活の命に預かる教会の愛 】
★コロサイ書1:15 おん子は目に見えない神の生き写し、すべての造られたものに先だって生まれたかた。
★ヨハネ伝18:36 わたしの国は、この世に属していない。
★コロサイ書1:18 おん子は教会という体の頭。おん子は初めであり、死者の中から先立って生まれた方。
こうして彼はすべてにおいて先立つかたとなられた。
★コリントα書15:55 「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。」
★ヤコブ書4:5 それとも、聖書に次のように書かれているのは意味がないと思うのですか。
「神はわたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられ、
★ヨハネ伝3:16 神は独り子をお与えになるほど、この世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びることなく、永遠の命を得るためである。
★コリントα書14:1 愛を求めなさい。
★コリントα書13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
★コリントα書13:8 愛は決して絶えることがありません。・・・。
★コリントα書13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
★ローマ書12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。
★テモテβ書4:2 御言葉を宣べ伝えなさい。
折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。
★レビ記19:18 復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。
あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。
★マルコ伝12:31 第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」
★マタイ伝7:12[ 黄金律 ]それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。
これが律法であり預言者なのです。
914名無しさん@1周年:03/04/11 20:59
 聖書的には、教会の頭はキリストで信ずる者達はその手足、
キリストはブドウの幹であり信ずる者達は枝、
同じパンを食べ同じキリストの体の一部になる集まりが教会では?
旧約の民は主の集会の幕屋の除酵祭で同じパンを食べた。
ではエホ証の集まりは?といえば、幕屋や教会ではなく聖書研究会か同好会なはず。

 ところで、
@幕屋はカハール、王はメレク(メルキド?)。
A都市はポリス、王はバスィレゥス(ワシリー)、指導者はアルコーン。
B会堂はシナゴグ、王はメシア(マーシーアハ:油注がれた者)。
C教会はエクレシヤ、王はキリスト(クリーストス:油注がれた者)。
Dへブライ語で、救いの神はハエル・イェシュアテーヌ、主はアドーナイ。
Eギリシア語で、救いはソーテーリア、主はキュリオス。

 参考箇所、
@キリスト教の異端p75 聖書が原語で読めたならp71
A聖書ギリシア語入門p9 聖書ギリシア語入門p31 エウセビオス教会史1p42
B新共同訳聖書−用語解説(22) 聖書が原語で読めたならp45
Cキリスト教の異端p75 聖書が原語で読めたならp45
Dヘブライ語聖書対訳シリーズ33詩篇68篇20節 新共同訳聖書−用語解説(30)
Eエウセビオス教会史1p13 新共同訳聖書−用語解説(30)
915名無しさん@1周年:03/04/11 21:00
 【 創造主であり唯一の神との契約 ユダヤ教のシェマァの祈り 】
★マルコ伝12:29 イエスは答えられた。
「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。
★マルコ伝12:30 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
★申命記6:4 聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。
★申命記6:5 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
★申命記6:6 私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。
★申命記12:31 あなたの神、主に対して、このようにしてはならない。
彼らは、主が憎むあらゆる忌みきらうべきことを、その神々に行ない、
自分たちの息子、娘を自分たちの神々のために、火で焼くことさえしたのである。
★申命記12:32 あなたがたは、私があなたがたに命じるすべてのことを、守り行なわなければならない。
これにつけ加えてはならない。減らしてはならない。
★申命記13:1 あなたがたのうちに預言者または夢見る者が現われ、あなたに何かのしるしや不思議を示し、
★申命記13:2 あなたに告げたそのしるしと不思議が実現して、
「さあ、あなたが知らなかったほかの神々に従い、これに仕えよう。」と言っても、
★申命記13:3 その預言者、夢見る者のことばに従ってはならない。
あなたがたの神、主は、あなたがたが心を尽くし、精神を尽くして、
ほんとうに、あなたがたの神、主を愛するかどうかを知るために、あなたがたを試みておられるからである。
★申命記27:26 「このみおしえのことばを守ろうとせず、これを実行しない者はのろわれる。」
民はみな、アーメンと言いなさい。
★ヤコブ書1:15 そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。
★コリントα書15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
★ローマ4:20 なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。
律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。
916名無しさん@1周年:03/04/11 21:01
★ユダヤ教のシェマァの祈り[イスラエルよ。聞け。・・・]の実践の事例
【 仮説 】 ユダヤ人のキリスト・イエス様は、
(たぶん改宗者も含めた)ユダヤ人の聴衆相手に、
シェマーの祈り(神への愛)を唱えて、隣人愛を説いた。と解釈される。
(カイサルの)彫像をエルサレムに入れないことが、
ユダヤの神への愛、偶像崇拝の禁止の実行であった。
軍旗に取り付けたのだから、礼拝対象ではない。
ローマの頂点の象徴や尊敬として取り付けていた。
にもかかわらず、当時のユダヤ人の感覚からすれば、
敬うための像までも、偶像と見なしていた証拠と言える。
【 歴史的論拠 】 
ユダヤ戦記1 フラウィウス・ヨセフス著 新見宏訳 p254
(2)ピラートがティベリオスによって総督に任命され、
ユダヤにつかわされると、
夜ひそかにカイサルの像を隠してエルサレムに運び込んだ。
これは軍旗(ラテン語vexillum:標旗、
軍旗につけられたカイサルの像)とよばれるものである。
夜が明けるとユダヤ人の間にはなはだしい騒ぎが巻き起こった。
その場に近く居合わせた人びとは、
彼らの律法がふみにじられたと思って大声でののしった。
律法はこの町(エルサレム)の中にいかなる偶像を建てることも
禁じているからである。・・・・・・。
彼らはカイサレイアにまで押しかけてピラートスに会い、
例の軍旗をエルサレムからとりのぞくように、
また父祖伝来の慣習を尊重するようにと請願した。
ピラートスがこの請願を却下すると、・・・・・・。
・・・・・・律法を犯すよりは死を選ぶ覚悟があると叫んだ。
彼らの敬神の情熱のはげしさにおどろいたピラートスは、
即刻、軍旗をエルサレムから撤退するよう命じた。
917名無しさん@1周年:03/04/11 21:01
聖書が原語で読めたなら
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57 いつも喜んでいなさい p136
テサロニケ人への手紙第Tの5:17の
17 αδιαλειπτωσ προσευχεσθε.(註:語尾のσは別文字)
アディアレイプトース プロシューケッセ「絶えず」「祈れ」

45 的をはずれると「罪」 p107
神に背を向けた状態
「罪」というのはギリシア語でハマルティアーといいます。
これはもともと「失敗」という意味があり、
槍を的に向かって投げるとき的をはずすという意味からきているのだそうです。
新約聖書においては、
このハマルティアーは明白な罪の行為を指しているのではなく、
罪の行為が起こってくるもとの罪の状態を意味し、
神という「的」からはずれ、神との正常な関係からはずれた人間の状態、
神に背を向けた状態をいうのです。
αμαρτια(単数形)ハマルティアー

正教要理 p39 四、罪 
人間が神に与えられた中で最も大切なものは自由です。
他人の意志によらず、束縛を受けず・・・喜びを持つ、・・・
しかし、人間は自由をはき違え悪魔の誘惑に負け、
自分の生命を神のみ手にゆだねることを拒み、神の前に罪を犯しました。
・・・。悪は神から来るものではなく罪から生まれるものです。
無限に尊い神にそむいた罪ですから人間は自分の力で罪のつぐないを
することはできません。・・・人間が悪にうち勝つために
救い主ハリストスを遣わすことを・・・されました。

註※ [新教]神に背を向けた状態・・・。[正教]神にそむいた罪・・・。
918名無しさん@1周年:03/04/11 21:05
【 ロシア的「罪」の理解 その1 】

→ ドストエフスキー 罪と罰(下)江川卓訳 赤613−7岩波文庫 定価(本体760円+税)
宗教的「罪」は、грех:グリェーフ(グレーフ)と呼ぶ。
使い方として、
@しかたない損も(責任も)半々に(半分こに)грех пополам
Aグリェーフを使う、若気の過ち грехй молодости
失敗・間違いの語を使う、若気の過ち ощйбки молодости
B彼を虐めるのは可哀想 
грех его(彼を)обежить:アビジャ−チ(怒らせる:侮辱する)
とあり、このことから、法律ではなく生活上の罪、
ロシア的な宗教的「罪」の使い方は、
「神様を怒らせるような事をしでかした」「どっちの人間にもある過失」
「人生一度は誰もがする失敗」と理解できる。法律を破ったの意味ではない。
慣用句というか、決まった言い方に、
人間は皆、罪人です все Люди грещнь?
罪の赦しを神に祈る замолить грех
・・・
ロシア文学「罪と罰」で使われる「罪」は、
Пре−ступление:プレ−ストゥプレーニエ
越える−歩む(踏み越えてしまう)という法律上の罪を意味する。
919名無しさん@1周年:03/04/11 21:06
  【 原罪を贖う十字架 】
★マタイ伝9:13 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。
わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。
★ヤコブ書2:13 憐れみを行わなかった者に対しては、仮借のない裁きが下される。憐れみは裁きに打ち勝つ。
★へブル書7:27 ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、
まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。
というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。
★ガラテヤ書3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、
私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。
なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。
★申命記21:22〜23 ・・・死刑・・・木につる・・された者は、神にのろわれた者だからである。
★ローマ書7:6 しかし今や私達を繋いでいたものに対して死んだのであって、
私達は律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく新しい霊によって仕えているのである。
★コリントβ書3:6 神は私たちに力を与えて新しい契約に仕える者とされたのである。
それは文字に仕える者ではなく霊に仕える者である。[律法の]文字は人を殺し[キリストの]霊は人を生かす。
★ガラテヤ書3:14 このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、
その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。
★コリントα書15:44 自然の命の「体」があるなら、霊的な「体」もあります。
★ヨハネ伝3:5〜8 肉から生まれた者は肉であり、『霊』から生まれた者は霊である。
★ガラテヤ書6:8 自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。
★マルコ伝12:17 「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」
920名無しさん@1周年:03/04/11 21:06
聖書が原語で読めたなら
 −−−聖書語学の証しと勧め 大久保史彦 聖書語学同好会

14 メシアとキリスト p44−45
メシアということばはふつう「救い主」と訳されていますが、
ヘブル語では「油注がれた者」という意味です。
旧約時代には、王や祭司として神に代わって民を治めるべく任命されるときに、
頭に油を注がれて、その特別の使命を受けた印としたことに由来しています。
ヘブライ語 マーシャハ(動詞)「油を注ぐ」
ヘブライ語 マーシーアハ(名詞)「油注がれた者」(メシア)
ギリシア語 クリーストス(名詞)「油注がれた者」(キリスト)
ギリシア語 クリーオー(動詞)「油を塗る」

私註※ カトリックのサクラメント(秘蹟)での@堅信やA病者の「塗油」の由来か?
正教のミステリオン(機密)では「膏」の字を当てている。@傅膏とA聖膏。

15 アブラハム p46
アブは「父」、ラハムは「多くの者」という意味です。
ほかに、サムエル記U3:3に出てくるアブシャロムは「父は平和」という意味、
サムエル記T14:50に出てくるアブネルは「わが父は光」という意味だそうです。

私註※ 新約に「アッバ、父よ」と呼ぶ霊が、我々の御霊であり。という、
「アブ=アバ」がアラム・ヘブライ語の「父」の語彙だと言う事。
シャロム(平和)は、イスラエル関係で、よく聞かれる言葉ですよね。
シャローム(こんにちは)は、平和がありますように。だし、
サレムの王は、平和の王であり、頭にエルが付いて、エルサレムと街の名になる。
921名無しさん@1周年
  【 クリスティアノス(塗油された者)の信仰 】
★マタイ伝10:16 「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。
だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。
★テサロニケα書5:21 すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。
★テサロニケα書5:22 あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。
★コロサイ書3:16 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、
詩篇と讃美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。
★ヘブル書13:15 そして善を行う事と施しをする事とを忘れてはいけない。神はこのようないけにえを喜ばれる。
★テサロニケβ書4:11 また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をすることを志し、
自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。
★テサロニケβ書4:12 外の人々に対してもりっぱにふるまうことができ、また乏しいことがないようにするためです。
★ヤコブ書3:26 霊魂の無い体が死んだものであると同様に、行いの無い信仰も死んだものなのである。

  【 創造主であり唯一の神への頌栄 】
★コリントα書12:3 神の霊によって語る者は、だれでも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、
また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことはできません。
★コリントα書16:22 主を愛さない者がいるなら、その者にのろいあれ。マラナ・タ〔主よ、来てください〕。
★コリントβ書13:13 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。
★ユダ書25 わたしたちの救い主である唯一の神に、わたしたちの主イエス・キリストを通して、
栄光、威厳、力、権威が永遠の昔から、今も、永遠にいつまでもありますように、アーメン。